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ミンダナオ島で元日本兵と思われる二名が生きているというニュースに驚く。帰還を望んでいるなら早く帰してあげたいものです。お二人が生きているという知らせは去年に届いていたというが、もっと早く打つ手があったのではなかったのかと思う。戦後60年もたてば元日本兵の生活もさまざまで、インドネシア在住の元日本兵の場合はインドネシアで暮らすことを望んでいるそうだ。ミンダナオ島のお二人が今後どのような暮しを望んでいるかまでは知らないが、いちど日本の地を踏みたいと思っているのは確かだろう。日本政府としては英霊を祀ることや恩給を配ること以上に、日本兵の生存情報に即応することが大切な仕事であるだろうから、取材陣に遅れない程度に迅速な行動を望みます。ところで、50万が戦没したフィリピン戦は自給自戦であったというが、食料や弾がなくて、どう戦えば良かったのだろう?楽天のk_tombowさんの昨日の日記から転載しますが、まったくそのとおりだと思います。この情報は、約半年前に、厚労省に伝えられていたという。それを日本のお役所は、詳細の調査をせずに、放置していたわけだ。一旦【死亡】とした日本人は、【日本人にあらず】ということか? 日本国民に対する【国家の姿勢】が、非常によく見えて、興味深い。【残存日本兵】は、納税者ではないわけだし、納税しなければ、公務員の給料の足しにはならないわけだし、積極的に【情報確認】に行きたいとは、思わないのだろうなぁフィリピン戦でもそうですが・・・・無能な統帥部により無駄死にを強いられた将兵がいたことには、憤りを禁じ得ません。太平洋戦争での日本の軍人の死者の大半は「飢え死に」なんですね。いや正確には、せまい意味での「餓死」と、飢餓的状況のなかで死んでいった「病死」などを含めてですが。230万の戦没者のうち、「飢え死に」はなんと140万前後だと推計されています。「輜重輸卒が兵ならば電信柱に花が咲く」と揶揄されたように・・・・「餓死」をもたらした原因として一番のものは補給(兵站)に対するひどい軽視だったようです。補給が無い状態で、出血持久を強いる統帥部とは、なんと愚かだったと今にして思うのですが・・・・ここで言いたいのは、補給を重視して戦うべきだったとゆうのではなく、補給がない戦いを強いる統帥部に従うべきではなかったということです。しかし逆説にはなるけど、日本にとっては無能な統帥部を仰ぐことで戦争が早く終わり、幸福なことだったかもしれないですね。もし統帥部が卓越した戦略を持ち戦争が長期化したとすれば、そのほうがより不幸を招いたでしょう。
2005.05.28
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もうすぐアジサイの季節ですね・・・・我が家のガクアジサイのつぼみもふくらんできています。アジサイと言えば、アジサイの学名ハイドランジア・オタクサ(Hydrangea Otakusa)の命名者でもあるシーボルトをツーカーに思い起こすことになります。そしてシーボルトからオタクサと呼ばれた「お滝さん」ですが・・・・シーボルトが国外退去になったあとも、シーボルトはお滝さんに手紙を送りつづけたが、お滝さんは再婚してしまった。幻滅したシーボルトは手紙を送るのを止め、ほどなく彼の地で同邦人と結婚したそうです。源氏名をソノギという遊女だった尻軽なお滝さんが純情なシーボルトを翻弄するという通説?のほうが面白い話ではあるが、「長崎のおもしろい歴史」によれば、お滝さんは通説とは違ってかなり貞淑な人だったようです。シーボルトが国外退去を命じられて30年後、1859(安政6)年再来日する直前に出されたお滝さんの手紙を「長崎のおもしろい歴史」から紹介します。(当時、シーボルト64歳、お滝さん53歳、お稲さん33歳。)手紙では、お滝さんは、阿蘭陀船入港の合図の砲声を聞くたびに、シーボルトが来たのではないかと心をときめかせ、まれに阿蘭陀人を見かけると、シーボルトではないかと探していたことなどが書かれていて・・・・(岩田祐作さんのHP「長崎のおもしろい歴史」より)まるで蝶々さんの話のようですが、救いのない蝶々さんと違って、娘のお稲さんが立派に成人したことで救われる気がします。