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「カミング・ダウト」事件で思い出したことが二つある。 一つはジャニーズJrの飲酒喫煙事件。 未成年のジュニアが飲酒・喫煙をしている写真が写真週刊誌に載り、そのジュニアは解雇されてしまった。(正式に雇用の契約を結んでいたかどうか疑問だが) ミュージック・ステーションでタッキーがジュニアを代表して謝罪していた。 飲酒も喫煙も、もちろんよくないが、被害者のいない犯罪である。 もう一つ、それと時を同じくして、千代大海の少年時代の非行が話題になった。 破壊行為や窃盗などが本人の口から語られ、一般紙も面白いエピソードという取り上げ方をしていた。 彼の行為を避難する文章を見たことがない。 これは不思議だった。 子供の目にはどう映っていたのだろう。 おそらく「有名になってから何かすると許されないが、無名のうちにはどんな悪いことをしても、あとで有名になってしまえば許される」ということを学習したことだろう。 その後、「元暴走族の教師」や「もと暴走族のサラリーマン」を主人公にしたドラマがあった。 これもまた、子供たちに「子供のうちは何をしてもいいんだ」ということを教えていたのではないだろうか。 あびる優を弁護する気はない。彼女には全く興味がない。 しかし、万引きの経験を歌番組であっけらかんと話していた歌手もいた。 今回に限って大騒ぎというのは不思議だ。 新聞もテレビも、自分たちのしてきたことを振り返る、ということができないものか。
2005.02.28
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トコトンハテナという番組を毎週見ている。 今回は、店で売っている大根に葉がついていないということから、なぜそうなったのかをさぐる、という出だし。 私は、店頭に並ぶ直前に切り落とされているのかと思っていたのだがそうではなかった。 畑で引き抜いたらすぐに切り落としていたのだ。そのまま畑に捨てられていた。また、途中で割れてしまっていたり、小さすぎたりと、規格に合わない大根も捨てられていた。 大根を出荷するための箱のサイズなど、流通の都合上、商品の均一化が求められており、葉は流通の妨げになるのだ。 番組は、大根の葉がもったいない、規格に合わない大根だって中身は同じだ、ということで、収穫した大根はどんなものも全部売って見せよう、ということになる。 大根は機械で洗浄されていること、葉付きのものは機械は通せないことなど初めて知った。 しかし、いつもは「なるほど」と思ってみていることが多いのだが、今回は違和感を覚えた。 畑にそのまま捨ててあるのなら、いずれは有機肥料となって畑に還元されるのだ。 葉付きのまま売っても、葉を生ゴミとして出す人が少なくないだろう。その方がもったいない。肥料になるのに。 また、大根は葉を切り落とした方が、日持ちがするのだ。葉があるとそこから水分が蒸発してしまい、大根がしぼんでしまう。 私は、市民農園を借りて野菜作りのまねごとをしている。 大根を作ることもある。自分で作ったものは自分で食べる。大根の葉だって食べる。細かく刻んでごま油で炒めるとうまい。 その経験からも、なんでもかんでも収穫してしまい、畑から取り去ったのでは畑には良くないのではないかと思う。 野菜には繊維質が多い。畑にそのまま還元すれば、繊維質の力で土が軟らかくなる。 畑に捨てているのであれば、無理に流通させる必要はないのではないか。 流通の都合に合わせて野菜を作る、というのは、不自然ではある。しかし、それによって二酸化炭素の排出が抑えられるのであれば、私はそちらを選ぶ方がいいと思う。
2005.02.27
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2週間ほど前から、指先がピリピリしびれるようになった。 そして2週間前から、時々動悸がするようになった。 そういえば、去年から時々、右足の親指がジンジンすることもあった。 ネットで調べてみると、自律神経失調症の症状らしい。 それならまだいいのだが、いつの間にかアルコール依存症になっていて、離脱症状としてそうなっているのでは困る。 思い切って医者に行ってみた。 症状を話すと、まずは尿検査。 結果はその場ですぐにわかって、糖もタンパクも出ていないという。 心電図も取ったが異常なし。 そして血液検査。 結果が出るのは二日後。 とりあえずビタミン剤をくれた。 「自律神経失調症でもこういう症状になるか」と尋ねてみると、なるという。ことだった。 二日間その薬を飲んだが、好転しない。 さて、今日、血液検査の結果を聞きに行ったら……。 何と、すべての数値が正常。 肝機能、腎機能、造血機能、甲状腺、どれも正常。 飲酒量のバロメータ、γGTPは何と38! 去年の10月の人間ドックでは46だったのだからさらに下がっている。一昨年は73で、これではいかんと酒を控えてきた結果が現れているわけだ。 尿酸も4.9mg/dlで痛風の疑いも無し。 めでたしめでたし。 じゃないだろう。 じゃあこの指先のしびれと動悸は何なのだ。 医者の話では、迷走神経の異常だろうということだった。 動悸がしたら、頸動脈のところをマッサージしたり、息をこらえたりするといいそうな。 でも、ストレスが原因だとすると直らないのだろうな。
