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夜の帳が下りて星が瞬き始めた頃の公園を通り抜けた、と書けばなんだかロマンチックなのだが、所用あり!のおばさんはいつも先を急ぐばかりである。5時に「七つの子」のチャイムがなれば、小学生はみな家路につくのだが、今夕6時過ぎに通りかかった時には、何人かの人影があった。公園の真ん中に設けられたコンクリート製の丸い汽車の上に腰を下ろしている女の子二人がいる。その前に男の子がひとり立っている。向き合って話しているのではなく同じ方向を向いている。急に男の子が両の手をメガホンにして大声で言った。「受験に受かりますようにーー!」続けて女の子二人も声を合わせて、高い声でこういった。「みんなうまくいきますようにーー」「六年一組六年二組のみんながうかりますようにーー」「おねがいしまーーすーー」「おねがいしまーーすーー」彼らは星に向かって願いごとを叫んでいるのだ。自分の分だけじゃなく、みんなの分を願っている。そのお願いが繰り返し繰り返し公園に響いた。おばさんもちょっと足を止めて星を見上げた。
2004.01.31
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本日は東京ドームで開催されている「東京国際キルトフェスティバル」へ足を運んだ。東京ドーム。普段は野球を生業とする大きな男たちが駆け回るフィールドに、女たちの静かな時間の結晶、渾身のキルトが色とりどりに満ちていた。アメリカニューヨーク州のフェニモア美術館所蔵の18~19世紀に作られたキルトやそれと同時代にフランスプロヴァンスで作られた「ブティ」「ピケ」を見た。キルトは文化であると、きちんと評価されているのだと感じ入る。それでも、歴史の向こう側でたくさんの名もない女のひとたちが、家族や友人を思いながら、あるいは自分のなにかを証明するために一針一針縫い続けた作品が、暮らしのなかでそれぞれの用をなしながら、長い時間を経て、ここに至っているそのめぐり合わせを、私は単純に喜んでいる。布を選び、デザインを考え、出来上がった作品を思い描きながら、忍耐強く縫い続ける。300年という時間の流れを超えて、同じ思いがこのフィールドに満ちている。それがうれしい。ウズベクスタンの伝統の手刺繍「スザニ」というものをはじめてみた。宇宙や人生を現すデザインもいいし、なによりその手仕事のもつ素朴なあったかさに胸が熱くなった。婚礼のお祝いにと作られた刺繍の針目を見ながら、それが使われたシーンや暮らしを思った。田川啓二さんのゴージャスで緻密なビーズ刺繍に目を見張った。ビーズの前であこがれと賞賛のため息が繰り返し聞こえた。その作り主はまことにハンサムな若い男性だった。こういう大きな展示会では個々の作品の印象は散漫になる。たくさん見たから、たくさん忘れてしまう。作った人への礼儀、そこに費やされた時間と労力に対する敬意やねぎらいの思いを欠いてしまいそうな気がしてならない。そんな展示場で、キルト作家、松浦香苗さんの作品を見つけた。懐かしい。私がパッチワークに心惹かれ始めたのはこの人の作品集を見たからだ。技巧を凝らした作品が溢れる中で、香苗さんの作品はシンプルな四角つなぎだった。明るい色、かわいい絵柄、その一枚一枚の布を香苗さんは大好きなんだなと分かる。キルト界のはやりすたりなんかとは関係なく、自分が大好きな布を生かすためのそのなんでもないデザインが、うれしかった。休憩場所になっている三塁側の観客席、普段は応援の声が響く場所で、会場全体を眺める。展示場やショップに人が沸いて出るように溢れている。そこにいるのは、おおむね中高年の女性だ。ショップをのぞいていたひとが手荷物をもって観客席の階段を上がってくる。何を買ったのだろう。布だろうか、かばんのもち手だろうか。大きな産業なのだなと改めて思う。ちっぽけな布切れが縫い合わさって大きなキルトになっていくように、この産業も大きくなっていったのだろうなあ。山葡萄のかごを買おうか買うまいか迷っていたら、店員さんがおまけしますと言ってくれた。2千円もまけてもらってうれしくて、その2千円で水牛の角のブレスレットを買った。そう、もう金輪際布は買わんぞ!と引越しの時に誓ったのだから・・・。
2004.01.30
