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9月以降、娘の風邪が長引いている。今も喉が敏感になっているのか咳の薬だけ飲んでいる。あんまり病院のお世話になることもなかったのに、たびたび発熱するので、血液検査もしたが、結局は風邪が長引いているだけだった。幼稚園に入れるまで無菌生活だったわけではないけど、まあ集団生活の洗礼を受けているということかなぁ、と今は用心しつつ静観している。それだけではないが、慌ただしく過ぎた2か月ほどは順次さかのぼって記録しておきたいが、久しぶりに日記。カワウソさんが誕生日を迎えた。ひと月ほど前から、「パパのおたんじょうびケーキ」のレシピを自分で考えつつ丹念に記していた娘。「さいしょに、ママにホットケーキをやいてもらって(?)、○○ちゃんがクリームをあわだてて、くだものをのせて…」といった調子。するとカワウソさんが(心配だったんだろうか?)、無印良品で見つけたケーキミックスをリクエストしてきた。せっかくのレシピはともあれ、「パパのおたんじょうびケーキ」を、エプロンをつけて踏み台をキッチンに持ち出し、張り切ってつくった。マロンケーキ、おいしかったね。ケーキを作り終えた後、部屋の飾り付けをしたら?と提案して、大きめの紙を出して「パパおたんじょうびおめでとう」って書いてね、とだけ言っておくと、クレヨンを手に楽しそうに工夫しながら書いていた。大きな文字の「おたんじょうびおめでとう」の下、ピンク色のクレヨンで「これからもがんばろね」というメッセージ。すごい励ましだなぁ。誕生日当日、クラスの教え子たちから愛あるメッセージが書かれた、寄せ書きが贈られた。教師冥利に尽きるねぇ。夕飯はすき焼き。カワウソさんが自分で選んだ誕生日プレゼントは「ゲーテ全集」全15巻。誕生日までに宅急便で届いて、リビングの書棚に収まった。
2010年11月26日
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運動会の後、久しぶりの登園。朝一番に病院で診察を受け、咳の薬だけ処方してもらってから園に送った。運動会前のお休みと合わせ、久しぶりの通常の登園となって、緊張しながら行ったのだろう、かなり疲れてしまったみたい。前夜咳が続いて眠りが浅かったのもあるだろう。園庭で遊ばず帰宅後、おやつを食べたら、ソファでごろんとなってぼんやり。夕飯の支度を早くして、とにかく早く休ませた。就寝時刻、18時半。体調を崩したこと、緊張しながらの幼稚園、いろいろ理由はあるだろうが、このところ、ちょっと甘えん坊になっている。
2010年09月27日
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幼稚園の運動会後の振り替え休日、そして祝日が続いたが、娘が再び高熱を出してダウン。夏風邪は運動会の前後だけなりを潜めたようで、まだ治りきっていなかったようだった。40度台からなかなか下がらず、さすがにその時は娘もぐったりして、食欲が失せた様子が続いたのも心配だった。私も私でこのところの疲労が重なってか少々発熱した。二人で寝込んだ日もあった。私が先に回復、娘は今日になってようやく微熱程度にまで下がった。初めての運動会、初めてのピアノのお稽古は書き残しておきたい場面だったので、落ち着いて書くことにする。
2010年09月24日
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娘に、初めてお稽古ごとを始めることにした。いろいろ考えたが、結局ピアノ。幼稚園のお友達のお母さんの紹介で、月2回近所へ個人レッスンに通うことになった。クラスの仲良しのお友達の先生だから大丈夫だよーと説得した。何事にも初めてのことに緊張しやすい娘、初めてのお稽古の日は、ご挨拶どころか一言もお話しできないままになりそうだと危惧していた。先生は「みんなこんな感じですよ」とおっとり、あっさりした感じで対応してくださって、初めはうつむいたままだったのが、小さい声で先生の質問に答えられるようになった。レッスンの教本は幼児用の。(今の初心者向け教本ってバイエルばかりじゃないのねー)かたくなな様子で受けた初回のレッスンだったが、グランドピアノで4小節の曲を(「あひるのさんぽ」、右の「ド」の音しか使わないけど)、曲がりなりにも譜面どおり弾けたのだった。やったー。教室では緊張しきっていたけど、帰宅してさっそく「しゅくだい」をしていたし、パパに「みて!」と鍵盤ハーモニカ(うちにはまだピアノがないので。これも早く用意しなくては…)で披露していた。秋の終わりに、幼稚園での発表会では本格的な器楽演奏もある。仮に音楽家を目指さなくても、音楽を窓口に自分の世界を広げていくこともできるだろう。もう指は動かないけど、小学生の私がバイエルとソルフェージュで習ったものは、アップライトピアノを用意してくれた両親の愛情とともに、私の財産となって息づいている。娘もまた、この先続く音楽の入口にちょうどよく立てたのかなぁと思う。私ももう一回バイエルからでいいから、再開したいなー。
2010年09月21日
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娘、初めての運動会。義母と私の両親と4人で観戦。玉入れとかけっこ、あと親子の競技2つ。パパは仕事の合間を抜けて1時間ほど顔を出してくれた。暑かったし、場所取りは大変だったし(くじ引きの順番で当日早朝に並ぶ。)、お弁当もあたふたつくった。でも、集団の中にいる娘の様子を見たことで、他の子と見比べるというのではないが、娘の性格、今の成長過程をよく知れた気がする。物怖じしやすいというか、慎重なところがあること。初めての場面には必要以上に緊張しやすいこと。本番には弱いタイプみたい。ちょっと神経質なところもある。照れ屋なところがあること。でも私の方が気になってちらっと見たり、軽く手を振ってみたりする。言われたこと、決められたことなどルールは誠実に守ろうとすること。人のために自発的に行動できること。お友達とは言葉できちんとコミュニケーションしようとしていること。それから、運動会の練習をうちで報告してくれていたこと、かなりきちんと報告してくれていたことがわかった。親子の競技などは特に「おうちのひとにおしえてあげてね、ってせんせいがいった」から、よく話してくれたとは思うが、基本的に園の様子をなんでも私に報告してくれるのは、やっぱり私に共有してほしいんだなぁと感じた。
2010年09月19日
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10日前に引いた夏風邪、園で流行っていたみたいで、またもらいなおしてしまった。14日深夜に発熱した娘、翌日まで9度台から下がらず、昨日朝ようやく平熱に。そして全快して運動会の準備が待つ幼稚園に、土曜日だが登園していった。ずっと心待ちにしていた運動会を前に3日間もお休みすることになるとは思わなったが、まあ間に合って本当によかった。やれやれ。お休みの3日間、体調が戻らない間はやたら甘えん坊になって、トイレに行くにも私に着いてきてほしがっていたが、次第に園やお友達が恋しくなったらしい。リビングの窓から幼稚園の方角を眺めながら、ぽつりぽつりいろんなエピソードを楽しそうに話していた。昨日は、リカちゃんやシルバニアファミリー(人形)たちを前に、1人で運動会の「練習」をしていた。(ダンスとか)「○○ちゃんがようちえんにいったら、Mせんせい(担任の先生)、○○ちゃんのこと、ぎゅってしてくれるんじゃないかなー」と言っていたとおり、今朝、園門まで送ったら、出迎えてくれたM先生に「待ってたよ!」とぎゅっとしてもらっていた。はにかんで肩をすくめつつ、やっぱりうれしそうな娘の顔。家以外の世界を知って、それを心待ちに家から出発できるようになってよかった。本人もだが、私も緊張しながら送り出し、見送ってきたけれど、あのうれしそうな顔を見ると安堵させられる。こうして見送ることに、少し私も慣れてきた。娘の成長を信じることに、ちょっとだけ自信がついてきたのかなぁ。
2010年09月18日
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夏休みに娘とプラネタリウムを見て天体観測したことから、宇宙に目を向けるようになった。カワウソさんと小惑星探査機「はやぶさ」の帰還に至る書籍を読んでいたく感動し、大阪市立科学館で上映中の番組「HAYABUSA」も見に行ったりもした。11日夜に、準天頂衛星「みちびき」が打ち上げられた。JAXA(宇宙航空研究開発機構)のサイトからあれこれ見ているうちに、お楽しみになってしまったのが、「みちびき」からのつぶやき。ココにリンクあり。最初は擬人化した感覚が理解できなくて、そこまでのめりこむかなぁと疑問に感じていたのだけど、科学者、技術者たちが失敗から学びながらひとつひとつの課題に熱い気持ちで取り組む様子を本を通して知り、次第に違和感を感じなくなってしまった。「のぞみ姉さん」「はやぶさ兄さん」「あかつきさん」「イカロスくん」それから「みっちーさん」、どうしてそういうキャラクターづけになったかわかる。そして、無事打ち上げられた「みっちーさん」が日々つぶやいているのを読んで、あーよしよし順調だ、と安堵する。俄か天文ファンの私がこういうふうに巻き込まれているのは、プロジェクトに関わっている人たちの熱意にこそ巻き込まれているんだろうなぁ。市立科学館での番組「HAYABUSA」で、小惑星探査衛星のプロジェクトの意義について、星をつくる原子がまた私たちをつくる原子、宇宙を知るということは私たち自身を知るということ、という趣旨のナレーションが胸に残っている。遠い彼方のことのようで、私たち自身が宇宙をかたどっているんだなぁと想像して、とても不思議で、わくわくする。
2010年09月13日
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この夏は本当に暑かった。うっかりすると、熱中症の手前のような感じで、頭痛に悩まされたりした。予防のために保冷剤を首を当てるのに、タオルで包むと分厚すぎて冷たくならず、しかも首周りで妙にかさばる。ちょうどいいものを探すうちに、手持ちの手拭いを使い始めたらこの上なく具合がいい。思い出すと、集中的にきものを着ていた時期に、食事の時にきものを庇ったり、椅子の背から帯を庇ったりするのに手拭いを使った。今は台所仕事に使う。食器を拭くのには使わないが(食器を拭く布巾には「fog」のリネンを定番にしている)、キッチンペーパーを使う代わりに野菜の水切りに使ったり、蒸しものの蓋にかませたりする。また鍋つかみではなく、手拭いを代わりに使っている。(港のともこちゃんがプレゼントしてくれた猫の肉球柄の。猫馬鹿同士に通じる柄のチョイス、使うたびうれしくなる)炊飯土鍋を食卓に運ぶのには、細く折った手拭いの両端で持つと手元が滑りにくい。手拭いから派生するが、台所ではさらしも使う。これも適当な長さに裂いたのをすぐに使えるように引き出しに入れている。手拭いをすっかり気に入って、外出のたびに、ハンカチと一緒に1枚バッグに納めるようになった。ハンカチも、プレゼントを選ぶのが上手な友達から贈られた、手拭い地のハンカチに切り替えた。正方形に切って周囲にステッチをかけた「かまわぬ」の手拭いハンカチ。季節の柄を選んでくれて素敵だった。すると、それまでに使っていたタオル地やガーゼ地のハンカチより水気をさっと吸い、しかも拭いた跡の水気が乾きやすい。ふっくらしたタオルもいいけれど、さっぱり水気を拭ってくれる手拭いはまたいい。しかも乾きやすいというのは洗濯にもタオルよりずっと都合がいい。もっと積極的に使うことにしよう。
2010年09月09日
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娘はすっかり回復で園へ、私は少々ぐったりしつつお弁当を作って送り出す。喉の痛みはずいぶんましにはなったけどなー。送り迎えの道中だけで消耗しつくしている感じ。おとなしく家の仕事を片付けつつ休む。うちでのごはんにもお弁当にも添えられるような、ちょこっとしたおかず(常備菜)をいくつかつくる。今日は乾物メイン。帰省した時に産直市で買っておいたもの。図書館で借りてきた前沢リカさんの『うちの乾物料理』を見て、あれこれ試したくてわくわくしていた。久しぶりに書棚から奥薗壽子さんや有元葉子さんの乾物料理のレシピ本も見直す。台所を預かるようになってからこれまでにも、乾物に親しみたいなーと集中的に挑戦した時期がたびたびあったが、これで何度目かのブーム到来。そういえば娘が好きなので大豆や白花豆を煮豆にしたりするが、鋳物の鍋と鍋カバーで保温調理するようになってから、豆を炊くのは億劫ではなくなった。こういう自分なりの調理ができるようになったのも、8年の歳月のたまものかなぁ。干ししいたけのスライスは定番で、甘辛く炊く。麺類にのせてもいいし、ばら寿司の具にも。かんぴょうは一気に戻した。小分けにして一部は冷凍。一部はしいたけを煮た後の煮汁で味を煮含め、一部は合わせ酢に漬ける。さらに、残りで山本ふみこさんのエッセイで読み、ずーっと試してみたかった、ベーコンとかんぴょうの炒め物をつくる。炒めて塩をした後、黒胡椒を利かせて、最後にレモン汁をたらす。これがまた病みつきになるおいしさ。しゃきしゃきした歯触りととろりとした触感がくせになる。カワウソさんも「エリンギ?」と誤解しつつ気に入ってくれた様子。定番おかずにしよう。本日の晩ごはんごはん肉じゃがピーマンとはんぺんのじゃこ炒めかんぴょうとベーコンの炒めもの
2010年09月06日
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今朝になって娘は熱が下がり、すっかり回復した様子。入れ違いに、私が風邪をもらってしまった。微熱程度だが、喉が痛くて体が気だるい。娘に添い寝しながら、新刊2冊(山本ふみこ著『朝ごはんからはじまる』・平松洋子著『鰻にでもする?』)を読んで、片付けの虫がむずむずしてきた。少し前に、台所の収納(食器棚を含む)を見直した時には、手をつけなかった冷蔵庫の中が気になって仕方なくなる。夏場は特に冷蔵庫を開ける機会が多いせいか、ずーっと気になっていたもの。日頃気を付けて「行方不明」のものがないようにしてはいるものの、このところ、旅先で見つけた調味料のたぐい(自分なりに吟味した定番の調味料の他にあまり増やしたくないけれど、面白そうなものを見つけるとつい手を出したくなる…)が幅を利かせてきていて、整然とした感じをなくしてしまっていたように見えていたから。思いついて、使いそびれていた赤ワインの残りで(飲んだのではなくて料理用に開けたものだと思う)、ドライプルーンをシナモンスティックと少々の砂糖と一緒に煮た。冷蔵庫の中があらためて見通しがよくなり、ついでにおいしいデザートもできた。
2010年09月05日
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3日深夜に娘が発熱、39度。朝になっても8度台を下らず、かかりつけの小児科へ。土曜日でよかった。結局、夏風邪。のどの痛みを訴えるので、口当たりのいいものを少しでも食べられるようにした本日の晩ごはん。本日の晩ごはんごはん蒸し鶏野菜の陶板焼き(茄子、じゃが芋、にんじん、大根)おぼろ豆腐の奴はんぺんきゅうりの酢の物蒸し鶏はむね肉をつかった。蒸し鶏と野菜は、平翆軒(倉敷・美観地区から一本入った本町通りにある、造り酒屋の当主が手掛けている、食品のセレクトショップみたいな面白いお店)で見つけた、「味噌ぽん酢」(倉敷鉱泉製)をかけて食べる。私は粒マスタードをつけて食べるのも好き。はんぺんは娘のリクエスト、いろいろ試したが、ちょっとだけ電子レンジであたためたのが一番好きみたいだ。
2010年09月04日
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幼稚園のお迎えの時、園の先生に、「さっきまで元気やったのにどしたん?」と言われて気付くと、なんとなくぐったりした様子の娘。朝夕は少々涼しくなってきたけれど昼の日差しはまだまだ強い、すぐ水筒の水を飲ませて持っていた保冷剤を首にあててやる。「(園庭で)まだあそぶ!」と言って困らせられることもあるのに、珍しく「きょうはあそばない。おうちにかえりたい」と言う。そのうちに「ねむたい」を連発し始めた。不機嫌なまま、早めのお風呂、夕飯(食欲なさそうで本当に少し)で、夕方には自分で寝室へ。夏休み明けで緊張し、連日暑い中がんばって通ったぶん、疲れが出ているのかな。(追記)夜になって発熱、39度と高熱。あらら。本人は頭痛と喉の痛さを訴える。とりあえず朝まで様子見。これは夏風邪だなぁ。
2010年09月03日
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幼稚園でのプールが今年度最後の日ということで、カメラを持って見学に行く。娘が通っている園では、保護者の見学の許可が比較的ゆるいので、かなりのお母さん方がこれまでにプール見学に行っているのだけど、私は今日が初めて。人それぞれの考え方があるけど、送り迎え以外で園に頻繁に顔を出しすぎるのは、娘が家から離れて一歩踏み出すのを妨げるように感じるし、園との信頼関係を損なうようにも考えたから。でも、娘は私に見に来てほしかったみたい。「さいごのプールだからママにきてほしい」と言われて、それでも、「行くかどうかわかんないよー」と言って送り出す私。本人にあんまり期待させすぎたくないし、大半のお母さんが見に来ていたとしても、必ずいるはずのそうではない子のことに、つい気持ちがいってしまう。昼に近い強い日差しが照りつける園庭のプールのそばで(こちらは汗だく)、お友達のお母さんたちとカメラを構えた。娘ははにかんで手さえ振ろうとしないけど、目のはしで私の姿をとらえてはうれしそうにしていた。水に顔をつけるのはなかなか苦手そうだけど、わずかな時間でもそれなりに挑戦していた。「わにさん泳ぎ」もがんばってた。お友達の遊びに自分から声をかけて仲間に入れてもらう姿も自然で、以前を思えば、ずいぶん成長しているな、と気付かされる。プールの後、「お着替え」が比較的早いのを家でも報告していたけど、やはりその通りだった。身支度した後、おすましして廊下を歩きながら、ちらりと私の方を見る。なんだか得意気。お友達のお母さんに、「○○ちゃんお着替え早いねー」と言われて気付かされたけど、それは娘には大事なポイントだったんだな。泳ぎが得意じゃなくても(スイミングに通っている子はかなり本格的)、そういうふうにがんばれるところがあってよかったな、と思った。あーもっと褒めてあげなくちゃな。担任の先生も褒めてくれる、他の先生方もうまく関わってくださっている。でも私が誰より、褒めてあげなくちゃな。自尊心を育ててあげなくちゃな。ちょっと反省したりした。
