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今日から2泊3日で北海道の村巡り。初日は、「日本で最も美しい村」連合の事務局の有る、丘の町美瑛へ。美瑛には5年前に、母と長男と来て以来の2度目の訪問。フランスの美しい村協会の25周年記念行事に同行した連合事務局のGさんと再会して、美瑛の町を案内して頂いた。「日本で最も美しい村」の代表的存在でも有る美瑛の魅力は、何と言っても、大雪や十勝連邦を背景にした、うねる丘や広大な畑の風景。小麦(春蒔き、秋蒔き)、ジャガイモ、トウモロコシ、ビート、アスパラカス等の畑が続き、フランス中部の畑地や高原の風景に良く似ている。天候に恵まれず、良い写真が取れなかったのが残念。 丘を巡って観光名所と成った、セブンスターの木、マイルドセブンの木、写真はキカラシを背にしたケンとメリーの木。 村の農協の即売場を見て、好物のソフトクリームと切り売りの美瑛メロンを食べたが、美味しくて大満足。 此処には、地元の素材を使ったフレンチレストランも併設されていた。美馬牛のとんがり帽子で有名な小学校に立ち寄った後で、畑の中に有るイタリアンレストランで遅い昼食。此処のレストランも本格派の味であった。 食後は腹ごなしに、白金温泉や十勝岳の登山口である望岳台に登った。泥流跡の瓦礫地が広がり、白金温泉に迄噴火時の避難場所が有ると聞かされて、此処が今も生きている火山活動の場所と思い知らされた。美瑛の町に戻り、役場を案内して頂いた。夕食は、地元のジャガイモをふんだんに使ったレストランで、町長さんを囲んだ懇親会。
2007年07月31日
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久しぶりに息子達のカップルと待ち合わせ、6人で近所の洋食屋さんで昼食。帰路、遅まきながら、還暦の誕生日にプレゼントして呉れる事に成っていた自転車を選びに、サイクルショップに立ち寄った。希望を聞かれたので、軽量ボディーで、手入れが不要なタイプと正直に答えると、不愉快そうな顔をされて、そんな都合の良い自転車は無いと、説教が始まった。長々と薀蓄を聞かされたが、軽量スポーティタイプは諦めて、結局高校生向けの通学用スタイルに決めて、予約を入れた。自転車屋を出た後で、市の郵便局の本局迄不在通知を受けた書留を受け取りに行ったが、途中で雷雨のどしゃぶりに成り、濡れネズミに成った。郵便局内で小雨に成るのを待ったが、小降りには成らず、濡れた体が冷えて来たので意を決して自宅を目指した。日本では自家用車を持たない決心をしたのだが、大雨の中を車で郵便局に乗り付ける人々を見ていると、やはり車が有ればとの思いが出て来た。
2007年07月29日
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三重に日帰り出張。非常勤で勤務する事に成った、三重地区のもう一社を訪問して、勤務内容や勤務スケジュールの確認をして来た。中部地方は梅雨明けを思わせる晴天で、猛暑に成った。お土産のワインが重く汗まみれに。
2007年07月27日
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カールの著書の「フランス四季の色と美しい村」の発行元である木楽舎のO編集長に帰国の挨拶に出掛けた。今や時代の寵児でもあるO編集長は超多忙なスケジュールで、何とか時間を遣り繰りして頂いて、話しをする機会を得た。「日本で最も美しい村」連合の活動紹介やカールの今後の著作に向けての相談をさせて頂いた。
2007年07月26日
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今日は、NPO法人「日本で最も美しい村」連合の幹部の皆様と久々の再会。4月上旬の、フランス協会の25周年記念行事への参加の思い出話しや日本連合への加盟村の拡大に向けての意見交換。カールは、連合への加入を審査する資格委員を引き受ける事に成った。「フランスの最も美しい村」の共通的な特徴や人口が1000名未満の村に年間100万人もの観光客が訪れる秘訣に付いて、改めて思いを巡らしている。カールが、「フランス四季の色と美しい村」を編集する過程で見えて来たフランスの村の美しさとは、「高台/究極は空から見て美しい村」と言う共通的な特徴で有った。村の家並みと周囲の景観の見事な迄の調和は、明確な意思無しには不可能に思われる。都会や世界中からの観光客を誘致する場合には、「地域クラスターとしての観光価値」の追求がキーワードと思われた。近隣に、それぞれ特色が異なる美しい村が複数存在出来れば、より大きな魅力を遠くから来る観光客に提供出来る。交通網のインフラが格段にフランスに比べて劣る日本の村では、この地域クラスターの構築はより多くの都会よりの観光客の誘致に効果が有りそうに思える。本の活動でもキーワードに成り得ると思われる。
