JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

新磯地区の寺社史蹟… New! オジン0523さん

【自販機の困りの不… New! Gママさん

イチョウの大木、サ… New! 隠居人はせじぃさん

2024年はムベが不作 noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2022.08.05
XML
カテゴリ: 国内旅行
次に訪ねたのが「渋沢栄一記念館」。
渋沢栄一は近代日本経済の父とも呼ばれ、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)や帝国ホテル、
東京瓦斯(現在の東京ガス)、東京海上保険(現在の東京海上日動)など、一度は耳にしたことが
あるであろう多くの企業の設立に関わり、その数はなんと500余りと言われています。
また商法講習所(現在の一橋大学)や博愛社(現在の日本赤十字社)など600余りの教育・福祉や
社会公共事業の支援を行うなど、数々の功績を残しました。
深谷市下手計1204。



この記念館は平成7年11月11日(栄一翁の祥月命日)に開館され、栄一の遺墨や写真など
資料のほか、本人の肉声を聞くことができる展示があった。

大注目されている渋沢栄一について詳しく知ることができるのであった。



「渋沢栄一記念館」の正面。



横断幕には「祝 新一万円札 渋沢栄一翁」と。
その下には「渋沢栄一記念館・八基公民館」とも。



「渋沢栄一翁と論語の里」案内図。
渋沢栄一記念館、旧渋沢邸「中の家」、尾高惇忠生家を中心とした地域を一体的に整備・活用し、
郷土の偉人たちの志を活かした深谷市独自のまちづくりに取り組んでいると。



今回は、「渋沢栄一記念館」だけであるが、もう一度訪れて他の場所を訪ねたいと
思ったのであった。



深谷市バスくるリン北部シャトル便「渋沢栄一記念館 バス停」。



「渋沢栄一翁ゆかりの地 諏訪神社」ポスター。







「渋沢栄一記念館」の館内に入ると正面にあったのが「見学受付」。
入館料:無料
開館時間:9:00~17:00
休館日:年末年始



様々なお土産が紹介されていた。







渋沢栄一を紹介するビデオを鑑賞する。



「デジタルLEDサイネージ上映
「渋沢栄一物語」( 20分)
大画面映像⇄手話通訳付映像 ※「大画面」と「手話付」が交互に繰返し放映されます
※17 : 00に自動的に上映終了となります」









青い目の人形を抱く渋沢栄一の写真。
贈り主のギューリックは同志社大学で教鞭をとった人物であると。
宣教師のシドニー・ギューリックは次世代の子どもたちのために、
アメリカ人形を日本へ贈る提案をした。栄一は日本側の受け人れの代表となった。
昭和2年(1927)、アメリカから約1万2000体の(青い目の人形)が届いた。
栄一は各地で児童たちに披露。そして答礼として市松人形(着せ替え人形のひとつ) 58体を
アメリカに贈った と。約300体の人形が現存していると。



青い目の人形を抱く渋沢栄一の絵画。



巨大な「拓本」。



「渋沢青淵先生内山峡之詩」(拓本複製)
渋沢栄一が主人公となる2 0 2 1年NHK大河ドラマ「青天を衝け」。
このタイトルは、藍玉の商いのため尾高惇忠と信州に旅した際に、栄一が美しい景色を詠んだ
漢詩『巡信紀詩』のうち「内山峡」の一節が由来となっています。
渋沢栄一『巡信紀詩』のうち「内山峡」の一節「勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征」( 8行目~ )
    「読み下し]勢は青天を衝きて臂を攘て躋り 気は白雲を穿て手に唾して征く
      [意味]青空を突き刺す勢いでヒジをまくって登り 白雲を突き抜ける気力で手に
             唾して進む
渋沢栄一が信州を訪れた際に立ち寄った漢学者の木内芳軒の外孫の書によるこの碑は、
昭和1 5年1 1月に内山村肱水(現在の佐久市)の岩壁に刻まれました。その内容からは、のちに
「近代日本経済の父」と呼ばれるにいたる栄一の若き日の大いなる気概が感じられます。」



「澁澤青淵先生之巌碑
子爵青淵先生十九歳にして内山峡を過り絶勝を嘆賞して此詩を賦せらる、一誦して九十二歳の
終生を一貫せる道徳経済合一の大義が既に胚胎せるを知るべく、再吟して明治・大正・昭和に
亘り一世に高かりし功業徳望の由来する所を感得せずんばあらず、因て郷人有志相謀り、玆に
巌碑を鑿立して景仰の意を致すと云
  皇紀二千六百年十一月廿四日」。



1階には渋沢栄一資料室があった。
入口から資料室を見る。



資料室には渋沢栄一ゆかりの遺墨や写真など、たくさんの資料が展示されていた。
残念ながら資料室内は写真撮影禁止であった。



次に予約してくれていた「渋沢栄一記念館講義室」を訪ねた。



「講義室心得
★渋沢栄一アドロイドに手を融れないてください
★飲食、喫煙は御遠慮ください
★携帯電話等はマナーモード設定の上、通話は御遠慮ください
★動画撮影、録画は御遠慮ください。写真撮影は可能です
★混雑状況により、立ち見席での御案内となる場合がございます
★忠恕(ちゅうじょ まごころと思いやり)のある行動をお願いします
★係員の指示に従ってください。従わない場合は退出していただきます」



