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心が、確かに、今、ここにいるとはっきりとわかるほどにその姿が、私以外のひとからもきっと、見えるくらいに。熱く、赤く、私の頬を照らすほど、心が燃えるような、メールを受け取ったから。「ともだち」からのメールです。「恋人」でも「家族」でもない、でも、お互いを必要としているひとからの普通の言葉で綴られた一通のメール。「肉声」でも「肉筆」でもない、たった一通のメールが、私の心を燃やしてくれます。大丈夫。私は、生きられる。そう、信じさせてくれる言葉です。
2005.02.28
突然、思いもよらないひとの名前が見慣れたディスプレイに浮かび上がる。なんて、新鮮な!そうか。この間、友達にかかってきた彼からの電話で久々に、声を聞いたんだっけ。「声って、年をとらないんだな。」向こうがどう思ったかは知らないけれど私には、少しはにかみ気味の話し方(すっかりおやじなのに、ごめん)とか、笑い方とか、私の意地悪なつっこみに、つい、黙り込んでしまうところまで、懐かしくて、いとおしい気さえ(思い出が、ね)した。携帯からの短いメールには、学生時代と同じ、きまじめな性格が、そのまま、四角いゴシックの文字になって並んでいる。いま、どんな毎日を送っているのか、考えることもなくなる。そのひとが、この一瞬、一瞬になにを感じて生きているのか、すべて知りたいと思っていた時間を透明の瓶に詰めて、どこかにしまい忘れるまで、ひとは、一体、どのくらいの年月を必要とするのだろう。どこかにしまい忘れるまでの時間は、これからの私に、まだ、残されているだろうか。瓶のふたをもう一度開けてみることは、ない。閉じ込めたものは、今とは、ほんの少しだけ組成の違う空気だから、蓋を開けたら、気がつかないうちに、今の空気と置き換えられてしまうだけだ。透明な瓶は、眺めるだけで、私の心をほんの少し、ふるわせる波動を発生させる。それだけで十分なのだ。
2005.02.26
毎月一度の通院日記。一ヶ月ってほんとに早いなぁと思い、一ヶ月ってほんとに長いなぁと思う。「来週に」って言ったきりになってる約束。もう、一ヶ月です。忘れられてる?わざと?私が通っているクリニックは、マンションの1階にある待合室には、最高で10人いたら結構、息苦しいくらい、診察室がひとつ、処置室(って精神科でもいうかな)ひとつ、の小さなところです。表向きには、脳神経・神経内科の看板を出しています。でも、電話帳には精神科も載せています。先生と、受付には奥様(多分)がいらっしゃいます。とても素敵です。今月のことを思い出す。調子はどうだったか。何があったか。・・・・・・など。古いタイプの抗鬱剤になって一年。多分、効き目はあると思う。効いているのだろうと思う。薬を飲み忘れたことは、多分、ない。この、我ながらあきれるほどの几帳面さが病気の後押しか、要因になっていることも否めない。それでも、この薬が効き始める以前の状態には、二度と陥りたくないという、脅迫的な不安が、ある。安定剤は、パスできるときは、パスする。睡眠導入剤も、同じこと。眠れなくて困ったり、眠すぎて苦しかったりする。ヨーガを始めてから、これら二つは、減ってきたような気がする。「精神病院、通院歴も2年を過ぎましたぁ。」といっても大笑いしてくれる母親に感謝だ。待合室で、さっきのことを考える。今月のことを思い出す。調子はどうだったか。何があったか。・・・・・・など、だ。言い忘れることもある。どこまで喋ったらいいのか、と思うこともある。今日は、友人のお焼香に行くことができたことなどをお話しする。先月のようにはならなかったけれど、「どうして、彼女でなくてはならなかったか。」やはり、話しているうちに涙がこぼれる。ここに来て、自分自身でも自分の心の中心を確認する。先生に言えないこともある。実際、どこまで、お話したらいいのですか?と聞きたいこともある。どこまでが、治療なのか、はたまた、人生相談なのか、カウンセリングなのか、患者が心配することはないのかもしれない。クリニックを出て、処方箋を持って近くの薬局に行く間が、毎回、一番、心が整理される瞬間かもしれない。今日もひとつ、言い忘れた、とか。