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北海道浦河のベてるの家の活動は、統合失調症を抱えている人たちの自助組織のような感じです。医療スタッフに支えられながら、絶えず仲間同士で集まり、ミーティングを重ねている。仲間同士で結束して、情報交換を行い、助け合い、仕事を持って自立している珍しいところです。ベてるの家の活動は、1982年浦河赤十字病院に精神科医川村敏明医師が赴任してきたときから始まった。その川村医師曰く。「ちょっと生意気なことをぼくがいうようだけど、(一般的な精神医療が)濃すぎるわけですよ、僕の実感としては、我々が薄い分だけここはいろんな、いわゆる仲間っていわれる人たちとの情報交換、助け合い、ミーティング等が用意されている。本人が自分自身のニーズに気づく、あるいはニーズに応じたものが用意されているんで、わたし、そんなに張り切ったり、そんなに治さなくてもいいわけですよ」精神科医ががんばらなくても、患者はミーティングや当事者同士の多様な人間関係に支えられて病気と向き合うことができる。そういうしくみが、この町には備わっている。精神科医がなにをするのかではなく、なにをしないかが問われ、その分患者や仲間、スタッフがなにをするかかが問われている。みんなが出番があって、みんながひとこと持っている。この、「ひとこと俺にいわせろ」っていう感覚がとってもいいような感じがする。20世紀前半のアメリカで画期的な精神医療をきりひらいたH・S・サリヴァンは、心の問題は「対人関係の障害である」といい、「似たものは似た者によって治される」と繰り返し述べている。その治療の柱は、精神病院に入院してきた患者に「似た者」、つまり患者にできるだけ共感できる資質を持つスタッフを寄り添わせることだった。そうすることで治療は多大な成果をあげたという。「似たものは似た者によって治される」というのは、ベてるの家でいう「仲間のところにいって治す」という言い方とよく重なっている。(治りませんように ベてるの家のいま 斉藤道雄 みすず書房 198ページ)この考え方は、神経症、精神障害、経済苦、心の悩み、依存症などに陥ってもがいている人たちに光明を与えるものです。一般的には問題を抱えると、精神科医、カウンセラー、公的援助機関に頼ることになります。それに加えて、同じような問題を抱えた人たちの自助組織に属して、人間的な交流を持つことがとても大事だということです。自助組織に属していないと、他者によって問題点を解決してもらうということになります。つまり自分の問題として、関わることができなくなります。自助組織に属していると、自分が当事者としてこの問題にどうかかわっていくのかという立場に立つことができるようになります。運営するために、さまざまな役割を分担することで、居場所や活躍の場が与えられる。問題を抱えて自分一人で孤立することを防止してくれる。問題解決に向けて別の方面からの取り組み方があることが分かります。情報や問題解決のヒントを見つけることもできる。問題を抱えたことが、自己洞察を深めて、人生をより深く考えることができるようになります。私は自助組織である生活の発見会活動によって、神経症を克服し、貴重な仲間と交流できるようになり、おまけに神経質者としての生き方まで手にすることができました。
2023.03.24
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7月号の生活の発見誌に興味深い記事があった。神経症の治癒を目指して、「精神交互作用」重点型と「思想の矛盾」重点型に分かれているという内容であった。精神交互作用というのは、自分の気になる不安に対して注意を集中するために、注意と感覚の悪循環が生まれて、アリ地獄にまっしぐらというものである。ここに注目すると、神経症の克服のためには、精神交互作用を断ち切ることが大切になる。そこから、不安はあるがままに受け入れて、なすべきをなすというのが神経症治療の方針になるというものです。これは50数年前に集談会が生まれた時から、これを金科玉条にように教えられました。実際これで救われた人も多かったのです。それで集談会から卒業した人も多かった。しかし、生きづらさは全く解消されませんでした。仕事や生活が大きく改善したにもかかわらず、神経症の葛藤や苦悩は相変わらずでした。その反省に立って、たしか2000年ごろ、観念優先の姿勢が肥大化して、事実を軽視する態度が、神経症の発症に関わっているのではないかという考え方がクローズアップされてきた。それに沿って「森田理論学習の要点」が改訂された。これは、森田用語で「思想の矛盾」と呼ばれている。私は最初の頃「思想の矛盾」という言葉の意味が全く分からなかった。今では、「かくあるべし」振りかざして、素直な感情を否定したり、現実で苦悩している自分、他人、自然を敵視する態度のことだと理解しています。観念優先で事実を軽視する態度のことです。この2つの視点は森田理論の核心部分です。車の両輪となって、森田理論を支えているものですから、甲乙つけがたいものです。ですから、どちらかに偏って、森田理論を理解しているとすれば、飛行機でいえば片肺飛行しているようなものだと思います。両方を均等に学習して、修養する必要があります。注意点があります。精神交互作用ですが、不安にとらわれて、神経症に陥るので、それを断ち切るために実践・行動しましょうというのは説得力がないように思います。不安のからくりが分からないと行動には向かわないからです。まず不安と欲望の関係性を学習することが肝心だと思います。神経症的な不安は、欲望があるから発生しているという考え方です。不安と欲望のバランスをいかにとるかというのが眼目となります。また不安の役割や特徴、過大な欲望は不安を制御力として活用するという考え方もしっかりと学習する必要があると考えます。これらが理解できると、神経症的な不安と格闘することはバカバカしいことだと思えるようになります。観念中心で事実を否定する態度についてですが、それをすると、葛藤や苦悩でのたうち回り、無念の人生で幕引きとなります。エネルギーの無駄遣いが起こり、いつまで経っても生の欲望への発揮のスタート地点に立てないということをしっかり学習したいものです。オリンピックでいえば、国内予選を勝ち抜いて、世界の舞台でスタート地点に立つということです。生まれ変わって人生の檜舞台に立つということです。事実本位を身に付けるための手法はいろいろありますが、まず「かくあるべし」をまき散らすことの弊害について理解することが先決だと思います。観念優先の態度の弊害が理解できるようになると、原点回帰ができるようになります。手法はいろいろとあります。このブログでも紹介しています。身につけるのはあなた次第です。
2022.09.23
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大塚家具は2022年9月にヤマダ電機に吸収されて上場廃止となりました。これは決して他人ごとではない。森田理論学習の盛衰に大いに関係があるとみています。今日はどうしてそんなことになったのか分析してみたいと思います。元々大塚家具は富裕層に向けて高級家具をとり扱っていました。2015年、父親から経営権を奪取した娘さんは、ファミリー層に中価格帯商品を提供する戦略に転換しました。今振り返ってみると、この方針の転換が命取りとなりました。でもそのときはそんなに悪い戦略ではないと考えていました。2015年6月「おわびセール」という特売を実施しました。前年対比でプラス70%の伸びでした。しかしその後の売上は急激に落ち込みました。そこで、2015年12月「売り尽くしセール」を行いました。前年対比でプラス30%の伸びでした。でも続きませんでした。さらに落ち込んだので、2016年5月「大感謝会」キャンペーンを行い挽回を図りました。前年比と同水準でした。カンフル剤を打ったにもかかわらず、特売が終わった途端に売り上げが大きく落ち込むという悪循環を招いたのです。その後は坂道を転がる雪だるまのように、前年割れが当たり前になりついに息の根を止められました。この間、従業員には「とにかく頑張れ」「サービス残業で乗り切れ」と発破をかける。取引先には「仕入れ代金を下げてくれ」とお願いをする。赤字覚悟で、特売セールをする。そして安さ目当てのお客さんだけが集まってくる。終いには商品の品質を下げたり、量を減らすことになる。経営は火の車となる。昔から上得意先は離れていった。そのつけは、従業員、取引先、会社の業績、お客様のすべての分野に及んだ。この敗因の原因は、ニトリという競合他社の存在がありました。ニトリも中価格帯戦略をとっていました。店舗数でいうと大塚家具19に対し、ニトリは545店舗(2018年8月時点)ニトリは大塚家具の28倍もの規模を持っていた。「ファミリー層に中価格帯商品を、お値打ち価格で提供する」というコストリーダーシップ戦略ではニトリの方が圧倒的に優れており、数十年の実績もあった。さらにニトリは生産から小売りまで一気通貫のモデルを構築していた。大塚家具のようにメーカーから仕入れた商品を販売するというやり方とは違う。そういう競合他社の存在をどうとらえていたのか。まさか気が付かなかったというのではあまりにもお粗末である。大塚家具は販売対象者を絞り込む。つまり既存の上得意先を大切にする。この顧客に対して、自分たちが提供できる最高の価値を見つけて、どんどん進化させていく。それしか生き残る道はなかったのではないか。これは森田理論学習の盛衰にもかかわってくる考え方だと思う。生活の発見会や集談会が神経症の克服を唯一最大の目標にしていると、大塚家具と同じような道をたどるであろう。今現在でもその兆候が現れている。神経症で苦しんでいる人たちは、今やすぐれた薬物療法がある。カウンセリングや認知行動療法などの精神療法もたくさんある。つまり神経症の克服は、森田先生の時代とは違い、克服のための選択肢は格段に増えているのである。森田療法が、旧態依然として、それらと互角に戦えると真剣に思っているとすればきわめて危険である。確かに集談会にやってくる人たちは、神経症からの克服を目指している。薬物療法や他の精神療法との違いを、血眼になって探しているのである。そういう人たちに対して、神経症を克服した人が、克服体験を伝えていくことは大切なことである。ですから、とりかかりとして神経症の克服に関わり合うのは構わないと思う。しかしそれを、集談会の唯一最大の目的として見間違ってしまうことが問題なのである。生活の発見会、集談会の最終目標は、神経質者が神経質性格を活かした人生観を確立していくことにあると思う。神経症の克服は、最終目標からみると30%か40%くらいのものである。学習の重点は、神経症の治療モデルにあるのではなく、生き方モデルにあるのである。ここを見誤やまると、自助組織生活の発見会は、大塚家具と同様の道を突き進むことになる。この考え方は精神科医の比嘉千賀先生も力説されていた。逆に、最終目標を視野に入れた活動に目覚めたとき、今まで手付かずのブルーオーシャンの世界が大きく目の前に広がってくる。
2022.08.13
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稲盛和夫氏が老師の話を紹介されている。地獄と極楽には同じような大きな釜があり、そこには同じようにおいしそうなうどんがぐつぐつと煮えている。ところが、そのうどんを食べるのが一苦労で、長さが1メートルほどの長い箸を使うしかないのです。地獄に住んでいる人はみな、われ先にうどんを食べようと、争って箸を釜につっ込んでうどんをつかもうとしますが、あまりに箸が長く、うまく口まで運べません。しまいには、他人がつかんだうどんを無理やり奪おうと争い、ケンカになって、うどんは飛び散り、だれ一人として目の前のうどんを口にすることは出来ない。おいしそうなうどんを目の前にしながら、だれもが飢えてやせ衰えている。それが地獄の光景だというのです。それに対して極楽では、同じ条件でもまったく違う光景が繰り広げられています。だれもが自分の長い箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び「あなたからお先にどうぞ」と食べさせてあげる。そうやってうどんを食べた人も、「ありがとう。次はあなたの番です」と、お返しにうどんをとってあげます。ですから極楽では全員が穏やかにうどんを食べることができ、満ち足りた心になれる。(生き方 稲盛和夫 サンマーク出版 176ページ)これに関連して、私が集談会で教えてもらったことは次のような事でした。神経症で苦しい人が、悩んでいる仲間のことが心配になり、「自分のことは明日考えよう」と先送りしていた。その明日が明後日になり、明後日が明明後日になって、いつの間にか自分の症状を治すことを棚上げにしていた。そんなことをくり返しているうちに、自分の症状は軽くなっていたというのです。集談会参加者の世話活動に力を入れていると、社会体験不足を補うとともに症状も軽快する。不思議なことがあるものだと思っていました。以前は集談会で森田関係の図書をある程度ストックして販売していました。その図書の管理や運搬は、すべて図書係がやっていました。不足すれば、次の開催日までに補充するようにしていました。実は私もその図書係をしていたことがあります。なにしろ無料で森田の本を読めるというのが魅力でした。私は図書係にのめり込みました。集談会が始まる前にはきちんと並べておくのです。どんな本が初心者に役立つのか。対人恐怖の人にはどんな本がよいのか。森田理論を深めるためにはどんな本があるのか。とりあえずストックしてある本はすべて読みました。その後は、それ以外の本にも手を広げて読むようにしました。よいと思った本は、新たにストックに加えるようにしました。次に自分がここがよかったという部分をまとめた紹介文を作り配布しました。自分が勧めた本を買ってくれる人がいるのはうれしいものです。私は図書係という仕事にやりがいを感じるようになりました。集談会に参加するのは、自分の症状を治すということと並行して、役に立つ本を多くの人に紹介するという目的がありました。一時期は、自分の症状の事よりも、図書の売れ筋が気になるようになりました。集談会に本屋さんが来ているのかといわれたこともあります。その後は図書係を他の人に譲り、幹事として集談会の運営に加わりました。参加者が多く、来てよかったという集談会にするためにはどうするかということに力を入れました。一泊学習会、野外学習会、花見や懇親会の企画や実施にも取り組みました。それらの貴重な経験は、すぐに会社の中でも役立つことになりました。人の為に始めた世話活動が、最後には自分のためになっていたのです。神経症を克服するには、こちらから入るという道もあるのです。
2022.08.05
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私は5月の連休中に、私の自家用野菜つくり、加工食品作り、男の料理教室、ベランダに咲く草花の世話、近くの公園に咲く花、チヌ釣、獅子舞、腹話術、ドジョウ掬い、チンドン演奏会の様子、集談会の仲間とのふれあい、集談会での余興、ブログやテキストの紹介、各種イベントの模様、支部研修会の様子などの写真集を作りました。普段自分が取り組んでいるものばかりです。40枚ほどありました。パソコンの中に取り込んでいた写真をA4サイズでプリントアウトしたものです。この写真は、ミニトマトやカボチャなどを収穫した時のものです。畑で真っ赤に熟れたミニトマトはとても甘かったです。カボチャはマフィンを作ってみました。余った野菜は隣近所におすそ分けして喜ばれました。この写真の一部を集談会の参加者に紹介しました。かなりのインパクトがありました。目に見えるものは、言葉だけで説明するよりも、何倍も説得力があります。それに刺激を受けて参加者がやる気になってくるかもしれません。集談会に参加している人に提案です。デジカメやスマホなどで撮った自分の生活ぶりや趣味をプリントアウトして簡単に紹介するということです。自己紹介の時などで紹介すると、参加者に大きな刺激を与えるかもしれません。簡単なことですが、「人の為に尽くす」実践となります。
2022.05.10
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昨年の支部研修会で森田理論に詳しい精神科医の先生の講話を拝聴しました。大変参考になりました。こんな話を聴けた私は幸せ者です。パワーポイントで原稿を作成されていましたが、相当な時間をかけられていました。先生のエネルギッシュな講話に乾杯です。こんな話を聞けば誰でも先生のファンなりますね。その中に「生活の発見会のみなさまへの提言と期待」というのがありました。そこで、まだ生活の発見会は、自助組織としては洗練されていないというお話がありました。まだ成長過程にあるということでした。多少ショックを受けましたが、冷静に考えるとその通りだなと思いました。それは、集談会の開催日を指折り数えて待っているような状態にあるかと自問したとき、どうもそうではない。まだ改善する余地がある。世話役をしているので、なんとかムチ打って参加している。集談会の参加が待ち遠しいと思ったのは、症状で苦しかった最初の頃でした。その後は、そんな気持ちになれない。どうしてだろう。一番の問題は、中間層、ベテランという人たちばかりの集談会になった時の学習内容です。この場合は初心者が参加されている時の学習内容と同じでは問題だと思います。今までですと、ここでの教材は、「森田理論学習の要点」を読み合わせて意見を述べ合うことになりやすい。この教材は中間層、ベテランという方は今まで何十回、何百回と繰り返して学習しています。これが学習のマンネリ化と停滞を生み出しているように思います。マンネリというのは、飽きてきて精神が弛緩状態に陥っている状態です。でもそこを改善すれば、素晴らしい勉強会になるはずです。中間層、ベテランばかりの時は、新鮮で活きのよい生活に密着した学習テーマを幹事が用意しておく必要があると思っています。そうなればすぐに待ちどおしい集談会に早変わりします。今日はそこに焦点を当てて提案しましょう。発見誌や森田図書の中から学習テーマを取り上げることもその一つです。その際はただ読み合わせするだけではなく問題提起する気持ちを持つ。取り上げる人は、森田理論の解釈、生きづらさ、問題点、課題を出す。そういう準備をしてからテーマとして取り上げる。you tubeやDVDを視聴する時も、事前の準備が大切です。私の場合は、生活の中に森田理論を存分に活用していきたい。森田的生活を送りたい。森田道を究めたい。そのために参加者の実際の森田理論の応用や活用方法を聞きたい。体験発表や外部講師の話を聴きたい。応用森田・生活森田の話です。趣味や習い事、特技、運動、公民館活動、普段の生活、ボランティア活動、アルバイト、講演会情報、コンサート、旅行、家庭菜園、加工食品、ぺットとの付き合いなどです。神経質性格を活かした森田人間学をさらに深耕して、今後の人生を充実させたい。歳をとってきたので、生きがいづくりや長生き健康法について知りたい。ガンや入院することになった時の心構えや注意点。特に寝たきり、介護、認知症、老人施設に入ることになったときどうするか。相続や墓じまいをどう考えるか。田舎の不動産をどうするか。エンディングノートはどう書けばよいのか。年金だけでは心もとないので将来の生活設計をどう考えるか。そのほか対人的な生きづらさがありますので、人間関係の極意をみんなで話し合いたい。特に夫婦、子供、親、友人、隣近所、親戚との付き合い方。今まで仕事はイヤイヤ仕方なく取り組んできましたが、人生の3分の1を占める仕事への向かい方をみんなに聞いてみたい。森田理論の立場から、社会や自然との付き合い方、欲望暴走社会の問題点を知りたい。政治や経済の問題点をより深く知りたい。みなさんの知りたいこと、生きづらさ、抱えている問題点はそれぞれ千差万別だと思います。そういう話が飛び交う学習会、体験交流、懇親会はとても魅力を感じます。こういうことを取り上げる自助組織はありませんのでとても貴重です。毎回こういう集談会が開催されるとすれば、待ち遠しくて、指折り数えて開催日を待つことになるのではないでしょうか。さらに現在ZOOMなどで全国展開の兆しがあるのですから、これを見逃すのは宝の山に気がつかないようなものです。なおZOOMはメールで送られてきたURLをクリックすればすぐに参加できる優れものです。
2022.02.08
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今月号の生活の発見誌に「魅力ある集談会」を作ろうという記事がありました。私は35年間毎月のように集談会に参加してきました。時には所属集談会以外の集談会にも参加しました。集談会に参加したおかげで、利害関係のない、アットホームな人間関係を築くことができたように思います。もし集談会がなかったら、利害関係の強い会社の中で右往左往していたように思います。この2つの人間関係が車の両輪となって機能してきたと思っています。それだけに、現在全国に100以上ある集談会が元気になってほしいのです。今日はその提案をしてみたいと思っています。どんな集談会だったら開催日が待ち遠しいと思えるだろうか。1、初心者にとっては丁寧な対応をしてもらえる集談会。2、自分の悩みをよく聞いてくれる。共感と受容の雰囲気がある集談会。3、神経症で悩んでいる仲間がいる集談会。4、治った人がいる集談会。目標になる素敵な先輩がいる。5、アットホームで居心地の良さを感じられる。6、神経症克服のヒントがもらえる。7、生活森田・応用森田の活用例を目の当たりにできる。8、生活を楽しく豊かにするさまざまな情報が手に入る。9、参加者の特技・趣味・これまでの苦労の話が聞ける。10、おいしいお菓子やコーヒー・紅茶・お茶などが出てくる。11、集談会後に居酒屋での懇親会がある。料理や酒が楽しめる。12、系統的な森田理論の学習ができる。森田理論が深まる。13、忘年会、新年会、花見、ハイキング、野外学習会、同好会などがある。14、森田理論に精通した講師の話が聞ける。15、森田理論で神経質者の人生観が確立できる。16、世話活動、幹事活動で貴重な社会体験の場が持てる。17、レクレーションタイムで我を忘れて楽しめた。音楽や健康体操。18、大きなイベントを開催して成功体験を味わうことができた。19、集談会以外にも支部レベルでの人脈が広がり知り合いが増えてきた。20、ZOOMで参加することも可能な集談会。幅広い交流ができた。21、幅広い年代の人が参加している。男女の比率がよい。22、参加者が5名以上はいる。できれば常時10名から15名くらいいる。23、自己紹介や体験交流で話す内容を用意して参加している人が多い。24、否定や非難されることがなく、褒め合い、たたえ合い、励ます態度が強い。25、守秘義務が確実に守られている。これは私が今まで経験してきたことである。これらが血となり肉となって私を作り上げてきた。こういう集談会になっていれば、交通費をかけて、時間をとって、参加費を支払ってもぜひ参加してみたい。今でもそう思う。これらを可能にするためには、継続的な並々ならぬ努力がいる。それを担うのは主に幹事・世話人である。2人以上の熱心で献身的な幹事・世話人がいれば実現可能である。そういう経験を持てた人は、いずれも落ち着いた人生を送っている。軌道に乗せるまでは大変だが、弾みがついてくれば協力者が増えて、集談会は盛況となる。この活動が自分の人生を鮮やかに彩ってくれる。森田理論に出会う前は本当に苦しかったが、生活の発見会と集談会に出会うことができ、私の人生はいつの間にか好転してきた。そして穏やかな生活を送ることができるようになった。そして何よりも、遅ればせながら神経質者として人生観が確立した。年配者になると自然と足が遠のいていく人が多かったが、私は苦楽を共にした人と生涯関わっていきたい。そしてこの素晴らしい森田理論を、世界中に広げていきたいというのが今の夢です。このブログの英語版を世界に発信していきたいと考えているのです。
2021.12.04
