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スタート前。3年ぶりの出場だが、つい最近この場所にいたような気がする。抽選大会で2年前は都合で申し込めず、昨年は10回目の申し込みで初めて落選したのだった。 今年の初めごろからなんとなく腰が痛い。ウルトラマラソンの前は特にそうだ。5月に「橘湾岸マラニック」と「えびす・だいこく」の二つのウルトラマラソンを走る前は腰痛だったが、50kmくらい走ると腰痛は消えるのは分かっている。それが、医者で腰痛体操を教えてもらってから不思議なほど腰痛がなくなった。ただ、代わりに愛犬のラムが腰痛になった。いつも窓を開けるときにぴょんぴょん飛んで外を見たがるのだが、いつものように飛んだ\でいたとき急にうずくまって痙攣していた。好物のスペアリブを見せても動けなかった。翌日頃から少し良くなったようだが、ソファに飛び乗ることさえできず、上がりたいときは目配せしてくる。歩くのは普通だが、ジャンプができない。どうも自分の腰痛を身代わりになってくれたような気がした。「ワンコの恩返し」だろうか?ラムのためにも自己ベストの更新をしたいと思った。 100kmのベストタイムは8年前の第12回大会の11:35:55である。つまり、1キロ7分が自己ベスト更新の目安となる。61.5kmのエイドステーション「カヌー館」(上の写真)では15分の余裕があった。残り40kmを7分半くらいで行けば自己ベストの可能性が十分だった。エイドステーションを出てからも好調は続いた。100kmの部である青いゼッケンのランナーが面白いように追越せた。一般の部のゼッケンナンバーはだいたい年齢順なので、自分の子供くらいの年齢の1000番台がバテ始めていた。自己ベスト更新のためにはどんな方法も試したい。1)吐く息を吸う量より少なくして、腸内にガスを貯め推進力にする。2)道を行く蛇がいればその背中に乗っていく。3)どんぐりが落ちていればその上に乗っかって進む。100km走っていると、いろいろくだらないことを考えてしまう。1)は実際に試しているランナーがいた。中には女性のランナーもいた。2)は実際には大きな青いミミズはいたが、干からびた蛇しかいなかった。3)は間違えて小石など踏むと危ないのであまり実用的ではない。80kmで前を行く走友会の会長Oさんが頭に水をかぶっているところで追いついた。泉南からずっと車を運転してくれた。そしてエイドでビールを飲むたびに置いていくのだが、しばらくすると追いつかれ、またビールがあるエイドで突き放すという具合だった。異変は90km過ぎだった。体の力が抜けて、頭もウルトラマラソンの3日目のようにふらふらしてきた。原因は給水の冷たい水だった。腹の調子が悪くなり、後半は梅干くらいしか食べなかったことだった。この後95km付近のエイドまで給食はないはずだった。そこに女の子が一人で立っている私設エイドがあり、アメをもらった。これまで歩いたのは最初の沈下橋の後の登り坂を200歩だけだった。いつもは95kmを過ぎて元気が出てくるのだが、最後の99kmのかがり火の燃えている坂は歩いてしまった。次々に抜かれる。自己ベストの時間はとうに過ぎていたが、12時間切りは最後の1kmを15分くらいでも間に合う。グランドに入っても、抜かれ続けた。ゴールテープを切るときは写真撮影があるので追い抜かないのがマナーだが手前で待機しているところを追い抜くランナーがいた。今回はコップをゴミ箱以外に捨てるランナーが少なかったが、最高の写真スポットで大勢が応援している半家の沈下橋の上で紙コップを捨てる信じられないランナーがいた。あまり腹が立つのでゼッケンを公表しようかと思ったほどだった。し●●●●●●●県の2●●●ランナーとだけ書いておこう。これまでゴールの際は完走した回数だけ指を広げていたのだが10回目は両手を挙げた普通のゴールになってしまった。ゴールタイムは11時間56分55秒だった。春にアップダウンのきつい「えびす・だいこく」で出したタイムにも及ばなかった。90km過ぎに1キロ8分を超えていたのが響いた。速報タイムであと10分速ければ年代別のベストテンに入れた。1キロ当りあと8秒縮めていれば、エイドであと4秒ずつ縮めていればと後悔が残った。来年はどうするか、まだ考えられないが50代の自分に勝てないことはないという思いは持てたのが収穫だった。
2012年10月24日
