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2024年7月15日にNHKでプロジェクトAIという大変興味深い番組があった。5月に全国の高校のAIを活用したディープランニングコンテスト(Dコン)が開かれた。東京都立産業技術高等専門学校の「AIを活用した詐欺電話を見分ける装置」が優勝した。電話に取り付けられたこの装置は、AIは膨大な過去の詐欺電話の手口を学習している。実際に詐欺電話がかかってくると、高速で会話内容を分析する。詐欺電話と気づくとすぐに赤色灯が点灯して知らせてくれる。開発のきっかけは、メンバーのなかに実際に詐欺被害に遭った人がいたことだった。泣き寝入りをすることが多い中、逆に被害の撲滅に向かって取り組むために立ち上がったのだ。研究は仲間に呼びかけて9名で役割分担をして取り組んだ。実際には3つのことを行っている。1、詐欺で頻繁に使われるNGワードがあります。これらをAIに学習させている。2、詐欺電話をかけてくる人は早口である。発語速度が普通の会話では一秒間に6.39語だが、詐欺電話の場合は8.15語以上になっている。早口でしゃべって相手にしゃべるゆとりを与えないようにしているそうだ。この特徴をAIが分析している。3、詐欺電話でよく使われるキーワードの特徴を数値化している。AIが類似度で判断している。この3つに当てはまると、10個の赤色灯が順次点灯する。千葉県警の生活安全課で実験をしたところすぐに見破った。千葉県警の担当者はこの装置の威力を高く評価していた。これをさらに改良して、スマホやパソコンにかかってくる詐欺電話やメールの撲滅に結び付けてほしいという話でした。ベンチャー企業を支援している人からは、この装置は販売価格が1万円程度と安価であり、すぐにでも実用化が可能であると判断されていた。AIを活用した技術革新は今後加速度を増していくと言われている。その背景を分析してみました。・CPU、GPUの処理能力が飛躍的に向上していることが上げられる。膨大なデータを高速処理することが可能になっている。その開発スピードはさらに加速されることが予想される。・インターネットの普及により、ありとあらゆるビックデータが比較的簡単に収集できるようになってきた。・これらの条件が整ったことで、AIは膨大なデータを高速で処理する。さらに膨大なデータを整理分類して、パターン分析を行う。そして、人間が即座に判断できないような事案に対して、過去のデータ分析から最適対応法を提案する。それも一つだけではなく3つも4つも提案してくれる。リスク面のフローもきちんと行ってくれる。単純作業、危険作業、介護作業、物流作業、重労働などは、進化したAIを活用した時代がやってくることはほぼまちがいがないようです。AIの活用は成長の過渡期であり、賛否両論あります。しかしAIの活用はすでに弾みをつけて動き出しているという認識を持って注視することが欠かせない時代に突入していることは確かなようです。
2024.09.08
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渡辺和子さんがミヒャエル・エンデのファンタジー小説「果てしない物語」という本を紹介されている。一人の少年バスチャンがアウリンという不思議なメダルを授けられた。このメダルは自分の望みをかなえるメダルであった。チビで太っていたバスチャンはすらりとした美少年になることをお願いした。次に、気の弱い、いじめられてばかりいた少年は、ライオンはおろか騎士たちを従える勇者になることを願った。また勉強のできなかった彼は、どんな難しい事態も解決する賢者になることを願った。それらの願いはどんどん叶えられていった。ところがこのメダルは一つの望みを叶えるたびに一つの記憶を失うメダルであった。バスチャンは自分の住んでいたところ、学校のこと、父親のこと、果ては、自分の名前までも忘れてしまった。そんなバスチャンに、あと一つだけ望みを叶えることが許された。バスチャンはもはや偉大なもの、強いもの、賢いものが欲しいとは思わなくなっていた。今まで獲得したものを失っても構わないから、ありのままの自分を愛せる自分になりたいと願った。渡辺和子さん曰く。自分を愛することができない人は、絶えず嫌な自分とともにいなければならないのである。こんな辛いことがほかにあるだろうか。「我ながら呆れる自分」「まったく嫌になる自分」「愛想のつきる自分」というものが必ずある。あるのが当たり前である。誰しも「ほれぼれする自分」であったらどんなにいいかと思いながら生きている。しかし現実は、期待に添っていない自分を見出すことがなんと多いことか。そんな自分に失望することなく、そんな自分を否定したり、いじめたりすることなく、「お前は馬鹿だね」と話しかけながら仲よく暮らしていくことが、自分へのやさしさなのである。優しさということを考える時、私たちはとかく「他人」に優しくすることばかり考えて、「自分」に対して優しくすることを忘れがちである。「どうしてお前は、もっと他人に優しくできないのか」と自分を責めたりしている。しかしながら、他人に優しくできるためには、まず自分自身に優しくなければならないのだ。それは決して、自分に甘い点をつけるとか、いい加減に生きるということではなく、ましてや利己的に生きることでもない。それはどんなに惨めな自分も、それを受け入れていくということである。(あなただけの人生をどう生きるか 渡辺和子 筑摩書房 142~147ページ要旨引用)自然に湧き上がってくる不快な感情、心配性な神経質性格、人並以下の容姿、不十分な能力、理不尽な運命、不幸な境遇、心身の病気や老い、地震などの自然災害、他人からの不当な扱いなどが次々に起こってきます。それらを目の敵にして喧嘩を売るよりも、あるがままに受け入れて、自分に与えられた境遇で、与えられたものをできるだけ活かして生きていきたいものです。
2024.09.02
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渡辺和子さんのお話です。私たちは誰しも、「ありのままの自分」と、「見てもらいたい自分」の、二人の自分を持って生きている。「ありのままの自分」は有機体だから、病気もすれば歳もとる、感情が高ぶることもあればおちこむこともある自分だ。ところが他人にそういう自分を見せたくなくて、「見てほしい自分」を演技するところに無理が生じ、不自由になってしまう。「ありのままの自分」と、「ありもしない自分」との間のギャップが大きければ大きいほど、隠すものが多くて疲れは激しい。絶えずそれらしく見せかけ、ボロが出ないよう気を使わないといけないからだ。それはちょうど、着なれないよそゆきの着物を一日中着ていて、家に戻って脱いだ時に感じる疲れのようなものである。そんなに苦労してまで、どうして「ありもしない自分」を保とうとするのかといえば、多分、そういう自分でないと他人が相手にしてくれない、他人に好かれないという恐れがあるからではなかろうか。デートの時に、念入りに化粧し、相手の気に入るように振舞おうとする心理に似ている。このような「見せかけの自分」から自由にしてくれるのは、自分を、ありのままの姿で愛してくれる人との出会いである。「ふだん着のあなた、素顔のあなたでいいのです。それが好きなのです」という人に出会って、初めて、よそ行きの装いとその窮屈さから自由になり、人は本来の自分の姿を見つめる勇気を与えられるのだ。(目に見えないけど大切なもの 渡辺和子 PHP文庫 28ページ)「ありのままの自分」で生きぬき、75歳で全身ガンで亡くなられた樹木希林さんをご紹介したい。娘の也哉子さんによると、樹木希林さんは、「恥ずかしいことほど人前に晒す」ということを信条としていた節がある。2018年公開の「万引き家族」という映画で入れ歯を外して演技された。髪もぼさぼさにして手入れもしないで出演した。この映画を見た人から「女優がそんなことをするのは、ヌードになることより恥ずかしいことだ」と言われたそうだ。この映画で、みかんにかぶりつくシーンがありました。入れ歯を外しているから、歯茎でしごくのよ。歯がないっていうことはそういうことなのよ。人間が老いていく、壊れていく姿を見てもらいたかった。樹木希林さんは、演技や自分の生き方や考えを通じて森田の神髄を語られているように思う。一部を紹介します。・欲や執着があると、それが弱みになって、人がつけこみやすくなる。・人間でも1回、ダメになった人が好きなんです。・しっかり傷ついたりヘコんだりすれば、自分の足しや幅になる。・どんな素材でもそれが光る場所に置いて活かしたい。・淡々と生きて淡々と死んでいきたい。(一切なりゆき 樹木希林 文芸春秋 目次より)
2024.08.22
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事実が見えてくることのメリットを考えてみました。私はプロ野球のファンです。ときどき球場に出かけます。暑さには閉口しますが、臨場感はテレビでは味わえないものがあります。観客の声援、ホームランボール、電光掲示板の鮮やかさなどは刺激的です。普段はテレビ観戦です。しかしたまにテレビ中継されないときがあります。そんなときはラジオを聞いていますがテレビと違って迫力がない。そこでインターネットの「スポーツNaVi」を開いてみた。映像がない。音声がない。情報の伝達が遅い。情報の入手が遅れる(事実確認が遅れる)ということは、大きなストレスを抱えることになるというのが私の実感です。野球で判定が紛らわしいときは、監督の要請に応じてビデオ判定がされます。以前はそんな制度がなかったので、納得できない人は激しい抗議をしていました。そして勢い余って暴言や暴力行為で退場になる監督、選手もいました。現在はあらゆる角度からのビデオを見ると一目瞭然です。事実が分かれば、抗議した監督も納得して判定に従います。ファンも納得できます。これが事実の力です。最近は南海地震の注意喚起がテレビ画面に出ています。これは不安をあおっているだけではないのかと思うのは私だけでしょうか。地震発生時のアラーム音と「地震です。強い揺れにご注意ください」というアナウンスほど心臓に悪いものはありません。せめて震源域を教えてほしい。もしこれが事前に予知できれば不安はかなり解消できるのではないでしょうか。私は不安軽減のためそういう情報サービスに加入しています。ある程度は不安が解消されているように感じています。これによると地震予知は大変難しいということがよく分かりました。しかし全く手がかりがないわけではありません。地殻変動などを細かく観察していると、かすかな地震の前兆があります。大地震の後で振り返ってみるとあの現象がそうだったのかというようなものです。地震予知にはいろんな手法があるようですが、その中でも事前に地殻の変動を捉えることがかなり有効性があるようです。8月8日に日向灘でM7.1の大地震が起きました。それに先立って7月30日にM5.3の中規模地震が起きています。これに誘発される形で今回の日向灘地震が発生したようです。これで終わればよいのですが、地震の場合は次の大きな地震を呼び寄せます。これがトリガーとなって、九州から四国、紀伊半島、中部地方を震源域とする南海地震が起きる可能性がにわかに高まってきたのです。南海地震が誘発されると、30万人以上の人命が失われると想定されています。私は大丈夫と思っていても、海岸線に近い大型ショッピングモールなどに出かけていると、高台に避難することは難しくなるのです。現在不安をあおるだけで地震予知の情報はほとんど知らされません。地震予知が難しいのは分かりますが、わかる範囲で結構ですのでいろんな情報を知らせてほしいのです。GPSによる地殻変動の様子がほぼ分かっているのでしたら、せめてその情報は流してほしいのです。その情報を活用するかどうかは個人責任ということでどうでしょうか。予知機能の精度が低いので専門家だけが情報共有すればよいというのは如何なものでしょうか。地震発生の予知情報を持っていれば、震度6~7程度の地震に遭遇したとしてもそれなりの覚悟ができます。無知の状態で大地震に遭遇すると、固まってしまって一歩も動くことができなくなるのではないでしょうか。ヘルメットをかぶったり机の下に身を隠すこともできなくなる。特に風呂に入っている時や就寝中の場合は手も足も出なくなります。事前の準備にも雲泥の差が出てきます。転倒が予想される家屋から逃げる。家具やテレビや冷蔵庫の固定をする。食器や酒の瓶類や本箱の整理。棚の上のものや額縁などの片づけ。自動車の移動。津波に対して避難経路を確保する。生活必需品の持ち出しなど。できる限りの準備をして、それ以上の災害に巻き込まれた場合は仕方ないとあきらめもつきますが、準備もなしに大災害に巻き込まれることは大きな後悔が残ります。地震対策は身近な人と話し合い情報交換することが大事になると思います。和歌山県串本の海金剛です。なおこのブログは、本日で5000投稿の節目を迎えました。今後ともよろしくお願いいたします。
2024.08.14
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曽野綾子さんのお話です。本当の意味で強くなるにはどうしたらよいか。それは一つだけしか方法がない。それは勝ち気や、見栄を捨てることである。すぐばれるような浅はかな皮をかぶって、トラに化けた狐のようなふるまいをしないことである。世間は人間の弱みや弱点など、すべて承知ずみなのだ。金のないことも、一族のなかにヘンな人間がいることも、子供が大学にすべったことも、そんなこと、あちらにもこちらにもごろごろ転がっていることなのである。それなのに、自分だけは関係のないような顔をすること自体が、もうおかしい。勝ち気や見栄を捨てた時、人間は解放される。かっての私の首や肩のように、こちこちではなく、しなやかな感受性をもち、自由になれる。その自由さの中で、人間は光り輝くように、その人らしく魅力的になり、かしこげになり、金はなくても精神の豊かさを感じさせるようになり、大人物に見えてくる。自分の弱点をたんたんと他人に言えないうちは、その人は未だ熟していない人物なのである。(善人はなぜまわりの人を不幸にするのか 曽野綾子 祥伝社黄金文庫 90ページ)自己開示 懇親会で 全開放これは発見会川柳で最優秀賞をいただいた作品である。自分が不利になるような事実を隠さない、ごまかさない、言い訳しない、責任転嫁しないだけで人間関係は大きく改善できます。イソップ物語の北風とマントのように、人が近寄ってきます。逆に弱点や欠点を隠すような工作を行っていると、すぐに見破られてしまう。人並に修正しようとすると時間もお金もかかり、思ったような成果は上がらない。それを面白おかしく周りの人に拡散するので、自分の周りは敵だらけということになります。弱点や欠点を開示すると、みんなに嫌われ、仲間外れにされて生きていけなくなると思っているのだと思います。これは認識の誤りです。弱点や欠点を開示した方が、みんなに親しみを持って受け入れられるというのが真実です。弱点や欠点を潔く受け入れて、自分の強みや長所、得意な面を磨いていくほうがよほど楽で有意義な人生を送ることができます。
2024.08.13
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広島県立加計高校は廃校の危機を乗り越えただけではなく、今や志願倍率1位の人気校へと変身した。不思議なことがあるものだ。今日はその秘密をご紹介したい。加計高校のある広島県山県郡安芸太田町は人口5500人の過疎の町である。2003年にはJRも廃線になった。広島の県立高校は全校生徒が80人を割ると廃校処置がとられる。加計高校は2014年90人まで落ち込み、廃校の危機を迎えた。危機感を抱いた町の人たちは、「子どもがいなくなると町が衰退する」と「加計高校を育てる会」を発足させた。当面1学年40名、全学年120名を目指した。広島県教育委員会に働きかけて「特定校」の認可を受けた。「特定校」の認可を受けると、全国各地から生徒の募集が可能となるのです。不足分を全国各地から集めようという戦略に出たのだ。全国から生徒を募集するためには、魅力のある学校にすることが欠かせない。今までにない取り組みを考えて実行に移した。そのためにまず5億円をかけて60名収容できる「黎明館」という学生寮を作った。全室一人部屋、冷蔵庫、エアコン、棚、机、ベッド、無線WiーFi完備。食事は1日2食、朝食と夕食を提供している。寮費は1ヶ月4万円。これで県外の生徒を受け入れる拠点ができた。つぎに大学進学希望者のために、「加計高校を育てる会」が費用を負担して無料の公営塾を開設している。これは土曜日、日曜日にそれぞれ6時間、国語、数学、英語の授業を行っている。令和4年度は10名以上が難関大学に進学を果している。部活動の参加者は92%と多い。特に射撃部、美術部は全国的にも有名です。その他、野球、バレーボール、卓球、茶華道、軽音楽があります。運動部と文化部はほぼ半数ずつです。加計高校は、ハワイのホノカワ高校と韓国のソラク高校と姉妹校提携を結び、毎年5名程度の短期留学生を送り出している。費用は加計高校同窓会が援助している。国際交流には特に力を入れており、ベトナムやインドをはじめとして、毎年100名以上の外国人がやってくるという。授業内容としては、2年生になると大学進学組は理系と文系、保育・福祉の専門分野、ビジネス分野に分かれて専門教育を受ける。SNSで紹介したところ、大きな反響があった。特に女子の入学者が増えたという。金太郎飴のような全国一律の教育ではなく、独自性を出したことが成功につながった。これらの活動が認められて、文部大臣表彰、環境大臣表彰などを受けている。過疎になると子どもが少なくなり町全体に活気がなくなります。高校だけではなく、小中学校もどんどん統廃合されているのが現状です。加計高校のように、その事実を受け入れて、みんなで知恵を出し合うといろんなアイデアが出てきます。たとえピンチになっても、チャンスに変える方法があることを教えてくれています。その内容はSNSで紹介されていますので、興味のある方は是非ご覧ください。
