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つきのひかりもとどかないから、よるのうみのそこは、すなつぶひとつもうごかない。ひとりぼっちでとうめいなまくにつつまれてねむるさかなになる。ゆうひにてらされておどったなみひとつ、たいようをはんしゃしたぎんいろのからだ、すべてのしきさいは、ゆめ、まぼろし。いまは、ひとり。たゆとうねむりのまゆにまかせてねむりつづけるさかなになる。よるの、うみの、そこは、とわの、ねむりをゆるしてくれる。
2005.03.31
あたしって、なんで、いま、ここにいるんだろう。って、疑問があたまに何度も浮かぶってのは、これ、疲れてる証拠だろうか。それとも、お脳の調子がよくないってことだろうか。果たして、いままで、ちゃんと生きてこなかったがゆえのおばかな疑問でしょうか。こういうのは、抗鬱剤飲んで、果たして、なにか改善が見られるのでしょうか。それとも生き方を変えたほうがいいんでしょうか。あるいは、既に、遅すぎるでしょうか。な~に、やってんだか・・・とほんとに、我ながら、わけわからん。
2005.03.30
朝から、小学生、算数。お昼も食べずに、お焼香しに、ドライブ小一時間。ついでに、おばあちゃんの実家のお墓に寄る。母方のおじいちゃんが亡くなったとき、おばあちゃんの弟が、号泣する私を抱きしめて、「○ちゃんのダーリンは、きっと、おじいちゃんが見つけてあげるからな。」と言ってくれたのは、私が中一のとき。その大切な約束を果たさずに、おじいちゃんが亡くなってから20年かな。おじいちゃん、恨むよ。伯父の家に寄って、お茶。そのまま、レッスン会場まで5分なのだが、今夜のミーティングの資料を作りにいったん家に帰る。ドライブ40分。家に滞在1時間半。それなのに、疲れて寝てしまった。慌てて資料を作り、プリントアウト。10分遅刻でレッスン会場までドライブ30分。1時間レッスン。45分ドライブでミーティング会場へ到着。結局、2時間のミーティング。寒空で立ち話が30分。ドライブ30分で帰宅。コーヒー飲んで、カステラ食べた。食べたくなかったんだけどなにか、おなかに入れないとと思いつつ、考えるのが面倒だった。疲労困憊。お風呂入って、寝る。絶対寝る。明日も朝からレッスンだ。
2005.03.30
春休みである。新学期直前である。「進級おめでとう試験」があるのである。必死である。誰が?私が。なんとかしろ~~~!お前ら~~~!と、鞭をふるっているのである!!!しかし、当のご本人たちは、いまいち、というか、相変わらず、なのだ。「おうちでやらないなら、ここでやっていきなさい。」なんて言おうものなら、半日は、いるね。まったく。女子が帰ったと思ったら、男の子たちが、バレーの試合を終えてやってきた。来たなり、菓子パンを3つずつ食べる。お茶、淹れてあげるから・・・なんていってるうちに、既に、二つは胃の中だ。結局、今日も、午後から夜8時まで、誰か、彼か、いる我が家。失敗したのは、こたつ。いまだに臭い。ファブリーズしたのに、まだ、臭い。え~~~ん。(T_T)
2005.03.29
朝、薬を飲もうとしたら、抗鬱剤のシートが違う。よく見たら、錠剤の形も・・・。あれれれ、トフラニールいつもは、25ミリなのに、これは10ミリだ。確か、先生は、いつもと同じお薬って言ってたよなぁ。薬局に電話をかけるとやっぱり、処方は同じだったらしい。というわけで、お薬やさんがわざわざ届けてくださいました。私が行ってるクリニックに近い薬屋さんは、我が家まで30分以上。すみませんねぇ。ちゃんと見ればよかったんだよなぁ、昨日。でも、気がついてよかった。でも、気がつかないで、五分の二ずつ、飲んでみたらどうなるか、試すチャンスだったかも。
2005.03.29
京都に行きたい。京都市美術館に行きたい。それも、4月10日までに。フィレンツェ ―芸術都市の誕生― 展に行きたいのだ。見たいのは、ただひとつ、ミケランジェロ・ブオナローティ《磔刑のキリスト》だ。それだけ見て、帰ってくる。そのつもりで、春休みを取ったのだが、なんだか、忙しいし、疲れてるし。行くべきか、行かざるべきか。行くべきに決まってるんだけど。
2005.03.28
なんて、一ヶ月って早いんだ。と、毎月思う通院日。今日は天気が悪いせいか、待合室には誰もいなかった。自分でも「馬鹿だ」と思うのだが、常に混んでいるとなんとなく早く終わらせなきゃ、と患者のくせに思ってしまうのだ。普段どおりに診察は進む。診察、というのだろうか。「今月は、どうでしたか?」この質問にいつもなんて答えようかな、と思う。そして、困る。もう、2年以上だ。大概は、調子が悪かった、普通だった、ぐらいしか答えられない。今月は、一度だけあったパニックの話をする。「そういうことがあった、ということですね。」「はい。」おしまい。「嘘をついているわけでは、ないのですが・・・・・・」つまりは、「自分をよく見せようとしてしまう」のです。だから、先生のところから、薬局に向かって歩いているときが、一番、素直に自分のことを考えられるのです。それから、日々のこと、母親を心配させないようにするために、どうしてもどこか、無理をしているような気がすること。詳しくは書けないが、書いても仕方ないようなことを話しているうちに、やっぱり、泣く。これは、いったい、診察なのか。人生相談なのか。先生の受けとめ方まで慮ることはないのだが、そういう変な気のまわしようが、病気のもとかもしれない。は~~~~~~~~~。結局、同じ処方の薬をもらって帰る。一体いつまで続くのか。確かに、安定剤なしの生活は、考えられないし、いま、抗鬱剤を止めたらどういうことになるのか、人体実験する勇気もないので、きっと、こんな生活が続いていくんだろうなぁ。
2005.03.28
なんでも病気のせいにするのは、よくないけれど、記憶力が明らかに低下しているのと、以前に増して、整理整頓をする意欲が欠けているために、「探し物」にかける時間が、はなはだしい。大概は、あのあたりに、とかあのかごの中に見たはず、という視覚的なヒントが自分なりにあるのだが、それを母親が(見るに見かねて)片付けると目的のものを探すのに、恐ろしい気力と体力を要するのだ。自分の人生、3分の1を探し物に当てているとしたら、残りの3分の1は、確実に睡眠に取られているし、一体、私の人生は、人様のそれに比べてなんと貧しいものなのか。そして、これまた、なんでも病気のせいにしてはまずいのだが、一度、探し始めるとどういうわけか、我ながら、「執念」と呼ぶにふさわしいこだわりがとまらなくなる。つまり、「ま、いいか。そのうち、出てくるさ」と口では言いつつ、そのことだけに心が捕らわれるために、家中を捜索しなければ気がすまなくなるのだ。まったく、ばかげている、と思いつつ、辞められない、というか、そういうコントロールを欠いているのは、やはり、脳のどこかのねじが飛んでしまったとしか言いようがない。今日も、以前、処方されていたハルシオンを探し始めたら、とまらなくなって、幸い、(なのか)母がいないので、それこそ、執念的に家中を探し回った。ロヒプノールという、いま、処方されている薬がたまに、効き過ぎると翌日一日、眠くなってしまうので、ハルシオンを試してみようと思ったのだ。まったく、なにやってるんだか、と自分でもあきれるのだが、妙なこだわり、というようなものに支配されてしまう・・・というのも困ったものだ。
2005.03.26
