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ドロシー・ロー・ノルト Dorothy Law Nolte『子は親の鏡』 けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになるとげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる広い心で接すれば、キレる子にはならない誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つやさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる皇太子殿下が朗読されたのと少し違う翻訳です。私の記憶の一番の哀しみは、子どもの頃、離れの階段の下から、母を呼んでいる場面だ。呼んでも呼んでも、母は、顔を出してくれない。見上げた階段の段々。今でも子どもの目の高さで思い出すことができる。その日、私は、父の姉、つまり伯母の家に遊びに行くことになった。伯母は、独身で、母にとっては鬼千匹、小姑ということだ。でも、子どもの私には、母にとっての鬼もたまに可愛がってくれれば、「いい伯母」だった。少なくともその頃は。細かいことは省略するが、母は、名前だけの旧家に嫁いで、なによりまず、「跡取り」を産むことを期待されていたが、残念ながら、私が生まれ、待望の弟が生まれるまでの5年ほど、辛い思いをたくさんしたらしい。まして、伯母は独り者だったので、祖父は、私をくれてやるくらいのつもりだったと思う。伯母にとってもそれは、まだ、私が小さくて、従順だったころには、悪い話ではないと思っていただろう。残念ながら、ほどなく私は、母を守るために、そして自分を守るために、祖父と伯母に逆らう子どもになっていった。さて、私の一番哀しい思い出の日、伯母の家に遊びに行こうとして、離れにいる母に「いってきます。」と声を掛けた。返事はない。母のサンダルがあるから、階段で声を掛ければ、聞こえないわけはない。「おかあさん、いってきます。」やはり、返事はなかった。階段の上から母が顔を出すことはなかった。子供心に、私は、大失敗したことに気がついた。母は、普段から自分に辛く当たる小姑が、私を連れて行くのが嫌だったのだ。きまぐれで可愛がるような伯母に喜んで着いて行く私を笑顔で送り出すことなどできなかったのだ。せめても、母に許されたのは、「いってらっしゃい」と言わないこと。それぐらいだ、ということを私は、大人になって、思い出した。大人になって、気がついたのではなく、子供心に、母親の哀しみに気がついていたのだ。理解して、自分が母親を悲しませているのに、私自身が狼狽していた。とても哀しかった。弟に子どもが生まれる前、私は、決して、同じ思いを妹にさせてはいけないと心に固く誓った。子どもは、親のもの。(意味を取り違えないでくださいね。)「子どもを持ったことがないから、(親心や愛情が)わからない」とよく母は、伯母のことを言ったものだが、今の私も家庭を持っていない。悲しい話だ。だから、家庭を守っていくことの苦労や喜びや、そして、平凡な日常を積み重ねる歴史の大切さを理解できないのかもしれない。今、可愛くて仕方ない甥っ子もただただ、自分の好きなように可愛がるだけ、毒にはなっても薬にはならないかもしれない。絶対してはならないことをもしかしたら、忘れていたのかもしれない。「伯母」であることを忘れて、自分の気持ちだけで、甥と付き合ってしまっているのかもしれない。それは、反省しなくてはいけない。子どもにとって周りのおとなが決してしてはいけないこと、それは、「ネグレクト」だ。「養育放棄」「虐待」などという大げさなことではない。自分がここに存在しているのに、まるでいないように振舞われると子どもは自分の存在が認められていないことに気付く。そして、自分の価値を自分でも認められなくなる。子どもの頃、私は、いかにして親に自分を認めてもらおうかと必死だった。大人になってもそれは続く。自分の無価値感は、どうやって克服すればいいだろう。自分が誰かにとって欠くべからざる存在であると人はどういうときに思うだろう。愛する人がいるとき。自分を愛しているひとがいるとき。家族。パートナー。恋人。愛する人を失ったとき、自分を必要としていた(と信じていた)人が突然、理由もいわずに、去っていったとき、自分に価値がないことをまた、思い知らされる。いても、いなくても、同じ。哀しい思いをするならむしろ、いないほうがいい。誰からでもなく、自らが自分にくだした結論だ。誰かにしっかりと抱きしめられて、ここにいていいんだよ、あなたは愛されているよ、すべての子どもは、そう、言われ続けなくてはならないと思う。好き放題に可愛がってはいるけれど少なくとも自分の全存在を受けとめてもらえる瞬間を記憶に残らないかもしれない時期にでも存分に味わっておいて欲しいとは、願っている。そう思っていることにも自分を認められないという点において、実際、自信はないけれども。