「~「渋沢栄一アンドロイド」講演をお待ちのお客様へ~
●列にお並びの前に、お手元の入場券をご確認ください。
●ご予約1グループに1枚、人場券を発行しております。
 皆さまお揃いになってから列にお並びください。
●1講演につき20名までの入場制限を行なっております。
【渋沢栄一アンドロイド公演時間】の表示のない券ではご入場いただけません。」



演壇には「渋沢栄一アンドロイド」が迎えてくれた。
「アンドロイド」とは「人間型ロボット」のこと。
深谷市の郷土の偉人・渋沢栄一(1840年~1931年)の生誕180年にあたる節目の年、2020年に
本物そっくりの「渋沢栄一アンドロイド」が完成した。
渋沢栄一は、明治維新後に近代化を迎えた日本経済の発展に大きく貢献した。
論語の精神を重んじた「道徳経済合一説」を唱え、生涯設立にかかわった会社は500を数える。
また、約600もの社会福祉事業、教育・福祉の支援と民間外交にも熱心に取り組んだ。
この渋沢栄一アンドロイドは、当時の渋沢栄一の風貌を忠実に再現しており、アンドロイドが語る
言葉を通して、在りし日の渋沢栄一の考え方を今に伝えます。
渋沢栄一アンドロイドは、深谷市出身の鳥羽博道氏(株式会社ドトールコーヒー名誉会長)の
寄付により制作したのだ と。
本日の基調講演は「​ 道徳経済合一説 ​」👈リンク について。
「道徳経済合一説」とは、金儲けをするときには、しっかりと道徳も持ち合わせなければ
いけないという考えとのこと。



「講義室」を振り返る。



今回の製作にあたっては、株式会社エーラボと大阪大学の石黒浩教授に協力を依頼したと。









お顔をズームして。
「気持ち悪いくらいリアル」なのであった。



「渋沢栄一アンドロイド
深谷市郷土の偉人・渋沢栄一( 1840年~ 1931年)の生誕180年にあたる節目の年、2020年に
「渋沢栄一アンドロ仆」か完成しました。
渋沢栄一は、明治維新後の急激な近代化を迎えた日本経済の発展に大きく貢献し、論語の精神を
重んじ「道徳経済合一説」を唱え、生湃設立にかかわった会社は500を数えます。
また約600もの社会福祉事業、教育・福祉の支援と民間外交もに熱心に取り組みました。
この渋沢栄一アンドロイドは、当時の渋沢栄一の風貌を忠実に再現し、アンドロイドから語られる
言葉を通して、在りし日の渋沢栄一の考え方を今に伝えます。
渋沢栄一アンドロイドは、渋沢市出身の鳥羽博道氏(株式会社ドトールコーヒー名誉会長)の寄附
により制作しました。」



「JR深谷駅」の写真。
鉄道での深谷の玄関口「JR深谷駅」は東京駅にそっくり。なんと、1914年竣工の東京駅の
赤煉瓦は深谷産だったのです。栄一はレンガを作るため、日本煉瓦製造株式会社を地元である
深谷に作り、そこで作られたレンガを鉄道で運びJR東京駅の建設に使ったのだ。
その縁で、1996年に建て替えられた深谷駅は、東京駅のミニチュア版のようになった。
現在、東京~深谷間は直通電車で、約1時間半の道のり。



「祝 渋沢栄一 新一万円札に」の幟の写真。



渋沢栄一の写真。



様々の幟も館内入り口ロビーに。



旧渋沢邸「中の家」。
旧渋沢邸「中の家(なかんち)」主屋は、渋沢栄一生誕地に建ち、栄一の妹夫妻によって
明治28年上棟された建物です。渋沢栄一が多忙な中で帰郷した際に滞在し、寝泊まりした
場所です。
渋沢家の住宅として使われていましたが、昭和60年より「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の
学校施設として使用され多くの外国人留学生が学びました。平成12年の同法人解散に伴い
深谷市に帰属しました。
県指定旧跡「渋沢栄一生地」、市指定史跡。



「旧渋沢邸「中の家」
1/70模型」



2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の様々なポスターも。



渋沢栄一を演じたのは吉沢亮氏。



渋沢栄一の銅像の案内板。



記念館の北側に出る。
「清水川」に架かる「西浦橋」を見る。



記念館の北側に建つ高さ5mの「渋沢栄一銅像」。



ズームして。



下から見上げて。



そして再び入口ロビーに戻る。
ポスター「志を、紡ぐ」。渋沢邸「中の家(なかんち)」主屋を見つめる渋沢栄一の姿が。



「明治を発展させ、資本主義の父と呼ばれた男 渋沢栄一
1840年~1931年
埼玉・深谷の豪農。徳川慶喜の家臣となる。龍馬が亡くなった1867年のパリ万博に約25人の
使節団に加わり渡欧。パリの人達に触発され日本人で最初に髷を下ろす。帰国後に官僚・実業家と
なり、東京商工会議所・みずほ銀行・東京証券取引所・帝国ホテル・日本郵船・富岡製糸場など、
500社以上の多種多様な企業の設立や運営に関わった。
『日本の資本主義の父』と呼ばれる。なんと、91歳までご長寿でした。」



渋沢が関わった現存する企業等(二〇二一年四月時点)。



ブラタモリ「深谷」が2021年5月1日に放送されました。



渋沢栄一の実物大パネル。



「渋沢栄一記念館」のロビーを振り返り、館を後にしたのであった。



                              ・・・​ もどる ​・・・



                   ・・・​ つづく ​・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022.08.08 06:11:04
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: