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過ぎた日の予定表を眺めて書き込みない日を思う。それは何でもない日。その日、自分はなにをしていたのか。どんなふうに朝を迎え昼を過ごし夜になったのか。どう動き一日を終えたのか。家族になにを話し、何を聞き何を思ったのか。それはかすんだ遠い風景のようでうまく答えられない。記憶からこぼれおちていく日。自分のルーティンはご飯を作って片付けて洗濯して干して家のなか片付けて掃除して・・・・・・たぶんそんな一日。そんな何でもない日。お出かけや大きなイベントや事件や不幸のはざまにあるそんな何でもない日そんな日の日差しの陰りをぼんやり見つめるような時間のなかでひとは自分を甘やかしたり癒したり蘇生させたりするのかもしれないな。
2009.11.27
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傾聴ボランティアの現場である特養ホームに向かう途中リーダーで大学のセンセイをされているFさんといっしょになった。冷たい雨が降る道すがら、「最近、朝起きると節々が痛んで起きても待っているのは仕事ばかりでなかなか布団から出る気力がわかなくて・・・」とわたしが愚痴をいうとFさんは「へんなひとだと思われるかもしれないけど…」と笑いながら前置きして、言葉を繋いだ。「わたしは毎日、夜寝る前に『ありがとうございました』って言って朝起きた時に『ありがとうございます』っていうの。そしたら、なんか動きだせるの」へえ?と思う。「それって誰に向かっていうの?」素朴な疑問をくちにすると「目の前の空気に向かっていうの。そしたら、その言葉を聞いた空気が身体のなかに入ってきて動けるようにしてくれるの」そんな言葉が返ってきた。Fさんはたくさんのものごとを走りながら処理していくような現実的で行動的なひとだ。だから、その言葉は少し意外でもあったのだけれど自分を動かしている何者かに静かに感謝の言葉を告げることの意味を思うとFさんというひとの深さが測れるような気がした。ひとの何倍も誰かのために動きながらそれゆえに自らのちからの限界がわかってしまうそんなひとの謙虚さがその「ありがとうございます」のなかに響いているようにも感じた。
2009.11.19
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わたし、伊藤若冲さんが好きでしてね、上野の国立博物館で催された『皇室の名宝展』で「動植綵絵」を見ましてその構図、精密さに心打たれましてますます、好きが高じて、それでは、と京都へ行くという機会に乗じて滋賀県の美術館に展示されているこのゾウサンとクジラさんも見に行こうってことになっったんですが万里先生の書道展に同級生が集まるその日は日曜で次の日は月曜で美術館お休みだしなにしろ3時30分に京都祇園の建仁寺に着かねばならなかったのにその日に行くしかないもんで時間を逆算してパソコン時刻表など検索を繰り返し、ひとりでミホミュージアムまで行く計画を立てたのでありました。(この旅ぎらいのわたしにしては画期的!)8時前の新幹線に乗って、琵琶湖線に乗り換えて・・・そのホームへ降りるエスカレーターで山下洋輔さんとすれ違い死ぬまでになま山下さんを見られてよかったなあとそんな幸せの余韻とともに電車にのって石山駅に着いてバス停のありかがわからずうろうろして駐輪場のおじさんに聞くと「あんた、裏へではりましたで」と言われて引き返し1時間に一本のバスを待つも30分も待ち時間があってそうだ、タクシーで行くか、と思ってまたタクシー乗り場に引き返して値段を聞くと五〇〇〇円なにがしと言われてひえ~!っと驚き「バスにします」と謝って次々に人が増えて満員になったバスに乗ることになったのでありました。窓から差し込む強い日差しに焼かれながら瀬田の唐橋のしたではレガッタの練習が見えたりもしたけどそのあとは延々紅葉が始まった山の中をバスは進んでいくのでした。バスは50分かけて終点ミホミュージアムに着きました。いやあ、長かった。i-podに入れたボンジョビのアルバム全曲聴き終わってました。こんな幟を見ながら苦労して辿りつくってことに意味があるんだろうなと思ったりしながら入場券を買うとカートもあるけど、歩くと6,7分かかります、と言われました。へっ?と思いつつ歩き出すとそれは坂道で、トンネルもあってこのトンネルがすごい。まるで近未来。なんという美術館じゃあ!と驚きトンネルを抜けると、こんなのやこんなのが見えてくる。すごいもんです。美術館ってなんでもありだな。回遊する展示のなかで若冲さんの描いたいろんな掛け軸もよかったけどやっぱりゾウサンとクジラさんが圧巻でその2双の屏風を後ろの方から腕組んで全体を眺めているとどこかから潮騒が聞こえてきそうで雄大なそれでいてどこかお茶目な絵柄に心なごませてもらったのでありました。そのほかの展示もあってそのなかにガンダーラの仏像があってこれがなんとも男前で見入ってしまったのでありました。時間が限られていたの残念でもっともっといたかったなあと振り返った空に紅葉が映えて・・・。
