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日曜日頃から、風邪気味であった。ばあちゃんが、金曜日に風邪で、医者に点滴に行き、付き添ったりしていたから、かもしれない。昨日は、ザワザワ寒気がした。梅干しを、ぬるま湯に溶いて、何回も飲んだ。今日も、まだ、治りきってはいない。それで、夕食の準備を 家人にお願いした。家人は、快く引き受けてくれて、冷凍庫のトウモロコシと卵でスープを作ってくれた。上の息子は、下の息子に、「今日、夕飯ない」 だか、「メシ しかない」 だかというメールを送った。下の息子、サシミとか、レトルトの卵おかゆを買ってきてくれた。台所には、洗い物の食器がたまり、上の息子に、「洗ってくれ」 と、頼んだが、いつまでたっても 洗わない。家人が、黙って、黙々と 洗ってくれた。夜になったら、のどの痛みも、鼻水も止まり、体調もよくなった。家人に感謝、家族に感謝である。メールしかしなかった、長男にも、一応感謝。 今回は、「苦しい時の 神頼み」 ならぬ、「苦しい時の 家人頼み」 であった。まあ、なんだかんだ 言っても、毎日、顔 突き合わせている夫婦であるから、仕方ないのである。 姉に、「熱は何度か?」 と聞かれて、「体温計、ズーっと前に 落っことして 壊れた。だから、体温計ないから、計ってない。」 と言ったら、またまた、姉の怒り、炸裂でした。
2012年01月31日
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今の季節は、畑は 雪で覆われ、畑仕事も ないのであるが、雪が解けて、暖かくなったら、また、畑仕事が待っている。理想は、無農薬、無耕転、無除草。無肥料。つまり、農薬は使わない、畑は耕さない、草むしりはしない。肥料は与えないという、超 らくらく、楽々、肥料代 節約、種を蒔けば、あとは、手間ひま、お金をかけず、収穫できるという 農業天国みたいな方法。ものぐさで、資金の無い 私に、まさに、ぴったりの方法。 これは、徳野雅仁さんという方の「自然流 家庭菜園のつくり方」 という本に、偶然出会って、知ったのである。それで、それを手本としている。 私の作物つくりの よりどころ、バイブルの本である。 無農薬については、その通り実践しているが、 耕さない。という点については、ちと、守れなくて、クワで、ほどほどに、耕している。 無肥料についても、苦土石灰とか、千代田化成の野菜専用の化学肥料を与えている。一度、有機肥料を買って 使った時、土が、コンクリートのようにガチガチ固くなったので、止めてしまった。 何が 原料か 分からない 有機肥料より、化学肥料のほうが 純粋培養で、不純物がなくていいかも? などと、変なヘリクツを 独断 構築して、無肥料に関しても、少々、守れていない。 草むしりをしない。については、姉やばあちゃんの草だらけにして、だらしない、みっともない、近所から、笑われる。という身内のうるさい干渉に 妥協して、ほどほどに、草刈りをして、ほどほどに、草をそのままにして、グータラを 決め込んでいる。 (タマネギについては、、草むしり、必要だが。) 除草をしない、ものぐさ仕事、つまり、雑草を生やし、それを、そのまま肥料にすることによって、気が付いたことがある。それは、雑草を肥料にすると、作物が、甘いのである。農薬を使うと 苦味が混じるが、無農薬で、雑草肥料の作物には、透明な甘さが感じられる。 そういうことを、姉やばあちゃんに言っても、「雑草を生やしたら、土の養分を 草がみんな吸い込んで、作物が育たない。」という世間一般の常識に マインドコントロールされていて、信じてくれない。残念ながら、無農薬、有機農業をしている人々にとっても、そう思って 除草に精をだしている人々が少なくない。除草は、姉、ばあちゃん、そして、ほとんどの学者、研究者、農家の常識である。「雑草は、畑の養分を吸い取る大敵。駆逐せねばならない。」のである。 しかし、雑草が、最高の肥料、つまり、本当の最高の有機肥料になることを知った。雑草だって、ミドリの葉っぱで、太陽の光と、二酸化炭素と水で、光合成をしてデンプン、養分を 休みなく、作っているのだ。