2005.04.28
久々にデパートで時間つぶし。結城紬の展示会。「いつかは、結城」といわれるほどの紬。それほど、品質が良い、のであり、それほど、高価ということであろう。紺や黒の地に結城ならではのおとなしめな絣柄、蚊絣、麻の葉、小さめの飛び柄・・・。あくまで控えめ、あくまで普段着。お値段は、百数十万円から・・・。お着物に興味のない方々のためにもう一度。お着物一枚作るための反物、一反のお値段、最低でも百万円以上です。(^_^;)でもね、別に、結城の味方でもないし、結城紬を着たわけでもないんです、持ってないし・・・。でも、これは、「高くない」。いえいえ、「安いわぁ。買うわよ。」なんつってるわけじゃ、もちろん、ありませんよぉ。しかし、いまや、すべて手仕事、そして、あらゆるプロそれも数少なくなった人たちの貴重なコラボレーション、総合芸術、なんですよね。だから、手間を考えれば、決して高いものじゃない。しか~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~し、そりゃ、庶民には、とても手が出ない。でもね、紬は、普段着。たとえば、おうちで雑巾がけのときに着られても正式な場所には着ていけないんです。うろうろしていたら店員さんに声をかけられる。いわく、「結城にも色無地があるんですよ。それなら、お値段も半分ぐらい。ひとつ紋も入れられますよ。大寄せの茶会なら大丈夫ですよ。」「ほんと。こちらならお値段も控えめですね。」って、思わず言ってみたもののそれって、55万円也~~~~~♪。っていうか、紬に紋入れて、いつ着るんだっつの。まったく、大寄せの茶会ではいいと言われたってそれ以外、着る場所なんてないじゃん。あぶねー、あぶねー。確かに、孫子の代まで着ることができる。昔のお金持ちは、新しい結城を使用人に着させて、いい具合にこなれてきたものを自分用にするという。きゃー、究極の贅沢。素敵っ!!!譲るべき孫どころか、子もいないしさ。使用人もいないし。つか、新しく仕立てたものを人に着させてこなれさすなんて発想は、無茶だよね~~~。たとえば、お金持ちになったら私もやっぱり、作っちゃうんだろうか、結城紬。こういうデパートとかでさ。どうかなぁ。
2005.04.26
おみくじ、好きです。お茶会が催されたお寺でいつもの縁起物のマスコット入りを。第49番。運勢 吉。見る人の こころこころにまかせおきてこずえにすめる月の影かな運気盛んにしてことをなすに良いけれど万事細やかに気をつけて一度思い定めたことはわき目もふらず一心になさい何事も成功しますわ~~~い(^o^)丿○願事 おそいが思うとおりになる 吉 ほっほっほ~。○待ち人 音信あり来る ほんとかいな・・・?○失せ物 すぐには出ない 大当たり。茶券失くした。○恋愛 恋敵に注意 はいはい。○出産 安産 産後も順調 いつも「安産」なんだよなぁ。○病気 軽し安心してよい まじで?○縁談 心かわらねば叶うでしょう ・・・・・・。ちなみに、出てきたマスコットは「だるま」。七転び八起き。我慢しろってことか。体型じゃないよね。お友だちが来るまで、もうひとつ。こちらのは、よくある六角柱のいれものをじゃらじゃらして番号のついたお箸みたいのが出てくる方式。番号を言うとうやうやしく奥の引き出しから出していただけます。第80番 大吉このミクジにあう人は官吏僧侶ならば多年修行の功顕れ大いに立身出世して貫禄ともに勝れ子孫の栄誉を開くだけの大吉来るべし。(って、僧侶もミクジを引くのか・・・?)・・・中略・・・○病人早く全快すべし おーーーっし。○失せ物でるべし だから、出てないって。○待ち人来る まじで?○悦び事あり よろしくお願いしいます。○望みかなう 信じてます。ということですので、わたくしの「待ち人」、および「望み」の方、一刻も早く、出頭するように。それにつけても必ず、「安産」なんですけどね、私のおみくじ。何を生み出してるんだろうか、わたくしは。安産過ぎちゃって気がつかないうちに用もないものを産んじゃってるんじゃなかろうか。
2005.04.25
お茶事をしてみたい。たいそうな望みです。お稽古を重ねて、それも今、やっていないお炭やお花もお勉強をして、できたら、お懐石も作れたら・・・。お客様をお招きして、お道具をあれこれと考えて、季節のお花、季節のお菓子、どんなしつらえにしようか・・・。あ~~~~~、考えただけでわくわくするけどとても生きているうちに自力では、かないそうにもない。でも、せめて、たとえ、お薄のお席だけでもお友だちをお客様にお招きするチャンスが作れたら・・・。勝手に使えるお茶室があったらなぁ。あ~~~~、宝くじでも買うか。なんて、思わせてくれる空間が京都にあります。「日日是好日」見てくださいね。
