JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.06.23
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カテゴリ: 国内旅行
そして最初に訪ねたのが「栃木県道7号 & 西産業道路」沿いにあった「日本酒醸造所」の
第一酒造 」。
栃木県佐野市田島町488。



古くから酒造りの町として知られているこの佐野市田島町で、 創業延宝元年(1673年)と
約350年の歴史 を持つ、県内最古の蔵元であると。



入口門の軒下に茶色い大きな「 杉玉 」が吊り下がっていた。
貯蔵用の原酒やブレンド酒など、通常販売にない酒蔵ならではの蔵元限定酒を、店頭にて
量り売り 」をしているとのこと。
6月の量り売り
開華 美山錦 ~「美山錦」100%使用の純米吟醸原酒。
梨を主体に、メロンやリンゴ等が複雑に織りなす香味が楽しめます と。
【開催日】6月10日(土)、11日(日)、24日(土)、25日(日)とのこと。



杉玉はおおむね2月~3月に飾られ始めると。この時期と言えば新酒の季節。
つまり、杉玉には「今年も新酒ができましたよ!」という目印なのだ。
しかし、最初の内の杉玉は茶色ではなく本来の緑色をしている。そして季節が過ぎ夏頃には
緑が薄くなり、秋ごろには枯れて茶色くなる。茶色のイメージが強いかもしれませんが、実は
杉玉の色から旬の日本酒が何なのかを知ることができるのだと。
緑色(2月~6月ごろ)は新酒の季節、薄い緑(初夏~夏ごろ)は夏酒、枯れた茶色(秋ごろ)は
ひやおろしの季節というように、日本酒造りの時期と杉玉の色は同調しているといえる。
季節の移り変わりとともに変化していく杉玉の色を見て、日本酒の熟成度合いの変化にも気づく、
というのはなんとも風情があるのであった。



店内に入る。



開華 」ブランドの日本酒が並んでいた。



平成10年より北関東3県では初めて全商品が特定名称酒に移行した と。
日本酒全体の中で特定名称酒は約30%ですが、開華では100%であるとのこと。



江戸時代、佐野の酒は渡良瀬川から利根川への河川流通によって「地廻りもの」として江戸へ
運ばれ、関東の酒処として栄えた。現在でも江戸東京博物館で当時の様子が見られるのだと。

お酒で楽しんでいただけるようにとの想いから、平成10年より全商品を特定名称酒
(吟醸酒、純米酒、本醸造など)としたのだと。



香港向け輸出(平成5年)に始まり、現在では北米、欧州、香港、韓国、台湾、シンガポール
などの各国へ輸出されていますが、栃木県内への出荷が全出荷の約8割を占めていると。



特定名称酒
基本的に日本酒は「特定名称酒」と「普通酒」に分けられる。

「特定名称酒」になるためには次の条件を満たしている必要がある。

  • 米、米麹、醸造アルコール以外の原料を使用せず、また醸造アルコールの使用量は       白米重量の10%以下 であること
  • 3等以上に格付けされた玄米 、またはそれに相当する玄米を精米して使用していること
  • 米麹の使用割合が15%以上 であること
精米歩合について、 吟醸酒は60%以下 大吟醸酒は50%以下 でなければ名乗れないという
決まりがあるのだ。
(※1)精米歩合とは、米の精米の程度を表したもの。数値が低いほど、雑味等の原因となる米の
     外側部分を多く削っている。
(※2)醸造アルコールとは、おもにサトウキビを原料として醸造・蒸留された食用アルコールで、
           添加することにより軽快な味わいと華やかな香りが引き出される。
     醸造アルコールを使用していないもの が、「 純米・・酒 」である。
(※3)吟醸造りとは、低温でゆっくりと発酵させ、特有の華やかな香り(吟醸香)を持つように
           醸造すること。
そして、 上記のような定められた基準に該当しなかったものが「普通酒」 となる。
「特定名称酒」は法律に定められているが、「普通酒」は通称であり、正式な用語というわけ
ではない。 「一般酒」と表記される 場合もある と。

そして300円を払い試飲用自販機で6種類の日本酒を楽しんだのであった。
1合ほどは楽しんだであろうか。



売店の奥には酒蔵工場が。ここは工場見学の予約がないと入れないようであった。



ズームして。



とちぎ地酒「開華」 と。
仕込み用の琺瑯タンクが。



6棟が国の登録有形文化財(建造物) に指定されている と。



大きな酒徳利 が並んでいた。



そしてバスに戻り次の昼食会場に向かった。
山の斜面に白い文字が。



大小 」と。
大小山 は足利市の東部に位置する。
低山ながら高展望の山として、地元ではなじみのある山である。
崖に「大」「小」という大きな文字が掛けられている
シンボルと言える『大小』の文字板は、大小山麓の阿夫利神社(あぶりじんじゃ)に祭られて
いる『大天狗』『小天狗』にちなみ、江戸末期の安政2年(1855年)、無病息災を祈願する
周辺住民の手により掲げられたそうだ。現在のものはステンレス製文字板を用いた、一文字
7メートル四方、総重量1トン強にもなると。
大きい方のピーク(妙義山)の山頂は狭いが、360度の展望は素晴らしいとのこと。