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昨晩はカルチャーの新年会で帰りが少々遅くなった。といってもまじめな主婦な9時前には家路に着く。最寄の駅を出ようとしたとき、後ろから「あのう」と声をかけられた。振り向くと25,6歳の真面目そうな青年がいた。背広の上に濃紺のオーバーを着ていた。「うん?」と目で問うと、めがねの奥の細い目を見開いて、とても小さな声でこういった。「突然のことで失礼なんですがよろしかったら僕とお茶でもいっしょに飲みませんか」うわあ、こりゃあ、難破!いや違うナンパだあ、と内心驚く。おいおい、私は君のおかあさんと同じくらいの年なんだよ。まあ、ご好意はうれしくありがたくいただきますが・・・。「えっ?」とちょっと大きめの声で聞きなおす。すると彼は一歩足を引いて「あの、東急の駅はとちらですか」と聞いた。「あっち!」といって指差すと、彼は「どうも」と去って行った。ああ、勘違い!なのだろうけれどなんか久しぶりの気分だった。そういえば、大学1年の時、円山公園で満州の馬賊であったというじいさまに「お茶でものみまひょ」ってナンパされたなあ、と思い出す。そうかあ、そうかあ、そうなのかあ、とまだまだーなんて気分になる。ほろ酔い気分はいよいよ心地よく寒空を闊歩したことだった。「ええ」とか答えていたりしたら・・・ふふふふふ。
2004.01.29
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ああ、ああ。情けなや・・・。昨日はマンションを購入したお友達のところにもう一人の友人を連れていったのでありました。私は一度たずねたことがあったので案内役だったわけですね。ところが朝からぼーっとしていて前にたずねたときのことがよく思い出せないのですね。いきなり、バスが何番だったかわからんのです。たずねたずねして、最寄のバス停に着いてマンションのオートロックの前でまた悩むんですね。何号室だか忘れてしまってあ、303号よ、友人のほうが覚えててたんだけど郵便受けを確かめると違うひとの名前があるんですよ。えー、なんでー?おっかしいわねえ、とさんざ首をひねってはたっと気づいたのでありました。あっ、隣のマンションだった!!ええ、ええ、二人に思いっきり笑われました。弁解の余地もなくただただ笑われていたのでありました。私はなんだかしょげてしまっていたのですが二人はものすごく元気でしゃべるしゃべる。声の張りもよく高音部が冴えて、絶好調のおしゃべりが続きました。よーく聞いていると、二人とも会話中に何度も相手の話をインターセプトするんですね。で、インターセプト返しもあるんですね。私はテニスや卓球の試合の観客のように右へ左へと首を動かしながら相槌をうつわけです。インターセプトされずに最後までしゃべる作戦としては大きな声を出す、間断なくしゃべる、とにかくいかなる妨害があろうと最後まで強引に自分の話題で振り切るってのがあるんですね。それをふたりがかわるがわるやるんですね。食事してる間もそうなんですね。しかも年々リフレインが多くなるんですね。これまでにも何度か聞いたし、その日だけでも最低2回は聞くわけですね。で、要するになにが言いたいのかよくわからないんですね私はこういってはなんなんですが基本的にはまことによい聞き手であるなあとひそかに自負していたりするのですがこの二人の間では耳がだんだんに閉じていきそうになってしまうのでありました。そして、CMで、大滝秀治さんが岸部一徳さんにいっていたせりふが浮かんできたりするんですね。ああー、なんだか疲れました。おばさんたちはなんでこうも元気なんでしょうねえ。ふう。
2004.01.27
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ちっちゃい頃から泣き虫ではしが転んでも泣いているような子だったから年を重ねていよいよ涙腺が弱くなってくればそりゃあ涙もろいおばばになるだろうなあ、とは思っていたのだけれど最近はほんとうに「ラストサムライ」の時のように鼻が真っ赤になるまでフルに泣いてしまいます漫画みててもCM見てても、どうもいけません。永谷園のお茶漬けのCMでしょげて花道を戻る高見盛を見ただけでほろほろときたり洗濯物を重量挙げのように持ち上げる若いお母さんの後姿にもうもう感動してはらりとくるし「NALTO」の16巻で火影のじいちゃんが幼い頃のイルカ先生をぎゅっとするところなんてもうもう滂沱!であります。いったんそうなるとすすり上げながら「感動だってばよう」とかいいながらページをめくり続けるのであります。はー、そういえば、泣かない日はないなあ、最近。笑うことも免疫力を上げるのだけれど泣くことで感情を開放するってこともよいように思われます。抱え込まないで発散できるにこしたことはないから。でも、私の涙は「けなげ」の対する条件反射のようなもんですなあ。みんながんばってるんだ!と思うと、もうじわっときちゃうんですねえ。
2004.01.26