2005.04.25
春。花。桜。希望。祝福。歓喜。幸福。家族。「日日是好日」春の幸せ、upしました。私の「幸せ」です。
2005.04.24
あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~、もう、どうでもよくなってきたぁ~~~~~。そう、まあ、中の下、っていうところのこの2ヶ月。春ですからねぇ。疲れます。「で、どうですか?」いつも運転しながら、なんて答えようか、考える、でも、もう、なんか、どうでもよくなった。そうそう、先月は、母親と友だちとの話でパニック発作を起こしたのだった。忘れてた。「頭痛と、疲労感が・・・。」はい、すでに、泣き入ります。(;_:)おいおい、大丈夫かよ、自分。一応、頭痛が脳神経関係から来ていないか診察。関係ないそうです。ちっ。(あ、ちっ、ってさ、入院とか、したいんだよな、今。)「・・・お仕事も変わらず、させていただいているんですけどときどき、もう、それもどうでもいいかなと思うほど疲れるんです・・・。」(本心)ほんっとに、疲れちゃって、家族に迷惑かけたくないので実行しませんけど。たとえば、今、スキルス性胃がんです、って言われたら、そりゃ、後で「死にたくない~~」って思うに決まってるんですけど(多分)(いや、きっと)たった今なら、ちょっと、ほっとする、かも知れません。今日は、言うのは、やめといた。久々の号泣ドライブ。ま、でも、大丈夫です。私。ってね、日記でさえ、突っ張るから疲れるのかな、日記でさえ、突っ張れなくなったら、おしまいって気もするし。でも、いいじゃん、自分の日記なんだから、たまには、本心をぶちまけて、自分と対峙しなきゃ。と思いつつ、実物のわたくしをご存知の皆様も読んでおられる以上、心配かけたくないと思ってみたり、つか、もしや、励まされたりなんかされたら、ちょっと、立ち直れないんで。だいじょぶっす。明日と明後日は、お茶だし。早くお風呂入って寝ないと、だわ。郷ひろみ、今度こそ、私を迎えに帰国したのかしらん。(放心状態)
2005.04.22
どうやら、私の周りによるとあの体調不良は「湯あたり」ならぬ「ストーン・スパあたり」ということになりそう。う~~~む。あなどれんぞな、ストーン・スパめ。つか、ストーン・スパっていうより、「何らかの毒素が溶解を始めて出てきたってかんじだよね、でも一度では毒素(いったいどんなんじゃい)が完全に体外に排出されるのは無理で、むしろおとなしくしていたモノが、体内を巡りはじめたって感じ」って、さ~~~~~~~~。あたしの身体は、毒素の巣窟、さすがのストーン・スパでも一度じゃ、出し切れないほどの毒素が、永年の眠りから目覚めたってことですかい?「それまでの「怠けていた心身」にしてみりゃ、「やめてくれぇ~、いちどきにそんな!!」ってなもんだと思うよ(笑)。」笑い事かっ!どうせ、怠けていたわよ、身も心も。うっうっ。(なぜか泣く)こうなったら、回数券買って通ってやるわよ。毒素を出し尽くしてみちゃうわよ。人間石焼ビビンパになって脂身を溶かしだしてやる~~~!!!マイナスイオンも出てるらしいからまさに、心身ともにリフレッシュなのさ。待ってろよ、毒の巣窟っ!!!そして、極厚の脂身ちゃんっ!!!
2005.04.21
♪らりらりらりら~~~調べはアマリリス~~~♪っていう歌とは、イメージ違うけどきっと、品種改良の賜物でしょう。Hippeastrum(ヒッペアストラム)というラテン語の名前は、英語でKnight(ナイト)騎士、Star(スター)星、「騎士の星」だそうです。勇ましいなぁ。今年は、高さが60センチ、お花の大きさは、15センチ以上、それが四方に咲いています。すっごい迫力です。「日々是」にも載せました。
2005.04.21
昨夜から原因不明の体調不良。いやはや。具合悪いのなんの。安定剤と睡眠薬を飲んで寝てしまえ作戦にもかかわらず、もう、なんちゅーか、悪寒というのか、しかし、熱はないので、悪心というのか、頭はいたい、胃は痛い、睡眠薬を飲んでも眠れないので、そのうえに、頭痛薬と胃腸薬を飲んでみましたが、結局、1時間おきぐらいに起きては、うろうろ、していました。なんだべなぁ~。誰か、あたしに、生霊でも飛ばしてるのかしらん。っていっても、霊感は、まったくないので、感じない。原因不明っていうのが、やだわ。今日は、大分、よくなりました。しっかり寝ようっと。寝てばっかり。
2005.04.20
