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図書館で内田樹著『疲れすぎて眠れぬ夜のために』という本を手にしたが・・・・12年前の内田先生は、どんなことを考えていたのか興味深いのです。それに、年金生活者とて疲れるわけで・・・この本を借りたわけでおます。【疲れすぎて眠れぬ夜のために】内田樹著、角川書店、2003年刊<「BOOK」データベース>より疲れるのは健全である徴。病気になるのは生きている証。サクセスモデルへの幻想を棄てて、「1ランク下の自分」を目指しませんか?ささやかなことで「幸せ」になれるのは一つの能力です。まずは身体の内側から発信される信号を聴き取ること。真の利己主義を目指すこと。礼儀作法と型で身を守ること。家族の愛情至上主義をやめることー。今最も信頼できる哲学者が、日本人の身体文化の原点に立ち帰って提案する、最強の幸福論。【目次】(「BOOK」データベースより)1 心耳を澄ます(ワンランク下の自分に/ほんとうの利己主義とは ほか)/2 働くことに疲れたら(サクセスモデルの幻想/女性嫌悪の国アメリカが生んだサクセスモデル ほか)/3 身体の感覚を蘇らせる(個性ということ/マップする視点 ほか)/4 「らしく」生きる(アイデンティティという物語/エコロジカル・ニッチ論 ほか)/5 家族を愛するとは(どんな制度にも賞味期限がある/私の拡大家族論 ほか)<読む前の大使寸評>年金生活者とて疲れるわけで・・・この本を借りたわけでおます。なお、データは2007年の文庫本だが、借りたのは2003年刊の単行本です。rakuten疲れすぎて眠れぬ夜のためにこの本は読みどころが多いので、更に(その2)としてして読み進めたのです。我らが団塊の世代はバブル期(日本経済のピーク)を体験したのだが…内田先生は、その時代を汚れた時代と述べています。<ビジネスが汚れた時代>よりp74~76 バブル期は、結果としてお金がたくさん手に入るのが成功とされた時代でした。何をやってもとにかく儲かればいい、という人間のさもしさが前面に出たすごく「卑しい」時代だったと思います。 ビジネスほんらいのルールが忘れ去られ、人々が争って不動産売買や株式運用や為替の売り買いに明け暮れていた、個人的印象を言わせてもらえばほんとうに嫌な時代でした。バブル経済の時代をいまだに懐かしがる人がいますが、どうしてあんな時代が懐かしいのか、ぼくにはぜんぜん理解できません。 80年代の中頃に高校のクラス会があって、そのとき30代なかばだった同級生たちが熱心に株と不動産の話で盛り上がっていたのをぼくは一人でしらじらと眺めていました。「ウチダはどうして株をやらないの?」と訊かれて、「お金は働いて稼ぐもんだろ」と答えて、満座の冷笑を浴びたことをまだ覚えています。 その考えは昔も今も変わりません。お金は額に汗して働いて稼ぐものです。額に汗して、汗した分だけ戻ってくるというのが労働の健全なあり方です。たいして努力もせずドカンと返ってくる、ちょっとやったら今度は失敗して大損する、そういう賭博性は人間の心を目に見えないかたちですが、ずいぶん損なうように思います。 ぼくがギャンブルをやらないのは、たぶんそのせいです。もちろん、「」と言っているのではありません。やりたい人はどんどんおやりになればいい、ぼくはやらない、というだけのことです。 宝くじを買ってうっかり3億円当てたりしたら、ぼくの価値観は根底から狂ってしまいます。自分の価値観が狂うことと3億円を引き替えにするのは、ぼくにとっては不利な取り引きです。ぼくは徹底的にビジネス・マインデッドな人間なのでそんな不利なバーゲンはしないのです。 それでも言わせてもらえば、「濡れ手で粟」という経験はバブル期を過ごした人々にとって、いまだに深い心の傷になっているとぼくは思います。本人は気がついてないでしょうけども、自分がたいしたものを提示していないのに、ものすごいリターンがあったという経験はその人の価値観に混乱を来たします。「」というのは、少しもよいことではありません。価値観が混乱すると、ほんとうに大事な決断のときに、選択を誤まらせるからです。 バブルの頃は女子学生にすごく「高値」がついた時代でした。「パパ」を持って、港区あたりのマンションに住んで、BMWに乗ったりしている学生などさえおりました。若干の性的サービスの代償に毎月数十万円もらっている、というようなことしていると、人間の根本が歪んできます。「お得だった」なんて言う人がいるかも知れませんが、ほんとうはすごく損な取り引きなのです。価値観が狂うというのは、一生癒えない傷ですから。 売春というのは厳密には「身体」を売るのではなく、「身体を売るような人間である」という社会的評価を受ける代償に金を受け取るということです。 みんな勘違いしているけれど、買春する男というのは、身体的快楽のために金を払うのではありません。「この女は金で身体を売るような人間だ」という人間を貶めることのできる立場を得るために金を払っているのです。 人間が無意味な金を払うのは、幻想に対してだけです。<世代論>よりp94~96(前略) ぼくたちの民主主義は、ある世代が共同的に作り出した脆弱な制度にすぎません。ちょうど映画のオープンセットの建物のように、表だけあって、裏には何もないのです。それを守るためには、それが「弱い制度」だということを十分に腹におさめておかなければなりません。 自分のいる世界(たとえば業界)が、たまたま出現し暫定的な制度にすぎず、それができるまでには、それなりの「前史」があり、何らかの歴史的必然性が要請したからこそ出現したものであり、歴史的条件が変われば変容し、ときには消え去るべきものだ、という当たり前のことを分かっていない人があのような醜態をさらすのです。 「戦後民主主義」の最良の点は、社会体制は成員の同意によって作られる暫定的な制度にすぎないという、ロックやホッブスやルソーが説いたような、リアルでクールな社会観に支えられていたということだとぼくは思います。 社会成員が、自分たちが同意した制度を守るために、自分の仕事の「割り前」を果たすという基本的な責務を忘れたら、社会制度はもう持ちません。民主主義は「民主主義を信じるふりをする」人たちのクールなリアリズムによって支えられているものです。「民主主義ではない制度」はいくらもありえます。成員が民主主義社会を「民主主義を信じるふりをする」という自分の責務を忘れたら、別の制度に簡単にぼくたちの社会はシフトするでしょう。民主主義というのは、そのことを知っている人たちの恐怖心に支えられた制度です。 ぼくたちの時代が失ったのは、この「恐怖心」なのだと思います。為政者の腐敗や、官僚の不誠実や、リーディング・カンパニーのモラルハザードのすべてに共通するのは、「この社会はオレが支えなくても、誰かが支えてくれる」という楽観です。 そんな「誰か」はどこにもいない、ということがぼくたちの世代には切実には分かったいないのです。 日本がダメになり始めたのは70年代からですが、これはぼくが先ほど言ったように、明治、大正生まれの「怖いものを見た」リアリストたちの世代が社会の第一線から退いたときと符合しています。この世代の退場とともに、日本からはほんとうの意味での「エリート」、つまり「リスク・テイカー」もまた消えたのだとぼくは思います。12年前の時点での内田先生のご意見でした。なんか、まだ柔らかな語り口に聞こえるのは、その後の世の中の変わり様が、先生のアラームにもかかわらず、より過酷になったせいでしょうね。内田樹著『疲れすぎて眠れぬ夜のために』1
2015.11.30
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今日の朝日新聞に「自動運転車、公道走行に現実味」として載っているが・・・ちょっと待てよ。車として開発の資源を傾ける方向は、もっと他にあるのではないか?大使としては、グーグル・カーなどの開発の方向性が気に食わないのである。省エネの安価な車などを目指すのが、経営の王道ではないのか、と思うのである。2015.11.29自動運転車、公道走行に現実味 事故・渋滞減に期待より ハンドルやアクセル、ブレーキの操作をしなくても道路をスイスイ走る「自動運転車」が現実味を帯びてきた。交通事故の大幅削減、渋滞の解消、自分で運転できない高齢者らの移動手段――。高まる期待の一方で、乗り越えるべき課題は少なくない。 10月上旬、首都高速道路でトヨタ自動車が試作車を走らせた。東京・お台場にある有明インターのゲートをくぐり、運転手がハンドルに付いているボタンを押すと「オートドライブ(自動運転)モードを開始します」と音声が流れた。ハンドルから手を離した状態のまま、車はカーブを走り、方向指示器を出しながら本線に入っていった。 有明インターから福住インターまで5キロ余り。車線変更をして前の車を追い越す場面もあった。今年、こうした自動運転の最新の試作車を各社が公道で走らせ始めた。 自動運転の最大の目標は交通事故を減らすことだ。2014年の交通事故死は4113人。原因は速度超過や脇見運転など運転手の不注意が目立つ。運転操作を機械に委ね、人間の不注意が入り込む余地を減らしていけば、交通事故も減っていくと国などは期待する。 自動運転の技術の一部は、安全に走るために運転手を支援するシステムとして、すでに市販車に導入されている。障害物を検知して車を減速させる「自動ブレーキ」や、車線のはみ出しを警告したり、戻したりする機能などだ。 運転手を支援する安全技術を積み重ねた先に、運転手が関わらない完全な自動運転を達成するというのが自動車会社の進め方。トヨタやホンダは20年に高速道路で、日産自動車は一般道で、ほぼ自動運転する車の販売を目指す。マツダは開発は進めるものの「運転の楽しみを重視する」として今のところ完全な自動運転は目指さない考えだ。■状況認識力、向上 ここにきて自動運転車への期待が急速に高まっているのは、周りの状況をとらえるセンサーや、運転操作を制御するコンピューターなどが格段に高性能になってきたからだ。 トヨタの試作車では、フロントガラス上部に付けたカメラが前方の様子や車線を確認し、ミリ波レーダーで前後の車間距離を監視する。さらに、ライダーと呼ばれるセンサーを前方と後方に三つずつ搭載。周囲の車の位置や形まで認識する。 路上を走る際、センサーがとらえた状況と、カーナビよりも詳細な専用の3次元地図とを比べ、違う部分を「障害物」と判断していくという。車線やカーブの曲がり方など通常の道路図に加え、その時々の交通規制や障害物などを盛り込んだ3次元地図は、自動運転に欠かせない基盤情報だ。 走りながら的確に判断していくには、高度で素早い情報処理がかぎを握る。そのため、自動運転車にはグーグルなどのIT企業も参入を目指している。 DeNAなどは20年に運転手のいない「ロボットタクシー」を走らせる目標を掲げる。市販の車を改造してつくる方針で、年明けにも神奈川県内で実験をする予定。広報担当者は「運転手なしで目的地に行くことができれば、その技術は自動で自宅に荷物を届ける宅配サービスなどにも応用できる」と話す。■技術以外も課題 渋滞時のイライラからの解放、移動しながら車内で仮眠や仕事も――。そんな自動運転の未来だが、課題はまだまだ山積みだ。 実際の路上ではほかの車や歩行者などがいて、不測の事態も起こりうる。日産の開発担当者は「たとえば、渋滞の交差点で右折するのは難しい。運転手が人間同士ならアイコンタクトで『どうぞお先に』ということがあるが、今の技術ではまだまだ」と説明する。 大雨や霧、豪雪など悪天候でもセンサーが誤作動しないのかという検証や、事故が起きた時の責任の所在などの検討も必要だ。ニセの通信などで不正アクセスされて車が乗っ取られるおそれもある。 倫理的な問題もある。たとえば子供の急な飛び出しを避けるために他の車と衝突してしまう場合、車をどう制御するのか判断が難しい状況も起こりうる。対向車線へのはみ出しが禁止された道路で障害物を避けるために車線をはみ出すケースや、合流地点で制限速度を超えて車の流れに入るケースなどもある。 自動車メーカーなどでつくるNPO「ITSジャパン」の天野肇専務理事は「自動運転車が市場に出る前に決めなければいけないことはまだまだ多い。加えて、運転を機械に任せることを、社会がどう受け入れるかがカギになると思う」と話した。(木村俊介)■「完全」にはまだ段階 運転手が関与しない「完全」な自動運転の達成までには段階がある。レベル1は加速やブレーキ制動、ハンドル操作の一部が自動で、安全運転の支援の状態。レベル2はその三つのうち複数の操作を任せる。レベル3は三つの操作が自動だが、緊急時などは運転手が操作する。完全な自動運転はレベル4だ。■長年の開発 自動運転の試験としては、1996年に開通前の上信越道をメーカー各社の11台の乗用車が走った例がある。トラックでも等間隔で前の車に付いて走る試験などが実施されている。米国では戦場の無人化のため、砂漠や基地跡の街路を走るコンテストが開かれた。■国はインフラ支援 国は自動運転の共通基盤となる詳細な地図づくりを進める。2017年までに制度やインフラなどの整備を進め、東京五輪が開かれる20年には東京でレベル3を、20年代後半以降に完全な自動運転の達成を目指している。とにかく、自動運転とは膨大な経営資源を必要とする技術である。無駄なことに力を注ぐ余裕はないはずである。アップルのウェアラブルコンピューターもそうだけど、そんなものが無くても困らないのである。自動運転車もしかり・・・無くても困らないのである『オートメーション・バカ』という本に、グーグル・カーの愚かしさが載っているので見てみましょう<第1章 乗客たち>p15~17 右手はドリンクホルダーになった。わたしは更新され、最新になったというだけでなく、解放された気分になっていた。 長続きはしなかった。やることが少なくなったという喜びは確かにあったが、薄れていったのだ。新たな感情が入りこんできた・・・「退屈」である。誰に対しても、自分に対してさえも認めたくはなかったけれど、シフトレバーとクラッチペダルが懐かしくなりはじめていた。それらが与えてくれた、コントロールと関与の感覚が恋しかった・・・できるだけ勢いよくエンジンをよみがえらせる能力、クラッチを離したりレバーをつかんだりする感触、低速ギアに切り替えるときのちょっとしたスリル。オートマ車はわたしを運転手ではなく、乗客の気分にさせた。腹が立ってきた。 そこから突っ走ること35年、2010年10月9日朝のこと。グーグル社社内開発者でドイツ生まれのロボット工学者、セバスチアン・スランは、驚くべき報告をブログにポストした。グーグル社が「自動運転する車」を開発したといいうのだ。グーグル本社の駐車場をとろとろ走る、不恰好なプロトタイプではない。 誓って道交法にかなった車(正確に言えばプリウス)であり、スランによれば、カリフォルニアとネヴァダの路上を、すでに10万マイル以上走行しているというのだ。すでにハリウッド・ブールヴァードもパシフィック・コースト・ハイウェイも走り、ゴールデンゲート・ブリッジを行き来し、タホー湖の周りもぐるっと回っていた。フリーウェイを走る車に交じり、交通量の多い交差点を渡り、ラッシュアワーの渋滞のなかをのろのろ前進していた。衝突を避けるため大きくハンドルを切ったこともあった。それらをみなこの車は、自分でやっていたのだ。人間の手助けなしに。おどけた謙虚さでスランは書く。「ロボット工学史上初めてではないかと思う」。 自動運転する車を作ったこと自体は大事件ではない。エンジニアもちょっとした技術職人も、少なくとも1980年代以来、ロボット自動車や遠隔操作自動車を作ってきた。だがそのほとんどは、垢抜けないおんぼろ品だった。その使用は閉鎖されたトラックでの試験走行や、歩行者も警察もいない、砂漠など人里離れた場所でのレースやラリーに限られていた。しかし、スランの報告が明らかにしたことに、グーグルカーは違っていた。 交通史とオートメーション史の両者においてこれが画期的だったのは、複雑に荒れ狂うカオスのような現実世界を進んでいくことができる点だった。レーザー距離測定機とレーダー・ソナー送信機、モーション・デテクター(動作検知器)、ビデオカメラ、GPS受信機を備えたこの車は、周囲の状況を精細に感知できる。向かっている先を見ることができる。 (文字数制限により省略、全文はここ)【オートメーション・バカ】ニコラス・G.カー著、青土社、2014年刊<「BOOK」データベース>より運転手がいなくても車が走り、パイロットが操縦しなくても飛行機が安全に飛び、さらには、自分の必要としているものも、道徳的な判断さえも、すべて機械が教えてくれる世界。それは一体どんな世界なのかー。ベストセラー『クラウド化する世界』『ネット・バカ』の著者が鮮やかに暴き出す、すべてが自動化する世界のおそるべき真実!【目次】第1章 乗客たち/第2章 門の脇のロボット/第3章 オートパイロットについて/第4章 脱生成効果/第5章 ホワイトカラー・コンピュータ/第6章 世界とスクリーン/第7章 人間のためのオートメーション/第8章 あなたの内なるドローン/第9章 湿地の草をなぎ倒す愛<読む前の大使寸評>いかにも探検家の角幡唯介さんが選びそうな本である。角幡唯介さんが次に目指すのは北極だそうだが、この探検にはGPS機能の機器を持参しないそうで(星座観測、六分儀を使用?)、オートメーションを拒否して動物的感覚を頼る計画だそうです・・・・すごい♪また、アップルやグーグルが自動運転車の製造を目論んでいるようだが・・・・何と心ときめかない製品ではないか(笑)<図書館予約:(5/15予約、9/19受取)>rakutenオートメーション・バカオートメーション・バカby角幡唯介オートメーション・バカbyドングリ
2015.11.29
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図書館で佐野真一責任編集『宮本常一 旅する民俗学者』という本を手にしたが、責任編集というムック制作があるのか♪まあ、宮本常一を世に知らしめたような佐野真一であるから、これはこれでいい企画だと思うのです。【宮本常一 旅する民俗学者】佐野真一責任編集、河出書房新社、2005年刊<「BOOK」データベース>より【目次】口絵・宮本常一写真集成 オン・ザ・ロードー写真という「記憶の島」/巻頭言 佐野真一ー知恵の宝庫の発掘作業/宮本常一の思い出エッセイ/特別対談 谷川健一・佐野真一 旅する民俗学者ー今なぜ宮本常一なのか/宮本常一単行本・著作集未収録コレクション/宮本常一の継承エッセイ/評論/レポート/資料<読む前の大使寸評>責任編集というムック制作があるのか♪まあ、宮本常一を世に知らしめたような佐野真一であるから、これはこれでいい企画だと思うのです。rakuten宮本常一 旅する民俗学者この本は読みどころが多いので、更に(その2)としてして読み進めたのです。「特別対談:佐野真一×谷川健一」の続きです。p68~70●圧倒的な足跡・調査・ディテール佐野:なるほど。晩年は故郷の島に閉じこもったというのは変な言い方だけど、たしかに郷土大学という地域社会の社会教育者としての一面も出ましたが、やはり宮本さんの舞台としてはちょっと小さい感じはしますね。谷川:フランスならば思想的な知識人が宮本さんのすぐれた才能を見抜くわけですよ、哲学とかああいう部門でね。ところが日本人はそういう宮本さんの思想的な面とか文芸作家としてのよさを引き出す力がないですね。 向こうでは地中海を一つにというプローデルの発想がありますが、こちらでは瀬戸内を一つにというのが宮本的世界ですよね。あれも宮本さんがいなくなったら誰も引き継げない。 たとえば北前舟が日本海から下関を通って入って来るでしょう。それをまず姫島で見ていて、北前舟が何を積んで来たかを調べるんです。そうやって見て得た情報を元にしてこんどは大坂あたりの船が北前舟に接触して舟が大坂に着く前に買い付けちゃうんですね。これは宮本さんが書いているのですが、宮本さんはどこでこういう話を仕入れたのかと思って驚嘆します。佐野:たしかにとにかくおびただしい数の人間に会っていますよ。僕はよく言うんだけれど、渋沢敬三の「宮本君の足跡を日本列島の白地図の上に赤で記していくと、日本列島は真っ赤になる」という有名なセリフがあって、それは非常にわかりやすい比喩だけれども、もう少し正確に言うと、宮本常一の足の裏というのは赤一色ではなくてグラデーションがあるんです。 だから文化的な偏差を刻み込みながら歩いているわけで、それがあの人の絶対的な強みになっているんでっすね。谷川:そうですね。私は民俗学には二つの流れがあると思うんです。一つは柳田・折口の系統で、もう一つは渋沢敬三の次に宮本、歴史家で言えば網野善彦ですが、渋沢-宮本-網野というのは民具とかそういう「もの」を評価してまた研究もしていますが、柳田・折口はあまり民具なんかは関係なくて、霊魂とか魂とか信仰とか、目に見えないものや言葉を扱っているわけです。網野さんは宮本さんを尊敬していましたよね。佐野:ものすごく尊敬していました。網野さんとは晩年、何度か会いましたが、「僕の歴史学の方法論は宮本さんと出会わなかったら、絶対に構築できなかった」と、いつも言っていましたね。谷川:宮本さんが網野さんとちょっと違うのは、宮本さんはどうしても西ですよ。西の国の均分制とか年齢階梯制とか平等な世界だけど、網野さんは東なんです。佐野:そう、やっぱり山梨の銀行屋のせがれだから違いますよね。 宮本常一は日本の村という村、島という島を歩いたと言われていますが、案外、東は歩いていません。自分の生まれ故郷の瀬戸内海や、中国・四国、九州地方を徹底的に歩いているのと対照的です。谷川:網野さんは東国的なんですね。山折哲雄さんが中央公論新社から『さまよえる日本宗教』という本を出していますが、その中で網野善彦はどうしても東国だと言っていますね。日本を東西二つに分けて、東の政権を評価しているけれど、宮本さんは西の持つ、農・漁・商のよさを評価していますね。そこが違いますが、大体同じ系統です。 私なんかはどちらかといえばやはり柳田・折口に近いかもしれませんね。あまり民具には関心がないですから。宮本さんは民具学会をつくったりしていますが。 それにしてもどうでしょうか、宮本常一というのはフルに人生を送った人なのか、それともどこかまだ充分に発揮できない能力があったのか、そこがわからないんです。●宮本学の可能性佐野:晩年、「海から見た日本」という標題だけが残っていますが、二千枚の原稿を書こうとしたという話は有名ですよね。 彼はものすごく好奇心が旺盛だから、ある意味ではもう何から何まで食いついて、結果的に乱雑に食い散らしているという部分もありますよね。それを統合する時間を与えてあげたかったという気持ちはあります。谷川:佐野さんなり私なりが、「宮本さん、そこはもう書かないでいいからこっちを書きなさい」とか、少しアドバイスできれば宮本さんもわかってくれたと思うけれど、あなたがおっしゃるようにベタベタッと無限に行っちゃうわけでね。佐野:それでそのまま歩き去って行っちゃった。谷川:それはありますね。佐野:そこがまた、えもいわれぬ宮本常一の魅力であり、宮本学の可能性でもあるんですけれどね。谷川:そうなんです。だからあまり構造だとか構成力だとかを問題にしない若い連中は宮本さんが好きなんですね。宮本さんに入りやすいし、またずっとついて行こうということにもなって。佐野:カメラマンとか冒険家とかオートバイ野郎とかね。そうか、入りやすいんだ。谷川:「あるく、みる、きく」で、宮本さんが行ったところまで行こうとするんですね。簡単にはできるはずはないのですが。佐野:いつでも入れるわけですね。壮麗なゴチック建築みたいなものだと恐れ多くてなかなか入り込めないけれど、それこそ宮本さんの採訪スタイルじゃないけど、垣根越しに「どうぞいらっしゃい」みたいな感じですからね。入り口もいろいろあるし。(中略)佐野:宮本さんの故郷の周防大島に、昨年、宮本さんが生前撮影した10万点にものぼる写真すべてを集めた周防大島文化交流センターができました。それを眺めていると、宮本常一がいかにディテールにこだわった人だったかが、はっきりとわかります。 そこには、高度経済成長前後の日本の風景が、くもりなく定着されている。まさに国家的財産です。その写真をわれわれはどう解釈するのか。宮本常一は今もそう問いかけているような気がします。宮本さんは、これからの日本を考える上で、汲めども尽きせぬ源泉をわれわれに残していったんじゃないでしょうか。宮本さんと渋沢敬三の関わりが宮本常一「忘れられた日本人」を訪ねてに載っています。『宮本常一 旅する民俗学者』1
2015.11.29
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図書館で『日本語えとせとら』という本を手にしたのです。日本語に関する言語学的エッセイか・・・・大使のツボでんがな♪第2部が和洋書籍の書評集になっているが、これも、良さそう。【日本語えとせとら】阿刀田高著、時事通信出版局 、2010年刊<「BOOK」データベース>より阿刀田高が綴る、日本語にまつわるエッセー。日本語への深い愛着が感じられる一冊。<読む前の大使寸評>日本語に関する言語学的エッセイか・・・・大使のツボでんがな♪第2部が和洋書籍の書評集になっているが、これも、良さそう。rakuten日本語えとせとら第2部の冒頭に、書評を書くうえの心得が述べられています。ウン 参考になるでぇ♪<読書の旅路>よりp170~173 当初、小説がとても書けないと考えたのは・・・・私は小説にはなにか世人を強く啓蒙するようなりっぱなモチーフが必要と考えていたからだろう。たとえば漱石の『こゝろ』のように。ローランの『ジャン・クリストフ』のように。―そんなもの、俺が持っているはずがない― だから、とても書けなかった。モチーフとは作品を通して語るべき思案のことだ。「この小説、なにが言いたいのだ」という問いかけにおける“なにが”のことだ。私はとてもレベルの高いものを考えていたのである。 勧められて、推理小説なら、と考えたのは、これは必ずしも壮大なモチーフを必要としないジャンルであり、謎解きがあれば読者に満足してもらえるだろう。 さらにダールにめぐりあって、 ―そうか、こんな軽い味わいで、読者に楽しんでもらうジャンルがあるんだ― 欧米の短篇小説には、よくある傾向ではないか。目から鱗の落ちる思いを味わったのは本当だった。 具体的に力となってくれたのは若いときからのたくさんの読書だったろう。モチーフは壮大でなくともいいが、なにかしら人間を、人生を感じさせてくれるものでありたい。と長い旅路のすえにこれを会得したこともわるくなかった。が同時に小説はおもしろくなくてはいけない、と、これも長い読書生活が教えてくれたことだ。 30代のなかばを過ぎるまで小説家を志したことのない者が、急に書けるようになったのは・・・よくわからないところもあるのだが、やっぱり読書の賜物、書く経験が乏しくとも、読んでいれば書ける、と、これが私の経験則である。 小説家を生業とするようになってからは、読書は、これはもう仕事の一部である。多読、精読、つんどく・・・いわゆる“積んでおく”だけの、読まないままの本だって、私は読書の一つだと考えている。 ―このごろ、こんな本が出てるのか。あの人がこんな本を書いたのか。いいタイトルだな― これだけでもなにかのたしになる。 話を戻して、読書をたくさんできるようになったのは、本懐と言えば本懐、しかし趣味であったものが仕事の一部となってしまうと、これはこれでつらい。いつの日か仕事から解放され、ただ楽しいだけの読書に帰りたいと願っている。 ときどき乞われて書評のたぐいを綴ることもある。これも楽しい仕事だが、読む前に「はい、書きます」と返事をしてしまい、読んでみると、 ―ひどいな。どこを褒めようか― この苦慮はつらい。 原則として書評では長所を語ることに努めている。そして批評より内容紹介、書評を読む人をして、 ―ああ、こういう本か― 書評だけで、あらましがわかるものとなるよう心がけている。 近いところで2008年の4月から2010年の3月まで朝日新聞の紙上で書評委員を務めた。以下にこの期間の私の書評をすべて連ねて近刊32冊の長所とあらましを知っていただこうと願う次第である。著者の書評をひとつ。<菊池寛急逝の夜:菊池夏樹>よりp221~222 海のように茫漠として大きい菊池寛について本書は直系の孫が綴った記録である。 肉親を一冊の書として記すのは思いのほかむつかしい。どういう距離感を取るか、感情と客観性のバランスが取りにくいのだろう。 著者は菊池寛の孫であり、膝に抱かれたことはあったが、直接の印象を持つ前に他界されてしまった。さいわい謦咳に接した親族が残っている。(平成20年の時点で)文豪の長女90歳、長男84歳、次女83歳、そのほかの関係者もみな高齢だ。 このあたりで身近な人だけが知っているエピソードを記しておこう、と筆を執りその目的は十分に達せられた、と評してよいだろう。 菊池寛は作家としての業績とはべつに文芸春秋(株)を創設して多くの文学者を支援したことなど文化事業の推進者としての多彩な功績があって、この二つについては多くの記述が残されているけれど、人柄についてはやはり親族の視点で記されたものが望ましい。第一級の見聞が綴られて読みごたえがある。 妻に浮気がばれ、誤まりながらも「60歳になったら、マジメになります」と宣言して59歳で没したとか、女性の能力や立場をきちんと認めながら妻妾同居のときがあったりする。そもそも逝去の事情そのものが、あきれた妻に家出をされ、それを呼び戻すため不調の身でありながら快気祝いを自宅でするからと体裁を整え、その最中に急死したのだった。 この妻もなかなかユニークな人柄で、それを通して文豪の日常の、見えない部分が見えてきたりする。もちろんもっと真摯なエピソードもたくさん盛り込まれ、簡単には捕らえられにくい文学者でもあったのだろう。 著者が一つの総括として「菊池寛と北野武、このふたりとも時代が求めた大プロデューサーなのである」としているのは、おもしろい視点だが、菊池寛のほうが志が深いのではないか。身内の遠慮かもしれない。菊池寛と北野武・・・志が月とスッポンでんがな。
2015.11.28
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「小説」でしょうか♪<市立図書館>・かたづの!・宮本常一 旅する民俗学者・日本語えとせとら・おしょうしな韓国<大学図書館>・サラバ!(上)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【かたづの!】中島京子著、集英社、2014年刊<「BOOK」データベース>より慶長五年(1600年)、角を一本しか持たない羚羊が、八戸南部氏20代当主である直政の妻・祢々と出会う。羚羊は彼女に惹かれ、両者は友情を育む。やがて羚羊は寿命で息を引き取ったものの意識は残り、祢々を手助けする一本の角ー南部の秘宝・片角となる。平穏な生活を襲った、城主である夫と幼い嫡男の不審死。その影には、叔父である南部藩主・利直の謀略が絡んでいたー。次々と降りかかる困難に、彼女はいかにして立ち向かうのか。波瀾万丈の女大名一代記!<大使寸評>大震災前に、仕事で釜石、八戸を回り、定年旅行で花巻、遠野を巡ったので、この小説の舞台の土地勘があったわけだが・・・河童伝説や鹿角伝説などをからめたお話なので、民俗学、歴史も含めて更にイメージが深まったのです。だけど、大震災後には釜石駅付近の景色は様変わりしているそうで、寂しいかぎりです。片角が意識を持った、いわば物の怪が第一人称の小説であるが…こんな小説のジャンルは何だろう?・・・おとぎ話が近いかもしれないが、ジャストフィットしないし、たぶんジャンル名なんかないと思うけど。伝説、物の怪、八百万の神など、なんでもあり日本の自由度が生んだ小説とでも言うんでしょうね(なーんちゃって)しかし、まあ・・・三戸や鹿角街道のような場所は、関西からなんと遠い鄙の地ではないか(かの地の人にはごめんなさい)<図書館予約:(8/24予約、11/19受取)>rakutenかたづの!【宮本常一 旅する民俗学者】佐野真一責任編集、河出書房新社、2005年刊<「BOOK」データベース>より【目次】口絵・宮本常一写真集成 オン・ザ・ロードー写真という「記憶の島」/巻頭言 佐野真一ー知恵の宝庫の発掘作業/宮本常一の思い出エッセイ/特別対談 谷川健一・佐野真一 旅する民俗学者ー今なぜ宮本常一なのか/宮本常一単行本・著作集未収録コレクション/宮本常一の継承エッセイ/評論/レポート/資料<読む前の大使寸評>責任編集というムック制作があるのか♪まあ、宮本常一を世に知らしめたような佐野真一であるから、いい企画だと思うのです。rakuten宮本常一 旅する民俗学者宮本常一 旅する民俗学者byドングリ【日本語えとせとら】阿刀田高著、時事通信出版局 、2010年刊<「BOOK」データベース>より阿刀田高が綴る、日本語にまつわるエッセー。日本語への深い愛着が感じられる一冊。<読む前の大使寸評>日本語に関する言語学的エッセイか・・・・大使のツボでんがな♪第2部が和洋書籍の書評集になっているが、これも、良さそう。rakuten日本語えとせとら日本語えとせとらbyドングリ【おしょうしな韓国】木口政樹著、かんよう出版、2013刊<「BOOK」データベース>より【目次】第1章 まさきのつぶやき/第2章 たべものは語る/第3章 ことばは語る/第4章 韓国人の人情あれこれ/第5章 韓国スケッチ/第6章 日本と韓国、文化の差あります/第7章 韓国に住む日本人だから<大使寸評>著者は韓国人と結婚し、韓国在住25年(刊行時)とのことだが・・・こういうほのぼの系の本がいけてるんではないかと思ったわけです。「おしょうしな」とは米沢方言で「ありがとうございます」という意味だそうです。本の内容は著者の人柄が出ているように朴訥な感じを受けたのでした。rakutenおしょうしな韓国【サラバ!(上)】西加奈子著、小学館、2014年刊<「BOOK」データベース>より1977年5月、圷歩は、イランで生まれた。父の海外赴任先だ。チャーミングな母、変わり者の姉も一緒だった。イラン革命のあと、しばらく大阪に住んだ彼は小学生になり、今度はエジプトへ向かう。後の人生に大きな影響を与える、ある出来事が待ち受けている事も知らずにー。<読む前の大使寸評>西加奈子といえば関西弁を駆使する帰国子女ということで、大使が注目する大型新人である♪それから・・・今、大躍進中の又吉直樹ともお友達だそうで、関西弁による関西文壇を打ち立てて欲しいものだ。rakutenサラバ!(上)サラバ!(上)byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き123