元気になってくると具体的に、(実際的に、ではない)どうやって死んでみようか、と考えている。考えてみることと、試してみることは、まったく違った、ねじれの位置にあるベクトルだ。リストカットは、頭の中では何万回も実行済み。夜道でトラックに突っ込むのもシュミレーション済みだ。リストカットでは死ねない。流水に手首を浸けて血小板がかたまらないようにしても失血死するまでは、かなり、時間がかかりそうだ。ほんとに死ぬ気がないからリストカットをするのだろう。リストカットすることで、生きていることを実感するという気持ちがわかるような気がする。おっとっと。読んでる人が思わず引いちゃうような話になっちゃった。大丈夫、大丈夫。私は、大丈夫ですよ~。来月の通院日まで、少し、より心安らかな日々が続きますように。自分のことなのに、祈るしかないのだなぁ。
2005.02.25
空の色を吸い取ったような蒼。気泡を含んで、すりガラスのような蒼い氷の、幾重もの層を通して、見えるのは、冬の雲の薄灰色。見上げる、指先。見憶えある、指先、わたしの。雲の薄灰色より、白い、白い、指先。流れかけて冷えた、蝋のような、半透明の白。半透明になった指先は、蒼い氷の先にあるはずの風を求める。懐かしいけれど、二度と触れられない、風。二度と触れられないとわかっている、わたしの、指。見つめている私の瞳の水晶体。薄い角膜で仕切られただけの氷と水晶体の比重は、等しい。なぜ、瞳を閉じておかなかったのだろう。見開いたままの私の瞳は、指先と、その先にあるすりガラスの氷と、その先にあるはずの風を見つめたままだ、永遠に。夜は来るだろうか。すりガラスを透して、見える星はあるだろうか。きっと、夜は来ない。氷と空が同時に色を失う、静かな夜は、きっと来ない。二度と逢えない風を求めているわたしの指先を瞳は、ずっと、見つめ続けなければならない。
2005.02.22
今日は、一日、お着物でした。これからしばらくお茶関係のイベント続き、洋服にエプロンで出かけて力仕事して、あっさり着替えて、お手前して、すぐにジーンズで後片付け、ってことになるので、着とかないと・・・・・・。まだまだ、初心者の私は、しばらく休むとやっぱり、着方がしっくりこないんだ、ということをお初釜の写真で思い知りまして・・・・・・。お着物は、着たい。しかし、これが、しばらく袖を通してないとあー、ちょっと面倒、なんて思っちゃうんだよね。特に、寒い季節の朝は・・・・・・。あ~~~~~~~、やだ、言い訳してるよ、あたし。「寒い季節」って、だいたい、「暑い季節」はそれなりに、あせもとかできちゃって、辛いわけだし、まだ、寒いほうがいいんだよなぁ。要するに、気持ちに余裕があるか、必要に迫られ、切羽詰ったときにしか、着てないってことじゃん!!!だめだよね、これじゃ。着られちゃう、お着物に。「着慣れる」。これに尽きる。これしかない。なんであれ、回数、まずは。着慣れて、着こなして、着たおす。まずは、気合っ!おっし、着物、着るぞっ!!!(それにつけてもお稽古用に何枚か買ったポリエステルの着物、やっぱり、だめだぁ。お手ごろだし、なにより、汚してもいいし、と思って、母親がぶちぶち言うのに買ったんだけど、結局、着てみると・・・・・・だめなんだな、やっぱり。でも、お茶のお稽古だと気がつくとお茶がついたりしてるし・・・。って、これは、お稽古というか、お茶のお手前の上達が必要ってことなんだけど・・・・・。化学繊維だっていいものはあるのかもしれないけどそういうのは、お仕立て代がもったいないような気もするし。やっぱり、紬のお稽古着を着たおすまで、お着物でお稽古、ってことが、必要なのかも・・・・・・。)
2005.02.21
(壊れておりますので、耐えられる方のみ、お読みください。)m(__)mぼんやり日記の更新をしつつ、テレビのチャンネルを変えたら、素敵な声が・・・・・・。いやん♪そうであった。日曜の夜、THE WORLD HERITAGEのナレーションも彼だったんだわ。うふうふ。この間の木曜日も、ちょっと照れたようなあのほほえみやら静かに呼吸するセーターの胸やらキャンドルに火を灯す大きめの手やら私のツボにはまりまくる一挙手一投足にドキドキ。もう、おかあさんとこのドラマを見るのは嫌だわっ。壊れております。(^^ゞそのうえ、あ、あした、明日は・・・(*^_^*)完全保存版!!!である。素顔の彼を見るのは、初めてだわ。がっかりしたら、どうしよう~~~~!あ~~~~、恋するって、生きているって、楽しいわん。
