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ブッダ(第2巻)1巻から10年の歳月が流れ、2巻からは本格的にブッダことシッダルタの話である。2巻では、少年シッダルタの苦悩、そして出家を描く。本来比較すべきものではないとは思うのだが、敢えて言うと、キリストの生涯は、いかなるものだったのだろうか?若き日のキリストは、当時の理不尽な出来事に対し、苦しみ続けたのだろうか?『ブッダ』での若きシッダルタは、悩み苦しむ。なぜ身分制度があるのか、なぜ人は死ぬのか、自分は何をすべきなのか?ブッダの生涯がそうだったのか、手塚先生の演出でそうなっているのか、このシッダルタには共感できる部分がたくさんある。一方のキリストにはどうも共感できる部分がないように思う。こう言ってしまうと、敬虔なクリスチャンから抗議がくるかもしれない。「共感できる部分がない」というのはあくまで今現在の私のキリストに対するイメージから来るもので、キリストの生涯を知り、また、演出のうまい作品を読んだり観たりすれば考え方も変わってくるだろう。この巻でシッダルタは出家する。世界の人間を救う方法を見つけるべく、悟りに入ろうとする。悟りを開いたシッダルタの思想は、今日の仏教として世界の人々の様々な悩み・苦しみを解決している。しかし、シッダルタの父はどうだろうか。妻は、子は救われるのだろうか?シッダルタが出家したことによって、シャカ族は存亡の危機に立たされる。今日の仏教はシャカ族の尊い犠牲の上に成り立っている、と2巻の段階では言えるが、果たして3巻以降、シャカ族はどうなるのか。シッダルタが悟った思想は、彼が捨てた父や妻子も救うことができるのか?
January 31, 2006
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ブッダ(第1巻)インドの身分制度は、厳しいもので奴隷は人扱いされなかったと言う。さらに奴隷の下に存在価値すらないバリアと呼ばれる人たちもいたらしい。奴隷出身のチャプラ、バリア出身のタッタ、彼らを通してインドの身分制度がどんなものだったかを1巻ではじっくりと描かれ、主人公のブッダことシッダルタは誕生のみ。今の日本で身分制度と言われてもピンとこない。現代日本人の感覚だと、人間が生まれながらにして身分の違いがある、一生、一定の職業にしか就けない、身分を超えた結婚は許されない、といったことは「おかしい」と感じて当たり前のはずだ。だが、当時のインド人がそんな感覚を持っていたかどうか。当時、厳しい身分制度はあって当たり前だっただろうから、「同じ人間なのに彼は武士、私は奴隷なのはおかしい」という感覚は生まれづらかったのではないかと思う。むしろ、「奴隷は一生奴隷」という了見を持って奴隷は一生を送っていただろうから、「奴隷が一生奴隷なのはおかしい」という考え方は異端に見られたかもしれない。現代日本人の感覚で「『奴隷は一生奴隷』という了見で奴隷は一生を送る」というのも理解できない。では、言い方を変えてみよう。300年後の人間に、こう言われるかもしれない。「300年前の日本人は、学歴で職業が限定されてたんだって」だとか、「同じボールペンなのに\100とか\120とかあるのはおかしいわよね」だとか。今の日本人にとって、高卒や大卒はそれなりの職業に就き、それなりの初任給を貰うのは当たり前だ。同様にボールペンでもメーカーごとに、文具店ごとに、品物の性能ごとに価格が違って当たり前である。そんな価値観が、300年後には全く通用しなくなってしまうかもしれない。つまり、現代人が古代インドの奴隷を憐れむように、300年後の日本人は、現代の中卒労働者を憐れむかもしれない。もっとも、古代インドの奴隷は「生まれつきの不運」であり、現代の学歴は「努力次第でなんとでもなる」ものではあるが。でも、「努力」という考え方すら、300年後に無くなってしまっていたら、さてどうするか。「人間は生まれつき人間であり、努力しなくても人間として生きていける」なんて、訳のわからない価値観の世界になっていたら……。『ブッダ』の内容からだいぶ逸れた。私がこの巻から考えたことは、「その時代に当たり前だと考えられていたものを否定した人間、その否定を実行に移した人間はすごい」ということである。現在、資本主義、民主主義が世界に普及されつつある。それ以前は帝国主義、もっと古くて封建主義、最近だと共産主義が否定され、今のところ、資本主義や民主主義が「良し」とされている。果たして、これらに「NO!」という人間が現れるかどうか。その人間が提唱する新しい思想、価値観が受け入れられるのだろうか。
January 30, 2006
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まんが仏教死に方相談~今回のおはなし~漫画家吉森みき男が、読者からの相談の手紙を原作者ひろさちやにぶつける方式で物語は進められていく。「他人に迷惑をかける人間になるな」と日本で教えられるのに対して、インドでは「人は迷惑をかけるもの。だから他人の迷惑を許すこころを養え」と教えるらしい。放蕩のあげく借金を方々につくりまくるような大迷惑は別として、人間、生きていれば必ず誰かに迷惑をかけているものだ。迷惑を迷惑だと自覚せずにあっけらかんとして生きている人、これはある意味うらやましい限りだが、私はやっぱり「ああ、迷惑をかけているな」と感じてしまう。誰かに迷惑をかけているのなら、逆に「誰かに迷惑をかけられている」または「誰かの迷惑を蒙っている」ことも言えるわけで、「あの野郎、迷惑ばっかりかけやがって」なんてことも思ってしまう。これも自覚するかしないかの問題であって、他人が迷惑かけてる積もりでもこっちは迷惑と感じていないこともある。つまり、自分にとって「迷惑をかけている」と感じていることでも、相手には迷惑と思っていないこともあり、自分が「迷惑をかけていない」積もりでも、相手には「迷惑をかけられている」と感じることもある。相手が「迷惑をかけてる」と感じることでも自分にとっては「迷惑」と感じないこともあり、相手が「迷惑」と感じていないことでも自分に取っては「迷惑をかけられている」と感じることもある。「迷惑」を自覚するか、相手が「迷惑」を蒙ってくれることに対して感謝できるかどうか、相手の「迷惑」を許すことができるかどうか。インドの教えのような心を持つ事が出来たら、どんなに生きることが楽になるだろう。原作のひろさちや氏の巻末のコラムでは、福沢諭吉について触れている。無神論者の福沢の悪行をいろいろ挙げて激しく非難、なんとかフォローを入れて穏やかに進めようとしているが、その行間からにじみ出る福沢バッシングの凄まじさ。福沢バッシングはともかく、このコラムで述べられている「誰も見ていなくても誰かが見ている」という考え方は良い。誰も見ていないから、こっそり盗んでやろう、悪戯してやろうといった悪行。それを止めようとする「誰かが見ているかもしれない」という感覚。「誰か」とは神様でも仏様でもご先祖様でも天でもモラルでも自分の良心でもいいし、もっと具体的に言うと監視カメラでもいい。この「誰かが見ているかもしれない」という感覚のお陰でどれだけの大小様々な犯罪が未然に防がれていることか。最近の簡単に犯罪を犯してしまう人間にはこの感覚が欠けているのだろう。でも、むしろ「あえて誰かに見せてやろう」と犯罪を犯す人間も出てきそうなのでありまして、いや、実際に出てきてるのかな。とすると、法では裁かれない、「その人物の心に訴える」裁きは今後どうなってしまうのだろう、と考えてしまう。「俺の神はOKと言っている」「俺が『良し』と言うから良いんだ」といった馬鹿野郎にはこの感覚をどう教えれば良いのか。「正義のために空爆する」という国がある、その国に対して「正義」とは何かをどう教えればよいものか。神でも仏でも天でも御先祖様でもいい、そうした「実在しないけれども生きていくためには必要な存在」は、実際に必要なのかどうか。自分たちが信じていたものが根底から覆されそうになったら?話がだんだん逸れてきているが、いろんなところからわいてくるいろいろな悩みに悶え苦しんでいるのでアリマス。この「悶え苦しむ」ことこそが生きている「証し」だと言われそうだけど。
January 29, 2006
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ブラック・ジャック(1)各話ごとの感想。『医者はどこだ!』…これが記念すべき第一回目なのかな? 間黒男の顔が少しヘン。タイトルの「医者はどこだ!」は、つげ義春の『ねじ式』からきたのかしら? どっちが先なの?『春一番』…今でこそ『BLACK JACK』は人間ドラマとして扱われているが、連載当初はホラーコミックス扱いだったそうな。そのせいか、ミステリアスかつホラーっぽいつくりに。『畸形嚢腫』…ピノコが生まれたわのよさ。『人面瘡』…グロテスクなり。これじゃホラー漫画扱いだわな。『ときには真珠のように』…本間丈太郎先生登場。「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね……」『めぐり会い』…如月恵登場。間黒男の想ひ出話。ピノコのジェラシーなのよさ。『絵が死んでいる!』…ビキニ環礁の核実験がモデル? 脳移植する間黒男。『六等星』…コツコツやってきた人間こそが報われる。『ブラック・クイーン』…ブラック・クイーン登場。現在のイメージで言うと、真矢みきか。『U-18は知っていた』…コンピュータを手術する間黒男。人間と機械を越えた医者どうしの友情。「あばよ、U-18。おまえさんもりっぱな医者だったぜ」。『アリの足』…間黒男がモデルの本を読んだ小児マヒの少年の話。黒男のさりげないアドバイス。『二つの愛』…寿司職人とダンプ運転手、「寿司を握る手」を巡った話。よく出来ているとは思うが……。