2010年09月02日
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今日から午後保育もスタート、お弁当づくりを再開した。娘のぶんと、カワウソさんのぶん。30分だけ早起きするはずが、つい二度寝して30分ぶん寝坊した。少々慌てた。まだ暑い時期で傷みが気になるなので、火の通り具合とか、お弁当の蓋を閉めるタイミングとか、少々気を使う。保冷剤は欠かせない。娘のお弁当には「挑戦枠」おかずに、少々塩をしたきゅうりの薄切りを加える。うちでは苦手な青い野菜も、園でのお弁当でなら、食べられたりする。さて久々に本日の晩ごはん。本日の晩ごはんごはん豚肉と茄子、人参、大根の味噌炒めこんにゃくとしめじの炒り煮おぼろ豆腐の奴ごはんには山形の「だし」をたーっぷりのせて食べるのがこの夏のお気に入り。(ただし私のみ)まだ気温が高いせいか、あっさり火を通せる炒めたり炒ったりするおかずが多いな。あれこれバリエーションはつけるけれども…さっと炒めものするのには、リバーライト製の変わった形の鍋(「アジア鍋」なるもの)を気に入ってよく使っている。こんにゃくの炒り煮には黒七味を利かせてみた。お弁当のおかずにしちゃおう。
2010年09月01日
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娘の幼稚園生活が始まって初めての夏休みが終わった。すでに先週半ばには午前保育がスタート、連日猛暑の中を通園している。入園して一か月は戸惑っていたことも多かった。4月はトイレで困ってたな。(今どき珍しがられるが和式トイレしかない幼稚園なので)お迎えに行くと、失敗した日に泣きながら帰ったこともあった。ある日突然(忘れもしない4月30日)、自分で「もうだいじょうぶ!」と宣言してからは、幼稚園生活に自信がついたみたいだった。毎日徐々に右肩上がりに上がっていく、それが「成長」だと勝手にイメージしていた。でも、失敗しては後退したように見え、または繰り返しが続いているようでがっかりしたりしながら継続し続ける、すると、ある時を境にぐん、と変化する、そういうものかもしれないなぁ、と娘の姿に気づかされたりした。彼女なりに緊張しながら頑張っていたのだと思う。「幼稚園に行きたくない」とごねた日は一度もなかったが、ふと思い出したらしく、入園してすぐの時期の緊張感や不安感を話してくれたことがあった。「ようちえんだいすき!」と心の底から言っていると思うけど、それなりに自分に言い聞かせて努力していたんだと思う。夏休みに入って、娘のがんばりを喜びたくて、たくさん思い出作りを計画したりした。夏休みの思い出を少し書きまとめることにする。・連日のプール遊び。猛暑の夏、毎日のようにルーフバルコニーにビニールプールを出して遊んだ。お友達も来てくれたし、夏休み後半はパパが日光浴しながらの読書タイムで面倒見てくれた。二人ともよく日焼けした!・プラネタリウム体験から俄かに天体ブーム。親友の、港のともこちゃんに案内してもらって、大阪市立科学館のプラネタリウムを見てその夜一緒に天体観測をしたことから、「おほしさまのべんきょうをするの」と言いだし、小学生向けの図鑑を欲しがり、星座の図表を丹念に書き写し始めた。帰省先でも、地元のプラネタリウムに連れていくと喜んでいた。そして小惑星探査機「はやぶさ」関連の書籍を読んで感銘したことから、カワウソさんと私は俄かファンになり、再び市立科学館へ。上映中の「HAYABUSA BACK TO THE EARTH」を見る。泣いた。>私・七五三の写真撮影。5歳は男の子ではあるけど、記録に残そうと話し合って、写真撮影だけすることにした。義母も誘って撮影へ。きものもドレスもかわいいわー。>親馬鹿本人はドレスのティアラがお気に入り。・3年ぶりに、福岡の友達が帰省の途中に子連れでお泊りに来てくれた。子どもたちはお互いに成長、たった1日ですっかり仲良しになってたなー。岡山の実家では、・動物公園、観光農牧場で動物と触れ合う。念願のウサギを抱っこ。ウリ坊に懐かれる。・子どもの頃よく遊んだ児童館・児童公園で遊ぶ。懐かしい恐竜のすべり台、娘はいたくお気に入り。・ビール工場の見学。前回行った時には盆休みで稼動していなかったパッキングのラインが動いていて、面白かった!あと、日帰りで温泉を堪能したり、ドライブの途中の道の駅や産直市で買い物したり、花火をしたりした。娘は母にお琴を弾かせてもらったり、父とお散歩に行ったり(近所の犬に会いに)もしてたな。ちょっとだけ時間をもらってカワウソさんと二人で倉敷をぶらぶら街歩きしたりした。気に入っている民芸のお店で、使いやすそうな小鹿田焼の6寸皿と、欅のコーヒースプーン、竹のれんげを購入。あと、倉敷帆布でデジカメケース。毎日の生活では、・早寝早起き(連日のプールのおかげか夜7時過ぎには就寝してくれた)・ママのお手伝い(朝刊を取りに行くこと、配膳の手伝い、床の雑巾がけなど)自発的に頑張ってたな。夏休みが終わる一週間前くらいから、急に幼稚園でのエピソードをあれこれ話し始めた。あんなことがあったこんなことがあったとかいう感じで。夏休みが始まって幼稚園でのことはそう会話にのぼることはなかったのに、急に増えたので、心の準備を始めたということなのだろうな、と感じさせられた。幼稚園に行きたい?と尋ねると、「いきたい!たのしみ~」と笑顔になる。いざ午前保育が始まると、張り切って毎日通っている。運動会の練習も始まった。2学期も順調に滑り出した。ともあれ、初めての夏休みが、健康で、無事故で、楽しいものであって、本当によかったね。
2010年08月31日
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幼稚園が始まって、今朝は初めて園門をくぐる前の先生とのご挨拶がきちんとできた。ひとつひとつできることが増えている。園の手前の信号で待っている時に、話しかけても、とても緊張した顔をしているのを見るのが切なかった。園門に着く前に一度はぎゅっとする、その時も、いつもなら私にしがみついてきたり、逆に照れてふざけたりするのに、強ばった表情をしたままだったりした。お迎えの時間に少々早めに行って、園の前の公園から塀越しにのぞいていると、私の姿を見つけてすぐに手を振ってくる。それだけ私がお迎えに行くのを待っているみたいだ。普段の園での姿を見たくて意識させないよう物陰からのぞくと、教室から順番に出て靴を上履きから履き替えて待つ間に、足を大きくがくがくさせてひどい貧乏ゆすりをしていたりする。(普段そんな癖はない)お友達も先生も好きで、園の生活を思う存分楽しんでいるけれど、あの子はあの子ですごく緊張しているんだな、と気付かされて、涙が出そうになった。今日は先生としっかりご挨拶して、園に入っていく後ろ姿には多少、自信がついてきたのがうかがえた。でもお迎えは待ちきれない様子、今日も早く教室の外にいた。その足は今日は揺れていなかった。先生に言われたように、両足をそろえた膝の上に、園の黄色いバッグを抱えておすましした顔をしていた。手をつないで歩いて帰りながら、その日の出来事を少々興奮気味に話してくれる。今日は、園で「赤ずきんちゃん」のお話のビデオをみたらしい。微に入り際に穿って一生懸命の説明に、成長を感じさせられる。日に日に大きくなるのがまぶしくてうれしくて、ほっとするのに、せつなくてさびしい。「ようちえんもすきだけど、ママもすき」という娘を、私もできるだけ一番に行ってあげたいと思う。私も娘に早く会いたいよ。
2010年04月19日
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本日の晩ごはん。ちゃちゃっとつくるごはん連続4弾。いずれも野菜をたーんといただく。ホットプレート使用率高いなぁ。4月14日の晩ごはんごはん生鮭のちゃんちゃん焼き4月15日の晩ごはんあさりのパエリア水菜といかなごのお豆腐サラダ4月16日の晩ごはんごはん焼き塩豚で焼き肉4月17日の晩ごはんきのこ類とソーセージのトマトソースパスタ水菜サラダ
2010年04月17日
