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香港では9月29日に8万とも10万とも言われる人が政治経済の中心部に集まるという事態になった。9月26日に約200名の学生が立ち入り禁止になっていた地区に突入、警官隊が暴力的に排除しようとして28日夜から29日未明にかけて催涙弾などを発射、数千人の学生を刺激したことが発端だったようだ。 この抗議活動は9月の初めに一部の学生リーダーが「失敗」を宣言する事態になっていた。学生が棍棒を持ち出すなど暴力的な行為に出たために市民が離反したことが原因だったという。抗議活動の終結を望まない勢力が数週間で態勢を立て直したということだが、その背後にアメリカとイギリスが存在すると推測する人は少なくない。 過去、アメリカやイギリスはクーデターの前段階にメディアを使ったプロパガンダ、学生や労働組合による抗議活動を行って社会を不安定化させてきた。例えば、インドネシアでは、1965年にアハマド・スカルノ政権をクーデターで倒したが、このクーデターでは大学生が重要な役割を果たしている。スカルノを排除した大きな理由は、外交面で非同盟運動を推進、国内では外国資産の国有化をはじめたためだ。 沖縄、フィリピン、台湾、シンガポールなどで訓練した戦闘員に武装蜂起させる一方、アメリカは貴族階級出身の若者を取り込み、手駒として使っていた。この工作ではフォード財団が若者をアメリカへ留学させ、そこで「親米化教育」をしている。協力した大学にはカリフォルニア大学バークレー校、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学、コーネル大学などがある。こうした学生は「バークレー・ボーイズ」とか「バークレー・マフィア」と呼ばれている。 そして1965年9月30日、若手将校が6名の将軍を誘拐のうえ殺害、この混乱を利用して反スカルノ派が実権を握る。翌年の3月にはスカルノを排除してスハルトを中心とする親米派の政権ができあがったのだが、この間、親米派に殺された人の数は30万から100万人と推計されている。 1980年代から新自由主義が導入されてきた中国の場合も、政府幹部を含む多くの人が子どもをアメリカへ留学させているが、当然のことながら「親米化教育」を受け、利己主義、性的快楽、そして物欲を肯定する考え方が植え付けられる。こうした若者が中国の親米ネットワークを形成することをアメリカの支配層は狙っているわけだ。実際、若手エリートの多くは親米派だと言われている。 ここにきてアメリカが「唯一の超大国」として世界制覇を狙い、リビア、シリア、イランなどだけでなく、ロシアや中国も属国化しようと目論んでいることが明確になった。そのために中国とロシアは関係を強めているわけだが、中国に存在する親米ネットワークが「トロイの木馬」になる可能性は否定できない。 香港で抗議活動を行っている学生は「政治の民主化」を訴えているようだが、「経済の公正化」という話は聞かない。環境を考えずに「自由選挙」が実施されれば、資金力のある少数のグループが権力を握るだけである。これはアメリカや日本を見るだけでもわかるだろう。ちなみに、最も資金力のあるグループとはアメリカの巨大資本にほかならない。一部のNGOがその手先になっている。 1990年代に入って人種隔離政策を終わらせた南アフリカでは「政治の民主化」を実現したものの、経済の不公正な仕組みは温存され、欧米の巨大資本は利権を維持、貧富の格差は解消されていない。そのため指導者のネルソン・マンデラは欧米から歓迎され、1993年にノーベル平和賞を授与されている。公正な社会を望む人びとからマンデラが批判される理由もここにある。 中国でも庶民の間では不公正な社会システムに対する不満が高まっているようだが、それに対して香港/中国で「民主化」を求める学生はどう考えているのかを表明する義務がある。社会的な不公正はエリート優遇と裏表一体の関係にあり、エリート予備軍とも言える学生は自分たちの生き方が問われているとも言える。公正な社会を求めるならば、新自由主義、つまりアメリカ的なシステムを否定しなければならない。
2014.09.30
IS(ISIS、ISIL、IEILとも表記)はサウジアラビアをはじめとするペルシャ湾岸産油国をスポンサーしているが、それだけでなく、制圧した油田地帯で移動式の精製装置をトルコから入手、1日に200万ドル分の石油を生産、販売していると言われている。販売先と噂されているのはトルコやイスラエル。ロシアとの石油/天然ガス取引でもめているウクライナも有力候補だ。 勿論、生産しても売れなければ仕方がない。その販売をARAMCOが請け負っているとする情報も流れていた。ARAMCOは、SOCAL(スタンダード石油カリフォルニア)、テキサコ、スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー、ソコニー・バキューム(後のモービル)が出資、重役の多くがCIAとつながっていると信じられている。 アメリカ政府がその気になれば、石油の販売ルートを断つことは難しくないだろう。例えば、1951年にイランがAIOC(アングロ・イラニアン石油)を国有化した際、会社側は石油の生産と輸送を止めることで対抗している。ISの場合、生産はしているが、輸送は大きな問題。 まずオープン・マーケットで売却しようと試みるが、失敗。そこでイタリア石油公団のエンリコ・マッティ総裁に接触、当初の感触は良かったらしいが、裏でAIOCはマッティと取り引きすることに成功、イランとの交渉は決裂した。次にイランが接触した相手がソ連だった。 AIOCの後ろ盾はイギリス政府。そのイギリスで1951年に政権が労働党から保守党に移り、ウィンストン・チャーチルが首相へ返り咲いてイランへの介入を強める。そして、アメリカのアレン・ダレスに接触してクーデターに向かった進み始めた。 アメリカでは1953年に共和党のドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任、ジョン・フォスター・ダレスが国務長官に、アレン・ダレスがCIA長官になる。この年の3月にアイゼンハワー政権はクーデター計画を承認、「エイジャクス(アイアース:トロイ戦争の英雄)作戦」が練り上げられ、8月に実行された。 つまり、石油を生産できてもアメリカ政府がその気になれば、カネにすることは困難だということ。今でも基本的に同じだ。ISが石油で資金を調達しているとするならば、それはアメリカ政府が容認していることを意味している。
2014.09.29
アメリカ政府がIS(イスラム首長国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)に対する攻撃を口にしはじめた直後から、本当の目的はバシャール・アル・アサド体制の打倒ではないかと言われてきた。その推測を裏付けるような発言をアメリカのチャック・ヘイゲル国防長官とマーチン・デンプシー統合参謀本部議長が9月26日にしている。「飛行禁止空域」を設定する可能性について言及したのだ。 シリアとほぼ同じ頃に始めたリビアの体制転覆プロジェクトで、アメリカ/NATOはまず「市民を守る」という口実で「飛行禁止空域」を設定、リビア軍を空爆で叩く一方、地上ではアル・カイダ系の戦闘集団のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)を使っていた。軍事衝突が始まった直後、ムアンマル・アル・カダフィは反政府派とアル・カイダを結びつける発言をしていたが、それに留まらず、アメリカ/NATOもつながっていたのである。 この「リビア方式」をシリアで実行することはロシアが抵抗して実現しなかったわけだが、そのプランを再び持ち出してきた。それだけでなく、ヘイゲル長官とデンプシー議長は1万2000から1万5000名の反シリア政府軍の「穏健派」を訓練する必要性も口にしている。 この訓練もISを口実に使っているが、「穏健派」もISも戦闘員は重なっている。前にも書いたことだが、昨年、ジョン・マケイン上院議員がトルコからシリアへ密入国して参加した会議には、「穏健派」とされるFSAのイドリス・サレム准将がISを指揮していたイブラヒム・アル・バドリー(アブ・バクル・アル・バグダディ)と同席していたことを示す写真がある。飛行禁止空域の設定や反シリア政府軍戦闘員の訓練はアサド体制を倒すことが目的だとしか考えられない。 ところで、ISを西側メディアはISISと表記することが多い。エジプト神話に登場する女神のイシスと同じだ。オシリスの妹にして妻。ホルスの母親でもある。ナチスにつながるカルトの信者にとってホルスの時代とは、キリスト教にかわって力、世界戦争、世界規模の殺戮が現れる時期だという。
2014.09.28
日本でも外国でも子どもを操るため、「怖い鬼」の話をして脅す。おとなが相手の場合は「地獄」を描いて見せた。20世紀には「アカ」、21世紀に入ると「アル・カイダ」をアメリカ支配層は作りだし、侵略戦争を正当化するために利用してきた。戦争を続ける大きな目的のひとつは、中東/北アフリカから巨大資本のカネ儲けシステムにとって邪魔な体制を排除すること。これに「大イスラエル構想」がプラスされる。 ところが、リビアの体制を倒す際にアル・カイダ系武装集団を使っていたことが発覚、シリアでの体制転覆プロジェクトで「アル・カイダ」の雇い主がサウジアラビアやカタールといったペルシャ湾岸の産油国だということも広く知られるようになった。こうなると「アル・カイダ」という名称は賞味期限切れ。そこで新たな「恐怖の象徴」として出てきたのがIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)だ。最近では「コラサン」なる集団を売り出そうとしている。 多くの人が「アル・カイダ」という存在を知ったのは2001年9月11日以降だろう。この日、アメリカではハリウッド映画を彷彿とさせる出来事、つまりニューヨークにある世界貿易センターに航空機が突入、そしてワシントンDCにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて超高層ビルが崩壊したのである。攻撃の直後、アメリカ政府は実行犯だとして「アル・カイダ」を持ち出したわけだ。 この「アル・カイダ」はアラビア語で「ベース/基地」を意味し、ロビン・クック元英外相も言っていたように、CIAに雇われて訓練を受けた「ムジャヒディン」、つまりイスラム系戦闘員のコンピュータ・ファイル(データベース)。 アメリカの支配層が西アジアを支配する手先としてイスラム原理主義者に目をつけたのは1950年代だったと言われている。ガマール・アブドル・ナセルが進めていたアラブ民族主義に対抗することが理由だったようだ。パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めたナシルラー・ババールバナジルによると、1973年からアメリカ政府はアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめている。 そして1979年4月、大統領補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーはNSC(国家安全保障会議)でアフガニスタンの反体制派への「同情」を訴え、CIAの支援が始まる。そして作り出されたのがイスラム武装勢力であり、その中から「アル・カイダ」は生み出された。1980年代、こうした武装勢力をアメリカ政府は「自由の戦士」と呼んでいた。 現在、アメリカ政府はウクライナでネオ・ナチを「自由の戦士」として扱っている。21世紀になってから露骨な嘘を繰り返し口にしてきたアメリカ政府だが、シリアやウクライナでも新たな嘘をついている。その嘘を信じるのは相当の虚け者。「優秀な頭脳」を持つ記者、編集者、あるいは学者が騙されるとは思えない。彼らはそうしたことを理解、自分たちの個人的な利益のために侵略を肯定し、破壊と殺戮を容認しているということだ。アメリカへ追随することが自分たちの利益にならないと多くの人びとが考えるようになったとき、つまり「欲ボケ」から目覚めたとき、アメリカの世界制覇プランは崩壊する。
2014.09.28
シリア領内にあるIS(イスラム首長国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)の拠点をアメリカ軍が空爆したのは9月23日。いくつかの野営地が放棄され、ひとつのビルが破壊されて避難していた市民が犠牲になり、ISの重要拠点も破壊されて多くの戦闘員が殺されたと報道された。アメリカ/NATOやペルシャ湾岸の産油国に支援されてきた反政府軍は、シリア政府軍が攻撃されなかったことを怒っているともされている。 それに対し、現地で取材していたCNNのアーワ・デイモンは24日朝の放送で、ISの戦闘員は空爆の前に極秘情報を入手、攻撃の15から20日前に戦闘員は避難して住民の中に紛れ込んでいたと伝えた。破壊されたビルは蛻けの殻だったということ。 デイモンが上司に無断で事実を伝えたのか、あるいは単に口が滑ったのかは不明だが、このレポートは話題になっている。本ブログでは「攻撃情報がIS側へ流れていたとしても不思議ではない。」と書いたが、実際にそういうことがあった可能性が高まった。 2011年3月にシリアでバシャール・アル・アサド体制の打倒を目指す戦力が武装蜂起した頃から、トルコにある米空軍インシルリク基地ではアメリカの情報機関員や特殊部隊員が、イギリスやフランスの特殊部隊員と共同で反シリア政府軍を訓練している。 アメリカの特殊部隊は正規軍よりCIAに近い存在。例えば、アメリカがベトナムへ本格的な軍事介入をするきっかけになった「トンキン湾事件」を引き起こしたのも、またベトナム戦争の際に住民を大量虐殺したフェニックス・プログラムを実行したのもCIA/特殊部隊だった。 ラオスでアメリカのMACV-SOGが1970年にサリンを使ったとCNNは1998年に報道した。作戦名は「テイルウィンド(追い風)」。後にCNNの上層部は誤報だとして報道を取り消すが、番組を担当したふたりのプロデューサー、ジャック・スミスとエイプリル・オリバーは報道を事実だとして譲らず、解雇されている。その後、CNNは支配層の完全なプロパガンダ機関になった。 ちなみに、CNN取材陣の重要な情報提供者だったトーマス・ムーラー提督は問題の時期に統合参謀本部の議長を務めていた。つまり正規軍のトップ。CIA/特殊部隊の作戦には参加していないが、軍情報部から作戦に関する報告は受けていた。 CIA/特殊部隊の人脈をたどると、第2次世界大戦の終盤に編成されたジェドバラにたどり着く。ドイツ軍がソ連軍に敗れて壊滅状態になっていた1944年、アメリカとイギリスの破壊活動部門が中心になって作られた組織で、戦後はOPC(後にCIAの破壊工作部門になる)、あるいはイタリアのグラディオをはじめとするNATOの秘密部隊につながる。大戦後、アメリカがナチスの残党を助け、雇ったこととも密接な関係がある。 「人道」なるフレーズを振りかざしながら破壊と殺戮を進めるグループにはサマンサ・パワー米国連大使も含まれている。この女性はバシャール・アル・アサド政権の打倒を第一に考え、シリア領への空爆もアサド体制を倒すことが目的でなければならないとしている。反シリア政府軍と同じ立場だ。
2014.09.27
シリア領内をアメリカ軍が空爆した理由はIS(イスラム首長国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)の殲滅らしいが、そのISより凶暴なアル・カイダ系武装集団「コラサン」が存在すると西側メディアは宣伝しはじめている。CBSテレビにはマイク・モレル元CIA副長官が登場、「解説」していたが、その中で西側の人間をリクルートしていると指摘している。今後、西側諸国で監視/管理強化、つまりファシズム化をさらに推進するつもりなのかもしれない。 アメリカ政府はアル・カイダに矛盾したふたつの役割を演じさせてきた。リビアやシリアで明確になったように、ひとつの役割はターゲット国の体制を倒すための地上軍。もうひとつはアメリカ/NATOの軍事作戦を容認させるための「テロリスト」としての役割。日本のマスコミは「伝統」に則り、こうした事実を「見猿、聞か猿、言わ猿」だ。 戦争を継続するためにアメリカ/NATOは恐怖心を煽らなければならない。そのために「妖怪」が作り出されてきたわけだが、人びとを脅すためには「より恐ろしい妖怪」が必要になり、「ドラゴンボール症候群」に陥ってしまったようだ。 1970年にズビグネフ・ブレジンスキーはイスラム系武装集団を編成、ソ連軍をアフガニスタンに引き入れてソ連に「ベトナム戦争」を味合わせることに成功したが、その武装集団の中からアル・カイダは生み出された。何度も書いたことだが、アル・カイダはCIAに雇われ、訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル(データベース)にすぎず、統一した戦略や指揮系統は存在しない。プロジェクトが計画されると戦闘員として派遣されるだけだ。 プロジェクトを計画するのはアメリカ、カネを出すのはサウジアラビアというパターンが基本。長い間、アル・カイダを雇ってきたのはバンダル・ビン・スルタン。しばしば「バンダル・ブッシュ」と呼ばれるほどアメリカ、特にブッシュ家と関係が深い。 スルタンはアフガニスタン、イラン、ニカラグアの反革命ゲリラを支援する工作が本格化した1983年からアメリカ軍がイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒し、フセインの裁判が行われた2005年まで駐米サウジアラビア大使、2012年から今年まで総合情報庁長官を務めていた。 4月15日、彼は「健康上の理由」で総合情報庁長官を辞職して姿を消すのだが、今は国家安全保障問題担当顧問だ。現在、アル・カイダはサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子が動かしていると言われているが、スルタンの影響力が消えたわけではないだろう。 中東にしろ、アフリカにしろ、ウクライナにしろ、破壊と殺戮の根本には「永久戦争」を目論んでいるようにしか見えないアメリカ、サウジアラビア、イスラエルの三国同盟が存在している。中には「パックス・アメリカーナ」を肯定的にとらえている人もいるようだが、これは武力による独裁体制。ジョン・F・ケネディ大統領が言ったように、それは「墓場の平和」であり、「奴隷の安全」であるにすぎない。真の平和を望むなら、この極悪同盟に立ち向かい、押さえ込む必要がある。