2015.11.27
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図書館で佐野真一責任編集『宮本常一 旅する民俗学者』という本を手にしたが、責任編集というムック制作があるのか♪まあ、宮本常一を世に知らしめたような佐野真一であるから、これはこれでいい企画だと思うのです。【宮本常一 旅する民俗学者】佐野真一責任編集、河出書房新社、2005年刊<「BOOK」データベース>より【目次】口絵・宮本常一写真集成 オン・ザ・ロードー写真という「記憶の島」/巻頭言 佐野真一ー知恵の宝庫の発掘作業/宮本常一の思い出エッセイ/特別対談 谷川健一・佐野真一 旅する民俗学者ー今なぜ宮本常一なのか/宮本常一単行本・著作集未収録コレクション/宮本常一の継承エッセイ/評論/レポート/資料<読む前の大使寸評>責任編集というムック制作があるのか♪まあ、宮本常一を世に知らしめたような佐野真一であるから、これはこれでいい企画だと思うのです。rakuten宮本常一 旅する民俗学者昨今では、お互い嫌い合っているような日韓関係であるが・・・日韓の経由地ともいえる対馬について、宮本さんの取組みを見てみましょう。<かなたの大陸を夢みた島>よりp35~38 私は昭和25、26年の2回にわたって行われた九学会連合(宗教・社会・地理・民族・民俗・人類・考古・言語・心理)の対馬総合調査に参加しました。 その時、対馬を歩いてみました。私が大変教えられたことがある。それは、対馬は朝鮮に近いのだから、住民の中には朝鮮人の血がうんとはいっておって、日本・朝鮮両方の混血状態がそこではみられるのではないか。朝鮮文化が非常にはいりこんできていて、独特な習俗がつくられているのではないか、と思っておったのです。ところが予想に反して、全然その逆だった。むしろ、私たちが想像していた以上に、そうだったのです。 たとえば、住民の血液型を調べてその結果を集めると、A型が非常に多い。朝鮮人にはB型あるいはAB型が多いのです。それで血液型からいえば、対馬の人たちは、いわば純粋の日本人だといってよいことになるのです。(中略) それからもう一つ、私たちが驚いたことがある。広幅銅剣、銅矛といわれるものがありますね。それが日本で一番たくさん出たのは、実は対馬なんです。ご承知でしょうけれども、銅剣、銅矛の類は中国から渡ってきたものです。そして中国から渡ってきた時には、みな細身のもの、武器としてきた。それが日本にくると、鋳直されて、武器ではなく祭器、祭る道具になってくる。したがって非常に薄いものになり、ベロベロのものになってしまう。 しかも、日本で武器が祭器に変化する際に、それは二つに分かれ、西日本のほうは今いった銅剣、銅矛、広島から東にかけては銅矛になるわけです。その広幅銅剣、銅矛が対馬の西海岸から無数に出てくる。対馬にはたくさんの入江がありますが、入江の両側の尾根をずっと下った人も何も住んでいないところに、それが十なり二十なりまとまって埋めてあるんです。ですから、始めのうちは、そんな場所にあると誰も考えなかったので、発見がとても遅れている。 まあ1ヶ所そういう場所が見つかると、同じような場所にも埋めてあるんじゃあないかということになって、次々に掘っていくと、たくさんの銅剣、銅矛が出てきたのです。 このことは、何を意味するのかということになります。銅剣、銅矛がつくられた時期は、日本においてまだ大和朝廷の基礎が充分に固まっていない頃であった、とみてよい。つまり弥生式の後期から古墳時代の初期にあたります。そうした時期に、銅剣などを埋めた人は、おそらく国の護りとして、祈願のためにそうしたとしか、今のところ考えようがない。 すると、中央集権が完全にできあがり、中央政府の強力な命令で祭事が行われたのではなく、そうでない時期に、すでに日本人は朝鮮半島というものを、一つの敵対する地域と認めて、その民族的な国境を考えておったと思わざるをえないのです。 さらに古墳時代をみてみますと、対馬には、朝鮮にみられる、たとえば上方が細くなっていく、そうした石の積み方をする古墳は全然なくて、すべてが北九州系統のものなんです。 そうなりますと、朝鮮からはいってきた文化は、対馬を経由したには違いないのですが、経由しながらそこには落ち着かないで、少なくとも九州まで行き、そこで一応定着した文化が、ふたたび対馬に帰ってきたということになる。 そういう文化の伝播といった複雑な様相が、対馬には厳然として存在している。だから、一種の民族意識というか、国民意識とかいうものは、国家が形成せられる以前に、実は生まれてきているものではなかったのだろうか。このことは、私たちにとって非常に大きな問題として、これから考えていくべきことだと思います。(中略)■麦と米は朝鮮系統のものをつくっている それでは、対馬が大陸の文化と完全に断ち切られておるのかというと、そうとばかりはいえない。別の面から見ていくと、つながっているんです。 対馬から帰って、植物学の中尾佐助さんに会った。あんたはなんでもよう気をつけるんだから、対馬の麦みただろうと聞かれた。ああ麦はみたよ。対馬は不思議なところだ。あそこの麦は裸麦ではなくて大麦のような気がするんだが、と答えたんです。 ところが、中尾さんにきいてみると、この麦が朝鮮系の麦なんですね。朝鮮から渡来した麦が、そのまま対馬ではつくられている。麦が大陸からきたものであることは間違いないんですが、それが九州で改良されて裸麦になる。九州の古い文献をみてみると、麦やすという記載がある。これが裸麦のことなんです。 近畿地方までは裸麦をつくっている。それから東へ行きますと大麦になる。まあ食べるとすれば大麦のほうがおいしいが、実を取るための工程でいろいろと手間がかかる。裸麦はとにかく板でも棒でもいいから、たたきつければすぐに実が出てくるから労働が楽なんです。そのためしだいに裸麦が多くつくられるようになった。それなのに、対馬は改良された大麦さえつくってない。朝鮮から渡ってきたままの大麦をつくっているのです。 麦がそうなら、米もそうであっていいはずだと。事実その通りで、南の端の豆配というところでは、今でも赤米をつくっている。そこにある多久頭魂神社というお宮さんに供える米がそうなんです。九州の南でも赤米はつくっていますが、対馬のものとは違い、長い形のインディカという系統の米です。対馬のは丸く、明らかに朝鮮から渡ってきた系統のもとみてよいんです。この本のメインイベントともいえる「特別対談:佐野真一×谷川健一」の一部を見てみましょう。<今なぜ宮本常一なのか>よりp56~59佐野:宮本常一さんという人に「ブーム」という言葉は似合いませんが、ここにきて時代の閉塞状況のせいでしょうか、宮本常一に対する伏流水のような、せせらぎのような注目がはじまっているような気がします。 さまざまな媒体で取り上げられたり、相変わらず岩波文庫の『忘れられた日本人』ももう76刷とかで大変なロングセラーです。もちろん柳田国男、折口信夫に比べてまだまだ知る人ぞ知る存在ではあるけれど、今なぜ宮本常一が注目されているのかということをもう一回、ここで振り返ってもいいかなと思い、宮本常一の「第一発見者」といっていい、谷川さんとの対談を企画した次第です。 谷川さんと宮本さんが最初に会われたのは、宮本さんの居候先、三田の渋沢敬三邸だったんでしょうか。谷川:いえ、三田ではありません。本郷の「能勢」という旅館です。佐野:そうでしたか。そのあたりからお願いします。谷川:1950年代のはじめぐらいだったと思いますが、私は豪徳寺に住んでおりまして、土方久功という、パラオとかサテワヌとかの南洋の離島で7年間も暮らしたという絵描きさんがいたんです。 その絵描きさんの奥さんが小児科医で、当時私が住んでいたアパートの近くだったものだから、私も風邪などで小児科医の奥さんの方にお世話になっているときにその旦那さんとも知り合いましてね。 何かの会合があったときに、柳田先生の秘書の鎌田久子さんがみえました。久功さん自身が、パラオとかサテワヌの民俗誌や神話、伝説の研究もされていたので、土方さんは柳田邸に出入りしていて、その関係で鎌田さんも土方さんとお知り合いになって、それで土方さんのお宅の会合に鎌田さんも出られたんです。 ちょうど私はそのころに平凡社におりましたが、会社が新しい企画を社員から募集していて、私は日本の伝統とか歴史を地域別に分けて考えてみたいという企画を持っていたわけです。というのは当時、児童百科事典の編集部にいたのですが、それをやっているとどうも民俗項目の部分がおもしろかったので、民俗学につながるような仕事をしたいと思い、鎌田さんに相談したんです。 すると蒲田さんの先輩で、柳田先生の番頭格だった大藤時彦さんを推薦されて、大藤時彦さんが「では宮本君を入れよう」ということで三人に編者になってもらい、会社の許可を得て『風土記日本』がスタートしたわけです。佐野:それは子供向けだたわけですか。宮本さんには、子供向けに書いた本もたくさんあります。谷川:最初は子供向けだったんです。平凡社は『綴方風土記』という現代ものを出していたことがあったので、それを歴史的にやったらどうかということでした。 しかし子供向けにしてやったら、中学生までは読めるけれど、どうも『風土記日本』の中身が子供向きには合わないものですから、大人が読めるものにしたいと思ったんです。(中略) それで、いろいろな出版社が共同出資して仕事や飲食の会合に使っていたのが、本郷にあるさきほどの能勢という京風のしゃれた旅館で、そこに宮本さんが来たのが最初の出会いでした。佐野:そのとき、宮本さんはどんな恰好でしたか?谷川:その恰好がなんとも珍妙なんです(笑)。洋服って言ったって、着物を黒く染め上げたような感じで、あれで洋服ができるんですかね。それからズックの靴ですよ。それで登山帽みたいなのをかぶって、にこにこしているんですよ。だから能勢の女中さんが、これは執筆者の先生なのかそうでないのかというので戸惑っているんです。チョロチョロと小走りに来て挨拶されまして、それからのお付き合いです。佐野:ズック靴に和服を仕立て直した洋服ですか(笑)。いかにも宮本常一らしい。宮本さんの旅のスタイルは、汚れたリュックの背負い革にコウモリ傘を吊り下げ、脚にはゲートルを巻いて、というものですが、いつも富山の薬売りと間違えられたそうです。 僕はよく冗談で、柳田国男は白足袋、宮本常一は地下足袋と言っているんですが(笑)。宮本さんの著作ということで、先日『絵巻物に見る日本庶民生活誌』 を読みました。
2015.11.27
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図書館で『サラバ!(上)』という本を手にしたが・・・・西加奈子といえば関西弁を駆使する帰国子女ということで、大使が注目する大型新人である♪それから・・・今、大躍進中の又吉直樹ともお友達だそうで・・・川上未映子も加えて関西文壇を打ち立てて欲しいものだ。なお、村上春樹も関西人なんやけど、この人は文壇嫌いやしね。【サラバ!(上)】西加奈子著、小学館、2014年刊<「BOOK」データベース>より 1977年5月、圷歩は、イランで生まれた。父の海外赴任先だ。チャーミングな母、変わり者の姉も一緒だった。イラン革命のあと、しばらく大阪に住んだ彼は小学生になり、今度はエジプトへ向かう。後の人生に大きな影響を与える、ある出来事が待ち受けている事も知らずにー。<読む前の大使寸評>西加奈子といえば関西弁を駆使する帰国子女ということで、大使が注目する大型新人である♪それから・・・今、大躍進中の又吉直樹ともお友達だそうで、関西弁による関西文壇を打ち立てて欲しいものだ。rakutenサラバ!(上)サラバという言葉が生まれた箇所を見てみましょう。p208~212 僕らにはきっと、僕らにしか分からない言葉があった。 アラビア語でもない、日本語でもない、ましてや英語でもない、僕とヤコブにしか分からない言葉があったのだ。 今でも覚えている、別れの言葉がある。 「サラバ。」 僕たちが別れるのは、いつも僕のフラットの前だった。僕たちは手を上げ、「サラバ!」と叫んだ。初めは、アラビア語の「さようなら」である「マッサラーマ」を使っていた。僕がふざけて「マッサラーバ!」と言い出したのが、始まりだった。 アラビア語の「マッサラーマ」と日本語の「サラバ」を組み合わせたそれを、僕はとても気に入っていたのだが、ヤコブは単純に「サラバ」を気に入った。 「とても綺麗な言葉だ」 僕がいくら「マッサラーバ」と言っても、ヤコブは頑なに「サラバ」と言い続けた。 実際、ヤコブの「サラバ」は美しかった。 まるで、「さようなら」という意味ではない言葉のように聞こえた。輝かしい可能性を孕んだ、キラキラした3文字に思えた。 いつしか僕もヤコブを真似て、「サラバ」と言うようになった。そして僕らの「サラバ」は果たして、「さようなら」だけではなく、様々な意味を孕む言葉になった。「明日も会おう」「元気でな」「約束だぞ」「グッドラック」「ゴッドブレスユー」、そして、「俺たちはひとつだ」。 「サラバ」は、僕たちを繋ぐ、魔術的な言葉だった。 僕はいつしか、ヤコブがいないときでも「サラバ」と言うようになった。ピンチのときや、何かいいことがあったとき、つまり思いついたときにはいつでもだ。その3文字を呟くと、僕はそばにヤコブがいてくれるのだと思えた。ヤコブのにおいを、ヤコブの気配を感じることが出来た。そしてそれは、僕を安らかにしてくれた。だから僕は家の中で一番、「サラバ」を口にした。(中略) 溢れそうな感情を言葉にする代わりに、僕は手をヤコブの肩に乗せた。僕はすべての思いを掌に委ねた。ヤコブに伝わりますようにと、願った。 ヤコブは僕の手を握った。僕のより大きなその手は、やはり温かく、湿っていた。ヤコブは、こう言った。 「サラバ。」 その言葉だけで、僕は救われた。 僕らは「サラバ」で繋がっている。僕らの間には、何の隔たりもない、僕らはひとつだ。そう、思うことが出来た。この記事も西加奈子の世界に収めておきます。
2015.11.26
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図書館で、『いつもそばに本が』という本を手にしたのです。ちょっと分厚くて古風な装丁となっているが、まっとうな本という感じである。この本は朝日新聞の読書欄「いつもそばに本が」(1993~2004年)を書籍化したものとのこと。執筆者それぞれに、モノクロでポートレートとスナップの写真がついているが・・・それぞれがええ写真やなぁ♪【いつもそばに本が】田辺聖子、北杜夫、吉本隆明、城山三郎、大島渚、ワイズ出版、2011年刊<「BOOK」データベース>より73人の表現者、知の原点。本に関するエッセイと各人のスナップ写真。 <読む前の大使寸評>この本は朝日新聞の読書欄「いつもそばに本が」(1993~2004年)を書籍化したものとのこと。73名の執筆者それぞれに、モノクロでポートレートとスナップの写真がついているが・・・それぞれがええ写真やなぁ♪ちょっと分厚くて古風な装丁となっているが、まっとうな本という感じである。Amazonいつもそばに本が「ナポリを見て死ね」という有名なコピーがあるが、とうてい達成できそうにない大使である。ということで・・・「長新太」から、酒と世界漫遊を見てみましょう。<長新太>p251~252 夏のナポリ湾は煙ったようにボンヤリしている。船に乗り、ソレントの町を眺めながらカプリ島へ行く。 しばらくあとには、スペインのバレンシアから船に乗り、マジョルカ島へ行く。 40年くらい前の日記にそのときのことが書いてある。 一人でヨーロッパを3ヶ月くらい旅をしながら、ブラブラとあちこちの島へ行った。詩人のプレヴェールの本にそんなのがあるよ。『のんぶらり島』(牧神社)。 30年くらい前に出版されたもので、ちょっと横長で表紙はエアメールのようになっている。「のんぶらり島」と「童話」の二篇になっていて、アンドレ・フランソワとエルザ・アンリケのイラストレーションが付いている。 アンリケの作品がみずみずしくて、うっとりする。 チクチクと痛い風刺とナンセンス。海図にあるような無いような、妙な島が点在していて、船乗りたちはそんな島を「とりつく島なし島」とか、「神出鬼没島」とか、「かくれんぼ島」などと呼んでいる。 「のんぶらり島」もそんな島で、そこには人間やラム酒をのんだりするラクダがいたりする。そういえばラム酒をのんだことがないけれどずいぶんとキツイ酒のようだね。 わたしは夏だったせいもあってビールばかりのんでいたけど、プレヴェールのこの本は、ビールよりもラム酒の感じである。 もう一つ島の本を。D・H・ロレンスの『海とサルデーニャー紀行・イタリアの島』(晶文社)。 イタリアにはシチリア島という地中海でいちばん大きい島があるが、次に大きいのがサルデーニャ島である。ちょっと上のほうにコルシカ島があってこれも大きい。 あまり大きいと日本にいるようなもので、潮の香りもとどかない。ロレンスのこの本は、シチリアの家からサルデーニャ島への旅行記で、十日間くらいの短い旅である。 ロレンス、35歳、妻と一緒に降りしきる雨の中を列車に乗り、シチリアの中心都市パレルモへ。そこから小船に乗り、西方にアフリカを見てサルディーニャ島へ。 途中で、ネコが葉っぱのようになっていっぱい毛皮にされているのを見てビックリしたりしての船旅である。 地図ではわからないが、サルディーニャ島までの間には、小さな島がいくつもあるようだ。そして連なる山の稜線も、苦いユーモアに富んだ旅の記憶である。人間と自然とのかかわりは、年と共に深くなっていくが、島を巡る旅は心に残る。多くの島々が過ぎ去ったことを想い出させる。 そういった紀行文は、己を治癒する力があるように思える。わたしは紀行文が好きである。ロレンスの小説よりも、紀行文のほうが好きという人が案外と多いらしい。 椎名誠とその仲間たちも島が好きである。でも、彼らのすることは楽しいがやや粗雑である。その点、長新太さんの場合は、「のんぶらり島」ですか…プレヴェールやロレンスなんかも引き合いして、なんかオシャレ♪椎名誠とは資質が違うと言うしかないのである(笑)中沢新一といえば、某週刊誌でアースダイバー・シリーズを連載中であるが、その民俗学的スタートを見てみましょう。<中沢新一>p431~432 大学では生物学の研究に開かれているコースを選んだ。純粋科学と人間についての学問のあいだで揺れ動いていた私は、そのあいだをつなぐ生命についての科学に居場所を見つけようとしたわけである。 しかしすぐに、そこは自分にふさわしい場所ではないと気づいた。そこでは、いままさに分子生物学の爆発的な発達がはじまろうとしていた。 その分子生物学の中に、私はとてもいやなものを嗅ぎ取ってしまった。それが生命のように繊細な現象を、知性の力に屈服させ、支配してしまおうとしているように感じられたのである。 自分の求めていたのは、繊細なものに知性を同調させることによって、知性からものごとを支配する力を除去してしまうことのできるような学問だった。 それなのに、あらゆる生命現象は、複雑といってもたかの知れた複雑さしかもたない、物質現象に還元して理解しつくすことができると、分子生物学者たちは豪語していた。そのマッチョぶりを見て、ここにいるとお前は手ひどく傷つけられるぞ、と私にささやく声がした。 パスカルは『パンセ』の中で、「繊細の精神」と「幾何学の精神」のちがいを、美しい文章で語っている。繊細な現象はいつも私たちの目の前にある。しかし、それを理解するのはとてもむずかしい。 知性から支配欲を除去することができた「繊細の精神」にしか、生命のような繊細な現象の「真実の友」となることはできない。「幾何学の精神」はわかりやすいという長所をもつ。しかしそのわかりやすさがくせ者で、繊細なものはわかりやすいものに「翻訳」されてしまうだけで、支配されてしまうのである。 私の中にアナーキズムの精神が、生命を単純なものに還元することで支配して、情報屋商品に変えてしまう学問的知性に対して、猛烈な反発をしていた。そういうときである。私の前にレヴィ=ストロースの仕事が、大きく浮上してきたのだった。 レヴィ=ストロースは名著『悲しき熱帯』の中で、自分のやっているような学問は、地球上で滅び去ろうとしている人々の「心」が生み出してきたものを、相手にしようとしているのであるから、はにめから必敗を運命づけられている、と書いている。 なぜそのような、「世界史の負け組」のことなどに関心をもち、彼らの精神が生み出したものに、別の価値などを見出そうとしているのか。そこに「繊細の精神」が生きているからである。 このような思想を知ったとき、私は自分の知性の向かうべき方向を完全に見出した。私は生命そのものを知るために、知的な権力に変貌しようとしていた生物学を捨てたのである。ウン アナーキズムの精神が中沢さんを駆りたてるのか♪中沢さんの文体は、当時から独特な長文だったようですね。その他、鶴見俊輔さん、高村薫さん、田辺聖子さん等々のお奨め本が気になるが・・・・きりがないので、割愛します。いつもそばに本が(その1)
2015.11.25
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くだんの2本立て館に繰り出したが・・・・今回の出し物は『海街diary』と『龍三と七人の子分たち』であり、館主の設けたテーマは「仲間と家族、大切なのは絆・・・」となっていました。毎度のことながら、2作品を選ぶ館主のセンスには感心しているのですが・・・・水と油のような今回の2作品を結び付けるテーマとしては、ちょっと無理があるのではないか?・・・でも、まあ、ええんちゃう♪【海街diary】是枝祐和監督、2015年制作、H27.11.22観賞<Movie Walker作品情報>より海の見える街で暮らす個性的な4姉妹と周囲の人々との交流を描いた吉田秋生の同名コミックを『そして父になる』の是枝裕和監督が映画化した人間ドラマ。綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずという日本映画界を代表する女優たちが4姉妹に扮する。3人の母親役の大竹しのぶをはじめ、堤真一、加瀬亮ら豪華キャストが集結。<大使寸評>豪華キャストでありながら、各キャストがでしゃばらないストーリーで、それぞれが存在感を発揮している♪まっとうな人間ドラマであり、文句をつける余地はないのだが・・・なんかトゲが取れた是枝監督なんて、監督らしくないという気もするわけです。Movie Walker海街diaryこの映画館にはいつも弁当持参で来ているので、幕間に昼食となるのだが・・・けっこう楽しみにしているのです。この日はサンドイッチ、バターピーナツ、ワインの小瓶というラインアップでおま♪【龍三と七人の子分たち】北野武監督、2015年制作、H27.11.22観賞<Movie Walker作品情報>より元ヤクザと詐欺集団との戦いをコミカルに描く、北野武監督による人間ドラマ。オレオレ詐欺にひっかかったヤクザの元組長と仲間たちが詐欺で人々をだまそうとする若者たちに喝を入れる姿を、高齢化社会やオレオレ詐欺といった社会問題を盛り込みながらつづる。元組長役の藤竜也ほか、近藤正臣など平均年齢72歳のベテラン陣が出演。<大使寸評>北野武の映画が海外で予想以上に高く評価されるのが腑に落ちないのである。でも、暴力的なコメディを撮らせたら、これは絶品なんですね♪この映画を観ながら、何度笑ったことか・・・映画の出来はともかく、ストレス解消になるのです。Movie Walker龍三と七人の子分たち毎回思うのだが・・・この映画館が入れ替えなし、座席指定なし、すなわち昔の映画館そのものなのが・・・ええでぇ♪パルシネマ上映スケジュール
2015.11.24
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図書館で、『貧乏という生き方』という本を手にしたのです。お金に左右されない豊かさとあるが・・・年金生活のヒントになるのではないかと思うのである。【貧乏という生き方】川上卓也著、WAVE出版、2010年刊<「BOOK」データベース>より「貧乏くささ」を忌避し、本物の「貧乏」を求める道がここに!お金に左右されない豊かさと楽しさを求めた、爽快無比なる「使える」エッセイ。【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 喰うことは生きること(土鍋で炊いたら驚いた/貧乏人こそ米を喰え/台所は食の発信源/小麦粉が生み出す豊かな食彩/晩酌考ー酔えば極楽/魅惑の納豆にせまる)/第2章 遊びながら暮らすために(100円ショップの大罪/コンビニの光/ああ、憧れの無冷蔵庫生活/低額煙草に乗り換えよ/洗濯機の稼働率を下げよ)/第3章 我、田園に漂着す(貧乏長屋は田舎の味/貧乏人、東京へ行く/稲刈り/発掘!貧乏図書)/第4章 一億総貧乏時代を迎えて(貧乏礼賛ー見いだされた力/さよならテレビジョン/本当に捨てるために)/増補 貧乏日記より(2002年秋~2009年)<読む前の大使寸評>お金に左右されない豊かさとあるが・・・年金生活のヒントになるのではないかと思うのである。rakuten貧乏という生き方この本は読みどころが多いので、更に(その2)としてして読み進めたのです。「一億総貧乏時代を迎えて」のあたりを見てみましょう。p216~218<没個性の正体> 個性が希薄であるとか、個性重視の教育が必要であるなどと叫ばれていますけれど、これこそ、世の中が一億総貧乏時代という貧乏くささの中に転がり落ちる時代を迎えた証でもあります。 なにしろ、貧乏くさい人々のいちばん大きな特徴と言えば、個性を消費で作ろうとすることなのです。流行の服を身にまとったり、ブランドに過剰な反応を示し、それを手に入れ、身につけて歩いている自分に満足してしまう人なんていうのは、まさにこれに当てはまってしまいます。 (中略)<中流というぬるま湯> 20世紀の消費文明を紐解けばわかるように、人々は、周りを気にして生きてきましたし、これからも、そうして生きていくことでしょう。 自分と他人という、分かり易い二元論でしか生きられない人々は、消費によって周りよりも頭ひとつ飛び出していると認識することで満足を得ていましたし、最悪でも、周りと同じであれば安心できてしまう。そんな中流意識の中での暮らしは、その安易さ故に、過ごしやすいのかもしれません。 それ故に、周りがゆっくりと、魂のまま転がり落ちていこうとしていても、やはり自分だけではないという安心感の中から抜け出すことはないでしょう。 居酒屋で隣り合わせた客が「不景気で金が無い」とぼやいたならば、自分だって安心して「金が無い」と不平を漏らすことが出来るのですし、小遣いを減らされてしまって昼食は60円のハンバーガーという日々であっても、周りが似たような生活であれば恥ずかしくもない。不味いと思っていたって、まあ、こんなものだろうと納得できてしまう。自分を測る物差しは世の中であり、不満はあっても危機感などは皆無。ああ、まさにぬるま湯なのです。 ぬるま湯の中で過ごす人々は、その温度が多少上がっても、下がっても、気がつきません。ちょっと熱くなってのぼせても、冷めてしまって風邪を引いても、湯船を出て風呂釜の様子を見に行こうとする人など稀有な存在なのです。著者は現代風のマーケティングに、とことん反感を持っているようです。(大使も若干、そのケがあるけど)p227~230<考えることを知らない時代> 思想が消え、カタログ文化によって消費へとシフトした人々、そしてバブル崩壊。この中で失われてしまった行為、それが、考えるということなのです。常に周りをキョロキョロと見回し、自分に足りない物を消費で補うという貧乏くさい生活に必要なのは、なにを買うかを選ぶことだけです。やがて人々は考えることを忘れ去り、一億総貧乏時代の幕は明けました。 考えると言えば、人間は考える葦だという話が有名です。これは、台風シーズンになると頻繁に耳にするヘクトパスカルでおなじみ、17世紀の哲学者兼数学者兼物理学者であるパスカルの言葉で、彼が死んだ後に発刊された『パンセ』に収められています。パンセというのは、フランス語で思想という意味。70年代を最後に日本から思想が消えてしまったことと、考えることが消えてしまったことを結ぶのは、考える葦、なのです。 考えるという行為には、まず情報が必用になります。情報と情報を組み合わせることで次の事象を予測したり、過去の出来事を解析する。ただし、ただ闇雲に組み合わせたってなにも導きだすことはできません。 どんな情報が必要か、どのような組み合わせで用いるのか、そもそも、なぜそれを導きだそうとしているのか。考えるためのベクトルこそが、思想なのです。 思想という考えるための片翼を失った日本が貧乏に転がり落ちていく。IT革命などという言葉も過去になりつつありますけれど、この言葉ひとつを取っても、情報のみ肥大した国のなれの果てを見ているようです。(中略)<世代の分断> 中流というひとつの大きな塊と化した、考えることを知らない一億総貧乏時代を転がり落ちる貧乏くさい人々ですけれど、決して一致団結をしているわけではありません。 一人ひとりの力は、様々に分断され、分散され、効力を発揮しません。塊でありながらなんら力を発揮することができないほどの分断。もっともわかりやすいのは、世代の分断でしょう。 カタログ文化、バブル経済という流れの中で、日本から考えるということや、受け継ぐということが失われてしまいました。上の世代から下の世代へ。親から子へ、やがて孫へ。世代を越えた交流というものが、薄れています。核家族化、少子化、近所づきあいの減少。都会には喫茶店ではなくコーヒーショップが乱立し、居酒屋はチェーン店になってしまいました。 そんな世代の分断を招いた原因は、今の40代にあるのです。思想のなくなった日本で青春を過ごし、古い物をダサイの一言で捨て去った、今や働き盛りの40代。 その下でなにも受け継がれることのなかった30代。それを管理する年齢に達した50代、60代。こうして出来上がったのは、大人が子供を食い物にするという恐ろしい時代なのです。 昔から、子供をターゲットにした商品はありました。駄菓子だってそうだし、キャラクターシール付き菓子、ゲームウォッチ、週刊漫画雑誌などもそうです。小遣いやお年玉を工面しておもちゃを買うのは、いつの時代も変わりません。ただ、最近はより露骨に、より高価に、子供から金をむしり取るようなものが多くなりました。フムフム、カタログ文化に対抗するには、パスカルのような思想が必用なんですか・・・けっこう難しいんですな。ところで、ここで書かれている50代といえば、2015年時点で65~75歳であり、まさに我らが団塊世代ではないか・・・・オイオイ、筒先がこちらに向いているぞ、「今の若い者は」なんて言っている場合ではないようです。著者川上卓也:全日本貧乏協議会を設立し、Web会報誌『耐乏Press Japan』を発行し、活動中。貧乏という生き方(その1)
2015.11.24
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この映画については、「はじめての藤田嗣治」として早々と予告していたので、先日、土日を外して見に行ったのです。パリでは、お調子者を演じて売名するクレバーな面と、美術館に通って模写を続ける地道さのある藤田が描かれています。一方で、日本に帰国後、戦争協力画に殉じた(協力するしかなかった)藤田である。【FOUJITA】小栗康平監督、2015年日仏制作、H27.11.16鑑賞<movie.walker作品情報>より戦前のフランスを中心に活躍した日本人画家・藤田嗣治の波乱の生涯を描いた、オダギリジョー主演の人間ドラマ。“乳白色の肌”の裸婦像でエコール・ド・パリの寵児となるも、日本に帰国し、戦争協力画を描く事になる藤田の絵に向き合う真摯な姿勢を映し出す。監督は『泥の河』『死の棘』など数々の名作を手がけてきた小栗康平。<観る前の大使寸評>小栗監督は、筋金入りの近代主義者の藤田を、キツネのエピソードを交えて古層を持った日本人として描いているようです。フランスで知った自由と孤独…フランスに帰化した後、藤田は日本人に会うことは稀だったが日々喫食するのは日本料理だったそうです。movie.walkerFOUJITA「水漬くかばね」のように水に沈んだ戦争協力画が、最後のシーンで出てきます。この独特な解釈で良かったのか?小栗監督は、近代主義者の藤田を知った上で日本的な藤田を描いているが・・・キリスト教に帰依しフランスで眠る藤田は、どう思っているのでしょうね。映画では、疎開先の田舎でも戦時中のニッポンの空気感がよく現れていたが、美術スタッフのセンスがいいのでしょうね。ついでに、この映画のネット情報をオマケだ。・オダギリジョー、反抗児から改心「心を入れ替えなきゃダメかな」・なぜ“ややこしい絵描き”を題材に?小栗康平監督が回答・藤田嗣治手しごとの家byドングリ
2015.11.23
