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本を開けば、音楽が溢れ出してくるだろう。シューマンの魂の内奥に秘められた夢、秘密の告白。 【送料無料】シューマンの指本を閉じる。音楽は消える。いや、音楽はまだ続いているのだ。どこかで。どこか私の知らぬところで。「鼓膜を震わせることだけが音楽を聴くことじゃない。音楽を心に想うことで、僕たちは音楽を聴ける。音楽は想像のなかで一番くっきりと姿を現す。耳が聴こえなくなって、ベートーヴェンはよりよく音楽を聴けるようになったんだ」
2010.12.15
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「日本語はちゃんとしゃべれるのに、どうして今さら国語を勉強しなければならないの?」 とある高校生が国語教員に投げかけた問い。じっくり考えたい方は、村上慎一さんの著書「なぜ国語を学ぶのか」を読んで頂きたい。 もし、民族学校で同じ問題を考えたら? 「(日本で生まれ育って)日本語はちゃんとしゃべれるのに、どうして日本語を勉強しなければならないの?」 日本語を教えている、中2の子どもたちに問いかけてみた。 ____________________________ 学生Aの場合: 「私たちの母語は日本語です。ですが、私たちの母国語はウリマル(※朝鮮語)です。 私たちは普段、家で話すときは日本語を使いますが、学校ではウリマルを使います。私たちは二つの国の言葉をしゃべれます。 それで私は考えてみました。ウリマルと日本語、どちらが大切なのか。 やはりウリマルは母国語であり、私たち民族の大切な言葉です。でも、ウリマルだけが大切なのか? 私はウリマルも大切だけど、日本語も大切だと思います。なぜなら、私たちは生まれた時から日本語を使っているので、とっさに出る言葉も日本語ですし、生活の大半は日本語で生活しているからです。 だから、私は思いました。 母語も母国語も大切だ。そして、これからも大切にしないといけない、と。」 学生Bの場合: 「ぼくたちは、朝鮮語と日本語の二つの言語を話すことができます。朝鮮人として朝鮮語を話すのはあたりまえの事だし、朝鮮人ということを証明するためにも大切なことです。 しかし、日々の生活では、日本語の方が圧倒的に有利です。 このようなことから、ぼくたちにとっての朝鮮語とは何か、日本語とは何か、ということを導き出すことができると思います。 ぼくが思うに、朝鮮語とは、私たちが朝鮮人だということを示すための「武器」でもあり、また後世に伝え、ずっと守り続けなければならない大切な言語です。 そして日本語とは、私たちが日本に住んでいるかぎりコミュニケーションをするため、自分たちが生きていくために必要不可欠な言語です。」 学生Cの場合: 「私たちは朝鮮人なのに日本に住んでいて、しかも母語は日本語です。これは、朝鮮人である私たちや日本人が思っているように、とてもおかしなことです。その他にもおかしなことは数えきれないほどあります。 たとえば、なぜ在日朝鮮人は差別を受けなくてはならないのか。このことは私たちにとって一番おかしなことです。 日本には、たくせんの外国人が住んでいます。でも、その中の私たち朝鮮人だけが批判されます。とても悲しい事実です。 私たちは、日本語を使い、名前だって二つ持っています。日本に住む朝鮮人として立派に生きています。 でも何故、批判され、嫌われるのでしょうか。本当に悲しくて辛いです。 だから、私は、日本に住んで日本語を毎日使うけど、日本語というのは、私たちにとって、一番遠い存在なのかも知れない、と思います。」 学生Dの場合: 「日本語は、朝鮮語と同じで、私たちにとって必要不可欠な言葉です。日本で生きていく限り、必須です。では、朝鮮語はどうでしょうか? もちろん私たちにとってなくてはならないものです。 ただし日本人にとっては、そうでないです。日本人の母語は、日本語であり、母国語も日本であるからです。 でも、私たちは違います。母語は、大体の人が日本語ですが、母国語は朝鮮語だからです。 私たち朝鮮人と、日本人の差は、そこにあると考えます。 私たちは、私たちの言葉である朝鮮語を、先祖から受け継ぎ、ずっと守ってきています。だから、その自分の母国語の重要さをよく知っています。 