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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------深いところに、アクセスしてみましょう。誰かから、一方的な仕打ちをうけたと感じたとき、私たちは、しばしば、腹を立てます。思わず、相手を非難したくなってしまいます。実際、相手の言動は、理不尽で、ゆるしがたいものに思えるものです。ここで、徹底的にぶつかってやりあうのも方法。それも、もちろん否定はしません。ただ、私自身は、最近は、こんなふうに考えます。深いところに、アクセスしてみましょう…と。私たちは、こころが満たされているときは、けっして、誰かを攻撃したりはしません。このことは、これまでも、繰り返し、書いてきたことです。 ここでいう、「満たされる」とは、 おだやかなやすらぎのなかにある、ということです。もしも、誰かが、あなたに一方的な仕打ちをしたとしたら、それはそのひとが、満たされていない…もっというと、傷ついている証拠なのです。傷ついているときは、こころの余裕がありません。本来なら、けっしてしないようなことを、してしまうことも、まま、あるのです。 だから、ゆるされるということではなく、 あくまでも、受け止めるがわの問題として。もしも、あなたがそのことを感じ取れずに、相手と同じレベルで反応してしまったら、結局、あなたもそれだけのひと、ということになってしまいます。けれども、あなたがそこで、おだやかに、相手の深いところに、こころを添わせるなら、きっと、ちがった何かが見えてくるはずです。深く呼吸をして、自分のこころをしずめましょう。まっすぐにまっすぐに、そのひとの、深いところに、アクセスするイメージをもちます。あとは、目の前にあらわれてくるイメージに、ただただ、自分をゆだねていきましょう。見えてくるものは、ひとによってことなるはずです。「本当にこれがそうなの?」と、うたがいのこころも起きてくるでしょう。でも、そのうたがいも、迷いも、とまどいもすべて通り越して、見つめつづけていくと、ふっと、落ちつくところが必ずあります。そこが、間違いなく、「深いところ」です。そこにたどり着いたら、ただ黙って、じっとそこに流れる空気を感じてみてください。それだけでけっこうです。それ以上もそれ以下も、必要はありません。そして、これでもういい…と感じたら、しずかに、その場を立ち去りましょう。おそらく、現実は、そう簡単には変わらないでしょう。(^^ゞでもね、少なくとも、あなたのこころは、アクセスする前とあとでは、びっくりするくらい、変わっているはずですよ。ひょっとしたら、いやだと思ったことが、なんともなくなっているくらいにね♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第425号(2004年12月29日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------------ちょっとだけ疑ってみるほうが、自然かも?こんな話を聞いたことがあります。仏典は、お釈迦様の遺したことばを弟子たちがまとめたものです。聖書もまた、イエス・キリストのことばを弟子たちが、書き残したものです。お釈迦様も、イエス?キリストも、悟りをひらいたひとでした。では、弟子たちはどうだったでしょうか?少なくとも、お釈迦様やキリストほどには、悟ってはいなかったのではないでしょうか?(^^ゞ本当の悟りに達していないものたちが、悟りをひらいたもののことばを書き記してきた。ということは、わかっている部分と、わかっていない部分が必ずあったことでしょう。だから、仏典にしても聖書にしても、必ず、不完全な部分を残しているのです。不完全を残している以上、それを100%、守らせたりすることは、おかしなことではないでしょうか?前置きが長くなりましたが、これを、日常の生活に落として考えてみましょう。私たちのまわりには、さまざまなきまりがあります。これらは、すべて(たぶん)、生身の人間が書いたものです。完全無欠、絶対にあやまちを犯さない人間は、この世に、ただのひとりもいません。とすれば、この世のきまりもまた、完全無欠、絶対にあやまちがないということはありえないことになります。何を当たり前のことを、と思うでしょうね。でも、現実には、その不完全かもしれないきまりを、「規則で決まっていることだから」と、それだけでしたがわせようとしている場合が、しばしばあるとは思いませんか?もちろん、秩序は必要です。規則を無視していいとは思わないのです。でもね、今日は、こう言ってみたいのですよ。ときには、ちょっとだけ疑ってみるほうが、自然かも?…と。盲目的絶対的にしたがうのではなく、また、頭ごなしに否定するのでもなく、ときどき、立ち止まって、ちょっとだけ疑ってみる。そう、自分のこころで考えてみるのです。本当にこれでいいのかなと。そうすると、私たちは、自然に、自分のこころで、頭で考えるくせがつきます。大勢(たいせい)に流されるのではなく、自分のこころで、自分の頭で吟味して、(もしできうるなら、からだ感覚も使って)判断し、行動していくことができるのです。お釈迦様でもない、キリストでもない私たちは、まちがう存在なのです。まちがって、当たり前なのです。そのことに気がつくと、私たちは、お互いを、もっといたわれるようになります。いたわりながら、ちょっとずつ健全に疑い、(笑)より納得できるこたえを模索できるようになっていくと思うのです。ちょっとだけ、ぎすぎすした空気を感じる今日このごろに、思ったことでした。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第424号(2004年12月28日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------まるで正反対に見えるものが…。あなたが、向かい風を受けていたとします。けれども、あなたが、くるりと振り向くと、その向かい風は、たちまち追い風に変わります。 これは、私の脚本『風の森に哀しみは眠る』 のなかの、モチーフのひとつでした。また、私の郷里の近くに、知床という地があります。観光地として有名な場所です。その知床の奥に、カムイワッカの滝があります。カムイワッカとは、何を意味するのか。それは、「神(魔)の水」というのです。アイヌ語では、神と魔は、同じ意味なのです。もうひとつ、以前にも書いたかもしれませんが、『パワーズ・オブ・テン』という本があります。(フィリップ・モリソン著、日経サイエンス刊)ごくありふれた光景を、10倍遠くから見ます。さらに、10倍、10倍と、遠ざかっていきます。どんどん、宇宙の遠くの光景に変わっていきます。星間物質のみが散らばる、深く静かな空間です。今度は、同じ光景から、からだの内がわに向かって、10分の1、さらに10分の1と、入っていきます。細胞のなかへ、分子のなかへ、原子のなかへ…。すると、驚くべきことに、そこに、あの、永遠に遠い宇宙のかなたに見た光景と、そっくりの光景が、立ちあらわれてくるのです。これらのことは、単なる偶然の一致なのでしょうか?まるで正反対に見えるものが、実は、ひとつのものだった。そんなことは、もっと注意してみれば、たくさんあるように思います。いいえ、ひょっとしたら、すべては、同じひとつであるものを、そのときどきに、ことなる視点から見ていたに過ぎないのかもしれません。だとしたら、私たちは、何を悩むのでしょうか。何を怖れるのでしょうか。何を苦しむのでしょうか。そして、なぜ、あらそう必要があるのでしょうか。すべてがひとつのみなもとからあるとしたら、すべては、自分自身であるともいえるのです。神も、魔も、自分自身の内がわにあるならば、私たちは、ただ、それを受け入れればいい。そして、神でもあり魔でもある私たちが、どのように生きていくか。それは、私たちの選択にゆだねられています。以上はいつものとおり、超強引な、かめわざ的解釈です。(^^ゞけっして、入試のこたえには書かないように。(そんな問題、出ませんってば!)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第423号(2004年12月27日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------もどることができないなら、進みましょう。友人からメールが届きました。「戻りたい道と行きたい道は似ている」さりげないメッセージが、ずしっとこころに届きました。運命のいたずらのように降りかかった、不本意な生きかたを、いま、選んで生きている友人のことばだからです。「あのころにもどれたら…」友人でなくとも、誰しも、こんなことばをつぶやいたことがあるでしょう。まして、いま、自分の身に引き受けていることが、自分自身の責任ではないところで起こっているとしたら。 