2005.02.20
今日もちびっこギャングはパワフル!私は、途中で力尽きて倒れました。いやはや・・・。彼の「マイブーム」は、某ゲーム・バラエティー番組。月曜日は、昼間からテレビの前で楽しみにしているらしい。以前、彼のおうちにいったときに、テーブルの上でプラスティック製のおもちゃのコインをおままごとのお碗をふせたもので打ち合いをさせられた。お!これは、もしや、・・・あれ?そして、やけに気合の入った声で「用意っ」とスターティング・ポーズをすると「ピッ!」っと笛を吹いて壁に向かってダッシュ。到達すると壁に両腕を上げた姿勢で張り付く。最近は、「ピッ!」のあとに、「た~らっ!」と音効さんもやりつつ、ダッシュする。お着替えのときに、セーターの袖のなかに手のひらをいれたままで「ためちゃん」と言うらしい。う~~~む。人生最初のヒーローが、「ためちゃん」なのは、いかがなものか。我が家のとあるふすまに丸い模様があるのだが、「ぶぶ」とご指名されるとその模様に向かってヘアピンを投げなければいけない。「くるま、くるま!」といいつつ、手拍子で応援?してくれる。ヘアピンなのでふすまには刺さるわけもないのだが、舌足らずの日本語で「さっさった、さっさった(刺さった)!」と褒めてくれる。この番組にかける彼の情熱はかなりなもので、ほんとに、飽きないらしい。それぞれのアトラクションを身の周りのものであれこれ、工夫して再現してくれる。それについては、また、別の日に述べたい(誰が、別の日にまで読んでくれるのだ?)が、ともかく、2歳児の想像力と創造力というのは、すごい。夕食を終えて、コーヒーを淹れた。バレンタインデーに、妹が父に送ってくれたトリュフをこっそり大人だけでいただこうと母が小さい声で、「さっきのチョコレート食べる?」と言ったとき、私たちが返事をする前に、「ち・よ・こ・れ・い・と?」・・・・・・と、彼。大人たちは、驚くやらおかしいやら。子どもの耳は、まさにsharp and quick !なのである。語学教育の基本は、この「いい耳」の時期に、まず、listeningをすることだ。彼も日々、ディズニーの英語DVDを見ているらしいが、続けていて欲しいのだ。今日の話題は、なんだったのだろう。失礼しました。
2005.02.19
おつかいの帰り道、コンビニで立ち読み。なんで、この時期、占い特集なんだろ、この雑誌。占い特集は、とりあえず、半年に一度買っていたときもあったけど、結局、読んでも、そのときに期待したり、がっかりするだけで、実際の半年には、なんら役に立つこともなく・・・・・・。だいたい、いいことしか憶えてないし。そのいいことすら、あたらないし。と、いいつつ、つい、「水瓶座」を・・・・・。「自己肯定力」が一番強い・・・。ふ~ん、そうかなぁ。「君なら一人でも大丈夫」と言われる率が一番高い。・・・げげっ。やっぱり・・・。でも、でもっ!「喜びも悲しみも分け合える男がひとりいれば、友情なんて必要ない!!!」おおっ!まじっ?そうなの?なんか、やな女。いや、可愛いか。手相のページもあるけどこれは、立ち読みには、厳しいね。しか~し、私の手相は、親指と人差し指の間から出ている「知能線」が真一文字に手のひらを横切って「感情線」と一本になっている「ますかけ」と呼ばれる手相なんですね~。だから、そこをば、立ち読み。詳しくは、忘れましたが、結局、同じ「ますかけ」の手相を持つ「強い」男でないとつりあわないらしい・・・・・・。う~~~~む。そういえば、昔、いとこのお婿さんに「こんな強い手相、見たことない。」って都営三田線のなかで言われたことがあったっけ。どこが「強い」んだか。こんなに弱いのにさ。(涙。"^_^")ところで、思い当たるんです。約一名、私と同じ手相の男の人。コンビニの入り口に、30%OFFのチョコレート、今からでも遅くないかなぁ。
2005.02.15