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このブログは、メンタルヘルスの自助組織である「生活の発見会」活動を応援しています。生活の発見会のホームページをぜひご覧ください。内容が一新されています。下記のURLをクリックしてお入りください。NPO法人生活の発見会神経症や適応障害を抱えながら仕事を続けておられる方もいらっしゃると思います。以前会員で現在退会された方も数多くいらっしゃることと思います。問題解決の足がかりを見つけて、悔いのない人生を送られていることを望むばかりです。もしいまだ苦難の人生に甘んじておられるならば今一度ホームページをのぞいてみてください。本日は現在の集談会活動の内容と今後の展開について簡単にご説明します。集談会はコロナ禍で休会せざるを得ない状況に追い込まれました。緊急事態宣言が解除されましたので、集談会活動が徐々に再開され始めました。しかし一旦休会されて、集談会から離れてしまった人の足取りは重いものがあります。回復には今しばらく時間がかかります。今後の課題ですがなんとかやり遂げたいです。これを機会に集談会のプログラムを見直して、「集談会に参加する日が待ち遠しい。参加費、交通費、時間をかけても行ってみたい」という運営を模索していきたいと思います。それとは別に、コロナ禍で新しい集談会活動が見直され、実際に運用段階に入りました。まさにピンチをチャンスに変えました。これはネットを通じた集談会活動のことです。ネットは全国各地どこに住んでいても、パソコンやスマホがあれば参加できます。自宅にいながらモバイル集談会活動に参加できるようになりました。私も実際に遠くの仲間と時間を決めて打ち合わせをしています。さらにモバイル集談会活動に参加していますが、全く問題ありません。これは今のところZOOM会議システムを利用しています。注意点としては、有線かwihiでネットにつながっていることです。インターネットに定額でつながっていれば問題ありません。やり方は、生活の発見誌に載っているZOOM集談会のご案内(発見誌の最後に紹介されている)を見て、主催者に参加希望のメールを送ると、ZOOM集談会にアクセスできるURLが送られてきます。指定時間にそれをクリックすれば簡単に参加できます。参加者の音声や画像が自動ででてきます。最初は緊張しますがすぐに慣れます。分からないことは、主催者に聞けばすぐに解決できます。メリット1、会場に出向かなくてもよい。自宅で参加できる。効率が良い。交通費がかからない。2、全国的ですから、どこに住んでいても参加可能です。老若男女、参加者が多彩です。3、症状別、目的別、年齢別、性別に特化した集談会の開催が可能です。4、初心者のZOOM集談会もあります。これは全国版リモート初心者懇談会です。5、近くの集談会には遠くて参加しづらい人は便利です。6、森田理論に詳しい講師の話がリアルタイムで拝聴できます。7、一週間のうちどの曜日、時間帯でも開催設定できます。8、顔は出したくない方も、イレギラーですが音声参加はできます。デメリット1、パソコンやスマホをやっていない人は参加できない。2、多少の知識がいる。これはすぐに分かるようになります。3、対面でないので、今まで以上に傾聴、共感、受容が大切になります。実際には、リモート懇談会「JUPITHR」(ジュピター)というのが始まりました。ここでは、メインは毎月第3土曜日14時から17時開催。その他、飲み会を兼ねた懇談会、対人恐怖症の人の懇談会、火曜日の昼間開催の懇談会などがあります。その他、沖縄オンライン集談会などもあります。精神科医や臨床心理士を招いた懇談会もあります。系統的な森田理論を学ぶリモート学習会も試験されてます。くわしくは、生活の発見誌やホームページをご覧ください。私はリアルで開催の集談会に一人だけリモートで参加して講話をしたことがあります。そのときは、パワーポイントで作った資料の説明をしましたが、違和感はありませんでした。ただし、これらは新しく始まったばかりですので、まだ試行錯誤の段階です。問題点はどんどん解消されて、しだいに整備されて大いに活用されるようになると思っております。実際の対面の集談会とリモート集談会が有機的に複合されるようになると活動の幅が格段に向上していくと思います。どのように変化していくのか楽しみです。私は、この中に「応用森田・活用森田・生活森田」懇談会を主催してみたいと考えています。参加者同士の活動から刺激を受けて、参加者の生活が益々活性化することを狙っています。どんな内容を考えているのかは、日を改めて紹介します。集談会は日進月歩です。さらに新しい活動を模索し続けて、森田理論学習と活用の輪を広げていきたいです。
2021.11.13
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昨日の続きです。新生「生活の発見会」が、神経症治療に医療行為を行わないとしたのは、今考えると当たり前のことですが、それまでの経過を考えると画期的なことです。森田先生も水谷先生も、神経症でのたうち回っている人に対して、医師の存在がありました。それまでは、神経症からの解放は医療分野の介入が不可欠という暗黙の了解がありました。そのような状況で、新生「生活の発見会」が集談会活動の中で、精神科医の主導のもとで神経症を治すという活動は行わないと高らかに宣言したということなのです。ここが画期的なのです。この選択には様々な確執がありましたが、何とか乗り越えてきました。つまりこの会は、学習運動に徹した活動を行う団体であると明記したのです。神経症を克服した人は、自分が神経症を克服したという成功体験を持っているために、精神科医に成り代わってそのコツを教えたくなるものなのです。それは会の性質上やむをえないことですが、それが唯一最大の目的ではないということです。神経症を治すということは医療行為なので、安易にその分野に手は出さないと決めたのです。それでは、新生「生活の発見会」は何を目的としていたのか。その前に、森田先生は、神経症は器質的な病気ではないと言われています。うつ病、統合失調症、双極性障害などの精神疾患とは違うという考えです。しかし、神経症は器質的な病気以上に、重篤な精神疾患のように見えます。そのからくりと治し方をよく分かっている医師が、森田の入院療法によって、40日間という短期間で完治させるという治療だったのです。新生「生活の発見会」では、重篤な神経症の方は協力医を紹介する方法を選択しました。精神科医は、薬物療法や森田療法を組み合わせて、社会復帰させるまでは責任を持つ。その段階で神経症の治療は終了となります。しかし、仮に退院できても、再発の心配があります。また神経質特有の生きづらさが解消できたわけではありません。依然としていばらの道が待ち構えているわけです。「生活の発見会」は、最悪期を脱した人たちの自助組織です。神経症を抱えながら、なんとか仕事や勉強をしている。苦しみながらも家事・育児・介護をしている人を対象にしていました。神経症的な葛藤や苦悩を抱えながら、日常生活を何とか維持している人を受けいれていたのです。そういう人たちが「生活の発見会」という自助組織を作り、情報交換をして助け合い、森田理論学習によって、神経質性格者としての生き方を身に着け、二度と神経症で苦しまないようにする。つまり再発防止と森田的人生観の獲得を目指していたのです。「生活の発見会」は、このような方向性、目的を持って活動している団体です。神経症を治すということを最大の目的として設立したものではないのです。それをすると医療と競合しますし、医療と同じ土俵で勝負してみようと思った時点で負けが決まったようなものです。精神科医のご努力を軽視することになります。精神科医とは役割の棲み分けを明確にして、協力し合う関係が望ましい。森田理論学習の場を、神経症を克服するという目的にすり替えてしまうことは大きな問題です。自分の成功体験を後輩たちに語り部となって教えてあげることは構いません。そういう活動は必要です。問題は、森田理論学習を、神経症の治療のための最大で唯一の目的にしてしまうことです。森田理論学習は、再発防止と神経質性格者の人生観確立が最大の目的となります。そういう視点で森田理論を見渡すと視界が大きく広がります。人間の生き方、性格や感情についての考え方、人間の幸福とは何か、生の欲望についての考え方、観念と事実の関係、事実本位の考え方、人間関係の持ち方、不安、恐怖、不快の持つ役割、不安と欲望の関係、変化に対応する考え方、物の性を尽くすという考え方、調和やバランスの考え方、主体的な生き方、社会の中で人間の果たすべき役割、教育や子育て、欲望の暴走社会の修正、歴史の検証、自然との共生、政治・経済・金融へのかかわり方などすべての分野にわたり問題解決のヒントを与えてくれています。神経症治療としての森田理論の学習は、これらの課題の一分野と考えるべき時です。そこに限定して森田理論を扱うということは、大きな問題だと思います。自助組織による森田理論学習は、神経症の治療から始まりましたが、そこに留まってしまうと自ら自滅してしまうかもしれません。森田理論は優れた内容を内在しているにも関わらず、それを放置することはとても残念なことです。森田理論の秘めた素晴らしい内容に沿って、成長発展させることが大事です。この方向は森田先生、水谷先生、長谷川先生方が望まれている道だと思います。この方面は、人類史の今後を大きく左右するものだと考えています。人類が真剣に森田理論を学ぶ時代がやってきているということです。森田理論学習の役割と使命を再確認したとき、今後の森田理論学習の活躍の場は大きく広がってくるように考えています。
2021.10.28
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今日は森田療法、森田理論学習の歩みを振り返ってみたい。森田療法は、森田先生がさまざまな療法を検証した結果生まれたものとされている。決して突然思いついて確立したものではない。少なくとも20年くらいの試行錯誤の期間を経ている。確立したのは1919年(大正8年)と言われている。森田先生45歳の時である。その理論は「神経質の本態と療法」にまとめ上げられている。1929年(昭和4年)12月1日から形外会を開催されている。その後、1937年(昭和12)4月25日まで、8年間66回開催されている。森田先生のところに入院していた人たちが、直接森田先生から森田人間学をより深く学ぶ勉強会であった。その様子は1930年(昭和5年)から「神経質」という雑誌に掲載された。現在は、森田正馬全集第5巻で学習することができる。森田療法が広く知られるきっかけとしては、倉田百三氏の「絶対的生活」と「神経質者の天国」という書籍が大きな役割を果たしている。森田先生は1938年(昭和13年)4月に64歳で亡くなられた。森田療法は、高良武久、古閑義之、野村章恒、竹山恒寿、鈴木知準、宇佐玄雄氏などの優れた後継者を輩出している。森田療法が確立して、森田先生が主導的な役割を果たされた期間は、約19年ということになる。戦後、森田療法の普及に尽力された人は、水谷啓二先生である。1957年(昭和32年)10月に「生活の発見」誌の発行を始められた。森田先生が亡くなられてから19年後のことである。1960年(昭和35年)から、啓心会を開催されている。これは森田先生の、形外会に該当する。1961年(昭和36年)には、医師を招いて啓心会診療所を開設された。「生活の発見誌」は、1968年(昭和43年)100号の節目を迎えた。しかし、これからというときに、水谷先生は突然亡くなられた。1970年(昭和45年)3月のことである。58歳の若さであった。水谷先生としてはやり残したことがたくさんあり、さぞかし無念であったことだろう。水谷先生が、主導的役割を果たされた期間は、約13年であった。主を失って途方に暮れたが、長谷川洋三氏と斎藤光人氏が再建に乗り出した。1970年(昭和45年)5月には新生「生活の発見会」が発足した。方針としては、理事会方式による運営を行う。「生活の発見誌」発行する。医療行為は協力医にお願いする。神経症で悩んでいる人が各地の集談会に集まり、森田理論の相互学習と情報交換を行うことにした。集談会の全国展開はお二人の尽力により予想以上に早く完成した。そのほか合宿学習会にも取り組んだ。現在の基準型学習会、オンライン学習会の源流となるものである。時あたかも高度経済成長期で、時流に乗り会員は7000名近くまでに急拡大した。拡大に寄与したのは、1972年(昭和47年)1月の朝日新聞の日曜版に生活の発見会の紹介記事が掲載されたことである。そのほか特質すべき点を挙げておく。1974年(昭和49年) 白揚社から、「森田正馬全集」が発刊された。1983年(昭和58年) 森田療法学会が発足している。1988年(昭和63年) メンタルヘルス岡本記念財団が発足している。1998年(平成10年) 生活の発見会は、第50回保健文化賞を受賞している。生活の発見会の会員は、1993年をピークにして、それ以降減少に転じている。新生「生活の発見会」が、活気があった期間は約30年間といえるのではなかろうか。会員が減少に転じてから、すでに28年が経過している。現在の会員数は2000人を割り込んでいる。この原因はさまざまな点から分析しているが、ここでは一つだけ取り上げてみたい。日本経済は、バブルがはじけて、デフレ経済に陥り、いまだ回復のめどが立っていない事である。つまり、国民の生活がどんどん苦しくなっているという現実である。森田理論が活況を呈していた時代は、これからの新しい時代を模索して、高度経済成長期であったということです。1億総中流家庭と言われていたころに、集談会が活況を呈していた。今は生活が苦しい。雇用が安定しない。子どもが作れない。生きることで精一杯という時代になった。これは、国民の生活をないがしろにしている政治の責任である。それなら、政治家に猛省を促す活動をしているかというと、政治には無関心という人が多い。無気力、無関心、無感動の生活の中で、毎日汲々として生きている人が多くなるにつれて、森田に関わる人は激減しているのである。しかし、森田理論を人生哲学としてとらえ、生きる支えにしている人が少なからず存在している。この人たちは、過去に森田療法やその理論に恩恵を受けた経験のある人たちです。50代前までの若い人たちにとっては、森田理論は無用の長物となっている。ですから、このまま世代交代を迎えると、森田療法はその役割を終えてしまうという可能性が高くなります。また一方で、神経症治療としての入院療法はほぼその姿を消した。現在は外来森田療法が中心である。というよりも、現在の神経症治療は、薬物療法、認知行動療法をはじめとした他の精神療法、カウンセリングに軸足を移している。この歴史を否定的に捉えるのではなく、事実をありのままに捉えることで、次の課題が見えてくると思っている。森田理論には人類の普遍的な人生哲学がちりばめられており、これを人類が活用しない手はないと考えています。むしろ森田理論を学び、活用していかないと人類そのものが滅んでしまうというリスクを抱えている。これについては、明日の投稿としたい。
2021.10.27
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7月号の生活の発見誌に集談会にのめりこんだら会社の業績が伸びた。幹事や世話人を引き受けることで自分が成長したとありました。この方は幹事や世話人を引き受けたそうです。今日はその意義を考えてみたいと思います。幹事・世話人にはいろんな役割があります。代表幹事、会計、受付、お菓子係、司会進行、本部や支部への連絡係、メールやはがき案内係、ホームページ更新係、会場予約係、報告書作成係、初心者対応係、派遣講師連絡係などです。幹事・世話人になると、集談会前に行われる幹事会に出席することになります。そこでその日の予定の確認、3か月先までの予定の立案。集談会で何か問題が発生するとその都度対応策を考える。以前はイベントが目白押しでした。野外学習会、ハイキング、一泊学習会、一日学習会、暑気払い、忘年会、新年会、花見などがありました。これらの計画を立てるのも幹事・世話人です。特に一日学習会の企画と実施は、宿泊を伴いますので、みんなで協力して、きめ細やかな対応が求められます。ここで成功すると大いに自信がつきます。この成功体験が大きいのです。それは即仕事面で応用できるようになります。一石二鳥とはこのことです。最初に幹事・世話人になりませんかと言われたときは、しり込みする人が多いです。私も最初はそうでした。症状で苦しんでいるのに人の世話なんかはとてもできない。でも結果的に、この幹事世話人を引き受けたことがプラスになりました。幹事世話役に取り組むことで、小さな成功体験を数多く蓄積することができたのです。これがその後の生活や仕事に大きな影響を与えるとは思ってもみませんでした。それをお金を賭けずに身につけることができたのですから、笑いがとまりません。それまでは観念的で、実行する前から「やったことがないので不安だ」「どうせ挑戦してもうまくいかない」「どうもやる気が起きない」「面倒だ」「億劫だ」などと理由をつけて行動力が欠けていたのです。そして雑多な成功体験を身に着けないで大人になっていたのです。集談会に参加して、幹事・世話役を引き受けたことで、小さな成功体験を遅ればせながら数多く体験できたのです。小さな成功体験を持っていると、つぎの課題や問題が出てきたときに、やればできるかもしれないと思えるようになるのです。日常生活の中での小さな成功体験はとても重要です。成功するとドパミンがたくさん出て気分がよくなります。それは意欲の脳と言われる側坐核に良い影響を及ぼします。さらに脳全体に好影響を及ぼし、前頭前野は建設的、生産的、創造的に活動してくれるようになります。そしてまた新たな課題を見つけて挑戦するようになります。こうした好循環を作り出すと人生は活性化してきます。小さな数多くの成功体験を持たないで大人になった人は、今からでも遅くはありません。そのためには積極的に集談会で幹事・世話人を引き受けることです。そこで小さな成功体験を積み重ねるという戦術をとることです。そこでは失敗しても大目に見てもらえます。上手くいくと大いに評価してらえます。こういうことは利害関係が複雑に絡んだ普段の社会生活の中では難しいことです。最近はコロナの影響もあり、人材が不足していますのでいくらでも役割があります。私の経験では、集談会の幹事世話活動に丁寧に取り組んでいる人は、社会の中でも相当重要な役割を無難にこなしておられるといったイメージあります。
2021.09.11
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NPO法人生活の発見会という自助組織は、神経症になった人が、全国各地で月1回開催されている森田理論学習の勉強会に参加して、交流を深めながら神経症の克服を目指しています。そこには利害関係はありません。入会も退会も自由です。政治や宗教とは無縁です。この団体は、1993年には6000人以上の会員を抱えて大変盛況でした。この数はNPO法人としては最大級です。ところが、その後低迷して現在に至っています。この組織の存在意義を強く支持しているものからすると、その原因を分析して、なんとか復活してもらいたいと切に願っております。低調の原因はいくつかの要因が複雑に絡み合っているとみています。1、精神科の敷居が低くなり、神経症の治療に薬物療法が入り込んできたこと。2、認知行動療法をはじめとした様々な精神療法が百花繚乱の様相を呈していること。3、カウンセリングの敷居が低くなってきたこと。4、バブル経済が1990年に終わり、それ以降生活のゆとりが失われてきたこと。5、生きることに汲々として、神経症で苦しむ人が減ってきたこと。6、不安の中身がはっきりと特定できなくなってきていること。7、漠然とした将来不安、対人不安を抱えて、生きる意義を見失ってしまっていること。8、その日を無難に暮らしていくだけで、生の欲望の発揮が希薄になってしまっていること。9、その他これらを総合的に考えると、もう森田療法や生活の発見会の果たしてきた役割は終わってしまったのではないか。時代の大きなうねりの中で、森田療法は自然消滅の運命にあるのではないと思わざるを得ない。少なくとも今の日本人の置かれた状態を考えてみたとき、今の時代には合っていないと思う。神経症の治療として森田理論を役立てようとしていると、どんどんじり貧に追い込まれてしまうと考えています。残念ですが、それが自然の流れです。では森田先生が考えられた人間学としての森田的な考え方はどうか。神経質者としての生き方、不安の役割、不安と欲望の関係、観念中心で事実軽視の弊害、事実唯真の考え方、生の欲望の発揮、人間教育、社会教育、子育て、人間や国家の自立、社会の在り方、自然との付き合い方、人間関係の在り方、政治や経済の在り方、欲望の暴走社会の弊害など。これらはこれからの人類史を考えてみたときに、無視することはできない。今まで無視したからこそ、人類は不幸な歴史を積み重ねてきたと思う。「今だけ、自分だけ、金だけ」という風潮に流されることは何としても阻止したい。それが最終章を迎えるということは、人類は絶滅に近づくことになると思う。この方向を目指すことは、森田理論が森田人間学として脚光を浴びることになると思う。森田理論は普遍的な人間の進むべき道をしっかりと照らしている。ですから森田理論の神髄は、世界中の人に伝えていく必要があると考えています。この方面では、森田理論が時代遅れの遺産として色あせるものではなく、磨けば磨くほど光り輝くダイヤの原石のようなものであると考えています。そういう視点で自助組織を見渡した時、おのずから道は開けてくるというのが私の考えです。そういう活動に軸足を移すことで、会員が1万になり、そのすそ野が10万人になり、100万人になる展望が見えてくると思う。この段階は、森田理論学習の本音と建前がぴったりと重なり合う合流点になると考えています。そして将来的には森田人間学の考え方が世界中に拡散することを願うばかりです。
2021.08.06
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森田理論はモチベーションを高めるため方法を教えてくれています。見つめる。感情が動き出す。気づきや発見がある。興味や関心が湧いてくる。問題点や課題や目標が見えてくる。それに基づいて生産的な行動を開始する。この一連の流れは、「努力即幸福」といわれています。この路線に乗ることで人生は活性化してきます。この路線がすでに習慣化している人は、それをどんどん推し進めていけばよいと思います。陸上競技でいえば、練習場所、試合までのスケジュール、練習メニュー、調整方法、食事の管理、体調管理、生活の管理、メンタル管理、時間管理、コースや戦略の研究、移動方法、スポンサー探しなどいろいろとあります。これらを自分で自由に創意工夫して、管理している人も実際にいます。ところがこれらは言うは易く、行うは難しという側面もあります。特に、日々の練習で、自分に過酷なトレーニングを課していますので、心身ともに疲れ果てます。そんな状態の中で、常に緊張感を維持して、自分に厳しくあたる事はかなり難しい。自分に厳しい人、粘り強い人、意志の強い人でしたら、このような誘惑や困難を押しのけて課題や目標達成まで難なく到達できるでしょう。こういう人には、コーチ、監督、指導者、サポーターなどは必要ないかも知れません。しかしこれは誰にでも当てはまるわけではありません。困難な状況や目の前の壁に跳ね返された場合、それらに負けてしまう事が多々あります。普通の人は、「休みたい、楽したい、人が見ていなければさぼりたい」などと言う気持ちを持っています。気分本位になって簡単に課題や目標を放り投げてしまう事が起きるのです。いったん気分本位になると、次から次へと楽な方向に流されていきます。課題や目標を設定したときは、途中であきらめることはできるだけ避けたいものです。そのためには、それを押しとどめてくれる第三者の存在が有効になります。課題や目標を見失って、現状維持に留まっている人を、「努力即幸福」の人間本来の既定路線に引き戻してくれる人を持っておくことは大切なことだと思います。私たちは森田理論を学習して、神経質性格者としての人生観を確立して、実りある味わい深い人生を目指しています。森田道を極めていきたいという大きな夢を持っています。ところが自分一人では暗中模索状態に陥ることがあります。森田理論を理解する段階で足踏みしてしまっている人も多い。どういう手順で推し進めていけばよいのかよく分からない。森田理論を生活にどのように応用し、活用していけばよいのかが明確でない。そこで停滞して、次の段階に移行することに迷い、悶々とした生活に甘んじている。こういう人は、集談会の中で、先輩会員を大いに活用することをお勧めします。すでに森田理論を生活に活用している先輩会員は、後輩のために、なんとか前進のためのヒントを積極的に提案してあげて欲しいと思っています。自分のものにした森田理論の解釈や活用例を具体的に伝えていく気持ちを持って実践することです。人間は一人で生きていくことはできません。仮にできたとしても効率が悪い。お互いに刺激し合うことで、自他ともに大きく成長していく方向を目指したいものです。生活の発見誌を読むと、生活の発見会という自助組織はそういう人の宝庫だと気づきます。気分本位に流されることが多い人でも、そういう人間集団の中に所属していると、他人から刺激を受けて本来の正道に引き返すことが可能になると思っています。そして自分がその流れに乗ることができたならば、今度は後からやってくる後輩たちのために、自分が先輩としての役割を果たすことが肝心です。そうすれば自他ともに成長できます。お互いがともに味わいのある人生を送ることができるようになります。