January 28, 2006
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以前、DSを買おうかどうか迷っている時期にこのブログで「電子手帳機能のソフトは出ないものか」という旨のことを書きました。↓続・ニンテンドーDS(ダブルチョップがほしいもの番外編) あれから約10ヶ月、本当に電子手帳ソフトが出るみたいですが、それはなんとおこさま用(女子児童が対象みたい)。↓【DS】スタイルブック~シナモロール~ 3月23日発売予定 予約こんな可愛いキャラやおこづかい帳とかは要りません。値段も倍くらいしても構いません。大人用の、ビジネスシーンで活用できる電子手帳ソフトをまぢで開発してくれませんか?このソフトが成功したら作ってくださいますか?せっかくニンテンドーDSライトが出るんだから、これに合わせて作ってくださいませんか?それとも、すでに大人用電子手帳ソフト開発の話はあるのですか?電子手帳ソフト出現を切に祈っているのでアリマス。
January 27, 2006
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【DS】ニンテンドーDS Lite本体 3月2日発売予定 予約クケ―――――――!!!またその手か、任天堂。上位モデルを出すのか、君たちは。以前、ゲームボーイからゲームボーイポケットに買い換えた途端の「ゲームボーイカラー発売決定」。それと同じ手を使うかーぃ!上位機が出れば欲しくなる、そういった消費者の心理を上手く掴んでゐるんだね?さうなんだね?すみません、少し取り乱しちまいました。それはともかく、早く実物を見たいところです。見たところで、買い換えようかどうか決めたいです。
January 26, 2006
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いつだったか、大容量のUSBメモリが出るというニュースを見たような見なかったような…。すまん、うろ覚えで。外付けHDDを買った直後に見つけた記事だったんで、「そんな感じの記事があった」という記憶があるのだ。いま、USBメモリは最大4GBなのかしらん?HDDを買ったほうが安くつくお値段だけど、将来、安価で大容量のUSBメモリが出ることを祈りつつ、「4GBのUSBメモリあれこれ」。【スペース】カードライブキャル 4GB↑計算機つき。このシリーズは、64MBからあるみたいです。さらにテンキーにもなればいいのに。【スペース】カードライブ 4GB↑カードタイプのUSBメモリ。こちらは32MBから。カードタイプ、いいねぇ。なんか無性にわくわくしちまいます。◇おすすめ品◇ USBフラッシュメモリー バッファロー(BUFFALO) ClipDrive RUF2-S4G-BS シルバー↑形はオーソドックス。容量も大きいのから小さいのまでさまざま。【4GB USBメモリー】 高速JetFlash 120(USB2.0対応 トランセンド社・2年保証)↑見た目、高級化粧品かと思いました(根拠はないけど)。デザインがいいし、こちらも容量がさまざま。【トランセンド】JetFlash2.0Memory 4GB シャンパン↑1コ上のと同じ会社のもの。なんか、「鈴木杏樹さん愛用」って感じですね(あくまでイメージで)。
January 25, 2006
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立川談志遺言大全集(1)<夢金>この噺は、CDで聴いた志ん朝師匠のが良かった。酒手をなかなか貰えず愚痴ってるドケチな船頭、やっと酒手が貰えると思ったら「人殺しに加担しないか」との誘い。ここで、空気はピリッとサスペンス風に変わってしまうのだ。この噺は演題の通り夢オチで、夢の中で握っていた小判の包みが現実では己の睾丸を握り締めていた、とサゲるから『夢“金”』。サゲがサゲだけに睾丸云々を入れずに「ああ、夢か」で済ませる噺家もいる。この『遺言大全集』の談志師匠版では、船頭の親方が「静かにしろ、熊公」の一言で済ませており、その台詞と仕種(活字では分からないが)で、夢オチであることを表現している。さらに解説では「『百両ォー」と熊に言わせ、階下から親方が無言で見上げてEND」と、さらに短く演ることもあるらしい。でも、『夢“金”』なんだからやっぱり睾丸を握っていて欲しいし「痛でェー!」と熊に言わせたい。<明烏>八代目桂文楽師匠の十八番だが、まだ聴いたことがない。甘納豆を食べる仕種も入っているこの噺、CDじゃなく是非とも映像で観てみたいが。お堅い若旦那の台詞、談志師匠が喋ってるところを想像するだけで楽しくなる。赤塚不二夫が漫画にするとこれもまた楽しそう。<短命>伊勢屋の娘さんの旦那がまた死んだ。これで3人目。八つぁんから事の次第を聞いた御隠居は、「娘の器量が良すぎて衰弱死」だということがピンとわかるが、八はさっぱりわからない。御隠居の説明でようやくわかった八は、さっそく自分の女房で試してみるが…。金持ちで、仕事はしなくていい、毎食のお給仕は娘さん自らがやり、お茶碗を渡すたびに手と手が触れて、顔を見れば十人並みの器量で、旦那さんはたまらず御飯をそっちのけで「励む」わけだから早死にしてしまう(楽天ブログだと、どのへんまで表現はOKなの?)つまり、ヤりすぎ、衰弱死、腹上死。八は鈍すぎるのか、これがわからない。御隠居の長い説明でなんとか理解するが、でも、成人男性、こんなことに鈍いかね?『明烏』の若旦那みたいに初心ならまだわかる。でも『短命』の八つぁんは所帯持ちだし、しかも昼間から自分の女房とヤることヤってんだ。そういう八が、伊勢屋の旦那の死因に疎いのは不自然だし、自分の女房に給仕させて「手と手が触れて、顔を見ると…、あー、俺は長命だ」って言うかなぁ?じゃぁ、なんで昼間から女房とヤってんだ、そういうエピソードを女房の口から語らせるんだ、という話になる。八つぁんのキャラ設定に疑問を感じる一席。
January 24, 2006
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ブラック・ジャック(4)各話ごとの感想。『虚像』…間黒男、同窓会に。水嶋先生(あだ名ドカ便)、山神先生(あだ名ガキデコ)、鴨辺先生(あだ名スパゲッティ)。当時、チャンピオンに何が連載されていたのかが窺える。本筋は人間の業剥き出し。『悲鳴』…放送部のアイドル、声帯ポリープの手術。筆談が笑えない状況だけど笑える。『ゴーストタウンの流れ者』…思い切り西部劇っぽい(クリント・イーストウッドでも出てきそうな)。そんなゴーストタウンになぜ間黒男が通りかかったのかも不明。『ピノコ・ラブストーリー』…恋文が間黒男宛てだったというオチは読めちゃったかな。内臓の位置が全て逆の患者、鏡を使っての手術で成功。『地下水道』…ガキのテロリスト集団。ネズミに齧られグロテスク。『海は恋のかおり』…あれで16歳なんてありえない。間黒男と如月恵と少年、短編だが中身の濃い一編。『山手線の哲』…刑事とスリ師の友情にも似た奇妙な関係。『肩書き』…A国皇帝ブリリアント三世は医者。お忍びでヒゲを落として(付け髭?)、間黒男に手術を依頼、見学。『落しもの』…このおっさんの落とし癖はあり得ない。ここまでうっかりさんはそういない。最後、間黒男の下手な芝居。『焼け焦げた人形』…間黒男、自分と似た境遇の少年を助ける。黒男の最後のセリフ「坊や、くじけるなよ」は深い。『デカの心臓』…出可と愛鯉「マッハ文朱」。途中、手塚先生「いくらなんでもこりゃあデタラメだ、赤塚のマンガじゃないか」。最後、黒男の粋な計らい。『ガス』…ピノコ、青酸カリを飲んでしまい大ピンチ。『はるかなる国から』…間黒男のプライド、最後には勝つ。『万引き犬』…盗み癖かと思いきや、危険を未然に防いでくれていた犬。犬の無愛想な顔が、一層物語をひきたてる。
January 23, 2006