2005.02.26
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昨日の続き。 作者の風来山人とは平賀源内の筆名。 訳は暉峻康隆。 江戸浅草の志道軒はそもそもどういう人間であったかという一代記。 出家しようとしていたところに、仙人から羽扇《うせん》を授けられ、その力で国内を遊び歩き、さらには『山海経』に出てくる諸国巡り、はては清国へ言って悪さをして捕まり、日本へ戻る途中で流されてまた異国へ、というガリバー旅行記のような諸国巡り。 浅草でおもしろおかしい話をし始めるぞ、というところで終わる。 男女の役割が逆になって女が男遊びをする島があったりして、文明批評的な面もあるのだろうが、戯作なので、おもしろおかしく書き散らしたという体裁。 平賀源内の才人ぶりが分かる。 p63で「乾隆」に「かんりゅう」とルビが振ってある。たしかに「乾燥《かんそう》」では「かん」だが、乾隆は「けんりゅう」では。 男女が逆になっている世界の話、清末の小説で読んだことがあるが、何だったかなあ。 と思って本棚を探ったら、李汝珍『鏡花縁』だった。
2005.02.25
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7日の続きで、これから「下巻」(1961年5月6日発行)。 安楽庵策伝和尚は著者と言うより編者。訳は小高敏郎。 笑話集。筆録したのが元和九年(1623)というから、江戸の初期。こういう本ができるということは、それ以前からかなりの笑話が流布していた、ということだ。 「下戸」「悋気」など項目ごとに笑話を分類収録している。 のちに落語のネタとなったものも多い。 印象に残ったのを一つあげる。 義経の東国下りの時、弁慶が宿の女房にこの子数を尋ねると「父の子六人、母の子六人、合わせて九人」と答える。 翌日になっても意味がかからず、考え込んだ弁慶は道を七里遅れた。(なでぞうなるかはこの書き込みの最後で) この話、話自体も面白いが、なぜ義経の東国下りの時の話なのかが分からない。実話だったりして。 また、p30の目の上に大きなこぶを持っていた男が、それを鬼にとってもらったという人の話を聞き、自分も行くと、「前のを返す」と言われて結局こぶが二つになってしまったという話。 まさに「こぶとり爺さん」。 これは、「宇治拾遺物語」にある話の方が、今の「こぶとり爺さん」に近い。 民話としては「醒睡笑」のような内容で語られ、のちに、書物から今の「こぶとり爺さん」が生まれたのだろうか。 さて、先ほどの謎解き。 どういうことかというと、父の先妻の子三人、母の先夫の子三人、再婚道士で二人の間にできた子三人。父で分ければ六人、母で分ければ六人、しかし合計は九人というわけ。
2005.02.24
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日刊ゲンダイの「代々木の「々」は何と読む?」という記事。 ゲンダイにしては珍しく(といっては失礼だが)役に立つ記事だった。 これは漢字ではなく、「ゝ」や「ヽ」と同じく記号。 従って「呼び名」はあっても「読み」はない。 「、」(読点)や「。」(句点)が漢和辞典に載っていないのと同じで、これも載っていないわけだ。 記事自体は面白いので是非読んで欲しい。 「ライブドア・ニュース」ではこの記事、「芸能」に分類されているのも面白い。 一つだけいちゃもんをつけると、同じ漢字を繰り返し表記するときに使う「々」。「代々木」と書いた場合は「よ」と読むが、これが佐々木だと「さ」になるし、云々ならば「ぬん」!? というのは変。「代々木」の「々」を「よ」と読んでいるのではなく、「代々木」を「よよぎ」と読んでいるのだ。 表記は「代々木」だが、中身は「代代木」なのだから。「佐々木」も「佐佐木」(実際、こう書く姓もある。たとえば佐佐木信綱)、「云々」は「云云」が実体であって、同じ時の繰り返しだよ、ということを示す記号の「々」を「さ」や「うん」と読んでいるわけではない。 ちなみに、ATOK2005で「おなじ」と入力して変換すると、記号としては「々〃ゝゞヽヾ」が出てくる。