2007年07月25日
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東京での非常勤業務のスタート。先ずは、事業の課題やリスクを把握する為に経営データ分析やラインからのヒヤリングで理解を深める。精神的なプレッシャーは、現役時代と比較して格段に少ない上に、時間に追われる事も無いので、のんびりとマイペースで仕事が出来そう。クールビズでスーツやネクタイが不要なのも有りがたい。
2007年07月24日
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アルプス山中のグルノーブル南方で22日朝、巡礼ツアーの50人が乗ったポーランドのバスが、道路のガードレールを突き破って15メートル下の谷川の岸に転落炎上、26人が死亡した記事が出ていたので、ネットでルモンド他の記事を調べた。場所は、ナポレオン街道のN85のLaffrey近郊で、グロノーブルからは30KM。このルートは何度もドライブした事が有るが、国道にしては、急峻な下りできついカーブが続いて居た。今回の事故現場では、1970年代にも3件のバス事故があり、77人が死亡した魔の場所だそうで、仏政府の見解では、大型バスの通行には制限が有るとのコメントを出していた。
2007年07月23日
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週末に湯河原の母を訪問。今回は、WIFEは所要が有り、同行出来ず。年金生活者に成るので、これからは費用優先の生活に転換が必要で、京王、小田急の急行、東海道線を乗り継いでの移動で、3H以上掛かった。母の日に、フランスのOCS経由で贈った黄色のランの花が未だ咲いて居た。何とか息子が来るまで持たせたかった様だ。毎度の事だが、苦手な周りの人への挨拶が待っていた。
2007年07月21日
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今朝は5時に起きて、老齢厚生年金の受給申請書類を作成。書類を完成させて、府中の社会保険事務所に申請手続きに出掛けた。待ち時間は1H、年金記録の確認や書類のチェックは予想よりはスムーズに進んだが、60歳到達時にはフランスに居た事や退職後に継続して非常勤で務める等の事情下でのエビィデンス書類に付いて不明確な内容も出て来た。カールの申請書類とは直接の関連は無いが、WIFEの国民年金の3号から1号への変更手続き時のエビデンス書類が問題に成りそうと判明。WIFEが結婚前の2年間だけ民間企業で勤務した時の厚生年金の記録も曲者で、同姓同名で他人と思われる履歴も出て来た。申請手続きを終えて、WIFEと一緒に昼食を食べた後で、午後からは昨日に続いて退職の挨拶回り。
2007年07月19日
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退職の挨拶回りの2日目。帰宅すると、嬉しい贈り物が届いていた。カールが最も苦しく、辛かった業務を担当した8年前にアシスタントをして貰ったTさんから、退職のお祝いにプリザーブドフラワーを頂いたのだ。退職されたTさんとは暫く消息が途絶えていたが、「カールのフランス体験記」が取り持つ不思議な縁で、年賀状やメールでの再交流が始まったのだ。Tさんのフランスに対するイメージで作って頂いた、とても素敵なフラワーアレンジメントに大感激。
2007年07月18日
