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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------終わるから、始まるのです。あるサークルを主宰している友人から、「解散します」との連絡が入りました。サークルの運営をめぐって、メンバー同士の考えかたのちがいなどから、とうとう決断せざるを得なかったようです。友人が、そのサークルのために注いでいた思いやエネルギーを知っているだけに、落胆する気持ちもよくわかります。それでも、私は、こんなメールを出しました。(一部、編集してあります)--------------------------------------- お疲れさまでした。 あんまり、自分で 抱えこまないでくださいね。 ものごとは、関わった人間すべての責任だし、 また、いま、 あまりうれしく見えていないできごとも、 長いスパンでは、 必要なプロセスであるかもしれません。 そんなふうに思うわけをお話ししますね。 私が、それまでの自分の演劇観を、 根底から突きくずされ、 まるで、虚空を漂うような絶望感を いだいたのは、22歳のときでした。 いまの私には、もう、演劇はできない。 でも、どうしていいかわからない。 そう思っていたときに出会ったのが、 竹内敏晴さんの「からだとことばの教室」でした。 関連サイト/http://homepage3.nifty.com/karada/ 演劇的な手法を用いた、 さまざまなレッスンを体験しました。 演劇のためのレッスンではなく、 あくまでも、そのひとがそのひと自身の 内面と向き合うためのツールであり、場である。 という2年間を過ごしました。 それが、いまの私の源流です。 22歳のときの深い絶望感がなければ、 いまの私はいなかったかもしれません。 こわれるのは、あたらしく生まれるため。 分かれるのは、あたらしく出会うため。 ひとは、いつでも、 そうやって、生まれ変わりつづけるのです。 だから、どんなかたちであれ、 終わったことは、すばらしいことだと思います。 いまが、どんなふうに映っていようと、 それは、次なるステップのはじまりです。 このメールを、 あなたへのエールのつもりで送ります。 ゆっくり休んで、 新しいステップを踏み出してください。---------------------------------------直接的な返事はありませんでしたから、(間接的に、感謝のメールは届きましたが)友人がどのように受け止めてくれたか、本当のところは、わかりません。ただ、いま、読み返してみて、「ああ、これは、私自身にたいする エールでもあるんだなあ」と、そんなふうに感じました。「終わるから、始まるのです」このことばを、いつでも自分に投げかけながら、今日をあたらしく生きていきたいと思うのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第335号(2004年9月30日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------ぶつかってみなければ、はじまりません。昨日の話題と、反対のことを書くようですが(?)、これもフォーカスチェンジと思って、読んでください。(^^ゞ私が所属しているあるメーリング・リストに、なかなか、「けんかっぱやい」ひとがいます。けっこう、活発なメーリング・リストなので、いろいろなひとの意見が飛び交います。意見や見解がことなることにたいして、そのひとは、自分の意見をはっきりぶつけてきます。そのひとが、意見をもとめる相手も、たいていは、かなり弁の立つひとが多いです。そのため、しばしば、メーリング・リスト上で、激しい意見の応酬が繰り広げられることがあります。最初のころは、正直、とまどいのほうを強く感じました。そのかたの主張は、しっかりしたもので、それはそれなりに納得できるのですが、「どうして、このように激しい表現で、 相手に攻めこもうとするのか」という印象がぬぐえなかったからです。もっと、ソフトな語りかけでもいいじゃないかと。でも、その気持ちがすこし変わったのは、そのかたと直接お会いする機会を得てからです。直接お会いするそのかたは、メーリング・リスト上で感じる、そのかたとは、別人と思えるほど、明るい笑顔の、温厚なかたでした。「ぶつかって、けんかしたほうが わかりあえると思っちゃうんですよ」そのかたは、頭をかきながら、言われました。そして、こうもおっしゃいました。「実は、ああして、論争をやったかたとは、 個人メールをやりとりしたり、 機会があれば、会ったりもしてるんですよ」なるほどと、ようやく理解できる気がしました。そのかたにとって、「けんかを売る」(とはいいませんでしたが)ということは、交流したいという表現なのです。相手のなかに、まっすぐに切りこんでいくことで、より深い関係を結ぼうとしているのです。ひとむかし前には、そんな、けんか大将みたいな、人間関係が、たしかに存在していました。実際、そのかたを見ていると、温厚ななかにも、そんな面影が、ほの見えてくるようです。(^^ゞ人間関係が希薄になっているといわれる現代で、そのかたは、けっして、あきらめていないのです。自分をまるごとぶつけることで、相手とつながるこころみを、繰り返しつづけているのです。「ぶつかってみなければ、はじまりません」そのことばを支えているのは、「人間をあきらめない」思いではないかなあと感じました。本音を言えば、ことばづかいなど、もうすこし考えてほしいなあという、思いは、あります。でも、それもあり、これもありだなと思えるようになりました。○○さん、これからも、(お手柔らかに)けんかを売ってくださいね♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第334号(2004年9月29日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------気づきのプロセスを祈ります。すこし前ですが、こんなことがありました。あるかたが、私のサイトを訪問されました。たまたま、そのかたの書いていた話題と、私の書いていた話題が、一致していたようで、そのかたの文章の感想をもとめられました。お誘いのままに、サイトを訪問してみると、掲示板では、そのかたの文章をめぐって、訪問者のかたと、そのかたの激しい意見のやりとりが掲載されていました。どちらも、ご自身の意見のみを主張され、相手の考えを全面否定するような内容でした。私は、どうしてもそこに感想を書きこむことができず、内容にはふれずに、メールを返しました。すると、そのかたからは、私が感想を書かなかったことにたいして、苦言を呈するメールが届きました。こんなことは(内容はちがえど)、よくあることと言えるかもしれません。ネットだけでなく、現実にも起きうることでしょう。それだけに、思ってしまうのです。「ああ、もったいないなあ」と。自分と異なる意見は、自分の意見を磨いてくれる試金石です。あるいは、自分の意見に、あらたな光を当ててくれる協力者です。相手の意見に同意はできなくても、そこから、自分の意見を見直すと、さらなる発見が生まれることもあるのです。もしも、どうしても、受け入れることができなかったら、そっと沈黙する方法だってあるのです。どちらが勝ったとしても、相手を否定しあうだけの議論に、実りがあるとは思えません。仮に、どちらかが論破できたとしても、あと味の悪さが残るだけです。苦言を呈されたメールに、私はとうとうお返事できませんでした。伝えたいことばはあったのですが、受け取っていただけないような気がして。そして、そのことが、なぜかずっと気になっていました。今日、この文章を書いていて、ようやくそれがわかりました。自分の正しさのみを主張しているそのかたが、かつての自分と重なっていたのだな、と。(いまも、まったくそうではないとは いえないかもしれませんが…)なんだか、かつての自分を見切ったような、そんな罪悪感があったのかもしれません。でも、これもまた、気づきのプロセスなのかもしれません。私自身が、紆余曲折しながら学んできたように、そのかたにもそのかたのプロセスがあるのです。そのかたの気づきのプロセスを祈りながら、いま、この思いを、手放したいと思います。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第333号(2004年9月28日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------成功をめざす必要はありません。「成功法則」「成功哲学」ということばを、あちこちで、見聞きします。実は、私の「今日のフォーカスチェンジ」も、そういうもののひとつだと思っているひとも、なかには、いらっしゃるようです。でも、私の考えはちがいます。「成功法則を、考えてもしかたありません。 なぜなら、 成功のかたちは、一人ひとり、ちがうから」もっと言うと、「失敗はない、体験があるだけ」なのですから、その意味では、すべては、成功なのです。ただ、私が「成功」という表現を使わないのは、「成功」ということばのニュアンスのなかに、「他人から見た評価」というにおいを感じるから。「あのひとは、成功者だ」というように、何か外がわに基準があって、そこで評価されるような。