JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.06.06
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カテゴリ: 茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

バス通りを北に進むと、右手に「道祖神」があった。



「道祖神 昭和三十三年正月十四日 室田部落講中」と。



そしてその先に「室田八王子神社」があった。
神奈川県茅ヶ崎市室田1丁目13−35。



ところで八王子神社は茅ヶ崎に4か所 
・​ 堤八王子大神 👈リンク
・​ 本村八王子神社 👈リンク
菱沼八王子神社 👈リンク
そしてここ
・室田八王子神社
茅ヶ崎市内の全ての八王子神社を巡ったのであった。

室田八王子神社の扁額は「八王子神社」。



正面に「拝殿」。

八王子宮、八柱神社(やはしらじんじゃ)などとも言い、日本全国にある。



「拝殿」に近づいて。
創建年代や由緒は不詳。
御祭神は五男三女命(ごなんさんにょのかみ)と、
・大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)
・大山咋命(おおやまくいのみこと)。
五男三女神は、
・天忍穂命(あめのおしほのみこと)
・天穂日命(あめのほひのみこと)
・天津日子根命(あまつひこねのみこと)
・活津彦根命(いくつひこねのみこと)
・熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
・多岐理比売命(たきりひめのみこと)
・市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)
・湍津比女命(たぎつひめのみこと)の宗像三女神。
例祭は5月第3日曜日。室田八王子神社神輿保存会があり、神輿渡御などが行われる。
同保存会により、初詣の振る舞いなども行われている。
現在は小和田熊野神社の兼務社である。



唐破風下の「懸魚(げぎよ)」の彫刻。
「懸魚」は、神社や寺院の建物の正面に見られる。建物の唐破風の下に取り付けた飾りをいう。
破風に取り付けた火除けまじないで、魚をつるした形をしている。
この装飾を取り付けると、水のゆかりにちなんで、火災にあわないまじないになるという。
懸魚彫刻は、唐破風の下に合うように形にがまとめられている。鳳凰や鳥の形のものが多く
見られる。龍植物・動物・飛天などもあり、優れた彫刻を見ることができるのであった。



「妻飾り」そして「大虹梁」上の龍の彫刻。



見事な組物。



「脇障子(右)」。



「脇障子(左)」。



「室田自治会館」



「神輿殿」
毎年7月の海の日に神奈川県茅ヶ崎市西浜海岸で行なわれる浜降祭(はまおりさい)に参加する
一社である。



「室田八王子神社」の「神輿」。


  【https://blog.goo.ne.jp/shin354/e/0d001f384e511b5eee16608ea6eb7e57】より

「拝殿」の右横の小高い丘。古墳の如き姿であったが。



「奉祝 天皇陛下御即位 御大典記念樹」。



「室田八王子神社」を後にして、室田通りに向かって室田1丁目12近くを進むと
空き地の隅に小さな神社があった。
神奈川県茅ヶ崎市室田1丁目10。



稲荷神社であろうか。



「室田通り」に向かって白壁の旧家の前を。
屋敷内にも神社が祀られていた。



寺の山門の如き民家の門。



そして次に訪ねたのが「妙行寺(みょうぎょうじ)」。
寺号標石「妙法山妙行寺」。
神奈川県茅ヶ崎市松林3丁目5−5。



横には「南無妙法蓮華経」と。



「日蓮大聖人六百五十遠忌記念」碑。



「・・昭和六年五月三日大法會修行之・・」と刻まれた石碑。



そして「本堂」に向かって参道を進んでいったのであったが・・・・。



しかし「本堂」の姿はなく更地になっていたのであった。
その後ろには、墓地が残っているので、「本堂」の建替えが行われるのであろうか。
山号は妙法山(みょうほうざん)寺号は妙行寺(みょうぎょうじ)。
開基は日蓮聖人の直弟子 六老僧の1人 大国阿闍梨日朗聖人(1245年~1320年)。
比企谷 妙本寺の末寺である。
妙行寺は享保10年頃(1725年)室田の山本仁兵衛による草創と伝えられています。
この時期に鎌倉小町より当地に移転されたと思われる と。

ネットで調べてみると
「妙行寺(松林3の5の5)で5月14日、本堂の建て替え工事を前に地鎮祭が行われた。
数年前の大雪の影響で雨漏りが発生し、調査した結果「いつでも倒壊する恐れがある」と
診断された。これを受け、建て替えの流れとなった。」と。



墓地をズームして。



写真の如き赤い屋根の「本堂」があったようだが・・・。


   【https://www.myougyouji.net/myogyoji/】より

境内の隅には比較的新しい石祠が立っていた。



別の石祠をズームして。



そして「室田通り」沿いにあったのが「特別養護老人ホーム」。



「社会福祉法人松宝苑 特別養護老人ホーム 湘南くすの木」。



鯉のぼりが上がっていた。



「室田通り」を引き返すとその先「田村通り大山道」との四辻の角にあったのが
「松林村役場跡」碑。
神奈川県茅ヶ崎市赤羽根1358。



「松林村の由来
この前を通る大山街道は、田村の渡し(寒川)で相模川を渡る大山参りの近道で、江戸の商人・
職人をはじめ多くの文人・墨客が往来した。赤羽根・甘沼の丘陵の南面をほぼ平坦に並行する、
のどかな街道であった。正面に日本一の富士を仰ぎながら夫々大山参りの楽しい旅をした
ことでしょう。しかし静かな農村にも幾度か行政の改変があり、各村々が合併を重ねていった。
明治二十二年(一八八九年)赤羽根村を始め、室田・菱沼・小和田・高田・甘沼・香川の七カ村が
一つになって松林村となり、此の地に松林村役場が建設され、村長には水越良介氏(
後に茅ヶ崎町町長・神奈川県議会議員を歴任)が就任した。
明治四十一年、松林村、鶴嶺村、茅ヶ崎村が合併して茅ヶ崎町ができるまでの約二十年間、
此処松林村役場は地方自治の重要な拠点であった。
昭和二十二年市制が施行された当時の茅ヶ崎市の五万余の人口も、市制六十周年を迎えた今日は
約二十三万と急激な増加を見るに至り湘南の中核的都市となりました。
大山街道に添って湘南バイパスが建設されるなどに至り、かつてのふるさと的農村風景も次第に
失われつつあります。」



「江戸時代23ヶ村:黒文字
明治22年市制町村制施行当時の4ヶ村
茅ヶ崎村
松林村
鶴嶺村
小出村」
「松林村」には「大山街道」と「東海道」が貫いていたことが理解できたのであった。



左手への路地を入ると右側には大きなひょうたんが店頭に置かれている「井上酒店」があった。



更に「室田1丁目」と「赤羽根」地区の境界を通る「田村通り大山道」を西に向かって進む。



前方に「室田小学校正門」交差点。



左手に「室田小学校正門」。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.06.06 09:51:16
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