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栗本薫が亡くなった。10代の終わりから20代初めまで、彼女の書いた小説は何冊も読んだ。特に心に残っているのは、『優しい密室』。彼女の作品の中では地味な部類に入る小説かもしれない。推理小説の形をとった青春小説という感じの作品でもある。お嬢様女子高に通う主人公である高校生の迷いや葛藤が自分自身とダブって、この作品には慰められた。それからやはり『グインサーガ』。とはいっても、私の『グインサーガ』は20巻前後で終わってしまっている。中盤以降、彼女の作品はヤオイ色が強くなり、私はついていけなくなってしまったからだ。それでも、10代の少女特有の本人すら持て余すような自意識と、それに相反するようなコンプレックスの狭間で悩み苦しんでいた私を、栗本薫の小説は慰めてくれた。そして、生きる勇気を与えてくれた。10代の頃、私の心を支えてくれた人たちが亡くなっていく。私自身ももう44歳になった。
2009.05.28
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娘の通う小学校で広報の仕事をすることになった。広報の仕事は主に「北星」というPTA広報紙を制作することだ。この「北星」だが、S51年に、当時の校長によって名付けられた紙名だという。S51年といえば、私が中学生の頃の話だ。そんな頃にこのPTA広報紙は産声をあげ、今に至るまで脈々と受け継がれてきたのかと思うと、なんとも不思議な気がする。平成21年の今、私たちが「北星」を引き継ぎ、さらに後の時代に受け継がせようとしているのだ。私は、仕事でもPTA活動でも、無から有を生み出し、形に残すということが好きらしい。基本、具現化できないものは好みではないらしい(笑)本日、平成21年度第一号発行のための最後の詰め作業&二号発行のための打ち合わせで、ほぼ一日を費やした。 正直、私は自分の仕事で忙しい。でも、紙面として形になったものを見ると、それがお金になる「作品」だろうがならない「作品」だろうが、満足感に違いはない。そして不思議に思うのだ。たぶん、今から30年近く前も、今の私たちと同じように「北星」の紙面作りに四苦八苦していた母親たちがいたのだ。当時はもちろん、パソコンなんて便利なものはなっただろうから、今より苦労は大きかったのかもしれない。でも、ひたすら子供のためだけに身を粉にして働く母親の気持ちに大きな違いはないだろう。そしてまた、今の私たちの思いは受け継がれて、10年後、やはり同じように四苦八苦している母親たちがいるに違いない。
2009.05.27
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花粉症が始まった。毎年、5月中旬から6月下旬まで、私の地獄の日々が続く。ピークのときは外に出ると目があけていられないほどヒドくなる。ただ、私は薬がよく効く体質なので、弱い鼻炎用の市販薬を飲めば症状はかなり改善する。そんなこんなで、実は未だに病院に行って診察してもらったことがない。花粉症になって8年になるが、一回も。一方で、薬が効きすぎるというのは弊害もある。すぐに眠くなるのだ。そのせいでかなり苦労したが、今では眠くなりにくい薬も見つけたので、ますます病院に行く理由がなくなってしまった。この時期の花粉症のアレルゲンは、イネ科の植物らしい。スギ花粉症だと仲間がたくさんいて苦しみを共有できそうだが、日本でイネ科植物のアレルギーとかいっても、マイナーすぎて今ひとつ周囲に理解されにくい。花粉症までなんか人とズレてる私である。話は変わるが、娘の通う小学校で、今年度は広報の仕事に就いた。昨年はじゃんけんに負け、あみだくじを引いてクラス代表なんてやっちゃったので、今年は静かに地道に仕事をしようと誓っていたら、なぜか私がライターの仕事をしていることを広報の代表の人が知っていた。それで、「湯浅さん(本名)に一任しましょう」てな話になってしまって、いろいろ大変である。娘は娘で、ブラスバンド部などに入ってトランペットを吹くことになったり、運動会のリレーの選手に選ばれたりと、、毎日忙しいすごしている。またまた話は違うが、先週、なんとあの志村けんさんを取材した。私は基本、お笑い系のタレントさんが好きだ。志村さんは私にとって子供のときからの大スター。「東村山~」のあの志村さんを取材できるとは! 35年前にワープして、『全員集合』をかぶりつきで見ていた小学生の私にこの事実を教えてあげたいものだ(笑) どれほど喜んだことか。「ママね、志村けんを取材するんだよ~」と娘に教えたら、「ママ、すごい!」と初めて娘に褒められた。ママがスゴいんじゃなく、志村さんがスゴいってことだね。そんなこんなで、親子ともども忙しい21年度である。
2009.05.24
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最近思うことがひとつ。世の中には実にさまざまな人間がいる。さまざまな評し方があるだろう。その中でも、自分で自分の生き様というか行動にケリがつけられない人は、社会の害になるような気がする。誰でも、長い人生の中では、過ちのひとつやふたつ犯すことがあるかもしれない。それでも、自分自身の行動にケリがつけられる人は、致命的な過ちは犯さない気がするのだ。そういえば、犯罪を犯す人のことをモラルが欠けた人のように思いがちだが、それは違うらしい。一般的に、想像力の希薄な人が犯罪を犯しやすいらしい。つまり、こんなことしでかしちやったら、こんなことになっちゃうかもしれないよ、ということが可能性のひとつとしてでも浮かばびにくい人が犯罪を犯しやすいということだ。正常と異常、そのボーダーは、私たちが思っている以上に希薄なのかもしれない。同時に、私たちが思っている以上にそのハードルは大きいのかもしれない。
2009.05.23
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キヨシローが死に、大泉洋が結婚して、松本人志がデキコンとは。キヨシローは、10代後半から20代前半まで熱狂的ファンで、その後静かなファンになった。松本人志は、20代後半から30代前半まで熱狂的なファンで、その後静かなファンになった。大泉洋は、40代になってファンになった人で、そのまま静かに応援中。人生、いろいろである。
2009.05.17
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今書かなければならない原稿をとりあえず全部終えた。よかった。とはいうものの、またすぐにとある特集の構成を作成しなければならない。でも、とりあえず今夜と明日ぐらいはのんびりたい。いや、しよう。ううん、するべきだ。5月17日は娘の10歳の誕生日。すごい、彼女ももう10歳かい。5月のさわやかな風や澄み切った空気、鮮やかな新緑に触れるたびに、私は娘が生まれたときのことを思い出す。親にとって子供はまるで生きた時計のよう。その成長がそのまま時の経過を体現しているから。
2009.05.09
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以前、20代の頃に中国旅行に行った時に泊まった広州の5つ星ホテル・ホワイトスワンホテルにリベンジという思いを込めて、春休みの香港・マカオ・広州旅行で娘と一緒に泊まるというような内容のプログを書いた。今から20数年前のホワイトスワンホテルと今はどんな風に変わっていたのか、あるいはいなかったのかについて、その後報告していなかったので、今ここで報告したいと思う(笑)一言でいえば、現在のホワイトスワンホテルは昔ほどグレードが高いホテルではなくなっていたというのが事実である。いや、今も間違いなく5つ星ホテルの評価を受けているらしいのだが、サービスというソフト面では今も後進国の中国のでは、5つ星といえどそうたいしたサービスが受けられるものではなかった確かに、レセプションの応対は格段に進歩していたものの、他国に比べりゃあ、エコノミーホテルでも受けようと思えば得られる程度のものである。まぁ、20年前の唇だけが笑みをかたどっていた慇懃無礼なスタッフよりは何十倍もマシだけど。施設そのものもやはりかなり古くなっていた。娘曰く、「なんだか古い感じだね」一言。ただ、古いなりに質の良いものを使用しているらしく、みすぼらしくないのはさすがという印象は受けた。水回りの蛇口ひとつとっても、良いものは時が経てば経つほどに味が出るものらしい。バイキングの朝食は、ホテルのネット予約サイトで評判がいいので期待していたが、たいしたものではなくてがっかりした(笑)。やはり中国で洋食料理は鬼門だ。ホワイトスワンホテルの象徴する館内の滝は今も健在で、これは嬉しかった。20数年前と同じアングルで滝の前で記念撮影をしてみた(笑)。昔は友人に撮ってもらったが、今度は娘に撮影してもらう。まぁ、だからどうした?と言われればそれまでだけど(笑)20数年前にもあったホテルのショップに今回も入ってみた。昔はそこでいろいろ土産物を購入したが、今回は価格が高かったのでウインドウショッピングに終わった。