雑草の その養分は、雑草の葉っぱ、根、そのものに、たっぷり、保存されているのだ。 エネルギー保存の法則、とか、質量保存の法則とか、昔、理科の授業で習ったではないか。雑草の養分も、保存の法則が成り立ち、保存されていて畑にそのままにしておくことによって、肥料となるのである。草をむしりをして、畑から 取り除くから、いけないのである。雑草が悪いのではなく、雑草を取り除くことが、まずいのである。 どこか、大学でも、民間の企業でも、農協でも、どの農業の研究機関でもよいけれど、雑草で、土は豊穣となり、作物がおいしくなるという 研究発表して、広く 流布してくれれば、姉や、ばあちゃんから、雑草を 肥料にするという方法について、「とんでもない、バカな方法。あきれてものが言えない。常識はずれで、近所から 笑われ、身内として恥ずかしい。」と 私は、否定され、迫害 されなくなるだろうに。 原子力という 科学の力により、今までは、電力供給として、快適な生活ができて、 これほど人類に 恩恵を与え、便利なものはない。と 思っていたものが、大地震で今、放射能、放射能と おびえて、暮らさなければならなくなってしまった。農薬についても、レイチェル カーソンの「沈黙の春」で、随分前から警告されているのだが、私の身近な回りの状況をみると、「農薬は、便利なものである。」と、だれも、深刻に 受け止めていない。 ばあちゃんも、姉も、オルトランとか、ダイセンの農薬を使っている。困ったことには、ばあちゃんは、「うちは、農薬を使っていない」 と、言って、野菜を 人にあげたりしているけれど、姉が、きちんと、消毒しているのである。実家の畑は、ばあちゃんが 年取って出来ないので、姉がしている。私がすると、草を生やすので、私には 任せられない。というのである。 「農業の理想は、無農薬、有機、自然栽培である。そんなこと誰だって、知っている。でも、それでは 害虫に食われ、作物ができない。現実には、農薬は 必要なである。」それが、姉をはじめ、農家の言い分であり、現状なのである。よって、私は、農業失格、異端児なのである。 まあ、それぞれ、無農薬でも、低農薬でも、なんでも、自分の好きな方法で取り組んでいけば、いいのであろう。 無理に、お互い 強要できないし、強要されても、しないだろうしなぁー。
2012年01月24日
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ばあちゃんに、ベストを編んでもらった。ボタンは、私が、古着からとっておいた明るめのものを、付けたのだが、ちょっと、ミスマッチかな?でも、オレンジ、ひまわり、太陽と 明るく、明るく、幸せに、連想が広がって、自己満足じゃい。ばあちゃん、来月、2月に 満90才になる。長年の農業の重労働で、腰が曲がってしまっているが、編み物は、得意で、昨年の秋から、孫たちのベストや帽子など、我が家の孫たちにだけでも 四つも編んでくれて、たくさん、せっせと 編んでいる。棒針手編みで、一針、一針、編んでいる。その根気に 脱帽。「腰が 隠れるくらいに たっぷり編んで。」と、細い毛糸を、買っていって、頼んでおいたので、「毛糸 八玉も使った。」 と、言って、たっぷり、編んでくれた。ちょっと、たっぷり、ガボガボ 過ぎたかなぁ。でも、腰が隠れて、雪国では、あったかーい。あったかーい。ばあちゃん、ありがとうさんでした。いや、ありがとう かあさんでした。 ばあちゃんの90才の気概に感服。それも、正月明けから 編み始めて、二十日もかからないで、超特急、新幹線、いや、ジェット機並みの速さで、編んでくれた。ばあちゃん、ありがとう、 ありがとうさん、いや、ありがかあさん で、ありんす。今は、姉のを編んでいる。九十才でも、元気で、編み物してくれている母に感謝。100歳以上まで、元気でいてね。今の日本では、100才以上の仙人並みの長老が、四万人以上もいるんだからね。平均寿命も80才以上で、世界一で とても、有り難いことです。まあ、なんだかんだと、言っても、政治家の皆さんの政策のお蔭で、長生きできるのだから、本当に、有り難いことです。政治家の皆さんにも、ついでに、感謝です。いや、ついでじゃなくて、まっさきに、一番先に、感謝でございます。