2021.06.17
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森田先生のお話です。私の神経質でも、私は決してこれで満足しているのではない。研究すればするほどいよいよさまざまの疑問が起こり、治療方法もしだいに改良される。作業の方法でも、10年前5年前と今とは、その着眼点がしだいに変化している。神経質と他の種類との鑑別なども、「日に新たに、また日々に新たに」進歩しているのである。(森田全集 第5巻 668ページ)1919年に確立された森田理論は時の経過とともに変化していると言われているのである。変化しないと森田理論は、時代に取り残されていく運命にあるということかもしれない。私たちは最初から森田理論は完璧なものが出来上がったと思いがちです。でもそうではなかったようです。占い、内観法、催眠術、暗示療法、生活正規法、精神分析などもありとあらゆる療法を試されています。感情の法則も最初から今のような内容ではなかったのです。試行錯誤を経て成熟した今のような理論として整備されてきたのです。生活の発見会が出している「新版 森田理論学習の要点」は森田理論のすべてではありません。後世の人が森田先生の教えの中から是非学んでほしい部分を中心にまとめたものです。分かりやすい内容ですが、微妙なところまで掬い上げているものではありません。この学習が終わった後は森田先生の原典にあたるようにしたいものです。さて、もし森田先生が現在生きておられると仮定すると、森田理論はどんな方向に変化しているでしょうか。ここで私なりに大胆に予想してみたいと思います。その前に、いきなり前提が崩れるような話ですが、森田先生は、神経症を克服するために、この療法にこだわっておられるでしょうか。現在は薬物療法、認知行動療法をはじめとした多くの精神療法、またカウンセリングを受ける敷居が低くなり、神経症の治療法は百花繚乱の様相を呈しています。この現実を直視して、森田先生は、神経症の蟻地獄から抜け出すためには、その人に適した治療法を勧められるのではないかと思います。時代は大きく変貌してきたのです。別に森田療法に頼らなくても早く治る方法を採用すればよいといわれるのではないか。神経症の苦しみは、不安が肥大化して、いわば出血している状態なので、止血することが先決です。そのあと、人間の自然治癒力を活用して、再発の防止を図るのが森田理論の役割になるのかもしれない。その方面での森田理論の存在価値は、とても大きなものがあります。その部分をさらに精錬されて、人間哲学として確立し、普及活動に取り組まれていると思います。日本の神経質者のみならず、世界の神経質者を相手にされていると思います。文化人類学者、哲学者のイメージが強くなります。そういう意味では、今まで森田療法が担ってきた神経症の対症療法的役割は、他に譲られているかもしれません。人間教育、人間哲学、子供の育て方、子供の教育、社会教育、人間関係、仕事と人間の在り方、自然と人間の関係、欲望の暴走社会の弊害、人間の自立、国の自立、国防や安全保障、政治や経済の在り方、紛争や戦争の原因と防止、人類の将来などについて特化した活動にシフトされているのではないか。そのように考えることがむしろ自然なのではないか。神経症というのは、神経質性格を持った人が、何かにとらわれ続けることで発症します。一つの神経症が治ったと言っても、対症療法では再発することが十分に考えられます。あるいは別のことにとらわれるようなことも十分起こり得ます。それ以上に問題なのは、当面の神経症を克服したからと言っても、とらわれることによる生きづらさは容易に解消できるようなものではありません。森田理論は、最終的には、神経質性格を持った人が、人生観を獲得する理論なわけです。人生90年時代を曇天や雨の中で過ごすのか、花かおる春風の中で過ごすのか、すっきりと澄み渡る秋風の中で過ごすのかによって、人生の味わいは全く変わってきます。味わい深い人生にするためのエッセンスを提供しているのが森田理論なのです。森田理論は神経質性格者の人生哲学という面を持っているのです。森田理論というのは、もともとその方面に向かって、すくすくと成長していくものを内包しているのです。神経質性格を持っている人は、蟻地獄から地上に這い出したのちは、森田理論学習に取り組むことがとても大切になります。味わい深い人生を送りたいのならば、人生の必須科目としてとらえるとよいのです。森田理論を学校教育、社会教育の現場で、積極的に取り上げられるような社会にする必要があると思います。
2021.06.15
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私は経営コンサルタントの仕事は、その会社の問題点を見つけ出して、経営改善の提案をすることかと思っていました。堀紘一さんはその考え方は間違っているといわれています。コンサルティングという仕事は、企業や経営者に向かって「答えはこうしなさい」と教えることではないそうです。「経営者により深く考えてもらう」のが仕事なのです。たとえコンサルタントが戦略を練り、計画をつくってそれを実行しろと企業に強制しても、相手にとってそれは所詮、無責任な他人の計画にしかすぎず、実行するにしても熱が入らない。やはり自分で頭を絞り、考え出したものでなければならないのだ。ただ、自分一人で考えているだけでは思考が堂々めぐりになってしまうことが多い。自分の専門分野のことは、独りよがりの思い込みが強く、考えが一定の枠の中で凝り固まってしまっていて、なかなか新しい発想が出てこないものだ。視野が狭くなっている。そこにまったく別の視点や発想から異質の価値観を提供して、依頼主の頭脳を刺激し、何が問題なのかをあらためて考えてもらうのがコンサルタントの仕事なのです。この考え方は森田理論学習のすすめ方にも通じると思います。森田理論に詳しい人が、森田理論の「いろは」を知らない人に、最初から手取り足取り教えこむという方法は、必ずしもうまくいかないということです。集談会に初めてやってきた人に、森田理論の詳しい人が、森田理論の原理原則を説明することは、説明する方からすれば優越感を味わうことができます。聞いている方は、いきなり正解を教えてもらっても、その時は感心して聞いていても、ほとんど身につかないということだと思います。いきなり、正解を説明することは、相手が自ら成長する貴重な機会を奪い取っているということかも知れません。正解は相手が時間をかけて到達すべきものなのです。相手が行き詰った時に手を差し伸べるくらいがちょうどよいのです。そうかといって理論を無視してよいということではありません。相手に対して、いきなりそういう方法をとることは百害あって一利なしと心得ることです。今困っていることや悩みを親身になって聞いてあげる方がよほどその人の為になる。そもそも集談会にやってくる人は、神経症の克服のために様子見にやってくる人が多い。森田療法が果たして神経症克服に役に立つものなのか見極めるために来ているのです。そいう人に、神経症を治すには森田療法が一番よいですなどと言う対応は問題です。これしかないという態度でいきなり森田理論の説明をしても相手は警戒するばかりです。相手が知りたいことは、あくまでも森田理論学習が自分に合っているのかどうかだと思います。神経症の克服のためには、さまざまな精神療法、カウンセリング、薬物療法も含めて様々な選択肢が用意されています。最初はそこらあたりの説明を大まかにおこなうことだと思います。あとの選択は相手に任せるしかありません。ここで10人のうち8人くらいは適応外になってしまいますがそれは仕方がありません。去る者は追わずでいくしかありません。つぎに、そういう前提に立ったうえで、「相手が全く考えもしなかった別の視点から、解決のヒントを提供し、相談者の頭脳を刺激する」ためにはどう対応すればよいのでしょうか。森田理論の集団学習のメリットを伝えることが肝心です。集談会に参加することのメリットを説明するのです。私の35年間の経験からして、集談会に参加することのメリットは計り知れない。神経症で悩んでいる仲間がいる。心の安全基地を作れる。自分の味方ができる。神経症を克服した人を目の当たりにすることができる。また人間として目標とすべき人が身近に存在している。神経症を克服した仲間に相談にのってもらい、アドバイスを得ることができる。生活の刺激を得ることもできる。それにより自分の生活が変化してくる。神経症克服のためのヒントを得ることができる。機関誌を読んで、みんなで話し合い、森田理論を学習して自覚を深めることができる。膨大な森田先生の著作の中から、森田の核となる考え方を容易に学習することができる。相互学習の中で、自分の信じていたことがすべてではなかったことに気づくことが可能になる。視野や見方が広くなる。そのための出費は比較的少なくてすむ。集談会は薬物療法、他の精神療法、カウンセリングの治療が終わった後の受け皿として重要な役割を果たしている。受け皿の役割を安定的に果たしているNPOは他に見当たらない。最終的には、神経症の克服だけではなく、神経質性格者としての人生観をつかむことも可能になる。これが自分の人生を豊かにしている。これらの情報をきちんと伝えれば、私なら自助組織に参加して、ぜひとも森田理論学習を始めてみたいと思うようになると思う。
2021.03.02
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生活の発見誌2021年1月号に私がいつもお世話になっている臨床心理士の刀根良典氏の記事があります。題は、「症状森田から自己実現森田へ」です。(発見誌1月号16ページより)森田理論学習の意義についてとても分かりやすく的確に説明されています。この記事は永久保存版として切り抜いて活用したいと考えています。内容の一部をご紹介します。森田療法を症状を治すためだけと考えるのは、レストランでフルコースのフランス料理を注文したのに、スープだけ飲んで店を出るようなものだと説明されています。スープの後からコックさんが腕によりをかけた様々な料理が出てきます。それを食べないで店を出るのは実にもったいないことです。またそんなことをする人はいないでしょう。ところが森田理論学習の世界ではよくありがちなことなのです。森田理論学習を始める動機は、不安感、劣等感、緊張感、憂うつ感から解放されたい。神経症の症状があるので目の前のことから逃げてばかりの自分になる。そんな自分では嫌だ。自分の人生はもっとなんとかならないのか。今の自分は本当の自分なのだろうか。もっと違う生き方があるのではないか、等々。多くの人々にとって、神経質性格に起因する「生き辛さ」を何とか克服したい、という切実な動機から森田理論の学習が始まったのではないかと思います。しかし、神経質の症状、「生き辛さ」の克服は森田理論学習の入り口にすぎません。さらにその先には「自己実現」という目指すべき道があります。「自己実現」とは社会的な成功をおさめ、人から認められることではありません。そうではなくて、「あるがまま」の自己という、この世にただ一つしかないかけがえのない自分の命を大切に慈しみ、成長させ、そして開花させ、自分の納得のいく人生を生きるための指針を得ることです。森田理論学習は、症状や「生き辛さ」の解消に留まっていてはもったいない。人生100年時代を生きる神経質者にとって、神経質性格を存分に活かし、確固たる人生観の確立し、自信を持って生き抜くために生涯学習として取り組むことに意義がある。この見解に対して私は全面的に賛同するものです。具体的には、森田理論学習によって、不安の役割、不安と欲望の関係を学ぶ。「かくあるべし」という観念偏重の弊害を理解する。事実本位の生き方を身につける。不安で制御しながら生の欲望を発揮していくことなどを学ぶ。そして森田理論を実際の生活に応用して素晴らしい人生を築いていきたいものです。さらに言えば、人間関係の在り方、子育てや教育、人間と自然との関係性、環境問題、日本や世界の経済や政治、金融政策、外交や国防、欲望の暴走社会の見直しなどを森田理論を踏まえて再考していきたいものです。これが森田理論学習の意義です。このような哲学を持った理論はめったにありません。そして、私たちの子孫や混迷を深めつつある人間社会、地球環境にとってやさしい時代を築いて後世に引き継いでいきたいものです。これが森田を学んだ現代に生きる私たちの役目なのではないでしょうか。
2021.02.13
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森田先生のお話です。これまで、不潔恐怖の患者はよく私の妻が治したものですが、たいていは一度や二度は、妻に泣かされたものです。少し残酷のようですけれども泣かないものは、どうも治り方が遅くて不完全のようです。つまり、よく完全に治るような人は、泣くばかり苦痛を忍んでも、必ず治したいという努力のある人です。それで治す人と治される人とが、うまくぴったりと行くときは、随分早く、2、3週間で治ることもあります。ただズボラでズルイような人は、入院しても、あまり厳格にやれば、閉口して逃げ出すものですから、これを泣かせるという所までは行かないのであります。私の妻に泣かされた人は、数えれば随分沢山ありますが、後ではみな感謝して、いつまでも恩を感じるものです。(森田全集 第5巻 612ページ)ガスの元栓が気になる。戸締りが気になる。電気のスイッチが気になる。水道の栓を締めたかどうか気になる。手足や体にばい菌が付いたのではないかと気になる。車で人をはねたのではないかと気になる。ウィルスに侵されているのではないか。ガンにかかっているのではないか。不安の種は真砂の数ほどあります。こういうことにとらわれて、何度も確認行為をくりかえす人がいます。生活に支障が出るようになると、強迫神経症のなかの「強迫行為」といわれています。強迫行為をしながら、自分自身や自分の行動を否定しているという自覚があるのが特徴です。とりわけ完全欲が強い人です。完璧主義、理想主義の人です。つまり森田でいう「かくあるべし」の強い人です。観念優先の態度が習慣化されていて、どうしても行動優先に切り替わらない。森田先生のところでは、強迫行為をしている人が入院してくると、第三者が介入して、有無を言わせず無理やり強迫行為を中止させるという荒療法をとっていたのです。強迫行為によって、不安を解消して一時的な安心感を得ようとしていたのに、それを禁止されるのですからたまったものではありません。気が狂うほど、泣きわめいて抵抗する訳です。しかしこの方法が一番効果があったというのです。それぐらい強迫行為の治療は難しいということです。現代はこの方法は不可能です。下手をすると虐待と間違われる。ではどんな方法があるのか。先ずは薬物療法で不安を軽減する方法があります。そのうえで、慈恵医科大学第三病院などに入院する方法があります。あるいは、外来森田療法を受けることになります。森田療法以外では、認知行動療法などが選択肢に入ります。私は森田療法をお勧めしています。それから、生活の発見会の中に、強迫行為で苦しんでいる人たちの自助組織があります。生泉会という組織で、全国から参加されています。この会に参加して、仲間同士励まし合い、克服した人の話を参考にするのです。強迫行為は一人で乗り越えることは、ほぼ不可能と認識することが大切です。強迫行為に精通した精神科医、臨床心理士の協力、自助組織への参加が必須となります。それから強迫行為を治すための足がかりとなる書籍があります。「強迫神経症の世界を生きて」 明念倫子 白揚社仲間とともに「強迫神経症を生きる」 生泉会発行 問い合わせは生活の発見会この二冊はぜひとも読んでみてください。神経症で苦しんでいる人も大変参考になります。特に森田理論の精神拮抗作用のからくりをしっかりと理解することができます。いずれにしても、強迫行為を伴う強迫神経症は対症療法で簡単に治るようなものではないようです。気になる事を完全になくするというような希望を持たないほうが宜しいかと思います。気にはなるが、生活していく上においては支障がない状態が完治と心得ることが大切になります。強迫神経症を抱えながら、日常生活を淡々と送れている方は、もうすでに何かを掴んでいる人です。強迫神経症によって人生の指針を掴むことができれば、まさに雨降って地が固まるということになるわけです。
2021.01.29
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10月号の生活の発見誌に次のような記事がありました。私のつたない限られた経験では、生活の発見会活動を活用して、職場・家庭・友人・地域など「実生活でもその場に応じた居心地の良い居場所を安定して作ることができる人」が治った人だと思います。この方は生活の発見会の会員歴が30年以上になる方です。生活の発見会というやさしい人間関係の場・集団が常に身近にあったことがよかったといわれています。発見会という自助グループは神経症で苦しんだ経験のある人たちばかりです。このグループに所属するということは、神経症に陥った人が心の安全基地を確保したということになる事だと思います。困った時は相談できる仲間がいる。身近に実際に苦しんでいる人もいる。克服して人生を謳歌している人もいる。森田理論を生涯学習として取り組んでいる人が大勢いる。神経症に陥って一人悶々と生活することはとてもつらい事だと思います。是非集談会に参加して交流を始めていただきたいと思います。次にこの方は、ただ集談会に出席するだけではなく、世話役を引き受けてこられました。これは模擬的な社会体験になります。ここでの小さな成功体験の積み重ねで、自信がついてくるのです。職場などでも与えられた役割をこなすことができるようになります。また世話役を引き受けると、自分の苦しみを抱えたまま、人の為に尽くすという行動をとらざるを得ない状況になります。これが神経症の克服に役に立ちます。さらに世話役を引き受けていると、集談会に行きたくないという気分本位な気持ちになった時の抑止力が働きます。森田から離れるということがなくなります。森田につがみついていると、月日の経過とともに、自分では気がつかない内に、人間として大きく成長している人がほとんどです。1回1回の集談会の参加では、たいしたことはないと思っていても、それが5年、10年、20年、30年と積み重なっていくのです。それはお金出して買い取ろうとしても、不可能なことなのです。神経症を治して、人生の指針を獲得するという目的を達成するためには、自分一人ではできないということだと思います。例えば、スマホやパソコンの使い方に困ったときやトラブルへの対応ですが、一人で解決しようとしても困難です。仕様書をダウンロードし、解説書を買い求めて悪戦苦闘の連続です。そんな時にスマホやパソコンの扱いに慣れた人に相談すれば、たちどころのうちに解決することがあります。それをきっかけにして、それ以上の操作手順なども教えていただくこともできます。集談会も同じことが言えます。生活の発見会の会員の中には、神経症の取り扱い方に詳しい人が間違いなくおられます。神経症を治すだけではなく、神経質性格の活用方法に詳しい人が在籍しておられます。自助組織ですから、集談会に参加しても、経費はほとんどかかりません。私も在籍34年になりますが、生涯学習で取り組む覚悟です。人生は失敗続きでしたが、森田に関わって得たことは、私の宝物となっています。
2020.12.29
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私は自助組織生活の発見会の会員で、集談会で森田理論の学習をしている方に、次のことを提案したい。プログラムの中に体験交流というのがあります。5人程度の少人数に分かれて、症状や生活上の問題点、森田理論の応用や活用方法などを話し合っています。これを利用して、人間関係のコツを身につけるというものです。前提としては、家にいる時に体験交流で話す内容を必ず準備してくる。時間は5分から10分ぐらいです。具体的な内容であることが望ましい。次に進行係は、体験交流の時間を把握して、一人当たりの持ち時間を決める。全員に順番に話してもらうために、時間になったら次の人に移る。準備不足でほとんど話さない人がいるのは実に残念だ。自分に問題があるか、進行係に問題がある。次に進行中に心掛けることを挙げたみたい。・相手が話している時は、途中で相手の話をさえぎらない。・参加者全員が相手の話に集中する。隣の人と勝手な話はしない。・相手の話は、あいづちをうちながら聞く。・相手が話し終わったとき、批判、否定、反論、論評などは絶対に慎むようにする。・相手の症状、現状、現実、事実をまるごと受け入れることに徹する。ここでは「オーム返し」という手法が有効です。・相手の話に対して、「よく分かります。自分もそうだったから」と安易な同情はしない。安易に同情すると、それ以上に相手のことを理解しようとする気持ちがなくなるからです。相手のことをもっとわかりたい、理解したいという気持ちを持ち続けることが大切です。・基本的には相手の神経症、困っていることなどを自分の力で解決してあげようとしない。森田理論を教えてあげようという気持ちは抑える。森田的な考え方を気づかせてあげようなどという気持ちは封印する。つまり、指導してあげる、教えてあげる、解決してあげる、苦しみを取り除いてあげる、楽にしてあげるという気持ちを前面に出さない。小さな親切、大きなおせっかいを肝に銘じておく。森田理論の神髄は、人から教えてもらって身に付くものではない。自分自らが学習し、実践してつかみ取っていくものだからです。そのようなことをしても、相手に対してはほとんど役に立つことがない。アドバイスは謙虚であることを心掛けた方が相手のためになる。しいて言えば、相手がどん底にいてもがいている時に、アドバイスを求めてきたときに行う。それも、「自分の場合はこうでしたよ」という程度にしておく。つぎに、家に帰ってから体験交流をふり返ってみることが有効です。これらのチェック項目は厳守できていたかどうかです。できていなければ、反省して、次回の課題として取り組むようにします。また体験交流の最後で、みんなで今日の体験交流の問題点や課題を一言ずつ話し合う時間を作ることも有効です。これらが体験交流の場できちんとできるようになると、職場、家庭、学校、隣近所、親戚、友達関係の場で同じようなことができるようになります。これが森田理論を仕事場や実生活に応用するということなのです。対立関係にあった人間関係が徐々に解決していくでしょう。
2020.12.15