いや~~~、今日になってもお肌は、すべすべです。うふうふっ。(^^♪しかし、なんだか、だるいっす。食欲ないっす。(あ、これはいいことなんだけどね。)具合悪いっす。blogのコメントに返信したい!したいのに、頭が回りません。レッスンもなんとかやりました。返却されたテストのやり直しも頭痛の種、かもしれません。こんなときは、早く寝るのさ。
2005.04.19
昨日、行って来ましたよぉ!以前から興味あったんです。何より、お風呂好き、温泉好き。でも、サウナは、今ひとつ・・・。しかし、この「ストーンスパ」とは・・・。福島のお友だちに、天然の岩盤浴?には、連れて行ってもらったことがある。お部屋自体もあったまっているのだが、敷き詰めた丸い石の上に(だったかな)myござを敷いて、寝る。温泉水をペットボトルに入れて飲みながらジャージが絞れるほど、汗をかいた記憶がある。市内には2ヶ所、いつの間にやらオープン。どちらもHPを見る限り、似たような設備であるらしい。お友達を誘って、初体験!受付をし、2000円を支払うと、シーツ大のタオル、フェイスタオル、ゆったりした浴衣、バナジウム入りのミネラルウォーター1本、ロッカーの鍵などが入ったバスケットを渡され、ロッカールームで浴衣に着替えます。既に、結構、お部屋があったまってます。で、着替えたら、ミネラルウォーターとタオルを持ってヒーリング・スパ・ルームへ。薄暗く、暖かく、静かな環境音楽が流れています。おしゃべりも禁止なので、お友だちとは少しはなれた位置に。畳一畳よりふた回り大きいくらいに区切られた石のベッドに大判のタオルを敷きます。枕は、木製なので、その上にタオルをあてて、うつ伏せで、5分、仰向けで、10分。最初からミネラルウォーターを飲んでいるせいか、どっと汗が出てきます。いったん、この部屋を出て、隣の休憩室へ。休憩室は、少し涼しく、ゆったりと木製のチェアで休みます。そしてまた、スパへ。というわけで、これを昨日は3度、繰り返しました。いやいやぁ、いい気持ち。痩せるっていうのは、無理かもしれないけど汗とともに「老廃物」が、出て行くって感じは、快感です。温泉と違って水圧がないので、15分でも20分でも、あったまっていられます。腰痛持ちの方なら、直接、腰を暖められる感じは、きっといいと思います。ばんばんお水を飲みながら、どんどん汗を出す、これは、快感です。スパから出た後、身支度をするパウダールームもゆっくりしたスペース。そこからラウンジに出るとお茶のサービスもあります。私は、ブルーベリーとクランベリーのジュースを飲んでみました。すっかり、老廃物を出したって感じの後なので、ブルーベリーが体に吸い込まれていくような気がしました。女性専用でスタッフも女性のみ。もう一方の駅前のスパは、全国展開してるみたいだし、世の中の女性は、疲れているんですかねぇ。今度は、回数券を買ってしまいそうです。
2005.04.18
中国で反日デモが続いている。私の中でもやもやしたものがある。なんなんだろう。どうすればいいんだろう。なんだか、気になって、日記が書けなかった。だからといって、この反日デモに対して一家言ある、というのではない。むしろ、ない。大の大人なのに、自分の国に対して隣国の若者たちが何万人もデモをして、総領事館に卵を投げつけ、日本製品をボイコットしようと何万人ものデモが毎日起こっているというのに、これをどうとらえていいのか、私には、わからない。ただ、気分は、悪い。なんだか、とても、腹立たしい。いったいなんなんだ!とは思う。そりゃ、私たちは、近代史を知らない。60年前のことは、現代史、なのか。知らな過ぎる。だから、どうとらえるべきなのか、いやいや、教育制度のせいにしているわけではなく、いい年をした大人としての歴史的、政治的、教養に欠けるのだ。愛国心にも欠けているかも知れない。どうすりゃ、いいのよ。と思う。いつまで、謝りゃいいのよ。靖国神社に親戚もいないので、その価値もわからないが、ともかくも、戦犯が一緒に祭られてるのがまずいなら、別にしてくれ、と思う。そこに「不戦の誓い」をするためなら誰が詣でようが、悪いことではない、と思う。でも、それなら、誓う相手が奈良の大仏だっていいじゃないか、とも思う。そして、全世界の元首クラスが集まるバチカン市国の元首、ヨハネ・パウロ2世の葬儀に、首相が紋付袴で出かけていってもいいじゃないか、とも思う。政府開発援助とかでやってることは、なんなのか、と思う。なんなんだ、どうすりゃ、いいのよ、と思う。思ってるけど、自分の意見をまとめられずにともかく、なんだか、気分が悪くなっている。頭が悪い・・・と思う。
2005.04.17
1/10x10x10x10-1=1/999978-13,78-31,87-13,87-31=4/9999(1,3,7,8)(1,3,7)-(1,3)(1)=(4/9x3/9x2/9x1/9)/9999=(4!/9x9x9x9)/9999not correct...