茶道のミーティングに行ったとき、会場のリーフレットのなかに「傾聴」という言葉を見つけた。一ヶ月に一回、半年間に「傾聴」について学ぶらしいのだが、実際には、どんなものなのか、わからないなりに興味を持ってしまったので、チラシの連絡先に電話を入れてみた。その日がちょうど締切日だったので、「なにもわからないのですが」と断ったうえで、申し込みをしてしまった。愛読している鷲田清一の「『聴く』ことのちから」を思い浮かべたからかもしれない。愛読しているといいつつ、彼の他の本はあるのだが、この本が本棚にない。明日、探さなくっちゃ。増え続ける本も何とかしたいといいつつ、週2、3冊ずつ、発注しているのは、いかがなものか。はっきりいって、頭がさえないから、読んだ端から忘れてしまっている。ほんとは、「傾聴」してほしいのは、自分だったりするのだが。このところ、また、頭がぼーっとして子どもたちの相手をするので精一杯。言葉も浮かばなくて日記もサボってしまった。この状態は、あまりよくない。通院日も近いが、いったい、どこまで、何を話していいのか、と最近、考えるようになってしまった。とはいえ、病院を変わるという気もしない。いちいち、最初から、話をするのも面倒だし。果たして、いまの処方は、有効なのだろうか。「鬱病」だけで、済んでいるのか。ほかになにかあるのか。ぼんやりしていたりする。ここのところ、ちょっと、疲れ気味。いまも、睡眠導入剤を飲んでかれこれ、一時間が経つけれど、効いてこないぞ~~~~。もうちょっと、飲んでみようかなぁ。
2005.03.26
はるのあめ。ふゆとはるの、あいだの、あめ。ひるまのはるを、こっそりふゆに、あしぶみさせる。あめのよる。まちのあかりをためこんでるのに、いつものよるより、くらいのは、なぜ。はるのよる。うすいいろのコートのかたに。まるまったまま、とけないひかり。はる・の・あめ・の・よる。あなたのまどをこっそりたたく。うすみどりのカーテンごしに、とどくひかりに、そっとじぶんをてらしたら、みつかるまえに、だれかのほほをつたっておちる。
2005.03.23
『草思』4月号を飛ばし読み。柳澤嘉一郎氏の「続・ヒトという生きもの――ゾウはなぜヒトを助けたか」に昨年末のスマトラ沖地震で亡くなった友人がいたスリランカのヤラ国立公園のことが書かれており、目に留まったからだ。ちなみに、柳澤嘉一郎氏は、以前にとりあげた遺伝学者の柳澤桂子氏の夫君であり、ご自身は、生物学者。「ヤラ国立公園では、浜から3.6キロの地点まで津波が押し寄せたが、野生動物の死骸は、ひとつもなかった。」と書いてありました。他の被災地でも、浜近くで草を食んでいた水牛が、津波の瞬間、いっせいに沖を見て、山へと駆け上るのを静止しようとして人が助かったとか、タイでは、人を乗せて浜辺を歩いていた象が、突如として、山のほうへ走り始め、途中、歩いていた人を鼻を使って背中に乗せたという例もあるそうだ。タイのどこかの島で、浜辺の水が急に引くことがあったら、それは、津波の前ぶれだから、山へ逃げるようにとの先祖からの言い伝えを聞いて、多くの人が助かった島があったようだが、スリランカのそれは、前ぶれもなく、突如として、大量の水が押し寄せたのである。まして、多くの野生動物が経験的に津波を知るはずもなく、果たしてこれは、DNAのなせる業、なのであろうか。表題にある、なぜゾウは人を助けたのか、これもまた、なにゆえであるのか。同じ生物としてか、本能であるとしても私たちは、なにか、『心』を勝手に感じ取ってしまう。あるいは、ゾウにとっては、そのような「心」は、なにもないのだろうか。いずれにせよ、人間は、何と引き換えに、津波を察知して山へ逃げるような能力を失ってしまったのだろうか。
2005.03.22
『幸せ』じゃん、じゃん!(おしまい)違うでしょうよ。それじゃ、ほんとに、これで終わっちゃうからね。えっと、いま欲しいもの。「物」よ。しばらく前から、買っちゃいそうなものとして、「iPod mini」かなぁ。どういうわけか、病気になってからほとんど音楽を聴かなくなった。でも、最近は、少しずつ、聞くようになりました。私が日中、というか、家の中で移動する4部屋のうち、3部屋でCDが再生できるから、とりあえず、困ってないし、でも、なんだか、便利そうだし・・・・・・。新し物好きの血が騒ぐ・・・というのか。なんだか、かわいいよね。お値段もお手ごろ。でも、周辺機器とか買っちゃいそうだな。いま、レッスン用には、MDを使っていて、AIWAのMDプレーヤーにスピーカーがついているものなんだけどこれが、苦労して探したんだけど、他にない。MDウォークマンとスピーカーを持ち歩けばいいのかもしれないけどやっぱり、一体になっているのは、便利。このAC電源用のコードがついに切れました。で、いろんなジャックに対応できるコードを買ったんだけど微妙にあわなくて、レッスン中に音が切れる。え~~~ん。しかし、どういうわけだか、英米の出版社のオーディオ教材は、なぜか、いまだにカセットテープだったりするわけで・・・。誰かに聞いたんだけど、アメリカとかじゃ、MDは、売れてないの?せめて、CDにして欲しい。カセットからMDにしたものをPCに取り込んでiPodに入れるっていうのは、できるの?あ~~~、長くなりました。つまり、欲しい。それから、デジカメ。この間買っただろう!ってつっこまないで。欲しいのは、デジタル一眼レフ。とはいえ、重いのは、結局、持ち歩かないから、キャノン EOS kiss デジタル Nとかいう、新しくて軽いのが出たみたいなので、それが欲しいかな。それから、プリンター。これが、実際には、一番、必要かな。いまのでもいいんだけどかなり、古くなった。遅い。うるさい。でもね~~~、使えないわけじゃないんだなぁ。PCから取り込んでテキストを印刷することが主だから、プリンタ専用機でもいいけどコピー機能もたまに欲しかったりする。だからって、写真は、やっぱり、簡単に外注するかも。プリンタとスキャナを買うのがいいのか、それなら、オールインワンを買うのがいいのか。決められない~~~。と、つらつら、欲しいものを書いてみたりする。まだ、物欲があるってことは、生きる意欲があるってことかな。
2005.03.22
昨日から、どこで読んでたのか気になっていた。いま、発見。そう、『優しい時間』(買ってしまった(^^♪)の倉本聰と寺尾聰の対談に載っていたのだった。それは、倉本が話してるんだけど「女房と息子が同時に危機に陥って、どちらしか助けられないとき、男はどちらを助けるだろうね。本当は女房のほうじゃないかと思うんだ。子どもが生まれたばかりだと、やっぱり子どもがかわいかったりするから、年齢にもよるかな。でも、女房のほうは、間違いなく子どもを選ぶだろうね。(中略) 50歳を過ぎて、女房が老けていくと、二度惚れするんだよね。 自分のせいでそういう風に変わったんだと思うと、愛しくなって。(後略)あ~~~~~、いいな、いいな。ま、実際、そうなのかは、わたくしには、想像すらできませんが、そういうのって、いいなぁ。ここ数日、受験の合格発表とかがあって、ママたちと喜びを分け合わせてもらってますけど、(ここから愚痴ですので、ごめんなさい)実際には、私ってば、家庭も子どもも作っても育ててもいないんだなぁってあらためて、なんだろ、「寂しさ」といってしまうには、あまりに直截すぎるんだけど、ま、ずばりそのものかな、「いったい、なにやってきたんだか、この20年。」って、自分に嫌気がさしますわ。もちろん、わかってますよぉ。人生、それだけじゃないって。でも、それに代わるなにかをやってきたか、っていうとなんだか、ただ、ぼけ~~~~~~~~っと過ごしてただけ、って気がしちゃうし、実際、そうだし・・・・・・。「誰のせいでもない、自分が選んだ道ですから。」と『女の一生』の杉村春子先生みたいに言えたら、「よっ!日本一!」って、大向うから声も飛ぶんですけどね~~。と、果てしなく愚痴ってても仕方ないやね。ともかく、そう、 「50過ぎて二度惚れ」っていうのが、すごくいいなぁって、思いましたことよ。やばっ。50過ぎて二度惚れされるには、一度目がそろそろタイムリミットだぜ。ところで、『優しい時間』ですが、寺尾聰さんのページは、な、な、なんと、私が胸ときめかし、腰砕ける「タバコに火をつける」どアップでっせ。「タバコはさんでる手」もあって、溶けました。(#^.^#)人物写真が素敵なHerbie Yamaguchi氏と同じところに目をつけていたなんて、やっぱり、男を見る目があるのかしらん。うふうふ。(^^♪男を見る目はあっても男運がないのしらん。(-_-;)ふんっ。ほっといて。