今日は、バレンタイン・デーだったのだなぁ。と、気乗りのしない書き出しのごとく、まった~~~~く、縁のない日であった。チョコレートやさん、すまんのう。テレビでやたら「保険」「保険」といわれるとそのたびにザッピングするごとく、やれ、クリスマスだ、バレンタインだ、とお膳立てされると横を向いて通りたくなる私である。何年か前までは、それでも、こんな言い訳がなければお礼できない方にチョコレートをお渡ししたこともあったが、最後の義理チョコは、父親が生きているときまでで、今年のターゲットの甥っ子は、まだ、チョコレートをあまり食べられないので、ヨーグルトにあんぱんまんのちびアイスで終了。夕方、やってきた中学2年生の女子たちに「はい、先生、バレンタイン。」と手作りクッキーをいただきました。テスト直前にそんなことしてる場合か、と口まででかかったけどおいしい紅茶をいれて一緒にいただきました。バレンタインデーのために手作りクッキーを作るような心を取り戻したいなぁと素直に思ってみたりもする、今日でした。でも、今年は、それより、グリーンジャンボだよなぁ。
2005.02.14
甥っ子会いたさに弟の家に母と出かけた。2歳2ヶ月の甥っ子は、可愛い盛り(・・と常に思う)。最近は、ボキャブラリーが増えておしゃべりも楽しいのだ。たぶん、こちらの言ってることは、ほぼわかっているんじゃないかと思う。むこうは、言ってることがなんで通じないんだ!ともどかしいかもしれないなぁ。食卓を囲んだ私たちをお誕生日席から見渡して、「ぶぶ(私)、ばちゃん(母)、パパ、ママ」と指差し確認。最初は、「パ~イ」と言っていた「乾杯」は、今は、「パンカ~イ」で、お茶でもなんでも、全員に強要する。なににつけても子煩悩で、初孫の彼をたった一度抱いただけで逝ってしまった父がいたら、・・・・・・と思ってしまう。食後、お茶をいただいていたら、クッキーをみんなに配ってくれる。ひとつを手に持ってあらぬ方向にすーっと差し出す。・・・・・・?「じちゃん」彼の視線の先には、シェルフのうえにおかれた父の遺影がいつも以上にうれしそうに微笑んでいる。「はい。じゃあ、じいちゃんのところに持ってってあげて。」こともなげに言う妹を前に、母と私は、熱いものが喉元までこみ上げる。「ありがとうね。」「じいちゃん、喜んでるよ。」きっと父は、この場に一緒にいると思う。そして、うれしそうにクッキーを食べていることだろう。甥っ子にもそしてなにより、こういう環境を作ってくれた弟と妹に感謝している。よかったね、おとうさん。おとうさんは、世界一幸せなおじいちゃんだね。
2005.02.13
今日は、一日、な~んにもしなかった。先程、パワーヨーガをやりました。昨日、おさぼりしちゃったからね。去年の秋から受験生をみてるので、家でまるまる一日、過ごすのは、久しぶりな気がする。ほんとは、常にぼんやりしてるからひとからみたら、いつものんびりなんだけど意識的に家にいて何もしないのは、久しぶり~~~。たまってた雑誌を読んだり、お誕生日に妹にもらったお花の写真を撮ったり、おこたでうたたね。いいお天気だったけど結局、家から一歩も出ず・・・・・・。今週は、中学生の期末テストもあるし、また、がんばらねば、だよ~~~。ちょっぴり、写真もアップしました。
2005.02.12
あーーーーーーーーー、まずい。「ちょっと、そのひとのこと、教えてよ。」とか「なんで、なんで、『期間限定』なわけ?」とか「いい出会いがあったようで・・・・・・」とか・・・。あれれ?!まずいのか、これは。私としては、ヒントたっぷりのはずだったんですけど。そう、まずいのだ、これは。と思いつつ、脳みそが溶けつつある今日この頃(だけかな)更新もままならず、すまなかったよ~~~。期待させた皆さん、おもしろがった皆さん、ごめんよ~~~~~~。あーーー、ほんと、これが本当ならあたしが一番、喜んでるよ。なんだか、がっかりで、うまい種明かしも思いつきません。期間限定、1クールだけの冬の恋。私の『優しい時間』は、毎週木曜の夜10時から。(詳しくは、フジテレビHPをご覧くださいませ。)いわゆる「スローライフ」な感じ、ですかねえ。あんな雪深いところには、住みたくないけどね。無性にコーヒーが飲みたくなります。豆挽きたくなります。誰が私の「本命」かは、ご想像ください。わはは。息子もかっこいいでしょ?ジャニーズだもん。そりゃ、恋もしたいさ。たとえ、バーチャルでも・・・(涙)。でもまあ、これもリハビリ・・・ってことですかね。誰か好きになるのに、リハビリがいるなんてね・・・・・・。「ペットロスには、新しいペット」と言う先輩もいるんですけども。そういうもんですか?今日、どこかで通りすがりのジャーマン・シェパード見ただけで泣いちゃう私は、それは、まだ早いって気がします。(おい、やっぱり、ペットと同じかいっ!)結構、もう、誰でもいいや、って、まじ、思ってんですけどね。そういうやる気のないことじゃ、だめっすかね。やっぱり・・・。
