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自然が相手のときは全力で立ち向かえば何とかなると経験で知っているのですよ全力でとんとんですでも人間が相手だと全て善意の筈は無い悪意の偽善者もいる善意の過ちだってねだから全力でもダメちょっとだけ裏技で後は成り行き任せでドウニモならない事どうにかするよりもどうにか成っちまうそう生きてきたのだ努力した覚えは無い楽しんでやってきた苦しみの記憶は無い喜びの経験だけあるありがたいことです
2009.06.30
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防湿フィルムを通り抜けてしまう結露田村家の、壁の中の断熱材の内側には防湿フィルムが備えられていた。ということは透過水蒸気による内部結露で壁の内部の含水率が上昇し、その事が原因で藻が生えたということは考えられなかった・・・。気になったのは書架だった。本は、紙である。断熱力の高いセルロースファイバーそのものなのだ。防湿フィルムは、断熱材に対して内側になければならない。しかし書架のように、断熱力のある(本)を収納する棚を防湿された外壁の内側に取り付けてしまうと、収納物によって防湿フィルムの内側を二重に断熱したことになってしまう。本を置く前は、断熱材の中心付近にあった結露域が、本を置いたことで本の内部外側付近までずれ込んでしまう。水蒸気が透過出来ないからこそ、断熱材の内側に防湿フィルを取り付ける意味があるのに、壁の中の温度域は、物の置き様で簡単に移動してしまうのだ。<<水蒸気が透過出来ない防湿フィルムを結露は透過する!>>こんな不思議な現象が現場では存在する。建築物の構造は一度作ってしまえばそう簡単には変更できないが環境は簡単に変化する。このような書架に数年放置された書籍は、手開き側に結露を生じ、シミが出来たりする。図書館などでは、この現象が結露によるものだと知らずに、定期的に本を虫干ししたりしたものだ。問題は、書架を設置する場所にあったのだ。温度と湿度を管理している図書館でも外壁側の書籍は傷み、図書室の中心付近の書架に納められた書籍は傷まない。 僕は、田村次郎氏の書架と、赤い十字架の形が完全に一致していたことから、本の断熱力が結露を助長し外壁内の含水率が定常的に高く維持されたことで、(スミレモ)が生育したのだと結論付けた。しかし・・・「綺麗過ぎる?のですか?」田村京子は、本が綺麗で何か問題があるのだろうかと怪訝そうな顔で僕を見ている。 僕が撮影した赤い十字架と室内の画像を重ねると、その形はピタリと一致していた。 本による断熱力が藻の育成を手助けしていることは確かだ。ならば本そのものが結露して、シミなどが確認できるはず。しかし、植物図鑑や藻類図鑑には、結露の痕など無かった。僕の頭はパニックに陥りそうになりながら、そのことを田村京子に説明した。すると、「なーんだ、そんなことで悩んでいのですか?」田村京子は最高の笑顔で人差し指をピストルのような形にして僕に向け、少し意地悪そうなしぐさをした。「なっ、なーんだって、京子さん、その理由を知っているのですか?」僕は、驚いた勢いで田村京子の肩に手をのばしそうになり、寸でのところで踏みとどまった。彼女が謎の答えを知っている。そして今、その謎は解き明かされるのだ。僕は、オアズケをくらった犬のように、素直にマテの体制をとった。「その本は、今年の春、私が買ったものです。父のじゃありません。」田村京子はそう言った。「えっ?」(しまった!そうだったのか!)僕は、あわてて書架に走り寄り、その他の本たちを開いてみた。しかして、ほとんどの本に赤茶色のシミがあることを確認することが出来た。僕は、全ての本が田村次郎氏のものだと思い込んでしまっていた。そのせいで大事な結論にたどり着くのが遅れてしまったのだ。なんて初歩的なミスをしてしまったのだろう。しかも、赤い十字架に心を奪われ、図鑑以外の本のチェックを怠ってしまったのだ。何たる早とちりをしていたのだろう。まだまだ修行が足りない。「京子さん。ありがとう!これで全てが繋がりました。」僕はデイパックから調査報告書を取り出し、田村京子に渡しながら、「真実とは、いつもそこに在るが、人が認識しなければ幻に等しいのだ」と自分に言い聞かせた。(この報告書はついさっきまでは、信憑性のない不確かな文書だったけれど、現在は、正しい内容のものとなった。
2009.06.30
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藤沢川はゆったりと蛇行しながら、のどかな田園風景を引き立てている。川べりにはタンポポが列を作り、ところどころカントウヨメナの白い花が見える。田村家の入り口にはナデシコが僕を迎えてくれていた。笑顔で迎えてくれた田村京子の母親に東京バナナを手渡しながら、調査報告書を届けるのが遅れてしまったことを詫び、詳しい説明をする前に、確認したい事があり田村次郎氏の書斎をもう一度見せてほしいと伝えた僕に、彼女は「まあまあシードさんたら相変わらずね。解りました。それじゃその間にお茶を用意しますからね。終ったらリビングにいらしてください。」と、完璧な優しさで応え、キッチンのほうへ姿を消した。6年前に主を亡くした居室は、数日前と変わりなく、静かに僕を招き入れた。田村京子は僕の後ろからついてきて、部屋に入るなり「確認したいことって、どんなことですか?」と聞いた。僕は、書架に納められた本の中から、この数日間、自分の頭から離れなかった「藻類図鑑」を手に取り、パラパラとページをめくりながら、確かめたかったことを確認した。そして、田村京子に図鑑を見せながら、「ハイ。実は、この本が綺麗過ぎるのです。」と、僕の頭の中に残る最後の疑問の説明を始めた。結露のメカニズム藻が生えるには、水分が必要だった。僕は始め、藻が生育するのに必要な水分は壁体の内部結露によるものではないかと考えた。住宅の壁には、通常、断熱材が納められている。断熱材は、室内の暖房熱や冷房された涼しさを保存するために不可欠なものであり、熱を伝え難い材料で出来ている。熱を伝え難い材料ということは、断熱材を境に、その外側と内側では、劇的に温度差が在り、まさに熱的に空間を隔てる素材だということである。そして、その性能を決定するものは、断熱材の密度なのである。どんな断熱材もその内部に空気を内包している。空気は、非常に断熱力の高い物質であり、断熱材は、その空気をたっぷり含んでいることでその性能を確保している。しかし、断熱材の内部の空気が外気温の影響で対流を始めると断熱力が低下してしまう。そのため、断熱材は出来るだけ密度を高くして、内部対流の発生を防いでいる。綿状の断熱材は繊維を細くすることで密度を上げ、発泡プラスチック系断熱材は泡のサイズを小さくすることで密度を上げる。ほとんどの断熱材は静止した空気を作り出すことで高い性能を得ようとしているのである。しかし、断熱材には宿命のように結露という天敵が存在する。よくある結露として、暖かい室内で冷たい飲み物を飲むときグラスの表面に水滴が生じているのを見るが、ある程度冷たいものには結露が起きることを誰でも知っている。厳密に言えば20℃で相対湿度50%の空気中に10℃以下の部分があれば、必ず結露が発生するのだ。だとすれば、住宅の壁に取り付けられる断熱材は、室内が20℃以上に暖房されていて適度に加湿されていたとき、屋外が0℃以下という状況は稀ではない。そのときの断熱材の中心付近は約10℃のはずだ。なぜなら、20℃以上の室内と0℃以下の屋外を熱的に隔てている中心なのだから。この断熱材が水蒸気を吸放湿した場合、断熱材内部の10℃以下の部分では結露によって含水率が上昇し断熱力の低下を招く。これが内部結露のメカニズムだ。このことは、古くから知られていた物的常識であり、日本の主な断熱材メーカーは当然のように認識していた。だからこそ、断熱材は防湿材でくるまれていたのだ。防湿フィルムのように水蒸気を通し難い素材と組み合わせることで内部結露を防ぎ、断熱力を維持していた。通常、断熱材は、内側に防湿フィルムを設け、外側は、水蒸気を透過する構造になっている。これは、冬の室内空気に含まれる水蒸気が屋外の乾燥した空気に向かって壁を通り抜け、壁の中で結露することを防ぐ目的があるのだ。断熱材よりも室内側に防湿フィルムがあれば、断熱材内部の10℃以下の結露域まで水蒸気は到達できず、建物のカビや腐りを招かずに住む。