本当は、他人が何と言おうと、自分が成功だと思ったら、成功なのです。いわゆる一般的に言われる「成功者」にならなくても、あなたがそう思ったら、それでかまわないのです。「成功法則」と呼ばれるものと、まったくちがっても、あなたがそう思ったら、それでOKなのです。そして、あなたが、もしもこの考えに共感できるなら、ぜひ、「成功」ではない、別のものをめざしてほしい。そう思います。別のものとは?「幸福」です。もちろん、幸福のかたちも、一人ひとりちがいます。それもまた、一人ひとりが決めることです。ただ、これだけは言えるのではないでしょうか。「不幸な成功者」というものはいるかもしれませんが、「不幸な幸福者」は存在しない、と。だから、あえて言いたいと思います。成功をめざす必要はありません。代わりに、幸福になってください。幸福になる方法も、また、さまざまにあるでしょうが、幸福になったときの状態は、ひとつです。あなたが、あなたのことを好きでいる状態。あなたのこころが、不安や怖れから解放され、おだやかに満たされている状態。あなたの存在が、この世界と、ひとつながりのものであることを知っている状態。もちろん、それを「成功」と呼びたいひとは、そう呼んでもいいのです。大切なことは、そうしたことばではなく、あなたが幸福に生きること、そのものなのですから。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第332号(2004年9月27日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------ほしいものは、ほしいと言いましょう。沖縄のバスのこと、知ってますか?電車のない沖縄では(モノレールはできましたが)、メインの交通手段は、車です。車をもっていないひとや、使えない場合は、バスか、タクシーになります。ところで、沖縄のバスは、「手をあげないと、止まってくれない」という鉄則があります。これ、ガイドブックにも書いてある事実です。(^^ゞ私も一回、体験しました。その路線のバスは、1時間に1本しかなく、その時間に、バス停にいたのは、私だけ。当然、止まってくれると思っていたら、無情にも、通り過ぎていきました…。がああん。(T_T)バスに乗りたかったら、はっきり手を挙げて、「私、乗ります!」と、主張しなければならないのです。でないと、運転手さんは止まってくれないのです。サービス業として、いいか悪いかは別として、これ、人生に、ちょっと当てはめてみました。「こうありたい」「こうしてほしい」そう思いながら、かなわなかった体験は、誰にでも、いくらでも、ありますね。でも、ちょっと振り返ってみてください。そのとき、あなたは、本当に、「それがほしい」「こうしたい」と、はっきり主張していたでしょうか?相手に届かないようなちいさな声だったり、相手が別のことに気を取られているときに、発信していたりは、しませんでしたか?2、3回、声をかけて、返事がないだけで、「ああ、だめだ」と、あきらめてはいませんでしたか?もちろん、主張したからといって、かなわないことは、たくさんあります。それでも、まず、声に出して、ほしいものは、ほしいと言わなければ、あなたのメッセージは届かないのです。ほしいものは、ほしいと言いましょう。そこから、すべてが始まります。一発でうまく届いたら、超ラッキー。だめなら、別の発信のしかたを考えましょう。ちがうアプローチをこころみましょう。本当にほしいものなら、ねばり強くね!こう見えても、けっこうシャイな私にとって、(「どこが?」というツッコミは受けつけません)(^^ゞバスに向かって、手を挙げることは、ちいさな勇気のいることでした。でも、思い切って、手を挙げたら、バスは、ちゃんと止まってくれました。それ以来、自信を持って、手を挙げることができるようになりましたよ。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第331号(2004年9月26日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------------すべてのひとに好かれなくても、生きていけます。このメルマガの第302号にも少し書きましたが、高校を卒業したばかりのころ、元クラスメイトに、「あなたは、みんなにきらわれていた」と言われて、ショックを受けた記憶があります。(^^ゞ バックナンバーを読みたいかたは、こちら。 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000119721 (第302号/2004年8月28日発行)そのとき、なぜ、ショックを受けたのか。こころのどこかで、「すべてのひとに好かれなくてはならない」という気持ちがあったのではないか。いま、振り返ってみて、そんなふうに思うのです。私にたいして、そんなことばを発した友人は、元クラスメイトであったという以上には、とくに、親しい関係ではありませんでした。実際、在校しているときも、卒業したあとも、それほど、接点はありませんでした。だから、この友人にきらわれていたのが事実としても、私は、別に怖れる必要はなかったのです。同時に、友人の言う「みんな」にしても、「友人にとってのみんな」であることは明白です。私が「みんな」に本当に「きらわれていた」かどうかは、全員に聞き取り調査をするか、アンケートを100%回収するかしなければ、証明することはできないわけですから。(^^ゞ結局のところ、私がショックを受けたのは、、「みんなに好かれたい」という自分のエゴに振り回されていたからなのです。もっというと、「みんなに好かれていない自分はだめな人間だ」という、固定概念にとらわれていたんですね。もちろん、人間、きらわれるよりは、好かれたほうが、うれしいに決まっています。でも、本当に、すべてのひとに好かれる必要があるんですか?そんなこと、不可能だって、思いませんか?そんな不可能なことに、この短い人生のなかで、挑戦する意味が、どれだけあるのですか?結局のところ、それは、外がわからの(好きという)評価を使って、自分の評価を、定めようとしているだけなんです。そんなものは、まわりが変わったら、いとも簡単に、くずれさってしまいます。本当に大切なことは、あなた自身が、あなた自身を好きになってあげることなんです。すべてのひとに好かれるよりも、この、自分自身を本当に好きになるということのほうが、実は、とってもむずかしいのです。すべてのひとに好かれなくても、生きてはいけるけど、自分で自分を好きになれないと、生きていくことが、とっても苦しくなるんです。だから、すべてのひとよりも、まずは、あなた!あなたが、あなたのことを好きになると、あなた自身が自然に輝きだします。そしたら、まわりのひとは、あなたのことを、前よりも、もっともっと好きになるんです。すべてのひとに、好かれなくても、そのほうが、ずっと気持ちよい人間関係をつくれると思いませんか?--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第330号(2004年9月25日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------トラブルは、エネルギーのもと。これ、私の特異体質だと思って、読んでください。私、トラブルが大好きなんです。(激白っ)(^○^)私がこんな体質になったのは、間違いなく、中学校の演劇部のせいです。(爆)もう、10年、演劇部の外部指導員をやってますが、そのあいだに、すっかり体質になっちゃったんです。演劇部って、もめごとの巣窟みたいなところです。(^^ゞもともと、演劇というものが、ひとのこころにかかわる芸術というせいもあるでしょう。中学生という多感な時期もあいまって、部員のあいだで、しょっちゅう、さまざまなトラブルが起こります。最初のころは、トラブルが起きるたびに、頭をかかえていたものでした。だって、練習が進まなくなってしまいますからね。でも、そのうち、だんだん、気持ちが変わってきました。なぜ、トラブルが起きるのか。それは、お互いが、そこに関わろうとしているからなんです。もちろん、それは、エゴのぶつかりあいであったり、誤解や曲解からくる、すれ違いであったりするのですが、それでも、ともかく、関わろうという意思がなければ、トラブルは継続しません。だから、トラブルが起きているあいだは、その関係は「つながって」いるんです。あとは、どんな「つながり」にしていきたいのかを、明確にしていけばいいだけなんです。だから、トラブルは、避けるのではなく、正面きって向き合っていくほうがいいんです。それからの演劇部は、トラブル最優先になりました。(笑)トラブルが起きたら、それがたとえ本番の前日であろうと、練習をやめて、そのトラブルと向き合います。そしたら、別に、解決しようとしなくても、そこから、いつのまにか、こたえが出てくるようになったんです。いわゆる、一般的な正解じゃない「こたえ」が、です。そして、そんなときにはきまって、そこに、おおきなエネルギーが生まれていることがわかったんです。みんなの表情が、トラブルの前よりずっと明るいのです。そして、少しだけ余計に「タフ」になってるんです。つながりも、より強くなっていることがわかるんです。もちろん、そうそう、いつもうまくいくとはかぎりません。火種を残して、待機!なんてことも当然あります。でも、それでいいんですね。