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いやー、今年の天候はなんなんだ。秋田で有数の花見会場の千秋公園が、今日で終了となった。皮肉にも、最終日の今日になって満開だそうだ。しかも、この強風。散々だった。 昨日で止めようと思ったが、もう一つ花見が好きになれない理由がみつかった。それは、私が北海道育ちだということだ。北海道では花見と言う習慣が薄い。北海道出身の漫才師の「タカ&トシ」も、そう言っていたが、花見だと騒ぐ人間が北海道には少ない。理由は、いろいろあるが、なんと言っても、開花時期がが遅い。桜と共に全国を縦断する露天商の皆さんも、弘前止まりが多いように思う。北海道の桜は、品種もソメイヨシノと違うせいか、5月末から6月に咲く。故郷夕張では、その頃に黒ダイヤ祭り(炭鉱祭り)というのがあり、炭鉱の職員たちが花見をしていたような気もするが、なにせ、全国的には、あまりに遅すぎて、春の桜というには間の抜けた時期になってしまう。やはり桜前線も、終着近くでは話題にならなくなるということか。 関東の大学に出てきた時に、花見とかお盆とかの行事が盛大なのに驚いた。時差とまではいかないが、季節差は確かにあるのだ。
2010.04.30
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お花見が好きになれない一番の理由は、自分でもよくわかっている。花見に付き物の露店が頭に浮かぶのだ。仕事上、露天商の方々とお付き合いが深い。けっして、好かれている訳ではない。だから、天候が悪いと、桜の花よりも、不機嫌な露天商さんたちの顔が浮かぶのだ。花見だけではない、花火大会やらお祭りやらのイベントでもお会いする。お互いに、できれば会いたくはないのに。 あとは、やっぱり感性というか質感の違いだ。以前、子どもの卒業登山とかで、森吉山に登るはめになった。山歩きの好きな方から、「一度登れば、山の良さがわかる」と教えられたのが、出来れば二度と登りたくないとさえ思ってしまった。我ながら、情けないが、これが事実なのだからしょうがない。 ということで、今日も荒天、わが町で一番先に花開く桜も、いまだに蕾のままだ。明日あたりから、天候も上向きだと言うが、花見日和のゴールデンウィークになることを心から祈る。けど、私は花見には行かない。
2010.04.29
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秋田はやっとお花見シーズン。秋田市の千秋公園は見ごろだと言う。しかし、今年は天候に恵まれず、開花が送れ、雨や強風で人出は今のところ最悪であろう。明日からのゴールデンウイークは、有名な角館の桜がちょうどピークになると思われるが、天気はどうなのか。そこが大問題なのだ。 ところで私は、花見がどうにも好きではないようだ。Y先輩が、名所の素晴らしい写真を送ってくれるし、愛読している「ハレハレゆかいのブログ」なんかでも、花見ネタでにぎやかなのだが、悪いが、どうも乗れない。人並みに、満開の桜はきれいだなとか、すごいなとは思うのだが、どうにも行こうとは思わない。花見も何回かやったことはあるが、結局は野外で宴会しただけで、花見をしたという実感がない。ようするに、美的感覚と情緒が欠落しているのだろう。 そこで、どうして私は、花見が好きではないのだろうかと考えてみた。私にも言い分はあるのだ。ちょっと面白くなってきたので、明日も続きを書いてしまう。
2010.04.28
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ゴールデンウィークは何の予定も無い!と昨日書いたのに、明日、秋田市で泊り込みで飲むことになった。所属する「鷹朗会」という会の秋田支部会だという。前にも書いたかもしれないが、この「鷹朗会」というのは、以前勤務していた事務所仲間の親睦会であり、「たかろうかい」と読む。会場に行って「あの、たかろー会ですが」と言うと笑われる事が多いので、会員からは不評だが、もちろん、ネーミングは私である。 結成当時は、退職者2名、現職10名で発足したが、結成15年以上となり、現職は4名に激減、完全な退職者の会に移行しそうだ。だから、参加しても、何の得も無く、いつ、消滅してもおかしくない会なのだが、毎年2回は集まる。今回も、恫喝まがいの出席依頼メールが、今日、届き、渋々だが出席することにした。他の会員は、明日のうちに家に帰れるからいいが、私は仕事だ。何がいやだといって、これが一番つらい。だから、明日は、少しだけ飲んで絡んでやろうと思う。