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ブラック・ジャック(3)各話ごとの感想。『勘当息子』…以前アニメで見たことある。そのときは、もっとエピソードが追加されてたような気がする。『ちぢむ!!』…間黒男、激昂のあまりヒョウタンツギに。「医者はなんのためにあるんだ」は名シーンと呼んでもいい。『ディンゴ』…死体の描き方がしりあがり寿っぽい。荒野で自分を手術する間黒男。『きみのミスだ!』…馬鹿息子の医療ミス。濡れ衣を晴らす看護婦の執念。最後、間黒男の種明かし。『コマドリと少年』…コマドリの恩返し。動物を使って良い話を書くのはズルいです、手塚先生。『空からきた子ども』…劇中のジェット機は、映画『トゥルーライズ』に出てきた戦闘機みたいなタイプ。母親の愛。軍人の意地。『B・J入院す』…間黒男入院→手術→ピンチ。モテモテ黒男。『ある女の場合』…駅で手術する間黒男。またまたモテモテ黒男。『ふたりの黒い医者』…ドクター・キリコ登場。安楽死VS奇跡の手術。助かったが不幸な結末に。キリコ「生き物は死ぬときには自然に死ぬもんだ。それを人間だけが無理に生きさせようとする。どっちが正しいかね」 間黒男「それでも私は人をなおすんだっ。自分が生きるために!!」『研修医たち』…旧体質の頑固ジジイも、患者と研修医のためを思っての頑固ぶりだったんだ。ピノコのおみやげに「メキシコのひょうたん人形」。『ある老婆の思い出』…大統領の育ての母となった老婆の昔語り。老婆、若かりし頃に間黒男登場。ってことは、老婆が老婆の時代、黒男はいくつになって、どこでなにをしてんの?『ピノコ愛してる』…序盤、ギャグテイスト満載。瀕死の息子とガメつい親父の話がメインになってしまい、タイトルからのイメージとは違った話に。『執念』…オペの最中に心臓停止、それでも執刀を続けた一人の若医者。執念で片付けていいのか(言わば怪奇現象よ)?『奇妙な関係』…時効間際の銀行強盗とそれを追いかける刑事。奇遇にも間黒男に世話になり、お互いの立場を知らずに壁1枚隔てた隣通しの病室に。いつ、お互いの関係がいつバレるかというハラハラ感があったが、最後はバレても良かったのでは?『赤ちゃんのバラード』…時代を感じる「スケバン」。ピノコを人質に間黒男と交渉。このころからコインロッカーベイビーがいたんだ。
January 22, 2006
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陽だまりの樹(2)手塚良仙は大坂で適塾に入り、緒方洪庵のもとで西洋医学の修行をしているが、この手塚良仙のパートは、読んでいておもしろい。一方、もう1人の主人公、伊武谷万二郎のパートは盛り上がりが今ひとつだったが、ヒュースケンやハリスと絡みだしてから、面白くなってきた。しかし、英語も日本語も同じようなふきだし、縦書きで書かれると読みづらい。よく、外国語は横書きで書く漫画があるが、そっちのほうが、日本語と外国語の違いがすぐにわかって良いと思う。
January 21, 2006
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陽だまりの樹(1)手塚治虫の祖先がモデルであろう手塚良仙と、想像上の人物であろう伊武谷万二郎が主人公。彼らの眼を通した幕末~明治維新を描く。実在上の人物がどのように描かれているかも見所のひとつ。大鳥圭介、清河八郎、山岡鉄太郎、などなど。これからもちょくちょく出てくるだろう。とにかく、主人公の二人は歴史上の大人物ではないので、庶民の眼から見た幕末が描かれてあると言ってもいい。『火の鳥』などに見られた「遊び」の部分が少ない。例えば、ほかの手塚作品のキャラが出てくるとか。出てもヒョウタンツギぐらい。蘭方医と漢方医の確執、ブラック・ジャック的医学の話なども盛りだくさん。続きが気になる。
January 20, 2006
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立川談志遺言大全集(1)<白井権八>浪曲師・広沢瓢右衛門師直伝の噺。よって、もとは浪曲の演目なのだろう。浪曲・講談の類いを文字にしても、修羅場の切迫感が伝わるかどうか。と言う私に、この噺の面白さが伝わってこない。浪曲のリズムを知っていれば、それなりに脳内再生によって楽しめることができるのだろうが。この『白井権八』自体も、これから幡随院長兵衛(バンズイインチョウベエくらい、一発で変換しろ!)との本格的な絡みがあるらしく、長い噺のほんの一部分らしいのだ。ちなみに、浪曲・講談の類いはダイソーに行けば100円でCDを買える。興味のある方は是非。落語も以前はたくさんあったけど、いまは少なくなってきた。そういえば、100円ショップに売ってたのと同じCDがパッケージだけ変えて書店で1000円弱で売ってたっけ……。<竃幽霊>「幽霊が出る」と評判のへっついを道具屋から引き取った熊公。へっついが割れたところから300円の大金(当時)が出てきた。その晩現れた幽霊、もとは左官でバクチで儲けた金をへっついに塗りこんだはいいが、フグに当たって死んでしまったという。熊公と幽霊は、150円づつ分け合い、バクチをすることに……。へっついというのはかまどのことね。いいへっついで、すぐ売れちゃうんだけど買ったその晩に幽霊が現れ、翌日の朝にはまた道具屋にひきとってもらい、店頭に。商品自体は良いから、また売れる。そして幽霊が出て、また引き取る。売っては引き取り、売っては引き取りの繰り返しで「あの道具屋の商品には幽霊が憑いている」と噂がたち、店の評判はガタ落ち。そこで、熊公に1円を付けてへっついを引き取ってもらうのだ。談志師匠の解説にもあり、私も疑問に思っていることに、「道具屋には幽霊が出ないのか?」いつ、どのような経緯で道具屋がこのへっついを入手したのか?が、まづはっきりしていない。道具屋にへっついがある晩には必ず幽霊が出ていないとおかしいのだが、そういった話は無いようだ。談志師匠は解説にて独自の見解を述べているが、勝手ながら私の考えも付け加えて発表したい。第一日目昼:道具屋がへっついを入手。店頭に並べる。最初の客が買う。第一日目夜:客のもとに幽霊が出現、夜中に客、道具屋に駆け込む。第二日目昼:道具屋、最初の客からへっついを引き取る。店頭に並べる。次の客が買う。第二日目夜:次の客のもとに幽霊出現。第三日目昼:道具屋、客からへっついを引き取る。 ・ (以下、売る→幽霊→引き取るの繰り返し。) ・ (この間、へっついは昼間は道具屋、夜は客の家) ・ (十日の間に、悪い評判がたつ)第十日目昼:道具屋、客からへっついを引き取る。熊公、へっついを道具屋から引き取り、300円発見。へっついは運ぶのを手伝った若旦那の家。第十日目夜:見つけた金で熊公はバクチ、若旦那は吉原。若旦那の家は不在。よって、幽霊を見たものはいない。第十一日目昼:熊公、若旦那、朝帰り。第十一日目夜:若旦那の家に幽霊出現。若旦那、怖くなって熊公の家に駆け込む。第十二日目昼:熊公、若旦那の実家に行き、300円を貰ってくる(幽霊に返すため)。第十二日目夜:熊公、幽霊と対面、バクチをする。↑上のようなタイムテーブルなら、道具屋に幽霊が出なかったことが説明できる。道具屋に幽霊が出なかった理由は説明できるものの、今度は道具屋がへっついを入手した経緯がわからなくなる。とある客から買い取ったものなのか、市で入手したものなのか。いずれにしても、「幽霊が出る」という謂れは無かったはずは無い。ここで談志師匠の解釈が生きてくる。以下、それを要約。幽霊、閻魔さまの順番待ちをしていたが、「地獄の沙汰も金次第」ということを聞き、へっついに隠した300円が惜しくなる。そこで幽霊となってあのへっついを探索。道具屋で発見したが売られてしまい(上記タイムテーブルで言うと第一日目昼)、幽霊は夜にしか出られないから、その夜(第一日目夜)、最初の客の家に現れた。これでスッキリしませんか?……ナニ?「落語だから適当でいいじゃないか?」ハァ、それも一理ありますな。<猪買い>もとは上方ネタで、原題は『池田の猪買い』。猪の肉を買いに、江戸から秩父の山奥まで出かける男の噺。当時の道中の地名の言い立てが聴きどころなのだろうが、活字だとよくわからない。加えて、九州の田舎者、関東の地名を出されてもチンプンカンプン。田舎で道を尋ねたところ、「左が葱畑で右が菜畑、それを右へ行くと桑畑に続く。左が麦畑、その先に芋畑。右が茄子の畑で左が南瓜畑で……」と、男「こっちは実がなって初めて何の畑かわかるんだ。何も無いのっぺらぼうでわかるか!」(以上は要約)。ごもっとも。
January 19, 2006
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地獄と極楽~今回のおはなし~ベースは『蜘蛛の糸』。地獄にたどり着いたカンダタが鬼に最下層の地獄に連れて行かれる途中途中で全八階層の地獄の解説を受ける。罪の重さに応じて8段階の地獄に分かれている。当然、「嘘をつくこと」も罪に入っており、ご存知のように舌を抜かれる。でも、「嘘をついたら地獄で舌を抜かれますよ」と嘘をつくことを戒めること自体、「嘘」なんであって……。誰かその光景を見てきたのであれば、嘘ではないと証明されるのだが、そう戒めた人間もことによると地獄にいくのではなかろうか。それとも、この「嘘」だけは特例として認められるのか。こう考えると、いかに想像の世界とはいえ地獄に落ちることは簡単でも極楽に往くことはそうとう難しい。だって、嘘なんて結構ついてるでしょ、みんな。それが詐欺だったり虚言癖にまでいってしまうのは良くないけど、小さな嘘はそこら辺に充満している。「無駄な殺生はしてはいけない」というのも、家畜は「私たちに命の布施をしている」という解釈で「無駄な殺生ではない」ことが成り立つのだろうけど、害獣・害虫駆除はどうなるのか?彼らだって生きてるために畑を荒らしたりしてるわけで、故意に畑の主を困らせてやろうとしているわけじゃなかろう。でも、畑の主にしてみれば害獣を駆逐することは生きていくために必要なことであってやむを得ないことである。私が畑を持って、丹精こめて作った農作物が荒らされたりなんかしたら、やっぱり許せないもの。だから、「無駄な殺生をしてはいけない」という基準が分からない。人間に「命の布施」をした豚や鶏の肉を残す。これはある意味「無駄な殺生をしている」ことになりはしないか?とすれば、不況とは言え飽食の日本人、どうあがいても地獄に落ちるしかないのである。しかし、『蜘蛛の糸』も考えれば不思議な話である。