たとえば、天災などの被害にあわれたかたも、 そんな気持ちになるかもしれません。でもね…、いいえ、だからやっばり、あえて伝えたいのです。もどることができないなら、進みましょうよ。もしも、もどりたい道が、行きたい道に似ているなら、進むことによって、それを実現させましょう。たしかに、過去とまったく同じかたちには、ならないかもしれません。でも、それでいいのです。なぜなら、私たちは、常に変化しつづけているから。変化してきた私たちは、前と、同じものを選ぶ必要がないのです。ちょっと強引なたとえですが、子どものころ、とっても気に入っていた洋服があったとします。でもあなたは、あれからずいぶん大きくなりました。(横幅…の話ではないですよ)(^^ゞあんなにすてきな服も、もう着ることはできません。だけど、これって、悲しいことじゃないですよね?あなたは、成長したんですから。運命のいたずらであれ、自分でまねいたことであれ、あなたは、以前とはちがうあなたです。もどることはできません。いえ、必要ないんです。だったら、進みましょう。前を向いて歩くあなたに、きっと道はひらかれます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第422号(2004年12月26日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------------------赤ちゃんのおなかにふれるように、さわってください。お手入れとは直接関係ありませんが、私が学んでいる野口体操 http://aea.to/noguchitaisou/のなかに、リラックスした、自然な逆立ちというものがあります。(このメルマガでも、野口体操の逆立ちのことは、 しばしばとりあげてきました)普通の逆立ちは、えいやっと気合を入れ、力強く大地に手をつきます。野口体操の場合は、そうではなく、脱力した腕とともに、上半身が、ゆっくりと地球に向かって落下していき、重さが両手の上に乗り切ると、自然に足があがって、逆立ちになるのです。逆立ちをしようとするときも、逆さに立ったときも、もどるときも、からだに一切無理をかけない、自分にも地球にもやさしい逆立ちです。(^^ゞあるとき、指導者のかたが、こんなふうに表現されました。「床にふれるときにね、 赤ちゃんのおなかにふれるように、 やさしくさわってください」私たちが、こころのお手入れをしたいと思ったときには、同じようにしてみてはどうかな。それが、私が、ふっと思ったことでした。もしも、自分のこころが、赤ちゃんのおなかのようだと思ったら、あなたは、どんなふうに接したいですか?あの、水分80%の、ふあふあのおなかです。さわっているだけで気持ちがよく、いつまでも、すりすりしたくなる、おなかです。(^^ゞ自然に気持ちがやさしくなりますよね。わけもなく、満ち足りた気持ちになって、ほほえみも湧いてきますよね。あなたのこころにたいしても、そんなふうな感情を向けてみたらどうでしょう。落ちこんでいるとき、悩んでいるとき、苦しいと感じているとき、私たちは、無意識のうちに、そんな自分を責めてしまっています。責めるということは、目には見えないけれど、「まだまだだ」とか、「がんばれ」と、休むことをゆるさないことであったり、「どうしてできないのか」と、批判し、非難することであったりします。それは、とてもつらいことです。しんどいことです。それではけっして救われないと、わかっているのに、なぜか、ひとは、その甲斐のない方法を選んでしまうのです。フォーカスチェンジしてみましょう。赤ちゃんのおなかにふれるように、あなたのこころにやさしくふれてみてください。もし、お手入れの必要があるとしたら、どんなふうに、してあげますか?感じたままに、行動してみましょう。あなたが本当に心地よさを感じることができたら、落ちこみなんて、飛んでいってしまいますよ!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第421号(2004年12月25日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------困ったら、笑ってみましょう。これ、タイのひとは、実際そうするんだそうです。タイに住んでいる友人から聞きました。日本人の多くは、困ったときには、困った顔をします。ひとによっては、不機嫌になります。タイのひとも、困ったときは困るのです。でも、そのときに、困った気持ちを落ち着けようと、笑ってみせるのだそうです。 このことが理解できないと、 「いいかげんなやつ」と誤解されそうですが。(^^ゞこの話を聞いたときに、「うわあ、いいなあ」って思ったんです。困ったら笑う。これを習慣にすると、とても強いですよ。なぜなら、本来「笑う」ということは、うれしかったり楽しかったりおもしろかったり、気持ちがプラスに向くことだからです。結果を先にやってしまうことによって、今の状態にたいするカマエをかえてしまうのです。まさに、「型から入る」とはこのことですね。実は、私も、無意識のうちにやってました。困ったときには、笑っているのです。(^^ゞ(私は日本人じゃないのか???)笑顔の自分を意識したとたん、私の内がわのエネルギーは、ぐっとあがります。「笑ってるじゃないの、私。 とすると、今は、全然困ってないのよね」そういうモードに入ってしまうんです、本当に。もちろん、事実は「困ったこと」が起きています。そこから目をそむけるわけではありません。でも、この「笑い」モードに入っていると、それを受け止めるパワーがほんとに生まれるんです。ためしてみてください。困ったことが起きたら、まず、笑う。笑いかたは、いろいろ工夫してみてください。ひとりのときは、思い切って、「わはははは」と笑ってみる。(^^ゞ相手がいるときには、「大丈夫ですよ」という慈愛にあふれたまなざしで、見てあげるというのはいかが?困ったら、笑ってみましょう。笑って落ち着くと、自然に、解決策も見えてきたりするものですよ。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第420号(2004年12月24日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------避けられないなら、受け取りましょう。私たちは、生きていくうえで、さまざまなこと・ものに、翻弄されます。それは、望んだ(期待した)けれども、かなわなかったことであったり、あるいは、予期せずにあらわれたことであったりします。そのたびに、私たちは落胆し、ときには、それを忌み嫌い、恨みます。けれども…、おわかりですよね。落胆しても、怒っても、憎んでみても、たいていは、状況は変化しません。そう、避けることはできないのです。だとしたら、受け取りましょう。あなたのもとにやってきた、それは、なんであれ、あなたにとって必要なことなのです。とてもそうは思えないとしても、避けられないなら、受け取りましょう。受け取って、まっすぐに向き合いましょうよ。受け取って、次にどうするかは、あなたの選択次第です。受け取る前は、怖くてしかたなかったり、苦しさにつぶされそうになるかもしれません。でも、大丈夫。大切なことは、あなた自身のもっているエネルギーを、パワーを信じることです。それが、そこにある(いる)ということは、受け取れるだけの力量をもったあなたが、存在しているということなのです。しっかり受け取ることができたら、実は、どうするかは、もうわかってしまうのですよ。それは間違いなく、あなたをパワーアップさせ、あらたな方向性、可能性をひらいてくれるものとなるんです。だから、勇気を出して受け取ってください。あなたの、より輝く明日のために。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第419号(2004年12月23日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------ノー・プロブレム。ノー・プロブレム。何も問題はありません。大丈夫です。今日の私は、このメッセージを、あなたを説得するように書くことはできません。何か、「こうだから大丈夫だ」という理由があって、書くわけではないからです。ただ、私の内がわの、素直な感情として、いま、このことばが、存在しているのです。こうでしかありえないという感覚で、あるのです。それだけを伝えたくて、書いてみることにします。問題は、すべて、あなたが、問題だと感じた瞬間に、存在します。困ったことは、すべて、あなたが、困ったと感じた瞬間に、存在します。何を当たり前のことをと、思われるでしょうね。でも、言い換えればこういうことです。たとえ何が起きようと、あなたが、問題だと思わなければ、問題は存在しません。あなたが困ったと感じなければ、困ったことは、存在しません。人生の、短くて長い道のりのなかで、私たちは、たくさんのことを学んでいきます。