2009.06.29
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一昨日から出雲に来ていますおかげで、住宅革命はストップしていますが美味しいものを食べてますから充電はばっちりです明日からまた再開します出雲大社本殿は現在改修中です大きな仮小屋に囲われていましたぐるりと散歩するのを楽しみにしていたのですが裏は閉鎖されていました。残念
2009.06.27
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再開 週末の上野駅から出る在来線は、なんとなく旅のムードが漂っている。だからというわけではないが、なけなしのポケットマネーをはたいてグリーン車に乗った。土曜と日曜のグリーン料金は750円なのだ。環境建築研究所は休業日だが、あえて休日出勤で前橋に行くことにしたのは、田村京子の仕事も休みだからである。 僕のデイパックには七つ道具のほかに、手土産の東京バナナと今回の調査報告書が収まっている。しかし、その報告書は未完成なのだ。書き込まれている内容は問題ない、書き換えるつもりもない。ただ・・、もう一度現地で確認しなければならない事が一つだけあった。ここ数日その事が頭から離れない。 赤い十字架が何だったのか、現れた原因とメカニズムはどうであったのか、全て説明することが出来たのだけれど、たった一つの謎が僕をもう一度、前橋へ向かわせた。 いや、前橋へ行く理由は、たった一つではなかった。 前橋には田村京子がいる。彼女といる時、なぜか自分が浄化されていくような気持ちになる。 おだやかで、素直な自分がそこにいる。助けられているのは僕で、だからこそ何かしてあげたいという衝動に駆られる。田村京子は、そんな存在だった。 自分に問う。(恋心だろうか?) (いや、違うと思う・・) 珍しいことに、一度も居眠りをせず、僕は前橋に到着した。改札の向こう側には田村京子が立っていて、満面の笑みで手を振っている。 「こんにちは」 「こんにちは」と、そっけないほど短い挨拶だったけれど、それ以上に何を言う必要があるのか。 今ここに自分がいる。波動のような感動に包み込まれたように感じているのは僕だけなのだろうか?たぶんそうだ。目の前に立っている田村京子は、すばらしい笑顔を見せてくれているけれど、とても冷静そうに見える。熱くなっているのは僕だけなのに違いない。 相変わらず彼女の運転は軽快だ。白のプリウスは北に向かい、前方には雄大な赤城山が青い裾野を広げて僕を迎えてくれている。「なんだか、故郷へ帰ってきたような感じだな・・」僕独り言を言った。
2009.06.25
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研究員の憂鬱 ディスプレーに映し出された二重の画像は、屋外の赤い十字架とその内側の室内の画像で、赤い十字架と全く同じ形に書架が重なっていた。それぞれの画像は逆の方向から撮影したものだが、シンメトリックな十字架の形であったために画像を反転するまでもなかった。カウンターの上に水平に並んだ本、二つの窓の間にある縦長の書架、カウンターの下に横積みされてカウンターを支えている雑誌の束、それらの本たちはぴたりと赤い十字架に重なり、そのせいで赤いシミが出来ているように見えた。 書架の形に群生した赤い藻は、多分「スミレモ」だろう。書架が外壁の内側に置かれていたことで何らかの現象が起き、藻が生育しやすい環境が整ったと考えるのが妥当だ。しかし、壁体は丁寧に断熱されていた。内側に書架を置いたくらいで藻が生える環境になるだろうか?そもそも、藻が生育できる環境とはどんな環境だろう? 僕は調査が状況証拠と一般原理のすり合わせで確認できる段階になったと感じた。おぼろげに見えてきた糸口をデータで繋ぎ合わせれば答えは出るはずだ。「よし、纏めにかかろう」まずは状況の整理からだ。☆赤い十字架の発生場所は木造住宅の北面で、モルタル下地スタッコ仕上げ☆その裏には河川が流れていた☆辺りは植栽が在り、北面ということも手伝って一年中陽が差さない☆壁体の断熱は良好☆壁体には外部通気層が在り、壁体の乾燥状況はそれほど悪くないはず☆室内には書架が在り、外部の赤い十字架と重なるように設置されていた☆天井の断熱は丁寧な施工だった☆ダウンライトの光が漏れ、屋根裏が明るかった☆ノジのほぼ全面に結露を確認した☆赤い十字架は藻である可能性が高い 僕は状況を纏めながら、数年前に見た一枚の写真ことを思いだしていた。その写真は杉山が撮影したもので、外壁に濃いグレーの汚れがあった。当時、結露による苔ではないかと研究所内で話題になったが、その後どうなったのか結論を記憶していない。 「所長、数年前に話題になった、汚れた外壁の写真を覚えていますか?あの案件はどんな結論が出たのだったでしょうか?参考にしたいのですが。」 杉山は、科学雑誌の記事を熱心に整理しているところだったが、僕の問いかけに即座に反応した。もともと鋭い男で、いつも同時に複数の案件を処理している切れ者なのだ。「ああ、あれか、覚えているとも。しかし、結論は出ていない。調査を開始した後でクライアントがあの家を出てしまい、連絡が取れなくなってしまって調査は中止された。家中カビだらけだったから、もう住めないと判断したのだろう。ただ・・・」「あの案件は私が担当だったの」 杉山の言葉が、何かを思い出そうとして途切れた時、その後を引き継ぐように先輩の穴沢が話し始めた。 穴沢は僕より1年早く研究所に入った先輩で、藤原紀香似の凄腕研究員だ。いつもタイトなブルージーンズでその上から白衣をラフに羽織っている。(これがキマッテいる。)「お住まいになっていた家族は全員体調を崩してしまって、引っ越したのは正しい判断だったと思うわ、最後まで調査できなかったのは残念だけれど。でも、悔しかったから、その後も少し調べていたの。最後の結論までは出ていないけど・・」 穴沢は細い指で髪の毛をかきあげながら、思い出すように話した。「推論として・・、断熱と気密の不備による壁内結露が原因で、室内側には(カビ)、外部には(苔)という仮説をたてたの。シード君、さっき藻だったって言ってたでしょう? それを聴いて私もあの案件のことを思い出していたの。写真なら2007年の資料を探してみて、描きかけの物だけど、調査時の断面図も同じフォルダにある筈よ。」 穴沢は僕に何かを託すような話しかたをした。僕もその気持ちがなんとなくわかった。 研究員にとって、謎を謎のままにしておくことなど絶対にしたくないことなのだ。けれど、抱えている案件の優先順位は、僕らのわがままを許してくれない。 僕は、「わかりました!参考にさせていただきます。ありがとう。」と穴沢の目を見ながら言った。 環境建築研究所のデータベースには、さまざまな不思議現象が数多く収められている。所員は皆、どんな些細なことでも「なぜだろう」と感じたことは記録する事が義務付けられている。しかも、皆この事を重荷に感じていない。それは、所員のほとんどが(不思議オタク)で、自分が感じ取った(不思議)を調査して、解明したときにだけ感じる鳥肌が立つような感動の中毒患者になってしまっているからだ。しかもそれは、ぼくが最も重症であるらしい。 その画像はすぐに見つけることが出来た。資料が電子化されているということの利便性には、本当に感謝する。僕のように整理の不得意な人間でも、コンピューターの検索機能は一瞬にして目的の資料を探し出してくれるのだから。 つづく