2005.03.21
今日は、半日、甥っ子と遊びましたぁ。こんなにぴかぴかのエネルギーを保っていられたら、人間、幸せだろうなぁ・・・と思います。どんなに消耗していても一緒に居ると元気が出ます。今日もありがとう。(初お目見えのご近所さんたちに、「おばちゃんとほっぺがそっくり」といわれたんですが・・・・・・。喜ぶべきか、う~む。)
2005.03.21
母親は、私ひとりを遺しては死ねない、という。弟は、私も家族のひとりとして背負ってくれるという。ありがとう。きっと、私は、母親に死なれても、弟に見放されても生きていけないのだろう。さてと。できることなら、母親より早く死んで、弟家族の迷惑ならないようにしたいものだなぁ。そう思いつつ、きっと、長生きしちゃって、あげく、ボケちゃったりするんだろうなぁ。できるなら、ボケちゃって、人に迷惑かけてるなんてこと、わからなかったりすると最高なんだけどなぁ。
2005.03.20
今日は、先生とお社中のみなさまとランチでした。午前中は、中学生が数名来るはずだったので、レッスンが終わったらそのまま飛び出そうと思っていたのだが、インフルエンザなのか、来たのは、結局、ひとり。1対1で「春休み帳」をやっているうちに、何を着て行こうかと考えるのが面倒になり、もう、着物着てっちゃおうかな、と思う。というわけで、着物まで引っ掛けたら、ひもと帯を持ってレッスンしつつ、着る。レッスンといったって、ひとりが相手だから、「はい、なんで?それ、説明してごらん。」とかいいつつ。決して、セクハラではなかったと思いますが。結局、「春休み帳」の英語を全部終わらせる。おおっと、出発時刻を越えてしまったので、出かける。遅刻してしまいましたが、なんとか、お食事には間に合いました。失礼しました。でも、お着物着るのが、億劫じゃなくなった。これは、なにより、うれしいなぁ。しか~~~~~~し、しかし、!!!!!やっぱり、太りすぎだよーーーー!!!確かにね、お着物は、いいのです。着られなくなることはない。そりゃ、もんのすご~~く、太ったらやばい。しかし、そうでない限り、着れる。しかし、今回のこのリバウンドは、まずいっすよ。ビア樽に帯巻いたみたいになってるぞよ。明日から、ダイエットじゃ~~~~!!!まじで。
2005.03.19
あと、あと、1回しかないのにぃ~~~~!半分、見逃してしまった!!!すなわち、杉田「女優」かおるの出演場面、見逃したよぉ!!!なんで、3月の下旬になると意味なく、道路工事をするんだろう!!!予算を使い切るためか、建設会社は、いいよなぁ。今朝は、今朝で、普段なら20分弱で到着するお茶のお稽古に大渋滞で到達できないし、帰りは、長い信号に引っかからず思わず、「ありがとう、寺尾聰!」とアクセルを踏んだというのに、工事の赤信号で待たされるし。(;O;)今日も素敵でしたわ。あの、セーター姿がたまりません。タバコをはさんだ指がたまりません。(手フェチ、です)(^^♪N.Y.回想シーンで妻を斜め後ろから見つめる笑顔・・・毎回、その2秒で、やられます。「俺の冷たさを謝ることができないから、泣くんじゃないかと思って・・・。」くっそ~~~!倉本聰!!!そう来たか!!!って、ほんとは、脚本は、違う人なんだよね。新聞のラテ欄には、「倉本脚本」って書いてあるけど今日のは、女性がクレジットされてました。それにしても未亡人、恐るべし。いまどき、あの若さであの言葉遣いはないだろう!と毎回、つっこみを入れてるんだけど「わたくしと体の関係を持つと、亡くなるんです。・・・もう、3人。」って。「わたくしと別れた方は、幸せな結婚をしてるんです。・・・もう、3人。」これって、どうよ。「魔性の女」とは、呼ばれないだろうが、感謝しろよっ。(って、誰に言ってるんだろう。該当者は誰も読んでないっちゅうに。)来週は、最終回。テレビの前で正座してみます。サントラに続いて、フォトブック(ハービー山口)も購入してしまうんだろうなぁ。(-_-;)
2005.03.17
ふわりと真綿の白さで包まれる。ふわりと浮かんだ雲の上でまどろむ。ふわりと春近いのを知らせるぼたん雪を手に受ける。ふわりふわりとあなたのこころがわたしのまわりにたしかにあると信じられる日。・・・はるのひなたのような。
2005.03.17
ジンクスというほどのものじゃない。でも、見たらうれしいもの。飛行機雲。三日月。新幹線。飛行機雲は、いつ見てもいいね。飛行機に乗りたいな、って思う。飛行機に乗るの、大好き。わくわくするね。偏西風に乗って行きたいな。三日月。つめの先で、きゅって跡をつけたような細い細い三日月。私は、三日月の夜に生まれたらしいです。だからね、きっと。新幹線。運転して高架の下を通るとき、もし、新幹線が通ったら、ラッキー!って決めてるの。だから、どうってことないけど「あ、ラッキー!」って思う。もしかしたら、誰かからよい知らせがあるかな、とかね。写真と本文は、何の関係もありません。
2005.03.16
アキラ~な日々を送る私としては、ハンドミルで豆を挽き、ネルドリップで淹れた(希望としては淹れてもらった)コーヒーをカシミアのアンサンブル(半そでセーターにカーディガンは、羽織るだけ)でひとり(希望としてはふたり)で飲みたい、そんな午後2時45分・・・・・・。BGMは、平原綾香『明日』。( ^^) _U~~しか~~~~し、いつもコーヒー豆を買っているサイトしかり、軒並み、ネットのコーヒー屋さんでは、いままで、万年、入れ替えなし(?)のハンドミルが「売り切れ中」なのである。たぶん、そこいらへんのコーヒーショップでも同様であろうのう。お手ごろ価格のものから、ザッセンハウス(とはいえ、1万そこそこ)まで、売れてるのね~~~。多分、あの、ネルドリップしてるハリオのウッドネックのポットも売れているんだろうなぁ。(あたしは、ケメックスのを買うよ。)ネルドリップは、やっていた時期もあったけどネルを清潔に保つのには、結構、気を使う。「クウネル」の影響を受けてゲットした月兎印の琺瑯ポットは、とても気に入っています。というわけで、結局、電動ミルでガガーーーッと挽いて、ペーパードリップで落としたコーヒーをひとりがぶ飲みするジャージの午後。せめて、BGMだけは、『優しい時間』サントラ(購入。わはは)(^^)v乗り遅れたミーハーは、つらいよ。
2005.03.16
確定申告が終わり、仕事も終了。半分は、「だめだ、寝かせてくれ。」と思ったけどやはり、出かけましたよ、お茶のミーティングに。家を出る頃には、すでに、9時15分。着いたら、貸し会議室も終わる時間だけに、一応、部長に電話を入れてみた。ま、電話するまでもないんだけどさ、だいたい、出る前に「誰だ、これ」と聞こえよがし・・・。で、「45分ぐらいには着くと思います。」といったら、「あ、じゃ、お願いします。報告事項がありますので。」はいはい。で、着いた頃には、すでに終了。ホリエモン的には、「想定内です」といったところか。で、さ。要するに、「薄茶席」をやることになったとさ。ホリエモン的には、「想定内です」。で、お茶とお菓子は、決まってるわけですがな。テーマ、等、等は、決まってないわけですがな。それでも、わが委員会に所属の執行部、と大先輩がおられる席で決まったことですからね、「想定内です」と言わざるを得ない。しか~~~~し、既に、4週間を切っており・・・・・・。どうすりゃいいのよ、状態。濃い茶席が、「全国委員」?という、クラス委員よりは、きっと偉い、おじちゃまがお手前なので、こちらも来年度の卒業生をぶつけようと思う。ほんでもって、濃茶がおじちゃんなので、こちらは、女性の先輩にお手前をしていただき、後見をおじつながり(?)にするという最高の布陣を思いついたのである。だって、お濃茶に対抗(する必要もないのだが)するしかないじゃないの。で、お手前は、どうする。お道具は、どうする。お軸は、お花は、お花入れは。わ、わ、わ、わ、わ、(-_-;)あ~~~~~~~、確定申告が済んで、すっきり気分もほんのつかのま、数時間。あ、それで、呼びつけたご本人は、「ま、あたしは、青年部で及台子っていうのも、なにか言われたらどうしよう、って思って肩身が狭いんだけどね。そういうわけだから、お薄は、平手前とかさ、「旅立ち」が花言葉だから、花はスイトピーで、いいわよ。」って、これが、お前の報告事項かよ、とさま~ず三村的につっこみ入れたくなるような一言で終わり。やっぱり、引き受けるんじゃなかったよなぁ。なんちゃって~~~~、after the festivalだべなぁ。ともかく、いろんな方のお知恵とお道具とご協力をおねがいするしかないのである~~~。修行だわ、やっぱり、これは。