私は、私の母語である日本語と、母国語である朝鮮語をこれからも習い続け、世界観をより広めて行こうと思います。」 ______________________ 「なぜ国語を学ぶのか」 この問いかけは、子どもたちから、たくさんの興味深い回答を導き出した。 また、ふだん何気なく話している日本語、朝鮮語について考える良い機会であった。 学生たちは、日本語を母語としながらも、幼い頃からのバイリンガル教育によって、第二言語であるはずの朝鮮語を限りなく母語に近い感覚で学んでいる。 「言語」を学ぶことは、すなわち物事を概念化し、世界観を形成する過程である。そこに母語を学ぶ意義があるのは言うまでもない。 なぜ国語を学ぶのか
2010.12.08
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7、結論 まとめ(「朝の読書」がもたらしたもの) 朝八時三十五分、校舎内はシーンと静まり返って物音ひとつしない。生徒たちが読書に集中し始めたのが分かる。クラス担任も一緒に読んでいる。職員室でも、私をはじめ、教頭先生、副担任の先生たちが静かに本を読んでいる。10分間が意外に長く、予想より頁が進む。八時四十五分、学校の鐘がなった。とたんにがやがやするかと思ったが、ちょっとの間、朝のあいさつをするための椅子の音がするだけで、すぐ静かになり朝のホームルームが始まる・・・。 「朝の読書」は、教育の現場に一石を投じた。単に一石を投じただけでなく、その波紋が大きく広がっている。「朝の読書」がもたらしたものには、1、 静寂と集中の時間の確保2、他の活動への波及効果3、本を読む能力の伸長4、学力の向上5、日常生活の変化6、 豊かな心と人間関係7、人間的な成長8、教師に与える影響などが挙げられる。まだ半年に満たない実践活動ではあるが、この実践を通して初めて、これまでの読書指導の一つひとつが、うまく噛み合わさり―まるでゼンマイ時計の歯車のように―生徒たちの「心」と「頭」の成長へと自然に結びついているのを実感する。「朝の読書」がもたらしたものに、「教師に与える影響」と記したが、この実践は何よりも、実は教師を元気にしてくれるものなのではないか。 <みんなでやる・毎日やる・好きな本でよい・ただ読むだけ> 教師にとっての「朝の読書」の最大の長所は、教師も生徒と一緒に自分の好きな本を読めばいいという点にあることは疑いようがない。それは、生徒にお手本を示すとか生徒を管理するとかいう側面よりも、たとえ10分間とはいえ、毎日教師自身が学べる、自分自身を見つめ直すゆとりが持てる、自分の心の学習ができる、自分の生きる力を伸ばすことができるという側面の方がはるかに重要な意味を持っているのだ。今後も「朝の読書」を見守りながら、一年の終わりに、長い目では、学生たちの三年間の学校生活の終わりに、アンケート調査を実施し、その成長ぶりを見届けたい。 <読書は実に大切である。最近のIT革命により、人間は自分の欲する情報は簡単に得られるようになった。ところがそれは「報」だけで「情」が抜けてしまうことが多い。それに比して、読書は書き手の「情」も込みで、生き方全体が伝わってくるよさがある。そして、読み手も自分の好みに応じて、早く読んだり遅く読んだり、自分の主体をそこにかかわらせることができる。 「朝の読書」を考え出した人は実に素晴らしい。読書は大切だが時間がない、などと言う人に、「十分間でも大いに意味がある」とはっきりとわからせることになったからである。わずか十分間の読書によって、子どもたちは自ら考え、自ら感じ、そして自分の読書時間をさらに増やしてゆくのである。 子ども自らが読む本を選べるのもいい。十分間という枠だけ与え、そのなかで子どもは自由や自主性を体験するのである。人間は感動したり、感心したりしたことは誰かに話したくなるものだ。十分間の読書は、子どもたちお互いの間の、そして、子どもと大人の間の意味深い対話に発展しているはずである。 切り売りの知識や、外から押しつけられたものはすぐ消え去ってしまう。しかし、自らの力で獲得したものは長く残り、その人の人格形成に大いに役立つのである。この運動のさらなる発展に期待している。> (臨床心理学者 河合隼雄)※ 参考図書、およびホームページ・ 中島克治『小学生のための読解力をつける魔法の本棚』(小学館 2009年)・ 樋口裕一『「本を読む子」は必ず伸びる!』