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大阪ドームの最寄り駅、地下鉄・九条(くじょう)駅から歩いてすぐのところに、松島新地という歓楽街があります。オランダ風に言えば飾り窓地区のことです。新地とは昔は遊郭のある場所を示す言葉だったということで、大阪のビジネスマンが夜な夜な繰り出す「新地」(=北新地)にも、昔は遊郭があったそうです。明治時代から存続するだけあって、古風な日本建築の家屋が軒を並べる、味わいのある町並みですが、手軽に取り寄せられる地図は存在しません。GWのせいか、人通りも少なく、静かでのんびりとしていました。九条駅を降りて大阪ドームへ向かう商店街から2ブロック離れたところに、松島新地はあります。道の両側に「松島料理組合」と書かれた看板が立っています。ここからが松島新地という意味です。通りを見渡すと、2階建ての日本家屋がずらーっと並びます。この風景にどこかなつかしさを感じる人も多いかもしれません。その家屋の2階部分に、白地に黒文字(楷書体)のシンプルな看板がかかっています。店名も味わいがあって「胡蝶」「楽天」「花菱」などなど。艶っぽい日本語のオンパレード。この18歳未満お断りの「料亭」は、この地区で100軒を超えます。一軒一軒を覗いてみると、ピンク色のライトが女の子を照らします。女の子は玄関を正面にみて奥の方についたての後ろにちょこんと座っています。通りがかる人が少ないせいか、妙に目が合ったりします。その脇には40代から60代とみられる女性がひとり必ずついています。これがいわゆる「やり手ばばあ」と呼ばれる交渉役の店員。店の前を通ると、やり手ばばあが僕にやさしく声をかけます。「兄ちゃん、兄ちゃん。ちょっと寄ってみ。かわいい子、おるで」普通は、このエリアをぐるっと回って、気に入った子のいる店に入ります。玄関先で見かけた女の子がいないときは、その子が営業中であることを意味しています。料金は30分で大1.5枚が相場だということです。商談が成立すると、玄関脇の階段を上がって2階でサービスを受ける、という仕組みです。このエリアで働いている女性は、美人系から、ぽっちゃりした人、熟女系まで、いろいろなタイプがいて殿方の嗜好を満足させられるようにできています。結局中に入る勇気もなく、通りを眺めてきたにとどまりました(本当です)。松島新地で勤める女性にはそれぞれ事情があって、クレジットカードの借金地獄であったり、夫や恋人のDVやストーカー被害から逃れるためであったりするそうです。地図に載らない、歴史的な味わいのある遊郭の町並みに、極めて現代的な事情がほの見える、独特の雰囲気は歩くだけでも伝わってきました。ちなみに、飛田新地に行ったときも、同じような感覚を覚えました。そうそう、ここを女性が興味本位で歩くのは避けましょう。
2005年04月29日
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世界遺産・醍醐寺で歌舞伎をするなんてシャレた演出だ!ということで、ゴールデンウィーク前で仕事がバタバタなのにもかかわらず、会社を半休にして飛んで行きました。真言宗ならではの密教らしい儀式とのコラボレーションや、国宝の伽藍(金堂)を背景にした舞台、そして夜の屋外公演ということで、厳かな空気に包まれた良い舞台でした!非常に面白い観劇体験ができました。27日から3日間にわたって行われる、この薪歌舞伎ですが、午後6時開演、しかも会場が京都の中心から少し離れた醍醐寺、ということで、普通のサラリーマンにとっては半休をとって行かねばならない厳しい観劇条件でした。醍醐寺に行ったことがなかったので、歌舞伎の前にぐるりと拝観したかったのですが、連休前で仕事は次々と舞い込んできたこともあり、お寺に着いたときにはすでに受付時間を終了してました。当日の観劇チケットがあれば、境内を拝観することもできたということが後で判明して、二重に悔しい思いをしました。さて、醍醐寺は標高450mの山のふもとにあって、西暦874年に開山された、歴史豊かな世界遺産のお寺です。秀吉が晩年にド派手なお花見(醍醐の花見)をした、桜の名所として知られています。