そして「長崎のおもしろい歴史」を見て思うのですが、お滝さんの名誉を回復させるような地道な歴史探求の姿勢が感じられるのは、シーボルトとお滝さんのせつない関係に魅かれるものがあるから・・・・なんでしょうか。ところで、プラントハンターのようなシーボルトの目で見たアジサイは、鄙には稀な日本の花として映ったようですが・・・どっこい!シーボルトに言われるまでもなくアジサイは好きな花です。アジサイについては左のページに詳しく書いています。シーボルトは何故そのように早く楠本瀧を出島へ呼び入れることができたのか。シーボルトは来日草々長崎奉行の特別の計らいで、出島を出て蘭医吉雄、楢林家へ出帳し、日本人の患者を診察し治療した。そのためオランダ商館に名医来るの評判が直ちに長崎の街中に広がった。楠本瀧はこの時シーボルトの診察を受け、シーボルトと恋におちたと推測される。二人は、程なくして、寄合町の引田家卯太郎宅へ赴き、何がしかの金子を支払い、瀧は遊女「そのぎ」の名義を借り、出島へ入ったのである。 通説が分からないと論点が鮮明になりません。そこで、古賀十二郎氏の著書から通説を紹介します。(通説)遊女其扇(そのぎ)は、寄合町引田屋卯太郎抱えの遊女で、姓を楠本といい、名をタキと云う。父は佐平、母はキヨと云う。お滝さんは、14,5歳の折り、遊女奉公したものであろう。文政6年7月初旬、ドクトル・フォン・シーボルトが来舶した。其後間もなく、お滝さんはシーボルトの狎妓(遊女を身請し、自分の妾とすること。)となった。それは、お滝さんの17歳の折りの事であった。・・・・・「長崎のおもしろい歴史」より大伴妬持さんの万葉集のアジサイがいいですね!
2005.05.27
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日本経済が一時アメリカで土地転がしまで手をつけていた夢のような時期があったにしろ、日本占領以降、歴史的に見ればアメリカの対日経済政策は連綿として植民地資本主義を続けているようです。製造業が衰退したアメリカで売れる物としてはあこぎな、ドル紙幣、兵器、遺伝子操作農産品とか限られているが・・・・・牛肉の検査問題で無理難題をふっかけるアメリカから、内政干渉のような年次改革要望書を突きつけられても、すなおに解釈できないのは当然かもしれない。<年次改革要望書の概要>●アメリカの戦略は農業、自動車、建築材料、流通、エネルギー、金融、投資、医薬・医療、情報通信などまた、規制緩和、行政改革、審議会行政、情報公開、独占禁止法、公正取引委員会、入札制度や業界慣行、そして民事訴訟制度など日本の産業、経済、行政、司法など全てに及んでおり、その戦術は極めて、巧緻、精緻である。しかも日本の消費者の要望という形にすり返られていることが多い。●談合の防止:談合の扇動を試みる政府職員に対するより厳しい制裁を含む官製談合に対する処置を強化する。談合を一番目に報告した会社への指名停止を免除し、内部告発者の身元を保護する行政措置減免制度を導入する価値を検討する。総務省による追加的処置と通して地方政府段階で談合に対応する。談合に従事したと確定した会社に対する行政制裁の透明性を改善する。談合を更に困難にするよう設計された新たな入札手続きの採用を検討する。この年次改革要望書を読むかぎり、露骨な内政干渉とまで深読みができず、妥当な改革案と思えたりするが・・・・それが甘い!のかもしれない。しかし、談合などの日本のおかしな慣行に目をつけるなど、馬鹿にできないところもあったりします。アメリカは年次改革要望書を突きつけて日本をグローバリズム(金融帝国主義)というアメリカの土俵に引き込もうとしているが、各省庁はどれだけ抵抗してくれているのだろうか?小泉さんの説明なき対米追従から類推するに、はなはだ心もとないのが実態ではないだろうか?(この分野に関しては大手メディアの調査報道が極端に少ないのではないか?)グローバリズムが日本の官僚社会主義に対する外圧として作用して改革が進むならいいが(あり得ない?)、アメリカはたんに植民地資本主義の強化を狙っているだけなのかも知れない。ところで、グローバリズム、WTO、IMFなどを諸悪の根源視する私の見方は世の動きより若干遅れているらしい。