2005.02.11
又あふと 思ふ心を しるべにて道なき世にも 出づる旅かななんだか、ぼんやりしているうちに新しい週末がやってきそうです。どんよりしていた心のくもりは、ともだちが遠いところに持って行ってくれたようで、このところ欠かせなかった安定剤と睡眠購入剤を今週は、ほとんど服用しなくて済みました。日記を更新しようとしても誰かにメールしようとしてもあたまのてっぺんにぽっかり穴が空いてしまったようで、ディスプレイを見つめたまま、時間が過ぎてしまいます。書きたいことは、記録しておきたい気持ちは、確かにあるんだけれど・・・・・・。そして、それは、きっと、私の人生にとって、大切なことだと思うんだけれど。最初に記したのは、坂本竜馬の詠んだ歌です。いいと思いませんか?また会える・・・これは希望です。希望するのは将来のことですが、その将来を希望しているのは、今の私です。・・・これは、敬愛するアルフォンス・デーケン先生の受け売りですけど・・・。解釈を間違ってなければ・・・。希望を持ちうる私、やっと、久方ぶりに、そんな私を発見しました。まだ、残雪の下の、凍った土のなかで、眠っているふきのとうの赤ちゃんみたいな私です。それでいい、と思うことにしました。又あふと 思ふ心を しるべにて道なき世にも 出づる旅かな明日、いよいよ、旅立つともだちにもこの歌を捧げたいと思います。
2005.02.10
約束の日。乗り込んだ電車の中、仲間の話し声が聞こえる。相変わらずのやりとりに20年の年月を飛び越える。部屋一杯にあふれる花に囲まれて微笑む彼女は、今日、集まった誰よりも20年をしっかり生きて、「大人」になっていた。ご両親と私たちがお互いの記憶をすり合わせてそこに若い日の彼女の姿が現れてくる。彼女の大好きだったビールをみんなで飲んだ。おかえりなさい。いつまでも私たちは、友だち。私たちがいつか、ひとりになるまで、あなたは、ここにいる。私たちが、また、みんなで会えるときがいつか来る。そのときまで、みんなを見守っていてね。
2005.02.06
深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐えましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり人はあなたを畏れ敬うのです。わたしは主に望みをおき、わたしの魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。わたしの魂は主を待ち望みます。見張りが朝を待つにも増して見張りが朝を待つにも増して。(詩篇 130 1-6)待ち望むということは、希望を持ちながら、自分の置かれた今、ここ、に自分を開いて立っていること。
2005.02.04
かなり、年上です。男前?う~~~む。おでこは広め、眉は太め。おひげが渋め。私にとっては、男前、です。はい。物静かで、無口っぽいです。たぶん、コーヒーとタバコが好きみたいです。タバコに火をつける、JIPPOの蓋を開ける音が好きです。そりゃ、おじさんだし、誰が見てもハンサムってタイプじゃないし、別にかっこいいって訳じゃないです。でも、その姿を思い浮かべただけで、胸がきゅっとなって、涙さえあふれます。これって、恋でしょ?間違いない!だれ?また、おやじかよって言ってるのは。今度は「独身」だから。わはは。息子さんがいるらしい。私、昔、占い師さんに「結婚はするけど相手の人には、もう、息子さんがいるわよ。」って言われたことあるんだなぁ。やっぱり、本命だ。でも、「独身」のはずなのに、どうやら、実は、素敵な奥様がいるみたい、なんだな、どうも、これが。いないのに、いる。「幽霊」みたいだ。多分、彼の心は、その「幽霊」をまだ、忘れられないみたいです。せつない、片思いです。ずーっとそばにいるとあんなに言ったのに今はひとり、見てる夜空はかない約束。そんなもんさ。しばらくは雪の中にたたずむ彼を思う。私の「優しい時間」です。