2010.04.26
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「上海」というテレビゲームがある。昔から好きなゲームで、昭和の時代からやっているのだが、最近は息子のお下がりのプレステ2でやっている。知らない人には、どうでもいいことだが、重ねてあるマージャン牌を、トランプの神経衰弱の要領で二枚一組にして取り去っていくだけ。これが、なかなかうまくいかない場合もあり、ちょっとはまるのだ。得られるのは、達成感だけなのだが、これがなかなか止められない。休みには、どーも夢中になってしまい、やる予定だった掃除やらをぶっ飛ばしてしまうこともある。なので、平日は手を出さない。 ところで、ゴールデンウイークが近づいてきた。今回は子どもたちも帰ってくるとの連絡がないし、来客や旅行はもちろん、休日勤務も無いので、5連休確実である。貯めてある未読の文庫本を読みたいが、心置きなく「上海」の全クリに挑戦できそうだ。
2010.04.25
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昨日は、事務所の歓迎会。一応、歓迎される側なので出席したが、やはり秋田市内が会場なので、またホテル泊まりである。駅前でささやかな二次会をやって、ヱビスとラーメンでシメて、ホテルに帰ろうとしたところ、別の会議の懇親会の同僚と合流してしまい、しこたまやってしまった。さらに、悪い癖で、さっきのシメのラーメンを食べたのをすっかり忘れ、もう一杯食べてしまった記憶がある。若い頃なら、飲んだ翌日は、体重が減っていたものだが、今は、そんなハズもなく、毎回1キロぐらい増えてしまう。 で、今日は、ホテルをチェックアウトして、懲りることも無く好きなラーメンを食べ、その後、月に一度のアカスリをして、帰ってきた。アカスリでスッキリし、体調は悪くはなく、二日酔いではないが、どーもブログを書く気にもならずにいた。ようやく、今、これを書いているところなのだが、ちょっと気力が限界なので、ここまでとする。
2010.04.24
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久々に、外食しようと事務所を出たところで、3人の同僚と合流、最近開店したラーメン屋に向かった。4人とも、50歳前後で、さながら「オヤジラーメン愛好会」の結成式のような様相となった。メニューに見入る4人のオヤジ。売れ筋は「無双ラーメン」、私以外の3人はそれに決めたが、私は「ニンニクたっぷり」というのが気になって、食べたかったのだが、醤油ラーメンにした。残念ながら、期待したほどの好みの味ではなかった。 さて、問題は事務所に帰ってから起きた。例のニンニクたっぷりを食べた3人が、何故かマスクをしているのだ。3人は席が近い。帰ったところ、周りの同僚(特に女性陣)らが、「ナニ、食ってきた!」というブーイングの嵐。3人は歯磨きやら、口臭の薬を飲んだりしたものの、いかんともしがたく、マスクの着用を命ぜられたのだった。 オヤジラーメン愛好会は、結成直後に大不祥事を起こし、今後が危ぶまれることになってしまったのである。
2010.04.22
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秋田では最も読まれている地方新聞「秋田魁新報」には、月に1回、「今月のお誕生日」というのが載る。早い話が、生まれた子どもの紹介記事だ。私も子どもたちが誕生した際には、ハガキを出し、掲載された新聞を大事に保管している。ただ、子どもの名前と両親の名が掲載されるだけなのだが、ついつい読んでしまう。先日、3月生まれのを読んで驚いた。30人ぐらいの女の子の名前が載っていたのだが、「子」の付くのは一つも無かった。ちょっと前からその傾向はあったのだが、ここにきて「〇〇子」は絶滅したようだ。「子」の付く名は、昭和の娘ということか。まぁ、自分の娘も平成元年生まれだが、「子」の付く名前ではないから、どーの、こーのいう資格はないのだが。 だから、批判をするつもりはないものの、どーにも読めない名前が多すぎる。せっかく若い両親が気に入って付けた名前なので、ここで例を挙げて紹介はしないが、この娘たちの担任となる先生は苦労するに違いない。 今は知っている人の方が少ないだろうが、先代林家三平の一世を風靡したギャグ「よーしー子さーん」なんかは、若い世代にとっては、暗号にしか聞こえないだろう。ちょっと寂しい。
2010.04.21