2024.08.11
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小学生の「月刊教材」の中にこんなことが書いてある。鉢仕立ての朝顔の絵がカラーで描かれており、細い支柱が中心に立っていて、そこに朝顔の蔓が時計回りに巻き付いている。この絵の中に間違いがあるので、本物と比べて答えなさいというものだ。そういいながら、次のページに答えが載っている。それによると正解は、次の3つであるという。1、 蔓の巻きかたが反対2、 花は下から咲いてくるので花の下に蕾があることはない3、 一株の朝顔に違う色の花は咲かない。藤田英夫さんが実際に調べてみた。確かに蔓の巻き方はその通りだった。花の色については、淡いピンクとほとんど白といえる花が咲いていた。花の咲く順序も違っていた。咲いている花の根元よりに蕾があった。数日するとそのつぼみが見事に咲いた。教材に書いてあるということと事実が違うということはどういう意味があるのだろうか。藤田さんは、これが問題として出題された場合、自分の目で見た観察は間違いと判定されてしまうことが問題だといわれる。敷衍して言うと、観察などはしなくてもよい。正解を次のページにのせているので、それを覚えればよいのだということになる。自分の目で見て、手に触れて実感したもの、それこそは、その子にとって忘れることのできないもの、かけがいのないものである。自分が確かだと掴んだそのような事実が否定されてしまうことは、やがては自分自身への否定につながっていくことになりはしないか。この朝顔の話は、このことに真っ向から反対の立場をとっています。この場合には答えを載せずに、生徒たちに自分たちが観察した結果をそれぞれ発表してもらう。蔓の巻き方はどちら向きでしたか。花は単色でしたか。蕾は上の方だけにありましたか。などと聞いてゆけばいろんな観察結果が出てくるのではないでしょうか。(人間力をフリーズさせているものの正体 藤田英夫 シンポジオン参照) 1923年(大正12年)9月1日、午前11時58分に関東大地震が発生した。震源は相模湾でマグニチュードは7.9、その後7.3の地震がたて続けに発生している。森田先生はその時の様子を実際に自らの目で詳細に記述されている。(森田全集第7巻の309ページから342ページ)根も葉もない流言飛語が発生して社会が混乱した。その内容は、外国人が大挙して襲来し、一部のものと共謀し、爆弾を仕掛け、火をつける。井戸に毒薬を投げ込み、略奪、殺人など、あらゆる悪事を働いているというものだった。横浜あたりから発生し、1日か2日で東京、神奈川、埼玉、千葉、群馬などに拡がった。流言飛語は、同じ境遇にある群衆が、ある事変に当面して感情が興奮し、精神不安になっている時には、何かちょっとしたことがあってもそれをひどく感じ、あるいは、まったく根も葉もないことまで感情的にそれを受け入れて、実際にあるかのように感じるものである。流言飛語は群集の気分と意向に合致したものだけが広まる。このような混乱に巻き込まれたときは、森田先生のように現地に赴き自分の目で事実を正しく観察することで間違った行動を防ぐことができる。
2024.08.02
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女優の吉行和子さんのお話です。2歳のころからひどい喘息でした。発作が起こると、それはもう死ぬほど辛いのです。でも、これは、誰かに「助けて」とすがったところでどうしようもない病気なんですね。とにかく、ひたすら耐えるだけ。そうすると1週間か10日ぐらいしてやっと発作がおさまるのです。筆舌に尽くしがたいとはこのことで、知らない人にはなかなか分かってもらえない苦しみでした。学校も休みがちで、将来に夢や希望なんか持てなかった。結婚なんてとても無理だと思っていた。家で習っていた編み物やお裁縫が唯一の特技でした。振り返ってみれば、いつも心のどこかに「こんな私だから」という思いがあった気がします。でも「こんな私」でもできそうなことがあれば、やってみよう。「こんな私」でもお役に立つのなら、頑張ろう・・・。病気のお陰で多くを望まなくなったのか、いつも目の前のことに夢中で、それをやっていれば幸せでした。「あれも欲しい。これも欲しい」とはあまり思わない。だから手に入らなかった時の挫折感や悔しさもない。考えてみれば、この性格が、私の心を軽くしてくれているのかもしれませんね。若いころから、自分は芸能界のきらびやかさとは無縁だと思っていました。廻りにどんなに美しく華やかな女優さんたちがいても、コンプレックスを持つこともなかったし、いい役についた人を羨むこともありませんでした。あれだけ苦しんだ喘息も、52歳の年にピタッと治ってしまいました。でもそのかわり、体のあちこち具合が悪くなって、生きるか死ぬかの大病を経験しました。何時間にも及ぶ手術とその後の闘病生活、でも不思議ね。そんなときでさえ私は落ち込まなかった。一つには、半世紀もの間、喘息の苦しさに耐えてきたということもあります。すっかり我慢強い人間になっていたのです。その時、思ったんです。どんなにつらい体験も、その後の困難を乗り越える力になるんだって。病気の経験ですら役に立つのだから、つくづく人生には無駄がありません。また、役者って変なもので、苦しみや悲しみですら「あっ、この感情、何かで使えるかも」なんて役作りの糧にしてしまうようなところがあるんです。(50代から人生を楽しむ人、後悔する人 PHP)吉行和子さんの演技は飄々として他の人をほっとさせるところがあります。それは筆舌に尽くしがたい体験のなかから醸し出されているものかもしれません。過酷な病気との付き合いの中から人生の極意を掴まれているのではないか。普通の人は喘息で苦しいとき、どうして私だけがこんな目に合わなければいけないのと思いますよ。そして人生に絶望して、投げやりになってしまいますよ。吉行さんは、過酷な状況にもかかわらず、何とか折り合いをつけて生きてこられました。そして喘息がおさまったとき、自分がやってみたいこと、自分ができること、人様の役に立つことを見つけて前向きに生きてこられました。この話は肺結核で苦しみながらも、苦しみがおさまったとき、懸命に創作活動を続けた正岡子規を思い出します。これは森田理論でいうと、上から下目線で事実を否定することをやめて、事実を受け入れて、事実に寄り添って共に手を携えて生きていくということです。森田理論を学習している人は、観念優先で事実を否定する生き方の弊害は多くの人が理解しています。ところが事実本位の生き方をものにすることは大変難しいのが実態です。吉行和子さんは、ご自分の体験を通してその道筋を教えてくれています。
2024.07.31
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①観念優先で「かくあるべし」の強い人は、理想の立場に身を置いて、事実を上から下目線で眺めて非難・否定を繰り返しています。この傾向の強い人は。森田でいう「思想の矛盾」で苦しむようになります。②事実優先で、課題や目標や理想を下から上目線で眺めている人は、打開策を求めて努力精進している人です。考えるだけではなく、手足がよく動いています。過度に不安や恐怖に振り回されることがありません。①と②のどちらの態度をとるかによって、その後の展開が大きく違ってきます。今日はその違いを比較してみました。過去のミスや失敗・・・①後悔と懺悔の気持ちでいっぱいになっている。②過去の失敗を貴重な経験として今に活かすことができている。現在の課題・・・①予期不安が湧き上がり行動できなくなる。②「今、ここに」集中することができる。取り越し苦労・・・①悲観的で、明るい展望が持てない。②窮地を打開してよりよくなる道があるはずだと考えている。問題の捉え方・・・①悲観的、自己中心的である。②楽観的、客観的である。鱈から鯛へ・・・①何々だっ「たら」が口癖になっている。②何々をやり「たい」が口癖になっている。自分の欠点・弱点・・・①目の敵にしている。隠している。隠しきれないときは取り繕っている。②欠点や弱点は、長所や強みの裏返しととらえている。隠す必要はないと考えてそのまま公開している。相談相手・・・①問題点を自分一人で解決しようとしている。②自分一人で解決できないときは、適切な人に相談している。考えかた・・・①一つの考え方に固執している。②両面観で見ている。選択肢をいくつか持っている。目の前の課題・・・①自分には無理だと考えている。②ダメもとでもチャレンジしてみたいと考えている。解決すべき課題・・・①できないことに安心している。②できる方法を様々な方面から検討している。目標への挑戦・・・①達成できない理由を探している。②達成できる方法があるはずだと考えている。気持の持ち方・・・①笑っている場合ではないと深刻に考えている。益々悲観的になって落ち込む。②笑うしかないと楽観的に考えている。今が波の底にいて、これから波は反転すると考えている。
2024.07.29
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孫正義氏のお話です。アメリカにTEMPUS(テンパス)という会社があります。8年前にエリック氏によって創業され、今年ナスダックに上場した。この会社は約2000のがん治療の専門病院に最適なガンの治療方針を提示する会社です。今までのがん治療は、その病院の独自性が強く、治療はその病院の裁量に任されていました。治療は限定的でした。別の治療方法の提案や代替治療は、即座に拒絶されるようなありさまでした。必ずしも患者に寄り添った最適治療ではなかったということです。その病院の治療法が尽きて、がんが転移してしまうと、治療を終了して、ホスピスに送られていたのです。この会社は各病院の貴重な電子カルテをアダプタというものを使って共有化することに成功しました。現在アメリカのがん患者の半数(70万人)の遺伝子検査の解析結果を整理・分類している。アメリカではガンになると真っ先に遺伝子検査を行うそうです。この点では、現在の日本では後回しにされているようです。その他、各病院の独自カルテの一元管理、病理データ一の一元管理と解析、CT、MRI等の画像データの共有化を行っている。さらに膨大なデータを進化が著しいAI(人口知能)が分析している。このAIは現在すでにアメリカの医師国家試験に合格する力があるという。医師国家試験は60%の成績で合格できるそうですが、AIは現時点で80%以上の成績をたたき出している。このAIは、今後さらに進化を続けて、約12年後には現在の10億倍の知能をもつと予想されている。多くの基礎データの集積と分析は今後のがん治療を劇的に変化させることが考えられる。AIは遺伝子のコピーミスの違いによるガンの症状別分類、過去の治療法の有効性・無効性などを判定してくれる。その結果、今までの遺伝子検査だけでは27%の最適医療しか提示できなかったが、このシステムを活用することで96%の最適医療が提示できるようになるという。その中には抗がん剤治療、手術、放射線治療のほか、現在開発中の医療、その他代替医療の提示なども含まれる。このシステムを利用すると、提示された最適医療の中から患者が医師と相談して納得できる治療を受けることができるようになる。肺がん一つとっても人によってその容態は違います。抗がん剤一つとってもいろんな種類がある。遺伝子解析の情報をもとにして、AIがリアルタイムでその患者にとって最適な治療方法や治療薬を3つぐらい瞬時に提示できる。もちろん副作用のデーターも提示する。ピンポイントで的確な治療法を選択できる。孫正義氏によると、日本では今年8月からSB・TEMPUSという会社を立ち上げて、すぐにこのデータを活用できるようになるという。日本では、すでに13のガンの中核病院が参加を表明している。その病院独自の電子カルテを変更する必要がないので参加の障壁は低い。軌道に乗れば今後どんどん増えていくことが予想される。情報の共有化は、できるだけ事実に近づくために大切なことだと思う。森田理論も事実の共有化という視点を取り入れてみたいものである。
2024.07.07
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樺沢紫苑氏のお話です。樺沢さんは「ウィスキープロフェッショナル試験」を受けて合格した。これはウィスキーのソムリエともいうべき試験です。2017年現在、今までの合格者はたったの244人という難関試験です。私が受験したのは第11回目でしたので、第1回からの過去問、全10回分を取り寄せて、全問正解できるように勉強しました。そこまで過去問を研究しておくと、出題パターンというのが明確に分かります。「ウィスキープロフェッショナル試験」でいえば、80%は過去問と同じ、またはほぼ同じ問題。20%は新作、あるいは最近、発売されたウィスキーや最近オープンした蒸留所についての問題です。ですから、先ずは過去問をパーフェクトに勉強して、追加で最新のウィスキー事情について勉強しておけばほぼ安心。ということが受験前からわかるわけで、実際に予想通りの形式で、ほぼ予想通りの問題が出題されていました。受験生にとって「敵を知る」ということは「過去問を解く」ということです。過去10年分、全問正解できるようにしておく。過去3年では少なすぎます。過去1年、2年前の類似問題が出されることは滅多にありません。ところが5年前、6年前の問題は、ほとぼりが冷めているので、同じ問題、あるいは類似した問題が出されることが多いのです。おそろしいほどの自信になります。「正しい情報」により、扁桃体を封じ込めるので、過緊張や不安を抑制します。情報収集、情報量を増やすことが、安心感につながるのです。「正しい情報を入れるだけで、脳は安心する」ということを覚えておいてください。森田では先入観、決めつけ、早合点、思い込みは事実を見誤ることが多いと学びました。現地に出向いて自ら事実確認したものを信じて行動するように心がけたいものです。(いい緊張は能力を2倍にする 樺沢紫苑 文響社 174ページ参照)尚2013年9月18日に堀紘一氏の東大受験の取り組みの記事があります。堀氏は樺沢氏以上に過去問の研究をされています。大学受験や資格試験などを目指している方はぜひご参照ください。
2024.06.30
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精神科医の樺沢紫苑氏のお話です。格闘技の選手は、試合前に相手選手のことを徹底的に調べます。過去の対戦動画を見て、まず相手の得意技を研究します。次に相手の苦手なファイティング・スタイルを分析します。そしてベストの戦い方をシミュレーションして、スパーリングなどで、その「必勝パターン」を徹底して練習していきます。その相手が新人で、いきなりトーナメント戦で上位に進出してきた選手だとしたら・・・。過去の対戦成績もよくわからないし、試合の動画も全く手に入らないとしたら・・・。実力はどれくらいなのか?どんなファイティング・スタイルで戦ってくるのか?どんな得意技を持っているのか?そうした予備情報が全くないとしたら・・・。チョー不気味です。そして、不安や恐怖も高まり、緊張も強まるでしょう。相手の実力は何一つ変化するわけではないのに、「敵」「相手」に対しての情報をたくさん持っているだけで安心する事ができます。情報を分析することにより、大脳新皮質が扁桃体の作り出す「過緊張」や「恐怖感」を封じ込めることができるからです。敵について調べる。敵の情報をできるだけ集める。それだけで、過緊張を大きく和らげることが可能です。(いい緊張は能力を2倍にする 樺沢紫苑 文響社 172ページ参照)大リーグで大活躍している大谷翔平選手は、初めて対戦する投手は試合前に動画で球筋や投球パターンを入念にチェックしています。自分は相手の情報を全く持っていない。逆に相手は自分の情報を有り余るほど持っている。このような状況では戦う前からハンディを背負っているようなものです。不安はどんどん高まり、疑心暗鬼になります。練習で技術を高めていくことも大切ですが、それと同じくらい相手の情報をできる限り多く集めるということが欠かせません。さらにその情報をもとにして戦い方を研究していく。森田に「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という話があります。一人で夜の山道を歩いている時、薄が揺れてざわざわと音をたてることがあります。急に恐怖に襲われて、生きた心地がしなくなる。このとき事実確認をきちんとおこなえば問題は起きません。事実確認を軽視すると、頭の中で勝手に幽霊が出たに違いないと早合点してしまう。間違った決めつけをもとにして、慌てふためき急いで逃げようとすると、石などにけつまずいて大けがをしてしまうというものです。立ち止まって事実の確認を行えば、不安や恐怖はそれ以上に大きくはならなかったはずです。神経症に陥りやすい私たちは不安の正体にまずはきちんと向き合うことが大事になります。