次のトラブルのチャンスを待てばいいだけなんですから!というわけで、トラブル到来!のたびに、ついつい、にまにましてしまう私。(^^ゞこんな体質、やっぱり、変?(爆)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第329号(2004年9月24日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------ひとは、生まれながらに、晩年です。「○○が済んだら、□□しよう」とか、「○○ができたら、□□しよう」っていうひと、よくいますよね。○○っていうのは、たとえば、「定年退職したら」とか、「子育てが一段落したら」とか、ということです。ところで、この「今日のフォーカスチェンジ」第268号「ただそれだけの単純な思い」のなかで、地球の歴史を、24時間に換算してみた場合をご紹介しました。 確認したいかたは、こちらをどうぞ。 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000119721 (第268号/2004年7月25日発行)それによると、人類が地球上に出現したのが、23時59分。そう、地球の歴史にとっては、しっぽもしっぽ。そして、もうひとつ。こんな話を聞いたことはありませんか?私たちは、生まれてくる前、つまりは胎児の時代に、受精卵から、赤ちゃんとして生まれてくるあいだに、脊椎動物の進化の歴史を体験してくるのだということ。(実際、胎児のかたちって、そのときどきで、 両生類に似てたり、爬虫類に似てたりしますよね)そんなことを、つらつら思っていたら、ふっと、このことばが、浮かんできたのです。「ひとは、生まれながらに、晩年です」まあ、ことば遊びみたいなものなのですが、このことばを見ていると、くすくす笑えてきました。生まれながらに晩年ならば、ものごとを先延ばしするひまなんて、ないなあ!そんなふうに思えてきたのです。もちろん、地球スケールでの「晩年」ですから、無意味にあわてる必要もないのですが、人生のなかで、何かやりたいことがあるひとは、ちょっと意識してみるとおもしろいかもしれません。さあ、晩年だ。何を、どうする? って。(笑)そして、もうひとつ思ったことがあります。「晩年」っていったときのイメージのなかに、成熟とか、達観とか、そういう感じはありませんか?そしたらね、生まれながらに晩年ならば、私たちは、生まれた瞬間から、すでに、成熟しているし、達観してるともいえるんです。(あくまでも、ことば遊びとして、 楽しんで読んでくださいね♪)そしたら、もう、自分のことを未熟だとか、未完成だとか、否定的にとらえる必要はないんです。「晩年の域に達してます」と、堂々と、ひらき直ってしまうっていうのは、どうでしょう?「いま・ここ」を十全に生きていくために、ことば遊びだろうが、何だろうが、積極的に使ってしまえというのが、私の持論です。今日は、そんな一例をお届けしてみました。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第328号(2004年9月23日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------------「あなた」と「わたし」のつながりを取りもどすということ。昨日のつづきです。 バックナンバーを読みたいかたは、こちら。 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000119721「ゆるす」の語源を調べてみると、「ゆるむ」ということばに行き当たりました。 (『日本語大辞典』小学館より)それで、私は、私なりに、「ああ」と、胸に落ちる気持ちがしたのです。たしかに、漢字の「許す」「赦す」は、現在では、上から命令するようなニュアンスを感じてしまいます。でも、もともとのことばをたどってみれば、「許す」は、「緩(ゆる)い」と同語源で、もとは、「引き張ったものを、ゆるめる」の意なのです。そこから、「とらえたものを、解放する」「身から放す」、そして、「過ちをとがめないですませる」といった、現在、よく使われている意味が派生してきたようです。では、「ゆるむ」「ゆるめる」とは、どういうことか。かたまっていたものが、ほぐれていくということです。物質的には、これは、固体から液体、あるいは、気体への変化というふうに、とらえることができますね。液体や気体は、境界線というものが、あいまいです。自在にかたちを変えますし、くっついたり離れたり、混ざり合ったりと、実に、融通無碍な存在なのです。言い換えれば、「あなた」と「わたし」というものが、明確に区別されない状態といっていいかもしれません。そして、「あなた」と「わたし」を明確に分けることが、人類の発展の歴史であったとすれば、その発展の代償として、私たちは、さまざまな痛みを負うことになったと、言えるかもしれないのです。そう、「ちがう」「異なる」ということが、ときには、ひとのいのちさえ奪ってしまう、そんな発展の方法を、私たちは、選択してきたのです。それが、ひとつの頂点を迎えている、あるいは、限界に達しているのが、現代ではないか。私は、そんなふうにも感じるのです。だから、そのように定義してみたときに、いま、「ゆるす」ということが、時代の揺り返しのように、もとめられている気がするのです。「あなた」と「わたし」に分かれてしまった関係性を、もとの、ひとつながりの状態にもどしていくこと。それが、「ゆるめる」ということであり、「ゆるす」ということなのだと思うのです。具体化しようとして、ますます、抽象的な話になってしまったような気もします。(^^ゞでも、書きながら、これが私の「ゆるす」ことの出発点であるという気が、はっきりとしてきました。そして、この「あなた」と「わたし」のつながりを取りもどす、ということばを書いた瞬間、まさに、私のからだが、ふっとゆるむのを実感したのです。そこには、もう、痛みはありません。ただ、海のように深い、安らぎだけがあります。何が正しいのか、正しくないのか、また、そのように決める必要があるのか、ないのか、私にはわかりません。ただ、私が、私のこころとからだで感じたことを、今日は、書かせていただきました。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第327号(2004年9月22日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------「ゆるす」とは、痛みを受け止めること。※「許す」という漢字は、どうしても、 「誰かから許可をもらう」というニュアンスを 含んでしまいやすいようです。 でも、本来の「ゆるす」は、 「ゆるゆる」「ゆれる」「ゆるむ」につながる、 自分の内がわのことばです。 ですから、ここでは、イメージを重ねるために、 あえて、ひらがなを使って表記したいと思います。自分の内がわの「ゆるし」に目を向けると、私たちは、一瞬、強い痛みを感じます。なぜならば、過去の、自分のおかしたさまざまな過ち(と感じていること)に、向き合わなくてはならなくなるからです。過ちといっても、別に、法律にふれるようなこととは限りません。誰かのこころを傷つけてしまったとか、自分の本心にそむくことをしてしまったとか、そんな、記憶の数々なのです。ゆるしていない、その部分は、ずっと、冷たく、固く、こわばったままです。だから、いつまでたっても、冷たい氷の刃のように、ちくちく痛みます。あるいは、重い岩石のように、こころを、上から抑えつけます。冷たい氷も、重い岩石も、すべて、その内がわに、あなたのこころを閉じこめています。あなたがかつて、ふれることはできないと、封印してしまった、こころです。でも、ここは、勇気を出して、踏み出すのです。あなたのこころは、あなたの両腕で、受け止められるのを待っているのです。あなた自身のぬくもりにふれたとき、こころをおおっていた氷は、ゆるゆるととけ、岩石は、ゆらり、ゆらいで、くずれ落ち、あとには、こころそのものだけが残ります。そして、そのとき、痛みは消えて、受け止められるのを待っていた、まるごとのあなた自身がいることに気づくでしょう。あなたが、こころをしっかり抱きしめれば、悪い魔法使いがかけた魔法のように、そのとき、痛みは終わるのです。すべての痛みは、切り離されることから生まれます。あなたが、あなたの何かを否定したとき、切り離されて、そこに痛みが生まれます。あなたが、誰かの何かを否定したとき、切り離されて、そこにも痛みが生まれます。だから、もう一度、ゆるやかに向き合い、受け止めて、抱きしめてあげればいいのです。そうすると、切り口は、自然にふさがるのです。それを、「ゆるし」というのです。今日の話題は、抽象的で、とてもわかりにくかったと思います。でも、私にとってもとても大切な話題なので、明日もつづけて書いてみます。どうぞ、おつきあいくださいませ。m(__)m--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第326号(2004年9月21日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------「好きなことを仕事にする」とは?私は、よく、ひとから、「好きなことを仕事にできて、いいですね」と、言われます。もちろん、「はい!」と、元気よくこたえます。