大西広さんの「グローバリゼーションから軍事的帝国主義へ 」という著書では、アメリカはとっくに軍事大国主義に戦略転換しているとのことなので、その一部を紹介します。ドル高政策はアメリカの製造業に打撃を与え、ただでさえアジアの急追に悩むアメリカの基礎的な工業基盤の弱体化を加速させたからである。この状況下で、戦略の変更はいずれ不可避であったのである。だから、よく言われるようにブッシュは「アホでマヌケ」であった訳ではない。あるいはまた、「ネオコン」という一部グループの策略として捉えるやり方も不充分である。金融帝国主義から軍事大国主義への戦略転換は、ブッシュ大統領という偶然によってもたらせたのではなく、世界史の必然によってもたらされたものである。おお 戦略転換は、世界史の必然とまで言うか!とにかく年次改革要望書の遵守またはキャッチアップによる日本の安易な戦略転換(軍事大国化、ギャンブル資本主義への深入り)には、充分に注意しておく必要があるのではないだろうか?関岡さんは『拒否できない日本』で「年次改革要望書」を「制度化された内政干渉」と言い、アメリカより日本政府の対応を問題視しています。省益第一、国益無視の各省庁のお役人にお奨めの1冊だとも思います。年次改革要望書』を介して、アメリカ政府がこれまで日本に対してしてきたことは、一貫してアメリカ自身の国益の追求、つまりアメリカの選挙民や圧力団体の利益の拡大、ということに尽きる。そのこと自体に怒りを投げつけてみてもはじまらない。自国の利益を極大化するためにあらゆる国家戦略を駆使するのは為政者の当然の責務である。彼らは定石を打っているに過ぎないのだ。問題は、他国の干渉に迎合してきた結果の利害得失を、自らの国益に照らして歴史的に検証するシステムが我々の側に欠如していることだ。本書を通じて、その必要性を少しでも感じて頂ければ有り難い。 ・「グローバリゼーションから軍事的帝国主義へ」の書評・胡散臭い年次改革要望書については以前の日記にも書いてあった。
2005.05.24
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14.2万人、2~4万人、800人の比率とは何でしょう?それはイラクに駐留している米軍、PMC(民間軍事会社)、自衛隊員の人数比です。PMCの割合が大きいのに驚くが・・・・コストパフォーマンスが良くて使い捨てできるPMCとはまさに格差が利益を生むグローバリズム(アメリカニズム)の申し子のようですね。冷戦終結後は戦争の形態が劇的に変化し、国家対国家の戦争はもはや見られず、国家内の民族紛争とかテロ制圧が主となり、PMCの需要が増しているようです。しかし歴史が証明しているように、軍事力でテロが制圧できると考えているなら大間違いかもしれない。イラク戦争は石油がらみの戦争であり開戦理由がかなり経済的であるが(ほんらい戦争とは経済そのものかもしれないが)・・・・憎悪から発したテロに対する戦争とは、いかに金をかけても勝利は困難であり、経済的に見ても戦略的に見ても、コストパフォーマンスは最悪ではないだろうか?ここで、グーグルしていて見つけたんですが・・・かんべえさんの溜池通信からイラク戦争の再評価を紹介します。かようにおぞましい対テロ戦争について、かんべえさんのような経済的な見方が実態をよく捕らえていると思った次第ですが、溜池通信のPDF資料から気になった個所を抜粋します。平和も金次第という考えには・・・・怖い気がします。●サウジアラビアの資金がパキスタンの核兵器開発と結びつくことが米国にとって最も怖れる事態なのであり、フセイン政権レジームチェンジは不要不急の課題ではなかったか。●事前には無かったと思われるイラクとテロリストの関係が、事後的に成立してしまった。●国連平和維持活動(PKO)という事業は別段、軍隊でなくて済むので「PKO活動はPMCにさせればいいのではないか」という意見がすでにでているという。***************************************************************************毎日新聞(5月11日)から【民間軍事会社(PMC)】の説明です。 軍事コンサルタントから物資補給、紛争地での警備までを国家や国際機構、企業、非政府組織(NGO)などから幅広く請け負う。