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2020年12号の生活の発見誌に次のような記事がありました。(自助組織のNPO法人)「生活の発見会」とは、日々の生活の中で事実を発見していく会ではないでしょうか。事実を発見する術を学ぶ場所と思います。観念や想像や妄想などに振り回されない生活を送るために物事をしっかりと見つめて事実をつかみ、事実をつかんだらそれを認めることが重要だと思います。私はこの考え方に全面的に賛同いたします。普通生活の発見会は、世間一般では神経症を克服する会だと思われています。具体的には全国各地で開催されている集談会に参加して森田理論を学ぶ。同じ神経症で苦しんでいる人たちが、交流を深めて相互に援助しあう。そして最終目標として、神経症を克服することだという暗黙の了解があります。神経症で現に苦しんでいる人にとってこの考えは間違いではありません。森田療法に取り組むことで、神経症を克服している人も大勢いらっしゃいます。ただ、今の日本では神経症を克服するための方法はいくらでもあります。薬物療法、認知行動療法をはじめとしたさまざまな精神療法、カウンセリングなどです。こちらの方が主力となっています。森田先生の時代は神経症を克服するための手段としては、森田療法がほぼすべてであったということを忘れてはなりません。私は神経症の克服に当たっては、本人の希望する方法を選択するのが一番だと思っています。別に森田療法を選択する必要はありません。また強制することもできません。馬を水飲み場まで連れて行っても、馬が水を飲むことを拒否すればどうすることもできません。神経症という蟻地獄から地上に這い出るためには、幅広い選択肢から選べばよいのです。そして不安に振り回されないで、日常生活を取り戻せるようになることが目標となります。他の精神療法でその目標が達成された場合神経症の治療はそれで終了となります。アフターフォローはほぼありません。そのようなボランティアのような事はできないのが実情です。これは入院森田療法、外来入院森田療法の場合も同様です。しかしこの状態で見放されると、それはそれでとても厄介なことになります。それは一言でいうと、不安に振り回されやすいという生きずらさが解消されていないということです。まがりなみにも神経症は克服できましたが、針の筵に座らされているような生きづらさを抱えているのです。積極的に行動できるようになればなるほど、不安の種はどんどん増えてきます。ということは、対症療法で放り出されると、また別の神経症を発生させてしまうということにもつながりかねません。認識の誤りが本当の意味で解消されていないからです。神経症の治療は対症療法だけでは不十分ということです。根治を目指さない限り、いつまで経っても明るい未来はやってこないということです。別の言い方をすると、神経症を治すだけの目標の立て方が間違っているということです。神経症を治すとともに、人生観の確立を目指すという目標を持てるかどうかが問題になります。神経症の克服は、神経質性格者としての人生観を確立するという最終目標からするとほんのごく一部の事でしかない。その意味をしっかりと確認して、共通認識にすることが必要です。目標が変われば会の活動内容が変化してきます。森田先生の頃から比べると、森田理論学習の果たすべき役割が変化していることに注目することが肝心だと考えています。生活の発見会は神経症を克服した人がたくさんいます。普通でしたら神経症を克服したら、集談会に参加する意味はないはずです。それでも熱心に参加されている人がいるということは、その意味をしっかりと掴んでおられる人だと思います。集談会は自分にとって役に立つものだという認識があるからこそ継続されているのです。決して困った人の役に立つという視点だけから参加しているわけではないのです。この視点から発見誌の記事を読んでみると、生活の発見会は事実を発見していく会ではないかといわれています。つまり、「かくあるべし」という観念優先の立場から、事実を軽々しく取り扱うという態度を修正しようというのが生活の発見会の存在意義ではないでしょうかと問題提起をされています。まさに、この事実本位の態度を身につけるのが森田理論学習の目指しているところです。ここで言いたいことは、生活の発見会は、神経質性格者の生き方を模索している日本で唯一の団体であるということです。その目標に特化した活動が求められているということだと思われます。改めてみんなで再認識したいものです。
2020.12.05
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森田の自助組織に参加している人は多いと思います。私は生活の発見会の集談会に参加して34年になります。自分の人生の半分は森田の自助組織とかかわってきたのです。参加してきたことで、自分の人生をより味わい深いものにしてきたのです。長い経験の中から、集談会の開催日が待ち遠しいという状態にするにはどうしたらよいか考えてみました。一言でいうと、集談会が役に立っている。自分が楽しんでいるという実感が持てるかどうかだと思います。アットホームで、居心地がよい会だと実感できればよいと思います。毎回毎回そのように感じることはありませんが、1年単位で振り返ってみたときにそのように感じられれば良いのだと思います。そのためには、いつまでも受け身で参加するのではなく、主体的にかかわることが大切になります。これは最初から難しいと思われがちですが、参加しながらなにか役に立つことはないかと思っている人はいくらでも思いつきます。特に人より30分早く来ることを実行している人は、手伝うことがすぐに見つかります。その次には、簡単な世話係を引き受けることです。世話役というのはあるのではなく自ら作り出すものだと思います。参加者全員が何らかの役割を分担していることが理想です。会場予約係、会場づくり、花を飾る、名簿係、案内版を作る、図書係、お菓子係、お茶係、受付係、初心者対応係、連絡係、進行係、会計係、報告係、運営係などいくらでもあります。これをしないと、人間というのは、楽をしたい、億劫なことはしたくないという気分に流されてしまいます。世話係というのは、気分本位に陥らないための抑止力となっているのです。気分本位はよほどの強制力で制御しないと、すぐに流されてしまいます。人間の弱いところだと思います。気分本位に流されると後で必ず後悔します。次に集談会に参加する前の準備に時間をかけることが大事です。発言内容を準備しないで、着の身着のままで参加していては、得るものはほとんどないと言っても過言ではありません。自己紹介と体験交流は、集談会の定番のプログラムです。この二つに照準を合わせて事前準備をすればするほど、参加する意義が高まります。まずは自己紹介で話す内容です。初心者が一人でも来られたら、自分の苦しかった時の状況を話します。これは、紙に書いて整理しておくことが有効です。初心者がいないときは、自己紹介の内容はがらりと変わります。・日記を見て、ここ1か月間にあった出来事を整理する。嬉しかったこと、辛かったこと、失敗したこと、感動したことなどです。・親との関係、夫婦の関係、子どもとの関係、ペットとの関係、親戚関係、仕事関係、近隣関係、症状、病気、健康など。・皆さんにお伝えしたいお得な情報、旅行、趣味、映画、コンサートなど。・最近読んだ発見誌の記事で印象に残ったこと。・日常生活の中での森田の活用・発見事項・実践課題の進捗状況など。・その他これらの中から1つか2つを選択して、分かりやすく紹介できるように吟味する。その際、長くても5分以内に話し終えるように気を付ける。次に体験交流で話す内容を検討しておく。・今現在悩んでいること。症状のこと。・生活面で困っていること・森田関連のことで疑問に思っていること・森田学習や実践の中で気が付いたこと・森田関係で感動したこと・その他一人当たり10分ぐらいの時間はあると思いますので、一つの話題に絞って準備をしていくことです。ちなみに私は集談会の当日1時間ほど時間をとって、自己紹介と体験交流で話す内容について検討しています。検討すればするほど、発言したくなってうずうずしてきます。この3つを心掛けて参加していると、参加することの意義が実感できます。楽しみながら暖かい人間関係をはぐくみ、神経質者としての人生観を獲得できるとしたら本望ではありませんか。
2020.11.22
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逆転人生という番組で、借金地獄で苦しむ中小企業の経営者に寄り添う経営コンサルタントの吉川博文さんの紹介があった。吉川さんは大学卒業後商社マンとして活躍されていた。そんなある日、輸入業を営む両親の借金の連帯保証人になった。その借金は商工ローンで金利は35%だった。最初は300万円借りたという。しかし商売が軌道に乗らず、借金が膨らむばかりで、吉川さんが家業を手伝うことになる。それでも経営は上向かず、とうとう闇金融にまで手を出した。借金は7500万円まで膨らんだ。そうなると借金の返済のことで頭がいっぱいになり、仕事に手がつかなくなった。酒をあおる。自分を責める。生命保険金で借金を返済しようと考えるようになる。思い余って弁護士に相談すると自己破産しかないという。しかし友達に連帯保証人になってもらっていたため、その選択肢はなかった。その時、闇金融は法律違反という事を知り、一人で交渉に向かった。熱湯をかけられたり、胸ぐらをつかまれたりした。それでも粘り強く交渉をした結果、借金が2000万円台に減額になった。すると事業に集中することができるようになり、数年後に借金を完済したという。その後、吉川さんはブログを立ち上げて、事の顛末を紹介した。すると大きな反響があり、吉川さんは失敗の経験を活かして経営コンサルタントになった。中小企業が倒産に至る過程は、外的要因よりも、社長さんの心が折れて、自滅してしまうのだといわれている。食が細くなり、眠りが浅くなる。憔悴して考える力がなくなる。一人で孤立して、悪循環に陥るといわれている。これは他人ごとではない。私たちが神経症に陥った時と全く同じである。吉川さんは、相談者の心にしっかりと寄り添う事を心掛けておられる。具体的には、1、外食に連れ出す。おいしいものを食べれば少しは元気が出る。経営コンサルタントでこんなことを考える人は少ない。2、相談者同士をつなげる。集談会のような勉強会を立ち上げておられる。2000万円の借金を抱えている人が、他の参加者が「俺は7億円の借金を抱えている」というような話を聞くととたんに気が楽になるのだという。共感できるのである。仲間同士で体験交流をすることが欠かせない。孤立することは極めて危険である。これは神経症の場合も同じだと思う。一人で悩んでいても一銭の得にもならない。3、一日社員になって現場を知る。レストランなら皿洗いをする。対策のヒントは現場に隠されているという信念を持っておられるのだ。数字だけではどこに問題があるのかは分からないといわれる。アジアンテイストの料理店を4店舗持っている人のところでは、自宅兼事務所にも足を運んでいた。すると経理関係の書類は放りぱなしであることが分かった。未開封の封書もたくさんあった。経営者は厳しい経営状態に向き合うのが苦しくて、つい放り投げていることが分かった。返済のプレッシャーを一人で抱えて、現実に向き合う気力がなくなっていた。吉川氏は経営者を責めることはしないで、膨大な書類の整理を手伝い始めた。経営者には味方が必要だといわれていた。経営者は経営コンサルタントの先生がここまで親身になってくれるとはと感激していた。森田では現実、現状に対して、実際に足を運んで確認するという事だろうと思う。そうすれば、やるべき課題が見えてくる。その経営者が一人ではやれそうもないときは力を貸してあげる。この経営者の場合は口で言うだけではなく、一緒に手伝うことが必要不可欠なのです。これはどこまでも寄り添ってあげるという事だ。神経症でのたうち回り、生きづらさを抱えている人に対しても、この3つはとても大事なことだと思う。
2020.06.03
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2月号の生活の発見誌に考えさせられる記事があった。2ページから10ページに掲載されています。森田理論学習を始めて日の浅い人に、知らず知らずのうちに「支援」というより「指導」というか、「指示的」になっていませんかという指摘だった。確かにそういう傾向がありますね。神経症でのたうち回っている人に、その苦しい気持ちには手をつけないで、目の前のなすべきことに取り組んでみましょう。森田理論では、それに取り組むことをお勧めしています。などなど。相手の話をよく聞かないで、「いきなり森田」です。相談する人は、そうすればよいのは分かっています。頭では分かっているのに行動に移せない。自分自身に対する不甲斐ない気持ちを持っている。すぐに嫌なことから逃げだしてしまう自分を自己嫌悪している。そういう人に「いきなり森田」の考え方を勧めては、二度と集談会に参加したいとは思わなくなる。それが自然な流れだと思います。「いきなり森田」はアドバイスする人の自己満足に終わり、相手には届かないことのほうが多い。初心者に対して先輩会員は、傾聴と受容と共感の気持ちで接することが大事です。話やすい雰囲気をつくり、相手に心地よい居場所を提供してあげる。相手の話を価値批判しないでよく聞く。私たちも以前は神経症でのたうち回っていました。その時に先輩が、「私もそうでしたよ。苦しい気持ちはよく分かります。一緒に森田の学習をしていきましょう。きっと楽になりますよ」と寄り添ってくれました。そのとき、「この会には私と同じ体験をした人がいる。自分もよくなるかもしれない」とかすかな希望を見つけだしたことを思い出します。悩んでいる人たちは、自分はどんなことに不安を感じていて、「本当はどんな生活を期待していたのか」など自分の感情を自覚できていない人も多いと思うのです。行動する前に、今どういう思いを抱いているのかを話してもらう。いろんな思いがあっても「それはそれでいいんじゃない。みんなそうだよ」と受け止めてもらえるような体験が大切だと思います。「いきなり行動」を強要するよりは、不安を含めて様々な感情をそのまま受け止めてもらえることが先にこないといけない。初心者に対しては、「いきなり森田」ではなく、深く包み込むような、一緒に悩んでくれる人がいるアットホームな居場所を提供してあげるだけでよいのだと思います。そして次には、その人の神経症体験や森田を活かした生活実践の話が参考になる。それがないと、森田は食わず嫌いの一品になってしまいます。実にもったいないことが起きるのです。集談会の進行でまず心がけることは、包容力のあるアットホームな集談会を目指すことであると考えます。森田の先生がいるような集談会は、心強いのは確かだが、かえって弊害も多いことを忘れてはならない。
2020.03.14
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集談会に参加されている人で、マンネリを感じている方はいないでしょうか。私も経験があります。集談会に参加する意味が見出せない。つまらない。できれば止めてしまいたい。その時は参加者が常時3名ぐらいでした。多くても4名か5名でした。世話活動をしていたため仕方なく参加していました。本来の集談会よりも、その後の飲み会が楽しみという有様でした。結局その集談会は、私が大阪に転勤するときに、大きな集談会と合併しました。つまらないと感じた原因を考えてみました。人数が少ないので自己紹介で話すことがない。学習内容が「森田理論学習の要点」の読みっぱなしでマンネリ化している。体験交流で話すことがない。話題を用意していない。以上通りいっぺんのプログラムをこなしているだけでした。あまりにも面白くないので1時に初めて3時には終わるということもありました。こんな勉強会では時間と交通費の無駄だなと思っていました。習慣化していることで、飽きてやる気が起こらない。やることの意味が感じられない。マンネリ化して物足りなさを感じている。このような悪循環に陥ることは誰でもあると思います。どのように打破していけばよいのでしょうか。森田では「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」と言います。飽きてきた時は、その仕事は中止して、他の仕事をするというものです。頭を使った仕事から、身体を使った仕事に転換するということです。そうすれば、気分転換になり、再び意欲が出てくるというものです。集談会で言えば、それまでのやり方をいったん中止して、新しいやり方に変えてみるということではないでしょうか。自己紹介、理論学習、体験交流はメインの活動ですから、それはそれとして残す。ただしその内容は新しいものに変えていく。時間短縮も視野に入れて、取り組んでみる。例えば自己紹介は、初めての参加者がいる時は、自分が苦しんでいた時の原稿を作っておく。とくに初めての参加者のために、手渡すチラシなどはきちんと用意しておく。いつものメンバーの時は症状については省く。そのかわりにこの1か月の生活内容について話す。他の参加者にもそういう提案をする。日記を見るといろんなことを経験しているので、それを家で整理してきて発表する。それを心がけていると、興味のある話が出てくると、思わず身を乗り出します。理論学習は「森田理論学習の要点」の読みまわしだけというのは中止する。これは要点だけを書いてありますから、これを膨らませていかないと飽きてくると思います。活用の仕方を工夫する必要があります。そうしないと参加者が減少してくるでしょう。1年間の学習予定表を作り、みんなで意見を出し合ってやってみたいことを書いていく。派遣講師の講話、発見誌の体験談の読み合わせ、様々な視聴覚教材の導入、要点の深耕、単行本、冊子、森田全集第5巻、体験発表などいろいろと思い浮かぶと思います。これらに取り組むと、行き当たりばったりではない、1年間の学習計画が完成します。この活動だけでもなんだかやる気がみなぎるような気がします。体験交流は、事前に話す内容を家で十分に練ってから参加することです。今現在生活で困っていること、この1か月でうれしかったこと、つらかったこと、症状について、森田理論の実践で気づいたこと、森田理論で疑問に思っていること、挑戦してみたいこと、人間関係、今月号の発見誌で興味があったこと、夢や目標などです。体験交流が面白くないという人は、家でなにも準備をしていないからです。特に話したい話題がない人が一人でもいると、体験交流が盛り上がりません。これでは体験交流という言葉が泣きます。みんなで体験交流で話す内容は、家で1つは用意してきましょうと共通認識にすることが大切です。体験交流の時間が一番面白いという集談会は、間違いなく人が集まってきます。それは得るところが多いからです。この他、レクレーションを取り入れたり、生活森田・応用森田のコーナーを設けたり、コーヒータイム、居酒屋での飲み会を企画したりといろいろとアイデアは出てくると思います。これらをアクセントとして取り入れることで、さらに集談会は楽しくなります。そして人間同士のつながりも深まってきます。集談会がマンネリに陥ることは極めて危険な兆候です。黄色信号、赤信号が点滅している状態です。警告してくれているのに、それを無視し続けていると、どんどん参加者が減少してくるでしょう。参加者を一人でも増やすということはとても時間と労力がかかります。反対に参加者の減少はあっという間に進行してくるのです。気がついてからでは、もう遅いのです。仮に可能であっても、長い時間がかかります。そういうときは、一つでも新しい活動内容を導入することが大事です。実際に変化を起こすが大事だということです。また、1年間の活動計画を立てて、先を見すえた活動を継続することも大事になってきます。
2020.03.06
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私が所属しているNPO法人生活の発見会は50年の節目を迎える。そこで、「私が伝えたい森田」(次世代へのメッセージ)という原稿を募集するそうだ。400字から3000字で、12月末まで受け付けるそうだ。これはぜひとも参加したい。なおこれは、会員向けとして発見誌に掲載するそうだ。本来なら、森田を知らない人に、森田で救われた人からのギフトとして企画してもらいたかった。私は、会員になって33年になるが、どんなメリットがあったのか、簡単に振り返ってみた。私は森田理論の学習の自助組織NPO法人生活の発見会の会員になって33年になります。私が抱えていた問題は、対人恐怖症でした。家族、友達、同級生、会社の人間関係に問題を抱えていました。他人の言動に振り回されて、いつも不安でおどおどしていました。他人が自分のことを非難、否定することに耐えられませんでした。基本的には、いやな場面、予期不安が発生すると逃避する道を歩んでいました。また、自分より弱い人を見ると、けんかを吹っかけるような有様でした。いつも他人の言動に振り回されて、毎日針の筵に座っているような状態でした。逃げ回っていると、その瞬間だけはすこし楽になりましたが、その後後悔し、自己嫌悪に陥っていました。生きることが苦痛で、生きていても仕方がないと思っていました。長谷川洋三先生の「森田式精神健康法」の本の裏側に生活の発見会のことが書いてあり、藁にすがる思いで入会しました。そして集談会に参加し始めました。参加者の方が自分の悩みをよく聞いてくださり、励ましてくださいました。ここには私と同じ悩みを抱えた仲間がいるという実感が持てました。私の場合、最初のうちは毎週土曜日に悩みを聞いてくださる方がいて助かりました。6か月経った頃、図書係という世話活動をすることになりました。それからいろんな役割をいただき、丁寧に取り組みました。代表幹事、集談会の運営、忘年会や新年会の企画や実施、一日学習会の企画や実施、支部研修会の企画や実施、全国総会の出席などです。これらに真剣に取り組んでいると、症状ばかりにかかわっている状態から抜けだすことができました。また、世話係の仕事は、会社の仕事にも応用できるようになりました。仕事に追われていた状態から、仕事を追っていけるようになりました。同僚や上司からも仕事ぶりを高く評価されるようになりました。趣味やボランティア活動にも参加するようになり、生活は一変しました。これは集談会に継続的に参加したおかげだと思っております。生活は見違えるように改善できましたが、対人恐怖症の克服は時間がかかりました。今は治らずして治ったなと感じています。根っこのようなものは、今も残っているのですが、これを完全に取り除いてしまうと自分が自分でなくなってしまうと考えるようになりました。生活が後退しない程度に治れば十分ではないのかと考えるようになりました。必要最低限の付き合いだけは、どんなに気が進まなくてもこなしていくという感じです。必要のない付き合いは、今まで通り逃げ回ってもOKと思っています。これは森田理論の「不即不離」という考え方が役に立ちました。普通の人間関係は。その時、その場の必要に応じて一時的に引っ付いたり、離れたりしているという考えです。少ない濃密な人間関係を目指すのではなく、広く薄い人間関係作りを目指す考え方です。私はとりあえず年賀状を500人に出す目標を掲げて取り組んでみました。実際には300人程度で終わりましたが、いろんな人と知り合いになれたことは確かです。集談会の仲間、親戚、同級生、友達、職場の仲間、以前勤めていた会社の仲間、資格試験の仲間、老人ホーム慰問仲間、カラオケの仲間、麻雀の仲間、一人一芸の趣味の仲間、町内会、田舎の近所の人たちと薄くて広い人間関係作りに努めました。すると、精神的に楽になりました。孤立して孤独な人生という考えはなくなりました。そして何か困ったときは、その中から適切な人に相談に乗ってもらえるようになりました。集談会でも自分の参加している集談会のみならず、近隣の集談会、支部単位の集談会、全国で知り合った仲間、精神科医、臨床心理士の人たちとも交流を始めました。これはいくら一人で考えても難しかっただろうと思います。生活の発見会の会員になり、仲間と交流を深めて、さらに森田理論学習で人間関係のコツを習得した結果だと思っています。生活の発見会の会員の中には、満天の空にキラキラと輝く星のような方がたくさんいらっしゃいます。その星を見つけて親しくお話することはとても大きな楽しみになっています。神経症を抱えている人、さらに人間関係で問題を抱えている人、生きづらさを抱えている人、適応不安で押しつぶされそうな人はぜひ私たちと一緒に活動を始めませんか。ご自分のこれからの人生の指針をつかむことができると確信しています。
2020.02.22