2005.02.23
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「飛び出した女大名」の前年の作。こちらは白黒。 これもミュージカル時代劇で、音楽は浜口庫之助。 これがあたったので「飛び出した女大名」を製作したのだろう。「飛び出した女大名」ではお姫様であって大名ではないのだが、これがあたったことから「女大名」シリーズとしたものと思われる。 奥州相馬の結城家は特に許された唯一の女大名が当主。 文武に秀で、並大抵の男では物足りない。かといって子がなくては家は滅ぶ、ということで婿をとることをすすめられる。 妹(中村玉緒)は江戸藩邸で気楽な暮らし。現代っ子というところ。さすがに若くてチャーミングである。 その妹の気弱な恋人が川崎敬三で、いかにも人が良くて気弱な雰囲気。その分、主人公・月姫(中田康子)の気の強さが際だつ、というわけ。 一人江戸から相馬へ戻る月姫を、最近江戸藩邸で雇い入れたという源平という使用人(これが勝新太郎)がいろいろと助ける。 江戸にいるときから、「ははあ、この源平があれだな」と察しはつくのだが、わかっているからこそ安心してみていられる。 危機を脱したかと見えたが意外なことからばれてしまい、というところなど話に工夫も凝らしてある。 中田康子という人、調べたら、「私の半生」というところで、自分の人生をかなり正直に語っている。 宝塚出身だったのだ。道理でミュージカル時代劇ができるはずだ。
2005.02.22
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今、家で毎日新聞を取っていて、時々おまけにスポニチがついてくる。 今朝は運良くスポニチも来ていて、おそるおそる一枚ずつめくって記事を探した。 ああよかった! というのが最初の感想。負けてたらどうしよう(って、私にはどうしようもないんだけど)という不安があった。これこそ「勝って感動」。 激闘だったよだ。 1時間もの試合ができるレスラーもすごいが、レフェリーも尊敬にあたいする。 「引き揚げる際にはIWGPベルトをリングに投げ捨てた」というところは、ちと礼を失しているなと気になったが、本人のブログを見に行ったら、ちゃんと反省していた。 それでこそ「全日本の」小島聡! よくやった!
2005.02.21
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若い勝新太郎と、中田康子という女優の映画。 三日月藩のお姫様(中田康子)は、味にうるさく、まかない方の勝新太郎に嫌われている。お屋敷で顔を合わせたことはない。 お姫様は意に沿わぬ見合いを強いられていて、面白くない。腰元にそそのかされて下町見物に出かけ、そこで偶然、大工の振りをした勝新に出会い、お互いそれとはしらずに恋仲に。 お姫様の方が先に相手の正体に気づいて、勝新はなぜか加増され首をかしげたりする。勝新が相手の身分を知るのは最後の最後。 という過程はよくある話で、どうということはないのだが、とにかくみんな歌ったり踊ったりというのが楽しい。ヤクザの連中でさえ、徒党を組んで「♪おいらは町の愚連隊」と歌いながらおしかけてくるのだ。 こういうの、誰が考え出したのだろうと思っていたが、歌舞伎の影響なのではないだろうか。曲にあわせて演技をするのがふつうだし、突然踊り出すことだってある。それが映画に持ち込まれたのだろう。 これをみると、ビートたけしの「座頭市」が、伝統的な時代劇の復活を試みたものだということがよくわかる。 謎の浪人も虚無的な歌を歌いながら土手を歩く。 この浪人、低音のよく響く声で、顔は若い頃の裕次郎そっくり。誰かと思ったら水原弘だった。へえ、若い頃はこういう顔だったんだ。 それに比べ、勝新にはあまり魅力を感じない。善人すぎて役が合わない。 なんか、すらっとはしているのだけれど、ドジョウみたいな顔なんだよね。少し年を取って肉が付いてからはスターの風格を感じるし、4年後の「兵隊やくざ」などはぴったりはまっていると思えるのだが。 映画に話を戻すと、ザ・ピーナッツ(当然歌う)演じる、奥州二本松から来た娘が、大名屋敷に奉公していると嘘をついていたのがばれそうになり、みんなで何とかしてやろうとして……ということで、お姫様がお姫様の振りをする振りをしてということになる。 最後には勝新も相手の正体を知り、みんなそろって飲めや歌えのおおもりあがり。 こうなれば二人が結ばれることになると思うのが人情だが、驚いたことに、結局お姫様は見合いをし、嫁に行ってしまうのだ。実は水原弘は相手側の……というエピソードもあり、縁談はうまくまとまる。 