でも、何かが少しちがうようです。最近、ようやくそのことに気がつきました。どうも、「好きなことを仕事にしたい」と考えているひとのなかには、「好きなこと」イコール「楽なこと」と、考えているひとがいるようなのです。それには、はっきり、「ノー!」とこたえます。(^^ゞたとえば、編集の仕事。以前、ちいさいながら、月刊誌をまるごと1冊、担当していたことがありました。月々の号には、特集があります。あるとき、宮沢賢治の特集を組むことになりました。可能なかぎりの資料をあさりました。(膨大です…)全集も、斜め読みですが、全部読み返しました。そして、結果的に、誌面に反映できたのは、そのわずか数%といったところでしょう。こんなことは、当たり前のことなのです。脚本の仕事にしても、そうです。(テレビや映画のシナリオのことではありません。 舞台にのせる、演劇の脚本です)資料を調べ、ときには取材をし、たずね歩き…。そののちに、はじめて、作業開始です。しかも、好き勝手に書けるわけじゃありません。さまざまな舞台条件(制約)を加味しつつ、生身の人間が演じて、納得でき、かつ、観客にも感動を与えるものにするために、ドラマを構築しなければならないのです。はっきり言って、95%が苦痛の連続です。私の知り合いの脚本家などは、1行も進まない日が、1週間つづくと、世間に対して、罪悪感を覚えると言ってました。その気持ち、よくわかります。(しみじみ)ぜんっぜん、楽ではありません。はっきり言って、ストレスたまりまくりです。(>_
2008.04.23
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------「ただいま」と「いってきます」少し前の話になりますが、この6月、沖縄でおこなった、「平和力」のワークショップのことから、少し書きたいと思います。ワークショップで、最初にやったのは、「からだほぐし」でした。なぜなら、こわばったからだの状態そのものが、自分のからだをいじめている、つまりは、平和ではない状態だからです。(^^ゞゆったりとからだをほぐして、それから、「地球の中心とつながる」ワーク。野口体操 http://aea.to/noguchitaisou/ では、「地球上のすべての存在の究極のふるさとは 地球の中心である」と定義しています。ですから、創始者の野口三千三さんは、地球の中心に、重さをおろしていくとき、「ただいまー」と言っていたそうです。それで、この日も、「ただいまー」と言いながら、足の裏から重さをおろしていったのですが、ふと、「起きてくるときは、何て言うのかなあ」と思いました。そしたら、当たり前に、「いってきまーす」ということばが出てきたんですね。「ただいまー」と言って、おりていき、「いってきまーす」と言って、あがってくる。ああ、そういうことなのだと、はっとしました。私たちが、この地球上に生まれるということは、この地球の中心から、地表に出てくるということ。源である、地球の中心から旅立つ行為なのです。そしてやがて、ふたたび、無になって、「ただいまー」と帰っていくことが、いのちの循環ということなのです。「いってきまーす」と言って、生まれるとき、私たちは、何も持っていません。「ただいまー」と言って、帰っていくときも、私たちは、何も持っていません。野口体操のこの一連の動きは、私に、そのことを思い出させてくれたのです。動きをつづけながら、静かに、私の胸のうちに、熱い思いがこみあげてきました。私たちは、しばしば、怒りや憎しみや、無力感や罪悪感といったものに、さいなまれます。でも、そこにとらわれる必要はないのです。ただ、その瞬間、その瞬間に、「いってきまーす」を繰り返せばいいのです。何度でも、何度でも、生まれ直せばいいのです。重さをおろして、地球の中心におりていき、また、もどってくる。たったそれだけの、からだの動きのなかに、すべての再生のいとなみがあったのです。その瞬間、こころは、深い安らぎと、かぎりない優しさにつつまれていました。それは、まぎれもなく、「平和」と呼んでいいものであったと、いま、確信できるのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第324号(2004年9月19日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.23
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------あなたが、あなたであるために。最初のホームページを立ち上げてから、ちょうど、1年半経った2003年12月、ホームページのリニューアルをおこないました。そのときに、名称も新しく変えました。「かめわざ快心塾」こんな臆面もないタイトルをつけるのには、実は、ちょっとだけ勇気がいりました。(笑)「かめわざ」とは、「かめおかゆみこのワザ」のことです。でも、実際のところ、それって何なの?(^^ゞ別に、公認インストラクターとか、何々講座終了とか、何かの資格を取得しているわけではありません。エライ先生のお墨付きもありません。私がやってきたさまざまなことにたいして、ときどき、「それって、かめわざだね」なんて言ってくれるひとがいて。「かみわざ」と一文字ちがいのところが、なんともお間抜けで愛嬌があって、気に入ってしまったから。それだけの理由なのです。でも、いまは、「ああ、この名前、つけてよかったなあ」と、つくづく思います。私は、私の生きる方向を、この名前をつけたことで、はっきり定めることができたからです。私の生きる方向?それは、私が生きたいと思う方向のこと。だから、どう生きても、すべてOK。結局、かめわざとは、かめおかゆみこの生きることすべてだから。私はこの名前をつけることで、結果的に、自分自身に、まるごと、OKをあげたのです。それが、いまの私につながっているのです。さて、あなたは、あなた自身に、どんなキャッチコピーをつけてみたいですか?あるいは、肩書きでもかまいません。ぜひ、どうぞ、少しだけ勇気をもって、思い切ったものにしてみませんか?大切なのは、あなたが、本来のあなたらしさを存分に発揮して生きられるということです。そんな勇気や元気やはずみがもらえるような、ことばを探してみてください。え? まだ、そんなものをつける自信はない?では、いつになったら、その自信がつくのですか?最初はよちよち歩きでも、歩いているうちに、次第にしっかりしてくるものですよ!それに、ちがうと思ったら、また、つけ直せばいいだけなんです。あなたが、あなたでいるために、いますぐ、トライしてみる価値は、充分にありますよ!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第323号(2004年9月18日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.23
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------ひとは、死ぬまで生きるのです。ときどき、「そんなこと、当たり前だろ」と言われそうなテーマで、書くことがあります。今回も、そうです。でも、あえて言います。ひとは、死ぬまで生きるのだということを、忘れてはいませんか? と。生きていることと、死んでいることで、決定的にちがうことは何でしょう?それは、このからだとともにあるか、からだを離れるか、ということです。そして、このからだは、こころとともにあり、こころは、感情とともにあります。つまり、生きているあいだ、私たちは、感情とつきあいつづけるのです。喜怒哀楽、さまざまなこころの揺れを、受け止めることを、生きる、というのです。世のなかには、つらい思いをされて、苦しんでいるかたが、おおぜいいます。苦しみのあまり、こころをからっぽにして、何も感じないようにしているかたもいます。でもね、地球の歴史を振り返ればわかるように、私たちが、死んでいる時間というのは、生きている時間よりも、はるかに長いのです。永遠に感じられる、苦しみの時間でさえ、生きている時間の、ほんのひとかけにすぎません。生きているかぎりは、このからだとこころとともに、じたばたと、あがきつづけるのです。まだ生きているのに、死んだ真似をする必要はないのです。死んだあとにできることは、死んだあとにやればいいのです。そちらのほうが、時間は、飽き飽きするほどあるのですから。もう一度、書きます。ひとは、死ぬまで生きるのです。だったら、生きているうちに、生きてやれることをやりましょう。死んだあとのことは、そのときまで、ほうっておきましょう。泣いてもいい。わめいてもいい。ぶつかりあって、けんかしてもいい。それらはすべて、生きているから、できることです。あらゆる選択肢が、そこにあるのです。そしてね。そのことに本当に気がついたら、少しだけ、考えてみればいいんです。どんなふうに、生きてみるのが、楽しいかって。生きているということは、どんなふうに生きていくかを選択することがてきる、ということなのだと。しつこいけれど、もう一度。(^^ゞ生きているあいだは、生きましょう。死んでから、死にましょう。この、宇宙から見れば、瞬間芸みたいに短い人生を、まずは、与えられたかぎり、生き抜きましょう。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第322号(2004年9月17日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.23