学びは、問題を解くことでしか得られません。問題のこたえだけ読んでも、そこから、学びを得ることはできないからです。だから、問題があるとすれば、それを解く必要があるから、存在するのです。解く必要があるということは、あなたにとって意味があるということです。あなたにとって意味があるということは、あなたを、人間として豊かにしてくれる、実りを与えてくれるものだということです。あなたを、人間として豊かにしてくれる、実りを与えてくれるものを、あなたは、「問題」と呼びますか?いいえ、それは、喜びの果実です。あなたを祝福してくれる、おおいなるプレゼントです。だから、問題は存在しないのです。ノー・プロブレム。大丈夫なのです。最初にも書いたように、私はこのメッセージによって、あなたを説得するつもりはありません。ただ、このことばにたどり着いたとき、私の内がわに生まれた、深いやすらぎを、あなたと共有できたらいいなと思います。この深いやすらぎこそが、世界をつないでくれると、これまた何の根拠もなく感じているので。(^^ゞノー・プロブレム。このことばとともに、あなたの深いやすらぎを祈ります。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第418号(2004年12月22日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------休むときは、休みましょう。またしても、当たり前のタイトルになってしまいました。(^^ゞでも、こう書いてしまうのも、やっぱり、これができていない人が多いから。休む、というのは、単に、休暇をとる、だけの意味ではありません。日常のなかでも、私たちは、自分のこころやからだを休ませるチャンスをもっています。たとえば、睡眠。人間は、眠らなければ死んでしまいます。ですから、どんなに仕事に追われるひとでも、365日、眠らずに仕事をすることはできません。かならず、眠ります。休みをとるのです。ところが、せっかく眠っていても、こころのなかで、仕事やら、そのほか、もろもろの心配ごと、悩みごとが渦巻いていたら、どうなるでしょう?そう、こころはちっとも休んだことにならないのです。そして、実は、からだも、です。せっかく休んでいるにもかかわらず、からだがこわばったまま眠っているひとがいます。こういうひとは、どんなに眠っても、肩こりがとれないし、疲労が蓄積したままです。本当に休んだことになっていないのです。「休みをとったはずなのに」と嘆くあなたは、ちょっと自分の休みかたを振り返ってみてください。休むときに、こころから不安を取り除いていますか?からだの緊張を解いてあげていますか?こころに不安や悩みをかかえたまま、からだをかたくこわばらせたまま、人間は、本当には休むことはできないのですよ。休むときは、休みましょう。あなたがどんなに不安や悩みをかかえていようと、眠っているあいだは、何もできないのです。だったら、眠っているあいだだけ、それを手放してみましょうよ。あなたが本当にからだを楽にしたいのなら、からだをゆるめることをやってあげましょう。からだがゆるめば、自然に、からだ自身が、ほぐれていくものなのです。そうすれば、心身ともに、深い眠りを得ることができるのですから。あなたがより生き生きと生活するために、より、楽で、楽しい人生を送るために、休むことを、けっしておろそかにしないこと!休むときは、休みましょう。それだけで、エネルギーは倍増します。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第417号(2004年12月21日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------何も言われないままで、いいのですか?以前、ある演出家のかたと、一緒に仕事をさせていただいたときのことです。ある場面の、ひとりの役者さんの演技が、私にはどうしても納得できませんでした。でも、演出家のかたは何も言われません。そこで、帰りの電車のなかで、思い切って、聞いてみました。「あの場面は、私はこう思うのですが…」すると、演出家のかたはこう言われました。「そのとおりだと思います」「えっ、だったらなぜ…」「でも、いま、それを言っても、 彼(役者さん)にはわからないでしょ? わかってないときに言うと、混乱するだけ」ずしんと来ました。誤解のないように補足しますが、それって、けして突き放しているんじゃないんですね。「いまは無理。言えるときまで待とう」それが、このかたのスタンスだったのです。でもね。ひるがえって、考えてみたんです。もし、自分が役者さんの立場だったら…。何も言われないことで、ほっとしてちゃ、だめだなあって。(^^ゞ私たちは、ついつい、他人の評価を気にします。マイナスの評価をされないようにしよう。何も言われないようにしよう。そんなふうに思ってしまいがちです。でも、何も言われていないことって、本当に、「問題が何もない」状態なんでしょうか?もしかしたら、「いまは言ってもだめ」と、「保留」されているときなのかも?だとしたら、何も言われないままで、いいのですか?もちろん、いたずらにあせる必要はありません。でも、もしも、今日のメッセージを読んで、「待ってるだけではいやだ」と思うひとがいるなら、もう一歩、行動を起こしてみませんか?そう、昨日までのあなたとは、少しちがう行動を。(思わないかたは、そのままでいいんですよ)それは、これまで自信がなくて手をつけずにきた仕事にチャレンジすることだったり、なんとなく習慣でやってきたことを、あらためて問い返してみる作業だったり…。あなたの変化は、必ず、ほかのひとにも影響をおよぼします。あなたを見るまなざしも変わってくるでしょう。そうしたら、これまでになかった、メッセージがやってくるかもしれませんよ!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第416号(2004年12月20日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------苦しんでください。進路選択を目前にした高校生から、相談を受けることが、ときどきあります。たいていの質問のかたちは、こうです。「自分は、○○という道に進みたい。 でも、親(先生)が賛成してくれない。 自分自身も、反対を押し切るだけの自信がない」よくわかります。私自身も、進路選択の際に、半分は、妥協した面がありました。親の気持ちを思いやったつもりが、結果的には、かえって余分な苦労を、親にかけてしまった気がします。 いまとなっては、それもまた、 必要な体験だったとは思いますが。だから、最近は、そういう相談をいただいたときには、「苦しんでください」とお返事しています。ああ、我ながら冷たいですねえ。(^^ゞ私は、あなたを励ましてあげたいし、大丈夫だよ、とも言ってあげたい。でも、私には言えないし、あえて、言わないのです。ここが、一番大切なところだからです。誰かが後押ししてくれたからではなく、自分で、自分を後押しするんですよ。いま、覚悟しないで、いつ、覚悟するんですか。おおくのひとが、「自分で決める」ことをせず、選択を先延ばしにしているんです。そして、他人が決めた道を、ぶつぶつ文句を言いながら歩いていくのです。あなたは、どういう生きかたをしたいですか?ひとの価値観に左右される生きかたですか?自分で決めて、自分で選んで、自分で責任をとっていける生きかたですか?どちらを選んでもいいのです。どららも選べます。選んだ瞬間に、あなたの生きかたが決まります。 これって、選ぶことのできる自分を選ぶのか、 選べない自分を選ぶのか、という選択でもあります。苦しんでくださいね。いま、苦しまなくて、いつ苦しむのですか。いま、本当に苦しんで、そこから自分の本当のこたえを選ぶことは、一生にとってとても大切なエポックになります。私は、あなたの可能性を信じます。すべてのひとの可能性を信じています。でも、それは、そのひとが、自分で選ぶ、という選択をしないかぎり、ひらかれてこないんです。苦しんでください。あなたの輝く未来のためにこそ、いま。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第415号(2004年12月19日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------決意としての否定形。私はときどき、否定形で、ことばを発することがあります。たとえば、「やりたくないことはやらない」「自分にうそをつかない」など。世の中の成功法則などでは、「肯定形を使いましょう」と言われていますし、私自身も基本的にはそう思っています。ところが、どうしても、否定形を使いたくなるときがあるのです。なぜなのかなあと、あらためて考えてみて、はたと思い至りました。「そうか、決意なのだ」と。