2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全13件 (13件中 1-13件目)
1
最近携帯ゲームにもはまってて、一時は時間があるときは常にやっている状態だった。結構難しい。爆弾をつなげていくゲームだ。(その前はたまごっちのドレミ集めにもはまってた)ゲームは単純なものなら、やり方に慣れていくにつれてすぐに上達する。上達するとつまらなくなってやめてしまう。難しいうちは、やってていらいらしてる。だけど楽しいからやっているんだろうな。ゲームと普通の生活関連付けて考えるのは変かもしれないけれど、生活だって同じ部分がある。きっと、何かを始めて難しくて唸っている時期が一番楽しいんではないだろうか。ゲームより切羽詰っている場合もあるから、すぐに上達するのを待てないときもあるかもしれないけど。後で気がついたら何回でも簡単にクリアできるのに自分でも驚いてしまう。きっとそういうもんじゃないだろうか。今度、何かをやるときに面倒くさかったり、うまくいかなくて嫌だと思ったときに、「ゲームだったら今がいちばんおもしろいところじゃないの!」と忘れないように自分に言い聞かせなくては。
2005.05.31
コメント(6)
ここ何日か、タイムトリップしたように再び新選組!にどっぷりだった。録画してあるビデオは全部見返し、感動してるし。続編ニュースが嬉しくてたまらないのだ。今日は、月曜日なので、またぐずぐずしてしまうのを避けるため、早めに散歩がてらの買い物に出かけることにした。それなのに、目指していた店に入りたい気分にならず、そのまま雨の中をテクテク。この道を行くと、有名なお寺があるなって思って散歩を続けることにした。そのお寺は、周辺緑が豊かで散歩にはもってこいな場所のような気がした。けれど、曲がり角まで来ると、なぜか足は反対方向へ向いていく。一度も行った事がない道で、昔風の商店が連なっている。知らない町を歩くのは、かなり楽しいなって思って横を見ると、「土方家」の表札の家。このあたりではまったく聞かない苗字なのだけど、頭がまだ新選組でいっぱいなので、嬉しくなる。次にある空き店舗には、「斉藤不動産」の字が。さらに嬉しくなる。次の店は小さな茶そば屋さんだったのだが、この家が近藤さんだったらおもしろいな、って思ってみると、なんと正面に、「誠」の旗とともに、近藤、土方の写真が大きく貼ってあるではないか。京都の地図もある。しげしげと見入ってしまった。感動して歩いていると、次に目に付いたのは、古ぼけたちっちゃな、「居酒屋 かっちゃん」その後も店の看板には注意して歩いた。駅からかなり離れてることもあって、チェーン店などどこにもなくて、「近江屋」などの屋号のついた店ばかり。電気商会とか、青果店とか。おもしろかったのは、「おもちゃ屋ぴーぽー」味のある店の名前ではないか。さらに、大きな看板に「レンタルパブ」と書いてある普通の店を見つけた。いったい何をレンタルするのだろう?鄙びた田舎の商店街もそうだけど、崩れそうな昭和初期頃の店もあるし、もっと古そうな建物も、あちらこちらに見受けられる。知らない街を歩くだけでなんて不思議な気分になるのだろう?
2005.05.30
コメント(8)
お久しぶりです。リバプールのCL優勝と、新選組続編決定のニュースで、気持ちが盛り上がりすぎて、とっても日記を書けるような落ち着いた気分にはなれず、でもそのどさくさにまぎれて、二階の部屋の掃除が済みました。出したゴミの多いこと!捨てるのが好きになってしまいました。これからもゴミ漁り(言葉は悪いですが)に励もうって思いました。
2005.05.30
コメント(0)
やっぱりリバプール(元バレンシア)の監督ベニテスは凄いって思う。選手の気持ちの盛り上げ方、引き締め方、采配の妙。クールなところもいい。いよいよトヨタカップで日本にお目見えすることになるけど、去年は、バレンシアの来日時に来るんだ!と思ったのに、辞任してしまって、相当がっかりした思い出がある。来日までに日本語を勉強するんだ、ってニュースを読んだばかりだったのに。バレンシアのほうは、成績は一向に上がらず、新監督が来ることのなっているらしいけど、以前のような強いチームに戻るには、どれだけかかるんだろう。五年?十年?それまでファンでいられるかどうか、試されるなあ。
2005.05.26
コメント(2)