カンダタは数々の悪行を重ねてきたのだが、ただ一匹の蜘蛛を助けたことで、地獄から脱出できるチャンスを与えられるのである。でも、地獄の亡者どもにもカンダタと同じようにほんのちょっとした善行をしたことはあるはづで、カンダタだけチャンスが与えられるのは不平等ではないか?それとも、こんなチャンスは亡者全員に与えれるものであり、カンダタのはほんのいちエピソードに過ぎないのか?お釈迦様もお釈迦様で、カンダタの心が広く「俺と一緒に登ってこ~い」なんてどんどん亡者どもを登らせたら、カンダタ以外の亡者も極楽に受け入れる積もりだったのか?カンダタが登りきると、お釈迦様は後続に対して「NO」と言ったのかどうか。原作者のコラムは、インド神話のはなしである。聖書で「アダムとイブ」にあたる存在が、インド神話では「ヤマとヤミー」なのだと言う。この二人がインド神話では最初の人間であり、ヤマはヤミーを残して死んでしまう。ヤマは「初めて死んだ人間」、ヤミーは「初めて愛する人を失った人間」となる。ヤミーの悲しみ深く、涙する毎日。困ったインドの神々は、地上に「夜」をつくり、「一日」の区切りをつけた。そう、インド神話では、最初「夜」はなく、「昼」ばかり。ゆえに「一日」の区切りも無かったのだ。はっきりと「一日」という区切りができ、「ヤマが死んだのは昨日」「七日前」「三十日前」と時間の経過がわかるようになった。ヤマが死んだ悲しみは時間で解決され、ヤミーは「初めて悲しみを時間で解決した人間」ともいえる。死んだヤマはどうなったのか?「初めて死んだ人間」であるから、「初めてあの世にきた人間」でもある。あの世は天上の楽園であり、ヤマはそこの王となる。ヤマは後続の死者を迎え入れたが、人間が増えるにしたがってガラの悪い者も多くなる。しだいに、楽園の治安も乱れる。よって、ヤマは地下に牢獄をつくり、そこに悪人を収容することにした。この地下収容所が「地獄」である。ヤマは「楽園」の主でもあり、「地獄」の管理もしていたが、もうひとつ仕事が増える。それは、死者を「楽園」行きか「地獄」行きかを裁く裁判官の役目である。裁判官、地獄の管理人を「閻魔王(エンマオウ)」と呼ぶ。一方、楽園の主を「夜摩天(ヤマテン)」と呼び、どちらも「ヤマ」が語源となったものである。ついでにこの「楽園」だが、のちの人々はさらにひとつ上の「極楽」を目指すようになったので忘れられてしまったとさ。インド神話も調べてみればもっとおもしろいのがあるかもしれない。
January 18, 2006
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立川談志遺言大全集(1)<風呂敷>亭主の仕事の帰りが遅いのをいいことに、若い男を家に上げていたら、仕事を片付けて、亭主が早く帰ってきた。男を押入れに隠すも、どうしたらいいのか女はわからない。酒を買いに行くと言って、近所の兄貴分に相談しにいき、兄貴分の計らいで、男を無事に逃がすことに成功。落語では触れていないが、『風呂敷の間男』という噺もあるから、茶飲んで終わりってことではないだろう。間男、つまり、奥さんの浮気相手ね。兄貴分の逃がす方法として、風呂敷を使うのだが、話すと長くなるしここが聞き所なので、実際に聞くなり読むなりしてくだされ。間男の噺として『紙入れ』がある。『紙入れ』の亭主も『風呂敷』の亭主と同じで、「女房に浮気された亭主」の話が自分のこととは気付かない。『風呂敷』の女房が血相変えて兄貴分に相談に行くのと違って、『紙入れ』の女房は強い。間男が証拠を残していっても、証拠隠滅はお手の物。おろおろする間男、気付かぬ亭主を手玉に取っている。げに恐ろしき女性なのである。ちなみに、ここでのお気に入りのギャグ。兄貴分「(大変だと騒いでいる女に対し)北朝鮮でも攻めてきたのか?」「北朝鮮なんぞ攻めてきたって、大丈夫よ。ウチは町内会がしっかりしてるから」<狸賽>子ども達にいじめられていたところを男に助けてもらった仔狸が、恩返しをしようという噺。落語家がよく使う言い回しに「えー、よく狐は七化け、狸は八化けと申しまして……」とあるが、冒頭、談志師匠「昔の誰が言ったのか」と疑問を投げかけている。そこへ噺の中盤、仔狸が「狐は七化け、狸は八化けと言って……」と言った瞬間、唐突に談志師匠自身が登場、「そうかァ、この文句は狸が言ったんだァ」。いきなりの語り手自身の登場に、劇中の男「誰か、いま何か言ったか? 狸公、お前か?」「いえ別に、何も言いませんよ」この場面は実際に高座(で演るのかどうかわからないけど)を聴いてみたい。仔狸、可愛い、欲しい。どっかに困っている狸いないかなァ?この噺のテーマとして、「人間はきっと何かに騙されたい」。これをいきなりマクラにポーンと放り込むから凄い。でも、「騙されたい」というのは本当かもしれない。私が常々疑問に思っているテーマとして、「同じ空中浮遊のトリックでも、マジシャンがマジックとして使えば賞賛を浴びせられ、麻原彰光が(別に麻原じゃなくてもいいんだけど)自己の神秘的な力として使えば罵声を浴びせられる」つまり、同じトリックでもマジシャンだと「すごい!」であり、麻原彰光だと「インチキ!」なのだ。やってることは同じなのに……。両者の違いは、マジックは「自分が騙されていることを前提として観ている」、麻原は「自分を騙していることが許せない」というところか。やっぱり人間、「騙されたい」んだ、もっと言うと「騙されてやりたい」。「自分が騙されてるんじゃない。自分はこやつに『騙されてやっている』んだ」と上から見たいんでしょう。ワカルゥ?似たような表現として、「MはSに何かされてるんじゃない。Sにさせてやってるんだ」。モットワカンナイ?<ろくろっ首>与太郎に縁談が来た。相手はお屋敷の一人娘でとびきりの美人。ただ難点として、娘は丑三つ時になると首が伸びて行灯の油をペロペロ舐めると言うのだ(所謂ろくろっ首ね)。そのために、これまでいくつもの縁談がパァになってきたという。与太郎、「おもしろそう」とこの縁談を受けるが……。普通考えてみなさい。「おい、お前にお見合いの話があるんだ。仲人さんから写真を預かってきている。このお嬢さんだ、どうだ?」「うわぁ、美人だなぁ、僕のタイプです。おまけに社長令嬢ときている」「でもなぁ、お前に話してないけどな、ひとつ難点があるんだ」「なんです、おじさん?」「このお嬢さん、午前二時頃首が伸びるんだ」と、無理矢理設定を現代にしてみたが、ろくろっ首がネックで(いや、かけたわけじゃないよ)婿の来てが無いというのはあり得ない。縁談を承知したのが与太郎だから、噺として成立するのだろう。そんな「与太郎の了見」がこの噺のテーマだと言う。では、その「与太郎の了見」とは何か? それは、この噺を読めばわかる。そこをあえて簡潔に言うと、「己に忠実である」というところか。「己の欲望に忠実である」でもいいが、それだと生々しくていけない。「己の信念に忠実である」というほど、志を持っているわけではない。ここはスッと「己に忠実である」と表現するのが良い。中盤、与太郎がうまく挨拶できないだろうから、三パターンの回答だけ覚えさせて、与太郎の着物に結んだ紐をひく回数に応じて回答させるくだりがある。これは段取りをつける場面はいいが、いざ挨拶となったときに「猫がじゃれてただけ」というのは物足りない。もっと膨らませてもいいと思う。最後、さすがの与太郎でも、ろくろっ首を目の当たりにすると怖くなって逃げ帰ってきてしまう。でも、その前にちゃんと「ヤること」はヤってんだ。恐れ入ったネ、どうも。
January 17, 2006
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立川談志遺言大全集(1)談志師匠が「読む」ことを前提として「書いた落語」。<ガマの油>大道商人の言い立てが読みどころ(って使い方していいのかね?)。酔った商人が、もうひと仕事しようとするが、台詞や段取りを間違えて失敗してしまう。解説に書かれた『夜店風景』がいい。「ひと月十銭で食える法」を始めとした、いろいろな倹約術が載っている小冊子を売っている商人の噺。「ひと月十銭」は、「ところてん一突き十銭」とくだらないのだが、「電気、ガス無くして明るくなる方法」は「夜明けを待つべし」、「釜無くして飯を炊く方法」は「鍋で炊け」などなど……。倹約術にはなってないが、嘘ではない。夜、暗くなって明かりが勿体無かったら寝ちまえばいいし、釜がなけりゃ鍋でも炊けるし、もっとも今は炊飯ジャーか。この小冊子が五十銭で売っている設定なのだが、洒落の本として読む価値はある。五十銭が当時、高いかどうかは別にしてネ。でも、ホチキスで数枚を綴じただけの本に文庫本ほどのお金を取られたのであれば、よっぽど上等に見えない限り、いくら「洒落がわかる」ってんでも怒りますよ、私ャ。<やかん>八五郎の質問攻めを御隠居がヒラリヒラリとかわす噺。本来のサゲは「やかんは何故『やかん』と言うんです?」に御隠居が答えて終わり。今回の『やかん』は、興味深い一席。八五郎と御隠居の会話だが、御隠居が談志師匠そのものみたいに思えるし、もっと言えば談志師匠の自問自答とも読める。と言うのも、八五郎は物事を知らないから訊いてるのではなく、知っていて敢えて訊いているようにも思えるからだ。御隠居の話を聞くのが好き、御隠居の思考が好き、御隠居の解釈にスッと胸が晴れてしまうのだろう。解説に談志師匠が書かれたように、談志版『やかん』のテーマは「思考ストップ」である。それは「とりあえず答えがあればそれでいい」であり、「どこまでいっても際限がないから、どっかで止めておく」である。