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昨日のこと。娘が幼稚園でちょっとした失敗をした。黙って泣き出した娘に、お友達が「どうしたの?」と声をかけてくれて、「せんせいのおへや」(事務室)に連れて行ってくれたそうだ。そして、先生も的確に対応してくださったそうだ。帰宅して、娘の頬に涙の跡があるのに気づいて尋ねたところ、それまで淡々と園のことを話していたのに、急に泣きながらそう説明してくれた。娘を抱きしめて、でも困った時にはお友達や先生が助けてくれることがわかったね、よかったね、と言うと、安心したようにうんうん、とうなずいていた。自立を促す、ということは「自分でなんでもできるようになること」と思っていた。でもそれは「自立」のうちのすべてではなく、自分に手に余る課題に直面したときに、「まわりの人に助けをもとめることができる」ことも含まれるのだなぁと気付かされた。家族だけではない、娘を取りまく世界が、温かい優しいものであることを学ぶ機会になったと思う。もう一点気付かされたこと。自分の失敗に気づいたとき、泣きながら「ママたすけて」と思ったそうだ。自分のピンチの時に、一番に思ったのが「ママ」だったということ、ああこの子にとって私の存在がどれほど大きいのか。今さらながらに思い知らされた。私にすがりついて泣く娘の体を抱きしめて、私も泣きそうになった。いとしい子、大きくなって誇らしくうれしいけど、ママはやっぱりさびしいな。
2010年04月14日
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久しぶりに本日の晩ごはんを書いておく。いつものスーパーマーケットばかりではなく、野菜はときどき八百屋さんで買うようになった。強烈な「おもろい」おばちゃんの店員さんがいて、以前はとても立ち寄れない…と思っていたけど、お店のマナーが呑み込めてきた。野菜も新鮮でたっぷりしていて、お安い。うすいえんどうがたーっぷり入ったのが250円。よし、豆ごはん炊こう、というわけで本日の晩ごはん。豆ごはん鶏手羽元とゆで卵の甘辛煮三つ葉となめたけの和え物娘がえんどうの殻むきを手伝ってくれた。青い野菜は嫌がるのに、豆ごはんだけは何度もおかわり。なめたけはこれまたえのきがお安いのでたーんとつくった。大好きな三つ葉も1束じゃ物足りないけど、2束買ってもお安いので遠慮なくざくざく刻んで和える。手羽元は酢を入れて煮るので、やわらかく炊けた。
2010年04月13日
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先週、娘の幼稚園の入園式がありました。平日でしたが、春休み期間だったパパも式の後の教室に駆けつけてくれて、担任の先生に挨拶でき教室の様子も見てもらえてよかったです。そして、今週から午前保育のみの通常の通園がスタートしました。お弁当は今月後半から始まります。正午にお迎えに行くまでの3時間ほど、私と離れて、幼稚園で先生とお友達と集団生活を過ごすことになります。行き渋りこそは今のところないけど、毎度緊張した顔しながら園門に入っていきます。気になって、園の前の公園から塀越しに見たい気持ちを抑えて、後ろ髪ひかれる気持ちで踵を返して帰ります。スムーズに始められるのか、どうかな、と私も緊張するような気持ちでしたが、昨日お迎えに行ったところ、お友達もできて、たのしい時間を過ごせたようす。歩いて帰宅しながら幼稚園、好きになれそう?と尋ねると、入園式直後は「すきになれそうなきがする」と慎重な言い回しをしていたのに、昨日は「ようちえん、もうすきになっちゃったみたい」と言っていました。ほっとしたのはこちらの方。やれやれ。まだいろいろあるはずだし、今週はしっかり観察していかなくてはと思うけれど、最初の試練をくぐり抜けつつあるかなぁ。入園準備や家族で順番に風邪を引いたことなどであたふたして、先月はちっとも書けなかったので、自分の時間をうまく活用しながら、少しづつ記録を再開したいと思います。
2010年04月13日
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バレンタインデー。カワウソさんにはガトーショコラを焼いた。フープロで混ぜて焼きっぱなしにできるケーキ、でもクーベルチュールチョコとカルピスバターをつかった贅沢なケーキ、おいしくないわけない!カワウソさんは4ぶんの1ホール、コーヒーと一緒にぺろりとたいらげてくれた。娘は、オーブンで焼いている最中から、ただよう香りに「なんかいいにおいするー」と鼻をくんくんさせながら台所へやってきた。「○○ちゃんもあじみするー」と言って、パパと一緒にご相伴に預かった。翌朝、「おなかすいたー」と言いながら起きた。どうもガトーショコラの残りを食べるつもりだったみたいだ。私が何気なく、朝ごはんはケーキじゃないよーと言うと、「え」と表情をこわばらせ、みるみるうちに目にいっぱい涙を溜めて、おんおん泣き出した。よほどおいしかったみたい、それを取り上げられると思って悲しくてたまらなくなったらしい。食いしん坊だなぁ。
2010年02月14日
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節分、暦の上では冬は終りだ。娘は昨年のクリスマスでサンタさんにプレゼントしてもらった「きせつの図鑑」を広げて調べもの。この小学館こども図鑑プレNEOシリーズ、大人が読んでも面白い。興味を持ったもののなかから自分で知恵を深めていくための「知識の間口」となれば、と考えたが、いいものを選べた。巻き寿司は娘と二人でつくって食べた。この日カワウソさんは仕事で不在。穴子をふんぱつしても食べてくれず、しっかり味を含ませたかんぴょうもしいたけも、娘はつまみだしてしまうので、今年の巻き寿司は具を娘の好物しか入ってないものに。私は物足りないんだけど、娘は自分で巻き、うれしかったようで、一本平らげた。この日たまたま赤い色のプルオーバーを着ていた娘が、「みてみてー」と服を引っ張ってみせながらにやりと笑う。「きょうの○○ちゃん、あかおにさんだよ…」ほんまやー。
2010年02月03日
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新年のことだが、書き残しておく今年の正月はいつもと勝手が違った。5年前に娘が生まれてから、岡山の実家で元旦を迎えるのが恒例となっていたが、今年は自宅で過ごすことになったのである。母の采配に任せていた正月料理の準備についてあれこれ思い悩んだ。夫は用意しなくていい、と言うが、何もない食卓で新年を迎えるのは、年の初めにふさわしくないように感じられた。結局、家族の好物だけつくってお重に詰め、雑煮も、だしを丁寧にひいてつくる。すると娘は、正月最初の食卓がいつもと違うのに歓声をあげた。一品一品に意味があり願いが込められていることを話すと、とても興味を示していた。そういえば、私も母におせち料理の由来を話してもらったのだった。幼い娘にもこうして舌の記憶がつくられている。いつか自分で食卓を用意する日のために、母から授かった私の記憶を、ささやかでも伝えたいと感じた正月だった。
2010年01月31日
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1月が過ぎた。今年こそ「書く」ことに努力して…と年の初めに考えて、たしかに家計簿の日記や書いてはいることはいるけど、ブログもせめてひと月に1回は、ひと月の出来事をとりまとめて書くことにしようと思う。1年のうちのひと月、でもいろんなことがあった、と思い返せるのも面白いかな。・「i phone」に惹かれるも足踏み港のともこちゃんに強力にプッシュされた「i phone」、ドコモからの乗り換えに消極的なカワウソさんに意欲を削がれて今に至る。家族間割引の特典から逃れるのは難しいよー>ともこちゃんところが「i pad」の登場で、また心揺さぶられる。私の使い方を考えたら携帯にすべての機能を集約するより、別にネットブックを持つ方がいいのかもしれないなぁ。電子書籍には興味無さそうなカワウソさん(本はやっぱり「紙」派)ではあるけど、ネットブックとして使えるという点には「なるほどなー」という感想。いずれにせよ、家でのネット環境について、もう少し検討の余地あり。勉強しなくては~・お友達の来訪続く正月3日の港のともこちゃんに続き、友達にたくさん来ていただいた1月だったなぁ。一緒にパンを作ったりもしたし、友達が持ってきてくれたビタントニオのワッフルメーカーを使って、鯛焼き(ポワソンプレートがある)を作ったりもした。みんなで食卓も何度か囲んだのだけど、ごはんのたびに、信楽の炊飯土鍋で炊いたごはんをお出ししては自慢した。正月の早朝にしていたテレビ番組で、嵐山吉兆本店(言わずと知れたミシュラン三ツ星)でごはんを炊く時に沸騰する寸前に一度ふたを開けて中をざっとかき混ぜると、ということをしていた。沸点に上がるまでごはんはふやけて固まってしまう、そのまま炊くとごはんは一粒一粒立たない。それをほどいてやるとごはんは立つ、と聞いて、目からうろこが落ちたようだった。それからというもの、「徳岡さん方式」(嵐山吉兆の料理人、妙に馴れ馴れしいネーミングだなぁ)と勝手に称して、沸騰するぞ、と見るやすかさず土鍋のふたを開け、竹べらでざっとかき混ぜる。そして沸騰し始めたのを見届けてから火を切ると、分厚い鍋肌にしっかり熱を蓄えた土鍋の蓋のふちに、おねばがあがる。私の炊飯土鍋には高いふちがあり、おねばがこぼれることはないが、そのふちからあふれそうなくらいだ。以前はこんなにあがらなかったのに!