2012年01月23日
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17日 火曜日、朝、7時半の高速バスで、東京に行ってきた。何故か、というと、東京国立博物館で、中国の秘宝、「清明上河図」が 展示されるということである。新聞のあの 「中国美術の最高峰」とか「千載一遇」とか、本場中国でも七年に一度しか公開されない「神品」という記事を読んだら、「どんなに すごいものなのだろう。見てみたい。」 と思うのは、当然であろう。ということで、家人と出かけたのである。 11時過ぎ、上野に着いたら、駅で、中国展の入場券を売っていて、待ち時間 入場、60分。清明上河図、210分 と出ていた。 雪舟のときは、2時間と聞いていたが、まあ、仕方がない。と、そこで券を買い、東博へ急いだ。 家を出るときは、辺り一面、真っ白、雪だらけで、凍って寒かったのに、東京は、ポカポカ 陽気である。まさに、S字型の長蛇の列。そしたら、思いもかけず、スカイツリーが、見えた。夜景の明かりが、きれいだろうなあー。などと思いながら、朝、作ってきたおにぎりを食べながら、一時間並んで、やっと、館内に入場、「清明上河図を、一番前で、見たい人は、館内の列に並んで下さい。」というので、家人と並んだ。並んでいるうちに、「待ち時間、四時間です。」 となった。 私が並んでいる間、家人が、だいたい見学してきた。交代で、家人が、並んで、私が、一通り見て来ることになった。 書、画など、大急ぎで 見て、目当ての清明上河図の所に行ったが、並んでいる人専用に、柵があり、二列目からは、まったく見えない。伸び縮みする柵越しに、前の方に身を乗り出して、なんとか、見ようとしたけれど、ガラスケースの下で、見えず、警備の人は、柵のベルトを伸ばして、前に出るなと注意している。まあ、仕方がない。と、家人の所へ戻ると、家人は、「待ち時間が長すぎる。」と、列を リタイアしてしまっていた。ということで、肝心の「清明上河図」は、見れなくて、図録を買いました。 上野の精養軒で、サンドイッチと、ヤケ酒ならぬ、ヤケビールを飲みました。家人は、私ほど、清明上河図に 執着はないようで、図録を見ておりました。私は、「後ろの人も見えるように、陳列の仕方を、工夫すればよいのに、台の上にでもおいて高くして、ガラスケースの近くにおけば、見れるのに、一列目の幅をもっと狭くして、柵をすればいいのに、せっかく来たのに、横から、チラリとも、絵の部分が、見れなかった。」と、グズグズ言っておりました。 六時のバスまで、時間があったので、上野駅のショッピング街を、うろうろしました、いつのまにか、上野駅が、きれいになっていました。 「用事があるから、木曜日に帰る。」 という家人と、王子駅で別れ、 夜、十時半すぎに、我が家に到着。まあ、心残りは、うーんと、あったけれど、中国の美術品を堪能した日でした。
2012年01月21日
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今日のニュース。「福島の全市町村で、福島県 全住民 一律の原発の精神的被害の保障を求めていく」と 伝えていたが、 県民として、個人的には、反対である。会津は、放射能の被害は少ない。観光産業など、職種によっては、被害を受けている人々もいて、会津でも、保障が、必要な人々がいるかもしれないが、我が家に関しては、生活に支障をきたす 災害被害はない。年金暮らしだが、贅沢せず、質素に暮らせば、生活はできる。 借金だらけの、今の日本の財政危機を考えたら、生活に困っていないのに、保障など、要求できない。「一律の保障」 など、いらないから、本当に困っている人々の為に、援助してほしい。困っている人々の為に、税金を 有効に使ってほしいし。困っていない人の為に、税金のムダ使いをしてほしくない。困っている人も、困っていない人も、なんでも、「一律保障」 は、赤字財政では、無理である。 「一律」 ではなく、一生懸命、まじめに働らいても、苦しい生活をしている人々が、社会保障により、安心して 暮らせるようにするのが、政治の力であり、それが、政治家の使命では、ないだろうか?