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------自殺は、殺人です。あなたは、いままでに、誰かを殺したいと考えたことはありますか?ちょっと、どきっとする質問だったかもしれません。でも、人間なら、そんな気持ちになることも、絶対にないとはいえませんよね。では、それを実際に、実行しましたか?おそらく、99.9%のひとは、ノーとこたえるでしょう。でもね、この国では、1年間に、3万人以上のごく普通のひとが、殺人をおかしているんです。しかも、線路に突き落としたり、水中に投げこんだり、ナイフで刺したりと、普通に考えれば、身ぶるいするような残酷な方法で。もう、おわかりですね?そう、自殺です。自殺も、れっきとした殺人なのです。殺すのが、他人ではなく、自分であるだけで。亡くなったかたを非難するつもりはありません。私自身、何人も、友人を亡くしています。痛みもなしに、この文章を書いているわけではありません。でも、だからこそ、あえて言いたいのです。「自殺は、殺人です」と。もしも、あなたや、あなたのまわりのひとで、生きていくのに限界を感じているひとがいたら、聞いてみてほしいのです。「あなたは、ひとを殺せますか?」と。もしも、殺せないと思えるのなら、あなた自身をも、殺してはいけないのです。あなたもまた、まぎれもなく、この地球の人類、ヒト科ヒト族の一員なのですから。また、もしも、「殺せる」とこたえたひとがいるとしても、本当に、殺さなければいけない理由があるのかと、問い直してみてほしいのです。深い憎しみが、そこにあるならば、それを取り除く方法を考えてみるのです。強いいきどおりがあるならば、それを手放す方法を考えてみるのです。私たちは、この世界にたいして、かぎりなく無力であるかもしれませんが、たったひとりだけ、救うことができる可能性を誰もがもっているのです。そう、自分自身を、ね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第321号(2004年9月16日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.23
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------余計な慰めは、いりません!今日はちょっとカゲキな内容です。(^^ゞずいぶん前になりますが、あるセミナーで、講師のかたと、けんかをしたことがあります。メンタル的な内容のセミナーで、たしかに講師のかたのお話はすばらしいのですが、態度が、実に傲慢なのです。自分の言うことは正しいのだから、聞けというような。 念のため、これはあくまでも私の感想。 そのかたの人格を攻撃するものではありません。全6回の、私にとっては、かなり高額なセミナーで、初回から、カチンとは来つつも、拝聴していましたが、4回目にして、ついに、堪忍袋の緒が切れました。 私のことを温厚だと思っているかたが いらっしゃると思いますが、これでも、過去、 「社長とけんかして会社やめた」歴2回アリです。(爆)「参加者にたいして、その物言いは不快です。 どうしてそういう表現をする必要があるのですか」講師のかたは、憤然として、相当、激烈な表現で、私を罵倒されました。(^^ゞ憤懣やるかたなく、その日の講義は終わりました。けれども、もっと腹が立ったのは、そのあとです。数人の受講者が、セミナーのあと、私のそばに来て、「私も同じ気持ちでいたのよ」と告げるのです。講師のかたが、受講者の目の前で、私を罵倒しているときには、ひとこともフォローしようとしなかったひとたちです。ことばにはできませんでしたが、そのとき、私はこころのなかで、叫んでいました。「余計な慰めは、いりません! そう思うなら、そのときに行動してください。 私は、私の信念で行動しただけです。 あなたも、あなたの意思で行動してください」もちろん、理屈としては、わかっているのです。人前で、そんなことを言えるくらいなら、もともと、セミナーには来ていないでしょうから。さて、セミナーは、あと、2回残っていました。ちょっとナサケないのですが、払ったお金が惜しかったので(笑)参加し、講師のかたの顔は見ず、話だけを聞きました。 話の内容は、それなり納得できたのです。 態度は、相変わらずでしたけど。私に、「同じ気持ち」と言ったかたがたは、講師のまわりを取り巻き、感謝の気持ちを述べたりしていました。「そんなものなのかなあ」と思いつつ、私は席を立ち、二度と、その講師のかたのセミナーを受講することはありませんでした。自分を変えるためには、自分自身が、行動していくこと。この一件をとおして、私が学んだのは、そのことだったかもしれません。自分で選んで、自分で行動するのです。誰かに仮託しても、意味はありません。まず、あなた自身が、一歩を踏み出すのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第320号(2004年9月15日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.23
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------「瞬間湯沸かし器」になりましょう♪「あのひとは、瞬間湯沸かし器だから」そんなふうに言われるひとって、いますよね。必ずしも、ほめことばではないようですが。(^^ゞかの松下幸之助さんが、そうだったと聞きます。いきなり、ガガッと、部下をどなりつけて、部下がケションとしていると、その直後に、上機嫌で、「おい、メシ食いに行こう」(^^ゞたしかに、「たまらないよー」と思うひともいるかもしれません。でも、私は、最近、「瞬間湯沸かし器」っていいなあって、思うようになったんです。それは、友人の子どもと接してからです。子どもって、ある意味で、みんな、「瞬間湯沸かし器」だと思うんですね。さっきまで、ギャーギャー泣いてたかと思うと、次の瞬間には、ケラケラ笑ってる。けんかしても、すぐに仲直りができちゃう。もっとおかしかったのは、「これ、食べない」と言っていた料理を、なぜか、数分後にはあっさり、「食べる」と撤回。この節操のなさというか、主義主張の一貫性のなさ。感動的です。(^○^)つまり、一瞬、一瞬を生きているんですね。その瞬間、瞬間を生きて、終わらせていく。まさに、「いま・ここ」の生きかたなんです。瞬間、瞬間で終わるから、感情をひきずりません。「お母さんなんか大っきらい!」とふくれた数分後、「抱っこ~」と、すりよってくる、あのてらいのなさ。おとなに、これができたら、もう、紛争なんか、なくなっちゃうと思います。「瞬間湯沸かし器」になりましょう。100%、子どものようには無理としても、(たしかに、それだと社会秩序が崩壊します)(爆)その、瞬間を生きるエネルギーをいただきましょう。かかえるものが少なくなるぶん、たぶん、元気が倍増します。「次、どうしよう」の怖れが減るぶん、前に踏み出すいきおいが強くなります。パワーアップの「瞬間湯沸かし器」、どうぞ、上手に使ってみてくださいね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第319号(2004年9月14日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.23
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------過去の感情に引きずられていませんか?先日、おもしろい体験をしました。友人と、あることを話しているとき、意見が食い違って、言い合いになりました。ところが、話しているうちに、「あれ、これって、前にも言ったな」と、気がついたのです。そういうことって、ありませんか?このひとと、このやりとり、前にもしたなあとか、いつも、このパターンにはまっちゃうよ、とか。私の場合も、相手に言っていることばが、思い出すと、前に言ったこととそっくり同じ。もちろん、話題も同じです。結局、友人とのあいだの意見の食い違いに、こだわったままでいたのですね。でも、私がおもしろいなと思ったのは、言いながら、口調は、怒りモードなのに、気持ちは全然怒っていない、ということなのです。というよりも、そのことに気づいた瞬間に、怒りが消えていった、ということなのです。ああ、いまの私は、本当の「いま」にいないな。過去の記憶で会話してるな、ということに、話している途中で、気づいてしまったのです。そしたら、起きる感情も、本当の「いま」ではなく、過去の感情のリプレイに過ぎないことが、わかってしまったのです。誰かとの関係が、パターンにはまってしまったら、ちょっと冷静になって、見直してみましょう。本当に、いま、目の前の相手と対峙していますか?過去の感情に引きずられていませんか?目の前にいる相手と、過去の会話をしたって、話は、全然、生産的になりません。同じ、怒るにしても、過去の分から積み上げては、いつまでたっても、終わりません。人間関係で、パターンにはまっているなと気づいたら、まずは、過去を手放し、いまだけに立ちましょう。そして、いま、本当に伝えたいことだけを、伝えましょう。いつでも、いま、ここから始めるのです。こころを、いつも新しく、生まれ変わらせて。まるごとの自分で、相手と向き合うために。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第318号(2004年9月13日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.23