とにかく、人間の苦しみの因のひとつが「知りたがる」ことであり、知ってしまったばかりに必要なく憤り、悲しみ、喜ぶ。それを知らなくたって生きていけるのに、知りたくてしょうがない、もっと性質の悪いのになると、「突き止めたくてしょうがない」。ゆえにバスコ・ダ・ガマ、コロンブス、マゼラン、海を渡りたがる。ガガーリン、宇宙に行きたがる。昔の人類の「海の向こうは滝になっている」だの「象だとか亀だとかが大地を支えている」でも、人間、死にァしまい。日本とて同じこと。九州の先には明国がある、明国の先には天竺がある、天竺の先には南蛮がある、それでも良かったんじゃないか?むしろ知らないことのほうが幸せだってこともあるし、「海はなんで広いんです?」「狭いと池と間違えるからだ」で本人が納得すれば、それでいいんじゃなかろうか。最後に、この噺で気に入った一節をば。「『学問』てなんですか?」「『貧乏人の暇つぶし』だ」「努力じゃないんですね?」「当たり前だ。『努力』なんてなァ、バカに与えた夢だ」<紺屋高尾>付属CDで談志師匠いわく、「そのころの吉原のシステムで初めて来た客のところに高尾がくるわけがない」。つまり、そのころのシステムでは、客は何度も足繁く御茶屋に通い、花魁と馴染みになってから男女の仲になるのだという。この噺は花魁のトップである高尾に一目惚れした職人の久蔵が、三年間、高尾と一晩遊ぶ金を貯めて、十五両貯まったところで、吉原へ行く。たまたまその日の相手がいなかった高尾は久蔵の相手をし、最初、久蔵はどっかの若旦那を装っていたが、嘘を付き通しづらくなり、職人であること、高尾に会うために三年間金を貯めてきたことを正直に話す。其の心に惚れた高尾が「来年の三月、年季があけたらあなたの女房になります」と約束。舞い上がった久蔵が職人仲間に話してもみんな「その場の冗談なんだ」と相手にしない。年が明けて三月、高尾は本当に久蔵のところにやってきて、二人の染物屋は大繁盛した、とこういうあらすじ。とにかく、「?」だらけの噺である。最初に言った、そのころの吉原のシステム上のこともあるし、久蔵に高尾がなぜ惚れたのかもわからない。そこは紙面では伝わらない、久蔵が無理して若旦那のふりをする、そして自分から正直に打ち明ける、これらの演技によって見せる場所なのだろう。でも高尾は花魁のトップであり、「大名道具」と呼ばれ、相手をするには大名ほどの財力・権力がないと手の届かない存在である。よって、年季が明けても気に入られた大名の側室になれる可能性が十分にある、いや、その人気ぶりから、そのような話は高尾のもとに何件もあっただろう。そんなほぼ大名の側室になる暮らしを捨てて、染物屋の女将になる道を選んだ高尾。その決意をした高尾の心理描写、「染物屋の女将がいい」と判断せざるを得ない、高尾の日常と普段の相手客はどんなものだったのか。久蔵の人柄に加えて、これらの高尾の話を盛り込めば、良くなるんじゃないかと素人考えながら思うのでアリマス。でも、やっぱり「落語だからいいじゃない、そんな細かいことは」てなことになるのかなぁ。古今亭志ん生師匠が『幾代餅』という噺を演ってらしたけど、あらすじは『紺屋高尾』とほぼ一緒。この二つは、もとは同じ噺だったのが、餅屋になるのか(『幾代餅』)、染物屋になるのか(『紺屋高尾』)と、ラストだけ違う噺になったのか、それとも、元々二つは違う話だったのか。この辺は調査中であり、詳しい方は是非教えていただきたいです。でも、餅屋になる方が私は好きだな。だって、当時のトップアイドル(トップフードル?)がこねた餅、食べたいと思うでしょ?
January 16, 2006
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お浄土のはなし前回、「人はそれぞれの立場で幸せを見つければいい」という話になったが、男女についても語られている。浄土には男女の区別がないらしい。男も女も無い、すなわち性「別」がない。でも、現世に生まれてくるとき、はっきりと男と女に区別されて生まれてくる。原作者は「それぞれ男と女の役割があって、それは差別ではない」と語る。女の役割とは何か。「子供を産んで育てること」であるが、現代の風潮では「子育てだけが人生ではない」だの終いには「女性蔑視」だとか言われるのかしら。「人はそれぞれの立場で幸せを見つければいい」という考え方でいけば、仕事に生きることが幸せと感じる女性は、それでいいと思うし、また、女性にしか出来ない、女性にいて欲しい仕事もあるだろう。でも、「子供を産んで育てる」という命のリレーに携わることこそ、なによりも優先される事項であり、仕事は男性に任せてもいいと思うんだがなぁ(でも、シングルマザー、シングルファザーとして、仕事と子育てを両立されている方のことは尊敬しています。また、共働きでないと生活が苦しい家庭も多いでしょう)。やっぱり、女性は強いもの。女性は血を見ても平気だし(むしろ男の方が卒倒してしまう)、男性と比べて女性は胃腸が丈夫だし、なにより、出産の苦しみに耐えるように作られている。「男は外で働き、女は家で家事と子育て」という考え方は「男尊女卑」と言われるものの、子育てという作業の大変さ、母親の家事によってどれだけ家族が助かっているのかを尊重すれば、むしろ「男と女の役割」通りにことが運んで良いのではなかろうか。この本に出てきたアフリカのとある村の話。その村ではマラリアのため、乳幼児の死亡率が80%を超えた。やがてWHOの活動により、死亡率は10%程度まで減少。十数年のち、WHOがその村を訪れようとしたところ、村が消滅してしまっていた。理由は、減少した死亡率により人口が急増、それまでの村の耕地では全ての村人を養いきれなくなり、結果、全滅してしまったらしい。この話で思い出したのが、捕鯨の話。いま、日本では調査用捕鯨のみで商業用捕鯨は禁止されている。外国の動物愛護団体はこの調査用捕鯨にも非難の声を浴びせているが、実は日本が商業用捕鯨をしなくなったために、その海域での生態系が狂ってきているらしい。鯨が増えてしまい、餌となる鰯が急激に減少。日本の漁業にも影響し、鯨も餌が少なくなったから飢え死にする始末。日本が商業用捕鯨をしていたころ、その海域の生態系に人間も組み込まれており、日本人が鯨を捕っていた為に、鯨が一定量以上増えずに済んでいたのだ。そもそも鯨に絶滅危惧種が多くなったのは、西洋人による乱獲が激しかったためで、結果、現在の捕鯨反対であり、それを日本にまで押し付けられているのである。西洋人は良かれと思って(もしくはわざと?)日本の捕鯨を反対しているが、それによって正常が異常になってしまった一面もあるのだ。マラリアの村も捕鯨反対も「みんなを生かそう」という考え方に基づくものだろうが、それによって狂ってしまうこともある、ということだろうか。
January 15, 2006
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お浄土のはなし『人は死ねばゴミになる』という本の話題が出ている。もと検事総長までつとめた方が書かれた本だそうで、内容の紹介はないが、原作者の視点で「怒りをおぼえる」ものらしい。原作者が言うに「自分が死んだらゴミになると思っている人間は、他人が死んでもゴミになると思っているのではないか」。「ゴミになる」という表現はあんまりだとしても、人間、死ねば肉と骨ばかりになり、さらに荼毘に付されて骨と灰だけになる。それではあんまりだから、「死後の世界」や「ほとけさま」や「草葉の陰から」といった発想があるのだろう。事実、私だって他人の亡骸を「ただの肉と骨」とは思えないし、私が死んでもそう思われたくない。天国(この本に従うと「浄土」か)は想像の世界ではあるが、人間が生きるために、そして死んでいくために必要な世界なのだと思う。「人はそれぞれの立場で幸せになればよい」とお釈迦様は言われているらしい。貧乏人が無理して金持ちにならなくても、障害者が健常者にならなくても、それぞれの立場で幸せを見つければ良い、とのことだ。まさに「おいしい生活」なのではないだろうか。戦後の日本人の目標に「豊かな生活」というものがあった。それは、具体的には「三種の神器」だの「3C」だの、一般の日本人に共通してイメージされる生活だったが、その「豊かな生活」を大多数の日本人が達成できた頃に糸井重里さんが「おいしい生活」というコピーを発表した。先程言ったように「豊かな生活」には共通したイメージがあった、でも、「おいしい生活」には共通したイメージが無い。何に関して「おいしい」と感じるのかは人それぞれであり、一番手っ取り早く味覚で例えても、辛いものを「おいしい」と感じる人もいれば、しょっぱいもの、甘いもの、酸っぱいもの、下手すると一般に不味いとされている食べ物を「おいしい」と感じる人もいるだろう。それと一緒で、やっぱりその人その人の持ちたい「幸せ」を持つのが一番の幸せであり、他人のイメージでの幸せを押し付けられても迷惑だと感じるときもある。要は考え方次第なのである。この本での例えを引用すると、37年間、体の不自由な夫につきっきりで面倒を見てきた女性が、夫の死によってその介護から開放された。「気の毒に37年間棒に振った」という考え方も出来るが、「あの旦那さんが根っからのスケベエだった。体が元気だったら愛人の2~3人はこしらえていただろう。でも、37年間つきっきりだったから、浮気の心配もしなくて済んだし、愛人が子供を連れて葬式にやってこられたら修羅場になるところだった。奥さんは幸せものだ」という解釈もあるという。この場合、健常であるのが何より一番なのだろうが、その状況・環境にも幸せを見つけることができる、という考え方をするべきなのだろう。人間の幸・不幸は見つけるものなのだと思う。