蒸らした後、蓋を開けると、決まって、一粒一粒がぴかぴかした光り、ふっくらしながらしっかりかみごたえのあるごはんが炊けるようになった。毎日ごはんを炊いて、その勘どころがつかめるようになると、この素朴な調理過程が面白くてたまらない。そして何より、家族にも友達にも好評だ。どんなごちそうより、ごはんが一番ご自慢のごちそうだ。笑・「This is it」にはまる昨年秋の劇場公開で、「子供預けてでも見に行った方がいいよ!」と言われた作品、DVD化を待ってようやく見た!(発売直前の再値下げにいよいよ慌てて購入、ただし特典映像は一番少ない廉価版ですよ)やっぱりよかったー!!毎日リピートして見て(聞いて)夢見ごこちを味わっている。マイケル・ジャクソンは稀有のエンターティナーだと今更ながらあらためて認識した。決して自己満足のパフォーマーではない。レコーディングした時のファーストテイクを完璧に再現するよう求める場面で、ファンが望むパフォーマンスをするためにとことん心を砕いていたんだなぁと感嘆させられた。また、ことばの表現能力が素晴らしい、自分が望む感覚的なイメージを明確に、豊かな表現で伝えている。「ベッドからはいでるような」、「月の光に浸るような」という具合。スタッフへのダメ出しのことばにも品がある!エンターティナーというか、もう総合芸術家の域だと感じた。そして、DVDを購入してよかったなぁと感じたのは、娘も楽しんでいるからだ。凝った演出も喜んでいるけど、もっと素朴にダンスが面白いみたいで、からだ全体を使って表現するということを楽しんでいる。ちなみにマイケルの曲で娘のお気に入りは、「Black or White」。実はPVが好きで、モーファリングを駆使した顔を次々替わる場面が面白いみたいだ。・「片付けの虫」再び毎年この時期だなぁ…片付けの虫にとりつかれて、合間をみつけては少しづつ家じゅう片付けている。きっかけは雑誌「クロワッサン」の特集。今日はこのクローゼットを徹底的に、と1時間から2時間くらい決めてかかる。とっておいた空き箱や袖をちっとも通していない服など、処分するものもたくさんあるが、配置を見直すものもある。片付けというのは、要は、暮らしやすい家をつくるための作業なので、私はやっぱり好きみたいだ。収納用品も見直して、久しぶりにIKEAに足を運んだりもした。あらためて感じているが、子どもとの生活では増え続けるものと、格闘の連続だ。この春には幼稚園の生活が始まる。生活が変われば、ものの配置に見直しが必要だし、新たなものも増えてその収納に頭を悩ますだろう。娘にも繰り返し、ものはあった場所に戻すこと、それから、取捨選択することを教えるようにしている。
2010年01月31日
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新年明けましておめでとうございます。本年も何とぞカワウソ家をよろしくお願いします!慌ただしく帰省した年の瀬、久しぶりに大阪で元旦を迎え、4日目になってようやくひと心地ついた気がする。体の疲れがとれなくて、この三が日は娘と一緒にそのまま就寝してしまった。その代わり早起き。というわけで、今年こそ、もうちょっと「書く」ことに努力して、ブログの更新もがんばります☆
2010年01月04日
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久しぶりに江戸時代が舞台の小説を読んでいる。いわゆる「時代小説」という小説だが、この分類の仕方、ネーミングを私は気に入ってはいない。ともあれ、繰り返し読む作品以外の、比較的新しいシリーズという意味では、北原亜以子の「慶二郎縁側日記」のシリーズ以来かなぁと思う。いずれも新聞広告で見て気になり、手にしてみた。その1、佐伯泰英「鎌倉河岸」シリーズ図書館で借りながら読んでいる。すでに長いシリーズになっている作品。町人の捕物帖で、主人公たちが幼馴染の若者たちでシリーズを追うごとに成長していく展開も悪くはないんだけど…うーん、人物にいま一歩入り込めない。人物配置の位置づけはわかるのだが、それぞれ類型的過ぎる。そのぶん、情感が薄く感じる。一番いただけないなーと思ったのは、捕り物のからくりを台詞で説明してしまう点。下手なドラマじゃないんだからさー。その2、高田郁「みをつくし料理帖」シリーズまだ「八朔の雪」「花散らしの雨」と2巻しか出てはいないが、伏線の張り方からして長いシリーズを想定している小説。久しぶりに行ったブックオフでなんとなく手にした。料理を切り口にした市井の人情の物語。少女マンガ的展開や人物造形、オノマトペの使い方などツッコミどころはあれこれあるけど、不意にほろりとさせられるような、光る場面がある。次の作品を楽しみに待つシリーズになりそう。読みながら、なんとなく違和感を感じ続けている自分に気づく。その後で久しぶりに藤沢周平の「春秋の檻」を読み返して、「ああそうこれこれ」と安堵している私。どの作品が一番とか二番というのではなく、長く読み続けられる作品、繰り返し読まれる作品にはちゃんと理由があるのだなぁ。
2009年12月17日
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私とカワウソさんにとって忘れられない日が、今年もめぐりきた。3年前の12月6日、私は不注意の事故で、顔面に火傷を負った。そして2年前のこの日に妊娠中だった私は救急車で運ばれ、翌日7日におなかの子を亡くした。そういうふうに忘れられぬ日は人それぞれにあり、決して私にしかない特別なものではないとはわかっている。それでも、今の私に至る不思議なことのつながりやきっかけとして、この忘れられない日はかけがえないもののように感じている。カワウソさんと娘と一緒に、墓参りした。一度納骨した後、家からほど近い私たちの母校を臨む場所に墓所を定めた。義両親の思いやりのおかげだ。薄く日が差してはいても底冷えするような日だったのに、三人で墓前にいる間だけは、暖かな日差しが私たちの肩にあたって、ちっとも寒さを感じなかった。山の端から昇る澄んだ月の光に、雲間から伸びる陽の光の梯子に、ふと亡くなった子の存在を感じることがある。柔らかく温かな掌で、ふんわり頬を撫でられるような感覚に胸がしびれたようになる。その時にこみ上げるのは悲しみでも苦しみでもなく、心懐かしいような気持ち。瞬間的に絶望を味わったあの日から、ここまで歩いてこれたと思い返すと、家族に友達にまわりの人に、すべてにただ感謝したい気持ちになる。やっぱり私、幸せだ。子どもを亡くした後に、その意味をもっと深く感じる時が来るだろう、と考えていたけれど、時を経るにつれてやっぱりそういうふうに感じるようになった。あの時があるから、今の私があると。そして一番近くで支えてくれたカワウソさんと娘に、本当に本当に、ありがとうね。
2009年12月06日
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先日クリスマスツリーを出した。大興奮する娘、「わーいわーい!くりすますがきた!」(いやクリスマス「ツリー」だってば)と部屋じゅう飛び跳ねて大喜び。それからというもの、毎日のようにサンタさんにお願いするプレゼントをあれこれ思案中。そしておもちゃの電話(故障して使っていないFAX電話、娘のおもちゃにお下がり)で、「もしもしー」とサンタさんに電話してお願い。鉛筆を持って何やら熱心に書いている。何書いたの?「サンタさんが○○ちゃんちがわかるように、ちずかいたの。」なるほどー。
2009年12月01日
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書店へ行く。楽しみにしていた平松洋子さんの新刊が店頭になくてがっかりしていたところ、目に留まったのがこれ。「ブランジュリタケウチ どこにもないホームベーカリーレシピ」タケウチは、お友達のブログでその名を知った大阪のパン屋さん、そういえば前作も手にした記憶がある。しかもホームベーカリーレシピだ!シンプルながらおいしそう。レシピ本の購入にはかなり慎重になっているこのところの私(購入する本の選別にシビアになった)、にもかかわらず即購入してしまった。ホームベーカリーを使い始めて3年目、すっかりレシピが定着してしまっていた。最近パンがぱさぱさしている気がする、小麦粉をそのままかじってるみたいや、とカワウソさんが言う。あらら。朝慌ただしく食べるばかりでそんな感想を聞いたことがなかったので、驚かされた。おいしーいパンを焼いてみようではないか。というわけで、さっそくタケウチのホームベーカリーレシピで、「ミルクハース」を焼く。いつも焼いていたパンより、ちょっとリッチなパンのレシピかな。トーストしないで、焼き立てにはちみつをたらしていただく。おいしーい。カワウソさんはもちろん、娘もぺロリ。
2009年11月28日