姫は、江戸を離れる駕籠の中で、江戸にいたときの日記を見て、楽しかった日々を思い返す。ザ・ピーナッツがその一行に一緒にいて、どうやら本当に腰元になったらしい。 一方、勝新は、いきつけの酒場で一人で酒を飲む。身分違いの恋は身分違いのまま終わる。 おお、これは「ローマの休日」ではないか。 中田康子という人は、1964年が最後の映画出演で、私はこの人のことを全然知らなかった。調べたら、「四谷怪談」でお岩さんをやっていた。相手は長谷川一夫。この人もスターだったのだ。 最初はなんだかはっきりしない人だなと思ったが、見ているとどんどんチャーミングに見えてくる。 映画の全盛期のエネルギーを感じさせる映画だった。 音楽は中村八大。
2005.02.20
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いよいよ明日は、全日の三冠と新日のIWGPのダブル・タイトルマッチだ。 唐突に決まったという感は否めないし、三冠戦からわずか4日で試合というのも負担は大きいだろう。 新日と全日の力関係からいえばやむを得ないのか。 レフェリーが和田レフェリーというのは救いだ。 三冠ベルトが新日に流出して、新日のリングで防衛戦が行われたときも、レフェリーは和田京平、という点だけは、全日側は譲らなかった。 会場にいた人の話では、新日の会場でありながら「京平」コールが起こったそうだ。 さて、「3冠王者小島、王道復活へ負けられない!」という記事が、これまでの全日の歴史に触れている。 その記事の中に、「かつてのメジャー全日本が新日本に劣らない力を誇示する場となる」「全日本が、新日本と同等の立場まで復活した団体の力を見せつける戦いでもある」という文章があった。 そうか「かつてのメジャー」か。 私の心の中では、大量離脱後も「メジャー」だったのだが、客観的には「かつてのメジャー」だろう。 川田と渕がいるから、ケアもいるし、ウィリアムら外人勢もほとんどそのまま残っていたし。 しかし、大量離脱後の試行錯誤を見れば、寄せ集め感はあった。他団体の力を借りていたし。相島という掘り出し物があったり、安生の参戦という夢のようなこともあったのだが、自力で武道館を一杯にする、ということはできなかった。 武藤らの移籍によってグレードはかなりあがった。 特に、カズ・ハヤシは、レスラーとして卓越した技量で男性ファンをうならせているだけでなく、女性ファン動員に大きく貢献していると思われる。 地上波放送も始まった。 これでも「かつてのメジャー」か? 試合が決まってしまった以上、もうこれしかいうことはない。「小島、勝ってくれ!」
2005.02.19
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「パソコンのブラインドタッチは脳に良くない」って、どうすりゃいいのよ。 「文字は手書きで書いて、指先を刺激するほうが大脳を活性化させます」って、今時手書きで提出を求められる書類なんてあんまりないよ。フォーマットを渡されて、それに書き込んでプリントアウトして、というのばっかり。 おまけに「電車の中でも携帯電話を見ていると、脳が休まる暇がない。脳にとってはマイナスです」だって。 脳が休まらないからだめというと、読書もだめだよね。貴重な読書時間なのに。 ああ、私は脳に悪いことばかりしているのか。 どうすればいいんだ。 電車なんか、40分も載ってるのに。 その間何もしないでいるのも苦痛だよ。
2005.02.18
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いつかは来ると思っていたが、ついにその日が来た。 川田ファンの私としては面白くないのだが、全日ファンとしては、これからのトップ・スリーの攻防が盛り上がっていって欲しい。 武藤は、自分でも、メインが張れるような選手生命が長くはないと思っているだろう。最後に一花、と思っているはず。(晩年の馬場さんのポジションをねらえばまだまだいける) 川田には、挑戦者として、小島に王者の厳しさを教えてやって欲しい(でもって奪還して欲しい)。 IWGPとのダブル・タイトルマッチというのが不可解なのだが、川田VS天山は年末に実現したばかりだから、小島VS天山のほうがかえって新鮮なのかもしれない。 代々木大会の結果で、もうひとつ印象に残ったのは、第2試合。 歳三がカズから金星。今後のジュニア戦線の展開につながっていくだろう。最近、ジュニア王座をめぐってはコミカルなやり取りが多い。歳三よ、ガチンコ・モードを持ち込んでくれ。
2005.02.17