2014.09.26
ドネツク近郊で集団墓地が3カ所で発見されたことをOSCE(欧州安全保障機構)が確認した。そこはキエフ政権がネオ・ナチを中心に編成した親衛隊の駐屯していた地域。死体は手を縛られ、頭部に銃弾の後があることから処刑された可能性が高い。中には頭部が胴体から切り離されているものもあり、ISと同じようなことをしているのだろう。埋葬されているのは親衛隊に殺害された住民だとみられている。 こうした処刑だけでなく、キエフ政権の送り込んだ部隊は住宅地を攻撃、多くの住民を殺してきた。民族浄化の一環であり、その黒幕はドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事だと言われている。イスラエルとウクライナの市民権を持つ「オリガルヒ」で、スイスのジュネーブを生活の拠点にしている人物だ。 このコロモイスキーを知事に任命したのはアルセニー・ヤツェニュク首相、そのヤツェニュクをクーデター前から高く評価していたのがアメリカ国務省のビクトリア・ヌランド次官補。このヌランドの夫、ロバート・ケーガンはネオコン(親イスラエル派)の大物。1992年にアメリカ国防総省で作成されたDPG(国防計画指針)、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」に基づいてネオコン系シンクタンクPNACが2000年に発表した報告書「米国防の再構築」を執筆したひとり。 DPGはアメリカを「唯一の超大国」と位置づけるところから始まる。1992年のロシアは西側の傀儡、ボリス・エリツィンが大統領だったこともあり、ロシアはアメリカの属国に近い存在になっていた。中国ではアメリカ帰りの若手エリートがアメリカを崇拝、21世紀の「世界秩序」はアメリカ支配層を中心に築かれるように見えた。 この「新秩序」の前に立ちはだかったのがエリツィンに継いでロシアの大統領に就任したウラジミール・プーチン。アメリカ支配層の前に全人類がひれ伏す「新秩序」は大きく揺らいでいる。バラク・オバマ米大統領はそうした状況に苛立っている。 コロモイスキーは5月2日にオデッサで引き起こされた住民虐殺の黒幕グループにも属している。その10日前、ジョー・バイデン米副大統領のキエフ訪問にタイミングを合わせてオデッサでの工作について話し合いがあった。 その会議に出席していたのはコロモイスキーのほか、アレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行、アルセン・アバコフ内相代行、バレンティン・ナリバイチェンコSBU(治安機関ですでにCIAの下部機関化)長官代行、ネオ・ナチのアンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行。2月のクーデターでネオ・ナチの武装集団を指揮、狙撃の責任者とも言われているのがパルビーだ。 クーデター後もウクライナでは正規軍、情報機関、治安機関の内部には、西側を後ろ盾とし、オリガルヒとネオ・ナチを屋台骨とするキエフ政権に反発する人が少なくない。そのため、ネオ・ナチを中心に親衛隊やいくつかの武装集団を組織して東部や南部で民族浄化を進めたわけだ。 作戦の性格上、住民の虐殺は必然だったが、東/南部の制圧に失敗した現在、住民に武器を向けるように命令していないとヤツェニュク首相は言い張り、責任を回避しようとしている。その一方、NATOは戦闘態勢を整え、正規軍の内部を粛清し、ネオ・ナチの親衛隊を強化して東/南部を制圧するチャンスを待つ腹だろう。日本のマスコミも、そうした好戦派を支援し続けている。
2014.09.25
イラク人やシリア人だけでなく、アメリカ人の首を切ったIS(イスラム首長国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)を殲滅するという名目でアメリカ軍がシリア領を空爆した。そのISに対抗させるため、反シリア政府軍の「穏健派」を支援するともいう。 今回の空爆をアメリカは「自衛権の行使」だと主張しているようだが、もし日本が集団的自衛権を認めていたなら、日本もシリア攻撃に参加することになった。「ISとの戦争」の先にはアサド政権の打倒が見える。つまりシリア侵略。アメリカ政府の主張を大々的に宣伝するということは、侵略を後押しすることを意味する。 サマンサ・パワー米国連大使によると、その支援にはシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すことも目的に含まれている。パワーはアメリカがユーゴスラビアに対して先制攻撃した際、その攻撃を正当化するためのプロパガンダに参加、ピューリッツァー賞を授与されている。 アメリカの国防総省でポール・ウォルフォウィッツを中心とするネオコンのグループが世界制覇プランを作成していたころ、ユーゴスラビアを「悪魔化」する宣伝は始まっていた。そうした偽情報のひとつが1992年に伝えられたボスニアにおけるセルビア兵による少女レイプ。 これを伝えたのはニューズデーのロイ・ガットマンだが、誤報だったことは別のジャーナリスト、アレクサンドラ・スティグルマイアーやマーティン・レットマイアーらによって確認されている。 ガットマンの情報源だったヤドランカ・シゲリはクロアチアの与党で民族主義の政党、HDZ(クロアチア民主団)の副党首。しかも、クロアチアの亡命者が創設したプロパガンダ組織CIC(クロアチア情報センター)のザグレブ事務所の責任者でもあった。なお、ICRC(赤十字国際委員会)によると、セルビア人による組織的なレイプが行われた証拠はない。 こうしたプロパガンダが延々と続けられ、1998年にマデリーン・オルブライト国務長官が空爆の支持を表明、99年にNATOはユーゴスラビアを攻撃したわけだ。その際、スロボダン・ミロシェビッチ大統領の自宅だけでなく、中国大使館も爆撃されている。ちなみに、オルブライトはズビグネフ・ブレジンスキーの教え子で、スーザン・ライス安全保障問題担当大統領補佐官の母親はオルブライトと親しく、スーザン自身も小さい頃からオルブライトと顔見知り。 ところで、アサド体制の打倒はイスラエル政府も望んでいる。例えば、駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンは退任前、イスラエルはシリアの体制転覆が希望であり、アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。 パワーやオーレンと立場が近いジョン・マケイン米上院議員は昨年、トルコからシリアへ密入国、ある会議に出席している。その席にはFSA、アメリカ政府が言うところの「穏健派」のイドリス・サレム准将、そしてアメリカ政府が空爆の口実に使っているISを指揮していたイブラヒム・アル・バドリー(アブ・バクル・アル・バグダディ)も同席していたとされている。ネオコン、FSA、ISはつながっていると見なければならない。 ISは2004年に創設されたAQI(イラクのアル・カイダ)を中心にして生まれた戦闘集団。その2年後にISI(イラクのイスラム国)が編成され、2010年に現在の体制ができあがっている。名前の通り、当時はイラクで活動、シリアはアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員らがトルコの米空軍インシルリク基地で訓練していたFSAが政府軍と戦っていた。 リビアでアメリカ/NATOの地上部隊として動いたいたのがアル・カイダ系のLIFGだが、ムアンマル・アル・カダフィ体制が倒れると、アル・カイダの戦闘員はシリアやイラクへ移動していく。その際、マークを消したNATOの軍用機がシリアとの国境に近いトルコの軍事基地へ武器と戦闘員を運んだと言われている。 その後、シリアの体制を転覆させるプロジェクトはアル・カイダ系の戦闘集団を使うようになる。そして2012年には、ヨルダン北部に設置された秘密基地で反シリア軍戦闘員をアメリカの情報機関や特殊部隊が訓練した。このことはドイツのスピーゲル誌やイギリスのガーディアン紙など西側のメディアも伝えている。当時の状況を考えればアル・カイダ系の戦闘員を訓練していたはずで、その中にはISの中心メンバーも含まれていた。 何度も書いたことで恐縮だが、ISはアメリカ/NATO、ペルシャ湾岸産油国、そして恐らくイスラエルが作り上げたモンスター。このモンスターがコントロール不能になったとする見方もあるが、現在の動きを見ているとアメリカ/NATOと連携している、つまりアメリカ政府が黒幕である可能性が高いように思える。
2014.09.25
アメリカ/NATOを後ろ盾とするウクライナのキエフ政権は東部や南部の制圧を目指していたが、失敗。分離独立派(ルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国)と停戦で合意した。キエフ政権を支えるオリガルヒとネオ・ナチを東部や南部の住民は拒否しているが、それだけでなく、正規軍、情報機関、治安機関の内部にも反発する人が少なくないことがキエフ軍敗北の大きな要因だろう。 ジャーナリストのウィリアム・エングダールによると、停戦の前、キエフ軍は少なからぬ部隊が崩壊していた。ルガンスクの北部を除く地域で大隊の司令官たちは政権に無断で前線から撤退するように命令、ネオコンの代理人的な存在であるアルセニー・ヤツェニュク首相や民族浄化の黒幕と言われるオリガルヒ(一種の政商)であるドニエプロペトロフスクのイホール・コロモイスキー知事はパニック状態になったという。 壊滅したのは第1機甲旅団、第24機械化旅団、第30機械化旅団、第51機械化旅団、第72機械化旅団、第79航空旅団、第92機械化旅団。大きな損害を受けたとされているのは第25航空旅団、第95航空旅団、第17戦車旅団、第128機械化旅団。 ヤツェニュクやコロモイスキーのようにアメリカ(ネオコン)を後ろ盾とし、ネオ・ナチを使っている勢力はイホール・コロモイスキー大統領を倒すクーデターを計画していると噂されてきたが、ネオ・ナチを投入して民族浄化を進めていた東部地域で敗北したことによって難しくなった可能性が高い。 こうした展開になった最大の理由は今年2月のクーデターがネオ・ナチによるもので、好意的に見ているウクライナ人は多くないということにある。民族浄化で多くの住民を殺傷した現在、東部や南部でキエフ政権を支持しているのは西部からの新入植者やネオ・ナチの信奉者くらいだろう。 このネオ・ナチによるクーデターを「民主化」と西側メディアは宣伝し、それを真に受けたのか、「リベラル派」や「革新勢力」を自称する人たちも同じようなことを言っていた。この前提から出発すると、民主化であるからには多くの市民が支持しているはずで、東部や南部でキエフ政権が敗北するはずはなく、負けたとしたらロシア軍が介入したからだと言わざるをえなくなる。 そこで存在しないロシア軍があたかもいるかのように伝えるわけだが、証拠らしい証拠は示せない。そこで巨大なネットワークを持つメディアが大音量で宣伝、洗脳しようとするわけだ。幼稚な手法だが、「インテリ」と言われている人でも結構、騙されている。騙された振りをしている人も少なくないだろうが、本当に信じている人もいた。 脅せば誰でも屈服するとネオコンは信じているようだが、ロシアは違った。脅しをエスカレートさせれば核戦争になるわけだが、バラク・オバマ米大統領はこれを口実にして核兵器産業を儲けさせようとしている。時代遅れの核兵器を近代化するため、今後30年間に9000億ドルから1兆ドルを投入するのだという。アメリカの一部勢力を後ろ盾として核兵器の開発を進め、中国と核兵器を撃ち合うつもりらしい日本としても歓迎すべきことなのだろう。 アメリカの好戦派はロシアや中国との核戦争に前向きだ。1950年代から60年代の初めと似た雰囲気だと言えるだろう。そうした雰囲気を示す論文が2006年にフォーリン・アフェアーズ誌が掲載した。 執筆したのはキール・リーバーとダリル・プレス。アメリカが核兵器のシステムを向上させているのに対し、ロシアの武器は急激に衰え、中国は核兵器の近代化に手間取っていると主張、アメリカはロシアと中国の長距離核兵器を第1撃で破壊できるとしている。つまり、核兵器で先制攻撃すれば完勝できるというわけだ。自分たちが撃ち込んだ核兵器によってもたらされる放射能汚染のことなど考えていない。アメリカが核攻撃の準備をする状況になれば、日米の密約に従って核兵器が沖縄にも運び込まれる。
2014.09.24
アメリカ軍が親米イスラム国を引き連れてシリア領内を空爆した。シリア政府やロシア政府は、攻撃の前にシリア政府の合意が必要だとしていたが、今回、アメリカ政府は事前にシリア政府へ通告していたという。 攻撃のターゲットはIS(イスラム首長国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)の拠点で、B-1爆撃機のほか、F-22、F-16、F-15、F/A-18などが参加、紅海から巡航ミサイルも撃ち込んだと報道されている。サウジアラビア、ヨルダン、バーレーン、アラブ首長国連邦も参加したという。アメリカをはじめ、攻撃したのはISを創設、支援、訓練してきた国々だ。攻撃情報がIS側へ流れていたとしても不思議ではない。 こうした国々はシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒そうとしてきた。体制打倒のプロジェクトを顕在化させた2011年春、トルコにある米空軍インシルリク基地でアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員らが訓練していたのはFSA(自由シリア軍)。この戦闘集団もシリア国民に支持されていたわけでなく、体制転覆は実現できなかった。 同じ頃、リビアではアル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)がNATOの地上軍としてムアンマル・アル・カダフィ体制の転覆を目指していた。LIFGの創設は1995年だが、その中核メンバーは1980年代にアフガニスタンでアメリカ政府の傭兵としてソ連軍と戦っていた。 リビアではNATOの空爆が実現、LIFGとの連携で2011年10月にカダフィの殺害に成功してプロジェクトは一段落、武器や戦闘員の多くはシリアへ移動した。その際、マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。 リビアから武器を運び出す拠点になっていたと言われているのがベンガジのアメリカ領事館。2012年9月に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使を含むアメリカ人4名が殺された場所だ。そこから流れ出た武器の一部がISへ渡ったことをアメリカ空軍のトーマス・マキナニー中将も認めている。 これ以降、シリアで戦う反政府軍の主力はアル・カイダ系武装集団になる。その中から出てきたのがIS。2004年にAQI(イラクのアル・カイダ)として誕生、06年1月にはAQIを中心にしていくつかの集団が集まってISI(イラクのイスラム国)が編成され、10年に現在の体制ができあがっている。その翌年に中東/北アフリカで体制の打倒を目指す運動が活発化、「アラブの春」と呼ばれるようになった。 AQIが作られたときのリーダーはヨルダン出身のアブ・ムサブ・アル・ザルカウィ。ソ連軍が撤退した後にアフガニスタンを訪れ、そこでサウジアラビアの富豪一族に産まれ、アル・カイダの象徴的な存在になるオサマ・ビン・ラディンと知り合ったとされている。 このアル・カイダとは、ロビン・クック元英外相も言っているように、CIAが雇い、訓練した数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル(データベース)にほかならない。なお、この事実を新聞に書いた翌月、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡している。享年59歳。 ビン・ラディンと同じようにザルカウィもCIAとつながりがあるわけだが、この人物は2006年に殺され、アブ・アブドゥラ・アル・ラシド・アル・バグダディとエジプト在住のアブ・アユブ・アルーマスリが引き継ぐ。このふたりは2010年にアメリカとイラクの軍事作戦で殺され、現在はアブ・バクル・アル・バグダディ(イブラヒム・イブン・アッワード・イブン・イブラヒム・イブン・アリ・イブン・ムハマド・アル・バドリー・アル・サマライ)が率いているとされている。 2013年にジョン・マケイン上院議員がトルコからシリアへ密入国して出席した会議には、FSAのイドリス・サレム准将やISのアブ・バクル・アル・バグダディも同席していたとされている。FSA、IS、そしてネオコンは会議に同席するような関係にあるわけだ。 今回、アメリカ軍が本気でISを攻撃したとしても、アメリカ政府にはサマンサ・パワー米国連大使のように、バシャール・アル・アサド政権を倒すことが目的だと公言する人物がいる。これはマケインやイスラエル政府と同じ姿勢であり、今回の空爆を突破口にしてシリア攻撃、体制転覆を実現しようと目論んでいる可能性が高い。 この攻撃の中、イスラエル軍がゴラン高原でシリアの戦闘機を撃墜したと報道されている。イスラエルがシリア軍機を撃ち落としたのは1980年代以降、初めてのことだ。
