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以下、晩年の活動拠点でも訃報を報じております。クリムゾンジャズトリオ HPhttp://crimsonjazztrio.com/21ST・センチュリー・スキッツォイド・バンド HP(晩年のステージ写真がTOP画像に飾られています)http://www.21stcenturyschizoidband.com/21馬鹿バンドもマイケルの離脱後加入のイアン・ウォーレスが亡くなってしまい、今後の活動がどうなるのか・・・このまま活動しなくなるのでしょうか?アンドリュー・マクローチ加入とか無いかなぁ。キングクリムゾンHPのDGMhttp://www.dgmlive.com/index.phpと往年の仲間P・シンフィールドHPhttp://www.songsouponsea.com/でも当時の演奏を無料で聴く事が出来ます。その他、関係者ビル・ブラッフォードHPプロコルハルムHPイアン・ウォーレスの遺作となるクリムゾン・ジャズ・トリオの2NDアルバムも発表される模様
Feb 27, 2007
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-- Thursday, February 22 2007It breaks my heart to tell you all that Ian left us this morning. He slept through the night and was, to my mind, very comfortable. He was still fighting I asked him to let go and fly away...and he did.ジ・オフィシャル・イアン・ウォーレス・ウェブサイトよりDGMにもロバート・フリップのコメントが載っておりました。昨年のボズに続いてアイランド期のクリムゾンメンバーがまた一人亡くなってしまいました。彼の音楽遍歴は学生時代のジャガーズからイエスのジョン・アンダーソンの兄らとのウォーリアーズ(ジョンも参加していた)デビューを皮切りに様々な幅広い活動がありました。たぶんクリムゾンメンバーの中でもメル・コリンズと双璧をなすほどの多忙さだったのでしょう。ニール・イネスとのワールド、キングクリムゾン、アレクシス・コーナー&スネイプ、ビック・ジム・サリバンとデレク・ローレンスのリトリード関連での様々な活動(チャス&デイブ他)、納豆仲間のデビッド・リンドレー、気まぐれなボブ・ディランとの来日公演、ボニー・レイット、ライ・クーダー、ラリー・コリエル、大ベテランのロニー・マック、ピーター・フランプトン、ロビン・フォード、ジョー・ウォルシュ、ウォーレン・ジボン、ブライアン・イーノ、キース・エマーソン、ロイ・オービソン、ジャクソン・ブラウン、スティービー・ニックス、スティーブ・マリオット、CSN、プロコルハルム、アルビン・リー、スティーブ・ウインウッド、エリック・クラプトン、レッド・ツェッペリン、ピーター・バンクス、キム・ガードナー、ジャッキー・ロマックス、激渋グラハム・ベル、ヴィニー・カリウタ、ドン・ヘンリー、スティーブ・ジョーダン、ラス・カンケル、スティーブ・スミス、ジム・ケルトナー、サッカーW杯アメリカ大会等など・・・無論クリムゾン関係者との交友も忘れてはならないところ。半年間の彼の闘病生活を思うととても哀しい結果になりました。おつかれさま。ご冥福をお祈り致します。天国でボズやアレクとまた楽しく演ってくれてる事でしょう♪
Feb 24, 2007
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レアなアーティスト・ライブの発掘で好評を得ているWOWOW「ザ・ロック・マスターズ」。