2005.03.15
やっぱり、最終日。(-_-;)それでも、午前中に終わったんだから、(終わったっていっても、まだ、これから提出するわけですが)ま、いいじゃん。めでたし、めでたし。項目別に印刷したりする頃には、去年のやり方を思い出したり、だいたい、excelを普段ほとんど使わないから、そのために、手間取ったりするわけなんだよなぁ。あーーーーー、めんどう。でも、去年よりはいい。去年は、体調最悪で、どうやってこれをやりきったのか、ほぼ、記憶にないくらいだ。挙句、ぎりぎりに税金を振り込みに行かなきゃいけないし、辛かったわぁ。もう、やだ~~~。(T_T)なんだかさ、もう、どうでもよくなってくるよ、働くのにも疲れたし、働いた挙句、税金やら保険やら、こんなに払ってるのか~~~って考えるのも面倒だし、つまり、ありとあらゆる気力が、低下。生きる気力まで、限りなくゼロに近くなるのが、鬱病ですわ。(;_:)でも、どうやら、生きる気力はまだあるようで、いらいらして、人にあたるわ、チョコレート食べ過ぎて、ぶつぶつでるわ、過食気味で、胃が気持ち悪いうえに、太るわ、最悪です。(^0_0^)働かないで生きていくには、犯罪でも犯して、独房に入るか、本格的にあたまの調子をおかしくして、二度とふたたび、お天道様を仰げないような別の鉄格子の奥に隔離されるしかないのかしらん。神様、あたしは、いったい、なんのために生きているのですか?なんてことをあまり考えなくてもいいように、今年度こそは、こまめに支出の記録をしようっと。(これも毎年、思うことなのである。)
2005.03.14
馬鹿の顔を見たければ、鏡を見るしかない、わたくし。はぁ~~~~~~~~~~~。(ため息)嫌になっちゃうよ。相手が大切だったら、簡単に約束なんて破らないよね。「ゴメン」なんて、メール一言。馬鹿にしてるんじゃないの?してる、してる。こういうことが積み重なると残念ながら、自分が一番、辛いわけで。いまのわたくしとしては、薬でも飲まなきゃ、やってられないわけで。こういうことを書いて、あんまし、まともに取られて、アドバイスされちゃうのも辛いんで、お断りしておきますけれどもこういうことを敢えて、ここで、書けることがせめてもの私のガス抜きですんで。どうぞ、どうぞ、見てみぬ振りをしてちょんまげ。ほんと、この手のストレスにめっぽう弱くなっていて、たとえ、同じ気分を味わってもなんとか、クリアしてきたけどそれが、よかったのか、クリアしなければ~~~~~~というのがたまりにたまって、お脳の芯のところ辺りで、直立できない状態になってしまったのか、なんだか、わかりません。私は、自分が、大切です。
2005.03.14
半分。半分、ってとこかなぁ。それでも、一年に一度でも何年か、やってるうちには結構、コツのようなものが・・・・・・って、ちょっと、余裕の発言じゃん!(て、自分につっこむ。)(^^)vそうそう、最初は、何を申告するんだか、ち~~~~っともわかんなかったもんね~~~。(って、偉そうに言うことでもないが。)挙句の果てに、領収証は、残ってないし。私の場合は、もう、なんたって、入ってくるものは、きっちり決まっているのです。哀しいことに。だから、後は、支出をしっかり記録してさえあれば、こんなに大変な思いをするこたぁないんだよな。わかっているけど、そういうことがまったく苦手な、A型の私。やっぱり、半分は、O型だからな。って、こういうときだけ、血液型のせいにする。水瓶座はさぁ、芸術家肌だから、向いてないのよ。って、意味なく、星座のせいにもしてみる。芸術家肌であって、芸術家にもなれなかった。わはは。(-_-;)でも、ほんっと、年明けてからず~~っと、あたまのすみっこにこれがあるわけで。だったら、やれよ。ってことなんだけど、せっぱつまらないと、やる気にならないわけで。これが終わったら、「半落ち」借りてこよう、とかこれが終わったら、雑誌買おう、とか、涙ぐましいまでの追い込み(?)かけてると今日なんて、お礼状のための便箋を買おうとして、文房具店をうろうろ。ついつい、いままで気にもかけなかった変なものを購入。変なもの、っていうのは、昨日、伊藤園の「おーい、お茶」を買ったらついてた「リラックマ」なんだけどそのひとりごとが、かわいいの。「もつれた糸はほっておきましょう」「たのしいごはんがいいごはん」「そのうちやりますって」なんてさ~~~~。あたしの心境じゃん。「かほうはねてまてっスよ」「ビバ!!ダラダラ」もう、まさに!!!「できるならず~っとダラダラしていたい」って、これ、小学生とか、中学生が持ってきたら、思わず、ぶつところだけど今日は、いつ使うともわからない便箋とか、グッズを買ってしまった。(くだらね~~~~!)はぁ~~~~。(深いため息)さてと、リラックマにならって「いやなことをすべて湯に流すんです」って、お風呂でも入ってこようっと。結局、最終日にならないとできないみたいですぅ。
2005.03.13
今日は、4月の初めに計画されているお茶会の会場を下見に行って来た。この件について、すでに先々週に委員会のミーティングをしてある。しかし、召集時には、会場が未定。そのミーティングまでに会場が決定され、お役目について、話し合う予定だったのだが、結局、候補がボツって、今日、拝見した会場を使うことになった。もとより、お食事の用意をする係りでは、いろんな意味で、手作りというのは、身に余るので、お弁当にする予定だったが、今回の会場は、懐石もしてくださる割烹の(?)お茶席なので、予算が許す限りは、そこに頼むことになりました。(^^♪しか~し、今日、下見に行ってわかったことは、結局、お手前もはっきり決まらず、というか、今日のメンバーでは、決められず、もしかしたら、私たちの委員会でも一席、お席を任されるかも・・・と、その場で言われたのだが・・・・・・そりゃ、私もとりあえず、振られた役が無くなったので、どんなことでもお手伝いはするよ、とはいったものの、お掃除やお運びと、お茶席持つのでは、あ~~~た、ことが違うことぐらいは、私でも分かることでありまして・・・・・・。だからといって、そりゃ、できる負担は、なるべく・・・・・・というのは、決して、口先三寸ではありませんので、「嫌だ。」とは、言えなかったさ。で、結局、誰がいれば、こういうことは、決まるんでしょうか。つか、その場、その場で、私が付いていけばいいことなの?つまり、私の「柔軟性」が、まだ、足りないってことなの?それとも、段取りが悪いから、まごついてるってことなの?いずれにせよ、こういうことがすべて、「修行」と思ってやらにゃ、ならんのね。う~~~~~~~~~~~~~む。
2005.03.13
一年分まとめてやろうとするから、それも最終日にやろうとするから、辛いわけですよ。でも、そうならないとできないのよ~~~~。前橋方面で酔っ払ってる人たち~~~~。来年は、すっきりして、そこで飲んでいたいものだわ~~~。きっと、日本中には、あたしみたいな人、大勢いるわよね!!!がんばりましょうねっ!!!寝ないでねん。私、ひとりにしないでよぉ~~~~!!!
