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御旅町を歩む男女にして北は山本の壁鏡に対して己が姿を写し見ざるものなく、南は関川の商品を覗(のぞ)きて値札を読まざるものなし。何人にも自惚と虚栄とを有する一証と見るべし。
2025年03月31日
知る人に対しては感心すべきに感心せず、知らざる人に対しては感心すべからざるに感心す。畢竟(ひっきょう)人は妬心(としん)深き盲者(もうしゃ)なり。盲者一に「群衆」と名(なづ)く。
2025年03月30日
思い設けぬ大官連(たいかんれん)より、無名一介の者へ厳めしき厚紙印刷の尊翰(そんかん)を賜う。何となく侮辱されたる心地す。しかも之を畢生(ひっせい)の名誉とし表装美しく額面に掲ぐるものありと。以て其効力の絶対と思想懸隔(けんかく)を想うべし。
2025年03月29日
人の噂は半信半疑に高きものなり。徹底して真を看破(みやぶ)りたる時は多く沈黙するものなり。故に沈黙は多く真実を語る。
2025年03月28日
法律の力を酷使すれば罪人とならざるもの絶えて一人なし。唯(た)だ巧みに免れたるものを「善人」称す。善人の多き昭代(しょうだい)かな。
2025年03月27日
已(や)むを得ざる寛量(かんりょう)、力の弱き大胆、之を近代の新道徳とす。極めて実践者の多きに驚く。
2025年03月26日
舶来の歯磨を用ゆれば売国奴となり、日本酒を飲めば愛国者となる。商界と教界、今や忠君愛国の濫売(らんばい)に忙(せ)わし。君を賊するの忠、国を害するの愛、呪われたる国家と宗教は惨なる哉
2025年03月25日
品物なれば喜んで受くるも現金なれば怒って返す。品と金、之が受授上に何等の清濁(せいだく)あるか。思えばおかしき人情よ。
2025年03月24日
ピイピイ時代に所謂(いわゆる)「お引立を蒙(こうむ)った者」、それが漸(ようや)く社会的に少しく産を築き得れば頻(しき)りに「旧恩抹殺(きゅうおんまっさつ)」に腐心(ふしん)する。泣いて三百の金を借りたるものでも、遂に千金を貸さんかと広告する。「お引立」を打消さざれば世間に顔が小さいと案じている。
2025年03月23日
或る意味から云えば今の社会的信用というものは去勢された人の商標なのだ。老耄(ろうもう)漸(ようや)く棺に入らんとすれば社会は之を信用して重き地位を捧ぐるものだ。
2025年03月22日
屏風は直立するが故に倒れるのだ。今の社会に処する人間も皆なそれだ。若し根深く立ちて倒れざらんと欲すれば、曲り得るかぎり曲って立つことだ。
2025年03月21日
彼は貞操を売るが故に倫理を説く。彼は虚栄に憧がるるが故に慈善を説く。彼は生活に窮するが故に宗教を説く。
2025年03月20日
「直言」とは人を悪口することにのみ用いらる。人の前に信ずるが儘(まま)に賞讃すれば阿諛(あゆ)となる。
2025年03月19日
旅人の心に明日の晴雨(せいう)なんぞあるもんか。死後の事など問題じゃない。道伴れと熱く握った手さえ冷えて別れりゃ西東だ。
2025年03月18日
芸術家は多く偽名者だ。若し宿泊届に竹内恒吉、山本金右衛門と本名を記さば忽(たちま)ち偽名者として其驕奢(そのきょうしゃ)を疑われるであろう。栖鳳、春挙と云う天下パリパリの昼伯も実は偽名だ。
2025年03月17日
常に真実を語るものは決して出世はしない。真実らしく虚偽(きょぎ)を語るものにのみ幸福は恵まれる。真実は冷たい北光だ。虚偽は温かい南花だ。偽(にせ)の邦土(ほうど)には偽の花ならでは成育しない。それが即(すなわ)ち今日の真実だ。
2025年03月16日
「私は淋しいんです」など蚊の泣声のように囀(さえず)って、涙で他人の同情を求めんとする生存者も漸(ようや)く影が薄くなった。それよりも露骨に「私は空腹(ひもじ)いんです」と渋面(じゅうめん)つくって訴える。マカリ違えば他の懐中を奪って食って生きるものが多くなった。「さびしいんです」もイヤな声だが、「ひもじいんです」も苦しい声だ。
2025年03月15日
人間の大部分は「標語生活」を営んでいるのだ。何でも一ツ標語を製(こしら)えて之に向って没入又は進転せんとする。それが生活行進曲なのだ。啓蒙運動、浄化運動、革新運動、等々。而(しか)して多くは是れ言語の遊戯作用だ。言葉に強いものは行為に弱く、標語の美しいものは実動に汚いのを常とする。