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高名な作家の愛人であったというひとがいる。それを聞いて、わたしは、ほー!、へー!と広い世の中にはそういうひともいるのであるなあ、と素直に驚き感心してたのであるが知り合いのおばさんは怖い顔をして「そいつはかたりだ!」と決め付ける。その高名な作家はまことに美に対して厳しいひとであったから、そんなひとを選ぶわけはない!と言い張るのである。 わたしはその作家のことをよく知らないのでどちらの言い分に対してもなんら言葉を持たないのであるがそんなことを「かたる」必要があるのだろうかとおばさんに問うてみると「その作家に選ばれたということは女としての勲章なのよ」という答えが返ってきた。そういうこともブランドにあるんだなあ。やややだなあ。そのおばさんもそのむかし岡本太郎のお宅を訪ね、お話をしたし丹羽文雄からも手紙をもらったのだという。すげー!!岡本太郎にそんなこといってもらったのー!!と私が驚いてみせるとあら、なんで、わたしは丹羽文雄の手紙のほうに舞い上がったわ、と言う。えー、なんで?と思ったが、あっそうか、と気がついた。「ねえ、面食いでしょう?」と訊ねると「長谷川一夫そっくりだったのよ」という答えが返ってきた。うーん、そうかあ。そういえばわたしもそんなふうですよ。見とくぶんには男前のほうが、心地よいです。見とくぶんには、ね。
2004.01.25
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とはいえ、感動で胸がきゅんとすることもある。今日は「ラストサムライ」を見て昨日とはちがう胸のあたりが痛んだ。トム・クルーズがおどろきとともに発見していくかつての日本という国、かつての日本人、「侍」に多少の違和感とともにわたしたちもあらためて出会い、人種のちがう「たたかいびと」のこころが次第に通いあうさまにこころをふるわせる。そんな映画かとおもう。小雪がトム・クルーズに着物を着せるシーンにためいきがでた。それぞれのひとみが印象的だった。画面の右から左へ死を覚悟した侍をのせた馬がかける。最後の攻撃。みごとな合戦。みごとな死に様。勝元役の渡辺謙の最後のことばは「パーフェクト」だった。なんのために生きて、なんのために死ぬのかエンディングの曲の尺八をききながらそんな根源的な問いを何度も問われたような気がしていた。スクロールを長いとおもわない映画はすいぶんひさしぶりだな、とおもった。そのくらがりがありがたかった。泣きすぎて鼻があかくなってはずかしいことだった。親友みどりさんといっしょにいったのだがふたりででかけると、ただではすまない。トム・クルーズと真田さんの試合のシーンの途中で突然画面がまっくらになったのである。そういう場面なのかとおもってながめていたがずーっとまっくらのままで時間がたつ。せりふだけかきこえてくる。場内はなんのあかりもなくて、まったくの暗闇である。通常料金の平日とあって観客はおおくはないのだがおいおいこれはどうしたことだあ?まだ気がつかんのか?とだんだんにざわついてくる。前に座っていた三人の娘さんのひとりがケータイの画面のあかりをたよりに外へでて係りのひとに知らせてくれた。くらがりのなか、こちらもぼうと光るケータイの画面をみながらころばないように、などとはらはらして見つめていた。無事に座席にかえりついた娘さんに観客のそれぞれが口々にお礼をいいなんとはない連帯感がめばえたのだった。そばらくして係りのひとが泡食ったかんじでおろおろと映写機の故障なのだ、と謝罪にきた。15分ほど中断のちに再開した。昭和30年代にはよくあったことらしいのだがわたしは生まれてはじめての経験だった。係りのひとも「めったにないことです」と言っていた。わたしとみどりさんがいっしょにいると大雨が降って新幹線がとまったり、それがテロの日だったりタクシーがポールにぶつかったりなんども道をきかれたりなにかしら普通じゃないことがおきるのだ。そう、わたしたち、なんというか・・・嵐を呼ぶおばさん!なんです。
2004.01.22
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「胸が痛む」という言葉の響きはどこかあまやかで、秘めごとの香りなどしてなにやら感傷的なおもいをさそうけれどこんな寒さの厳しい日に実際につつつーっと胸のあたりが痛んでみればなんだこれは。肋間神経痛か!?などとおもってしまうお年頃である。浪漫のかけらもないことである。ああ、ほんとに痛い。
2004.01.21
