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雨が 続いている。これから、だんだん、寒くなる。夏の暑い 華やかさが、心を よぎる。
2016年09月29日
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歌舞伎役者の 不倫報道。相手は、京都の芸子さん。20年来の 知り合いだって、週刊誌の見出し、「禁断の愛」だって、歌舞伎役者の 奥様、家族の これまでの 苦しみは、想像を 絶するものであろう。週刊文春が 来てくれるまで、よく、耐えてこられました。それで、夫の不倫を乗り越えた、「夫婦 再生したい会」あおき ゆりこさんの ブログから、いろんなことに傷ついて、自分を見失って、生きながら地獄をさまようというのが、どんなものか知りましたが、そこを救ってくれたのは、やはり子どもたち。子どもたちは、このことを今も知らないですが、もし子どもたちがいなければ、すぐに離婚していたか、この世から消えていたか、犯罪者になってたかどれかだと思います。ほんとに辛くて、犯罪を犯す人って、こんな気持ちになる人も多いのではないか。なんてことまで思ったり。子どもたちがいたから、乗り越えられた。というあおきゆりこさんのブログの全文不倫というテーマでブログを綴りだしてから、丸9年が経ち、10年目に突入しました。10年です。長いね〜〜^^;いったいいつまで、ここに留まるのだろう?何をやっても飽きてしまう。続かなかったわたしが、一つのことをテーマに書き続けるなんて、自分が一番驚いています。この9年の間いろんなことを学び、あの頃の自分には想像することすらなかった自分になっている。でも、ベースは何も変わってない。やっぱり、あの頃と同じで、一番大切なのは、もうみんな成人したけど子どもたち。この子たちが幸せであってくれることが、わたしの幸せだっていうのは、変わらない。あの頃は、母親であるという自分がどうしたら、子どもたちにとってベストなのか?を考え続けた結果まず、自分が人生は素晴らしい!いろんなことはあるけどね、生きてりゃいいこともたくさんあるんだよ!っていうのを、言葉じゃなく、背中をみせることだと思って、自分にエネルギーを注ぎ込んだ。たぶん、寂しい思いもたくさんさせたと思うし、それを思うと、心はチクリと痛みます。でも家族それぞれが、自分の思う人生を自由に歩きながら、時々集まって、安心感や信頼を感じ、また明日からも頑張ろう!なんて活力になりあう家族が目的だったのが、今しっかり叶ってる。なので、これからも、子どもたちに母は、幸せな人だなあ。あんなふうに生きたいって、思ってもらえる人生を歩みたいと思ってます。特に娘には。そして、夫への想いこれは、この9年の間にかなり変わりました。21年経ってからの不倫発覚5年半もに渡り、別の女とも、共に歩いていたなんて、ほんと、これほどの仰天はなかったなあ。単身赴任で、田舎だったから風俗もなく、出会い系でそういうのを探して。。っていう発端だったけれど、相手はダンナにバレて離婚するし、そのあと週末婚みたいなつきあいで、相手の子どもの学校行事にまで参加する。イカレポンチな生活をしていた夫あ、イカレポンチって意味わかります?完全に死語ですね 笑軽いやつとか、アホなやつとか、いろんな意味がありますが、ここでは、現実的ではない、お花畑状態っていう意味で捉えてみてください。いろんなことに傷ついて、自分を見失って、生きながら地獄をさまようというのが、どんなものか知りましたが、そこを救ってくれたのは、やはり子どもたち。子どもたちは、このことを今も知らないですが、もし子どもたちがいなければ、すぐに離婚していたか、この世から消えていたか、犯罪者になってたかどれかだと思います。ほんとに辛くて、犯罪を犯す人って、こんな気持ちになる人も多いのではないか。なんてことまで思ったり。子どもたちがいたから、乗り越えられた。学んできたからこそわかったのは、現実的には、父親の不倫は知らないです。でも、エネルギー的には知っている。だから、あの子たちもいろいろ深い部分で傷ついている。そして、助けてくれたのだと思うと、しっかりお返ししていきたいんですね。あの時、この世から消えていたと思えば、今のわたしの命は、子どもたちに救われたようなものだから。イカレポンチだった夫もし、そこから抜ける努力を彼自身がしない人であったなら、今のわたしたち夫婦はないです。