JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.01.11
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カテゴリ: JINさんの農園
「完全解剖!大ピラミッド七つの謎」のテレビ視聴を続ける。
③どんな人々が造ったのか?



高さ150mに及ぶ巨大な大ピラミッド、建設に動員された人は数万人とも言われています。



照りつける太陽のもとで行われる苦しく過酷な労働、奴隷のように扱われる人々。
こうした厳しい環境で働く労働者のイメージは、ハリウッド映画など後世の人々によって作られ
広く浸透して来たものでした。これは本当なのか?どのような人々が大ピラミッドを
造っていたのでしょうか。



手がかりを求めてやって来たのは、ピラミッド発掘現場の最前線。
大ピラミッドを建造したクフ王、その孫であるメンカフラー王の神殿。




この様な場所に人が住んでいたことは奇妙であると。
しかし実際にこの場所で暮らした人がいたのだと。



これまでナイル川の東側は「生」の世界、ピラミッドが立っている西側は「死」の世界と
言われて来ました。
このため、ピラミッドの周辺には人がほとんど住まなかったと考えられて来たのです。



死の世界であるはずのナイル川の西側に人々が暮らしていた痕跡、これはどういうことなのか?
さらにどんな人達がどの様な暮らしをしていたのかまで解ってきました。



この場所は、ピラミッドの失われた都市の遺跡、単に人が住んでいただけでなく、
この地には巨大な都市があったのだと。
この街は「ピラミッド・タウン」と呼ばれていると。
そしてこの場所に暮らしていた人々こそ、ピラミッドを建造した労働者達ではないかと。




労働者の営舎や作業場、下級の役人が住む小さな家、高官が住む大きな家、そして王の施設。
古代の人々が実際に暮らした痕跡を詳細に伝える貴重な発掘であったと。



この幻の都市が発見されたことで、これまで謎だったピラミッドを作った人々の姿が
浮き彫りになって来たのだと。



現場では実際に出土した住居が再現されている。

住居には玄関や台所、寝室など今と変わらない居住空間が拡がっていたと。
そしてプライバシーに配慮した構造にもなっていたのだと。
こうした家であの最古のパピルスを記した監督・メレルも寝起きしていたのかもしれないと。
およそ4000人が暮らしていたと見られるピラミッド・タウン、まさしくピラミッド建造
プロジェクトのために誕生し、いつしか忘れ去られたロストシティーだったのだと。



ピラミッドタウンから発掘された大きな土器、これはパンを焼くためのもの・パン焼き器であると。



発掘された実物のパン、小麦や大麦から焼かれていたと。



形や味も様々で種類は27種類にも及んでいたのだと。



一人あたり1日2400kcalのパンを食べていたと考えられているのだと。
現在の私の必要カロリーと同等であった事に驚きを感じたのであった。



更に発掘されたビールジョッキー、醸造もこれで出来たのだと。
当時の主食はパンとビール。まだ貨幣が広く使われていなかったこの時代、労働者たちは
仕事の報酬として食べ物を受け取っていたのだと。そしてナイル川で採れた魚や良質な牛肉も。



あの最古のパピルスにも、労働者にパンやビールが配られていたことが記録されていると。



労働者たちがこれほど良いものを食べていたことは大きな発見。
当時の支配層は重労働をしている者たちに炭水化物とタンパク質を豊富に与えていた。
つまりパンと肉が労働者に十分に供給され満足いく報酬が保証されていたのだと。

そして次に
④大ピラミッドはなぜあの形なのか?



史上最大そして最も完璧と言われるクフ王の大ピラミッド。
なぜこの巨石建造物は、誰もが知るこの形に築かれたのでしょうか?