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今週は、東京での客先や仕事でお世話に成った上司や関係者への、退職の挨拶回り。航空便でフランスから送ったワインを、土産にカバンに詰めて歩き回ったので、これには閉口した。併せて、退職後に非常勤で勤務する事に成った職場への挨拶と仕事内容の打ち合わせ。生活パターン変化や年金生活へのソフトランニングの為には、この非常勤での勤務継続は、有り難いと思わねば。昼食時には、ほぼ同タイミングで現役を引退したホンの少しだけ先輩のK、Mさんと情報交換をした。皆さん、週に2-4回は出社されて会議に出たり、現役メンバーから相談を受けたり、仕事のノーハウをドキュメントに纏められたりと、退職後も結構仕事絡みで時間を潰す比率が高そう。残りは、やはりゴルフが健康と社会性維持のキーワードの様だ。
2007年07月17日
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退職後の最大の課題は健康の回復。循環器系の疾患で無理は出来ない物の、食生活の改善と散歩等の軽い運動で、先ずは体重を減らす事を最大の目標にしている。今日は、夫婦で神代植物園迄歩き、年間パスを購入した。5回で元を取れる金額だが、パスには顔写真を貼らなければ成らない。正門で次男夫婦と待ち合わせして、公園内を散策した後で、深大寺蕎麦で昼食。
2007年07月16日
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雨の中、WIFEと今後の生活環境を如何整えるかを話し合う為に出掛けた。好みや利害が一致しない内容も有り、もめる事も想定されたので、自宅で話しをするよりは、外部の喫茶店の方がじっくりと話しを出来るとの判断。アドバイザーと言うより、話し合いのプロモータとして、次男のお嫁さんのAさんにも参加して貰った。予想通り、結論が出た内容だけでなく、継続審議の項目も有り。じっくりと本音で話し合いをする重要性は認識した。
2007年07月14日
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今日はWIFEが終日外出したので、出張疲れもあり、自宅で読書に昼寝とテレビのグータラ親父を決め込んだ。夫婦2人だけの生活に成ると、どちらか一方が外出して一人だけの時間を作る事も重要な課題。退職後の楽しみの一つが、ビジネス書から離れた多分野での乱読。書店での立ち読みも増えそうな予感。
2007年07月13日
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シンガポールのホテルをAM6時に出て、タクシーでチャンギ空港へ。シンガポールは治安や言葉等、最も旅行者に取って安全で快適な都市では。残念ながら何時も業務出張で、観光の経験は唯一マレーシアからの車での帰路に、動物園に寄り道した10年以上前の事例。この時は、ホテルへの帰路のバスが分からずに迷子に成った苦い思い出有り。台風4号を避けてのFlightと成ったので、通常ルートより遠回りに成り、成田到着が遅れた。17時に到着で、17時13分の成田エクスプレスに飛び乗れたが、これは最短記録。
2007年07月12日
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インドネシアのバタム島の産業団地内に第二新工場がOpenし、Grand Openning Ceremonyに招待された。総勢250名の招待客で、東南アジアや仏から参加した旧知の仏人メンバーや東南アジアの多くのメンバーと再会。カールは卒業直後で既に現役では無いが、義理堅いフランス流らしく、特別にVIP扱いの待遇でもてなして貰った。主催者や来賓のスピーチでも、過去の功績に付いて過分なコメントが紹介されて、照れくさい思いをした。現地のインドネシア人のMgrの自信に満ちた様子や感謝の言葉を聞くに付けて、複雑な思いで現地化を進めて来た苦労が、報われた思いがした。お祝いのDinnerを終えた後で、最終フェリーでシンガポールに戻り、ホテルに到着したのは零時を廻っていた。シンガポール海峡を航行中のフェリーに、突如船首に機銃を装備したシンガポールの巡視艇が横付けに成り、Policeが乗り込んで来て、船内を巡回しだしたのには驚いた。近くに居たシンガポーリアンのビジネスマンに何か事件が起こったのかと訊ねた。通常の臨検で、最近は治安維持のために、頻繁に行われているとの説明。明日は6時にホテルを出て、チャンギ空港に向かうので、睡眠時間は4H程度に。