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いやはや、やはりネットはすごい。この虫はコクゾウムシの一種だろうと考え、ちょっと検索したところ、「どんな害虫お困りですか?」の文字が出て来て、一発でこれしかないという回答を得た。(http://www.ikari.jp/gaicyu/12010d.html)いや、この他にも、やたら詳しい説明がいっぱいで、もう、こうなると面白がるしかない。 虫の名前は、タバコシバンムシ。冬には活動しないとか、乾麺に発生するとか、もう、何から何まで、おっしゃるとおり。やはり、幼虫はウジ虫なので、もう、言い逃れも、言い訳も、一切言えない。ここに、引用はしないが、興味のある方は(興味ないよなぁ)、検索してもらえば、じっくり楽しめます。 ここからは、深い、ふかーい、私の反省である。 ひとーつ、いつか食べるは、結局食べない。 ひとーつ、賞味期限は、真摯に守ろう。 ひとーつ、乾麺も冷蔵保存。 ひとーつ、私に限っては、まったく限らない。 この年齢にして、恥を知った虫騒動でした。
2010.04.20
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意を決しての大掃除の結果、虫の発生源は、3年前の「そば(乾麺)」だった。いつ、どうして入手したのか思い出せないが、乾麺だから、いつか食おうと思って、奥まった食器棚に置いていたのが悪かった。そこには、ついこないだ、いただいたソーメンやら、鰹節セットなんかも置いていたが、それらはなんともなく、その「そば(乾麺)」だけに虫がわいていた。もう、必死で何重にも袋詰めし、漏れたものは掃除機で吸い込んだ。もちろん、近くにあった食品類はいっしょに捨て、期限の切れた缶詰までも処分した。 言い訳になるが、母は二世帯住宅の下に住み、夕飯の支度もほとんどそこでやっているので、二階の台所は、ガス台や電子レンジで暖め、電子ジャーで飯を炊くだけなので、ほとんど使われていない。なにしろ、冷蔵庫には、平成14年の中学校の「給食だより」が貼ったままである。さすがに、その冷蔵庫の中は整理しているが、冷蔵保存の必要がない食品は、どうしても放置気味になってしまう。 原因食品を処分してから、虫は激減し、一週間後には、ほとんど見られなくなった。今日はたまたま、一匹見つけたが、「どこに隠れていたのか、掃除機から這い出したのか」なんて、懐かしく話しかけてしまった。この虫の正体については、ちょっと引っ張って、明日書く。
2010.04.19
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書こうか迷ったが、ネタとして、あまりに面白いので自分の恥をさらけ出し、書いてしまうことにした。 「男やもめにウジがわく」という言葉がある。けっして、潔癖症ではないが、仕事上、最低限の掃除はしているつもりだった。なのに、我が家に虫がわいた。体長2mm足らずのゲンゴロウをうんと小さくしたような虫が、なぜか、2世帯住宅の2階にだけ出没する。母が住む1階にはいないという。実は、昨年の春先にも見かけたが、数匹だったので気にもしなかった。今年は、3月ごろから、やたらに出てくる。刺すわけでもなく、ハエのようにうるさいこともなく、ノタノタと歩くだけなので、簡単に捕まえられる。だが、なにしろ何処から来るのかがわからない。こいつは、いっちょ前に飛ぶので、非常灯あたりには、よく集まり、いろんなところに出没する。 母によれば、どうも台所が怪しいという。食べ物から虫がわく、というのだけは職業上、絶対に避けたいことだったが、こうなると、もう、しょうがない。久々の、台所の大掃除を決行した。残念ながら、発生源はやはり、ある食品だった。
2010.04.18
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現場仕事では、とにかくその日のノルマをこなせば良かったが、今度は、数倍に増えた文書の受付やら、電話や来客との対応など、忙しい時には堪らぬほど忙しいが、何も無い時は、本当に暇である。本当は息抜きに外に出たいのだが、立場上許されず留守番がメインの仕事である。まあ、1ヶ月を過ごせば5年のブランクも埋められるとは思うが、今は内心ビクビクしながらの仕事である。 高速通勤は、思ったより辛くは無いが、とにかくガソリンが減る。まぁ、往復150Kmを走っているのだからあたりまえだが、3日に1回の給油は初体験だ。払いを考えるとコワイ。高速と言っても、1車線で半分は無料開放区間なので、前に遅いクルマがいると、もうどうしようもない。軽トラや遵法速度のク〇ネコなんかのテールランプが見えると、これは諦めるしかない。 あとは、前と違って、雑多な職種の老若男女の職員がいるので、それなりに気を使ってしまう。ということで、23日は全体の歓迎会がある。酔いすぎて顰蹙を買わないように気を着けよーっと。