2005.03.12
先週、某Dランドに行って来た、甥っ子君。どうやら、「It's a small world」がいたくお気に入りで、その場から離れようとした両親に引っかき傷まで負わせたらしい。ぶぶ(わたくし)は、あのおふねに乗ったまま、どういうわけだか、中でスタックしてしまい、2時間、あの曲を聞き続けて、トラウマになりました。もう、一生、あの乗り物には、乗りますまいよ。なにかのおりに、「せ~かい~は~♪」と歌いながら自分ひとりでおしりをぴょこぴょこ、dancing~~~♪ピアノを弾いたら、きっちり、正しい音程で鼻歌を歌うではないか!!!もしや、天才?!つか、ほかの2歳児を見たことないからわからないけどさ。私が鼻歌で「winnie the pooh」を歌ってもそれにあわせてにっこにっこで踊る。「ぷ~しゃん。」おお~~っ!やはり、天才では?!一日でも早く、音楽教育を始めるのじゃ!もしくは、第二の熊川哲也を目指すか!バク転を練習して、ジャニーズか。夢は、広がるのう。
2005.03.12
「おお馬鹿男っ!!!」と、ひさびさに誰憚ることなく、なんに対してだか知らないけど苦虫噛み潰した40男の映ってる画面に向かって大声で叫びました。「乳揉み」挙句、「客引きの女だと思った」それに輪をかけて、「不逮捕特権がある」とのたもうた破廉恥議員よ、キミには、家族はいないのか。まさに、「お里」が知れる。人生40年やってきて、そして、いまどき、「一日一善」を掲げて、じいさんばあさんの手を握り締めて「議員先生」になってはみたが、そのおつむの中は、何がつまっておるのかね。というようなことは、「チビ傘さん」(トラックバックしました)の独壇場ということで、どんなに反省の色を見せようが、その心根は、決して、変わることがない、その証拠に、記者にうながされて、「一生、お酒は飲みません」とは言ったけど、「一生、立候補しません」とは、まだ、言ってないけんね。
2005.03.12
もう、週末だ。それも3月の真ん中。これであと2週間すると、言いたかないけど「今年も何もしないうちに4分の1終わったねぇ」なんて言ってしまうに決まっているのである。それを言う前に、ついに週末。そう、申告だよ、申告。どうして、こういうことがさっさとできないのか。毎年、半泣き。だれか、こういうことを私のためにやってくれるような・・・・・・そうだ、税理士さんと結婚すればよいのか。いやいや、世の中、そうは甘くない。商売で忙しいときに家人のそれもほんのちょっとばかしの帳簿整理なんてやってくれそうにもないよなぁ。なんで、こういうことが嫌いなのかなぁ。不思議だわ。家計簿なんてつけてたら「使途不明金」がほとんどになるんだろうな。病気が悪くなりそうだから、やめとこっと。さて、私の車のCDは、ついに、Ray CharlesGenius Loves Company に代わりました。泣けます。今朝、某アマゾンから届いていたんだよね~。いつ、購入したんでしょ。(夢遊病か)それまでというもの、私の車の中は、昭和のかほり、80年代のアトモスフィア~つうんですか。「寺尾聰 Best collection」がヘビー・ローテ。「ルビーの指輪」の頃は、理解できなかったこの歌のよさ、歌の上手さ、いやはや、素敵です。友だちによると奥様は、私たちと同じくらいの年齢とか。うらやますぃ~~~~~~~~~。年を取るごとに素敵になっていく夫が欲しい。それには、自分も素敵に年を重ねられる女性にならねばなぁ。というわけで、お気楽、アキラ~な日々、である。
2005.03.11
「優しい時間」の拓郎の台詞だ。そうだよね。そりゃ、そうなのだ。ひとりだから、ひとりじゃないから、それでも「孤独」なときは、「孤独」なんだろう。「孤独」とどうやって付き合っていくか。どうやって、折り合っていくのか。きっと、私にとっては、最大の命題となるだろう。それでも、やっぱり、「寂しいな。」と「死んでしまいたいな。」は、ごく近くに存在しているような気がするけど。隣りあって、お互いに冷たい光を放っているクリスタルグラスのビーズみたいだ。あわてて二つのビーズを一緒に掬ってしまわないように気をつけなきゃならない。冬の夜空のような濃紺のベルベットの上に隣りあって輝く、冷たい光は、遠くからその光だけを見るだけにしたい。
2005.03.10
朝、玄関のチャイムが鳴った。母が出て行くと同時に、近所のおばさんの声が聞こえてきた。「もう、ひと眠り・・・・・・」昨夜もなかなか、寝付けなかったんだ。なかなか、治まらない暴れる感情をもてあまし、昨日は一日、立て続けに抗不安剤を飲んだけど最近、どうも、効かないんだよね。今日は、お茶のお稽古があるから睡眠導入剤も飲めなかったし。なんとか、後30分・・・・・・。まくらに顔をうずめなおした途端に、嫌な予感が・・・・・・。「久々に、来た・・・・・・。」目を閉じて、深呼吸する。身体の右を下にして、自分で脈をとる。脈は、弱く、速く、速く。ゆっくり呼吸してみる。おばさんの話す声が、甲高く、あたまのまわりに貼りついて来る。その声で、胸の苦しさがますます、増して来る。早く、話をやめてくれないかな。大声で叫びだしたくなる。不安が、不安としか呼びようのないものが、真っ黒な入道雲のように私の体の中でどんどん膨らみ続ける。おばさんの声が聞こえないように枕もとのCDをかける。CDの音に集中して、呼吸を大きくする。「・・・・・・死ぬかもしれない。」死ぬわけ、ないんだけどさ。あ~~~~~~~~~~~、疲れた。久々に、来たわ。半日立ってもまだ、なんとなく、気持ちが晴れません。抗不安剤を替えてもらおうかなぁ。春先って、調子悪い。いろんな気がかりも疲れもあるからかな。
2005.03.10
アラム語です。この言葉に私が最初に出会ったのは、高校生のとき。イエスが、十字架にかかり、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と言って、絶命された。この言葉は、イエスご自身の言葉でありながら、詩篇22篇の冒頭の句である。「わたしの神よ、わたしの神よなぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず呻きも言葉も聞いてくださらないのか。わたしの神よ昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。」わたしには、たとえ、イエスであれ、死の瞬間には、「どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と神様に問うのであろうか、と思っていたのですが、そうではなく、詩篇の一篇であったからなのか。いまだに、よくわかっていないのです。「イエスとはなにか」を読み始めようとして、その、序で、笠原芳光『イエス 逆説の生涯』のあらすじを知った。「・・・・・・同書は、「イエスはキリストではない。」という文章から始まる。その核心は、「離脱」ということである。・・・・・・]イエスは、あらゆるものから離脱し、「・・・・・・「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と絶唱し、神に捨てられたという悲痛な絶望のもと、絶命する。しかしこの瞬間こそ、イエスが「神」からすら「離脱」し、それによって生死の実相にまみえた刹那なのである。・・・・・・」「・・・・・・「イエスはあのように生きて、死んで、はたして救われたのだろうか。いや、救われなくてよいとイエスは言っているのではないか。いわゆる救済のないところに、『それでよい』という声なき声の『大肯定』を聴くことが、真の救済である。」・・・・・・」まだ、『序』である。すでに、悩む。さて、昨日(3月8日)、朝日新聞の「宇宙の底で」という生命科学者 柳澤桂子氏の連載が終わった。とても楽しみにしていたのだが、残念。本になるのを待とう。そこには、脳の進化について書かれていた。いわゆるトランス・パーソナル心理学についてなのだろうか。(これまた、むずかしいので、わからないのです。)人類の認識方法は、生まれたての赤ちゃんのように自己と非自己の区別のない時代、(一次過程)非自己が認識されるが、まだ自己との区別があいまいな時代を経て、現在私たちが日常に感じている自我意識の時代(二次過程)になる。さらに意識が進化すると、自我意識を超えて、もう一度、自己と非自己のない、一元的な認識に目覚めはじめるという。これが、三次過程の認識である。意識は、その方向に進化しているとアリエティは、説く。意識が進化すると、意識は完全に自我を否定して、宇宙と一体になる。これが「悟り」、宗教の世界であると思想家ウィルバーは、考える。柳澤氏は、「人格神を否定するのではなく、われわれが謙虚に成熟し、人格神の存在を超越するまでは、われわれは苦しむのではなかろうか。」と締めくくっている。はぁ~~~。むずかしいねえ。わたしは、やっと赤ちゃんから成長して、自己と非自己に目覚めたばかりのところで、苦しんでいる。いったい、生きているうちに三次過程について、理解できるのかどうやら。そしてまた、ひとりの人格神であるキリストを超越することによる救いもわたしには、ひざを打つものとはなりそうにないのである。「わたしとはなにか」それが、いま一番の問題である。