2012年01月18日
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今日のオドロキまたまた、新聞の短歌。仁徳天皇のお墓は、学校の社会の授業で、「前方後円墳」であると、教科書の写真入りで習ったが、このような歌を 詠んでいた。ということは、習っていなかった。だから、天皇が、高台で、庶民のかまどの煙をみて、安心した。という話は、子供のころ、子供用に書かれた、古事記か、日本書紀か、何だか忘れてしまったが、書かれていたのを読んで、うろ覚えに覚えていて、今まで、神武天皇のことかと、思っていたが、仁徳天皇のことで、、本当の史実であったのだ。記憶があいまいで、なんか、かまどの煙の話が、あまりに 出来すぎていて、後世の作り話かな?、などと、不謹慎にも、疑っていたところもあったのだが、この歌で、今日、本当の事だったと知った。自分の無知を 恥じねばならない。 そして、むかし、むかし、こういう歌を詠んだ国に、今、自分がいることに感謝である。
2012年01月14日
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ジャックの具合が 悪かった。いろいろ 息子のこととか、(息子は知らないだろうが、母親の心情を知ったら、卒倒するよ、覚悟しておいてくれ、これを無償の愛というんだよ。「親の心、子 知らず、」 のことわざが、あるんだから、 じゃ、「ばあちゃんの心、お母さんは、知らないべ。」などと、言い返すんじゃないよ。お母さんは、それなりに、子供たちに気づかれないように、ばあちゃんが心配しないで、ニコニコ、笑うように孝行をしているんだから、) 心労があるのに、犬のことまで、心労しなければならないなんて、世の中、不条理に 満ち満ちているー。神様。あなたは、何という試練を 人間に与えるのだろう。 と天に向かって、大声で、叫びたいのであるが、まあ、家族が 健康でいることだけでも、感謝して、健康で、幸せだ。 私は、幸せなのだ、それだけで、充分でないか、住む所があり、充分な食糧があり、家族が健康である。それだけで 充分以上でないか、私が育てた自分の子供である。信じて大丈夫。口先では、何と言おうと、みんな母親は、子供を信じているのだ。だって、自分が産んで、DNAが、同じなのだから、子供の人格イコール母の人格。と、信じて、それで、自己満足 充分。その他に、欲深く、何を望むというのか、この幸せに、感謝しないと、バチが当たるよ。と、自分に言い聞かせて。 さて、ジャックのことであるが、日曜日ごろから、なんとなく 元気がない。散歩は するのだが、食欲が、まったくない。水も飲まない。火曜日には、歩くのも、やっとの状態になった。それで、水曜日の午前中、家人が、医者に連れて行った。ジャックに 差し歯 食べられてしまったので、私は、歯医者通いなので。そしたら、ジャックは、風邪だそうで、熱があり、点滴を2本してきて、薬をもらってきた。少し、元気になったようだが、まだ、ドックフードは、まったく、食べない。好物のチーズに 薬を、練りこんで飲ませている。今日の夕食に、ご飯と 削り節たっぷりのみそ汁を混ぜて煮込んだ おかゆをあげたら、きれいに食べた。よかった。 食欲が出てきて。 犬も 風邪を引くんだなー。
2012年01月13日
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昨年の暮れのテレビの影響。「夫に尽くすと、それが、自分の幸せになって返ってくる。」という テレビでの奥さんの言葉。 これは、強烈なパンチであった。この言葉に完璧 ノックアウト、ダウン。 ということで、自分の幸せ求めて、今までの ながーい、ながーい、とんでもないゴチャゴチャは、家人は、どうか分からないが自分だけの判断、独断で、無理にチャラ、チャラ リセットで、家人が、引きずっていようが、いまいが、そんなことは、おかまいなしで、家人に尽くそうと、目下、努力中。 念仏のごとく、「夫に尽くすと、自分の幸せとなって返ってくる。」 「夫に尽くすと、自分の幸せになって返ってくる。」と、繰り返し、実際に 声に出して、家人に聞こえるように、家人にも、言い聞かせるように、言いながら、行動している。まるで、マンガチック。我ながら、「わたし、ダイジョウブ。気は、たしか。」 の オカシイ状況 今までは、面倒くさいと、無視していた家人の些細な要求も、自分の幸せの為なら と 重い腰をあげて、尽くすように努力している。 声に出して言わないと、家人に尽くせない。ということに、少々、問題はあるが、まあ、手段、方法はどうあれ、相手が、気分よくなればいいか、ということで、子供たちと、ばあちゃんに 心配かけない為にも、自分の幸せのためにも、エーンヤコラ と、頑張っているのである。