なんでも花見の一ヶ月前に、近畿地方にある桜700本を醍醐寺に持ってこさせたんだそうです。富と権力の偏在がなければありえない荒技ですね。そんな歴史の詰まった醍醐寺ですが、歌舞伎が上演されるのは初めてのことだそうです。お寺に着いたのは、午後5時20分頃。寺の入口では100枚限定の当日券が売られていました。雨が降った場合は、席数の少ない京都・南座に移ってしまうため、このようなチケットが発売されているということでした。金堂の入口にあたる仁王門のあたりには太い行列ができていました。開演時刻にはまだ余裕があったので、出店のエリアに足を運ぶと、栗や、精進コロッケ、ソフトクリーム、それに焼きものが売られていました。抹茶茶碗が割安だったので、思わずひとつ衝動買い。大文字焼のように蛍光に光るストラップをつけてもらいました。ラッキー! ふと歩いて気がついたのは、国宝や重要文化財の建造物が当たり前のようにそのへんにあること。これはもう一回来なくてはいけない。開演時刻が近づき、仁王門をくぐって、舞台のある金堂に向かうわけですが、そのアプローチがすばらしい。道の両脇には白と朱のツートンカラーの幕が張られ、頭上にはもみじの新緑が張り出してきていました。アプローチ脇で、オレンジ色の袈裟を着た修行僧たちが法螺貝を持ってスタンバイをしていたのも趣を感じさせてくれました。会場は、国宝・金堂の前に白木の舞台が組まれていました。パイプ椅子がおよそ横60席、30列にわたって配置されています。観客数は当日分も入れて約1600人。その圧倒的多数がご婦人方でした。僕の席は18列目の舞台やや上手寄りにありました。背景となる金堂や、客席の右手後ろの五重塔(どっちも国宝!)は見事にライトアップされていました。お水取りの時にも感じましたが、伽藍のライトアップは非常に味わいがあります。金堂の中に安置された3体の仏像にも照明があたっていて、普通の舞台とは全く違って仏の存在を感じさせる仕掛けになっていました。午後6時過ぎ、いよいよ舞台が始まりますが、屋外なので幕が上がるわけではありません。ということで、先ほどスタンバイしていた法螺貝の音や、舞台後方の鐘の音が聞こえてきます。修行僧の列が客席の後ろを通過して、舞台横に並ぶと、護摩焚きが始まります。もわっと濃い灰色の煙が上がります。これは柴燈護摩といって、醍醐寺に伝わる秘法なんだそうです。修行僧の吹く法螺貝の音がフェードアウトしていくと、今度は舞台正面の琴と三味線の音がフェードイン。すると、鮮やかな水色の装束を着た、廷官役の市川海老蔵が舞台上手から登場します。ここから、今回の舞台のために用意された演目「由縁の春醍醐の桜」が始まります。真言密教の儀式とのコラボレーションがうまくかみあった冒頭の演出でした。個々の演目の評価は難しいのでさておきまして、次の演目は市川団十郎の口上と「にらみ」、それに続く醍醐寺に伝わる声明が披露されました。「にらみ」は邪気を払うとして、団十郎の芸として代々継がれてきた独特の芸です。今回はなんと20年ぶりの「にらみ」ということです。こっちを見てくれないかな、というお客さんの視線が、団十郎に集中していました。続いての声明は、毎年2月に行われる「仁王会法要」という行事で行われるものと同じだそうです。舞台上に30人近くの修行僧が横に並び、中央の導師のお経をリフレインしたり、合唱したり、輪唱したりしながら、次第にボルテージが上がっていきます。途中から和太鼓の拍子が入り、最後には修行僧が片手に加持棒という細長い棒を振り回します。お経は我々に親しみのある念仏系ではないため、密教的な印象を感じる儀式でした。僧侶の衣装も黄土色の布で体をぐるんと包んだもので、和服と言うよりも「ビルマの竪琴」で僧侶が着ていたものに近い形でした。この一連の演目も、お互いの伝統をふまえつつも、お互いを阻害しない形でのコラボレーションとなっていました。最後の演目は市川宗家の十八番「勧進帳」。団十郎の動きにはメリハリがあって、この舞台にかける思いが伝わってきました。いいとこ取りの舞台でしたね。この舞台で感銘をうけたことのひとつは、役者さんの衣装の色とその組み合わせ。例えば「勧進帳」に登場する義経役の衣装は、上が濃いめの紫で、下が抹茶グリーン。