2005.03.09
玄侑宗久「水の舳先」を読む。つか、そろそろ、現実逃避をやめろ!と思いつつ、ものすご~い睡魔に襲われ、半分、眠りつつ、本を読む。この小説の舞台となっているのは、玄侑宗久さんのお寺がある、三春町にある温泉だろうと思う。福島にいたときに友だちに連れて行ってもらったことがある。Tシャツにジャージで、熱くなった玉砂利の上に持参したござを敷いて寝ているとものすごい勢いで汗が出る。いつも結構、混んでいた。長逗留するひとたちのための宿泊施設もあったようだ。小説のなかの僧侶は、末期がんのクリスチャンの女性から死の直前に「懺悔」される。彼女の「罪」とは、なんだったのか。カトリックには、告白(告解)という「ゆるしの秘跡」がある。神の意図に逆らった状態から回心することであり、自分の罪を司祭さまを通して神様に告白し、神は、教会を通して罪の赦しを与える。しかし、仏教では、たとえ「懺悔」してもそれに対する許しを与えるという考えはないようだ。私にいま、死が迫っていたとして、「懺悔」しなければいけないことはなんだろう。確定申告に手をつけていないこと、なんて、冗談(じゃないぞ)は、さておき。誰かにそばにいて欲しい、ともひとりで死んでしまうのは嫌だ、とも思っていないけれども誰かに、感謝しているうちにうっすらとした意識が、液体の表面で薄い膜になっていた表面張力を失って、膜が破裂すると同時に、微細な水蒸気になってまわりの空気に溶け込んでいくようなそんなこの世との別れをしたいものだな、とこれは、お風呂でぶくぶくとジェットバスに30分も浸かりながら本を読んでいたゆえのイメージかしらん。あ~~~~、結局、大上段に構えたタイトルにも読み終わった本の感想にもならない日記であった。実際には、眠~~~い、おやすみ~~~と眠ったまま、朝になっても起きてこないよ、ってな状態で死んじゃうんじゃないでしょか、わたくし。寝よ。眠~~~~い、おやすみ~~~~っ!
2005.03.07
なにゆえ、こんなに眠いのか、胃に穴でもあいて、出血し続けて、貧血になっているのか、と思ってみたけど胃の調子が悪いのは、母の作った「豆腐ドーナッツ」の食べすぎだ。昨日、お茶の先輩に言われた。「私は、どんなにお金がなくなってもパパ(だんなさま)と子どもたちがいてくれれば、それでいいと思うの。」「○○さん、かっこいいっ!」思わず、口をついて出る、本音だ。「だからね、あなたも結婚しなきゃ、だめよ。」なまじのおじ・おばに言われたら、必ず、ムカつき、凹む、この言葉。しかし、素直で、人生まっすぐ生きてる彼女に言われれば、「ほんとに、そうだよなぁ。」と思ったりする。お茶をとおしてほんとにいい先輩にめぐり会えていると思う。ここまで(?)来ると、そうは思ってもなかなかストレートにアドバイスなんてしてくれないよ、今日この頃。わはは。いやいや、決して、「しない」わけじゃなく、めぐり会えたら、明日にでも。いえいえ、今日でも。そんなポジティブ(!)な考えじゃなくて、もう、ひとりで生きている意味を見出せないここ数年は、このまま、ひとりでいたらほんとに狂っちゃいそう・・・なんて思ったりするし。しかし、ひとりでもダメなもんは、ふたりになったら、もっとダメになる。ゆえに、神様は、私をひとりにしているんじゃないか。「ひとりでいること」にさえ、なにかの「意味」を見出そうとしている。意味、なんてどうでもいいことなのに。きっと、もっと、かんたんなこと。「わたし」が「一緒に暮らす」には、too much ! なのか、too little ! なのか、なにかが決定的に欠けているとか、なにかが、既に、検討されうる以前の問題が存在するのか、そういうことに当人がち~~~っとも気付いてないことが問題なのか、なんらかの、問題があるんだろう。「去るもの」は、せめて、そのことをお土産においていってくれるぐらいの親切さがほしいよな。「君なら一人でもやっていける。でも、彼女には、僕がいなくっちゃ・・・」と言ったやつがいた。そう、それは、十分な理由だわ。はい、私は、素直です。それだけ言ってくれたら、「私だって、ひとりじゃだめなのよぉ~~~!」なんて、意地でもあたまをかすめたりしないのだ。黙って、もとのさやに納まってるやつ。それならそれで、「やっぱり、キミより、長年連れ添った歴史が大切だ。」といってくれれば、中途半端に浮気して怒られたら、尻尾を巻いてママのところに帰るようなら、最初から家でおとなしくしてろっ!ぐらいなことは、言ってあげられるのに。多分、人間的な問題、私には、なにかが圧倒的に欠けているのだろう。傍から見たら、明らかにわかることなのに、それに気付かないほど、鈍感だから、ここにこうしているのだろう。ドーナッツの食べすぎじゃなくて、スキルス性胃癌だったらいいのに、なんてちょっと本気で思ったりする罰当たりな私です。あ~~~~、眠い。
2005.03.07
πは、円周率。iは、-1の平方根。虚数。eは、循環しない少数。eのx乗は何回微分してもeのx乗らしい。ともかくも、πとiを掛けた数でeを累乗した数に、1をたすと0になる。なんのこっちゃ。なんて単純なくせに、意味不明。小川洋子 「博士の愛した数式」(新潮社)80分しか記憶が持たない元大学教授の数学者のもとに派遣された家政婦と数学者によって頭の形から√(ルート)と名づけられた、彼女の息子。登場する人物といえば、後は、数学者の義姉。数々の美しい数式と、江夏。これだけで展開する物語。帯には、「第一回本屋大賞受賞」「この本は全国書店員が選んだいちばん!読んで欲しい本です。」と書かれている。あっという間に読めた。確かに、ふっと胸が熱くなる物語だった。しかし、「泣ける本ベスト3 第一位」、か?しかし、しかし、いま、この本で一番心に残った博士の台詞をもう一度、読もうと思って最後の三分の一をめくり始めたら、もう、号泣ものだった。しみじみと、号泣。「物質にも自然現象にも感情にも左右されない、永遠の真実は、目には見えないのだ。数学はその姿を解明し、表現することができる。なにものもそれを邪魔できない。」この言葉を聞いた家政婦と同じように、わたしにも「永遠に正しい存在が必要だった。目に見えない世界が、目に見える世界を支えている実感が必要だった。」「諸行無常」この言葉と向き合い、戦っていた。「諸行無常」は、確かに、真実かもしれない。しかし、この真実は、いまの私には、決して認めたくないこの世のゴールデン・ルールなのだ。先週読んだ、養老孟司×玄侑宗久「脳と魂」もうなづきつつも、洗礼前日のまま2年が過ぎたなりかけクリスチャンの私には、そりゃ、やおよろずの神は、なんとでも言うさ、お釈迦様は、死んだらどうなる?には、答えないさ。と、思いつつ、反論を組み立てるには、能力も信仰もおっつかないのであった。そう、私は、物質にも自然現象にも感情にも左右されない、目には見えない、永遠の真実をこそ、渇望している。それを数式として表現できる。それを美しい数式として発見できる数学者とは、あらかじめ、神様がこの世に書き付けておいた真実を読み解ける預言者か、求道者では、ないだろうか。それにしても、私がこの本を買ったのは、寺尾聰で映画化されるということと目の前に迫った「確定申告」からの現実逃避であったが、この博士のイメージは、寺尾聰のお父様、「宇野重吉」以外に、ありえない。読み進むにつれ、頭の中のスクリーンの博士は、宇野重吉、なのである~!日に日に、お父様に面差しが似てくる息子ではあるが、果たして、映像は、どうなるであろうか。わたしにとっては、現在の寺尾聰は、フェロモン出すぎ!なんですけど。あくまで、「わたしにとって」ですけど、ね。結婚してくれ、寺尾聰。
