JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.06.07
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』

「建長寺・半僧坊」への散策を続ける。
右手「奉納 半僧坊大権現」碑。



大きなガマ蛙?の置物?。



穴の空いた丸い石を積上げたちょっと不思議な石塔。



そして前方に鉄で出来た鳥居が見えて来た。



鉄で出来た鳥居が前方に。かなり錆びついていたので鉄に間違いなし。



「奉納 杉苗壱萬本」と刻まれた石碑。




半僧坊道の途中に男がふたりそろって立つ姿が描かれた石碑が立っていた。
楽しげに語り合う二人の男は、中国の風狂な僧として伝説的に知られる
「寒山」と「拾得」。



「月落烏啼霜満天(つきおちからすないてしもてんにみつ)
 江楓漁火対愁眠(こうふうぎょかしゅうみんにたいす) 
 姑蘇城外寒山寺(こそじょうがいのかんざんじ) 
 夜半鐘声至客船(やはんのしょうせいかくせんにいたる)」
横には『寒山寺舊有文待詔所書唐張繼楓橋夜泊詩,歳久漫漶。光緒丙午,
筱石中丞於寺中新葺數楹,屬餘補書刻石。兪樾。』
「寒山寺には、もと“文待詔(明の文人1470~1559)”の書すところの唐張継の
楓橋夜泊の詩(碑)有り、歳久しくして漫漶(まんろうー痛んださま)せり。

中丞(ちゅうじょう、地方長官)寺中において數楹(すうえい数本の柱、建物)を
新葺(しんゆう)し、余に属(しょく)して補書せしめ、石に刻す。
兪樾(ゆえつ、清の学者1821~1901)。」
「楓橋夜泊」と刻まれた板碑が下に。



「蓮の葉に乗る(荷葉座(かしょうざ))観音像」の姿が線刻された句碑。







「奥之院拝殿改築記念碑」、大正二年九月十七日と刻まれていた。



石段の上に石鳥居が。



石鳥居の先にも多くの色々な講中の「奉納」に関する石碑が並んでいた。



そしてくねくねと九十九折に曲がる石段を上って行った。



「半僧坊大権現」の朱と紫の幟が並んでいた。



最初の石段を登り終わる。



その先には石灯籠、狛犬が。



五重石塔の先には、新緑に覆われた石段がまた続いていた。



「敬神」碑。



上部には「​ 羽団扇(はうちわ)の紋 ​」👈リンク が刻まれていた。
この「半僧坊」の「羽団扇の紋」は9裂。



「奉納碑」が続く。



更に石段がこれでもかと続く。



最後の参道石段周辺には大小12体の鉄製の天狗像が置かれていた。
戦時中、天狗像は供出されてしまったが、復興されたのだと。



そしてをカメラで追いかける。
「天狗像」が立ち並び、麓の建長寺のような禅寺とは違う異様な雰囲気を
醸し出していたのであった。
しかも、この時期に遠くから見ると、皆マスクをしているのではと。



烏天狗または鴉天狗(からすてんぐ)と呼ばれ、大天狗と同じく山伏装束で、烏のような
嘴をした顔をしており、自在に飛翔することが可能だとされる伝説上の生物。
小天狗、青天狗とも呼ばれるのだと。



剣術に秀で、鞍馬山の烏天狗は幼少の牛若丸に剣を教えたともいわれている。
また、神通力にも秀で、昔は都まで降りてきて猛威を振るったともされる。中世以降の
日本では、天狗といえば猛禽類の姿の天狗のことを指し、鼻の高い天狗は、近代に入ってから
主流となったものである と。









「手水舎」。



別の角度から。









一番怖そうな大天狗。
この天狗だけ鼻が長い鼻天狗。
ヤツデの葉の天狗団扇(うちわ)と巻物を持っている。
このうちわ、大風を起こしたりすごい威力を持つのだと。







最後の石段から。
大小12体の天狗像が鎮守府を守るように配置され、麓の建長寺のような禅寺とは違う
異様な雰囲気を醸し出しているのであった。



石段を登りきると「半僧坊大権現」の「境内」。



「半僧坊大権現堂」。
半僧坊大権現は、「建長寺」の鎮守。
後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」(むもんげんせんぜんじ)が開いた静岡県浜松市にある
「​ 方広寺 ​」👈リンク が半僧坊の本元。
禅師につき従っていた男が、薪採りや水汲み、食事の仕度をしていたので、「飯僧」と呼ばれ、
のちに「半僧坊」と呼ばれるようになったのだという。
この男は、禅師が中国での修行を終えて帰国する途中で嵐に遭った際に禅師を助けたと
いわれている。



「本堂」の「内陣」では法要が行われていて住職の読経の声が聞こえて来た。



「本堂」先の休憩所。



勝上 (しょうじょうけん)は標高147mぐらいで、ここから尾根伝いに天園・覚園寺・
瑞泉寺方面へのハイキングコースがあり、鎌倉の山々や町の様子や相模湾などがよく見え、
春秋の遠足、ハイキングには、大変楽しめるのだ。
そして「相模湾見晴台」。
半僧坊の展望台から、宋風の伽藍配置が特徴的な建長寺の全景が良く確認できた。
その向こうには相模湾を眺望することができ、晴れた日には素晴らし眺望なのであるが・・・。
そして以前は「相模湾大島見晴台」であったが、大島が見えるのは稀である?ので
変更したのであろうか?



残念ながらこの日は曇り空であったが、晴れた日には伊豆大島、富士山も見えるのであったが
この日はパネルのみで。



建長寺の境内を見下ろす。
三門~法殿~大庫裡(応真閣)が一直線ではなく微妙に曲がっている事が解るのであった。



「勝上 地蔵堂(しょうじょうけん じぞうどう)」。
手前の鳥居は貫の無い鳥居・『貫無し鳥居』、つまり二本の柱と笠木のみの門であった。
天園ハイキングコースに位置しているのである。




それにしても、鎌倉は霊場めぐりの種類が豊富。
十三佛霊場とか、三十三観音霊場とか、七福神巡りもあり、それらは全て制覇済みなのである。




以前に戴いた鎌倉二十四地蔵霊場の第十一番礼所の「勝上 地蔵尊」の御朱印です。



そして急な石段を更に5分ほど登りきると「勝上嶽(しょうじょうけん)展望台」。
ここは標高147mで景色が良く、建長寺、相模湾、富士山、横浜ランドマークタワーなどを望む
ことができるのであった。 山の中腹にある半僧坊より景色が良い。
ここは天園ハイキングコースという鎌倉のハイキングコースになっているのだ。



そして境内まで引き返すと、『貫無し鳥居』の横に「奥院道」と刻まれた石碑があった。



「御朱印所」。



この日の「半僧坊八権現」の御朱印を頂きました。



九裂の「半僧坊」の「羽団扇の紋」。



そして「百度石」。
建長寺・総門から百往復は、一日では不可能。
半僧坊下の鳥居から約250段の石段を百往復するのも、ほとんど命がけであったろうが。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 15:37:08
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