関所を守る役人・富樫役の衣装は、明るいグレー(一澤帆布のバッグでいうと、わさび色)。お召し物と襦袢の色合わせが、鮮やかなのに出過ぎたところがなくて上品。こういう色合わせが広く語り継がれず、今の日本の町並みに反映されていないのは本当に残念ですね。お昼は汗ばむほどの陽気だったのに、舞台が終わる頃には、観客の大半が体の芯まで冷えていたようで、急いで家路につく人が多かったです。醍醐寺から山科・六地蔵などの駅に向かうバスには列ができていましたが、順番を無視したり、人の背中を平気で押すおばちゃんが続出しました。歌舞伎を見に来る人はもっと上品だと思っていたのに、こういうところが残念でした。この薪歌舞伎という貴重なイベントを見に来る人の大半がおばちゃん、というのが、非常にがっかりでした。チケットの価格が2万円と高かったので、20代は見に来られないし、開始時刻が6時なので、関心があったとしても30代~40代のサラリーマンの大半も来られません。そういう意味で、客層が限定されたイベントになってしまったのが、素敵な舞台装置と伝統を尊重したコラボレーションの演出が見事なだったなだけに、惜しいと思わずにはいられませんでした。10日前のお茶会と似たようなまとめになってしまいましたが、伝統文化の継承のために、多様な客が来られるような、設定上の工夫が必要だということを感じました。
2005年04月27日
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吉野の桜を見に行きました。桜が咲くと、山全体がピンク色に染まるというダイナミックな見栄えに、毎年観光客で大混雑しているということですが、今年もご多分に漏れず、人混みがすんごいことになっていました。でも桜の美しさは想像以上!でした。今回は珍しく単独行動ではなく、僕と同じく最近大阪に転勤してきたYさんとお花見。と言っても、桜の下にゴザを広げてというのではなくて、吉野山トレッキングを含めた、健脚向けのフィジカルなものになりました。ただ満足度は高いので、山道を歩いても大丈夫という人には、吉野の桜を満喫できるオススメのコースになるかと思います。それには車で来てはダメです。渋滞で花見どころではありませんから。さて、午前9時20分ころ、近鉄難波に着き、窓口でお得な割引券を求めると、窓口のおっちゃんが「吉野ならあべの橋がいいよ」とつっけんどんに言われてしまう。あべの橋? 行ったことがなくて、行き方を聞くと、御堂筋線で「天王寺」に行けばいいんだよ、と言われました。知らなかった...トホホあべの橋に着くと、この日は桜の花見日和と言うことで大勢の観光客が吉野行きのキップを買っていました。窓口では「近鉄特急は11時10分発まで売り切れ」ということだったので、在来の急行で行くことにしました。が、その急行も大混雑で、あべの橋から吉野までの1時間半、座ることができませんでした。吉野に着いてからも大混雑。ロープウェイには長蛇の列が出来ていて、中千本(山の中腹)までのバスも、いつもなら所要時間20~30分のところが、2時間かかるとのこと。終点の手前の如意輪寺までなら1時間ちょっとで行くということと、バスはそれほど待たずに乗れたので、とりあえずバスを選択しました。それに電車でずっと立っていたので、とにかく座って落ち着きたいという気持ちもありました。☆吉野山は大きく4つに分かれます。上千本、中千本、下千本、それに最も山奥にある奥千本です。桜の見頃は下から順に上がっていくわけですが、今は中千本から上千本が旬だということでした。吉野山の桜は合わせておよそ3万本におよび、咲く時期が微妙に異なることで山全体に桜のグラデーションが広がります。だから、吉野は桜の名所と呼ばれているわけです。奈良時代から神木として保護されてきたということですから、これだけの広がりになっているわけですね。バスに乗ると、案の定、すぐに渋滞に巻き込まれ、少しずつしか進まず、思わず車内で爆睡。30分後に目が覚めて辺りを見回しても、目的地までまだ距離があるということでした。結局、1時間ちょっとで、中千本のやや下にある如意輪寺(にょいりんじ)のバス停の近くで降ろしてもらいました。如意輪寺からは、中千本の桜と、三万本の水仙を見ることができました。ここで初めて吉野の桜を拝見。確かに、山が様々な桜に彩られていることがわかります。お寺の脇道から後醍醐天皇陵に行けます。後醍醐天皇といえば、南北朝時代の南方の天皇。ここで南朝を開き、いつかは京都に戻りたいと願っていたそうですが、叶わずに亡くなりました。そんなことから、後醍醐天皇陵は京都に向かって築かれているそうです。同行のYさんの力強い先導に引っ張られる形で、如意輪寺の脇から、上千本の中心地、吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)へ、トレッキングコースを一気に昇りました。結構息切れがしますが、暑すぎず、寒すぎない気温のおかげで、うっすらと汗をかいた程度で到達することができました。トレッキングコースは、松の林を抜けていくために、必ずしも眺めが良いわけではありません。山の全体像もつかみづらかったです。ただ、このコースを歩かないと、山の中は渋滞が多くて、なかなか上にたどりつきませんよ。吉野水分神社は、安土桃山時代に建てられた華麗な建築を誇る神社。そのころの御神輿も飾られていました。出産祈願の神社と言うことで、オッパイの形をしたオブジェなどがありました。この神社の近くの展望台で昼食。名物・柿の葉寿しは少ししょっぱい感じがしましたが、山登りの後には格別の味でした。歌舞伎の「義経千本桜」で有名な花矢倉の脇から、トレッキングの道は再びスタートします。急な坂を下りて、足をひねりそうになりますが、そんなことよりも、降りて来るにしたがって姿を現す桜の広がりがまさに絶景でした。上千本から下千本まで、山全体が桜に覆われていました。しかも高さによって咲くタイミングが微妙に違うことと、桜の種類によるコントラストの違いから、白やピンクの花が重層的に見えて、しかもその奥行きが深い。新緑とのコントラストも鮮やか。これはテレビでは表現できない、スケールの大きな美しさです。ここで初めて、吉野が日本有数の桜の名所であることが理解できました。この急な坂にレジャーシートを敷いてお昼を食べている人が多くいましたが、これぞ美しき花見、という感じです。このコースは車に乗っていたら見られません。山全体を見られるポイントはいくつもあって、そのポイントごとに見える美しさが違いました。ダイナミックながらも繊細さを兼ねた美しさ。結局、桜に見とれて、大和三庭園と呼ばれる竹林院に行く時間がなくなってしまいました。秀吉が花見に訪れた際に、千利休が造った庭なんだそうです。うわー、見られなくて残念。この隣にある宿坊が雰囲気満点で由緒のある建物。1泊3万円以上することもあるそうですが、納得してしまうほど立派です。ここと、奥千本は次回の楽しみにしたいと思います。最後に、金峯山寺蔵王堂(きんぷせんじ・ざおうどう)に行きました。吉野水分神社と同じように安土桃山時代に建てられたそうです。ここは歴史的木造建築物としては東大寺大仏殿に次ぐ大きさで(もちろん国宝)、周囲を圧倒する迫力があります。屋根が瓦ではなく檜の皮葺きというのが珍しいです。しかし、こんな大きなものを山の上まで持ってきて建築するという発想が大胆だし、それが数々の地震や戦争に耐えて今日まで建っているという事実にも驚かされます。蔵王堂では、去年の7月から1年限定で、本尊の秘仏・金剛蔵王権現三体を公開しています。このお堂が完成してから400年以上もの間、一度も公開したことがないという、秘仏中の秘仏です。これが隠しておくのがもったいないくらいに大きくて立派。並び立つ3体のうち、最も大きいのが中央の釈迦如来で高さ7.3m。両脇の弥勒菩薩と千手観音もそれぞれ5.9m、6.1mと巨大。しかも三体とも体の色がブルー、怒りで逆立った髪と吊り上がった眉が金色で力強く隆起しています。こんな色づかい初めてです。体が青いのは、深い慈悲を表しているそうです。写真が撮れないのが残念。帰り道に仁王門をくぐりましたが、ここにいる仁王像もいい顔・いい体をしてました。腕相撲したら無敵な感じです。ロープウェイを使って下山。夕方になって体が少し冷えました。行きに予約しておいた18時5分発の近鉄の特急に乗って、爆睡しつつ大阪に戻りました。冒頭にも記しましたが、吉野の桜はテレビでは表現しきれないダイナミックさがあって美しかったです。来る価値あり!ただし、車だと歩きづらいので控えた方がよさそうです。