わたしに、日々責められる中でも失いたくないものがあることに、彼自身が気付けたから頑張れたのだと思うんですね。それは、やはり子どもたちだったのかもしれない。夫が女ではなく、妻のわたしを選んだのは、人として、女としてのわたしを選んだというよりは、妻だから。子どもたちの母だから。っていう、『肩書き』だったかもしれない。当時はそれがすごくいやで、それがそうなのかどうかもわからないのに、きっとそうに違いない。やはり、わたしなんて価値がないんだ。と、余計に自分を苦しめた。でもね今思うと、別にそんなことどうでもいいよねってことになるんです。なぜなら、別れる、別れないって揉めてる時点では、まだまだイカレポンチなんだもの 笑女と別れないなら離婚だといわれると、やはり現実的に失いたくないものの方を選んでもおかしくない。わたしは、人の波動を読める。その当時はそんなこと知りもしなかったけど、この人が心ごと、わたしの元へ戻った時には、わたしにはそれがわかる。だから、そうなるように取り返す。そう思ったので、女と別れる際に、わたしへの気持ちがなくても、仕方ないって思えたんですよね。で、そのイカレポンチからの脱出には、発覚から半年かかったと思います。完全に別れてからは、3か月。ま、5年半もつきあってたら、それくらいかかるだろうし、それで済んで良かったかもなあって今なら思います。そうして完全に戻ってきたから、それで終わり!ってことには、ならなかったんですよ。戻ってくるまでは、わたしもイカレポンチが伝染してたので、いわゆる、サレラリってやつね。夫のことが好きで好きでたまらない。いつも、ベタベタしないと安心できない。もう、子宮が、全力で女であることを強調してきたといってもいいくらい、自分は女だったんだと、再認識しましたねえ。で、夫がその域をぬけたらわたしも抜けてきて、ちょっと待てよ?みたいに、怒りが出てきだした。ここからがまた、別の苦しみがわいてきて。抜けるまで2年かかったなあ。今、夫への想いは好きとか嫌いとか、そんなことではなくて、というか夫の言動という、現実的な部分だけを見ると、腹の立つ部分や、いやな面も当然あります。価値観が違うところもけっこうあるので。でも、もっと深いところ夫の魂というところにフォーカスすると、とーーっても大切な人って思えるんですね。そしてこの世で最も感謝する対象の人 そばにいてくれて、ありがたい。 そう思える人 ようするに 夫という人の存在そのものが大切 これは、長い時間をかけて わたしがわたしの存在を認めることができたということ。 だから、夫のこともそう思えるし、夫もわたしに対して、いやな部分や腹の立つところもあるけれど、わたしという存在がそばにいることに、感謝してくれているんだろうなと思えます。 なので、そんなわたしたちは、この先もう憎み合うようなことはない。 でも、他に好きな人ができる可能性はゼロではないと思ってます。 でも、もう夫は不倫しないだろうと思うんです。 大切な人たちを傷つけた苦しみを味わいつくしただろうから。 だから、次に好きな人と出会った時には、正直に話してくれると思います。 わたしも同じ そういう人と出会ったら、夫に話すと思います。 不倫なんてして、人を傷つけることで、自分を傷つけたくないから。 人にはその人だけの人生の歩き方がある。 学ぶために出会い、結婚することも、その設計書の中に含まれているわけだから、やはり自分のことをないがしろにせず、歩く努力が大事 それができてきたとき、心からの幸福感を得ることができる。 この9年間、わたしに起こったこと。 歩いてきた道 それらをシェアしていく役割があると思うので、こうして毎日綴ってる。 あの頃のわたしと同じように、苦しんでいる方々に、本当の意味で幸せになるってなに? を、問い続けたい。 あなたがもし母親なら、大切なお子さんのため、たとえ、お子さんがなにも知らなくても、深い部分では知っている。 そう思って、まずあなたがあなたの人生を謳歌すること。 そして、子どもの幸せを共に喜びましょうよ! イカレポンチから抜けた夫は大事にしてみよう! 大きな幸せがすぐそこで待ってるよ^ ^ また、1年。 来年の10周年目指してがんばりまーす!★ きのうのコンサートで、すっかり昭和にタイムスリップしたら、言葉まで古いものがでてきたみたい 笑イカレポンチな夫イカレポンチな時期なーんて思えば、少しは俯瞰できるかもね!