実は、関連するテーマを、このメルマガの第96号にも「大切なのは、自分にうそをつかないこと」というタイトルで書いています。http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000119721(第96号/2004年2月4日発行)このときは、このことばを使う意味としてだけ、考えていたのです。でも、そのほかにもいくつかのことばが出てきたとき、自分のなかで、確信がもてたのです。私があえて否定形を使うときは、その決意の強さを示すためなのだ、と。社会(あるいは世界)という大状況の前に、あるいは、圧倒的な事実の前に、私は、ときどき、無力感におそわれます。私には何もできない…。何をしても意味がない…。(これはまさに否定形ですね)でも、そのときに思うのです。けっして、「あきらめない」と。これは、「あきらめないという決意をする」という意味なのです。「決意をする」ことは、とても怖いことです。それは、自分自身との約束ですから。自分との約束を裏切ることは、自分の軸を見失ってしまう危険をはらみます。決意するには、それだけの覚悟が必要なのです。一般的な否定形は、たいていは、怖れから出ています。ですから、ひとは、しばしば、そのことばを使うことによって、自分自身を制限してしまうことになります。けれども、それを決意に変えたときには、覚悟した結果の強さが生まれます。「あきらめない」「自分をごまかさない」「他者を否定しない」語尾は否定形であっても、このことばを口にした瞬間に、もう、あともどりはできないのです。ことばを行動にしていくことを、要求されるのです。それは、とても勇気のいることです。自分の無力さを感じれば感じるほど、決意と覚悟が必要な時代に、いまは、なっているのかもしれません。決意としての否定形を怖れずに使っていこうと思います。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第414号(2004年12月18日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------すべて、自分へのメッセージなんです。メルマガを1年あまりつづけて、並んだタイトルを、あらためて見直してみました。ずいぶん、いろいろなテーマで書いてきました。でも、ひとつだけ共通していることがあります。これらすべてが、自分にたいするメッセージでもある、ということなんです。紆余曲折をたどりながら、私は私なりに、「自分のなかに、こたえがある」ことを、少しずつ実感できるようになりつつあります。だから、私が何かを発信しているときは、それは、私自身も必要としていることなんです。必要としているから、そのメッセージが、ことばとなって、あらわれてくるんです。自分なりに納得して書いているものもあれば、なぜ、こんなことばが浮かんできたのかなあと、首をかしげながら、書いているときもあります。でも、時間が経って(あるいは距離を置いて)みると、必ず、それが自分に必要なことだったとわかるのです。そのことに気づくと、私がそのメッセージを発信するきっかけを、つくってくれたこと・ものに感謝したくなります。それはときには、うれしい内容ではなかったり、急を要してあわてふためくこともありますが、でも、振り返ってみると、すべて感謝です。こうして、書くというかたちをとおして、私自身が、さまざまな気づきをもらっています。そして、同時に、私自身のこの気づきを、読んでいただくあなたと、共有しています。 賛同してくださる必要はありません。 気づきとは、ひとつのきっかけであり、 そこから何を得るか、あるいは手放すかは、 一人ひとりの選択の自由だからです。このめぐりに、深く感謝したいと思います。つづけてきたからこそ、得られためぐりです。つづけてきた自分に感謝します。つづけさせてくれた、あなたに感謝します。感謝の循環が、ここからも始まっていきます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第413号(2004年12月17日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------ちいさな働きかけと、おおきな喜びメールマガジンを発行していると、たくさんのかたから、メールをいただきます。なかには、「メールを読むのが大変でしょう」と、気づかってくださるかたもいます。でもね、これは、メルマガ発行者、そして、ネット上で日記をつけていらっしゃるかたなど、みなさん共通の思いだと思うのですが…「大変じゃありません。うれしいです!!」また、ワークショップなどで直接お会いすると、「感想はあるのですが、たいしたこと 書けないので、送らずに終わってます」と、おっしゃるかたもいます。ブンブンブンッ。(首を横に振る音です)(^^ゞほんのひとことでも、書いたひとは、とってもとってもうれしいのですよ。今日書きたかったことは、メルマガや日記の感想をください、ということではなく、(あ、もちろんいただけたらうれしいですが)「ほんのちいさな働きかけを、 もっと大切にしてくださいね」ということなんです。私たちは、自分のことばや行動を、なぜか、過小評価してしまう傾向があるようです。でも、あなたにとっては、ほんのちいさな働きかけに過ぎなくても、受け取る相手にとっては、とてもおおきな喜びになることは、この世の中に、たくさんたくさんあるんです。「ちいさな」ことを大切にしてください。すべては、「ちいさな」ことの積み重ねから成り立っているのです。あなたが、あなたの「ちいさな」ことを大切にすると、それがやがてつながりあって、おおきな喜びにつながっていきます。葉っぱ一枚だって、池に落ちれば、波紋を広げていくのです。あなたの働きかけが、意味をなさないことなんてありません。 たとえ表面には見えなくても、 それもまた積み重ねのステップなのです。あなたのちいさな発信を、今日は大切にしてみましょう。喜びの連鎖のスタートです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第412号(2004年12月16日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------感情はシンクロします。ホームページを運営していると、いろいろなかたからメッセージをいただきます。あるときのことです。そのときいただいたメッセージは、あまりうれしいものではありませんでした。正直言って、ほんのちょっとだけですが、腹を立てました。(^^ゞでも、私は、めったに怒ることがないので、自分のその感情にびっくりしました。そして、「なぜ私は怒りを感じたのかしら」と、自分に問い返してみました。すると、こたえはとっても簡単でした。私は、その数日、仕事がうまくいかなくて、いらいらしていたのです。それだけでなく、いくつも、気持ちを滅入らせるできごとがつづきました。「なんで、こうもいやなことがつづくのか」そんなふうに感じていたときにいただいた、メッセージだったんですね。「これって、私の感情が反映しているんだ」と、即座に気がつきました。それに気がついた瞬間、すっと怒りがとけました。うれしくないメッセージが存在するのではなく、うれしくない気分でいる自分が存在するだけだとわかったからです。だったら、気分を変えればいいだけです。私はまず、そのメッセージのぬしに、こころのなかで感謝しました。「気づかせてくれて、ありがとう」その直後です。立て続けに、数通のメールがとどきました。いずれも、メルマガに対する好意的な感想など、うれしく感じる内容のものばかりでした。仕事のいらいらもすっかり消えて、もう、気分爽快の自分がそこにいました。これって、ただの偶然だと思いますか?もちろん、そう思ってもかまいません。でも、シンクロって、こんなふうに起きるなあと、最近つくづく実感しているんです。感情はシンクロします。いやな気分でいると、いやなものを引き寄せやすくなります。いやなことがあったときは、いやな気分になるのではなく、それを気づかせてくれたこと・ものに感謝して、いやな気分を手放してしまえばいいのです。そうすると、それに見合った何かがやってきます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第411号(2004年12月15日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------まわりまわって、返すしかないのです。いきなりワタクシゴトで恐縮ですが、私が、いまのような生きかたができるのは、実は、すべて、妹のおかげです。 5歳で病気で亡くなった妹ではなく、 現在、生きている妹のほうです。(^^ゞ妹は、高校を卒業するとすぐに准看護婦の学校に入り、働きながら勉強し、のちに、さらに勉強して正看護婦になりました。(いまは、看護士っていうんですよね)その後、結婚して、3児(1女2男)の母となり、現在も、仕事・妻・母の3役をこなしています。