2014.09.23
反シリア政府軍を訓練する目的はIS(イスラム首長国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)に対抗させるためだけでなく、シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すことにあるとサマンサ・パワー米国連大使は公言している。「ISの脅威」を口実にしてアメリカ政府はシリアを空爆すると言っているが、その攻撃がISでなくシリア政府軍を狙ったものだということを示している。 1年前、アメリカ/NATOは「化学兵器」を口実にしてシリアを直接、攻撃しようとしていた。この「化学兵器話」が嘘だということは早い段階から指摘されていた。実際にミサイルは発射されたが、何らかの理由で海中へ落下したとも言われている。今でもアメリカ政府にはシリアを攻撃しようと目論んでいる勢力が存在、その中にパワーも含まれているということだろう。 イスラエルもシリアの現体制を倒そうとしている。駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンは退任前、イスラエルはシリアの体制転覆が希望だと明言、バシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。オーレンとパワーの考え方は同じだと言える。 NATOが供給する武器の3分の2はアル・カイダ系のアル・ヌスラへ、残りはFSA(シリア自由軍)へ流れているとされていたが、FSAは消滅状態で、実際はISへ渡っていたという。現在、アル・ヌスラとISは渾然一体となっているようなので、NATOはシリアでISを支援しているということになる。 武器の供給だけでなく、アメリカ/NATOはISを含む軍事勢力を軍事訓練している。ヨルダン北部に設置された秘密基地で反シリア軍戦闘員をアメリカの情報機関や特殊部隊は2012年に軍事訓練、このことはドイツのスピーゲル誌やイギリスのガーディアン紙など西側のメディアも伝えていた。 アメリカ/NATOやサウジアラビアをはじめとするペルシャ湾岸の産油国の支援を受けてシリアへ入っている外国人戦闘員は25万人以上だとシリア政府側は主張している。シリア北部で入手された記録によると、反シリア軍の戦闘員は41%がサウジアラビア人、19%がリビア人、シリア人は8%にすぎなかったという。 アメリカやトルコはウイグル系中国人を戦闘員としてシリアの北部へ運んでいるとも伝えられている。今後、新疆ウイグル自治区で破壊工作が活発化する可能性がありそうだ。 チェチェンからも数百人が戦闘員としてシリアへ入っていると言われている。ISのナンバー2、アブ・オマル・アル・シシャニ(本名はタルハン・バティラシビリ)はチェチェン系グルジア人で、グルジア軍情報部の軍曹。グルジアはアメリカがISへ武器を供給する拠点になっている疑いがあり、またグルジア人はウクライナでも戦闘に参加している。 アメリカやイスラエルがグルジアへ武器を提供、2001年にイスラエルの予備役将校2名と数百名の元兵士が「教官」として送り込まれ、02年にはアメリカ政府が約40名の特殊部隊員をグルジアへ派遣している。 2008年にグルジア軍は南オセチアを奇襲攻撃しているが、その前年にイスラエルの軍事専門家がグルジアの特殊部隊を訓練し、重火器や電子機器、戦車などを提供する計画があったという。その当時、グルジア政府にはイスラエルと関係の深い閣僚がふたりいた。 ダビト・ケゼラシビリ国防大臣と南オセチア問題で交渉を担当していたテムル・ヤコバシビリで、ふたりは流暢なヘブライ語を話すことができるという。ケゼラシビリは10代のときに祖母が住んでいたイスラエルで生活した経験がある。 今後、アメリカ/NATOはロシアや中国を攻撃するためにISを使うと見られ、その拠点のひとつがグルジアになるだろう。そのグルジアはアメリカだけでなく、イスラエルと深い関係にある。ウラジミル・プーチン露大統領に追い出されたオリガルヒがイギリスと同じようにイスラエルへ逃げ込み、大きな影響力を及ぼしていることを忘れてはならない。
2014.09.22
IS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)の服装を着込んだふたりの人物がトルコの路面電車に乗っている様子がインターネット上を流れている。イスタンブール郊外ではISをイメージさせるTシャツ、帽子、カーゴパンツ、バンダナなどが売られているようなので本当の戦闘員かどうかは不明だが、そうした服装で街を自由に歩ける雰囲気がトルコにあるとは言えるだろう。 アメリカ/NATOやペルシャ湾岸産油国は2011年春からシリアのバシャール・アル・アサド体制を転覆させるプロジェクトを始動させているが、その頃からトルコの反シリア政府軍、FSA(シリア自由軍)の軍事支援活動が始まっている。その拠点として使われている米空軍インシルリク基地ではアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員が訓練、サウジアラビアからは武器が供給されている。 サウジアラビアが武器を流している仲介者のひとりと言われているのがレバノンのサード・ハリリ。2005年2月に殺害されたラフィク・ハリリ元レバノン首相の息子で、06年に「ハリリ・グループ」を結成して「未来運動」なる活動を開始、戦闘部隊を編成した。この部隊を支援していたのが「ウェルチ・クラブ」なるプロジェクトだと言われている。デイビッド・ウェルチ米国務省次官補が責任者だったことからこう呼ばれているようだが、その背後にはネオコンのエリオット・エイブラムズがいたとされている。 ちなみに、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に書いたのは2007年のことだった。つまり、その前から秘密工作は始まっているということだ。 シリアの体制を転覆させるプロジェクトが行動に移されてしばらくすると、ヨルダンが拠点として使われるようになり、2012年には同国の北部に設置された秘密基地でアメリカの情報機関や特殊部隊は戦闘員を軍事訓練、このことはドイツのスピーゲル誌やイギリスのガーディアン紙など西側のメディアも伝えた。そうした訓練を受けた戦闘員の中にはISを率いることになる数十人も含まれていたとされている。 2011年に反アサド工作が顕在化する前から三国同盟はプロジェクトをスタートさせているが、その時点でアル・カイダ(イスラム系傭兵)を使うことは想定されていたはず。実際、FSAもアル・カイダもISも戦闘員の段階では渾然一体となっている。そうした戦闘員をNATOの加盟国でイスラム国でもあるトルコも支援してきた。今でもこの状態は続いている。 アメリカはISを敵であるかのように宣伝しているが、その一方で支援していることは否定できない。アメリカ政府の内部が分裂しているのか、「ISとの戦争」が演出にすぎないということだ。軍事行動でISに勝とうとしているようには見えない。イスラムの一般市民はこうした事情を知っているだろう。本当にISを倒したいなら、まず自らの支援活動をやめ、石油の販売ルートを締め上げ、サウジアラビアなど湾岸産油国からの支援もやめさせなければならない。そして、シリアのアサド体制とアル・カイダならアル・カイダを選ぶというようなことをイスラエル政府に言わせないことだ。
2014.09.21
ウクライナ東部のドネツクにある工場がミサイルで攻撃された。キエフのペトロ・ポロシェンコ大統領と東部の分離独立派(ルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国)は停戦で合意して議定書に署名、緩衝地帯を作ると伝えられているが、こうした動きと相反する動きだ。 攻撃があったとき、ロシアからドネツクへ人道援助物資を運び込び込んだトラックから荷下ろしをしている最中。こうした支援活動への恫喝という見方もある。攻撃の直後、キエフ側はルガンスクの空港でロシアが戦術核兵器を使ったと発表しているが、例によって証拠は示されていない。国内向けの宣伝の可能性が高い。 IMF(国際通貨基金)のクリスティーヌ・ラガルド専務理事は今年1月15日、7月に重大なことが起こるとも解釈できる「予言」をした。そして7月17日、マレーシア航空17便(ボーイング777)が撃墜され、アメリカ/NATOやキエフはロシアを一斉に批判しはじめた。あの「ノースウッズ作戦」を彷彿とさせる。 その後、ロシアや分離独立派が撃墜したとする主張が崩れはじめ、最近はMH17に関する報道が極端に細っている。シリアの化学兵器話のときと同じで、西側にとって不利な状況になってくると西側メディアは報道しなくなる。オランダ政府はコックピットの会話などを公表するつもりがないようだが、そもそもブラックボックスがどこにあるのかも明確でない。 MH17は一歩間違えるとアメリカ/NATOとロシアが軍事衝突する引き金になりかねなかったのだが、この事件を引き起こしたのはキエフの内務省人脈だという話が当初、流れていた。アルセン・アバコフ内相、バレンティン・ナリバイチェンコSBU長官(CIAの指揮下)、アンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長、そしてドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事など。5月2日にオデッサで住民を虐殺したグループでもある。 この内務省人脈は和平を嫌い、戦争を激化させようとしている。このグループを指揮してきたのがビクトリア・ヌランド米国務次官補。ネオコンの大物、ロバート・ケーガンと結婚した人物だ。 ネオコン系シンクタンクのPNACは2000年に『米国防の再構築』という報告書を発表しているが、そのベースになったのは1992年に国防総省で作成されたDPGの草案。その中心だったポール・ウォルフォウィッツだったことから、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。2000年のアメリカ大統領選挙で勝利したジョージ・W・ブッシュは『米国防の再構築』に基づく政策を推進するが、ウォルフォウィッツやケーガンも執筆者だ。ジョージ・マケイン上院議員もこうした人びとの仲間。 バラク・オバマ政権は戦争を回避する動きを見せたと思うと、すぐ逆方向へ振れるということを繰り返してきた。ネオコンに引き戻されているのだろう。ウクライナの和平もオバマ大統領がネオコンに抵抗できるかどうかにかかっているように見える。ちなみに、日本はネオコンに支配されている。
2014.09.20
スコットランドの独立をめぐる住民投票で不正行為があったと指摘されている。事前にメディアが独立反対を誘導する報道を行っていると言われていたが、それだけでなく、3歳から11歳の子どもに投票用紙が届いていたほか、MI5(イギリスの治安機関)が投票数を操作するために介入しているという疑いもある。スコットランド独立は北海油田と結びつき、金融界の存亡にも関わる問題。MI5が乗り出しても不思議ではない。 期日前に郵送されていた投票数は全体の20%以上だというが、これが投票日の前に調べられた、あるいは入れ替えられていた疑いも指摘され、票数のカウントに不正があったとする映像も流れている。 クリミア、ドネツク、ルガンスクなどで行われた投票の場合、国外から監視団が入っていたほか、方法が原始的であるだけに操作はしにくい。投票に不正があったとする噂話は流されたが、西側は具体的に指摘することができなかった。 それに対し、西側の投票では具体的に不正が指摘されている。2000年に実施されたアメリカ大統領選挙の場合、「選挙監視員」による投票妨害で正当な選挙権を行使できなかった市民が少なからずいたほか、旧式の機械やバタフライ型投票用紙で投票が正確にカウントされていなかった。出口調査と公式発表との差も奇妙で、大がかりな不正が疑われても仕方がない。これがロシアや中国での話なら、西側のメディアは不正選挙で無効だという大キャンペーンを展開していたことだろう。 結局、連邦最高裁の判決でジョージ・W・ブッシュの当選が決まり、1年目の2001年に引き起こされた航空機を使った攻撃を切っ掛けにして一種の戒厳令である「愛国者法」が制定され、憲法は機能を停止、アフガニスタン、イラク、リビアを先制攻撃、シリアからイラン、さらにウクライナで体制転覆、つまり西側の巨大資本に都合の良い体制に作り替えようとしている。1980年代から始まったCOGプロジェクト、1992年に作成された世界制覇計画、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンが実行に移されている。その後、アメリカでは電子投票が進み、不正をチェックしにくい仕組みに変えられた。言うまでもなく、最近では日本の投票にも不正疑惑がある。
2014.09.19
かつてイギリスの保守党で副幹事長も務めた上院議員のマイケル・アッシュクロフト卿が公表したデータが注目されている。それによると、スコットランドの独立の賛否を問う住民投票は年代によって顕著な差があったようだ。その結果は次のようになっている:16〜17:賛成71、反対2918〜24:賛成48、反対5225〜34:賛成59、反対4135〜44:賛成53、反対4745〜54:賛成52、反対4855〜64:賛成43、反対5765以上:賛成27、反対73 今回の投票で独立に反対する票数が賛成票を上回ったが、その原動力は55歳以上、特に65歳以上の人たちだったということだ。人生の大半を「イギリス人」として生きてきた人たち。それに対し、16歳と17歳は賛成が圧倒している。大学生の世代が若干、反対票が多いのだが、総じて若い人は独立に賛成、今後、独立を支持する意見が強まることを暗示している。当然、ロンドンの支配層は対策を打ち出すだろうが、この問題がこれで決着するとは言えない。
2014.09.19
9月18日に実施された住民投票の結果、スコットランドはイギリスに留まることになったようだ。有権者数428万人に対して投票総数362万票、投票率は84.6%。そのうち独立に賛成した人が44.7%、反対が55.3%だと報道されている。「自治権の拡大」という懐柔策、そして政治家、金融業者、王室の脅しが最後の逆転につながったのだろう。この結果を日本のマスコミも大きく報道している。 今年3月16日にはクリミアでウクライナからの離脱を問う住民投票があり、96.8%がロシアへの併合に賛成した。この地域は1954年にニキータ・フルシチョフが住民の意思を問うことなくウクライナへ組み込むまでロシア領だった。そうした歴史的な背景もあり、アメリカ/NATOを後ろ盾とする勢力がネオ・ナチを使って実行した2月のクーデターに反発してロシアへの復帰を決めたわけである。 ドネツクやルガンスクからオデッサにいたるウクライナの東/南部は1922年にウラジミル・レーニンが、やはり住民の意思を問うことなくウクライナへ贈呈したロシア領。ここでもクリミアと同じようにキエフのオリガルヒ/ネオ・ナチ政権に対する反発が強く、5月11日には人民共和国の独立を問う住民投票がり、ルガンスクの独立賛成は96.2%、ドネツクでは89.1%が賛成している。2月のクーデターでウクライナを手中に収め、クリミアにあるロシア軍の基地を制圧したつもりになっていた西側は怒り、こうした住民投票を激しく批判していた。 こうした動きの中、アメリカ政府も手を拱いていたわけではない。4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、14日にはアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が制圧作戦を承認した。22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、それにタイミングを合わせ、オデッサでの作戦について話し合いが持たれている。 この会議に出席したのはアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行、アルセン・アバコフ内相代行、バレンティン・ナリバイチェンコSBU(治安機関)長官代行、アンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行で、オブザーバーとしてドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事も参加していた。オデッサで反キエフ派の住民が虐殺されたのはその10日後、5月2日だった。この虐殺を見てもドネツクやルガンスクの住民はひるまず、住民投票を実施したわけだ。 6月2日にはデレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りし、ルガンスクへの空爆が始まる。ウクライナの正規軍の内部には、情報機関や治安機関と同じようにクーデターに批判的な人が少なくないため、キエフ政権は東部や南部での民族浄化作戦にネオ・ナチのメンバーを主体に編成した「親衛隊」、あるいはアメリカやポーランドの傭兵会社が派遣した戦闘員に頼っているのが実態だという。アメリカ政府はCIAやFBIの要員をキエフへ派遣、軍事顧問団も入れている。訪米中のペトロ・ポロシェンコ大統領はウクライナへもっと武器を提供してくれとアメリカ政府に頼んだようだが、人心を掌握できていないため、武力で脅すしかないのだろう。 こうした民族浄化で住宅が破壊されているだけでなく、多くの住民が殺され、100万人近くがロシアへ避難した。こうした人びとが目に入らないのが日本のマスコミから給料をもらっている人びと。アメリカ政府、あるいはネオコンが流す話をオウムのように繰り返すだけだ。こんなマスコミが日本政府と本気で対峙できるはずはない。 ウクライナと違い、スコットランドでは住民が殺されるという事態にはなっていない。勿論、オリバー・クロムウェルが率いる軍隊はアイルランドやスコットランドで虐殺をしているが、ウクライナのような怒りや憎しみにはつながっていない。ロンドンとしても北海油田を掘り尽くすまではスコットランドを手放せないだろう。