2024.06.27
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落語家の立川談四楼氏のお話です。師匠の立川談志は、とても理不尽な上司でした。ある時こんなことを言われました。薬局がとっくに閉まっている真夜中に、「今すぐ、風邪薬を買ってこい」と命じる。その理不尽な要求に対して、弟子がどう対応するかをじっと見ているのです。普通、理不尽で非常識な師匠の言葉に対して、精一杯反抗するでしょう。言い訳を考える。感情を爆発させる。出かけて、時間稼ぎをしてごまかす。こんな師匠についていては、自分の将来はないと師匠の下から逃げ出す。談志師匠にとっては、そんな弟子には用はないわけです。落語家の場合、理不尽なことだらけ、矛盾だらけです。そこから逃げ出さないで、落語家になる夢を追い求めている。そこをクリアーしていない落語家は、面白みのある噺ができない。談志師匠は理不尽にきちんと向き合い受け入れる人は落語家はなんともいえない人間味、味わいを作り出すと考えているのです。立川一門からは、人間味のある落語家を育てるという固い決意の表れだったのです。付き人や前座の仕事を無理やりやらされていると思っているような人は、徹底してこき下ろしました。逆に貴重な体験をさせてもらっていると思って、ていねいに取り組んでいる人は、引き立ててくれるのです。実際そういう人がどんどん伸びていくのを目の当たりにしました。落語家になるための登竜門として「矛盾に耐えろ、そこからエネルギーがうまれる」というのが談志師匠の口癖でした。この話は、森田理論に通じる貴重な話です。巨大地震や土砂災害に遭う。あおり運転や詐欺にあう。ガンや交通事故、大惨事、凶悪事件に巻き込まれる。上司から過大なノルマを与えられて叱咤激励される。上司の不祥事の責任を取らされる。紛争や戦争に巻き込まれる。必死に頑張ったのに目的が達成できない。「どうして自分だけがこんな目に合わなければならないのか。神様は血も涙もないのか」理不尽に耐えかねて不平不満やグチをこぼすことは誰でも経験があるでしょう。苦し紛れに一時的な安心を求めて、観念優先で事実を捻じ曲げる、否定する、逃げ出してしまう。その結果楽になるどころか益々葛藤や悩みを深めてしまう。「矛盾に耐えろ、そこからエネルギーがうまれる」という言葉は、森田でいうと観念で是非善悪の価値批判をするよりも、事実にきちんと向き合いなさい。受け入れなさいということだと思います。理不尽な事実を出発点にして、目標や課題を追い求めていきなさい。これは不安や恐怖に対する森田の考え方と同じです。立川談志師匠は森田のポイントを理解していた人だと思います。
2024.06.17
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キューリはどれもこれもひとつずつ形が異なっている。まっすぐなものもあれば、曲がったりひねくれたのも多い。土と水と太陽の中で、生まれたままの自由な形で自己表現を主張している。われわれ人間にも生来の素質があり、環境によっても性格に違いがあるように、植物にもいろんな差異と変形が生じるのであろうか。言わば遺伝的な性格の違いを、そのまま認めているのである。我々と違うのは、その曲がったまま、ひねたままで精一杯に堂々と成長しているところだ。無理にまっすぐなキューリになろうとはしていない。曲がったままで無心に生きている。私ども人間も生物の一員なのだが、そのかけがえのない資質や性格を排除したり無理に変えようとはしていないか。個性を埋没させ、矯正しようとしてはいないだろうか。生まれながらのありのままの性格を受けいれて、最大限に活かそうとしているだろうか。曲がったまま、ひねくれたままで「自然に服従し、境遇に従順に」生きていきたいものである。(1996年生活の発見誌 11月号より引用)これは平等観と差別観に関係がある話です。人間は誰でも目と耳は2つ、鼻や口は1つずつついています。その点では平等です。ところが一卵性双生児以外は一人として同じ顔の人はいません。人それぞれ固有の身体的特徴を持っています。それは個性というものです。よいも悪いもないはずです。その個性を認めて、個性のままに生きていけばよいはずです。しかし実際には、自分の物差しを使い、美醜の判定をしているのです。それは時代が変われば逆に判定されることもあります。その微妙な違いが時に優越感や劣等感をもたらしています。禿げだ、デブだ、ブスだ、身長が低い、見栄えが悪いなどと判定してしまうと劣等感に振り回されるようになります。神経質性格をよくない性格であると判定してしまうと性格改造を考えるようになります。そんな自分を生んだ親を責めるようになります。このことを森田では劣等感的差別観といいます。元メンタルヘルス岡本記念財団の岡本常男会長は、「人間には10の欠点があれば10の長所がある」と言われていました。自分が元々持っているものや強みで勝負していくことはできないものでしょうか。そのためには、他人と比較して違いをはっきりさせることが大事になります。但しその違いを是非善悪の価値判断に持ち込むことは問題です。そのときは「ちょっと待て」といって思いとどまることが必要です。次にその違いを両面観で見ることが大切になります。弱点や欠点は強みや長所と裏表の関係にあります。弱点や欠点に片寄ることは片手落ちです。神経質性格者はマネージメント力、対人折衝能力などは苦手という人が多いと思います。しかし反面、感受性が強い。好奇心が強い。生の欲望が強い。粘り強い。責任感が強い。物事をより深く考えることができる。分析力に優れている。など優れた性格特徴があります。芸術や創造力の発揮には欠かせないものです。ないものねだりをやめて、自分に元々備わっているものを活かして生きていくしかないと思います。
2024.05.18
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学校の黒板を作っているSAKAWAという会社があります。この会社がここ8年間で急成長しました。従来の黒板を作っている限りここまでの成長は望めなかったと思われます。この急成長の原因は学校用プロジェクター「ワイード」の開発にあります。この製品は黒板との相性がとても良い。すでに5000教室に導入している。これからもどんどん拡大が望めます。日本の黒板を大きく変えていく可能性があります。これは天井にあるプロジェクターから黒板に自由に画像が投影できます。先生はあらかじめ必要なことをパソコンなどで作っておいてすぐに投影できます。最初から黒板に書く必要ありません。図形などもあらかじめ作成します。メリットとしては、時間の使い方が格段に効率的になります。空き時間が無くなるので生徒が授業に集中しやすい。また写真などの映像を取り入れることで生徒の興味を引くこともできます。一番の特徴は、黒板に投影された映像上に自由に手書きができることです。映像と手書きのコラボが簡単にできるようになったのです。取り扱い方も簡単にできる。これを導入している先生の評判がよい。この会社は100年以上続いている会社だそうですが、従来の黒板だけを作っている限り成長は望めませんでした。売り上げが伸びない会社では情熱がなくなり、ますます悲観的な気持ちになっていたと思います。最悪廃業せざるを得ない状況に追い込まれていたと思われます。この会社が成功したのは現状を価値批判しないで素直に受け入れたことにあります。森田でいえば「かくあるべし」を押し付けないで、事実をあるがままに認めることができたということです。事実を認めることができるようになると、今の黒板の問題点が見えてきました。2009年以降教育業界では、電子黒板という製品が出回っていました。SAKAWAでも販売していましたが、たいして普及はしませんでした。学校現場では「使い方が難しい」「機材を置くスペースがない」「黒板との相性が悪い」「画面が小さい」等の問題があり、積極的な導入には至りませんでした。SAKAWAでは使い勝手のよい新たなプロジェクターの開発に取り組んだ。プロジェクターは天井に取り付けるものを開発した。つぎに教室では先生や生徒が自由に動き回ります。そのためスペースをとらない、影が映らない、配線ケーブルが邪魔にならない、1M以内で投影できる超短焦点機材の開発が不可欠であった。さらに縦1200㎜、横3000㎜のウルトラワイド16:6というアスペクト比に対応するプロジェクターを作る必要がありました。試作品を教育現場で見てもらったところ、決まったところにしか投影できないのは不便だという意見があった。自由自在に投影場所を移動できるものが欲しいということだった。例えば国語では右から縦に板書するので、投影は左にしてほしい。英語や算数は左から横に板書するので画像投影は右にしてほしい。これらの問題点を改善して2016年ワイードが完成した。この商品は画期的なもので教育現場で歓迎された。そのおかげで傾けかけていた会社が息を吹き返してきた。従業員の仕事に対するモチュベーションが上がってきた。働くことが楽しくなった。社内の人間関係がよくなってきた。さらに世の中で役立つ商品を開発してゆきたいということでした。この話は欠点や弱点を非難・否定するのではなく、そのまま受け入れて、課題や目標を持って生きることがいかに大切であるかを教えてくれています。
2024.05.01
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私はマンションの管理人をしている。階段の掃除をしていたときに気がついたことだが、上から下に向かっているときはゴミがよく見えていない。反対に階段を下から上に移動しているときは、ゴミの有無によく気がつく。階段の掃除のコツは下から上に向かうことが肝心であることがわかった。話は変わるが、大学時代、神奈川県の丹沢で沢登りに夢中になったことがある。10メーターから20メーターの崖を登っていくスポーツである。経験を積んだインストラクターが先に見本を見せて登っていく。そのインストラクターが頂上から命綱を投げてくれる。我々素人はその命綱をしっかりと体に取り付け、ヘルメットかぶって登っていくのだ。気を抜けば落下するので必死に取り組みました。3点確保を心がけて目の前のことに集中しているときには、ほとんど恐怖は感じなかった。ところがある時、余裕が出てきて、今登ってきたところを見下ろしたとき恐怖心が沸き起こってきた。頭が真っ白になり、金縛りにあったようになって、手や足の震えが止まらなくなった。ヨーロッパのアイガーの北壁を登る人をテレビで見たことがある。これも視線は目の前とこの先くさびを打ち込むところを見つめていた。決して地上や下に目を移さないようにすることが成功へのコツなのだなと思いました。会社などでは、部下は割と正確に上司のことを見ています。それを部下同士で共有しています。反対に上司は見ているつもりでも、部下のことがよく見えていないことが多い。大雑把です。さらに、つい人から聞いた噂話を信じてしまう。親もそうだ。親は子供のことを何でも知っていると思っているが、案外そうでもない。それ以上に、子供は親の事をよく見ていると思う。しぐさや行動や考え方に至るまで全て親に似てくるのは、観察の賜物であると思う。森田理論では上から下目線で現実や現状や事実を見下ろす態度は「かくあるべし」の押しつけにつながると学びました。葛藤や苦悩を抱えて神経症の発症につながります。反対に現状や事実から課題や目標を見上げるようになればやる気が生まれてきます。行動に弾みがついて益々行動的になります。これは森田理論では「生の欲望の発揮」といいます。「上から下目線ではなく、下から上目線でものごとを見る」という生活態度を身に着けることを森田では目指しています。その具体的な方法はこのブログで取り上げていますが10個ぐらいあります。観念重視で事実を見下ろすのではなく、事実から目標や課題を見上げるという態度を是非とも身に着けてゆきたいものです。
2024.04.30
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次のようなことで苦しんでいる人はいらっしゃいませんか。過去の自分がしでかした不祥事を後悔している。過去のミスや失敗をいつまでも引きずっている。他人に不義理、迷惑をかけてかけたことを後悔している。対人関係で相手にいつも気まずい思いをさせてきたと思っている。気分本位で仕事をさぼっていた。寄生虫のような仕事ぶりだったと思っている。子育てで失敗したと思っている。自分の周りには敵ばかりだと思っている。自分の人生は後悔ばかりだと思っている。過去のミスや失敗、恥ずかしいこと、不義理、不祥事などが夢にでてくる。毎日苦しい思いをしている。こんな気持ちが死ぬまで続くのだろうか。そのうち重大な身心の病気を抱えることになってしまうのではないか。長生きすればするほど後悔することはどんどん増えてきます。苦しくて仕方がないという人は、次のように考えたらいかがでしょうか。過去の過ちを否定・後悔しても一文の得にもならない。それよりも、貴重な経験として大事に取り扱うことにする。これからはできるだけ同じ過ちを犯さないように心がける。そして他山の石として他人に情報を開示する。「私と同じような間違いは起こさないでくださいね」と教えてあげる。こういう気持ちで生活すれば、自己否定がなくなります。後悔することが少なくなり、100文の得になる。後悔するということは、上から下目線で自分をいじめていることです。最前線でなんとか踏ん張っている自分を後ろから脅しているようなものです。他人から後ろ指を指されることはどうすることもできません。でも自分で自分を否定することはやめた方がいいと思います。自分を守る最後の砦は自分自身です。かけがいのない自分を最後まで守り抜く。自分は自分の最大の味方になる。そのためには後悔することはやめて、反省することに切り替える。今まで後悔していたことを反面教師として次に活かすことを考えるようにしましょう。
2024.04.26
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相手の言動に腹を立てて「無言電話」をかける人がいるそうだ。無言電話を受ける人の対応は次の5つのパターンに分かれる。「怒って対応する」 「冷静に答える」 「優しい言葉をかける」 「黙ってすぐ切る」 「怯える」無言電話をかけている人からすると、相手が怒って対応すると、すごく愉快になるという。次に相手が怯えるというのも、相手が怒る以上に愉快になるという。陰湿ないじめやイヤがらせに対して、受け手が怒りや恐怖で反応すると、無言電話をかける人はどんどんエスカレートしてくるという。「無言電話はやめてください」 「どなたですか」と強く言われると、相手が感情的になってイライラしていることが分かりとたんに嬉しくなる。一方無言電話をかけてむなしくなるのは、何度電話をかけても相手が感情的に反応しない。自分の無言電話が相手に何の影響も与えていない。気にもかけていないのだと思うとむなしくなる。特に相手から幸せというか、満ち足りた日常感が伝わってくると、寂しくて辛くなる。電話をするたびに、自分の孤独感が感じられて無言電話はやめてしまうという。(もう、他人にふりまわされない 石原加受子 大和出版)この本は2つのことを教えてくれています。一つは、不安や不快感に対しての対応方法を教えてくれています。不安や不快感に対して怯えて逃げ回っていると、不安や不快感は格好の獲物が見つかったと喜ぶことになるということです。逆に不安や不快感が湧き上がってくるのは生きている限り避けることはできないものだから、それらを抱えたまま目の前のなすべきことに取り組むようにする。こうなりますと、不安や不快感の方は相手をしてもらえないので、意気消沈してしまうのです。この人と付き合ってもよいことは何も起きないと判断して逃げていくようになります。このことを森田では「あるがまま」といいます。つぎに、相手の存在を無視してしまうと逆に自分が孤立してしまうということです。相手のことを無視してはいけない。仲間外れにしてもいけない。相手のことをからかったりしないことです。相手の存在を認める。適材適所で活躍の場、居場所を与える。雑談の場は人間関係の潤滑油と心得てその輪の中に入る。相手が気分を悪くするようなことは、たとえそれが本当のことであっても決して口にしないようにする。笑顔で挨拶をする。相手の話を聞く時は、やりかけの仕事を中断して正対して聞く。これらを心がけるだけで、イソップ物語の北風とマントのようなことが起きてしまうのです。