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1、初めて集談会に参加した人への対応について・初めて参加した人は不安でいっぱいです。・初心者の対応係を決めておられますか。そして、いち早く声掛けをされていますか。・対応例・・・「こんにちは。おいでいただきましてありがとうございます。私は初めて参加された方の対応係の○○です。ご不明の点は何なりとお尋ねください。今日の学習会は1時から始まります。配布物をお渡ししますので、ご覧ください。それから初めての方に参加者記録、ご質問用紙がありますのでご記入の程よろしくお願いいたします。個人情報は外部に漏らすようなことはありません。」・個人情報は絶対に漏らすことはないという確約書を相手に渡すなどの配慮が必要です。他の自助組織では、ハンドルネームで呼び合うなどプライバシィの保護には神経を使っています。・参加者名簿の記入、参加費を伝える。開催日、曜日、会場を伝える。・配布物・・・○○集談会のご案内、神経症から回復する生き方(兼入会申込書)、一人で悩んでいませんか、生活の発見会の相談室、初心者のみなさんへ(これは生活の発見会のホームページに用意されています)等・初心者がいる場合は、発見誌の「活動の指針」のコピーを渡して読みあげる。・幹事世話人は時々「初心者や悩みの分かりにくい人への対応」を学習する。 2、自己紹介の注意点・自己紹介カードを回しながら行う。5分以上にならないようにあらかじめ注意しておく。警告のベルを鳴らす場合があることを周知しておく。・初心者がいるときの自己紹介は、自分が神経症で苦しかった時のことを話してあげる。あらかじめ原稿を作っておく。・初心者がいないときの自己紹介は、次の項目であらかじめ家で整理して参加する。・ここ1か月の間に身辺に起こった出来事。うれしかったこと、困ったこと、感動したこと、挑戦したことなど。・親、子供、職場での人間関係。症状、病気、健康に関すること。・発見誌の感想、新聞、映画、音楽、コンサート、川柳など・森田的観点から学んだこと、気づいたこと、会得したことなど。・自己紹介には以上2つのパターンがあることを周知徹底しておくこと。 3、体験交流の注意点・体験交流は5人ぐらいのグループに分けて行う。机を片付けて椅子だけで行う。・体験交流の進行係を決める。場合によっては時間管理担当をつける。・進行係は幹事や世話人が行う。・進行係は終了時間までの時間を把握して、一人当たりの時間配分を決める。・進行係はみんなが話できるように気を配る。・体験交流で話す内容は①いま悩んでいること②生活上困っていること③森田を生活の中で活かして気のついたこと④森田の学習で気がついたこと⑤森田理論で疑問に思っていること⑥最近失敗したこと、うまくいったこと⑦その他である。・これらを体験交流を始める前に説明する。・今後はあらかじめ家で用意してきてもらうことを説明する。特に幹事世話人は留意すること。以上は、集談会運営の基本事項だが、いつの間にか基本が無視される場合があります。そんな時は、これらを参考にして、すぐに基本に立ち戻ることが必要だと思います。
2019.11.03
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先日地元の臨床心理士の講話を聴いた。その中で印象に残ったことを取りあげてみたい。傾聴、来談者中心のカウンセリングを受けている人がいる。そういう人が、物足りなくなって私のもとを訪れる場合がある。そのカウンセラーが言われるには、信頼関係を作るには大切だがそればかりでは物足りなくなる。同時にアドバイスをすることも必要である。ただアドバイスにはコツがある。アドバイスには4つのパターンがある。1、I am OK You are OK2、I am OK You are not OK3、I am not OK You are OK4、I am not OK You are not OK1の場合は、私は神経質の症状はあっても、素晴らしい人生になりました。森田で症状を克服できました。今のあなたも、今は苦しくても、大丈夫ですよ。心配いりません。あなたも、発見会で学んだ多くの先輩方と同じように素晴らしい人生が展開できますよ。多くの事例(事実)がそれを証明しています。私たちと、一緒にやりましょう。2の場合は、私は神経質の症状はあっても、素晴らしい人生になりました。森田で症状を克服できました。だから、あなたも、ああしなさい。こうしなさい。ああ考えなさい。こう考えなさい。なぜやらない?(できないのは、あなたが未熟でダメだからです。)3番、4番のパターンは大きな問題があります。1の場合は、相手の現実を受け入れて、寄り添っています。現状を踏まえて、どこから一歩目を踏みだして入れるとよいのか、一緒に考えてみましょうという態度です。そのためのヒントをいくつか紹介してあげる。相手はその中から取り組みやすいものを選択して、実際に行動に移してみる。その結果が思わしくなければ、また別の提案やアドバイスをして、相手に考えてもらう。こういう関係がカウンセラーとクライアントの間で繰り返されれば、満足度が高くなります。2の場合は、私は神経症を克服しました。克服するためのノウハウは持っています。だからあなたは私の指示通りに実行すればよいのです。そうすればおのずと神経症は克服することができます。指示通りやらないと、「本当に神経症を治したいという気持ちがあるんですか」「真剣に取り組まない人は、何をやらせてもろくなことにはなりませんよ」これは相手に寄り添っている態度ではありません。自分の「かくあるべし」を相手に押し付けて、自己満足している態度です。自分の思い通りの展開にならなくてストレスが溜まりイライラしてしまいます。相手が本心から納得して取り組んでいるわけではないので、本音では反発心を抱いているわけです。これでは双方の思いに溝ができて、それがどんどん拡がっていく運命が待っています。プロ野球では、「名選手、必ずしも名監督・名コーチにあらず」といわれます。名選手は自分の成功スタイルを新人に教え込めれば、相手は成長するはずだという強い信念を持っているのです。ところがそういう指導法は、意に反して挫折することが多いのです。相手にいつも寄り添ってよく観察して、自分なりの改善点はいくつか持っている。でもそれをいきなり相手に押し付けるようなことはしない。機が熟するのをじっと待っている。選手が最後に困って聞いてきた時は、その中から改善点をいくつか提案する。そして選手の取り組みに付き合う。選手と一緒になって考えたり、工夫していく。その成長を見守っていくという態度です。少しでも結果が出てくればともに喜ぶ。私たち先輩会員が森田理論学習を始めたばかりの人に対しても、このような態度で接することが大切になります。ましてや相手の現状から離れて「かくあるべし」を押し付けていては、学習運動は成り立たなくなります。
2019.07.17
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論語の中に「六十而耳順」(ろくじゅうにしてみみしたがう)という言葉があるそうだ。60歳になると人のいうことを逆らわずに聞くことができるという意味だそうだ。人の言うことを、是非善悪の価値判断なしに素直に聞くことができるということだ。あるいは、先入観や決めつけることなく、謙虚な気持ちで相手の話に耳を傾けることだろう。これは森田理論の目指しているところと一致している。そういう人の周りには、自然に他人が集まってくると思う。自分も60歳を超えているが果たしてそのように変化してきているだろうか。森田理論学習のおかげで近づいている面もあるが、どうもそうではない面が多い。死ぬるときまで修業がつつくような感じだ。これはその方向を目指すことを意識していないと、すぐに挫折してしまうのではないかと思う。またすぐに後戻りしてしまう。それは「かくあるべし」があまりにも肥大化しているからだ。放っていても自然にそのような状態になるとは到底思えない。私の場合は、生涯森田に取り組んで学習を継続する。1か月に1回は学習会に参加して、1か月間の生活のまとめをする。それを体験交流の場で発表して、他の人のアドバイスを謙虚に聞くようにしたい。そういう気持ちを持ち続けて、「耳順」の気持ちを忘れないようにしたい。私のような高齢者はこれまでの人生の中で、修羅場をくぐって様々なことを経験している。失敗や後悔していることも多い。それらを乗り越えたり、抱えたまま現在に至っている。そういう話は、これから人生の荒波に向かって舟を漕ぎ出していく人にとっては参考になることが多い。人生の最終章にあたって、それらの対応方法を若い人たちに伝えていくことは大切だと思う。これは私たち高齢者のできることであり、使命であると思う。そのためには、前提として「耳順」(じじゅん)の態度が欠かせないと思う。いつまでも自分の「かくあるべし」を相手に押し付けているのでは、煙たがられるばかりだ。他人が近くに寄ってこなくなれば、いくら役に立つものを持っていても、宝の持ち腐れになるばかりである。そのうち何もすることがなくなり、無為な人生で幕引きになってしまう。私は中学生のころから対人恐怖症でのたうち回ってきた。その間37歳の時に森田療法と自助組織に出合い、森田理論学習と学習仲間との交流を続けてきた。そのおかげでほぼ定年まで仕事を続けることができた。森田理論の神髄も理解できるようになった。神経質性格の活かし方も分かった。不安と欲望の関係もよく分かった。「かくあるべし」の弊害と事実に立脚した生き方も理解できた。理解しただけではなく、生の欲望に沿った実践や応用もできるようになった。これらのことは残された人生の中で、神経症で苦しんでいる人や対人恐怖で苦しんでいる人たちに伝えていきたい。そして多くの人に楽な人生に転換してもらいたい。そのためには「耳順」の態度を忘れないように自分に言い聞かせたい。
2019.07.16
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相手の話を「きく」ということに3種類あるという。自然に耳に入ってくる「聞く」、相手に問う「訊く」、そして相手の心に寄り添いながら、相手の言葉に耳を傾ける「聴く」である。カウンセリングや森田理論学習の場では、「聴く」という態度が欠かせない。集談会での体験交流の場では、盛んに「傾聴」を意識するようにと言われる。これはカウンセリングの技法の一つである。そのためには、相手にどんどんしゃべってもらうようにする。人と会話するときに50%対50%の割合でしゃべっていると、相手からすると、「今日は相手ばかりしゃべっていた」と感じるという。不満やストレスを感じるようになるのだ。これを70%相手にしゃべらせて、自分は30%に抑えるように意識する。すると、相手は今日は自分の話をよく聴いてもらえたと満足する。あるいは、「今日はお互いによく語り合った」と納得するのだ。会話するときに気を付けたいことは、自分の「かくあるべし」を相手に押し付けないことだ。断定的、指示、命令な発言は避けることだ。自分の場合はこうだったと体験を話してあげる。また相手の話を、安易に是非善悪の価値判断をしないで聴くということだ。裁判官のように自分のことを裁かれるのは、自分が否定されるように感じることがある。相手の考え方、現実や現状を正確に把握するという気持ちで聴くようにするよいと思う。事実を正しく分かろうとすることに意識を集中することだ。相手の長所や能力を見つけて誉める、評価することよりも、まずは事実を認めて受け入れることに注力する方がよいと思う。それを一貫して持ち続けるようにする。そういう姿勢を相手は敏感に感じる。信頼関係が徐々に形成されると相手に安心感が生まれる。心の安全基地ができるようなものである。そこを起点にして、少しずつ人間的な交流の輪を広げていく。そして世話活動などにも参加していく。そんな人間関係の中で、無理しないで森田理論学習や森田実践を積み重ねていきたいものです。
2019.06.29
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生活の発見会の集談会の中に「体験交流」というコーナーがある。時間的には1時間から2時間ぐらいだと思われる。体験交流をスムーズに進行することはとても大切である。これが井戸端会議のようなものになると、初心者にすぐに愛想を尽かされてしまう。長年参加している人でも、集談会に参加すること自体が苦痛になってくる。体験交流はだいたい5名前後の小グループに分かれておこなうことが多い。それは、参加者全員でやると打ち解けて個人的な問題を長々と話すことが困難になるからだと思う。その点5人ぐらいのグループだとそういう垣根がなくなる。ここで自分の抱えている問題について赤裸々に話してもらうことになる。自己紹介で簡単に紹介した内容をより具体的にしゃべってもらうことになる。そして他の参加者と交流する。相談にのってもらう。あるいはアドバイスなどをもらう。体験交流はプライベイトな内容を多く含むので、事前にここで話した内容は決して口外しないことを確認しておくことは大切だ。内容としては、症状に限らず現在悩んでいること、生活していて困っていることなどを話す人もいる。人間関係、健康問題、介護、ペットとの付き合い、子供の育て方などの話をする人もいる。最近の生活の中での失敗したことや成功体験を話す人もいる。それから、森田を応用してその実践内容や結果報告をする人もいる。あるいは今月の「生活の発見誌」や森田関連図書を読んで気がついたことを発表する人もいる。今日の理論学習の中で疑問に思ったことを聞いてくる人もいる。普段森田理論で分からないことをハッキリさせたいと思っている人もいる。これらはどの話でもよいと思う。大事なことは一人一人最低一つは話題を用意して体験交流に臨むことである。何も話すことがなくて、パスする人もいるが実にもったいないことである。特に幹事や世話人などで何も発言することがないというのは問題であると思う。そういう人は率先して話す内容を事前に用意して、集談会に参加することが大切である。家を出る前に、自己紹介の内容と体験交流で発言することは整理しておくことが必須である。その態度が初心者の人たちによい影響を与える。もう一つ注意したいことは、これは相互の交流であって、先生が生徒に森田理論を教えるという場ではないということである。そういう人が一人でもいると、体験交流は成り立たない。というのは、体験交流によって本人の気づきや発見の目をことごとく摘んでしまうからである。そういう人は、発言をセーブする必要がある。そして傾聴に徹するぐらいでちょうどよい。あと体験交流は「進行役」の人が必要であると感じている。「進行役」の人がいないとまとまりがつかない。とりとめのない世間話が次から次へと出てくることになる。中には5人の班なのに、2人とか3人のグループに分かれてしまうこともある。これでは何のために体験交流の時間を設けているのか。時間つぶしのための話に終始してしまう。そして集談会の活性化の足を引っ張ることになる。幹事・世話人が「進行役」になることが多いと思う。この人たちは、幹事会で役割について、話し合っておくことが大切である。そしてグループ分けをする場合は、「進行役」になりうる人を最低一人は配置する必要がある。「進行役」の人は調整役に徹することが大切だ。森田の先生役をすることではない。「進行役」の人は、大まかな時間配分に気をつけて、全員に発言の機会を与えることが大切となる。大体一人10分から20分ぐらいの時間配分を心がけていく。その時間はみんなでその人の話に集中するようにしたいものである。そして予定時間になれば、次の人に替わって発言してもらうようにする。基本なことばかりだが、マンネリ化してしまうとつい無視されてしまうので要注意だと思う。
2019.04.18
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齊藤孝さんの著書に、 「まねる力 模倣こそが創造である」という本がある。憧れの人を見つけてまねるという見出しで、次のように書いておられる。ソクラテスは、魅力的であれば、ソクラテスのように対話をしたい、ソクラテスのように自分の頭できちんと考えるようになりたいというような、 「まねしたいという欲望」を青年たちに巻き起こすことができます。大事なのは、この人のマネをしたいと思わせることです。まねをしたいと思わせる力自体が教育者には必要なものになる。そうすると、だんだん技のレベルがアップしてくるということですね。まねだけで終わってしまうのではないかと心配する必要はありません。というのは、技術的なものは、学んだ側の体に入ってくると、変換を起こして、その人なりのものになってしまうからです。体の癖、あるいは気質と言ってもよいのですが、誰でもその人なりの体質や体格、考え方の癖があります。まねによって技を取り込んでみれば、自然にアレンジされるのです。スポーツなどの教室では、グループ全体が同じようなスタイルを学んでいるのに、みんな少しずつ違ってきます。逆に言えば自分に合った人のまねをしていく方が、上達が早い。これを森田理論学習に当てはめて考えてみましょう。私は森田先生の「鶯の綱渡り」と言う宴会芸に刺激されて、一人一芸の習得に励んできました。鶯の綱渡りという宴会芸は、畳の縁を電線に見立てて、鶯がよちよちと歩く様を面白おかしく演じるものです。森田先生は、形外会が終わった後、様々な余興をして楽しまれています。私はそこに目をつけて、いろいろな宴会芸を習得することにしたのです。私が取り組んだのは、楽器の演奏、獅子舞、どじょうすくい、浪曲奇術、腹話術などです。これらの練習をしているときは、神経症の事は忘れています。老人ホームやイベントでの発表という目標があるので、とてもやりがいがあります。また、利害関係のない薄くて幅広い人間関係を築くことができました。私は森田理論学習を一通り終えた後は、生活に森田理論を応用して活用している人見つけることが有効だと思います。そのためには集談会のプログラムの中に、 「生活森田・応用森田」を付け加えること提案いたします。1人15分ぐらいずつ時間をとって、自分の普段の生活ぶりや趣味や現在取り組んでいる目標などを語ってもらうのです。これは、毎回1人ずつ行っていくのもいいですし、まとめて5人ぐらいに行ってもらうのもよいと思います。一例を挙げますと、家庭菜園の話、料理の話、ペットとの付き合いの話、親戚付き合いの話、家計簿のつけかた、終活の話、掃除の話、楽器演奏の話、旅行の思い出、魚釣りの話、音楽の話、映画の話、健康の話、川柳やユーモア小話の話などです。とにかく、自分が実際に生活の中に取り入れて実行していること、発表し合うのです。これに刺激を受けて、他の人が自分も生活の中に取り入れてみよう、挑戦してみようという気持ちが湧いてくればよいと思うのです。つまり真似をするということです。1つでもそういうものが見つかれば、自分の生活の幅が広がってきます。そのうち森田的な生活が習慣になっているような「森田の達人」というような人が見つかることがあります。私は集談会の中にそういう人を見つけました。その人の生活ぶりをよく聞いて、自分の生活の中にもどんどん取り入れていきました。目の前のことに真剣に取り組んでいく。新しいものが欲しくなったら、今自分が持っているもので代用できないかを考えてみる。等はその人から教わったことです。まねをすることで、自分の生活も森田的にずいぶん変化してきたように思います。森田先生の弟子の井上常七さんは、終いには森田先生の猫背まで真似をしていたと言われましたが、それぐらいの気迫で取り組めば自分のものになると思います。
2019.03.18
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1月号の生活の発見誌に、「神経症の人は中途半端に治ってしまうと、みんな先生になりたがる」というのがあった。これは集談会でよく見かけることである。注意する必要がある。ある特定の人が、自己紹介や体験交流の時に、自分の神経症の克服体験や森田理論を長々と話される。悩んでいる人や森田理論が分からない人に、自分が先生になって教えてやろうという態度が顕著な人だ。自分のとおりにすればあなたの神経症は治すことができます。森田理論は一言でいえばこんな理論だと自分のつかんだ理論を展開される。その人には悪気はないのだ。何とか神経症を治すために役に立ちたいという気持ちなのだ。説明すれば、誰でも分かってくれて、感謝されるはずだという気持ちがあるようだ。勢いあまって、「どんなに不安が強かろうと、なすべきことに取り組みなさい」「かくあるべしが神経症に陥っている大きな原因だ。純な心の体得が必要だ」などの話を滔々と続けられる。聞いている人は、上から下目線で話されるので、嫌悪感があり最初から受け入れられないのだ。その人は素晴らしい体験をして、森田理論もよく勉強されているのだが、伝え方に問題があるようだ。これでは、相手に評価されるよりも、反対に敬遠されるようになる。ある程度のレベルに達しているだけに、自己満足だけに終わってしまうのでは、実にもったいないと思う。ではどのようにやり方を変えていけばよいのだろうか。初めて参加した人は、自分の苦しい胸のうちを聞いてほしいという気持ちが強い。そこに焦点をあてていくことが、自分の体験や知識が活きていくことにつながる。相手がどういうことに悩んで生きづらさを抱えているのかをじっくりと聞くことである。分からない点はさらに説明してもらい、相手のことを分かろうとする態度を続ける。相手は自分の悩みを真剣に聞いている人がいることでほっとする。自分の悩みを口にすることで、胸のつかえを吐き出すことができる。「そういうことで苦しんでおられるのですね。私も同じ対人恐怖症なのでお気持ちは理解できます」相手のしゃべられたことを反復したり、言葉を変えて返すぐらいの態度で接するのだ。相手の現状はどんなに否定したくても、非難しないで、そのまま認めて受け入れるようにする。ここでは性急に先生になってアドバイスなどをしてはならないのだ。たとえ、自分で答えが分かっていても決して安易に教えてはならない。相手が自分で答えを見つけるのを、刺激を与えながら、じっと見守っている態度が大事なのだ。話しているうちに、自分の悩みが整理されて、自分で解決策を見つけることもできることもある。そして森田的に見て評価できるようなことは、どんな小さなことでも取り上げて評価してあげる。励まして、力づけてあげる。この繰り返しである。そして、ある程度の時間の経過があって、それでも今の生きづらさが解決できないときに、相手に合わせて自分の体験を教えてあげるのである。あるいは森田療法理論の話をしてあげるのである。相手がどうにもならなくて、最後の最後にアドバイスを求めてきた時に、自分の出番が出てくると思うぐらいでちょうどよい。相手のことが今までの交流からよく分かっていればいるほど、相手にとっては役に立つ。そのためには、自分も相手にどんな話をすれば効き目があるのか、普段からシュミレーションしておくことだ。こんな風に話しをすれば、相手の心に届くのではないか、ああでもない、こうでもないと考えることだ。基本的に我々の学習会に先生は必要ない。でも刺激を与え続ける仲間は不可欠である。その活動が双方を人間的に成長させるのだ。
2019.02.02