2014.09.19
イギリスからの独立に賛成か反対かを問うスコットランドの住民投票が9月18日に実施される。日本で「イギリス」と表現されている国は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの連合王国。スコットランドとアイルランドは17世紀、オリバー・クロムウェルの率いるイングランドの軍隊に侵略、占領され、飲み込まれた。その際に多くの住民が虐殺されている。 こうした歴史的な背景も独立へ人びとを駆り立てる要因になっているが、それ以上に注目されているのが北海油田。1970年代の石油価格高騰のおかげで北海油田が利益を生むようになり、それ以来イギリス経済を支えてきた。この恩恵なしにマーガレット・サッチャー首相は新自由主義をイギリスに導入することはできず、富を一部の特権階級へ集中させる仕組みを作り上げることはできなかっただろう。 イギリスのオブザーバー紙によると、この値上げは1973年5月にスウェーデンで開かれた秘密会議で決まった。この秘密会議を主催したのはビルダーバーグ・グループ。その会議でヘンリー・キッシンジャーを中心とするアメリカとイギリスの代表は400%の原油値上げを要求、認められたわけだ。この結果、1975年には27%のインフレという形になって表れるが、78年頃には安定化している。この石油価格高騰はイギリスだけでなく、アメリカの石油業者も潤している。 1970年代の後半、イギリスではオフショア市場のネットワークが築かれている。富を独占した強者の資産を隠し、課税を避ける仕組みだ。そうした資金が投機市場へ流れていくのだが、そうした資金を運用しやすいように金融機関にはめられていた箍が緩められ、1986年の「ビッグバン」につながる。 こうした政策の結果、サッチャーが首相を務めた1979年から1990年にかけて弱者(庶民)の貧困化が進む。平均の60%以下の収入で生活する人の割合は1979年が13.4%だったのに対し、1990年は22.2%。製造業の衰退も進んでいる。 ところで、スコットランドが独立した場合、北海油田の収入は90%がスコットランドへ入ると言われている。石油の生産量は減少、フォークランド/マルビナス諸島をめぐるイギリスとアルゼンチンの対立でもエネルギーが絡んでいる可能性が高いのだが、それでも北海油田の存在は大きい。 収入の減少だけでなく、北海油田の利権がスコットランドへ移ると深刻な財務問題が浮上する。イギリスは北海油田の収入を担保にして資金を調達しているのだが、その条件が悪くなることは不可避。ロンドンの政治家や金融業者、あるいは王室までがスコットランドを脅す理由のひとつはここにある。
2014.09.18
アメリカ上院の軍事委員会で行った証言の中で、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長はIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)へ資金を提供しているアラブの同盟国が存在すると認めた。この関係自体は有名な話だが、アメリカ軍のトップが議会で証言した意味は重い。 アラブの同盟国とはサウジアラビア、カタール、クウェート、ヨルダン、トルコなどを指しているのだろうが、サウジアラビアとカタールがISを含むアル・カイダの戦闘員を雇い、武器を提供してきたことは広く知られている話。 勿論、アメリカ/NATOもISを支援してきた。例えば、ISの主要メンバーが2012年、ヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊から訓練を受けたとも伝えられている。シリアで体制転覆プロジェクトの黒幕はアメリカ/NATOなのであり、この件でもペルシャ湾岸産油国と手を組んでいるのだ。 シリアで体制転覆プロジェクトが始動した2011年春、トルコにある米空軍インシルリク基地でアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員らがFSA(自由シリア軍)の戦闘員を訓練、そのFSAはトルコを重要な拠点としてシリアへ侵攻してきた。 トルコはISとも密接な関係があり、シリアへ入る主要ルートにしている。例えば、イラクで拘束されたISの戦闘員、ハマド・アル・タミミはサウジアラビアからクウェート経由でトルコへ渡り、そこからシリアへ入ったという。 勿論、1970年代から80年代にかけてアメリカ/NATOはイスラム武装勢力を編成するために戦闘員を雇い、訓練していた。その時代にCIAはサウジアラビアに資金を出させているが、その窓口が富豪一族の一員で同国の王室とも関係が深いオサマ・ビン・ラディンだったと言われている。 そのビン・ラディンを象徴とするアル・カイダを、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルだと表現したのはロビン・クック元英外相。アル・カイダとはアラビア語で「基地(ベース)」や「データベース」を意味している。アル・カイダという軍事組織が存在するわけではない。 アメリカ/NATOがアル・カイダを地上軍として使っていることが明らかになったのはリビアの体制転覆プロジェクト。1995年に創設されたLIFG(リビア・イスラム戦闘団)の指導部はアフガニスタンでソ連との戦争に参加、つまりアメリカの情報機関や軍の訓練や支援を受けている。この段階でアル・カイダに登録されたということだろう。リビアでムアンマル・アル・カダフィ政権と戦っている最中、LIFGの幹部は自分たちとアル・カイダとの関係を認めている。2004年2月にはCIA長官だったジョージ・テネットもLIFGをアル・カイダにつながる危険な存在だと上院情報委員会で証言している。 LIFGはイギリスとも関係が深いと見られている。1996年にカダフィ暗殺を試みているが、その際にMI6(イギリスの対外情報機関)は総額で16万ドルをLIFGに提供したとMI5(イギリスの治安機関)の元オフィサー、デイビッド・セイラーは語っているのだ。 2011年10月にカダフィが惨殺され、リビアの体制転覆プロジェクトは成功するが、その直後にベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられた。その映像がすぐにYouTubeにアップロードされ、「西側」のメディアもその事実を伝えている。仕事を終えたアル・カイダの戦闘員は武器と一緒にシリアなどへ移動した。 武器の供給基地になっていたと言われているのがベンガジのアメリカ領事館。2012年9月に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使を含むアメリカ人4名が殺された場所だ。そこから流れ出た武器の一部がISへ渡ったことをアメリカ空軍のトーマス・マキナニー中将も認めている。 アメリカが手先として使ってきたのは、中東/北アフリカではアル・カイダ、ウクライナではネオ・ナチ。チェチェンではアル・カイダもネオ・ナチも存在している。勿論、こうした勢力がアメリカに反旗を翻すことはありえる。特にアル・カイダは「登録された傭兵」のようなもので、「派遣切り」されなくても「起業」することはあるだろう。が、今のところISとアメリカ/NATO/ペルシャ湾岸産油国の関係に変化はないように見える。
2014.09.17
キエフの「ウクライナ最高会議」はドネツクとルガンスクの2州に対し、3年限りの特別な自治権を与えることを認めたとう。4年後には剥奪されるということだ。そんな「期限付き自治権」で2州の住民が納得するとは思えない。 キエフ政権の民族浄化作戦が行われる前でもこのような条件で問題は解決できなかっただろう。ましてキエフ軍が破壊と殺戮を繰り返し、約100万人の住民がロシアへ避難せざるをえなくなっている現在では論外の提案。キエフ政権、そして後ろ盾のアメリカ/NATOは本気で和平を実現しようとは考えていないのだろう。 今回の停戦は劣勢に立たされたアメリカ/NATOが軍事的な態勢を立て直すための時間稼ぎにすぎないという見方がある。ペトロ・ポロシェンコ大統領の顧問を務めるユーリ・ルツェンコはフェイスブックで、ウクライナへアメリカ、フランス、イタリア、ポーランド、ノルウェーが最新兵器を供給すると書いている。 それだけでなく、9月15日にウクライナの西部でアメリカを含む15カ国、約1300名の合同軍事演習を26日までの予定で始めた。アメリカは9月8日から10日にかけて黒海のウクライナ沖でも軍事演習を実施している。ロシアを牽制、あるいは挑発することが目的だと見られても仕方がない。 クーデターの準備は遅くとも2004年に始まっている。この年、バルト3国にあるNATOの訓練施設でネオ・ナチのメンバーを軍事訓練しはじめ、ウクライナでの報道によると、昨年9月にはポーランド外務省がクーデター派(アメリカ/NATOの傀儡)の86人を大学の交換学生を装って招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の仕方を訓練したという。 訓練の内容には、追跡技術、群集操縦、ターゲットの特定、戦術、指揮、緊張した状況における行動制御、警察のガス弾に対する防御、バリケードの建設、そして銃撃のクラスにも参加して狙撃も含まれていたとされている。 こうしたクーデターの背景にはネオコン(アメリカの親イスラエル派)の戦略が存在する。1991年にソ連が消滅、アメリカが「唯一の超大国」になったと考えて世界制覇を始めたのである。 そのベースになる戦略は1992年に国防総省の内部で作成されたDPG(国防計画指針)の草案に書かれている。国防次官だったポール・ウォルフォウィッツが作成の中心にいたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 現在、アメリカはユーラシアの内陸国を包囲して締め上げるという戦略を推し進めている。その締め上げる道具として使われているのがNATO。その戦略をまとめたのはズビグネフ・ブレジンスキーで、1990年代の後半のことだという。彼は1978年に「危機の弧」がインド洋に沿って伸びている」と語っているが、その発想を発展させたのだろう。この認識に基づき、ブレジンスキーはソ連をアフガニスタンへ誘い込む秘密工作を展開していた。 ユーラシアの内陸国を包囲するという戦略をブレジンスキーがまとめたころ、アメリカ政府はユーゴスラビアを先制攻撃している。「人道」が口実に使われたが、嘘だったことが判明している。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) ウォルフォウィッツやブレジンスキーの戦略にとって好都合な出来事が2001年9月11日に起こり、アフガニスタン、イラク、リビア、シリアなどをアメリカは嘘を撒き散らしながら軍事侵略してきた。そうした行動を批判する人は「西側」にも少なくない。 そうした人びとの中には、ウクライナで今年2月にネオ・ナチを使ったクーデターが実行された直後にロシア軍の介入を予想した人がいた。その時点でロシア軍が介入していれば東部や南部は簡単に制圧され、戦闘の舞台はキエフへ移動していたかもしれない。 第2次世界大戦でドイツが降伏した直後、ウィンストン・チャーチル首相の指示で作成された「アンシンカブル作戦」では、数十万人の米英軍が再武装した約10万人のドイツ軍と連合してソ連を奇襲攻撃することになっていた。本ブログでは何度も書いていることだが、この作戦は参謀本部が拒否し、実行されていない。また、2003年にアメリカを中心とする「連合軍」がイラクを先制攻撃した際は17万6000人(ピーク時)だった。ロシア軍がウクライナに軍事侵攻するなら、少なくともこの程度の兵力を投入すると考えるのが常識だろう。 ウクライナの東/南部でキエフ政権の送り込んだ部隊が敗北した理由は、クーデターの実態と深く結びついている。つまり、アメリカ/NATOを後ろ盾とする勢力がネオ・ナチのメンバーを使って実権を握ったのだが、軍、情報機関、治安機関の中には、その新体制に反発する人が少なくない。そうした人びとがドネツクやルガンスクの住民側についてたのだ。さらに、ギリシャやロシアなどからも義勇兵(ロシア軍ではない)が入っている。 クリミアがウクライナから離脱した際、日本を含む西側のメディアはロシア軍が軍事侵攻したと宣伝していたが、実際は駐留軍だということがすぐに判明する。つまり、1997年にウクライナとロシアが結んだ協定でロシアはクリミアにある基地を使用する権利を得ていたのだが、それにともない、2万5000名が駐留できることになっていた。その協定に基づいてロシア軍は1万6000名を駐留させていたのだが、これを「軍事侵略」だと宣伝したわけだ。 東部2州の場合、キエフ政権はロシア軍が侵攻していると主張しているが、証拠は示されていない。軍事侵攻したという部隊が途中で消えてしまったと報道したり、中には「ステルス侵攻」という表現を使うメディアもあった。イラクを侵略する前にアメリカ政府が偽情報を流していたが、それよりもひどい。 ところが、日本のマスコミは今でもアメリカ/NATOやその傀儡の「大本営発表」を垂れ流している。「ロシア軍侵入 裏切りやめ停戦を導け」、「ウクライナ停戦 ロシアの介入許されぬ」、「ウクライナ合意 停戦で露軍は撤退せよ」、「ウクライナ停戦 欧米は露の介入を排除せよ」といった見出しが並ぶ。NATOの直接的な軍事介入、ロシアとの核戦争という流れを期待しているようにも見える。 集団的自衛権の行使が認められたならマスコミは何をするのか、こうした見出しをみても想像できる。マスコミの内情は第2次世界大戦の前よりひどいかもしれない。日米の支配層から彼らがなめられていることは間違いないだろう。
2014.09.16
IS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)と戦うと称し、アメリカ政府は「反イスラム国(IS)連合」を結成した。攻撃に参加するのはアメリカのほか、エジプト、イラク、ヨルダン、レバノン、そしてサウジアラビアやカタールを含むペルシャ湾岸の6カ国。さらにグルジアも参加すると言われている。 バラク・オバマ米大統領はシリアの主権を無視、シリア領を攻撃する姿勢を見せているが、その際、領空侵犯したアメリカ軍機を攻撃するようにシリアのバシャール・アル・アサド大統領が命令したなら、同国の防空システムを破壊してアサド体制を倒すと恫喝している。ロシアがウクライナ問題に対応、シリアには手が回らないと踏んでのことだろう。 しかし、アメリカのプランはイラクのフアード・マアスーム大統領からもクレームが出ている。エジプト、アラブ首長国連邦、そしてサウジアラビアがISを空爆する必要はないと発言したのだ。9月15日にはパリへ26カ国がの代表が集まり、ISへの対応を協議したのだが、この会議にはイランが招待されなかった。この点についてもマアスーム大統領は遺憾の意を表している。ジョン・ケリー米国務長官はイランとも話し合う容易があると言っているが、話し合うためにイランを招待すべきだったとイラクの大統領は主張しているのだ。 前のイラク首相、ヌーリ・アル・マリキは今年3月、サウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供していると批判していた。その戦闘集団の中心にはISが存在する。マアスームもマリキもISに関して基本的に同じ認識を持っているようだ。 サウジアラビアやカタールがISを含むアル・カイダを雇ってきたことは公然の秘密であり、アメリカ/NATOが武器を提供、戦闘員を訓練してきたとも報道されている。このアメリカ/NATOとサウジアラビアなどペルシャ湾岸の産油国がシリアやイランの体制転覆を目指していることも知られている。 「ISとの戦争」はアメリカ政府が演出している茶番劇にすぎない。その茶番劇に世界中の国々はつきあわされているわけだ。つきあわないと何をやらかすかわからないとアメリカは思われている。リチャード・ニクソンが言うところの「狂人理論」が機能しているのだろうが、徐々に脅しはきかなくなり、アメリカ支配層の手は核兵器の発射ボタンに近づいている。
2014.09.16