2007年07月11日
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帰国直後では有るが、今日から2泊3日で東南アジアへの出張。シンガポールのホテルで2泊して、フェリーでインドネシアのバタム日帰り往復するスケジュールなので、荷物が少ないのは有り難い。今朝は、自宅を出るのが少し遅く成った上に、最寄駅迄のバスが遅れた為、新宿始発の成田エクスプレスに間に合わないギリギリの時間に成ってしまった。慌てて、京王線の明大前で井の頭線に乗り換えて渋谷に出て滑り込みセーフ。成田空港で、毎回使用しているA社のカウンターでチェックインを試みた所、予約が入って居なかった。コードシェア便のS社の機体の運行で、S社の予約に成っていたが、電子チケットにはS社の便名は表示されておらず、極めて分かり難い。S社のカウンターに移動してチェックインを受けたが、今日はダイアモンドメンバーとしての特典は使用出来ず。今回の出張は、日本人はカールのみで、シンガポールのホテルも付近の地理に明るい定宿では無く、夕食はルームサービスを頼んだ。
2007年07月10日
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朝から帰国に伴う諸手続きにフル回転。先ずは市役所に出掛けて住民票の転入届けを出して、海外勤務に伴い失効した免許の更新や厚生年金の手続きに必要な添付書類を受領して来た。次に府中の運転免許試験場に廻って、昨年の6月に失効した国内免許の再交付手続きをして来た。フランスの生涯有効免許を失う事無く、国内免許を受領出来るかを心配していたが、帰国後1ヶ月以内で、失効3ヵ年以内と言う条件をクリアー出来たので、大きなペナルティーは無く、2Hの講習で無事に免許証を確保出来た。但し、優良ドライバーの特典である5年間の有効期限の権利は無くなり、3年で更新が必要に成った。
2007年07月09日
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今日から夫婦2人での新生活。明日からは、帰国に伴う種々の手続きに追われるので、今日は好きな報道番組のテレビを見たり、Newsweek他の週刊誌を読んでのんびりと骨休め。母や義母や伯母等の縁者にTELで帰国の挨拶も。夕方には、今朝北欧の新婚旅行から帰国した次男夫婦や引越し荷物を取りに来た長男が揃い、夕食を一緒に食べた。
2007年07月08日
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重い荷物に苦しんで、成田から自宅に戻った。長男は今日が親元を離れる引越し日で、今日が文字通り、夫婦2人での新生活のスタート。来週からは、新生活に向けての身辺整理を始めねば。先ずは、年金の確認作業や住民票の移動、印鑑証明取得、失効免許の更新、健康保険証の変更作業が待っている。夕食時には、WIFEとワインで乾杯。退職に伴い、メール環境が一変して不便な事この上なし。7月10日より、依頼を受けてシンガポール、インドネシアに出張する事に成った。ホテルや移動手段の情報が入手出来ずに困っていたが、漸くPrivate addressに情報が入って一安心。
2007年07月07日
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いよいよ仏生活最後の朝を迎えた。7時前にアパートを出て会社に向かうSさんとお別れの挨拶をして、最後の手荷物のパッキング作業に励んだ。大型のスーツケースを持っていないので、オーバフローした荷物が沢山出たが、入り切らない衣類等は思い切って捨てた。送別品のワインと最後の旅行で使用した山靴が場所を取る。身軽な帰国と考えていたが、結局はザックを入れて3個の荷物で40KG近くに成った。4日間の悪路のドライブで、泥だらけに成ったレンタカーで空港に移動。呆れるほどの汚れ方で、流石に車を返却する時には恥ずかしかった。
2007年07月06日