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私は神経質性格者にとって、森田理論学習はとても大切なものだと思う。生涯学習として取り組んでいけば、素晴らしい人生は約束されたようなものである。私は日本の人口は約1億2,000万人であるから、少なくとも神経質性格者は1,500万人から2,000万人はおられるのではないかと推測している。その根拠は、森田先生が人間の性格を7種類に分類されておられることにある。その性格のために、小さなことにとらわれて生きづらさを感じている人が相当数おられると思う。それを極力少なく見積もって、 10%とすると、 150万人から200万人は、すぐにでも森田理論学習に取り組んで欲しい人である。必ず自分の人生にプラスになると思う。そのためには、森田理論はきちんと理論化されているので、自助組織に参加し、相互学習として学んだ方がよいと思う。これは1人ではなかなか難しい。また、継続することが困難だ。自助組織に参加していると、森田理論を正しく理解することができる。何よりも森田理論を活かしている人の貴重な体験談を聞くことができる。その恩恵ははかりしれないのである。以上の点から考えると、自助組織としては、少なくとも 10万規模のキャパシティーがあると考えている。少なくとも1万人から3万人規模の学習団体になる要素を、森田理論自体が含有していると考えています。現在日本最大の森田の自助組織でも2000人規模である。私の考える理想的な人数と現実には大きなギャップがある。今日はそのことについて考えてみたい。森田の自助組織が拡大していかない大きな原因は、50代以下の人たちに支持されていないことにある。それでは、そういう人たちに不安や悩みがないのであろうか。そんなことはことはない。私は現在60代だが、私が若い頃よりはもっと生きづらい時代になっていると思う。まず、仕事が安定しない。パートや派遣の仕事に就いている方が多く、収入も減少している。社会保障制度も十分ではない。そのため、結婚もままならない。仕事は能力主義、成果主義でノルマがきつすぎる。人間関係も希薄になり、人間同士のつながりが持てない。経済は横ばいが続いており、将来に明るい希望が持てない。高度経済成長時代と違い、頑張ればなんとかなる時代ではないのだ。うつや精神疾患で苦しんでいる人はとても多いのである。そういう人たちに対して、今のところ薬物療法、認知行動療法を始めとする精神療法が受け皿となっている。しかし、それらは対症療法であり、根本的な治療法ではない。最終的には生きづらさに真正面から取り組んでいる森田療法理論の学習に入ってこないと、残念な人生で終わってしまうのが目に見えていると思う。そういう受け皿としての森田の自助組織の責任は極めて重い。どこに問題があり、どう乗り越えていくべきなのだろうか。わくわくして、集談会に参加することが待ち遠しい。集談会は自分を成長させてくれる。生き方の指針を教えてくれる。温かい人間関係に身を置いて安心感がもてる。このような希望の持てる自助組織を作り上げていく必要がある。最近の学習会は、金太郎飴だと言われている。全国一律の学習の方法を設立当初から継続している。裏を返せばマンネリ化しているということである。新しい発想が生まれなくなると、刺激がなくなり、集談会の魅力は急になくなってくる。すると、参加することが苦痛になるのだ。以前の学習会は、活気があった。体験発表も多くの人が取り組んでいた。レクリエーションや野外学習会、 1泊学習会、懇親会なども盛んに行われていた。現在の参加者は少なくなってくるとともに、そうした活動は次第に姿を消し、形だけの学習会は細々と続けられている。ミニ体験発表、生活森田・応用森田ぐらいは、ぜひとも集談会のプログラムに取り入れたいものだが、それさえもままにならない。それから、新しい人が定着しないのは、信頼関係が形成されていないのに、やたらアドバイスをされる。森田理論を押し付けられるという意見を聞く。当然、信頼関係の形成は大事である。受容と共感、傾聴は、学習仲間として必要不可欠である。しかし、その上で、今現在悩みや葛藤を抱えている人に対しては、適切なアドバイスをすることは、もっと大事な事である。悩みを葛藤を抱えている人が、適切なアドバイスをしてもらえないと会に参加する意味が薄れる。やたらアドバイスや森田理論を押し付けられるというのは、悩みや葛藤を抱えている人を理解していないことからくると思う。相手の立場が十分に理解できれば、適切なアドバイスができ、相手から感謝されることになると思う。私たちは先輩会員として、適切なアドバイスができるように森田理論を深めていく必要があるのだと思う。そういうことが行われないと、傷を舐めあうだけの烏合の衆の集まりになると思うのだが、いかがであろうか。
2018.10.01
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王貞治さんは、巨人に入団して3年経った頃、今までのやり方でいいいのか、自分の力はプロで通用するのか分からなくなり悩んでいたという。そんな時、荒川さんが巨人のコーチとして入団された。王さんは荒川コーチのもとで、プロとしてのバッティングや野球についての基礎を教わったのです。荒川コーチと二人三脚で、 1本足打法を完成させ、世界のホームラン王と呼ばれるようになったのです。荒川コーチとの出会いがなければ、自分の才能は開花しなかったであろうと言われています。そういう意味では荒川コーチは、コーチと言うよりは、自分の将来を決定づける偉大な師匠であったといえるでしょう。私は30年以上森田理論学習に取り組んできて、森田の場合にも、師匠の存在は不可欠であると思う。神経質性格を持ち、神経症でのたうちまわっていた私を導いてくれた師匠との存在なくして今はない。今考えると私の師匠は2人いた。 1人は森田正馬先生である。もう1人は集談会で見つけたある先輩会員である。2人の人が夜道を明るく照らして、人生の進むべき方向を差し示してくれたのである。森田先生に実際に会った事はない。しかし、残された数多くの著作に接するうちに師匠として尊敬するようになった。まず神経症の発生するメカニズムを明快に説明してくださった。そして、神経症が治るとはどういうことか。神経質性格の活かし方、欲望と不安の関係。生の欲望の発揮の仕方、 「かくあるべし」の弊害、事実本位の生き方。などなど的確に私の疑問を解決してくださった。森田先生の著作による指導なくして今の私は存在しないと思っている。集談会の中で見つけた師匠は、森田理論そのものについてもより深く掘り下げて研究されていた。それよりももっと特質すべき事は、ご自分の経験から、森田を実際に生活面に応用した具体例について色々と話してくださったことである。このブログでその一端は数多く紹介した。それらは私の生活に取り入れようと思えばいくらでも取り入れられることであった。その方は、森田理論の中でも、 「ものそのものになりきる」 「物の性を尽くす」について、とことん研究され、自分の生活の中に縦横無尽に応用されていた。私は、その人を見ていて、森田理論の応用は、つまみ食い的に取り組むやり方はダメだと確信した。富士登山には5つの登山口がある。所要時間はそれぞれに異なるが、どの道を進んだとしても、富士山頂に到達できるのはいっしょのことである。大事なのは、「この道しか我の進む道はない」と覚悟を決めて、 1つか2つの事を極めていくやり方が有効なのであった。そういう意味では私は、森田先生のウグイスの谷渡りという宴会芸からヒントを得て 「一人一芸」に活路を見出し、 ひとすじに打ち込んできた。すると、老人ホームなどで多くの人に喜んでもらい、あれほど対人恐怖で苦しんでいたのに、多くの演技仲間と楽しく交流することができるようになった。今では人生の中では、広く浅い人間関係を構築することがとても大事なのだということが実感できるようになった。さて、王貞治さんはこんなことも言われている。子供には第一反抗期、第二反抗期がある。この反抗期を経ないと立派な大人にはなれない。これはどういう事かと言うと、いつまでも師匠の言うことばかりにこだわっていては成長はないということである。「守・離・破」という言葉がある。「守」とはまさに素直に師匠に教えを乞う時期である。「離」とは師匠の教えを身につけ、師匠から離れる時期である。子供で言えば反抗期である。自我が出てくる。師匠の教えに疑問も出てくる。だからこの時期は師匠から少し距離を置く時期である。この時期があることが、次につながるのである。「破」とは、今までの経験を踏まえて、自分独自の森田理論を切り開いていく時期である。今までは、師匠に見守られて、内海の中だけで船を航行していたが、いよいよ外洋航海に出る時である。怒涛逆巻く太平洋に向かって、自力で挑戦する時期が「破」の段階である。森田療法理論では、神経症を治す段階から、人生観を確立する段階に進む。さらに森田療法理論の考え方を基礎におきながら、政治や経済、人類の将来、文明論、環境汚染、人間の生き方などに発展していくのが自然の流れであると思う。そういう意味で、森田療法理論は無限の可能性への発展を秘めているのである。
2018.08.28
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森田療法、森田理論は誤解を受けやすい言葉である。それは、個人の名前がついているからである。森田先生自身は、 1919年に開発された神経症克服の理論を、自覚療法、自然療法、特殊療法などと言われていた。のちに高良武久先生が森田療法と名付けられたのである。個人の名前を付けずに、もっと分かりやすい言葉はなかったのかと思う。しかし長らく「森田」という言葉が使われてきたので、この言葉を外すと何を目的にしているのかかえって分かりにくくしている。この療法は、神経質性格を持った人の療法である。心配性である、強い生の欲望を持っている、自己内省が強い、執着性が強いなどの性格特徴を持った人を対象としている。目指すところは、わかりきったことだがまず神経症に陥った人を治す。森田先生の入院治療はほぼこの目的に限られていた。現在は薬物療法や他の精神療法に押されて、その比率はどんどん下がってきた。しかし全くなくなったわけではない。治療の面では現在外来森田療法が主流となっている。森田が脚光を浴びているのは、心配性でちょっとしたことにこだわりやすい人たちに対して、心の健康法と人生哲学に対して明確な方向性を示していることであると思う。現在ではこの役割の方が、はるかに重要だと考えていますが如何でしょうか。このような森田適用の対象者と目的に対して、一般市民の人に対して分かりやすい適切な言葉はないものだろうか。キーワードとしては、仲間、学習、体験交流、心配性、取り越し苦労、メンタルヘルス、生きづらさ、心の健康法、人生哲学の習得などであろうか。長谷川洋三氏の著書の中に「森田式精神健康法」があった。この本は、キャッチフレーズとしては魅力的であった。森田理論を学習すれば、心が健康になるというイメージを持つことができる。医療としては森田療法で構わないが、我々のように森田療法理論を学習して、生きづらさを解消し、確固たる人生の指針を得たいと思っている人は、別の言葉に置き換えた方がよさそうである。例えば、「森田心の健康実践会」「メンタルヘルス森田理論学習交流会」「森田生きがい療法の会」「森田生き生き療法の会」「森田理論学習実践会」「森田理論学習交流会」「森田生涯学習研究会」などである。もちろん名称の前にNPO法人は欠かせない。今すぐに適当な言葉が浮かばないが、みんなで知恵を出し合えば、これというものが出てくるのではないか。誰が見ても短くて分かりやすい、親しみやすものがよいと思う。 次に、森田療法理論を学習し、体験交流の自助組織としてNPO法人生活の発見会がある。心の健康に関しては、日本最大級の自助組織である。しかしこれも対外的には誤解を受けやすい名称である。公開講演会などを企画して後援申請に行くと役所などで詳しい説明を求められることがある。手際よく説明しないとすぐに怪しまれる。生活改善を目指している会か、日常生活の工夫を幅広く収集している会か、生活の知恵や発明の情報を共有している会か、あるいは耳障りのよい新興宗教の集まりではないのかといわれることがある。私は集談会の会場の入り口に案内板に次のように書く。NPO法人生活の発見会 ○○集談会 (森田療法理論の学習と体験交流の会)ここまで書かないと、何を目的としている会か分かってもらえないのである。このような注釈をわざわざ記載しなければならない名称というのは如何なものかと思う。我々は使い慣れているので、違和感はないのだが、世間一般の人はそうではないのである。
2018.07.24
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私は来年2月10日に、「心の健康セミナー」を企画していることはすでに投稿した。現在はほぼ一人で準備を進めている。途中経過をまとめてみたい。実施会場、講師、体験発表者、司会者、開会挨拶者、閉会挨拶者は決まった。立派なチラシも作成した。地元の新聞社、市役所、市教育委員会の後援もいただいた。心の健康セミナー開催にあたっては、市の後援は必須であることが分かった。区民文化センター、市の図書館、市立病院、保健所、健康福祉施設、公民館などは「市の後援をいただいている講演会です」と伝えれば審査なしでチラシを置いてもらえることが分かったのである。当日の役割分担表、勧誘目標数値の設定、講師の著作の研究、開会挨拶のパワーポイントの作成、気運を盛り上げるための集談会での10分間レクチャーの作成、受付で配布する集談会の紹介チラシの作成、アンケートの作成、講師や体験発表者に対する質問票の作成、タイムテーブルの作成、スタッフの名札の作成、受付名簿の作成、当日配布するプログラム表の作成、体験発表者の研究、会場の下見、プロジェクターの動作確認などがすでに終わった。これらは森田理論学習によって、気のついたことを早くからどんどん処理していく体質が身についているからお手のものである。今後は8月になってから、チラシとポスターの作製。会計の仕事。受付での配布物の準備。打ち上げ会場の決定と交渉。その他にこまごまとした雑多な事務作業がたくさんある。手ぬかりなく進めてゆきたい。11月からは本格的に80名の動員に向けて、勧誘活動を開始する。それまでの準備作業が成否を決するという意気込みで取り組んでみたい。動員目標は集談会関係約30名、講師、体験発表者のつながり関係10名から20名、難病やガンの自助組織約10名、チラシ配布、マスコミ、病院関係約10名から20名、家族・知人関係約10名とした。集談会関係は縁遠い人の掘り起こしと近隣集談会への協力依頼。講師・体験発表者は貴重な組織や仲間を持っておられるので協力依頼したい。またガンや難病の自助組織はいろいろと存在することが分かったので、慎重に接触を図りたい。チラシ配布は、市役所、市教育委員会の後援をいただいたので、それをフルに活用した広報を実施したい。マスコミは新聞社から後援いただいたので、新聞紙面による暮らしやイベントコーナーでの紹介。その他タウン誌、ミニコミ誌を予定している。病院関係は精神科、ガン難病などの病院にダイレクトメールを送ることを考えている。あと財団、発見会、集談会のホームページなどを活用した広報も行う。チラシは1700部作成するので積極的に活用したい。ポスターを置いて下さるところは持参する。それでも1か月を切って動員目標に到達しないときは、家族・知人関係をあたる。生活の発見会や集談会の紹介によって、森田療法や森田理論に一人でも関心を持ってもらいたいものだ。地道な活動は必ず実を結ぶという信念を持って取り組みたい。最初はなかなか気が乗らなかったが、今は弾みがついた。発見や工夫が次から次へと浮かぶ。森田先生が言われるように、迷ったときはイエスといって引き受けるという体験だった。今は引き受けて貴重な体験ができてほんとうによかったと思っている。
2018.07.16
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生きがい療法の活動は、私たちと同じように森田療法理論をベースにしているにもかかわらず、活動内容はずいぶん違う。生きがい療法の対象者はガンや難病に侵されて苦しんでいる人である。大変な身体疾患を抱えている人たちである。それゆえに常に死の恐怖が襲ってくる。我々で言えば、社会的不安や恐怖で頭がいっぱいになった状態である。そういった人たちに対して、生きがい療法では、死の恐怖に振り回されるのではなく、日常生活や目の前の夢や目標に向かって前向きに生きていく事を具体的に提示している。そうすると、次第に免疫力が回復して、自然治癒力が高まってくるという。ガンになり、外科手術、放射線治療、抗がん剤治療で一時的にがん細胞をやっつけたとしても、免疫力が回復して、自然治癒力が高まってこないと、再びがん細胞が勢力を取り戻して再発や転移は免れないといわれている。具体的にはどんなことに取り組まれているのか。・今日一日の目標をしっかりと立てて、目標に向かって頑張る。・小さなことで人のために役に立つことを見つけ出して実行していく。・もしもの事に備えて、出来る事は前もって準備しておく。・笑いのある生活をしていく。落語を聞いたり、吉本新喜劇を見て大いに笑う。漫才やコントもよい。活動の中では、あらかじめ作っておいたユーモア小話を皆さんの前で披露する。・がん細胞を撃退するイメージトレーニングをする。・気功の研修会を開いて、気功の技術を習得する。・富士登山やモンブラン登山などを実施した。ちなみに伊丹仁朗先生は、マッターホルンやキリマンジャロ登山を経験されている。それ以外には、北極圏でのオーロラ鑑賞ツアーも実施されたことがある。前向きに生きていくための具体的な提案がなされて、実際に生きがい療法の集いの中で実施されているのである。そういう意味では、森田療法理論を消化され、血肉化されて、具体的な行動・実践に力を入れられているのである。実践なくして、森田理論は宝の持ち腐れとなる。私は、生きがい療法に学び、集談会の活動の中に、「生活森田・応用森田」は必須プログラムとして定着させる必要があると感じている。今思いつく内容としては、次の8項目である。1 、趣味や習い事、音楽やスポーツに取り組んでいる人はそれを実際に披露する。2 .料理の話。園芸などの取り組み。自給野菜や加工食品作りの話。3 .集談会の中で、絵を描く体験、歌を歌う体験、川柳やユーモア小話を作る体験。4 .健康、特技、旅行、お得な情報、映画やテレビドラマの紹介。5 .自分、他人、持ち物、お金など最大限に活かす工夫例の紹介。6 .人のために役立つ行動の実践例。7 .ペットとの付き合い方、介護の工夫例。子育ての工夫例。8 .楽しい人間関係の作り方の実践例。いずれにしろ集談会の活動内容が森田理論学習ばかりでは、マンネリになり、参加することに苦痛を感じるときもある。そういうとき、森田理論の活用例のプログラムの導入は活力剤になる。森田理論学習と「生活森田・応用森田」は車の両輪と考えて、学習内容を見直すことを提案したい。
2018.06.18
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今日は自助グループに参加して森田理論学習をする場合の適正人員について考えてみたい。生活の発見会の会員が6,000名を超えたのは1993年である。その時が最大であった。バブルの崩壊が始まったのが1990年であるから、それまでの勢いでその後3年間は拡大を続けたのである。バブル期は社会的には株価が高騰し、毎年大幅なベースアップが行われていた。経済的には恵まれていたが、神経症を抱える人達は多かった。一般的に生活に余裕があると、精神的な悩みを抱える人が多いようである。私の参加していた。集談会では、常時30名を超えていた。次第に満足できる集談会活動ができなくなり、 3つに分割して根分けを行った。その結果、どの集談会も時間的にゆとりができてきて、自己紹介や体験交流の密度が濃くなった。しかし、その後は失われた10年とも20年とも言われる時代を迎えた。この時は、生きることに精一杯で、心の問題で悩むことよりも、食べていくことにエネルギーを投入せざるを得なくなった。うっかりするとリストラに遭うような時代になったのである。集談会は、急激に参加者が減少してきた。私の集談会では、 1つだけは10名から15名の参加者があったが、根分けをした他の2つの集談会では参加者が5名以内にまで落ち込んだ。根分けをした集談会は、なかなか元へ戻すのが抵抗があり難しかった。運営がが困難になって再統合したのは、根分けから10年も経ってからであった。その時は、 2つの集談会では、名前だけはあったが、実質崩壊していた。私は集談会は、 15名程度が適正人員ではないかと考えている。15名ぐらいな参加者だと、自己紹介にたっぷりと時間がかけられる。それ以上多くなると、時間の関係で、自己紹介はあっけなくなる。症状の話、普段の生活の話など、肝心な部分が抜け落ちてしまう。相手の状況が把握できないと、その人に対する対応方法がわからない。体験交流などにつなげていくきっかけがつかめないのである。15名ぐらいだと、お互いに相手のことがよくわかり、親密な交流ができる。でも今では反対に、多くの集談会では、参加者が少ないという問題を抱えている。参加者が少ないと、集談会の幹事や世話人が限られてくる。集談会では傾聴、共感と受容は大切になるが、人材不足のため対応しきれなくなる。特定の人に役割が集中してしまうので、運営する人がしんどくなる。また森田理論学習も、学習の要点を元にして学習していると、表面的なものに終始してしまう。体験交流も深まりがなくなってしまう。弊害が多くなり、ますます参加者の減少に拍車をかける。この問題に対して次のような提案をしたい。そういうところの幹事や世話人の人は、他の人数の多い集談会に時々参加してみることが必要だ。あるいは宿泊を伴う支部研修会などに参加して、多くの仲間と知り合いになることも大切だ。そこで知り合った人脈が支えになる。また新たなエネルギーが湧いてきて、集談会で活用できるようになる。そういうところに参加すると、 運営の方法や森田理論のヒントをもらうことができる。次に、集談会同士でネットの掲示板を通じて、 運営や学習の方法などの情報を共有することも大切である。これは各地の支部でそういう交流の場を作っておくことが大切だ。そして他の集談会での成功事例は、自分のところでも取り入れるようにするのである。他の集談会では独自の学習ツール・テキストを作っている場合もあるので、それらを利用させてもらうことも有効である。人数の少ないところは、井の中の蛙となって、他の集談会とは孤立しているというのが1番まずいやり方である。でも余剰金がないので、他の集談会の人や講師を呼ぶことができないという話もよく聞く。そういう時は、スカイプを利用すればよいのである。Wi-Fi環境とパソコンがあればすぐできる。スマートフォンでもできる。時間を決めて、他の集談会のベテラン会員の人に 、テーマを決めて、たとえ1時間でも参加してもらえれば、集談会の内容がガラリと変わる。体験談を話してもらうのもよいし、講話をしてもらうのもよいし、体験交流だけに参加してもらうのもよい。先輩会員は、できるだけみんなの役に立ちたいと思っているので、応援してくれる人はいるはずである。自分でわからなければ、各地の支部委員の人に相談してみればよい。そのためにも、集談会を超えた人とつながりをつけておくことは大切だ。あとは、マンネリにならないように新しいことを取り入れたり、喫茶店や居酒屋での交流を増やしたり、とにかく自分たちが楽しいという集談会にする必要があると思う。
2018.02.23
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第9回形外会が終わった後、食事会があり、その後余興が行われている。時間は午後6時から3時間にわたっている。その日はゲームが行われた。まず「職業当て」と称し、 1組2人の背中に、芸者・医者・女中などと書いた紙片をつけ、互いにこれを見せ合いたる後、決して言葉を用いず、身振りのみで、これを相手に知らせる。つまりジェスチャーで、一方が相手の背中に書いてある職業を演じる。その動作を見て自分は背中に貼られた職業を当てるゲームである。とんでもない動作をする人もいてすぐに笑いの渦になる。次に「トエンティー・クェッション」と称し、相手が例えば電灯・鯉など、ある一つの物の名を考えているのに対し、20以下の問答にてこれを言い当てるものである。その問う方の人は、例えば人工物か、鉱物質か、この室内にあるかなどと問い、答え方はイエスとノーとのほかは答えてはならぬという規則である。(森田全集第5巻 94ページより引用)実は形外会の後には、このような懇親会がたびたび開かれている。落語を聞いたり、寸劇を演じる。踊りを踊る。歌を歌うなどである。美味しいもの食べて、その後に工夫をこなして演芸大会のようなものされているのである。森田先生はウグイスの綱渡りという宴会芸を披露された。また民謡を歌ったり、踊ったりされている。森田全集の中には確か11回にわたって、その模様が収録されている。その中でも「三方一両損」という寸劇はいたく感心した。こういうことを集談会や支部研修会の懇親会の後に取り入れるというのはどうでしょうか。すぐに場が和み、お互いに親しみが増すのではないでしょうか。集談会は、森田理論学習をするだけではなく、人間関係の幅を広げるという重要な側面もあります。苦しい時は、あの人に話を聞いてもらおう。集談会に参加すれば、あの人に会える。と思うだけで、生きていく力は湧いてくるものです。この側面を見逃してはなりません。そういうものは、理論学習をするだけでは得られるものではありません。懇親会や懇親会の後の演芸大会から容易に得ることができるのです。そのためには、新年会や忘年会、一泊学習会の懇親会を盛り上げることを考えることです。難しく考えることありません。みんなが楽しく愉快に過ごすためにはどんなことをしようかと考えるだけでよいのです。てっとり早いところではカラオケがあります。 1曲ぐらいはなんとか歌える歌を普段から準備しておくようにしたいものです。私はかって、 3メーター位前方に箱をを置いて、テニスボールを投げ入れるというゲームをしました。なかなかボールが入りません。みんな子供のように大はしゃぎしていました。その他にも2 、 3のゲームを用意しました。室内でやるゲームを紹介した本にいろいろと載っています。せっかく人が集まっているのですから、楽しく愉快に学習をしてゆきたいものです。こういう取り組みの中から、弾みがついて、私の勧めている「一人一芸」は生まれてくるのです。