アメリカ政府は「反イスラム国(IS)連合」を結成、自らが作り上げたモンスターと戦うのだという。攻撃に参加するのはアメリカのほか、エジプト、イラク、ヨルダン、レバノン、そしてサウジアラビアやカタールを含むペルシャ湾岸の6カ国。さらにグルジアも参加すると言われているが、イランや肝心のシリアも入っていない。(イランは参加を拒否したという。)ISのナンバー2、アブ・オマル・アル・シシャニ(本名はタルカーン・バチラシビリ)はグルジア情報機関のエージェントだと言われている。 NATOの一員でシリアに対する軍事侵略で拠点になっているトルコは軍事作戦に参加しない意向らしいが、イラクで拘束されたISの戦闘員、ハマド・アル・タミミによると、彼はサウジアラビアからクウェート経由でトルコへ渡り、そこからシリアへ入ったという。トルコは現在でもISの戦闘員がシリアへ入る主要なルートになっている。 この「反イスラム国(IS)連合」を使い、アメリカ政府はシリアへ軍事侵攻するつもりだと見る人は少なくない。ネオコン(アメリカの親イスラエル派)は一貫してシリアのバシャール・アル・アサド政権を武力で倒そうとしている。昨年の「化学兵器話」が真っ赤な嘘だったことは明確になった現在、ISを新たな口実にしている。そのためにもISは残虐でなければならい。 昨年の9月末まで駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンは退任前、イスラエルはシリアの体制転覆を望み、アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。この「アル・カイダ」を「IS」と読み替えても間違いではない。 AQI(イラクのアル・カイダ)を核にして2006年に編成されたISI(イラクのアル・カイダ)が2013年4月にシリアでも活動を活発化させ、ISIL、ISIS、最近ではISと呼ばれるようになった。2013年といえば、アメリカ/NATOがシリアへの直接攻撃に向かって動き始め、「化学兵器話」を必死に宣伝していた。 アル・カイダを動かしてきたのはバンダル・ビン・スルタン。1983年から2005年までアメリカ駐在サウジアラビア大使を務め、12年から今年の4月まで総合情報庁長官。「健康上の理由」で長官を辞職したのだが、今は国家安全保障問題担当顧問に収まっているようだ。 現在、ISの雇い主として名前が出ているのはサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子だが、バンダルのアル・カイダ/ISに対する影響力が消えたとは思えない。イラクの前首相、ヌーリ・アル・マリキは今年3月、サウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供していると批判していた。当然、そうした武装勢力の中にはISが含まれる。 シリアの反政府勢力はアメリカ/NATOとペルシャ湾岸産油国が組織、戦闘員を集め、武器を提供、軍事訓練してきた。2011年の春の段階で、トルコにある米空軍インシルリク基地がシリアの体制を転覆させるプロジェクトの重要拠点になっている。 つまり、アメリカ政府は「マッチポンプ」という古典的な手法を使っている。例によって「良い反シリア政府軍」と「悪い反シリア政府軍(IS)」という話を流しているが、そうした区別はつけられないというのは常識。そもそも、2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でCIAや特殊部隊がISの主要メンバーを軍事訓練したと伝えられている。 例えば、ISに首を切られたフォトジャーナリストのジェームズ・フォーリーの場合、当初は「良い反シリア政府軍」のダウド旅団に拉致されたのだが、今年7月にこの戦闘集団はISへ入っている。フォーリーの家族によると、拉致グループの身代金を支払おうとしたなら、「テロリストを支援した」として起訴するとアメリカ政府から脅されたという。 アメリカ政府が「反イスラム国(IS)連合」を結成した目的はISを壊滅させることではなく、シリアのアサド政権を倒すことにあると見るべきだろう。それがイスラエル政府やネオコンの願いであり、イランを潰す重要なステップになる。
2014.09.15
シリアで支援活動中の昨年3月に拉致されたイギリス人、デイビッド・ヘインズの首をIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)は切り落としたという。 これまで多くの兵士や市民の首を切り落とし、それを誇示してきたわけだが、ここにきて公表されているアメリカ人のジェームズ・フォーリーとスティーブン・ソトロフの斬首と同じように、ヘインズのケースはアメリカ人やイギリス人への挑発だろう。その挑発を利用し、アメリカはシリアを空爆すると言い始めている。ターゲットはおそらくシリア政府。 そのISが勢力を拡大してきた原因はアメリカ政府にあるとボブ・グラハム元米上院議員は主張している。2001年9月11日の攻撃におけるサウジアラビアの役割やアル・カイダなどの武装勢力に対する同国の支援を調べなかったからだというわけだ。 2001年9月11日、ニューヨーク市にある世界貿易センターの超高層ビル2棟に航空機が突入、ワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだが、その攻撃に使われたとされているのが4機の旅客機。いずれもハイジャックされたことになっていて、その実行犯とされる19名のうち15名はサウジアラビアの出身。 実際にこの19名が航空機を乗っ取ったのかどうかは不明だが、それにしてもサウジアラビア人がこれだけ多いとなると、本来ならサウジアラビア政府にアメリカ政府は強い姿勢で臨むところ。御得意の「制裁」も叫んで当然だが、何もしていない。 この「ハイジャッカー」はアメリカ軍の訓練を受けていたとも報道された。フロリダ州のペンサコラ海軍航空基地、テキサス州のラックランド空軍基地、同州のブルックス空軍基地にある航空宇宙医学校、アラバマ州のマクスウェル・ガンター空軍基地、カリフォルニア州の国防総省語学研修所外国語センターだ。 しかも、「ハイジャッカー」の一部はフロリダ州にある小型飛行機の操縦を教える航空学校へ通っているのだが、その学校はCIAとの関係が指摘され、麻薬取引でも名前が出てくる。 また、イスラエル人の動きも注目された。フロリダ州で「ハイジャッカー」を監視していたとする話もあるが、60名以上のイスラエル人が9月11日以降に逮捕され、テレグラフ紙によると、その前にも140名が逮捕されている。合計すると逮捕者は200名だ。 2001年1月にDEA(麻薬捜査局)はイスラエルの「美術学生」がDEAのオフィスへの潜入を試みているとする報告を受けて捜査は始まった。その過程で多くのDEA職員の自宅をイスラエル人学生が訪問している事実が判明、どこかでDEAに関する機密情報が漏れていることが推測された。 アメリカのテレビ、FOXニュースが2001年12月に放送した番組によると、1997年にロサンゼルスで麻薬取引やクレジット・カード詐欺などの捜査が行われた際、捜査官のポケットベル、携帯電話、あるいは自宅の電話が監視されていることが発覚している。 そこで疑われたのがイスラエル系の電子通信会社アムドクス。過去に何度かFBIの捜索を受けたと報道されている。「9/11」後に逮捕された60名のイスラエル人のうち6名はアムドクスの社員だったとFOXニュースは伝えている。1997年にホワイトハウスに新しい電話回線を設置したときにアムドクスも協力、アメリカ政府の電話が監視されていると疑う人もいた。 また、9/11でビルが崩壊する様子を白いバンの上で喜びながら撮影していた5名を逮捕したところ、イスラエル人だということが判明。そのうち少なくとも2名はイスラエルの情報機関、モサドの工作員だったと言われている。このバンを所有していたのはアーバン・ムービングという会社で、イスラム過激派を監視する目的でイスラエルの情報機関によって設立されたのだという。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌の2007年3月5日号で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと書いた。その手先になっているのがアル・カイダ。 この「三国同盟」で鍵を握る人物がサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官(当時)で、アル・カイダを動かしてきた。イスラエルとも頻繁に接触しているとされ、アメリカとの関係が深く「バンダル・ブッシュ」とも呼ばれている。 ところで、ISはアル・カイダ系の戦闘集団であり、歴史は1970年代に始まることになる。その黒幕はズビグネフ・ブレジンスキー。ロビン・クック元英外相も言っているように、アル・カイダはCIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル(データベース)で、プロジェクトがあれば雇われる。 その流れの中、2004年にAQI(イラクのアル・カイダ)が作られ、2006年1月にAQIを中心にしてISI(イラクのイスラム国)が編成された。これがISになる。現在は不明だが、少し前はサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子が雇い主だったと言われた。 アブドゥル・ラーマンにしろ、バンダルにしろ、サウジアラビアの支配層はカネを出してISの戦闘員を雇い、アメリカが武器を提供、2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でCIAや特殊部隊がその主要メンバーを訓練していたと伝えられている。9/11からISにいたるまで、アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの「三国同盟」を抜きに語ることはできないのだが、この問題を西側の政府やメディアは見て見ぬ振りだ。その問題にグラハム元上院議員は触れている。
2014.09.14
クリスティーヌ・ラガルドIMF専務理事が来日、女性労働力の活用や移民(低賃金労働者導入)の促進を求めるだけでなく、消費税率を8%から10%へ引き上げるべきだと語ったという。この発言の裏には巨大資本の利権が存在している。 財政が破綻し、社会システムも崩壊しているアメリカに対してどのようなアドバイスをしているのか知らないが、IMFはアメリカの巨大資本による略奪を支援し、国を資本に従属させてきた組織。しかもラガルドはウォール街の代理人として有名。彼女の「御託宣」は信じないことだ。庶民の立場からすると、彼女のアドバイスと逆のことをすれば状況は改善されるかもしれない。 彼女は1973年にフランスで学士号を取得してからアメリカへ渡っているが、その際にウィリアム・コーエン下院議員(当時)のインターンになっている。 パリ第10大学とエクス・アン・プロバンス政治学院で修士号を取得し、1981年からシカゴを拠点とする法律事務所、ベーカー&マッケンジーで弁護士として働き始め、87年にパートナー、95年には重役へ昇進、99年には会長に就任した。 この法律事務所の顧客は巨大資本であり、その分野では世界有数。ラガルド自身は軍需産業の仕事をしていたほか、巨大銀行の擁護者として有名で、金融危機のときには銀行救済を熱心に支持していた。 2005年にフランスへ戻った彼女は農業・漁業相や経済財政産業相(財務大臣)に就任し、2011年6月にIMFの専務理事になる。その前の月に専務理事だったドミニク・ストロス・カーンが性的暴行容疑で逮捕/起訴されて辞任、それを受けての選出だった。 ラガルドは2003年にアメリカのシンクタンク、CSIS(石油資本やCIAとの緊密な関係で有名)のメンバーにもなっている。そこでズビグネフ・ブレジンスキーのほか、ブルース・ジャクソンと一緒に仕事をしているが、このジャクソンは元情報将校で、NATOの東方への拡大に熱心な人物。この点はブレジンスキーと同じだ。1997年にはネオコン系シンクタンクのPNACの創設に参加、ロッキード・マーチンの副社長も務めていた。つまり、彼女の背後では金融資本、石油資本、軍需産業、そしてシオニストが蠢いている。 そうした過程を経てIMFの専務理事になったラガルドだが、財務相だった当時の与党、国民運動連合に近いベルナール・タピとフランス銀行との損害賠償問題へ不正に介入した疑いをかけられている。昨年3月に家宅捜索を受けているが、今年8月には正式な捜査が開始されたという。ちなみに、ラガルドと同じようにアメリカの傀儡として動いているニコラ・サルコジも今年7月に警察で取り調べを受けている。2007年の大統領選挙における不正行為の容疑だ。 その一方、フランスでは国民戦線のマリーヌ・ル・ペンを支持する人が増えている。今、大統領選挙があれば、第1回投票でトップになるという。庶民だけでなく支配層の内部でもアメリカの傀儡に対する批判、不満が高まっているのだろう。
2014.09.13
むのたけじが「ジャーナリズムはとうにくたばった」と言ったのは、1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭だった。(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)テレビをはじめ、新聞、雑誌、そして出版も腐敗している。アメリカの侵略戦争に関する報道を見れば明らかなように、「大本営発表」を垂れ流すという点で「右」も「左」もなく、同じ穴の狢だ。 ところが、現在、日本では「右」と「左」が喧嘩しているらしい。原因のひとつは東電福島第一原発の事故に関する「吉田調書」、もうひとつは「慰安婦」の問題である。 言うまでもなく、「吉田調書」とは東京電力福島第一原発の所長だった吉田昌郎を聴取した記録。その中で吉田所長は次のように語っている:「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなととろに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰ってきてくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです。」 この部分を5月20日付けの朝日新聞は次のように伝えた:「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。」 ここで確認しておかなければならないのは、吉田所長が東京電力の幹部であり、危険性を指摘する人びとの警告を無視して原発の建設を推進した勢力の一員だということ。原発事故で大量の放射性物質を環境中に放出した責任の一端は彼にもあるということになる。 当然、そうした立場を配慮した発言になっていることが予想でき、その発言も編集されている可能性がある。しかも、聴取したのは東京地検で検事だった加藤経将と警察庁の千葉哲。原発利権を守る「暴力装置」が送り込んできた人物。「自白誘導のプロ」とも言える。 事故が起こったのは3月11日。その翌日には1号機で爆発があり、メルトダウンしていることはわかっていたはず。14日には3号機でも爆発があり、15日には2号機で「異音」が、また4号機の建屋で大きな爆発音があったとされている。 こうした状況の中での「退避」だ。正確な「指示」を知りながら10キロ南へ逃げたとしても責められない。それほど危機的な状況だったはずだ。マスコミの人間も逃げたと言われている。 そうした状況だったにもかかわらず、政府も東電もマスコミも情報を国民に知らせず、その結果、近くに住む人びとだけでなく、東日本の人びと、そして米空母ロナルド・レーガンの乗組員は避けられた被爆を強いられている。つまり、問題は不正確な情報を伝えたことでなく、重要な情報を隠していることにある。今でも事故に関する重要な情報は国外に求めるしかない状況だ。 戦争の経験者が少なくなったとはいえ、いわゆる「慰安婦」が存在したことは否定できない。日本の軍人や官僚は重要書類を廃棄して証拠隠滅を図ったが、完全に消し去ることは困難。慰安婦を集めることは容易でない。身売りする人だけではなく、脅したり騙して連れ去らた人もいた。 『日本軍は前線に淫売婦を必ず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いと言って、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどだまして連れ出したようである。日本の女もだまして南方へ連れて行った。酒保の事務員だとだまして、船に乗せ、現地へ行くと「慰安所」の女になれと脅迫する。おどろいて自殺した者もあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのである。戦争の名の下にかかる残虐が行われていた。』(高見順著『敗戦日記』) 『あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ。中国戦線では兵士に女性を●姦することも許し、南京では虐殺もした。そのにがい経験に懲りて、日本軍は太平洋戦争が始まると、そうしたことはやるな、と逆に戒めた。』(むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書、2008年) 『そこで、出てきたのが「慰安婦」というものです。その主体は朝鮮から来た女性たちでした。日本の女性も来ましたが、これは将校専用です。』(前掲書) 『女性たちにここへ来た事情を聞くと、だまされた、おどされた、拉致された、というように、それは人によってさまざまだった。』(前掲書) 『何人もの女性たちを船に乗せてインドネシアまで連れてくるためには、軍の了解が絶対に必要です。・・・やはり、慰安婦は軍部が一つの作戦としてやったことで、まったく軍の責任だった。」(前掲書) 勿論、身売りなら問題ないということも言えない。1930年代、日本は新自由主義的な経済政策の結果、不況が深刻化して庶民は貧困化、東北地方では娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になった。そうした庶民を苦しめる政策を推進するグループを排除しようとして引き起こされたのが1932年の血盟団による井上準之助や団琢磨の暗殺、五・一五事件、そして1936年の二・二六事件だ。若い女性が身売りしなければならない状況を作ること自体が問題なのである。これを「不幸」で誤魔化そうとするのは醜悪だ。●:楽天の規制
2014.09.12
