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2017、8、27今朝8時前であろうか、ふとラジオをつけるとAMのNHKで、戦時中京都にも爆撃があったということから、視覚障害を持つ若い女性がその足跡を辿るという番組をやっていた。京都という町は重要な歴史的建造物が多いことから、我々はB29の爆撃はなかったと聞かされてきた。しかし実は五回にも渡って中心部の西陣織盛んだった地区に空爆があったという。ある店ではその爆弾の破片を今でも保存していて、レポーターの女性はそれに手で触れて、当時の爆撃の恐ろしさを垣間見ていた。このレポートを行っている女性は、20歳の京都外国語大学三回生で、全盲である。彼女のレポートの目的としては、当時戦禍の中、視覚障害を持った者はどのような境遇にあり、どのように過ごしていたかというところにあるようであった。彼女の声はまだあどけなさの残る可憐でかわいいそれであったが、語る内容や、インタビューの内容、レポートのまとめ方などは見事で、放送局のアナウンサーも顔負けという地に足のついたものだった。自分が何を知りたいか、人々からどのような話を引き出したいかを心得た、いかにも頭脳明晰な若者である。まず彼女がインタビューしたのは、90歳の全盲の女性。90歳とは到底思えない若々しいその女性の声は、京都の真ん中に落ちた爆撃の後の大きな穴のこと、報道では「負傷者なし」とされたが、実は数人の死傷者がいたこと、皆がそれぞれお国のために役立つことを念頭に置いて日々を送っていた当時、視覚障害者がどれほど役立たずの厄介者として卑下されたかを語った。その次に当時の視覚障害者に関する資料や道具などを見せてもらうために、彼女はある男性を訪ねる。そこでラジオに登場した男性というのが、僕の京都府立盲学校中学部での国語の先生であった。声には当時の面影はあまり感じられなかったが、紛れもなくその先生である。無理もない、何十年という膨大な月日が流れているのだ。その次に彼女がインタビューしたのは82歳の男性。京都府立盲学校理療科で定年まで勤務し、今は京都市内で鍼灸院を経営しておられるという紹介があり、名前を聞くとこれまた懐かしいよく知っている先生。僕は高等部卒業と共に音楽の方に進んでそこを離れたので、理療科のその先生の授業は受けたことはないが、当時意気揚々とされていて、少々上から人を押さえつけるような物の言い方がある先生だったので、理療科のおにいちゃんたちと大きくぶつかって、はでな喧嘩が繰り広げられていたのでよく覚えている。宮津出身の先生は、港に停泊する日本の軍艦を狙ってB29が爆撃を始め、たまたまその辺りで遊んでいた先生を含む10人ほどの子供にも爆弾の破片が飛んできて、隣にいた友人が即死したことを語った。この先生も全盲であるが、とにかく力強く前向きな方で、おそらく子供のころから視覚障害など物ともしないやんちゃぶりだったのだろうと想像された。今朝は思わず懐かしいお名前とお声を耳にして、遠い遠い京都の盲学校時代のいろんな記憶が蘇ったひと時であった。
2017.08.27
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2017、8、23昨日夕方、部屋でマグカップに紅茶のティーパックを入れて、熱湯を注いで手を動かした瞬間にティーパックから伸びている長すぎる糸の先に付いている四角い紙に手が引っかかって、僕の左足の内側の踝の上10センチぐらいのところにペタリと落ちた。熱湯を含んだティーパックは猛烈な熱さで、急いで取り除くとヒリヒリと痛んできた。風呂場に行って水で冷やしたが、水道から出る水はまるで生ぬるいお湯のようで、これは効果はないなと思い、冷蔵庫を覗くと炭酸水が冷えていたのでそれを患部に振りかけた。後で考えると、この炭酸水というものが傷に悪い影響があったかどうか、ちょっと不安であった。冷えたことは冷えたが、何しろ痛みが和らぐまで振りかけるほどはないので、どうしたものかと考えて薬屋に向かうべく短パンをはいて外に出た。近くの馴染の喫茶店の前を通りかかると、店のママが閉店の片付けをしていたので「火傷したんです」と言って患部を見せると「ああ、それはアロエの葉を張ると一番いいんですよ」と言い、店の中に僕を座らせて、植木鉢のアロエの木から葉っぱをもぎって、それを僕の足に貼り付けてテープで固定してくれた。「薬なんか塗るよりもずっとこの方が効きます。私も商売柄よく火傷をするので、いつもこのアロエの鉢を店に置いているんです」と笑う。礼を言って部屋に戻り、一時間もするともうヒリヒリ感も痛みも消えていた。今日の朝に葉っぱを剥がし、風呂に入ると瞬間すこし痛みはあったが、今はもう擦うが叩こうが全く痛みはない。ものすごい効果だなと感心した。確かに薬を塗るよりずっと健康的で速い。しかし一体どういう理由で火傷の痛みを消すのだろう。全く不思議である。でもとにかくもし世話が難しくなければ、僕もアロエの鉢を買い求めようかと真剣に考えている。