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最近の読書の記録に…と思って長い日記を書いたところで消えてしまった。がっかり。思い出しながらどうにか書いてみる。娘と図書館へ行った。以下、読書の記録に。その1、信田さよ子著「母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き」母性について、自分を観察しながら考えさせられることがある。私自身、母の娘、そして娘の母だ。美しい自己犠牲のようで、相手を呑み込むような、無意識の心の動きに気付いて、時々怖くなる時がある。そうした心の動きについて認識を持つこと、そして相手を尊重することが必要なはずだ。でもその病理に悩む人の、なんと多いことだろう。その2、村田喜代子著「名文を書かない文章講座」久しぶりにブログを再開してみたらたどたどしい自分の文章に目を覆いたくなった。思い出して書棚から引っ張り出して再読。村田さんの作品には学生時代からぞくぞくするような読書の喜びを味わうことができた。着眼点の優れたエッセイから見える、地に足のついた生活者ぶりも好ましい。その3、清野恵理子著「樋口可南子のものものがたり」きもの着始めた最初の時期にすごーく憧れた樋口さんのきもの、やっぱりいいわー。すっきりとモダン、うーん好み。ものがテーマのこの本、取り上げられていた京都・三条の内藤商店、こないだ京都へ行った時に棕櫚たわしを炊飯土鍋を洗うのに使いたくて購入したばかりで、うれしかった。最近の娘のお気に入りから。その1、いわむらかずおさんの「14ひき」のシリーズ。14匹のねずみ一家の物語、温かく優しい世界、ページの隅々にまで発見があり、楽しい。最初に病院の待合室で読んで気に入り、図書館でシリーズをとっかえひっかえ借りている。その2、岩井俊雄作「ちか100かいだてのいえ」前作「100かいだてのいえ」が大好きで、続編が出ると知ってからというもの、ずっと楽しみにしていた。ようやく発刊となって、さっそくパパに買ってもらって、大喜びした。10階ごとに住人が変わり、これまた描写が細かく楽しい。
2009年11月27日
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カワウソさんの誕生日。お互い40歳へカウントダウンの世代。誕生日プレゼントは「本」道楽のカワウソさんゆえ書籍代。ケーキどうしようか?と娘に言うと、「つくったらいいやん。」とこともなげに言う。一日予定が立て込んでいて、えええーつくるの??と慌てたのは私。娘は去年のカワウソさんのお誕生日に、一緒につくったのを覚えているらしかった。スポンジケーキから焼くほどの余裕はなかったけど、生クリーム(これだけは乳脂肪分の多いリッチなものを選んだ)をホイップして市販のケーキを飾ってみた。エプロンをつけてハンドミキサーを持ち(ボウルからの飛び散りがこわくて私が横で支えたけど)、すっかり得意げな表情。娘と花屋さんで選んだ花を飾り、ラッキーも膝の上に(無理やり)連れてきて一緒に「ハッピーバースデー」を歌い、パパには「ケーキ屋さんのクリームとおんなじやー」と喜んでケーキを食べてもらい、ちょっと誇らしそう。こうして祝ってもらえるなんて、パパ冥利につきるね。晩ごはんには、パパの好物ばかり、鮪のお刺身、具だくさんの豚汁など。子どもと毎日関わる中で、時間も余裕もなにもかも、「自分自身」を吸い取られてしまうようで、心底うんざりしてしまう時もある。でもこうして、娘の成長の軌跡を発見させられるたびに、満たされた気持ちになる。この日、奈良へ遠足の引率でお出かけのカワウソさん、散策の時間もあるとのことで、さんざんいいなーいいなーとうらやましがっておいたせいか(?)、娘と私にお土産を持って帰ってくれた。娘には縮緬でつくられたとぼけた表情をした猫のお手玉の人形、私には、鶯色のレザーの手袋、手首の折り返しに桜の模様の布があしらってある。私が娘を乗せた自転車で走り回っているのを思い浮かべて選んでくれたんだろうなぁ、と店先で選ぶカワウソさんを想像して、温かい気持ちに胸がいっぱいになった。これから手袋をはめるたびに、自分の奥底から、元気や勇気、底知れぬエネルギーをぐぐん、みなぎらせてくれる気がする。娘もカワウソさんも、ラッキーも、みんなみんなひっかかえて、幸せな気持ちを分け持ってもらえるように、さー私、がんばるぞ。
2009年11月25日
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前夜、娘を寝かしつけながら本を読むうち、そのまま朝まで眠ってしまった。そんなことは久しぶり、このところの疲れが一度に出たかな。枕元のライトもつけたままだったはずだけど、たぶんカワウソさんが消してくれたんだろう…(眼鏡は自分で夜中に外した記憶あり)読んでいたのは、川口葉子著「京都カフェ散歩 喫茶都市をめぐる」。先日、京都・三条の京都文化博物館へ日本画展を見に行った時、堺町筋のイノダコーヒ本店に立ち寄った。(イノダは観光客も多いので子連れでも比較的ハードルが低い)折り目正しい給仕を受け、落ち着いた空間を楽しみながらいただいた一杯のコーヒーに、深く感じさせられるものがあった。毎日のようにコーヒーを淹れて飲むのに、ほおっと溜息をついて心がほどけていくような、そういうくつろいだ一杯を飲んでいるだろうか。単においしいコーヒーを淹れるためのテクニックとか、道具とか(ついそっちに気が向いてばかりになっちゃう私)マニュアルに左右されない、自分のための時間を味わうための一杯。来春、娘が幼稚園に通うようになったら、私の暮らしは変化する。相変わらず慌ただしくはあるだろうけど、ちょっとだけでいいからどうにかひねり出して、自分のための時間を持ちたいと思う。そういう時に、ふらり電車に乗って、自分のための時間をじっくり味わえる場所に行きたいなぁと妄想しながら、この本を読んでいる。そのたくらみが叶うなら、どのお店に行こうかな。
2009年11月23日
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義母のお祝い事があり、夕飯に、簡単なお祝いの食事をする。といっても、義母と、近所に住む主人の叔母と一緒にスーパーマーケットでお買い物をして、主人の実家の台所で支度して食事をする、というもの。メニューはすき焼き。すき焼きのでき上がりが待てなかったカワウソさんのために、冷蔵庫の中身を見て別メニューで何品かこしらえる。エリンギとピーマンの炒め和え、焼き絹揚げ(生姜添え)、鶏肉の塩焼き(これは義母作)。それからすき焼きの段取り、野菜の下ごしらえは私、味付けは義母。娘は義父たちがいる居間と私たちがいる台所を往復しながら、料理の様子を見ていた。嫁いで7年、以前は遠慮していた義母の台所も勝手がわかってきて、率先して(というのかなぁ)使わせてもらうようになった。それぞれの家庭に、それぞれの台所がある。よその台所はその人となりを知れて楽しいけれど、家の中でも玄関やリビングといった場所と違って、暮らしに密着した場所であるだけに、身近な人であればあるほど、入るのはなかなかに難しいものだ。また台所に対するそういう私の感覚もまた、人によりけりで、もっとオープンにとらえている人もいるし、私よりずっとクローズしたい人もあるだろう。ともあれ、今の私としては、義母の台所で立ち働くことで「お客さん」ではなく「家族」に近い感覚がどんな言葉より率直に伝わってきて、それが居心地よく感じられる自分になれて、うれしいということだ。7年の歳月の意味を、素直に感謝したい気持ちになった。
2009年11月22日
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冷え込む季節になると、温かい、甘いものが恋しくなる。ココアとか。回転焼の「御座候」のレトルトパックの粒あん(美味!)を使って、ぜんざいをつくったらカワウソさんにも娘にも好評だった。もちは「モクモク」の。「羽二重」という良質なもち米を使ったもので、よく伸びて舌触りがいい。ふと思い立って、買い置きしていた小豆を炊いた。京都の「北尾」さんの小豆を一袋ぶん、一度に煮ることにした。まとめてつくっておいて冷凍することにする。保温カバーを使いながらル・クルーゼで炊くのだが、私のココットロンドは白なので、鍋の中に渋の色がつく。それも長く愛用しての「味」ということにして、あんまり気にしないことにしている。
2009年11月21日
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つい先日、「伊賀の里・モクモク手づくりファーム」に出かけた。三重県伊賀市にある体験型の観光農牧場で、手づくりハム・ソーセージが有名だ。すっかりリピーターでこの秋3回目のお出かけ、会員登録して、ネット通販も利用している。おいしい豚肉、新鮮な野菜とともに、濃厚な豆乳でつくられる豆腐がお気に入りだ。先月行った時は、滋賀・信楽の信楽焼祭りを経由して行き(2個目の炊飯土鍋を購入)、わが家にはちょうどいいドライブコースになっている。ポニーに乗ったり、ジャージー牛の乳しぼりをしたり、しいたけ狩りをしたり、ミニブタのレースに盛り上がったり(他愛ないんだけど、予想するので盛り上がる!)、先日は三重の地粉を使ったパンの手づくり体験をした。パン捏ねなんてやったことのないパパが初めてで、面白がっていた。観光農牧場は他にもあるし、似たようなアトラクションはあるけれど、「モクモク」を格別に魅力的に感じるのは、良心的な入園料もだけど、接するスタッフの人たちの温かい雰囲気や熱意なんだろうなぁと思う。大規模なアトラクション以上に、リピーターになりたくなる動機づけをしっかりつくっている。平日でのんびりしていた「モクモク」、娘は張り切って走り回っていた。ミニブタの「おこめ」ちゃんと「おそまつ」くん、羊の「さくら」ちゃん、ポニーの「さぶろう」くんを躊躇なくナデナデ。テーマパークのキャラクターは苦手でも(着ぐるみが大の苦手)、動物は好きみたいだ。ラッキーを撫でるようにしてあげると、みんな気持ちよさそうにする。生き物はみんな一緒、面白いものだなぁ。