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金胎寺(こんたいじ)からは鳥居を出てすぐ左の谷に向かって矢印が引かれていた。一人しか通れない狭くて急な山道である。行者道だろうか。後ろから速いランナーがきたので避けて二人を先に行かせた。まだ後ろにもランナーがいたが、キリがないのでそのままコースに戻った。追い抜いていったランナーは女性だった。先月の大会同様今回もゼッケンに大きく名前が表示されている。プログラムでは女性の参加は約2割で、そのうち半分以上が「子」のつく名前だった。そういえば小学生のときの教科書に出てくる名前は男はたいてい「正夫」で女は「良子」だった。時代とともに名前は流行がある。あと何十年もすれば~樹じいちゃんや~菜ばあちゃんが増えても違和感はなくなるだろう。 しばらく進むとお茶畑が飛行機の窓から見るような景色で広がった。急激に下ったので耳が痛くなった。分岐があった。道なりは下りで直進は登りである。すごい勢いで追い抜いて行った男女は道なりにヘアピンカーブを下って降りて行った。しかし、よく見ると直線の上りの方に白い粉がまかれている。追い抜いて行った男女を呼び止めるが、まだ下っている。みんなで呼びかけてようやく気づいた。登り切ると再び急な山道だった。道の横の木を掴みながら降りないと滑り落ちそうで危ない。あちこちにイノシシ除けのネットがある。 舗装された林道に出て最後のエイドについた。給水の紙コップの数は80個なので80番目だが、国道沿いに走っている人もいるそうで全体では半分くらいの順位だそうだ。最後に笠置山の入り口で関門があることをはじめて知ったが、まだ1時間以上は余裕があった。 人家が見え出して、のどかな田舎の景色を見ながら曲がりくねった道を進んで行く。稲刈り直前の田んぼの畔に彼岸花が満開である。下りなのに、足を痛めたのか歩くランナーが多かった。河原にはキャンパーが大勢いた。橋と笠置の町も見えてきた。7月に走った忍者マラソンでは、反対側から左折で橋を渡ってすぐの温泉施設がゴールだったが、今回は橋を右折で渡り、最後に笠置山に登らなければならなかった。そして登山口入口関門まではあと30分くらいしかなかった。ここは全部歩いて登ったが、降りてくるランナーもほとんど歩いていた。頂上の神社付近がゴールだった。ゴールテープは片方が木に結ばれていて、スタッフが一人で担当していた。手作り大会である。ゴールで温泉の入浴券と草もちをもらった。今回の走行距離は開催案内とほぼ同じくらいだった。 主催者のきつくて、アバウトで楽しいコース設定とランナーへの暖かいもてなしは主催者の名前を取って「井上ワールド」と呼ぶそうだが、今年で3回目の参加である。これからもまだまだこの大会を走っていることだろう。
2012年10月17日
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2012年10月7日(日) コース図https://go-wellness.epson.com/neo-run/user/view/trainingMap.html?newwindow=true&trainingId=35247&newwindow=true今回の集合場所はJR京都線玉水駅。利用している人以外でJR京都線がどこからどこまでか知っている人は少ないだろう。午前6時42分発の阪和線快速に乗って出かけた。こちらは大阪と和歌山を走っているとすぐにわかるはずだ。この方法で行けば京奈線という呼び方で良いのではないか。京都線という呼び名に奈良から文句が出なかったのはなぜだろう。受付2分前までに着いたのだが、玉水駅はすでに大勢のランナーが受付を終わっていた。地図を渡されたが例によって大まかな地図でコース沿いの目印自体が分からない。自己責任で他のランナーの後ろに付いていくしかない。 スタートしてすぐにJRを高架で横切り川沿いの遊歩道を行く。なかなか良い雰囲気だった。国道から山道に入って2週間後の四万十川ウルトラマラソンの最初の20kmまでの景色に似てきた。今回のコースでは最初の15kmで約600m登るのが今回の大会に参加した目的でもあった。10km1時間ちょっとで最初のエイドに着いた。参加費が安いのにエイドは充実しているのがこの忍者・歴史探索マラニックシリーズの特徴である。今年に入って3度目の参加である。オレンジと梅干をいただき水を2杯飲んだ。コースはここで左に大きくカーブして林道から山道に入った。 和束を走るのは3回連続だがいつも違う方向から入るが、お茶畑の風景は相変わらずアップダウンがきついがなかなかいい感じである。 アスファルトの道の出て見覚えのある風景に変わった。いつの間にか先月走った金胎寺へのみちだ。峠をほぼ上り詰めたお茶畑から下界が見通せた。前回ここにあったイカ焼きエイドはロープが張られエイドはなかった。松茸山入山禁止の立札があちこちにある。金胎寺の急坂を登り休憩所に着いたが、コース矢印は前回のお茶供養があった上の神社にあった。本堂にはチェックポイントもなくお参りして休憩所に戻った。ここはにゅうめんと赤飯のおにぎりのエイドだった。
2012年10月07日
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