店内には客もほとんどいなくて、店員さんからもやる気がまるで感じられない(笑)。その代り、ホテル周辺には宿泊客をあてこんだたくさんのお店がオープンしていた。そこで、母のお土産用にアクセサリーをひとつ購入。近場のカフェに入ったら、英語の堪能な垢ぬけたおねーさんが接客してくれた。そのお店のアイスクリームがとても美味しくて、2日連続で通ってしまった。ネットの口コミ通り欧米人の宿泊客が多かった。ホテルにチェックインの時、受付のお姉さんに「電話番号を書いてください」と言われたが、「自宅の? 携帯電話は持ってない」と答えたら通じなかった。私の英語力の問題なのだが、そのお姉さんは新米らしく一生懸命応対してくれて、感無量の気持ちになった。娘の気に入ったカフェのお姉さんの英語もネイティブじゃなくても聞きやすく話してくれるものだった。中国は確かに変わったようだ。
2009.05.05
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忌野清志郎が死んでしまった。会ったことのない有名人の死がこれほど悲しかったことはない。高校生の頃、彼の音楽、そして歌声にどれほど励まされたことか。自分自身がどうやってこの先生きていったらいいのか、皆目見当もつかず、焦りと不安にさいなまれた頃。へんに潔癖症なところがあったせいか、お年頃の娘らしく洒落込むこともしたくなくて、わざと汚い格好で歩いていたこともあった。それもこれも、女としての自信があまりにもなかったゆえの裏返しの行動だったと思う。大学進学を控えていたのに焦れば焦るほど勉強に身も入らなかったのもこの頃。深夜のラジオ放送を朝方までずっと聞いて、ジリジリするような気持ちを紛らわせていた。「甲州街道はもう秋なのさ」を聞いて涙し「スローバラード」を聞いて憧れ、「トランジスタラジオ」に共感した。特に『シングルマン』というアルバムが大好きだった。高校時代は私の暗黒時代であった(笑)その暗黒時代に一筋の明かりを灯してくれたのが、忌野清志郎だったのだ。さよなら、RCサクセションの忌野清志郎。
2009.05.05
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そういえば、香港のメトロパークホテルが、新型インフルエンザ患者が発生によって閉鎖されたらしい。やはり世界と近い都市ほどウィルスに侵されやすいのだろう。アジアでは香港が世界の窓口なのかもしれない。しかし、気になるのはこの患者が上海経由で香港に入ったという情報。メキシコの例を見るまでもなく、新型インフルエンザは国の医療体制如何でその後の経過が分かれるようなので、アジアの一部の地域にウィルスが入り込んでしまった場合、その後の惨状は火を見るより明らかである。よりたくさんの人々の間でインフルエンザが流行すれば、変異の危険性がますます高まる。メキシコで発生したインフルエンザがアジアで変異して、最後、パンデミックを引き起こすという可能性は十分にあり得る。話は変わるが、この新型インフルエンザは、豚と鶏と人のインフルエンザがミックスされたものらしい。これは医学的には非常にめずらしいことのようだ。詳細は分からないが、これは何を意味するのだろう?
2009.05.01
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ニュースを見れば暗い話題ばかりである。新型インフルエンザは言うに及ばず、世界的不況でついにクライスラーが倒産。GMも同じ道をたどりそうだとか、デフレが加速して失業率が悪化。年金の破たん…。新聞の社会面に目を転じれば、子供殺しの事件がやたらと目につく。現在、我が家に不幸の波は押し寄せていない。3人と2匹は元気そのもので、夫も今のところリストラの憂き目にはあっていない。フリーライターである私の仕事は一時期よりは減ったもののまだなんとか踏ん張っている。この状況はありがたいことだが、いつ何が起こるは皆目見当がつかないのも事実。今回の新型インフルエンザは弱毒のようだが、インフルエンザ菌はいつなんどき変異するかわからないので恐ろしい。スペイン風邪も発生当時は弱毒だったが、その後、強毒化して被害が拡大したらしい。やはり食糧の備蓄をしておくべきなのだろうか? 我が家は今のところ何もしていない。今のうちに手をつけておくべきなのだろうか?貯蓄にももっと励むべきだろう。
2009.05.01
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