2005年04月17日
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今年が桓武天皇の没後1200年にあたるということで、平安神宮で開かれている一連のイベントのひとつです。(ちなみに平安神宮は出来てから110年しか(!)たっていません)桓武天皇は平安京の遷都を決断した、京都の歴史上、最も重要な人物。その没後「1200年」というからには(100年単位というタームは、アメリカ人にはわかるめえ)、さぞかし力が入っているに違いない、と期待も高まります。雲一つない好天、満開の枝垂れ桜も(文字通り)華を添えて、気持ちの良い一日でした。午前10時からの献茶式に間に合うように行きたいと思っていたのですが、寝坊したのと、羽織・袴の着付けに手間取って、結局平安神宮に着いたのは11時50分。せっかくのイベントなのに...自分で情けなくなりました。トホホ。鮮やかな朱色の鳥居と伽藍がひときわ映える神社に着くと、入口に大きな「紅枝垂れ桜」の看板を発見。ここは枝垂れ桜の名所ということで、観光客と花見の客がドッと押し寄せていました。さて、そんな中、受付を済ませて(ちなみにお茶会のチケット代は12000円。2ヶ月前に茶道の師匠から購入しました)、人の流れに逆らうように庭園の出口付近にあるお茶会会場に向かいました。そしたら、おそらく台湾か香港から来たと思われる観光客にいきなり「写真を一緒に撮って下さい」と英語でリクエストされました。これぞ和服のコスプレ効果。バッキンガム宮殿の衛兵になったような感じでしたが、そんなに悪いもんじゃなかったです。お茶会は、速見流・織部流扶桑派・江戸千家の3つの流派が3カ所を受け持つようになっていました。お茶の三大流派というと、表千家・裏千家・武者小路千家なんですが、そのいずれもが席を持っていないのはどういう事情なんだろう? ひょっとしたら、平安神宮の歴史や、語られることのないしがらみがあるのかもしれませんね。1)織部流扶桑派茶席は11時開始だったので、出遅れたという反省&あせりと一カ所でも多く回りたいという気持ちから、とりあえず入口に一番近い織部流の会席に飛び込みました。都合の良いことに空きがあって(こういうところも単独行動のメリットです)、待ち時間ゼロで茶席に入りました。織部流はやきものの織部焼から来ているわけではなくて、千利休の弟子、古田織部によって始められた会派です。テイストは武家風。お茶やお菓子を盛ってくる人、点てる人、道具の説明などの進行役、すべて男性でした。一回の茶席で40人以上が入るという大きな席でしたが、お客さんは茶道の稽古をしていそうな、ちょっぴり上品なおばちゃんが9割以上で、男性は2人くらい。開始直前に僕が飛び込んだことで、おばちゃんたちに珍しいものを見るような目つきで見られました。作法をつぶさに見ていたわけではありませんが、普段僕が習っている作法との違いはいくつか目につきました。例えば、挨拶の時の手のつきかたが、両手をそろえるのではなく、両膝の斜め前に置くような感じ。お茶碗とお菓子を配る係が同一人物ということなど。神社での点前ということもあって、点て方も特殊。お茶点て担当の係が客の前に立ったところで、客は抹茶の入ったお茶碗を両手で拝むように捧げ持ります。お茶点て担当は、そこにお湯をそそぎ、不安定な茶碗に茶筅を入れてふります。当然、泡立ちも少なく、しぶ~いお茶でした。ちなみに、お菓子はわらび餅でした。この席が終わった後に、速見流の席の午後二時からのチケットを確保して、残る江戸千家の列に並びました。このへんはなんか万博みたいな行動様式でした。2)江戸千家表千家の流れを汲み、江戸時代の町人文化のもとで発達した流派。動作に無理がなく、ステータスに厳格ではないと聞いて僕も門戸を叩きましたが、師匠に恵まれて、3年以上稽古が続けられてます。ただ、この日は段取りが今ひとつで、会場の建物の外で1度、建物に入れたと思いきや、会席場所の手前でも待ちました。待ち時間1時間以上。晴れててよかった。さて、会場は普通の会議室か宴会場を変更したもの。お茶を点てる場所は、簡易セットのように高さ50センチくらいの台をこしらえて、そこに4畳の畳を置いています。