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歩き疲れたので帰りは上野までバスに乗ろうと思った。バス停を探すと緑のバスのおしりが見えた。嗚呼、行ってしまった。しかし10分に1本のくらいの間隔でやってくるようなので待つことにする。すると向こうからきた痩せたおばさんが「今、いっちゃったでしょ」と声を掛けてきた。肌の感じからすると六十代後半か七十代始めといった年頃だが、やけに化粧が濃い。手袋を擦り合わせながら、つづけて言う。「わたし、いったん下までおりたんだけどさあ」下ってどこよ。話が見えないよう。「ふっと鍵閉めたがどうか心配になっちゃってさあもいっかいに見に帰ったのよ。それで降りてきたら、バスいっちゃうんだもん。ほんと、いっつもそうなのよ」お年にしては赤すぎる口紅に彩られた唇が休むことなく動くさまに見とれてしまう。「ええ、わたしもバスのおしりを眺めてああいっちゃった!って思ってました」と言ってみたがおばさんは首をすくめて自分の話を続ける。「ほんと今日はさむいわねえ。東京ってこんなさむかったかしらねえ。去年もこんなだったかしら」「わたしは横浜から越してきたから・・・」「横浜はあったかいわよ。わたしはほら、木曽の出身でしょ」ってしらんですよ。「ほんと木曽はさむいのよ。さあーって風が吹くと飛び上がるほど冷たくてさよく扁桃腺はらしたもんよ」「そうなんですかあ」「なんせ木曽なんて田舎だからだめなのよ。手術にしたって乱暴でさあ。知ってる?」だから、しらんです。「喉の腫れたとこにね、釣り針みたいなのひっかけてぎゅーっとひっぱるのよ。そしたら、腫れてるところがちぎれるわけよ」なんだかほら吹き男爵のはなしのようですねえ。「ほんと今なら考えられないわね。でも、そんなやりかただと根っこが残っちゃうのよ。でまた腫れちゃうのよねー」「そうなんですか」「そうなのよ。あ、きたきた。じゃお先に」と言ってさっさと乗ってしまった。その細い首筋を眺めながらなんだかとても愉快な気分になっていた・・・ぎゅーっとひっぱる!ですって!?
2004.01.19
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団子坂下から不忍通りへ出て根津神社へ向かう。途中の鯛焼き屋さんで長蛇の列を横目で見る。金髪ロン毛を結んだ外人さんも並んでいた。ガイドブックには「根津の鯛焼き」と載っている。根津神社の鳥居をくぐろうとするとパトカーのサイレンが聞こえてきた。何事か、と振り返るとそのパトカーが神社の前で止まった。おまわりさんがふたり飛び降りてきてピストルを手で押さえながら走り出した。ええー?と思っていると、おまわりさんたちは公衆便所へむかった。むろんわたしも追っていく。コンコンとノックの音がして「もしもし、だれかいますか」と声をかけた。返事はない。「こっちじゃないらしい。奥のほうだ」ひとりが駆け足で奥に向かう。もうひとりはパトカーで行く。そこまでは追いかけられないので、気になりつつもお参りをすることにする。本殿でお参りをして社務所でお守りを売っているおにいさんに「パトカーが来てましたけど、なんかあったんですか?」と聞くと「さあ、べつに・・・。来てましたか。巡回かな。しょっちゅう来てるから」とのんびりとした声で答える。乙女稲荷の方へいくと今度は自転車に乗ったおまわりさんが現れた。ちょっと緊張気味の声で無線でなにやら話して奥のほうへ走り去った。おまわりさんやパトカーがしょっちゅう来る根津神社、おそるべし!である。奥の公衆便所が見えて、あれあれと思っているとそばに止まっていたパトカーが動き出した。サイレンが鳴っていなかったから、事件ではないということだろうか。その後ろ姿をみていると今度は救急車のサイレンが鳴った。近くの大学病院に向かうらしい。いや、やはり事件だったのか。そのサイレンが止むと鴉の鳴き声が聞こえた。鳴きながら遠ざかっていった。すると木の葉が揺れる音が耳に届いた。さわさわさわと木々を渡っていくようだった。白衣に紺色のカーディアン姿のナースたち数人が病院から出てきた。その笑い声が葉擦れの音を消した。ふっと、帰ろうと思った。
2004.01.16