3月からは、ロックの花形的存在であるギタリストに焦点を当てて構成する“ロック・ギタリスト列伝”■放送予定■3月2日(金)AC/DC ライブ 1978 (1978.11.10 エセックス) 「ライヴ・ワイアー」「シン・シティ」「ザ・ロッカー」他全7曲重厚なリフとハードなブギで切り裂いたアンガス・ヤング3月9日(金)GTR ライブ 1986 (1986.9.22 ミュンヘン) 「ハート・マインド」「イマジニング、ハンター」他全8曲スティーヴ・ハウとスティーヴ・ハケットが組んだGTR3月16日(金)スティーヴ・ヒレッジ ライブ 1979 (1979.3.10 カンタベリー) 「サーモン・ソング」「ハーディ・ガーディ・マン」「イッツ・オール・トウー・マッチ」他全6曲独特のサウンドカラーが輝くスティーヴ・ヒレッジ、アルバム「L」ライブ3月23日(金)ブラフォード ライブ 1979 (1979.3.17 オクスフォード) 「サンプル・アンド・ホールド」「ヘルズ・ベルズ」「バック・トゥ・ビギニング」他全7曲ブラフォード時代のアラン・ホールズワース3月30日(金)チープ・トリック ライブ 1979 (1979.2.0 ブライトン) 「カム・オン・カム・オン」「ニード・ユア・ラブ」「サレンダー」他全8曲ポップさと職人気質とサービス精神のリック・ニールセン4月放送予定ロリー・ギャラガー ライブ 1979 (1979.1.27 ミドルエセックス) 「ドゥ・ユー・リード・ミー」「シャドウ・プレイ」「クルーズ・オン・カット」他全7曲個人的にはヒレッジのプレイに非常にそそられます♪
Feb 17, 2007
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先シリーズでも往年のウルトラシリーズ出演者や製作者が関わりまくったウルトラシリーズ。今シリーズ・メビウスでもまたまた大いに歴代の出演者達がメモリアル的に出演している。最近では佐原健二や長谷川初範(ウルトラマン80)等が出演していた。今日の放送では高峰圭二と星光子。そう、往年のウルトラマンAの二人である。南夕子役の星さんはしばらくの間ウルトラシリーズとの関わりを避けていたと聴いていたが、2004年以降、ファンの支持を受けて作品に再び関与するようになったそうである。
Feb 17, 2007
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ウチのPCではビスタは使えません。ロバート・フリップが制作に関わったらしいサウンドロゴ、どーなんでしょう?一応音だけは聞きましたが、なんかいまいちよくわかりません(笑)。
Feb 15, 2007
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黒字見こみから一転、1000億円超の巨額赤字となったオリコ。グレーゾーン金利分の返還割り当てが影響か。今後はメインバンクのみずほとの関係がどのようになるのか注目。
Feb 15, 2007
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CSIのラスベガス第6シリーズ「CSI:6 科学捜査班」4月14日(土)よりWOWOWで放映開始先シリーズの第5シリーズも3月12日より一挙放映だそうです
Feb 11, 2007
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CSI科学捜査班は現在アメリカ本国では7シリーズ目が放映されているが、日本ではWOWOWにおいてスピンオフのCSIマイアミ4とニューヨーク2が放映されているほか、東京だと地上波のテレビ東京でCSI4(本シリーズ・ラスベガス)が放映中だ。ファンの間では、なぜ「第12話 蝶の亡霊」が放映延期されたのか知りたくてテレビ東京のサイトで確認した方もおられるようであるが、都合により延期しますとのみ書かれてあったようである。先日、やっと12話が放送されたので見たのであるが確かに時期的に少々延期されたのもしょうがない内容であった。殺人事件を捜査するうちに目星を付けていた失踪した医師が細切れにされた形で発見されるかなりショッキングな展開で、放映予定の頃の実際の事件との類似性もあっての措置だったのであろう。ただ、ドラマ自体はシリアスに犯罪を追及するドラマなので扇情的な演出では無かった。
Feb 10, 2007