2024.04.22
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前はガンの告知をしない場合があった。本人が意気消沈してがんの進行を早めてしまうことを恐れていたのである。しかし事実を隠し通そうとするといろんな面で弊害が出てくる。告知時期は十分に考慮されなければならないが、事実を隠蔽することは論外である。今日はその弊害をみていきたい。まず闘病上の問題がある。ガンになったことを本人は知っていると、自分の意志で納得いく治療を選択できます。もし本人に病名を知らせないと、ガンの最高の治療が出来る病院に行きたくても、本人にガンの専門病院だとわかってしまうので連れていけない。また、飲まなければいけない薬があるにもかかわらず飲まない。検査もなかなか受けない。手術や特殊な治療もなかなか取り組もうとしない。その他、食事とか睡眠、運動など生活の中でしなければならない闘病に真剣に取り組まない。ガンを告知しないと、家族は言葉の端々で、本人に病名は知られてしまうのではないかと1日中ビクビクしている。家族のエネルギーの半分ぐらいは、 病名を隠すことに注がれてしまう。病名を知っていれば、家族が心を合わせ、自由に話し合って闘病に取り込めるので、家族のストレスも減ってくる。次に実生活上の問題がある。病名をきちんと告知していれば、もしもの場合に備えて、今なすべき準備をすることができる。例えば、遺書を書いておくとか、仕事上の引き継ぎとか、遺産の分配とか、ローンや保険を整理しておく。身の回りの不要なものも処分しておくことができる。また、生きている間に、ぜひともやりたいことを実行するチャンスが得られる。ガンの告知をしないと、やりたいと思うことも退院してからでもよいと安易に考えて、うかうかと毎日を過ごしてしまう。そのうち病状はどんどん悪くなる。退院もできない。結局亡くなる間際になって後悔することになる。次に、本人の知る権利を奪ってしまうという問題である。自分の人生の中の最大の問題を本人に告知しないで済まされるのであろうか。最後に、ガンに対する対応方法である。ガンに向き合う気持ちが違ってくる。自分がガンに侵されていることを知ってショックを受ける面は確かにある。しかし反面ガンに冒されていることを知って、ガン克服のために懸命に頑張ろうと決意する人もいる。そのようなファイティング・スピリットでガンに立ち向かった人の生存率はかなり高まることが分かっている。さらにガンになったことによって、今までの生き方を考え直す契機にする人もいる。(生きがい療法でガンに克つ 伊丹仁朗 講談社 )
2024.04.21
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森田理論がどの程度身に着いているのかを見極める簡単な方法があります。物や自分や他人を見たとき、「減点主義」で見ているのか、「加点主義」で見ているのかを観察することです。これは普段の言動にはっきり表れてしまいます。「減点主義」の人は現実や事実を否定的に判定しています。自分の頭で考えた「かくあるべし」を周りに押し付けているのです。非難、批判、否定、叱責、脅迫、指示、命令、軽視、無視する態度が多くなります。「減点主義」の人は上から下目線になっています。立ち位置は、頭の中で考えた、完璧な状態に置いています。そこから、不完全な現実、現状を見下ろしているのです。実際には完璧な状態にあることはほとんどありません。完全、完璧以外は受け付けられないという体質になっているのです。60点、70点は合格点ではなく、むしろ不合格に近いと思っているのです。そうなると、できたところを喜ぶよりも、できなかったところが気になって自分を否定するようになります。100点の状態が当たり前であり、マイナス10点、20点と引いていく考え方をとっているのです。そういう「減点主義」の人は、ストレスがたまり、生きることが苦しくなり、他人と対立してくる。それは完全というのは頭の中ではあり得ても、現実の世界にはほとんどあり得ないからです。そういう人は、相手の人格には問題があり、人間そのものを欠陥商品のようなものと考えて、実際そのように取り扱ってしまう。「加点主義」の人は、傾聴、共感、受容、許容が身についています。評価、感謝、励まし、事実を認める、事実を受け入れています。ないもの探しをやめてあるものを最大限に活かすことを考えています。感情を是非善悪の価値判断をしないで、きちんと向き合うことができています。「加点主義」というのは、出発点は現実、現状、事実です。問題点や課題を認めて、そこから一歩上を向いて出発しようとしています。下から上目線になっています。無から有を生みだすという気持ちです。「加点主義」の人は、目の前に現れた壁を乗り越えようとする強い意志を持っています。そして粘り強く努力する人です。そういう生き方が自然に身についています。森田理論は元々「加点主義」の考え方だろうと思います。決して「減点主義」の考え方ではありません。この見極めをきちんとして、生活のなかで活用したいものです。
2024.04.09
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シンクロナイズド・スイミング監督の井村雅代さん曰く。私、高校生にこう言うんです。(手で三角形を作りながら)今、三角でしょ。「これ、私がマルって言ったら、「マル」って覚えなさい」って。「三角ですって主張するんじゃないの。他人の言った言葉にはまれって言うんです」「一度、人の言葉に100%騙されてその気持ちになりなさい」「これを私がマルだって教えたら「これがマルだ」と覚えなさい。「これがペケや」って教えたら、「マルやのに」って思わないで「これはペケだ」って覚えなさい」って。そんな時がなかったら、あかんねん。自分のことばかり言うんじゃないの」シンクロナイズド・スイミングでは、選手が水上にあげた足の角度が自分の思っている角度と違っていることがよくあります選手が30度だと思っていても、実際には15度だったということはよくあります。その時に自己主張を繰り返していては、決してうまくはならない。メダルには程遠くなるばかりだ。自分を捨てて、監督やコーチに従うという姿勢が上達のコツです。これは森田理論学習にもそっくりそのまま言えることです。森田理論は1919年に確立されて、すでに100年以上の歴史を持っている。歴史の重みを尊重して森田にかけてみる気持ちが大事です。森田先生曰く。森田理論に対していくら疑いを持っていてもかまわない。私の言うことに盲従しているよりは、かえって反発心を持っているぐらいの方がよい。疑いながらも森田先生の指導を信頼して、その通り真剣に取り組んでみる。こういう流れに乗るためには、一旦は自分の我を捨てなければいけません。最初はどうしても自分を捨てて、素直に教えを請うということが必要です。考え方や技や極意を自分のものにするという気概を持つことです。素直でない人は森田の神髄を掴むことは困難です。これは武道の「守・離・破」の「守」にあたります。「守」を無視して自己流を押し通していると「型なし」になります。「そうは言われましても、その考え方、指導方法は違うと思います」と反抗ばかりしていると成長はそこで止まってしまいます。
2024.03.31
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関根正明さんと言う元中学校の校長先生の話です。K子さんという中学生の生徒が、小学5年生の時、先生から受けた対応がいまだに許せないという。K子さんにはこんな体験がありました。昼休み、トイレのそばで2年生らしい女の子がシクシク泣いていたそうだ。「どうしたの」と聞いても、何も言わずシクシク泣いている。「どこかイタイのだったら、オネエサンが保健室に連れて行ってあげるから」と言っても何も言わずにシクシク泣いている。その子は両手で両目をふさいでいて、顔がわからないものだから、私は両手で、その子の両手をつかんで、「ドレドレ」という感じでその子の手を離そうと思った。ところが、その子どういうわけだか、とてもがんこで、手をギュッとかたくして顔から離さない。私も少しがんこになって「どうしたのよ」と強い声で言ってしまった。とたんにその子、大きな声でウエーンと泣きだした。そのとき、運悪くとても短気で、女の子でもぶつというD先生が通りかかった。D先生は、いきなり、「こら、2年生をなぜ泣かすのか」と言うと、私の頭をゴツンとぶった。D先生は、「ちょっと来い」と私のそでを引っ張って、その2年生には、やさしい声で「どうした、何をされたんだ」と聞きながら、私と一緒に職員室に連れて行った。職員室でK子さんがどんなに理由を説明してもD先生は聞いてくれなかったという。担任もやってきて、「いじめたのなら早くあやまってしまいなさい」などという。おまけに、他の先生に「この子は、強情なところがあって」とか、「勝ち気だから扱いにくい」などと言っている。私は「もういいです。私が泣かしました」と言って、私も泣いてしまいました。この件は、Kさんは今でもシャクにさわるという。私の言うことをアタマから疑っていた担任の先生も憎らしい。だから卒業してからも、小学校なんかには一度も行っていない。(叱り方 うまい先生 下手な先生 関根正明 学陽書房 175ページ)Kさんにとってこの理不尽な出来事がトラウマとなって今でも苦しんでいます。先生がKさんの話に聞く耳を持たなかったというのが一番問題だと思います。一方Kさんは先生の理不尽な対応を受け入れることができませんでした。被害者意識でいっぱいです。被害者意識を持つと相手と敵対するようになります。でも大人である先生にかなうはずもありません。自分を責めた先生は担任の先生まで味方につけているのです。何とかやり返したいという気持ちでいっぱいですがどうにもできません。反論できていないので、その時のトラウマが解消できていないのです。その時先生の対応をあるがままに認めることができたら、忌まわしい記憶としていつまでも苦しむことは避けることができたかもしれません。難しいことですが事実を否定しないできちんと向き合うことです。事実が正しいか間違っているかという是非善悪の価値判断をすると、被害者意識が益々膨れ上がり大人になっても思い出すたびに許せないということになります。事実にきちんと向き合うと、自分の言い分を先生に分かってもらうにはどうすればよいかを考えることができるようになります。この場合自分ではどうしようもないことですから他人の助けを借りることになります。関根先生のような先生に事実の詳細を話してみる。友達に話してみる。家に帰って親に事の顛末を話してみる。親から校長先生や教頭先生に相談してもらう。PTAの役員さん、教育委員会に対応してもらう手もあります。きちんと対応していれば理不尽な対応をした先生と和解できたかもしれません。そうすれば大人になってトラウマで苦しむことはなくなっていたと思います。事実に蓋をしてしまうと、一生涯理怒りに振り回されてしまいます。
2024.03.28
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東日本大震災の時、宮古市重茂の姉吉地区では大きな津波が襲ってきたにもかかわらず、一人の犠牲者も出さなかった。海岸にいた人はすぐに高台にある自宅に戻った。建物が津波に流されることも皆無であったという。姉吉地区は、明治三陸大津波(1896年)では60人以上が死亡している。昭和三陸津波(1933年)では100人以上の人が犠牲になった。津波の恐ろしさを身をもって体験した人たちが、この地震を教訓にして「此処(ここ)より下に家を建てるな」という石碑を建てた。この教訓を11世帯40名の人たちがかたくなに守ったことが幸いした。東日本大震災では、津波が漁港から坂道を約800m上った場所にある石碑の近くまで迫ってきたという。一人の犠牲者も出さなかったので奇跡の集落といわれた。私たちは災害や事故に巻き込まれると、どうして自分だけがこんな目にあわなければならないのかと嘆き悲しみます。その他取り返しのつかない不祥事を起こして後悔することもあります。仕事でミスや失敗をすることもたくさんあります。過去にとらわれて後悔するよりも、それを教訓として同じ過ちを犯さないことが肝心です。現実を否定して、嘆き悲しむよりも、教訓として次に活かすようにしたいものです。ましてや自己嫌悪、自己否定で苦しむことは避けたいものです。森田に「前を謀らず、後ろを慮らず」という教えがあります。自然災害やミスや失敗を教訓として活かせば後世の人に大いに役立ちます。反省材料として将来に活かすことができれば、「雨降って地固まる」ことになります。ここでは災害や災難、ミスや失敗、問題や課題、改善点や改良点を宝の山として取り扱うことが肝心だと思います。自然災害は次の災害に備えて教訓として活かしたいものです。森田ではマンネリに陥ったときや気がすすまない仕事に取り組むときに、なにか一つでも問題点や課題を見つけるつもりで取り組むと次の展開が全く違ったものになると教えてくれました。これは生活や仕事に中でぜひ活用していきたいものです。
2024.03.22
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今日は森田の神髄「事実唯真」を取り上げてみました。人間は大脳新皮質が発達しています。考えることができる動物です。過去、未来、抽象的なことも自由自在に思考します。また考えたことを言葉を使って記憶することもできます。いつの間にか観念が優先されるようになり、事実を見下すようになりました。意にそわない事実は、観念の世界に引き揚げてコントロールしようとします。しかし事実の世界は簡単に観念でコントロールすることができません。感情は自然現象だからです。無視していると葛藤や苦悩が生まれてきます。森田では観念の世界に事実を合わせるのではなく、事実をもっと大切に取り扱うことが大事であるといわれています。森田では感じが第一優先順位でその後で理知で調整するといいます。どうすれば事実優先の態度が身につくのでしょうか。そのために心掛けることは10項目以上あります。過去にこのブログで取り上げたことを紹介します。・「かくあるべし」の弊害と、「事実優先」の利点を森田で学習する。・傾聴、共感、受容、許容の態度で接する。・毎日感謝の気持ちを最低一つは日記に書くようにする。・人に役立つことを探し出してていねいに取り組んでいく。・マイナス面ばかりではなくプラス面も見ていく。両面観。・あなたメッセージを私メッセージに変える。・物の性、己の性、他人の性、時間の性、お金の性を尽くす実践。・ペット、観葉植物などを飼育する。世話活動をする。・純な心、初一念から出発する。・否定語はすぐに取り消して、肯定語に置き換える。・勝負なし法への取り組み。「みかんていいな」への取り組み。2014年10月12日に投稿したシャロン伴野さんの「どっちにする」をご紹介します。例えば、大切なお客さんが来ているのに、子供がぐずって泣き出したとします。私は子どもにこう言います。「お母さんは今、お客様と大事なお話をしているの。もし、泣きたいのなら、玄関のところにいって泣きなさい。もし、お母さんたちと一緒にいたいのだったら、泣き止みなさい。どっちがいいですか?」子どもはしばらく考えて、どちらかを選びます。泣きたいと思えば玄関のところに行きます。玄関のところにいって泣いても誰も相手にしてくれませんから、つまらなくてすぐに泣き止みます。この場合自分で選んだことですので、小さな子供でも誇りを持って、再度泣き出すようなことはありません。子供は自分でどちらがいいかを判断して選び、そして自分が下した決定を守る能力と自尊心が育ちます。選択肢は2つにすることです。何でもかんでも自由にしなさいというと、子どもたちは右往左往します。また3つや4つでは多すぎます。集中できないのでダメです。これは両面観の応用ですが、子どもに「かくあるべし」を押し付けることをやめて、子どもが自分で考え、自主的に行動できるようになります。
2024.02.19