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15日の「産経新聞」「産経抄」で六曜についてふれていた。 六曜の載っている職員手帳を処分した市があるということを知って驚いた、という書き出し。 「大安吉日に結婚式を挙げることがどうして差別につながるのか」と、六曜の何が悪いといわんばかりだ。 さらに、戦後、文部省が六曜などの迷信を追放しようとしたのを「当時の文部官僚がGHQ(連合国軍総司令部)の顔色をうかがった」と批判している。 せっかく作った手帳を処分するとはもったいないとは思うが、六曜を載せる必要はあるまい。なぜこんなものがいまだに幅をきかしているのか不思議だ。星占いや血液型での性格決めつけに通じるものがあるのだろう。 新聞社のくれるカレンダーにも載っている。新聞には合理的精神など必要ない、ということなのだろう。 伝統文化を大切にする産経新聞は、「丙午《ひのえうま》生まれの女は気が強い、男を不幸にする」なんてのも信じているんだろうね。 六曜というと思い出すことがある。岡田芳朗「暦のからくり」(はまの出版)という本を読んだら、「皇室と大安」というページがあった。 明治五年の改暦の詔書に、日の吉凶などというのは迷信だということが書いてあり、さらに、戦前まで、皇族の結婚式は六曜のどの日にもまんべんなく行われていたそうだ。 インターネットで調べたら、詔書では「率ネ妄誕無稽ニ属シ」と決めつけていた。 詔書と言うからには明治天皇の言葉だ。 文部省の行為を批判する産経新聞は、明治天皇や戦前の皇族の行為も批判するのだろう。
2005.02.16
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7日の続き。 訳は里見[弓+享]。 昔、日本史の教科書で題名だけは見たことがあるが、内容は全く知らなかった。 こういうのは「人情本」というのだそうだ。 おもしろおかしく描くのではなく、登場人物(特に女性)の心理を、その行動によって描くのが中心になっている。 一人の男を巡って、芸者や娘がさや当てをしたりそれぞれ実のあるところを見せようとしたり。 さらに、芸者に関わりを持つ男が意外なところで娘と関わったり。 人間関係が狭い範囲で混み合っていて、偶然の上に偶然を重ねた設定。 作者があらかじめそれを構築した上で書き始めていることはわかるが、伏線が少ないので、「実はこうだったのだ」と語るのが唐突に思えることが多い。(と、作者自身も書いている) 全四編十二巻という大部のもので、なるほどこれは読み応えがある。 最後はあれよあれよとめでたしめでたしになってしまい、あっけにとられたが、こういう終わり方にしないと、当時としては、社会も読者も許さなかったのだろう。 検索したら、驚いたことにマンガになっていた。
2005.02.15
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7日の続き。 訳は石川淳。 今までの作品と違うのは、「現在」を描こうとしていないところ。 山東京伝のものなどは、作者も読者も同じ時間を共有していて、小説の舞台もその共有している時間の中、という前提で書かれている。 しかし、上田秋成のものは違う。 過去に舞台を取る、というのは、意識して虚構をこしらえるということだ。また、同時代でなければわからない話はないので、時代を超えた普遍性が備わっている。 その意識が、今日でも秋成の作品が古典としてのこっている理由だろう。 もちろん、京伝が悪いわけではない。京伝は京伝なりに、自分の目指すものに向かって進んでいっただけなのだ。 百年以上たった今の観点からみれば、秋成の方が普遍性がある、というだけのこと。 さすがに上田秋成ともなると、楽天ブックスで検索したらたくさん出てきた。こんなにある なんと、マンガにもなっている。
2005.02.14
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「政治家・馳浩、歯が命?モチでKOプロレス引退へ」という記事。 入れ歯をインプラントにするため、プロレスはできなくなる可能性が高いという。 馳の心中では、馬場さんの7回忌追善興行が引退試合だったのだ。だから、試合後、花道ではなくて客席の中を通っていったのだ。 私は政治家・馳浩はどうでもいいのだが、プロレスラー・馳浩は高く評価している。 スカウトとしての目、新人の教育係としての適性は随一だ。諏訪間や宮本のデビュー戦の相手もつとめ、身をもってプロレスを教えていた。 政治ではなくてプロレスに専念してくれないだろうか。 政治家は選挙に落ちればただの人だが、プロレスラーはリングから降りてもプロレスラーだ。 さらに、インプラントというのが問題なのだ。 どうも、この技術、うまくいかないことが多いらしい。 歯を支える骨に直接埋め込むのだが、インプラントで入れた歯を取るとなると、骨そのものを削って取らなくてはならない。かなり危険な賭けをすることになる。 馳というと思い出すのは奥さんの高見恭子。 高校生のスーパー戦隊「高速戦隊ターボレンジャー」で、担任の先生だった。 奥さんに働いてもらってプロレスに専念しようよ。