CLの決勝戦ですね。今年のわたしのサッカーは早々と終わったかって思っていたら、まだ終わらなかった(好きなチームのバレンシアが、全般にひどい成績のため)元バレンシアの監督(uefacup優勝及びリーグ優勝)が次の年にリバプールで大耳を取れるかもしれないなんて。たぶん取れることでしょう、ベニテスならば。それぐらい、この監督には信頼感があります、バレンシアファンならば。久しぶりのサッカーの話題なのに、どこか皮肉なのは仕方ない。ベニテスが去った後の、バレンシアの惨憺たる有様、そしてベニテスが来たチームのまったく違うチームと思えるばかりの強さ。リバプールに優勝してもらいましょう、今夜は。眠れないぐらいなエキサイティングな試合を見たいなあ。---今日は二本目の投稿です。暇でしたら前のも読んでくださいな。
2005.05.25
コメント(4)
人生の目的って、夢をかなえることだろうか,何かを達成することだろうか、なりたい私になることだろうか?平穏無事に良心的に人生を終えることだろうか?天職に就いて、日々生き生きと楽しく過ごすことだろうか。そういうことも目的に違いない。前に読んだ本に、もっと簡単な人生の目的の設定の仕方が書いてあった。「人生の目的とは、日々自分が感じたこと、考えたこと、起こったことや、人と会う時間などを味わうこと」それもひとつの考えだ。そう思うと、何かを達成してもしなくてもいいって思える。達成に費やす時間を味わうことだけでも意味があるって忘れないでいられる。今日の成功は、散歩の途中で見た花の美しさに感動できたことだけでもかまわないって思える。そう思うと、人生はとってもシンプルなのかもしれない。
2005.05.25
コメント(8)
今日は満月なのに、朝からぐだぐだ。そこで、昨日思いついたことをひとつ。だめな日、つまりイメージ通りにならない日のことなんだけど、そういう日の価値だってあるはずだ。イメージ通りの日もあるし、イメージ通りの自分でいられる時もある。でも、イメージだって、いつか飛躍するはず。だめな日っていうのは、変化の予兆、私たちが変化を内包していることを証明しているんじゃないだろうか。ありきたりのイメージが変化していくには、しばらくじっとして待って、自分の中で何かが変わる時間が必要なのかもしれない。それにリズムもある。バイオリズム、潮の満ち引き、月の変化、季節の変わり目、天候の違い。地球にも宇宙にもリズムがあって絶えず変化している。だから、人間だっていろんな日があって当たり前なのだ。これには、だめな自分って言うのも当てはまる。だめな自分って自分で自分を評価するのでなく、そう思えるのは自分の考えの幅が広がってきたからかもって考えてみたい。自分がグズで、怠け者なのはよく知っているけど、いつも同じように考えるのもつまらないしね。(グズは長男長女に多いそうです)
2005.05.24
コメント(10)
自分の日記を見ていたら、引用なのか、自分で考え付いたかわからない言葉が書いてあった。「自分を全部受け入れなくては、自信を持つことはできない」かもしれないなあ。誰でも自分の好きなところと嫌いなところ、直したいところがあると思うけれど、それを全部いったん受け入れてあげる。こういう自分でも大丈夫って思えば、気持ちが優しくなれるし、行動力もつく。受け入れれば自分を嫌いなままではいられない。宇宙で唯一の自分に敬愛の気持ちだって芽生えるかもしれない。それが自信につながると思う。今日は一日中ごろごろしてる。考えてみれば月曜日はいつもそうだ。掃除も終わらず、やるつもりだったことはやってない。仕方ない。月曜日はこんなものだと思って受け入れるしかないかも。この日記を書いたらなんかほっとしたなあ。
2005.05.23
コメント(8)
失われた物が偶然持ち主の元に戻ってくる話も、よく聞く。この本(本当にあった嘘のような話)にたくさんでてくる。作家のアン・パリッシュが、休暇のシテ島の古本屋で英語版のジャックフロストを見つけた。大人になって以来どこでも眼にすることのなかった本だ。保育園のころ大好きだったのよ、と連れに言って中を見ると、保育園時代の字で自分の名前が書かれていた。有名なオーボエ奏者が散歩していると、一年前になくした日記が足元に落ちていた。ぼろぼろになっていて、表紙の詰め物がはみでていた。詰め物は新聞で、その新聞には19年前の自分の結婚式の記事が載っていた。====それで思い出したのだが、私の場合は、飼っていたミドリガメが逃げ出したことがあった。三ヶ月後、玄関の前にいたのだ。まだ小さかったけれど、間違いなく家のミドリガメだった。その晩夜京極夏彦さんの本を読んでいたら、飼っていた亀が逃げてまた、戻ってくる話が載っていた。
2005.05.23
コメント(2)