January 14, 2006
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お浄土のはなし~今回のおはなし~ある夜、バーで酔客・吉野からまれた宗教評論家・ひろさちやは、その客に翌日の自分の講演会に来るように誘う。吉野は、可愛い孫に先立たれ悲嘆に暮れているのだった。吉野を含む客の前で、ひろさちやは浄土について語る。そもそも吉野がヤケ酒を喰らっていた理由は、数人の僧侶に「極楽浄土はほんとうにあるのか?」という質問をぶつけたところ、「死んだことがないからわからない」などと納得のいく答えが得られなかったため。丹波哲郎が『大霊界』なんて、死後の世界を描いた映画を作ったことがあるが、まぁ、『大霊界』でなくとも、死後の世界を扱った映画・小説は山のようにある。でも、あれらはあくまでも想像の世界であって、実際にどんな場所なのかは死んでみないとわからない。臨死体験なんかでよく、「お花畑があった」なんて聞くけど、あれとて、実際の天国の情景かどうかはわからない。宗教画なんかで見る、極楽浄土の絵だって想像で描かれたものであり、ひろさちやは最後に「昔の人は、自分たちが帰っていくふるさとをあのように夢見た」と締める。仏教によると、我々は浄土から修行のために現世へやってきているらしい。浄土には「苦」が無く「楽」ばかりだそうで、その「苦」へ耐える修行を現世でやっているのだと言う。具体的に「苦」とは、死別のこと。親しい人に先立たれる悲しみ、愛するものを残して死んでしまう悲しみに、涙を流し耐えるために我々は現世に生きているのだそうだ。そもそも浄土での寿命は無量(10の68乗、ちなみに仏教では無限はなく、全てが有限なんだとさ)、そんな悲しみを味わうことが出来ない。ここで私は思うのだが、「楽」ばかりの浄土に生きる人(ほとけさま)が「苦」の修行をする必要があるのだろうか?「楽」⇔「苦」とはならないまでも、「苦」あっての「楽」であり、「苦」の概念が無いと自分たちの世界が「楽」にはならないのではないか。現世での「苦」を通して、浄土が「楽」であるありがたみを知るため?それだったら、地獄をほんのちょっと見せてやればいいし、浄土でちょっとした「苦」の仮想体験の場を与えてやればいい(映画『トータル・リコール』みたいにね)。ひょっとしたら、その「ちょっとした『苦』の仮想体験の場」が現世なのかもしれない。なにしろ、浄土での寿命は無量。そのうちのほんの80年である。つまり、1000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000年のうちの80年なのだ。浄土での無量の寿命を80年だとして、そのうちの「現世仮想体験」の時間は、およそ(1/40の56乗)秒。つまり、私たちが80年生きたところでの1/4000000000000000000000000000000000000000000000000000000000秒の体験にすぎない。※数字合ってるかどうかわかんない。頭痛くなってきた。途方も無い数字だということが分かっていただければ。でも、浄土で無量の寿命が尽きたあと、人はどこへ行くのだろう?
January 13, 2006
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【PSP】キン肉マン マッスルジェネレーションズ 2006年2月23日発売予定 予約以前、PS2で出た同名タイトルの移植版。追加要素もあり、かなりおもしろそう。親子対決、親子タッグ、名勝負の再現など、PSPとは思えない内容の濃さ。こういったプロレス系ゲームは、プレイヤーの想像力次第で、無限に遊べてしまうからすごい。……と、ここまで書いて気付いたのだが、オイラ、現在PSP持ってなかったんだった。実は、予約特典のチャンピオンベルトストラップが欲しいのでアリマス。誰か、予約で買って特典だけオイラにくれろ~。または、DSでも出してそのときもチャンピオンベルトストラップを付けてくんろ~。
January 12, 2006
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正蔵改め林家彦六名演集1~8全巻揃え※実際に聴いたCDと上記リンクの商品とは違います。<石返し>倅が、度を越した与太郎になっている。さすが、木久蔵師の師匠。与太郎、それから蕎麦屋のくだり、さっそく真似してみた。木久蔵師じゃなくても、真似したくなる。おじいちゃんの語る昔話を聴いてるような感覚だが、意趣返しと石返しをかけたサゲが唐突すぎて、CDの中の客も一瞬気付かなかったみたい。<お血脈>落語に出てくる閻魔大王は好き。もちろん、『お血脈』の閻魔大王も。地獄で石川五右衛門が風呂焚きをしている設定が好き。<大名の噂>小噺集。大名に関する噂話から、物売りの小噺も入る。このCDの中では一番おもしろかった。「タオルと西洋手拭い」、「お父様、どちらへお出かけ?」などなど。
January 11, 2006
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八代目 桂文楽十八番集※実際に聴いたCDは、上記リンクのものとは違います。※<演目>と(音源)<愛宕山>(昭和40年前後・イイノホール)仕種の面白さがあるのだろうか、CDだと面白さがイマイチ理解らず。映像で見てみたい。<厩火事>(昭和40年前後・イイノホール)比較して悪いが、志ん朝師の『厩火事』と比べると、どれだけ無駄が削ぎ落とされているかが分かる(本当は「無駄ばかり」と文楽師に言われた円生師と比べたかったのだが)。無駄が無くても、じゅうぶん面白いいまのところ、『厩火事』については、文楽(八代)>志ん朝(二代)。<鰻の幇間>(昭和40年前後・イイノホール)これも比べて悪いが、今年の正月、『日本の話芸・特選』のなかで橘家円蔵師が演ってらっしゃったが、一八を騙してしまう男が妙に喋りすぎて(自己を主張しすぎて)、噺に入り込めなかった。その分、文楽師の「一八を騙してしまう男」は自己を主張せずフワフワと掴み所が無いので、聴いている側も「あれ、この旦那何者なんだろう?」と、一八と同じ気持ちになれる。騙されたと気付いて愚痴り始めるところが好き。いまのところ、『鰻の幇間』については、文楽(八代)>円蔵(八代)
January 10, 2006
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輪廻のはなし簡単に言うと、浄土から現世に修行にやってきているのが、いまの我々らしい。詳しくは、今読んでいる『お浄土のはなし』に載ってるので、感想はその回にしようと思う。ひとことここで言わせてもらえれば、「そんな修行は要らん」ということか。最後に、原作者のエッセイともコラムともつかない読み物があるが、この感想をひとつ。狼=悪というイメージは西洋のものだそうで、日本では古来から、狼=大神と呼ばれていたくらい、崇め奉る対象だったらしい。この狼の例以外にも、日本人が古来から持っていると思い込んでいる道徳・倫理・価値観の中には、明治維新以降に根付いた西洋の価値観に由来するものが結構あるはづであり、調べてみると面白いかもしれない。では、日本人にとって古来からある考え方とは何か?原作者は「仏教に学んで身に付けたものの考え方・見方を、そう簡単に棄てて欲しくない」と、コラムを締めくくるが、そもそも仏教自体が聖徳太子の時代に日本に渡来した外来の宗教であり、日本オリジナルの宗教と言えば、神道のはづである。もっともそのころは、天照大神云々というはっきりとしたものではなく、「山の幸・海の幸・大地の恵みに感謝しましょう」程度の自然崇拝くらいのもので、現在の神道と同じにしたら混乱してしまうかもしれない。ともかく、仏教に基づく日本人の考え方も、真の「日本オリジナル」ではない。あー、でも、仏教伝来の頃から日本国としての歴史が(まだまだ不明な点が多いけど)はっきりとしてきているわけだから、「日本オリジナル」と呼んでも差し支えは無いかもしれない。強いて言えば、「外来の宗教・文化を自分たちに適した形にアレンジ出来て、なおかつそれを伝統にしてしまう」、その懐の深さ、応用力が「日本オリジナル」なのかもしれない。
January 9, 2006