2005.02.13
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7日の続き。 山東京伝の洒落本。訳は和田芳恵。 「江戸生艶気樺焼」の続きになっていて、同じ三人が登場し、吉原で一晩過ごす。 これは滑稽譚というわけではなく、当時の吉原の風俗を描くことに力を入れているようだ。「通《つう》」とはこういうものだ、という話。 舞台劇のような描き方で、地の文は非常に少ない。あっても情景描写だけで、心理描写はない。 通を自認する人は「そうそう、そうでなくっちゃ」と思いながら読み、通になりたい人は「なるほど、こうするのか」と思いながら読んだのだろう。
2005.02.12
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松下電器の嫌がらせに負けては困る。 一太郎の方が、私の仕事には便利なのだ。 たとえば、ワードではスペースにルビを振ることができない。そんなことができなくて困る人はほとんどいないだろうが、私は困るのだ。 発売日に買いに行ったら、500円のクーポン券がついていた。ジャストシステムの製品を買うのに使えるという。 そこに積まれているいろいろなソフトを見ると、なんと、「角川類語新辞典」があるではないか。 これは本で出たとき買って、随分使ったものだ。 ほとんど衝動買いではあったが、それも買った。 最近、紙の本で辞書を引くことがほとんどなく、PCでひくばかり。その方が早くて便利なのだ。はからずも、類語辞典も手に入ったのはよかった。 それにしても松下電器には困ったものだ。 松下電器といえばNational、Nationalといえば「水戸黄門」のスポンサーではないか。 私は里見黄門になって以来、毎週見ている。 今や、松下電器は、金と力にものを言わせて利権を独占しようという悪徳商人と同じに思えてしまう。 何か裏があるとしか思えない。
2005.02.11
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7日の続き。 作は田舎老人多田ノ爺。訳は和田芳恵。 漢の「揚子方言」のもじりだが、内容につながりはない。 洒落本で、初な若者を、通人ぶった男が吉原へ連れて行き、半可通ぶりや見栄っ張りぶりを見せ、結局自分はもてず若者がもてる。 主な登場人物はこの二人と吉原の花魁。吉原の他の客も少し登場する。 二人が道で出会い、舟で吉原へ向かう場面、夜の場面、朝の場面と、芝居のような構成になっている。 登場人物を笑う、ということのほかに、吉原の風俗案内にもなっているのだろう。
2005.02.10
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7日の続き。 山東京伝・作。和田芳恵・訳。 女にもてない艶二郎が、悪友の北里喜之介、輪留井志庵《わるいしあん》という医者と語らい、金の力で浮き名を広めようと言う滑稽譚。 金を出して焼き餅を焼いて貰ったり、駆け落ちということにしたり、心中のふりをしたり。 文も絵も京伝による。 文だけ成り立っているのではなく、絵の中の仕掛けも楽しむべきもので、絵も数多く入れてあるのだが、残念ながら、これを読む私の方に見る力がない。 江戸時代の読者は、細かいところの遊びも楽しんだことだろう。 楽天ブックスで検索したら、山東京伝の本のがたくさん出ているので驚いた。
2005.02.09
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昨日の続き。 恋川春町の作。訳は水野稔。 邯鄲の夢の翻案で、江戸へ奉公の口を求めて目黒不動まで来た金兵衛が、粟餅屋で見た夢の話。 大店の家督を譲られ、栄華を極めたが、色里の女にだまされ、遊興を尽くした結果落ちぶれて、というところで目が覚める。 話の筋もさることながら、興味深いのは絵である。 おそらく風俗を描くことを主眼としたものであろう。 茶屋の女のいんちき唐言《からこと》や、絵のどの人物が誰なのか分かるように、袖に名前が一文字描いてあるのも面白い。 絵と文と一体になっているものだということがよく分かる。
2005.02.08