2017.12.19
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自助組織である生活の発見会のルーツを探ってみた。1929年(昭和4年)森田正馬先生のもとで、形外会が始まった。これは森田先生のところで入院治療を受けた人が、月に1回森田先生の家に集まっての懇話会であった。ここでは、神経症のことにこだわらず、人生や日常生活の問題なども話された。この会合は、昭和12年4月まで7年4か月、合計66回開催されている。その内容は森田正馬全集第5巻にすべて収録されている。今読んでもとても参考になる。その後森田先生は昭和13年4月に64歳の若さでご逝去された。形外会の参加者の中に水谷啓二氏がいた。水谷啓二氏は昭和7年から昭和13年まで森田先生のところに居住しながら熱心に森田療法を学ばれた。その後森田関係の図書の執筆活動を続けられていたが、それに飽きたらず、新しい活動を始められた。水谷啓二氏は昭和31年、自宅を開放して、形外会方式での相談会として「啓心会」を始められた。翌昭和32年には、機関紙「生活の発見」誌の発行を開始した。この名付け親は社会運動家永杉喜輔であった。そして昭和34年からは、啓心寮と精神科医の協力のもとに啓心会診療所を始められた。森田先生の入院森田療法とほぼ同様の活動内容である。森田療法で神経症者を救うために、全身全霊を持って打ち込んでいかれた。しかし残念なことに、昭和45年3月58歳という若さで亡くなられた。その後、「生活の発見」誌の同人であった長谷川洋三氏が中心となって再建に立ち上がった。ここでは、生活の発見会を医療の場から切り離し、会員相互の支え合いと森田理論学習の全国展開が決定された。この方針の決定が大きな転換点となった。自助組織としての生活の発見会の誕生は極めて歴史的意義がある。その後、組織は急速に全国に拡大し、 1993年には会員は最大となり6,000人を超えた。発見会活動はどの県でも活発であり、集談会は全国で約120カ所以上であった。生活の発見会は1998年、保健衛生の分野で優れた業績をあげた団体に贈られる「保健文化賞」を受賞している。その後、活動は停滞しているが、それでも会員2000名を超えるようなNPO法人はほとんど存在しない。余談だが、その後の森田療法は、元メンタルヘルス岡本記念財団理事長のご尽力により、中国をはじめとする海外において目覚ましい拡大を遂げている。現在、神経症の治療としては、薬物療法、カウンセリング、認知行動療法を始めとする精神療法が主流である。森田療法はそれらに比べると後塵を拝している、しかし森田療法にはそれらにはない優れた面がある。それは、神経症の治療にとどまらず、神経質性格を持った人がいかに生きていくべきかという生き方モデルを提示している点である。だから生涯学習として森田理論学習を続けている人が多いのである。今後森田療法は、生き方モデルとしての側面を大いに磨き、人のため世のために貢献していくべきだと考える。現在は生まれ変わるための過渡期に当たると考えている。苦しい時期であるが、森田理論は必ず評価される時代が来ると信じている。
2017.12.12
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生活の発見会や集談会で中心的な役割を果たしていた人で、急に森田から離れる人がいる。あるいは極端に活動をセーブする人もいる。いろんな事情や理由があるのだとは思うが、とても残念なことである。活動することがしんどい。重荷になってきたと言う人もいる。現在は会員が減り、特定の人に役割分担が集中するので無理もないのかもしれない。経済的な理由や自分の病気、家族の介護などで自由に活動できなくなった人は、残念だが仕方がない面がある。単なる言い訳かもしれないが、仕事が忙しくなって、土曜日、日曜日も仕事という人もいる。そういう人たちは連絡をとってみると、森田を心のよりどころとしている人も多い。その半面で、森田の限界を自分なりに見極めて、森田に引導を渡したような人もいる。連絡をとってみると、もう二度と森田に関わりたくないという人である。そういう人たちは森田が自分に合わなかったということであろうか。あるいは会の中での人間関係が悪化してきたのであろうか。話を聞いてみると、神経症の悩みは継続しており、生きづらさの改善はできていない人も多いように思う。それから次に、森田理論を勉強してきたが、森田理論がいまいち理解できない。理論学習がマンネリで得ることが少なくなり学習すること、活動すること自体が苦痛になってきたと言う人もいる。そんな学習をいつまでも続けていてどうなるのかという人もいる。無駄な時間を費やすより、他な治療法を探した方がいいと方向転換をする人もいる。私は30年以上も生活の発見会と集談会に関わり続けてきた。途中で役割の負担が増えてしんどくなった。またある程度学習するともうすべてが分かったような気がして、もう得るものがないように感じていた。それでも世話役をしていたので、集談会を休むわけにいかなくなったのだ。惰性で続けていた。今となってはその歯止めが効いて、最終的には目指していた鉱脈を探し出すことができたのだ。生活の発見会にとどまり、集談会に参加することのメリットについてまとめてみた。まず、 集談会や発見会活動を通じて利害関係のない人間関係を広げることができた。普段は密接に交流しているわけではないが、強力な心の安全基地としてのバックボーンを得ることができた。普段の生活は、神経症を抱えて、無人島で1人で生活しているようなものである。そのような環境で背後から援助してくれる人がいなかったらどうなるのか。考えただけでも恐ろしい。集談会活動をしていて、 1番の心の安らぎを覚えるのはそういう仲間達と触れ合うことができることだ。発見会活動をやめるということは、そういう温かい人間関係を結果的には拒んでしまうということだ。孤立した状態で、果たしてこの厳しい環境の中を1人で生き抜いていくことができるであろうか。私は自信がない。集談会の中だけではそういう人を見つけきらないと言う人もいる。そういう人はもう少し視点を広げて、集談会以外の森田の活動にも参加してみることである。テーマ別集談会もある。支部活動、心の健康セミナーもある。全国の総会に出てみるなどだ。意外とそういうところで、心の安全基地を果たしてくれる貴重な人を見つけることができる。次に、森田理論学習は、神経症を治すだけではなく、神経質者としての生き方を教えてくれるものだと思っている。神経質性格を見直し、人生90年とも言われる期間をいかに充実させ、実り豊かなものにさせるかは森田理論を体得できるかどうかにかかっていると考えている。森田理論は確かにそれに応えるだけのものを持っていると確信している。これは間違いない。森田理論で言うところの、生の欲望の発揮、不安や恐怖の特徴と対処の仕方、 「かくあるべし」を少なくして、現実や事実にしっかりと根を下ろした生き方などを懇切丁寧に教えてくれるようなところは他にはない。これを自分のものにすることができれば、人間としてこの世に生を受けたことを心の底から喜んで活動できるようになる。私は今まで森田理論以外にそんなものに会ったことがない。これは森田先生が全世界の神経質性格の人に与えてくれたプレゼントのようなものである。無形世界遺産にしてもよいような代物なのである。その恩恵を受けた私たちは、森田先生が作られた森田理論をもっと平易に理論化して、神経質性格を持った人にあまねく福音が届くように工夫や改善をする必要がある。そして全世界の神経質性格の人が、森田理論学習の恩恵にあずかることができるように努力する使命を帯びていると思う。その活動は我々自身が輝いて生きていけることを意味している。
2017.11.24
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神経症のために会社に出社できなくなっている人がいる。そういう方が、藁にもすがるような気持ちで集談会に参加される。そして出社できない状況と葛藤や苦悩について話される。・出かけようとすると頭やお腹が痛くなる。・威圧的な上司がいて、職場に行けない。・自分の得意先や他部署の人との折り合いが悪い。・同僚との人間関係がうまくいかない。・ある特定の女性社員あるいは男性社員とギクシャクしている。・自分の能力以上の仕事を与えられてパニックになっている。・仕事量が多くて、サービス残業が続き、体がきつい。などなど。現在はイライラして精神的に落ち込んでいる。仕事を辞めたい、楽になりたい、休職したい、転職したいなどと話しされる。そんな人に対してどんな対応をされているだろうか。「それは大変な状況ですね。同情します」などと、共感されると思います。問題はその次にあると思います。「そんなに苦しいのならリタイヤした方がいいかもしれませんね。過労死でもすればもともこうもありませんからね」などと、もうこれ以上苦しまなくてもいいと助言する人もいます。あるいは反対によくありがちなのは、 「でも、現在の会社を辞めて、どこの会社に転職しても同じようなものですよ。会社に出社していれば給料や賞与がもらえる。社会保険も完備しているじゃないですか。絶対に辞めてはダメだと思う。第一生活ができなくなるじゃないですか。この先家族はどうやって養うつもりなの」などとアドバイスします。これらは極端な例かもしれませんが、相手が自分の気持ちを十分に吐き出す前に、すぐに森田的なアドバイスをするというケースはよくあります。でも、そのようなアドバイスが相手にとってどのような意味があるのか考えてみることが大切だと思います。会社に出社できなくなった人は、精神科にかかり、産業医に診てもらい、カウンセリングなども受けている人もいます。その一環として、集談会にも参加されているのである。その人は、まず自分の苦しい胸の内を聞いてもらいたい、吐き出したいという気持ちだと思う。共感してくれる人を求めているのである。その先に適切なアドバイスでもいただけたら望外の喜びである。第1次的には、アドバイスよりも自分の話を聞いてもらいたいのである。そんなときに、相手の話を少しだけ聞いただけで、様々なアドバイスをされると相手はどんな気持ちになるのか。多分、この人たちは私の気持ちなどはわかろうとしてくれていない。話した事は無意味だった。来なければよかった。表立って反発はしないかもしれないが、心の中ではさらに大きな傷を負わされたような気分になる。それは自分の苦しみを十分に吐き出すことができないストレスからきていると思う。では、相手を受容するとはどういうことか。この人は、 「今の状況がとても過酷なので会社に出ることが困難だ」 「でも、会社を辞めると食べていくことができなくなる」この2つの相反する気持ちの中で大きく揺れ動いているのだと思う。どちらかにすっぱりと割り切ることができない。森田理論でいう精神拮抗作用のはざまで葛藤しているのだ。この2つの気持ちを分かって察してあげることが大事だと思う。両方の気持ちが分かると、 安易に「会社を辞めないで頑張りなさい」とも「もうこれ以上頑張らなくてもいいのではないか」とも言えなくなってしまう。その状態はどっちつかずで実に居心地が悪いのは確かだ。特に集談会に参加する先輩方は、森田理論を後ろ盾にして適切なアドバイスをしたいという気持ちが強いので、つい一言アドバイスしてしまう。特に先輩会員に多い傾向がある。それが森田理論の魅力がわからず、 1回参加しただけでもう二度と集談会に寄りつかない原因になっているとしたらとても残念なことだ。相手は揺れ動く2つの気持ちをわかってもらうと、自分の葛藤しあう両方の気持ちが丸ごと受け入れられたという気持ちになって安心します。精神的にとても楽になると思う。本当の受容とは、相手の相反する2つの気持ちをくみとってあげて、両方の気持ちを受け入れてあげることだ。そういう気持ちがあれば、実際には相手のことをじっと見守ってあげるだけということになってしまうかもしれない。実はそういう態度が受容の一般的な姿なのだ。結局はそういう人がしっかりと心の後ろ盾になって、相手が自分の問題を自分で解決して、乗り越えていく道を自ら見つけ出す方向につながるものだと思う。アドバイスしたくなったときには、「相手に十分に話してもらっただろうか。相手の相反する2つの気持ちを理解しているだろうか」と自分に問いかけてみる必要がある。それがまわりまわって、自分が自分自身に対して、拙速に「かくあるべし」を自分自身に押し付けなくなるのだ。
2017.10.25
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1983年に高良興生院で森田療法の研修をされた精神科医の市川光洋医師のお話です。ある心臓神経症の患者さんが入院森田療法を受けにやってきた。臥褥中に、夜1人で寝ていると 「心臓が止まるのではないか」と不安で耐えきれず、夜中に当直の看護師さんに、 「今にも心臓が止まりそうだ」と内線電話で訴えた。看護師さんは最初は黙って聞いていたが、同じことを繰り返し言うので、最後は、 「死ぬのは運命です」と言われた。本人はびっくりして、 「もう相手にしてくれない。これはしょうがない」と思って、その不安のまま、ずっと布団の中で横になっていたら、気がつかないうちに眠ってしまい、朝スッキリした気持ちで目覚めて、不安がなくなっていた。この方がある日庭で作業をしていると、高良先生がやってきて、 「君、あの坂を駆け上ってこい」と言われた。病院から目白通りに向かってずっと坂になっているのです。この方はびっくりして、 「いやいや、まだ自信がありません」 「不安でダメです」とか言って躊躇したり抵抗していた。高良先生は、 「倒れたら僕が救ってやる」と言われた。これで「いよいよやるしかない」と諦めて言われたとおりにやったら出来たんですね。その時高良先生から、 「君心臓止まったかい」と訊かれたので、 「いや、大丈夫です」と答えたら、 「それが神経症のとらわれだよ」 「君は今まで病気じゃないのに、心臓が止まると思い込んで、ちょっと心配していたけれども、それが神経症のカラクリなんだよ」と言われたという。その時に「ああそうだ」と本当にわかったというのです。それ以降、外出したり、普通に行動ができるようになった。この方は退院後、会社に戻って仕事について、そこで昇進して、会社が大きくなって、やがて役員になったという。市川先生は、高良興生院には「場の力」があったという。森田療法に精通した医師が4名、その他看護師さんが3名、作業主任の方、この病院で神経症は治った人などを、集団で協力し合いながら患者さんを見守っていた。昔神経症だった看護師さんなどもいた。市川さんは神経症は治った人たちにどうして治ったのか尋ねてみた。すると、治るきっかけは、人それぞれで、精神科医だったり、作業主任者、看護師さんなどに言われた一言が影響していたという。 「作業主任者に言われた一言で治った」 「看護師さんにあの時に言われたのがきっかけだった」と言われるんですね。高良先生がすごいのは、どこからでも森田療法が出てくるように入院環境を作っておられたのです。1人で治ったのではなく、集団医療体制の中で神経症を克服していった。現代で言うコ・メディカルの実践である。(生活の発見誌 2017年9月号52頁より要旨引用)私の場合は、集談会に参加して、先輩のアドバイスや先輩の普段の生活ぶりを見ていて、それが神経症の克服に大いに役に立った。自分1人では、たどり着くことができないところまで連れていってくれたのは、集談会の仲間たちである。私たち人間は弱い面がある。希望に向かって力強く生きていきたいにもかかわらず、ちょっとした壁にぶち当たるとすぐに挫折してしまう。また、人間には楽を求める気持ちが強く、人が見ていないとすぐに怠惰な生活に陥りやすい。それに歯止めをかけてくれるのは、集談会に集まる同じ神経症を持った仲間たちである。仲間たちの交流で叱咤激励を受けることがアクセントとなり、途中で挫折せずになんとかイバラの道を乗り切ってきたように思う。集談会に出席していても、自分の求めることが得られず、がっかりして帰ることは確かにあると思う。しかし、そんな時にでも、少しずつ参加者同士の絆は深まっている。知らず知らずのうちに大きな影響を受けているのだ。それが神経症克服の後ろ盾になってくるのだ。そういうバックボーンを持とうとしない人はどうも治りが悪いようだ。学習効果があまりないと感じられるときは、温かい人間関係の中に身をおいていることこそ森田療法だと思って継続して集談会に参加してほしいものだ。
2017.09.21
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種田山頭火の自由律句は神経症で苦しいときには共感を覚える。分け入っても分け入っても青い山どうしようもない自分が歩いている振り返らない道を急ぐうしろすがたのしぐれていくかぬいてもぬいても草の執着をぬくふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれないおちついて死ねそうな草萌ゆる「神経症の時代 わが内なる森田正馬」と言う本を書かれた渡辺利夫氏は、種田山頭火は紛れもなく神経症者であるという。種田山頭火の生まれた家は山口県でも有名な大地主であった。ところが放蕩三昧の父のせいで破産した。母親は夫婦の不仲のために33歳の時で自殺している。兄弟姉妹にも不幸が相次いだ。そうした不幸な境遇がその後の彼の人生に大きな影響を与えている。山頭火は28歳の時に結婚をして男の子が生まれている。その後、熊本市に移り住んだか山頭火は定職というものを持たなかった。家に寄りつかず、俳諧仲間を訪ね歩くという生活であった。家庭をかえりみることがなく、その後離婚に追い込まれている。妻子は不幸であったが、子供は妻が立派に育て上げた。山頭火は乞食僧として托鉢をしながら全国を歩き回った。流浪の俳人と言われる所以である。その間俳句仲間には多大な世話をかけることになったが、山頭火に師事する人が多く助けられた。種田山頭火の一生を追ってみると、うつ状態と飲酒が常に付きまとっていた。いつも精神状態が不安定でイライラしている。うつ病ではなかったのか。その不安を取り去るために酒に走る。今でいうアルコール中毒であった。じっとしておられない精神状態とその不安を取り去るためのアルコール。少し精神状態が良いときに、その内面の苦しみを自由律句として吐きだしていったのだ。渡辺利夫氏は次のように説明されている。山頭火は、父の放蕩、母の自裁、弟の自殺、兄弟姉妹の早世、家産の瓦解、己を取り巻くものの、ことごとくの崩落に打ちのめされ、その暗鬱から逃れようとして漂泊を繰り返し、しかし苦悩から生涯逃れることのできなかった男であった。小鬱的心理にあっては、創作はかなわない。しかし、鬱という病の特徴の1つは波状である。鬱から次の鬱に転じる短い精神の晴れ間に、山頭火は自らの寂寞、絶望、不安、焦燥、恐怖を吐息のように詠って、その堆積が彼の膨大な俳句となって集成された。山頭火の俳句は、 「作られた」ものではなく、心の中の叫びとなって「自然に生まれた」ものなのである。波打つ苦悩を内界に抱えて放浪を続けた。山頭火の自由律句が、我々の心を揺さぶるのは、山頭火の内界の苦悩の吐露がのっぴきならないものであったからなのであろう。私の目に映る山頭火は紛れもなく神経症者である。神経症は高い文学的才能と結びついて山頭火は山頭火たりえたのだと言わねばならぬ。 (種田山頭火の死生 渡辺利夫 文芸春秋参照)神経症で苦しい時は、山頭火の自由律句を読んで共感を覚える。自分よりもさらに精神的に追い詰められ、なんとかそこから抜け出そうともがいている人は共感を覚えるのである。これは私が、マーラーの巨人という曲を聴いた時に、自分の苦しみを包み込んでいやしてくれた体験と重なるところがある。人間は共感を覚えると、自然に涙としてその苦しみを吐き出すことができるのである。症状で苦しい時はいくら適切なアドバイスをされても、心の中に染み込んでくることは難しい。それよりは、自分と同じように苦しみもがいている人がいるという存在を知って、共感できるというステップを踏む必要があるのだと思う。苦悩のどん底にある人は、最初にすることは、共感できる人を探し出しすことが重要になる。得てして自分の苦悩にのたうち回るだけで、益々増悪してアリ地獄の底に落ちてしまう人が多い。神経症では生活の発見会の集談会という集いがその役割を担っている。自分の苦しみを他人とシンクロできることは、一つの能力であるかもしれない。その能力は自助組織に参加することで獲得することができる。そしてその能力を持っている人は、苦悩を乗り越えて立ち直っていくことができると思う。
2017.06.28
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最近の森田の自助グループの会合では、傾聴、共感と受容がとても重視されている。これは、自助グループに集まってくる人が、基本的な他人への信頼感が乏しい傾向があるからである。他人を無条件に信頼することができない人は、いきなり自助グループに参加することは難しい。1回参加してみてすぐ来なくなる人は、確かに森田が自分に合わないと判断した人もいるだろう。しかしそれ以前の問題として、自分の居場所がないと判断して参加をためらっている人がいるとするととても残念なことだ。それを防ぐためには、まず最初に手掛けることは会の中での温かい人間関係作りである。そのためには、いきなり森田理論の神髄をしゃべるのではなく、まずは相手の話をよく聞く。基本的には「共感的受容」の気持ちで対応していくことである。岡田尊司氏によると、「共感的応答」には、次に挙げる3つの効果があるという。どんな効果があるのか。今日は、その効果について紹介しよう。・「共感的応答」は、相手が自分のことを分かってもらえたと感じ、安心感や満足を覚えることで、他者と言うものを心地よい存在として認識できるようになることである。「基本的信頼感」というものが育まれる上で、「共感的応答」はとても大事なのである。・自分の感情や意図を鏡のように映し出してくれることにより、自分自身の気持ちを理解する力を育んでいくということだ。混然とした感情や欲求にとらわれているときは、自分が何を感じ、何を求めているのかさえ分かっていない。他人が自分の気持ちをくみとってくれ、言葉にして応えてくれることで、自分の感情や欲求が整理されていく。漠然としていた感情や欲求が、はっきりした言葉によって整理されることで、鮮明化されるのである。言葉を変えれば、鮮明化されるということは、自分の頭の中に気づきや発見が生まれるということである。気づきや発見が生まれると、やる気や意欲が高まってきて、行動実践に結びついていくのである。・「共感的応答」が繰り返しなされることにより、自分自身も「共感的応答」ができる力を身につけることができるようになる。「共感的応答」は、他人の表情や感情が響き合う共鳴という現象を引き起こし、気持ちを共有し合う相互的な関係を生む出発点となる。他者と響きあうことの楽しさを知った人は、他者と関わり、体験を共有し合う事を自然に求めるようになる。そしてそれが、相互性や共感性を育み、やがて他者に対して「共感的応答」をするようになる。(回避性愛着障害 岡田尊司 光文社新書参照)そういう心構えを持って森田理論の学習会に参加しているかどうかは大変重要である。生活の発見会の中で神経症を克服して、さらに自分の人生観を見つけた人を観察してみると、自分の症状のことよりは、参加した人にどうしたら続けて参加してもらえるだろうかという方面に頭を使っている人であることは間違いのないところである。
