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1・ 正しい宗教と信仰【信仰に反対する人へ】
http://www.nichirenshoshu.or.jp/index.htm
9・信仰は老人がするものではないのか
「信仰は年寄(としよ)りがしていればよい」という意見には、信仰に対する無理解(むりかい)と老人に対する偏見(へんけん)が潜(ひそ)んでいるように思われます。
正しい信仰が人生にもたらす作用はさまざまなものがあります。その中の主なものを挙(あ)げてみますと、
1 正しい教えを信ずることによって、考え方や人生観が広く正しいものになる。
2 日々の信仰修行によって身心ともに健全(けんぜん)な人間として鍛錬(たんれん)される。
3 精進心(しょうじんしん)すなわちこつこつとたゆまぬ努力を積(つ)み重ねる心が培(つちか)われる。
4 敬虔(けいけん)な心・感謝の心・思いやりの心が養(やしな)われる。
5 日常生活が信仰の功徳力(くどくりき)によって仏天(ぶってん)に加護(かご)される。
などがあります。
このように人生に大きな意義をもつ信仰が、若い人と無縁(むえん)であるというのはまったく的(まと)はずれな暴論(ぼうろん)というべきです。
むしろ、「鉄は熱(あつ)いうちに鍛(きた)えよ」という言葉どおりに、人生の基礎(きそ)となり土台(どだい)となる若い時こそ、正しい宗教を信仰し修練(しゅうれん)を積(つ)むべきなのです。
ビルを建てる場合でも地中(ちちゅう)深く打ち込まれた盤石(ばんじゃく)な基礎があれば、その上に立派(りっぱ)な高層建築を建てても微動(びどう)だもしません。これと同じように、若い時に目先の欲得(よくとく)や表面的な楽しみに流されることなく、信仰を根本としてしっかりした人生観と人間性を養うことが将来の大きな力になるのです。
また本人がいかにまじめな努力家でも、いつ不慮(ふりょ)の災難(さいなん)にまき込まれるかわかりません。一瞬の事故によって一生を台(だい)なしにするような事件がいたるところで起きていることを考えると、やはり仏天の大きな力によって日々(ひび)守られることも、若い人が充実した生活を築くための大切な要件(ようけん)といえましょう。
たしかに低級思想や迷信(めいしん)に走る宗教、あるいは形骸化(けいがいか)した既成(きせい)宗教の姿に対して、若い人だけでなくすべての人々が失望し、むしろそれらを忌避(きひ)しているというのが現実です。
しかし真実の生きた宗教は、老若男女(ろうにゃくなんにょ)、人種などの差別なく、すべての人に生きる力を与え、何ものにも崩(くず)れない安穏(あんのん)にして自由な境涯(きょうがい)を確立させるところに、その目的があるのです。また、道を志(こころざ)すことに遅(おそ)いということはありません。青年・壮年(そうねん)・熟年(じゅくねん)を問(と)わず正法に帰依(きえ)することは幸福の絶対条件ですが、健全な苗木(なえぎ)が大木(たいぼく)・名木(めいぼく)に成長していくように、伸びゆく青年時代に信仰に励むならば、それだけ人生の大きな力となり、強(きょう)固(こ)な礎(いしずえ)となるのです。
現在日蓮正宗には、何万名もの青年が自己(じこ)の確立と社会平和のために情熱をもって信心修行に励んでいます。
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