冷戦終結で削減された軍人の再就職先として、さらに世界的な軍事費削減傾向に対応するため90年代以降、飛躍的に活動の場を広げた。90年代半ばのシエラレオネ内戦では、戦況を転換させるほどの働きをし、戦闘の最前線に欠かせない存在となった。 軍の元特殊部隊員の場合、日給は10万円を超える。しかし、一般軍人なら常時給料を払い、福利厚生の費用もかかるため、必要な時だけPMCを利用すれば、軍事費は半分程度に削減できるという。 米国では96年、議会が国防総省に民間サービスの利用を奨励。現在のイラク駐留米軍は14万2000人。PMC社員は2万~4万人いるとされ、この数字は、米軍以外の駐留多国籍軍計2万2000人に匹敵する。***************************************************************************酒井啓子さんが日本の論点でイラクで暴力が蔓延する理由としては外国軍の存在そのものが元凶と言っています。それから・・・●「非合法暴力」にうんざりしていたイラク人であっても、反米派が米軍の攻撃にさらされたとたんにその鎮圧方法の無慈悲さ、稚拙さ、地元の社会構造への理解のなさなどから、いっきょに対米批判を高める、ということである。米軍に限らず、地元社会の政治力学を理解せずつねに力での無差別的な鎮圧を行うしか方法を持たない「外国軍」は、多くの民間人の巻き添え被害を出す。そのことが、被害者の遺族に外国支配への報復の意思を呼び覚まし、彼らが「非合法暴力」に合流して、それを「抵抗運動」へと変える。・・・●「非合法暴力」を「抵抗運動」に転化させないためには、人々が「抵抗」しなければならない環境をなくすしか解決方法はない。あるいは、武力を使わなくても「抵抗」する場が、政治的に与えられることだ。それを与えることに失敗したという意味で、イラクでの「民主化の試み」は、すでに挫折しつつあるといえる。 とも言っています。私も“グローバリズム(金融資本主義)に基づく平和の理念”が、旨く言えないが社会経済的にどこかピンボケという気がしているのです。
2005.05.20
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12日のNHK番組「音楽・夢くらぶスペシャル」でコニシキ、夏川りみ、ウクレレ奏者のジェイク・シマブクロが共演していた。コニシキと夏川が「涙そうそう」を歌ったが夏川の歌唱力にはシビレました。同曲はハワイアンアーティストがカバーし、ハワイでも人気を得ているそうです。世界が沖縄の島唄サウンドを認めたのか?ということでグーグルしたが・・・・・琉球新報の世界のウチナーンチュによれば現在の移民は世界に約30万で、その内訳はアメリカ本土・ハワイ7万7、300人、ペルー4万1,600人、アルゼンチン3万3,600人、ボリビア9,700人・・・だそうです。とくにアルゼンチンでは日本人移民の70%が沖縄出身者やその関係者で占められているそうです。ということで少なくともハワイ、南米の沖縄県人会を通じて島唄の魅力が広がっているのは確かなようです。沖縄をグーグルしていて偶然にグラシェラ・スサーナを見つけた・・・懐かしいなー彼女のLPを数枚持っているがファンだったんです。LP紹介によれば・・・彼女は2002年に沖縄県だけで18ヶ所という長期滞在来日コンサートも行っている。健在であるそうだ。まだ現役で沖縄あたりで歌っていたのか、知らなかったなー!アルゼンチン音楽界の実力者がこんなドサ回りのように唄っていたとはもったいない話であるが・・・・・彼女が沖縄に引き付けられたのか?それとも沖縄県人会が移住先の国のアーティストを引き付けるのか?とにかく島唄の醸しだすインタナショナルな雰囲気がいいではないですか?12日の放映では島唄とハワイヤンの共演が魅惑的でしたが、島唄とアルゼンチンタンゴの共演というような文字通り「音楽・夢くらぶ」を私としては見てみたいですね。蛇足ですが、経済効率、統治効率を優先するかのように平成合併が進んでいるが・・・・・日本官僚の統治が及ばない遠隔地に島唄のような普遍的な美が無形文化財のようにかろうじて生き残るのではないか?と偏見眼鏡の私には思えるのです。(蛇足でした?)