(すばる舎 2005年)・ 山中伸之『できる教師のどこでも読書術』(さくら社 2009年)・ 天道佐津子、編著『読書と豊かな人間性の育成』(青弓社 2005年)・ 林公『朝の読書実践ガイドブック―一日10分で本が好きになる』(メディアパル 1997年)林公、編著『心を育てる朝の読書』(教育開発研究所 1999年)・ 大塚笑子『朝の読書はじめの一歩―生徒とともに歩みながら』(メディアパル 1999年) 『朝の読書希望への一歩―教育に生かす朝の読書』(メディアパル 2000年) ・朝の読書推進協議会HP(http://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0032.html)
2010.12.04
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(4)「朝の読書」の効果 やって驚く読書の魅力 5ヶ月の実施の間際に、中学1、2年生を対象にアンケートを実施した(※資料1)。結果は、次のとおり。<生徒アンケートの主な感想や意見>(アンケート回答数:52名)【良い点】・ 本を読む機会が増えて良かった。・ 本は面白いと思った。・ 良い習慣がついたと思う。・ 眠いけど、本を読んでいると目が覚める時がある。・ 読む時間がない時も読めるのでいい。・ 本をみんなで読めるようになって良かったと思う。・ 本を読むことは大賛成だが、時間を変えて欲しい。・ 本を読むことが、前より楽しくなった。・ 中学になって本をたくさん読むようになった。・ 少し本を好きになった。・ 本を好きなのは、朝の読書のおかげ。・ 学校で眠気がさめる。・ 本の内容をよく覚えられるようになった。・ 今まで一度も本を読んだことがなかったが、朝読書をしてたくさん読むようになった。・ 本に関心を持った。・ 長い時間本を読めるようになった。・ 自分に合う本を見つけることができるようになった。・ 本を読む機会がなかったので、とてもありがたい。・ 朝の読書で読んだ本の続きが気になって、休み時間に本を読むようになった。・ 頭の回転が速くなった。・ 読むスピードが速くなった。・ 黙読するのが速くなった。・ 読書ページ数が増えた。・ 前よりすらすら読めるようになった。・ 家などでも本を読むくせがついた。・ 結果的に良かったんじゃないかな~(笑)【嫌な点】・ 時間が長い。・ 眠い。・ 朝が早いから嫌!・ 朝練が短くなること。・ 友達としゃべれない。・ 10分が短い。・ いいところでやめなければいけないこと。【困っていること】・本を準備するのがしんどい。・ 集中して読めない。・ 周りがうるさくて、ゆっくりと読めない時がある。・ 自分にあった本を見つけるのが難しい。・ 一時限目に試験とかがあっても勉強ができないこと。・ 電車に乗り遅れたら、「朝の読書」に遅刻する。・ 遅れて来た子たちの音などで、集中力が切れる。【要望】・時間が早いので、午後にすれば良いと思う。・ 本を読むことは大賛成だが、時間を変えて欲しい。<生徒アンケートのまとめ>Q1.現在、月に何冊読んでいるか。(中1対象、回答数:37名)ア、1冊も読んでない。(13.5%)イ、1~2冊読んでいる。(40.5%)ウ、3~4冊読んでいる。(35.1%)エ、5~6冊読んでいる。(8.1%)オ、10冊以上読んでいる。(2.8%) ※一人あたり平均2.1冊(2006年度は0.6冊)Q2.本はどのように準備するか。(中1、2対象 回答数:116名 ※複数回答を含む)ア、 自宅にある本を持って来る。(31%)イ、学校図書室で借りる。(12.9%)ウ、友人から借りる。(27.6%)エ、書店で買う。(23.3%)オ、公共図書館で借りる。(2.6%)カ、その他(2.6%)※資料1 読書アンケート「朝の読書」 ( )年( )組 名前( ) 1、 本はどのように準備しますか?(複数回答、可) ア、自宅にある本を持って来る。 イ、学校図書室で借りる。 ウ、友人から借りる。 エ、書店で買う。 オ、公共図書館で借りる。 カ、その他( ) 2、 朝読書前と変わったところは?(自由回答) 3、 「朝の読書」で困っていることや嫌なことは? 4、「朝の読書」を実施しての感想を聞かせて下さい。 ☆協力ありがとうございました。
2010.12.04