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ゆりこさんの家をあとにして本郷通りを歩いた。「吉祥寺」はその名におぼえがあったのでたずねてみた。門をくぐると、冷たい風のなかで若い梅の木の蕾がこころもとなげに、ほころんでいた。花供養の碑があったり、お七吉三比翼塚があったり小ぶりの大仏が鎮座ましましていたり、二宮尊徳の墓碑があったりするのでひと気のない広い寺で何度も何度もほうほうと感心する。特に経蔵という建物がいい。曹洞宗のお坊さんたちがお勉強したお寺だから教科書がしまってあるところである。扉や破風(というのかなあ)にひとや動物が彫られている。そのタッチがいい。好みだな。かわいいな。しかしなあ、もうちょっと大事してくれんものかなあと思ったりする。幼い頃からお墓参りのお供をしていたせいなのかお墓のなかの細道でなんとなく落ち着いている。サイロのような、墓にしては大きすぎる円柱形のお墓に御名刺受けというものが備え付けてあるのに気づく。そうかあ、墓参りは家族だけのものではないんだなあ。さてどこにむかっているかというと、森鴎外記念本郷図書館である。途中、食料品店の前でおじいさんが店のおばさんと話していた。「今日は風が冷たいから気をつけてね」とおばさんが言うとおじいさんは鼻をすすりながら「ああー、ありがとな」と答えた。その後ろで芋をふかす湯気が上がっていた。きぬかづきがなんともおいしそうだった。小学校の図書室に舞い戻ったような懐かしさが湧く図書館だ。リノリュームの床の傷み具合や灯りの加減もそんなふうだ。展示場には鴎外宛ての年賀状が並んでいた。巌谷小波、長塚節、泉鏡花、夏目漱石、正岡子規、木下杢太郎高浜虚子、吉井勇、斉藤茂吉、田村俊子、北原白秋・・・・・・名高い文豪たちはこんな字で年賀状をしたためていたのだなあ。それぞれの一枚の年賀状がこんなふうに後世に残っていって時を経て、名もないおばさんをおおー!と感激させるのだからおもしろい。
2004.01.15
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年賀状の整理をしていて、ゆりこさんの筆跡に目がとまった。二十六年前、結婚して一ヶ月後に岐阜から東京・文京区のアパートに移り住んだ。その井沢荘の大家さんがゆりこさんだ。何枚目の年賀状になるだろう。あいかわらずの達筆だ。「遠い昔のこと お忘れなく うれしく存じますわたしも90歳になりました。しあわせにお過ごしください」とある。昼前、しっかりした日差しがガラス窓からさしこんでいたので本駒込五丁目のゆりこさんの家へいこうとおもいたった。会ってどうしたいというのではない。会えなかったらそこいらをぶらぶらとあるくことにしよう。山手線の駒込駅から六義園まえを通って富士神社入り口から5-6へむかう。見慣れない町並みが続き、なんとも冷たい風が吹く。26年もたっているのだから変わらないわけがない。井沢荘があったところは、狭い駐車場になっておりジープと白いセダンが窮屈そうに並んでいた。その隣にゆりこさんの家がある。こんなおうちだったろうか。どうもうまくおもいだせないのだが、小さな庭に生える常緑樹はなんとなく覚えている。夏の午後、その庭に面した窓をあけて、すいかをたべていると「あら、おいしおいし、してるのね」という声が降ってきた。見上げると浴衣姿のゆりこさんがはしごにのぼって、植木の枝払いをしていた。ちょっとこまって「あっ」と声をあげると今度は「ふふふふふ」という静かな笑い声がまいおりてきたのだった。毎月家賃をも持ってたずねたちいさな引き戸がまだあった。ふるびた表札に墨でかかれた「井沢」という文字が消えかかっていた。インターホンで話すとゆりこさんはここのところのさむさに風邪をひいてぐあいがわるくずっと臥せっているとのことだった。「だって、わたしはもう90ですもの」と言い切った声は思いのほか大きかった。ささやくように話すひとだったのだが耳が遠くなったのかもしれない。「これで最後になるかもしれませんがおたずねくださってうれしかったわ」といわれると今日たずねたことの意味がずしりと重たく感じられてくるのだった。「暖かくなったら、また来ますから」というと「ええ、お約束はできませんけど、お会いしたいわ」という答えがかえってきた。むかいに目をやるとちいさな八百屋さんがみえる。引越してきたばかりのころはぽんぽんと飛び交う東京弁になじめなくてなかなか大根が買えず、ずっとそこに立ち尽くしていた。そうか、こんなにちいさな間口だったのか。その店は小柄なおばさんがてきぱきと仕切っていた。慣れてくると言葉をかけてくれる。ゆりこさんのこともいろいろきいた。「ここいらの地主さんの娘さんでねえ、若いときはもうきれいだったのよ。結婚のお相手もきまってたんだけどね。えらい将校さんだったそうよ。でも、胸、やられてね。かわいそうだったわ。おにいさんもおなじ病気でなくなってたからね。なおってもずっとひとりでおかあさんの面倒みてるのよ」「ひとりぐらしですから、どうなるかわかりませんが春までにはなんとかなるとおもいますよ。また、たずねてくださいね」「はい」と答えながらインターホンにむかって頭をさげていた。
2004.01.13