2005.05.14
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大連でのオペレータースタッフ採用の募集要項が興味深いし、グローバリゼーションの大波が生々しく感じられます。大連では2千人ほどのコールセンターで中国人とともに500人ほどの日本人が働いているそうです。給料が月5万でも家賃が1万5千ほどだから快適に暮らせるようなので、日本でフリーターをやってるよりはいいのかもしれない。採用する日本企業としてはローコストな雇用形態ということにかわりは無いが、働く者としては中国で暮らす間は実質的な生活がアップするわけで、日本で暮らす未練を断って働くのも悪くないのではないかと思うのです。ただし中国で貯金して日本に帰って使うというのは愚かしいので、中国でその日暮らしを楽しむか、中国でスキルアップしてオペレーターを卒業して欲しいものです。アメリカ企業のコールセンターがインドにあるということを聞いて以前の日記に書いたことがあるが、5年?ほどの遅れで日本企業が(およそ格差のあるところ、すべては利益チャンスとなる)グローバリゼーションをキャッチアップしたことになるわけだ。このように格差第一のグローバリゼーションの大波は刃止めなく日本に波及し、アメリカの後追いを加速することになるのだろうか?拝金主義アメリカが牽引するグローバリゼーションというものは、いい悪いは別にして、とうとう日本の若者を中国という土俵に放り投げてくれたのかという思いがします。
2005.05.14
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以前の日記で「フリーターを食い物にする役人」と書いて、ちょっと言いすぎだったかなと気に掛かっていたが、やはりそうかなと思うのでひきつづきぼやいてみたい。お役人にとって重大事故、先輩役人の失政とは耳に痛い問題ではあるが、待ってました!とも言える飯の種でもあるようです。福知山線の事故の対応として、弱小私鉄が困るほどの安全対策強化が国交省から打ち出されるのは必至であるが、この規制強化は民間としては許容できるというか、仕方ないものかもしれない。しかし先輩役人の失政をカバーするパッチワーク的行政については問題だと思うのです。経済失速という失政から生じたフリーター問題をハローワークのようなパッチワーク的行政で対応しようとしてもカバーしきれるものではないようです。(失政をカバーしないのは、言語道断、問題外ではあるので)ハローワークを無くせとは言わないが、何らかの改革は必要と思うけどど素人にはどの様な改革が有効かよくわかりません。省益優先、国益無視の1940年体制では公金を無駄に浪費する失政が多々見られるが、まるで、失政を公金でカバーするというマッチポンプ的永久運動はお役人の思うツボではないかとさえ思うほどです「監督官庁の責任者 出て来い!」とつい憤ることもあるが、このような過大な責任追及は規制強化を要求することでもあり、民間人の首を絞めることにもなると思うのです。と言っても1940年体制で暮らすことに慣れきった者としては、官民ともども「お上頼み」の行動パターンがつい出てしまうのかもしれないですね。役人を放っておけば自動的に規制が増えるのは当然であり、議員または市民のサイドから規制撤廃、規制緩和の動きは不可欠と思うけど、現状では政治が行政に押されっぱなしのようです。役所の規制も必要だろうが、何事も過ぎたるは及ばざるであり・・・・無駄な規制、足りない規制とかが入り混じって、ますます住みにくい日本になっているように思う昨今です。
2005.05.13
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個人情報保護法が成立し、なにやらよく解らない人権擁護法案が取りざたされている昨今ですが・・・・楽天で好き勝手なことを書いている身としては、これらがネット規制につながるとしたら怖い気がします。ということで情報操作の先進国アメリカの事情を、西森マリー先生の警察国家と化したアメリカ2~メディア・コントロールから紹介します。●共和党はニクソン政権以来ずっと、様々なシンクタンクを使って「大衆を味方につけるための言葉遣い」の研究をしてきました。その成果が最も如実に表れたのは、1990年に当時共和党のオピニオン・リーダーだったニュート・ギングリッチ氏が制作した『コントロール(世論操作)のキー・メカニズム)』という題名のパンフレットです。