2010.04.17
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ようやく1週間が終わり、今日も温泉に入ってきた。入る前に体重を量る。そして、サウナで汗を流し、水分を完全に拭き取り、体重を量る。これを、瞬間最低体重と呼ぶ。これまで、瞬間最低体重は67Kgまでになっていたが、現場仕事から事務仕事になり、1Kgほど増えてしまった。昼食の場所を決定しようと、毎回外食で、中華ホルモンセットなどを食べていたのもまずかった。 今度の事務所では、インスタント昼食生活は無理だと思い込んでいたが、ついに、それが可能な場所を発見した。残念ながらガスコンロは無いのだが、電子レンジのある部屋が空いており、そこを自由に使えるのだ。しかも、私の他にはそこを利用する者がいる様子はない。ここに、インスタント昼食生活完全復活!である。ちなみに今日は、中村屋のチキンカレーと日清の春の期間限定ラーメンという豪華版である。それにしても、外食よりもインスタントの方が体調がいいというのは、なんだかなぁ。
2010.04.16
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なにしろ、重要なのは仕事帰りの風呂である。これまでは、現場仕事で汚れるからとかの理由を付けていたが、なにしろ、家に帰ってから、風呂に入るのが面倒だ。しかも、自分一人だけではもったいないだけでなく、ちょっとむなしい。どうせ入浴するなら、温泉だ、しかも、サウナがある方がいい。これまでの通勤コースには、選べるほど沢山の温泉があったのだが、高速を使っていることもあり、なかなか見つけられなかった。 で、通勤途中ではなく、ちょっとだけ後戻りするが、いい温泉があった。「くらら」という名のその温泉は、1回400円だが、サウナが2種類あり、お湯も好みに合う。職場から5分。案外人気で、客も多い。ということで、今日、回数券を購入してしまった。面白いのが、入浴ごとのスタンプ制度。ポイント好きの私を捉えて離さない。50個で5回分の入浴券がもらえるのだ。だったら、10個で1回にすればと思うのだが・・・。さらに、お茶目なのは、毎月26日の風呂の日はスタンプ2個のサービス。私はもう、骨抜きにされてしまった。 だから、私は、毎日、5時30分から6時30分までは、入浴タイムで、その後は一車線高速を1時間かけて帰宅する。特に毎月26日は確実にそのパターンなので、ファンは電話を控えるように。
2010.04.15
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異動で新しい職場になってから、2週間がたった。現場仕事の肉体労働から、5年ぶりにディスクワークとなった。客商売なので、スーツを着なければならないが、ネクタイはともかく、ワイシャツが足りない。通勤距離は伸びたものの、高速なので時間的には楽になった。それにしても、今日の強風は怖かったけど。 今までは現場に着き、その日のノルマをこなせば終わったが、今度は突然の来客、電話、苦情やらで、やたらに落ち着かない。時間はあるのに、そんなワケでさっぱり仕事がすすまず、やれ、来客だ、打ち合わせだとかで一日が終わってしまう。 実は、この職場の管轄地域は20年前にシュランダースの犬のSさんといっしょに仕事をしていた場所なのだ。本当なら二人で外に出かけたいのだが、立場上、いつも留守番役で、未だに実現してはいない。残念だ。 なんか、グチばかりだが、そこはそれ、だんだんと自分なりに過ごしやすい環境を整えつつある。明日からは、そんな、どうでもいい変化について報告したい。
2010.04.14
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「謄写版からUSB」にという過去に思いを寄せていたところに、フジテレビが「わが家の歴史」という3夜連続8時間ドラマを放映した。脚本は好きな三谷幸喜。この人の書くドラマは、後からジンワリと感じさせて、笑わせてくれる。しかも、私が愛する昭和時代がテーマとあっては絶対に見逃せなかった。有り得ないのにありそーな事件と、居る訳が無いのにいそーな人々がすったもんだするのは、ある意味で痛快だったし、脚本家や出演者が楽しんでいる(というか面白がっている)のが伝わってきた。 手塚治虫のエピソードも、視聴者に伝わったかは疑問だが、マニアには、よくぞここまで書いてくれたと思わせた。三谷先生も相当な手塚ファンなのでは。 私の贔屓目なのだろうが、狂言回し役の大泉洋が良かった。ちょっと浮き気味の演技が鼻につくと、どこかの週刊誌などで批判されていたが、今回は、その浮き気味なところが悲しささえ漂わせ、「水曜どうでしょう」の頃を思い出してしまった。 視聴率も良かったようで、なによりだ。うるさいことは言わずに、これがDVDになったら、私、買います。