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・みんな彗星を見ていた・ペルシア王は「天ぷら」がお好き?***************************************************************みんな彗星を見ていたより<「信じる」とは、殉教者の心に迫る:三浦しをん(作家)> 約四百年前、日本では南蛮文化が花開いた。しかし、江戸初期にかけてキリスト教の禁教令が徹底していき、外国人修道士や日本人信徒が弾圧され、拷問を受け、大勢殺された。本書は「東と西が出会った時、その現場に居合わせた人はどのような葛藤を感じたのか。異文化はどう受容され、拒絶されたのか」をめぐるノンフィクションだ。 とはいえ、四百年前の出来事にどう迫るのか、と思ったのだが、著者のアプローチはまことに真摯かつ愉快だ。ローマから帰国した天正遣欧使節(伊東マンショら)が、秀吉のまえで演奏したというリュートを、自分でも習ってみる。むろん、彼らの気持ちに近づくためだ。 こんなにキリシタンのことが気になるのは、先祖にキリシタンがいたからではないか、と(根拠なく)思いこみ、島原の乱で有名な原城跡をはじめ、長崎のあちこちを旅してまわる。文献を丹念に調べ、熱心に現地へ赴く著者の姿を通し、四百年前に生きた人々の喜びと悲しみが、だんだんとリアルに浮き彫りになっていく。 そして著者はついに、処刑された修道士たちの故郷(スペイン)を訪れる。本書の終盤では、そこで出会った人々との交流が描かれ、遠い昔に日本で殉教した修道士の人柄が解き明かされる。時空と距離を超えて、四百年前の人々と現代に生きる人々の心が結びつく瞬間が、著者の情熱によって到来するのだ。私は強く胸打たれ、もうもう涙で文字が曇って、しゃくりあげながらページをめくるありさまだった。 現在も世界中で、宗教に起因する争いがつづいている。かつての日本にも、信仰ゆえに殺されていった人々がたくさんいた。町はもうすぐ、クリスマスムードに覆われるだろう。キリシタンを弾圧したことなどなかったみたいに。 「信じる」とはなんなのか、もう一度深く考えるために、ぜひ本書をおすすめしたい。 ◇星野博美著、文芸春秋、2015年刊<商品説明>より東と西が出会ったとき、一体何が起きたのか多くの謎が潜む、キリシタンの世紀。長崎からスペインまで、時代を生き抜いた宣教師や信徒の足跡を辿り、新たな視点で伝える。 <読む前の大使寸評>三浦しをんが泣きながら読んだとのこと・・・どんな本なのか?♪<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakutenみんな彗星を見ていたペルシア王は「天ぷら」がお好き?より<頭と胃袋を抱擁する好奇心:吉岡桂子(本社編集委員)> 著者は、米国のスタンフォード大学で言語学とコンピューターサイエンスを教えている。料理パーティーで知りあった中国系の妻と新婚旅行に出かけたベトナムの島で、漂う魚醤の発酵臭を「ロマンチック」と言う人である。 東と西、言葉と数値、そして、頭と胃袋を抱擁する好奇心が、この本を満たす。 発酵技術を東南アジアから取り入れてうまれた説が有力とされるすし。現代の米国で、セックス・オン・ザ・ビーチ・ロールなどと、セクシーな命名が目につくのはなぜか。何百万ものレストランのレビューから分析する。 また、ペルシャの牛肉の煮込み「シクバージ」が、日本で天ぷら、英国ではフィッシュ・アンド・チップスに。中国の魚醤が米国で大量生産されるトマトケチャップへと転生する歴史を説き起こす。 文化や民族、宗教の「混沌としてときに痛みを伴う境界」で生まれた食の言葉から、グローバリゼーションと伝統の長く続く共存を味わった。 ◇ダン・ジュラフスキー著、早川書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より 日本料理を代表する「天ぷら」は、ポルトガル語の「tempero」が語源だといわれているが、歴史をたどると意外な国に起源が…。 そのほか、ケチャップの起源となった思いがけない調味料、シチメンチョウが「ターキー」と呼ばれる理由、高級レストランとチェーン店をメニューで見分けるコツなど、スタンフォード大学で言語学を教える著者が、食と言語にまつわる驚くべき史実をつまびらかに語る。 古今東西の料理本、ウェブ上の100万件のレストラン・レビューなど、ありとあらゆる情報をリサーチして著した傑作ノンフィクション。世界に伝播していった古典的なレシピも満載。<読む前の大使寸評>食と言語にまつわる薀蓄ってか・・・・大使のツボがうずくのである。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakutenペルシア王は「天ぷら」がお好き?**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から78
2015.11.23
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図書館で内田樹著『疲れすぎて眠れぬ夜のために』という本を手にしたが・・・・12年前の内田先生は、どんなことを考えていたのか興味深いのです。それに、年金生活者とて疲れるわけで・・・この本を借りたわけでおます。【疲れすぎて眠れぬ夜のために】内田樹著、 角川書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より疲れるのは健全である徴。病気になるのは生きている証。サクセスモデルへの幻想を棄てて、「1ランク下の自分」を目指しませんか?ささやかなことで「幸せ」になれるのは一つの能力です。まずは身体の内側から発信される信号を聴き取ること。真の利己主義を目指すこと。礼儀作法と型で身を守ること。家族の愛情至上主義をやめることー。今最も信頼できる哲学者が、日本人の身体文化の原点に立ち帰って提案する、最強の幸福論。【目次】(「BOOK」データベースより)1 心耳を澄ます(ワンランク下の自分に/ほんとうの利己主義とは ほか)/2 働くことに疲れたら(サクセスモデルの幻想/女性嫌悪の国アメリカが生んだサクセスモデル ほか)/3 身体の感覚を蘇らせる(個性ということ/マップする視点 ほか)/4 「らしく」生きる(アイデンティティという物語/エコロジカル・ニッチ論 ほか)/5 家族を愛するとは(どんな制度にも賞味期限がある/私の拡大家族論 ほか)<読む前の大使寸評>年金生活者とて疲れるわけで・・・この本を借りたわけでおます。なお、データは2007年の文庫本だが、借りたのは2003年刊の単行本です。rakuten疲れすぎて眠れぬ夜のために冒頭の論調を見てみましょう。<ワンランク下の自分に>よりp8~11 よく引越しをします。 今まで19回しました。リセットするのが好きなのです。トランク一つに全財産を詰め込んで、ふらっと街を出て、次の街に行く、というような暮らし方が理想です。 引越しをよくするのは、いつでもすぐ次の場所に行ける状態に自分を置いておきたいからです。だって、引越しをするたびにものが減りますからね。 引越すときに荷造りがたいへんだから、あまりものを持たない。家具は最低限のものしかないし、洋服はニシーズン袖を通さないものは棄てる。本も読み返す予定のないものは棄てる。本と服とパソコンとCDとDVDだけしかないから、家の中はがらんとしています。 所有しないのが好きなんです。 こういうことを言うと、悟り澄ました人間みたいですが、でも、物欲を満たそうと思っていると、もう切りがないでしょう。ひたすら不充足感が募ってゆくばかりで、これ、つらいです。 欲望の充足ラインを低めに設定しておけば、すぐに「ああ、なんという幸せ」という気分になれるでしょう。「小さくても確実な幸福」(@村上春樹)を一つ一つ積み重ねてゆくこと、それが結局「幸せ」になるための最良の道だと思います。 氷雨の降っている冬の朝なんかに、温かいふとんにくるまって朝寝をしていて「あ、今日は学校ないから、ずっと寝ていていいんだ」と思うと、もうそれだけで王侯貴族のような幸せを感じることができます。安上がりですよね。 簡単に「幸せ」になれる人間というのは、なんだか薄っぺらで、バカにされそうですけれど、ぼくは「すぐに幸せになれる」というのは一種の能力だと思います。生存戦略上、この能力は明らかに有利です。 これまでは、その逆の「いくら欲しいものを手に入れても、欲望が満たされずにつねに飢えている人間」がぼくたちの生きるモデルでした。「向上心を持つ」というのは、ある意味では「満たされない欲望に灼かれる」ということですから。「こんな生温い生き方にどっぷり浸かっていてはオレはダメになる。こうしちゃいられない」と苛立って、「もう一ランク上の自分」を志向する人間、そういう刻苦勉励型の人間を家庭も学校もメディアも「望ましい人間」として推奨していました。明治維新以来ずっとそうでした。 確かに、そういう「不充足感」をバネにして生きるということも堂々たる生き方だとは思います。けれども、ぼくはもう、そういうのはやめた方がいいんじゃないかと思うんですよ。「向上心、持たなくていいよ」なんて言うと教育者にあるまじき暴言に聞こえるかも知れないけれど、まあいろいろ理由があるわけで。 ぼくが学生たちに向かってよく言うことは、「君たちにはほとんど無限の可能性がある。でも、可能性はそれほど無限ではない」ということです。 自分の可能性を信じるのはとてもよいことです。でも、可能性を信じすぎて、できないことをやろうとするのはよいことではありません。だって、ずっと不充足感に悩み、達成できないというストレスに苦しみ続けることになりますから。 どこかで自分の持っている知性的な、あるいは身体的な資源の限界を知って、それを優先順位の高いものから順番にうまく配分するということも覚えなくてはいけません。 可能性は無限であると信じている人がいます。たくさんいます。でも、これは勘違いですよ。 学生を見ていると、勉強して、バイトやって、クラブやって、セカンドスクールで資格を取って、エステに通って、駅前留学して、海外旅行して・・・・とものすごくタイトでハードな生活設計をしている人がたまにいます。 1日24時間しかないんだから、それは無理でしょ。それでは、体が持ちません。 精神的にも体力的にも、使える資源には限界というものがあります。目標を適度に設定し、資源を分配する先に優先順位をつけないと、人間は壊れます。人間て、わりと簡単に壊れます。 若い人が分かっていないのは(あるいは分かろうとしないのは)この「人間はわりと簡単に壊れる」という事実です。「壊れる」にはいろいろな形態があります。 典型的なのは、「自分とは違う人間、こことは違う場所、今とは違う時間」の方に「今、ここにいる自分」よりも強いリアリティを感じてしまうことです。 (追って記入予定)内田先生は、当時から今でいうミリマリストだったんですね・・・すごい♪なお、モノがないだけでは単なる貧乏人であり、確固たる信念を持ってモノを減らすのがミリマリストですね。ご存じとは思うけど。『貧乏という生き方』など、参考になります。
2015.11.22
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「THE21」という雑誌の11月号が「ストレスゼロの整理術」という特集を組んでいるが…整理に目覚めた大使は、つい衝動買いしてしまったのです。ところで最近、ミリマリストという新語を耳にするようになったけど、ミリマリストって、何やねん?この雑誌でミリマリストのあたりを、見てみましょう。<今、話題の「ミリマリスト」的仕事術とは?>p70~71 現在、世界中で話題の「ミリマリスト」をご存じだろうか。単なる整理のノウハウに留まらない、彼・彼女らの徹底した“モノを持たない”生き方や働き方とはどういったもので、どんなメリットがあるのだろうか? 「ミリマリスト」の第一人者である佐々木典士氏にその実態をうかがった。■何もない空間から新しい1日を始める喜び ミリマリスト(最小限主義者)とは、モノを必用最小限にまで減らし、時間や空間、心の余裕を大切にする生き方を目指す人です。 ライフスタイルや所有するモノは人それぞれですが、たとえば僕の場合、今、住んでいるワンルームの居室空間には、ふだん何も置いていません。クローゼットにはせいぜい十着程度の服がかかり、食器は一人分だけ。バスルームには液体石鹸一本しかありません。朝目覚めたら、布団を畳んで何もない状態に戻し、掃除機をかけることから1日が始まります。 そして、クローゼットにあるお気に入りの服を着ます。服は同じものを三枚買って、「制服化」しています。迷う時間ゼロ、シンプルな白シャツやTシャツは毎日着ても飽きることがありません。朝から丁寧に身のまわりを整えるとそれだけで気分爽快で、心が満たされます。そして、今日はどんな一日にしようかと考えながら会社に向かいます。 以前の僕は180度違う人間でした。本棚には千冊を超える書籍があり、たくさんのCDやDVD、趣味のカメラ用品一式、エレキギターとアンプ、ホームシアター、幼稚園の頃からの写真や手紙…これらがワンルームに収まっていたのです。 モノにあふれかえった部屋で夜更かしし、朝は重くてだるい頭を抱えて起き上がり、乾燥機に入ったままのくしゃくしゃの服を取り出し、身に着ける。シンクに置きっぱなしの食器を横目に見やり、家を出る。 こんなふうに一日がスタートしていたので、職場に着いてからは、デスクに座っても、なかなかエンジンがかからない。とりあえず、まとめサイトやお気に入りのサイトを見てまわり、飽きてきたら「そろそろ仕事するか」と仕事にようやくとりかかる。こんな有様でした。 今は、余計なものは一切置かないデスクに座ったら、すぐに仕事にとりかかります。ネットサーフィンで時間を無駄にすることもなくなりました。優先順位も明確になり、一つひとつ順序立てて着実に仕事をこなしていけるようになったのです。■「沈黙のTODOリスト」を排除する なぜ、仕事に取りかかるのに時間がかかっていた僕が、すぐにエンジンがかかるようになったのでしょうか。 それは目の前に雑然と置かれたモノが一掃されたことで、自分の内面に意識が注がれ、今、自分がしていること、すべきことに、より意識的になったからです。 身のまわりに雑然と置かれたモノ、たとえば、パソコンに貼られた無数の付箋、机に積まれた仕事の資料…これらは、つねにメッセージを発しています。 「資料、整理しないとな」「あの案件どうなったんだっけ」…モノが視界に入ることで、モノに関連した思いが無意識のうちに引き起こされます。 僕はモノが発するこれらのメッセージを「沈黙のTODOリスト」と呼んでいます。その数が増えるほど集中力が削がれ、「本来のTODOリスト」に意識が向きにくくなります。だからこそ、デスクの上をゼロにする―それだけで集中力が生まれ、仕事への取り組みが変わったのです。(中略) 仕事の紙資料は、スキャンしてPDF化。メモ程度ならばスマホで撮っておき、紙は処分します。これらのデータはDrop boxなどのWEB上のクラウドストレージにファイルを置き、職場からでも、外出先からでも、すぐに取り出せるようにしました。ただし、デジタルデータは消失のリスクも伴います。その点はRAID機能のあるハードディスクで二重バックアップを取り、リスクヘッジを図っています。■モノを減らすと行動力が高まる! 部屋やデスクを埋め尽くしていたたくさんのモノと決別した結果、代わりに手に入れたのは「行動力」でした。モノの雑音がなくなったことで、自分がやりたいことに敏感になり、最小限のモノしか持っていないので、身軽に身ひとつで動けます。(中略) ミリマリストを自称する僕ですが、今も昔もモノが大好きです。しかし、欲しいモノを片っ端から手に入れても、それで自信がついたり、幸せになることに直結するわけではないと気づいたのです。 思いつくままにモノを手に入れることで得られる幸せは、手に入れた瞬間をピークに数日や数週間、ときには数時間で過ぎ去り、次の日からは「まだ足りない」と欠乏感が湧いてくるのです。 今では、本当に必要とするモノ、好きなモノだけをとことん厳選して選ぶようになりました。すると、そのモノへの愛着や、モノのもたらす幸福感が続くのです。ウン♪ 断捨離の極意が語られているというか…老後の生き方まで語られているようです。・・・・でも、まだまだ、モノへの執着から脱っしきれない大使でんがな。それにつけても・・・・外来語をそのままカタカナ表記するのは、何とかなりませんかね~。ミリマリストより最小限主義者でいいではないか。【ストレスゼロの整理術】ムック雑誌、PHP研究所、2015年刊<今月号の読みどころ>より「仕事ができる人は、机の上をきれいに使っている」とよく言われる。身の回りが散らかっていると、モノを探すのに時間を取られてしまったり、気が散ってしまったりして、仕事の効率が下がることは必然だ。とはいえ、「書類が捨てられない」「片づけたいけど、時間がない」「一度片づけても、またすぐにモノがたまってしまう」といった悩みを抱える人は多い。そこで今月の総力特集では、「ストレスゼロの整理術」と題して、整理が苦手なビジネスマンのために、経営者や専門家の片づけノウハウに加え、情報や頭も中の整理術も紹介している。<読む前の大使寸評>また買ってしまった、このてのムック雑誌である。とにかく、溜まる一方の紙の資料を整理したいのであるが…さて?ところで、この「THE21」というのが、この雑誌の名前なんやろか?(表紙では特集の名前が大きくて、雑誌名が隅っこにあるのでわからんやんけ)phpストレスゼロの整理術
2015.11.21
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高速増殖炉「もんじゅ」については、規制委員長から日本原子力研究開発機構に管理能力無しとの勧告が出されたが・・・六ヶ所村の再処理工場の試験運転は、今どうなっているんだろう?ということで、日本原燃のHPを覗いてみたのです。再処理工場アクティブ試験の概要より■再処理工場の試験運転とは・・・? 再処理工場では、操業を開始する前にいくつかのステップを踏んで、次第に実際の運転に近づけながら段階的に試験運転を行っています。 これらの試験では、機器の動作や性能の確認などを行い、あわせて機器などの不適合や故障を操業前に早期に見つけ出し、手直しを行います。また、試験を通じて、運転員や保修員の技術力の向上、運転手順書などの充実を図っています。 なるほど、アクティブ試験の段階で足踏みあるいは難渋しているようですね。核燃料サイクル事業は、破綻寸前という有様のようですね・・・・まさにトイレの手当てが無い中の原発再稼動ということのようです。
2015.11.20
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図書館で、『貧乏という生き方』という本を手にしたのです。お金に左右されない豊かとあるが・・・年金生活のヒントになるのではないかと思うのである。【貧乏という生き方】川上卓也著、WAVE出版、2010年刊<「BOOK」データベース>より「貧乏くささ」を忌避し、本物の「貧乏」を求める道がここに!お金に左右されない豊かさと楽しさを求めた、爽快無比なる「使える」エッセイ。【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 喰うことは生きること(土鍋で炊いたら驚いた/貧乏人こそ米を喰え/台所は食の発信源/小麦粉が生み出す豊かな食彩/晩酌考ー酔えば極楽/魅惑の納豆にせまる)/第2章 遊びながら暮らすために(100円ショップの大罪/コンビニの光/ああ、憧れの無冷蔵庫生活/低額煙草に乗り換えよ/洗濯機の稼働率を下げよ)/第3章 我、田園に漂着す(貧乏長屋は田舎の味/貧乏人、東京へ行く/稲刈り/発掘!貧乏図書)/第4章 一億総貧乏時代を迎えて(貧乏礼賛ー見いだされた力/さよならテレビジョン/本当に捨てるために)/増補 貧乏日記より(2002年秋~2009年)<読む前の大使寸評>お金に左右されない豊かとあるが・・・年金生活のヒントになるのではないかと思うのである。rakuten貧乏という生き方最新の報道によれば、米価は下げ止まりの動きが見られるとのこと。飼料米への過度の傾斜の見直しもあって、食糧米の需給バランスが締まってきているようで・・・疲弊する米作農家にとって朗報ではないか♪ということで、この本から国家的課題でもある「貧乏人と米食」のあたりを見てみましょう。<貧乏人こそ米を食え>p24~25 今では、一人暮らしの食事であればインスタント食品やコンビニ、ファーストフードで済ませることが可能ですし、貧乏学生=カップラーメンという図式が真っ先に思い浮かぶようですから、米の消費量は益々落ち込むことでしょう。 かつて、米は年貢として収められていたくらいですから、お金と同等でした。黄金色の稲穂は、そのまま金と同等に扱われたと言っても過言ではありません。多くの貧民は、米など口にすることはできなかった時代もありました。そんな米が、今では余っているとまで言われ、減反政策が進んでいるのです。 米は、今では貧乏人だって頑張れば買うことができます。主食として喰うことができます。買うのが難しいときでも、稲刈りを手伝えば貰うことができます。昔は、米を作っている農民ですら滅多に口にすることの叶わなかった米を、現代の貧乏人ですら喰うことができるのです。これを喰わずに一体なにを喰うというのでしょうか。 日本の食糧自給率は40%と先進国の中でもダントツに低く、世界一の食糧輸入国になってしまいました。そんな日本が国産でまかなえる数少ない食糧のうちのひとつが、米です。米こそが、日本人に残された最後のアイデンティティーなのです。米を喰わない日本人は、一億総貧乏時代に力なく押し流されてしまうことでしょう。 米を噛みしめることは、日本の歴史を噛みしめることです。日本の魂を取り入れることになるのです。 貧乏人こそ、米を喰わなければならないのです。拍手!拍手! 著者の悲憤が伝わってきますね♪著者の見つけた土鍋炊飯が、単身生活向きでなかなかいけてるわけです。<土鍋で炊いたら驚いた>p11~13 いまだに鍋で米を炊く家が存在するという事実は、僕の琴線をジャラジャラと掻き鳴らしてしまったのです。ところが残念なことに、僕の持っていた薄いアルミ鍋には、米の旨味を十分に引き出しきれないという弱点がありました。蒸らしの際に温度が下がってしまうのです。 なるほど山梨で見た光景、炬燵の中で温度を保ったまま蒸らすというのは、実に理に適っていたのです。けれど、鍋で米を炊くという行為自体が新鮮なことでしたから、それなりの満足は得ることができていました。 そんなときに、ふと出合ったのが安売りの土鍋でした。一目見た途端に、ああ、これならいける、と頭の中で炊飯風景が浮かびました。考えてみれば、昔の炊飯というのは大きくて分厚い鉄釜を使っていたわけですけれど、土鍋だったら、その代わりを十分に果たしてくれると思えたのです。なにせ100円ですし、いくら貧乏であってもそのくらいは持っています。躊躇することなく買い求めました。 家に帰り、さっそく米を炊いてみたのですけれど、これは失敗でした。原因は、土鍋の蓋に開いている空気穴で、これのおかげで逃げなくても良い水分まで出ていってしまうらしく、鍋底の米は一面のおこげで、上の方の米は芯が残ってしまいます。ならば、この穴を塞いでしまえばよいという次第で、次の食事で再挑戦。 このときの驚きは、僕が炊飯器を処分してしまうほどのものとなったのです。 鍋底の焦げ具合はアルミ鍋よりも大きく、難しさを感じましたけれど、鍋底以外の米はふっくらと炊きあがりました。もっちりした食感も、粘りも、甘みも、アルミ鍋はおろか、炊飯器など足元にも及びません。(中略) 土鍋での炊飯だと、アルミ鍋の三分の二程度の時間で炊けてしまうのです。これが判ってからは、お焦げのない御飯を炊くことも可能になりました。それでいて、炊飯器よりもよほど旨い米が炊けるのですから、もう、炊飯器の出る幕はなくなってしまいました。 僕が土鍋で炊いた御飯を旨いと感じるのは、食べるときに食べるだけの量を炊くというのも要因のひとつかもしれません。 6号鍋だと、その大きさからして、米一合を炊くのが精一杯なのです。無理をすれば二合を炊くこともできますけど、これにはちょっとした工夫と火加減が必用なので、ふだんは一合しか炊きません。(中略) 今、日本では米離れが進んでいますけれど、もしかしたら美味しい御飯を食べていないことが原因なのかと考えてしまいます。外では電子レンジで温められたコンビニ弁当の御飯を食べ、家では、何時間も保温されたままの御飯を食べる。これでは、美味しい御飯を食べる機会がありません。 日本の米は、なにも有名なブランド米でなくても十分に美味しいですし、工夫をすれば、古米でも古古米でも美味しく食べることができます。 けれどそんな努力も、何時間も温め続けた御飯では意味がなくなってしまいます。炊いてからしばらく食べる予定のない御飯は、いっそのこと冷や飯にしてしまい、それに冷ましたお茶をかけて食べてしまった方が、よほど美味しいくらいです。 すでに炊飯器を持っていない僕だからこそ、大きな声で言ってしまいます。電気炊飯器なんて、百害あって一利なしなのです。炊飯器なんて百害あって一利なしってか…過激なご意見である(笑)
2015.11.19
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図書館で、『いつもそばに本が』という本を手にしたのです。ちょっと分厚くて古風な装丁となっているが、まっとうな本という感じである。この本は朝日新聞の読書欄「いつもそばに本が」(1993~2004年)を書籍化したものとのこと。執筆者それぞれに、モノクロでポートレートとスナップの写真がついているが・・・それぞれがええ写真やなぁ♪【いつもそばに本が】田辺聖子、北杜夫、吉本隆明、城山三郎、大島渚、ワイズ出版、2011年刊<「BOOK」データベース>より73人の表現者、知の原点。本に関するエッセイと各人のスナップ写真。 <読む前の大使寸評>この本は朝日新聞の読書欄「いつもそばに本が」(1993~2004年)を書籍化したものとのこと。73名の執筆者それぞれに、モノクロでポートレートとスナップの写真がついているが・・・それぞれがええ写真やなぁ♪ちょっと分厚くて古風な装丁となっているが、まっとうな本という感じである。Amazonいつもそばに本が「大島渚」から、本と映画制作の関わりを見てみましょう。ちょっと怖い顔の大島さんから、『星の王子さま』が出てくるのが、意外やでぇ♪<大島渚>p18~19 フランスではサルトル、カミュ、ジャン・ジュネ、アメリカではフォークナー、ヘミングウェイ、ロシアでは学生演劇の続きでチェーホフ。しかし、ささやかな慰謝を含めて読むのは、サン=テクジュペリとサリンジャーであった。ほんと『人間の土地』や『戦う操縦士』、『ライ麦畑でつかまえて』『九つの物語』の世界で映画をつくれたら、どんなに幸福だったろう。 でも、この世に生きる映画監督には到底それは許されないとわかっていたから、それならいっそ、『星の王子さま』のバオバブの木の世界で夜毎の夢を結び、今は去ってしまった王子さまの幻影を追うしかないのだった。 それにしても、『星の王子さま』という本は、挿絵というか装丁というか、何であんなに美しかったのだろう。あれではとても映画にはならない。 「次は武田泰淳の『白昼の通り魔』というのをやる。来週の集まりまでに読んどいてくれ」 「聞いたことないなあ、何の本に入ってるんですか?」 私は怖い顔をして、自分で探せと言った。本も探せないようだったら我々のチームの一員である資格がないとまで言った。 私がまだ助監督だった頃、私が生涯つくる映画は全部自分のオリジナルでいこうと思っていた。でもすぐに、そうはいかないという現実にぶちあたった。私は衝突して会社を辞めた。映画をつくらせてくるところはないかと思ったが、それはあった。ただし、ある原作で映画をつくれという話だった。 いつの間にか私は、大江健三郎さんの『飼育』を撮り、山田風太郎さんの『棺の中の悦楽』(映画題名は『悦楽』)を撮っていた。 私は、原作を使ってもそこから「私の映画」ができる可能性があるということを信じるようになった。その最初が『白昼の通り魔』だったといっていい。 このことがわかってから、私にとって本を読むことは、映画の原作を探すという仕事の一部となった。これはまことに情けない話であって、本をいくら読んでも幸せになれないわたしの人生は、いっそうその傾向を強くすることになった。 大量の本に目を通す習慣をなくしたわけではなかったが、たとえどんなに我を忘れて本を楽しめと言っても、頭のどこかにはかすかにでもこれは映画になるかならないかという判断を交えて本を読んでいるのである。 しかも、その映画になるならないの基準はあくまで「私の映画」になるかならないかということであり、その「私の」という範囲は極めて狭いのである。 そんなことで私のつくる映画の数は年々減少していき、それに反比例して、私の読む本の数は年々増えていったのである。イッセー尾形さんの読んだ本が、友人の貸してくれた本もあるが、かなり異色なんですね。<イッセー尾形>p90~91 演劇を始めてすぐに結婚し、こどもが生まれたのは20代前半。建設現場の仕事もアルバイトだったのが、あっという間にいっぱしのトビ職人。家族三人、ささやかながら幸せだと思えなくもなかった。が、その一方で、現場シートに覆われたスエたにおいの中で人生の大半を過ごさねばならないのだろうかと被害妄想のようなものが広がったのも確か。大した仕事もなかった日ですら、玄関先で「つかれた!」と、ひどく声を落としたらしい。「お父さんのお仕事は大変なのよ」。泣いた赤子に囁きかける妻の必死な表情の記憶がある。 同じトビ職人として働いていた演出家の森田雄三は、当時の僕の態度にひどく不安を覚えたらしい。ちょっとした手違いにヘルメットをコンクリート床に投げつけたり、喫茶店の隣イスに地下足袋の足をのっけて平気だったり。僕のイラ立ちを見かねて、森田は次々に小説を貸してくれた。 幼子を寝かしつけながら寝入ってしまった母娘の寝息が聞こえるちゃぶ台で、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んだ。南米の田舎の何世代にもわたる話で、革命家の青年が活躍する波乱の時代がある。革命は民衆の支持を得、無名の一青年が国民的英雄にまで上り詰める。 一転、反革命が巻き返し、青年は一族の地下室にかくまわれる。そのまま何十年かが過ぎ、革命があったことも忘れ去られ、青年は老人になっている。彫金で土産物を作り続ける偏屈な老人になっているだけだ。 バーナード・マラマッドの『アシスタント』。不況に見舞われたアメリカ地方都市の雑貨屋さんの店員の話だ。確か、寡婦が夜も明け切らぬうちにパンを半斤買いに現われる場面から始まった気がする。(せめて一斤買ってくれれば、毎朝ベッドから出ずに済むのに)。店に縛り付けられたままで一生を終える老店主夫婦。そして店主の娘と恋愛をしてそこを出て行くことできない主人公。 ジョン・ファウルズの『魔術師』。ロンドン住まいの主人公が、結婚寸前に危機感を抱く。このまま結婚したんでは、一介の勤め人で終わってしまう。ギリシャの島の教職の道を見つけてすべての縛りから逃げ出す。で、島で発見したのは、退屈な授業と狭い人間関係。その凡庸さから逃げ出そうとする主人公が魔術師に出会う。 工事現場の森田と女房以外に行く場所も話し相手もいないだけで読んだ小説に過ぎなかったものだが、これらの本たちに「不安なのはお前だけじゃない」と勇気づけられたのかもしれない。次の一文を読むと、横尾さんは谷崎潤一郎のシンパとわかるが・・・・大使も谷崎潤一郎を、試しに読んでみようかと思ったりするわけです。<横尾忠則>p408~409 80年代になって、ぼくは絵画を始めた。と同時に精神世界のボヘミアンは終わった。つまり絵画こそが精神世界の実践そのものであったからだ。 絵画の創造は禅寺以上に厳しく、真っ暗な闇の中を手探りで歩いているようなものだった。いつ絵を描くのを止めるかという、もう一人の自分との戦いでもあった。この間、画家の伝記や評論を多読したが、何ひとつ解決策は見つからなかった。 少しずつ兆しが見えてきたのは書物から離れてからだった。知識が邪魔するのであった。精神というより、まず肉体だった。描く行為が肉体の自覚につながったのである。 ぼくは最近、谷崎潤一郎が自分にぴったりだと思うようになった。だいたいぼくは自分が生きている時代よりも、父が生きた明治、大正時代に憧れる。それは異国に対するエキゾチズムに似ており、とくに谷崎に結びつく。 谷崎を画家にたとえればジョルジュ・デ・キリコかも知れない。主題を限定したまま様式だけが変化するピカソにも近いかもしれないが、同時多発的な主題と様式を用いるキリコはより谷崎的な気がする。このことは、ぼくの作品とも一致するのである。 ぼくの近作の主題は暗い夜道のY字路だ。それも明るい都会の夜道ではなく、子供時代のあの暗い夜道。この主題が谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に共通すると思える。 谷崎は「思想」という言葉をよく使うが、彼ほど思想と無縁の小説家はいない。実は、ぼくが共感するのはそこだ。タカが芸術、思想などいらないのである。芸術に必要なのは魂の表現で、思想には感心しても感動はない。 また、芸術と人生は一致するという谷崎の考え方にも共感するが、かつて谷崎は芸術を第一義に、生活はその次と考えていた。ぼくは日常生活がすべてに優先すると同時に、作品は日常生活の反映であり、そこにはその人間がそのまま現われると考えたい。 ところで人生も芸術も、生と死の問題と無関係に存在することはありえない。芸術は長く、人生は短い。自分に残された時間を考えてみる。 十年ほど前にやっと、封印していた三島由紀夫の『豊饒の海』四部作を読んだ。彼の死後、長いあいだ三島本を封印してきたが、ぼくが三島を再び読み始めたのは彼がどう生き、どう死んでいったのかをあらためて探るためである。 大切なのは、生の側から死を見る以上に、死の側から生を確かめるという視点だ。これが定まらないと自分の人生も芸術も実り多いものにならない気がする。 さらに大切なのは、生と死の問題を遊びを導入しながらとらえるという視点。遊びは芸術における必要不可欠なビタミン剤のようなものだ。目的や結果を意図した作品には遊びがない。この遊びは、自分自身から自由になれて初めて可能になる。その他、鶴見俊輔さん、高村薫さん、田辺聖子さん等々のお奨め本が気になるが・・・・きりがないので、割愛します。
2015.11.19
