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マイケルジャクソンが陪審員の表決により無罪になりましたね。やはり訴訟社会のアメリカでは、金持ちは裁判に強いのだろうか?古くは“12人の怒れる男達”最近では“ショーシャンクの空に”“グリーンマイル”とかアメリカ映画には監獄もの、処刑もの、法廷ものの映画が多いが、なぜだろう?陪審員の表決により罪を裁き、民間人立会いのもと処刑するアメリカには、日本とは違う伝統とメンタリティが有るようです。つまり西部劇の時代から広大な国土に点在する役人を民間ボランティアが協力して治安を維持してきたアメリカには、リンチとか縛り首の伝統があり、これが陪審員制度、公開処刑につながっているのかも知れません。“罪と罰”が身近なものとして存在するアメリカには、日本と違ってこの種の映画が多いのかも知れませんね。お上意識が強く何事も役人が取仕切る日本とは、この辺が決定的に違っているように思うけど、陪審員制度、公開処刑にはどうしても馴染めないものが有ります。国民の7割ほどが反対している裁判員制度が4年後に導入されるが・・・誰かその必要性を教えて欲しいが、私は必要性が理解できないのです。徴兵制度のない現在の日本にとって、国からの召集とも言える裁判員制度とは戦後初の赤紙とも言えるが・・・・良い悪いは別にして国からの召集ということに、過っての赤紙、白紙を連想してしまい、今の劣化した情け容赦の無い国から召集されてもすんなり応じられない気がするのです。そして、裁判員制度の何たるか?までは良く分かっていない私ですが、望んでもいない訳の分からない制度が国会審議もそこそこに、お上から出されるという現れ方に何となく胡散臭い思いがするのです。薬害エイズ裁判では阿部被告がボケるまでのスローモー裁判があり、最近その阿部元被告が亡くなったそうだが、裁判の遅さは犯罪的だったように思います。今の司法制度では、裁判の遅れを改善すべきとは思うが、裁判員制度の必要性など二の次ではないだろうか?裁判員制度を導入するより裁判官を増やすほうがよっぽど司法改革になるのではないだろうか?(よく分からないが)
2005.06.24
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ゆうたらナンやけど・・・と書き出すと、生粋の関西人でない私でも関西モードに切り替わるのだ。大阪ではチエちゃんワールドは健在だろうか?チエちゃんの放映が終わって久しいが・・・・自己責任がトレンディな嫌な渡世になったいま、チエちゃんを見て精神のバランスを辛うじてとっていた私としては、その再開を望むばかりです。新世界の串カツの飲み屋に行列ができるようになったそうだけど、なんだか変!テッちゃんワールドには行列のできる飲み屋など無かったぞ。経済合理性の追求はとうとうチエちゃんワールドにまで侵食して、ちょっとレトロでスローな世界は消失してしまったのかもしれない。生きてゆくには過去の感傷などに係わる暇はないのかもしれないが・・・・大阪には、六本木に代表されるような経済合理性に楯突く感性を期待したいものだが、経済合理性にとっては感性、感傷などというものは屁みたいなものだろうか?ファーストフード、スーパーチェーンの全国展開が行き渡り、今では全国的にファースト風土化してしまったが、げに経済合理性とは恐ろしいものである。グローバリズムに抗しきれないお役人が大店法を緩和したことも、ファースト風土化を加速してしまったそうだが・・・・あまりにも知恵が無さ過ぎるではないか?「テストの点が5点10点上がっても親子の仲が悪なったら何にもならんやんけ」 というようなチエちゃんの地についた知恵とか優しさとかいうものを、最近のお役人からは感じることが少ないですね。大阪新世界紀行
2005.06.17