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(3)図書室の運営について 図書室の開設まで(その1.私設図書館) <読書は学力の基礎を培う行為であり、学校図書館を活用して指導することで効果が発揮できる。ことに学校図書館の施設が整備され、図書館は「子ども達が読書を愉しむ心のオアシス」として、豊かで多様で鮮度の高い資料が整備されることが大切である。したがって教員は子どもに先駆けて子どもの本に親しみ、読書活動を指導するための研究を重ねるとともに、学校図書館の条件整備に務めなければならない。また子どもの読書活動を推進するにあたっては、「子どもの読書活動推進に関する法律」の理念を学校の教育活動で生かす工夫をはかりたい。・・・ 学校図書館を利用して児童・生徒の自発的自由読書を促して、読書の生活化をはかる指導を工夫したいものである。> (天道佐津子、編著『読書と豊かな人間性の育成』青弓社 2005年)「朝の読書」の普及において、次に必要なのは、読書のための環境づくりである。ほとんどの日本の学校では、「学校図書館の整備」「定期的な図書の補てん」等、様々な環境づくりが行われている。しかし現在、民族学校において日本学校と同等の「環境づくり」は困難であるといえる。しかし「図書室がないから」「蔵書がないから」と諦めるのでなく、ないからこそ出来ることを探すべきである。 私が赴任した2004年当初は図書室が閉鎖状態であったこと(※校内運動の一環として2005年9月には開放)と蔵書の不足を補うために、個人の本を持ち出し、職員室の本棚の充実を図り、個人的に本の貸し出しを行うことにした。貸し出しの際には、本のタイトル、貸出人の名前をノートに記録した。記録によると、図書室が開放されるまでの2004年5月~2005年10月までの総貸し出し冊数は、104冊(延べ208冊)、利用者数は89名(延べ208名)であった。 図書室の開設まで(その2.図書室危機) 2005年9月に、学生の読書運動と連動して、図書室が整備され、運営されることとなった。数少ない蔵書をジャンル別に分類し、教員の当番制で昼の休憩時間、放課後の16時までをオープン時間とした。ところが、教員の理解の不一致と学生による読書運動の終了に伴って、図書室は、またしても開かずの部屋となってしまった。 図書室の開設まで(その3.私設図書館ふたたび) それからは、希望者のみが本を借りたい時だけ図書室へ足を運ぶことが続いた。一方、日本語教員でありクラス担任であった私は、教室に本棚を設置し学級文庫の充実を図ったため、それだけで満足し、長期間において図書室の運営はなされなかったのである。 ただ図書室の蔵書の充実は、少しずつ進んでいった。ことある毎に、協力者を募り、父兄や知人、養蜂場(みつばち文庫)、また南の友人たちからの寄贈により蔵書が増えていった。 2006年度からは私が図書室の管理を受け持ち、昼の休憩時間だけ、図書室を開放した。時には学生委員を動員した。 図書室の開設 2010年5月11日「朝の読書」の開始に足並みを揃えて、図書室を開放する運びとなった。これまでの教訓を生かし、図書室運営に関する要項を作成し、体系化を確立した。その際は、すべてのクラスの学級委員が当番制で運営できるようにし、学生たち主動のもとで図書室が運営されるようにした。開放時間は、月曜日から金曜日までの12:55~13:10とし、図書貸出し帳と返却日を記したカードを作成して、学生たちを発動させるようにした。 なお、5月11日から10月末までの貸出し冊数は、延べ162冊である。2004年の「私設図書館」での貸出し数が17ヶ月で208冊だったのを考慮すると、満を持しての「学校図書室」の開設以来、5ヶ月半で162冊というのは驚異的な数である。
2010.12.04