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浄土真宗大谷派の学者で安田理深氏がいらっしゃいます。その安田理深氏邸が、1973年4月隣家からのもらい火で全焼した。ご自分の蔵書、研究論文、ノートなどがすべて燃えてしまった。安田氏は隣人を激しく恨みました。自分の大事なものを「焼かれた」と考えて、仕返しをしてやりたいと思ったそうです。 だが彼は仏教徒です。仏教徒が復讐を考えるなんてよくない。隣家の人を赦そうと思いました。そこで彼は蔵書、研究論文、ノートは、自分で「焼いた」のだと思おうとしました。しかし、どんなにしても、そういうふうには思えません。あれは「焼かれた」のではなく、自分で「焼いた」のだ、といくら自分に言い聞かせても、それは事実とは違いますから無理があります。彼は悶々とした日々を送っていました。ところが、ある日、安田氏はふと思いました。あれは、ただ、「焼けた」のだ。「焼かれた」のでもなく「焼いた」のでもない。ただ「焼けた」のだ。そう思うことで彼の心は鎮まってきたという。(諸行無常を生きる ひろ・さちや 角川書店 176ページより引用)このエピソードを森田理論で考えてみましょう。「焼かれた」というのは、相手を追い詰めるやり方です。被害者意識でいっぱいになっています。被害者意識になると、相手を否定して相手と戦うことになります。裁判に持ち込み、損害賠償を求めることになります。次に「焼いた」というのは、自分の本当の気持ちを偽ってごまかそうとしています。事実を無視して観念で心の安定を得ようとしています。このことを心理学では、「合理化」といいます。森田理論では、感情の事実をごまかそうとしています。これは「純な心」ではないと思います。観念の世界で処理しようとしています。これは神経症に陥るパターンです。「焼けた」というのは事実そのものを見て、それが悪いとかよいとかの価値判断をしていません。事実にはよいも悪いも、正解も間違いもありません。それなのにすぐに是非善悪の価値判断をするのが人間の特徴です。このように考えると、心の葛藤がなくなりますので一番安楽な道を歩んでいることになります。森田理論では、不快な感情、理不尽な出来事を安易に価値判断しないで、事実のままに受け入れるような人間になることを目指しています。新しくできたピースウィング広島
2024.02.13
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森田先生のお話です。親鸞上人が、偉くなったのは、自分が愚鈍であり悪人であると、悟ってからのことです。赤面恐怖の人でも、自分は、身勝手・わがままであり、人に思いやりがないとかいうことを自覚するようになったら、心機一転して、たちまちに治るのである。それまでは、恐らくは、道徳恐怖、読書恐怖、悟道恐怖等の強迫観念に悩んだものと思われる。それが「自分は悪人である」と自覚し、一切を弥陀にまかせると往生して、初めて強迫観念が治ったものに違いないのである。なお皆さんの内で、自分は素直・従順であり・人に対して、思いやりがあるという人は、みなその反対であるから、よくよく自省して下さい。また自分は礼儀正しい、人に親切を尽くしている・とか言う人は、常に人の嫌う事や・迷惑を顧みず、無理に自分の礼儀を押し通し、親切の押売りをする人であるから、よくよく気をつけて下さい。(森田全集 第5巻 433ページ)これは頭で考えたことは必ずしもその通りにならない。事実はむしろ逆になる場合が多いということだと思います。人間以外の動物は自分の欲望を成就するために精一杯の努力をします。努力の甲斐もなく目的が成就できない場合、やむなく事実に従います。人間は素直に事実に従おうとしない。むしろ事実に反抗することが多い。不快な事実や現実を自由自在にコントロールしようと考える。その結果、葛藤や苦悩を抱えてしまう。そして神経症に陥る。森田先生は観念優先の態度を事実優先の態度に切り替えることが大切だと言われています。これは大変難しい問題です。一生かかっても解決できないかもしれません。それは人間が言葉を使い高度に発達した大脳を持っているからです。森田理論を学習した私たちは「かくあるべし」の弊害は身に染みて分かりました。それを乗り越えるために、事実優先の態度を身に着けることだというも分かっています。このブログでは「かくあるべし」を減らす方法をいろいろと紹介してきました。例えば、傾聴、受容、共感、許容の実践。感謝の気持ちを持って生活する。物事は両面観で見ていく。あなたメッセージから私メッセージへの転換。物、己、他人、時間、お金の性を尽くす。人の役に立つ行動をとる。純な心(初一念)から出発する。否定語を抑制して肯定語に切り替える。勝負なし法。相手に指示命令するよりも選択肢を2~3つ考えて提案する。みかんていいなの人間関係などです。さらに事実本位を身に着ける方法も紹介しました。例えば、気分本位から目的本位に切り替える。どんなに面倒でも、先入観、決めつけ、早合点、思い込みをやめて、現地に出向き、自分の目で事実確認をきちんと行う。感情にきちんと向き合い、是非善悪の価値判断をしないように心がける。「あるがまま」の生活態度を身に着けるなどです。事実本位の態度を身に着けると、無駄な努力をしなくなり、生の欲望の発揮の出発点に立つことが可能になります。これらは自助組織に属して、仲間と切磋琢磨しながら取り組むことが肝心です。
2024.02.12
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西洋のものの見方は心身二元論と言われています。たとえば他人が自分のことを非難、否定、無視することにとらわれて仕事になりませんというクライアントに対して、精神科医はそれでは抗不安薬を出しておきますので様子を見てください。不眠の症状もあれば、睡眠導入剤も一緒に処方しておきましょう。一週間後にまた来てください。そのときに経過を教えてください。改善できていなければ別の薬を処方しましょうということになります。またストレスが蓄積して胃潰瘍や十二指腸潰瘍の症状がある場合、別途内科医の診療を受けてくださいということになります。心と体は別物という考え方です。これはそれぞれの医者が症状だけを見ているということになります。その人の考え方や生き方に問題があって心身の病気になっているのですが、そこには踏み込んでいない。対症療法では根本的な問題解決にはつながらないと思われます。これに対して森田理論は心身一元論の立場です。心と身体の病気はコインの裏表の関係にある。原因は一つでそれが心と身体の両方に病気を引き起こしている。心と身体の両方をいっしょに治療をしないと根本的な治療にはならないという立場です。心身一元論は物事を両面観で見ていかないと物を見たことにはならないという考え方です。良いか悪いか。正しいか間違いか、快か不快か、0か100か、白か黒かというような二分法的なものの見方はものを正確に見たことにならないという意味です。私たちは先入観、早合点、決めつけ、思い込みで一方的、短絡的に自分勝手に間違った判断しやすいという特徴があります。そして性急に対策を立てて行動に移してしまう。後から「我慢して耐えた方がよかった」と思うことがあります。この両面観の考え方は私たちの生活のなかに大いに取り入れる必要があります。両面観というのは、ある考えが浮かんだ場合、それとは正反対の考え方も検討対象につけ加えましょうという考え方です。たとえば神経質性格です。心配性で細かいことにとらわれて、すべてをマイナスに捉える損な性格というのは一面的なとらえ方になります。さらにマイナス面を鍛え直そうとすると多大なエネルギーを消費することにもなります。森田理論を学習すると、神経質性格は、感受性が強く、真面目で責任感があり、粘り強く、生の欲望が強い素晴らしい性格であることが分かります。性格にプラス面とマイナス面があるということが分かると、プラス面に光を当てて伸ばしていこうと考えることもできます。「人間万事塞翁が馬」という中国の故事がありますが、両面観を身に着けている人は、積極的、生産的、建設的、創造的な生き方ができるようになります。
2024.02.07
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NHKラジオの「ふんわり」という番組で黒川伊保子氏が面白い話をされていました。心に浮かんだことを気軽に人に話し合う環境を整えていくと、その場に居る人たちの発想力が豊かになっていく。反対に頭ごなしに「かくあるべし」を押し付けるような雰囲気になると、その場に参加した人みんなの発想力がおちてくる。気づき、発見、アイデア、工夫、興味や関心を刺激するためには、安心して自由にしゃべれる雰囲気を作らなければうまくいきませんよと指摘されていました。これは集談会などの学習会ではぜひとも留意したいことです。集談会は安心して気楽に自由に発言できる場作りが大事ということです。自由に話をしていると頭が活発に動き出して、思ってみないような役に立つ話が出てくるということになります。自由を制限された会合は、自分が思っている以上に発想力が落ちてしまいます。それは大脳が考えることを止めてしまうからです。嫌な思いをするより静観した方がよいということになります。そんな学習会は活気がなくなり、参加することが苦痛になってしまいます。集談会では、傾聴、共感、受容、許容の気持を大切にしましょうという申し合わせ事項があります。相手の話をよく聴いて同意する。良い点を評価する。ほめる。励ます。乗せ合うことを心がけたいものです。居心地がよいと感じるようになれば参加者が増えてきます。先日オンラインの全国版集談会のJUPITERに参加しました。生活の発見誌を読んで感想を述べあう学習会でした。進行係の人の対応に感心しました。参加者に寄り添う、存在を認める、励ます、評価する、発言機会を均等に割り振ることが自然にできていました。とても居心地が良かったので、また参加したいと思いました。
2024.01.05
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玉野井幹雄さんのお話です。基本的に私どもは、異常でないものを異常と思い込んで、それを取り除こうとしているわけですから、治るはずはないし、治ってはいけないのです。したがって、最後は「治らない」ということをはっきり自覚しなければ、どうしても治まりがつかないのであります。私どもは、治るかもしれないという思いが少しでもあるうちは、その事実に対して真剣になることができません。どこかに甘えが残ります。(いかにして神経症を克服するか 玉野井幹雄 自費出版 78ページ)自分に関して良いと思うことが全くなくなっても、たとえどんなに自分が惨めな状態になっとしても、生きている限り「最悪の道」だけは必ず残っています。もうどうしていいか分からない、私は完全にゆきづまってしまったという人でも、そのゆきづまったままに生きる道がまだ残っているのです。その「最悪の道」を進む覚悟ができてくれば、あわてる必要がなくなります。(同書 88ページ)玉野井さんによれば、神経症を抱えていようが、どうすることもできない葛藤や苦悩を抱えていようがそのままの状態で生きていく道が残されていると言われています。そのようなことができるのかと思われている人が多いと思います。私は集談会で65歳以上まで生き延びた人は、100点満点の人生だったと聞いたことがあります。65歳まで生きていると様々なことが起きます。多くのミスや失敗を積み重ねてきました。辛くて人生に終止符を打ちたいと思ったこともあります。気分本位になり、後悔だらけの人生を歩んできました。他人からは非難や否定され続けてきました。それでも途中でリタイヤしなかったのです。とにかく必死に生き続けてきた。あきらめなかったから今がある。人間はできる限り延命を図ることが最大のミッションだと言われます。途中どんなに苦しくて逃げ回ったとしても、何とかかわして長らく生きてきたということは自分が考えている以上にすごいことなのです。そう思える人は、自分で自分を褒めてあげてもいいと思います。苦しい人生だったにもかかわらず、途中で投げ出さないで、よくぞここまで生き抜いてきたね。あんたはえらい。さらに人生の第4コーナーを回って心穏やかな日々を生きている人は幸せな人です。これ以上幸せなことはありません。神様がいるとしたら、与えられた命を守り抜いてきたという点を大きく評価されるのではないかと思っています。もし次に生まれ変われるチャンスがあるとすれば期待が持てると思います。その日を迎えるためには、森田理論学習と集談会の仲間たちの支えが必要です。森田理論では不安の裏には欲望があるといいます。欲望の方に目を向けていきましょうと教えられました。また観念で事実を否定して格闘する生き方の間違いを学びました。雲の上にいる自分が、現実の自分にそっと寄り添うことが肝心であると教わりました。事実本位を目指す方法は人によってさまざまあることが分かりました。人間関係は付きず離れずの距離感が大事だと教えられました。これらを森田理論学習で教えてもらったことはありがたいことでした。横道にそれても、すぐに元に引き返することができたのですから。集談会の仲間たちの付き合いは神経症を解消するのに役立ちました。自分は決して孤立していない。同じ目標を共有する仲間がいる。心の安心・安全基地を確保できたことは大変心強いことでした。なんとか人生の有終の美を飾ることができるという確信を持つに至りました。
2024.01.04
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森田では事実を大切に扱うことを目指しています。頭で考えたことよりも、現実、現状、事実を優先するという考え方です。事実を重視するとどんなメリットがあるのか。過去の投稿記事からご紹介します。ある鋳物製造工場で、非常に歩留まりの悪い製品があった。40%は不具合があった。手直しして30%は完成品にこぎつけた。あと10%は廃棄という状態だった。これでは採算に合わなかった。管理者や生産技術の人たちが改善に取り組んでいたが一向に成果が上がらなかった。そこへ親会社から一人の管理職がやってきた。この問題を知った管理職は次のような対策をとった。毎日の不良品の現物のすべてを、工場の中の最もみんなの目につきやすい場所に並べ立てる事であった。これによる職場の人へのショックは大きく、工場の中はたちまちにして蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。不良の現物の山を目のあたりにして、関係者全員がじっとしていられなくなったのである。その結果、長い間なんともならなかった不良品が、3、4ヶ月で10%にまで劇的に減少したのです。オペレーターを含めた全員が改善のために立ち上がったのである。しばらくすると返品率は1、2%にまで下がった。私達は頭で理解し、納得しない限り行動に移らないという特徴があります。失敗してもともと、うまくいかないのが当たり前。ミスや失敗を経験していない場合の成功は、本当の成功とは言えない。ミスや失敗を数多く経験して、それを積み重ねていけば、成功のための足場を固めることになる。ミスや失敗を積み重ねた上の成功は喜びも倍増します。
2023.12.04
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経営コンサルタントの堀紘一氏の東大受験の話が面白い。彼が東大受験を決めたのは高校3年生になる春だったそうです。彼は猛勉強というよりは、戦略によって合格できたといわれている。彼は東大の過去10年の入試問題に目を通すことから始めたという。過去5年間の入試問題はすぐに手に入った。それ以前の入試問題は3日間かけて神田の古本屋で探し出した。次に模造紙に、3日間かけて、10年間の全教科の問題がどの分野から出されているかを分析した。分析の中で入試問題にはバイアスがかかっていることが分かったという。例えば生物では、「遺伝の問題」と「分類体系の問題」が隔年ごとに。過去10年間1度の狂いもなく交互に出題されていた。疑問に思った堀氏は直接東大に出向いて説明を求めた。ここが森田先生とよく似ている。すると耳寄りな情報が得られたという。それは2つの研究室が交互に持ち回りで20点の配点問題を作っているということだった。当面この傾向は変わらないという情報だった。世界史についても、数学についても出題範囲の疑問は直接出向いて確かめていった。そして出題範囲を丸裸にして、学習範囲を絞っていった。傾向が分かれば、自ずから学習の方向性が明確になり、学習意欲に火がついてくる。私は社会保険労務士の受験で同じような経験をした。一般常識の問題が10問出題される。中身は最新の厚生白書と労働白書の中から作られていた。限られた学習時間の中で分厚い白書を丁寧に読みこむ時間はない。そこでどうするか。受験対策校で何年も指導し実績のあるカリスマ講師の講義を受ける。カリスマ講師は当然白書を隅から隅まで読みこなしている。その中から問題になりそうなポイントを掴んでいる。それをもとにして独自の今年の予想問題を立てている。これがあまりにも的確なので舌を巻いた記憶がある。さらにどこで集めたのか、他の受験専門校の予想問題も入手している。それ以外の問題が出たら白旗を上げろという。この国家試験は落とすための試験だから、合格には影響しないという。出題範囲が分かれば、無駄な学習はしなくなる。疑心暗鬼がなくなり、エネルギーを合格に向かって集中投下できる。事実を的確に掴むことができれば、百戦危うからずということになる。事実を掴む努力は運を味方につけることが可能になる。
2023.11.22