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1960年に出た「江戸小説集(上)」(筑摩書房)というのを読んでいる。 江戸時代の小説を現代語訳したもの。 巻頭は江島其磧の「世間息子気質」。訳は小島政二郎。 百姓気質、侍気質、太鼓気質と、一五種の気質の息子の話を語る短編集。 「こんな息子がいたそうだ」という軽い語り口。 最初の話は、「小さい時から甘やかして子供をだめにしておきながら、長じてこの不始末を嘆くとはなにごとだ」ということを登場人物の口から語らせるもので、これといった筋がある訳ではない。強いて言えば、還暦すぎて子がないのを嘆く人に、子がない方が幸せだと言い聞かせる話。 江戸時代から親バカや溺愛で子供をだめにしてしまう親は多かったのだ。 次の話は、町人の子でありながら武芸に熱中し、最後には侍になってしまう、という、立身譚といえば立身譚。 しかし、物騒な息子だというので勘当されている。 総じて、親の思いと子の思いは違うもの、という話が多い。古今東西、事情は同じだろう。 楽天ブックスで検索したら江島其磧は2冊ヒットした。
2005.02.07
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追善興行に参加していたデストロイヤーの公式サイトがある。 昨日、久しぶりに姿を見たので、サイトを見に行った。 すると、日本での写真のページがあり、写真に英語で説明がついている。 ところが、「ジャイアント馬場のメモリアルに参加するデストロイヤー。」というのだけは日本語。 見に来る日本のファンへの配慮だろうか。 もう一つ印象に残ったのが、平井との写真。「Destroyer with son of Mitsu Hirai, one of All Japan's Best.」とある。そうだよな、デストロイヤーにしてみれば、ミツ・ヒライの方が印象に残っているだろうし、その息子だと思えば親近感も沸くだろう。 私は、ミツ・ヒライさんは、子どもの頃、テレビで見た記憶がある。 昨日、今日と、しみじみしているのであった。
2005.02.06
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日本武道館へ行ってきた。 予想していたよりも客の入りがよく、フロアーはほぼ満席。 会場の雰囲気も良く、レスラーもそれぞれ持ち味をよく出していて、興行としても満足。 久しぶりに相島を見られたのもよかった。 おそらく、元子さんがプロレスの興行に関わるのはこれが最後だろう。 メインの試合後、川田が元子さんをリングに連れてきたのが印象的だった。 単なる好き嫌いだけでつきあえるわけはない。衝突や和解を繰り返して来たことだろう。 大量離脱後の全日を見てきて、私もいろいろな経験をした。波乱の六年間だった。これからも波乱は続くだろう。 私の観戦記は、輾転反側からどうぞ。まとまり次第、順次アップ。 三橋さんのブログに追善興行のことが書いてあるのを最近知った。三橋さんも懐かしい。
2005.02.05
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「住居侵入・脅迫:容疑で新聞セールススタッフを逮捕」という記事が、毎日新聞に載っている。 逮捕されたのは「毎日新聞など」のセールス活動をしていたそうだ。 拡張員の犯罪行為というのは珍しくないが、自社の新聞の拡張員の犯罪を報道する、というのは珍しい。 数年前、朝日新聞が拡張員の問題をちょっとだけ取り上げたことがあったが、「新聞社との直接の契約関係はない」から新聞社には責任はない、という態度だった。 筑紫哲也の「ニュース23」が始まった年だと記憶するが、産経新聞(当時は「サンケイ新聞」だったかもしれない)の拡張員が、断られたのを逆恨みして相手を殺した事件もあったっけ。
2005.02.04
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「一太郎」販売差し止めの波紋、次に狙われるのは…「一太郎」の特許侵害の主張が認められた=松下電器ジャストがストップ安売り気配 松下電器産業がジャストシステムを特許侵害で訴え、東京地裁で勝利、ということだが、不思議な裁判だ。 同様の機能がマイクロソフトのOSで使われているというのだから、ジャストシステムの前にマイクロソフトを訴えればいいのだ。強者には媚び、弱者は威圧するということだろうか。 ワープロソフトは、日本でもワードが優勢らしい。これはマイクロソフトの抱き合わせ販売強制の結果であって、ワードが優れているからではない。 両方使っているが、日本語のワープロとしては、ワードは一太郎にはかなわない。 しかし、ワードを使う企業は多い。 なぜか。 