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------------あなたが原点に帰れるものは、何ですか?ここ数年、継続して、インプロ(即興演劇)を学んでいます。http://www.impro.jp//http://www.improworks.net/この2月からは、野口体操も再開しました。http://aea.to/noguchitaisou/この二つ、共通点は表面的にはありません。でも、私のなかではつながっているんです。それは、どちらも、原点に帰ることができるから。インプロでは、台本なしに、舞台に飛び出していかなければなりません。本当に、一切の打ち合わせなしで!だから、うそがつけないのです。見栄をはっても、体裁をとりつくろっても、そんなものは、あっという間にはがされます。いま、在る「自分」そのままで、そこに立ち切るしかないのです。いま、在る「自分」からスタートするしかないのです。かたや、野口体操は、実に不思議な世界です。いくつかの、決まった「動き」はあるけれど、それぞれのからだによって、ちがってきます。ちがっていいのです。そして、重さにまかせて、ただ、まっすぐに、地球の中心とつながっていきます。地球の中心につながる感覚は、静かに、優しい気持ちを呼び起こします。この地球上の誰もが、すべて、つながりあっている存在なのだと。他者を傷つけることは、自分を傷つけること。そのことを、からだの感覚として教えてくれます。いま、あるがままの、自分を受け入れ、すべての存在とのつながりを感じること。これが、私にとっての、原点なのだと思います。先日、ヒーリングをされているかたとお会いする機会があったとき、この話をしたら、「それは、グラウンディングですね」と、おっしゃっていました。なるほど、そうだったのかと、納得しました。これからの時代、おそらく、ますます、価値観の多様化は進むでしょう。自分にとって、何がホンモノで、そうでないかを、見分けることがむずかしくなっていくでしょう。原点に帰るすべをもっていることは、とても大切な気がします。あなたにとって、あなたが原点に帰れるものは、何ですか?一人ひとり、ちがっていいのだと思います。どうぞ、大切にしてくださいね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第317号(2004年9月12日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.23
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------本当に、自分のなかに「落ちて」ますか?先日、あるひとから聞いた話です。そのひとの友人さんのなかに、何かの本などで読んで感動した詩や、ことばを、そのひとに送ってきては、「これ、いいのよ」と、おすすめしてくれるひとがいるそうです。ところが、その当の友人さんは、いつ会っても、自分の身のまわりに関しての愚痴を、繰り返しているのだそうです。「送ってくれることばは、 ときには、勇気や元気を与えてくれたり、 慰めや安らぎをもたらしてくれるものばかり。 なのに、どうして、本人は、 いつまでも、同じ愚痴ばかり言うのだろう」私に話してくれた、そのひとは、不思議でならないと、首をかしげました。この話、聞いたときは、思わず、笑ってしまいました。そのひとは、いろいろなものに「感動」しても、それを自分のなかに、きちんと、「落として」いないのだなあと思ったからです。でも、次の瞬間に、こうも思いました。「振り返ってみて、自分はどうかなあ」と。やっぱり、同じことをしているように思うのです。「落とす」とは、どういうことをいうのでしょう。「腑に落ちる」ということばがあります。 まさに、からだの感覚として納得するのです。では、どうしたら、からだの感覚として、納得できるのでしょう。実は、私にもまだわかりません。ただ、「ああ、腑に落ちた」という、数少ない体験を思い出してみると、たしかに、からだの何かが変化していることがわかるのです。胎(はら)がすわるというか、ふわっと、あたたかい感覚がひろがるというか、そのときどきで、ちがいますが、まちがいなく、からだのこたえが、そこにあるのです。それを、手がかりにしていくしかないな、と、あらためて思いました。自分のからだが発するメッセージに耳を傾け、そのときどきの、「声」を聴いていくこと。そのように、こころとからだの関係をつないでいくこと。実際、それは、ほとんどのひとが、やってこなかったことのように思います。そのために、こころもからだも、ばらばらの状態になってしまっているのです。頭から、こころへ。こころから、からだへ。実はこれは、私にとって、もっともおおきなテーマのひとつでもあります。機会があれば、またじっくりと、取り上げてみたいと思っています。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第316号(2004年9月11日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.23
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------------元気になりたかったら、子どもに遊んでもらいましょう。自慢ですが、私は、子どもには好かれます。(^^ゞ 子ども以外はどうした、 というツッコミは、受け付けません。(爆)その秘訣のひとつが、「さわる」ことなんだなあと、最近、しみじみ感じるようになりました。「さわる」では、セクハラっぽい(?)から、「ふれる」のほうがいい、というひともいますが、私の場合は、そんなヤワなものじゃないんです。まず、20kg以下くらいの体重の男の子なら、上から、のしかかって、押さえつけます。おらおら~っと、蹴りをいれて、ころがします。足をつかんで、逆さづりします。そのまま、ぶんぶん、大回転をやっちゃいます。女の子のほうは、さすがにおとなしめです。でも、足をつかんで、そこらじゅう、ひきずるくらいのことは、当たり前。(笑)一歩間違うと、児童虐待です。(^^ゞでもね、子どもたちを見ると、きゃあきゃあ言って、喜んでるんですね。なぜだろうなあと、ふっと思ったのが、「ああ、この子たち、本気でぶつかってほしいんだ」こわごわ遠慮してではなく、真正面からぶつかる、パワフルな関係をもとめているんです。だって、子どもたちって、もともと、エネルギーのかたまりみたいな存在なんです。思い切り、ぶつかりたいんです。エネルギーの限界に挑戦したいんです。その、飽くなき挑戦が、生きる力へとつながっていくように思うのです。子どもと関わると、疲れるっていうひとがいます。体力がないから、だめというひともいます。それは、受け身でつきあっているからなんです。たしかに、多少の体力は必要です。本気でこたえてくれるおとなだとわかると、彼らは、容赦なく、襲いかかってきます。(爆)でも、その結果、何が起きるか。実は、おとなも、パワーを取り戻すんです。かつて、自分の内がわに眠っていた、究極のエネルギーが、呼び覚まされるんです。たぶん、私の「元気」は、子どもたちのおかげです。子どものパワーと、私のパワーの結節点が、あらたなエネルギーの発生磁場です。というわけで、ややお疲れモードのおとなのみなさん。元気になりたかったら、子どもたちを挑発しましょう♪力のかぎり、遊んでもらいましょう。ただし、多少は、腹筋、きたえておくほうが無難ですよ。(^○^) (油断してるときのボディブローは、 ダメージ大です)(爆)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第315号(2004年9月10日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------メルマガ卒業。この話題は、第277号の「すべてのひとの『卒業』を祈って…」と、同じテーマとなります。同じだけれど、さらに進化(深化)したことを感じています。先日、メルマガ「今日のフォーカスチェンジ」の読者さんから、メールをいただきました。「御礼」という件名で。「本日、メルマガを解除しました」と。このかたとは、何度か、メールのやりとりをさせていただいた間柄です。多くのかた同様、悩みをかかえてはいましたが、どうしたらよいかと、私に問うのではなく、私の毎日の発信を手がかりに、みずから、こたえを模索していらっしゃるようすでした。メールが途絶えたなあと思っていたころの、「解除」のお知らせだったのでした。プライベートな話につき、詳細は書きません。ただ、このかたが、ご自身の人生の問いにたいして、まっすぐに、道すじをつけられたことが、メールの文面をとおして、わかりました。そこに、わずかでも、この「フォーカスチェンジ」がかかわることができたということも。前回(第277号)のときには、私のなかに、正直言って、「解除されるのはさびしいなあ」という思いが、まだ残っていました。でも、今回は、本当に本心から思えました。