客は椅子に座って、お菓子を食べ、お抹茶をいただきました。足がしびれる人間にはうれしいセットです。お茶を点てる人は男性(家元)ですが、お菓子やお茶を出すのは女性でした。こういう方がすべて男性というよりリベラルでいい感じ。点前を見ていると、普段僕が稽古している延長線上にあることはわかりますが、とにかく動きがよどみなかったのが印象に残りました。お菓子はこしあんで桜にちなんだ色と形をしていました。終わったのが午後1時50分。余韻を楽しむ間もなく、速見流の会場へ急ぎました。3)速見流裏千家の流れを汲む流派ということですが、くわしいことは不勉強なものでわかりません。平安神宮の東の庭園や池を一望できるなど、会場となった貴賓館のロケーションや眺めの良さが印象に残りました。それに、床の間の壁一面に金箔が貼ってあったのがきらびやかでした。昔の人はこういう場所で、日中にお茶会を開いていたんだろうなあ、と想像できる場所です。ここも織部流と同じく、お菓子を出す人、抹茶を出す人、お茶を点てる人、進行役の人、すべて男性でした。今の時代、男性オンリーでお弟子さんを集めるのはきびしいはずですが、中年以降の男性が次々と登場しました。歩き方がだらしなかったですが。ここは、道具にオリジナル感が強くて、例えば茶釜が富士山の形をしていたり、備前焼の素朴なお茶入れに、異様に細いお茶杓...etc。あと、正客(メインゲスト)から順に上座の3人は濃茶を飲み、あとの下座は薄茶という仕切りもユニークでした。お菓子は京都の和菓子の老舗、道喜の「花八重角文」。ようかんのような味わいでした。4)そのほかお茶会のチケットには、「点心席」という項目があります。これは中華の点心料理が食べられるわけではなくて、高級和食店のつきだしが数多くなったものだと考えていいと思います。量的にはほんのちょっとで、レイアウトは上品という、かなり京都的な食べ物。午後3時近くで行ったので、ガラガラでした。今回のお茶会は記念品が良いらしい、という事前の噂を聞いていましたが、実際には、事前の噂に違わぬ素敵なデザインのお茶碗が出てきました。風水の4神(青龍・白虎・朱雀・玄武)が、茶碗の四つの側面に鮮やかに描かれています。その華やかさに、地元のご婦人は「平安神宮らしいお土産だねえ」と言っていました。京都でお茶会に行くのは初めてでしたが、茶室に歴史を感じることのできる、興味深い会でした。お茶会はおばちゃんの園で、確かに茶道の師匠や門下生にそういう人が多いから仕方がないんだけど、文化を語り継ぐには、このへんの層ばかりが来るのもどうなんだろう?と思いました。「麻雀・ゴルフ・酒」という文化からかけ離れたオヤジどもに来られても困るでしょうけど、お茶会のチケット流通は、もっと改善してほしいものです。僕は行ってみて面白いと思いましたが、なかなか手に入るものではなかったので。平安神宮1200年祭は、お茶会以外にも、華道各流派の展示があったり、簡易ステージで古典舞踊が披露されたり、枝垂れ桜が見頃を迎えた庭園をのんびりと眺められたり、などと盛りだくさんです。次回は「1250年祭」になってしまうのでしょうか? ありがたみということでは理解できますが、折角あれだけ美しい枝垂れ桜があるんなら、満開の頃に毎年開くのもいいのではないかと思いました。
2005年04月16日
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阪神タイガースは間違いなく関西最強のブランド。その本拠地・甲子園のボックスシートで、ライバル・巨人との「伝統の一戦」を観戦することができました。平日の夜に4万7千人もの観客が入るイベントなんて、ここ関西ではこれ以外に考えられません。確かに、見に来たいと思わせる面白さが、そこにはありました。試合開始の90分前に、職場の同僚がいきなり「阪神ー巨人のチケットがあるんですけど、誰かもらってくれませんか?」と宣言。ここはひとりジョーズの面目躍如のとき。ひとりでも行きまっせ!とばかりにチケットをかっさらい、終業時刻と同時に球場へ向かいました。梅田から阪神電車に乗って甲子園へ。阪神電車に乗るのは初めてだったので、印象について記しておくと、東京の私鉄よりも広告が少ないです。