2010.04.13
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一人一台、職員全員にパソコンがいきわたった頃、どうにも着いていけなくなった方たちが職場を去って行った。主に経理関係に携わっていた年配の女性が多かったように思う。そろばんから、電卓に乗り換え、今になってパソコンでと言われてもということだろう。なにしろ、移行期間があまりにも短すぎた。ソフトはおろか、パソコンに関する研修もほとんどなかった。触りたくもないと思っている人に、使い方を教えるのは本当に難しい。その辺のデリカシーの無さが残念だった。 今の新入社員は、生まれた時からパソコンやゲーム機があり、何の抵抗も無く使いこなす。今度の職場でも、30歳の部下に「謄写版」や「青焼き」について説明してみたが、見た事が無いのだから分かるはずも無いのだ。 いきわたったパソコンは新たな問題も引き起こしている。仕事上の情報漏えいや、不正アクセスなんかだが、これを防ぐのは至難の業である。もちろん、私の職場だけの問題ではなく、社会的な大問題なのだが。
2010.04.12
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昭和60年代には事務所に数台で、使うのに争いがあったほどのコンピュータは、順調に台数を増やしていった。当時、精密機械であるパソコンを持ち歩くなどはもってのほか。実現には時間が必要とかいわれていたのに、あっという間にラップトップというのが登場し、ワープロを追いやり、はびこった。最初は、便利なデータベースでしかなかったのがインターネットが発達するにつれて、これがなければ仕事が出来ないまでに発達した。 全職員にひとり一台パソコンが実現したのは平成8年頃だったと思う。こちらから頼んだ訳でもないのに、唐突に配備されたように感じた。当時、使いこなせたのはせいぜい一割。あとは、電源を入れ、やらなければならないことだけをやるだけ。あれから、14年がたったが、未だにそんなユーザーが1割以上は残っている。 パソコンをアイテムとして使っている職員は、今や、それがないと仕事が出来ない状態になっている反面、着いていけなくて退職した職員も少なくはない。ここにちょっと、疑問を感じるので、もう1回だけ続けたい。
2010.04.11
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ワープロの出現により、字が下手な私なんかは、本当に助かった。もう、仕事の書類からご祝儀袋の文字まですべてがワープロ。しかし、冠婚葬祭では、記帳のとき、あまりに自分の名前の書き文字があまりにも下手くそで恥の上塗りになってしまう。仕事でも、手書きで通らなかった書類が、ワープロで書き直したら、一字一句同じなのに通るなんてのも確かにあった。 ワープロやワープロソフトの普及で、文字を書く機会が減り、文字を書けない人が増えているのが問題にされたりしている。私も、ただでも字が下手なのに、まともに書けなくなるのではという心配をしたが、最近では深く考える必要は無いと思いはじめた。直筆が必要と思われる、最低の文字さえ書ければ問題はないのではなかろうか。実際に書けない文字があると、ワープロソフトを辞書代わりにして書いたりしている。Y先輩がおっしゃるように、「えんぴつからワード」ということで、最新の筆記用具だと考えることだ。 「薔薇」という文字が書けなければならないのは、クイズ回答者のインテリ芸能人だけで、私には今までもこれからも、それが必要なシュチエーションは訪れないだろう。読めれば十分、私が書けても「変なオヤジ」だと思われるのがオチだ。
2010.04.10