2025年03月14日
医者は成るべく「病人」を繫雑にする。弁護士は成るべく「事件」を煩瑣(はんさ)にする。世に若し医者なかりせば世間にどれだけ「病人」が減ることだろう。若し弁護士なかりせば地上に何れだけ「事件」が減ることだろう。無くてならぬものは有って無用なものであり、有って無用なものは無くてならぬものである。
2025年03月13日
継子(けいし)は母の顔色を読んで、それから物言う。不良児は先ず物を言うて、而(しか)して後に父の顔色を見る。今の社会人は継子にあらずんば不良児だ。常に顔色を読まれる父母は果して何種の人だろう。
2025年03月12日
人事関係に於ては「美徳」の名に依って葬られている悪習が甚だ多い。放縦なる夫に盲従して唯(た)だ徒(いたず)らに貞淑(ていしゅく)を守る婦人、零碎(れいさい)の寄附金を各方面に捧げるの故を以て妙に慈善家の名を博する種族、精神的に入って探れば探るほど「悪臭を放つ美徳」だ。
2025年03月11日
青年が「異常の挙」に出るのは精神よりも先ず体質から出発する。戦線の最尖端に躍(おど)るものには肺結核が多いという。つまり、どのみち長くはない、どうせ死ぬるのなら花々しく最後を遂げて「同志への贐(はなむけ)」とする。要するに悲しい虚栄だ。絶望に培われた槿花(きんか)だ。理想と目標とを見誤らないことは最も重要であろう。
2025年03月10日
「緑(みどり)の誘惑」に狂って今日この頃の悲劇の多いことったら、新聞の社会記事を読んで誰か喫驚(きっきょう)しないでいられよう。そして何の悲劇を見ても、そこには人間の止むに止まれぬ必然性が発露しているのを見る。 甲にも無理がなく乙にも無理がない。乙にも純情があれば甲にも純情がある。げに悲劇とは善と悪との衝突ではなくて、まさしく人間の善と悪との衝突だろう。
2025年03月09日
変死あれば目下原因取調中、犯罪あれば目下犯人厳探中。
2025年03月08日
特別の案内状は多くの場合、或種の請求書だ。発起人とは寄附者の代名詞であり、その頭に〇印を附けられたものは実行委員、而(しか)して、実行委員とは並みの発起人よりも特別に多く寄附せしめられる選ばれたる人々の名だ。
2025年03月07日
人生は池の水の如しと云われる。池の水は上層と下層とが濁って汚いが、中層のみ清く澄んでいる。人間社会の上流には倫道乱れて汚く、下流も亦た露骨に濁りに染んでいる。比較的に中流に於てのみ稍(や)や人間らしい人を最も少数ながらに見る。
2025年03月06日
「古い!」と一言、かぶせられると誰でも無条件で降参するらしい。ことほど左様に「古い」といわれることを恥辱(ちじょく)と感ずるのが現代人の心理だ。つまり、その裏を返せば皆が皆、新しがり屋なのだ。「古い新しがり屋」なのだ。「新しい旧思想」だ。
2025年03月05日
「恩に感ずる」とは裏を云えば甘い汁を吸うている間の虚言だ。甘汁の薄らげば恩義はむしろ痛恨と変ずる。過ぎし恩は即(すなわ)ち今の仇として酬(むく)われるのだ。
2025年03月04日
人 生 日 録 人 物
2025年03月04日
実印は少し破損に傾いた方が確実性を持つ。完全無欠な印影は寧(むし)ろ偽造され易いからだ。 人間でも少しサビて独自性を持って来ると他の模倣を許さぬ特徴が浮び出る。即(すなわ)ち「欠陥の美」だ。「破損の徳」だ。
2025年03月03日
真実は世に誤られ易いものだ。故に真実に生きる人には民衆は石を投げる。初めに「石の洗礼(せんれい)」を受けたものでなくては終に民衆には容(い)れられないものだ。民衆は偉大なる或る一人を試みんとして先ず「暴力」を浴せて見る。而(しか)して真実の人は終にその暴力に依って或る大成を遂げるものだ。一応民衆に誤解される人でなくては民衆の守り本尊とはされないものだ。
2025年03月03日
才気横溢(さいきおういつ)の賢人は妙に騙(だま)されないが大物は必ず騙される。人は騙されない間はまだ余裕が出来ていないのだ。完全に騙されるようになったら綽々(しゃくしゃく)たる人間一疋(匹)だ。尤(もつと)も騙されないで、騙された顔して却って人を騙して行くものもあるが、それは浅い。衷心(ちゅうしん)から騙されるような大きい正直さがなくては完成の人ではない。