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「生き方」でしょうか♪…なんか、いつもより格調が高いように感じるのだ(サヨカ)<市立図書館>・貧乏という生き方・疲れすぎて眠れぬ夜のために・いつもそばに本が<大学図書館>・赤瀬川原平の日本美術探検隊(其の1)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【貧乏という生き方】川上卓也著、WAVE出版、2010年刊<「BOOK」データベース>より「貧乏くささ」を忌避し、本物の「貧乏」を求める道がここに!お金に左右されない豊かさと楽しさを求めた、爽快無比なる「使える」エッセイ。【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 喰うことは生きること(土鍋で炊いたら驚いた/貧乏人こそ米を喰え/台所は食の発信源/小麦粉が生み出す豊かな食彩/晩酌考ー酔えば極楽/魅惑の納豆にせまる)/第2章 遊びながら暮らすために(100円ショップの大罪/コンビニの光/ああ、憧れの無冷蔵庫生活/低額煙草に乗り換えよ/洗濯機の稼働率を下げよ)/第3章 我、田園に漂着す(貧乏長屋は田舎の味/貧乏人、東京へ行く/稲刈り/発掘!貧乏図書)/第4章 一億総貧乏時代を迎えて(貧乏礼賛ー見いだされた力/さよならテレビジョン/本当に捨てるために)/増補 貧乏日記より(2002年秋~2009年)<読む前の大使寸評>年金生活のヒントになるのではないかと思うのである。rakuten貧乏という生き方【疲れすぎて眠れぬ夜のために】内田樹著、 角川書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より疲れるのは健全である徴。病気になるのは生きている証。サクセスモデルへの幻想を棄てて、「1ランク下の自分」を目指しませんか?ささやかなことで「幸せ」になれるのは一つの能力です。まずは身体の内側から発信される信号を聴き取ること。真の利己主義を目指すこと。礼儀作法と型で身を守ること。家族の愛情至上主義をやめることー。今最も信頼できる哲学者が、日本人の身体文化の原点に立ち帰って提案する、最強の幸福論。【目次】(「BOOK」データベースより)1 心耳を澄ます(ワンランク下の自分に/ほんとうの利己主義とは ほか)/2 働くことに疲れたら(サクセスモデルの幻想/女性嫌悪の国アメリカが生んだサクセスモデル ほか)/3 身体の感覚を蘇らせる(個性ということ/マップする視点 ほか)/4 「らしく」生きる(アイデンティティという物語/エコロジカル・ニッチ論 ほか)/5 家族を愛するとは(どんな制度にも賞味期限がある/私の拡大家族論 ほか)<読む前の大使寸評>年金生活者も疲れるので、借りたわけでおます。なお、データは2007年の文庫本だが、借りたのは2003年刊の単行本です。rakuten疲れすぎて眠れぬ夜のために【いつもそばに本が】田辺聖子、北杜夫、吉本隆明、城山三郎、大島渚、ワイズ出版、2011年刊<「BOOK」データベース>より73人の表現者、知の原点。本に関するエッセイと各人のスナップ写真。 <読む前の大使寸評>この本は朝日新聞の読書欄「いつもそばに本が」(1993~2004年)を書籍化したものとのこと。73名の執筆者それぞれに、モノクロでポートレートとスナップの写真がついているが・・・それぞれがええ写真やなぁ♪ちょっと分厚くて古風な装丁となっているが、まっとうな本という感じである。Amazonいつもそばに本が【赤瀬川原平の日本美術観察隊(其の1)】赤瀬川原平著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>より五感で味わう“日本の美”。町並みに黄金を敷き詰めた「洛中洛外図」、若者ファッションの元祖「風神雷神」、石の庭園がなぜ怖いのか。【目次】高台寺霊屋・薄桐紋蒔絵扉/洛中洛外図屏風・歴博乙本/奥州安達がはらひとつやの図・月岡芳年画/変わり兜/燕子花図屏風・尾形光琳筆/地獄草紙雲火霧/旧江戸城写真帖・横山松三郎撮影/金印/聖徳太子二童子像/源氏物語絵巻・宿木三〔ほか〕<読む前の大使寸評>赤瀬川さんは「日本美術応援団」の団員第1号だそうで…言ったもん勝ちなんだろう♪赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。rakuten赤瀬川原平の日本美術観察隊(其の1)赤瀬川原平の日本美術観察隊(其の1)2byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き122
2015.11.18
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島根県立大学教授・藤山浩さんがインタビューで「定住者を呼び込む“田舎の田舎”こそ人口減を止められる」と説いているので、紹介します。藤山浩著『田園回帰1%戦略』という本を、かの藻谷浩介さんも「地域再生の分野の書籍の、決定版の中の決定版だ」と絶賛しているとのこと・・・・これは必見でんな♪(藤山浩さんへのインタビューを11/17デジタル朝日から転記しました) どうすれば急激な人口減少に歯止めをかけ、地方は消滅を避けられるのか。地方創生の大きなテーマだが、なかなか処方箋は見つからない。ところが、「地方再生の決定版」と最近、評判になっている本があるという。その名も「田園回帰1%戦略」。どんな策なのか。島根県で長年、過疎と向き合ってきた著者にきいた。Q:今年6月に出された本が自治体やまちづくり関係者の間で評判になっています。「里山資本主義」の著書もある日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介さんも書評の中で「地域再生の分野の書籍の、決定版の中の決定版だ」と絶賛しています。「1%戦略」とは何ですか。A:毎年、人口の1%にあたる定住者を増やす。例えば人口5千人の村なら、毎年50人の移住者を受け入れることで人口減に歯止めがかかり始め、30年後の時点では総人口と14歳以下の子どもの数は、いずれも少なくとも現在の9割以上を保つことができ、高齢化率も現在より低くなります。だから毎年1%分の人口を取り戻しませんかという戦略です。Q:1%という数字はどこから出てきたのですか。A:中山間地域研究センターで独自の『人口分析・予測プログラム』を開発しました。それを使って、島根県内の中山間地域や離島で毎年どれだけ各世代の定住者が増えればいいかを算出したところ、計2920人ですむことが分かったのです。ちょうど地域総人口の1%にあたります。全国の山間地域全体でシミュレーションしてみても、1%でほぼ同じ結果になっています。 ただ、気をつけてほしいのは単に目標人数を達成すればいいのではなく、実際の移住者に多くみられる20代前半の男女、4歳以下の子どものいる30代前半の夫婦、定年後の60代前半夫婦という三つのパターンを、バランスよく増やすのが大切ということです。Q:どうして対象が中山間地域や離島なのですか。A:人口減少や高齢化が最も著しい地域ですが、最近、目立ってきた若者らの地方移住、『田園回帰』で移住先に選ばれているのは、こうした『田舎の田舎』なのです。都会を『卒業』した若者が向かう先は、『ミニ東京』のような地方都市ではなく、田舎の田舎。今後定住者が増え、再生に向かう『どんでん返し』が起きる可能性のある地域だからです。 地方都市は『1%戦略』の対象にしていませんが、周辺の中山間地域の人口が維持されればおのずと回復します。すそ野の人口が減って、地方都市の人口維持はありえません。 ■ ■Q:都会から地方へ。それほどの移住者がいるのでしょうか。田園回帰を過大評価している印象を受けます。A:実際、島根県の中山間地域にある227地区の人口を5年前と比較すると、4歳以下の子どもの数が増えた地区が3分の1もあります。維持も合わせると4割を超えます。こうした地区では親の世代も増えていて、子連れ家族が移住しているのです。集落調査でも県の中山間地域全体で5年間に約7千人のUターンやIターンがあったことが分かっています。 島根だけの話ではありません。研究や講演で全国を訪ねますが、長野県や高知県など各地で田園回帰が加速している実感があります。それに今、地方創生のなかで東京一極集中の是正が叫ばれ、政府は都会から地方への新たな人の流れをつくると言っていますが、島根県の中山間地域全体で毎年、必要とされる定住者数は、東京都市圏人口約3500万人の1万分の1未満に過ぎません。Q:それにしても5千人の村が毎年50人の移住者を呼び込むのはハードルが高くありませんか。A:村全体で考えると、そう思いがちです。でも、たとえば500人の地区が10あって、地区ごとに考えればどうでしょう。移住者5人なら、子どもが1人いる30代夫婦と60代夫婦をひと組ずつ増やせば目標達成です。だから人口減対策は市町村と、さらに小さな公民館区などの『2階建て』で考える必要があるのです。 自分たちの地域を守ると住民が考えるとき、思い描くのは市町村単位でなく、一次生活圏である公民館や小学校区単位です。そうした地元に『あと2組で大丈夫だ』と具体的な目標ができることによって、住民は頑張れる。受け入れのための空き家補修などやらなくてはならないペースも見えてきます。Q:移住者の所得はどう生み出すのですか。A:毎年、地域人口の1%が新たに定住するためには、地域全体の所得を1%増やせばいいことになります。その分、地域で回る金を増やす必要がありますが、これまで自治体はあまりに『外貨獲得』に重きを置いてきました。御三家が、大工場誘致、観光客誘致、特産品開発です。これを否定はしませんが、こればかりを狙って三振を繰り返してきたのが多くの地方の歴史ではないでしょうか。Q:では、どうすれば。A:例えば島根県のある地方都市圏では、住民の総年間所得額1556億円にほぼ匹敵する1420億円のモノやサービスが域外から調達されています。少々、観光や特産品で外貨を稼いだとしても、稼いだ先から域外にお金が流出している。だったら域外から購入していた金額の1%分のモノやサービスを域内で調達すればいいのです。Q:地域で回るお金が増えるという意味では、総所得の1%分の外貨を稼ぐのと同じ効果があるということですか。A:そうです。これなら三振はありませんし、どんな地域でもチャレンジできます。5年前に訪ねたイタリアの山村では驚くほど多様な生業が息づいていました。パスタ職人、ワイナリー、建具屋さん、薪屋さん。衣食住やエネルギー一式が地元でそろい、地域の経済を回している。そこまで行かなくても、毎年ほんの一部を地元に取り戻せばいいのです。 ■ ■Q:実際に「1%戦略」に基づいて地域再生に取り組んでいる自治体はありますか。A:島根県邑南(おおなん)町は町の総合戦略に、64人という毎年の定住者の目標を書き込み、12ある公民館単位ごとの活動が始まっています。出羽(いずわ)という地区では住民が合同会社を立ち上げ、新規就農のIターン者をすでに募集しています。このほか岩手県西和賀町、長野県喬木(たかぎ)村、石川県能美市など5市町村も地域再生に『1%戦略』の手法を取り入れています。Q:いま、地方創生に向け、全国の自治体が、今年度中の人口ビジョンと総合戦略の策定に取り組んでいます。アドバイスはありますか。A:ただ人口を増やせばいいと考えないことです。人口とは生きている一人ひとりの人生の数です。『こんな田舎、どうしようもない』と地元の人が思っている地域に移住者は来ません。まずは住民自らが地域を磨くことが大切です。移住が増えている地域は、住民と行政がそうした地道な努力を10年くらいやってきたところばかりです。 日本のこの50年間は過疎と過密の半世紀でした。その結果として、地方の中山間地は人口減にあえいでいる。かたや一気に同世代が入居した都市部の団地は今、一斉に高齢化しています。どちらも長続きしない地域社会になっている。毎年、1%ずつの定住増には意味があって、一気に増やしては駄目です。団地の失敗を繰り返してしまう。じっくりと落ち着いて持続可能な地域を取り戻す。そのための1%なのです。Q:藤山さんもUターン組ですね。島根県に戻ってからは「田舎の田舎」に家族でお住まいになっています。「1%戦略」はご自身の経験からつむぎ出された面もあるのでしょうか。A:東京の大学を出て、いったん広島県で働いたあと、38歳の時に島根県に戻りました。地に足がついた、手ざわり感のある暮らしがしたいと田舎暮らしを始めましたが、集落総出の草刈りなど面倒くさいこともたくさんあります。でも、手間ひまかけて自分たちが地域を守り、つくる喜びがある。 葬式で集落のみんなが集まると『おじいさんはこんな人じゃった』という話になる。個人の記憶が地域で継承されていく。それは尊いことだし、自分もそうされたいと思います。単に人口を増やしたいという田舎の都合だけで『1%戦略』を言っているのではありません。都会とはまた違う、豊かな暮らしがあると思っているからです。 *藤山浩:59年、島根県生まれ。98年に島根県中山間地域研究センターに入り、現在は研究統括監。島根県立大学連携大学院教授を兼務。<取材を終えて> 藤山さんの「1%戦略」は「地方消滅論」で意気消沈した住民にとって希望の灯だ。ただ、人口の1%にあたる定住者を毎年増やすのは容易ではない。私もそう思っていた。しかし、島根県には移住者を呼び込み、人口が「社会増」に転じたことのある自治体がこの5年間で7市町村にのぼるという。あきらめずに地域を磨けば道は開ける。その可能性を「1%戦略」が示してくれている。(編集委員・神田誠司)田園回帰1%戦略藤山浩2015.11.17 この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップに収めておきます。
2015.11.18
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図書館で、『赤瀬川原平の日本美術観察隊(其の1)』という本を手にしたのです。日本美術観察隊ってか・・・・たしか赤瀬川さんは「日本美術応援団」の団員第1号だったようで、言ったもん勝ちの世界では、群を抜いた人である。とにかく、その企画力、独創性には・・・敵いませんなぁ♪【赤瀬川原平の日本美術観察隊(其の1)】赤瀬川原平著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>より五感で味わう“日本の美”。町並みに黄金を敷き詰めた「洛中洛外図」、若者ファッションの元祖「風神雷神」、石の庭園がなぜ怖いのか。【目次】高台寺霊屋・薄桐紋蒔絵扉/洛中洛外図屏風・歴博乙本/奥州安達がはらひとつやの図・月岡芳年画/変わり兜/燕子花図屏風・尾形光琳筆/地獄草紙雲火霧/旧江戸城写真帖・横山松三郎撮影/金印/聖徳太子二童子像/源氏物語絵巻・宿木三〔ほか〕<読む前の大使寸評>赤瀬川さんは「日本美術応援団」の団員第1号だそうで…言ったもん勝ちなんだろう♪赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。rakuten赤瀬川原平の日本美術観察隊(其の1)この本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めたのです。この本から、赤瀬川さんの解説によるもう1枚の絵を見てみましょう。<高雄観楓図屏風>p106 画面全体の空気を決定しているのは、何といっても紅葉である。夏が過ぎて、少しずつ冷気が忍び寄り、さあこの先、もうちょっとしたらいよいよ冬に入るぞ、という秋の季節だ。 冬になると動物も冬眠するし、生きものは寒いから出来るだけエネルギー消費を抑えて、じーっとその時季が去っていくのをやり過ごすことになる。だからそういう冬を前にすると、植物もこれが最後、ラストダンスだとばかりに、その表現力のすべてを出し切って紅葉するのではないだろうか。 そういう季節の饗宴にあやかろうと、人間もお茶やお菓子を紅葉の下に持ち出して、飲んだり歌ったり踊ったりする。 もみじ狩りというのだけど、ぼくは子供のころピンとこなかった。木が枯れてきて、楓の葉っぱが赤くなって、それがそんなにいいのだろうか。 お花見ならわかる。桜の花がいっせいに白く咲いて、満開になり、風が吹くとひらひら散って、そのありさまは子供の目にも目出度い。非常にわかりやすい。でも秋の紅葉のよさは、子供にはわかりにくい。 紅葉の魅力は大人のものだろうと思う。熟し切って消えてなくなる寸前の、寂しげな美しさ。 この絵からは、そういう空気がよく伝わってくる。でも絵の中に登場する人々は、そんなことをいちいち考えたりせずに、じつに楽しそうだ。とにかく木の葉が全部あでやかな色に飾られたので、まあ楽しもうよという雰囲気である。 全体を見ると、橋を挟んで左側に男の集まり、右側に女の集まりがある。男たちは楽器を持ち出して、歌ったり踊ったりしている。そこから中央の橋にかけては、黒衣の僧たちがちらほらといて、右側の女たちは車座になって、ひたすらよもやま話のようである。 この女たちの、何というか、自信に満ちた存在感が凄い。肉体的自信というか、エロチシズムというより、生命の自信といえばいいのか、とにかくドンとこい、という力に満ちあふれている。 女たちだけの集まりだからか、格式とか形式を配慮するストレスを完全に脱ぎ捨てた匂いがあって、その新鮮には驚くほどだ。 画面左の男たちの集まりと比べると、その生命感というのがいっそう鮮やかになる。男たちもやはり楽しんではいるのだけど、この女たちの生命感のボリュームに比べたら、何と細々としていることだろうか。 これはこれで気の合った、仲のいい集まりなのだろうが、やはり型というのをまず感じるのである。歌や踊りを楽しみながらも、やはりこの世の中の型を外れないように、技量の優劣をきちんと見据えながら、筋を重んじながら楽しんでいる、という感じで、やはり骨張っている。 女たちの集まりが肉の温度に満ちあふれているのに比べて、男たちの集まりには骨の直線形をたどっているような、それを男の社会性というのか、外面的なものを強く感じて、ちょっと寂しい。自分も男で、この画面左側に属するのだと思うと、画面右の何かふくらんだ暖かさを羨ましくも思う。 こういう絵が近代現代ならともかく、これは室町時代に描かれたもので、この双方を対比させた画家の筆力に驚く。絵がうまいというだけでなく、生命とその社会というものを当然のように掴んでいる。その掴んでいることを口ではいわないだろうが、絵筆が雄弁に描いてしまっている。「高雄観楓図屏風」狩野秀頼筆もう一枚の屏風絵を見てみましょう。<本田平八郎姿絵屏風>p66 この絵の左側に立っているのが男が本田平八郎なのだった。 ぱっと見て、すぐに男とは見えない。手つきや身振りなどちょっとなよっとっして、首にはマフラーのような布を巻いて、この時代にはこういう勝手な着方があったのだろうか。 髪形もいわゆる男の、武士の髷ではないようで、しかし腰に大小の刀を差しているところでやっと男だとわかる。これはこの時代のかぶき者の、いわゆるニューファッションの姿だという。ちょっと崩した、いまの若者のズボンずり下げ的な感覚だろうか。 背の小さいおかっぱの少女が男に向かって何か差し出していて、これは手紙らしい。いわゆる結び文というのを渡しに来た使いで、こういう小間使いの少女を禿(かむろ)というらしい。遊女の見習いである。 こんな子供が、しかも売春婦の見習いとは、いまだったら人権問題だ!と青筋の立ちそうなところだが、しかし当時はごくふつうにあったことで、それでご飯を食べて人生を送れるだけでしあわせなのだった。 しかしそれを禿とは、禿げ頭の禿である。おかっぱ頭の丸っこさを指してそういうのだろうか。 さて一方、右画面に何人かの人々がいて、これは左画面の男との関係があるらしい。つまり男の方も手紙を出していて、それを、ほらほら、来たわよ、というのでみんなで見ている。 受け取るのは中央のやや太目の女性。ふっくらと腹が出て、その帯に左手をちょっと指したりして、恰好はむしろ男っぽくて、これがしかし千姫だという噂である。 千姫は有名である。徳川の、えーと何だったか、とにかく重要な息女で、嫁いだ先で戦か何かからんで、いろいろと悲運の物語があるようだが、そういう歴史上の複雑な事情は、ぼくの頭をすぐに通り抜けて消えてしまう。 これが何故千姫かというと、着ている着物の柄が葵の紋で、この屏風の縁を飾る表具にも葵の紋が飾られていることによる。となると人間関係からして左に立つ男は本田平八郎となるようで、これは徳川側の大名となる人だ。そのあたりの事情については歴史の勉強が必要で、とにかくそういうことなのである。 要するに男女間の手紙ややり取りを描いたもので、となるとほとんどこれはフェルメールのテーマだ。オランダ17世紀のフェルメールに手紙を見る女の絵がよくあり、その一つにやはり侍女が手紙を取りついで渡している図があった。渡された女は、ちょっと何か秘密を握られたような表情を見せていた。 この絵でも、千姫の周りの人々の視線は物見高い。しかしこの場合は秘密というよりは公然のことのようで、侍女らしきものが読み上げているのを、千姫はやや頬を赤らめながらも、ふむふむと、じつに堂々とした態度で聞き入っている。 千姫といえば美人のはずである。実際にどうだったかはともかく、物語上は美人でないとおさまらない。この千姫も美人として描かれているのであろうかが、しかし現代の我々から見ると、まずはどっしりとした風格を感じてしまう。体つきだけを見ればほとんど「どすこい!」である。たぶんいまとは美人観が違うのだ。赤瀬川原平の日本美術観察隊(其の1)1byドングリ
2015.11.17
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先日、『国際市場で逢いましょう』という韓国映画を観たが、ベトナム戦争従軍や外貨稼ぎ事業が描かれていて、まるで彼の国の過酷な現代史を見るようでした。15日の韓国メディアに、「遠洋漁業の船員たちを忘れない」という記事が出ていたが、この労働の背景が、『国際市場で逢いましょう』を彷彿とするわけで興味深いのです。韓国では朴正煕政権時に、外貨稼ぎ事業として西ドイツに鉱山労働者や看護師が派遣されたが、カナリア諸島を基地とした遠洋漁業という事業もあったようですね。2015.11.15「隠れた愛国者」遠洋漁業の船員たちを忘れないより 1957年6月26日、230トンの船1隻が、海洋警備隊と水産業界関係者たちの見送りを受けて釜山港を出港した。李承晩大統領(当時)は「南に向かって船を進め、国が生きていくための道を探せ」との意味を込め、この船を「指南号」と命名した。この船はマグロ漁船だった。経験も技術もない船員たちは悪戦苦闘した。船内は水が不足していたため、顔を洗うことすらできなかった。光復節(日本の植民地支配からの解放を記念する日)の8月15日、指南号の船員たちはインド洋でマグロを釣り上げた。建国後初めて釣り上げたマグロだった。 韓国の遠洋漁業は1966年から急成長した。朴正煕政権が外貨稼ぎのための事業として育て上げたのだ。貧しい祖国で仕事がなかった若者たちは、サラリーマンの2-3倍も稼げる遠洋漁業の船員を夢見て集まった。中には大学生や会社員も多かった。大西洋に浮かぶスペイン領カナリア諸島のラス・パルマスが韓国漁船の基地となった。1970年代には約30社の船会社に属する乗組員1万5000人が苦楽を共にした。痛ましい事故も多かった。1カ月に1人は犠牲者が出た。高波に流されたり、操業技術が未熟だったりしたためだ。81年には外国船と衝突し、数十人の乗組員が犠牲になった。現地の韓国系住民たちが慰霊塔を建立し、大西洋に散った犠牲者たちの霊を慰めた。 船員たちが命を懸けて釣り上げたマグロは、韓国経済を支える土台となった。全盛期の1966年から87年までの間、遠洋漁業は8億7000万ドル(現在のレートで約1071億円)を稼ぎ出した。その額は西ドイツ(当時)に派遣された鉱山労働者や看護師たちよりも多かった。遠洋漁業の船員たちは「隠れた愛国者」だった。だがその後、韓国の経済規模が大きくなり、中国をはじめとする新興国との競争が激しくなる中、遠洋漁業は衰退の一途をたどった。 数日前、仁川国際空港に四つの骨壺が到着した。ラス・パルマスに埋葬されていた遠洋漁業の船員たちの遺骨だった。遺族は複雑な手続きや高い費用のため、これまで遺骨を引き取ることができなかった、政府と漁業会社が前面に出ることで、ようやく問題が解決したという。40年ぶりに祖国に帰ってきた故キム・ヨンテクさんの弟は涙ながらに語った。しっかり者だった兄は友人の連帯保証人になったために全財産を失い、漁船に乗ることになった。兄が送ってくれたお金で、家族は借金を返し、田畑を買うことができた。母は兄に会えないまま亡くなったが、今、魂だけでも帰ってきたから…」 「民族の豊かな明日のために身をささげた若者たちが海で命を落とした。青い海の中に足跡もなく消えていったが、私たちは決して彼らを忘れないだろう」詩人朴木月がラス・パルマスの慰霊塔に刻んだ献辞だ。その固い志とは裏腹に、遠洋漁業の船員たちを記憶している人は多くない。いまだ異国の地から帰ることのできない遠洋漁業の船員たちの遺骨は数百柱に上るという。彼らが故郷に帰り、安らかに眠れる日が来ることを願おう。屈強な韓国の若者をもってしても、中国や新興国の若者のハングリーさには敵わなかったということのようですね。現在の日本の遠洋漁業では、この肉体労働を日本人と新興国の若者が分け合って担っているようだが、いずれにしてもルール軽視の中国人と競うのは生やさしくないようです。『国際市場で逢いましょう』を再掲します。【国際市場で逢いましょう】ユン・ジェギュン監督、2014年、韓国制作、H27.10.4観賞<Movie Walker作品情報>より朝鮮戦争やベトナム戦争に巻き込まれながら、激動の時代をただ家族のために必死に生き抜いた一人の男の生涯を描く大河ドラマ。監督は「TSUNAMI ツナミ」のユン・ジェギュン。出演は「新しき世界」のファン・ジョンミン、「ハーモニー 心をつなぐ歌」のキム・ユンジン、「パパロッティ」のオ・ダルス、「王の男」のチョン・ジニョン、「チング 永遠の絆」のチャン・ヨンナム、「ソウォン 願い」のラ・ミラン、東方神起のユンホ。2015年3月6日より開催の「第10回大阪アジアン映画祭」のクロージング・セレモニーとして上映。<大使寸評>鉱夫としてドイツまで出稼ぎ、ベトナム戦争の輸送業務で稼いだ金で家を建て、雑貨店を買い取るドクス(ファン・ジョンミン)は明るくふるまうが・・・わりと底辺の肉体労働で働いてきたわけです。老境にさしかかり、ようやく父の遺志をまっとうしたと納得するドクスであった。韓国の現代史を網羅したようなこの映画では、釜山の街の変遷がセットで再現されています。時代考証もしっかりしているようです。また、朝鮮戦争の興南撤収作戦の輸送船や逃げまどう群衆のシーンは迫力があり、これだけエキストラを使ったシーンは、日本映画よりも素晴らしいのではないかと思った次第です。日本でも戦後のノスタルジーを誘う作品として『ALWAYS 三丁目の夕日』がヒットしましたね。この『国際市場で逢いましょう』は1950年代から現在に至るまでを描いていて、盛りだくさんで駆け足という印象もあるが・・・ドイツやベトナムでの海外ロケもあり、かなり制作費もつぎ込んでいるようです。いずれにしても、美術レベルを知る意味でも、現代の韓国を知る意味でも興味深い作品でした。Movie Walker国際市場で逢いましょう使命を背負う者は・・・byドングリ
2015.11.17
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先日、四国に帰省した帰りに高知で途中下車し、薊野の沢田マンションを訪れたのです。沢田マンションは巨大なセルフビルド建築として、知る人ぞ知る有名な建築で、かねてより一度観たいと思っていたのです。案内所やカフェが開く10時前だったので、案内も請わず・・・・住人のお邪魔にならないよう気をつかいながら、ほとんど全館を見てまわることができました。正面から見た沢マン全景です。まず、沢田マンションギャラリーにおいてある見学マップを入手して回ることにしました。5階にある沢田さん自宅です。屋上のクレーンです。沢マンのシンボルとのこと。沢マンツワーの申込みもできるとのことだけど…一人で十分見ることができたので、そこまではいいやということで退去した次第です。以前読んだ『沢田マンションの冒険』という本を再掲します。【沢田マンションの冒険】加賀谷哲朗著、筑摩書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より他に類を見ない巨大セルフビルド建築、沢田マンション。日本版サグラダファミリアとも称されるこの建物がどのように継ぎ足しながら作られ、いかに住民に使いこなされてきたのか。4階に釣堀、5階に水田が広がり、屋上の自家製クレーン、謎の地下室、お座敷バスまである建築物の魅力に迫る。住民主催の沢マン祭りなどコミュニティとしての魅力も!<読む前の大使寸評>巨大セルフビルド建築ということでは、ガウディ並みに気宇壮大である♪沢田マンションの魅力とは?・・・・大使思うに、アナーキーな、執着と奔放さではないだろうか♪<図書館予約:(7/18予約、7/22受取)>rakuten沢田マンションの冒険沢田マンションの冒険byドングリところで、あの福岡伸一ハカセが、日本のガウディと言って、高知の沢田マンションの寛容性を評価しています♪寛容性たって・・・生前の沢田さんはそんなしちめんどうな概念を知っていたかどうか(笑)♪
2015.11.16
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図書館で、『赤瀬川原平の日本美術観察隊(其の1)』という本を手にしたのです。日本美術観察隊ってか・・・・たしか赤瀬川さんは「日本美術応援団」の団員第1号だったようで、言ったもん勝ちの世界では、群を抜いた人である。とにかく、その企画力、独創性には・・・敵いませんなぁ♪【赤瀬川原平の日本美術観察隊(其の1)】赤瀬川原平著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>より五感で味わう“日本の美”。町並みに黄金を敷き詰めた「洛中洛外図」、若者ファッションの元祖「風神雷神」、石の庭園がなぜ怖いのか。【目次】高台寺霊屋・薄桐紋蒔絵扉/洛中洛外図屏風・歴博乙本/奥州安達がはらひとつやの図・月岡芳年画/変わり兜/燕子花図屏風・尾形光琳筆/地獄草紙雲火霧/旧江戸城写真帖・横山松三郎撮影/金印/聖徳太子二童子像/源氏物語絵巻・宿木三〔ほか〕<読む前の大使寸評>赤瀬川さんは「日本美術応援団」の団員第1号だそうで…言ったもん勝ちなんだろう♪赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。rakuten赤瀬川原平の日本美術観察隊(其の1)この本から、赤瀬川さんの解説による1枚の絵を見てみましょう。<名所江戸百景:大はしあたけの夕立>p32 描いたのは広重だけど、むしろゴッホがもしゃしたことで有名な浮世絵である。ゴッホが油絵で模写していること自体、ぼくはショックを受けた。え? あのゴッホが本当に浮世絵を? じゃあやっぱり日本の浮世絵って凄いんだ。 ぼくもご多分にもれず、典型的な日本人である。西洋崇拝というのは、自分では気がつかなくても、既に基礎控除みたいに組み込まれてあるのだ。ましてそのころ、ぼくは油絵の道に進んでゴッホが大好きになったときなので、ショックもひとしおだった。 これはぼくの場合だが、日本の浮世絵一般が同じ経路をたどっていたわけで、日本から輸出の陶器の、詰め紙のくしゃくしゃを拡げてみたら、これがみんな色鮮やかな浮世絵だった。それが印象派の画家たちに影響を与えたという話は有名である。 でもそのお蔭でぼくらも浮世絵に目を向けることになったわけで、西洋の印象派の画家たちの感受性には感謝しないといけない。 あらためて見て、うまいなあと思う。橋の上で雨が降りはじめて、あるいはもう少し前から降っていたのか、空は分厚い黒雲に覆われて、昼間なのに辺りが薄暗くなってきた。この雨は当分やみそうにない。 この先相当びしょ濡れになるぞ。そんな雰囲気が申し分なく描かれている。この川面の感じもその空気に拍車をかける。広い川面に降りそそぐ雨の、独特の感触。そもそも大量の水がゆったりとあり、その上になおも細かい雨が、シトシトと、きりなくいつまでもそそぎ込まれる。鬱陶しさを通り過ぎて、もはや諦めるほかはない水中の魚の気分。 そういう満々とした水分の感触をあらわしているのは、ただの水色一色である。その水色も、これは版画だから、それも広重となるとベストセラーの版画だから、その刷りもけっこう荒っぽい。当時は絵師もさることながら、版元がかなりの主導権をもっていたようで、売れるとなればどんどん刷らせる。売れないとなると刷り色を派手に変えたりもしたようで、たまに同じ風景画の昼の青空が、別の刷りでは朝焼けの色になっているのを見つけたりする。 いやそういう話はともかくとして、この木版の川面は、版面に絵具を載せて、ぺたんと刷り上げただけのものだ。それでこれだけの質感を出すのだから、驚くほかはない。そこはやはり絵師・広重の筆力だろう。弘法筆を選ばず、ではないが、どんな単純な表現手段であっても、狙ったものを百パーセント描写して伝えてしまう。 川面の水の色もさることながら、満々とした水分の感触を伝えるのは、まずはこの筏である。このたっぷりふくらむ水の流れの表面に、つっと浮かんで移動していく筏、その筏をぴたりと浮かせることで、この水量、水の深さを感じさせて余りある。 この筏がうまく浮かばなければこの船頭は失格して、広重も絵師を失格である。でも広重の筆はぴたりと掉さす船頭に力を与えて、船頭はごく自然に、当たり前のことのように、筏を操っている。そうやって筏が見事に水面に浮いたことで、この雨中の川のゆっくりと流れる無言の迫力が、われわれにも伝わってくる。山下祐二さんが、美術界の「偉大なる素人」として、赤瀬川さんを讃えています。<偉大なる素人!?>p108 この本まとめられた「日本美術観察隊」は、全部で100回。毎週出る『再現日本史』の連載だから、約2年。赤瀬川さん、よくまあ、締め切りをちゃんと守って、100回も書かれましたね。 2年、100回、という数字を、あらためて考えてみる。私は大学で日本美術史を教えているのだが、その講義の回数が、基本的に1年で30回。1年生の講義は、一応、日本美術の「通史」ということになっている。縄文から現代まで、舐めるように話せばいいのだけれど、なかなかそうはいかない。 というか、無理だ…。いや、言い訳しているのではなくて、1回90分の講義を30回弱やって、青春の血がたぎる少年少女に、日本美術のエッセンスをもれなく伝えろ、というのは無理な相談だ。 読者のみなさんも、中学や高校の日本史の授業を思い出していただきたい。縄文、弥生のナントカ遺跡については、やたら細かいことを覚えさせた先生が、大正、昭和ぐらいになると、「あとは教科書、読んどいてね」みたいだったこと、ありませんか? この本の構成をどうするか、編集者に相談されたとき、縄文から時代順に掲載すことも一瞬考えたが、すぐに、それはやめた方がいいと思った。 赤瀬川さんは、桃山時代、高台寺の蒔絵から書き始めて、時代を往ったり来たりしながら、100回の連載を終えたのだから、その赤瀬川さんの眼の時系列にそって、そのまんま収録した方がいいと思った。 なぜなら、赤瀬川さんの眼は、時系列を貫いて、日本美術史の本質を串刺しにする鋭さを持っているからだ…などというのは、ちょっとほめすぎかもしれないが、この赤瀬川版「日本美術史」は、これまでにある「通史」とはちがうかたちで、多くの人にうけとめてほしいと思った。そのためには、「あとは教科書、読んどいてね」では、困るのだ。 2000年、赤瀬川さんとの対談集第一弾『日本美術応援団』を出版して以来、「あの本を読んで、眼からうろこがぼろぼろ落ちました」みたいな反応がずいぶんあった。「美術史」の内部からの反応は微々たるものだったが、それまでこわごわ日本美術を覗いていたような人たちが、いろんなかたちでアプローチしてきた。それで、私の仕事の領域も、ずいぶん拡がったと思う。 この5、6年、私は一応「美術史」を知っている「玄人」として、「素人」である赤瀬川さんをナビゲートする役目、漫才でいえば、私がツッコミで赤瀬川さんがボケのコンビだった。だが、賢明な読者は、もうおわかりではないか。ツッコミよりボケの方が、いかに大変かということを。高度な知性と、厚みのある経験がなくては、ボケはできないのである。 日本美術史の「玄人」は、これまで、あまりにも「素人」をないがしろにしてきた。私もそうなりかけるところだった。でも、私は幸いにも、赤瀬川原平という「偉大なる素人」に出合って、一緒に何十回も旅をして、美しいものをたくさん見て、美味しいものをたくさん食べて、ようやくつまらない「玄人」にならずにすんだと思う。なお、大使も赤瀬川さんに対するオマージュとして、もう赤瀬川原平さんはいないのかを、したためています。そういえば、『老人力自慢』という本を読んだな~。【老人力自慢】赤瀬川原平著、筑摩書房、1999年刊<「BOOK」データベース>より本書は、赤瀬川原平著『老人力』に寄せられた読者からの「読書カード」から、面白いものを選びました。その一部の方には、加筆をお願いしました。また「ちくま」1999年3月号に掲載した原稿募集の呼びかけに応じた方たちの原稿からも選択しました。【目次】老人力エッセイ(老人力の波紋/無償の勉強をするチャンス ほか)/老人力インタビュー(老人力とは何か?/老人力は腹の力)/読者からの便り(私の老人力自慢)/老人力座談会 のんびり元気術(赤瀬川原平/南伸坊/渡辺和博)/老人力インポジウム 老人力VS.不良中年(赤瀬川原平/嵐山光三郎/ねじめ正一/南伸坊)<大使寸評>赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。とにかく、この概念はイグノーベル賞級のオリジナリティだと、大使は高く評価するのです♪rakuten老人力自慢