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そもそも、パソコンは、「ワープロよりちょっと便利なもの」ぐらいの認識しかなかったのだが、仕事上の必要に迫られて、表計算ソフトに触ってみたところ、その考えが一変した。最初は「マルチプラン」。懐かしいでしょう?「マルチプラン」を使いながら、電卓で確認するというような半信半疑のユーザーだったが、この便利さと正確さにはまったく脱帽、あれだけ苦労した集計がウソのように早くできる。とは言っても、未だにマクロを使いこなせる上級者にはなれずじまいなのだが。その頃使っていたパソコンは、日立のフローラとかいうので、→キーの他に⇒キーもあった。 ようやくマルチプランに入門したと思ったら、ロータスというソフトに大転換。違いはよくわからなかったものの、とにかく置き換えた。そのロータスも今はエクセルに。ダンボール箱いっぱいに貯まったフロッピーディスクのラベルには、それらの文字が下手な字で書かれており、捨てがたさを、やたらあおる。 パソコンやソフトに興味の無い方にはつまらないだろうが、このテーマ、もうちょっと深入りして続けたい。
2010.04.08
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案外気に入って書いているこのテーマなのだが、読んでいただいている方はどー思っておられるのか気になっていたが、井上もやしさんとY先輩から、コメントとメールをいただいた。Y先輩からは、「そろばんからエクセル」のテーマはいかがか?とのアドバイスまでいただいた。ちょっと、気を良くしている私です。 そろばんは、小学校卒業までに3級を取ったが、中学で部活が忙しく、暗算が苦手だったため挫折してしまった。だが、生意気に知ったかぶりで言わせてもらえば、そろばんは、もっとも原始的なコンピュータ的ツールなのではないかと思う。 電卓も、自分なりに便利に使っていたつもりだったが、ある日、バイトの若い女の子が、ブラインドタッチで瞬く間に計算をこなしているのを目の当たりにして、あれが使いこなすということだと痛感し、いっちょまえに関数電卓なんかを人差し指だけで使っている自分がみじめだった。人一倍不器用な私には、そろばんや電卓より、もっと似合ったモノがあるはずだ。そんな時に出会ったのが、パソコンの表計算ソフトだった。
2010.04.07
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60年頃に導入されたコンピュータは、3.5インチフロッピーが使えるものだったが、実はそれ以前にも事務所にはコンピュータがあった。最初の頃、データの記録はカセットテープに残していたという。次に、ウチワより大きなフロッピーディスク、まさに小さなちゃぶ台のようだった。次が5インチ、そして3.5インチである。ウチワも5インチもごく短い命だったが、3.5インチについては、これはコンパクトでハンディで長持ちするだろうと、私は考えていたのだが、とんでもない間違いだった。MDが一瞬はびこったと思う間もなく、CDになり、DVDになり、USBへと変化した。これは、早かった。 さほど詳しくないと言うよりは、着いていくのがやっとの私は、もう、この辺で落ち着いてくれないかと願うばかりである。インターネットへの接続手段についても同様だ。あと、何年ユーザーでいられるのかわからない年齢の私にとっては、これ以上の速さや軽さは望まない。お願いだから、安値安定方向へ落ち着いて欲しいものだ。
2010.04.06
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昭和57年あたりから、各事務所にワープロが何台か置かれており、若者はすぐに使い始めたが、年配者はあまり近づかず、頑なに手書きを貫いていた。コンピュータが初めて事務所にきたのは昭和60年頃。私のいた事務所では、ウタヘタの時に書かせていただいたT君が、その使い手だった。T君は、コンピュータをワープロとして使うのを嫌った。たった1台しかないのを、そんな目的で使うのではなく、データの集積などで使うべきだというのだ。今なら、そのとおり!と思うが、当時は若造が意地悪してるぐらいにしか思えなかった。T君、その節は申し訳なかった。 私はといえば、もう、着いていくのに必死。ワープロやコンピュータを使えなければ、仕事も趣味も立ち遅れるという意識があったことだけは自分を褒めたい。我々の年齢は、いわゆるIT時代に残れるかどうかの分かれ目世代だったように思う。それにしても、当時のことを考えると、あまりにも早く時代が進んでいるように感じてしまう。
2010.04.05