解き明かす鍵は、世にも奇妙な形をしたピラミッドにあったと。



それは大ピラミッドから南東25kmの場所にある「屈折ピラミッド」。
よく見てみると、斜面が途中で角度を変えて折れ曲がっている。
他のものとは異なる一風かわった空気を漂わせるピラミッド。



造ったのはクフ王の父「スネフェル」という古代エジプト王。



実はこの「スネフェル王」こそピラミッド建造プロジェクトを積極的に推し進めた
人物であったのだと。
5000年前に国が出来上がりまだ争いや内戦が起こり国が纏まっていない中、初めて
国として纏まったのが古王国時代の第4王朝時代。
「スネフェル王」は国を興した勢いで宮殿の建設や他国への軍事遠征を行った。
そして古代エジプトという国家にピラミッド建造という大改革を巻き起こした。
人類の中でみても、国の力というものを初めて使えるようになったのがこの時代。
国の力こそこのピラミッド建造、すなわち支配者である王の墓の建造に力を入れたのだと。



それまで古代エジプトにおいて主流だったのは「マスタバ」という墓であった。
アラビア語でベンチを意味する台形型の「マスタバ」は日干しレンガなどを積み上げて造った。



遺体を納める埋葬室は地下に造られていたのだ。



しかし「スネフェル」は、この墓造りに革命をもたらした。
その背景には古代エジプトで最も偉大な神と崇められた「太陽神」の存在があったと。
支配者の力というのが、人類史の中では初めてであったが、最も神に近づいた時代であったと。
この時代から墓の位置がこれまで地面の中に埋められていたのが、この「太陽神」に近づくために
次第に地面より上に埋葬室が移動していった。
自らのことを「ネフェル・ネチェル(よき神)」と呼ばせ、現人神である王のために、このような
巨大な墓・ピラミッドを造らせたのだと。
太陽を神として崇拝していた「スネフェル」が生涯に建造させたピラミッドの数は4基に及ぶと。
少しでもその高みに近づこうとして地下にあった埋葬室は地上に移され、ピラミッドの形は
変貌を遂げて行ったのだ。



「崩れピラミッド」



「赤ピラミッド」



しかし、それは複雑で緻密な計算を必要とする大工事、天高く真っ直ぐ聳える形が造られるまで
何度も挑戦を続けて行ったのだと。



斜面が折れ曲がった屈折ピラミッドも高く作る技術が足りず途中で諦めたものだと。



やがて高さ、角度、石の数など幾多の試行錯誤の末に、安定した形として最も合理的である
完全な四角錐の形になったのだ。
こうして歴史の上に誕生した究極のピラミッドこそクフ王の築いた大ピラミッドであったのだ。



しかし王の想いだけが究極のピラミッドを生んだわけではなかったと。
ピラミッドは仰ぎ見る古代エジプト人にとっても特別な感情を呼び起こすものであった。
それはいったい何故なのか?物語はピラミッドが現在とは全く違う景色を見せていた時代に遡る。



鍵となるのは世界最長の河・ナイル川。
全長6700kmに及ぶアフリカ大陸の母なる大河。
古代エジプト文明はおよそ5000年前にこのナイル河を中心に誕生したのだ。



一見するといかにも穏やかなナイル河。
実は20世紀初頭に上流のダムが建設されるまで、1年に一度夏の時期に水嵩を増し、そのたびに
洪水を引き起こして来た。
乾いた土地にナイルは肥沃な土壌をもたらしたのであった。
すべてはまさに「ナイルの賜物」であったのだ。
そんな考えは毎年繰り返されるナイル河の反乱によって人々の心に植え付けられて行ったのだ。



水から生まれたこの世界、その中で生命の現れを意味する存在として形造られたものこそ
ピラミッドであったのだ。豊かさをもたらすナイルの水、そこから現れたかのようなピラミッド。
古代エジプトの人々に流れる世界観を表すものだと考えられる。
ナイルに暮らす人々の想いをエネルギーに変えて、王たちはピラミッド建造を推し進めて
行ったのだと。
天に向かって聳え立つその姿は、4500年経った今も古代エジプト文明の力強さを示し続けて
いるのである。




                              ・・・もどる・・・

                  ・・・つづく・・・





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Last updated  2021.01.11 00:00:15
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