2015.11.15
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南沙諸島沖では、安保や領土の国際ルール解釈について米中がしのぎを削っています。一方、経済活動では、インドネシアの高速鉄道受注に見られるように、「そんなのありか…」自己中、陰謀…まるで三国志のようである。かくして、お人よしのニッポンは、中国の競争ルールによって、一敗、地にまみれたのである。その中国の競争ルールについて、ダイアモンドのChina Reportを見てみましょう。2015.11.6中国が競争ルールを歪める限り途上国開発で日本は敗北し続ける:姫田小夏より インドネシアの高速鉄道の建設計画の受注をめぐり、日本の新幹線案が中国に敗退したことは周知のとおりだ。その後、計画は着々と進み、先月16日にはインドネシアと中国の企業連合が合弁会社の設立で正式な契約調印に至った。 中国による受注の背景には、いくつかの要素が存在した。その決定的な要素となったのが、中国側からの「インドネシアの財政負担をなくし、債務保証を求めない」という提示だった。ことの経緯はこうである。 この東南アジア初の高速鉄道は首都ジャカルタと西ジャワ州バンドン間150kmを結ぶもので、将来的にインドネシア第二の都市である東ジャワ州スラバヤへ延ばすという計画がある。これに、日本と中国が入札を争っていたが、今年9月3日、インドネシア政府はこの計画を白紙に戻すと宣言した。 もともと日中は「インドネシア政府の支出がある」ことを前提に競り合っていたが、その前提がここで揺らいでしまった。そして、インドネシア政府は計画を凍結させると同時に、「高速ではなく低速に」と計画を変更させ、挙句は「政府は建設コストを負担しない」と条件を二転三転させて行ったのである。 その後、わずか4週の間に、インドネシア政府は中国案の採用を決定してしまう。同月29日のことだ。「インドネシアの財政負担をなくし、債務保証を求めない」という中国の提案が決定的となった。 この要求の変化をものともせずに食らいついて行ったのが中国だ。国際問題に詳しい専門家は、この間髪入れずしての提案をこう分析する。 「インドネシア政府の要求に合わせてすかさずカードを切り返したのが中国。内容の精度はさておき、中国は(上記の政府支出ありから出資なしまでの)“3枚のカード”を携えていたと見ることができる」■激しいロビー活動と実績に対する自信も勝因 また、この専門家は「民間企業が主体となることで、政府の支出を低減させるやり方は、途上国のニーズがインフラの質よりも財政的負担の軽減にあることを中国は見抜いていたという証左だ」と指摘している。 一方で、インドネシアには公的資金はジャワ島以外の他の島に振り向け、人口や経済が集中するジャワ島の開発は民間投資に委ねようとする政策がある。中国案はこの政策とうまく合致したとも言える。 これに対し、日本案は債務保証に拘泥した。これが敗北につながったという説は有力だ。ちなみにこの「債務保証なし」というのは、事業主体への融資に返済リスクが生じた場合、それを相手国政府が返済するのを通例とするが、中国案はそのリスクも中国が負うことを意味するものだ。 計画が最終的に中国の手に落ちた理由は他にもある。外交的揺さぶりもそのひとつだろう。 党中央、国務院、国家発展改革委員会、外交部、国家開発銀行、そしてこれに中国鉄路公司が一丸となった激しいロビー活動である。 また、“揺るぎない自信”もそのひとつだ。世界で最大規模にして最速の技術と管理――は彼らが自認する強みである。中国には、たった12年間で1万7000キロの高速鉄道を敷設したという成功体験があり、北京-上海を結ぶ1300キロの高速鉄道に至ってはわずか3年ほどで正式運行にこぎつけている。 こうした経験を背景に、中国はインドネシアのジャカルタ-バンドン間の150キロを結ぶ高速鉄道も「3年でできる」と誇示した。完工は2018年。これは日本案の2021年の半分の工期に過ぎない。■中国の「一帯一路構想」にインドネシアの思惑が合致 中国にとっては、初の高速鉄道の海外輸出大型プロジェクトとなるだけに高揚気味だ。150キロの走行距離とはいえ、これを契機に今後はインドネシアの鉄道市場を独占できると見るからだ。 中国はジャカルタ-バンドン沿線での「経済回廊」の構想も描く。インフラ建設とともに不動産開発や工業団地開発を進めれば、中国国内の産業チェーンの輸出にもつながると期待を深める。 また、中国の受注をめぐって注目すべきは、中国の掲げる「一帯一路構想」とインドネシアが掲げる「海洋国家構想」のドッキングである。「一帯一路構想」が重視するのは「連結」、他国の交通を連結させながら、中国発の複数のルートを作り上げるこの構想に、インドネシアも利点を見出した可能性は否めない。 ちなみに2013年10月、習近平国家主席は首都ジャカルタで「21世紀海上シルクロード」構想を発表したが、中国は互いに首位の貿易相手国であること、インドネシアがアセアンでも最多の人口を有する国家であることを理由に、2つの経済体が連結することの利点を強調している。中国にとってさらに重要なのは、マラッカ海峡、ロンボク海峡、ナトゥナ海峡などを有するインドネシアを、海上戦略上の攻略地点に組み込むことにある。 他方、日本の経済界からは嘆息が漏れる。日本の商社幹部のひとりは失望を隠さない。 「今回の一件で明らかになったのは、インドネシアの経済発展に最大の貢献国として認知されてきた日本が、中国にとって代わられたということだ。今後、インドネシアには中国資本が大きく投下されるのは間違いない」■ルールを無視する中国の前に健全な競争原理が歪んでいく 一方、日本政府の内部からも強い危機感が伝えられる。インドネシアの高速鉄道の受注に関わる一連の流れをつぶさに見つめてきた政府関係者はこうつぶやく。 「これはOECD陣営の『透明性を確保したモデル』の敗北だ……」 これまで途上国のインフラは、先進国を中心とするOECD(経済協力開発機構)による支援という枠組みを中心に整備がなされてきた。そこに中国が割り込んでくることの影響は小さいものではない。 この高速鉄道計画はインドネシアと中国の企業連合により進められるが、これはPPP方式(Public-Private Partnership)による実施であることを意味する。鉄道案件をビジネスとしてやろうというわけだ。では、その資金調達や返済期間をどう見積もるのか。参加する民間企業はそれぞれにソロバンを弾くところだが、中国の場合は違う。実質、政府が采配を振るってしまうのだ。しかも、中国の民間企業といっても政府と民間の線引きが曖昧で、その実態は純粋な民間企業でないものが多い。 他方、日本企業にとってPPP方式は、日本政府のサポートを離れたところでの単体での闘いを意味し、リスク増大の懸念からインフラ案件の受注が遠ざかる可能性がある。その結果、蓋を開けてみれば中国企業の跋扈――、こうした展開となることは容易に想像がつく。 また今回の案件に見るアンフェアは、政府組織を総動員しての手練手管の裏工作、「同じ土俵での闘い」がいつの間にか「水面下の交渉」に切り替えられてしまった点にある。中国側は「透明性の確保」など歯牙にもかけていないのだ。 「ビジネスをするなら“ビジネスの掟”があるはずだ。だが、“ビジネスの掟”を無視する国がいとも簡単にそれを落札した。途上国のインフラ市場は今後ますます競争原理が働かない市場となってしまう」(同) 透明性を維持すればそこに市場が発生し、よりよい企業が集まることができる。企業が集まれば競争原理が働き、質のいい技術が適正な価格で提供されるという好循環を生む。しかし、中国が割り込んでくることでこうした当たり前の競争原理ですら維持できなくなる懸念がある。 そもそも、すべてのインフラ需要を中国が独占して受注できるわけなどない。「世界の途上国の需要に対して、各国で協力して整備に当たる」というのが本筋だ。当然、そこにはルールが必要であり、そのルールこそがOECDがまとめる行動指針である。ところが、中国は「我々はそんなルールに縛られない」と開き直る。「それはあくまで先進国を対象としたものであり、中国は関係ない」という立場だ。 「一定のルールに基づいて公明正大な競争をすれば、ひいてはみんながハッピーになる、そういう思いで世の中が動いているはずなのだが……」(同)■中国で短期完工が可能なのは政府による“強制”があるから 今回の中国による受注、それがインドネシアの未来にとって最善の選択だったかという点についても疑問が残る。 筆者は、上海の街の変遷を通して「中国式インフラ建設」というものを目の当たりにしてきた。それは住民の強制立ち退きに始まり、民衆と政府の対立、環境破壊と多くの矛盾と摩擦をもたらした。その本質を一言でいえば“政府による強制”である。インフラ建設には莫大な予算がつぎ込まれたが、その恩恵に浴したのは一部の独占企業である。 今の中国の自信の根底には、「北京-上海の高速鉄道の3年の完工」があるが、不可能を可能にしたのは “強制”が働いたからに他ならない。しかもスピード重視となれば、当然アンフェア、不正を招き透明性が失われてしまう。果たしてそれは他国において支持されるモデルなのだろうか。 ちなみに今年3月、スリランカ政府はコロンボ港で進められる「中国城」の建設に中止命令を出した。この計画は520万平米にショッピングセンターやホテル、オフィスビルや3戸の住宅を含む不動産開発だが、法律の抵触と環境破壊が顕在化した。ミャンマーでも2012年に銅山開発をめぐり、民衆が大規模な抗議運動に乗り出している。 途上国で日本モデルは「展開が遅い」と不評を買っているのも事実である。だが、それには一定の合理性も認められる。経済効果の追求のみならず、住民や環境とのバランスを取るにはある程度の時間も必要なのだ。しかも、日本モデルの根底には「産業を興し、人を育て、それを裾野にまで広げる」という息の長さがある。 残されているのは、途上国による「賢い選択」だ。そのためには、まず目先の利益を捨ててもらうしかない。「国家100年の計」を立てた国づくりにこそ、日本モデルは大きな効果を発揮するだろう。…でも、やっぱりニッポンとしては、国際ルールに則り正攻法で攻めるのが宜しいのではないか。自己中、強引なアジアインフラ投資銀行(AIIB)に対する対処法などは試されるアジア経済に述べられています。
2015.11.14
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アジア開発銀行研究所所長・吉野直行さんがインタビューで「中国は、まるで列島改造ブーム、コスト感覚に不安」と説いているので、紹介します。中国経済に陰りが見える今、大使はおっ取り刀で経済のお勉強です。(吉野さんへのインタビューを11/13デジタル朝日から転記しました) 世界の成長センターともてはやされてきたアジアにも、ついに試練のときがやってきた。牽引役だった中国経済が陰りを見せ始め、米国の利上げ観測の高まりで金融緩和マネーが逆流してしまうリスクが心配されている。アジアは持ちこたえられるのか。各国の当局者と意見交換を重ねているアジア経済のご意見番に聞いた。Q:金融緩和で世界にお金をばらまいてきた米国が、近く利上げに転じそうです。アジア経済への影響が懸念されていますが。A:一時的な影響はあるでしょうが、アジアの成長力は本物です。むしろ米国が早めに金融引き締めに転じることに賛成です。先進国の量的緩和でジャブジャブになったお金はアジアに大量に流れ込みましたが、急に逆流すれば大きな問題が生じます。事態がより深刻になる前に、米国も、そして日欧も早めに引き締めたほうがいい。Q:ただ、好調だったアジア経済はすでに失速ぎみです。とりわけ、世界の成長エンジンだった中国経済の変調が心配です。A:中国経済に問題はあるが私はあまり悲観していません。何とか切り抜けていくでしょう。輸出が減り、銀行の不良債権や地方財政の問題を抱えているとはいえ中国の国土は広大で人口は多い。とてつもない受け皿がある。海外の経験も一生懸命に学び、官と民が負担を分担して外から見えない方法で問題を処理していく。そんなメカニズムがこの国にはあります。 上海株式市場の暴落でも国全体が沈んだわけではありません。素人の投資家たちは損をしたが、国家や機関投資家はあまり傷んでいない。輸出減ショックも、内需拡大と新シルクロード経済圏への投資の拡大、それにアフリカ進出で補おうとしています。Q:中国は、円高とバブル崩壊に苦しんだ日本の轍を踏まないように研究していると言われます。でも結局、バブル生成とその崩壊に至るまで日本とまるで同じ道をたどっているのではないですか。A:中国当局の幹部たちは日本の失敗を本当によく研究していて、日本の経験をもとに政策を注意深く修正していますよ。たとえば、日本が1985年のプラザ合意で急激な円高を受け入れたことを彼らは失敗だったと分析し、人民元の上昇ペースが急に速まることに慎重です。当時の日本が円高を食い止めようと金融緩和をし過ぎたことも誤りだったとの見解です。そうならない形で国内投資と国内消費を増やす道を探り、海外投資にも力を注ごうとしています。 ■ ■Q:中国は道路や鉄道などのインフラ(社会基盤)への過剰投資をこんどはアジアに輸出するつもりです。インドネシアの高速鉄道を破格の条件で受注し、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を創設しました。でも、それほど巨額の投資ができる財政力がアジア各国にあるのでしょうか。A:アジア開発銀行(ADB)が各国のインフラ需要を積み上げたら10年間で8兆ドル(約980兆円)にのぼりました。これをすべて造ることはできません。 ADBは実際の融資では一つずつ慎重に審査するはずです。中国主導のAIIBだって気前よくお金をばらまいていたら事業は行き詰まります。ただ、アジア諸国がどこも投資に沸いているのは確かです。日本でいえば田中角栄元首相の列島改造ブームの雰囲気でしょうか。Q:少し危なっかしいですね。A:各国政府にコスト感覚がなさすぎるのが心配です。先日も会議で訪ねた南太平洋の島で、政府関係者から港湾建設への協力を熱心にもちかけられました。途上国では、インフラ整備のために海外から民間の投資資金を引っ張ってくる手法がはやっています。 これに依存し過ぎると危ない。借金で建設するのは簡単だが、いずれ金利をつけて返済しなければならない。安易に借金に走れば、財政は脆弱になります。インフラ造りは目的ではなく、それを利用していかに地元の産業を育て、雇用を生むのかが大事なのです。Q:とはいえ経済発展にはインフラが欠かせないのも確かです。A:もちろんです。そのためには投資に使える長期資金を国内で生み出すことが大切です。海外から途上国への投資は、いざというときに逃げ足の速い資金も多い。だから97年のアジア通貨危機が起きたのです。そうしたお金は元をただせば、アジアの国々が出したお金だったりする。 途上国が米国債を買い、そのお金が米国市場を経由してアジアに還流する構図です。これでは、もうけは米国の投資家に持っていかれ、お金を出したアジア途上国はリスクを負うだけになってしまう。 ■ ■Q:途上国側はどうしたら?A:モデルにすべきなのは日本の郵便局や年金保険の制度です。以前は、国民から集めた貯金や年金積立金を、政府が国内のインフラ整備に投融資していました。そういう資金を集めるには国民が信頼できる貯蓄手段が不可欠です。郵便局を活用すべきです。Q:郵貯などを原資とする財政投融資制度ですね。日本では十数年前に「負の遺産」扱いされて、改革を重ねてきました。A:歴史的には日本の発展に欠かせない役割を果たした制度です。日本には預貯金、生命保険、長期信用銀行の債券などいろんな金融商品メニューがあり、多様な資金が集められた。だからこそそれを原資に短・中・長期の需要に応じて国内産業やインフラに大きな資金が投じられたのです。おかげで国内投資を国内貯蓄でまかなえるようになり、日本は海外資金に頼る必要がなくなりました。海外の金融政策に振り回されることなく安定成長を手に入れたのです。 離島が多いインドネシアでは銀行がない島があり、30%程度の人しか預金口座をもっていません。でも郵便局なら離島にもけっこうある。そこで郵貯のほか、民間の銀行預金や生命保険商品を販売する方法もある。我々の提言を受け入れ、インドやベトナム、中国も郵便局での貯金事業を強化しています。Q:「東アジア共同体」の夢も最近は語られなくなりました。ADBはアジア共通通貨の元になる「ACU(アキュ)」構想まで唱えていたのに。なぜでしょうか。A:ユーロの失敗が大きかったのでしょう。同じ欧州でも国ごとに景気は異なります。国によって経済の構造も貿易取引の実情も違う。そこに一つの金融政策で対応せざるをえないユーロ制度には、もともと欠陥がありました。同じ構成比で作る共通通貨を、どの国も共通に運用するのはとても難しい。その構造欠陥がギリシャ債務問題で表面化しました。アジアのACUが抱える課題も同じです。 ■ ■Q:中国の人民元が国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権の構成通貨に採用される見通しで、ドルやユーロ、ポンド、円と並ぶ主要通貨の仲間入りをしそうです。人民元にそれだけの実力はありますか。A:中国人がたくさん訪れる隣接国のベトナムやラオスのような国では、人民元はすでに地域決済通貨として利用されています。マレーシア通貨やシンガポール通貨の為替相場は、最近ではドルより人民元に連動している。米国より中国との貿易量のほうが多くなっているからそれも当然です。中国は今や世界最大の貿易国になりました。今後ますます多くの国で決済や外貨準備に使われるでしょう。Q:すでに国際通貨にふさわしい、と?A:すべての条件を満たしているわけではありません。当局がいつも為替介入で相場を操作しているようでは計算単位や貯蔵手段として信用できません。それに今も中国の金融市場では資金を自由に動かせない。それでは決済通貨として十分とは言えません。 中国政府には条件を整えていきたいという意欲はあります。ただ、どのくらい時間をかけてやるかで幹部の意見が割れています。一気にやると国内市場が不安定になる。私は中国当局者に助言を求められた際に、『4年くらいかけて徐々にゴールをめざしたらどうか』と言いました。Q:日本や東南アジアの国も入ったTPP(環太平洋経済連携協定)交渉が大筋合意しました。こうした貿易ルールに中国を巻き込んでいくことも必要ですね。A:その通りですが課題もある。自由貿易協定が機能するには、参加国の通貨が市場メカニズムで動くことが必要だからです。もし通貨安を武器に輸出を増やす国があれば、関税撤廃だって意味を失ってしまう。日中韓交渉でもTPPでも、まず中国に為替相場を自由化するよう求め、それができてから自由貿易協定を結ぶべきです。 *吉野直行:1950年生まれ。金融財政政策を専門とする経済学者。米ニューヨーク州立大助教授などを経て、慶応大名誉教授。2014年4月から現職。<取材を終えて> 経済制度こそがその国の発展の度合いを決める、という学説がある。吉野さんの話はまさにそれを裏付けるようだ。先進国からの投資次第で成長力が決まってしまう従来型経済では、早晩アジアの成長に限界がくる。自ら制度を作って経済を動かせるか。来たるべきショックを乗りきるカギもそこにある。(論説委員・原真人)試されるアジア経済吉野直行2015.11.13この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップに収めておきます。
2015.11.14
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・かたづの! ・冷たい米国に片思いした日本(水野和夫さんが選ぶ本)***************************************************************かたづの!より<一本の角が見守る女の一生:瀧井朝世(ライター)> 今月発表のあった柴田錬三郎賞受賞作。今年すでに河合隼雄物語賞と歴史時代作家クラブ賞作品賞を受賞している、著者初の歴史ファンタジーだ。 江戸時代にただ一人、女性の大名がいたという。八戸南部氏の城主だった夫を亡くし、自ら後を継いだ祢々(ねね)だ。大国である南部宗家の叔父から謀略を仕掛けられる度に「戦だ!」と息巻く臣下たちに対し、彼女は常に不戦を説く。八戸から遠野への国替えといった無理難題を命じられても、抵抗せずに居を移す。結果的にはその荒れた地で人々の生活を向上させてみせる手腕は実にあっぱれ。祢々いわく、戦で一番大切なことは「やらないこと」、二番目は「負けないこと」。さらに「さっさと止めるのも肝心」とも言う。 秀逸なのは、語り手が一本の角である点だ。祢々が15歳の頃に山で出会い、友情を育んだ一本角の羚羊(かもしか)。彼は寿命が尽きた後も角に魂を宿してこの世に留まり、時にユニークな手段で彼女を助けるのだ。そのとぼけた口調は実に楽しく、そして温かい。夫も嫡男も喪い、ひたすら人民に尽くした一人の女性の生涯を、こんなふうに陰で見守っていた存在がいたのだと思うと胸が熱くなる。 他にも八戸から遠野についてきた河童や、喋るぺりかんなど不思議な生き物が登場し、物語を賑やかにする。現代への鋭い批判を感じさせながらも、嘘と真が詰まった語りの豊かさ、楽しさを味わわせてくれる。 それにしても、ここ最近の著者の勢いには目を見張るものがある。本作のほか、昨年は人々の偏愛を描いた短編集『妻が椎茸だったころ』(講談社)で泉鏡花文学賞、今年は認知症の父と家族の物語『長いお別れ』(文芸春秋)で中央公論文芸賞を受賞。作風はまったく異なるが、こちら二作も素晴らしい。 ◇中島京子著、集英社、2014年刊<「BOOK」データベース>より慶長五年(1600年)、角を一本しか持たない羚羊が、八戸南部氏20代当主である直政の妻・祢々と出会う。羚羊は彼女に惹かれ、両者は友情を育む。やがて羚羊は寿命で息を引き取ったものの意識は残り、祢々を手助けする一本の角ー南部の秘宝・片角となる。平穏な生活を襲った、城主である夫と幼い嫡男の不審死。その影には、叔父である南部藩主・利直の謀略が絡んでいたー。次々と降りかかる困難に、彼女はいかにして立ち向かうのか。波瀾万丈の女大名一代記!<読む前の大使寸評>先日、短編集『妻が椎茸だったころ』を読んだのだが、しんみりと身にしみたのです。で、著者の歴史ファンタジーには期待大でおます。この本は、図書館に借出し予約しているのだが、なかなか順番が回ってこないのです。<図書館予約:(8/24予約済み)>rakutenかたづの!水野和夫さんが選ぶ本を見てみましょう。とにかく、この書評で述べられている戦略思考に、思わず膝を叩いて賛同するのです。冷たい米国に片思いした日本より■TPP大筋合意 「漂流」すると思われていたTPP(環太平洋経済連携協定)が今月上旬ぎりぎりのタイミングで大筋合意した。12カ国が参加し世界のGDPの4割を占める巨大経済圏が誕生する。 作山巧『日本のTPP交渉参加の真実』は、これまで蔑ろにされてきたTPP参加決定にいたるプロセスを詳細に解明する。中野剛志編『TPP 黒い条約』は米国のTPPに込めた長期戦略と日本の思惑の違いに焦点をあてて分析する。中村靖彦『TPPと食料安保』は日本と「驚くほど共通項が多い」韓国で自由化の影響を調査し、日本の農業の行く末を考える。 農水省でTPP交渉に携わった作山はその賛否を巡る議論よりも、促進要因と抑制要因とにわけて交渉参加のプロセスを説明することに力点を置く。 具体的には(1)菅首相が2010年10月に突如TPP参加検討を表明したのはなぜか、それなのに(2)後継の野田首相が参加を決断できなかったのはなぜか、一転して(3)安倍首相が12年12月の総選挙で自民党の「関税撤廃を前提とする限り、TPP交渉には反対」の公約を掲げ、農協の支援をうけて勝利したにもかかわらず、なぜ就任後3カ月で参加表明できたのか、である。■中国にどう対応 菅首相のTPP参加表明は突飛に思えるが、作山によれば、「東アジア共同体」構想を掲げる鳩山政権のときから「経産省の迂遠だが巧妙な戦略が、後で効果を発揮することになる」。沖縄基地問題でこじれた鳩山政権の対米関係修復と尖閣問題での中国牽制のために菅政権はTPP交渉参加に踏み切った。 第2次安倍政権では、民主党政権以上に政治と経済との争点リンケージが前面に出てくるようになった。「安倍首相は民主主義国家ではない中国への対抗という見地から、TPPの持つ政治面での意義を高く評価」しているからである。 ところが、米国サイドの識者の見解を研究する中野によれば、米国の対中戦略は「台頭する中国との衝突を回避し、共存を模索」しており、TPPは「日本の一部の保守系論者が期待しているような中国包囲網ではあり得ない」と断ずる。 日本政府の一方的片思いだったのであり、そのアメリカは日本に冷たい。中野はジョセフ・ナイの言葉を紹介し「日米同盟は、対ソ封じ込めから、対日封じ込めへと性格を変えた」という。■新帝国システム TPP批准で最も懸念されるのが農業への打撃である。コメ、麦など重要5項目を「聖域」としてきたが、蓋を開けてみたら、重要5項目=586品目のうち3割は関税撤廃となる。TPP参加を選択した以上、日本の農業はこれを奇貨として中村は「日本の食」が「とても惨めな状況」を立て直すしかないという。 アジア通貨危機を契機にFTA(自由貿易協定)大国を選択した韓国の農業は「沈滞」と言っていい状況にあり、「どうすればつぶれるのかという要因を探し、その要因を捨てる仕組みづくり」をし、「強い小農を目指す」。こうした韓国の状況を参考にした上で、中村は「半ば強制的な生産調整は廃止」し、「農地公有化論」を唱える。 TPPに関する研究には「政治学」と「経済学」の統合が必要だ。TPPは、まさに米国の国際政治学者M・ドイルのいう「中心」と「周辺」の存在、両者を結びつけるイデオロギーとしてのグローバル化からなるという点で帝国システムだ。「帝国の政治経済学」が必要である。 ◇水野和夫著、集英社、2014年刊<「BOOK」データベース>より資本主義の最終局面にいち早く立つ日本。世界史上、極めて稀な長期にわたるゼロ金利が示すものは、資本を投資しても利潤の出ない資本主義の「死」だ。他の先進国でも日本化は進み、近代を支えてきた資本主義というシステムが音を立てて崩れようとしている。一六世紀以来、世界を規定してきた資本主義というシステムがついに終焉に向かい、混沌をきわめていく「歴史の危機」。世界経済だけでなく、国民国家をも解体させる大転換期に我々は立っている。500年ぶりのこの大転換期に日本がなすべきことは?異常な利子率の低下という「負の条件」をプラスに転換し、新たなシステムを構築するための画期的な書!<大使寸評>水野さんのこの本は購入済みであるが、現在積読状態なんです…イカン、イカン!rakuten資本主義の終焉と歴史の危機**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から77
2015.11.13