2017.08.23
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2017、8、15演奏会のお誘いです。今年秋の10月15日(日)に、奈良県文化会館国際ホールにて、第四回NSK合唱Combinareの定期演奏会を開催いたします。この度は、ショスタコービッチのオラトリオ「森の歌」を以て奈良県の国民文化祭に参加する運びとなりました。今回は二部に演奏いたします「森の歌」に加えて、一部にはマスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」から合唱曲を二曲お届けいたします。 「森の歌」は、第二次世界大戦で焼け野原となった町に森を植林することで、自分たちの故郷を取り戻そうとする人々の復興に掛けるエネルギーと夢を描いた作品です。三拍子の魔術師と言われたマスカーニの代表作である「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、1800年代後半にシチリアの農村で実際に起こった殺人事件を題材に作られた合唱オペラですが、多くは信仰を中心に農業に従事して暮らす村人の生活が描かれており、大編成のオーケストラによる雄大で夢のように美しいマスカーニの音楽をお楽しみいただけるものと思っております。演奏会の詳細を下記に記します。当日券は出払う可能性がありますので、是非前売り券をお買い求め下さい。お問い合わせは下記の連絡先にお願いいたします。関係者一同日夜練習に励み、皆様をお待ちいたしております。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーオラトリオ「森の歌」 2017 NSK合唱Combinare[日時]2017年10月15日(日) 15:00開演(14:00開場)[会場]奈良県文化会館国際ホール 奈良市登大路町6-2 TEL:0742-23-8921[アクセス]近鉄奈良駅下車・東改札口より1番出口東へ徒歩5分[入場料]¥2,000 障がい者・サポーターペアチケット ¥2,000 子供チケット(小学生) ¥1,000※未就学児の入場はご遠慮いただきます※点字プログラムを用意いたしております※介助の必要な方はスタッフがサポートいたしますのでお申し付けください【曲目】 第1部 オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より マスカーニ:作曲 前奏曲 オレンジの花は香り 讃えまつれわが主よ 間奏曲 第2部 オラトリオ「森の歌」作品81(日本語訳演奏) D.ショスタコーヴィチ:作曲 E.ドルマトフスキイ:詩 井上頼豊/櫻井武雄:訳詩【出演】指揮:高谷光信オーケストラ:奈良交響楽団ソリスト:テノール/茶木敏行 バス/デニス・ビシュニャ合唱:NSK Combinare 合唱団児童合唱:関目東小学校合唱クラブ 城東ジュニアエコー〈主催〉NSK合唱Combinare〈後援〉奈良県・奈良市[お問い合わせ]NSK 合唱 Combinare事務局(岸本)TEL/FAX:0742-45-6386E-mail:info@nsknara.com
2017.08.15
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2017、8、14母に誘われて、満州からの引き揚げ者である80代の男性の講座を聴きに京都まで出向いた。ひと・まち交流館という公民館のような建物の畳の部屋に椅子を並べて、満杯の聴講者である。矍鑠としたおじいちゃんが出て来て話始める。彼は図書館に長く勤め、読書が大好きであるというわりには自分のことを話すのが今一つ不得手なようで、子供のころに満州で体験したことや、引き揚げて来るまでの経緯のようなものは、まるで年表を読むがごとく淡々と、且つ事実だけをさらりと語られるだけで、その時少年であった自分が何を感じたか、どのように傷ついたか、どれほどの苦悩を抱えてそれ以後の人生を送ったかなどは何も語られない。そして最後には「憲法9条を守らねば」で締めくくられる。おそらく話の流れから想像するに彼が家族と共に満州に渡ったのが6、7歳。その時異国に渡ることについての子供なりの思い、親が口にしたことなど何もなし。