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ああ、わたしはほんに不義理なおんなでございます。もうもう申しひらきがなりません。「まあさん」。ああ、それはそれは失礼千万でありました。自分は勝手に同人誌を送って即座に感想をいただいたというのに「まあさん」に「こちらの同人誌も送りましょうか?」と訊ねられて「おねがいします」と答えたというのにわたしは送られてきた「まあさん」の小説2編をなかなか読みきれずその感想も送れずにいたのでありました。そしていつしかそんなこともすっかりわすれはててあわただしく年の瀬をむかえ、京都に帰省したりしていたのでした。年が明けても風邪などをひいて、体調がいまひとつだったこともあって買い物に出かけている間に、「まあさん」から電話があったと聞いてもちっともピンとこないのでした。いったいなに用かしらと折り返し電話をしてみて「同人誌、どうだったでしょう?」と聞かれああ、そうだった、いかん!と血がひいたのでありました。なにしろ読みきってないのだから、どうにも取り繕うすべもなくうにゃむにゃと、口ごもっていると、「まあさん」が「最後まで読んでもらえました?最初の5行とかで投げ捨てられたんじゃないかと心配で」とまた問うてくるのでした。これはたまらんと「実は暮れから体調が悪くて・・・」などととつとつと弁解を試みても、自分で自分がみっともないだけなのでした。そんなすらすらと弁解がうまくできるほど、わたしは世渡り上手ではないのです。「ああ、世の中には書けても読めない人がいるって聞いてましたけどあなたがそうだったんですね」とけっこうきつく「まあさん」に言われてしまいました。うーん、読めない人ですかあ。そう言われるとちょっと業腹でもありわたしだって読むときはちゃんと読みますぞ!それがおもしろければ・・・と言い返したくなったりもしたのでした。まあ、そんな言葉はごくりとのみこんで、ひらあやまりの言葉とともに感想は追って郵送させていただきますと言って電話を切りました。そして「まあさん」の2作品を引っ張り出して読んでみるとそのうちのひとつは暮れに読んでいたんだわと思い出しました。読んだけれども、これは感想の書きようがないなあとペンディングにしていたのでした。でもって、もうひとつは手に取れずにいたのでした。そんなこともすっかり忘れていたのでした。幼い頃から読書感想文は得意ではないので困るのです。口頭なら消えてしまうけれど、文書はいつまでも残るのでへたなことは書けないし・・・。読み終えても、まだ一難が残っているのでした。小説を書く友人に、あなたのようなお世辞がいえないひとは「作者はこういうことが書きたかったのですね」と動機をひろっていけば人間関係に傷がつかないわよ、と教えてもらいまた、お世辞くらいいえるわい!とぶつぶついいながらなんとかまとめて感想を送りました。しかしながら、やれやれこれでひとあんしんのはずだったのになんとしたことか、人間関係が傷つかぬよう書いたつもりのフロッピーに残った下書きには、こんなくだりがあってぎょっとしたのでした。「きちんと書かれた文章だと思います。細部も丁寧ですし、テーマも切ないものですね。大人たちの事情に揺り動かされるそう幸せとはいえない子供たちの情景を余計な感情は交えず、淡々と書かれています。ただ、こころに残る魅力的な一行が欲しいなと思いました。紋切り型でない作者にしか書けない一行があると、これらの情景に違った光が当たってより印象的な文章に仕上がるのはないでしょうか。」うわあ、こ、これはわたしの大嫌いな「何様のおつもり?」文ではないの!と頭を抱えました。こんなのがまいこんでいたひにゃあ…人間関係のかしぐ音が聞こえるような気がするのでした。ところが、「まあさん」から、すぐさま電話がありました。「おっしゃることみんなそのとおりであれを肝に銘じて次の作品を書きたいと思います。丁寧に読んでもらってありがたかったですこれからもどうぞよろしく」うーん、うーん、うーん。そうですかあ。それはそれでこまってしまうような…。わたしのなかでなにかがかしぐ音が聞こえたような気もしています。不義理なおんなでもいいかなあ・・・。
2004.01.11