2016年09月18日
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どうも、最近、年のせいか、覚えていないことが、多い。まあ、嫌なことなら、覚えていず、忘れてしまって、お気楽に 過ごせて、いいのであるが、忘れて いけないことまで、忘れてしまう。同窓会の新年会を 忘れていて、閉会時間のギリギリに 家で、気が付き、超特急、超音速ごとく、着替えして、車 飛ばして、会場に 駆けつけ、会場のドアを 開けたら、シーンと、静まり、閉会の挨拶をしていたとか、近所の郵便局に、自転車で行き、振り込みを 機械で操作していて、振り込まれず、あせって、もたもたして、郵便局の人に、聞いたら、コンビニ 振り込みです と 言われ、帰りは、自転車忘れ、歩いて、ばあちゃんに行き、一週間近く、自転車、郵便局に 置きっぱなしで、自転車の防犯登録のナンバーから、警察から、電話がくるまで、気が付かなかった。とか、(自転車って、そんなに 乗ってないので、ないことに 気が つきませんでした。))昨日の 食事、朝、昼、晩、何を食べたか、思い出せない。とか、あまり、関心のないことの、記憶が、ない。もう、一日のうち、何時間か、相当、記憶が、飛んじゃって、覚えてない状態である。思い出せない 時間、私は、一体、何をしていたのだろう、ジキル博士とハイド氏、のように、2重人格、はたまた、多重人格的 行動をしていたかも?かなり、心配症な 最近ですが、還暦過ぎの老人の特権ということで、御免 あそばせ。
2016年09月11日
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今日、昼間は、高校の 文化祭で、同窓生として、バザーの お手伝い。朝、7時半前、50年近く前に、タイムスリップして、高校生 気分で、自転車、シャカリキ、こいで、(孫と 一緒の時は、3才気分で、己の感情、変幻 自由自在 過ぎ で、あんた、アホ かいな? 状態 なのですが、)昔 母も~ 通いし~、姉も~ 通いし~、娘も、通った、地元 女子高校。今は、男女共学となり、名前も変わった 高校へ、おばはん、汗 だくだく 到着。そして、午後3時近くまで売り子で、ほとんで、立ちっぱなしでした。帰りも、家 近くの きつい、上り坂、汗 だくだく、気力で、自転車 押して、来ました。( ライザァ~~~~ッ プッ )家に帰って、シャワーを 浴びて、近くのスーパー、ヨークの 今日までの 売り出し品目、グンゼの肌着 3割引きを、買いに 行くついでに、ばあちゃん家に、我が家の庭の ブドウ、巨峰が なんとか、甘く、食べごろにになったので、持って行きました。でも、 さすが、自転車で行く 気力は なくて、楽チンの車で 行きました。それで、今年、駅の バス停で、偶然 目にした地方の ミニコミ誌の パンフレットの 記事80年近く前のばあちゃんの 女学校の卒業アルバムに、レーニヤという 外国人が、大正11年 生まれの ばあちゃんと 同じクラスで 写っていたのです。( 1930年ごろ、こんな田舎に、西洋人の女学生が、いたなんて、 私の学校時代でも、まわりは、みんな、日本人ばかりだったのに、)それが、武谷ピニロピさん でした。それで、ばあちゃんに、聞きました。「日本語 大丈夫だったの。授業 分かったの。」 と、そしたら、ばあちゃん、「会津弁だった。みんなと同じに、そうだべー。とか、言ってた。」ギョエー。まさか、アルバムの写真からは、想像できない。 