しかも、家は、わが両親の家と廊下でつながる二世帯住宅。(4LDK×2)そう、両親こと、じじばばは、孫とスープの冷めない距離で暮らせるのです。これ以上の親孝行はない、という生きかたです。一方、もう一人の娘(つまり私のこと)は、定職ももたず、貯金もなく、将来のあてもない、行き当たりばったりのお気楽な人生を、歩んでいます。もしも、妹が、私と同じ(似た)生きかたをしていたら、両親の嘆きははかりしれません。しかし、天は幸いに、この2人の娘に、両極端の生きかたを与えてくれました。妹が、しっかり3役をこなしてくれるおかげで、私は、無罪放免で、好き勝手をしていられます。実に、妹サマサマなのです。(^^ゞそれにしても、この私は、いかにして、両親に親孝行をしたらよいのでしょうか。妹と同じことは、絶対にできません。(きっぱり)というわけで、本日のテーマです。「まわりまわって、返すしかないのです」世間一般的な恩返しなど、私の場合は、たぶん、一生できないと思います。 両親は、私にたいして、できれば、 妹のような「幸福」を期待してきたのです。 ほとんどあきらめたとは思いますが。(爆)だから、そのことは、素直に、「ごめんなさい」と言いましょう。そして、「ごめんなさい」ついでに、「まわりまわって、返します」宣言をしちゃいます。それはまるで、ボールのリレーのようです。私が両親からもらったボールを、今度は、誰かに渡すのです。その誰かもまた、いつか別の誰かに、そのボールを渡すのです。ずっとずっと、リレーをつづけるのです。いつか、そのボールは、誰のものかも忘れられ、それでも、リレーはつづくでしょう。実は、返していることさえも忘れられ、「いただきもの」と、感謝されるかもしれません。そのころ、私はどこにいるのでしょう。遠く、宇宙のかなたから、にこにこして、そのリレーを見ているかもしれません。あるいは、ちゃっかり、次の番にまわって、ボールを受け取っているかもしれません。そんないつかを楽しみながら、この生きかたを、つづけていきたいと思います。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第410号(2004年12月14日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------からだの「声」を聞いてください。一時期、過労死が、マスコミでおおきく取り上げられた時期がありました。 いまもけっしてなくなったわけではないと 思いますが。たしかに、過労死にいたるまで仕事をさせた、会社の問題もあるでしょう。でも、私たちは、もっと、自分のからだが発している「声」に耳を傾ける必要があるのです。取り返しのつかないことになってしまう前に、からだは、必ず「声」を発しているんです。過労死されたかたを責めているのではありません。私たちの日常でも、こんなことは、しょっちゅう起きているからです。おなかが痛いなあと感じたときに、すぐに胃腸薬を飲むのではなく、痛いところに、そっと手を当ててみるのです。そして、その痛みを感じてみてください。ひょっとしたら、その痛みは、昨日の食べ過ぎの後遺症かも知れないし、会社でのストレスが起因しているかもしれません。そんなふうに思いをやりながら、からだに接してみてほしいのです。薬は、飲みたければ、もちろん飲んでいいのです。ただ、性急に、その痛みを抑えることで、必要なメッセージを聞き逃してほしくないのです。朝、なかなか起きられないとき、それは、単に、低血圧のせいなのでしょうか? 私は、低血圧ですが、朝はばりばり強いです。(笑)もしかしたら、やりたくないことがあって、起きる意欲が湧かないだけかもしれません。「やりたくないよ」という、からだの声を、きちんと受け止めてあげたとき、あなたの人生(生活)での行動が変わります。私たちの意識(アタマ・こころ)が、どれだけ無理をして、自分を抑えつけても、からだは、みごとに正直に反応します。なぜならば、私たちは、このからだなしには、この三次元を生きることはできないからです。だから、からだは、生きるために必要なことを一番よく知っているのです。私たちが、頭でっかちになって、そのことを忘れているだけなのです。からだの「声」を聞いてください。じっとじっと、耳をそばだてて…。あなたが、どんなふうに生きていきたいか。あなたにとって、何が本当に必要なのか。からだは、いつでも、こたえを知っています。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第409号(2004年12月13日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------「いま・ここ」というエネルギーある日、劇の稽古を見ていたときのことです。おとなと子どもがまじって出演する劇でした。最年少(4歳くらい)の女の子が、みんなで飛び跳ねている場面で、たまたま、おとなの出演者と衝突して、ころびました。結果、みごとな大号泣となりました。(^^ゞ次の場面は、子どもたちが集団で、走っていく場面でした。すると、どうでしょう。いま、さっき、号泣していた女の子が、かかえていたお母さんの腕から飛び出して、みんなと一緒に、走っていくではありませんか。ほおには涙がまだ流れているのに、顔はもう、笑っているのです。「ああ、まさに、『いま・ここ』だなあ」と、思わず笑いがこぼれてきてしまいました。子どもたちのこのエネルギーには、いつも、脱帽するしかありません。過去を振り返らないのです。未来をおもんばからないのです。本当に、「いま」「ここ」にしか、生きていないのです。だから、エネルギーが無尽蔵に湧いてくるのです。そういえば、以前にも、子どもたちの劇の稽古を、見学にきたかたから、こんな感想を言われたことがあります。「休憩時間になると、 おとなは、よいしょっと休むけれど、 子どもたちは、さらに元気になって 走り回る」これまた、「ああ、そうだなあ」のひとことです。劇の稽古は、劇の稽古として、楽しむ。休み時間は、休み時間として、楽しむ。それぞれに、100%なんですね。それぞれの「いま・ここ」を生きているんです。もしも、あなたが、少し疲れているとか、一歩前に進めないなあと感じているなら、「いま・ここ」のエネルギーが欠けているのかも。そんなときは、子どもたちをお手本にしてみましょう。あとも、先も、考える必要はありません。ただ、「いま・ここ」に立てばいいのです。「いま・ここ」は、瞬時に変わっていきます。考えているひまはありません。考えた瞬間に、「いま」は「さっき」に、「ここ」は「あそこ」に変化しています。その瞬間をつかまえるしかないのです。こころもからだも、全部ひらいて、その瞬間を受け止めるのです。「いま・ここ」というエネルギーで、100%のあなたを、生ききってください。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第408号(2004年12月12日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------------------愛しているものがあったら、自由にしてあげなさい。 「愛しているものがあったら、 自由にしてあげなさい。 もし帰ってくればあなたのもの。 帰ってこなければ、 はじめからあなたのものではなかったのだ」このメッセージは、何かで読んで、気になってコピーしてあったものです。出典を書き忘れたため、誰のことばかわかりません。(ご存知のかたがいたら、教えてくださいませ)「気になって」と言いながら、実は、長いこと、このことばを受け入れることができませんでした。だって、もしも、愛しているものがあったとしたら、私たちは、けっして手放したくないと思うでしょう。自由にして、もしも帰ってこなかったら…?そんなことは、絶対に耐えられないと感じます。でもね、今日、ふっと思ったんです。愛するものがなんであれ、それを、「あなたのもの」にすることなんて、絶対にできないんですよね。だって、この世とわかれるときに、あなたは、それをいっしょに連れていくことはできないのですから。だとしたら、それは、ただ、かりそめのあいだ、「ともにいる」だけなんです。そういうふうに考えたら、本当は、最初から最後まで、「自由」なんです。だとしたら、「あなたのもの」ということばも、本当は、「あなたとつながっているもの」という意味なんですね。あなたとつながっているものなら、それが、もともと自由であることを認めましょう。あなたとつながっているものなら、いつでも、そのつながりを見出せるでしょう。もしも、つながっていないものなら、いつか、目の前から消えていってしまうでしょう。それを惜しんでもしかたありません。――こんな意味ではないかと、思うようになったのです。もしも、このかりそめの時間のなかで、あなたとともにいるものがある(いる)としたら、素直に、それを祝福しましょう。