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世界中のパソコンはWinXPで動いているといっても過言でないほどですが・・・マルチウィンドウというOSは日本人の誰かさん?が最初に開発したが、商売上手のビルゲイツにしてやられたのが実情らしいです。そのビルゲイツ率いるマイクロソフトのえげつなさは皆さんが日々実感しているのではないでしょうか。今日の朝日新聞でも報じていたが、マイクロソフトが中国でブログ検閲に協力していることがわかったそうです。まさにエゲツナー!・・・・ですね。中国での反日デモはネットがその輪を広げたとも伝えられたが、実際は中国政府の巨大ファイアーウォールがありネット規制は相当のものらしい。リナックスなどのオープンソースにマイクロソフトが脅威を感じるのは理解できるが、恥も外聞もなく中国政府に擦り寄るすがたは見苦しいですね。ネット規制というものは統制国家がセキュリティのために行うもので、北朝鮮と中国くらいしか行っていないはずだけど、それにしてもマイクロソフトは汚い商売に手をつけたものだと思います。もっとも、セキュリティを1企業のブラックボックスOSに委ねるのは危ないのではないかとも思うのですが。物言えば唇寒し!・・・日本政府がこんなネット規制をキャッチアップしないことを願うばかりです。
2005.06.15
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例の二本立て館で<イブラヒムおじさんとコーランの花たち> と<モターサイクルダイアリーズ>という豪華二本立てを観てきた。先ずはイブラヒムおじさんのほうを書きとめます。長年貯めこんだブタの貯金箱を叩き割って、中のコインを向かいの「アラブ人の店」に両替にいくモモ。紙幣に替えた35フランの使いみちが驚きます!「暑いね・・・いくら?」というセリフを繰返して練習した13才のモモは、意を決しておもてに出て、お目当てだった黒人の街娼と交渉(のつもり)したが、無視されるのがおかしい!街娼と交渉・・・・古来よりある最も人間くさい交渉ですね!次に交渉したのが怖い感じがしない好み(私の好み)のタイプで、モモの渡した35フランを数えると交渉が成立した。連れ込みホテルに入ったあとは・・・・想像にお任せします。モモの住むブルー通りはパリの下町ですが、それにしても街娼とモモの係わるシーンが多い映画です。いつコーランが出てくるのだ?父親の飛び込み事故死の知らせを受けたあと、モモの頭を抱えてなぐさめてくれるのも、(好みの)街娼でした。話はそれるが、パリの街娼の映画といえば・・・・・あなただけ今晩は(IRMA LA DOUCE)のシャーリー・マクレーン演じる優しいイルマが圧巻でした。実際にこんなに可愛くて優しい街娼がいるとも思えないが、人生の夢物語のようなイルマを生んだ映画って・・・・いいですね!シャーリー・マクレーンの魅力を抜きにしてこの映画は語れません。なぜこれでオスカーを取れなかったのか本当に不思議なほどの名演です。(おっと!話がかなり それてきたな。)アラブの労働者が多いパリでは外国人労働者はアラブ人とひとくくりされることが多いけど、向かいの雑貨店のイブラヒムおじさんはトルコ人です。ユダヤ人のモモとイブラヒムおじさんはパリでは共に孤独な異邦人で、いつしか心が通うことになり、イブラヒムおじさんはモモにコーランを貸し与えたりします。父親の死後に訪ねてきた母親に、素性を明かさずに別れてしまう孤独なモモは、イブラヒムおじさんに養子にしてくれと頼みます。つれあいを無くした孤独なイブラヒムはモモを連れて故郷トルコへの旅立ちを思い立ち・・・・免許も無いのに赤いカブリオレを買ってしまい、自動車教習に励むことになります。アルバニア、ギリシャ、インスタンブールを通過する旅の最後はトルコの田舎で・・・イブラヒムおじさんの悲しい事故があったりしますが。ラストシーンは・・・・10年ほど過ぎ、パリの「アラブ人の店」の経営者に納まったモモが淡々と商売にいそしんでいます。世界に災厄をふりまいているようなユダヤ教とイスラム教ですが、この映画にあるように異教徒に寛容であってもらいたいと思います。また、この映画が好評を得ていることに、まだ希望が持てる気がします。映画の感想についてはchappiさんのお話が素晴らしいので推奨します。
2005.06.12