2009.06.24
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僕の勤務する「環境建築研究所」は、新橋の駅から歩いて5分ほどの路地を入り、どこかから生ごみの匂いが漂ってくるような、おせじにも良い環境とはいえない場所にある。 「ただいまー」と事務所のドアを開けるなり、「シード来てくれ!」と所長の杉山に呼ばれた。「シード!おまえねー、予算が無いって言ったでしょう!一泊して調べるほどの仕事じゃないの!ホテル代は自腹で払っとけよ。 で、どうなんだ?状況は。」 杉山はあっさりと宿泊費が出ないことを告げ、調査の状況を聞いた。ホテル代などはなから支給する気は無いのだ。僕は、田村邸に宿泊したことは伏せたまま、「それが、まだ良くわからなくて・・決め手にたどり着きません。」と、きりだした。 依頼は、外壁北面に赤い十字架状の汚れが出現しているということ。 その汚れが、未確認ではあるものの「スミレモ」という藻の仲間であるらしいこと。 屋根裏に結露を確認したが、外壁面は、断熱工事に不備は無く、結露の発生する可能性が低いこと。などを細かく報告し、「これから報告書の作成に取り掛かります。赤い十字架から削り取った欠片の分析をお願いします。」と結んだ。 杉山は、僕がホテル代のことに触れず現況報告を始めたことに気を良くしたのか、「良し解った。分析の手配はしておこう。報告書を早くまとめてくれ。」と言い捨て、受話器に手を伸ばして何処かの電話番号を打ち始めた。 目は、僕のほうを見て、左手が「もう行ってもいいぞ」と、まるで埃でも払うようなしぐさをしている。 僕は、うなずきながら振り返り(ハイハイ、解りましたよ。)と、声を出さずに返事をしながら自分のデスクにもどった。 デジカメの画像は100点以上あった。カメラのディスプレーでは小さすぎて細部の確認が出来ないなと考え、事務所のテレビを作業用に拝借し、画像のチェックを始めたのだが・・。屋根裏や床下の写真ばかりなのに、頭のディスプレーに浮かんでいるのは田村京子の笑顔だった。僕には妄想癖があるのかもしれない。想像の世界にひとたび入り込んでしまうと、もう仕事など全く手につかなくなってしまう。僕の右手は、自動的に画像の送りボタンを押しているだけで、せっかく準備した34インチテレビの画面に映し出される現場写真は、ぼんやりとした像を僕の網膜に結び、次々に流れて行くだけだった。 何十枚目かの画像をぼんやりと眺めている僕の目に、あの十字架が映った。と思った。が、次の瞬間その画像に焦点を合わせた僕の目が見ていたのは、赤い十字架ではなく田村次郎氏の書斎内部を撮影したものだった。 僕の右手はオートマチックに画像を送り続けているので、すぐに別の画像になってしまったが、頭の中で何かが右手にブレーキをかけた。「あれっ?なぜ今、十字架に見えたのだろう?室内の画像の前後に赤い十字架の画像が在っただろうか?」あわてて画像を逆送りしてみても、室内の画像の前後には赤い十字架の画像はなかった。僕 は、同じ疑問を何度も繰り返し、そしていつの間にか得意の居眠りの世界に入り込み、蝶のようにひらひらと逃げていく赤い十字架を追いかけていたのだった。「シードさん、事務所で居眠りとは、たいそう出世なさいましたね。ばかやろー!」という杉山の怒鳴り声で目を覚ました瞬間、「そうだ!重ねてみよう!」というインスピレーションが降ってきた。なまはげのような顔になっている杉山を無視したまま、パソコンで画像を処理する作業に取り掛かる。心臓は早鐘のように打っている。現れるであろう画像が既に頭の中では像を結んでいる。謎の一つが解き明かされようとしているときの興奮が僕を捕らえ、自分の周囲にある存在が意識の中に入ることを拒絶していた。室内の写真と、屋外の赤い十字架を重ねた画像が映しだされたとき、ディスプレーは、赤い十字架のあるべき姿を明確に表現していたのだった。つづく
2009.06.23
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陸地の水の無いところに群生する藻の事を「気生藻類」というらしい。それにしてもオレンジ色の藻とは珍しい。 調査対象の赤い十字架は、オレンジ色というより赤錆に近い感じだが、「スミレモ」も乾燥してしまうと赤錆色になるかもしれない。 ポリエチレンの袋に保存したサンプルを事務所で確認してもらうことにしよう。その確認が終わるまで断定することは出来ないが、仮に赤い十字架が「スミレモ」だとして、なぜ十字架の形に群生したのか? そして、それはなぜあの場所だったのか? 住宅の出来様には、それほど問題となる要素は発見できなかった。(僕の調査が不十分なのかも知れないけど・・)。僕には、まだまだ解き明かさなければならない謎があるのだという現実が焦燥感を生む。しかし、頭のどこかに、なんとなくそのヒントは、すでに示されているのではないかというおぼろげな感覚がある。証拠が示されているのに僕が気がつかないだけなんじゃないだろうか。頭の中で同じ事を何度も考えては打ち消しているうちに、なんだか熱っぽくなっている自分に気がつき時計を見る。既に正午を過ぎていた。 ぼちぼち撤収して事務所に戻り、報告書をまとめなければならない。しかし、原因は未だに解っていない。頭の中がもやもやしたまま「しかたがない、出直そう。」と決断し、荷物をまとめ、御いとまの挨拶をするためにリビングをのぞいたが誰もいなかった。「京子さーん!いらっしゃいませんかー?」と少し大きめの声で呼ぶと、奥の部屋からお祖母ちゃんが出てきた。お母様も京子さんも仕事に出たのだという。考えてみれば当たり前のことだった。父親が亡くなって、残された家族は協力して働かなければならなかったはずだ。それは、終わりのない旅なのだ。田村家の人々はその旅を受け入れ、明るく生きている。旅がつらいものか楽しいものかを決めるのは、本人なのだ。「お祖母ちゃん、お世話になりました。報告書をまとめたらまた参ります。皆様によろしくお伝えください。(帰る前に京子さんに会いたかったな・・)」僕は、お祖母ちゃんにお礼を言って田村家の玄関を出た。外は、真昼の太陽が遠慮なしに強い光を発射していた。初めて訪れた土地でどちらへ行ったら良いの少し迷ったが、来たときには正面に赤城山が見えていたから、あの山を背にして歩けば良いだろう。そのうちにタクシーでも拾えばいい。僕は安易に方向を決定し、歩き始めた。僕の方向感覚はなかなかのもので、日本中を旅しているがいまだに迷ったことはない。(もしかしたら、いつも迷っているのかもしれないが・・・)方向は、なんとなく確信があるが、少し読みが甘かった。田舎の道で、タクシーを拾うなんて、認識不足もはなはだしい。激しい空腹感に襲われながら1時間ほど歩いたとき携帯電話が鳴った。田村京子だった。「駅まで送ろうと思って戻ったら、シードはもう帰られたって聞いて、電話しました。今どちらですか?」少し怒っているような口調だ。「ごめんなさい、誰いなかったものですから・・現在位置は、えーと・・」僕はあたりを見回し、一軒のイタリアンレストランを発見した。トリコロールの看板に<ポポット>と店の名が書かれている。「イタリアンレストランがあります。店の名前はポポット」「ああっその店なら知っています。そこで待っていてください。すぐに行きますから。」「了解です。(やった!)」田村京子が来てくれることの嬉しさに僕の右腕はガッツポーズを決めていた。店は静かで、窓ガラスの外には、綺麗にガーデニングされた中庭があり、すぐ裏に広瀬川という護岸された川がある。なんだか田村家に似た雰囲気だった。