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まことにまことにマンションライフはいろいろある。かねてよりおふれがまわってした窃盗団がとうとうわがマンションのどなたかのお宅に侵入しそちらではかなりの金品の被害があったとのこと。玄関からではなく、ベランダのほうからガラスを割ってはいったとか。ああ、くわばらくわばら、つるかめつるかめ。なんともいえず気色のわるいものである。まあ、こんなときは、うちんちのような出不精家族ってのがさいわいするのかもしれないなあ、とおもったり。で、今日も今日とて朝8時前に、ジリリリリリリー!と大きなベルがマンションじゅうに鳴り響き土曜日の朝とてゆっくりしていただれしもがすわ!と飛び起き、なにごとか!とドアをあけた。ぱたぱたという足音や、がやがやという話し声がきこえてきて、いったいなんだろうときょろきょろしているとお隣のひとたちも顔をだした。奥さんは見知っていたのだけれどああ、娘さんもいたんだあ、とはじめて知る。その後も何人かのひとがうちのまえを通っていった。このひととこのひとはご夫婦だったのかあ、とかこんなかたもいたんだなあとかいう発見があった。みなさんとるものもとりあえずというかんじでおうちでのくつろぎ着ででておられてむろん女性はすっぴんでカーラーまいてたり、夜着のひともいてオートロックあかなくなったときのようにひととひととの距離はこんなスクランブル時に縮まるのだとまたおもう。結局、あのベルは、最上階のひとのおうちのなんかのけむりに火災報知機が反応したということだった。マンション入り口にそのかたの手書きのお詫びの言葉が貼ってあった。ああ、これはいたたまれないだろうなあ。自分もやりかねないことであるなあ。そうおもうとまたまた肝がひえたりした今日であった。
2004.01.10
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歌舞伎座の新春大歌舞伎であります。いやあ、参りました。惚れました。中村屋!の勘九郎さん。「たかつき」の舞台。待ってました!勘九郎さん演じる次郎冠者が高下駄でタップダンス!!たんたかたんたかたんたかたん!ワオッ!であります。二階ほの44番なんていう、花道のうえのすみっこの席にもそのかろやかなステップはひびいてきたのでありました。その腕や指先のつかいかた、体のしなりかたは「ライムライト」だったか「街の灯」だったかのチャップリンを想起させるものでありました。さっそう新之助くんとの初からみもなかなかに愉快。大名役の弥十郎さんは古川豪さんに似ていて太郎冠者の亀蔵さんは「トリック」のかつら刑事さん(といっても、わかんないでしょうなあ)に似ています。どのひとも基本の所作がしっかりしているからこその滑稽さ。狂言ものはたのしゅうございます。笑わせていただきました。なごませていただきました。そのあとの『仮名手本忠臣蔵』9段目山科閑居はまことに贅沢な舞台。団十郎さん、幸四郎さん、勘九郎さん、新之助くん、菊之助くん、玉三郎さんがそろって同じ舞台の上に並んでいるのですから。まさに新春大歌舞伎。あでやかで晴れやかで涼やかでまろやかでおおらかでしなやかな男たちの綾なす世界をこころいくまでたのしませていただきました。
2004.01.09
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「あなたって、ほんと、好ききらいをはっきり出すひとね」と文章を書く友人にいわれた。えっ?とおもう。「だからちょっとこわいのよね」と友人の言葉はつづく。えっ?そんなわけないじゃん!とおもう「わたしは自分ではなんて人畜無害な人間だろうっておもってるんだけど」といってみるが「そんなわけないじゃん」と一蹴される・・・うそー!「あなた、ひとのはなしがつまんないとなるともろに顔にでるわよ。はやく終れって顔よ。ほんと、不器用なひとね」まさかあ!「それに、あなたおべんちゃら、いわないでしょ。ほんとよ。きいたことないもん。まあ、そういう正直なひとだからわたしも信用できるんだけどね」それってほんとにわたしのこといってるの?表情のことはともかくとしてもわたしは時々自己嫌悪におちいるくらいにおべんちゃら言うことがあるのになんでそんなふうにおもわれるのかなあ。えーっと・・・わたしのおべんちゃらがおべんちゃらに聞こえないってことは・・・つまり、わたしってやつはほんとはものすごく辛らつだってことなんじゃないの?うそー!?自分がみつめているところとひとがながめているところが同じわけはないしちがっていても、それがどうした?なのだけれどもその落差の大きさにちょっとひるむ。どうあれ自分が他人さまにはそんなふうにうつるのならば心底そんなふうになってみてもいいのかもしれないなあと意地悪くおもってみたりもする。
2004.01.08