2005.04.15
子どもの頃から、よくおなかが痛くなっていたけど頭痛というのは、最近のお付き合いだ。いやはや、頭痛は、やる気がなくなるよね~。せっかく、衝動買いしたものにも手がつけられず・・・。今日は、早く寝ようっと。
2005.04.15
久々のまさに、「衝動買い」!3月末からの教材代やら出席した子にあげるシールやらそれを貼る台紙やら、もろもろ、ここ数日の払い込みが多かったのですが、そういうことよりも、多分、お茶会終了後の開放感・・・。いやいや、いろんな言い訳はおいといて、ある意味、頼まれた牛乳とかを買いにスーパーに寄るのも苦痛だった頃を考えれば、お稽古、甥の写真注文、その間に、タイヤ&オイル交換、ず~~~~っと購入を検討中のプリンタを電気屋さんに下見、その近所のコンピュータ関係のお店に入り、お店の人と話をして、プリンターとほぼ同額の衝動買い続いて、本屋さんでお買い物、最後は、200枚あまりの写真を貼るアルバムを買いに行く・・・さすがにへとへとでしたが、我ながら、すごい。これだけ動けたら、たいしたものだと思う。家に帰ったら、ネット通販で買った本とCDが届いてるし。ま、後は、問題は、これを引き落とされてもいいように銀行に行ってみないと・・・。これだけは、まだ、ネット化していないのであった。それにしてもプリンタは、また、遠のくのである。がんばれ~~~~!!!我が家のプリンタちゃん。
2005.04.15
「日々是」、のぞいてくださいね。先週の、あ~~~、もう先週の、春の旅です。気軽な一人旅、ですが、なにか?(-_-;)それとお茶席で使った「タイツリソウ」を一枚だけ、先にアップします。ピンクのは、ほんとに鯛みたい。こちらは、白を載せてみました。ほんとにかわいらしい花でしょ?ジョージア・オキーフの絵が見てみたい。
2005.04.14
う、うわっ!!!発見っ!!!ダイワハウスのCMに白髪に白衣が素敵なあの方を・・・!!!いや~~~ん(*^_^*)もう、大ブレークだわっ!早いこと、なんとかしないとっ!!!(って、いったい何をじゃっ?!)寺尾聰さんの関係者の方、請う、ご連絡(はぁと)。(写真は、私のピンクのハートに見えて欲しい、タイツリソウ、です。)
2005.04.14
甥の写真をハードディスクに溜め込んできた。いつか、整理しないと・・・・・・と思いつつ・・・・・・。去年の暮れ、マザーボードがいかれたときには、「うわ~~~、ハードディスクは大丈夫か?彼の写真だけでもバックアップを取って置くべきであった!あたしのばかばかっ!」(T_T)ハードディスクが無事であるのを知ったときには、絶対、やるぞ!と思ったのにも関わらず、ついに、4月。ともかくも彼がおにいちゃまになる前にやらねば!ところが、データは、単純にクロニクルに、極めててきとーなファイル名のまま、野放図にためてあるわけでして、彼の写真だけを取り出すために、ひとつずつ開けてると「久々の本棚整理」状態に突入。挙句に、手ブレであれ、ピンボケであれ、やっぱり、削除はしかねる、ぶぶなのであった。まったくなぁ。一枚ずつ、母親と見ては、「あーだ、こーだ」「かわいい、かわいい」と言っているうちに、一日仕事になってしまった。とはいえ、たったの2年半でこの成長。最初の3枚は、弟がメールで送ってくれた生まれてすぐの写真だ。この世でたった一度だけ逢うことができたうちの父との写真。父は、彼と映っているすべての写真で、一枚残らず、初対面で、そして二度と逢えなかった初孫の顔をうれしそうに覗き込んでいる。最近では、どうもこちらの言ってることは、ほぼ100%理解しているような気がするし、日本語もかなりなボキャブラリー、なかなかに、おつな使い手にもなりつつあるし・・・。喋ってなかった頃は、黙ってたのかな?たまにかわいがるばかりでいい無責任な第三者の立場は、楽である。父親と母親の2重らせん構造がばらばらになって、あらたに結びつくことによって、遺伝情報が伝えられるなんてことは、知ってか知らずか、30年以上ぶりに思い出した、幼いときに見た弟の面影やら、将来はピアニストと思わせる、我が家にはない長い指先やら、あるときには、妹のお父様に「激」似ていたり、私と同じ丸い鼻とほっぺだったり、しっかりと、今見える、外面だけでも上手い具合に、不思議とパパとママ、両方の遺伝子を受け継いでいるのを一枚ごとに、プリズムのように見せてくれる。もう半年、経ってしまったら、赤ちゃんの立場を弟か妹に譲って、ますます立派なおにいちゃまになっているのだろうか。おにいちゃまになっても彼一人の写真をいっぱい撮っておいてあげよう!と「上の子の味方」の上の子、なのである。
2005.04.12