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万葉集に登場する植物について、本川裕さんの社会実情データ図録を読むとき・・・いろんなことが頭の中をめぐります。この統計の出典は、中尾佐助「花と木の文化史」岩波書店(1986年)となっていて、万葉人の目についたのがハギ、ウメ、マツ、モ(藻)だったようです。「万葉集時代には自然破壊がすでに進行しており、まわりにハギがかなり普通であったことを示すことにもなろう。こんな自然破壊の中で日本の花の美学は最初に誕生したのである。」(前掲書)なんだそうです。万葉集時代には自然破壊が進行していたそうだが、どのような自然破壊だったのだろうか?開墾とか、里山での樹木伐採とかにより自然破壊があったのだろうか?人の存在自体が景観など無視した経済活動をもたらして、自然破壊の元凶になったのかもしれないですね。万葉集で詠まれた植物の中で栽培植物が少ないのは、食料以外の栽培植物が身近に無かったのがその理由かもしれない。寺社の中には庭園があっただろうけど、庶民の家には庭園などなくて、もちろん庶民の憩う公園もなかったに違いない。この統計でサクラの順位が8位になっているが、今ではどの地方でも植えられているソメイヨシノは当時は皆無で、里山にヤマザクラやオオシマザクラがチラホラと点在していたのだろうか?ところで、サクラの名所吉野山では室町時代?になって、宗教的かつ景観上の動機から桜の植林が行われたようですが、このような行為は世界的に見ても史上初の出来事ではなかったのではないか?・・・・・本川裕さんはサクラについて・・・・・古代日本の花と言えば私の世代では親から言い伝えられた本居宣長の「敷島の大和ごころを人問はば朝日に匂う山桜花」のイメージから原生のサクラという既成概念があるが、どうやら違うようだ。サクラの花見の習慣はサクラの改良の進んだ室町時代以降であり、また、江戸時代になってサクラが日本独自の花であるという誤解が知識人の間で広まったため(平凡社世界大百科事典「サクラ」)、こうした遡及的な理想化が働いたのではないかと考えられる。と言っています。このように、ひとつの統計から興味は広がってゆくが・・・・日記に書いてみると本川裕さんの格調高い説明と違って、能天気な夢想に近いですね?統計を読むと
2005.06.08
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駅前のヤマボウシ(山法師)の花が散り始めて見頃がすぎようとしています。(本当は花ではなく総苞というそうだ)街路樹としてはハナミズキ(アメリカヤマボウシ)のほうが多く見られるが、日本生まれのヤマボウシも街路樹や公園樹としてよく植えられています。ハナミズキは色も多彩で華やかだけど、ヤマボウシもなかなかのもので好きな樹です。白い総苞の中に緑色のポッチがかわいいですね。ヤマボウシと言われる由縁のこのポッチ(ほかにいい形容がないので)ですが、秋にはこのポッチが赤く熟れてきれいです。
2005.06.05
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日本を敗北まで引きずった統帥部の戦略は、その傲慢さが逆に滑稽に思えるほどに杜撰だったことが史実に表れています。ミンダナオ島で元日本兵と思われる二名が生存?という報道があったフィリピンでは、かって・・・・50万が戦没したフィリピン戦は自給自戦であったというが、食料や弾がなくて、どう戦えば良かったのだろう?現地の日本将兵は出血持久という意思を持ってジャングルに転進したのか?それとも圧倒的な米軍に押されて敗走しただけだったのか?詳しくは知りません。明治につくられた「軍人勅諭」には、昭和16年に出された「戦陣訓」にある「生きて虜囚の辱を受けず」というまで理不尽で人間無視の軍律はなかった。こういう軍律を生む官僚軍人には戦争終結に対するイメージが“負けるとは死ぬこと”でしかなくて、鬼畜米英と講和条件を詰めるという戦略思想が欠如していたのではないかと思うのです。もし統帥部が負け方を知らなかった(敗戦処理を構想できなかった)としたら、非国民というコトバは・・・無責任な統帥部にこそふさわしかったのかもしれません。今次大戦の末期に、捕虜になることを許さず兵站を軽視した統帥部は将兵にどう戦うことを望んだのでしょうか?原爆とソ連参戦というダブルパンチによりノックアウトされたような無条件降伏(ポツダム条約の受諾)でしたが・・・・「戦陣訓」に酔い、絶対防衛圏で食料と弾薬の無い将兵に出血持久を強いた統帥部とは、本土決戦を覚悟していたとしても、官僚のサガ(省益優先、国民無視)を一歩も踏み出し得ない愚かさと傲慢さに満ちていました。終戦を機にGHQはアメリカの国益に沿って日本の軍隊と思想教育を破棄してくれたが、短期的利益のために官僚システムは温存した。