2005.03.06
今週、二日にいっぺんのお茶会を締めくくる今日は、先生が教えている「婦人の家」の発表会。生徒さんたちは、地元のご婦人方、十数名。普段、お教室にしている和室に野点傘をセッティングして御園棚での立礼でのお手前。今日は、みなさん、お着物でおでまし。私は、社中の先輩とエプロンをつけて裏方さんです。働くよ~~~!お客様も一席、10名ととてもゆっくり。お手前さんは、さすがに緊張されているけれどお客さんは、かなりカジュアルです。先輩と構えていたら、なんだか、ちょっと気が抜けるほどののんびりさ加減で進行、そして、終了、であった。ま、途中、自分の裾を踏んだおば様が一段下で正座している私のうえに降って来て、反射的に彼女を支えたんだけど手を着く場所を失った彼女の右の鉄拳がわたくしのデコルテに一発決まって、今でも痛いんですけどね~~~。彼女と私の間にあった20客近いお茶碗も無事だったし、あのまま倒れたら着物のまま、熱湯かぶってたかもしれなかったよ。よかった、よかった。ほんの半日のお手伝いでしたけどいつもの戦場のような?お水屋じゃなくて楽しかったな。この半年、お手前をさせていただく機会が多く、まだまだ、お水屋の仕事がわからないし、こういう、裏方仕事が好きなので、お勉強にもなったし、楽しかった。なんといっても臨機応変、無駄なく、目配りがきき、出し惜しみせず働く先輩の姿を拝見することが一番のお勉強になります。お茶会に関わるとお客様として見る「お茶会」というのは、たぶん、全体の1%ほどのことなんだとわかる。用意するほうは、実質的な場所、時間の設定から、お客様をお迎えするための心積もりから、ありとあらゆる作業がある。目に見える準備、場の空気となってしか存在しない準備もある。なんどやっても多分、慣れるということは、ありえない。流れが頭に入っているかどうかで、見えるもの、行動範囲も違ってくる。そこに、当日の天気、そして集う人々、とこれこそ、「一期一会」。それが、醍醐味であると思う。もちろん、「お茶会」「お茶事」ばかりでなく、日々のお稽古、いや、本当は、お茶を学ぶものとして生きる姿勢からが、お茶なのであろう。なんつっちゃって、お手伝いのエプロン姿のまま、ご飯食べてる最中から睡魔に襲われ(幼児か)、お炬燵で爆睡して、ゴロちゃんのドラマを見忘れたくせにお茶について語る今日のわたくしであるよ。あ~~~~~~、お茶は深いのであるぅ!
2005.03.06
人生修行が必要なやつに、必要な修行が人生にやってくる。「お茶」がまさにそうかもしれない。「お茶」は大好き。先生にも、お仲間にも、本当に恵まれている。いまのお社中にお世話になっていなかったら、お茶のお勉強は、続いていなかっただろう。私のお茶との出会いは、伯母とふたりの楽しいお稽古だった。私は、緩みきっての入門だったが、伯母のお茶にかける情熱は、今になってみるとかなりなものだった。お稽古の前日に、電車とバスを乗り継いで先生のお宅にお花を届けに行く。このことだけをとっても「お茶」のお稽古とは、その「稽古」のみならず、お茶に向き合う姿勢そのものだということがわかる。伯母が亡くなって、他の先生に就けなかったのも私には、そういう気の使い方ができないからである。伯母が築いたものを私が台無しにしてしまいそうだったから。入るのも辞めるのも気軽かと思ってカルチャーセンターに通い始めたのがいまの先生との出会い。私にお茶を続けさせたかった伯母の配慮かもしれない、と思う。なにをやってもそうなんだろうけど一芸に秀でること、というのか、その道に通じること、というのか、ともかくも、ず~~~~っと同じことをやっているとすばらしいこともあるが、狭っちい世界がすべてだと思い込むこともあるのであろうか。ある意味、カースト制度、ある意味、宗教って気もする。「一期一会」はどうした。「侘びさび」はどうした。と、大声で叫びたいこともある。いったい、どこまで本心で気を使いまくれば気が済むのだ!と、結構、小心者の気ぃつかいぃと自覚していたのに、実は、全然、気がつかない自分発見、なのである。仕事でも生活でも、とみに社会性を失っているせいもあり、どうも、この人びととの距離感のとり方がむずかしいのである。これこそ、修行、というべきか。つい面倒になって、ストレートな物言いをしてしまって、後悔するということが数多くある。(って、こりゃ、お茶とは関係ないか。)それにしても、楽しいが、辛い。そして、奥深いのがお茶である。この辺で、今日の脳みその限界。続きは、また、今度。
2005.03.05
続きまして、本日、3月5日。今日は、とある「音楽祭」のロビーでのお呈茶。「青年部」の活動でございました。青年部員でありながら、いまひとつ、活動の目的や意図を理解していないうちに入部し、過去2年は、体調のせいもあって、幽霊部員であった。というのに、これからの2年は、「なんとか委員長」なのである。う~~~~~~~む。なぜに。断れよ、自分。なにせ、お茶のことを知らない、のである。(-_-;)だから、引き受けちゃったのよね~~~。死む。みんな、自分の時間を削って力仕事をし、お茶をお出しし、奉仕をしているのである。偉いっ。何ゆえ・・・・・・。で、結構、個性豊かな皆さまである。私にとっては、人生修行としか思えないのである。人生修行は、どうも、向いていないのである。楽をしたいのである。ごめんなさい、神様。2年が始まったばかりではあるが、この2年の間に、なんとしても、引退したいのである。それも、めでたく。いや、否応なく。そうだ。寿退部、である。あ、そういう話をしようとしたのではなかった。が、今日のお茶会については、ほんの少し、また、青年部の活動がわかった、わかってはきたが、やはり、なぜ、自分がそこに身を置いているのか、ますます、謎なのである。残り一題は、明日。
2005.03.05
お茶会、週に三回である。う~~~む。宗匠に次ぐ忙しさではなかろうか。(ウソ)3月1日は、Special Olympicsの役員と親御さんたちのレセプション会場でのお呈茶。Special Olympicsは、全国的には、盛り上がっていたのでしょうかねえ?ダウン症のフィギュアスケーターのCMを一度だけ見て、感動したのだけど、他のバージョンもあったのかしら?お呈茶では、一畳弱の畳の縁台?を使って、茶箱で和敬点てのお手前。海外からのお客様がいらっしゃるということで、日本語と英語のbrochureを寒氷の桜とちょうちょ、金平糖につけました。お社中には、手わざを持ったひとがいて、コンピュータで、ちょちょいのちょい、(ですよね)かわいらしい千代紙の解説書ができました。あ~~~、英語、忘れてるよ~~~と実感。多分、2%ぐらいしか、喋れなくなってる。それより、「日本人のphilosophyとは、なんぞや?」とギリシャの紅毛碧眼の異人に尋ねられて、答えられなかったのが、なんとしても、悔やまれる。あれ以来、悩んでる。なんて答えるべきだったのだろう。お抹茶は、結構、好評。なかには、「私が毎日飲んでる『大麦若葉』の味がする。」とのたまう異人さんもおったぞよ。「正座」にも驚く異人さんもいた。やはり、着物には興味があるらしく、申し訳ないが、日本人の代表として写真撮られまくりであった。今に価値がでるであろう。とっておきなさいよぉ。「帯」の意味?を聞かれたのも困ったが。こういうときには、やはり、おばさまパワーが炸裂。日本語でどんどん話しかけるおばさまというのが一番、国際交流するのである。いやはや、なかなかない機会でございました。
2005.03.05