暑さと空腹でふらふらだった僕は、ペペロンチーノのランチセットを注文し、パスタが出てくるまでに、お冷を3杯とサラダを2杯お代わりした。この店は水だけでなくサラダもお代わり自由だった。なんて僕向きの店なんだ。田村京子はペペロンチーノよりも早く現れた。「シードさんたら、何も言わずに消えてしまうんだもの・・」といいながら僕の正面の椅子に腰掛け、アイスコーヒーを注文した。言葉は怒っているけれど、顔は相変わらずのかわいい笑顔だ。この笑顔に救われる。ペペロンチーノの味は抜群だった。田村京子の笑顔の前で、僕はあっという間にパスタを平らげ、「ふっー」とため息をついた。「このお店、美味しいって、女性に人気なんですよ、いつも満員で!」僕は、楽しそうに話している田村京子の口元をぼんやり見ながら、幸福感に満たされていた。(こんなに綺麗な人と二人きりで食事できるなんて、なんだかデートしているみたいだな。)僕は、幸せな時間を出来るだけ長くしたくて、食後のコーヒー冷めてしまうほどゆっくりと飲んだ。それでも、別れの時間はすぐにやって来てしまったが。田村京子のプリウスで前橋駅へ送ってもらい、僕は車中の人となった。次に前橋を訪れるときに、京子さんを誘って、もう一度あの店に行こう。ぼんやりとそんなことを考えながら、目を閉じると電車は上野駅に到着していた。つづく
2009.06.22
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2ケ月ぶりの連休をいただきました明日と明後日休みますなにしようかしらん
2009.06.19
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「さてこまったぞ」僕はツナギをデイパックにしまいながら独り言を言った。僕が泊めていただいた田村次郎氏の書斎は、氏が生前使用していたままになっていて、長いカウンターの上に氏の愛蔵書が並んで知る。このカウンターをデスク代わりに使っていたのだろう、とても使いやすそうな書斎だ。調べものをするときなどは、長いカウンターに資料を並べ比較検討したり読みかけの本をカウンターの片隅に置いたまま別の仕事をしたりと、生前の氏の姿がうかがえる。目の前の書架には図鑑や百科事典が隙間なく収められ、書架のうえに窓が二つシンメトリックに配置されている。北向きの部屋だがこの窓のおかげで明るく、昼間なら照明を点けなくても本を読むことが出来ただろう。窓と窓の間も書架で、僕の目の高さには植物図鑑が収められていた。カウンターの下には中心付近に本が横積みになっていた。床からカウンターまでぎっしりと。なぜ本をこんなふうに置いたのだろう?と疑問に思ったが、すぐに理由がわかった。カウンターが長くて、重い本を上に置くと下へたわんでしまうのだ。たわみを止めるために氏が本を積み上げて支えたのだろう。詰まれた本は雑誌などがほとんどだった。 念のため室内の写真も10枚ほど撮り、もう一度書架に目を戻す。氏の蔵書には図鑑類が多い。赤い十字架の正体が苔だったとしたら確かめることが出来るかもしれない。僕は苔類図鑑なるものがないかと探してみたが、残念ながら見当たらなかった。代わりに目に留まったのは藻類図鑑だった。「「も」か、藻といえば水の中に生える植物だから関連は無いか」と手に取った図鑑をカウンターに置き、まずは、植物図鑑から見ることにして、田村次郎氏の愛用だった座り心地の良い椅子に腰を下ろす。メッシュで仕立てられた背もたれはしっかりとして張りがあり、しかも柔軟に僕の体を受け止めた。(これじゃ、また寝てしまいそうだ)と感じながらパラパラと植物図鑑をめくっていくと、(あった!)<苔類>というジャンルがまとめられていた。図鑑は全ての植物が写真入で解説されていて、どんな所に自生しているのかも紹介されている。僕は、(赤い苔)の記述が無いかと一ページづつ丁寧に見ていった。もしかしたら苔にも紅葉があって緑の苔が赤く色づくことがあるかもしれない。季節ごとにいろ変わることがあっても不思議じゃない。などと想像しながら注意深く調べたが残念ながら赤い苔も紅葉する苔もあったがその姿はまるで別物だった。しかも、図鑑で見る苔たちは僕が持っていた苔のイメージは違っていた。茎があり、葉があり、生き生きとした緑のものが多く、岩にこびりついている青海苔のような苔は紹介されていない。(うん?青海苔?)あおのりは青海苔と書くけれど、あれは海草で苔(コケ)ではない。どちらかといえば昆布や若布や藻に近いのじゃないだろうか。赤い十字架は、まさに岩にこびりついた青海苔が干からびたような状態だった。色は赤いけれど・・。今は夏だから干からびて、こすると粉になってしまったけれど、みずみずしい状態ならばまさに海苔なんじゃないか!しかし、陸上に、しかも壁の表面に藻が生えるのだろうか。僕は赤い十字架がある壁を内側からぼんやり眺めた。頭の中では、水生植物の藻を何とか壁面に群生させようとイメージしていたが、それはどうしても無理なように思えた。視線が移動しカウンターの上を見たその時、ついさっき自分で置いた「藻類図鑑」に目が留まった。「あっ!!!あるじゃないか!」思わず大きな声を出してしまった。飛びつくように藻類図鑑を開き、写真だけを確認しながらパラパラとページをめくる。しばらく見ていくとオレンジ色の写真が現れた。<「スミレモ」オレンジ色で陸上に群生する。>そのページには。オレンジ色の美しい顕微鏡写真が掲載されていた。つづく
2009.06.19
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田村京子は、報告書を前にして頭をかきむしっている僕の前に、「父の部屋でおやすみになってください。ベッドの用意しておきました。」と言いながらそっとコーヒーを置いた。落としたてのコーヒーの香りが一瞬の安堵を運んでくれる。「ありがとうございます。お言葉に甘えます。」僕はそういいながら、コーヒーを一口すすり、(今夜は徹夜になりそうだな)と頭の中で呟いた。調査対象の現場で一夜をすごす事が出来るのは、住宅調査のプロとして幸運と思うべきだろう。たとえそれが不健康な居室であったとしても・・ 勿論、キッチンの換気扇が稼動していなければ浮遊粉塵量がそれほど多くは無いはずだ。外気でさえ、かなりの浮遊粉塵が含まれているのだから。そもそも人間は、あのねずみサイズの哺乳類だった頃から、粉塵混じりの大気を呼吸してきたのだ。もっとも、そのせいで、寿命は4~5年であったろうけれど・・・。 その部屋は、意外に快適だった。網戸から流れ込む夏の夜風が気持ち良い。遠くで虫の声が聞こえる。きっと裏を流れる藤沢川のほとりで一夏の命を燃やしているのだ。 生物は自分の種を存続するために大自然の一部として自然の中で生きる。しかしその自然は厳しく、必ず生命の終わりを準備している。ひとつの生命が終わるとき、その亡骸を受け取る次の生命が待ち構え、あらゆる物質の循環に貢献する。生物は与えられた生命を生きることも死ぬことも、甘受するべき仕事であり、使命とも言える。生命を喜び、死を、待ち受ける存在の中に新たな蛋白質として存在できることに感謝する。否、感謝など無用か、大自然の循環こそ、地球という生命そのものなのだから。 僕は、赤い十字架の手がかりを、なんとか見つけ出そうと、何度も何度もメモとデジカメの映像を行き来した。しかし、屋根の結露と赤い十字架を関連付けることは出来ず、いつの間にか眠ってしまった。ついさっきまで徹夜で調査するつもりだったのに・・・ 遺品からのメッセージ 鳥たちのさえずりが爽快な朝を運んでくれた。いつもそうだけれど、僕が眠ると一瞬で次のステージが始まる。どんな環境でも熟睡できるというのは優れた特技だと思う。 洗面所で顔を洗っていると、背中越しに田村京子の声がした。「おはようございます。シードさん、ツナギここに置きますね。」