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(2)日本語授業でのサポート 学力と読書の関係 「朝の読書」が本好きな子に読書の時間と心のゆとりを与え、本嫌いな子を本好きへと導く。その成果は、自然と学力向上へとつながる。この相乗効果が正のスパイラル(螺旋階段)を構築する。 樋口裕一氏は、学生の学力の低下の原因を次のように分析している。 <なぜ、ここまで日本人の日本語力が低下したのか。理由はただひとつ。本を読まなくなったからです。 私は、小学校時代に読書を習慣づけられなかった子は、学力の面で将来大きな不安を抱えることになると考えています。 本には考える力、文章や人が言っていることを読み取る力、自分の意見を正確に伝える力を養うパワーが備わっています。それらの力とは、国語をはじめとするすべての科目に必要になってくるもので、「本当の頭のよさ」そのものです。 子供がなかなか勉強しない、いちおう勉強しているが成績がパッとしないなど、お子さんの教育で悩んでいるなら、参考書や問題集を買い与えるより、おもしろい物語を1冊まず手渡したほうが、よほど子供の学力の支えになります。> (樋口裕一『「本を読む子」は必ず伸びる!』すばる舎 2005年) また、とある中学校の校長である畑中稔さんは、読書量が学力をきめたという面で、次のように語っている。 <私には、中学校教師の経験が二十年ほどあります。その経験の中で、読書の学力向上や人間形成に果たす役割の大きさを実感していました。 ある年、私のクラスに、学年トップの学力をもっている二人の生徒がいました。Aは、学校から帰ってから、毎日五時間以上勉強していました。風邪で学校を休んで家庭訪問をしたときに、「先生、勉強が遅れることが心配で、寝ていられない」というくらい、寝食をけずって勉強していました。 もうひとりのBは、放課後暗くなるまでスポーツ活動をしていて、家庭では、せいぜい二時間くらいしか勉強をしていないのです。この二人が、各種テストで競いあっていました。 二人の違いは何か、それは読書量でした。Aは、ほとんど読書体験がありませんが、Bは、小学校のときから読書好きで、中学生になったときには、もう、父親と同じモノを読んでいました。 岸本裕史氏は『見える学力、見えない学力』(大月書店)の中で、「学力の基底は言語能力です。また、小学校でよくできる子は、すべてといってよいほど読書好きです」と学力と読書の関係を分かりやすく書いています。> (林公、編著『心を育てる朝の読書』教育開発研究所 2005年) 日本語授業でのサポート(読書指導の実践) 「朝の読書」の導入と併行して、授業での読書指導を行った。試行は、研究論文「読書指導の経験と、学習との関連性について(2006年)」、「掲示物と授業空間を通じて、学生たちの読書意欲を向上させるについて(2009年)」に基づいた。よって具体例は先行論文を参照したい。 授業(小6~中3)では、各自が机の上に読書中の本を置くように指示した。また、出席の時に返事をするとともに、その本を上に掲げ、ほかの友だちがどんな本を読んでいるのかを分かるようにした。もちろん私自身が読んでいる本もブックスタンドに乗せて、生徒たちに見えるようにして、本の紹介を行った。さらに、学生たちがお互いに自分の読んでいる本について話し合える場として、1~3分間のブックトークを学年の水準に応じながら、数回に分けて実行した。クラス内で評判を呼んだ本は、あっという間にクラスのなかで回し読みされる。ごく自然に、生徒間での「相互読書案内」が実現されたのだ。(教授目的は中1「話す、聞く1?声の表現力」「話す、聞く2?書き言葉と話し言葉」、「12、読書記録と読書案内」、中2「4、メモを見ながら話そう」に準ずる。) また、校内運動との連携で、週に一度行われる中学「朝の集会」では、一人ずつ指名制で全校生を前に、本の紹介を行った。学生たちの主体による読書運動が実を結んだ一例として紹介しておきたい。 「朝の読書」と学習との関係 教科学習であれホームルーム活動であれクラブ活動であれ、およそ学校の教育活動で評価の対象にならないものはない。つねに成果が求められる。設定された目標に向かって、個人的であれ集団であれ、日々努力し、成長していくことが求められる。今日と明日の自分は違っていなければならない。学校で最も尊ばれている精神は、「向上心」である。「朝の読書」の最大の功績は、学校のなかに評価の対象にならない活動を導入したことである。「何を読むか、どう読むか、何のために読むか」が問われない。 「読まない自由」の問題をどうするか。生徒によっては、本に向かうどことではない日もあるだろう。読書が苦手な生徒もいる。しかしそのような場合、1人で読書することは無理でも、集団がつくる「静けさ」に助けられてともかくも本に向かうことができる。