2025年03月03日
アンケラソーと大人物とは紙一枚の表裏だ。年が年中、唯我独尊で決して悪意を以て他人を解しない。中傷されても侮辱されても決してその人を恨まない。イヤ恨むべき理由だに知らない。大きい人物は、間の抜けた尊いアンケラソーだ。
2025年03月03日
時代に欠くべからざる人物は必ず時代を超越したる人物である。時代を超えないと時代を率(ひき)ゆることは出来ないと同じく、時代を離れて時代を動かすことも出来ない。超えることは離れることではなく、離れることは超えることではない。
2025年03月03日
弱きが故に護(まも)られるのであり、護られるが故に益々弱いのである。実戦に当って軍隊中で一番弱いのは師団長だという。総て「力」の根源は孤独に在る。真に最後まで戦い得るものは孤立無援の一人者だ。
2025年03月02日
年齢に於て父と子ほどの差はあっても、その含蓄せる学徳高き人格者の前に立った時、自ら明鏡に射られて黒き顔面のほてるのを覚える。特に謹厳そのものの如き言語態度に全身の細胞神経は電気に感じたるが如く硬直する。げに人の徳化というものは無色無声の裡(り)に偉大なる響を投げるものだ。常に或る若き大学教授に対する我が不変の感慨だ。
2025年03月02日
拙劣(せつれつ)は人の重量なり。文章や字句に巧みならざるものは却って造詣深き大家の風格を添え、歌や拳(けん)に拙(つたな)きは散財の席に却って秘芸以上の値打あり。図抜けたる通人(つうじん)は常に拙きものなり。
2025年03月02日
重要の地歩(ちほ)を占(し)むる人には魅力と圧力とを要する。一見直ちに何処となく魅惑を感ずる。相対して何か知ら強い圧迫を受ける。それは学問でもなく修養でもなく所謂(いわゆる)天稟(てんぴん)の品格というものだろう。
2025年03月02日
漬物(つけもの)は三度の食に欠くべからざる副食だが、それが若しも香味を失ったら寧(むし)ろ無い方がマシだ。「香味を失った人」それがナンボ長生したって何の妙趣もないものだ。何処となく「香味のある人」、それは無学の儘(まま)に尊い。人生にはなくてはならぬ米の飯だ。
2025年03月02日
無理に迎えねばならぬものもないが、無理にも留めねばならぬものもない。旧(ふる)い文句だが、春風に座し、秋月を頒(わか)つは一に意気の問題だ。
2025年03月02日
そのグループに於て存在の確乎(かっこ)たるものは常に邪魔物だ。之を逆に考えて人は邪魔物となって初めて生存の意義がある。
2025年03月01日
人生は要するに平凡だ。平凡の世は平凡の人に依って動かされて行く。高遠な固くるしいシカツメな議論を以てしては人は心に感じても身に動いて来ない。目前の平々凡々たる事実を捉えて笑談和語して行く。之を聞き之を読む人は「平凡」を嘲(あざけ)りつつ何時の間にやら、その平凡の手に縛(ばく)されて何処かへ拉(らつ)して行かれるのだ。偉大なる論客となることは易いが、偉大なる凡物となることは難い。
2025年03月01日
誰でも「背景」なくしては起(た)って踊ることが出来ない。或る意味に於ては背景は寧(むし)ろ其人の価値そのものだ。鯛の生身も九谷錦の小鉢に盛られて初めて美味を賞せられるように、若し今の名家に大学教授の背景を奪い、左団次や菊五郎より歌舞伎舞台を奪ったら、果して今の存在があるだろうか。背景と個性とがシックリ結び付いている処に其の人生味が湧く。
2025年03月01日
木から落ちた猿が、昔とった杵柄(きねづか)を夢みたって何の役に立つ。昨は昨、今は今、人生は其日其日の昼を描いて渡るが肝要。米の一升買に生活する時、昔の高楼の夢を語るの愚や笑うべく、途上の犬にすら怯(おび)えながら駿馬の千里を誇ったって徒(いたず)らに滑稽だ。「相場は相場に就け」だ。素直に「現在の自己」に真価を知るのだ。人生は一の相場だ。下がった時にはジ-ッとして辛抱するのだ。年月を経れば又「上る」時も来る。人物の太い細いは畢竟じて自ら相場の上下を知る人に依って判るのだ。
2025年03月01日
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