と、脱衣籠の上に綺麗にたたまれたツナギを置き、僕の、「ありがとうございます。」の声を待たずに洗面所から出て行った。 彼女は昨夜のうちにツナギを洗濯し、アイロンまでかけてくれていた。アイロンのかかったツナギなんて見るのも着るのも初めてだ。なんだか嬉しくて涙が出てしまう。 田村次郎氏の部屋に戻りバリッとよく乾燥したツナギに手足を挿入しながらこれまでの流れを頭の中で整理し、情報不足をあらためて確認したのだった。(もう一度屋根裏を見てみよう。それから床下も・・・)と、今日の計画を立てた。 田村家の朝食は感動的だった。質素だけれど、これこそ日本の朝食!と言うべきものだった。なにしろ、味噌汁は自家製のもので、3年に一度、味噌職人がこの家に仕込みに来るらしい。例の蔵にはその自家製味噌が蓄えられているのだ。漬物はおばあちゃん特製!カブとキュウリとナス。ご飯は、川場村のこしひかり(これが田村家御用達)、田村夫人お手製の玉子焼きと焼き魚。最高の贅沢!美味しいのは当たり前だ。僕は、また涙が出て競うになって、ツナギの袖で顔をぬぐった。 朝の涼しいうちに屋根裏の調査をしてしまおうと、天井点検口から屋根裏に入りこむ。(暗い!)明るい屋根裏と言う印象があったのでヘッドライトを着けてこなかった。ダウンライトのスイッチがオフだから暗くて当然なのだ。わずかに軒天換気口から漏れる白い光が点在するのみだ。これらの光が見えるということは、外気に含まれる浮遊粉塵は、間違いなく天井裏に蓄積しているはずなのだ。 ヘッドライトを取りに戻り、再度、屋根裏に入った。 外壁の断熱材の取り付け状態はまずまずの出来だった。防湿フィルムは使用されていなかったが、断熱材に付属のフィルムがきちんと施工されていて、外壁内の気密状態は問題が生じる要素がなかった。これでは、壁の中に結露が生じる可能性は少ない。 あの、赤い十字架は結露によるものではないのかもしれないと、僕は、別の可能性も考える必要に迫られ、ますます迷宮に入り込んでいくような恐怖と喜びを感じたのだった。難しければ難しいほど楽しい!これがあるからこの仕事をしているのだ。つづく
2009.06.17
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ミステリーは難しい 建築はしろうとという人から 屋根裏の結露くらい簡単に先読みしてしまうプロまで だまくらかさなければならない いや もとい 楽しませなければならない 複雑なる仕掛けが必要になる さて 今日はどうなることやら
2009.06.16
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写真の下半分には天井の断熱材が規則正しく並んでいる。上半分は屋根の裏側が写っている。屋根の構造は、骨組みの親骨をモヤ、小骨(縦骨)をタルキ、その上に打たれている板をノジと呼ぶ。 写真のノジには、ほぼ全面に水を流して乾いた後のようなシミがあった。今は夏だから濡れてはいない。この家の屋根は冬を迎えるたびに屋根裏が結露していたと考えられる。しかし、それなぜだろう?注意して写真を見ると、はたして結露を引き起こしていた真犯人も写真に写し出されていたのだった。 そもそも結露はなぜ起こるのだろう。普段の生活の何処にでも結露はある。僕が飲んでいるビールのグラスも日常的に結露している。ビールグラスが露点以下の温度ならば結露する。では露点とは何度くらいだろう。 気温が23℃で相対湿度が50%の空気は12℃が露点となる。つまり23℃で50%の室内に12℃以下の物体、たとえばよく冷えたビールがあれば、必ず結露は起きる。では、屋根裏で何が起きたのか。 真犯人は照明器具だった。僕は、屋根裏にもぐりこんだときに異常な明るさに驚いた。その理由は天井に取り付けられたダウンライトの光が漏れているからだった。ダウンライトは大量の熱を発するから気温も尋常ではなかった。もちろん今は夏だからなおさらだけれど・・ ダウンライトは、光と熱を天井裏へ吹き上げていて、その熱を伴った空気は下の居室の空気なのだ。このとき、居室が23℃で50%なら、小屋裏に流れ込んだ空気が突き当たるノジの温度が12℃以下ならば、ノジは結露したはずだ。前橋の冬は寒い。氷点下になることもしばしばだ。ノジがマイナス5℃以下ならば結氷したこともあるだろう。下の居室で使用される暖房器具が灯油のストーブなら消費した灯油の量を上回る結露水が発生するのだ。熱エネルギーの損失も少なくなかったはずだ。丁寧に断熱されていたにもかかわらず、この家は省エネとは程遠い構造だったのだ。しかし、問題はそれだけじゃない。もっと重大な問題が隠されていた。 照明のスイッチを入れるたびに屋根裏には大量の空気とともに空気中の浮遊粉塵が流れ込み蓄積する。浮遊粉塵とは、ホコリだけではない。花粉、カビの胞子、ダニの糞、ダニの死骸のかけら等、アレルギーや喘息の元となる物質たちだ。さらに、屋根裏は涼しくする目的で換気口を備えている場合が多い。そのことで屋外の浮遊粉塵まで流入して蓄積しているはずだ。そして、ある時、最悪の状態になる。しかもその最悪の状態は毎日やってくる。 それは毎日の調理だ。主婦は家族のために美味しいお料理を用意する。この時に、キッチンでは換気扇が稼動し、調理の煙を排気する。問題になるのは、換気扇がいったいどれほどの空気を排気しているのかということだ。キッチンの換気扇は平均的な物で1時間に600立方メートルほどの空気を排気する。平均的な家の容積が380立方メートル程度だから、1.5倍強の換気量だ。住宅は大量喚起によって減圧され隙間風を吸い込み始める。家中のいたるところにある隙間から・・。ダウンライトの熱を排気している穴もこれらの隙間と同様に一時的な吸気口と化す。しかも、大量の浮遊粉塵を伴って!。よもや、エネルギーの損失など問題ではない。住まう人間の健康はいったいどうなってしまうのか。家を設計する人間の無知が居住者の健康を侵害する。僕は今まで悲惨な家をたくさん見てきた。そのほとんどは、設計者の配慮不足によるものだった。もちろん新しい建材を使うときにはデータが不足していて適正な設定にできないかもしれない。しかし、問題が人の健康に影響を与えるかも知れなのなら、設計者の責任は重い。小児喘息や、アトピーもハウスダストが要因のひとつとして確認されているが、母親がどんなに綺麗に掃除をしても改善しないのも当然かもしれない。掃除できない場所にアレルゲンは潜んでいたのだから。 僕は、憤りを覚えながらも、怒りが顔に出ないように一気にビールを飲み干した。(もしや田村次郎氏の死は住居との関連があったのではないか)と言う思いが頭を駆け巡った。「調査した資料を整理しなくては」といって、楽しい食事を切り上げた僕は、釈然としないまま報告書を書き始めたが、すぐにやめてしまった。ダウンライトや屋根の結露は確かにあった。しかし、それは屋根の結露である。エネルギーの損失や健康被害もあったかもしれない、けれど僕が調べているのは赤い十字架なのだ。赤い十字架が屋根の結露と何らかの関連があるのだろうか? まだ何かが足りなかった。あの赤い粉は何だったのか?なぜ十字架になったのか?謎は深まるばかりだった。つづく
2009.06.16
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因島の朝は いつも綺麗です この海を見られなくなるのは寂しい 昨夜 しまなみ百年 最後の勉強会を完了し 全員めでたく 卒業となりました 人数的に会が成立しないということだけで解散するのはあまりにも寂しいので どんな形であれ新たな会を 立ち上げ またこの地に呼ばれたいと考えています とりあえず 長い間 ありがとうございました
2009.06.15