もしも、このかりそめの時間のなかで、あなたとともにいられないものがある(いる)としたら、素直に、認めて、手放しましょう。どちらにしても、やすらぎだけが、そこにあります。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第407号(2004年12月11日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------扉はひらかれているのです。ふっと、ことばが胸のうちに、あがってくることがあります。そんなときは、理由を考えるのをやめて、ただ、ことばのなかに身をひたしてみます。すると、ことばのほうから、メッセージがやってくるような気がします。今日のことばも、そんな感じです。目の前に、おおきな扉があります。扉の向こうには、行きたい場所があります。望んでいる何かが待っています。でも、扉はかたく閉ざされたままです。あなたは、扉の向こうを切望し、扉をたたき、あるいは揺すり、ときには、体当たりしてもみるのですが、扉は、どうしてもひらきません。やがて、あなたは、失望し、扉を見ることさえやめてしまいます…。でもね…。もう一度、顔をあげて、見てごらんなさい。扉はひらかれているのです。たしかに、あのときは、閉ざされていました。どんなことをしても、開けることはできませんでした。でも、あれから、どれだけのときが経ちましたか?あなたは、あれから、どんなふうに生きてきましたか?苦しいこともありました。投げやりになったこともありました。あともどりしたこともありました。でも、生きてきました。生きて、ここまで歩いてきました。振り返って、見てごらんなさい。あなたが生きてきた足跡を。歩いたあとでなければ、自分の足跡を見ることはできないのです。苦しかった、つらかった、せつなかった、それらを超えて、生きてきたあなたは、もう、過去のあなたではないのですよ。ここまで歩いてきた、あなたなのです。ここまで歩いてきたあなたに、扉は、いつのまにか、ひらかれていたのです。堂々と、その扉をくぐってください。くぐって、次のステージへと進んでください。そこには、あらたな扉が見えるでしょう。でも、もう、あなたは怖れることも、ためらう必要もありません。これまでと同じように、つまずいても、転んでも、立ち上がって、歩きつづけていけばいいんです。歩いてきた、自分の足跡を信頼しながら。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第406号(2004年12月10日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------もっと、ひとにゆだねていいんです。あるとき、ワークショップで、2人組のからだほぐしをやったところ、参加者のかたから、こんな質問をいただきました。「1人でできるやりかたはないのですか?」この質問をされたかたの気持ちは、とてもよくわかるのです。たしかに、ほぐしをしたいとき、必ずしも相手がいるとはかぎりません。自分一人でもできるほぐしかたを知りたいと思うのは当然です。でもね、実は、その気持ちのなかに、同時に、なかなかほぐれない理由がひそんでいることがあるんですよ。「自分だけでなんとかしてしまおう」この発想です。2人組のワークでは、お互いが、お互いのサポーターになります。どちらかだけが、がんばるのではなく、働きかけるがわ、働きかけてもらうがわの、両方を、体験するのです。要は、おあいこってことなんです。やってあげたら、やってもらえる。だから、安心して、もっと、ひとにゆだねていいんです。いつも、自分だけで何とかしてしまおうとすると、何もかも自分で背負うことになります。どんどん、どんどん、荷が重くなります。しまいには、抱えきれなくなります。そうなってからでは、ひとには、なかなか頼めません。ゆだねる感覚を、体験してみましょう。それがどれだけここちよいかを、ぜひ、たっぷりと味わってみてください。そう、ここちよいのです。この、ゆだねる体験のここちよさを知ったひとは、今度は、誰かに、このここちよさをプレゼントしたくなります。ここちよさの循環がはじまります。もっと、ひとにゆだねていいんです。私たちはいつも、つながりのなかにあることを、ゆだねあう関係は、教えてくれます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第405号(2004年12月9日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.10
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------自分でほぐれる力をもっているんです。最近、とくに好評のからだほぐしワーク。それは、「背骨ゆらし」です。二人組になって、一人がうつぶせになって横になります。もう一人が、そのひとの背骨の上から、軽く指を当てて、ゆすります。強くさわってはいけません。ぎゅっと押してもいけません。あくまでも、そっと、ふれる程度で。あとは、お好きな位置に指をずらして、軽くゆらしつづけるだけです。これ、やってみるとわかります。とっても気持ちがいいです。ゆらすがわは、とても楽ちん。余計な力は、いっさいいりません。「おっ、ゆれてる。おもしろいなあ」と、遊び感覚で、ふれているだけでいいのです。それでいて、横になっているほうのひとは、全身がほぐれていくのを感じるのです。そのちいさなゆれは、静かに、ゆるやかに、全身へと伝わっていきます。そう、「背骨ゆらし」は、きっかけを与えるだけなのです。あとは、からだが、勝手にほぐしてくれるのです。なぜ、からだが勝手にほぐしてくれるのか。それは、水のおかげです。私たちのからだは、赤ちゃんなら80%、普通のひとでも、70%は、水分です。(なんか、めちゃくちゃ水っぽいですね)(笑)背骨に与えられたゆれは、背骨のまわりの、背中の水に伝わります。すると、水の流れが起きて、伝わり、つながり、からだのすみずみまで、波紋がひろがります。この波に乗って、かたまっていたところが、無理なく、ほぐれていくんです。無理にがんばって、押したりもんだりしなくていいんです。私たちは、本来、自分でほぐれる力をもっているんです。一から十まで面倒を見てもらわなくても、こんなふうに、きっかけをもらうだけでいいんです。これは、野口体操 http://aea.to/noguchitaisou/の原理を、私なりに勝手に応用したものですが、その野口体操の教室で出会ったひとが、言っていました。「私は、整体の仕事をしていますが、 野口体操をやるようになってから、 力を入れてがんばることがなくなりました。 そうすると、私も楽だし、 お客さんの反応がいいんです」からだのもつ本来の力を信頼しましょう。「背骨ゆらし」を楽しみながら、どうぞ、リラックスしてくださいね♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第404号(2004年12月8日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.10
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------からだがほぐれると、こころもほぐれます。あまりにも当たり前なので、怒られそうですが、最近の私のテーマは、「当たり前のことが、一番肝心」なので、どうぞおつきあいくださいね。私のワークショップは、おもに、インプロ(即興演劇)系と、からだほぐし系(野口体操など)のワークが中心ですが、このところ、全体に、からだほぐしの時間が増えてきています。どうも、見ていると、参加者のかたがたが、お疲れモードのことが多いので、それをやわらげたいなと思ったからです。そのぶん、ほかのワークの時間が減りますが、最近、おもしろいことに気がつきました。からだほぐしを充分にやったあとのほうが、いきなりワークに入るよりも、参加者の反応が格段にちがうのです。はじめて会った同士、「えっ、こんなに自分を表現できるの?」というくらい、ノッてくるのです。あっ、そうかと、あらためて思いました。からだがほぐれると、こころもほぐれます。のびやかに、自由に、リラックスして、自分を表現できるようになります。当たり前のことだったんです。生活環境の変化などで、肩こりや腰痛のひとが激増しています。からだのゆがみが、あちこちで指摘されています。がちがちに固まったからだのままで、毎日を過ごしていると、気づかぬうちに、こころも、柔軟性をうしなってしまうようです。 ここでいう「柔軟性」とは、いわゆる 前屈でどのくらい曲がるかなどの 筋肉のきたえかたの問題ではなく、 赤ちゃんのようなやわらかさを言います。もうすこし、自分のからだを大切にしてあげませんか。すこし、時間をかけてお風呂に入ったり、眠る前に、軽くマッサージをしたり、リラックスできる音楽や香りを使ったり。からだをほぐすための方法は、いくらでもあります。からだとこころは、ひとつながりのものです。ゆったりふんわりしたこころが心地よいと思うひとは、からだにもやさしくしてあげてくださいね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第403号(2004年12月7日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.10