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図書館で『本の声を聴け』という本を手にしたのです。表紙に「ブックディレクターの仕事」とあるが・・・ブックディレクターって、何やねん?【本の声を聴け】高瀬毅著、文藝春秋、2013年刊<「BOOK」データベース>より彼が本を並べると、本棚が輝き始める。-病院、美容室、レストラン、ブティック。さまざまな業種から選書の依頼が殺到する、日本で唯一のブックディレクター、幅允孝。その活動のすべてを徹底取材。<読む前の大使寸評>ブックディレクターという仕事があるのか・・・興味深いですね♪玉石混交、雨後のタケノコみたいに新刊本が店頭に現われているが・・・何を選び、どう並べるかというのが各本屋の争いなんでしょうね。rakuten本の声を聴け大使はブックカフェなるものを見たことがないのだが・・・・どんなものか見てみましょう。<伝説的なブックカフェ>p82~84 こうしたブックカフェスタイルの先がけとなったのは、東京六本木ヒルズにある「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」だ。2003年にオープンした大型のブックカフェである。 森タワーからテレビ朝日前のけやき坂を下っていくと、広い通りと合流する。その右側の角にある。通りに面した側は天井までガラス張りで、店の前はテラスになっている。入口を入るとスターバックスがあり、その奥にTSUTAYAの書店スペースが広がっている。スタバのカウンターの前は円形のスペース。テーブルと雑誌のラックが設置してあり、コーヒーなどを飲みながら客が思い思いに雑誌を読んでいる。 本の売場は、単行本、文庫、新書、写真集、美術書、建築関連の大判の本、絵本やマンガが、混然一体となった感じに並べてある。ジャンル別ではなく、テーマ優先で配置されていて、単行本も文庫も、写真集も絵本もマンガも、同じ棚にあった。だから、店内に入ったときに受ける全体の雰囲気がにぎやかで、一般的な本屋とはまったく違う印象を受ける。カフェと書店が一体化した空間の作り方も、一般書店と異なる雰囲気を醸し出している大きな要因だ。 オープンしてからすでに十年になり、ブックカフェスタイルの店としては、「伝説」的な店である。 この店の本棚の編集を担当したのは幅だった。 幅が当時所属していたのは「ジェイ・アイ」という編集プロダクション。後述するように『ポパイ』『ブルータス』の編集長として知られる石川次郎が主宰している会社だった。TSUTAYA TOKYO ROPPONGIの本にまつわる企画・選書を担うことになった石川は、以前六本木の本屋で働いていた幅を担当者に任命したのだった。ここでディレクションした本は1万5千冊にも上がった。圧倒的な量である。そんな膨大な量をセグメントに従って並べていく作業の労力は想像を超えている。 小説、ノンフィクション、単行本、文庫本、新書、写真集、雑誌、コミックなど、本の種類一つとっても幅広い。作家も、日本の作家と海外の作家と大別される。 だが、幅の「本棚の編集」は、そういう括りではない。政治、経済、文学というセグメントでもない。 恋とか、美味しいものとか、宇宙とか、自然とか、冒険とか、もう少し人の日常生活に寄り添ったセグメントである。そして、そんなテーマに沿って、内外の関係する本や雑誌、写真集などを集めて一括りにする。それには本についての相当な知識が必要だ。さらにそれらをどう並べ、見せていくかの「デザイン」のセンスも重要になってくる。 「ただ単に本を選び、本棚に並べていくのではなく、『その一冊』が最も輝くように棚を演出し、POPやサイン計画など、視覚のコミュニケーションの領域まで考慮して本を置いていかないと誰も手に取ってくれない」 と幅は言う。 仮に、自分の本棚で、「編集」をするとどうなるかを想像してみたい。どれを選び、どの本と組み合わせるか。考えるのは一見楽しそうではあるが、一冊の本にもいろいろな側面、性格がある。多くのセグメントを作るほど、組み合わせや分類の可能性が広がって、収集がつかなくなってくる。本の絶対量が増えるほど、棚作りのポイントは「拡散」するのだ。 一冊の本のどの要素、どんなところ、どのようなイメージを、どう使うか、どこに位置づけていくか。面白い作業かもしれないが、量が量だけに相当大変な仕事だということは想像されるのではないだろうか。 幅が他のスタッフの助けを借りながら、このTSUTAYA TOKYO ROPPONGIの本棚の設置に要した日数は、2週間から3週間。本を選んで集める作業段階からだと半年以上の時間をかけたという。 労力はかかったが、反響は大きかった。まずそれは売上の数字に表れた。なるほど、大使の自宅の本棚の組み替えの参考になりますな~♪たしかに選書して本棚を埋める作業は、楽しそうである。<本棚がつなぎとめる人間関係>p132~136 この映画『すべては海になる』の監督は、山田あかね。自作の小説の映画化だった。山田は、本という、一見静的な物が持つ特性について、こんなことを言った。「本を読む人は、真面目なイメージがあるが、本にはきわどい話や、汚れたことも面白く書いてあったりする。一番自由でラディカルなメディアだと思う。映画は本でつながる人の話にしたかった」 山田が言うように、この映画には、本というものの根源的で、過激とも言える特性が通奏低音のように流れている。(中略) 搬入された300冊は、棚として「愛」を表現するために、よりふさわしいとされた本である。リストには、次のようなタイトルがずらっと並んでいた。 『アンナ・カレーニナ』(トルストイ)、『存在の耐えられない軽さ』(ミラン・くんでら)、『セックス放浪記』(中村うさぎ)、『OUT』(桐野夏生)、『SEX by MADONNA』(マドンナ)、『エロティシズム』(ジョルジュ・バタイユ)、『細雪』(谷崎潤一郎)・・・ 他にもたくさん愛と関係しそうなタイトルの本があった。それだって、古典から現代風俗を描いたものまで多彩な選書になっている。 だが、「愛」とは、直接的に関係がないような本も相当数あった。ナチスのユダヤ人虐殺を生き抜いた記録『夜と霧』(フランクル)や、山田風太郎『人間臨終図巻』、ファーブルの『昆虫記』、西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』もある。単体で見れば、なぜそれが「愛」につながるのかはわからない。『格差はつくられた』(ポール・クルーグマン)、『ガラスの地球を救え』(手塚治虫)、『死に至る病』(キルケゴール)といった社会や人間を考察した書籍も混じっていた。 『家出のすすめ』(寺山修司)、『風の歌を聴け』(村上春樹)、『百鬼園随筆』(内田百ケン)などの著名な文芸作品も含まれている。 これらの本を、コピー用紙の切れはしに書きつけた言葉をもとに振り分けていくのだ。 「『性』と『哲学』は近いところがいいかな」 幅が独り言のように言うと、それを聞いた山田が、「それは面白い!」と、感心したようにつぶやいた。 一見関係ないと思われる言葉が、接近したり隣り合わせになったりすることで、見る者の中で何かが閃いたり、思わぬことに気づかされたり、何かあると感じさせられたりする。言葉と言葉の掛け合わせ、組み合わせによる化学反応のようなものだろうか。山田は、瞬間的にそれを感じとったようだった。 山田が幅を知ったのは、テレビの『情熱大陸』を観たのがきっかけだった。 「最初は、これで商売になるのかなと思いました。売ることを目的とせず、本を並べてビジネスが成立するというのが驚きでした。今回の仕事で、幅さんが持ってきた本のリストを見て、こう来たかと思いました。バックボーンとなる主人公の履歴書をもとに、この主人公が選ぶ本にしたいと発注書を幅さんに出したのです。私も自分の好きな本を70冊。佐藤江梨子さんが10冊、あとは幅さんの選書でした。私も棚を作るために本を選んでみて、あれも入れよう、これも入れようと考えていくのが、こんなに楽しいとは思いませんでした。本の本棚への差し方に遊びも必要だということも覚えました。幅さんは、これの隣りにこれを持ってくるとこうなるというようなノウハウを持っていると思います」 こうして創られた本棚は、2010年上映の映画『すべては海になる』の中で使われた。まだ購入したことはないのだが、電子書籍が気になるわけです。<電子書籍からのアプローチ>p235~236「物」としての本を扱ってきた幅が、ネット上の本屋、リアルな物体性も身体性もない「本屋」にどう関わっているのか、また幅はそのことをどう考えているのだろうか。気になるところだが、その前に、ソニーの電子書籍のシステムを少し説明しておきたい。 まず、コンテンツという電子化された「本」や「雑誌」を提供する会社がある。これが、加藤が以前店長をしていたソニーの本屋であるオンラインブックストア、リーダーストアだ。 書籍、コミック、ライトノベル、雑誌のコンテンツを所有していて、それらのコンテンツは、リーダーストアのサイトに紹介されている。それによると、日本語コンテンツ総冊数は、6万7900冊(12年10月時点)。2千冊の無料コンテンツもある。 それらを購入する場合は、本を読むための電子機器(端末)が必用だが、リーダーストアに対応するのは、「ソニーリーダー」を始め「スマートフォン(アンドロイド)」、「タブレット(アンドロイド)」、「プレイステーション ヴィーダ」だ。 読者は、これらの機器を買った上でソニーのIDを取得して、ダウンロードし、お金を払ってコンテンツを購入するシステムになっている。 いま加藤は、ソニーの販売会社であるソニーマーケティングのほか、「ブックリスタ」に在籍し、電子書籍の流通を柱とする事業を展開している。 電子書籍には、既存の本を持つ各出版社がコンテンツを提供するが、ブックリスタは、各出版社のコンテンツを「集めて」販売するための一種の「取次」役であるプラットフォームを担っている。また、電子書籍専用端末からスマートフォンまで、各種の機器に最適な表現でコンテンツを提供するためのサポートや、コンテンツや書籍情報を提供したりもしている。 電子書籍に関する事業を見ているだけでも分かるのは、電子書籍というのは、「出版社」「取次」「端末」という、既存の紙の本の流通システムを包括する「電子化されたシステム」全体のことだということである。 電子書籍がメディアで報道されるとき、「紙の本をめくるように端末上でページがめくれます」というようなシーンがしばしば映される。また、キンドルだとか、アイパッドだとか端末の機器が強調され、「書籍」という言葉を使っているため、つい本をイメージしてしまいがちだが、あれは電子書籍を矮小化した表現だと言わざるを得ない。「電子書籍」というのは、端末の中に、本の出版から読者の読むという行為までの「本」の全体構造が入っているようなものだ。
2015.11.12
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<『日本語の科学が世界を変える』(その2)>図書館に借出し予約していたこの『日本語の科学が世界を変える』という本をゲットしたのです。大使のツボのひとつに、漢字かな交じり文で書かれる日本語があるのだが・・・このハイブリッド言語は、必ずや日本文化の興隆に一役かっているはずです。そういう観点で読んでみようと思うわけでおます♪【日本語の科学が世界を変える】松尾義之著、筑摩書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より世界をリードする日本の科学・技術。その卓抜した成果の背景には、「日本語による科学的思考」がある!江戸から明治期、西欧から入る外国語の知を翻訳して取り込み、母国語の知識体系に位置づけなおしてきた歴史に遡り、また多くの科学者たちの証言を手がかりにして、この命題に迫る。そして、本来質の高い日本の科学が直面している問題に対峙、さらなる発展への道を提起する。ユニークな視点から解く、新しい「科学論」。<読む前の大使寸評>ハイブリッド言語とも言われる日本語だから、他の言語では得られない強力な利点があるはずではないか?と思うわけです。<図書館予約:(6/11予約、11/07受取)>rakuten日本語の科学が世界を変えるこの本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めたのです。なぜ日本から画期的な発見が相次ぐのだろうか?大使の場合いちばん印象深い、山中伸弥博士のケースを見てみましょう。<山中伸也弥博士のiPS細胞>p134~139 この多神教文化、あるいはアミニズム(精霊信仰)は、少なくとも現在のキリスト教やイスラム教などの一神教とは明らかに異質の考え方だと思う。渡来人の思想宗教や日本の仏教や神道などとも別物なのであろうが、これらとは、どこか馴染みがよい。多神教文化が日本の体系的宗教のもとになっているようなイメージを持っている。こうした文化的背景というのは、科学のような近代合理主義的な体系の中でも、思わぬところに顔を出してくるように思うのだ。 前章の終わりのほうで触れたが、結論を先に言うと、山中伸也弥博士によるiPS細胞の構築ないしは発見の中に、私は、どこかしら、この文化的背景の違いを感じ取るのである。 山中博士は、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞されたわけだが、発表の時、私は「受賞は当然だが、それでも受賞は早すぎる!」と思ったものだ。私と同じ感覚を持った科学者、ないしは科学ジャーナリズム関係者はかなりいたはずだと私は思っている。 ノーベル生理学・医学賞というのは、一時、分子生物学や分子免疫学(利根川進博士など)関係に受賞者が多く出たために、日本のマスコミでは、基礎医学的な研究に贈られるものであるという誤解があると思う。しかし、ノーベル自身の遺言にもあったと思うが、この部門は、あくまでも医学が中心にあって、それは実際に過去の受賞者を見れば一目瞭然なのだ。 生理学といっても多くは、病気の治療や予防などにつながるところの生理学であって、極端な言い方をすれば、健康な人の生理学に関心があるわけではない。したがって、いわゆる普通の生理学も受賞対象とはなっていない。唯一の例外は、ティンバーゲンとフリッシュとローレンツに贈られた1973年と思われ、異例中の異例であった。 もう一つ、ノーベル生理学・医学賞には原則のようなものがある。それは、実際に医療として使われたということである。もちろん、生理学であれば治療に直結していないし、医学でも微妙なものもある。それでも、110年以上の歴史において、ノーベル生理学・医学賞は、基本的に、病気を克服して人々の生命を救済した医学行動に贈られているのである。その意味においては、山中伸也弥博士のお仕事は、将来性は高いとはいえ、まだ、誰一人として助けてはいないのである。したがって、2012年の受賞は異例中の異例といってよいものであった。(中略) 山中博士との間接的なお付き合いは、すでに述べたように、2007年11月、まさに山中博士がヒトiPS細胞の成功を発表された時だった。繰り返すが、当時の私は、東京電力が発行する社会貢献科学雑誌「イリューム」の編集長を委嘱され、その第38号の発生学特集の編集と格闘していた。 もちろん、山中博士の仕事が大きな契機となって、再生医療や発生学への関心が大きく高まったわけだが、その当時としても、発生学は非常に興味深く、また「非常に生物学らしい分野」でもあった。 この意味は、分子生物学一辺倒ではなく、生物の生物たるゆえんを追い求める余裕のようなものを抱えた学問分野であったということだ。いまもそうだと思っているが、ただ再生医療への関心が強くなって、その分、生物らしさの要素は減っているかもしれない。(中略) 経緯はすでに述べた通りで、山中博士の記者会見を待って発行することができ、iPS細胞に関して、世界で最も早く、しかも背景にある大きな学問の中の位置づけも含めて、まさに世界のどこに出しても恥ずかしくない最高の作品が完成したわけだ。 この時、レポーターの田中幹人さんと事前に話し合ったことがあった。彼はそのことを記事には含めてくれなかったが、私の視点は、「もし理想的な再生医療が実現したら」という仮説であった。現代の医療は、医薬品なども含めて、必ず、異物を通じて病気を治している。免疫療法はふつう、自分の生理作用を活性化する形をとるが、免疫といえども、アナフィラキシーを見ればわかるように、完全に無害というわけではない。薬にしても、いくら特効薬などとうたっても、原理的には必ず副作用があるのだ。 このようなことを考えると、確かに空論に近いのであるが、もし理想的な再生医療が実現し、何らかの異常が体内に生じた時に、それを外部の試験管で修復して元に戻すという治療法が実現すれば、これは、考えうるいかなる治療法よりも原理的に優れているのではないか。こう考えたのだ。 理想論ではあるが、これ以上優れた医学の方法論は、いまなお存在しないと私自身は考えている。こういうことを考えていたので、山中博士がヒトiPS細胞を実現したという話は、夢に一歩近づいたと思ったのだ。ガラパゴス島のような、日本の特殊事情が、いい方に転んだようですね♪<聖書の精神的束縛とは無縁の日本の科学>p142~143 もう一点、ネイチャー・ダイジェスト誌でいっしょに仕事させていただいた編集者の宇津木光代さんから、大事なご指摘をいただいた。なぜ日本から画期的な発見が相次ぐのだろうか、という議論の中での話である。 宇津木さんは、日本の科学が大きな仕事を生むのには、「見たものを信じる力も大きいと思います。関係あるかわかりませんが、キリスト教教育では、目で見たものは本当の姿でないから、それよりも見えないものを信じろと教わりました」と言うのだ。 なるほど、神様は目に見えない!私には、なぜか知人・友人・上司・取引先にクリスチャンが多い。それでも、このような大事な事実を知る機会はなかったし、気もつかなかった。もちろんこれは一部でしかないが、まさに私が仮説においてきた概念が証明されたような気分になった。 文化と科学的思考の関係はなお考えていきたいと思うが、山中博士の仕事は、まさに、西欧社会の根幹にある聖書にとっての危機、つまり、難病治療か受精卵保護かという二つの命の選択、厳しい二律背反を回避したのである。これは間違いのない事実である。 私はこのことを理解した時、いかにiPS細胞の意味が大きいかを悟った。でも、治療の試みくらいの段階を経てから、ノーベル賞受賞になるのだろうと見通していた。しかし、そうではなかった。ノーベル賞は西欧社会の賞だと言われて久しい。2012年の生理学・医学賞は、まさにそのことを証明したと思う。科学よりもたぶん大切なキリスト教的倫理観というのがあって、その危機を救済したのであるから、それはもう別格なのだ。 そう考えているとき、「ニューズウィーク」の記事に、「ヤマナカの仕事はノーベル倫理学賞でもあるのだ」という記事が出た。その通りだと私は思うし、そういう救済とも言える奥深い仕事が、西欧にとって「地の果て」とも言える日本から生まれたことを、心からうれしく思う。福沢諭吉などが明治期に正しく評価した西欧文明へのお返しだ。こういうことに対しては、日本人はもっと誇りに思っていいと思う。 2013年11月、山中伸弥教授がローマ教皇庁科学アカデミー会員に選ばれたというニュースが流れたが、これはまったく自然な出来事であることは、以上の経緯を知れば納得していただけると思う。著者の松尾さんは東北大学の西澤潤一博士を高く評価しているが・・・次のくだりに見えるようにかなり職人気質の人である。<泥臭いものづくりを評価する日本が、結局は勝つ>p181~183 では、結晶成長のような地道な仕事は誰がやるのか。中村博士のエピソードとして、フロリダ大学に留学した際に、単に博士号を持っていないだけで労働者扱いをされた話が伝わっている。アメリカの例であるが、実は日本でも、半導体デバイスの構造を考えるような研究は、潜在的に「高級な仕事」と見なされてきた面がある。一方、よい結晶を育て上げるような仕事は「低級な労働者仕事」と見られてきた。 しかし、日本の場合は、そう単純には割り切れない。我々には、誇るべき職人文化の伝統があり、それが最先端の研究開発の現場にも引き継がれたいるからだ。 なぜスーパーLEDすべてが日本生まれとなったのか。この問いに、私なら次のように答える。「日本人には、結晶づくりのような地道な仕事を、研究補助者に任せる片手間仕事ではなく、結晶という深遠な世界の謎を解くための重要な作業だと見なす人々がいた。ゆえに一流の科学者が本気で取り組んだ。だから成功したのだ」と。実際、赤崎博士、天野博士、中村博士の受賞者すべてが、西澤博士の業績を強烈に意識していて、ものづくりという大事な基本線は外さなかった。 このような研究現場の感覚やものづくりは、欧米の科学では希薄だと感じる。日本は逆だ。職人的な世界観には、本当はたいへんな深みがある。例えば中村博士や西澤博士は、結晶成長の場面を、脳という顕微鏡で拡大してリアルに意識できるほど、真摯に結晶と向き合っていた。「心眼」がハイテク研究に要求されることを知って驚いたものだ。このことは二人の対談できちんと語られている(『赤の発見 青の発見』白日社)。 泥臭い世界から、実は新しく美しい未知の世界が開かれていく。しかし、欧米の研究者は、こうした体験的な研究が問題解決のポイントになることに気づいていないように見える。というより、軽蔑しているところがある。材料関係の学術論文を読むとそう感じる。 (文字数制限により省略、全文はここ)『日本語の科学が世界を変える』(その1)byドングリ
2015.11.11
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図書館でこの『日本に住む英国人がイギリスに戻らない本当の理由』という本を手にしたが・・・本の内容もさることながら著者の来歴がすごい♪【日本に住む英国人がイギリスに戻らない本当の理由】井形慶子著、ベストセラーズ、2014年刊<「BOOK」データベース>より英国人だからこそ見えた「日本」の素晴らしさ!イギリス人100名に徹底取材!!ベストセラー『英国式シリーズ』の著者が、日本とイギリス社会の知られざる違いを解き明かすー【井形慶子】1959年長崎県生まれ。作家。大学在学中から出版社でインテリア雑誌の編集に携わる。その後、世界100カ国に流通する外国人向け情報誌を創刊。28歳で出版社を立ち上げ、英国の生活をテーマにした月刊情報誌「ミスター・パートナー」を発刊する。同誌編集長。50歳でロンドンに拠点を持つ。渡英歴は100回を越える。<読む前の大使寸評>本の内容もさることながら著者の来歴がすごい♪そういえば、ベニシア(・スタンリー・スミス)やC.W.ニコルもイギリス人だったなあ。(厳密にはC.W.ニコルはウェールズ人だけど)rakuten日本に住む英国人がイギリスに戻らない本当の理由クール・ジャパンのあたりを見てみましょう。<「漫画・アニメ」は日本の三大柱のひとつ>p49~51 今、イギリスでは日本の漫画やアニメーションが人気です。漫画『ワンピース』やアニメーション『AKIRA』は、イギリスの若者から絶大なる支持を得ています。 ボーカロイドの「初音ミク」も流行っており、日本語の「可愛い」という言葉も欧米でそのまま「KAWAII」となり日常的に使われています。 イギリスのブレア政権が推し進めた国家ブランド戦略「クール・ブリタニア」のように、日本の「クール・ジャパン」は世界に輸出・発信されています。日本独自の文化が、日本という国に関心を持つ外国人を獲得しているのです。 日本に長年住み、会社役員を引退したイギリス人マイケルが、30年前に初来日したときにショックを受けたのは、電車の中で若いサラリーマンが漫画を堂々と読んで笑っていたことです。 イギリスはじめ、欧米では大人が読む漫画はほとんどありません。最近は少し変化してきていますが、基本的に漫画は子どものためのものです。ところが日本では、大人も子どもと同じように漫画雑誌やコミックを読みます。全盛期の『週刊少年ジャンプ』は、発行部数653万部(1995年新年号)を記録し、ギネスブックに登録されました。 日本の漫画はテーマが幅広く、大人にならなければ理解できない内容のものが多いのも特徴です。そのような大人が読むに値する漫画がイギリスにはないのですから、マイケルが驚いたのは当然です。最初、彼は「漫画を読む大人=オタク」と思い込み、気味悪がっていましたが。 日本ほどではありませんが、欧米にも「オタク」はいます。欧米では必ずしも、「オタク=漫画・アニメ」というわけではありません。イギリスでは、異常に趣味に没頭する人を「nerd(ナード)」と言い、優しくて頭が良い、そしてコンピュータに非常に詳しい若者と見ています。アメリカでは、コンピュータに詳しい人を「techie(テッキー)」と呼びます。(中略) 「テクノロジー」「和食」に加え、「漫画・アニメ」という日本のは、イギリス人の日常に入り込んでいます。自分の車を「HONDA」と誇り、日本人だとわかるとカメラを見せてくれと言われます。 先ごろ『小さな恋のメロディ』主演のマーク・レスターさん宅におじゃました際、娘さんがすかさず自分の描いた漫画を見せてくれました。彼女の夢は、「日本に行ってアニメの仕事をする」ことでした。このような子どもにイギリスで出会う度、日本の漫画やアニメは、ものすごい潜在能力を持っていると思うのです。東日本大震災のときの日本人の行動を世界中が注視したけど、日本人がどうしてあのように規律と優しさを発揮できたのか?<日本人の優しさはどこから来たのか?>p153~155 今、世界では文明国が殺伐とした社会に変わってきています。その中で日本人の評価が高いのはなぜかと考えたときに、それはひとえに「優しさ」だと思うのです。他人を思いやり、気持ちを察することができる。そして究極の場面では自分よりも他人を優先できるところでしょう。 東日本大震災のとき、宮城県南三陸町の危機管理課の女性職員は、自分の身の危険が迫っているのに最後まで避難を呼びかける防災無線を放送し続けました。被災という非常事態の中でも、皆が助け合う。食糧を奪い合うこともなく行列に並び、揉め事が起きないように自ら管理者として名乗りをあげる。わずらわしくても、大変でも一肌脱ぐ。 日本は欧米のようにボランティア文化が定着した社会ではありません。その日本で大災害が起きたとき、人々は自然とひとつになりました。習慣や文化を超えて、理屈抜きでまとまれる。これは世界から見たら驚異的なことなのです。 欧米では会社を定年退職する前に、ボランティアを習慣化しておく訓練が必要だと言われています。訓練などしていない日本人が、どうして人に尽すことができたのでしょうか。 それは、私たち日本人のDNAの中に書き込まれた「自分だけが幸せになってはいけない」「まわりの人のことを考える」という資質が受け継がれているからです。 もちろん、良いことばかりではなかったことも承知しています。震災後に立ち入り禁止区域に侵入して盗みをはたらく人たちのニュースには本当に心が痛みました。他県から盗みに来た高校生たちもいましたし、詐欺行為を働いた人もいました。ボランティアのNPO法人「大雪りばぁねっと」が8億円近い復興予算を使い込んでいたという信じられない事件もありました。 それでも大多数の日本人は、「自分も何かをせずにはいられない」という使命感から支援金を募り、有休をとって現地の復興に駆けつけるなど、各自ができるだけのことをしたのだと断言できます。 ボランティア文化の力でもなく、神への信仰でもなく、自己満足でもない。支え合う力によって、誰に指示をされたわけでもないのに、一丸となって行動できる能力が日本人には潜在的に備わっていたのです。今後ますます日本という国と日本人のファンが、世界中で増えていくでしょう。それは、日本人の資質、文化、生活習慣の中に、その魅力があるからです。 しかし同時に、私たち日本人はブームに簡単に染まりやすく、重要なことを放置しやすく、「安全神話」や「平和ボケ」にすぐ戻ってしまう国民性があるということも自覚しておかねばなりません。この先、「日本は沈むかもしれない」「そのような船に皆で乗っている」ということを自覚し、一人ひとりが日本の未来図を思い描くことが大切だと思います。著者はわりと楽天的に日本人を賛美しているようだけど、外から見た日本人の美点はよく述べられていますね。そういえば、大使も宮城県の震災復興に駆けつけたが、誰に言われたわけでもなかったな~。在日の英国人ということではベニシアのブログ が、お奨めです。
2015.11.10
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図書館で『人生を豊かにするモノ』という本を手にしたのです。玉村さんといえば、品のある植物画など描いているし、料理に関する薀蓄、技量もなかなかで・・・気になる人物である。この本で、玉村さんの人柄の成り立ちを見てみましょう。<絵日記帳と朱塗りの小膳>p44~48 以下は3年生のときの元旦の日記全文。 「新年だ。今年もしっかりやろう。今日は、日本晴れの良い天気です。『御目出度う御座います。』とあいさつをしてから御雑煮をいわう。色々のごちそうが出て来た『お母様外へ行って来てよいですか。』『ええ、いいですよ。』僕は何となく良い気持ちで門を出た。町は、きれいな着物をきた女の子が沢山いた。足のぽっくりの音で耳がいたいほどだ。関根町の方へ行ったけれど、友だちに会わないので帰って来てしまった。」 貧乏な貴族の家、あるいは落ちぶれたサムライの家族のような暮らし、というのは、こうした言語感覚や日常のしつけにあらわれていた。父母とも明治生まれという時代のせいもあるのだろうが、母は、父・方久斗と再婚する前は高橋是清の縁戚にあたるという由緒ある家系の貿易商に嫁いでいたこともあり、家柄とか家風とかを重んじ、「山の手」の生活感覚を大切にする人であったらしい。 父のほうは京都の商家から出奔してきた絵描きだからそういった格や序列には無頓着だったようだが、母には芸術家の妻という地位もまた誇りに思えるものであったに違いない。貧乏はしても、精神の品位は高く保とうとしながらその後30年近い余生を送った。 いま考えると、私が子供の頃のわが家の生活は、実際に子供が感じた以上につつましいものであったろう。しかし、「貧すれば鈍する」ことだけは死んでも避けたいとする母の覚悟が、折節に「サムライ」らしいめりはりをつけて子供たちに気位のしつけを与えたようである。何歳の頃までだったか、少なくとも中学を卒業するくらいまで、私は毎年の誕生日には朱塗りの小膳をあてがわれ、小さなタイの尾頭付きを振舞われた。 兄弟がこの銘々膳で揃って食事をした記憶はないが、父の形見とされるその赤い小さな丸い膳は兄弟のひとりひとりにあてがわれており、年に一度だけ誕生日に引っ張り出して使った。私が結婚を機に生家を離れようとしたときに母が形見に持って行けといい、私がいらないというのを強引に押し付けられたことはよく憶えている。 いまは家の目立たないところに飾るでもなく置いてある、年月を経てかたちの歪んだ朱塗りの小膳だが、絵日記とともに残された、小さい頃のことを物語る貴重な証人である。若いうちは、昔のことを思い出すモノなどひとつもいらない、と思ったもので、意識的に、あるいは無意識のうちに、過去とつながりのあるモノたちを身のまわりから捨ててきたものだが、人生も50年を過ぎてみると、そのひとつひとつが懐かしい思い出にほかならず、どういう縁かいまに残っているわずかな品が、宝物のようにも思えてくる。なるほど、玉村さんが醸しだす人柄はこの父母の家系としつけから生まれたものなのか。大使は概して東京人を好きになれないのだが…玉村さんのような生粋の山の手は、そうでもないでぇ♪【人生を豊かにするモノ】玉村豊男著、講談社、2002年刊<「BOOK」データベース>より人生それぞれの場面で幸せをくれたモノたち。同じ空間でともに暮らすモノたち。どれもが、かけがえのない人と時間にまつわる物語を持っている。エッセイの達人が、モノに自らの人生を投影させて滋味深く描く。 <大使寸評>玉村さんが醸しだす人柄はこの父母の家系としつけから生まれたものなのか。大使は概して東京人を好きになれないのだが…玉村さんのような生粋の山の手は、そうでもないでぇ♪Amazon人生を豊かにするモノ
2015.11.10
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11/8六甲シティマラソン(10K)だが、お天気は朝から降ったり止んだりで・・・気が乗らないが行くしかないか。六甲シティマラソン大会10Kだから濡れてもしれているだろうと、雨対策のビニール袋を用意して出かけたが・・・レース中はほとんど降られて、シューズはびしょ濡れで気分はいまいちでした。ちなみに、記録詳細です。男子51歳以上順位:230位台/402人(ラップタイム) (1K換算)5K 32’12 6’266K 38’47 6’358K 51’38 6’24ゴール 64分台 6’30くらいK単位タイムを見てみると6’30くらいで、以前のジョギングのタイムである。ひとりで練習しているので、ジョギングの早さがしみこんでしまったか…(年齢相応の落ち込みでんがな)まあ、それなりに良くやったということで、三宮乗換えの際に、チゲ鍋をいただいたのです♪このレースのスタート時に、偶然、伝説のランナー山本伝さん(82歳)が横にいたので、話をすることができました。歳をとっても、黒いサングラスをかけるところなんかは、オシャレ♪大使も歳相応に頑張ろうと、たるみかけたネジを巻きなおした次第でおます。今年のレースは、あと12/20の三田ハーフを残すのみとなったが…それなりに頑張るでぇ。
2015.11.09