このパンフレットには「共和党員が共和党のことを話すときに使うべきキーワード」と「共和党員が民主党のことを話すときに使うべきキーワード」という二つのリストが載っていて、前者には非常にポジティブ、後者には極端にネガティブな言葉が列挙されていました。●例えば、京都議定書に反対する理由は「科学でまだ証明されていない地球温暖化という仮説に振り回されるのはナンセンスで、天然資源を使って(化石燃料使用や樹木の伐採で)アメリカ人の生活水準を保とうとするのがcommon senseである」と主張するわけです。何度も繰り返してこう言うことによって、「化石燃料使用や森林伐採が常識であり、地球温暖化は非常識な仮説である」という概念を一般市民に植え付けることができるんですよね。いい悪いは別にして、日本占領後のGHQは日本国民に見事なまでの平和思想(精神的刀狩り)を植え付けてくれたけど、これも情報操作の成功例だと思います。確固たる戦略をもって心理学的効果「刷り込み」をも考慮して、システマティックに情報操作を試みるアングロサクソンの粘着性は、日本人の真似できるものではないとたかをくくっているが・・・我が政府筋は旨くキャッチアップする可能性がなきにしもあらずと警戒しておくことも必要かもしれない。
2005.05.07
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万葉集に登場する植物は本川裕さんの社会実情データ図録 によれば、登場回数の多い順に、ハギ、ウメ、マツ、モ(藻)なんだそうです。いかにも地味!サクラ、ツバキ、カエデなどはどうなっているのだ!とも思うけど、統計上の順位はこうなっているそうです。ここでは本川裕さんの説明にあるように、統計をどうよむか?という態度が探求の第一歩なのかもしれないですね。ところで何年かに一度、国勢調査があるが、前回の調査がいつだったか?記憶が定かでない。国勢調査から求められた統計データを政策決定に反映させることはお役人の大事な仕事だろう。最近の情報公開の動きにより、お役人の統計が(縦割りを排して横断的に)統計データ・ポータルサイトとしてネットで見られるようになった。一見とっつきにくい統計ではあるが、その統計をどう読むか?、どのような指針とするか?が立場で異なるのは当然だろう。社会実情データ図録 によれば・・・・最近のフリーターの人数は、厚生労働省では217万人(2003年)、内閣府では417万人(2001年)としており、約2倍の違いがある。また、いずれの定義によってもフリーターの人数は10年間で倍増している。・・・のだそうです。政府の統計にも2枚舌があるという事実を心して、統計を読む必要があるみたいですね。
2005.05.05
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グローバリゼーションは世界中の労働者をいや応無く中国との競争に追いやるようです。このような状況ではフリーターのようなローコストな雇用形態は避けられないものなのか?人の知恵とはグローバリゼーションという呪縛に対してかくも無力なのか?ヤングハローワークにフリーターがつめかけているが、アルバイトの口さえ見つからないようで・・・ハローワークはそこに勤める職員の為にあるのではないか?というブラックユーモアのような状況が続いている。1940年体制にどっぷり漬かり改革する気のないお役人にグローバリズムという経済現象を乗り切る才覚を期待するのが無理な注文かもしれないが。ローコストな雇用形態を野放しにしていることは、言ってみれば日本で急速に進む階級社会を黙認することである。特殊法人などに無駄に垂れ流される公的資金の一部をフリーターの教育とか求職活動に振り替えるのが政官財の役目であるべきだろうが、贅肉がつきまくった1940年体制では、日本システムに係わるほどの大きすぎるテーマに対しては機動的に対応するシステムが存在しないのかもしれない。1940年体制が生き残る為のひずみが回りまわって、フリーターへの無策につながっているとしたら、フリーターに公的資金を投入してでも無策のツケを払うべきではないだろうか?このような日本人のモラルハザードに対して現状の政官財はどのような解決策を模索しているのだろう。もしフリーターに公的資金を投入するとすれば、その予算はどこにつくのだろう?厚生労働省?経済産業省?多分そつのない官僚だから、今でもフリーター対応の施策はとられているかもしれないが、縦割り行政の常であるから・・・・省庁でダブって、中途半端にだろう。そして役にも立たない特殊法人まで作っているのではないだろうか?ハローワークはそうであるとは言わないが、もしかしたら(風吹けば桶屋式ではあるが)フリーターを食い物にする役人がいるのではないだろうか?