2009.11.11
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8日、万里先生の書道展へはるばる京都まで行ってきた。(実は、それに乗じてミホミュージアムで催されている若冲さんのワンダーランドにも行かせてもらった。ありがたくも一人旅・・・それは、ま、京都駅の琵琶湖線のエスカレーターでジャズピアニストの山下洋輔さんと行き違ったりしてわお!いろいろあったのだけれど・・・そのおはなしは、また別の機会に・・・)3時半に、祇園の建仁寺の会場に高校時代の同級生の有志が集まることになっていた。朝7時過ぎに家をでて、滋賀県までいって帰ってあたふたあたふたとかけつけると建仁寺はまことに大きなお寺で地図をみているのに、西来院のありかがわからない。迷いながらようやく見つけて会場に入ると万里先生はやわらかなピンクの着物を着てにこやかに迎えてくださった。笑顔には体温があるのだと思った。こころのぬくもりが感じられる笑顔。その向こうに展示されているたくさんの書もまたあたたかに迎えてくれているような気がした。地元京都新聞のコラムに取り上げられたそうでたくさんのひとがみえていた。万葉集のうた、枕草子の言葉馬場あき子さんの短歌、坪内典稔さんの俳句などが先生の筆によって息を吹き込まれて和紙の上で生きた言葉になる。そのなかには先生の恩師である日比野五鳳先生の言葉もある。 「おなかに力をいれてぐっとひっぱるんやパンツの紐がきれるくらいにな」以前いただいた万里先生の著書 『日比野五鳳先生の思い出』のなかにはこの師弟の会話が生き生きと再現されていた。そのときもその言葉が聞こえてきそうが気がしたがこの書の前にたつとその肉声が耳に届いたような気持ちになった。会場には大きな作品もあった これを見た同級生のMさんが「これを書かはったときは、パンツの紐、5本は切れてたと思うわ」と言った。漫画を描いたりしているMさんの発想は愉快だ。Mさんがそれを万里先生に告げると先生は声を上げて笑い「このことは一生わすれないわ」と言った。
2009.11.10
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大島弓子さんの作品のなかに呆けて記憶が後退している老大学教授が、自分は若いと思っているのに朝起きたとき、体の節々が痛んで、これはどうしたことか、と訝しく思う場面があったと思う。それを読んだ若いわたしはへえー、たいへんだなあと思ったのだが時は流れ、今の自分がまさにそんな風だ。朝6時半、目覚まし時計にたたき起された瞬間、うっとなる。体の繋ぎ目がことごとく自己主張する。ミシミシしてる。なんでこう痛むんだろうな。首、肩、背中・・・きしむきしむ。二足歩行を選んだ人間のサダメ、かな。睡眠には身体のメンテナンスも含まれているそうだがそいつが終わらぬうちに朝がきているのかなと思ったりもするがすべて老化のなせる技なのだろうな。100歳近くまで長生きした親戚のおじさんは朝、目が覚めてもさっそくは起き出さずふとんのなかで少しずつ体に動かしじっくり慣らしてからおもむろにふとんから出ていたそうだ。体の言い分を聞いてやらんといかん、のだそうだ。体は年々文句言いになってその声が次第に大きくなってもくる。伴奏のように耳鳴りもする。わかったわかったとなだめるしかない。加えて脳味噌の言い分もある。朝、今日は何日だっけ?と思案してわからないことがある。過ぎた日から勘定して、ああ、そうそうと思う。今日の予定もメモ帳をめくるまで抜け落ちていつこともある。昔、年寄りはくどいなと思ったものだったがそれは記憶の抜け落ちのため、あるいはその防止のためだったんだな。脳味噌の容量不足が著しい。今聞いたはずなのに、それをしまうところがない。脳味噌には雑多な記憶が整理されずに混在しているからどこにもしまわれない記憶はふっと消えてしまう。頭のいいひとは記憶がきちんと仕分けされて引きだしに仕舞われているから取り出し自由なんだよな。ならば頭のよろしくない人間は外付けメモリーとしてメモするしかない。こんなこともあんなことも忘れぬためにどうあれ書き残しておかねばならない。書き残しにあたってお体裁を思案しているうちに細部を忘れてしまったりするからすばやく書かねばならない。というわけで、とこれから書かれるであろう作文が体裁悪く、くどくなったりするよと、言い訳をしたりするわけだ。言い訳だけはすっごくうまくなったりするんだなあ、これが。
2009.11.07
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