一人、窓ぎわの机で、チェーホフとか、トルストイの小説を 当然のことながら、原文で 読みふけり、クラスの友達から、一歩 距離を おいた、一種独特の 雰囲気、憂いを持ったような印象 だったが、会津弁 丸出しの 会津っ子だったとは。」ばあちゃんに、「いつ、会津に 来たの。」と、聞いたら、「小学5年ごろ だったかな。勤教小学校で、昔は、謹教小学校は、第5小学校と 言ってて、そこで、ロシア人の 子供を 受け入れるのに、先生方は 戸惑ったが、私のクラスで、引き受ける という 勇気ある、先生がいた。名前、何だったかなぁ~。思い出せないが、その先生は、たいした先生 だったらしい。それで、謹教小学校から、女学校に入った。」ばあちゃんは、東山小学校 だったから、レーニヤさんと 女学校で、4年間 一緒 だったらしい。(昔は、小学校は、 6年間で、、女学校は、4年間。 師範学校 2年間だったそうな。)ばあちゃんの 言うには、「レーニヤの父親は、ラシャの布地を あつかう仕事をしていた。父親も、母親も 日本語は あまり、得意でなかったが、レーニヤは、会津弁だった。」私は、枕草子とか、徒然草とかの、古典の授業は、外国人には、さすが、無理だったろう。と、ばあちゃんに 聞いた。「それで、日本の 古典の、あわれ、おかし、などの、日本語、大丈夫だったの。」と、そしたら、ばあちゃん、言った。「女学校を、7番で 卒業した。」と、またまた、私、ぶっ飛び、ギョエ― である。言語の違う 国の 学校で、成績、10番 以内なんて、日本人 以上 では ないか。 信じられなーい。そして、レーニヤさん、東京女子医大に 進学。( ロシア人にして、東京で、会津弁丸出しで、 大丈夫だったかなぁ~。)ばあちゃんの話では、医学校は、お金がかかるが、姉達が、アメリカにいて、援助してくれていた。ということである。という ことで、94才の ばあちゃんは、80年も 昔に、会津弁の ロシア人と、机を並べ、学生生活を 共にした、国際人でした。
2016年09月04日
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今年の 8月は、孫 2人と、べったりの 日々でした。近くに住む 孫たち。同居の おばあちゃんが、東京に行っている間の3週間近く、朝、7時ごろから、夕方、6時ごろまで、孫 子守りで、グータラ 出来ず、忙しく 過ごしました。午前中と 夕方は、Eテレの 子供番組を見せて、(だから、「あさイチ」テレビ など、まったく、見ず、でした。)思えば、30年も 昔、我が子の 子育て中も朝、夕、教育テレビ 見せまくって その時間に、家事をして おりましたが。昔は、毎日、布オムツの 洗濯と、育児で、自分のことは、何も出来ず、早く、子供達が 大きくなって、手が かからなくなって 欲しいと、あせり、一人で、カリカリ、イライラして ばかり いたような。それに 比べれば、今は、子守り 以外に、何かを、しなければ、などという、欲気は、サラサラ なく、無心に、子守り 専念。ということで、2016年、8月は、リオ オリンピックも 気にかかりながら、孫たちと、どっぷり、過ごせた、老後の 我が人生の充実、満ち足りた 月 でした。こういう風に、これから、不平、不満を、忘れ去り、うれしいこと を のみ、感じとり、毎月、毎日、毎時、毎分、毎秒過ごしたい。
2016年09月01日
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