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屋根裏に住む妖怪屋外はもうすっかり夜になっている。ツナギを着てフルフェイスのマスクを被りヘッドライトを頭につけた僕は、天井点検口を開き屋根裏にもぐり込んだ。もぐり込んだのは1階の下屋で、なくなられた田村次郎氏が書斎として使っていた部屋の真上だ。屋根裏に入った瞬間、「暑い、そして明るい」と感じた。その閉ざされた空間は異常に明るい。頭につけたLEDヘッドライトのせいではない。屋根裏や縁の下は暗闇と相場が決まっている。だからこそヘッドライトまで準備しているのだ。もしや、誰かが屋根裏に住んでいるのではないか?と思えるほどの明るさだ。そう思った瞬間、背筋にゾクリと悪寒が走った。密室であるはずの屋根裏が異常に明るくて、もしもそこに謎の人物が住んでいたとしたら・・・妖怪よりもずっと怖い。僕は全身に鳥肌が立っていくのを感じた。僕はスリラーが苦手なのだ。オマケに閉所恐怖症で暗い所もダメ。なのに、なぜこんな仕事をしているのだろうと、いつも思う。梁の上に登って辺りを見回すと明るさの正体はすぐに判明した。居室の照明にダウンライトが多用されていて、その光が漏れて、屋根裏まで照らしているのだ。ダウンライトの光は天井に置かれた断熱材の遮熱フィルムに反射して、屋根裏用に照明設備を設置してあるかのように、無人の密室を照らしていたのだ。しかも、ダウンライトが発する熱が屋根裏に充満してサウナ風呂のように暑い。胸のポケットの気象計を取り出して気温を確認すると、なんと55℃と表示されている。僕は手帳を取り出してメモする。(1階下屋内:気温55℃ 時刻19:32)「これなら、ヘッドライトは無用だな」すでに汗でびっしょりとなったフルフェイスのマスクに頼りなくしがみついているヘッドライトのスイッチを切った。屋根裏を進んでいくのは絶えず不自然な姿勢を強いられる。バランスを崩せば、天井を踏み抜くのはたやすい。僕の仕事はこんな場面にしばしば遭遇するので、普段から体の柔軟性は鍛えている。それでも、外壁に近づいていくにつれ上から屋根が迫ってきて、ますます不自然な姿勢になる。まるで、スパイダーマンが手足を広げて、梁や垂木にしがみついているようだ。体勢を変えるたびに「ふん!」「はっ!」「いよっ!」と、自然に声が出てしまう。だんだん太ももが痙攣してきて、膝がプルプルと震える。こんな姿を誰かに見られたら百年の恋も冷めることだろう。僕は、自分自身が妖怪そのものになっていることにあきれるのだった。 天井の断熱材は丁寧に施工されていた。良心的な工務店が建てたのだろう。グラスウール10Kgで厚さ100mmの物が2枚重ねで、きちんと施工されていた。外壁内部の断熱も丁寧だ。天井と同じ10Kgで厚さ100mmのグラスウールが基本に忠実に施工されている。断熱材の上端が桁まで届いていて、ほぼ完璧な断熱工事と言ってよかった。 僕は、天井裏の写真を20枚ほど撮り、仕様をメモしてから、灼熱の妖怪の住み家を後にした。 点検口から降りていくと田村京子が待っていた。55℃の世界から生還した僕はあまりの涼しさに生き返るような快感を覚えたが、着ていたツナギが汗でべったりと全身にへばりついて動きにくかった。 「こんなに暑いのに大変な仕事をお願いしてしまってすみません。お風呂の用意ができていますからお入りになってください。」という彼女の姿は、昼間見たときよりも綺麗になったように感じた。僕は幸福感に包まれたまま一日目の仕事を終えたのだった。 湯船につかりぼんやりしているとき、僕はなんとなく妙なメッセージ受け取ったような感覚に襲われていた。誰かが何かを伝えようとしているような、いや、僕が何かを見落としているような感覚だ。僕の意識下で、集中しろ、気がつけ、さっき見たじゃないかと何かが呼びかけている。何か心に引っかかっているのだけれどそれが何なのか濃霧の中にいるようだ。ど忘れした大切なことを思い出せないでいるときのようなもどかしさを感じながら、(そのうちに思い出すだろう)と後回しにしてしまった。これが僕の良いところでもあり欠点でもあることは経験で解っているのだけれど、(今までもこれで何とか乗り越えてきた。)という、裏づけのない自身が僕をいつも気楽にさせてくれる。生来、ハッピーな性格なのだ。浴室の外から「新しい物ではありませんが、パジャマ!使ってください。ここに置きます。」という声が聞こえた。何かを思い出そうとしていた僕は、「ハイありがとうございます。」と応えながらも、今の声が母娘どちらの声だったのか解らなかった。 脱衣籠にはやわらかなバスタオルとパジャマが用意されていた。こんな経験は故郷を飛び出して以来のことだ。今年の暮れにはくにへ帰ろうか、などと里心をくすぐられたが、自分の実家がこれほど快適であるはずもない。 食卓には、床に就きがちなおばあちゃんも姿を見せた。「このたびは御厄介をおかけ致しまして、申し訳ございません。」と、笑顔でお辞儀をしたおばあちゃんは、綺麗に整えられた純白の髪が、高貴でさえある。さぞかし若い頃は美しい人だったことだろう。「いいえ、僕こそこんなに歓待していただいて恐縮です。ありがたいです。」本心を素直に口に出すことができるのは、田村家の空気のおかげかもしれない。田村家の唯一の男性長男の直継君は会社の研修で不在で、僕は3人の美女に囲まれての夕食をありがたくいただくことになった。 僕のグラスにビールを注ぐ動作の中で「何か、解りましたか」と言いながら田村京子の目が(おひとついかが)と言っている。田村京子がそそぐビールグラスは、次第に細かい水滴に包まれてゆき、僕はその結露水をぼんやりと見ていた。その時、僕の頭の中で何かがはじけたような気がして、うかつにも「ああっ!」と声をもらした僕を3人の美女は「えっ」という顔で見ている。「そうだ、結露だ!結露じゃないか!」浴室で何かが気になっていたのは、結露水が目に見えていたからなのだ。僕はあわててデイパックからデジカメを取り出し、ついさっき撮影した画像を確認した。そこには完璧に見える断熱工事の盲点が映し出されていた。つづく
2009.06.15
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僕は赤い十字架に近寄り匂いを嗅いだ。あまり匂いは無い。かすかに昔嗅いだことのある匂いがしたように感じたが、それが本当に匂いだったのか記憶の断片だったのか区別がつかなかった。触ってみると、ざらりとした感触があり、赤い粉が指先に残った。その粉をもう一度嗅いで見る。海草のような匂いがかすかにするが、少しキナ臭い。「苔かもしれない・・」僕は七つ道具の入ったデイパックからアーミーナイフを取り出し、スタッコ壁を傷つけないよう慎重に、苔のような赤い物体を削り取ってファスナー付きのポリエチレン袋に収納した。匂いを嗅いだりサンプルを採取したり、壁の下を覗き込んだりしている僕を、田村母娘は黙って見守っていた。僕は作業に夢中になると他の事が見えなくなってしまう。彼女たちの視線も意識化にはなく、調査に没頭していった。スタッコ塗りの外壁は窯業系のサイディング下地にスタッコを鏝で塗ったものだった。ガルバリウム製の水切りの下を探ってみると通気層がきちんと施工されている。壁内に結露が生じても速やかに乾燥することのできる構造となっているのだ。この壁に苔が生える要素があるのだろうか。僕の頭の中は疑問符が溢れ出していた。すでに梅雨は明けて、夏の本番に入ったばかりのさわやかな一日が暮れようとしていた。田村家の北には赤城山がそびえ、敷地の裏には藤沢川が流れている。どこかで鈴虫が鳴いている。裏庭は植栽も多く、暗くなるのが速い。僕は屋外でこれ以上の調査は無理だと考え、「室内を見せてください」と伝えた。田村母娘の返答を待たずに玄関の方へ歩き始めた僕の後ろから、「シードさん、今夜の宿泊先はどちらですか?」と母親がたずねた。「いえ、まだ決めていません。」(何しろ僕は行き当たりばったりの人間なのだ。