ある企業の人の講演を聴く機会があり、ワードを使っているというので、理由を尋ねたら、「一太郎の方が優れているが、海外の企業と書類のやりとりをするにはワードの方が便利だから」ということだった。 確かに一太郎は国内でしか使われていないだろう。 しかし、それがかえって長所となる場合もある。 国内でのみ使われる文書、外国の人に中身を知られたくない文書は一太郎で作成することにしてしまえばいいのだ。 秘密保持に少しは役立つ。 どうしてもワード形式の文書を作らなくてはならないのなら、何もわざわざワードを買う必要はない。FEPにATOKだけ購入し、ワープロソフトは、無料で手に入るOpenOffice.orgを使えばいい。(日本語入力システムであるATOKと、ワープロソフトである一太郎はセットにはなっているが、それぞれ役割は異なっていて、ATOKだけでも買える) 別にマイクロソフトに含むところがあるわけではない。 Windowsのおかげで大変便利になった。その点では感謝している。しかし、力にものを言わせて他社製品を排除し続けてきた姿勢は好きになれない。
2005.02.03
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見てびっくり。よくできている。 最初の場面、ヤクザが刀を勢いよく抜いて、隣にいた仲間の腕を切ってしまうところから感心。 話の筋そのものはよくある話で、「血の収穫」というか「シェーン」というか、悪いものをやっつける流れ者の話。 話も重要だが、どう撮るかというのがもっと重要。 絵がわかりやすく、安っぽくない。屋外での撮影が多いので画面が広い。 殺陣は血がドバッと噴き出す、香港映画のようなところがあるが、かえってリアルに見えてしまう。(実際にはあんな風には吹き出さないと思うが) 市が相手の背中を切ると、ちゃんと着物が切れて背中に傷跡ができているという工夫ぶり。 最後の祭の場面でのタップ大会(?)も壮観。こういうのは、実は珍しいことではなく、むしろ昔の映画では、ミュージカル仕立ての時代劇もたくさんある。新奇な発想を求めることよりも「どのように見せるか」ということに心を砕いている。 このタップも突然出てくるわけではない。 初めの方で、田を耕している人達が、一定のリズムに合わせてクワを振っている。途中、ガガルカナル・タカが剣術を教えてやると言いながら、逆にたたかれるところも一定のリズム。 ちゃんと伏線が張ってあるのだ。 終わりの、家を新築する場面でも、大工たちが音楽に合わせて作業している。 非常にすぐれた映画であった。・座頭市@映画生活
2005.02.02
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現在、国内では、著作権の保護期間は50年になっている。(著作者の亡くなった翌年1月1日から50年間) この期間を過ぎれば、誰でも自由に複製・配布ができる。 今、この期間を70年に延長しようという動きがある。 映像などの場合、粗悪なコピーが出回るなどの弊害がある、というのも理由の一つだそうだ。 しかし、「文」の場合はどうだろう。 現在、「青空文庫」で、著作権の切れた作品が無償で公開されている。ボランティアによって運営されており、誰でも利用できる。(私が入力したのも数編ある) ここの面白いのは、「これを公開した方がいい」というのではなく、「これを入力したい」という人が自分で公開すべき作品を選んでいる、というところだ。 時折、勘違いして、「あれを入れて欲しい」「作品が偏っている」などと言う人がいるが、「こういう傾向のものを公開する」という方針があるわけではない。 感心するのは、このままでは忘れられてしまう作者、作品を丹念に拾い上げて入力している人がいることだ。 漱石や鴎外なら、研究材料として、おそらくどんな作品でも後世に伝えられるだろう。しかし、無名の作家のものはどうだろう。 本や雑誌が残っているうちに、内容を後世に伝える処置をしておかなければ消えてしまうだろう。 著作権の保護期間が延びることによって、その処置ができなくなる可能性が高まる。私はそれをおそれる。 うにさんの「壊れる前に…」の「被害状況(消える作家)」に、延長された場合、公開できなくなるかもしれない作者の一覧がある。いくら本が好きな人でも、読んだことのない人の方が多いのではないだろうか。 中には、葉山嘉樹や長谷川時雨など、私が心引かれた人の名前がある。 こういった人々の作品が消えていくことを防ぐためにも、著作権の保護期間延長に反対する。 次のページも参考にして欲しい。「そらもよう」「青空ボログ」
2005.02.01
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