それからも向こうでいろいろ見たり感じたりしただろうが、それも全てすっ飛ばされた。その後敗戦を迎え引き上げる時には彼は11歳。その時どういう経緯でそうなったか全く説明はなかったのだが、彼は軍医から渡された透明の液体を一さじ病弱な妹の口に流し込んで殺害している。その時彼は何を感じたか、妹に飲ませたその一さじの液体が彼女を死に至らせると分かって行ったのか、もしくは知らずにやったのかは不明である。母親は我が娘の運命を嘆いて、そのショックから歩けなくなり病院にいたが、そこでまた彼は医者なのか軍なのか分からないが誰か大人からまた別の色の液体を渡され、それを母親に飲ませて死に至らせている。これらすべて誰かに無理矢理にやらされたのか、または引き揚げの際の足手まといとして、当時当然のように皆やっていたことなのか、そのあたりの状況も説明なし。彼の講座の後に質問コーナーがあり、聴講者がマイクを持って自分や親の戦争体験を述べて最後には誰もが「憲法9条を守らねば」で締めくくる。僕は段々うんざりして来た。もちろん皆で平和を維持することは論を待たないベースラインである。しかし僕がこの講座に期待していたことは、11歳であった彼がその時何を思い、何を決断し、どのような傷を負ったか。一人の人間の生きざまを垣間見たくて足を運んだわけで、政治的にどう動くのかはまた別の問題である。彼の眼にも止まらぬさらさらした語りの中で、いくつか「え?今なんと言った?」と言いたくなる重要な発言があった。その中の一つが、敗戦が決定された時に満州国の周りに壁が作られ、そこから日本国民が逃げられないようにしていて、日本政府は満州国に住む日本人を日本人とは見なさないと述べた。ようするに敗戦と同時に手のひらを返して、ロシア軍に対しそこに住む日本人を生贄としたのだ。しかし勇気ある三人の男性がそこからの脱出に成功し、本土に渡り、吉田茂総理と天皇に直接嘆願し、そこで初めて引き揚げが実現したのだと。これも語り手が何ら重要でもないことのようにさらりと一言語られることを僕なりに創造しながらびっくりしていたので、本当のことは曖昧跋扈としている。でもこれが真実とすると、もし三人の男性の脱出がなければ、満州国の人々はどうなっていたか、想像するだけで恐ろしい。彼は最初にこの日本国が満州国の民を生贄にしたことと、福島の原発事故を並べてテーマとしたが、ここも彼が言いたかったことを僕なりに想像すると、70年以上経っても、日本政府の腹の中は変わっていないということが言いたかったようである。とにかく痒いところに手の届かぬ語りと、彼の春の小川のようなさらさらした話し振りから、自分なりに当たりを付けて話を聞かねばならぬのとで、建物を出た時にはぐったり疲れていた。
2017.08.14
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2017、8、5プロレタリアート文学と言われている短編は、労働組合が警察に弾圧を受けたり、北海道開発でのトンネル工事での恐ろしい労働の実態などが描かれていたが、すべて事実かどうかは疑わしい。それは13日の金曜日やジェイソンよりも恐ろしいオカルトである。すべて事実をありのままに描いているとしたら、封印されて来た隔離された場所での事実の重要な記録であり、人間がどこまで他人に対して残酷になれるかを目の当たりにすることができ、それは今の我々の中にも潜在する人間という動物の正体だし、もしそれらの話が労働者の悲惨さを強調したいがために脚色を持って大袈裟に描かれているとしたら、もうこれ以上関わるべきものではないし、それはドキュメント小説としても、記録文章としても価値の全くないものであろう。ただ言えることは、大正、昭和初期の労働者の待遇は悲惨なもので、死ぬほど働いても家族がその日を食べていくことすらできなかったということだ。雇用する側から見て、会社の利益のためには他の人間の人格、尊厳をどこまで無視して、生きている他人をどこまで物として扱えるか、他人の苦しみをどこまで感じえず対応できるか、という証明でもある。現在でも動物や植物に対してそのように接しても罪とは見られない。でも僕の定義では動物や植物に愛情を注げない者は、法律、倫理や監視者がない状況の中では、必ず他人に対してもそれをやるだろう。それは人間の中で今正体を潜めているだけのことなのだ。とにかくこれらの小説を読んで思ったことは、これは小説と呼んでは差し支えるものかもしれないということである。その後僕の読書は谷崎潤一郎へと移り、初めてこの作家に触れることとなった。
2017.08.05
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