以上はこれまでの官僚の動きから類推なんですが、裏をとっているわけではないのでこれから調べてみます。ここで日本労働党HPで「グローバリズムに代わるもの」として三井物産戦略研究所の寺島所長の「正義の経済学」を紹介しているので転載します。 寺島氏は、「正義の経済学」において欧州の「実験」を引き合いに出しながら、日本が「めざすべき経済社会」として、以下のように主張している。・「売り抜く資本主義」ではなく「育てる資本主義」-ものづくりを基軸に。・「もうけるだけの資本主義」でなく「節度ある資本主義」-社会層間の適切 な分配。 ・「格差資本主義」ではなく「中間層を育てる資本主義」-中間層は社会的安 定装置。 具体的には、規制緩和、「官から公への制御主体の移行」-非営利団体(NPO)の重視、セーフティネットの整備などである。 つまり寺島氏は、グローバリズムを批判し、「小泉改革の政策思想には『人間の顔をした資本主義』を求める視点がない」と日本への応用にも反対するとしながら、規制緩和には大賛成だという。そして日米経済関係においては、97年時点から「日米自由貿易協定」を主張しているほどである(「ワシントン戦略読本」)。 徹底的に規制緩和を断行すれば、多数の中小零細企業は倒産・廃業に追い込まれ、失業率はいっそう増大する。日米自由貿易協定ともなれば、いまでも危機的なわが国農業はトドメを刺されてしまう。これらは、いくらかのセーフティネットでカバーできるようなものではない。 そしてこれこそ肝心なことだが、規制緩和や市場開放は構造改革政策の重要な柱の一つであり、わが国を米国流グローバリズムに対応させるため、支配層が推進しているものである。日本を米国流にすることに反対しながら、その具体策である規制緩和や貿易の自由化には賛成する。この矛盾はどうしたものであろうか。 また、紙屋研究所さんのHPからフリーターに対する問題提起も紹介します。●大資本側には「グローバリゼーションのもとで競争してるんだから、しょうがねーじゃん」という反論がある。しかし、大企業は「おめこぼし」でも何でもなく、社会的な責任を果すことなしにそもそもプレーヤーたる資格がないのだ。それを果してはじめてグローバルな舞台で活動できるのだということは指摘されてしかるべきである。いくら競争の論理があっても、社会を維持発展させるための最小限コストは負担しなければならない。 また、そのことにかかわって、『希望格差社会』の書評のところでも述べたが、実際には日本の企業の税・社会保障負担は国際的にみて低すぎる。●問題は、その事実認識にたったうえで、それを「グローバリゼーションのもとでの競争があるから仕方ない」というのか、それとも、「雇用に対する企業の社会的責任を投げ捨てるべきではない」というのか、というスタンスの差になってでてくる。ところで紙屋研究所さんは「しんぶん赤旗」の文化面に月1回、 漫画について、コラムを書いているそうです。私は赤旗を読んでいないけど。フリーターとかグローバリズムでグーグルしたら、日本労働党や赤旗が出てきたわけだが問題意識のある政党と解釈すべきなんだろうか?再度グーグルで検索したら首都圏青年ユニオンというフリーターのユニオンが見つかった。フリーターの青年たちも頑張っているんだなー。厚生労働省のHPを覗くとパートタイム労働者の法制度は整備されているが、使い捨ての実態との落差が大きいように思います。ということは法制度がまっとうに機能していないわけであり、どこかに怠慢またはごまかしがあるようです。本川裕さんの社会実情データ図録 によれば・・・・最近のフリーターの人数は、厚生労働省では217万人(2003年)、内閣府では417万人(2001年)としており、約2倍の違いがある。また、いずれの定義によってもフリーターの人数は10年間で倍増している。・・・のだそうです。やはり厚生労働省のスタンスには疑問符がつくようです。玄田有史さんが次のように言っているように、ハローワークに若者支援を期待するのは酷なことかもしれない。・・・ではどうするか?社会維持のための若者支援という発想や表現を捨てることだ。若者という名の若者はいない。支援すべきは、潜在的には働きたいと思いながら働けないでいる個人そのものだ。若者全般へのお決まりの支援策は、結局、どんな若者にも届かない。私個人のための支援だ、私を待ってくれているのだと、ニート本人が感じなければ、勇気をふりしぼって支援の場に足を運ぶことはできない。
2005.05.03
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