「みなさんはよく『自由になりたい』といいますが、自由を返すと、その裏側は孤独なんです。私は小さな頃ロビンソン・クルーソーが大好きで、彼が最後に言った『孤独になれる能力。それによって得る自由』という言葉が今でも忘れられません。自由でありたければ、孤独を受け入れなくてはいけない。それを謳歌して可能性を広げていける人にこそ、孤独は尊いものになる。私はそう思っています。」100%、正しい。そう、私は、確かに、自由を享受している。それなのに、孤独を受け入れようとしていない。孤独であることのせめてもの対価として、という情けない取引で、今の自由をとりあえず、受け取っているのだ。孤独なんだから、これくらいの自由はあってもいい・・・なんて、超かっこわるいぜ。寂しいくらいなら、束縛されてもいいわ・・・なんて、思ったりしてるのだ。たまに、本気で。本気ぐあいも実は、単なるきまぐれ。熟考していないから、見た目よさそうなほうに走るだけ。実際、『束縛』は私を締め殺してしまうはずだ。もっと考えなければ。自分が何を感じているか、もっと考えて生きなければいけないのではないか。そして、100%かっこいい女になりたいのである。岸恵子みたいな。
2005.04.12
いと高き神のかくれがに住み全能の神のかげに宿るものは言う。主こそ「私ののがれ場、わたしのとりで、わたしの依り頼む神」主はいのちを狙う狩人の罠よりあなたを救い出してくださる方主はその羽であなたを包まれるあなたはその翼の下に身を寄せるぬばたまの夜も日なかに飛び散る弓も闇をうろつく疫病も真昼を荒らす天災も恐れることはない千人があなたのかたわらに倒れ万人があなたの右に倒れても災いはあなたの身には及ばない主のまことこそ円盾、長盾主は使いらに命じられたあなたのゆくてを見守るように、とみ使いたちはあなたの足が石につまずかぬよう両手であなたを支えているあなたは獅子とまむしを踏みにじり子獅子とおろちを踏みくだく(詩篇 91より)「わたしは、世の終わりまで、いつもあなたたちとともにいる」(マタイ28・20)孤独のときこそ、神がそばにいてくださるのを感じよう。
2005.04.11
お茶会、無事、つつがなく終了いたしました。ほんと、和やかでいいお茶会(自画自賛)だったと思います。しか~し、私は、うぐぐ、(-_-;)やらかしました。お茶事に準ずる形でのお茶会だったので、お着きになったお客様にまず、桜湯を出すお役目をいただいたのですが、お客様の次の道案内をしなければならないのですが、直前に聞いたふたりの答えが違ってた!ひえ~~~~。とりあえず、統一。えっ、えっ、お茶碗は、お一人ずつにお出しするの?お盆ごと、お願いしていいの?「台詞」(ごあいさつだっ!)は、その場でいうの?廊下に出てからね?うわっうわっって、こんな状態の人がやっていいお役目じゃないよね~~~~~。でも、意外に、その場に行くと脈拍が落ち着いてくる。お客様も先輩たちですからね。そうそう、リラックス!お湯をお出しして、去り際、頭を下げた瞬間、「ちょっと、お待ちください。」とお正客様。!?ここでは、お互い、無言では・・・???ひゃ~~~!!!な、な、なんと、ご祝儀をおだしになっている。待てよ、受け取る前に、なんていったらいいの?一度は、「このようなお心遣いは・・・」とか断るべきなのか?素直に「お礼だけ」。いや、余計なことは、言わないほうがいいのか?頭下げるだけか?小袱紗に乗ってるぞ。これは、袱紗のどちらに袋を置くべきか?袱紗は、折って回して、お返ししていいのか?いただいた袋は、どうやって持って下がるべきなのか。片手か?両手か?まさか、懐には、入れまいな。廊下に下がって、戴いたご祝儀を廊下においていいのか、真ん中か、いや、脇か、あ~~~~、それより、挨拶、挨拶。というわけで、心配していた挨拶の文句なんぞは、それまでの数十秒間の疑問符のかたまりに比べれば、なんてことないのである。「失礼いたします。」と、襖を閉めて、脱力。頼むよ~~~~~。ま、大事無い、大事無い。この先は、私はチェックとお水屋仕事だけだもんね~~~、とほっと一息。!!!!!ガ~~~~~~~~ンッ!足袋カバー、履いてる。(T_T)え~~~~~~ん。お客様のところに出るときにはずすように、お掃除中まで履いておくはずの足袋カバーを最初のご挨拶のあれやこれやで、はずし忘れた・・・。おいおい。ま、気付くまい。(と信じたい。)ま、つつがなくお席も進み、お客様がお帰りになり、私たちもそれでは、お茶を一服いただいて、今度は、入れ替わって・・・・・・。お濃茶、練らせていただきますとも、はいはい。と、そこまでは、何事もなかった。あれ、誰かお運びしてくれないかなぁと、確かに思った。でも、みんな、お茶を飲んだ人たちは、既に、お水屋などで立ち働いている。そうかぁ。と、なんのこともなく、一服目をお出ししている男性の隣に座って、無言で、お茶碗を差し出した瞬間!!!!!ほんっとに、びっくりしたっ!!!「私の袖、割烹着だよっ!!!」(>_
2005.04.10
ついに明日がお茶会である。私にとっては、手探り状態。ほんとうに、先輩方のおかげで、何とかここまで来たのだぁ。ともかく、お招きしたお客様にご心配を掛けないように、つつがなく、努めたいのである~~~。でも、始まってしまうとやっぱり、同じように刻々と時は過ぎてしまうんだよなぁ。あ~~~~~~~~、寝ないと。ほんとに、なんつーか、余裕ない。って、京都行っただろうが!なんだか、もう、随分、日が経ったような気がするわ。写真は、今日の打ち合わせの前のデート風景であります。(結構、余裕あるようですが、単なる現実逃避であります。)