自慢ではないが予定を立ててもその通り行動できたことが無い。)「だったら・・」「だったら、家にお泊りになってください。」田村母娘は同時に話始めたが最後まで言ったのは京子の方だった。こんな幸運はめったに無い。たぶん一億年に一度の幸運だ。しかもホテル代が浮くから所長の杉山まで喜んでしまう。僕は「いいえそんな御迷惑はおかけできません。」と言いながら心の中では大きくガッツポーズを決めていたのだった。田村母娘は予定どおり僕を説得し、僕は宿泊先が決定した。しかも調査現場直近に。となれば、もう少し調査に時間をかけることができるし、夜でなければできない調査もできる。 この時、僕の頭の中にはぼんやりと赤い十字架の正体を確かめるためのヒントが生まれていた。 田村家の室内は明るくて気持ちの良いデザインだった。明るい生地色のフローリングに同材の窓枠やフレームが配置され壁面は白を基調とした落ち着きのあるインテリアでまとめられている。僕の鼻が慣れてしまったのか、訪れたときに感じたカビ臭は感じられなかった。 田村京子は夕食の買出しに出かけ、母親はなにやらあわただしく動いている。「脚立をお借りしても良いですか?」と聞いた僕に「ハイどうぞ、そこの収納に入っていますから御自由にお使いください。家の中はどこ見ていただいても良いですからね。お願いいたします。」と、今日はじめて会ったばかりの僕を旧知のように親しみのある言葉をかけてくれる。県民性なのかな?群馬県って(かかあ殿下と空っ風)とよく聞いていたけど、奥さんが怖いって意味ではなかったのかもしれない。僕は自分が歓迎されていることに、ほのかな幸福感を感じながらも、今日のうちに調べなければならないことを確認し、室内の調査を開始した。 僕のデイパックの中には調査に必要な小道具がいろいろ入っている。小屋裏や縁の下に潜るときに着るツナギ、軍手、フリークライミング用のシューズ、頭につけるヘッドライト、放射温度計、気象計、フルフェイスのマスク、ペンチタイプの万能ツール、虫眼鏡、20メートルほどのザイル、サンプルを入れるためのファスナー付きポリエチレン袋、すでに活躍しているアーミーナイフなどなど、七つ道具とはいえ、実際には20個ほどの必需品たちが納まっている。本当はもっとたくさんの機材を準備したいのだけれど、装備が重すぎては行動力が鈍る。「何を持っていくかではなく、何を持っていかないか」が戦略だと何かの本で読んだことがあり、いつの間にやら、その言葉は僕の大切な教訓となっている。 屋根裏に住む妖怪屋外はもうすっかり夜になっている。ツナギを着てフルフェイスのマスクを被りヘッドライトを頭につけた僕は、天井点検口を開き小屋裏に入り込んだ。つづく
2009.06.14
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奇妙な模様田村京子の運転する白のプリウスは前橋駅を出ると北に向かった。前方には雄大な赤城山が青い裾野を広げている。美女の運転する車に乗って有頂天になっている僕は仕事のことも忘れて快適なドライブに酔いしれていた。杉山から受け取った走り書きにはクライアントの名が田村様と書かれていて、他には携帯電話の番号があるだけだった。僕はクライアントをてっきり男性だと思い込んでいて、改札を出てすぐに電話を掛け、受話器から聞こえる声が若い女性で、5メートル前方の美女が携帯を耳にあてていて、そのひとの唇が受話器から聞こえる言葉とシンクロして動いているのを発見したときの驚きと幸福感は、夢の中にいたハニーとの幸せに満ちた生活よりもはるかに幸せな瞬間だったことは言うまでも無い。ちなみに、夢の中の僕は12匹の父親だったが、リアルな僕はれっきとした独身だ。恋人いない暦は、かなり永いが・・・僕が彼女を発見したとき、同時に視線が合い、彼女も自分が迎えるはずの人物を確認し、かすかに微笑みながらお辞儀をした。「シードさんですか、田村と申します。こんな田舎までお越しいただいてありがとうございます。」短い自己紹介だったが、ハッキリとした声とまっすぐに僕を見る目には彼女の意志の強さが表れていて、「なんて気持ちの良い表情の人だろう」と見とれてしまった。田村京子の運転は軽快だった。助手席に乗っていてもまるでストレスが無い。ボーっとしている僕に気づいたのか、突然彼女は話し始めた。調査を依頼することになった経緯や建築物の立地条件・家族構成・自然環境など、説明も的確だった。彼女の家族が4人であること。父親は6年前に亡くなり、祖母と母親、2歳年下の弟がいること。家族4人とも花粉症であること、家は建築後7年であり、新築してまもなく父親が亡くなったことなど順を追って正確に話してくれた。「6年前にお父様が亡くなられたんですか。それは大変だったでしょう。」彼女の年齢は推定25歳、父親が亡くなった当時は19歳、弟は17歳の高校生か。突然一家の大黒柱が亡くなり、収入も減る。住宅ローンは父親の生命保険で何とかなるが、生活費や弟の学費は彼女と母親が働くことで賄ったのだろう。彼女の意志の強そうな目の力の意味が解ったような気がした。一瞬、遠くを見ているような田村京子の目に、光るものがにじんだように見えたが、その時、プリウスは田村家に到着し、彼女は「着きました。どうぞ」と言いながら顔を背けたまま車を降り、歩き始めた。涙を悟られないように急いでいるように見える。門をくぐると左側に蔵があった。漆喰塗りの立派な蔵だが古いものであるらしく、ところどころ漆喰が落ちて、下地の荒壁が見えていた。僕が立ち止まって蔵を見ていると、先に立って歩いていた彼女も振り返ったが、すでにその顔には笑みが戻っていて僕を少しホッとさせてくれた。「宝物がたくさん入っていそうな蔵ですね」と聞いた僕に、クスッと笑いながら「その蔵の中は味噌と醤油と梅干です。たしかに我が家の宝物ですけれど」と言ってまた笑った。蔵の風情には不釣合いな洋風の母屋はそれほど大きくはなかった。45坪くらいだろうか、切妻の屋根はS型のテラコッタ色の洋瓦、外壁はスタッコの鏝仕上げ、サッシは樹脂サッシだった。壁の厚さやサッシの収まりから充填断熱らしかった。「ただいまー」と玄関を入っていった彼女を「おかえり」と彼女にそっくりな母親が迎え、僕をみて「まあま、遠いところを起こしいただいてありがとうございます。」と深々とお辞儀をした。あまりに丁寧なお辞儀なので僕も恐縮してしまい、何度も頭を下げてしまう。「環境住宅研究所のシードと申します。このたびは調査のご依頼をいただきましてありがとうございました。」通り一遍の挨拶をしながら頭を下げたとき、一瞬かび臭い匂いがしたが、すぐに匂わなくなってしまった。(気のせいかな)と考えながらも手帳にメモる。(わずかにカビ臭:玄関にて)挨拶の途中でメモを始めた僕を怪訝そうに見ている母娘に「早速ですが、奇妙な模様が現れたと聞きましたが、見せていただけますか?」と、僕の頭は、すでに仕事に取り掛かっていた。案内されたのは裏庭だった。亡くなった父親が書斎として使っていた部屋の外壁に、それはあった。染みのようなコケのような単なる汚れかもしれない何かが、まるで十字架のような形に外壁を染めている。古く固まった血痕のような赤茶色の十字架が、今は無き父親の部屋を守っているかのようだった。
2009.06.12