天井の角は広告枠すらありませんでした。スッキリしたもんです。車窓風景についてですが、阪神工業地帯の工場と、住宅や小さなビルが密集しているのが見えます。電車は高架を走るわけですが、その眺めは東急田園都市線ではなく、京浜急行や京成電鉄によく似ていました。甲子園に着くと、電車は両側の扉が開きます。球場に行く人と、それ以外の人で降りるホームが違うわけです。試合が始まって40分以上が経過していましたが、結構な人数が降りてきました。球場までは歩いてすぐ。この利便性は鉄道会社が球団経営をすることによってファンが享受できるメリットですね。あの有名な、蔦の絡まる壁が観客を迎えます。これは他の球団にはない趣があります。シカゴ・カブスのリグレーフィールドと同じように、守るべき伝統がある、という感じですね。きょうの席は一塁側ボックスシート。ベンチ横のカメラマン席のすぐ後ろ、2列目という絶好のポジション。先発投手が味方の攻撃終了を前にキャッチボールをしている、そのすぐ近くです。テレビ中継で背景にぼんやり映っていたかもしれません。そんなポジショニングですが、チケットの券面には「2段」と書いてありました。細かいことですが、東京と大阪では表記の仕方が違うことはよくありますが、これもそのひとつ。目の前に広がる土のグラウンド、まさにフィールド・オブ・ドリームのような美しさです。ドーム球場も整っていてきれいなんですが、どうしても人工的に見えてしまうんですよね。雨天中止があると、観客やテレビ中継の予定がおかしくなるのかもしれませんが、この美しさは不便さを乗り越えて守るべきもののように思います。野球というスポーツがもつ素朴さが伝わってきます。スタンドには大小さまざまなメガホンを持ったファンがいますが、これが老若男女関係なく、それぞれのスタイルで応援しています。観客の9割以上が阪神ファンではないかと思えますが、球場が一体となって、メガホンを叩く様子は圧巻です。味方がヒットを打ったときに、あのメガホンのポンポンという音が、地鳴りに近い音に化けるんです。ファンのリアクションは、均一な部分とバラバラな部分があって、メガホンは均一なほう。ビーンボールを投げられると、選手の代わりに「オラオラーッ」と柄の悪いオッサンが罵声を浴びせてくれます。他球場でも起こる現象ですが、甲子園は層の厚さが違います。ドスが利いてます。ベンチを出て行く選手に向かうかけ声はいろいろあって、「フジモトさん、かっこいいー!頑張って!」という黄色い声や、「マコちゃん(今岡選手の名前をもじって)!」と馴れ馴れしく呼ぶ酔っぱらい、「コラッ!井川!しっかりせんかい」とストレス解消を兼ねて叱咤激励をとばすサラリーマン。共通して言えるのは、阪神の選手に対する深い愛情です。ビジネスライクな巨人と違って、失敗しても暖かい感じがしました。ちょっと試合展開がゆるくなると、観客はいろんなものにツッコミを入れ始めます。阪神に不利な審判の判定に「あれは巨人からワイロもろとんのや」「おう、昨日もそうやった」とか、巨人のリリーフ投手のウォームアップに「なんや、あれ。ロボットみたいやな」とか。あとはホームレスっぽいおっちゃんがいきなり空いた席に座ってきたり、グローブを持った子供がファウルボールを取ろうと前に走ってきたり。壮観だったのは7回裏の攻撃前に飛ぶロケット風船。7回表のワンアウト後から、みんな膨らましはじめます。球場全体が風船で覆われはじめるんですが、風船がおさえきれずにヒューッと先走りして飛んでいってしまったり、空気を入れすぎて割れてしまったりと騒々しくなって、ビジターの選手も「あ、ここは塁に出て伸ばしてはいけない」と思わせる効果があります。甲子園のビジターの7回の得点率って低いんじゃないかな? ロケット風船3万から4万個も並ぶとすごいです。ムーミン谷のにょろにょろか、おびただしい数のコンドームの山か、小腸の柔突起か、何に例えたらいいんだろう。音楽が終わって、一斉にヒューッと飛んでいくのを見るのは、気分が高揚します。試合の方は、1点をめぐる緊迫した攻防で、結局4-2で巨人が勝ちました。さえないリリーフ陣が踏ん張りました。というか、きょうは寒くて阪神のバッターの振りが鈍かったように見えました。阪神が勝って、ファンが無邪気に喜んで六甲おろしを歌う様子を見たかったのですが、次回におあずけです。タイガースのファン層の厚さやチームに対する愛情の深さは相当なものがあり、甲子園に来ればそれを味わうことができます。巨人がふるわない今となっては、プロ野球を支える大きな柱になるのかもしれません。メジャーリーグとは違う、きわめて日本的な野球の楽しみ方が、ここには凝縮されていました。