2005.04.09
トップページの「日日是好日」をクリックしてみてください。京都と、東京。朝と昼と、夕方。一日のうちに、東西の都を飾る「さくら」を見ることができました。サイトの都合で、順番がばらばらになってしまったのと載せきれないものがでてしまったのですが、後から、追加してみようと思います。お花見がまだの方は、どうぞ。
2005.04.07
京都に行ったのは、ミケランジェロの「磔刑のキリスト」が見たかったから。(昨日の日記↓、参照!)ほかに何も考えていなかったので、実際、京都での数時間、美術館と昨日のあたたかさで満開の桜や桃を見るだけ、でした。京都の朝、といえば、おなじみの三条大橋のたもとのスタバで朝ごはんしたくらいで、イノダのコーヒー飲むのも忘れてたし。食い意地張った私が「錦市場」も思い及ばず、御用達の「大丸のデパ地下」も忘れ、といいつつ、京都駅で、阿闍梨餅、買うのは忘れなかった。で、もうひとつ、時間が許したら行こうと思ってた写真展、ロベール・ドアノー展も行くことができました。大好きな「何必館」でのロベール・ドアノー展。ここは、とてもちいさなギャラリーで70点ほどの写真を1階、2階、3階、5階をエレベータで移動しなければならないの。でも、なんといっても、5回にある坪庭と茶室。茶室は、入れませんが、5階にいる気がしない坪庭を眺めて、居心地いいソファに身を沈めていると陽射しが変わるのを一日見ていたい!と思ってしまいます。宝くじ、当たったら、あたしは、何必館を作ろう!と思ったね。(って、宝くじ、買ってないけどね)地下には、魯山人のコレクションも。やっぱり、すごい。テレビとかじゃ、わからない、本物のすごさ。魯山人って、普通じゃないわ。(って、今頃言ってるのは、あたしだけか?)ロベール・ドアノーの写真は、大好き。一枚のモノクロの写真の中にあるドラマの中に、どういうわけだか、自分がその場で見ている、と思わせる。ドアノーの目線が、間違いなく、自分の目線となって、「その場面」を今、目撃してる!って思えるのが、とても、不思議です。写真って、すごい。私は、人にレンズを向けるのには、あまり、興味がない。というのか、怖いのかも。自分が写真撮られるのは、もっと、嫌い。動かないものを撮るのだけでも素人なのに、あーでもない、こーでもない、って思うのに。ドアノーの目は、カメラは、信じられない「ドラマ」を捕らえてる。多分、見覚えある写真がたくさんあると思います。モノクロームの写真、撮りたくなります。
2005.04.07
♪Be ambitious~~~♪若者よぉ、冒険者よぉ~~~♪♪Be ambitious~~~♪勇者であれぇ~~~♪♪♪Be ambitious~~~♪だっけか?700系のぞみ、乗りましたぁ。今日だよ~~~~~~~ん。残念ながら、品川駅では下車しませんでしたけど。ミケランジェロの「磔刑のキリスト」、鳥肌、でした。30分は、見てた。要チェックの鑑賞者だったかも。・・・・・・欲しい。イグナチオ教会でお祈りしてきました。2年振りにデーケン先生にもお会いしました。詳しくは、また、明日。写真もいっぱい撮ったよ。
2005.04.06
有露路より 無露路へ帰る 一休み 雨降れば降れ 風吹かば吹け (うろじより むろじにかえる ひとやすみ あめふればふれ かぜふかばふけ)一休さんのお歌です。こんな心になれたらいいなぁ。(写真は、お茶のミーティング会場で、開催されていた写真展に贈られた花。花泥棒は、私。写真だけ、ですよ。もちろん。写真展は、素敵でした。私は、やっぱり、お花の写真に惹かれるかな。あ~~~、デジタル一眼、欲しいなぁ。でも、ブタに真珠・・・。)
2005.04.05
寝坊していたら生徒が来た。ぽつぽつと集まり始めて、お茶をいれようと思ったら自分を含めて10人もいる。英語に、数学に、まぜこぜ。女の子たち3人は、かわいいお弁当を持ってきた。2時からは、お部屋がピアノのお教室に使われるのでそれまでね、という約束・・・だったのだが、男子諸君は、母の特製塩ラーメン(野菜大盛り)を食べる。まったく。何しに来てるんだか。私は、昼を食べ損ねたぞ!とは、いいつつ、こうやって、頑張って来てくれるからには、なんとか、結果を出してあげたいなぁと思うし、ま、結局、かわいいやつらではあるな。決して、英語と数学のせいでなく、頭痛がする。男子は、帰宅。女子は、居残りで、数学。入れ違いに小学生の個人の英語レッスン。お茶会のミーティングの資料を作りつつ、ネットで、京都行きの夜行バスの時刻表を眺める。ミーティングは、結局、深夜に及び、夜行バスは、予約しなくてよかった、ということに。この期に及んでひと目、ミケランジェロの磔刑を見たいのだ。そして、教会に行きたいのである。落ち着け、自分。ミーティングをすればするほど、やはり、自分の経験のなさ、未熟さを先輩方にカバーしてもらえるありがたみを感じる。こればかりは、勉強で追いつけるものではない。それにしても、お許状も、お道具も、「これ以上はいらない」などと豪語している自分は、この場にいていいのだろうか・・・と思ったりする。