「静けさ」が、読書を可能にし、読書がさらに「深い静けさ」をつくる。一日の学校生活が、落ち着きのなかでスタートできる。生徒たちは、「朝の読書」によって「静けさの快楽」を手に入れているのではないだろうか。 「第三の教育」の考え方によると、「第一の教育」が親による教育、「第二の教育」が教師による教育、そして「第三の教育」が自分自身による教育である。「朝の読書」は自主的・自立的な学習態度を育成する基盤をつくる。 以上のように、「朝の読書」は、教科学習や従来の積極的な読書指導とは直接的につながらない。そのことが、この試みの特長ではあるが、それぞれの学校で、この運動を支えるための環境づくりや工夫がなされている。次の章では、わが校で取り組んだ読書環境づくりについて叙述する。
2010.12.04
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6-2 本論(1)「朝の読書」の導入 「朝の読書」導入のきっかけと提起 <私たちが提唱した「朝の読書」とは、学校で毎朝、授業が始まる前の10分間、生徒全員、そして教師もそろって、各自がそれぞれ自分で前もって選んでおいた好きな本を読むという、実に簡単な教育実践のことです。どんな奇跡が起こったのかというと、卒業生のほとんどが本好き、読書好きになってしまったのです。 このところ毎年のように問題にされていることですが、最近子どもが本を読まなくなったといわれます。高校生ともなると、その60%から70%くらいまでが、一ヶ月に一冊の本も読まないというアンケート結果さえ出ています。 そういう状況のなかで、生徒全員が本を読むようになり、読書好きにさえなったのですから、たしかに奇跡と呼んでよいかもしれません。> (林公『心を育てる朝の読書』教育開発研究所 1999年) これまで、クラス担任として学級で朝の読書を期間限定で行ったことはあった。しかしあくまでその期間だけの運動にとどまり、したがって学生たちにも大きな変化は見られなかった。学生活動として読書運動を展開したこともあった。これは、学生たちが主体的に動くため、それなりに効果はあがったが、日にちが過ぎるとともに読書熱は次第に冷めていった。 そんな折に出会ったのが「朝の読書」であった。「朝の読書」運動で菊池寛賞を受賞した、林公先生と、鈴木勲氏の対談『「朝の読書」が学校を変える』を読んで、まさに「これだ!」と感じた。何故なら、これを実践することで、先述した<1、「年間読書計画」の作成・実施、2、教員自身の読書実行>という課題を一括りに解消できるからだ。それで教頭に相談した上で、学校全体の取り組みとして「朝の読書」を展開する運びとなった。要項と計画は以下の通り。(※原文はハングル) <朝の読書について>△ 目的1、読書を通して人間形成と学力の向上をはかる。2、 学生全員が読書の楽しさを知り、本を読む力を育てる。3、集中力と落ち着きを育て、学習の雰囲気を作り上げる。△ 朝の読書の方法(4原則)と理由1.「子どもが好きな本を選んで読む。」~生徒一人ひとりは興味や関心も違えば、能力も理解力もみんな違う。自分が学びたいこと、必要だと思うものをやるのが一番である。それに、好きな本でいいことにすれば、生徒は必ず自分の力で楽々読めるものから始める。そして少しずつ自分自身の力が伸びていくに従って難しい物へと進んでいく。好きこそものの上手なれ。2.「毎朝10分間、一斉に読む。」~毎朝10分間という方法は、読めない子に本を読む力をつけさせる最良の方法だ。毎朝10分間を長期間続けることで、本を読めない子に読む力を与えることができる。「教養は蓄積である」という言葉のとおり、心と能力を伸ばす秘訣も、コツコツと根気よく続けることだ。継続は力なり。3.「教師も読むことにより手本を示す。」~一斉に読書を始め、教員も生徒たちと同じ視線で本を読む。これは、教師全員で責任を持つ、しかも生徒全員に対し公平に責任を持つ、という考え方に基づく。何といっても、学校全体で取り組んでいることが、一人ひとりの生徒に対しても大きな影響力を及ぼす。一人だったら絶対に本など読まない子まで、確実に読むようになる。4.「感想文や記録を求めない。」~読むことだけに集中させ、学生たちにそれ以外の余計な負担を与えない。そうすることで、生徒全員に自分自身を見つめる余裕を持たせることができる。読むことと書くことはまったく別のものである。