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------ノー・クエスチョンでいきましょう。インプロ(即興演劇)のワークのなかに、「ノー・クエスチョン」というゲームがあります。その名のとおり、「質問しない」ゲームです。数人が、打ち合わせなしに出てきます。そして、何らかのシーンを演じます。シーン自体の内容は何でもOK。ただし、質問をしたとたんに、「ピー」。理由をつくって、退場しなければなりません。やってみるとわかりますが、質問をしないというのは、けっこうむずかしいものです。ついつい、聞きたくなってしまいます。「あなたは誰?」「いつからここにいるの?」とたんに、「ピー」です。(^^ゞ質問をするということは、相手に、場の設定を決めてもらうということです。即興の世界は、何でもありですから、どんな人物設計、どんな状況をもってきても、本来、すべてOKなんです。「ここはどこ?」と聞かなくても、「なんて広い草原なんだ」といえば、もうそこは、広い草原(の設定)になるんです。インプロの原則は、「ひとのアイデアを生かす」。だから、安心して決めていいんです。それだけの自由をもっていながら、「ここはどこ?」と聞いてしまうのは、「自分で決めることが怖い」からなのです。もっと言うと、「自分で決める」ことに慣れていないからなんです。いつもいつも、ひとの判断や価値観に自分を照らして生きているからなんです。「ノー・クエスチョン」ゲームは、その習慣に、まさに問いをつきつけます。ゲームそのものは、とても楽しく、笑いの渦が巻き起こるものですが、自分のありようが透けて見えて、あとから、どきどきしてしまいます。(^^ゞさて、「インプロなんてやらないよ」というあなたも、日常のなかで、「質問しない」時間をつくってみませんか?どんなちいさなことでもいいんです。ノー・クエスチョンでいきましょう。いままで、ひとにゆだねていたことを、自分で決めてみるんです。それに慣れたら、もっとおおきなことも、自分で決める習慣をつけていくんです。あなたが、より、あなたの人生を、あなたらしく、大切に生きるために。けっこうパワーのある方法だと思いますよ♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第402号(2004年12月6日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.10
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------エゴの役割。私たちは、生きかたについて学ぶとき、しばしば、「エゴのとらわれから抜け出しなさい」というふうに教えられます。私も、ずっと、エゴは、手放すべきものと、思ってきました。その気持ちは、基本的には変わりません。ただ、最近、ふっと思うようになったのです。「エゴはなぜ、存在するのかしら? この世に意味のないものなどないとすれば、 エゴには、エゴの役割があるんじゃないかしら」エゴは、多くの場合、私たちを、何かに執着をさせようとします。これを手放せない。あれを手に入れたい。その思いに、私たちはしばしば苦しみます。けれども、その苦しみを乗り越えたときに、何が待っているでしょう。そのひとなりの学びと、そして、苦しみを越えた喜びが与えられるのです。エゴがあったからこそ、私たちはそれに気づくことができたのです。しかも、苦しい思いをしたぶんだけ、私たちは、手に入れたもののおおきさや大切さに気づくことができます。だとしたら、エゴは、むしろ、私たちを磨いてくれる試金石なのです。あるいは、とても厳しいコーチなのです。正しい方法は教えてくれませんが、反面教師のように、ことなる角度から、私たちを導いてくれます。(というふうに、とらえることができます)そう思ったとき、自然に、「エゴさん、ありがとう」ということばが口をついて出てきました。エゴにはエゴの役割があると、わかったのです。私たちを磨いてくれる存在、それは、すべて、私たちを祝福してくれる存在なのです。このようなかたちで、エゴさえも、私たちを祝福してくれるとしたら、この世のなかで、私たちが、否定するものは、何もないのです。怖れることなく、やすらかな気持ちで、生きていいのだと、こころの底から思いました。ありがとう。すべての、私(たち)を磨いてくれるものたち。こころからの感謝を贈ります。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第401号(2004年12月5日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.10
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------流れるように生きる。昔、友人に、「かめさんは、流れないひとだね」と、言われたことがあります。「流されない」ではありません。「流れない」です。そのときは、「そうよ。私は流れないのよ」と、笑って返事をしていました。あれからずいぶん経ちました。最近の私は、あのときと比べると、ずいぶん変わったなあと思います。相変わらず、「流されず」に生きています。でも、「流れる」ようにも生きられるようになりました。「流れる」と「流される」は、一字ちがいですけど、意味はまったくちがいます。かつての私は、そのちがいがわかりませんでした。いま、自分のやりたいことをやり、自分に嘘をつかないことを大切に生きています。その意味では、まわりに「流されず」に生きているのです。でも、その一方で、何かのきっかけで、思いがけない用が飛びこんできたり、新しい展開が生まれてきたりしたとき、私は、素直にそちらに「流れて」いくのです。「流れて」いく感覚は、理屈ではわからないけれど、何か、必要なものが、必要なときにおとずれてくれた。…そんな感覚です。だから、おおきな意味で、それは、私にとって「やりたいこと」なのです。誰に合わせるわけでもなく、ただ、必要なものが、必要なときに、私の人生に、あらたな光を投げかけてくれるのだと。そんなふうに感じられるので、淡々と受け止めて、こたえていくのです。私は、何のなかを流れているのでしょう。それは、たしかに、人生そのものなのですが、同時に、もっとおおきな流れ…、そう…、宇宙のおおいなる流れのなかに、身を投じているような気がするのです。ひとが生きていくということは、この、おおきな流れを感じて、その流れにゆったりと身をまかせ、やすらかに呼吸することではないか。そうすれば、人生のなかで、本当に必要なこと・ものも、おのずから、見えてくるのではないか。…そんな気持ちにもなってくるのです。流れるように生きる。いま、大切にしていることのひとつです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第400号(2004年12月4日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.10
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------愛であるときに、愛の顔を…。うろ覚えの記憶で、申しわけありませんが、ギリシャ神話のなかに、こんな話があるそうです。ひとりの女のひとがいました。その女のひとは、怒っているときの顔と、愛するときの顔が、同じだったそうです。彼女には、愛するひとがいました。でも、その男性は、彼女の顔を見て、自分は憎まれていると思い、ついに、彼女を殺してしまったのです…。長いこと、なぜか、この話がこころに止まって、離れませんでした。愛する気持ちをわかってもらえなかった、その女性にたいする憐れみもあります。彼女の本質をわかってやらなかったその男性にたいする怒りもあります。けれども、それとともに感じたのは、もしかしたら、私たちもまた、愛するべきときに、怒りの顔を向けてしまっていることもあるのではないかということでした。あるいは、伝えるべきものが愛であることを忘れて、怒りをぶつけてしまっていることもあるのではないかと。怒りの仮面の内がわから、彼女は、何を見ていたのでしょうか。彼女は自分がそのように見られていたことを知っていたのでしょうか。「私をわかってください」という、彼女の悲鳴が、私には、いまも、聞こえてきそうな気がするのです。どちらが(誰が)悪いのでもないのです。ただ、本質を伝えることができなかった、受け取ることができなかった、その悲劇が、そこにあるだけです。けれども、この物語を手渡された私たちは、ここから、学びを受け取ることができます。私たちは、いま、愛するときに、本当に愛する顔を向けているだろうか。本当は、愛であるものを、怒りと勘違いしてしまってはいないだろうか。そのことを、繰り返し、問い返して見たいと思うのです。愛であるときに、愛の顔を…。すべての私たちが、その地平に立てたなら、時空を超えて、彼女に、やすらぎがもたらされるかもしれません…。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第399号(2004年12月3日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.10