2005.02.03
そういう年齢なのだろうか、ここ数年、人の死をいくつ見てきたろうか。そのたびに、自分の死も遠いものではなく、ある輪郭を帯びて見ているような気がする。自分が死ぬことよりも周りの、自分に親しいものが死んでしまうことが今の私にとって、一番、恐れているものなのだ。自分が先に死んでいくのは、もう、怖くはない。それよりも自分が残されて、自分の親しい人を送り出すことをもうこれ以上、したくないのだ。週末、やっと、友人にお別れを言いに行く。友人たちは、それぞれ、自分のできる範囲でお別れをすべく、計画を立てている。ふと気がつくと、私は、お花を送ったきり、ただ、ぼんやりと、週末が来るのを待っているだけだ。土曜の午後、鎌倉で、待ち合わせした友人たちについていけば、なんとかなるだろう・・・。なんて、ぼんやり、思っている。メーリングリストは、にわかに活気付き、花は、お香典は、彼には、彼女たちには、と回転の速いひとたちがいろいろな思い入れを書き込んでくれている。そんなメーリングリストのやりとりから私は、ひとり、取り残されている。その日が近づくにつれ、学生時代の友人のことを思い出そうとするけれど、それさえ、できなくなっている。おそろいで作ったブルーのジャンパーを着た日焼けした化粧気のないかわいらしい笑顔。たくさんした話も、彼女が去年、メーリングリストで私の部屋に何度も泊まったと書いていたのに、そのとき、二人でした話をちっとも思い出せないでいる。彼女の家に行って、おかあさまにどんな話をしてあげられるだろう。それが、せめても、私たちにできることなのに。いつから「死」が、こんなに怖くなったのだろう。自分の死をなるべく遅くなくと望みながら周りのひとの「死」に過敏に、否、反応できないように、私の心は「仮死状態」に陥っているのかもしれない。「死んだふり」をしながら、なぜ、私でなく「彼女」の命の糸が切れてしまったのかと神様に聞いている。
2005.02.02
友だちの電話で起きた。(二度寝してましたぁ。)中学時代の同級生のお父様のお葬式だそうだ。彼女が乗せてってくれるというので、大慌てで顔を洗って、喪服を出し、紅茶を飲みながらお化粧して、お香典袋を書いて袱紗に包む。黒のバッグに、袱紗と数珠を突っ込む。慌てていたので外に出てみたら、黒のカットソーだと思ったのに紺だったけど、まあ、いいさ。迎えに来てくれた友達の車に乗って駆けつけたときには、読経が始まっていたけれど、なんとか、お焼香には、セーフ!!!結婚式とお葬式の違いは、準備期間があるか、ないかだ。駆けつけるほうも心の準備がないままにできるだけのことをするのが精一杯だ。父が急死したときには、暮れの3連休だったこともあり、葬儀に参列できなかった方が、元旦をのぞいて、3週間、毎日、我が家にお見えくださった。ありがたかったけれど急だったこともあり、みなさん、亡くなったときの様子を尋ねてくださり一番、聞きたくない場面の話を母親は、オウムのように、同じ話をし続けならなければならず、隣でお茶番をしながら、繰り返し聞いているうちに、具合が悪くなって、お茶番も、お客さんの相手もできなくなった。後からお見えくださった方や、お香典を送ってくださった方、皆さまへのお礼や、百を越える弔電のお礼にもひと月以上、かかってしまった。やろうと思っても、からだが動かない。寝たきりになった。身内を亡くすのは、本当に、応える。駆けつけるほうは、なにはともあれ、特別なことではなく、お悔やみを申し上げれば、それでいいのだ。祈りだ。誤解を怖れず言えば、受け取るほうの気持ちまで考えても身内の辛さは、本当には理解できないのだから、ある意味、伝統や形にのっとって、静かに、祈ることのみが大切だと思うのだ。
2005.02.01
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