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この言葉は2013年8月27日に紹介しました。高校を卒業後、引きこもりを始めて1年経った頃、友達から「俺はお前がヘンには見えない。でもお前が会いたくなければ仕方ない。ただ一つだけお願いがある。生きていてくれ」という手紙をもらい涙が止まらなかったという体験談でした。いろんな生き方があると思いますが、一番大切なことは、命ある限りとことん生き尽くすことだと思います。大病にかかることもあります。神経症で苦しむこともあります。地震や土砂災害などの自然災害に遭うこともあります。取り返しのつかない事故に遭うこともあります。紛争や戦争に巻き込まれることもあります。他人から理不尽な仕打ちを受ける事もあります。財産をすべて失うこともあります。対人関係で大きな問題を抱えることもあります。家族の人間関係で問題を抱えてしまうこともあります。認知症になることもあります。かけがいのない人との別れもあります。それらを何とかしのいで生き長らえてきたということは、それだけでも大きく評価できます。人生を完全に投げ出さなかったというところが評価のポイントです。宮沢賢治の詩にあるように、他人からほめられもせず、見向きもされず、それでも自分が自分の最大の味方になって、生きてきたということは素晴らしいことです。神様がいるとすれば、こういう生き方をしてきた人を大きく評価されるような気がしています。集談会で人間は生きているだけでもうけものという話を聞いたことがあります。人生は順風満帆の時もあれば、怒涛逆巻く嵐の時もあります。飛行機でいえば怒涛逆巻く嵐の時に飛行して墜落したのではなんにもなりません。集談会では墜落しない程度の超低空飛行でやり過ごせばよいと聞いたことがあります。ヒマラヤ山脈を横断する渡り鳥は、簡単に成功することはないようです。何度も失敗を繰り返しているうちに、ある日突然格好の上昇気流が発生して、それを利用して成功を掴むのだそうです。私たちも時が経てばいつか上昇気流がくることを信じて最低限の生活を維持していくことです。「継続は力なり」という気持ちをしっかり持って、人生を乗り越えていきたいものです。
2023.11.18
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遺伝子研究の村上和雄氏のお話です。アフリカではマラリアが大流行することがありますが、マラリアにかからない人も一定割合でいるそうです。そういう人のヘモグロビンは突然変異を起こした鎌状赤血球を1個だけ持っていることが分かっています。遺伝学的にいえば、変異遺伝子を1個だけ持つ両親から4人の子どもが生まれた場合、2人は両親と同様変異遺伝子を1つだけ保有しています。マラリアの耐性を生まれながらに持っているので発症しません。仮に発症しても症状が軽いそうです。ところがあとの2人の子どもの場合は、大変なことになります。一人は2つの変異遺伝子を持っています。これには耐性はないそうです。もう一人の子どもは変異遺伝子を一つも持たないために抵抗力がありません。どちらもマラリアにかかり命を落とす確率が高くなります。(遺伝子が目覚める瞬間 スイッチ 村上和雄 サンマーク出版)同じ親から生まれても、運命のいたずらなのでしょうか、性格、容姿、能力、身体的疾患の有無などでかなり違うように感じます。他の兄弟姉妹と較べて不幸な運命を背負い込んだ場合、どうして自分だけがこんな目に合わなければならないのかと、運命を呪う場合があります。村上和雄氏は、人の優れたところと自分の劣った部分を比較する、人の恵まれた境遇と自分の劣悪な境遇を比較して嘆き悲しんでいると、遺伝子の悪いスイッチがオンになってしまうと言われています。悪いスイッチはオフのままにしておいて、よい遺伝子のスイッチをオンにする生き方をすべきだと言われています。他の兄弟姉妹の長所や強みと自分の欠点や弱みを比較して、自分嫌悪、自己否定していては益々みじめになるばかりです。どんなに見劣りしても、自分の現状をあるがままに受け入れることが大切になると思います。このことを森田では「唯我独尊」と言います。これは自分だけが優れていると思いあがることではありません。自分の本性を認めて、これを礼賛し、ますますこれを発揮し、どこまでも、向上させていこうという心境を「唯我独尊」と言います。この世に人間として生まれたということは、千載一遇のチャンスを与えられたということです。そのチャンスに感謝して、努力精進していくことが大事になります。心身の健康を心がけて、自分に備わっている能力、自分ができることを見極めて、課題や目標、夢や希望に向かって努力を続けていくことが人間の宿命です。このことを森田では生の欲望の発揮と言います。欲望が暴走しないように不安を活用しながら命ある限り生き抜いていくことです。
2023.11.17
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ガリレオは「(事実を)見ないと始まらない。見ようとしないと始まらない」という言葉を残しています。当時天動説が主流でしたが、天体観察によって、太陽の周りを地球が回っているという事実を見つけました。これに対して、多くの迫害を受けましたが、「それでも地球は太陽の周りを回っている」と言いました。確固たる事実の裏付けがあったのです。彼の死後、地動説が正しいことが証明されました。これは森田理論を学習している人には考えさせられるエピソードです。森田先生は、事実を正確に見るためには、実際に現地に出向いて、自分の目で確かめることが大事だと言われています。五高時代の幽霊屋敷の探検や関東大地震のときの流言飛語の拡散については、自ら現地に出向いて調査されています。(森田全集第7巻 309ページから341ページ)自分で事実を確認しないで、人の話を鵜呑みにすると間違いが多くなります。国立国語研究所の中でかって話題になった実話に、こんなのがあった。ある一人の女性を指して、Aくんは「目がばっちりしていて、スリムだ」と言い、Bくんは「目がギロッとしていて、電信柱みたいだった」と言ったというのである。男性なら誰でも、Aくんから聞いたかBくんから聞いたかで、彼女に対するイメージは一変するに違いない。(状況が人を動かす 藤田英夫 毎日新聞社 222ページ)事実の裏付けをとらないで、先入観、思い込み、決めつけ、早合点は事実誤認になる可能性が高くなります。かって御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落しましたが、原因は後部圧力隔壁の破壊とされています。この飛行機は以前着陸時に尻もち事故を起こしています。アメリカのボーイング社で修理しましたが、後部化粧室のドアの開閉が困難という問題を抱えていました。その原因を徹底的に調査しなかったために起きた事故でした。よく分からないことは実験をして事実を確かめる態度が必要です。森田先生は熱湯の中に手を突っ込むという芸を見て自分で実験されています。55度の熱湯は2秒しか耐えられない。23度の水に1分間手を浸して、その後挑戦すると4秒になった。初めてを入れたときは甚だ低温に感じた。0度の冷水に30秒浸した後では、熱さを感じず、6秒耐えることができた。事実は仮説を立てて検証する。警察の交通取り締まりには、一方通行違反、一時停止違反。信号無視、スピード違反などがあります。警察が検問をしているかも知れないという仮説を立てて運転していると、ほとんど検挙されることはありません。さらに事実をよく見るためには、次のような方法があります。1、見る角度を変えて観察する。円錐柱を見るときは角度を変えてみることが必要です。2、できるだけ多くの人の意見や助言を参考にする。自分一人では偏った見方になります。3、意味、形、色、動作、音、匂いを新しく変えてみる。4、大きく、多く、長くしてみる。他の成分を加えてみる。5、もっと小さく減らして、低く短くしてみる。6、構成分子を入れかえてみる。7、反対にしてみる。逆にしてみる。8、結合してみる。
2023.11.07
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緩和医療医の大津秀一氏のお話です。40代で末期がんの加納さんという女性の方がいました。3人の子供さんがいました。一番上は10代の前半で、下はまだ小学校に入ったばかりです。加納さんの苦悩は、単に病気のことばかりではありませんでした。彼女は、自身が死と直面しているこの時期になっても、ご主人と心を通わせることができないことに苦しまれていたのです。二人は熱烈な恋愛結婚でしたが、いつしか二人の間には隙間風が吹き、仮面夫婦のようになってしまっていたのです。この絶望的な状況中でご主人から提案がありました。残された期間を子ども達と家で過ごさないかというものでした。3人の子ども達を見ていて、君の子育てはよかったんだなと痛感した。子ども達もそれを望んでいるし、介護申請もしておいたんだ。今まで僕は仕事にかまけて、家庭のことはほったらかしだったけれども、いまからやり直そうよ。加納さんは、最初は「もう遅いわよ」と反発しましたが、そのうち泣き崩れました。ご主人の温かさがうれしかったのです。それと同時に、なぜ自分が病気になる前にこうした時間を持てなかったのか、その悔しさもこみ上げてきました。嬉しくて悔しくて泣いたのです。後日加納さんは大津先生にこんな話をされています。先生、人生ってなかなか思うようにならないものですね。先生、生きるって、こんな世の中と和解する過程なのかもしれません。生きて、現実と折り合って、そんな状況と和解することが、生きるって意味なのではないでしょうか。だからたとえ、思い描いた夢が薄らいでも、人には生きる意味があるのではないか。私たちはこの生きる現実と和解するために、生きる意味がある、そう思ったのです。和解するために、心を磨いて、それを受け止め、受け入れる強さを身に着けるために生きる。それが生きる意味なのではないかと私は思いました。(終末期医療現場で教えられた「幸せな人生」に必要なたった一つの言葉 大津秀一 青春出版社 28ページ)加納さんは素晴らしい真実に気づかれました。ここは森田理論と関係があるところです。人生は理想通りに進展ことはありえない。他人とは折り合えないで絶えず衝突を繰り返す。何も悪いことはしていないのに、理不尽な災難に巻き込まれてしまう。そんな時普通はイライラして不平不満でいっぱいになる。それを怒りなどの態度で外にぶちまける。他人に自分の考えや主張を無理やり押し付けようとする。境遇や運命を呪って自暴自棄に陥る。森田では自分、他人、自然に歯向かって何かよいことがありますかと問いかけています。それよりも現実を受け入れて、和解、歩み寄り、妥協、共存共栄の道を目指すことが大切なのではありませんか。その道はたゆまぬ努力が必要になります。面倒で時間がかかります。必ずしも双方が納得する結論が得られるわけではありません。しかしその道を拒否していると、みんながみじめで後戻りのできない悲惨な世界に引きずり込まれてしまいます。
2023.10.21
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元ヤクルトの古田敦也さんは、野球はグランド上のガチンコ勝負のように見えるけれども、実はそれまでにしっかりと準備した方が勝つ可能性が高くなると言われています。古田さんは準備の一つとして、投手の観察をあげておられます。古田さんは投手の癖を分析することを徹底したそうです。まずはボールの握りを見るのです。投手は投球モーションの途中で握りを変えることはりません。ですから、球種によって違いがないかよく見るのです。「どこかに違いがあるはずだ」と思ってみると見えてくることがある。「どうせそんなの分かりっこない」と思えば、見えるものも見えません。またこんな発見をされたそうです。投手がストレートを投げる時、投げる一点を頭に描いています。すると、投げる直前にちょっとした「間」が生まれるのです。ストレートだから、その一点、あの隅を狙わなければと慎重になるのでしょう。それがワンテンポのずれとなってでてくる。古田さんは投手を徹底的に観察することで、プロ野球の世界で飯を食っていけるようになったと言われています。森田理論は現地に出向いて事実を自分の目で確かめることを重要視しています。森田先生は熊本五高時代に、幽霊が出るという話を聞いて、真夜中に一人で確かめに行かれています。また、関東大震災のときには実際に町に繰り出して、流言飛語がどのように拡散されたかを調べておられます。事実を確かめない。他人の話を鵜呑みにする。事実に基づかない先入観、思い込み、決めつけ、早合点で対策を立ててしまう。出発点を間違えてしまうと、問題解決には至らず、どんどん横道にそれてしまう。新幹線で東京から大阪に向かうところを、北海道に向かうようなことになる。しかも間違えたことを認めようとしないで、出て来た問題点をつぶしていけば、問題はそのうち収まるように考えてします。言い訳や責任転嫁、ごまかしや隠蔽を積み重ねるようになると、信頼感は一挙に失われてしまいます。ひと手間かかっても、自分の目できちんと事実を確認するという作業は後々よい結果をもたらします。
2023.10.20
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時々山で遭難する人がテレビに出てきます。原因の一つは、下山するとき、来た道が分からなくなってしまう。それなら主要な分岐点に目印をつけておけばよさそうに思います。また登山計画書の提出やスマホは必需品になります。山にはクマ、イノシシ、毒蛇、スズメバチなどと遭遇することも想定しなければなりません。天候異変や温度変化、霧の発生など最悪の事態も想定する必要があります。防寒具や水や食料の準備も欠かせません。遭難する人は山を甘く見てしまう傾向があるようです。運よく助け出された人は、こんなことになるとは想定していなかったといいます。災害・リスク心理学者によると、引き返す途中でルートを間違えたという事実を素直に認めることができないことも大きいという。素直な人は必死になって来た道へ戻ろうとする。その手掛かりを探し出そうとする。素直でない人は自分の間違いを認めようとしないで、引き返すという選択よりは、この道を突き進めば、「そのうちどこかに出られるだろう」という気持ちが強くなってくる。解決困難な問題が生じているのに、その誤りを認めようとしない。自分の非を素直に認めることが癪なので、自分で考えた打開策にかけてみようと考えるわけです。これは巨大迷路に迷い込んだようなものです。やることなすことのほとんどが裏目に出る。一か八かの行動が益々自分を窮地に追い込んでいく。エネルギーを消耗し、体力も精神も消耗してくる。慌てふためいて、途中がけから滑落してケガをする。そのうちパニックになって、妄想や幻覚も出てくる。森田では神経症に陥るような人は、認識の誤りを抱えていると言われます。私の認識の誤りは、不安は自分の意志の力で無くすることができるというものでした。もう一つは、事実よりも頭で考えたことが大事だと考えていました。つまり「かくあるべし」を押し付けて、自由自在にコントロールしようとしていたのです。その他、すべての人から好かれるような人間にならなければいけないというのもありました。また仕事は食べていくためにイヤイヤしなければいけないものだと考えていました。森田理論、認知療法、論理療法、自分中心の考え方などの学習によって、間違った考え方をしていることが少しずつ分かってきました。神経症で苦しまなかったら、認識の誤りに気づくことはなかったでしょう。一生認識の誤りに気付くことはなかったかと思うとぞっとします。
2023.10.17
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あるところに、大酒飲みのどうしようもない男がいました。男には双子の男の子がいました。男の子たちは、父親が毎日酒を飲んでは母親に暴力を振るうという劣悪な環境で育ちました。この双子の兄弟は、大きくなって別々の道を選びます。一人は弁護士になり、もう一人は父親と同じ大酒飲みになったのです。同じ環境で育ちながら全く違う選択をした二人に、なぜ今の道を選んだのかインタビューすると、同じ答えが返ってきました。「そんなのあたりまえじゃないか」と。弁護士になった息子は、「父親がああだったから、僕は将来、自分と同じ環境で苦しむ子供たちを助けたいと思って弁護士になったんだ」と言いました。一方、大酒飲みになった息子は、「父親がああだったんだから、僕も同じようになってしまったのさ」と言ったのです。この話からもわかるように、未来は環境によって決まるわけではありません。(加速成功 道幸武久 サンマーク出版 136ページ)大酒飲みになった息子は、父親を嫌悪していた。いつも注意や意識を父親の醜態に向けて、事実を否定していたのです。事実を否定するにも相当なエネルギーが必要になります。そこで多くのエネルギーを消耗していると、課題や目標を向かうエネルギーが少なくなってしまいます。父親を恨んでいるうちに、立て直すことができなくなり、ついに自分も大酒飲みになってしまったのです。弁護士になった息子は、悲惨な状況を否定しないであるがままに受け入れました。批判や反発しなので、結果的にエネルギーの温存が可能になりました。事実を否定しないので、酒におぼれるような人間にはなりませんでした。そのエネルギーを自分と同様の環境で苦しむ人の為に役立てようと考えました。父親を反面教師として、自他ともに活かすことができるようになりました。私の父親はアルコール依存症でした。仕事もしないで昼間から酔っ払っていました。子どもを立派に成長させたいという気持ちはほとんどありませんでした。その結果、私は2つの大きな問題を抱えました。大人になっても他人が怖いという気持ちがぬぐえない。また気分に振り回されて行動はつねに回避的な人間になりました。永い間その呪縛で苦しんできました。これは大きなハンディになりました。今ではそういう環境で苦しんでいる人はたくさんいるのではないかと考えました。森田理論学習と応用によって掴んだ解決方法を公開すれば、人の為に尽くすこともできるし、自分の活躍の場にもなる。神経症の渦中にいるときは濃霧で車の運転をしているようなものでしたが、森田理論学習によって霧が晴れたところに出てみると、その経験を持っていることは大きな強みだと実感するようになりました。父親を批判・否定するのではなく、人生をより深く考える問題提起をしてくれた父親に感謝しなければならないと考えるようになりました。この道しか我を活かす道なし。愚直に真摯に突き進みたい。
