知らない道を走ってみたい(新館)
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8月中旬に肋骨骨折して2か月練習できず10月中頃から練習を再開。約1か月で大会に臨むことになった。 ピストルが鳴ってからスタート地点まで2分17秒と思ったよりロスタイムが大きかった。9.3km地点の関門まで7:32/kmで走らないといけないのにハードルが上がって7:15くらいで走らないといけなくなった。5kmまで7分その後8分と作戦をたてていたが、最初の1kmは7:53もかかった。EブロックからスタートしたがFブロックの選手に次々に抜かれた。昨年、ひざの軟骨がすり減っていると言われてから、走り始めて3kmくらいまでは軽い痛みがある。折れた肋骨もつながり始めて、整形の先生からは痛みがなければ軽い運動をしても良いと言われているが、左胸が少し傷んできた。深呼吸もしづらかった。 ジャズ演奏をしている橋に差し掛かって最初の折り返しでWさんとすれ違った。2kmほど前を走っていた。再び橋を戻ってから、いよいよ雑賀埼の登りに入り最初の関門が待っている。坂道に入る前にFブロックから伴走でスタートしたOさん達に追い抜かれた。スタートしてから約1時間が経過して関門時間の10時10分が迫っていた。距離表示と手元のGPS時計の距離は300mくらいあった。GPS時計では2kmから8kmまではキロ7分を切っていたが8-9kmではついに7分を超して7:19かかった。9kmの表示があり、エイドに大勢のランナーが立ち寄っていたので、関門は通過できたようだ。 次の関門は15.1kmで8:37/kmなのでだいぶ余裕があるが、登りの2kmは9分くらいにラップが落ちたのでまだ安心できなかった。前半少し頑張り過ぎたので、足に疲れがたまって来た。下りに入ってもスピードが上がらなかった。このところ練習では10kmくらいしか走っていないので、まだ残り10㎞もあるのかという気持ちだった。片男波の海水浴場の長い折り返しに入るところのエイドにみかんの生ジュースがあった。しまなみ海道100kmでオレンジジュースを8杯も飲んだ強者がいたが、1杯だけ飲んで先を急いだ。折り返して来たランナーが前方100mくらいのところで右折して海水浴場から一般道に消えてゆく。すぐに伴走のOさん達と会った。だいぶ離されてしまった。伴走されているランナーの方も手をあげて挨拶してくれた。第2関門は海水浴所を出てすぐなのでうらやましい気がした。折り返しから戻りジャズ演奏している前を通る時、曲が「明日に架ける橋」になった。女性がゴスペル風に歌っていて、なかなかうまい。歌で元気が出るものだなと思った。 第2関門は15分前に通過することができたが、ラップはもう8分台に落ちていた。関門の先に昨年DNSした時、仲間を応援した地点があった。この大会は何度も走っているが、そこが紀州東照宮であることはまったく知らなかった。そして昨年の大会は雪まで降っていたことを思い出した。今年は昨年とうって変わって暑い大会になった。ゴールのあるマリーナシティの橋がだんだん近くなった。10kmの部のランナーが合流して来て次々に追い抜かれた。ハーフの選手はほとんどいなかったが、一人歩いたり走ったりしている女性ランナーと抜きつ抜かれたりした。橋を渡ってマリーナシティに入っても同様だったので、話しかけることにした。「どこから来られましたか」と聞くと「大阪から」と返事があったので、「私も大阪ですが、大阪のどこですか」と聞いたら「熊取」ということで「私も熊取から」ですとベタな会話になった。しかも来月の奈良マラソンも走るということだった。ゴール直前で一人抜いて同時にゴールした。打ち上げに誘おうとしたが、父親と来られているというのでとりあえずゼッケンを頭の中に小さくメモしておいた。 ゴールタイムは2:47くらいだった。すぐにいつもの待ち合わせ場所に向った。速い人を1時間以上も待たせてしまったが、完走できたことをみんなが喜んでくれたことがうれしかった。 打ち上げは和歌山駅近くのいつもの居酒屋で。今年はマラソンの日は予約できなくなったが、いつもの部屋を獲得できた。ここに来るために走るようなものだが、いつまで続くのだろうかと不安もあるが、また来年も来たいものだ。
2024年11月12日
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