というのか、この場に身を置く以上、これからは、大声で言ってはいけないだろうな。興味があってこそ、お道具を意識してみたり、手元にあってこそ、ものの良し悪しがわかるようになるものなのだろう。「お茶そのものは、好き」なんて言ってるけど「そのもの」こそが、実は、想像以上にすでに、はるかに広く深いところまで続いてしまっていることに、やっと、気がつく。確かに、こうして、お茶席のことを考えることまで、踏み込んでからと大寄せの茶会に行っている頃とでは、お茶と私の関係は、確実に変化している。さてさて、午前様で、帰宅。お風呂に入っているうちに、微妙に「不安」がやってきたので、安定剤など服用して、そろそろ、寝ます。なんていうのか、すべてから、逃げ出したくなる。仕事も、家族も、なにより未来に続いている「現在」から、多分、なにもかもから、するりと抜け出して、空の果ての果てまで、吸い寄せられたいと思う。こりゃ、なんだ、って感じです。(写真は、もうこの世のすべてが興味の対象である生命力に満ちた人類、です)
2005.04.04
最初に「死」と出会ったのは、小学校4年生の3月だった。父兄を招いてのいわゆる「学芸会」の翌朝、2時間目の休み時間に講堂に集合した私たちは、担任の先生が、その朝、亡くなったと知らされた。自死だった。そのあと、教室で、作文を書かされた。私は、クラスの代表としてお葬式でその作文を読んだ。その年の春休みは、何も覚えていない。よく言えば真面目、小心者で几帳面だった私は、5年生になって、新しい先生から出された宿題を生まれて初めて、2度連続して、忘れていった。中一のとき、母方の祖父が亡くなった。その数日前、「おじいちゃんは、もう一度、○○ちゃん(私)のうちに行きたかったな。」と祖父は、言った。ひとが、棺に入るのを初めて、見た私は、呼吸ができなくなるほど、泣いた。父方の祖母は、父が大学生の頃、亡くなったので、もとより、会ったこともない。母方の祖母も父方の祖父も長生きをして、自分の子どもを見送った。いとこの奥さんは、出産予定日に、胎児の心音が停まり、それでも分娩をした。子どもを持ったことがなくても胸を切り裂かれるほどの思いは、想像することができる。大学時代の友人が、俳優として活躍を認められ始め、結婚してほんの1年半ほどで、クモ膜下出血で急逝した。その友人を含め、この5年ほどの間に、105歳まで生きたをした祖父を見送り、白血病を告知された伯母を見送り、突然に、父を亡くした。もうひとつの喪失とあいまって、私の精神は、バランスを失ってしまった。今年、大学時代の同級生がスマトラ沖地震の津波に被災した。ひとは、去っていく。私が、愛する人は、必ず、去っていく。この、当たり前のことに、ごく自然なことに、いま、まだ、私の心は、怯えきったままだ。どこかに、自分の着地点を見失ってしまったままだ。今日、ヨハネ・パウロ二世が、神に召された。四半世紀以上にわたって、あらゆる宗教や政治のリーダーとお会いになり、過去のキリスト教の過ちを認め、晩年は自らの病身を隠すことなく、多くの信者や信者以外の人々に平和を説き続けた。一生を捧げた神の御許で、いまは、安らかに休んでおられることを祈りたい。
2005.04.03
「あなたは魅力に満ちている」「かわいらしさ」「あなたは魅力的」「光輝を放つ」私が、つい先日言われた褒め言葉です。んなわけない。(^^ゞ「ラナンキュラス」の花言葉。ほんとにかわいらしい。日本名は、ハナキンポウゲ・ハナキツネノボタン。「ラナンキュラス」のほうが、あってるよね。でも、「ラナ」は、ラテン語の「カエル」で蛙がいるような湿地がお好みらしい。蛙は、苦手だけどチューリップ、ガーベラとならんで、見ていて、ほんとに、幸せになれる花。いろんな形と色があります。日本には、明治時代に渡って来たようです。フランスのルイ9世が13世紀の半ば十字軍に加わり、帰国の時、花の好きな母親に、お土産に持ち帰ったという伝説もあるとか。今日は、「日々是」にちょっぴり、アップしました。
2005.04.02
うっ、うっ、やっと、やっと・・・・・・(;_:)ひとりですぅ~~~。(あ、いつも、独りだけどさ、ほっといて)今日は、おかあさんもお友だちとおでかけらしいです。気分転換にblogの雰囲気を替えてみました。春っぽくしたつもりなんですけど目がちかちかしたら、元に戻すかも。(*^^)vこんなにいじったのは、初めて。シンプルでよかったけどちょっと、暗かったかしら。そのせいで、エントリーも暗かったのかしらと思ったんだけど、多分、無関係。(^^♪さて~~~~~、CDでも聴きながら、本読むぞぉ!うたた寝して、起きたらコーヒー飲むぞぉ!
2005.04.02
なんて、!ってつけてみた。けど、昨日と同じ、今日。きっと、世の中に、そんなひとは多いよね。愛しているものがあったら、自由にしてあげなさい。もし帰ってくれば、あなたのもの。帰ってこなければ、はじめからあなたのものではなかったのだ。(調理場という戦場 斉須政雄)
2005.04.01
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