バラク・オバマ米大統領はシリア領を空爆する可能性を排除しないと語ったようだ。このところ「悪役」として売り出し中のIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)を攻撃することが目的だというのだが、その矛先はシリア政府に向いていて、本当の目的はバシャール・アル・アサド政権の打倒だと推測する人は少なくない。つまりリビアの再現。 約1年前、アメリカ政府はダマスカスの近くでシリア政府軍がサリンを使ったと主張、西側の政府やメディアは同調して大合唱、NATOのシリア攻撃は決定的であるかのように言われていた。 しかし、早い段階からロシア政府は西側の主張を否定、ロシアのビタリー・チュルキン国連大使はアメリカ側の主張を否定する情報を国連で示し、報告書も提出したという。反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、ゴータに着弾していることを示す文書や衛星写真が示されたとジャーナリストがフェースブックに書き込んでいる。 ミサイル発射から間もなくして、化学兵器をサウジアラビアを結びつける記事がミントプレスに掲載された。デイル・ガブラクとヤフヤ・アバブネの名前で書かれたもので、後にガブラクは記事との関係を否定する声明を出すのだが、編集長のムナル・ムハウェシュはその声明を否定する。 編集長によると、記事を28日に編集部へ持ち込んだのはガブラクであり、同僚のヤフヤ・アバブネがシリアへ入っているとしたうえで、反政府軍、その家族、ゴータの住民、医師をアバブネが取材した結果、サウジアラビアが反政府軍に化学兵器を提供し、それを反政府軍の戦闘員が誤って爆発させたと説明したという。一連の遣り取りを裏付ける電子メールが残っているともしている。その後、カブラクからの再反論はないようだ。 そうした中、アメリカ政府はシリア近くの基地にB52爆撃機の2航空団を配備し、5隻の駆逐艦、1隻の揚陸艦、そして紅海にいる空母ニミッツと3隻の軍艦などの艦船を地中海に配備、対抗してロシア政府は「空母キラー」と呼ばれている巡洋艦のモスクワを中心に、フリゲート艦2隻、電子情報収集艦、揚陸艦5隻、コルベット艦2隻がシリアを守る形に配置したと報道された。 攻撃予定日が迫る中、ロシアの軍情報機関はゴータでサンプルを採取して分析し、イギリスの軍情報機関へもサンプルを送り、イギリスの分析でもサンプルはシリア軍が保有するサリンとは一致しなかった。この結果はアメリカの統合参謀本部へ知らされたという。 攻撃が予想されていた9月3日、地中海の中央から東へ向かって2発の弾道ミサイルが発射されたが、このミサイルをロシアの早期警戒システムがすぐに探知している。2発とも海中に落ち、その直後にイスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表している。 この説明には疑問がある。事前に周辺国(少なくともロシア)へ通告されなかったからだ。シリアに向かって発射されたが、何らかの理由で墜落したと推測する人もいる。スペインにあるNATOの基地から発射されたミサイルをロシア軍が撃墜したとレバノンのメディアは報道、ジャミングでミサイルのGPSが狂って落下したとも言われている。 昨年10月に入ると「ロシア外交筋」からの情報として、ゴータで化学兵器を使ったのはサウジアラビアがヨルダン経由で送り込んだ秘密工作チームだという話が流れた。アフガニスタンの反政府軍支配地域で「第三国」がアル・ヌスラなどシリアの反政府軍に対し、化学兵器の使い方を訓練しているとする報告があるとロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は語る。 12月に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表している。反政府軍がサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるというのだ。国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授は、化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 このハーシュ記者はニューヨーカー誌の2007年3月5日号で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアは、シリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したとしている。 この「三国同盟」で鍵を握る人物がサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官(当時)。アル・カイダを動かし、イスラエルと頻繁に接触しているとされ、アメリカとの関係が深く「バンダル・ブッシュ」とも呼ばれている。オサマ・ビン・ラディンの後継者としてこのスルタンがアル・カイダを雇ってきたと言われている。 サウジアラビア王室の対米姿勢が変化したのは1970年代の後半からだが、その切っ掛けは1975年のファイサル国王暗殺。執務室で、クウェートのアブドル・ムタレブ・カジミ石油相の随行員として現場にいた甥のファイサル・ビン・ムサイドに射殺されたのだ。 その当時、スルタンはアメリカのマックスウェル空軍基地などで訓練を受けていた。国王暗殺の2年後に外交の世界へ入り、1983年から2005年まで駐米大使を務めている。言うまでもなく、その間にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCにある国防総省本部庁舎が攻撃され、アメリカはイギリスを引き連れてイラクを先制攻撃した。 サウジアラビアと同じようにアサド政権の打倒を目指していたイスラエル。その駐米大使を2009年7月から13年9月まで務めたマイケル・オーレンはエルサレム・ポスト紙のインタビューでアサド体制の打倒を目指していることを表明、そのためならアル・カイダとも手を組むとしている。
2014.09.12
アメリカ/NATOを後ろ盾とするキエフ政権はオリガルビ(一種の政商)とネオ・ナチで成り立っている。この構図は2月のクーデター直後もペトロ・ポロシェンコ政権になってからも変化はない。議会ではクーデター後、正規軍を把握しきれていないことを認識、6万人規模の「親衛隊」を創設することを決めている。その主体はネオ・ナチだ。 この体制を拒否しているのが東部や南部の人びと。正規軍の内部にもネオ・ナチに反発している将兵は少なくないため、東/南部の人びとを殲滅するために派遣されている主力はネオ・ナチの戦闘部隊だ。この戦闘部隊にはヨーロッパのネオ・ナチが参加、スウェーデンの元狙撃兵がいることも報道された。アメリカやポーランドの傭兵会社からも戦闘員が派遣され、アメリカからはFBI、CIA、そして軍事顧問団がウクライナへ入っている。 そのネオ・ナチと戦っているのはウクライナの正規軍、治安機関、情報機関などからの離脱組、退役将兵、あるいは国外からきた義勇兵で編成される戦闘集団だが、その兵士の頭部が家族へ送られているという。イラクやシリアでアメリカがサウジアラビアなどと手を組んで組織、育成、支援してきたIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)と同じように、ネオ・ナチが捕虜の首を切り落としている可能性が高い。アメリカの手先は首を切るのが好きなようだ。ロシアとの戦争を視野に入れているネオコンは平和は望んでいないが、ネオ・ナチは反キエフ軍の兵士に残虐なことをして挑発、和平の気運を懸想としている可能性もある。 西側メディアはキエフ政権を支える柱のひとつがネオ・ナチだという事実を無視、ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリアと同じように、嘘を撒き散らしてロシアを「悪魔化」することに全力をあげている。アメリカ/NATOのプロパガンダ機関として機能しているということだ。 EUもアメリカの命令に従ってクーデターの実態を隠し、ネオ・ナチを支援している。反政府活動の拠点になっていたユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で狙撃が始まって市街が火と血の海になったのは2月22日、その3日後に広場を調査したエストニアのウルマス・パエト外相はその翌日、キャサリン・アシュトンEU外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ次のように報告している: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解」があり、「新連合はもはや信用できない」と言っている。この狙撃を指揮していたと言われているのはネオ・ナチのアンドレイ・パルビー。クーデター後、国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括)の議長に就任している。 西側資本のウクライナ乗っ取りは2004年から05年にかけての「オレンジ革命」で始まるが、それと同時にアメリカ/NATOはネオ・ナチのメンバーをバルト諸国にあるNATOの訓練施設で軍事訓練を開始、13年9月にはポーランド外務省がウクライナのネオ・ナチ86人を大学の交換留学生として招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練をしたとポーランドで報道されている。 こうした中、ネオ・ナチの実態に触れるような報道もないわけではない。その危険性を西側メディアも認識していて、BBCは2月28日にその点を指摘する報道をしている。その後も、例えば、ドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事が4月頃にアゾフなる戦闘集団を創設、5月5日にはアルセン・アバコフが大臣を務める内務省の所属する部隊になったアゾフの危険性を訴える報道もある。(例えば、ココやココ)このほかにもネオ・ナチの部隊は少なくない。 当初、アゾフのメンバーは200名ほどで、大半は右派セクターの中から流れてきたという。しかも、その約半数には犯罪歴があり、6月14日にキエフのロシア大使館を襲撃したグループの中心はアゾフだったとされている。 キエフ政権が東/南部への攻撃を本格化させたのは4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問してから。14日にはアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が制圧作戦を承認、22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問した。5月2日にオデッサで反ネオ・ナチ派の住民が虐殺されているが、その作戦が話し合われたのはバイデンがキエフ入りした頃。 その話し合いの席にはトゥルチノフ大統領代行、パルビー国家安全保障国防会議議長、アバコフ内相、CIAの傀儡として有名なバレンティン・ナリバイチェンコSBU(治安機関)長官、そしてコロモイスキー知事もオブザーバーとして同席していた。マレーシア航空17便の撃墜は内務省が実行したとする話もあるが、これが事実だとすると、オデッサの虐殺と黒幕は同じだということになる。 ネオ・ナチや傭兵で東/南部を制圧しようとして失敗、ポロシェンコ政権は自治権の拡大を提案しているようだが、これは「パレスチナ化」の臭いがする。とりあえず自治政権を作らせ、後で破壊するつもりではないかということだろう。 ロシア政府は西側に寛容な姿勢を見せているが、東/南部の住民や戦闘員は自治権の拡大で納得しないはず。これまでキエフ政権が行った破壊と殺戮を考えれば、独立の意思を強めるのが自然だ。
2014.09.11
41年前の9月11日、ヘンリー・キッシンジャー米大統領補佐官を黒幕とする軍事クーデターで民主的に選ばれたチリのサルバドール・アジェンデ政権が倒された。アメリカの巨大資本は民主主義を憎悪している。自分たちの利益にとって不都合な仕組みだからだ。 チリには鉱物資源会社のアナコンダやケネコット、通信会社のITT、ペプシ・コーラ、チェース・マンハッタン銀行などが利権を持っていた。こうした巨大企業にとって好ましくない政権だと判断され、クーデターは実行されたが、少なくとも結果として、新自由主義を導入する最初の国にもなった。 クーデターはリチャード・ニクソン大統領、キッシンジャー補佐官、リチャード・ヘルムズCIA長官、ジョン・ミッチェル司法長官によって計画され、国務長官、国防長官、チリ駐在アメリカ大使などには秘密にされ、CIAの内部でも計画の内容を知っていたのは一部にすぎなかったという。 先ず護憲派のレネ・シュネイデル陸軍総司令官を暗殺、後任のカルロス・プラット将軍も排除(後に亡命先で暗殺)、オーグスト・ピノチェトが引き継いだ。このピノチェトがクーデターを実行することになる。 ピノチェトはまず大統領官邸の空爆を命令、大学へは戦車を派遣して教職員や学生を拘束、サンチアゴの国立競技場は「拷問キャンプ」と化した。クーデターの最中、アジェンデ大統領は死亡している。 後に設置される「チリ真実と和解委員会」によると、軍事政権の時代に殺されたり「行方不明」になった人は少なくとも2025名だとされているが、一説によると約2万人が虐殺されている。1977年になるとピノチェト政権は組織された反対勢力を一掃することに成功した。 チリの国民にとって軍隊と同じように経済も不幸をもたらすことになる。シカゴ大学のミルトン・フリードマン教授の「マネタリズム」に基づき、大企業/富裕層を優遇する政策を実施したのだ。その政策を実際に実行したのがシカゴ大学のフリードマン教授やアーノルド・ハーバーガー教授といった経済学者の弟子たち、いわゆる「シカゴ・ボーイズ」である。 彼らは低インフレーションで、年金は私的なものにし、賃金は安く、輸出型の国を目指したのである。そして、国有企業を私有化、労働者を保護する法律を廃止、労働組合を禁止、そして外国からの投資を促進、1979年には健康管理から年金、教育まで、全てを私有化しようと試みている。 1979年から82年にかけてチリ政府は輸入を奨励、チリの通貨「ペソ」が過大に評価されたことで贅沢品の消費ブームが起こるが、その一方で国産製品が売れなくなり、国内の生産活動は破綻し、1980年代の後半になると人口の45%が貧困ラインの下に転落した。 一連の規制緩和でチリの銀行は外国の金融機関から多額の資金を調達、1982年にラテン・アメリカで債務危機が起こると倒産を防ぐために外国の金融機関は銀行の「国有化」を要求、彼らの債券は私有化された国有企業の株券と交換され、チリの年金、電話会社、石油企業など重要な企業を格安なコストで手に入れてしまった。つまりチリを欧米の巨大資本が乗っ取ったということである。 これを「チリの奇跡」と呼ぶ人が日本にはいたらしいが、そうした日本人と同じようにフリードリッヒ・フォン・ハイエクはチリでの経済政策を肯定的にとらえ、マーガレット・サッチャー英首相に売り込んだ。ハイエクはフリードマンの「師」にあたる。ちなみに、1930年代、デイビッド・ロックフェラーもハイエクから経済学を学んでいる。 このサッチャーによって「金融無法時代」の幕が開いた。儲けは「0.1%」に集中、損が出れば「大きすぎて潰せない」という屁理屈で庶民に負担が押しつけられ、不正が発覚すれば「大きすぎて処罰できない」ということで不問に付される。 似たことを日本も行っている。金融問題もそうだが、それだけではない。原発事故を引き起こして放射性物質を環境中へ大量放出、人びとの生活を奪い、数十年かけて命を奪うことになり、生態系を破壊しても責任は問われず、損害は庶民に押しつけられ、利益は事故の責任者たちの懐へ入る。 ルールは人びとが守るという前提で成り立つ。富豪はルールを守らなくても構わないということになると、そのルールは意味を持たなくなる。それは単なる専制であり、庶民が自分たちの利益を守るためには革命を起こすしかなくなる。アメリカで「刀狩り」が進められようとしている一因はこれだ。 ところで、アメリカでは特権階級を法律の上に置く人たちがいる。1982年にエール大学、シカゴ大学、ハーバード大学の法学部に所属する「保守的な」学生や法律家によって創設された「フェデラリスト・ソサエティー」で、今では法律の世界で大きな影響力を持っている。 議会に宣戦布告の権限があるとする憲法や1973年の戦争権限法はアナクロニズムだと主張するほか、プライバシー権などを制限、拡大してきた市民権を元に戻し、企業に対する政府の規制を緩和させるべきだとしている。ビル・クリントン大統領を攻撃していた勢力の一員でもあった。この反クリントン・キャンペーンは「アーカンソー・プロジェクト」と呼ばれ、そのスポンサーはリチャード・メロン・スケイフ(メロン財閥の一員)。この人物はフェデラリスト・ソサエティーの後ろ盾でもある。 アメリカの支配層は2001年9月11日の出来事を利用して軍事侵略を公然と開始、国内ではナチス化を推進しはじめ、1973年9月11日のクーデターは「金融無法時代」への道を開いた。2度の「9/11」でこの世は地獄へ近づいた。
2014.09.10