2009年11月20日
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ずいぶんご無沙汰のブログになってしまいました。近所の友達との会話から、思案したまま踏み出せないでいたことの背中を押してもらったような気がした。気忙しいような気はしても、実はぼんやり過ぎていく日々にどことなく後ろめたさを感じていたのは事実。始めるのに遅いなんてことはない。娘は来春から幼稚園の生活が始まる。1日に数時間ではあるが、少しだけ私の手を離れる時間ができる。生活変わるよ、とは友達の言葉。次第に、年々に、私の手をどんどん離れ、娘は自分で自分の道を歩み始めていくのだろう。4歳の成長はまぶしいくらいだ。私の付属物みたいに勘違いしそうだった小さな存在は、時々こちらをくらっとさせるような光を放つ。ぐんぐん成長する一個の人格が見えてくる。40歳までカウントダウンの始まった私、負けてはいられないなぁ、と思う。というわけで、ブログの更新をちょっとだけがんばってみることにします。書き癖を取り戻さなくちゃね。
2009年11月18日
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たまに行くスーパーマーケットで見つけた「松山あげ」という油揚げ、実は今一番のお気に入り食材。私が手にしたのは刻んであるタイプの方。店頭では見なかったが大判のタイプもあるらしい。中までしっかり揚がってさくさくしているこの油揚げ、だしを吸うとふんわりもっちりした食感になる。京揚げのふっくらした感じとはまったく違う。しかも常温保存ができ、さらに、風味を損なうので油抜きは必要なし。うーん手間いらず!味噌汁に散らすと旨味の濃いお味噌汁になる。娘が好きな温かいうどんに入れると、薄味のままでも十分おいしい。青菜と一緒にだし汁でさっと炊き合わせただけでもいい。他の食材を損なわず、旨味を足せる。「伊豫名産」と名を打っているのもいい。しかも「伊予」ではなく「伊豫」、このこだわりが松山の人たちの愛着を感じさせて泣かせる。リンクしたショップでは少々お高め(送料無料のハードルも高いし)、私はもう少しお安く買った記憶がある。「南関あげ」なる油揚げも見つけた。熊本の名産らしい。味は似ていて、こちらの方が大きいとのこと。いずれにしても、わが家で常備しておきたい食材だ。
2009年07月02日
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過去にさかのぼって3日ぶん連続の日記更新。オーブントースターを台所から撤去してからもうずいぶんになる。最初はホットサンドイッチをフライパンでつくってみたのが始まりだった。ハムとチーズを挟んで、上に平らな落とし蓋、重し代りにル・クルーゼの蓋をのせて。直火で焼くパンがかりっとふっくらおいしいと気づいて、それからホットサンドでなくても、トーストするのにガス火を使うようになった。コンセントに困るくらい電化製品に頼りすぎる台所仕事に、疑問を感じていたこともあった。なんでも手仕事しようというのではない。毎日の生活が疲れてしまう。フードプロセッサーにホームベーカリー、使いよい調理道具は使うけれど、自分の使い勝手を考えながら品数を選ばなくては。とはいえ、そう難しいことを考えつめていただけではなく、平松洋子さんのエッセイの表紙、焼き網の上でこんがり焼かれるバタートーストを見て、そのおいしそうな様子に惹かれてしまったのが一番の理由だったのかもしれない。それからいうもの、魚焼きグリルでパンを焼いた。図書館で手にした、武藤裕子著「魚焼きグリルで焼くからおいしい」を読んで、魚焼きグリルを余熱なしで使えるオーブン代りに何でも焼くようになった。(リフォーム時に交換したビルトインレンジ、節約して片面焼きグリルにしたのを後悔した。両面焼きグリルにしとけばもっとレシピ展開できたのに残念!)それが先日、表面加工したアルミフライパンを買い換えようとしてあれこれ調べるうちに、フライパンで焼くバタートーストのおいしさに目覚めてしまった。こんがりした表面でじわじわ音を立てながらバターが染みているところを齧るともう病みつき。娘はそれにたらりとはちみつを垂らすと6枚切り(ホームベーカリーで2日に1度1斤焼き、3枚づつ2日で食べる。スライスしたら翌日ぶん3枚は冷凍庫へ)1枚ぺろりと食べてくれる。冬の、気温の低い間、バターが硬くて塗りにくかった。少し温めたり、温めすぎて溶けちゃったり、やたら面倒。その手間も省ける。というわけで、底面の直径30センチのフライパンを選んだのだった。これなら家族ぶん3枚のトーストが一度に焼ける。鉄のフライパンだと油っぽさがパンにつくが、テフロンのフライパンならそういうこともない。また、生活用品選びの達人・石黒智子さんが、大きいと中のものが飛び散りにくいということを書いていたけど、なるほどその通りだった。しかも鉄のフライパンで大きさを求めたら、きっと重たくて持て余したことだろう。その点、アルミ製なので、大きさの割に扱いに困らない。といっても、いわゆる「かえし」は無理だけど、まあテフロンのフライパンに不向きの、「高温で短時間火を通す」ような調理を求めることはあまりないとおもうし。先日錦糸卵を焼いた。大きいものを一度に、しかもきれーいに焼けて、満足したのだった。ふふふ。
2009年07月01日
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先日ネット注文したブラトップが届いた。店頭で見たとき、キャミソールの丈が短く思ったので(もう5センチ長いと完璧)、チュニック(こちらはもう少し裾が短いとベストバランス)を選んだ。すごーい!この解放感、病みつきになっちゃう。バストについて悩みが多い私にはホールド感がもう少しあるとお出かけ着でもランクアップできるなぁと思うけど、ノンワイヤーにこれ以上求めるのは贅沢かなぁ。ワイヤー入りキャミは早々に売り切れたみたいだ。スリップタイプのワンピも見たけど下着っぽくて手を出せなかった。ワイヤー入りのデザイン展開を期待したいなぁ。港のともこちゃん>おすすめいただいてありがとう!早く買えばよかったー。
2009年06月30日
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久しぶりにラッキーの記録を。ロシアンブルーの女の子のラッキー、今年5月に6歳になった。来年の誕生日には、もうシニア猫といわれる年齢、猫生の短さを思って切ない気持ちが湧いてくる。どうか健康で長生きしておくれ。体重4.5キロ。小顔のくせにメタボっぽいお腹なので、我が家のお客さまには「大きいっ!」と毎度言われる。臆病でおっとりしてはいるけど健康、娘に追いかけられつつも時には撫でてもらいながら(4歳児のやることなので結構乱暴だったり)ごろごろ喉を鳴らしているときもある。娘が就寝してからは私に甘えん坊になるのは変わらない、暑くなったこの頃でも、就寝前は待ちかねたように必ず寝室についてきて、私の懐に収まって、ひとしきりごろごろ甘えて、安心したら自分の就寝場所へ行く。夜寝付く場所は気温の変化で居心地良い場所を選んでいるようだけど(冬の間は私の布団の中)、最近朝起きてラッキーの姿を見つけるのは娘の部屋。しかも、おもちゃのテント(IKEAで見つけた赤いテントで、娘は毎日遊び終わる時に人形やぬいぐるみを寝かしつけている。)の中で長々と寝そべっている。こないだは、ぬいぐるみのくまちゃんを枕にして横たわり、くまちゃんの鼻先にちんまりした顎を乗せたまま私をおっとり見上げるので、その姿があんまり可愛くて笑ってしまった。耳の腫瘍(肥満細胞腫、1歳になる前に検査して浸潤性はない良性の腫瘍と診断された)は変化ない模様。ラッキーとの生活で、私たちはたくさん幸せな気持ちを味わってきた。でも、ラッキーにとってこの生が幸せなものになっているだろうか?とふと思うことがあった。それは私の中の後ろめたさ、人間に都合のよい商売の中で生まれた、ラッキーの生を購ってしまったことへの罪悪感からの疑問だった。もし、私たちに縁しなかったら、そのままペットショップで生きていたなら…と想像する。ラッキーは女の子ではあるが、子猫での発症が珍しい腫瘍をもった子が、繁殖猫としてすら生きることも難しかったのではないかと思う。ラッキーは腫瘍のおかげでペットショップでは否定されたかもしれない生を、私たちに縁したことで、この世に生を受けた理由を全うできるようになったと信じたい。意味のない生はない、人間も、動物も、生きるものすべて。そう信じられるなら、ラッキーが今私のそばで、生きている理由を全うしていくのと一緒に、私も全うしていこう。