「卒業、おめでとう!」勉強が終わったら、学校から卒業するのです。病気が治ったら、病院から退院するのです。同じように、フォーカスチェンジを獲得したら、このメルマガは、購読を終えていいのです。 あ、もちろん、読むに値しないと思って、 解除されるというかたもいるでしょう。(^^ゞ それも、もちろんOKです。そして、今回は、このかたをとおして、私は、2つのメッセージを受け取った気がします。「フォーカスチェンジの究極の目的は、 フォーカスチェンジしないでも、 まるごとの自分で生きられるようになること」そして、「フォーカスチェンジを早く終えて、 次なるステップを踏み出せるように、 みずからを、うながしていくこと」 (そのかたが、このように書いているのではなく、 私の勝手な解釈です)「今後とも、(時空間を越えて?)、 よろしくお願いいたします」ユーモラスな結びに、次なる出会い(進展)を予感しながら、ふっと、こんなことを思いました。私の場合は、「卒業」するって、どういうことかなあと。とりあえずは、この一日を、全力で生き抜きます!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第314号(2004年9月9日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------------「いいんだよ」、それは究極のゆるしの言葉。ベストセラーになった、『夜回り先生』(水谷修著/サンクチュアリ出版)に関する話題です。すでに読んだかたは、この言葉、二番煎じでごめんなさい。でも、どうしても書きたかったのです。この本のなかには、いわゆる普通の学校生活からドロップアウトした少年少女が何人も出てきます。その子どもたち一人ひとりにたいして、著者の水谷さんは、語りかけます。「過去のことは、いいんだよ」「生きていれば、いいんだよ」実は、この数ページのくだりで、私は、もう、涙がこみあげてきてしまったのです。私たちは、どれだけ、過去の自分を責めて生きているでしょうか。あるいは、どれだけ、過去の人間関係を恨んで生きているでしょうか。でも、過去は、過去なのです。いまの自分は、この「いま」にしかいないのです。だったら、こう言うしかないのです。「いいんだよ」過去を受け入れ、「いま」をどう生きるか、考えていくしかないのです。そして、傷ついているのは、こうした、ドロップアウトした子どもたちばかりではありません。ごく普通の、日常生活を送っているように見える、子どもたちとて、例外ではありません。もしかしたら、子どもだけでなく、おとなさえも、そんな状態かもしれません。だったら、余計に、自分も他人も、責めるのをやめて、ゆるしあいたいと思うのです。どのような過去にも、「OK」をあげて、「今」この一歩を踏み出すためのエネルギーを、私たちは、この言葉から、受け取りたいと思うのです。「いいんだよ」この究極のゆるしの言葉を、自分と、そして、自分以外の誰かとわかちあっていくことができたら…。たぶん、世界は変わります。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第313号(2004年9月8日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------------愛を見つけますか? あらを見つけますか?敬愛するジャンポルスキーさんの著書『癒しとやすらぎのミニ・コース』(春秋社)に、こんな言葉があって、思わず吹き出してしまいました。「愛を見つける人でいたいの? あらを見つける人でいたいの?」「心の再訓練」というページの一部分です。たった一文字ちがいで、みごとに、意味がちがってしまう、この訳しかたに、痛快なユーモアを感じてしまいました。(^^ゞ(訳者は、高見恭子さん)あらとは、欠点とか、弱点といったところ。いわば、そのひとのマイナスポイントですよね。そして、私たちは、ふだん、もしかしたら、ひとのいいところより、マイナスポイントを見つけるほうが、なれているのかもしれません。何しろ、「あら探し」という言葉はあっても、「愛探し」という言葉はありませんものね。それって、ちょっと、サビしいことかも…。あらを探すと、こころがとげとげしてきます。愛を探すと、こころがほかほかしてきます。あらを探すと、人間関係がぎすぎすしてきます。愛を探すと、人間関係がふくふくしてきます。あらを探すと、生きかたがせこせこしてきます。愛を探すと、生きかたがぴかぴかしてきます。とげとげ、ぎすぎす、せこせこと、ほかほか、ふくふく、ぴかぴかと、あなたは、どちらが好きですか?あら探しと、愛探し。あなたなら、どちらを選びますか。「探してるわけじゃないわよ。 実際に、相手に、あらがあるんだもの!」と、主張したくなってしまう、あなた。昨日の「フォーカスチェンジ」を思い出してくださいね。「意識するから、目に止まるのです」そう、すべては、あなたのこころ次第なんです。愛を見つけますか? あらを見つけますか?あなたのこころと人間関係と生きかたは、それだけで、おおきく変わってくるんです。いつか、日本の辞書から、「あら探し」という言葉がなくなるといいなあ。そんなことを思った、ひとときなのでした。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第312号(2004年9月7日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------意識するから、目に止まるのです。友人から、悩み相談の電話がかかってきました。あることが、どうしても、気にかかってしかたないというのです。そこで、私はこたえました。「赤い色を意識すると、 赤い色が目に止まるようになるんだよ」「何、それ?」と友人。「赤い色のことを気にしながら、周りを見ると、 自然に赤い色のものが目に入るでしょ。 それと同じで、心配なことを考えると、 心配なことが、目につくようになるんだよ。 腹の立つことを考えると、 腹の立つことが、目につくんだよ。 気にかかることが存在するんじゃなくて、 気にかかるあなたが存在するだけ。 だって、それが本当に気にかかることなら、 まわりのひと全部が気にしてるはずでしょ。 あなただけが気にかかるということは、 あなたが、それを意識してるからなのよ」人間のこころって、不思議ですね。そして、だからこそ、すてきなんだと思います。だって、うれしいことを意識して暮らせば、うれしいことが目に止まるようになるんです。楽しいことを意識して暮らせば、楽しいことが目に止まるようになるんです。感謝して暮らせば、感謝できることが…。幸福を意識すれば、幸福なことが…。幸せも、幸せでないことも、自分の意識ひとつで決められるんです。そんな話を、あれこれと、友人にしたところ、友人も、ようやく納得してくれたようです。よかった、よかった。そして、最後にひとこと、こう言われました。「どうして、そういう話を もっと早くしてくれなかったの!」はい、それは、私の修業が足りなかったからです。…と、素直に謝っておきました。(爆)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第311号(2004年9月6日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------他人の視点で、自分を見てみましょう。自分を責めてしまうタイプのひとって、ときどき、いますよね。「私は、要領が悪いし、才能もないから…」「努力が足りないから、こうなるんだ」「人の足を引っ張ってしまって、申し訳ない」そして、「やっぱり、自分はだめだ」と自己否定してしまうのです。そういうひとにたいして、私がいつも言うのは、こんなことばです。「ねえ、そういうことば、ほかのひとにも言う?」そう、たとえば…、「あなたって、要領は悪いし、才能もないのよね」「努力が足りないのよ」「人の足を引っ張って、申し訳ないと思わないの?」いいえ、そういうタイプのひとは、けっして、他人には、そんな言いかたはしないんです。むしろ、他人の仕事まで引き受けてしまうくらい、優しいというか、謙虚な態度をとるのです。だから、私は言うのです。「他人にしないことは、 自分にもしないようにしようよ。 自分のことを、 一番みぢかな他人だと思ってごらんよ」そう、もしも、他人であれば、昼夜を問わず、休みなく働かせ、いたわりの言葉ひとつかけないような、そんなひどいことは、しないはずです。やった仕事に、すべてケチをつけ、ことごとくやる気をそぐような、そんな態度は、とらないはずです。他人の視点で、自分を見てみましょう。あなたは、本当によくやっています。多少のミスは起こすかもしれませんが、それは、誰でも同じことです。第一、ほめられるのと、責められるのと、どちらがやる気になりますか?あなたの精一杯の努力を認めてあげられるのは、あなたにとって、一番みぢかな、そう、あなた自身をおいて、いないのですよ!もう一度、言います。他人の視点で、自分を見てみましょう。なすべきことは、あなたという他人が、一番輝くことのできることばを見つけることですよ。そして、自分にたいして、まっすぐに、励ましといたわりのことばをかけられるひとこそが、他人にたいしても、いつわりのない、励ましといたわりのことばを、あらわすことができるのですよ!