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------内なる「子どもパワー」を活用しましょう。私のワークショップでは、「ひさびさに、子どもに帰った気持ちになった」という感想をよくいただきます。そして、「元気をもらいました」と言っていただくことが多いのです。なぜ、「子どもに帰ると、元気になるのか」それは、ひとことで言うと、「飽くなき好奇心」ではないかと思うのです。子どもたちにとって、「世界」は、発見と驚きに満ちています。くもの巣が、きれいにかかるのが不思議です。虹を、追いかけても追いつけないのが不思議です。外国語の文字が、まるで絵画のように思えます。でも、私たちは、おとなになるにつれ、その発見と驚きをなくしていきます。一度知ってしまったものは、次の機会には、「これはこれ、あれはあれ」と、処理してしまうのです。それは当然のことだし、実際、そのほうが、効率はいいでしょう。でも、そのたびに、こころがはずむ機会も、減っていくことになるのです。だから、ワークショップでは、「発見と驚き」を仕掛けます。むずかしいことは一切やりません。幼稚園くらいの子どもから、お年寄りまで、誰でもが、参加できる内容のものばかりです。その仕掛けとは、一体、何なのか?実は、こたえは、「参加者」自身なんです。私たちは、一人ひとりが、小宇宙の存在です。そう、たくさんの「未知なる領域」をもって、生きているのです。(忘れていることがほとんどですけれども)ワークでは、かかわりあう相手のなかに、自分の知らないなにかを発見したり、自分自身のなかに、これまで気づかずにいた自分自身を発見したりします。そうすると、驚きのこころが動きます。子どものころの、「飽くなき好奇心」が、ふたたび目覚めるのです。すると、これまで、既知のものと思っていた「世界」が、新たな不思議にいろどられます。色あせて見えていたこと・ものが、急に、きらきらと輝きだすのです。そして、ワークに参加した仲間たちは、まさに、かつて、子ども時代に、探検ごっこを遊んだ仲間と同じ存在です。秘密の時空を共有した仲間への親密感も、ふたたび、味わうことができるのです。あなたは、ただ、発見と驚きの時間を忘れていただけ。子どもパワーは、まちがいなく、あなたのなかに眠っているのです。内なる「子どもパワー」を活用しましょう。あなたが、よりあなたらしく、生きていくために。私のワークが、そのきっかけになれば、こんなにうれしいことはありません。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第398号(2004年12月2日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.10
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------あなたと私はちがいます。例によって、当たり前すぎる書き出しになってしまいましたが…。(^^ゞあなたと私はちがいます。当たり前なのに、なぜか、私たちは、そのことを忘れてしまうのです。私たちは、あなたにできて、私にできないことのために、しばしばおちこみます。あなたと私はちがうから、できることもできないこともちがって当たり前なのに。私たちは、私がやりたいことで、あなたがやりたくないことにたいして、しばしば腹を立てます。あなたと私はちがうから、やりたいこととやりたくないことがちがって、当たり前なのに。また、こんなこともあるかもしれませんね。昔、あなたが、犬にかまれたことがあるとします。それ以来、あなたは、犬という犬を、こわがるようになってしまうかもしれません。かまれたことはお気の毒ですが、でも、すべての犬が、あなたをかむわけではありません。あなたをかんだ犬と、目の前のその犬は、あきらかに、別の犬なのです。もし、あなたが、過去の体験から、すべての犬をこわがるようになってしまったら、もしかしたら、その犬と親密になるチャンスを(さらにいえば、「犬と仲良くなる」体験を)うしなってしまうことになります。「ちがう」ことを認めないために、それが、怒りや怖れにつながるとしたら、それはとてももったいないことです。ちがいを受け入れることから、私たちは、たくさんの楽しみや可能性を手に入れることができるのですから。あなたが、私にないものをもっているとき、私は、それを見せてくれたことを、喜びたいと思います。それは、もしかしたら、いつか、私がほしいものを手に入れたときに、どう生きていたいかを見せてくれる、お手本になるかもしれません。また、私がやりたいことを、あなたがやりたくないときには、それぞれに別の道を選んでいいのです。いつかまた、顔を合わせたときに、やりたかったことを、それぞれがどんなふうに取り組んだのか、話す楽しみができるではありませんか。あなたと私はちがうのです。そして、すべての人間はちがうのです。だからこそ、人類は、あらたなものを生み出してきたのです。ちがいこそ、「創造」の原点なのです。ちがいこそ、あらたな出会いとつながりの出発点なのです。あなたと私はちがうのです。今日は、このことを喜びたいと思います。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第397号(2004年12月1日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.10
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------癒しは、あなたの内がわにあるのです。「癒し」ブームといわれて、久しいです。書店に行っても、ずらりと関連本が並んでます。というか、この「今日のフォーカスチェンジ」も、「癒し」関係と思われていたりするようです。(^^ゞもちろん、癒しが必要なひとにとって、癒しは大切です。(当たり前ですが)ただ、ときどき、何かちがうなあと思うことがあるんです。それは、「自分を癒してくれるものが、どこかにある」と思っているひとが、多いこと。でもね、それって、「間違い」なんです。誰も、あなたを癒すことはできないんです。「えっ?」と思うかもしれませんね。少し、視点を変えて説明してみます。あなたが、風邪をひいて、お医者さんに行ったとします。でも、お医者さんが、あなたの風邪を治してくれるわけじゃないんです。お医者さんは、あなたの症状を見て、それを緩和したり、抵抗力をつけるためのサポートをしてくれるだけなのです。あなたのからだが、治る力をもっているとき、そのサポートを支えにして、治っていくというのが、「正解」なんです。けがのときでさえそうです。あなたが、大けがをして、手術を受け、傷口を縫ったとします。お医者さんができるのはそこまでで、傷口をふさぐのは、あなた自身の自然治癒力なのです。からだがそうであるように、こころもまた、同じなのです。さまざまな癒しグッズ、あるいは、癒し系のセラピー、その他にしても、あなたが癒されるための助けには、なってくれるかもしれません。また、そういう意味では、積極的に活用していいのだと思います。でも、最後の壁を突破するのは、あなた自身です。あなたの内がわに、あなたを癒す力が宿っているのです。実は、あなたがこのことを受け入れたとき、はじめて、癒しが起こる、といっても過言ではありません。あなたが、あなた自身の内がわにある、生きていくエネルギーや、ゆるしのこころ、 それは、そのひとそれぞれに、 どのように表現してもかまわないのですが。そこにきちんと目を向け、受け入れたとき、あなたの癒しの旅は終わるのです。あなたの内がわにある、癒しの力に、こころをこめて、エールを贈ります。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第396号(2004年11月30日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.07.10
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