この官僚システムは奇跡的な戦後復興をもたらしたが、長期的に見ても現在日本のそこここで見られる劣化を促すことになり、アメリカとしては思わぬ怪我の功名となったのかもしれないのが皮肉です。「なぜ、アジアの人々は日本に不満を持つのでしょうか」NHKスタッフは元外務省事務次官の須之部教授に聞いた。「アジアの人たちの多くは、日本や日本人が戦前と少しも変わっていないのではないか、と思っている。そこから、いろいろな不満や警戒心が生まれてくるんですよ。しかも不幸なことに、戦前と少しも変わっていないことに日本人自身が気づいていない・・・」と教授は答えた。現在 日本の国民は戦前同様に日本官僚による辛苦を受けているが、日本が戦前と少しも変わっていないと感じるアジア人の感覚もそんなに間違っていないのかも知れませんね。そして 日本官僚にやられっぱなしの日本国民も、同じ日本人として映るのではないでしょうか?安全保障理事会の常任理事国(原爆保有クラブ)入りを悲願とする政府、外務省を見るアジアの目は厳しいようですが・・・日本国民としてもそれは“省益優先、国民無視”ではないのか?という冷めた目も必要だと思います。坂眞さんはブログで次のように日本の常任理事国入りを断固支持すると言っているが、このご意見も能無し政府、外務省を叱咤激励する意味でなら、よく解ります。日本は、PKO計画を決定する安全保障理事会に議席を有していない。その費用の5分の1もの巨額な資金負担を強いられながら、その使途に関与できない。これでは、国民(納税者)に対してAccountability(説明責任)を果たしていないことになる。やはり、カネも出すが口も出すのが国民に対しても、世界に対しても責任ある国家としての態度なのではないか。国連の常任理事国だけではない。国連とほぼ同時期に、やはり連合国(戦勝国)によって創設された国際通貨基金(IMF)や世界銀行(IBRD)についても同じである。両者とも、日本は米国に次ぐ第2の出資国でありながら、IMFの専務理事にも世界銀行の総裁にも一度も選ばれたことがない。前者は欧州、後者は米国という、白人国家間の暗黙の合意に拒まれているのである。もし日本が、両者において、主導権を握れる立場にあれば、1990年代後半のアジアの通貨危機に際して、もう少し違った対応が取れたのではないかと思う。ここで言いたいことは、国連に限らず、IMFにしろ世界銀行にしろ、カネだけ出してモノは言わない(主導権は取らない)という姿勢は、21世紀の日本にそぐわないということである。出したカネにふさわしいだけの発言をさせてもらう。そういう堂々とした態度が求められているのではないか?しかし 常任理事国入りで常任理事国でのアメリカ票が1票増えるだけなら、入っても入らなくても同じようなもんだとも思うけど。
2005.06.04
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ニクソン米大統領の辞任につながる一大政治スキャンダルとなった72年のウォーターゲート事件で、調査報道で事件を暴いたワシントンポスト紙記者たちの貴重な情報源「ディープスロート」が、当時の連邦捜査局(FBI)ナンバー2だったマーク・フェルト氏(91)だと明らかになった。(CNNより)そうです。最近の大手メディアは事件後の後追いの詳細報道には力を入れるが、このようなディープスロートに肉迫するような調査報道が少ないように思う。 日本で調査報道の大スクープといえば、田中金脈問題を暴いた立花隆さんの例がある程度ではないだろうか?立花隆さんにしてもそのときの立場はフリーの雑誌記者ではなかっただろうか?つまり、日本の大手メディアからは、かってこのような大スクープとなった調査報道は皆無だったのかもしれない。ワシントンポストは企業生命を賭けて大スクープをすっぱ抜いたようだが、NHKとか○日新聞など最近の高給メディアの報道には、このような報道姿勢が感じられないように思うのですが。もっとも、記者クラブのおこぼれ情報に頼っているようでは、すっぱ抜きの大スクープが取れないのは当然かもしれない。メディアに期待されることは、知る権利の行使であり、巨悪を暴くことではなかったのか?「ディープスロートは私だ」ところで バーレーン戦の小笠原・・・・・やってくれましたね!夜更かししたので眠たいよー。
2005.06.03
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