ちょっと、疲れてる。訂正。かなり、疲れてる。人疲れ。人に会うと疲れる。ぼんや~りしたいなぁ。してるけどね。かなり、ぼ~っと。ぼ~っとしてるのがわかるから、なおさら、気を使う。だから、疲れる。3ヶ月ぐらいぼ~~~~~~~っとしたいなぁ。ハワイ、行きたいなぁ。マウイが私を呼んでいる~~~~。(多分)海に浮かびたいなぁ。浮かばなくてもいいから眺めたいなぁ、大海原。トロピカルドリンクちびちび舐めながら、青い海の上に広がる青い空を眺めたいなぁ。飛行機に乗っただけで、多分、気分が晴れるかも。ホノルルの風を受けただけで明日が見えるかも。アロハ・エアのカップ入りオレンジジュース飲んだだけで、「希望」に出会えるかも。サトウキビ畑の広がる道をドライブしたら、全快するかも。マウイオニオンのオニオンリング食べたら疲れが吹っ飛ぶかも~~~~~!ハワイ行きたいよぉ!!!寝ます。明日も、お茶。明後日も、お茶のお手伝い。
2005.03.04
そう、それも考えなくっちゃね。わかってるって。失ったもの以外、何も失っていないのさ。すべてを失ったのなら、もう、辛さも感じない。そうだよね。「いつも、ある。」と思っていたものが、ある日、突然、消えてなくなってしまう。だから、あって当然と思っていた目の前の道が突然、蜘蛛の糸ぐらいの細くはかないものになってしまった。いつ、ぷつりと切れてしまうかもしれない。その怖れが私を不安にするだけだ。曇り具合は、お天気みたい。自分でコントロールできないからちょっと困ってる。すべてを失ったら、そんな心配もなくなる。生きている。私は、なにかを失っても、今、生きている。
2005.03.04
いったい、私は、何を失ったのだろう。あれも、これも。あの人を。取り戻せない。substitutionも手に入らない。おせんべいでできたこころを知らぬ間にネズミにかじられちゃって、痛みをこらえてるって感じか。「そのうちにいいことがある」「悩んでも仕方ない」いつか、この闇を越えたら、私も誰かにそういうことができるだろう。放置しておいても解決しない痛みをいやというほど、もう、たくさんと思うまで、感じきるしかないのだろう。自力でどんな闇からも這い上がれる人がいる。失ったものの代わりを神様が与えてくれる人もいる。失ったものから学ぶ人もいる。今の私は・・・・・・?残念ながら、そういうひとたちに「おめでとう」というのが精一杯。しばらく、ほっといてくれ、と慰めようとするありがたい友人たちをも遠ざけているかもしれない。そういう心持ちが闇から抜け出られない「原因」である。といわれれば、「その通り」というしかない。もっと遠くをもっと上を見ながら歩かなくっちゃ!わかっちゃいるけどともかくも、今は、足元の小石に気をつけて、一日、一日、自分に課せられたことをこなしていくのが精一杯なのだ。今度、また、倒れたら、起き上がる自信がない。だから、今は、足元を注意するしか、仕方がないのだ。後ろ向き日記、ごめんよ~~~。
2005.03.04
最近、友だちの口から「年のせいかしら・・・」とか「お互い年なんだから・・・」という言葉をよく聞くようになった。そう、そりゃ、年齢的には立派な中年。だけど、なんだか、・・・違和感。いやいや、私だって、前よりかなりひんぱんに白髪を見つけるようになったし、鏡を見れば、しわとかしみとかきっちりと存在を顕示するし、「アンチ・エイジング」なんて言葉には敏感だったりするわけで。でも、「年のせいかしら、なんだかね~~~。」なんて今まで、いや、今でも、あまり思わないのだ。思うに、「年のせい」と思えるほど、自分自身が成熟していないのだ、と思う。「気が若い」・・・これは、決して褒められているわけじゃない。要するに、年齢相応の精神的な成長を遂げていないということだろう。ま、ね。毎日、親に面倒見てもらってるし、考えることといったら、自分のことばっかりだし、苦労してない、といわれれば、その通りですとしか、いいようがないからね~。ま、しょうがないか。「夫」という名の他人と生活を営み、自分より可愛い子どもを育てて、仕事と社会貢献していたら、十分に、「年をとった」という充実感があるのかもなぁ。そう、「年のせい」といえるのは、やはり、ある意味、そういえるだけの「自負心」が備わっているからこそ、なのかもしれないのだ。あ~~~、こうやって、あたしは、一生、無責任で未成熟なあほ丸出しのまま、脳みそのしわはつるつるのまま、顔はしわだらけのばあさんになってしまうのだろうか。やんなっちゃうわ。
2005.03.03
気分は、昨日の情けない私のまま。言い訳は、できない。だめなものは、だめ。だめなときは、だめ。怒りを押し殺そうとしても、圧力をかけた分、自分に反動が戻ってくるだけだ。睡眠薬が効きすぎて、一日、眠い。書き込みに反応しようとしても何度読み返しても、「そうなんだよ~~~。」ってうなづいてるだけだ。「ブログ読んだんだけど。」心配した友だちからの電話で起きる。(昼過ぎ)すまん。まったく、だめだめな一日。友達とコーヒーを飲んだ帰り道、なんとなく、小説と雑誌を買う。あ~~~、その前に、確定申告だろっ!「30代のいい女の条件」みたいな記事をぱらぱら、めくる。「40代になったらシャネルを着ようと決めていた」とか「エルメスの似合う女になるのがテーマだ」とかは、「はいはい・・・(-_-;)」って感じだけどそれ以外は、結構、うなづけるものもある。うなづけるだけで、自分は、そうなってないんだけどさ。その条件、112個のうち、111「今は死ねない。やり残したことだらけだから」112「愛している人がいる。そして誰かに愛されている」う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~む。(;_;)/~~~111「たとえ今死んでも構わない。多分、死に顔は安らか。」だと思うよ。112。今日は、考える力もない。「恋愛だけが、愛じゃないさ。」そりゃ、そうなんだが。今日は、薬を飲まないで寝ます。眠れるまで、小説を読みます。寺尾聰で映画化される「博士の愛した数式」小川洋子。
2005.03.02
以下、転記。昨年12月のインド洋津波で両親を失ったスリランカの子どもを支援する「育ての親」をスリランカのNGO・サハノダ財団が募集している。4~17歳の孤児500人が対象。「育ての親」は、子ども1人に対して年間1万2千円を送金する。自分が支援する子どもとは自由に連絡が取れ、財団からも3ヶ月に1度、近況報告がある。問い合わせは、スリランカ在住のダハナヤカさん(電子メール sahanoda@sltnet.lk)まで。なにか、できることをしなければ、と思っています。
2005.03.02
ふとしたはずみで、崖下に転落。やっぱり、だめだわぁ、もう、何があってもいいように、やっぱり、今年の御復活祭には、なにがなんでも洗礼を受けて、イグナチオ教会の地下のお墓を買っちゃおう、貯金を全部はたいたら、一人用の集団墓地?みたいなやつなら買えるんじゃないか、あ~~~~~~、それより、明日、もう一度、クリニックに行って、生きる気力がなくなりましたと言ってみようかなぁ・・・なんて、ひとり、お風呂で泣いてみたりする今夜。皆様、いかがお過ごしでしょうか。やっぱり、あたまがいかれちゃってるんでしょうか。こんなんで、生きていて、なにか、私に課せられたミッションなんてあるんでしょうか。それとも、なにかの罰が当たってるんでしょうか。さぁてと、薬も効いてきました。寝まっす!おやすみ!だいじょぶ。確実に朝、目が覚める分しか飲んでないし。私を迎えに来てくれ~~!寺尾聰~~~!あ、私の好きな、二番目の寺尾だ~~~!一番目は、お相撲さんの寺尾。今は、しころ(って、どんな字だ)山親方。寺尾って、たしか、高校生ぐらいの連れ子のいる奥様と結婚したんだっけ?あれ、それは、舞の海?ちがうな。やっぱり、寺尾だ。かっちょいい!!!石黒賢もそうだった。さんまもそうだった。宇野重吉の息子なのに、寺尾聰。お相撲さんの寺尾は、おかあさんの旧姓が寺尾だったからなんだよ。寺尾聰の寺尾は、本名なのか?思考力=0寝ようっと。多分、この日記は、明日、削除、だなぁ。
2005.03.01
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