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ローヌ・アルプ、プロバンスの美しい村、花巡りの3泊4日の旅も今日が最終日。昨夜、息子から緊急のTELが入り、今朝はアパートに移動して来ている後任のSさんと連絡を取ってカールへの緊急メールを読んで貰い、返信作業をするなど旅行気分が吹き飛んでしまった。退職したので、パソコンを持参しての旅行は最早不要と考えていたのは甘かった。今日の目的地はリヨン郊外のA46沿いの大向日葵畑で、カールの著書の表紙を飾った向日葵畑をもう一度この目に焼き付けたいとの思い。結論から言うと、昨年同様に如何しても密度の濃い、大向日葵畑は見付らず失敗に終わった。輪作の畑の景色は毎年変化しており、一期一会の出会いで有ったと諦めるしかないのか、車が泥まみれに成るほど道なき道を2H以上掛けて巡って探したのに。結局、並みの向日葵畑しか見つける事が出来なかった。この当りの畑もトウモロコシ畑が増えている。 船便の荷物の整理で、休暇を取っていたSさんが待つアパートに3時前に戻った。カールが使用していたアパートの駐車場は既にSさんが使用中で、遠く離れたブローニュの森沿いの駐車場に車を停める羽目に。フランス生活最後の夜は、Sさんの手料理をご馳走に成った。仏生活を締め括るに相応しい、本当に好きな場所を最後に巡る事が出来て、とても幸せな気分。
2007年07月05日
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今日のスケジュールは、バルジェームからヴェルドン渓谷の左岸を通り、ムスティエ・サン・マリーを経てプロバンスのラヴェンダーの花巡り。朝7時に朝食前の散歩に出た、懐かしいアニエの民宿Roseの写真と村からのパノラマ写真を撮った。 昨夜の泊まり客はカール一人だった様で、朝食時にアニエと話し込んだ。大変ショッキングな話しを聞かされた、この民宿を売りに出しているそうだ。此処で20年間やって来たので、別の場所に移りたいとの話しで、村の変貌がトリガーに成ったので有ろうか。この村の魅力の大きな部分が、アニエの人柄と素朴で清潔なROSE民宿に有っただけに残念至極。4月にアニエが撮ってくれた、「日本で最も美しい村」連合のメンバーとの朝食写真と村のパンプレットを貰った。少し寂しいアニエとの別れに成ったが、お互いの前途を祝して民宿を出発。ヴェルドン渓谷を経て、クロア湖の湖岸台地上に広がるラヴェンダー畑に。 次に目指すラヴェンダー畑は、広大な畑が見渡せるバレンソールの西部地区。 バレンソールからモナスクを抜けてシュミアンヌ、クリストル、ソーとプロバンスの花街道巡り。途中、ラヴェンダー以外にも、香水用のとても香りの高に花畑にも遭遇した。 ラヴェンダーの花畑を満喫した後で、プロバンスよりリヨンに移動。今夜のHOTELは市内の一方通行の分かり難い場所に有るので、ナビ無しでは苦戦するかと覚悟していたが、意外とすんなりと到着出来た。
2007年07月04日
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今日の最初の目的は、Reader's Digest社のLes plus beaux villaages de France(仏の最も美しい村)の6版の表紙のラ・グラブ・ラ・メジェの撮影ポイントを特定して、写真に採る事。HOTELのお婆さんに写真を見せて、場所を教えて貰った。天気が今一なので、村と背後のメジェ山系の写真は期待薄だが。想定ポイントで広角にして写真を撮った。 次に向かったのは、villar d'Arene背後のPontet湖。駐車上より約1KMの登りで、途中犬を連れた老人に出合ったので、この犬は羊飼い用のピレネー犬かと聞くと、犬種を詳しく説明してくれたが、理解できず、ピレネー犬はもっと小さいそうだ。犬にポーズを取らせようとしたが、言う事を聞かず。 Pontet湖は標高1998Mの小さな湖で、植物採集の3人連れと2人の釣り人以外は人を見掛けず、とても静かで抜群の景観、天気が良ければとチョッピリ残念な思い。 ここから、Long DriveでN91沿いにBrianconを抜けて、D954,D900を通り、Digneを経てナポレオン街道(N85)、最後はD21で懐かしのバルジェームまで260KM。 バルジェームは今回で6回目の訪問で、4月初旬の「日本で最も美しい村」連合のメンバーの皆様と来たばかり。