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我が家のパティシエが我が家の長老のバースデイケーキを焼いてくれて嬉しそうな父の顔をシャメで送ってくれました因果なもので僕は仕事でこのシーンをナマで見ることは出来ませんでしたがシャメを送ってくれたパティシエに感謝おやじ 86歳 おめでとう
2009.11.28
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お詫びのつもりのヨイショではないけれど 娘が発明した 沈む氷です パティシエを目指しているけれど バーテンダーのほうが 向いているかも
2009.11.25
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気持ちに余裕がないとろくなことがおこりません娘が帰ってきてキッチンでアップルパイを焼いていました二つのパイがとても上手に焼けて「このパイはシナモンが苦手なお父さんのために、シナモン無しで焼いたからね」なーんて嬉しい事を言ってくれましてそこへあろう事か僕はシャンパングラスを落としてしまい焼きあがったアップルパイがガラスのカケラまみれになってしまって・・・もうどうしょうもない父親です反省
2009.11.25
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書けないのです時間が無くてお気に入りの日記は散歩しながら携帯で見ていますダイエットはストレスがあるとうまくいきません睡眠はなんとか5時間くらいは取れますさてこの状態をどこまで楽しめるか
2009.11.10
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「りんちゃん!シードおじさんと京子おねえちゃんが帰ってきたわよ。お帰りなさいをしましょうね。」僕たちが一週間の旅行から戻ると凛という名前をゲットした赤ちゃんと高山利子の母親が出迎えてくれた。「ただいま帰りました。りんちゃんですか。かわいい名前ですね。呼びやすいし・・まー、一週間でますます可愛くなって!抱っこしても良いですか?」田村京子は吾を忘れ、赤ちゃんに首ったけだ。お祖母ちゃんから首の座らぬりんちゃんを慎重に抱き受けると「可愛いー!」の連呼だった。女性たちの赤ちゃんに対する愛情の深さは、男たちの想像を超えたところにある。母の愛と父の愛はその深さよりも質が違うような気がする。男たちが情が薄いのではない。子供を育てる動物としての女親と男親の役割分担は遺伝子の中にハッキリと書き込まれているのだ。親たちは遺伝子の取り決めどおりに行動し、そして深い愛を惜しみなく子供にそそぎ育てる。家の中では高山利子が椅子に腰掛けて編み物をしていた。りんちゃんのためのものか、ピンクの毛糸が踊っている。「利子さん。ただいま戻りました。お加減はどうですか?」僕は旅行の途中で買ったドギの干物の土産を手渡しながら聞いた。「シードさん京子さんお帰りなさい。ありがとうございます。おかげさまで順調よ。もう、どんどん動いていますからね。まだ完全復帰とはいかないけれど・・」「えー、大丈夫なのですか一週間くらいで?」田村京子はりんちゃんを母親に返す動作の中で、若い母親の身体を気遣いながら出産という大仕事を達成した先輩から何かを学び取ろうとしているようだった。「うん。お医者様もどんどん動きなさいって。」「へー、そうなんだ」こうなると男は女性たちの会話に入っていくことは出来ない。普通ならばこんな場合、男はただそこにいるだけで、頷くだけの木偶の坊と化してしまうところだが、現場で鍛えられている男はちょっと違う。「コーヒーでも入れましょうか。おっと利子さんは紅茶でしたね。」「あっ、シードさん私がやりますから・・」という高山利子に「いいえ、ゆっくり話をしていてください。たまには僕がやりますから・・」言い終わらぬうちに僕はキッチンにたった。背中から「それじゃ、お言葉に甘えて」という高山敏子と「シードさん、それじゃ、私も紅茶で!」の声に、「ラジャー!」とこたえ、ついでにご飯でも炊いておこうかとジャーを確認すると、既に米は砥がれ、炊飯タイマーがセットされていた。主婦とはこうでなければならない。などと一人で納得したものだった。そうこうしているうちに高山が現場から戻ってきた。「ただいまー、おお、シード帰ったか!京子ちゃんお帰り。」一週間ぶりに4人の、いや、5人になって始めての夕食は深夜まで続いた。
2009.11.04
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二人の旅は鳥取砂丘から大山(だいせん)、松江城と小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)旧邸、以前高山とたずねた埋没林、石見銀山と周り、最後に出雲大社に参った。出雲の神無月は神在月である。出雲大社の神事“出雲神在”は旧暦の10月、2009年は11月26日の「神迎(かみむかえ)神事」から始まり、12月3日の「神等去出(からさで)祭」で、神職の「お立ち~!」の一声で神々が諸国へ旅立たれるときまで続く。 僕と田村京子は出雲大社の西1km程にある稲佐の浜で執り行われる「神迎(かみむかえ)神事」に運良く立ち会う事が出来た。 人ごみを避け遠くから眺めるだけだったからどんなお祭りか良くわからなかったが、かえってそのせいで神秘的な印象が強い。 幻想的なムードが漂う海岸で古式豊かな神事は粛々と執り行われている。しばらく後、神々は御使神「龍蛇(りゅうじゃ)神」に先導されて出雲大社へ迎い、神楽殿で奉迎の神迎祭となる。 僕たちは行列の最後尾について歩いた。 たった1kmの道のりがとても長く感じれたが二人とも言葉は無く、つないだ手のぬくもりだけを確かめ合っていた。 神楽殿の前で僕たちは引き返す事にした。海岸に車を置いたままだからだ。車に戻るまでの間も無言のままではあったけれど僕の気持ちの中に確かな思いが生まれ、きっと田村京子にも同じ思いが芽生えていると確信していた。 僕たちには豊かな未来が広がっている。それは決して「裕福な」ということではない。人の一生の豊かさを決めるのは金や物ではなく生きる事を幸福だと感じることができるかどうかにかかっている。山陰の旅は、僕たちにその事を教えてくれたのだった。砂丘は人間の小ささを教えてくれ、大山は自然の恵みを教えてくれ、埋没林は人間が時の流れに対して無力であることを教えてくれた。出雲の神事、それはまさに人間の祭りだった。人間が驕ることなく人間であり続けるための祭りなのだった。 人間は生きていかなければならない。それは、権利でも宿命でもない。生きることそのものに意味があり、大自然は生命によって循環しているのだ。あらゆる生命が、お互いを生かすために生きている。生きることで大自然の豊かさに自分たちも貢献する事が出来ていることの幸せを、旅は教えてくれたような気がする。田村京子もきっと同じ事を思っている。言葉は、要らない。
2009.11.02
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子供の頃の破傷風の予防接種以来40年以上も予防接種などというものは受けたことの無いfsですが生活習慣病の患者はインフルエンザにかかるとかなりヤバイらしく優先的に接種させていただけるということでハニーとハニーのママと三人でチクリとやってきましたママ嬉しそうでしたこんなときにしかデートできないのでご無沙汰でごめんなさい高齢者で混んでましたね 診療所高齢者は必死で生きています生きる事に素直です若者よなめんなよすねてる場合じゃないぜじじばばの方がよっぽどマジだぜ熱いぜ高齢者!!!
2009.11.02
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