2017.05.27
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情熱大陸という番組を見た。走りの伝道師杉本龍勇さんの話だった。杉本さんは1時間も指導すれば誰でも早く走れるようになるという。杉本さんは1992年のバルセロナオリンピックの400メーターリレーのアンカーだった。その時は6位入賞している。 30歳で現役を引退し、指導者となった。そして今や指導者として引っ張りだことなっている。現在は法政大学で教鞭をとっている。これが本職である。それとは別に、ヨーロッパでプレーするサッカーの岡崎慎司、吉田麻也、宮市亮などの指導にあたっているという。杉本さんは、彼らに15メートルのダッシュをさせると走りの問題点はすぐわかるようだ。それは杉本さんが次の4つの視点から彼らの走りを分析できるからである。・股関節の開き具合。股関節の開き具合が小さいと速く走れない・腕の振りが高いか低いか。これは肩の関節が柔らかいかどうかに関係する。腕の振りが低い人には、高く振り上げ、高い位置で後ろで手を合わせる動作を繰り返えさせる。・手を上下に振る。これは走るときに体全体を使う癖をつける。・中臀筋を鍛える。このトレーニングは日本人には欠かせないという。これはお尻の両側に付いている。これを鍛えるにはまず片足にさせる。次に膝を曲げずに、軸足の中臀筋を持ち上げさせるトレーニングを行う。これを鍛えると、軸足が曲がらずエネルギーが地面に伝わり、地面からの反動で高く上がり、スピードが上がるという。杉本さんは自分のアスリートとしての経験と研究の中から、理想的な走り方のコツをつかみ、他の人に伝授しているのである。ただし、どん底のスランプに落ち込み、解決策を求めてきた人のみに対応されていた。技術のみならず、スランプで陥った岡崎慎司にはメンタル面でも強力にサポートしていた。岡崎選手は30メーターのダッシュで勝負しているのではない。動き出しのタイミングと最初の5歩のキレさえ戻れば大丈夫と励ましていた。その後の試合では、その助言が効いて大活躍していた。この話を聞いての私の感想である。神経症で苦しんでいる人たちに、的確な助言をして神経症から回復してもらう方法があるのではないか。その人をみて、症状を的確に判断し、打開策を求められれば、的確なアドバイスができる方法。その場合に、ポイントとなる点は何か。私なりに考えてみた。まず問題となるのは、その人は愛着障害を引きずっていないかどうかという点である。愛着障害を抱えている人にとっては、その修復にまず最初に取り組むことが欠かせない。愛着障害を抱えているかどうかについては、岡田尊司氏の「愛着障害」という本の中に、愛着スタイル診断テストがある。この本をみて、これを判断することである。愛着障害には、不安型、回避型、恐れ・回避型、未解決型などのタイプがある。私は不安型タイプだった。愛着障害のない方は、すぐに森田理論学習に取り組んでもよいが、愛着障害のある方はその修復が先にこないといけない。生活の発見会の集談会では、傾聴、受容と共感が重要視されている。これは、森田理論学習をするにあたって、愛着障害がある人に対して、 「心の安全基地」づくりに役立っていると思う。そういう役割を担える人を作ることが先決である。森田理論学習の前提として安定的な愛着スタイルの獲得は欠かせない。その次に本格的に森田理論の学習をして、症状のとらわれから解放されていく道を習得していく。ここで重要なことは、言うまでもなく、精神交互作用の打破、思想の矛盾の打破、生の欲望の発揮などである。そういう視点から、先輩会員は神経症に陥っている人を的確に分析し、その人たちが救いを求めて来たとき、的確なアドバイスが出来るような能力を獲得しておくことが必要である。そういうことがないと、仲良しグループや傷をなめ合うだけの烏合の衆になってしまうかもしれない。最終的には、傾聴、共感と受容という段階から、的確な指導やアドバイスへとステップアップしていくことが欠かせない。これには口で指導するだけではなく、日常生活の中での行動実践も含む。相手が強く指導やアドバイスを求めているにもかかわらず、その対応ができないということであれば、森田理論学習という会合に参加することを中止してしまう人が多発すると思う。
2017.04.29
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Amazonから発売されている「森田療法ビデオ全集 第3巻 生活の発見会」というDVDを視聴した。これには副題として「セルフヘルプ・グループでの回復」とある。東京で行われている集談会に参加することで、 1人の女性が強迫性障害から癒されていく過程が描かれていた。生活の発見会の集談会には興味があっても、なかなかきっかけがつかめなくて参加することをためらっている方も多いと思う。そういう方に集談会で行われている体験交流の内容を理解してもらうには良い材料だと思う。このDVDには精神科医の比嘉千賀先生がセルフヘルプ・グループの役割とその効果について適切なコメントされていた。毎月全国で開催されている集談会には、神経症という同じ悩みを持った仲間たちが集まってきて、今現在の悩みやかって悩んでいた神経症について、各々の体験を語り合います。そこには医師はいません。このDVDでは、ある日神経症に悩む女性がとある集談会を訪れます。彼女は強迫性障害に伴って起きるうつ状態の悩みを吐露すると、多くの参加者も自分も同じ経験をしたことがあると、自らの体験を語り始めます。悩んでいるのは自分だけじゃないんだ。他の参加者も自分と同じようなことで苦しんでいる。彼女は仲間たちの共感と体験談を通して、改めて自己を見つめ直し、回復への道を歩みはじめます。セルフヘルプグループは何も生活の発見会の集談会だけに限らない。アルコール依存症、ギャンブル依存症、アダルト・チルドレンなどのグループもある。共通しているのは、同じ悩みや問題を抱えている人たちの集まりであるということである。基本的にはそれ以外の人は参加しない。セルフヘルプグループへ参加することの意味はどんなことが考えられるか。まず、今まで自分1人の殻に閉じこもり、解決の糸口さえ見つけることができなかった状態から、会に参加することで悩んでいるのは自分だけではない、と気づくことができる。平等感や安心感を得ることができる。そういう人が自分以外にもたくさんいて、お互いに自分の悩みや問題を心置きなく口にすることができる。自分の悩みや問題を外へ吐き出すということは大変大きな意味がある。今まで注意が内向きになっていたのが、外へ吐きだすことで楽になれる。また同じ悩みを持っている者同士、相手の悩みを受容し、共感しやすい。そういうことは一般社会では考えにくい。自分の悩みを親身になって聴いてくれる人がいるという事は「心の安全基地」を得たようなものである。神経症で悩んでいるような人たちは、愛着障害を抱えた人も多い。愛着障害は「心の安全基地」を得ることで癒されていく。その後ろ盾を得ることは生きる勇気を得ることである。セルフヘルプグループでは自分の悩みや問題を解決した人もやってくる。自分の悩みや問題を解決した人は、自分と同じような悩みや問題を持った人を見捨てることができないのである。なんとか同じ症状で悩んだものとして、手助けはできないかと思うものである。会に参加すると身近に悩みから回復した人たちと身近に接することができる。今現在、神経症で悩んでいる人は、その人たちのアドバイスや生活態度を見て将来に希望を見出すのである。また自分の症状の成り立ちや自分の性格特徴なども次第にわかってくる。からくりも分かってくる。そのうち今後どういう心構えで生活してゆけばよいのか指針を得ることができるようになる。そのうち少しずつ回復してくるとセルフヘルプ・グループで、いろんな会の運営の役割を担うようになる。この役割は症状から離れると同時に、人のために役立つ体験をすることになる。こんな経験は家庭や会社ではなかなか経験する機会が持てない。セルフヘルプ・グループでの活動は、失敗しても大目に見ていただけるし、成功すると、それが大きな自信に変わる。その自信は社会でもうまくやっていけるのではないかという確信となる。現在、生活の発見会では、 機関紙だけを購読して、集談会には全く参加しないという人もいる。交通の便が悪いとか、様々な家族の状況、自身の参加することへのためらいなどが考えられる。残念なことではある。そういう人でも生活の発見会ではオンライン学習会なとか開催されている。これはインターネットの環境があれば、 24時間いつでも掲示板で仲間と交流することができる。オンライン学習会を終了した人たちのつながりはその後も続いている。今後は掲示板やスカイプを使った交流ももっと盛んになるだろうと思われる。セルフヘルプ・グループに参加するということは、当然様々なデメリットもあるだろう。でもそれらを差し引いても、メリットのほうが多いと思う。神経症に陥った人は、ひとりで悩むのではなく、同じ悩みを持つ人と交流を持つということが大切であると思う。あなたに手を差し伸べてくれる人がきっといるはずである。
2017.03.27
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カウンセラーの杉原保史さんの話です。共感というのは、個人の境界線を越えて、あなたと私の間に響き合う心の現象、つまり、 「人と人とが関わり合い、互いに影響し合うプロセス」の事なのです。ですから共感は、ただ相手と同じ気持ちになる事を指すわけではありません。むしろ、互いの心の響き合いを感じながら関わっていくプロセスであり、それを促進していくための注意の向け方や表現のあり方などをさすものです。共感するという作業にとって、自分の意見は関係ないのです。あなたから見れば、 「この人の考えは未熟だ」 「この人の考えは明らかにおかしい」 「この人の考え方は、どう考えても破滅的だ」などといった事はあるでしょう。それでも、さしあたり、そのことは脇に置いておきます。相手がどのような思いを持ち、どのような気持ちでいて、どのような考えをしているのか、相手はできるだけ自由に、安心して、のびのびと話せるように、相手の思いをありのままに受け止めていくのです。あなたは、 「共感できないな」と思うかもしれません。それでもいいのです。その思いは心に浮かぶままに感じながら、放っておきましょう。その思いを我慢して押し込んでおくのではありません。ただ、心に浮かぶままに放っておくのです。そうして、相手が何を思い、何を感じ、何を考えているのかを、聞いていきます。そうしているうちに、いつか、 「ああ、この人はこういう風に思っていたのか」などと相手の立場に立って理解できるようになってくるかもしれません。実際共感できない自分の思いを放っておく心構えができれば、必ずそうなります。あなたは共感しようと努力する必要は少しもありません。ただ、いつの間にか共感している自分に気がつくだけです。人の心は、そうなるようにできているのです。さて、私たちは、 「自分の視点」を離れることがなかなかできません。そして、ついつい「それは正しいことだ」 「それは間違ったことだ」 「それはやめた方がいい」 「それはいいことだ」 「それはおかしい」 「それは素晴らしい」などなど、自分の視点から評価したり判断したりしてしまいがちです。そこから離れることはとても難しいのです。そのような評価や判断の活動を止めることが必要だと言っているわけではありません。人間の頭はどうしても勝手にそういう活動をしてしまう癖があるようで、それを止めることはとても難しいことです。それでも、そういう頭の活動を放っておくことなら、心がけ次第である程度は可能だと思います。自分の価値判断の評価や判断から離れ、それを放っておきましょう。価値判断を留保した態度で、そのままに、ありのままに受け止める態度が受容であり、そこで感じられることに注意を向けて感じ取ることが共感なのです。受容と共感を心より正しく理解すれば、たとえ本人が話したがらなくても、慎重な配慮を伴いながらも、少しおせっかいな姿勢で本人に接していくことも、当然ありうる選択肢なのです。次に、受容するだけでは不十分です。相手に対して変化を促すようなサポートが必要になります。相手は現状において何か問題があると感じ、変化が必要だと感じているからこそ、あなたに相談しているのです。例えば、学校へ行くのが恐ろしいと言っている青年がいるとします。その青年と関わっている人が、青年の恐ろしい感じを受容し、その感じに共感することができるなら、その青年はほっとするでしょう。しかし、関わり手が恐ろしさに共感して、一緒になって「恐ろしいね」と言っているだけでは、青年は決して救われません。さしあたりほっとするだけです。共感があって、その後に何も生じないのであれば、青年は落胆することでしょう。青年にとって、恐ろしさを共感してくれた上で、その恐ろしさをどう乗り越えていくのかを一緒に考えてくれる人が必要なのです。話し手が、 「友達がいなくて淋しい」と言うのであれば、聞き手は寂しさに共感するとともに、どうやって友達を作っていくのかを一緒に考え、そこに取り組むよう働きかけることが必要です。受験生の話し手が、 「焦って必死に勉強することは止められなくて辛い」というのであれば、聞き手は話し手の不安に共感するとともに、何が話し手を不安にさせているのか、不安の源を探るように話を聞いていくことが必要です。そしてその不安を効果的に乗り越える、あるいは緩和する道筋を話し手と一緒に探していくことが必要です。そして話し手は勉強以外の有意義な活動に楽しんで取り組めるよう、一緒に具体的に考えていくことが必要です。ここで私が言いたいのは、聞き手が可哀想な話し手に変わって、問題を解決してあげるべきだ、と言っているのではありません。ほとんどの心の苦痛は本人にしか解決できないものです。しかし本人にしか解決できないことだから、ひとりで取り組ませておけ、と言うのはあまりにも冷酷な姿勢だといえます。 1人ではできないこと、一緒に考えてくれる人が必要なのです。たいていは正解など無い道のりです。人生の問題ですから。一人一人、状況も、条件も違います。誰も正解を教えてあげることなどできません。結局は自分で答えを出すしかありません。ですが、それを踏まえた上で、一緒になって悩んでくれ、孤独な道のりを共に歩んでくれる人が必要なのです。最初から計画的に、共感すること自体を最終目標として掲げるような援助計画は、もったいないことです。せっかく共感する所まで到達したのなら、それを土台として、その頭脳をなんとか違ったようにできないか、一緒に具体的に考えていく援助が出てくるのが自然だと思います。「受容」 「共感」 そして「変化促進」 、この3つは、相互に手に手を取り合って螺旋状に深まっていくものです。通常、受容と共感があって、その先に変化の促進が可能になります。(プロカウンセラーの共感の技術 杉原保史 創元社より引用)私たちの森田理論学習では、受容と共感、傾聴の重要性について学習しました。集談会に参加した人の話を、価値批判なしに素直に聞く態度がまずもって大切になります。相手の立場に立って、最初はなかなか共感が持てない場合であっても、相手のことを分かろうとする態度が重要です。そういう姿勢で相手の話を受容していると、そのうち神経症で苦しんだ者同士で共感の気持ちも湧いてきます。そういう受容と共感の気持ちを踏まえた上で、打開策を一緒になって考えてみることが、相手の期待している所ではないでしょうか。神経症から回復した人は、相手の悩みに対して解決の手助けができるような何かをつかまれているものと思います。私の体験では、先輩の森田理論を生活面に応用された生き方にとても影響を受けました。その人に身近に接することで、目標がはっきりと見えてきたように思います。
2017.03.15
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私は以前大阪に単身赴任をしていた時、「関西リフレッシュ懇談会」に参加していた。とても魅力のあり、会合のある日をいつも楽しみにしていた。この懇談会は主に定年退職をした人たちが集まっておられた。懇談会とはいえ、私が参加していた頃は毎回15名以上の参加者があった。プログラムが今の集談会とは大きく違っていたような気がする。今の集談会は何処へ参加しても金太郎飴のように内容がよく似通っている。自己紹介から始まり、森田理論学習、少人数に分かれての体験交流である。定式化されているために、先が読めてしまい、マンネリ化に陥り、参加者が伸び悩んでいるように思う。関西リフレッシュ懇談会に参加していて思った事は、森田理論の学習の集まりであるという柱がきちんとしていれば、それ以外のプログラムの内容は臨機応変に自分たちの都合に合わせて変化させていってもいいのではないか、ということでした。むしろそうしないと魅力的な集談会にすることが難しい。この懇談会は、まず自己紹介から始まるが、症状のことはほとんど喋る人がいない。ここ1カ月間の生活の中で体験したことや経験したことを話される。例えば、最近の体調の事や、最近見た映画のこと、役に立った本、旅行のこと、イベントのこと、役に立つ公共施設のこと、自家菜園の話、最近困っていること、感銘を受けたこと、楽しかったことなどである。持ち時間も普通の集談会よりはずっと長い。 5分から10分ぐらいはあったように思う。最近はあまりに長い人にはチャイムで何分か前に知らせるようにしているようである。この自己紹介は自分たちに刺激を与え、生活にハリを持たせる効果があったように思う。こういう自己紹介は、聞いていてとても新鮮で楽しかった記憶がある。この懇談会には3本の大きな柱があった。 1つは森田理論の学習である。 2つ目は老後の生活をいかに充実させるか。 3つ目はレクリエーションであった。だから、森田理論の学習ばかり行う集まりではなかった。それは基本的には3分の1くらいの時間配分であった。老後の生活については、健康維持、経済的な自立、生きがいづくりなどがあった。その他、家族や近隣の人たちとの人間関係の持ち方についても話し合われていた。レクリエーションであるが、毎回希望者は飲食を伴った懇親会があった。その他レクリエーションの内容はとても多彩であった。実際の老人ホームの見学、落語の鑑賞会、弁当を持参してピクニックに行く。ピザ窯を持って自給生活を満喫している人を訪ねていたこともある。あるいは知り合いの様々な専門家を見つけてきて役に立つ話をしてもらう。私の時は資産運用の専門家に投資信託の話を聞いたことがある。その他、整形外科の医者や歯科医の人の話を聞いたこともある。いずれも直接生活に役立つものであった。今月号の生活の発見誌に、瞑想やストレッチ、ヨガのようなことをメインにする集談会を作ればいいのではないかという記事があった。私もこの考え方にある程度賛成している。ただ私は神経症に苦しみ、なんとか森田理論学習を続けることで乗り越えたいと思っていた。ある程度日常生活が軌道に乗ってくると、今度は森田理論によって神経質性格者としての生き方を模索するようになった。森田理論にはそれに応えるだけの内容があると思っていたのだ。集談会がそういう役割を持たなかったとしたら、公民館活動で色々とあるサークルとほとんど変わらなかったのではないかと思う。むしろそちらの方が趣向をこらしていて面白そうだ。でも実際問題、集談会は森田理論の学習という大きな柱があった。その柱をなくするということは、存在意義がなくなってしまうということではなかろうか。森田理論の学習を継続してきた結果、生き方の指針を持つことができ、実際に生活に大いに活用させていただいてきた。これこそが集談会の生命線であり、それが無くなったら私は参加したくない。ところが定例会で、最初から終わりまで森田理論にどっぷりと漬かっていると、息が詰まってくるのも事実である。それはいくら好きでも毎日刺身が出されると、しまいにはうんざりしてくる。また、霜降りの牛肉がうまいと言って、毎日出されてもそんなに食べられるものではない。だから関西リフレッシュ懇談会のように、森田理論学習はプログラムの中で3分の1程度に抑える。それ以外の時間は別のことをする。例えば、みんなで絵を書いてみる、面白小話や川柳を作ってみる、クラシック音楽を聴いてみる、みんなで歌を歌ってみる。一人一芸大会を開催する。ピクニックに出かけてみる。工場見学をしてみる。パソコンやスマートフォンの使い方を勉強してみる。生活森田・応用森田のコーナーを拡充する。そして、それぞれの人の持っている知識や特技を紹介してもらう。指圧やマッサージ、ストレッチなどの実技を行う。その他、役に立つ公共施設の情報を交換し合う。私がちょっと思いついただけでも色々と出てくる。これらを森田理論学習に続いて、集談会進行上の大きなプログラムの柱とする。あとはレクリエーションをもっと充実させる。たとえば、集談会の中でサイフォンでコーヒーを振る舞っているところがある。あるいは集談会が終わった後、喫茶店に行ったり居酒屋に行っているところもある。レクリエーションも集談会の大きな1つの柱と考えれば色々とそのアイディアは出てくるであろう。私は森田理論でプラス面マイナス面のどちらかに極端に偏った考え方をしてはならないと学んだ。ところが集談会は、症状から回復された人ばかりの集いであっても、いつまでも森田理論をこねまわしている。その理論が自分の生活の改善とは無関係になっていてもだ。これでは変化に対応して状況に合わせることは難しいのではないか。そうした集談会があちこちにできていることを教訓として学んで、一刻も早く金太郎飴のような集談会から、オリジナリティーのある魅力のある集談会へと脱皮することが必要なのではないでしょうか。
2017.02.22
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2017年1月号の生活の発見誌で北西憲二先生が興味深い話をされている。生活の発見誌にはよく傾聴の重要性が記事になっています。しかし北西先生は、傾聴はもちろん大事だが、傾聴だけではロジャーズの来談者中心療法と変わらないと言われているのです。その上で森田が意味を持ち得るのは、傾聴にプラスして「人間に対する理解」があるところです。「生の欲望」に対しもっと注目して、それをどうしたら引き出せるかということ、そして生活の実践を重視するということです。また、「治る、治らない」は症状であり、そこは医療従事者の領域です。自助グループである発見会は、「成長モデル」を担うべきだと言われています。成長していくことで悩みや問題は扱いやすくなっていく。成長を助けようとする人は、結果やアドバイスを「教える」のではなく、寄り添い「歩む」姿勢が必要。共に歩むことで、ベテランも学び、成長する。私も全く同じ思いです。あまり成長したいと考えることはありませんが、納得できる生き方をしたい、味わい深い人生を歩んで人生を全うしたいという気持ちはとても強いものがあります。森田理論はそのために学んで深めていくべきであると考えています。森田理論を神経症克服のためのツールとしてのみ取り扱うことは本末転倒であると思います。断っておきますが、森田理論が神経症克服の有力な力を持っていることを否定するものではありません。そういう意味では、現代の森田理論学習は目的や目標をとり間違えているのではないかと思えるのです。この際「治る、治らない」は医療従事者を信頼して任せてしまったらどうか。私たちは森田理論学習をどのように生活場面に活かしていくのか。生の欲望の発揮、不安と欲望の調和、「かくあるべし」や事実の取り扱い方等に重点的に注意や意識を向けていく必要があるのではないか。そして自分なりに確信を持って生きていけるようになることを目指すべきであると考えます。
2017.01.13
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