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「どこで読んだのか忘れてしまったのですが 「ひとり親」と言う言葉を目にした記憶があります。 そのとき、ああ、そうか、といまさらのように 「片親」という言葉の切っ先を感じたものでした。 その言葉のもたらす痛みを思いました。 お父さんが片腕のひとが 「片手落ち」という言葉も問題なのだと言ってました。 どの言葉もニュアンス次第ではあるのですが 言葉自体のなかに含まれる現実を ことさらに突きつけられるとつらいです。 泣きたいときに笑っていた。 そんな思い出を持つひとがなんと多いことでしょう。 大人になったそのひとのなかで そんな少年少女がまだ泣き続けているような気がすると わたしは行ってハグしたくなります。」差別というものを考察したあるひとのある日の日記にそんなコメントを書いた。足りないもの、欠けたもの、十分でないもの普通という概念から外れたものそういうものに対する生理的な忌避はだれのこころにもあるのだろうか。あるいは後天的に植えつけられたのだろうか。あってはならない境界線の向こう側から直接、間接、いろいろに形を変えて理不尽はやってくる。そんな理不尽に真正面から立ち向かえない幼い魂は笑顔の下に涙を隠す。まっすぐ立っているために前に進むためにまっとうなおとなになるために封印した幼い涙の存在がレントゲンのフィルムをみるように透けて見えるときがある。その涙がせつなくてそのこころがたまらなくてなにをしてあげることもできないけれどその幼い魂を抱きしめていたいと思ってしまう。
2009.01.24
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このブログをお読みくださる方、何人かの方に同人誌「停車場」と千鶴子さんの個人誌「藻乃露於具」をお買い上げいただきました。読みたいと言ってもらえて、とてもうれしいことでした。まことにありがとうございました。
2009.01.21
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1月11日第一回品川てづくり市に参加しました。 場所は京急新馬場駅そばの品川神社です。 鬼子母神の手創り市とは違ったシステムでブースが前もって指定されていました。わが文袋屋は神社の階段を上ってすぐ右の一角でした。第一回目ということで成功を祈念してやわらかな笑顔の宮司さんからお払いを受けるとこころすがすがしくなりましたがさすがに一月の冷え込みは堪えました。とはいえ、広報が行き届いていたのか市はにぎわい、人出も多く文袋もたくさんの方が手にとってくださいました。七福神まいりに来られた老婦人たちは文袋の着物地をとても懐かしげに眺めておられました。「モスリンは虫が食うのよね」「そうそうやわらかくて肌触りがいいのよね」「着物、着ないものね」「こうすればいいのね」そんな会話が聞こえてきました。「これ、気に入った!」と声をかけられたのは「冬景色」という文袋です。品のよいすっきりした風貌のご婦人が「こういうの好きなのよね。いいわあ」と一番最初にお買い上げくださいました。最初のひとつが売れるとほっとします。手作り市などに参加するとまわりには若い感性の技術の確かな作家さんたちがたくさんいてどのひともプロっぽくて自分が作っているものは幼稚園のバザーの延長線上にあるようなきがしてこれがひとつもうれなかったらどうしよう、といつだって不安なのです。不思議なものでひとつ売れると見えない糸に引かれるようにほかのものを売れ始めます。安堵の気持ちがこちらの表情や雰囲気をいいほうに変えてくれるのかもしれません。そのあとふたりづれでみえた女性のおひとかたは小文袋をあれこれ迷われていたのですがお友達にひとこと「これできまりね」と言われて「そうね」と赤い帯で作ったものを買われました。 お話好きのかたもみえました。自分が骨董市にいって見てきたことなどを熱心に語られました。そばちょこからリバティの古布の話蚕農家だったご実家にあったもののことなどほうほう、と聴いているとやはり古い布地で作った小文袋を二つ買ってくださいました。そのひとの「また次もここで会えるんでしょ?」という言葉がなんだかうれしかったのでした。暖華のシリーズのひとつを買ってくださったのは30代のカップルでした。知的な眸をした女性が文袋を撫でながら「手触りがすき」というと優しそうな男性は「それにしたら?」と言うのでした。お買い上げいただいた文袋がその後のふたりの会話の中にふわっと出てくるのかな、なんてことを思ったりして。「ほら、ここがだめなのよ。ひとは見るのよ、こういうところを」と文袋のミスを指摘してくださったのは海老名からお見えになった初老のご婦人でした。「京都の手作り市が好きでよく行っていたんだけど東京でもやるっていうんで、うれしくなって海老名からはるばるきたのよ」と言われるだけあって、期待が大きかったらしく品川の規模が小さいとご不満の様子でした。それでも、小文袋をひとつお買い上げくださいました。「なんかいいのよね」と言われた茶色のそれは前日に仕上がったもので写真を撮ってなかったのでした。3人連れでこられたかたは母娘とご親戚のおばさんのようでした。おばさんのほうは「みつこちゃん」と呼ばれていました。すてきな帽子を被ったみつこちゃんはこの日のお大尽さまでむすめさんには「かわいいから」とピンクの小文袋をプレセントしご自分は帯地で作ったセットを買われました。持ち手が気に入られたようでした。じゃあね、と去っていかれたのですがしばらくするとそのご一行はまたもどってこられました。みつこちゃんは「やっぱりこっちもいいのよね」とこれとこれをまたお買い上げになったのでした。みつこちゃん、ありがとうございました。そのあいだには目の覚めるような鮮やかな朱の絞りの羽織を着た女優の池尻なんとかに似た奥様とセレブ風のご主人がみえてを即決で買われました。足袋模様のほうは舞伎座で買った日本手ぬぐいで作ったもので中村福助さんのお好みでなかなか粋に出来たと自分でもお気に入りでしたがしゃれで作ったからくさの風呂敷で作った文袋が売れるとは思わなかったので、いささかおどろきました。この主人にも「来月も来るんでしょ?」ときかれました。「さむいので・・・」と答えました。新宿からお見えになったという白髪交じりにご婦人は京浜急行の人身事故でえらく時間が掛かったとぼやいておられました。「でも、こういうの好きなのよね」とおっしゃって この小文袋を買ってくださいました。最後にお見えになったかたはこの文の文をお読みになってくださっているかたでした。わたしの言葉を気に入ってくださっていることがもうもううれしくて、まいあがって握手してもらったりして・・・。をお買い上げくださったうえ藻乃露於具のご注文もいただきました。ありがとうございました。そのほか鬼子母神の手創り市で売り手としてごいっしょしたかたおふたりがお客としておみえになって言葉をかけてくださってそれはなんだか同窓会のようでこころがふわっとしてくるのでした。近くのブースの方ともさむいですねえ、と慰めあいながら時をすごしまた会いましょうね、と別れました。今の年の10の位を四捨五入したらなんと100歳になってしまうのだけれどそんな年齢に関係なくこんなふうにすこしづつ広がっていくものがあることや自分の手が作り上げたものを真ん中に置いて言葉を交わし、笑顔を交わすことができるということ、そしてなにより、たくさんお買い上げいただけたことをなんだか嘘みたい!と思っている自分がいて甲斐があったと喜んでいる自分もいて・・・・こんなふうにわたしも「市」なひとになっていくのかもしれませんね。
2009.01.12
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