JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.10.28
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カテゴリ: JINさんの農園
「龍口寺」の「 大本堂 」。
「龍口」(たつのくち)というのは、藤沢市片瀬の字名。
弁財天と五頭龍の伝説から付けられた地名だといわれています。



「大本堂」の内部。



黄金の「 天蓋(てんがい) 」をズームして。
「天蓋」とは、仏像や住職の頭上にかざす笠状の装飾具で、仏教の荘厳具
(しょうごんぐ)の一つ。仏像の上にかざすものを「仏天蓋(ぶってんがい)」、

天蓋は、インドで王侯貴族が日差しを避けるために使用していた日傘が原型。
高貴な人ほど豪華な日傘を使用していたことから、権威の象徴の一種でもあった。
仏教に導入され、帝釈天が常に天蓋を差し掛けて釈迦に従ったという伝説が形作られ、
仏像に用いる装飾具となったのだと。



天井の龍図について
(御賽銭箱真上の天井を中に左右)
【三体(左・中央・右)の龍図のうち、左右のものがはっきり見えます。】
板絵、墨画。江戸後期、狩野派の地方絵師、相沢五流の門弟、神蔵華嶽(1779年~1842年)ほか作。
外陣天井の龍図三面のうち、中面の龍が華嶽の作。
「法眼華嶽邦教筆」の落款、「法願法教」の印がある。右面の龍図には、「暁岺齋源毘得筆」の
落款と「降雪・・」の方印、左面の龍図には、落款は不詳明だが、「小澤」「典幸」のニつの
印がある。
龍ロ寺の現在の大堂が建立再建されたのは天保三年(1832)四月であることから、その時に描かれた
ものとすれば、華嶽五十四才の時の作品と推定される。
参考文献:『相沢五流』(多摩市史編集委員会)」



正面から。



再び「大本堂」前から「山門」方向の竹灯籠を振り返る。



移動して。



移動して。



五重塔もライトアップされていたが、近くまでは行けなかった。



「大本堂」を振り返って。







大書院手前には、龍のモニュメントがライトアップされていた。



移動して。
木根と竹を利用した作品。



龍の頭をズームイン。



反対側にも龍の姿の竹灯籠が。







その脇にも。



竹灯籠の美しさは、自然と人の手が織り成す繊細な光の芸術。
竹に空けられた無数の穴や模様からこぼれ出る光が、夜の闇を温かく照らし出していた。
竹の内側に仕込まれた柔らかな灯りは、周囲に静謐で幻想的な雰囲気を醸し出し、灯りの輪が
地面に幾何学的な影を落とす様子は、まるで大地に咲いた光の花の如し。
その一つ一つが独自の輝きを放ち、訪れる人々の心にやさしい感動を与え、竹のもつ自然の
美しさと手仕事の温もりが深い静寂の中で調和し、特別な癒しを与えてくれたのであった。
これぞ「和の灯り」なのであった。



そして帰路に。
江ノ島電鉄「江ノ島駅」。



「江ノ電 江ノ島駅」。



もともとは「江ノ島」だった街名。
昭和44年に藤沢市観光協会によるひらがなキャンペーンが開始され、住所や新しい施設などは
「江の島」と表記。
しかし、それ以前からあった江ノ電の「江ノ島駅」や小田急線の「片瀬江ノ島駅」などは
「ノ」のまま。そのため、街にはひらがなとカタカナが混在しているのだ。



江ノ島駅に貼られていた片瀬西浜海岸からの夕景写真。



そして藤沢駅行きの江ノ電に乗り、帰路に。




                   ・・・おわり・・・







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Last updated  2024.10.28 06:41:26
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