JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.10.18
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カテゴリ: JINさんの農園
「広小路」交差点を左折すると、左側にあったのが「 安樂寺 」。
小田原市中町1丁目15−11。



「安樂寺」の山門。



浄土宗 安樂寺 」。



境内には入れなかったが「 本堂 」。
浄土宗寺院の安楽寺は、 荒神山國土院 讃蓮社正譽宗公
(宝徳3年1451年卒)が開山となり文安3年(1446)創建 したと。
足柄三十三観音霊場21番霊場。
本尊は阿弥陀如来像。
境内には「幼少の法然上人像」 が見えた。
そして「安樂寺」の墓地は、東海道線・新幹線の線路の向こう側にあったのだ。



本堂の前には「認定こども学園 小田原 みどり学園」(写真はネットから)。
安樂寺 」さんの関係者の経営であろうか。



そして次に訪ねたのは、道路の反対側にあった「 清光寺 」。



日蓮宗題目碑「 南無妙法蓮華経



掲示板には
日蓮宗 宗顔山 清光寺 」と。
その下には「 近代文学に異彩を放つ 郷土の作家牧野信一の菩提寺 」と。




牧野信一は、明治29年(1896年)に、神奈川県足柄下郡小田原町緑町(現・小田原駅東口周辺)
に生まれた。父は久雄、母はヱイ。旧小田原藩氏であった久雄は、信一が生まれて間もない
明治30年に単身渡米した。(明治38年、祖父英福の急死により帰国)信一は、海外生活の長かった
父の影響で、ハイカラで特異な幼少期を過ごした。
明治42年、神奈川県立第二中学校(現・県立小田原高等学校)に入学。同級の鈴木十郎
(後の小田原市長)とは終生友情を結んだ。
大正3年(1914年)、早稲田大学高等予科に人学。大正8年同大文学部英文学科を卒業し、同人誌
『十三人』を創刊。同年12月に発表した「爪」が島崎藤村に認められる。
その紹介を得て、大正9年、雑誌「新小説』で文壇デビューを果たす。
大正13年(1924年)、父・英雄が急死。5月、「父を売る子」を雑誌「新潮』に発表、
8月、最初の作品集「父を売る子』が新潮社.より刊行される。
昭和に入り、神経衰弱が高じ数々の転居を経つつ、ギリシア古典的な幻想と日本の現実的な
風上とを重ね合わせた作品群を発表し、「ギリシア牧野」と称される。昭和4年、平凡社より
「牧野信一集」が刊行され、中堅作家として、地位を確立。井伏鱒二、河上徹大郎などと
知り合い、現港区三田でのいわゆる魚籃坂時代に入る。昭和6年(1931年)、雑誌「改造」に
「ゼーロン」を発表。坂口安吾の「風騎士」を激賞。
昭和11年、神経衰弱や家庭問題に悩み、小田原の生家に帰る。3月24日夕、実家の納戸で縊死。
亨年39歳。清光寺で厳修された葬儀には川端康成の参列も記録されている。
法号「大光院法船日信居上」。
昭和31年(1956年)、清光寺に於て二十回忌が営まれ、「牧野信一之墓」が建立される。
伊藤喜朔の題字、久保田万太郎の碑文。
昭和51年(1976年)、四十回忌を期して「牧野信一文学碑」が小田原市城山公園の中に建てられる。
坂口安吾は、後年、小編「オモチャ箱」において、以下のように書き、死へ身を委ねてしまった
文壇の恩人をを愛惜している。「あなたの文学が、あなたの夢が、あなたのオモチャ箱が、この
現実を冷酷に見つめて、そこに根を下ろして、育ち出発することを、なぜ忘れたのですか。
現実は常にかく冷酷無慙であるけれども、そこからも、夢は育ちオモチャ箱は作れるものだ。」



「牧野信一」。



白塀に囲まれた参道を山門に向かって歩く。



奉納された石灯籠。



山門には「 宗顔山 清光寺 」と。



正面に「 宗顔山 清光寺 」の「 本堂 」。



六地蔵?



参道沿いにあった墓石。



「本堂」に近づいて。



右手に寺務所。



今月の聖語
十界互具これを説く
日蓮聖人ご遺文 「観心本尊抄

未だ9月の聖語であったが・・・。



=優しい心=
罪を犯した人の立ち直りに寄り添い、犯罪や非行のない社会を作ろうという「社会を明るくする
運動」があります。どんな人でも「優しい心」を持っていることを信じているからこそできる
運動です。
十界とは、私たちの心のありようです。みんなの幸せを願う「優しい心」から、自分だけの利益
しか考えず他人を傷つける「地獄の心」までの10段階の「心」のことです。それぞれの心が
単独であるのではなく、互いが互いを兼ね備え、影響し合っています。人の「地獄の心」は人の
「優しい心」に変われますし、「優しい心」が逆に「地獄の心」になってしまうこともあります。
苦しみや争いの絶えない社会の中で人と人がお互いに理解し合い、誰もが「優しい心」で生きて
いくことができれば、安穏で平和な世の中になるのです。
◎日蓮聖人ご遺文『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』
信徒の富木常忍に宛てて届けられた書で、佐渡で著されました。すべての人が本当の幸せを
得られるという「一念三千」「十界互具」という教えが説き表された最も重要な書です。
 文永10年(1273)聖寿52歳」と。



再び「本堂」に近づいて。
清光寺は、清光院日顔上人が永禄元年(1558)創建したといいます。
本尊:一塔両尊四士



「本堂」前から境内を振り返る。
右手の五葉松?の枝の先に「牧野信一」の墓石が見えた。



墓地の中を暫し歩く。
當山歴代聖人之墓 」。



立派な墓が並ぶ。





無縁塚の観音様であっただろうか。



鳥雲に入るまで仰ぐ入りてなほ 康雨 」と。



牧野信一之墓



ここにも「牧野家」の墓地があったが。



境内から山門・参道を。



「為 宗顔山 四十三世
法導院日雄上人菩提
平成十年十二月
施主 四十四世 蔦野明雄」と。




                                 ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・







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Last updated  2024.10.28 05:09:29
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