仏を離れる前に、民宿のアニエに会いたくて又遣って来てしまった。天気も回復、アニエと村内でばったりと出会い、民宿にチェックイン。昨日は予約で満室だったが、今日は村で会議が有るので予約を取っておらず、宿泊可能との連絡を受けて居た、但し食事の準備は出来ないので、近くのComps sur Artubyのレストランを紹介して貰うと言う段取り。教会と廃城を見学後に、村役場に挨拶に出掛けた。 生憎Jassou村長には会えなかったが、Assistantの女性とは再会出来た。村は日増しに変貌を遂げており、今回はArtの店がOpenしていた、ここでブローチを買った。村内にはMusiumもOpen、此処は標高1097Mと高所に有るが、昔は海だった様で、鮮明な太古の化石(6億年前)が多数展示してあった。時の流れか、観光地として脚光を浴びるに随い、素朴な桃源郷としての趣がだんだん減って来ているのは複雑な心境、観光地として栄えて村が発展するのは喜ぶべき事では有るが。夕食を食べに出掛けたHOTEL/Restrauntは1737年の創業(何と270年の歴史)で、親子4代のシュフ一家を見掛けた。
2007年07月03日
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仏生活の最終スケジュールは、最もお気に入りのフランスの美しい村2村、ラ・グラブとバルジェームにラベンダーと向日葵の花巡りと前から決めていた。夕方から仮眠したが、PM9時に目覚めたので、早めにアパートを出発する事にした、PM11時発。夏休みに入ったので、高速の混雑を予想したが、深夜に移動する人は多くなく、空いていた。リヨンからアルプスに入るA43上で眠気が来たので、安全を見てサービスエリアで3H仮眠した。最初の目的地のラ・グラブにはAM10時着。今回は、ゴンドラで一気に3200Mを目指す計画で、乗り場に行くとお客は一人も居ない。切符売り場で、上は雪で気温は零度、風が強く、その薄着では推奨出来ないと言われた。ザックの中に防寒着が有るので大丈夫と答えて、小型の5連弾のゴンドラでメジェ山系の、3200M地点へ。途中何度も停止して高度順応をしながら、高度差1800Mを登ったが、スピードが遅いのも有り難い、心臓に不安が有るので何度も深呼吸をしながら。到着地点は小雪で、新雪が積もっていた。寒いので、小屋に駆け込む、此処にもお客は皆無、ホットチョコレートと自家製のパイを頼んで体を温めた。窓の外は新雪の雪景色。 氷河の洞窟まで散策する予定であったが、視界も悪く、これは断念。ゴンドラ乗り場に戻ると小学生高学年の集団が降りて来た、中には凍えて泣きそうな顔をした子もいた。下りのゴンドラに乗り合わせた男の子5人に、何処から来たのと聞くと英国からバスで来たとの返事。2400M地点のゴンドラ乗り換え地点で、展望を楽しむ為に外に下りて、付近を散策。おにぎりの昼食を食べながら、雄大な景観を楽しむ、気分は爽快。 村に戻って、のんびりと村内を巡った後、背後の1800M地点の展望台に移動。 ジグザグの登坂道の途中から村を見下ろす。 狭い道路(1車線もあり)沿いに、6村が点在しており、全て100人以下の村と思われた。 ラ・グラブのHOTELは満室で予約が取れなかったので、Villar d'Areneと言う近隣の村のHOTELに宿泊した。強行軍の初日で有ったので、早めにチェックインをしてベッドでうたた寝、夕食の案内のTELで目が覚めた。
2007年07月02日
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明日の未明より、3泊4日でローヌアルプ、プロバンスの美しい村巡りに出掛ける。これが、当に仏生活で最後の村巡り。昨日中に我がアパートに引越し荷物を搬入して整理を終えた後任のSさんとの確認作業をした後、明日の朝食のおにぎりを買いにパリ一区に向かった。彼は今朝ホテルをチェックアウトして、アパートに移動して来たのだ。カールが出発する7月6日迄は変則的な同居生活に成るが、実質的には今晩と5日の2泊が被っている。今夕は、Sさんの手料理をご馳走して貰ったが、ポテトサラダが中々の物。
2007年07月01日
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