ヤクルトのコマーシャルポスター。
目標はまだ先にある。 プロ野球選手 村上宗隆 」と。



「足利学校跡」・周囲の堀 を車窓から。



藁葺き屋根の「方丈」 が見えた。



観光案内所「太平記館」 の駐車場にバスが駐まり、昼食会場に徒歩で向かう。
この後に訪ねた「 日本一の藤のガーデン あしかがフラワーパーク 」案内板。



巨大な藤棚の写真をズームして。



観光案内所「太平記館(たいへいきかん)」

太平記館では、足利のお土産品を多数揃えていた。
また、館内には観光情報インフォメーションや喫茶コーナー、休憩スペースなどもあった。
レンタサイクル(電動アシスト付有)の貸し出しも行っているようであった。



そして5分ほど歩き昼食会場の「 めん割烹 なか川 」に到着。



「「 ここが私の出発点・・・大日大門通りと相田みつを
史跡足利学校(日本遺産)から日本100名城でもある鑁阿寺(国宝)を結ぶ大日大門通りは、書家
「相田みつを」が「なか川」に通うために歩いていた道としても有名です。
昭和20年代初頭、若き日の相田みつを作品を最初に購入した人物となる初代なか川女将が
「今度から作品が出来る度にもってらっしゃい」とかけた言葉をきっかけに、代表作
「人間だもの」をはじめとする数多くの作品が約50年近くにも渡りなか川に持ち込まれます。
最後に訪れた際には「ここが私の出発点・・・」という言葉も残しています。」



生涯筆一筋 足利が生んだ孤高の書家
相田みつを(あいだ みつを・1924~1991)
相田みつを(本名光男)は、1924年(大正13年) 5月20日に足利市に生まれました。1942年
(昭和17年)旧制栃木県立足利中学校を卒業し、歌人・
山下陸奥に師事し、歌誌「一路」に参加しました。秋の歌会で生涯の師、曹洞宗高福寺の禅僧・
武井晢應老師と出会い、在家のまま師事し、「正法眼蔵」を生涯学びました。1943年(昭和18年)、
1 9歳の時には、書家・岩沢渓石に師事しました。
1950年頃、旅館なか川(現・めん割烹なか川)の女将・中川光子に声を掛けてもらったことを
きっかけに、旅館の看板、部屋札、著袋、ハンコ、マッチ箱のデサイン、さらにはろうけつ染めの
座布団、御年賀用の手ぬぐいなど館のあらゆるもののデザインを任されました。このなか川での
仕事をきっかけに、香雲堂本店や虎谷の包装紙のデザインを手掛けました。これらの作品は
現在でも使用されています。
1954年(昭和29年)、30歳で結婚しましたが、問借り生活の貧しい生活でした。しかし、みつをは
副業を持たずに筆一本で生活することを貫きました。定収入があると筆に甘えが出てしまうという
考えからでした。また、筆、墨、紙は一級品のものを使い、練習用や下書き用でも紙の質は
落としませんでした。
1954年(昭和29年)、第一回個展を足利市で開催し、以後、足利を中心に定期的に開催しました。
また、この年、毎日書道展に入選し、1960年まで7回連続して入選しました。1984年
「にんげんだもの」を出版し、後にミリオンセラーとなりました。1987年には「おかけさん」を、
1990年(平成2年)には「一生感動一生青春」を出版しました。1991 (平成3年)年に
「いのちいっぱい」を出版し、同年12月17日市内の病院で脳内出血のため亡くなりました。
67歳でした。
翌1992年には遺稿集「いちずに一本道いちずに一ツ事」を、1993年には遺作集「雨の日には・・
・」を出版しました
若くして病に倒れた広島カープの津田投手が「道」という詩を心の支えとしていたことや、
阪神大震災の復興を目指す人々の精神的な支えになっていたエピソードがあるように、みつを
の死後も人気は哀えることなく、1996年(平成8年) 9月には、東京・銀座に相田みつを美術館
(館長・長男一人氏)が開館されました。
                                                          (監修:相田みつを美術館)」



足利市のふるさと。 足利尊氏の家紋「二つ引両」



そして この日の昼食
相田みつを先生ゆかりの料理を当時のまま再現したと。
先生がいつも食べていた想いで深い料理でもある『にしんの甘露煮』と一緒に、
足利名物そば、天ぷらが一度に味わえる人気御膳 と。



ぅむぅ(σ・ε・。) 天ぬきって何??
天ぬきがある蕎麦屋が「蕎麦屋文化」を知る店の証
天ぷらそばで、そばの入っていないものを「天ぬき」といいます。
日本酒を飲みながら天ぷらを食べ、残った汁でそばをつけて食べる・・・これが
江戸時代で一番「粋」な食べ方でした。」



生ビールをオーダーし『にしんの甘露煮』を楽しむ旅友。




                               ・・・​ もどる ​・・・



                 ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2023.06.23 05:14:06
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