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<日本語の科学が世界を変える>図書館に借出し予約していたこの『日本語の科学が世界を変える』という本をゲットしたのです。大使のツボのひとつに、漢字かな交じり文で書かれる日本語があるのだが・・・このハイブリッド言語は、必ずや日本文化の興隆に一役かっているはずです。そういう観点で読んでみようと思うわけでおます♪【日本語の科学が世界を変える】松尾義之著、筑摩書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より世界をリードする日本の科学・技術。その卓抜した成果の背景には、「日本語による科学的思考」がある!江戸から明治期、西欧から入る外国語の知を翻訳して取り込み、母国語の知識体系に位置づけなおしてきた歴史に遡り、また多くの科学者たちの証言を手がかりにして、この命題に迫る。そして、本来質の高い日本の科学が直面している問題に対峙、さらなる発展への道を提起する。ユニークな視点から解く、新しい「科学論」。<読む前の大使寸評>ハイブリッド言語とも言われる日本語だから、他の言語では得られない強力な利点があるはずではないか?と思うわけです。<図書館予約:(6/11予約、11/07受取)>rakuten日本語の科学が世界を変えるノーベル賞受賞に対して中韓から示された疑問のあたりを見てみましょう。このあたりが本書のキモであると思うが、大使のナショナリズムが大いに高揚するのである♪p19~21<西欧文明を母国語で取り込んだ日本> なぜ日本人は英語で科学をしないのか?なぜ日本人は日本語で科学するのか?その答えは明快だ。英語で科学する必要がないからである。私たちは、十分に日本語で科学的思考ができるからである。 益川敏英博士も、2014年11月26日付朝日新聞「耕論」欄において、英語入試改革に関するコメントの中で次のような意見を表明されている。 「ノーベル物理学賞をもらった後、招かれて旅した中国と韓国で発見がありました。彼らは『どうやったらノーベル賞を取れるか』を真剣に考えていた。国力にそう違いはないはずの日本が次々に取るのはなぜか、と。その答えが、日本語で最先端のところまで勉強できるからではないか、というのです。自国語で深く考えることができるのはすごいことだ、と。 彼らは英語のテキストに頼らざるを得ない。なまじ英語ができるから、国を出て行く研究者も後を絶たない。日本語で十分に間に合うこの国はアジアでは珍しい存在なんだ、と知ったのです」 まさにこのことを、私は本書に書いた。私たち日本人は日本語で科学することができるのだ。でも、それは自然にそうなったわけではない。 日本人は特に150年前の江戸末期に、集中的に必死になって西欧文明を取り入れた。概念そのものが、それまでの日本文化に存在しないものも多かった。そこで、言葉がなければ新たに言葉を作ったりしながら、学問や文化や法律などあらゆる分野について、近代としての日本語(知識)体系を作り上げてきたのである。 そのような新しい日本語を使って、現在の日本人は、創造的な科学を展開しているのだ。そしていまや、多くのノーベル賞受賞者を輩出する実力ある社会を作り上げた。だから、基本的に、英語で科学する必要がないのである。先人に感謝しても、しすぎることはないだろう。 私たち日本人は、日本語で科学することにより、21世紀に入ってほぼ毎年一人のノーベル賞受賞者を出す科学文化を創り上げた。技術の世界においても、ここ20年、従来存在しなかった画期的な新技術・新製品の大半を、日本から生み出してきいた。このように、日本語による科学技術が大きく花開いたのは間違いのない事実である。 それなら、「日本人は日本語で科学を展開したがゆえに、これだけ多くの偉大な成果を得ることができた」と言えるのだろうか?実際日本語には、くりこみ群(統計力学、場の量子論)、棲み分け論(進化論)、すだれコリメーター(X船天文学)、ミウラ折り(宇宙工学)といった日本独特の科学用語があり、その可能性を暗示している面がある。 しかし、この命題をいくら追いかけても、それを証明することはできない。事実として、日本人は日本語でしか科学をしてこなかった。でも、その日本語で科学や技術を展開したという特別の理由ゆえに、ここまで日本の科学技術が大きく花開いたとは言い切れないのだ。論理的に証明不能だからである。 したがって、本書で「日本語で科学や技術を展開したから」と書く時、それは理由を言っているのではなく、他に選択支のなかった事実のみを語っている。この点は間違えないでほしい。ただ、本音を言えば「日本語主導で独自の科学をやってきたからこそ、日本の科学や技術はここまで進んだのではないか」と思うところはある。これについては、あくまでも「状況証拠」でしかないが、様々な具体例をあげてみたいと思っている。 この文脈上での話であるが、韓国ではハングル優先で漢字を棄ててしまったために、多くの同音異義語が区別しきれなくなり、重要な知識や概念を失うだけでなく、厳密な議論もできなくなった。せっかく、漢字用語に基づく科学知識体系を、中国とともに明治期の日本からまるごと導入したのに、実にもったいない話である。これは私の立てた問題を考える際の、明らかな反例である。 もっとも、日本も韓国を笑えない部分がある。なぜなら、歴史を振り返ってみると、日本語で漢字を棄てることになったかもしれない危ない暴論や、怪しげな著名人による盲論が、たびたび顔を出しているからである。(森有礼や尾崎行雄による英語国語論、志賀直哉によるフランス語国語論など)。こういう議論があったことを忘れてはいけない。韓国の漢字教育の惨状が中韓の思い描くノーベル賞や韓国が漢字を復活できない理由に見られます。もうひとつ、本書のキモと思われるところを見てみましょう。<英語にない「物性」で学問をしたから、画期的な成果が生まれた?>p40~42 ハイゼンベルグは、半世紀前に、異文化である日本人理論物理学者の貢献を高く評価した。それから40年ほどたって、例えばネイチャー誌のジョン・マドックス元編集長は、日本語でなされている科学知識に、彼らの知らない何かプラスアルファがあることに気がついた。「はじめに」で私が再発見と言ったのは、このことである。 そうだとすると、いくら論証不可能であっても、やっぱり「日本語だからできたのではないか」という状況証拠を探してみたくなる。そこで、日本語では普通に使われているのに、「英語には翻訳できない科学用語」を取り上げてみたい。そんな例の一つが「物性」という言葉である。 東京大学には物性研究所という素晴らしい研究機関があるし、日本の物理学の中には物性論という明確なジャンルも存在している。「物質の性質を原子論的立場から研究する科学」である。 ところが「外国語にはこれに当たる適切な言葉はない」と『理化学辞典』にも書いてあるのだ。アメリカでは近い言葉にcondenced matter physicsがあるが、これはほぼ100%、凝縮系物理学と翻訳されており、物性という言葉にはなりえない。 一時期、固体物理学というジャンルが物性物理学に近いことがあった。エレクトロニクスなどを支えた学問分野である。材料科学もかなり物性論に近い言葉だ。それでも、超伝導などは物性論以外には入れにくい。まさにハイゼンベルグ博士の言う自然言語としての「物性」は、このように間口の広い言葉なのだ。それは決して悪いことではない。 見方に違いはあるだろうが、広い意味での物性物理学において、日本の科学者の貢献は超一流だと私は思う。細野秀雄東京工業大学教授による鉄系超伝導物質の発見、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二カルフォルニア大学教授による青色発光ダイオードの発明、蔡安邦東北大学教授による準結晶の研究、西澤潤一・東北大学教授による半導体分野の多数の素晴らしい成果群など、みんな広い意味での物性分野の仕事なんおである。これらが世界をいかに変えたかは、あとで詳しく説明する。 日本人研究者の頭の中にスルッと入ってくる「物性」という言葉。この概念は、伊藤仁斎による「窮理・物理」や貝原益軒による「物理之学」と同じころに登場したのではないか。そう私は思っている。物性という言葉が作られた直接的な証拠があるわけではないが、「物」というのがいかにもそれらしいのだ。日本語で書かれた科学雑誌が本屋の店頭を賑わすのは、日本的な現象なのかも?<科学論文誌と科学雑誌>p75~77 すでに述べたように、私は、40年近く前から、科学技術という分野で、ほぼずっと、英語と日本語に向き合ってきた。科学雑誌の編集者として、また科学技術記事のライターとしてである。そこから言えることが、科学を日本語でやっても何ら問題は生じないし、むしろ、プラスの面があるのではないか、ということだ。ご存じのように、いまや日本は、毎年一人の割合でノーベル賞受賞者を輩出する国となった。非欧米言語圏でこんな国は世界を見渡しても存在せず、英語でなく日本語で科学をすることが、あるいは逆にメリットになっているのではないか、と考えられるのだ。 もちろん、私のここでの議論は、英語を使わないということではなく、まずきちんと日本語で理解し、同時に、それに対応するような英語もきちんと学んでいくことを前提にしている。それが日本の科学であり技術のあり方なのだ。 江戸時代の学者が日本語と漢文を学んだように、今日、日本語と英語を学んでいくことが、結果として学問を深め、世界の科学技術にかけがえのない形の貢献をすることになるのではないか。そんな予感を持っている。だから、それは決して英語だけ、日本語だけで、科学や技術知識を習得することではない。 日本の新聞や雑誌の科学のニュースではよく、「英国の科学雑誌ネイチャーによると」とか「米国の科学雑誌サイエンスによると」という記事が多い。この場合のネイチャー誌やサイエンス誌は、正確に言うと科学雑誌ではなく科学論文誌である。科学雑誌と科学論文誌の違いは、「論文」を載せるか載せないかである。この場合の「論文」というのは、同じ科学者による匿名の審査過程を経ていて、「論文として発表するに値する新しい内容を含んでいる」という保証つきの成果発表報告書である。 科学の世界では、新しい発見や知見は、すべて、この「論文」を通して発表され、その発表に至るまで、必ず厳しい複数の専門家による審査過程がある。この審査(査読ともいう)を英語でピアレビューという。ピアは同レベルの専門家、レビューは審査、検査という意味である。大使は、あくまでも漢字に拘るのです。<直感的にわかる漢字表記が大切>p65~66 (文字数制限により省略、全文はここ)
2015.11.08
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「イギリス」でしょうか♪何故イギリスの気分なのか?…先日見た映画が2本ともイギリス映画だったことも影響しています。<市立図書館>・スーパー・カンヌ・日本に住む英国人がイギリスに戻らない本当の理由・本の声を聴け・絵巻物に見る日本庶民生活誌・日本語の科学が世界を変える<大学図書館>・(今回はパス)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【スーパー・カンヌ】J・G・バラード著、新潮社、2002年刊<「BOOK」データベース>より銃声が静寂を破り、ビジネス・エリートたちの超楽園に闇が、ゆっくりと、口を開く-現代文学の巨人が挑む人類の未来、ミステリの快楽。<読む前の大使寸評>上海生まれで、飛行機少年だった著者は、現代のビジネス社会をどのように描くのでしょうね♪ところで、スーパー・カンヌはフランス語で発音するとシューペル・カンヌとなる実在する都市だそうです。rakutenスーパー・カンヌ【日本に住む英国人がイギリスに戻らない本当の理由】井形慶子著、ベストセラーズ、2014年刊<「BOOK」データベース>より英国人だからこそ見えた「日本」の素晴らしさ!イギリス人100名に徹底取材!!ベストセラー『英国式シリーズ』の著者が、日本とイギリス社会の知られざる違いを解き明かすー【井形慶子】1959年長崎県生まれ。作家。大学在学中から出版社でインテリア雑誌の編集に携わる。その後、世界100カ国に流通する外国人向け情報誌を創刊。28歳で出版社を立ち上げ、英国の生活をテーマにした月刊情報誌「ミスター・パートナー」を発刊する。同誌編集長。50歳でロンドンに拠点を持つ。渡英歴は100回を越える。<読む前の大使寸評>本の内容もさることながら著者の来歴がすごい♪そういえば、ベニシアやC.W.ニコルもイギリス人だったなあ。rakuten日本に住む英国人がイギリスに戻らない本当の理由【本の声を聴け】高瀬毅著、文藝春秋、2013年刊<「BOOK」データベース>より彼が本を並べると、本棚が輝き始める。-病院、美容室、レストラン、ブティック。さまざまな業種から選書の依頼が殺到する、日本で唯一のブックディレクター、幅允孝。その活動のすべてを徹底取材。<読む前の大使寸評>ブックディレクターという仕事があるのか・・・興味深いですね♪玉石混交、雨後のタケノコみたいに新刊本が店頭に現われているが・・・何を選び、どう並べるかというのが各本屋の争いなんでしょうね。rakuten本の声を聴け【絵巻物に見る日本庶民生活誌】宮本常一著、中央公論新社、1981年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>民俗学の巨匠が解説すると、絵巻物から当時の庶民の息吹きが聞こえてくるのではないか♪図書館に予約した直後にゲットできた本であるが・・・これだけ古書になると探している人もいないようですね。<図書館予約:(10/27予約、11/04受取)>rakuten絵巻物に見る日本庶民生活誌【日本語の科学が世界を変える】松尾義之著、筑摩書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より世界をリードする日本の科学・技術。その卓抜した成果の背景には、「日本語による科学的思考」がある!江戸から明治期、西欧から入る外国語の知を翻訳して取り込み、母国語の知識体系に位置づけなおしてきた歴史に遡り、また多くの科学者たちの証言を手がかりにして、この命題に迫る。そして、本来質の高い日本の科学が直面している問題に対峙、さらなる発展への道を提起する。ユニークな視点から解く、新しい「科学論」。<読む前の大使寸評>漢字かな交じり文というハイブリッド言語を操る日本語だから、他の言語では得られない強力な利点があるはずではないか?と思うわけです。<図書館予約:(6/11予約、11/07受取)>rakuten日本語の科学が世界を変える*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き121
2015.11.08
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6日深夜のETV特集で『解明 藤田嗣治の真実』再放送を観たのだが…良かった♪戦前から西洋の画壇に評価された藤田であるが・・・戦後は、戦争協力者という理屈で日本画壇から一人詰め腹を切らされたかっこうである。…なんと日本的で狭量の日本画壇であったことか。この放送で近日公開の映画『FOUJITA』の紹介がありました。小栗監督は、筋金入りの近代主義者の藤田を、キツネのエピソードを交えて古層を持った日本人として描いているようです。小栗監督なりの解釈なのだろうが…それもいいではないか。折りしも11/14から『FOUJITA』が全国公開のようだが、これは面白そうである。この映画については、「はじめての藤田嗣治」として早々と予告していたので、観に行こうと思うのである。【FOUJITA】小栗康平監督、2015年日仏制作<movie.walker作品情報>より戦前のフランスを中心に活躍した日本人画家・藤田嗣治の波乱の生涯を描いた、オダギリジョー主演の人間ドラマ。“乳白色の肌”の裸婦像でエコール・ド・パリの寵児となるも、日本に帰国し、戦争協力画を描く事になる藤田の絵に向き合う真摯な姿勢を映し出す。監督は『泥の河』『死の棘』など数々の名作を手がけてきた小栗康平。<観る前の大使寸評>小栗監督は、筋金入りの近代主義者の藤田を、キツネのエピソードを交えて古層を持った日本人として描いているようです。フランスで知った自由と孤独…フランスに帰化した後、藤田は日本人に会うことは稀だったが日々喫食するのは日本料理だったそうです。movie.walkerFOUJITA名古屋市では、仏ランス市主催の藤田嗣治展が計画されていると、ETV特集が紹介していたが…やっと藤田嗣治が正統に評価される時代が到来したようです。「メゾン=アトリエ・フジタ」ついでに、この映画のネット情報をオマケだ。・オダギリジョー、反抗児から改心「心を入れ替えなきゃダメかな」・なぜ“ややこしい絵描き”を題材に?小栗康平監督が回答・藤田嗣治手しごとの家byドングリ
2015.11.07
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日頃から図書館に通いつめる大使であるが・・・とかく、先達の本棚とか、本屋とか古本屋が気になるわけです。で、この分野で最近読んだ本を並べてみます。・福岡ハカセの本棚・松岡正剛の書棚・古本道場・古本・貸本・気になる本・秘密の本棚*****************************************************************************【福岡ハカセの本棚】福岡伸一著、メディアファクトリー 、2012年刊<「BOOK」データベース>より科学的思考と巧緻な文章力の原点。科学者・福岡伸一を生んだきわめつけの良書を熱く語る。【目次】第1章 自分の地図をつくるーマップラバーの誕生/第2章 世界をグリッドでとらえる/第3章 生き物としての建築/第4章 「進化」のものがたり/第5章 科学者たちの冒険/第6章 「物語」の構造を楽しむ/第7章 生命をとらえ直す/第8章 地図を捨てるーマップヘイターへの転身<読む前の大使寸評>表紙に書かれたコピー「思索する力を高め、美しい世界、精緻な言葉と出会える選りすぐりの100冊」が、ええでぇ♪さて、ハカセお勧めの100冊とは、どんなかな?ハカセは科学者として、理系のエッセイストとして、これほど文章の上手い人はいないとも言われているようです。rakuten福岡ハカセの本棚福岡ハカセの本棚byドングリ*****************************************************************************【松岡正剛の書棚】松岡正剛著、中央公論新社、2010年刊<内容紹介>よりあの「千夜千冊」が本屋になった。書店初のセレクトショップ、松丸本舗を解説。【目次】本殿第1章 遠くからとどく声本殿第2章 猫と量子が見ている本殿第3章 脳と心の編集学校本殿第4章 神の戦争・仏法の鬼本殿第5章 日本イデオロギーの森本殿第6章 茶碗とピアノと山水屏風本殿第7章 男と女の資本主義本集01 season 01 日本が変わる本集02 season 02 男本・女本・間本〔ほか〕<読む前の大使寸評>この本では、正剛さんの推薦する本が、本自体の画像や本棚に入れた画像で載っているので、思いのほか親しみやすくなっています。ただし、本の内容についてはその本を読んでみるしかないのだが。bookservice松岡正剛の書棚松岡正剛の書棚byドングリ*****************************************************************************【古本道場】角田光代, 岡崎武志著、ポプラ社、2005年刊<「BOOK」データベース>より古本道の師匠がくりだす、6つの指令。新直木賞作家は無事、古本道をきわめられるのか。<大使寸評>この本には写真やマップもたくさん載っていて、古本のイメージと逆行するようなビジュアル編集が、ええでぇ♪rakuten古本道場古本道場byドングリ*****************************************************************************【古本・貸本・気になる本】出久根達郎著、河出書房新社、2004年刊<「BOOK」データベース>より古本、貸本、新刊本…、さまざまな気になる本と人をめぐる、エピソードに満ちた最新エッセイ集。【目次】1 貸本屋の女主人(本の時代の終末/予期せぬ出会い/文壇の気風 ほか)/2 古書のぬくとい街(岩波新書、私の薦めるこの一冊/本とあらば何でも見たい/組み立て付録 ほか)/3 浮世離れの古本屋(開かずの間-車谷長吉『白痴群』/連鎖の楽しさ-岩田宏『渡り歩き』/書物殺しの犯人-佐野真一『だれが「本」を殺すのか』 ほか)<読む前の大使寸評>リタイヤして暇な大使であるが・・・古本屋という商売もいいなァ、と思わないでもない。でも、たぶん売上げは絶望的ではないだろうか?ということが興味深いのです。rakuten古本・貸本・気になる本古本・貸本・気になる本byドングリ*****************************************************************************【秘密の本棚】いしかわじゅん著、小学館、2009年刊<【目次】「BOOK」データベース>より1の秘密 彼らの事情(彼女のストレート/ぼのぼのとSinkの間/森下裕美の冒険 ほか)/2の秘密 やってきた道(謎の人/西風少し復活/ギャグの星を探せ ほか)/3の秘密 描く人々(天然のヤスジ/少年画報の黄金時代/中川いさみの立った場所 ほか)<大使寸評>いしかわじゅんさんがマンガ作家であるだけに、同業者を見る目は鋭いのである。谷岡ヤスジや諸星大二郎を正しく評価しているのが、個人的には、なんともええ感じである♪rakuten秘密の本棚秘密の本棚byドングリ*****************************************************************************
2015.11.07
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明日(11/7)から『グラスホッパー』が全国公開のようだが、これは面白そうである。原作の小説は、最近たまたま読んだので、この映画は「読んだ後に観る」ことになるわけで、わりと失望することが多いパターンではあるが・・・観に行ってみるか♪ちなみに『ゴールデンスランバー』の場合は、原作を読まずに観たのだが、これは面白かった。【グラスホッパー】瀧本智行監督、2015年制作<movie.walker作品情報>より伊坂幸太郎の同名小説を、生田斗真、浅野忠信、山田涼介らの出演で映画化したサスペンスドラマ。渋谷のスクランブル交差点で起きたある事件を機に、恋人の復讐を誓う元教師、自殺専門の殺し屋、驚異的な身体能力を持つ殺人者という3人の運命が交錯していく様がつづられる。『脳男』で生田とタッグを組んだ瀧本智行が監督を務める。<観る前の大使寸評>「読んだ後に観る」ことになるが・・・伊坂幸太郎の疾走感は、どのように描かれるか興味深いでぇ♪movie.walkerグラスホッパー映画グラスホッパー公式サイト原作の小説です。【グラスホッパー】伊坂幸太郎著、角川書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より「復讐を横取りされた。嘘?」元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者・蝉も「押し屋」を追い始める。それぞれの思惑のもとにー「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。疾走感溢れる筆致で綴られた、分類不能の「殺し屋」小説。<大使寸評>【バッタは蝗害を起こす前に、普段の「孤独相」と呼ばれる体から、「群生相」と呼ばれる移動に適した体に変化する。これを相変異と呼ぶ】この本のタイトル『グラスホッパー』はサバクトビバッタを比喩しているとのこと。なるほど、都会の孤独な殺し屋は、サバクトビバッタなのか。伊坂幸太郎の作品としては珍しく、希望が語られることはなく、殺しに徹しています。rakuteグラスホッパーついでに、伊坂幸太郎のネット情報をオマケだ。伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』伊坂幸太郎 特集
2015.11.06
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図書館で『俺は死ぬまで映画を観るぞ』という本を手にしたが・・・・四方田さんが、1985年から2010年までに、いろんな新聞や雑誌に書いてきた映画評の数々が載っています。大使が観た作品や、知らない作品がキラ星のようにちりばめられています。そして、ここにはハリウッド作品が少なくて、ヨーロッパや東アジアの作品が多いのだが、これが四方田テイストなんでしょうね♪この選定がありそうであまり無いわけで・・・「四方田犬彦の世界」ではないだろうか。【俺は死ぬまで映画を観るぞ】四方田犬彦著、現代思潮新社、2010年刊<「BOOK」データベース>より観たいものを観、スクリーンに対峙するだけで充分ではないか。ただただ世界中の映画をなりふりかまわず観まくってきた映画研究家が、17年ぶりに刊行する映画時評集。 <読む前の大使寸評>映画、フランス、韓国、台湾・・・・年上ということもあるが、どういうわけか常に大使の一歩先を行くような四方田さんが気になるわけです。世界中を股にして見たいものを見てきた四方田さんは、まさしく先駆者なんでしょう♪Amazon俺は死ぬまで映画を観るぞこの本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めたのです。映画のなかのアンナ・カリーナは、大使にとってもアイドルだったわけです♪p147~149<アンナ・カリーナは今でも現役アイドル> まあ、これがわたしね。『アルファヴィル』のときでしょ。こっちがエディで、そうそう、わたしがエリュアールの詩集を読んでいるところよ。すごいわ! 60歳のアンナ・カリーナは、わたしがもってきた岡崎京子の漫画を手にとりながら、嬉しそうにそういった。彼女は「東京の夏」音楽祭の招きで、リサイタルを開くために来日したのだった。 初めて会うアンナは、とても気さくで冗談好きの女性だった。岡崎京子の『愛の生活』の表紙を見て、この女の子のファッションは、50年代の、わたしがデンマークで子供だったころの感じねといい、自分の出演作の服装について説明をしてくれた。 ゴダール映画のなかではいつも絶望に満ちた、暗い眼差しばかりを見せているという印象があったので、現実との落差にわたしは少しびっくりした。でもいいや、なにしろ中学生のとき以来夢中になっていた女優に会えたのだから。「『小さな兵隊』のときのセーター、あれは自前ね。『女は女である』のセーラー服、あれはオーダーよ。お金かけて撮った映画だったし。『気狂いピエロ』?あの辺の服はだいたいプリズニックの吊るしが多いわ。真っ赤なワンピースとか、白いノースリーブとか」。ちなみにプリズニックというのは、まあ日本でいうと長崎屋とか西友にズラリと並んでいる既製服の感じである。 アンナ・カリーナはデンマークに生まれた。母親が劇場の衣装係だったので、子供のころから芝居は身近なものだった。だが2歳のとき父親が家を出てしまい、生活はけっして豊かなものではなかった。中学校をすまし、17歳でパリに無一文でやってくると、カルダンのモデルをして働いた。やがて彼女はゴダールに発見され、主演女優として、妻として、このひどく気難しい監督に霊感を与えた。 もっとも結婚生活は5年で終わった。アンナの浮気が原因である。ゴダールはその後政治路線に突っ走り、一人になったアンナはそれを虚しく思いながら、遠くから眺めていた。 「ジャン=リュックは天才よ。彼はいつも本を読んでいて、パッと姿を消してしまう。誰も彼のようにできないわ。わたしは多くのものを受けとったと思う。もしわたしの方で彼に何かを与えられたとすれば、それは移り気ということかしら。なにしろわたしはいつだって、次から次へと別のことに気を取られていたから」。 アンナと会った二日後、わたしはアートスフィアで開かれたリサイタルに出かけた。彼女は黒一色のシンプルな格好で、次々と曲を披露した。もっともわたしには演出がいささか一本調子で、いささか寂しい思いがした。もともとプロの歌手ではないのだから、本当はもっと舞台に趣向を凝らすべきだったのだ。 リサイタルの最後の方で彼女は、35年前に『気狂いピエロ』のなかで歌った「わたしの運命」という曲を披露した。アンナがじっと自分の掌を見つめながら歌う。「どうして運命線がこんなに短いのでしょう。明日という日が心配だわ」。気狂いピエロ するとかたわらにいたジャン=ポール・ベルモンドが「そんなこと、どうでもいいよ。きみのウェストの線の方が気になるな」と混ぜっかえす。映画では有名なシーンだ。ステージでは若いカトリーヌというシンガーソングライターが、このベルモンドの代わりをした。アンナは昔の舌ったらずな歌い方をやめ、堂々と間をとりながら、大年増のコケットリーを振りまいた。 わたしは心の中で懐かしさに浸っていた。ところがリサイタルが終わると突然、大勢の女の子が「アンナ!アンナ!」と叫びながら、湧いてでるようにステージの側に駆けつけたではないか。これは予想もつかない出来ごとだった。我も我もとサインをねだる彼女たちにアンナは最初びっくりしたようだったが、やがて坐りこんで一人一人に対応しだした。30分経って、ようやく騒ぎは収まった。 アンアはもはや映画オタクのノスタルジックな偶像なのではなく、日本のオリーブ少女たちの、現役のアイドルなのだ。これでいいのだと、わたしは思った。 それから岡崎京子の本を彼女に渡しておいて、本当によかったと思った。『週刊SPA!』2000年7月この記事は15年前の記事だから、今のアンナ・カリーナは75歳なのか・・・光陰矢のごとしである。それにしても岡崎京子の漫画のおかげで、アンナ・カリーナが現役のアイドルだったというのが、可笑しい♪岡崎京子ゴダールの「中国女」 に書いたとおり、大使は一時期はゴダール作品に入れあげていたのです。俺は死ぬまで映画を観るぞ(その1)
2015.11.06
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Peach航空がメルマガを送ってくるんですが、心騒ぐわけですね♪で、格安のなかでも、気になるタイムセールを紹介します。(大使の関心のある路線のみ紹介します、すんまへん)この冬場に2泊3日くらいの韓国、台湾旅行がいいかもね♪このところ、大阪-釜山 2,990円、大阪-台北(桃園) 4,990円が定着してしまったようだけど・・・大使が乗った大阪-釜山1500円というのは破格セールだったようです。<Peach航空メルマガ抜粋><2015年>*************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.192 ☆アクティブ宣言!☆全線片道、燃油サーチャージなし【販売期間】11月5日 00:00~11月8日 23:59【搭乗期間】2015年12月1日~2016年3月14日 ※路線によって適用日が異なります大阪(関西)-ソウル(仁川) 3,990円~ 大阪(関西)-釜山 2,990円 大阪(関西)-香港 3,990円 大阪(関西)-台北(桃園) 4,990円 大阪(関西)-高雄 3,990円 <2014年>*************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.146☆桃花火セール 1発目☆全線片道、燃油サーチャージなし【販売期間】8月12日00:00~8月17日23:59【搭乗期間】8月21日~12月18日 ※路線によって適用日が異なります大阪(関西)-沖縄(那覇) 2,980円 (火~木) 大阪(関西)-ソウル(仁川) 3,480円~ 大阪(関西)-香港 5,980円 大阪(関西)-台北(桃園) 4,980円 *************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.141【☆夏直前セール☆】全線片道、燃油サーチャージなし【販売期間】6月13日00:00~6月17日23:59【搭乗期間】6月23日~8月7日大阪(関西)-仙台 2,480円(月~木) 大阪(関西)-釜山 2,480円~ 大阪(関西)-台北(桃園) 4,980円 大阪(関西)-高雄 4,980円 *************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.140全線片道、燃油サーチャージなし【販売期間】5月30日00:00~6月3日23:59【搭乗期間】6月12日~8月2日大阪(関西)-仙台 2,480円(月~木) 大阪(関西)-釜山 2,480円~ 大阪(関西)-台北(桃園) 4,980円 大阪(関西)-高雄 4,980円 *************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.132【片道2,000円シリーズ】感謝の気持ちと、就航2周年のバースデープレゼントとして、全路線片道2,000円の特別運賃を20,000席限定でご用意しました!・第1弾【販売期間】3月1日00:00~3月4日23:59【搭乗期間】大阪(関西)-釜山 4月8日~10月23日(全曜日) 沖縄(那覇)-台湾(桃園) 4月8日~6月12日(全曜日) 大阪(関西)-高雄 4月8日~10月23日(全曜日) ・第2弾【販売期間】3月2日00:00~3月4日23:59【搭乗期間】大阪(関西)-沖縄(那覇) 4月8日~10月23日(火~木) 大阪(関西)-香港 4月8日~10月23日(全曜日) 大阪(関西)-台湾(桃園) 4月8日~10月23日(全曜日) ・第3弾【販売期間】3月3日00:00~3月4日23:59【搭乗期間】大阪(関西)-札幌(新千歳) 4月8日~10月23日(火~木) 大阪(関西)-ソウル(仁川) 4月8日~10月23日(全曜日) *************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.131☆48時間セール☆【販売期間】2月22日00:00~2月23日23:59【搭乗期間】3月3日~3月31日大阪(関西)-釜山 1,980円~ 大阪(関西)-高雄 3,980円 *************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.124【販売期間】1月2日00:00~1月5日23:59【搭乗期間】(国際線)1月20日~5月31日大阪(関西)-ソウル(仁川) 3,280円 大阪(関西)-釜山 2,280円~ <2013年>*************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.123【販売期間】12月21日00:00~12月24日23:59【搭乗期間】(国内線)1月6日~3月19日、(国際線)1月6日~5月31日大阪(関西)-ソウル(仁川) 3,280円~ 大阪(関西)-釜山 2,280円~ *********************************************************なお、詳細はPeachアクティブ宣言!で見られます。釜山1泊ツアー計画など見て、計画してみるか。11月8日までと時間をきられると・・・・なんか焦るで。
2015.11.05
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久々にくだんの2本立て館に繰り出したが・・・・今回の出し物は「しあわせはどこにある」と「パレードへようこそ」であり、館主の設けたテーマは「行動すると、何かが・・・」となっています。毎度のことながら、2作品を選ぶ館主のセンスには感心しているのですが・・・・今回のテーマは大使に言わせたら「幸福を求めて踏み出せ」になるんですけどね。2作品とも事前リサーチなしで、館主のセンスだけに頼って観たのだが・・・合格でんがな♪【しあわせはどこにある】ピーター・チェルソム監督、2014年、英・独・カナダ制作、H27.11.3観賞<Movie Walker映画解説>より「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」のサイモン・ペッグ主演のコメディ。幸せを追い求めて人生を見つめ直す旅に出た精神科医が、世界各地で騒動を巻き起こす。共演は「ゴーン・ガール」のロザムンド・パイク。監督は「Shall we Dance? シャル・ウィ・ダンス?」のピーター・チェルソム。<大使寸評>中国やチベットまででかけるところが、タンタンの冒険のようで楽しめるのです。アフリカでは悪の帝王のようなジャン・レノが絡んでくるところが、ええでぇ♪Movie Walkerしあわせはどこにある【パレードへようこそ】マシュー・ウォーチャス監督、2014年、英制作、H27.11.3観賞<Movie Walker映画解説>よりサッチャー政権下のイギリスで、ストが長引き困窮する炭坑労働者たちを支援しようとする同性愛者グループとウェールズ奥地の炭鉱町の人々とが結ぶ友情を、実話をベースにカルチャー・クラブやザ・スミスなど1980年代のヒット曲にのせて描いたドラマ。監督はロイヤル・シェイクスピア・カンパニーをはじめ多くの舞台演出を手がけ、また「背信の行方」といった映画やオペラなど多岐にわたった活躍を見せるマシュー・ウォーチャス。<大使寸評>実話に基いたお話とのことである。ラスト近く、ゲイのデモに炭坑労働者組合の応援団がバス数台で駆けつけるシーンで、思わず涙する大使であった。性的マイノリティに対する人権確立は世の趨勢であるが、初期にはこんな行動があったわけですね。脚本、演技ともイギリスらしくて、シブいでぇ♪Movie Walkerパレードへようこそこの2作品も2本立て館で観た映画に収めておこう。パルシネマ上映スケジュール
2015.11.05