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本棚の掃除をするときはこころしなければならない。どの棚にもこころひかれる背表紙がならんでいてついつい手がのびて、ちょっとだけのつもりがおもわぬ時をすごしてしまうからだ。わたしの家事がいっこうにはかどらないのは実はそういうわけもあるのだと弁解してみたり・・・。「手もちの時間」という背表紙にさそわれて今日もそんなふうに時がすぎた。書いたのは青木玉さん。幸田露伴の孫、文さんの娘さんだ。ぺらぺらとページをくっているとこんな文章に出会う。「江戸小紋の図柄は行儀よくわずかな狂いも許さないごまかしの利かない律儀な染物だ。・・・江戸っ子は情にもろく喧嘩早くて、宵越しの銭ももてぬと言われるが、こんなに品のいい美しさを女たちのために作り出したいい男たちの居たいい世の中だったのだ」そうかあ、っとなんだかうれしくなる。それにしても、玉さんの文章はいい。正子さんとくらべると、それがよくわかる。すうーと体のなかまで染み込んでくるような気がする。特に「二日の月」がすきだなあ。そのなかに「ひかがみ」という言葉がでてくる。これは体の一部をあらわす言葉で、わたしはつい最近までしらなかった「・・・吹き抜けてゆくたびに、ひかがみに強く風があたってひざが前に持っていかれそうになる。ぐっと踏みこたえて仰いだ空に、まるで鎌の刃を研いたように光る細い月があった」ああ、いいなあ。そう、「ひかがみ」というのはひざのうらのくぼんだところである。「ひかがみ、ひかがみ」ととなえるとなんだかどきどきしてくる。そんなふうだから、わたしの家事はいっこうにはかどらない。
2004.01.07
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スタバでコーヒーを飲みながら白州正子さんの「きもの美」という本を読んでいた。「ものはほどほどに投げやりなのが美しい」という一文に感動したりしていたのだが、しだいに隣のひとの会話が気になってくる。母親と娘がむかいあってしゃべりこんでいた。テーブルのうえにはコーヒーとシナモンロールがおかれていた。「だからさあ、雇う方にしたら、ちゃんとしてもらわなきゃこまるのよ。えらそうなことばっかり言ってるけどこれで自分の実力がわかったんじゃないの?」ついつい聞きいってしまい、字面が目にはいりながら、その意味が頭にはいってこない。どうやら娘さんがバイト先でうまくいっていないらしい。娘さんはおかあさんの容赦ない言葉にふてくされたように押し黙りうつむいて、マニキュアされた爪のさきをはじきつづける。一方おかあさんはだんだん調子がよくなってきたようで声が大きくなってきた。「たとえばさあ、あんたがお客になって店屋にはいったとき、どういうことしてほしい?愛想よく、いらっしゃいませって言ってほしいでしょ。そのほうが気持ちがいいでしょ。ほら、ここのひとだってみんなちゃんと声を出してるでしょ。要は想像力なのよ。お客の気持ちになれるかどうかよ」「もう、わかったわよ」「お金を稼ぐってたいへんでしょ。親の苦労がわかった?はっはっはっ!まあ、あっちでごつん、こっちでごつんって頭打って覚えていけばいいのよ」「ところで、ばあちゃんはどうなのよ」「あっ、あれはだめ。一日中、おんなじこと繰り返してるわ。ごはん食べてない、って。そればっかり。よく疲れないなあっておもうわ」「ほんとだね」そう言いながら、ふたりは席を立った。その後姿を見ながらこんなせりふを思いつく。「かあさん、得意の想像力はどうなのよ」「ははは、ボケ老人のことは想像つかんわ」「頭打って覚えるんじゃないの?」「この年で頭打ったら、こっちがボケるわ。ははは」こんなこと言うわけないか、と苦笑しながら「正子さんのきもの」にもどる。そして「つかず、はなれず、ーーーそれがきものの調和です」なんて言葉に納得したのだった。
2004.01.06
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久しぶりに実家の兄嫁にあって、食事をした。食べながら兄嫁がしみじみと言う。「やっぱり教養は身につけとかなあかんなあ」「うーん、そらそうやけど、なんで急にそうおもたん?」とわたし。兄嫁はもう60歳なかばである。「あのな、こないだな、誘われてんや。いっしょにいかへんか、て。まるやまなんとか、ていうのに」「まるやまなんとか?丸山?円山?。うーんと、応挙のことか?そういうたら、このあいだ幽霊の掛け軸みたわ」「そやろ?ふつう、わかるわなあ。わたしもあのときだまってたらよかったわ」と兄嫁はしきりに悔いる。「なんか言うてしもたん?」「そやねん」「なんて?」「いこいこ。どこにあるのん、そのスーパーまるやま?って言うてしもてん。ものすご、かっこわるうてなあ。なんでも知っとかなあかんもんや」そういって兄嫁は鯛茶漬けをすすった。
2004.01.04
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