ニューヨークの世界貿易センターに立っていた超高層ビル2棟に航空機が突入、ワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのは13年前の9月11日だった。4機の旅客機がハイジャックされ、アメリカン航空11便は8時46分にノースタワーへ、ユナイテッド航空175便は9時3分にサウスタワーへそれぞれ激突、アメリカン航空77便は9時37分にペンタゴンへ突入し、ユナイテッド航空93便はピッツバーグとワシントンDCとの中間で10時3分に墜落したことになっている。 その後、ノースタワーは10時58分(2時間12分後)、サウスタワーは9時58分(55分後)、爆破解体されたように崩れ落ちた。17時20分には航空機が激突したわけでない世界貿易センター7号館も同じように崩壊した。 ビルの崩壊が不自然だということは言うまでもないが、ペンタゴンが攻撃された直後に撮影された写真を見ると建物へ旅客機が突入したとは思えず、墜落したというUA93の残骸もなかった。 ペンタゴンへAA77が突入するためには大きく旋回し、地表に痕跡を残さずに大型旅客機が超低空で飛行し、防衛システムが機能しない必要がある。しかも、建物に残された穴が小さすぎる。 アメリカで「テロ」が計画されているという警告が事前に相次いでいたことも判明している。FBIやCIAだけでなく、イギリス、エジプト、ドイツ、ロシア、そしてイラクからも知らされていたというのだ。 アレックス・ブラウンという会社がプット・オプションを大量に買った(値下がりを予想)ことも話題になった。1998年まで同社の会長を務めていたバジー・クロンガードがその後、CIAの幹部になっていたからだ。事件の数日前には、航空会社やその関連企業の株式が大量に売られている。 この事件を利用してアメリカはアフガニスタンとイラクを先制攻撃しているが、事件の半年前、イラクへの軍事侵攻と占領について具体的に話し合ったとポール・オニール財務長官は語ったとしている。 この案はポール・ウォルフォウィッツなどネオコンが支持していたが、事件の10年前にウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると宣言していたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は話している。 アメリカの支配層は1980年代からCOGという一種の戒厳令プロジェクトを秘密裏に推進していたが、9月11日の出来事によってプロジェクトは始動、「愛国者法」も瞬時に登場した。 9/11の真相は全く明らかになっていない。NSAの元長官も事件の再調査が必要だと話しているが、その通りだ。 航空機の関係した「怪事件」は少なくないが、そのひとつが1983年8月31日から9月1日にかけて起こった大韓航空007便の事件。KAL007は13時(UTC、以下同じ)にアンカレッジを離陸、10分も経たないうちに航路を大きく逸脱しはじめ、民間機の飛行が許されていない「緩衝空域」へ向かい、そのまま「飛行禁止空域」へ入り、ソ連領空を侵犯し、サハリンで撃墜されたとされている。 NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)のアラスカ航空指揮規則によると、飛行禁止空域に迷い込みそうな航空機を発見した場合はすぐに接触を試み、FAA(連邦航空局)へ連絡しなければならないと決められている。 ところが、アメリカ軍は撃墜も予想される飛行禁止空域へ向かう民間機に対して何もアクションを起こさなかった。アメリカ軍のスタッフが信じがたいほど怠慢だったのか、事前に飛行許可を受けていたのだろう。 カムチャツカが目の前に迫っていた15時51分頃、KAL007はソ連防空軍の早期警戒管制レーダーに捕捉された。近くではアメリカ軍の戦略偵察機RC135が飛行している。 KAL007は大きくSの字を描いてからソ連の領空を侵犯するのだが、その直後、ソ連側は航空機を10分足らずの間、見失った。再び姿を現した航空機はサハリンに接近し、18時頃にはソ連軍が複数の迎撃機を発進させる。 18時13分に迎撃機は司令部に対し、ターゲットが呼びかけに応じないと報告、15分には司令部はターゲットと迎撃機がスクリーンから消えたと発言した。そして17分、領空を侵犯したとして撃墜命令が出る。 ところが、19分には強制着陸させるように命令、迎撃機はロックオンを解除して警告のために銃撃。21分にミサイルの発射が命令されるが、22分に再びスクリーン上から航空機が消えてしまう。23分に司令部は銃撃での破壊を命令するが、迎撃機からミサイルを発射すると伝え、26分にターゲットを破壊した報告。その後、ターゲットは右へ螺旋を描きながら降下していると迎撃機のパイロットは言っているが、レーダーの記録では左へ旋回している。 事件の直後、「自爆説」を唱えるアメリカ軍の退役将校がいた。おそらく、1960年代にキューバへ軍事侵攻する口実を作るために考えられたノースウッズ作戦からの連想だろう。 この作戦はライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長やカーティス・ルメイ空軍参謀長などソ連に対する先制核攻撃を目論んでいたグループが作成したもので、キューバ人を装ってアメリカの諸都市で「偽装テロ」を実行、最終的には無線操縦の旅客機をキューバ近くで自爆させ、キューバ軍に撃墜されたように見せかけ、「反撃」という形でアメリカ軍がキューバを軍事侵攻するという内容だった。
2014.09.10
現在、アメリカは傀儡部隊としてアル・カイダやネオ・ナチを使っている。アル・カイダは中東/北アフリカ、ネオ・ナチはウクライナが担当だが、こうした手法は昔からのもの。 例えば、1943年に米英軍がシチリア島へ上陸する際、イタリア系犯罪組織の大立て者だったラッキー・ルチアーノが協力している。ルチアーノの幼なじみの中にユダヤ系犯罪組織の大物だったメイヤー・ランスキーもいる。 上陸作戦の前年、1942年にドイツは全勢力を投入していた東部戦線でソ連に敗北、壊滅状態になり、ソ連軍が西へ向かって進撃を始めていた。こうした事態に慌て、マフィアの手を借りたようにも見える。ノルマンディー上陸作戦は1944年のことだ。この前にドイツの敗北は決定的だった。 1943年に米英軍がシチリア島を制圧した際、その島に君臨していた犯罪組織のボス、ドン・カロジェロ・ビッチーニがビラーバの市長に、ビッチーニの後継者ジェンコ・ルッソがムッスメリ市長に任命されている。それだけでなく、米英軍は島の西側でマフィアのメンバーを市長に据え、コミュニストを押さえにかかった。 この方針はAMGOT(連合軍軍事政府)のチャールズ・ポレッティ中佐が考えたというが、その通訳兼連絡将校だったビトー・ジェノベーゼは、かつてニューヨークの暗黒街で有数の顔役だった。 ベトナム戦争の際、アメリカの情報機関は麻薬取引に手を出して「黄金の三角地帯」を非合法麻薬の一大産地にしているが、このとき、麻薬を裁く手助けをしたのがマフィアのネットワーク。こうした人脈は「NATOの秘密部隊」でも暗躍している。 イタリアの中にはカトリックの総本山、ローマ教皇庁が存在するが、その中にもアメリカはネットワークを張り巡らせている。中でもパウロ6世はCIAの傀儡として有名で、その右腕だったポール・マルチンクスは後にIOR(宗教活動協会。通称、バチカン銀行)頭取に就任、アメリカの東ヨーロッパ工作に関与することになる。第2次世界大戦の直後、この人脈がナチスの残党を逃がす手助けをしたことは有名だ。 第2次世界大戦の前からアメリカの巨大資本はナチスと友好的な関係にあり、1932年にニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが大統領に選ばれると、翌年にはファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画している。 この計画は米海兵隊のスメドリー・バトラー少将とジャーナリストのポール・フレンチが議会で証言し、明るみに出た。ルーズベルト大統領が急死した後、アメリカ政府がナチスの元幹部などを逃がして保護、雇い入れたのは必然だった。大戦後、ナチスの黒幕は無傷だったとも言える。 その黒幕グループはその後もソ連の殲滅を計画、その延長線上にズビグネフ・ブレジンスキーはいて、アル・カイダを作り上げることになる。 アル・カイダの歴史は1970年代に始まる。パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官だったナシルラー・ババールによると、アフガニスタンで王制が倒された1973年から同国の反体制派へアメリカ政府は資金援助を開始、モハメド・ダウド政権に揺さぶりをかけていくが、それに対し、ダウド大統領は1976年にイラン国王やパキスタン首相と会談、アメリカへの接近を図った。 これに対し、アメリカの情報機関CIAは1978年にイラン(王制)の情報機関SAVAKと共同でアフガニスタンに大金を運び、左派の将校を排除し、人民民主党を弾圧するように仕向ける。この年にダウド政権はアメリカと手を組み、左翼やコミュニストのリーダーを次々に暗殺していくが、この年のうちにモハメド・タラキがクーデターで政権を奪取している。 1979年3月にタラキはクレムリンへ出向いてソ連軍の派遣を要請するが断られた。この月にはイランの革命政権から支援されたアフガニスタンの武装グループが同国の政府高官やソ連人顧問を襲って殺害、犠牲者の中には女性や子どもも含まれていた。 その翌月、ブレジンスキーはアフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」への「同情」をNSC(国家安全保障会議)で訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始している。 ロビン・クック元英外相も指摘しているが、こうしたCIAの訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルがアル・カイダ(データベース)。このアル・カイダから2004年に派生したのがAQI(イラクのアル・カイダ)で、この集団を中心にして06年に出来上がったのがISI(イラクのイスラム国)。この集団が強大化してIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記されてきた)になった。 2011年3月にシリアでは反体制の示威行動が始まるが、その頃からトルコのインシルリク米空軍基地では反政府軍兵士に対する訓練が始まっている。アメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員が教官を務めたという。ここでISのメンバーも訓練を受けた可能性が高い。2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊からISは軍事訓練を受けたという情報は西側のメディアでさえ伝えている。(例えばココ) この武装集団を叩くため、2011年と12年にアメリカ政府はイラク政府にF-16戦闘機を提供すると約束しているが、これは守られていない。ISが攻勢をかける際、アメリカはスパイ衛星、偵察機、通信傍受、地上の情報網などで戦闘集団の動きを事前につかんでいたはずだが、ヌーリ・アル・マリキ政権に協力したようには見えない。また、今年3月にマリキ首相はアメリカの同盟国、サウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供していると批判している。 アメリカのこうした手口を見れば、日本で狂信的な国粋主義者や犯罪組織を手先として使っても驚きではない。
2014.09.09
スコットランドは「イギリス」を構成する4王国のひとつだが、そのスコットランドでその連合王国からの分離独立を求める声が高まっている。9月18日にはその是非を問う住民投票が予定されているのだが、サンデー・タイムズ紙が行った世論調査で、独立賛成が51%、反対は49%という結果が出たという。 4王国のうちウェールズは13世紀にイングランドから支配されるようになるが、スコットランドとアイルランドは17世紀にオリバー・クロムウェルが率いる軍隊に侵略され、多くの住民が虐殺されている。そしてイングランドは1707年にスコットランドを、そして1801年にはアイルランドを飲み込んでいる。 クロムウェルの周りに集まった人びとはピューリタン(カルバン派)で、この人びとはキリストが再臨するためにユダヤ人は離散した後、再結集してパレスチナでソロモン神殿を再建しなければならないと考えていたのだという。シオニズムの源泉はここにあると主張する人もいる。 スコットランドの独立問題にはクロムウェルによる殺戮の歴史があり、根は深い。同じ問題を抱えているアイルランドは1919年に独立を宣言、独立戦争を経て21年に自治領、31年に独立国となり、49年にはイギリス連邦を離脱しているが、北アイルランド問題は残っている。 一方、フランスではアメリカ支配層の傀儡がEUを動かしていることに反発する人が増え、今、大統領選挙があれば国民戦線のマリーヌ・ル・ペンが第1回投票でトップになるという。現在の支配体制に対する不満はフランスでも高まっているようだ。 国民戦線は「極右」に分類され、ファシスト政党だと批判されることも少なくないが、少なくともマリーヌの時代になってからは違ってきている。ウクライナではアメリカ/NATOがネオ・ナチを使っているが、これをEUで正面から批判しているのはル・ペンくらいなもの。フランスでナチズムを明確に否定している政党は国民戦線くらいだということだ。 EUのエリート層はナチズムを容認する一方、シオニズムへも寛容だ。イギリスではイスラエルのパレスチナ人弾圧を批判しているジョージ・ギャロウェー議員が襲撃されて入院する事態になったが、メディアも大きく取り上げていない。襲撃された議員が親イスラエル派だったなら、全く違った報道をしたであろうことは想像に難くない。 ウクライナを暴力で制圧、ロシアとの戦争も辞さないという姿勢を見せているネオコンはイスラエルの擁護者でもある。ウクライナでナチズムとシオニズムは融合しているとも言えるが、そうした状況を批判する人が増えていることも事実で、そのひとつの結果としてマリーヌ・ル・ペンの支持率上昇がある。
2014.09.08
キエフのペトロ・ポロシェンコ大統領と東部の分離独立派(ルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国)は停戦で合意、議定書に署名した。キエフ側が停戦に応じた最大の理由はドンバスでの敗北にあると見られている。 当初から戦闘の終結を訴えていたロシアのウラジミル・プーチン大統領は歓迎しているだろうが、アルセニー・ヤツェニュク首相は停戦に反対、その後ろ盾になっているアメリカ/NATOは停戦について「悲観的な見通し」を示し、軍事力を増強、和平の動きを潰そうとする動きもある。そうした動きの一環として、NATOは9月15日から26日にかけてウクライナで軍事演習「ラピッド・トライデント」を実施、NATOに加盟する15カ国がウクライナ領内へ入るという。 そのほか、NATOはロシアとの国境に近い地域に兵站拠点を設置する意向を示し、イギリスを中心にして、デンマーク、ラトビア、エストニア、リトアニア、ノルウェー、オランダが参加する1万人以上の統合遠征軍を編成、カナダも参加する可能性があるという報道が8月下旬にあった。黒海にはすでに米国の駆逐艦3隻が入っている。また、東ヨーロッパにNATOは5つの地上基地を設置、エストニアで航空部隊を拡大する計画だ。 アメリカ/NATOはロシアを「悪魔化」する宣伝を展開、その一方で残虐な行為を繰り返してきた。今年2月のクーデターはユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)での狙撃から本格化したが、その背後にいたのはアメリカ/NATOを後ろ盾とするネオ・ナチだ。この事実は現地を調査したエストニアのウルマス・パエト外相もキャサリン・アシュトンEU外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者/イギリス人)へ報告している。 その後、5月2日にオデッサで反クーデター派の住民が虐殺され、その1週間後にはドネツク州マリウポリ市に戦車を入れて市内を破壊、非武装の住民を殺害、警察署を攻撃している。5月9日は第2次世界大戦でソ連がドイツを破った「戦勝記念日」で、多くの人びとが街に出ていた。それ以降、ウクライナの東/南部ではロシア語を話す住民を殺害し、追い出す民族浄化が進められることになる。 今後、アメリカ/NATOは体制を整えてから東部地域やロシアに対する軍事的な圧力を強めてくる可能性がある。メディアを使ったプロパガンダだけでなく、新たな「偽旗作戦」を仕掛けてくることも予想されるが、ロシアの内部には西側が外交を拒否している以上、平和的な解決は無理だと考える人も出てきて、NATOに対する先制核攻撃を選択肢に入れるべきだと主張する将軍も現れたようだ。 2月のクーデターで大統領の座を追われたビクトル・ヤヌコビッチは破綻寸前のウクライナを立ち直らせるため、良い条件を出したロシアと交渉を始めようとしていた。EUへ加わると、ギリシャの状況を見てもわかるように、弱小国は主権を奪われて巨大資本の食い物になって終わる。そうした現実がウクライナ人の目の前へ現れないうちに「ヨーロッパ幻想」で飲み込んでしまおうとした西側の支配層はヤヌコビッチの動きに激怒、クーデターで倒したわけだ。ポロシェンコもウクライナの破綻を避けようとするなら、同じ運命がまっているかもしれない。 クーデターの前、アメリカ/NATOはEUの話し合い路線も許せなかった。欧州対外行動庁(EEAS)のヘルガ・シュミット事務次長と駐ウクライナEU大使のヤン・トムビンスキーとの会話もアップロードされ、その中でシュミット事務次長はアメリカからEUの対応が生ぬるいと言われていることを明らかにしている。ビクトリア・ヌランド米国務次官補に「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と言わせたのもそうした感情。そのヌランドから高く評価されているヤツェニュク首相が和平に否定的なのは必然。日本のマスコミはヌランドの発言を「品格」の問題に矮小化していたようだが、本質はロシアとの核戦争をどう考えるかという点にある。勿論、ヌランドは戦争を辞さずという態度だ。 こうしたアメリカ/NATOが存在している以上、今回の停戦でウクライナに平和が訪れるとは言い切れない。人類が存続できるかどうかの鍵を握っているのはホワイトハウスだ。