2005年04月13日
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4月に入って、1年のうちにわずかな期間しか一般に公開されないお寺が、特別公開されています。いつもなら桜の咲く時期で境内も華やかで美しいのでしょうが、今年はまだ少しひんやりとしてさみしげ。でも椿や桃の花が見頃で、わびさびを感じることができました。1)法然院 哲学の道から、山に向かって入っていくわけですが、参道から山門をくぐって伽藍にたどりつくまでのアプローチに静寂で心地よい緊張感が感じられます。この緊張感は、大原の三千院のようですね。「拝観料」を「入山料」と呼ぶところも、山寺に入る感覚を助長します。 ここは4月と11月の第一週だけ、伽藍の中に入ることができます。本堂の中心には阿弥陀如来が鎮座していますが、その前に25の生花が床に置かれているのが印象的でした。見どころは、本堂の奥にある方丈。狩野光信が描いたという繊細な印象の襖絵を見てから、180度ターンすると庭園が目の前に広がります。庭園は宗教的な世界観の反映であることが多いわけですが、ここは阿弥陀三尊を象徴する石が中央寄りに配置されていました。庭園の奥からわき出る「善気水」は裏千家のお茶会でも使われる名水だそうで、休憩所でその水を使ったほうじ茶を飲むことができました。ほうじ茶の香ばしさが引き立っていたように感じられましたよ。 ちょうど椿が満開の時期で、「椿の庭」がある法然院を見るには旬な季節でした。観光客が「おおっ」と言うようなドラマティックな感じはありませんが、お寺のもつ静けさや歴史を静かに感じるにはいいのかもしれません。2)安楽寺 ここも、開花の時期に合わせて、年に数回公開されているお寺です。入口ではうぐいすがきれいに鳴いて迎えてくれました。この日は桜の開花をあてこんで公開されていましたが、ようやく京都は桜の開花宣言が出たところ、ということで、咲き誇っていたのは梅でした。 法然院と同じように、安楽寺は「南無阿弥陀仏」の念仏で知られる浄土宗のお寺。ここに来ると、浄土宗の信仰の歴史を知ることができます。ざっくり言うと、鎌倉時代のはじめ、浄土宗の元祖・法然上人の弟子2人のお経を読む声にほれた美人女官(2人)が天皇の寵愛をふりきって出家したために、浄土宗が弾圧され、出家を促した弟子2人が斬首され、法然上人も高松に流罪になってしまいました。安楽寺は、そんな弟子たちの菩提を弔うために建てられた、というわけです。 本堂には美人女官2人の像がありますが、昔の美人らしく、ふっくらとしています。細木和子によく似ていました。この2人を追いかけて迫害とは、ジェラシーの力はオソロシイ。昔の天皇は権力使い放題だったんですね。今では考えられませんが、これなら一般の人でもワイドショーネタになりますよ。3)霊鑑寺 安楽寺からさらに南に行くと、霊鑑寺が見えてきます。入口に京都市観光協会が作成した「特別公開」の看板が目に入り、ふらっと入ってみました。ガイドブックにも掲載されていないので、知名度は低いと思いますが、庭には多くの観光客がいました。まさに見頃の椿が約30種類も見られるからであることは、入ってみてすぐにわかりました。みんな写真を撮っていましたので。 全く知らないお寺でしたが、それでも300年以上前に建てられたもので、明治維新までは皇女が代々尼になるところだったようです。樹齢300年以上という日光椿は、京都市の天然記念物に指定されていますが、この日もきれいに花を咲かせていました。桃の花も満開で、桜が見られない観光客のフラストレーション解消にはもってこいの華やかさでした。4)白沙村荘
2005年04月02日
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