※ 上記の内容を参考にしながら、学生の教養案とクラスでの進行計画を作成すること。△ 計画 2010/5/11~ 8:30~ 教員会議 ※作注(実施後まもなく8:20に変更) 8:35~ 朝の読書(クラス担任も教室で読む) 8:45~ ホームルーム 9:00~ 授業開始※ 学習委員の役割を高めるための構想を練ること。 「朝の読書」の実行「まず実行」とはいえ、何事も初めが肝心ということは、「朝の読書」でも言えることだ。特に、全校一斉に踏み切る場合、全教職員の共通理解を得ておくことが大切である。したがって、教員会議の場で、「朝の読書」の主旨を説明して同意を得た上で、初級部での導入も試みた。 クラス担任は、明日から始めようという時に、教員それぞれの個性を活かした言葉、やり方で、読書がいかに大切かを生徒に話し、各自が本を一冊準備するようにした。なお、本を持っていない学生は、学校の図書室を利用し、貸し出せるようにした。 以下に引用するのは、読書の大切さを説いた大塚笑子さん(元高校教諭、現・「朝の読書推進協議会」理事長)の言葉である。 <私は、「朝の読書」の時間がとても好きです。全校一斉で生徒と教師がそれぞれ、思い思いの好きな本を読めるのです。人はそれぞれ好みも違えば、個性も違います。ですから、自分の読みたいと思う本を読むのが一番ですよね。自由や解放感を味わい、読書本来の楽しさを知って欲しいのです。人は生きていれば、その日その日の体調や色々のことで感情にも起伏があるものです。悲しいことも、辛いことも、苦しいことも誰しもがあるのです。だからこそ、自分を元気にさせてくれる本を読むことが大切なのです。 本に書かれている物語の中の、登場人物の考え方や、主人公の生き方を通して、人として共感すること、目標にすること、あるいは、反面教師となることもあるでしょう。みんなは、まだ16~17歳の人生経験しかありませんよね。若いということは、未来が限りなく、可能性がたくさんあるということです。だからこそ、たくさんの本の中から自分を励まし、自分の視野を広めてくれる本を見つけ、大いに読書をして欲しいのです。 そのためには、まず、はじめの一歩として、最後まで自分で読み終えることのできるものを選びましょう。 先生はみんなが読書の本を忘れた時のために、教室のロッカーの上にたくさんの本を用意しました。絵本・児童文学・名作・純文学・エッセイ・詩集等々、たくさんありますから、その中の物のどれを読んでもいいです。また、学校の図書室から借りるのもいいですし、自宅にある本でもいいですし、書店で自分の好きな本を買うのもいいですよね。 ただし、注意することがあります。もし、事情があって遅刻した時は、クラスのみんなは静かに読書をしているのですから、自分も静かに教室に入って自分の席にそっと音をたてずに座って読書をしましょう。みんなが集中して読書をしているのですから、みんなの静寂を壊すことは絶対してはいけません。みんな本の中に入っているのですから。物語の場面の想像も精神の散策も、作者との語らいも一瞬にして壊してしまいますからね。> (大塚笑子『朝の読書希望への一歩』メディアパル 2000年) 「朝の読書」実践においての教訓 「朝の読書」が始まって間もなく壁にぶつかった。それは、八時三十分からの教員会議のあとでは、読書の時間にクラス担任が間に合わないということだった。まだ「朝の読書」の習慣が浸透する前であっただけに、教室内ではおしゃべりする子や、遅刻してくる子が続出し、教室に集まっても時間を守って本を読み始める子は、ほとんどいなかった。クラスの学習委員に統率を任せるのはどうか、という意見も出たが、それでは「朝の読書四原則」の三つ目である、「教師も読むことにより手本を示す」ことが出来ない。さらなる討議を経て、朝の教員会議の時間を10分早めることとなった。また、クラス担任の認識の違いから、指導面での差異も生じた。独断で「朝の読書」を中断したり、読書ではなく試験勉強をさせたり、と。しかし、その都度、教員間で目的を再確認し合い、全学年の教員が共同認識をもって「朝の読書」に取り組むようになった。 そうすることで、徐々に「朝の読書」が学生たちにも馴染んでいき、遅刻する生徒がほとんどいなくなったと同時に、読書の時間には自然と席に着き、本を読む習慣が、芽吹いていった。 ここでの教訓は、「朝の読書」を正常化させるためには、一人の教員が動くのではなく、「朝の読書」を学校全体の協力のもとでなさなければならないということだ。