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輪廻のはなし全108冊(煩悩の数)ある、仏教についての漫画。原作は全部同じ人だが、作画が回ごとによって違う。仏教については興味があったし、専門書は難しいから漫画にしてみた。まづ、今回の漫画の展開について。自分に降りかかる全ての不幸が、先祖の祟りだとインチキ霊能者に言われた男子高校生が、祈祷代をアルバイトで稼ぐ一方、彼に惚れている女子バレー部キャプテンが、バレー部のコーチに相談してみたところ、コーチはお寺の跡取りで仏教に詳しく、輪廻について解説してくれ、インチキ霊能者に祈祷代を払う寸前で彼を説得。騙されずに済んだ、という荒唐無稽な話。死ぬときの不安や苦しみについて、それは「もっとこの世で快楽を味わいたいという欲があるからだ」と、この作品では言う。欲に関しては、様々な解釈があるだろうが私が考えるに、「死にたいと考える人、つまり自殺志願者は死にたいという欲がある」のではないかと思う。死にたくないのに、病気や暴力で命を落とす人もいる。ほとんどの病気が治ってしまう環境にいて、滅多なことでは飢え死にしない環境にいて、物騒な世の中になってきたとはいえそう頻繁に命まで奪ってしまう理不尽な暴力のある世界にいるわけじゃなし、どうとでも生き延びられる社会である(少なくとも日本は)。それなのに「死にたい」というのはこれも「欲」なのではないだろうか。もちろん、死にたい人それぞれに悩みはあろう。でも、不治の病原体ウイルスや、殺気だった人間の引き金にかけた指の前では、誰に相談もできないだろうが、「悩みゆえの自殺」は、救いの手がまだまだあったと思う。ゆえに、「まだ生きることができるのに」死にたいと考えるのは、それも「欲」だと私は考える実のところ、自殺に関しては、私自身考えたこともないし、周りにもいないからよくわからない。なので、上記のような考えが出てくるのかもしれない。さて、自殺という「死にたいという欲」があるとすれば、ますます欲というものが分からなくなる。「『死にたくない』という苦しみの原因が『欲』である」であるならば、「『死にたい』という苦しみからの逃避の原動力もまた『欲』である」とも言える。「死にたくない」のも「死にたい」のも「欲」が因となって起こる思考なのである。では、「欲」とはなんなのか?「欲」を持ってはいけないのか?でも、「欲」を持たないと人間は死んでしまう。俗に言う三大欲、「食欲」がないと体力を維持できないし、「睡眠欲」がないと体を休めることが出来ない、「性欲」がないと子供を作れない=生命のリレーができない。仏教では「欲」をどう解釈しているのか?もっと具体的に「自殺」を仏教から見るとどうなのか?気になるところである。
January 8, 2006
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火の鳥(別巻(ギリシャ・ローマ編))『エジプト編』、『ギリシャ編』、『ローマ編』は、『少女クラブ』に連載されていたもの。つまり、少女マンガである。主人公はダイヤとクラブ。この二人が、火の鳥の生き血を飲んで三千年の生命を得、エジプト→ギリシャ→ローマと、歴史に、運命に翻弄される。また、火の鳥の成長もテーマのひとつ。シリーズでは、火の鳥は自ら火口に身を投げて、また雛鳥となって生まれ変わるという設定だが、この本では、三千年生きた火の鳥が、生涯に一度卵を産み、雛がかえると、その雛に後を託して自ら燃え尽きる、という設定。後半は単行本初収録の『黎明編』昭和29年に『漫画少年』で連載していた、『火の鳥』シリーズの大原点となる作品。<エジプト編>スタートは、クラブがエジプトの王子として、ダイヤが奴隷だが、もとは他国の王女という設定。王子の継母の陰謀により、ファラオは暗殺され、クラブが新王として即位するも、またもや継母の陰謀により殺されてしまう。ダイヤもあとを追って自殺。だが、その前に火の鳥の生き血を飲んでいたので、二人は死んでいない。眠ったままの二人は、ナイルの氾濫で、流されてしまう。<ギリシャ編>トロイとスパルタの戦争が舞台。別々に流されていた二人の体は、それぞれトロイ側とスパルタ側に拾われ、戦争に巻き込まれていく。二人が流されている間に、かなりの年月が経過しているようだが、「ずっと海水にもまれたままなのに、無事やないかい!」といった類のツッコミは無かったことにしてくだされ。つまり、「火の鳥の生き血を飲んだから」、「少女漫画だから」ってなことで。記憶を失った二人は、それぞれ兄妹だと信じ込む。致命傷を負ったダイヤと一緒にクラブは海に身を投げて、ギリシャ編終了。<ローマ編>ここでは、ローマのパン屋の息子と娘という設定。父親が「戦の褒章として」宝物庫に合った二人の体を引き取って、45年後に息を吹き返したという話。ここでもまたもや矛盾。ギリシャ編のラスト、クラブとダイヤの亡骸を拾った人格者の将軍が手厚く葬ったはずなのに、いつのまにやら宝物庫に安置されている。葬ったシーンが無いので分からないが、土葬だったら誰かが掘り起こしたのか(だから、宝物庫にあったのか)?まぁ、これも「火の鳥の生き血を飲んだから」、「少女漫画だから」ってなことで。奴隷として囚われた二人が、火の鳥の助けを借りてローマ皇帝を懲らしめて、クラブが次の皇帝になろうというところで、物語は終わる。『走れメロス』的な展開もある。<黎明編>イザナギ・イザナミの兄妹を主人公に、南方系の民族が黒潮に乗ってやってきたという日本人のルーツや、『古事記』、邪馬台国など、古代日本の伝説をごちゃまぜにした作品。子供を対象にした作品だが、日本人のルーツなどよく調べてあり、それも子供向けにさりげなく説明している。『古事記』や邪馬台国関連の人物なども、うまい具合に混ぜられており、1人の人物が何人分もの設定を持つ(例えば、イザナミが天照大神だったり、イザナギがニニギの皇子だったり)。なお、ここでも火の鳥は卵を産んで、次代に引き継いでいくやり方(卵を産むまでは死なない)。展開が早くてわかりやすく、続きが気になるところだが、未完で終わっている。出版社の倒産が原因だが、その後、舞台をいろいろな国や時代に設定したシリーズとしての『火の鳥』に発展している。邪馬台国やクマソなどは、その後のシリーズでヴァージョンアップして描かれてあるが、私としてはこの『黎明編』自体の続きが気になる。当時の少年少女が手塚治虫に夢中になった理由がよくわかる。
January 7, 2006
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ブラック・ジャック(10)各話ごとの感想。『アヴィナの島』……南の島の儀式。『火の鳥』のラストにありそうな結末。『えらばれたマスク』……間黒男の父登場。黒男の辛辣なメッセージ。溶接スタイルで天ぷらを揚げるピノコ。『復しゅうこそわが命』……間黒男に復讐しようとした(事実は、黒男は復讐の対象ではなかった)女が、新たな人生を生きようと決意できて良かった。『やり残しの家』……間黒男の家の話。頑固棟梁、原爆の後遺症。ずっと待ってる黒男の一途さ。『海のストレンジャー』……間黒男の顔がこの話だけ微妙に違って見えるのは気のせい? 情が移った動物が死んでしまう話は、ある意味ずるい。『ピノコ還る!』……誘拐犯(そのうえ泥棒でもありギャンブル狂)に振り回される(振り回してる?)ピノコ。『カプセルをはく男』……密輸までやって寄付を続けた院長。汚い金の寄付でも、その事実を知らなければ喜ぶ人々。そんな父を誇りに思う娘。最後は、罰が当たってしまう。『骨肉』……間黒男の父、再登場。黒男を消そうとした黒幕は、『えらばれたマスク』で、実の母親の顔そっくりに整形手術を受けた、義理の母親。皮肉なものである。ラスト、腹違いの妹が犠牲に。『盗難』……ここにも間黒男に惚れた女が。モテモテですなぁ、センセイ。『灰とダイヤモンド』……ドケチな金持ち。正義感の塊の若き医者。患者の要求が優先か、困った人々を救うのが優先か?『あつい夜』……戦争中の殺人は罰せられない。戦争が終わると殺人は犯罪になってしまう。殺し屋の正体が意外な人物。『身の代金』……人質に情が移ってしまった誘拐犯。誘拐犯に情が移ってしまった人質。『人形と警官』……防犯用の人形に情が移ってしまった警官。そして人形が縁結びの神様に。『お医者さんごっこ』……ドラえもんみたいな設定。ただ、のび太(らしき子供)が役者の倅ってとこと、ジャイ子(らしき子供)が美人薄命っぽい点が違う。妹思いのジャイアン(らしき子供)は、もうそのまま。間黒男の真似をしているところへ本物登場。
January 6, 2006
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ブラック・ジャック(6)各話ごとの感想。『土砂降り』……ラヴ・ストーリーになるも実らず。悲しい結末に。『からだが石に……』……実在するのか疑いたくなるような奇病。そして、脳の入替なんて出来るのかしら?『老人と木』……一途な木への思い。老人に新たな生きがいが出来てよかった。『二度死んだ少年』……死刑が確定されるであろう少年を死のふちから生還させて、改めて司法の場で死刑にしてしまうのはいかがなものだろうか?『獅子面病』……刑事の執念と、間黒男の起こした奇跡を目の当たりにしたときの心変わり。最後の刑事の台詞と表情。『サギ師志願』……三つ目がとおる、ゲスト出演? 珍しく報酬を受け取らない間黒男。『短指症』……実の子ではないと、疑ってかかった牧場主。でも、実の子であるまぎれもない証拠。『火と灰の中』……父子による骨肉の争い。間黒男が火山にいた理由が強引過ぎるような気が。『報復』……医師会って、総理以上の権力があるの? 会長の懇願する姿で終わっているが、続きが気になる。『震動』……新幹線のせいにしているが、親父さんが石を投げなければ、大惨事にはならなかったはづ。悪いのは親父さんなのでは?『ナダレ』……この話も良かった。自分の兄弟分のシカを自分で始末せざるを得なかった大江戸博士(ロック・ホーム?)の心中は計り知れないものがある。ラストの間黒男「人間は動物をさばく権利があるのかね?」 ただ、冒頭が『もののけ姫』っぽいと思ったのは、気のせい?『閉ざされた三人』……仮死状態にして1人分の酸素を浮かした間黒男。『身代わり』……病院の権力闘争。変装を見破った純粋な心(つーか、見抜けないほうがおかしいけど)。『恐怖菌』……ドクター・キリコ登場。ラストのキリコの笑み。間黒男の粋な計らい。