「本当にあった嘘のような話」マーティン・プリマー ブライアン・キング著「私に近い六人の他人」という映画は、六人の友人を介すると地球上のすべての人につながるっていう理論が元だと思うのだが、この本では、その実証について書いてある。そんなバカな!っていいたいほどのありえない偶然の一致の数々が書かれている。統計から確立論、宇宙論、あらゆる面から偶然の一致の面白さと不思議さが研究されている。タイタニックの悲劇の起こる14年前にタイタン号の悲劇として書かれた小説は、乗客や乗務員の数、救命ボートの数、大きさなどの数字がほとんど一致していて、事件の起こった細部まで類似していることとか、ネブラスカ洲のベアトリス教会では、午後七時に聖歌隊の練習が行われていたが、ある夜、その時刻ちょうどに爆発がおき全壊した。ところがその日、いつもは時間に正確な聖歌隊のメンバーはそれぞれが何らかの理由で遅刻して、十五人全員が事故をまぬがれたとか、ジェームス・ディーンを事故死させた車はガレージにはこばれる際整備士の足に落下して骨折させ、エンジンを買った医師は事故死し、ドライブシャフトを搭載した車も事故を起こし、ドライバーは同じく死んだ。車体を展示したショールームは火災にあった。誰にもシンクロニシティの不思議な体験があると思う。地球上に六十億もの人が生きていれば、三回連続して巨額賞金の宝くじが当たる人がいてもおかしくないし、三回結婚して、その三人の夫すべてが雷に打たれて死ぬのも不思議ではないかもしれない。でもそんな体験が、いざ自分の身におこると、やっぱり世界の不思議さに感銘を受ける。海外旅行の出先で友人にばったり会ったことが二回ある。一人は中国のホテルのロビーで、一人はバングラデッシュの空港の土産物屋の中でだ。もし一分でも時間がずれていたり、五十メートルでも距離が離れていれば会えないはずなのだ。シンクロニシティが頻繁に起こる週とかぜんぜん起こらない週もある。人は自分の意思で動き回っているつもりでも、量子のゆらぎやらカオスや類似なものはひきあう法則に取り囲まれているのかもしれない。こういう偶然の一致は、ありふれていることでもあるけれど、理由も意味もわからないから、この本でも言っているようにバーでの会話のネタ程度の話題なのかもしれない。それでも、このシンクロニシティ、あるいは共時性、偶然の一致に興味があったり身の回りによく起こる人は、そうでない人より幸福度が高いという研究結果があるようだ。カナダの学者スティーブン・ラドキーの調査によると、共時性に親近感を持つ人は世界を居心地よく秩序だっていると考えていて、こちらの働きに答えてくれる場所だと思っている。よっていつも幸福を感じている。偶然の一致が起こると気持ちが高揚する。単なる話の種って思ってもいいけれど、役に立つって思うともっと楽しいかもしれない。
2005.05.22
コメント(8)
斉藤孝氏の「呼吸入門」を読みました。ここで紹介されている呼吸法は、三秒で吸って二秒止めて十五秒で吐く、方法。やってみると、とっても効果的。疲れていてもすぐに直るし、気持ちもいい。気分も変わります。これは呼吸の型だと氏はおっしゃっていますが、そういう型を方法として持っているのは心強いなって気がします。自分の芯にすぐ戻れる方法。自分の中心と常につながっていることができるような感じ。困ったときに呼吸。弱っているいるときに呼吸。元気なときも呼吸。暇なときにも呼吸。呼吸を意識すると、現在に焦点をおいて生きるのが簡単になります。だから呼吸を大事にしたいって思います。=====ですます調で書いたらどうも書きにくい。でもちょっと続けてやってみようと思います。
2005.05.21
コメント(6)
昨日書いたことと矛盾してるけど、うまくいけ!って気持ちも時と場合何だなって思う。最近習慣にしてることは、鏡を見るとき、自分の粗を探すのではなくて、自分に心の中で声をかけてあげること。「うまくいくよ。大丈夫」とか、「宇宙は完璧、私は完璧、この瞬間は完璧」とか。気持ちは盛り上がるし、やる気もでる。世界に唯一味方がいるとすれば、それは自分。結局人からどう思われるか気にすることより、自分が自分をどう思うかが大切なんではないかな。
2005.05.20
コメント(6)
お久しぶりです。今日で四百日。しばらく忙しい日が続いて、その後回復期間が必要で、またまたお掃除な日々でした。先月一年たっていたのに、書き込めなくてそのまま。いつもご無沙汰しております。本はたくさん読んだのですが、その話題はまたそのうち。何かをやるとき、うまくいけばいいって思うのは雑念だなって思う。前は日記を書くときも、うまく書こうって思う気持ちがどこかにあった。そういうのって疲れるんだよね。もっと気楽に、自分そのままでいいんじゃないかって思う。それが課題かな。雑念ならそっちのほうがいい。今朝は、一応今日やりたいことのリストを作ったのだけど、日記の再開はリストの中のひとつでした。電話をかけるとかケーキを焼くとか、郵便を送るとか他にもあるけど、リストを消化していくのって気持ちがいいな。二回の部屋の片付けは、もう何日もかかっている。日記タイトル変えました。
2005.05.19
コメント(14)
全13件 (13件中 1-13件目)
1