2010.12.04
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<「朝の読書」の普及のために(2010)>報告者:Twist1.テーマ<「朝の読書」を普及させるために>2.テーマ設定の理由 読書は、学生たちの思考を深め、学力を伸ばすと同時に心を育てる上でとても重要な活動である。また、学生たちの学力向上と心を育てる問題は、教員たちの永遠の課題でもある。 昨今の教育の現場においても「朝の読書運動」が普及していく中で、数多くの成果の声があがっている。(全国での実施校は2010年現在で、23,000校を超える) そこで、私は「朝の読書」を実施して来た様々な学校の実践例を分析し、自身が6年間行って来た読書指導ととともに先攻研究と照らし合わせながら、今後、民族学校で「朝の読書」と読書環境づくりを整えるための問題を研究することにした。3.研究目的 1、「朝の読書」の導入によって提起される問題点、2、日本語授業でのサポート、3、図書室運営の効果的な方法について考察する。4.仮説 「朝の読書」を正常化させるためには、日本語(※作注)教員だけが動くのではなく、学校全体の協力のもとで「朝の読書」がなされなければならない。また、日本語授業でのサポートとしての読書指導、図書室を正常運営するなど、読書環境づくりに取り組むことが、学生たちの著しい成長へとつながるだろう。5.研究期間と対象 2004~2010年度 中学1、2、3年生6-1 序論 研究論文「読書指導の経験と、学習との関連性について(2006年)」では、2004年度以降の自身の読書指導の具体例を挙げながら、教員による読書奨励というかたちが、生徒たちの自発的な読書活動へと結びついたときに、少なからぬ効果をもたらし、生徒たちの学力向上にも結びつくと論じ、その経験について叙述した。 課題としては、教員の読書指導に対する共通理解から「年間読書計画」を作成・実施し、日本語教育での位置づけを強める上での研究を進める必要性を挙げ、さらに教員自身が、読書することの重要性を指摘した。一方、民族教育の現場では、日本語教員数の不足や、一人が多科目の授業を受け持つことによって、少なくない教員が授業研究のための読書時間を十分に確保できていないという問題があった。 そこで私は、中級部の日本語授業と教員の資質向上をサポートする、中級部日本語教員のためのブックリストを作成した(「中級部日本語教員のための推薦図書目録の作成(2008年)」)。 ところが、1、「年間読書計画」の作成・実施、2、教員自身の読書実行という課題は、いまだ根本的に解消されておらず、各学校によっても実状は様々である。※作注、このレポートは民族学校においての現状をもとに作られたものです。日本の方が読まれる場合は、「日本語」=「(日本学校における)国語」と読みかえて下さい。
2010.12.04
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教育研究会の論文報告のための書籍が多かった。研究課題は「朝の読書」。伊坂本はいずれも再読。43)グラスホッパー/伊坂幸太郎 P345(11/2再読)44)心を育てる朝の読書/林公、編 P289(11/10読了)45)できる教師のどこでも読書術/山中伸之 P127(11/10読了)46)「本を読む子」は必ず伸びる!/桶口裕一 P189(11/10読了)47)小学生のための読解力をつける「魔法の本棚」/中島克治 P222(11/10読了)48)朝の読書 実践ガイドブック/林公 P79(11/10読了)49)朝の読書 はじめの一歩/大塚笑子 P79(11/10読了)50)朝の読書 希望への一歩/大塚笑子 P79(11/10読了)51)マリアビートル/伊坂幸太郎 P465(11/21再読) 朝の読書はじめの一歩 読書は、自分の頭脳で考える代わりに、他人の頭脳で考えることです。 ―ショーペンハウエル11月は9冊。おかげさまで論文は中央発表会に推薦されました。累計P15,149。
2010.12.03
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