2014.09.06
ウクライナの東部でキエフ軍が崩壊した大きな理由はふたつある。包囲された反キエフ軍(ドネツク人民共和国の義勇軍)部隊が援軍の到着まで耐えた踏ん張りとキエフ軍の戦術的な失敗だ。この失態を誤魔化し、NATO軍を投入する口実にするためにも「ロシア軍の侵攻」を宣伝しなければならなかったのだろう。 しかし、西側のメディアは証拠らしい証拠を示すことができない。そこで「ロシア軍部隊が消えた」と伝えたり、「ステルス部隊」なるものを作り上げたりしている。日本のマスコミは開き直り、中にはキエフ軍側の「あれがロシア軍でなくて何だ」という愚痴を見出しにする新聞社もある。 キエフ軍は当初から住宅地を攻撃し、住居を破壊するだけでなく多くの住民を死傷させた。そうした状況だからこそ住民はロシアへ逃れたわけだ。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は100万人を超す住民が避難、81万人がロシアへ入国したとしている。 つまり、キエフ軍が崩壊して「市内から人びとの脱出が始まっ」たわけではない。キエフ軍の攻撃を避けるためにロシアへ逃げ込んだのだ。現在、西部地域へ逃げている人の多くは、住民がロシアへ避難して空いたところへ「移住」した人たちだろう。 報道機関を名乗るなら、アメリカ/NATOを後ろ盾とするキエフ軍の「大本営発表」を垂れ流す前にしなければならないことがある。UNHCRも81万人が逃げ込んだと推測しているロシアの取材だ。ウクライナ東部を訪れたなら、最低限、その程度のことはするべきである。難民キャンプを見つけることは難しくないはずだ。アメリカ/NATOに楯突くようなことをしたならアンドレイ・ステニンのようなことになると思っているのだろうか? 今年2月にネオ・ナチを使ったクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領から実権を奪ったのがアメリカ/NATO。現場で指揮していたのがアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補。ネオコンの大物、ロバート・ケーガンの結婚相手だ。 このヌランドは昨年12月13日、ウクライナをアメリカの巨大資本にとって都合の良い体制へ作り替えるため、1991年から50億ドルの工作資金を投入したと米国ウクライナ基金の大会で公言している。彼女が立つ演壇には巨大石油企業シェブロンのマークが飾られていた。 1991年にソ連が消滅、翌年の初めにアメリカの国防総省ではDPG(国防計画指針)の草案という形で世界を制覇するためのプランが練り上げられた。作業の中心は国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツ。この指針は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 ネオコンがこの世界制覇プランを作成した3年後、ジョセフ・ナイ国防次官補は「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を公表、1996年には「日米安保共同宣言」が出されて安保の目的は「極東における国際の平和及び安全」から「アジア太平洋地域の平和と安全」に拡大した。 1997年にまとめられた「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」では、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになり、99年の「周辺事態法」につながる。「周辺事態」とは、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」だ。2005年になると「日米同盟:未来のための変革と再編」が締結され、日本は「日米共通の戦略」に基づいて行動するとされた。この延長線上に集団的自衛権はある。 日本だけを考えても、特定秘密保護法、国家安全保障基本法案、集団的自衛権への道は1995年から始まるのであり、アメリカの戦略という視点から見れば1992年からスタートする。安倍晋三首相が唐突に持ち出してきたわけではない。「安倍が全て悪い」かのように言うのは、自分たちの責任を誤魔化したいからだろう。そもそも、安倍を再登場させる道を検察とタッグを組んで作ったのはマスコミだ。 中東や北アフリカにおける体制転覆プロジェクトにしろ、ユーゴスラビアからウクライナに至る旧ソ連圏での工作にしろ、その大本には集団的自衛権と同じように、ウォルフォウィッツ・ドクトリンが存在する。 ネオコンの世界制覇プランでは、「人道」や「民主化」といった標語が使われるが、実態は殺戮と破壊。その手先として使われているのがアル・カイダやネオ・ナチだ。そうした現実を本ブログでも書き続けてきた。 それに対し、日本のマスコミはネオコンの宣伝をそのまま垂れ流している。つまりウォルフォウィッツ・ドクトリンのプロパガンダ機関。集団的自衛権に本心から反対しているとは考えられない。もし、本当に反対なら1990年代から激しく批判していなければおかしいのだ。 マスコミの世界では「右」と「左」が罵り合っているようだが、アメリカの戦略を宣伝しているという点では「同じ穴の狢」だ。国民を騙すため、そして売り上げを伸ばす演出のため、「フェイス」と「ヒール」を演じ分けているにすぎない。その「フェイス」と「ヒール」の間で楽しそうにピエロ役を演じている人もいる。
2014.09.04
IS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)がジェームズ・フォーリーに続き、またジャーナリストの首を切ったと伝えられている。ふたりめはスティーブン・ソトロフ。そうした情報が流れた直後、ソトロフはジャーナリストではなく、シリア軍と戦っていたとする話が機銃を構えている写真と一緒にツイッターで流れた。 この写真だけでは何とも言えないが、「ジャーナリスト」を名乗っていてもジャーナリストだとは確かに限らない。フォーリーの場合、カメラの前で殺されたのではなく、問題の場面は演技だと指摘する人もいる。前に殺されていたのだが、タイミングを見て効果的な演出で映像を公開したのではないかとも言われている。 ウクライナで殺されたアンドレイ・ステニンの場合、行方不明になった直後、キエフ政権の内務大臣の顧問は治安当局が拘束していると語っていた。ステニンを雇っていたロシア・セボードニャのドミトリー・キセリョフ社長によると、キエフ政権側の仲介者からステニンの身柄交換の交渉を行なうよう提案があったという。 この3人は戦争の道具に使われたわけだ。戦争している人びとにとって、自分たちに都合の良い話を伝えさせる以外にも「ジャーナリスト」の使い道はあるということだ。
2014.09.04
東電福島第一原発の事故や冤罪事件に取り組んでいたテレビ朝日のディレクターが死亡したという。警察は「自殺」としているようだが、洋の東西を問わず、警察の発表は当てにならない。今のところは「原因不明」と言うべきだろう。 世界を見ると、同じ頃、ふたりのジャーナリストが取材が原因で殺されたことが判明した。9月2日にIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)は昨年8月4日に誘拐したスティーブン・ソトロフの首を切ったとアピールする映像を公表した。ウクライナでは8月の初めからカメラマンのアンドレイ・ステニンが行方不明になっていたが、ここにきてキエフ軍の攻撃で殺されていたことが判明した。そのとき、キエフ軍は避難民の車列を襲っていた。 武装グループにしろ、国家機関にしろ、ジャーナリストを殺す最大の理由は知られたくない情報を隠したいからだ。2003年3月19日にアメリカはイラクに対して宣戦布告、侵略を始めるが、その際、報道を管理するために軍が監視できる範囲で取材することを要求した。 開戦の3日後、イギリスの番組制作会社ITNの記者が取材中に拘束され、後に死体が発見された。アメリカ軍が射殺したことが判明している。4月8日には独自にはジャーナリストが宿泊していがパレスチナ・ホテルをアメリカ軍の戦車が砲撃、ふたりのジャーナリストが殺されている。その日、カタールのメディア、アル・ジャジーラのバグダッド・オフィスの屋上にいた記者タレク・アイーブがアメリカの戦闘機にミサイルで攻撃され、死亡している。アフガニスタンやイラクへの軍事侵攻にカタールは参加していなかったこともあり、アル・ジャジーラはアメリカの管理外で報道していた。そこで同社のオフィスはその前にも攻撃されている。 橋田信介と小川功太郎がバグダッドの南で殺されたのは2004年5月、07年7月にはロイターのカメラマンとドライバーがアメリカ軍の戦闘ヘリコプターに殺されたが、その際の様子を撮影したビデオを告発サイトのウィキリークスが10年6月に公開した。その映像を見ると、ヘリコプターのアメリカ兵はジャーナリストのほか、日常の生活を送る非武装の市民十数名を銃撃している。
2014.09.03
アメリカでシリア領を攻撃すべきだとする意見が劇的に増えたという。昨年9月中旬にシリアへの武力行使に反対していたアメリカ人は62%、賛成20%だったのだが、今年8月下旬の調査では反対が16%に減少、賛成が63%になっている。この変化をもたらしたのがIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)。西側やペルシャ湾岸の政府やメディアが危機感を煽ったひとつの結果だ。 勿論、ISが西側で何らかの破壊活動を行う可能性はある。そのメンバーがメキシコ経由でアメリカへ入ったとも言われている。その手引きをしたとされているのはCIAとの関係が指摘されている麻薬組織。1960年代の初めにアメリカで作成された「ノースウッズ作戦」では、アメリカがキューバを装って国内で「テロ」を実行、最終的には自動操縦で無人機をキューバ近くに飛ばし、自爆させてキューバ軍機に撃墜されたと宣伝、報復としてアメリカ軍が軍事侵攻するというシナリオになっていた。 それらから約40年後、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターに立っていた超高層ビルに航空機が突入、同時にワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、アメリカ政府は即座にアル・カイダが実行したと断定した。 この攻撃を利用してアメリカはアフガニスタン、そしてイラクを先制攻撃、中東や北アフリカを破壊し、多くの人びとを殺している。イラクだけで死者の数は100万人を超した可能性が高い。(2006年10月にイギリスの医学雑誌「ランセット」に掲載された報告によると、2003年3月から2006年7月までの間に65万4965名以上のイラク人が死亡したと推測している。) 繰り返しになるが、ロビン・クック元英外相はアル・カイダについて、数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまりデータベースだとしている。このデータベースから戦闘員が派遣されるわけだ。 このアル・カイダの仕組みとISは密接な関係にある。1970年代の後半にズビグネフ・ブレジンスキーの戦略に基づいてイスラム教徒の戦闘集団を組織、その頃からサウジアラビアは雇い主になっている。1989年にソ連軍が撤退すると戦闘員は「雇い止め」になったようだ。 ISは2004年にAQI(イラクのアル・カイダ)として誕生、06年1月にはAQIを中心にしていくつかの集団が集まり、ISI(イラクのイスラム国)が編成された。それまでこの戦闘集団を率いていたアブ・ムサブ・アル・ザルカウィは2006年6月に殺され、ブ・アブドゥラ・アル・ラシド・アル・バグダディとエジプト在住のアブ・アユブ・アルーマスリが引き継ぐ。このふたりは2010年にアメリカとイラクの軍事作戦で殺され、アブ・バクル・アル・バグダディが次のリーダーになったとされている。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌の2007年3月5日号でアメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたと書いている。アブ・ムサブ・アル・ザルカウィが殺された頃と重なる。 こうした秘密工作で中心的な役割を果たしたのはリチャード・チェイニー副大統領、ネオコンのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官、ザルメイ・ハリルザド、サウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン国家安全保障問題担当顧問(元アメリカ駐在大使、後に総合情報庁長官)だった。 このスルタンがサウジアラビアでアル・カイダを動かしていた責任者。今年1月、サウジアラビアのテレビ局MBCの人気番組でホストを務めるダブド・アル・シャリアンはスルタンたちのシリアに対する軍事介入に反対する聖職者を登場させ、話題になった。 そして4月15日、スルタンは「健康上の理由」で総合情報庁長官を辞職して姿を消す。その後、ISの黒幕として名前が出てきたのがアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル。しばらくしてスルタンも国王の顧問として再浮上してくる。 その国王がここにきてISは1カ月でヨーロッパへ、さらに1カ月でアメリカへ到達すると警告している。その前、7月にはバーレーンのメディア、ガルフ・デイリー・ニュースはエドワード・スノーデンの情報として、ISを率いているバグダディはイスラエルの情報機関、モサドの訓練を受けたと書いているのだが、首をかしげる人もいる。 バーレーンとサウジアラビアはペルシャ湾岸仲間。勿論、バグダディがモサドの訓練を受けていても不思議ではないのだが、この報道の真偽は不明。サウジアラビアとアル・カイダとの関係が広く知られるようになり、イスラエルを持ち出したと見る人もいる。 現在、ISは油田を支配、石油をARAMCO経由で売っていると言われていたが、ここにきてトルコやイスラエルへ売ることで資金を調達しているとする情報が流れている。サウジアラビアのカネが必要なくなった場合、自立する可能性もあるのだが、そうなるとISは本当にコントロールが不能になってしまう。ただ、最近の動きを見る限り、アメリカはISを本気で潰そうとしているようには思えない。そのうえでシリア攻撃の口実に使おうとしている。
2014.09.02
8月31日付けのニューヨーク・タイムズ紙に「ウクライナに武器を提供するか、キエフを降伏させるか」とするベン・ジュダなる人物の主張が掲載された。その中でキエフ軍が戦っている相手を住民側の義勇軍ではなくロシア軍だということにしている。2月のクーデターを「民主化」と規定している西側のメディアとしては、住民と戦っているという構図は描けず、相手はロシアだと言わざるをえないのだろう。嘘の連鎖に陥っている。 一時は東部の制圧/民族浄化作戦が成功しそうだったのだが、反キエフ軍(ドネツク人民共和国の義勇軍)の反撃で形勢は逆転し、ジュダの叫びにつながった。ロシア政府は現在でも連邦制を提案しているようだが、反キエフ軍は独立を訴えるようになっている。8月には、「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の軍隊を統一して「ナバロシエ(新ロシア)軍」を創設しようとしている。 ナバロシエは18世紀にロシア帝国がオスマン帝国から奪った地域で、ロシア革命後の1922年、ソ連の一部だったウクライナ・ソビエト社会主義共和国へ編入された。この際、勿論、住民投票などは行われていない。そうした歴史的な背景があるため、ドネツクやルガンスクの住民はロシアへの帰属意識が強く、反ロシア色の濃いキエフ政権を警戒、連邦制を求めたわけである。ちなみに、アメリカが独立したのも18世紀。 キエフ政権への警戒感を杞憂で片付けることはできない。クーデターの前からビクトリア・ヌランド米国務次官補が高く評価していたアルセニー・ヤツェニュク首相は在米ウクライナ大使館のサイトに掲載された文章の中でウクライナの東部や南部の住民を「劣等人類」と表現していた。 ヤツェニュクが所属する政党「祖国」を創設、投機家ジョージ・ソロスの影響下にあるユリア・ティモシェンコは国家安全保障国防会議のネストル・シュフリチ元副議長と電話で話した際、ロシア人を殺すと繰り返していたことも判明している。実際、キエフ軍は制圧/民族浄化作戦で多くのロシア語を話す住民を殺している。 キエフ軍が戦っている義勇軍にはウクライナの軍隊、治安機関、情報機関から離脱した人びとや退役兵、最近はギリシャ、フランス、勿論ロシアからも義勇兵が参加、しかも士気は高い。 それに対し、キエフ軍は徴兵で集めた兵士の士気は低く、NATOの訓練を受けたネオ・ナチ、そしてアメリカやポーランドの傭兵に頼らざるをえない状況。そこにCIA、FBI、アメリカの軍事顧問が加わっている。現在、イギリス軍を中心にして、デンマーク、ラトビア、エストニア、リトアニア、ノルウェー、オランダで1万人以上の統合遠征軍を編成すると伝えられているが、それだけアメリカ/NATOは追い詰められているということ。つまり、ウクライナではアメリカ/NATOが住民側の義勇軍と戦うという構図が鮮明になりつつある。 ニューヨーク・タイムズ紙はイラクを先制攻撃する際にも偽情報を撒き散らし、イラクだけでなく中東/北アフリカの広大な地域に大惨禍をもたらす一因を作った。ウクライナではネオ・ナチを支援、核戦争の危険性を高めている。
2014.09.01
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