2023.10.09
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私に定期的にエッセイをメール送信してくださる方は、壮絶なガンの闘病体験をされている。現在はガンで苦しんでおられる人たちの支援をされています。ご本人の承諾を得てその一部をご紹介します。2006年1月、岡山大学病院に入院し、検査。腹膜播種したスキルス胃がん、腹水もあり、そこにもガン細胞がある。現状では手術ができないので抗がん剤による治療を優先。抗がん剤がよく効いたので8月28日、胃・胆のう・脾臓を全摘。ホッとしたのも、つかの間、腸閉そくを起こしており、9月9日腸閉そくを治す手術。10月になり退院するが、「5年生存率は10%程度。元気になった人の前例はないといってもよい」と言われる。これを聞き、「前例がなければ、私が前例となるような生き方をしたい」と思う。そして今回17年目の記念日を迎えた。その間、職場復帰し、フルマラソンを5回完走。前例となるような生き方をしたといってもいいのでは。この話は多くの人に勇気を与えます。この方はガンを克服して、もう定期検診の必要はないと言われたそうです。毎日近くの福祉施設で清掃の仕事をされています。その他自家用野菜作り、毎日のジョギングに精を出されている。本もよくよまれていて、エッセイも感動的な内容のものが多い。今では県内外で闘病体験を語り、ガン患者の支援をされています。マスコミで取り上げられたことも数多い。この方の生きざまは、「生きがい療法」のすばるクリニックの伊丹仁朗先生も高く評価されています。私達も形は違いますが神経症で七転八倒の苦しみを味わいました。うつ病や胃潰瘍を併発して人生に絶望した人も少なくないと思います。私もその一人です。そんな中で森田療法に出会いました。関わり続けて、気づいてみるともうすでに36年になります。今振り返ると、どん底を味わった人が復活すれば、精神的には一回り大きな人間に成長できるような気がします。神様が出された難題に自分なりの答えを出せたことはうれしいことです。思い返せば、神経症を克服したら森田から離れるつもりでした。学習を続けるうちに、森田理論は神経質者の生き方を提示していることに気が付きました。人生90年時代と言われる中で、強力な味方を得たような感じです。今後は難しいことですが、このブログを通じて、森田理論の持つ人生観の語り部となって、一人でも多くの人に伝えていきたい。これが生きがいになるとは、神経症でのたうち回っていたころは思いもしませんでした。
2023.09.29
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自己肯定感を分析すると、次の6つがあります。自己受容感、自己信頼感、自尊感情、自己決定感、自己効力感、自己有用感です。1、自己受容感・・・ありのままの自分を否定しないで受け入れることができる。自分を分析してみると、思い通りにならないで苦悩している自分とそれを雲の上のようなところから非難・否定している自分がいることに気づきます。森田理論では雲の上の自分が、現実や現状に寄り添うことが大切であると教えてくれています。2、自己信頼感・・・困難な状況に出会ったとき、自己信頼感が育っていないとその壁を乗り越えていくことは困難です。自己信頼感は他者信頼感と対になっています。他者信頼感は1歳6か月までの間に主として母親との関係性の中で獲得されます。この期間は人間関係でいえば愛着の形成期と言われています。愛着の形成期を無難に経過すると、心の安全基地ができて、注意や意識を外に向けることができるようになります。不幸にして愛着障害を抱え人でも、それ以降の人生である程度は修復することができます。その方法は岡田尊司氏が教えてくれています。3、自尊感情・・・人間には欠点や弱点もあるが、同時に長所や強みもある。欠点や弱点にとらわれるのではなく、長所や強みに注意や意識を向けていくことが自尊感情を高めてくれます。神経質性格は類まれなすばらしい性格ですから、これを大いに活用すれば自己肯定感が育ってきます。自尊感情は自己信頼感に支えられています。4、自己決定感・・・最初は相手の意見や要望を聞くことが大切ですが、次に自分の気持、意志、欲求、考え方を明確に打ち出すことができる能力です。本音や潜在意識を尊重するということです。建前や他人に振り回されていると、ストレスが蓄積されて心身の病気を招きます。5、自己効力感・・・少し困難な課題や目標があるとき、何とかなると思える感情です。これは幼少期からの小さな成功体験の積み重ねがものを言います。日常生活の中で小さな成功体験、感動体験、感謝体験の持つ意味は大きい。この経験がない。もしくは非難否定されて育ってきた人は、自己無能感でいっぱいです。森田を学習している人は、規則正しい生活と凡事徹底の中で日々小さな成功体験と楽しみを味わっている人です。6、自己有用感・・・人間の仕事は分業制になっています。自分の生活費を得るためだけを目標にすると仕事はつらいものになります。仕事は人に喜ばれるように心がけることでやりがいが生まれてきます。仕事は自分以外の人に感動をお届けするという気持ちが大切です。自分の能力の範囲で、他人のために役に立つことを心がけている人は自己肯定感が高い人です。これらは森田理論学習の中で取り上げられています。森田理論学習で自己肯定感を身に着けていきたいものです。
2023.09.28
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「草土記」の中に河原宗次郎氏の話がある。網代に海水浴に行った時のことだ。「波には抵抗することはできない。抵抗すれば溺れる。波に身を任せきった時が一番安楽だ。心の波も、海の波と同じように、人間の力ではどうすることもできないのだ。それをどうにかできると考えたのは、自然の恐ろしさを知らない私の思い上がりなのだ」森田先生にそのことを話すと、「それを自覚と言います。自覚とは自分の心のありのままの姿を知ることです。ふつうの人は、自分の心は自分が一番よく知っていると思っているが、それはとんでもない間違いです。あなたは人間の心の大きな事実について正しい自覚を得ました。今後、憂欝な気分に落ち込むことがあっても、それを切り抜けることができます。それが自覚というものです」と説明されたそうです。実は私も小学生のときの海水浴で溺れて死にかけたことがありました。今でも鮮明に覚えています。まだ泳げないのに、浅いところから深いところに行き足が底に届かなくなった。私は底に足がつくたびに思い切り飛び上がり、わずかに息をしては沈むという動作を繰り返していた。その動作を何回も繰り返していると、偶然近くにいた友人が助けてくれたのである。近くに友達がいなければ、力尽きて死んでいたと思う。今では穏やかな海や川でおぼれるという不安を感じることはありません。海は浮力があるので、立ち泳ぎ、横泳ぎ、犬かきをしていれば溺れることはない。万が一海の中で疲れても、仰向けになって、脱力して波に揺られて浮かぶことができれば、いくらでも息継ぎができます。そして近くの仲間に援助を求めれば大事には至らないことが分かっています。海で1.5キロの遠泳をしたこともあります。海水浴では脱力して海に浮かぶという練習をすることが先決だと思う。浮かぶことができるようになると、海に対する恐怖感がなくなります。一番ダメなのは、浮かぶことができない状態で海に入ることだ。制御力を失って、パニックになり、力いっぱい手足をバタバタと動かすと、すぐに体力を消耗して溺れてしまう。浮かぶというのは自力ではありません。海水の持つ浮力を利用して、自然に身を委ねるという他力の気持が必要になります。神経症も森田理論学習によって、原理原則を理解する。それを日常生活の中で応用・活用することで自然に治っていきます。生活の発見会という自助組織があるわけですから、仲間と励まし合いながら行うことをお勧めしています。
2023.09.20
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「生の欲望」 (森田正馬 水谷啓二編 白揚社)という本からの引用です。腹立ち、不平、疑惑などは、われわれの心に折にふれて当然起こる感情であるから、その感情のままにあるのを「自然に服従する」と言い、親のいましめにいやいやながらも従い、職業上やらねばならぬことをいやいやながらも実行するのを「境遇に従順である」というのである。それはたとえば先生の言葉が無理のように思われても、ひょっとしたら先生の言うことが正しいかも知れないと考えるのを科学的には「仮説」といい、先生の言うとおりに実行するのは「実験」に相当し、その後年月を経て先生の言われたのは正しかったと分かるのが「証明」である。このような、従順な態度は仮説―実験―証明という科学的研究の法則にもかなっているのである。すなおな心ほど安楽なものはない。なぜなら、それは間違いのない事実そのものに従うからである。またすなおな心ほど発展をもたらすものはない。なぜなら、事実を基礎にして確実に進歩していくからである。(同書 40ページ)この話は不快な気分に振り回された行動は控える必要があると言われています。行動としては、納得できること、意味のあること、楽しいこと、快感をもたらすもの、やりがいのあることだけを追いかけまわしてはいけない。人生は、納得できないこと、ムダになるかしれないこと、損をしてしまうこと、我慢してやらなければいけないこと、できれば避けて通りたいことはいくらでもあります。そういうイヤなことが次々に押し寄せてくるのが人生です。私たちは不快な感情が湧き上がると、憂うつになりすぐに逃げてしまいやすい。しなければならないことがあってもすべてを放り投げてしまう。さらに指示・命令されたことには積極的にかかわろうとしません。イヤイヤ行動すると、ミスや失敗を招いて悲惨なことになると思い込んでいる。納得できないことを手掛けて失敗すれば、貴重な時間とお金が無駄になる。エネルギーを消耗するだけで何の成果もないのは意味がないと考えます。こう考えている人は、行動する時は事前にやる気を作り出す必要があると考えています。いかにももっともらしい考え方ですが、意志の力でやる気を作り出すことは不可能です。この考え方で仕事をしていると仕事を選り好みするようになります。気分に左右されるので、仕事は雑になります。そして気が向かない仕事は手を抜くようになります。イヤな仕事は後回しになります。仕事をさぼることも多くなるでしょう。お荷物社員になると、降格、転勤、出向、退職勧奨などの対象者になります。社内での人間関係も悪化してきます。この弊害に対して、森田先生は、すなおな心で対応することが肝心であると説明されています。すなおな心とは、目の前の承服できない出来事や感情に対して反抗的な態度をとらないということです。本音の部分が猛反発していても、まずはすなおに従うということになります。イヤで不快な感情を持ったまま、目の前のことにイヤイヤ仕方なしに手を出していく。森田先生から指示・命令されたことに対しても、一旦は信頼して寄り添ってみる。すると時間の経過とともに、イヤで不快な感情はどんどん変化していく。イヤで不快な感情に慣れてくる場合もあるということです。時には問題点や課題を発見することもあります。興味や関心が生まれてくることもあります。そして気づきや発見やアイデアが生まれてくる。次第にやる気に満ちてきます。後から振り返ると、気分に振り回されないでよかったということになります。
2023.09.16
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自分中心の生き方は、他者よりも、まず自分の気持や感情を大事にします。こんなふうに書くと、わがままで身勝手という「自己中心的」なイメージを持つ人もいるでしょう。けれども実はその反対で、他者のことを思いやれない人、自分の主張を一方的に通そうとする人、そして争ってでも自分の我を通そうとする人たちこそ、自分を大事にできない「他者中心」の生き方をしてきた人です。(母と娘のしんどい関係を見直す本 石原加受子 学研 38ページ)石原さんは、自分の気持ち、感情、欲望、欲求、意志、行動、希望、夢、生き方を何よりも大事にすることを勧められています。これが自分中心の生き方になります。自分中心の生き方は、潜在意識、本音、素直な気持ちを大切にする生き方になります。抑圧しないで優しく寄り添う、きちんと向き合う生き方になります。森田理論でいう事実本位の生き方のことです。事実にしっかりと足場を築いて、自分にとって住みやすい家を建てることが大切になります。自分中心の生き方の反対は、他人中心の生き方になります。他人中心の生き方は、顕在意識、建前、常識に振り回されています。観念優先、「かくあるべし」、早合点、先入観、決めつけ、思い込みと親和性があります。理想や観念は現実と衝突することが多くなります。現実を理想や観念に合わせようとしています。現実を基本にして、理想や観念や常識を補助的に活用することが肝心です。人間の葛藤や苦悩はその順序が逆になってしまうことから発生しています。相手の言葉をすぐに否定してしまう人は、相手の言葉を受け入れることは自分が負けることだと思っています。「でも」「しかし」「そうはおっしゃいますが・・・」などの否定語が口癖の人は、他人中心の生き方をしている人です。そこから出てくるのは、怒り、憎しみ、恨みなどです。そんな人が良好な人間関係を期待しても当てが外れます。
2023.09.08
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人はなぜ毎年成人病検診に行くのでしょうか。重大な病気を抱えていても、自分では皆目分からないからである。検査機関で調べてもらってやっと自分の健康状態が分かる。自分のことは自分が一番よく分かっていると思っているとすればよほどおめでたい人である。病気が進行していて、後の祭りというのでは後悔してもしきれない。実際に若くして病気で亡くなっている人は検査を受けていない人が多い。家系的に脳血管障害、心不全で亡くなっている人が多ければMRI検査を定期的に受けていれば何とかなる。家系的にガンで亡くなった人がいれば、毎年前立腺、乳腺、すい臓、肺、胃、大腸のマーカーを調べているとある程度は分かります。では私達はなぜ森田理論の学習をするのでしょうか。自分の身体や精神の健康状態が自分ではよく分からないからです。神経質性格のよさや性格の活かし方もよく分からない。人間関係の持ち方もよく分からない。うつ状態で毎日の生活に息苦しさを抱えている。生きていることがむなしいと感じている。自分のことなのにどうしてこんな問題を抱えているのか全く分からない。井の中の蛙大海を知らずといいますがそんな状態です。マイナスのスパイラルに巻き込まれて身動きできない状況です。森田理論でそれらの問題を解決するためです。分からないことは詳しい人から教えてもらった方が一番です。神経症や神経質性格の活かし方・考え方は森田の先輩から学ぶことです。森田理論学習に取り組むと、神経症の成り立ちが分かります。神経症の治し方が分かるようになります。神経質性格の活かし方も分かるようになります。感情の法則の活用方法が見えてきます。自分が認識の誤りを持っていたことが分かります。不安の特徴や役割、不安と欲望の関係が分かるようになります。観念中心の「かくあるべし」の弊害が分かるようになります。事実中心の生き方が一番だということが分かるようになります。良好な対人関係の築き方が分かるようになります。規則正しい生活、リズムのある生活、凡事徹底の意味が分かるようになります。課題や目標を持った生き方の大切さがわかります。変化に対応する生き方、バランスを意識する生活の大切さがわかります。物の性を尽くすこと、純な心の体得の意味が分かるようになります。からくりや理屈を理解すると、目の前の霧が晴れてくるのです。ひと言付け加えるならば、理解しただけでは問題は解決しません。それを自分なりに咀嚼して、仕事、生活、人間関係、子育て、発見会活動などに活用していくことが欠かせません。森田理論とその活用は車の両輪として動かす必要があります。活用に力を入れれば、今までとは違う生き方ができるようになります。葛藤や苦悩にまみれた人生から決別できるようになります。大小さまざまな金魚を組み合わせて吊るすとバランスの意識付けができます。