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60年代末期に一気に花開いた様々な形の音楽の数々。まさにアーチストの数ほどの細分化されたあらゆる可能性が提示された時期だったように思える。無論、マーケティングを充分意識したロックバンドも多かったが、それでも枠に収まらない弾けんばかりの表現衝動の発露とでも言うべきバンドも多かった時代だった。この「アサガイ」が日本のレコードでも発売された71年ごろと言うのは、混沌とした多様な市場でオシビサ共々「アフロロック」とカテゴライズされた部門がささやかに注目されていた中でもあった。メンバーの多くはアフリカ出身の在英ミュージシャン達でモンゲジ・フェザ(コルネット)ドゥドゥ・プクワナ(アルトサックス)ビゾ・ムンキカナ(テナー・サックス)フレッド・コウカー(ギター)チャールズ・オノノクボ(ベース)ルイス・モホロ(ドラムス)白人ピアニスト、クリス・マクレガーの60年代バップジャズTHE BLUE NOTESの元メンバーだったプクワナが、69年にナイジェリアに行ってコウカーと出会ったのがきっかけと言われ、ナイジェリア人のコウカーが渡英した70年末に結成の運びとなったようである。1stではヴォーカルも担当するコウカー中心としてアフリカのポピュラー音楽「ハイライフ」を反映した曲作りが行われており、これぞアフロロックと評価される個性的なサウンドが印象的であった。バンドは短命で発表後にコウカーと残りのメンバーで分裂し、別々のアサガイとして活動。2ndアルバムはコウカー抜きのバンドにマーサ・ムゲンゲをヴォーカルに迎えジェイドウォリアーもゲスト参加し発表されている。個人的には70年代にこのアルバムを探して国立駅前のレコード店まで買いに行ったのが思い出(苦笑)。フェザやモホロはオガンレコードのティペット関連の英国ジャズメンとの関わった作品等も数ある。フェザの存在はロバート・ワイアットの超歴史的名盤「ロックボトム」での疾走感溢れる素晴らしいプレイで知っている方も多いのではないだろうか?残念ながら70年代中期に早世しており、エルトン・ディーンのナインセンスのライブ盤ではフェザの楽曲が彼に捧げる形で収められてもいた。同時期のキース・ティペット・グループの2NDアルバムDEDICATED TO YOU,BUT YOU WEREN'T LISTENINGが1STと比べてプリミティヴな劇的変化を遂げたのも彼らとの交流が影響あったのだろうかと考えてしまう。70年代にはさほどプレミア扱いもされなかったアサガイであるが、近年はとんでもない値段でオークション出品されていたりもする。ヴァーティゴ・レーベルのせいなのだろう。あと一部のDJが今の時代にはありえないドズの効いた超絶ファンクに痺れて、クラブイベントに使用したりしているのも再注目される原因なのだろうか?追記/米AMPEXより74年に発売されたCharles Hilton Brown/Owad To Myselfと言う作品にてバックをアサガイが担当しており、2000年にイタリアでLPが再発売された事でアサガイへの再評価が高まったようです。
Feb 10, 2007
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1970年代、漫画雑誌の少年チャンピョンが絶頂期だった頃があった。ブラックジャックやドカベンなどに混じって連載をしていた作家に「あすなひろし」という涼やかな美しい画風の漫画家がいた。マンガ少年で当時に活躍していたひらがなのペンネームの「ますむらひろし」じゃありませんのでご注意。今から20年ほど前にあすなさんは表舞台から去り、2001年にお亡くなりになっていたのを最近知った。近年復刻本の流れで彼の作品が再評価されている。いかにもあの時代の雰囲気を感じさせる絵柄が懐かしい。あすなひろし追悼公式サイト
Feb 6, 2007
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ゴールデングローブ賞の模様を昨夜BSで見た。改めてこの賞がショービズ界に与える意義深さを実感したが、クリント・イーストウッドも受賞、こんな事を言っていた。「硫黄島の企画に出資してくれる人が最初なかなかいなかった。」結構苦労が多かったようである。西邊氏が立川談志の番組でこの映画の日本軍がなってないと批判していたが、まあ瑣末な批判でもあった。要はアメリカ側がこの映画を作ったことの意義である。政治的にはノンポリなイーストウッドが冷静に作り上げたことが評価出来ると思う。硫黄島の生き残りの人の従軍記がネットで公開されている。筆者は既に故人になられているが、その凄まじい現地体験は貴重な記録でもある。うちの父親も南方戦線で散々な目にあったと生前語っていたが、こちらの手記もまさに奇跡的に生き残った1工兵の日記である。
Feb 4, 2007
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