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第310号(2004年9月5日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------あと1日のいのちなら、何をしますか。友人の主催するワークショップに参加し、そのなかで出された問いのひとつです。それ以前にも、別のワークショップで、同じ質問が出されたことがありました。そのときの私のこたえは、「友人知人をすべて招いて、宴会をする」でした。今回も、「宴会」というこたえが出てきたのですが、それに、もうひとつ、加わっていました。「すべて処分する」です。インターネットの発達のおかげで、こうして、毎日、自分の思いを書きつけることができます。私が伝えたいことは、生きているうちに、伝えられるかぎりは、伝えることができます。だとしたら、ほかに残すものは、何もないのです。自分で片づけようとすると、未練が残るから。いっそのこと、業者さんに頼んでしまいます。本や服など、リサイクルできるものは、してもらい、もちろん、友人知人に、持っていってもらうものは、どんどん、持っていってもらいます。そして、最後は、何もかも手放して、終わりたい。…それが、今回の私のこたえでした。でも、そう思ったら、「別に、その日まで先延ばししなくてもいいんだよね」という思いが、あがってきました。生きているうえで、絶対に必要なこと・ものって、ほとんど、ないんじゃないかと思うんです。どうせ、最後に手放すなら、いつ手放しても、いいんじゃないか、ということです。そうはいっても、生身で生きているわけですから、部屋は、あるにこしたことはないし、服も必要だし、少ないとはいってもお金も必要です。ただ、とても、気持ちが楽になったのです。ああ、これらは、とりあえず持っているけれども、いずれは、手放すものなんだなあと。そんなにがんばって、執着しなくてもいいんだなあと。もちろん、こたえは、一人ひとりちがっていいのです。たまたま、私がそう感じた、というだけのことですから。「あと1日のいのちなら、何をしますか」あなたなら、この問いに、どうこたえますか?きっと、ふだんは思わなかったようなことにも、いろいろと、思いをめぐらすのではないかと思います。こたえそのものより、こたえようとして考える、そのプロセスのほうが、案外大切なのかもしれません。そのことで、日々の生活に、新しい光を注ぐことができるのかもしれません。自分自身を見つめ直すために、ときどきは、投げかけてみたい問いのひとつです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第309号(2004年9月4日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------前に進まないための言いわけ、してませんか?いろいろなひとと話をしていて、最近、ふと思うことがあります。こんな言いかたをするひとが、けっこう多いんです。「私は、これができない(から、だめだ)」「いまは、○○の条件が整わないから、無理だ」「才能がないから。努力が足りないから、 仲間がいないから…」そのひとは、いろいろ大変な体験をされて、そういう結論に達したのだと思います。おそらく、つらい体験だったでしょう。苦しい体験だったでしょう。つらい気持ちはわかります。苦しい気持ちもわかります。私自身も、それなりに体験してきたつもりですから。でもね、ひとことだけ言わせてください。それは、本当は、前に進まないための言いわけなんです。失敗するのが怖いから、傷つくのがいやだから、恥をかくと思うと耐えられないから。だから、「できない」理由を探すのです。…一方的な言いかたをして、ごめんなさい。実は、これ、私自身にも言っていることばなんです。私も、しょっちゅう、そんな気分になるんです。そのたびに、自分に問い直すんです。「前に進まないための、言いわけ、してない?」たしかに、不安はあります。怖れもあります。でも、100%、それが起きると、決まったわけではありませんよね?(だって、私たちは預言者ではないのですから)だから、気づいた瞬間に、切り替えるんです。「よしっ、まずはトライしてみよう」って。そうしたら、案外、うまくいっちゃうことだって、あるんです。うまくいかなかったことは、これからのヒントになってくれるだけなんです。言いわけしてる自分に気づいたら、潔く、そこで、ストップをかけましょうよ。そして、自分自身に、深く問いかけてみるんです。自分は何をしたいのか。どこへ行きたいのか。こたえは、ちゃんと、そこにあります。そしたら、前に進むだけですよ。レッツ、トライ!あなたを、そして、自分自身を応援します♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第308号(2004年9月3日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------------底棲の金魚-私たちは、いつでも変わることができる。友人が、金魚を飼っていたそうです。ごくごく普通の金魚で、ごくごく普通に、水槽のなかを泳いでいました。あるとき、(なぜか理由はわかりませんが)友人は、同じ水槽に、どじょうを入れました。つまり、金魚とどじょうを、同じ水槽で飼うことにしたわけですね。すると、何が起きたのか。金魚が、どじょうのえさになってしまった。…てことはありません。(^^ゞその後、その金魚の動きが変化したのです。水槽の底にうずくまるようになったかと思うと、今度は、急浮上・急潜水をマスター。とても金魚とは思えない動きをするようになったそうなのです。どう考えても、どじょうに「感化」されたとしか思えません。それだけの話です。それだけの話なのですが、少しだけ、おまけがあります。この話をしてくれた友人は、40代に差しかかろうというとき、原因不明の病気にかかりました。突然、足が動かなくなってしまったのです。1年以上、入院治療をつづけましたが、治らず、いまも、車椅子の生活をしています。その友人が、送ってくれたメールが、今回の金魚の話なのです。病気のために、仕事も、その他の活動も、何もかも、停滞を余儀なくされた友人が、かつて飼っていた金魚の話を思い出した…。そのことに、私は、ひそかに胸が熱くなるのです。金魚が、生まれながらの泳ぎかたを超えて、あらたな泳ぎかたをマスターしたように、人間もまた、新しい生きかたができるのではないか。運命は変えられないかもしれないけれど、自分が変わることはできるのではないか。そんなメッセージを、メールの文章の裏がわから、勝手に受け取ってしまったのです。そう。私たちは、いつでも変わることができる。自分からあきらめさえしなければ!「底棲の金魚」と題された、そのメールを、私は、いまも、大切に保存しています。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第307号(2004年9月2日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------------幸福になるには、たくさんのことはいらない。私が主催したワークショップが終わり、参加者のみなさんと一緒に、食事に出かけたときのことです。そのなかに、一人だけ、少年がいました。参加者のかたの息子さんです。9歳。食事を待ちながら、おとなたちは、それぞれに、名刺交換を始めました。そのとき、そのなかのひとりが、少年に、「君にもあげる」と、名刺を渡したのです。ほかのひとたちも、次々とそれにならって、彼に、名刺を渡しはじめました。彼は、即座に、お母さんに言いました。「ぼくの名刺は?」どうも、来る前に、手書きで、お母さんといっしょに、つくっていたらしいのです。ところが、残念ながら、それは、置いてきてしまったとのこと。名刺を返せない彼は、不満いっばいです。(^^ゞお母さんが言いました。「○○のホームページを教えてあげれば?」(○○とは、彼の名前です)とたんに、周囲の注目が集まりました。「えっ、ホームページもってるの?」おとなたちの驚きの声があがります。無理もありません。まだ9歳なんですから!「うん…、まあね」こたえながら、彼は、ちょっとそっくり返りました。そして、次の瞬間には、抑えても抑えきれない、満足げな表情が、そこにあらわれたのです。私は、吹き出しそうになるのをこらえながら、その表情から、目が離せませんでした。なんて、うれしそうな、そして、幸福そのものの表情をしていることでしょう。彼は、自分の大切にしているもの(こと)が、素直に認められた(受け入れられた)ことで、その瞬間に、満たされていました。幸福になるためには、たくさんのことはいらないのです。そして、忘れてならないことがあります。その、彼の表情を見ていた私たちもまた、その瞬間に、幸福を味わっていたことを。幸福な表情を見ていると、そのひともまた、幸福な気持ちになるのです。この、幸福の循環を、つなげるのも、途切れさせるのも、私たち自身にかかっているのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第306号(2004年9月1日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.04.12
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