2023.08.28
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有森裕子氏は、1992年バルセロナオリンピックで銀メダルを獲得し、それから4年後アトランタオリンピックで銅メダルを獲得しました。銅メダルを獲得したときに「初めて自分で自分を褒めたいと思います」と言いました。自分で自分を評価できると言うのはなかなかできることではありません。集談会では自己肯定感が持てないという話をよく聞きます。この状態は、自分で自分自身を嫌悪しているということになります。一人の自分の中に二人の自分がいて、一方の自分が他方の自分を非難、否定している状態です。現実世界で欠点や弱点を抱え、ミスや失敗をくり返しながらもけなげに生きている自分を非難、否定しているのです。こういう状態では、社会の荒波を乗り越えて、自信を持って生きていくことは難しくなります。他人が自分を非難、否定するのは仕方ないと思います。人間としてこの世に生を受けると、自己保存欲求に基づいて、できるだけ延命をはかることが最大のミッションとなります。そういった状況の中では、ある程度自己中心的になります。時として他人のことを構っていられなくなります。他人が自分のことを非難、否定するのは自分ではコントロールできません。しかし他人と一緒になって自分が自分自身を否定することは避けなければなりません。それは前線で必死に頑張っている自分に後ろから石を投げつけるようなことになります。生きていく後ろ盾がなくなると、意欲が失われてきます。どんな状況になっても自分は自分の味方になる。親から非難、否定されるような状態であっても、自分を見捨てないで守り切る。他人からどうしようもない奴だとさげすまれたとしても、決して自分を見捨てない。そうして60歳以上まで自分を大事に守り続けた人は、人間として合格点をもらえることができるのではないでしょうか。自己肯定感を育てていくためには、小さな成功体験を積み重ねていくことです。一つ一つは小さなことであっても、それが積み重なると、自己有用感、自己肯定感が育ってきます。森田理論学習では規則正しい生活、凡事徹底による成功体験の積み重ねが大切だと教えてくれました。明石海峡大橋
2023.07.17
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モンテッソーリ教育では、「自己肯定感」と「社会に対する肯定感」は、主として3歳から6歳までに身につける課題だといわれています。「自己肯定感」というのは、「私はどんな場所、どんな状況になっても、何とかやっていけると思うよ!」といった、楽観的な自信と言えるものでしょう。自分の存在を認めて、自分を好きになっている状態です。他人と比較せずに、自分軸で生きていくための土台となります。「社会に対する肯定感」というのは、「世の中にはたくさんの人がいるけれど、悪い人ばかりではないのだから、何か困ったことがあったら、誰かに聞き、頼りにすればいいや」という、他人に対する楽観的な信頼感で、人間関係のコミュニティを作る土台になります。藤崎達宏氏は、この2つの肯定感さえ備われば、人は必ず幸せに生きていけると信じておられます。逆にこの2つが身についていなければ、どんなに立派な大学を出ても、どんなにお金持ちになっても、幸せになれないと指摘されています。物事を考える時に、肯定的なフィルターを通すのと、否定的なフィルターを通して考えるのとでは、その後の人生が180度違ってしまうからです。(モンテッソーリ教育で自信とやる気を伸ばす 藤崎達宏 三笠書房 219ページ)神経症で苦しんでいるときは自己嫌悪、自己否定に偏っています。神経症から解放されると、自己信頼感、自己肯定感に変わってきます。それは日常生活の中で小さな成功体験を積み重ねているからだと思います。出来たという成功体験は自信につながります。自己肯定感の芽が生まれるのです。しかもそれが他人の役に立ち、感謝されるようになると喜びは倍増します。対人恐怖症で苦しんでいるときは、周りを敵に囲まれて、孤立無援のような状態です。神経症から回復してくると、安心感のある暖かい人間関係が出来上がってきます。それは濃密な人間関係というよりも、広くて薄い人間関係のような気がします。時と場合に応じて付き合う人が変わってくるというイメージです。コップ一杯の濃い人間関係ではなく、コップに少ししか入っていないが、その数が100個ぐらいあるような感じです。森田は人間関係のコツは「不即不離」にあると教えてくれました。引っ付いたり離れたりの動きが臨機応変にできるようになると、人間関係に振り回されることは格段に少なっていきます。
2023.07.09
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この言葉は私が尊敬している玉野井幹雄氏の言葉です。この言葉は玉野井氏の闘病体験と関係があります。玉野井さんは、10年間は老人性うつ病で苦しんだといわれる。その前に対人恐怖症で30年間も苦しんだといわれる。対人恐怖症はその後良くなったのですが、その時のキーワードが「地獄に家を建てて住む」ということだったそうです。玉野井さんは、「症状があるままやるべきことをやってきた」にもかかわらず、対人恐怖症の苦境から抜け出すことができなかった主な原因は、どうしても「不快感がなくなることを期待する心がなくならなかった」からであると説明されています。その心がなくならないと、すべての行動が「不快感をなくするための手段になってしまって」、つねに結果を期待することになりますから、うまくいかないわけです。そのために「森田」がいつも言っている「あるがまま」とか「事実本位」とか「目的本位」という言葉も、一時的には効果があるような気がしましたが、本当のところを体得することができず、問題を根本的に解決するには、ほとんど役に立たなかったのであります。そういう苦しい状況が永くつづいた末に、ようやく自分の中から最終的な結論のようなものが出てきました。それは、「どんなことをしても、この苦しい状況からは抜け出すことはできない」「このまま、できるだけのことをして、命のあるかぎり生きるしかない」というものでした。そのときの私は、もう力尽きていましたので、それが如何なる結果になろうとも、それに従って生きるしかないと覚悟せざるを得ませんでした。そしてやむを得ず、「自分の救いを断念して、自分がどのようにして駄目になっていくかを見届ける態度になった」のであります。(いかにして神経症を克服するか 玉野井幹雄 自費出版 47ページ)この話を基にして私の対人恐怖症を振り返ってみました。私の症状は他人から非難される、否定される、バカにされる、からかわれることに振り回されるということでした。そういう場面が予想されると、すぐに逃げ出してしまうのが問題でした。その裏には、良い評価をされたい、一目置かれるような人間になりたいという強い欲求がありました。私は玉野井氏が言われるような覚悟を決めることができませんでした。それは、逃げ回りながらも、何とかなっていたからです。つまり絶体絶命の気持ちになれなかったのです。そういう状況では「地獄に家を建てて住む」というような気持ちにはなれません。私が症状から解放されるきっかけは、森田全集第5巻のなかで森田先生の宴会芸の話を読んだ時です。森田先生が余興で鶯の綱渡りという芸を披露されたというのです。(森田全集 第5巻 293ページ)私は直感的にこれはいけると思いました。そういう視点で森田全集第5巻を読んでみると、例えば大岡越前の三方一両損の寸劇の話も紹介されていました。そのとき私は森田理論を理解することばかりにエネルギーを使うよりも、みんなが喜んでくれるような一人一芸の習得にかけて見ようと思ったのです。そのときは、この取り組みが症状の克服に役立つものとは思いませんでした。森田理論を何年も学習しているのに、はかばかしい成果がないので仕方なく方向転換をしたという感じです。今考えると、この取り組みをしているときは神経症のことは忘れていました。今まで神経症にどっぷりと漬かっていたのですが、症状以外のことに注意や意識を向けたことが大きかったと思います。また、この取り組みは、利害関係のない温かい人間関係を作ることができました。対人恐怖症の私にとっては水を得た魚のような気持になりました。私の場合、玉野井さんが言われる「救いを断念する」ということは、一人一芸に取り組むことで、意識しないうちに結果的に達成されていたのではないかと思っております。なお一人一芸は、獅子舞、浪曲奇術、どじょう掬い、腹話術、アルトサックス、傘踊り、チンドン屋などです。どれも名人芸までには至りませんでしたが、神経症の克服には役立ちました。これ等を携えて老人ホームの慰問、地域のイベントなどには数多く参加しています。山口県角島大橋
2023.06.02
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昨日の続きです。嫌疑恐怖を改善するには、感情の法則を活用することをお勧めします。疑われているという不快な感情はどうすることもできません。そんな時は「疑われていると思っているんだね」とその感情を素直に受け入れる。次に、不快な感情と行動を区別して考える。その時その場で適切な行動を選択して実行に移す。森田理論ではこの手法をお勧めしています。これは簡単なようで結構ハードルは高いです。自分のものとして定着するにはどうしても時間がかかります。もうひとつの改善方法としては「愛着障害の修正」です。愛着障害は他人に対して信頼感が持てなくなることです。親との関係のなかで、愛着の形成がうまくできなかったことが影響しています。愛着の形成は、生後6か月から1歳半くらいまでに行われると言われています。愛着がスムーズに形成されるために大事なことは、十分なスキンシップとともに、母親が子どもの欲求を感じとる感受性をもち、それに速やかに応じる応答性を備えていることである。子どもは、いつもそばで見守ってくれ、必要な助けを与えてくれる存在に対して、特別な結びつきを持つようになるのだ。求めたら応えてくれるという関係が、愛着を育むうえでの基本になるのである。この時期、母親はできるだけ子供の近くにいて、子どもが求めた時に、すぐに応じられる状態にあることが望ましい。(愛着障害 子ども時代を引きずる人々 岡田尊司 光文社新書 24ページ)岡田尊司氏は、一旦愛着障害を抱えた人でも、その後の対応次第では、愛着障害を乗り越えることができると言われています。「愛着障害の克服 愛着アプローチで人は変われる」(光文社新書)という本です。人は怖いものだと思っている人や絶えず人の思惑が気になる方はぜひ参考にしてもらいたい本です。愛着障害を克服するヒントが満載です。なお、このブログには愛着障害の投稿記事が20本近くあります。関心のある方は、2015年9月27日~10月8日の投稿記事をご参照ください。
2023.06.01
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生活の発見誌4月号から高良武久先生のお話です。学校の先生がここに入院していたけれど、その人は学校で時計がなくなったときに、自分が疑われたような気がして、非常にいやな思いをして、それから時計を自分で持つことも苦痛になったというんだね。時計っていうと、すぐにそれを連想するから。我々はそういうとき、疑われちゃ困るという気持ちが起こるけれどね、どこに重点を置くかというと、「自分は時計を盗んでいない」という事実に重点を置くわけだね。他人がどう思うかってことは、これは二の次なんだよね。そういうふうに嫌疑をかけられることを恐怖するのを、嫌疑恐怖というんだけれど、そういう人は、他人がどういうふうに思うかってことに重点を置くんだな。自分が実際そういう悪いことはしなかった、ということに重点を置かないでね。実質に重点を置くか、あるいは仮の自分、見せかけの自分に重点を置くかで、大変違うんだね。それを極端に言えば、自分は貧乏であっても困らないけれど、人から貧乏だと思われるのがいやだ。自分は気が変であってもかまわないけれど、人から気が変だと思われるのはいやだ。極端に言えば、そうなんですね。自分の実質を良くすれば、次第に人も自分の実質を認めてくれて、大体正当な評価をしてくれるようになるんだけどね。他人の思惑というものを、ある程度気にしなければ、人間はエチケットも守れないね。人が自分をどう思うかということを、ある程度気にするということが必要なことなんだけれども、人の思惑ばかりを非常に重大視するようになると、これはマイナスになるね。我々が服装を整えたりするってこともね、自分として気持ちがいいということの他に、他人から見ていやに思われないようにしたいという気持ちがあるわけです。だから他人の思惑というものは、対人関係においていつも、我々が意識しなくてもあるんだな。だけど、そればかりを意識してもしなくてもあるんだな。だけど、そればかりを意識しだしてくるとね、自分が非常に束縛される。こうやったら人がどう思うだろうか、こういうふうなことを言ったら人が自分に対してどう思うだろうか、どう反応するだろうか、ということをいつも問題にするから、ぎこちなくなるね。自分の起居動作、言葉というものをいつも意識しなくちゃならないからね。つまり、人からどう見られるかという「見せかけの自分」というものに非常に重点を置いている生活態度だね。対人恐怖症の人は人の思惑がとても気になります。「見せかけの自分」ではなく、「実質の自分」に重点をおいて生活するためにはどんなことを心かけていけばよいのでしょうか。長くなりますので明日の投稿課題といたします。出雲大社
2023.05.31
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女子マラソンの高橋尚子さんや有森裕子さんを指導した小出義雄氏は、オリンピックでメダルを獲るような選手は素直であるという。「こうすれば強くなれる。今日はこの練習をやって、明日はこれをする。明日はきついけどこれをやるよ」と指導すると、自分なりに納得して素直についてくる。時にはきついから休みたいと思うこともあると思う。そういう気持ちを持ちながら監督のいうとおりに従うのである。強くならない人は、素晴らしい素質を持っていても、「監督、こんなにやったら疲れちゃいます」「今日はジョグだけにします」「私はこうやりたいんです」などと言って、練習方法を自分で勝手に決めてしまう。中には私の練習方法についていけないと言って辞めてしまう人もいる。実にもったいないことだ。監督の指示に素直であるか、自分の意向や意志を優先するかで、その後の成長に大きく差がつくと言われている。監督の指示に素直に従う人は、自分気持ちや意志がないように思われがちだ。しかし実際にはそんな気持ちが湧き上がらない人間はいないだろう。人間である以上、しんどい練習はできるだけ避けたい気持ちもある。苦しい練習よりもおいしいものを腹いっぱい食べてリラックスしたい。好きで楽しいことをして生活をエンジョイしたい気持ちもある。オリンピックで優勝して脚光を浴びたいという気持ちとともに、苦しい練習はできるだけ避けたい気持ちも同居しているのです。「休みたい 楽をしたい 人が見ていなければさぼりたい」という気持ちも持ち合わせているのが、普通の人間なのかもしれません。高橋さんや有森さんも例外ではなかったと思われます。どうして楽な方向に流されなかったのでしょうか。そういうネガティブな感情を素直に認めていたからではないのか。よくありがちなことは、その感情を抑圧してしまうことです。そんな怠惰な考え方を起こしてはいけない。そんなことではオリンピックでメダルを獲得することなど不可能だ。もしメダルが取れなかったら外出できなくなる。お世話になった人に顔向けができなくなってしまう。そんな気持ちを無理やり払いのけて悲壮な覚悟で自分を追い込んでいく。感情の事実を否定することはそこに莫大なエネルギーを消費します。ネガティブな感情を素直に受け入れた場合はどうなるのか。そうだよね。同年代の人は毎日の生活を楽しんでいるよね。結婚して、子供が出来て、子育てを楽しんでいるよね。確かにそれはうらやましいことだよね。でも今の私には大きな夢があって、それを追い求めている。そういった楽しみは後にとっておいて今は練習に打ち込んでいこう。監督の指導に素直に従っているとなぜだか夢がかないそうな気がする。感情の事実を素直に受け入れると、観念と事実が対立しなくなります。感情の事実を受け入れて、事実一色になると、エネルギーの無駄遣いがなくなります。その有り余ったエネルギーの有効活用が可能になります。ネガティブ感情を受け入れると、目的本位にエネルギーを集中させることができます。その結果として、運も味方してメダルを獲得されたのではないでしょうか。
2023.05.05
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