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図書館から『紙の本は滅びない』という本を借りて読んでいるのだが・・・電子書籍に信頼のおけないアナログ老人としては、あくまでも「紙の本」に拘りたいのである。というか、手に取りパラパラめくるというアナログ機能には、電子書籍は到達し得ないと思うのです。だけど・・・紙の本は滅びないだろうけど、「町の書店」の減少は市場原理の表れなのか?【紙の本は滅びない】福嶋聡著、ポプラ社、2014年刊<「BOOK」データベース>より世界最大のインターネット書店であるアマゾンが「日本上陸」して15年。キンドルやiPadは新たな読書端末を登場させた。それでも人々は、書店にやって来る。何を求めて?インターネット空間に漂うコンテンツが膨大になればなるほど増す、書物の必要性。「世界を、宇宙を、人々の生きざまをもっと知りたいし、変えていきたい」と綴る現役書店人が今こそ世に問う「紙の本の」意義。<読む前の大使寸評>電子書籍に信頼のおけないアナログ老人としては、あくまでも「紙の本」に拘りたいのである・・・というか、手に取りパラパラめくるというアナログ機能には、電子書籍は到達し得ないと思うのです。rakuten紙の本は滅びないこの本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めたのです。紙に対するこだわり、電子書籍の今後については、あとがきでも述べられています。<あとがき>よりp252~255 2000年の暮れ、21世紀のカウントダウンが始まるころ、ジュンク堂書店工藤恭孝社長が池袋店2階に現われた。 「福嶋、この木の色目で、棚のスチールの部分と会うかな?」 工藤社長は手にしていた新しい棚板を売場の書棚にかざしてぼくに聞いた。 池袋店を1000坪から2000坪に倍増する工事が大詰めを迎えた時期だった。 工藤社長は、全体的なレイアウトはチェックするが、書棚にどんな商品を並べ展示するかについては、すべて現場スタッフに任せてくれる。だが、店の美観にはきびしく、例えば現場が勝手に出版社から什器をもらって売場に置くことを許さなかった。そして書棚の材質としては、木にこだわった。 「紙はもともと木やからな。本には木の棚が一番しっくりする」 そのことを思い出すたびに、「アメリカと違う」と思う。 電子書籍の話題になると、やれ「アメリカにおけるシェアは〇〇パーセントになった。日本もそのあとを追って、電子書籍が紙の本を凌駕するだろう」と声高に予言される。20世紀後半、日本がアメリカのあとを追いかけたことは確かだ。しかし、これからもずっとそうなるかという確証はないし、すべてにおいてそうなってきたわけでもない。 国土の大部分を山林が覆い、里山と不可分に結び付いて生計を成り立たせてきた日本と、砂漠の真ん中に石造りの家を建てて街を興してきたアメリカとでは、木に対する愛着、思い入れの強さが違う。木から生まれた紙への思いも、当然違ってくる。それが、ぼくが電子書籍を前に怯むことはないと思う大きな理由の一つである。 電子書籍が定着せず廃れていく、と言いたいのではない。読書端末に拘らなくとも、文字情報は、デジタル化された方が便利なものはずっと以前からデジタル化されている。だからといって紙の本が電子書籍に「負ける」わけではない、取って代わられるわけではない。 ぼくが不満に思うのは、さまざまな電子書籍待望論、電子書籍必然論に対して、紙の本の優位性を訴える出版―書店業界の人々の声があまりにも少ないことだ。それはデジタル教科書に対する教育現場からの違和の声、電子図書館に対する図書館界の反論にも言える。 そこに漂うのはあきらめの感情であり、残ったのは保身への画策であるかに見える。その状況を打破したかった。多少の無理を承知で、これまでに書いた文章を接ぎ木して、一冊の本をつくりたかった。一番の理由はそれだ。 編み上がった本書を読み返すと、この5年間のぼくは、紙の本の存在理由と優位性を探る、本の海に漂う航海の中にあった。幸いなことに、ぼくにとっては、毎日通う職場こそ、その海であった。昨今ではアマゾンの席巻、電子書籍の興隆で、「出版業界は大丈夫かいな?」という状況であるが・・・ここにアメリカ文化に過剰適応してきた日本が見えるわけです(大使の場合)。とにかく、この際、日本に合った出版文化を確立すべきだと思うのである。紙の本は滅びない(その1)
2015.11.04
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「手当たり次第」でしょうか♪<市立図書館>・俺は死ぬまで映画を観るぞ・北斎漫画を読む・紙の科学・潜水艦(歴群「図解」マスター)<大学図書館>・サラバ!(上)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【俺は死ぬまで映画を観るぞ】四方田犬彦著、現代思潮新社、2010年刊<「BOOK」データベース>より観たいものを観、スクリーンに対峙するだけで充分ではないか。ただただ世界中の映画をなりふりかまわず観まくってきた映画研究家が、17年ぶりに刊行する映画時評集。 <読む前の大使寸評>映画、フランス、韓国、台湾・・・・年上ということもあるが、どういうわけか常に大使の一歩先を行くような四方田さんが気になるわけです。世界中を股にして見たいものを見てきた四方田さんは、まさしく先駆者なんでしょう♪Amazon俺は死ぬまで映画を観るぞ俺は死ぬまで映画を観るぞbyドングリ【北斎漫画を読む】有泉豊明著、里文出版、2010年刊<「BOOK」データベース>より知るほどに面白い!江戸の話題作。マンガ(漫画)の名付け親、北斎が残した傑作に迫る。【目次】高砂/めで滝/鳳凰/三玉の亀/唐子/宝尽し/節分/和合神/出雲大社と麒麟/開公の像〔ほか〕<読む前の大使寸評>追って記入rakuten北斎漫画を読む【紙の科学】紙の機能研究会, 半田伸一著、日刊工業新聞社、2011年刊<「BOOK」データベース>より日頃何気なく使っているいろいろな紙。「記録」「吸収」「包装」という機能で、私たちの日常生活を支えてくれているのです。<読む前の大使寸評>和紙、製本、装丁、出版、図書館など・・・・大使は、常に紙の周りを彷徨していたようです。ペーパーレス時代とまで言われるこの際、「紙の科学」に目をとおしておきたいのです。(チョット 吹いたかな)rakuten紙の科学紙の科学byドングリ【潜水艦(歴群「図解」マスター)】白石光著、学研パブリッシング、2014年刊<「BOOK」データベース>より潜水艦の歴史、種類と役割、構造、各部の機能、兵装を中心に体系的に図解。わかりやすい解説と徹底的な図解により、潜水艦の「本モノの知識」が身につく!!【目次】第1章 潜水艦とは?/第2章 潜水艦の発達史/第3章 船体構造と水中での機動/第4章 潜水艦の内部構造/第5章 潜水艦の動力/第6章 航法・探知・通信システム/第7章 潜水艦の兵装/第8章 戦術・運用/第9章 対潜水艦戦<読む前の大使寸評>潜水艦オタクとしては、この本は押さえておくべきだろう。<図書館予約:(10/06予約、10/31受取)>rakuten潜水艦(歴群「図解」マスター)潜水艦(歴群「図解」マスター)byドングリ【サラバ!(上)】西加奈子著、小学館、2014年刊<「BOOK」データベース>より 1977年5月、圷歩は、イランで生まれた。父の海外赴任先だ。チャーミングな母、変わり者の姉も一緒だった。イラン革命のあと、しばらく大阪に住んだ彼は小学生になり、今度はエジプトへ向かう。後の人生に大きな影響を与える、ある出来事が待ち受けている事も知らずにー。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenサラバ!(上)*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き120
2015.11.04
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図書館に借出し予約していた『潜水艦(歴群「図解」マスター)』をゲットしたのです。とにかく、この本の目次を見ると分かるように・・・潜水艦オタクとしては、この本は押さえておくべきでしょうね。【潜水艦(歴群「図解」マスター)】白石光著、学研パブリッシング、2014年刊<「BOOK」データベース>より潜水艦の歴史、種類と役割、構造、各部の機能、兵装を中心に体系的に図解。わかりやすい解説と徹底的な図解により、潜水艦の「本モノの知識」が身につく!!【目次】第1章 潜水艦とは?/第2章 潜水艦の発達史/第3章 船体構造と水中での機動/第4章 潜水艦の内部構造/第5章 潜水艦の動力/第6章 航法・探知・通信システム/第7章 潜水艦の兵装/第8章 戦術・運用/第9章 対潜水艦戦<読む前の大使寸評>潜水艦オタクとしては、この本は押さえておくべきだろう。<図書館予約:(10/06予約、10/31受取)>rakuten潜水艦(歴群「図解」マスター)大戦中期以降、アメリカが大量投入した潜水艦によって通商破壊作戦が実施されたが、日本海軍は有効な反抗策を取り得ず、手痛いダメージを受け続けた。何故か?そのあたりの戦術について、見てみましょう。p146<単艦戦術と群狼戦術> 第一次大戦から第二次大戦の初頭までの潜水艦は比較的単独で行動していた。だが、通信技術の発達によって、Uボートの集団運用が可能になると「群狼戦術」が誕生した。 潜水艦が本格的な海洋兵器として外洋へも進出するようになったのは第一次大戦時であった。しかし当時の通信技術では、陸上の司令部と個艦の双方向通信は不可能ではないにしろ難しく、一方で、すでに電波の逆探知技術が登場していた。 そのため、隠密行動がすべてといってもよい潜水艦としては、司令部との通信はあえて危険を冒してまで行われねばならない必須事項ではなかった。同様に潜水艦同士の通信も難しかったため、結局のところ、当時の潜水艦は嫌でも「一匹狼」として単艦行動をするしかなかった。 単艦行動における戦術は二つに大別できる。ひとつは、あらかじめ司令部が決めた哨戒区内を巡回し、そこに入り込んできた敵艦船を撃沈する「待ち伏せ戦術」。もうひとつは、敵の主要航路に沿って比較的自由な針路での哨戒航海を行い、自ら「獲物」を探し出して沈める「放浪戦術」である。 両戦術とも、第一次大戦のみならず第二次大戦でも用いられたが、前者の場合はもし当該の潜水艦が撃沈されてしまったとしてもおおよその喪失海域の見当はつく。しかし、後者の場合はどこで失われたかが不明なことも少なくなかった。 第二次大戦が勃発すると、当初は前大戦時と同様の運用がなされた。だが通信技術の発達で司令部や個艦間の双方向通信が可能となったため、ドイツ海軍では1940年6月、敵輸送船団を発見したUボートが無線で僚艦を呼び集めて集団で襲う「群狼戦術」を行って大戦果を挙げた。そこで連合軍は、対潜哨戒機や各種対潜艦艇を大量投入し、ドイツ海軍の暗号解読に加えてレーダーやHF/DF(高周波方位測定装置)を用いた「Uボート狩り」を実施。その結果、1944年2月になると損害に比べて戦果が著しく減少し、ついに群狼戦術は消滅した。 一方、アメリカ海軍は潜水艦に装備したレーダーや無線電話を駆使し、原則3隻単位で行う独自の群狼戦術を1943年10月から実施。太平洋戦域で対日戦終結まで続け、多大な戦果を得ている。海上自衛隊も採用しているAIP機関を見てみましょう。p106<AIP機関> 原子力潜水艦を保有できない国にとって、原潜同様に空気にあまり依存しないAIPは重要な技術となっており、燃料電池やスターリング機関などが実用化されている。 潜水艦は隠密性が命であり、これを維持するための最良の方法は、作戦行動中は一切浮上しないことで。しかし、通常動力では定期的な大気の取り入れが不可欠であり、最低でもシュノーケルが使用できる潜望鏡深度までは浮上しなければならない。 そこで、運転サイクル中に大気に依存する部分がない動力(非大気依存推進、AIPと呼ばれる)が模索され、第二次大戦中に開発が進められたヴァルター機関がその嚆矢となった。だが、同機関に不可欠なT液は取扱いが厄介な危険物であり、さらに、当時の技術での実用化は難しかった。 やがて、運転に際して空気をまったく必要としないため、潜水艦にとって理想的な動力である原子力推進が実用化されたが、原子炉の製造、維持、運営はどこの国でもできるわけではない。そこで非大気依存推進が改めて注目されることとなり、現在、以下の方式が実用化されている。●燃料電池:電気化学反応によって動力となる電力を得る方式で、水素燃料電池を搭載したドイツの212A型潜水艦が知られる。●スターリング機関:熱エネルギーと運動エネルギーの相互変換のカルノー・サイクル理論に基づく動力。スコットランドの技師ロバート・スターリングが1816年に発明したものを現代技術で実用化し、海上自衛隊のそうりゅう型などに採用されている。●クローズド・サイクル・ディーゼル:ディーゼル発電機の排気ガス中の二酸化炭素を除去し、酸素を補って循環再使用させる方式で、旧ソ連のケベック級(615型)に採用されていた。●クローズド・サイクル蒸気タービン:ヴァルター機関の発展改良型ともいえる類似機関。フランスのMESMA(水中単独エネルギー・モジュール)がもっとも知られている。水上攻撃機『晴嵐』を3機搭載した潜水空母・伊400型潜水艦が興味深いのだが、所詮、潜水艦での航空機運用は戦略的に疑問符が付いています。p172<潜水艦での航空機運用> 潜水艦の初の航空機運用は1915年と意外に古い。第二次大戦の日本海軍は伊400型潜水艦で攻撃も含めた本格的な航空機運用を行い、アメリカ本土史上初めて爆撃した。 潜水艦から発進した航空機が初めて実戦で使われたのは1915年1月15日のことで、ドイツのU12から離水した1機のフリードリヒスハーフェンFF.29水上機がイギリス本土沿岸部を偵察飛行し、ベルギーのゼーブルージュに帰還している。だがこのときはU12の甲板上にFF.29を乗せ、船体を浸洗状態にして自力離水させたにすぎなかった。 これに対して、1934年に竣工したフランスのモニター潜水艦『シェルクーフ』はセイル後部に耐圧水密格納庫を備え、正規の艦載機としてマルセル・ベソンMB411水上観測機1機を搭載していた。 だが、世界でもっとも多くの潜水艦に艦載機を搭載したのは日本である。初めて耐圧水密格納庫を備えて艦載機を搭載したのが1932年竣工の伊5潜で、カタパルトとクレーンも装備。以降、伊6潜から伊14潜までの9隻をはじめ、終戦までに40隻を超える伊号潜水艦が艦載機搭載能力が付与された。 太平洋戦争における潜水艦艦載機の主流は非力な零式小型水上偵察機だったが、1942年9月、伊25潜から発進した同機が二度に渡ってアメリカ本土オレゴン州を爆撃した。なお、これは今日に至るもアメリカ本土が敵機に空爆された唯一の例とされる。 やがて日本は戦争の進捗にともなって制海権を失い、空母機動部隊の運用も困難な状況になると、優秀な水上攻撃機『晴嵐』を開発。これを2機搭載する伊13潜と伊14潜の2隻を就役させ、さらに3機搭載の伊400潜、伊4010潜、伊402潜が建造された。この伊400型は当時世界最大の潜水艦で「潜水空母」とも呼ばれたが、結局、『晴嵐』ともども実戦は経験しなった。 一方、ドイツはごく一部のUボートに組み立て式ローラー・カイトのフォッケ・アハゲリスFaバッハシュテルチェを搭載した。その名のごとくローターを備えた凧で、母艦に引っ張られることにより、「凧揚げ」されて高度約120mまで上昇。上空から有線電話で遠方索敵情報を母艦へと伝えた。この本も潜水艦の世界に収めておこう。
2015.11.03
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図書館で『紙の科学』という本を手にしたが・・・和紙、製本、装丁、出版、図書館など、大使は、常に紙の周りを彷徨していたようです。ペーパーレス時代とまで言われるこの際、「紙の科学」に目をとおしておきたいのです。(チョット 吹いたかな)【紙の科学】紙の機能研究会, 半田伸一著、日刊工業新聞社、2011年刊<「BOOK」データベース>より日頃何気なく使っているいろいろな紙。「記録」「吸収」「包装」という機能で、私たちの日常生活を支えてくれているのです。<読む前の大使寸評>和紙、製本、装丁、出版、図書館など、大使は、常に紙の周りを彷徨していたようです。ペーパーレス時代とまで言われるこの際、「紙の科学」に目をとおしておきたいのです。(チョット 吹いたかな)rakuten紙の科学冒頭の一節に紙の定義と歴史が載っています。p2~5<紙とは「植物繊維を漉いたもの」> 紙の定義についてJISでは、「植物繊維、その他の繊維を膠着させて製造したもの」としています。多くは、「植物の繊維を水の中でほぐしてバラバラにし、網などで薄く漉いたもの」と記しているようです。 つまり、紙といわれるものの材料は、一般的には「植物繊維」とされるものですが、他にも歴史的にみた場合、「布」や「羊皮紙」なども使われており、これらについても「広義の紙」とされています。 布や羊皮紙などは、かつて欧米などで使われていました。布を原料にした紙布や羊皮をもんで作った羊皮紙などです。羊皮紙は、植物繊維を用いた紙がヨーロッパに伝わるまで1400年以上も使われていた経緯があります。 紙の誕生は、文字と密接な関係があります。つまり、意思の伝達手段として、記号が使われ始め、それが発達して文字が作られていきますが、それを記すものとして「亀の甲羅」や「獣の骨」、「石」や「粘土板」「ヤシの葉」などが使われ始め、それが「記録する紙」のはじまりへとつながっていくのです。p6~9<西洋人を驚かせた日本の紙文化> 日本への紙の伝来は、610年と言われています。朝鮮半島の国・高句麗の僧・曇徴によって、でした。つまり、紙は、「日本に仏教を広める目的によって伝えられた」といえます。 このとき、紙の原料として用いられたのは麻でしたが、その後、楮(こうぞ:クワ科の落葉低木)が使われたことで、これが後に日本独自の「和紙」へと発展していきました。 日本で、紙の原料が麻から楮に代わっていったのは、漉きあがった麻紙は表面が粗く、槌で打ったり、巻貝、動物の牙などで磨いたりして表面を平らに滑らかにし、さらに空隙を埋めるために、石膏、石灰、陶土などの白色の粉末を表面に塗布し、その上、墨のにじみを防ぐために、澱粉の粉を塗布するなどの加工を行うなど、その取扱い、製造が大変だったためです。 楮の場合は、栽培が容易で収量も多く、毎年収穫できますし、繊維も取り出しやすいという特徴があります。 日本の紙製造の祖としては、聖徳太子の名前も挙げられています。これは、「聖徳太子が紙作りの保護育成の政策を強力に推進した」ためで、「楮の栽培と製紙を奨励した結果、楮の皮の繊維を用いた雲紙などの楮紙が製造されるようになった」とされ、このことがわが国の製紙の基礎となったとするものです。(中略) 紙は初め、主に写経のための材料として使われ、平安時代は僧侶・貴族階級に限られるなど、一部の支配階級の人々しか使うことができませんでした。(中略) 鎌倉時代に入ると武士階級が使うようになり、文書記録に用いる実用的な紙が増えてきました。そしてこの鎌倉・室町時代には、紙を単なる書き記すためのものとしてだけではなく、湿気の多い日本特有の気候に対応するため、障子や襖として利用し、室内の湿気の吸入や排出をし、屏風などと合わせて外光を穏やかな散光に変えたりするという活用をし始めました。 江戸時代になると紙は庶民にまで普及し、各藩では紙を専売品として生産を奨励、農民の副業としても紙漉が盛んに行われるようになって、半紙や障子紙のみならず、衣類や食器、家具、おもちゃなどの加工素材としても広く使われるようになりました。(中略) 屏風や障子、襖、提灯、扇子、草紙(本)、瓦版、浮世絵、かるたなど、様々な紙の活用に日本を訪れた西欧人が驚いたという記録もあります。日本独自の和紙は、生活の場で合理性の高い材料だったといえるでしょう。和紙に関しては和紙の源流と言う本がお奨めです。p30~31<紙の原料となるパルプ> パルプというのは、「木材や草などから抽出した繊維のこと」で、その主成分は「セルロース」です。セルロースは「繊維素」ともいい、植物細胞壁の主要構成成分で、植物中で二酸化炭素と水から光合成によってつくられているものです。パルプの原料には、「木材パルプ」「非木材パルプ」「古紙パルプ」「合成繊維パルプ」などがあり、木材パルプには、「N材」といわれる針葉樹と、「L材」といわれる広葉樹があります。 針葉樹(N材)は、繊維が長いため繊維が頑丈に絡みやすく強い紙が抄けるのが特徴で、晒しクラフト系に使用されます。一方の広葉樹(L材)は、繊維が短く紙の密度が高くなるためキメの細かい滑らかな紙が抄けるため、上質紙やマットコートなどに使用されます。(中略) 非木材パルプは、木材パルプ以外の資源から作られる紙のことで、木材パルプ繊維に比べて強度や肌合い、印刷仕上がりなどで独特な個性があり、「木材パルプとはひと味違う紙質」とされます。代表的なものとしては、「ラグパルプ」「リンターパルプ」「リネンパルプ」「楮・三椏・雁皮パルプ」などの種類があります。 この中でラグパルプというのは、綿の紡績から出る繊維を再利用してパルプにしたもので、比較的耐久性の高い紙が抄けます。リンターパルプは、綿の実に付着する綿くずを使用したパルプをいいます。また、リネンパルプというのは、麻を原料にしたパルプです。繊維が長く耐久性があるのが特徴で、ライスペーパーや、航空用の便箋、聖書用紙などによく使用されています。楮・三椏・雁皮パルプというのは、古くから使われているもので、とくに、和紙の原料として有名です。 この他、紙の原料として近年とくに注目されているのが、「ケナフ」「バガス」「竹」「バナナの幹」「稲藁」「萱」などです。p153~154<日本はまさに「リサイクル先進国」>(追って記入予定)
2015.11.03
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「図書館大好き」として、日頃から図書館を愛顧している大使にとって、出版不況と図書館の関係は、他人事と思えないわけです。このたび、朝日新聞に次の記事が載ったので、興味深く読んだのです。2015.10.29本が売れぬのは図書館のせい? 新刊貸し出し「待った」より 公立図書館の貸し出しにより本が売れなくなっているとして、大手出版社や作家らが、発売から一定期間、新刊本の貸し出しをやめるよう求める動きがある。背景には、深刻化する出版不況に、図書館の増加、サービス拡充もある。本を売る者と貸す者、相反する利害のはざまで、出版文化のあり方が問われている。 「増刷できたはずのものができなくなり、出版社が非常に苦労している」。10月半ば、東京都内で開かれた全国図書館大会の「出版と図書館」分科会。図書館関係者が多くを占める会場で、新潮社の佐藤隆信社長が、売れるべき本が売れない要因の一つは図書館の貸し出しにある、と口火を切った。 佐藤社長は、ある人気作家の過去作品を例に、全国の図書館が発売から数カ月で貸し出した延べ冊数の数万部のうち、少しでも売れていれば増刷できていた計算になると説明。司会役の調布市立図書館(東京都)の小池信彦館長が「それは微妙な問題で……」と言葉を濁す場面もあった。 新潮社を旗振り役に大手書店やエンターテインメント系作家らが、著者と版元の合意がある新刊について「貸し出しの1年猶予」を求める文書を、11月にも図書館側に送る予定だ。■困惑する図書館協会 背景には、2000年代以降、深刻化する出版不況がある。国内の書籍(雑誌を除く)の売り上げはピークの1996年から減る一方で、14年は7割弱に落ち込んだ。漫画などを持たない文芸系出版社はとりわけ苦境にある。 大手出版社の文芸作品は一般的に、最初に刷った部数(初版)の9割が売れて採算ラインに乗り、増刷分が利益となるといわれる。数十万部に到達するベストセラーはまれで、大御所から中堅人気作家による初版2万~3万程度の作品で収益を確保できるかが死活問題だ。だが、近年はこれらの作品でなかなか増刷が出ないという。 出版不況の一方、全国の公共図書館(ほぼ公立)は増加傾向にある。10年で400館以上増え、3246館に。貸出冊数も軌を一にする。 今回の「貸し出し猶予」の要請の動きに、日本図書館協会は困惑する。山本宏義副理事長は「図書館の影響で出版社の売り上げがどのくらい減るかという実証的なデータがあるわけではない」と話す。 貸し出し猶予をめぐっては、作家の樋口毅宏さんが11年に出した『雑司ケ谷R.I.P.』(新潮社)の巻末に、発売から半年間、「貸し出しを猶予していただくようお願い申し上げます」と記したケースもある。その際に応じた図書館もあったといい、今回準備が進む要請に対しても、図書館ごとの自主判断に任せることになるという。■海外では国による補填も 問題は、今に始まった話ではない。00年代初めごろ、作家らから「図書館が無料貸本屋化している」という批判が表面化。 02年には大手出版社による「出版社11社の会」が発足し、一つの図書館が人気作品を複数冊購入する「複本」を問題視してきた。 03年には、図書館協会と日本書籍出版協会が、複本の商業的影響の実態調査をしたが、数字の評価をめぐって双方の議論が平行線をたどった経緯がある。 「発端は70年代にさかのぼる」。そう分析するのは、慶応大の根本彰教授(図書館情報学)だ。根本教授によると、高度経済成長を背景に自治体が住民サービスを重視しはじめ、その中で図書館は「貸し出し」の機能を強く打ち出すようになったという。「出版は江戸時代以来、根付いてきた産業。そこに公共による資料の無料提供という全く異なる理念が乗っかった」 海外はどうか。EU(欧州連合)では図書館で貸し出された分を国が著者に補填する制度を導入する国も。英米でも、貸し出しの一部有料化や図書館用の本を仕立てて高価格化するなどの方策がとられているという。 しかし日本では、公立図書館が入館料その他の「いかなる対価をも徴収してはならない」と規定する図書館法に抵触するか、そもそも議論が低調なままだ。 根本教授は「貸し出し猶予の要請は、出版社側のエゴと批判が出そうだが、図書館にも問題はある。コンビニ的に貸し出しする図書館運営ではなく、高度な参照サービスや地域・行政資料を蓄える機能を重視し、商業出版とのすみ分けのあり方を考える時期に来ている」と話している。(板垣麻衣子)大使なら、出版文化維持のためなら「貸し出しの1年猶予」も、我慢できるんだけど。・・・と言いつつも、本屋で見つけた新刊本を、図書館に借出し予約している裏切り者である(汗)。神戸市図書館も人気作品を複数冊購入する「複本」を行っているが、この「複本」のおかげで、予約待機期間が劇的に緩和されているわけで・・・・心中、複雑な思いがあるわけです。
2015.11.02
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お天気良~し・・・マラソンレースでこれほど絶好のコンディションも珍しいほどでおま♪(11/2は朝から雨なので、さらに実感)そして、完走証の記録はネットタイム2時間26分台であり、去年よりも早いので良しとするか♪今年も練習不足だったけど・・・・根性で完走できるのがハーフマラソンというものでしょうか♪今年も、ゴール2K手前で高橋尚子が待ちかまえていたので、笑顔でハイタッチ♪皆さんからハイタッチを受けていたら、手のひらが腫れるでぇ(心配するほどでんがな)ちなみに、記録詳細です。総合順位:3200位台/5027人(ラップタイム) (1K換算)スタートライン通過110秒2K 14’45 6’273K 20’59 6’105K 34’00 6’156K 40’24 6’237K 46’47 6’238K 53’33 6’469K 59’58 6’2510K 66’41 6’43折り返し 69’56 11K 73’35 6’5412K 80’27 6’5413K 87’42 7’1514K 94’17 6’3515K 101’24 7’0716K 108’54 7’3017K 116’04 7’10ゴール 148’ 7’30くらいラップタイムを見てみると、K7分がチラホラ見えるけど・・・歩くことなく走りきったので、去年の結果を上回ったようです。だけど、曲がりなりにも2時間半以内で完走したわけで・・・自分を褒めてあげたいということで、梅田乗換えの際に、一口カツ定食をいただいたのです♪<H26淀川ハーフ結果速報>
2015.11.02
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図書館で『俺は死ぬまで映画を観るぞ』という本を手にしたが・・・・四方田さんが、1985年から2010年までに、いろんな新聞や雑誌に書いてきた映画評の数々が載っています。大使が観た作品や、知らない作品がキラ星のようにちりばめられています。そして、ここにはハリウッド作品が少なくて、ヨーロッパや東アジアの作品が多いのだが、これが四方田テイストなんでしょうね♪この選定がありそうであまり無いわけで・・・「四方田犬彦の世界」ではないだろうか。【俺は死ぬまで映画を観るぞ】四方田犬彦著、現代思潮新社、2010年刊<「BOOK」データベース>より観たいものを観、スクリーンに対峙するだけで充分ではないか。ただただ世界中の映画をなりふりかまわず観まくってきた映画研究家が、17年ぶりに刊行する映画時評集。 <読む前の大使寸評>映画、フランス、韓国、台湾・・・・年上ということもあるが、どういうわけか常に大使の一歩先を行くような四方田さんが気になるわけです。世界中を股にして見たいものを見てきた四方田さんは、まさしく先駆者なんでしょう♪Amazon俺は死ぬまで映画を観るぞ『今宵、フィッツジュラルド劇場で』は大使としても忘れがたい作品なのだが、四方田さんの映画評を見てみましょう。p299~300<アルトマン最後の情熱『今宵、フィッツジュラルド劇場で』> 彼は生涯を通して、アメリカ中西部に住む、けっして金持ちでもインテリでもない、普通の庶民の群衆劇を撮り続けた。卑小な欲望に突き動かされ、互いに抱擁と罵倒を重ねあい、セレブを追いかけ、自分の慎ましい場所で生きているといった類の人々のことである。新作『今宵、フィッツジュラルド劇場で』もまた、その例外でない。 アメリカのある田舎町で、ローカルなラジオ局が30年以上も生中継で音楽番組を続けてきた。出演者は近隣のオバサン姉妹だったり、エロ歌を歌うカウボーイ姿の二人組だったり、ようするにけっして大都会で公演などできない、二流の芸人ばかりである。だが彼らは自分の好きな歌だけを自由に歌い、町中の人々から親しまれてきた。 長い歳月の間には恋愛があり、別れがあり、新しい出会いがあって、この番組はすっかり彼らの人生そのものと化している。ところが番組が突如として廃止されることになった。 テキサスの大企業がラジオ局を買収してしまったのだ。そしてこのフィルムは、まさにその最後の公開録音の光景を描いている。 集まった誰もが、これで最後だということを知っている。明日になれば自分たちは音楽をできなくなり、この劇場は解体されてしまうだろう。だがせめて今夜だけはこの終末に触れずに、楽しく幸福に歌ってすませたい。集まった人々のこうした思いは、人間が死を前に、できればそれを回避しやり過ごしたいと思う態度に似ている。 そして驚くべきことに、彼らの楽屋裏には実際に死の天使が舞い降りてくるのだ。天使はモノひとついわず、この劇場を潰しに乗り込んできたテキサスの実業家を、軽々と交通事故死させてしまう。 黒い諧謔に満ちた筋立てである。だがそれを越えて、今夜一晩だけは思いっきり歌いきっておこうという地元の歌手たちの情熱と、期待と、意地と、そして人生に対する諦念の入り混じったあり方が美しい。彼らはなるほど高級文化からすれば俗悪かもしれないが、人生に真剣なのだ。監督はなかば死者たちの側に身を置きながら、その姿を愛情をこめて描いている。 アルトマンはこのフィルムを遺作として、昨年暮れに81歳の生涯を閉じた。(『中日新聞』2007.2.21)かつて1960年代に日本アート・シアター・ギルド(ATG)というものがあり、大使なんかそれにはまっていたのだが、そのあたりを見てみましょう。p207~209<ATGの歴史的意義> ウィーン映画祭のシンポジウムでは、まずウィーン大学の日本映画研究家ローランド・ドメニクの司会によって、ATG、つまり日本アート・シアター・ギルドとは何だったかという討議がなされた。 ATGは芸術映画を配給する目的で1961年に発足した組織である。当初は十館の劇場をもち、フェリーニやゴダール、レイといった海外の最新芸術映画の配給に専心していたが、やがて製作に乗り出した。きっかけとなったのが三島由紀夫の個人映画『憂国』である。ATGはこの短篇がヒットしたことに自信をもち、似たような条件で、モノクロの室内劇を中心に、1千万円という低予算での映画製作に踏み切った。 大会社の商業主義を嫌って独立した大島や吉田、ドキュメンタリー畑から参画した黒木や松本俊夫、羽仁進、テレビ番組の製作に強い抑圧を感じていた実相寺昭雄、実験演劇の寺山修司といった面々が、この枠組みのなかで思い思いの趣向を凝らし、実験作を発表した。『絞死刑』『竜馬暗殺』『エロス+虐殺』『薔薇の葬列』といったフィルムが、こうして制作されることになった。こうした一連の作品の制作代表だったのが、映画館「新宿文化」の支配人でもあった葛井欽士郎である。(中略) 70年代も中盤に差しかかり、時代の感性が保守化したとき、ATGは方針変更を余儀なくされた。葛井が去るとしばらく青春映画路線を続け、80年代に消滅した。その最後のあたりで制作されたのが、村上春樹の処女作『風の歌を聴け』の映画化であった。 シンポジウムでは、60年代に撮影所体制が解体に向かい、映画観客数が急速に減少していくなかで、映画の芸術性を正面から問うATG映画が出現したことの歴史的意味が論じられた。とりわけ三島由紀夫と寺山修司が果たした貢献の大きさが確認された。だがその一方で、時代を経るにつれてATG映画が抽象的で難解なものと化し、行き詰まりを迎えたところで、エンターテインメントなスターシステムを標榜する角川映画が出現したという指摘もなされた。 アートシアターギルド映画のパンフレット
2015.11.01
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