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事務所にもコピー機がまんべんなく備えられた頃、あれは昭和60年頃だったろうか、ワープロという便利な機械が登場した。字が下手だが書きたがりの私には願っても無いアイテムである。珍しく吟味して選んだのがシャープの「書院」だった。このワープロには世話になった。今でも使いたいぐらなのだが、いかんせん、製造中止でメンテナも受けられないとなればしょうがない。シャープはどうして「一太郎」のような「書院」パソコン用ソフトを作ってくれなかったのだろう。まぁ、書院パソコンというので似たようなことは試みたようだが。これだけは使いこなしたという実感がある。大量のフロッピーも捨てられずに保管してある。「書院」の本体は、仕舞い込んでいるわけではなく、いつでも動かせるよう、今もプリンターの横に場所を取っている。今日見たら、埃をかぶってはいたが。 そして、ワープロを追いやることになるパソコンが導入されたのもちょうどこの頃だった。
2010.04.04
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コピー機というものを初めて使ったのはやはり、学生の時だった。当時はかなりの贅沢だった。勤務し始めた頃(昭和54年)にも、全部の職場にコピー機があった訳ではなく、あったにしても、使用するには許可をもらい、使用簿に書き込むなどして厳重な使用制限がしかれていた。コピー機が家庭にもあるような昨今でも、コピーを一番使っているのは、やはり試験前の学生ではなかろうか。なにしろ、黒板を携帯のカメラで撮る輩もいるとのこと。パソコン、電子辞書、携帯を使いこなす学生たちには、もはや着いていけそうも無い。 その頃、職場の印刷で使われていたのが「青焼き」というやつで、タブロイド新聞などがこれだったろうか。以前の「青焼き」は印刷後に紙が湿っている湿式だったが、この頃には乾式となってそれなりだった。今でも当時の若者会会報を保存してあるが、なかなか味があって捨てがたい魅力がある。だが、今では「青焼き」の印刷物はおろか、印刷機械さえ目にすることはない。
2010.04.03
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コピー機というものがあるのは知っていた。もしかしたら高校卒業時(昭和52年)に、職員室にあったのかもしれないが、謄写版の輪転機でさえ、学生が使うのはもってのほかだったのだから、近くにも寄れなかった。 本物のコピー機に遭遇したのは、大学の生協だった。そこには2台のコピー機があり、1枚は20円だったような記憶がある。これが行列をつくる人気になるのが、試験前。優秀な学生のノートが、無数にコピーされるのだ。追試が1科目3000円だったろうか。だから、生活をかけて、コピーするのだ。が、コピーしただけで安心してしまい、それを読みもしないのだから合格点が取れる訳も無い。 大学2年の頃、サッカーの試合で渋谷の日大に行ったところ、そこの生協に十数台のコピー機が並んでいるのに仰天した。やはりカレッジとユニバーサルの違い、相模原と渋谷の違いを痛感し、試合にも負けたような気がする。 コピー機の出現により、謄写版は完全に息の根を止められたのだ。
2010.04.02
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思えば、小学校から中学校まで、印刷の主流は謄写版だった。手作りテストも学級だよりもみんな先生がガリ切りしていたのだ。大抵の先生は、ガリ切りがうまかったが、中には苦手な人もいたようだ。なにしろ、鉄のヤスリの上で鉄の筆で字を書くのだから、これは難しい。だから、丸い文字を書くのは大変で、角張った「ガリ切り文字書体」があったようにも思う。原紙が破けると修正液というのがあったが、これもまた私の場合、うまくいかない。 はっきりした時期は分からないのだが、多分高校の終わりぐらいの時に、ボールペンで書いたものを原紙に焼き付ける方法がメィジャーとなり、ガリ版は姿を消した。後に、鉛筆書きでもOKになり、鉄筆が何の道具なのかもわからない時代となった。それでも、大学時代まで、学校からもらった古くなったガリ版と鉄筆を私は大事に持っていたものだった。 書き上げた原紙を印刷するのが謄写版である。当時B4版の横幅のローラーにインクを付け、1枚づつ刷り上げる。順番待ちや、インクが乾くのに時間がかかり苦労したものだった。この印刷の苦労を画期的に改善したのが、輪転機の登場だった。最初は手動だったが、ローラーに比べると断然早かった。後に電化されてからは、印刷時間は10分の1となった。くどいようだが、コピー機が一般的になったのは昭和50年以降なので、これが最高の印刷方法だったのである。
2010.04.01
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