2012年01月12日
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今日は 一月十日で、「、とおかいち」である。天気も穏やかで、全然 寒くない。昨年は、暮れの大雪で、道路はツルツル滑り、寒かった。十日市は、吹雪になり、天候が荒れる。と 昔から、言われているが、今日は、冬ではないような ポカポカ 陽気だった。 例年通り、午後 家人と出かけた。昔は、子供たちを連れて行ったものだ。あの頃は、それなりに幸せだった。そして、その普通の幸せに気付かなかった。 いつもは、神明通りを往復するのだが、車の駐車場の関係で、今年は、駅の方から歩いて、大町の四つ角で、Uターンして帰ってきた。起き上がりこぼしと、ごろべえ飴の市飴と、かざぐるまの縁起物を買った。甘酒のサービスもあり、板粕も買った。ダルマは、昨年の片目しか入ってない白河ダルマがあるので、買わなかった。今年こそ、もう片方の目も入れられるように、ことあるごとに、神社、仏閣に お祈り、お願いしておこう。家内安全、念願成就、神様にお祈りすれば、なんとかなるだろう。柳津の 「こくぞうさま」 (裸まつりの圓蔵寺の地元の通称)にも、お願いしたし、 十日市は、蒲生氏郷(がもう うじさと)の時代から、400年も続いているという。何故、途中ですたれなかったのか、 その理由を 知りたいものである。
2012年01月10日
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柳津町のはだか祭りに行ってきた。今まで、こんな寒い季節に、フンドシ一つで、裸でいるなんて、見ているだけで、おー、寒い、寒い、世の中には、物好きな人もいるものだ。と、テレビのニュースで、見ているばかりであった。 それが、まさか、実際に見に行くとは、今まで、思ってもいないことだった。 何故、行ったのかというと、今年は、娘の連れ合い、つまり、婿殿が、例年出ていて、今年も出るというので、娘と見物に行ったのである。午後8時半、合図で圓蔵寺の鰐口の綱をよじ登るのである。ハラハラ、ドキドキ、一番を 競うのかと 思っていたが、そうではなかった。ので、見学する方も、気分的にゆったりしていた。しかし、綱を登るのは、綱がすべって難しく、滑り落ちてしまう人が多い。 堂内は、ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ という 掛け声で、熱気に包まれて、10時前に、終了。 ムコ殿は、終了直前に、綱をよじ登り、メデタシ、メデタシで、良い一年が 過ごせそうである。 伝説の宝玉を取り返しに来た只見川の 龍も、今年も、この騒ぎに驚いて、空しく 退散である。
2012年01月07日
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今日の新聞の短歌 笑ってしまった。なるほど、 「つかの間の人生」 か、 「白きものを、黒と言い張っても、強いて とがめず」 ということが 大切か?この白黒を入れ替えて、「黒きもの 白と言いはる」 に しても なかなか、ニュアンスが、面白のに。 まあ、どちらにしろ、「とがめず」 ということが、己の人生を穏やかに過ごす それなりの知恵か?なかなか、難しいことである。だが、遅ればせながら、最近、この年になって、「とがめず」 の重要さに気が付いた。 もう、黒でも、白でも、どうでもいいや。 面倒くさっ。
2012年01月04日
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一年の計は元旦にあり。で、気を引き締め、新たな気分になるべきだが、今年は、正月という 改まった気分が、あまりしない。 お節料理もスーパーに行けば、いつでも、あらゆる食材が手に入り、お餅とか、昆布巻きとか、煮豆とか、食べたい時にいつでも食べられるので、ことさら、新鮮味を感じなくなっている。 こういうのを 贅沢な幸せというのだろう。 戸外は、雪で寒いけれど、家の中は、暖房で、暖かく、すぐ お湯が出る便利な生活で、快適そのものである。 ということで、庶民が、毎日が お正月のような生活ができるということは、なんと、有り難いことだろう。 六十年前、戦中、戦後、食糧が無く、子供たちが、栄養失調になっていた国とは、信じられないのだ。私の兄や姉も栄養失調で、やせ細っていたという。 今、質素だが、それなりに恵まれた生活が出来ることに感謝を 忘れず過ごそう。
2012年01月01日
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