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以前御紹介した僕の本「必ずお読みください・住宅の取扱説明書・健康編」は7月末に日本住宅新聞社から出版されることになりました。たくさんの方に御協力をいただき何とか出版にこぎつけることができて本当に幸せです。ありがとうございました。で気の早いフライングシードすでに次の執筆に入っております。タイトルは「住宅革命」主人公シード君がミステリーを解き明かしながら理想の家に近づいていくというフィクションだけれどほとんど実話という危険な内容です。しかも「住宅革命」はこのブログで連載することにしました。日記の合間に書き綴っていこうと思っています。完結するのがいつになるのか・・なにしろ長編大河ドラマですから・・とりあえず今日はちょっとだけよ「住宅革命」 そのとき、僕は哺乳類の小動物だった。 サイズはネズミくらいで、巨大な爬虫類の脅威にさらされながらわが身と家族を守るために地面に穴を掘って身を潜めて生きている。数億年後に人類となるために。 僕は、他の生物と変わることなく大自然の中で身を守りながら食料を得て生命を繋ぐために子孫を増やすという本能を全うしていたのだった。 僕の家族は14匹。ハニーは抜群のプロポーションで12匹も子供がいるとはとても思えない。授乳中だから8っつのおっぱいは、はちきれんばかりだ。この状況ではしばらくの間、僕一人で食料の調達をしなければならないけれど、それも本能の赴くままの気楽な家業なのだ。 成り行き任せな状態が僕の日常で、本能と行動が完全に一致している生き方はとてもハッピーだけれど、この時代の地球にはハッピーな生物以外は生きていない。そして、この状況はかなり厳しい。一瞬の油断で命を落とすことになる。僕が家族のために食料を探しているときに、僕という食料を探している連中がたくさんいるわけで、これはかなりスリリングだ。もちろん最も素早い恐竜、ベロキラピトルなんてやつより僕のほうがずっと素早いから、それほど怖くは無いけれど、家に残した家族のことはいつも気がかりで、なんとか安全な住まいがほしいと、遺伝子に書き込まれるほど強く願っている。「お客さん、お客さん、終点の東京ですよ」車掌に肩を叩かれて目をさますと、名古屋駅を出たのぞみは一瞬で東京駅に着いていた。どうやら人類の祖先シード君は、小惑星の激突や氷河期も生きながらへ、ついに地上の覇者「人類」となってくれたらしい。ボインのハニーも子供たちも、きっと幸せな人生をおくったにちがいない。 研究所に戻ると新しい仕事が僕を待っていた。<環境建築研究所>という、いかにも胡散臭い名前の職場だが、なかなか鋭いスタッフがそろっている。なかでも所長の杉山は胴回りが120cmはあろうかという重鈍な風貌とは裏腹に、鋭い視点で建築を分析するプロフェッショナルで、まだ駆け出しの僕にさまざまな現象の分析法を教えてくれる。 その杉山が僕のほうをチラチラと見ている。きっと、新しい仕事を僕に任せても良いものかと検討しているのだ。(やばっ! 頼むから、厄介な仕事は先輩の穴沢にでもやらせてくれ)と目をそらした僕を杉山が呼んだ。「シード!来てくれ」(しまった。一瞬目が合ってしまった。)「はいっ所長。何でしょう」杉山は、乱暴に走り書きされたクライアントの連絡先を僕に渡しながら言った。「ここへ行って来てくれ。外壁に奇妙な模様が浮き出していて。気味が悪いから調査してくれという依頼だ。場所は群馬県の前橋だ。調査費に余裕が無いから在来線で行け」「ラジャー(まったくこの所長ったらケチ親父なんだから)」と思いつつも出張好きの僕は七つ道具を手に取るとすぐに研究所を出て、現場に向かった。在来線ののんびりした走りも、僕の居眠りでワープしたかのように一瞬のうちに前橋に着いたのだった。前橋駅にはクライアントの田村京子が待っていた。(ラッキー!)深田恭子似の美人だ。僕は杉山に感謝しつつ、小さくガッツポーズを決めた。このあと、とんでもない現場が僕を待っているとも知らずに。
2009.06.12
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ちょっと前の話ですが・・多分、僕が体験した最も怖かったこと・・・その日僕は地元に居て、市内を車で走っていました17号国道は交通量が多く、その日も対向車線は渋滞でした僕が走っている上り車線は珍しく空いていてあくびしている対向車線の運転手たちを尻目に快適に走っていましたその時前方の路上に白いものがもぞもぞと動いているのを発見しました犬かなと思いましたがそれにしては動きが変ですスピードを落として近づいていくとなんとそれは人間の赤ちゃんじゃないですか赤ちゃんが17号国道の車線をはいはいしていたんですその瞬間、ぼくは最高の恐怖を感じましたパニックになりながらも最も安全な方法をとらなければなりません幸か不幸か、赤ちゃんが居る付近の対向車線は渋滞でのろのろですぼくの後ろの車は数台いて、未だ赤ちゃんに気づいていないようです僕は自分の車を後続車が追い越さないように車線いっぱいに斜めに止めました車を降りクラクションを鳴らし始めた後続車に手を振って合図し赤ちゃんの所に走りましたもう、なんてかわいい赤ちゃんなんだろ男の子だ赤ちゃんを抱き上げるとさっきまでの恐怖とパニックはホッと安堵に変わりそして今度はそのこの親に対する怒りに変わって行きましたどう考えてもこの状況になる理由は思いつきませんクラクションを鳴らしていた後続車も状況を理解したらしくびっくり顔でこちらを見ていますすでに17号国道は上下車線ともに大渋滞ですでもこの赤ちゃんを僕が連れ去るわけにもいきませんあたりを見渡すと近くに中古自動車屋がありその駐車場にドアが開いたままの車が止まっていますこの赤ちゃんはあの車から這って来たのかもしれない・・ぼくは、国道の渋滞を引き起こしている自分の車をそのままに、その中古車屋に入っていきました店の中では店員と若い夫婦が商談中です見るからに馬鹿夫婦です僕は彼らに近づいていき「あのーこの子・・」と言ったとき母親がこちらを向いてその瞬間、見知らぬ男が我が子を抱いているのを見て思い切りパニック顔です僕に何か言おうとしてでも言葉になってません「この子が国道をはいはいしていたのだけれど、この子を御存知か」若い母親は「ひー」と言っただけぼくは、腹が立っていたものだから言いたいことも言えずに赤ちゃんを若い母親に渡しその店を出ました国道は完全にストップ・・やばっ僕はあわてて自分の車に走りドアを開き乗り込みましたサイドブレーキを外し発車しようと前方を見ると渋滞している対向車線の車の運転手たちがみんなこちらを向いて拍手しています前方が空いたのに発車せずに事の顛末を見ていたのでした僕は照れくさくて、あわててがらがらに空いている17号国道を走り始めましたあとで、なんだかほんのりとした感動がわいてきましたこの感動が僕へのご褒美でした
2009.06.09
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昨夜遅く秋田から戻りました肉体的疲労はあるものの新しい刺激をたくさんいただくので精神はるんるんです秋田は良いところですなにしろ酒が旨い肴が旨い飯が旨い旨い物づくしで仕上げはこれでしたこんな写真をアップすると自分の立場が危うくなるのは十分承知しているのですが・・・うにいくら丼いやもう、どうにもこうにもまいりました外食産業の研修に行ったわけではありませんちゃんと仕事もしてました今、問題のバイオマス発電所チェックバイオマス発電は環境に優しいからとかなんとか研究者の旨い言葉に乗せられて作ってしまったら最後とっても非効率的な発電を余儀なくされ赤字を累積しながら稼動し続けることになりますここにも温暖化問題を化石燃料のせいにすることで利益を受ける学者たちが国の補助金から受ける収入システムが働いていますエコという美名に隠れて旨い汁を吸っている害虫が温暖化を利用しているのです
2009.06.06
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忘れた頃になっていずものことを書いてますいずも百年の定例会の後の本番定例会は囲炉裏を囲んで燻製作ったり鍋や刺身やいったい何の勉強なんやら・・・すんまへん
2009.06.03
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