January 5, 2006
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ブラック・ジャック(2)例によって、各話ごとにひとこと感想。『針』……山田野先生のヒゲはあり得ない。それと、針が血管を通っていずれ心臓に至りそれが刺さって死に至る、という話を小さい頃聞いて、トラウマになったことがある(先端恐怖症とまではいかなかったが)。ひょっとしたら話の出どころはこれだったのかもしれない。『おばあちゃん』……30歳の男の母親にしては老けすぎてる気が。いい話に仕上がっている。『シャチの詩』……秀逸! 今のところ、『ブラック・ジャック』で1、2を争う話。本当の漁場荒らしは、主人公のシャチ(トリトンという名前!)ではなく、仲間のヤクザなシャチだったのではないだろうか。だとしたらこの結末は悲しすぎる。『三者三様』……受験戦争が過熱し始めた頃の話ではなかろうか? 人の縁とはこんなもんだろう。『地下壕にて』……銭ゲバ人間とはこんなものだ。『ダーティ・ジャック』……タイトルのように間黒男のダーティな一面は感じられなかったのだが。『友よいずこ』……間黒男の顔の一箇所だけ色の違う部分の話。黒男の誇りとなるタカシから貰った皮膚。『誘拐』……展開は読めちゃった(どっかで似た話を聞いたことがあるかも)。『流れ作業』……この出来事以後の院長が気になる。『助け合い』……間黒男も熱い男。「義」に生きる男だぜぃ。『ストラディバリウス』……ヴァイオリニストの執念、間黒男を諭す。『ハッスルピノコ』……ピノコファンへのサービス? ピノコはトットちゃんみたい。『病院ジャック』……暗闇でカンだけで手術をする間黒男。『座頭医師』……琵琶丸登場。タイトル通り、座頭市を意識? 間黒男は腸が弱かったのか…。
January 4, 2006
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火の鳥(9)<宇宙編>ミステリー風の一編。個人用ボートで宇宙船から脱出した4人が、脱出間際に死んだ牧村の死因や、彼の素性について各人の持っている情報を交換、牧村とは一体何者だったのかを探っていく。また、火の鳥の村らしきものも登場。火の鳥の素性(といっても一部だろうが)も登場。牧村は、死ぬことを許されず、老いては若返り、若返っては老いることを流刑星で繰り返す罰を受けたのだった。流刑星は、植物が動き、動物が地面に固定されている。そんな世界で、唯一の「動く動物」として牧村はこれから死ぬことなく老若を繰り返していくこととなる。この流刑星は、小林よしのりの『おぼっちゃまくん』でも似たような設定の星が出てきた。もちろん、『火の鳥』が先だろうが。各編が異色な物語の『火の鳥』の中でも、特に異色な一編。<生命編>「大都会でクローン動物を撃ち殺す」番組のプロデューサーが、視聴率低下の打開策として、クローン人間の狩猟を思い立つ。世界で唯一のクローン生物研究所のあるアンデスへ向かい、火の鳥の化身(?)の試練に耐えてクローン人間を作ってもらうが、自分のクローンが何十体と出来てしまい、日本から同行のスタッフにクローンと本物と一緒くたにされ、日本に送られる。プロデューサーの思惑通りの番組が始まったが、第1回は、プロデューサー自身がクローンと一緒にハンターの的になってしまう。プロデューサーは、成り行きで小さな女の子と北海道に逃走。そこで十数年を隠れて過ごす。十数年経っても、番組は続き、プロデューサーのクローンは日本でも開発できるようになっていた。プロデューサーは自分の罪を償うために、その開発所を爆破する。と、あらすじを書いてみた。まず、今日のクローン技術について、手塚先生自身の辛辣なメッセージがこめられている。でも、私が惹かれたのはむしろ視聴率のために過激な企画を思いつくプロデューサーと、それにノッてしまうスポンサーの醜さである。さすがに、動物を狩ることで番組を成立させてしまう企画は今のところ無いが、それでなくても、昨今、くだらない番組が多すぎる。まぁ、私が「くだらない」と言ってみたところで、多チャンネル時代に1クール乗り切った番組は、それだけ視聴者の需要に応えたことになる(需要があったから作ったのか、需要自体を作ったのか、それは置いておこう)。視聴率が稼げるくだらない番組、大衆に指示されている番組があっても私は認めない。話が逸れた。つまり、言いたかったことはこの『生命編』の設定は現代でも物語ですまないような現実感があるということだ。『生命編』『宇宙編』ともに、火の鳥よりも、それが人間の形に模した「化身」が出ており、やはりこの一冊自体が異色の作品集ということになる。
January 3, 2006
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シャイニングフォース 神々の遺産メガドライブから始まるSEGAのハードでは不朽の名作。『II』はPlayした記憶があるのだが、『I』は定かではない。今回、PC用として発売されていたので、その『I』をやってみた。いや、おもしれぇのなんのって。同じシミュレーションRPGでも『ファイアーエンプレム』はイマイチ馴染めなかったが、シャイニングシリーズは入っていける。なにせ、無駄なイベントが無い。これがいい。繰り返し言うが、RPGのイベントほど厄介なものは無い。まだRPGをPlayする気力があったころ、とばせるイベントはとばしていたし、強制的に見ないといけない場合は、終わるまで周辺の片付けをやっていた。昨今の技術の進歩によって、凝ったイベントが作られるようになればなるほど、だんだんとRPGから遠ざかってしまう。ま、それはいい。この『I』は、1992年の作品だそうだ。13年間の技術の進歩には素直に凄いと言おう。内容に入る。結論から言えば、魔法使いのレベル(魔法レベルとMP)を上げていればクリアできる。もちろん、主人公の使う最強の剣「カオスブレイカー」も必要である事は言うまでも無い。このカオスブレイカーは世界に一本きりなのだが、裏技によって増殖可能らしい。剣を装備できるキャラに持たせて攻撃させれば、ラスボス戦はもっと容易になる。あとは、回復系のキャラ、アイテムゲット用の飛行可能キャラなどなど。半人半馬のナイトは機動力はあるが、森林・山岳地帯だとむしろ足手まとい。場所を選ばない飛行系キャラに劣る。魔法生物・ドミンゴは役立つ。高い防御力、高度な魔法、Lv1から戦力になれる。1回クリアして、いま、2巡目。攻略法が載ってるサイトを見ながら、隠し要素の確認。「すごい水着」と「きつい服」、戦闘シーンでもグラフィックが変われば良かったのに。なお、下記は私がお世話になったサイト。うえぽんのゲームランド-セガ系レトロゲーム攻略SHINING GENEALOGYKIHAKUの最近どぉ?(仮)メガドラ部
January 2, 2006
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あけましておめでとうございます。当ブログも、12月の未記入分の処理も終わって、ようやく新年を迎えることが出来ました。とは言っても、これを書いている時点ですでに1/12。遅すぎる年始の挨拶でありますが、前にも話したとおり、所詮12日前に年が明けたってことなんざ、暦の上での出来事であり、人間どものグレゴリオ暦に地球が付き合ってくれるはずも無く、「それでも地球は回っている」。大いなる地球、宇宙の神秘に人間どもが勝手に法則性を見つけただけなのであります(ナニイッテンダカワカラナイ…)。ちなみに、前回、現在の暦を「グレゴリウス暦」と紹介しましたが、正確には「グレゴリオ暦」だそうです。グレゴリウスとは、言い出しっぺのローマ教皇グレゴリウス13世のことであり、あながち自分の記憶は間違ってはいなかった、むしろ、読み方によっては「グレゴリウス暦」も充分ありうるわけでして…。年始の挨拶を見ていると、いまだに「新年明けましておめでとうございます」とぬかしている輩がいらっしゃいます。昨年の年始にも申しあげましたが、「新年」と「明けまして」とは同じ意味なのだそうで、正しくは「あけましておめでとうございます」もしくは「新年おめでとうございます」。こういった間違いが、新聞・TV・ラジオ・広告チラシに蔓延している実態は、遺憾の極みであり、憤りに身悶えする年始なのであります。年始の挨拶の話題のついでに、中田カウス・ボタン師匠が年末年始に年賀状のネタをよくやりますが、あれもなかなか年始の挨拶の間違いを指摘した非常に含蓄のあるネタなのですね。さて、私ダブルチョップの今年の目標ですが、ずばり下の三項目を挙げたいと思います。・エゴイズム・ストイック・三題噺話せば長くなるので簡潔に説明しますと、元々人間は「エゴイズム」の塊でありますので、その原点に立ち返ること、「ストイック」に己の道に精進すること、そして「三題噺」。三題噺とは元々、落語で客席からランダムに3つのキーワードを貰って即興で噺をつくる言わばゲームみたいなものであります。私は落語家ではありませんが、この三題噺に今年の活動のヒントが隠されているような気がします。えっ、「何の活動か?」って?それはヒ・ミ・ツ。うふふふふ…。今年もダブルチョップとダブルチョップ倶楽部をよろしくお願いします。
January 1, 2006
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