2009年06月29日
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法事に行く。カワウソさんの祖父の13回忌と祖母の7回忌。おじいちゃんが亡くなったのちに嫁いだので直接存じ上げることはなかったが、おばあちゃんは結婚した翌年に亡くなり、私にも思い出がある。おじいちゃんおばあちゃんの並べた遺影を前に、娘に「ひいじいちゃんとひいばあちゃんだよ」と話した。どこまでわかっているのかなぁ。結婚してもうすぐ7年、日常よく会う方もそうでない方も、自分が主人の親戚に慣れてきたのを感じる。気取りのない関係を持てることはつくづくありがたいことだなぁと思う。「もしも」の話をしてもつまらない。「もしも」の想像にとらわれて、今ある現実の意味を否定するようで、そういう発想をしたくない。でもおばあちゃんの笑顔の遺影を前に、「もしも」を想像せずにいられなかった。もしも、娘をおばあちゃんに会わせてあげられていたら、どんなにか喜んでくださっただろうなぁ。
2009年06月28日
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その1.朝刊の折り込み広告でユニクロをチェック、ずーっと購入を迷っていたブラトップシリーズが週末特価になっているのを発見。港のともこちゃんの日記で着た感じを教えてもらい、購入を後押ししてもらった。このところ蒸し暑い日が続いているから、出番が増えるはず。サイズと色目があるうちに!というわけで、朝イチでネット注文。届いたら、また感想を書くことにします。その2.なんだかずーっとバーゲンしているような気がするけど(ものが売れないってことなのねー)、この週末に本格的にバーゲンシーズンに入ったらしいので、覗きに行ってみることにする。このところ気に入っているカジュアルなお洋服のお店で、娘にワンピースを選ぶ。本人も「おねえさん」になった気分になれて、うれしいのだけど、私にはトイレでの手間を考えて着せやすい。しかも汗をかく季節なので(汗をかくので妙にかゆがり、日に3度もシャワーに連れて行く)、すっきりしたワンピースの方が涼しいし。去年作った「こはるのふく」のノースリーブワンピが今年も着れるので、同じパターンでまたつくりたいのだけど、ミシンを出す気分的な余裕がなかなか見つけられないでいる。それから!同じお店で、ママのノースリーブブラウスも(!)購入。今年は、被服費に余分な出費はやめようと決意してたんだけどなぁ。その3.ユニクロ、実店舗にて。自身の衣食住の中でも、一番「衣」にこだわりのないカワウソさん、ありがたいんだけど「僕のはいいわ」ってはねられると困る。以前は喧嘩のタネになったこともあった。ここらで半袖のビジネスシャツを買い足したいなと思っていたところ、ユニクロの週末特価にメンズシャツを見つけたので、今のシャツの傷み具合を説明して、「買っておいていいかなって思うんだけどー」と言い添えておいた。私が女性用(ネット注文したものをチェックした。サイズと色目に揃ってないも朝イチ注文しておいてよかった)と子ども服(ショートパンツとスカート)をチェックしている間に、娘を子守りしつつ買い物する気になってくれたらしい。しかも次に見た時、買い物かごにビジネス用のシャツと一緒に、普段選ばない、機能性のあるインナーシャツも発見。バンザイ。
2009年06月27日
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朝、マイケル・ジャクソンの訃報を知って絶句した。胸の内に湧いたのは、悲しいというより、とても残念だという気持ちの方がずっと強く、そういう気持ちが湧いてくる自分が不思議だった。歌謡曲ではない「洋楽」というジャンルを知った私の10代は、マイケルのソロ全盛時代だった。中学生の時に放送部だった私、クラスの男子に、「お願いだからかけてほしい」とテープを渡され、歌の入った曲はだめ(クラッシックとかイージーリスニングしか使えないルールだった)だったにも関わらず、思い切って「スリラー」をお昼の放送でかけたら血相を変えた先生方にこっぴどく怒られたのを覚えている。今となっては笑い話。1日中you tubeで懐かしいPVを見ていて(ちょっと検索すればすぐに見れちゃう、いい時代ですねー)、あの頃、小林克也さんの「ベストヒットUSA」を一生懸命見ていたことも思い出した。1番記憶に残っていた、1988年のグラミー賞のパフォーマンスの映像を見ることができた。当時、民放で2時間ほどに編集されたのが放映され、それを録画したVHSで繰り返し見た。そのライブパフォーマンスで披露したのは「The Way You Make Me Feel」(ひゅん!と投げた帽子がきれーいに飛んでいく、ほんとにカッコよかった!)と「Man in the Mirror」(この曲を渾身の力を込めて歌うマイケルに感動したのだった)の2曲、高校1年生の私はとても衝撃を受けたのだった。ファンというのではないのだ、でも、そういう「衝撃」をくれた存在だったのだった。その後高校時代に、夏休みにロサンゼルスへ語学研修に行った。自分の身のまわりの狭い世界ではない、広い広い世界をうかがい知ったあの時にもマイケルにまつわるエピソードがある。地元の高校生の女の子と音楽の話になり、ファンだというマイケルのライブビデオを一緒に見たのだった。その時にマイケルと一緒に歌いながら見入っていた彼女は、もう何度も見たと言っていたビデオなのに、驚かされるくらいうっとりしした表情をしていたのを覚えている。88年のグラミー賞、私が繰り返し見た放映に出ていたのは少年隊の東山くんだった。27日の朝刊で読んだ、彼の「僕の青春がいなくなってしまった」というコメントにいたく共感した。おそらく彼ほどの思い入れではないだろうけれど、その表現が自分の気持ちに一番しっくりする気がする。一緒にマイケルのライブを見たロスの彼女、元気だろうか。泣いてないかな。一緒にPVを見ていた娘、「おもしろいー」と喜んでいたのだけど(「Black or White」の最後の方、性別も肌の色もさまざまな人々の顔が次々変わる場面がウケていた)、時々「みて!」と言ってダンスしようとするのだった。一番笑わせられたのは、「The Way You Make Me Feel」を見ての(マイケルが美人の彼女にナンパしているというストーリー。2001年のライブでブリトニー・スピアーズとパフォーマンスしているのを初めて見たが、面白かった)、「おともだちになりたいんだねー」というコメント。あははその通り。
2009年06月26日
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ひらがなを書けるようになるのがうれしくて仕方ないらしい娘。幼児用ドリルの、書き順を書いてある50音表を見ながら、書きたい文字を見つけては書いている。今日は難易度の高い「ね」「わ」が書けるようになった。昨日はまだ書けなかったのに、いきなり「みて、『ねこ』!」と書きあがったメモ帳を私のところへ見せにきた。「わ」は今日の昼間はまだ書けなかったのに、夜パパと入浴中にお風呂用クレヨン(サクラクレパスのもので、石けんでできているクレヨン。水で流せる優れもの)で遊んでいるうちに書けるようになっていた。それから知らない間に「あ」もクリア。これも難易度の高いひらがな。「あ」を含むために、つい2日ほど前まで「ままのおなまえ、むずかしいからかけない」と言ってたのになぁ。毎日毎日、それどころか瞬間瞬間にできることが増えていく。成長していく姿が眩しい。
2009年06月25日
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急に蒸し暑くなって食欲の落ちやすい季節。どうしたものかなと考えていたところ、料理本も出しておられるブロガーさんが、大葉や三つ葉など数種類「気に入った薬味を切って混ぜたもの」を保存容器にいれて冷蔵庫で保存、味噌汁にでもなんにでもぱっと散らすと食欲が出てくる、と書かれていたのを読んだ。うーんいいかも。大好きな大葉もそのつど刻むのはつい面倒になってしまうわけだけど、これならひと束買って一度に刻めば手間が減る。食べる機会が増えれば、風味が落ち、傷んでしまう前に食べ切ってしまうだろう。というわけで、大葉と茗荷を切って保存容器に入れておいた。案の定、お昼ごはんにしたぬく寿司(ばら寿司の残りをおひつで保存しそのままレンジで温めたもの)に散らせば、酢の香りも相まってもりもり食べられるし、夕飯の焼き茄子にもおろした生姜と一緒に添えたらこれまたおいしい。ところが!大鉢に盛りつけた焼き茄子、その上にふんわり散らした薬味から大葉だけをよけながら銘々皿にとりわけしているカワウソさん。忘れてた、カワウソさんは大葉が好みじゃなかったっけねぇ…。
2009年06月24日
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本日2つ目の日記。最近の娘の様子。文字を書きたくて仕方ない娘、ひらがなを自分で練習し始めた。お勉強を急ぐつもりはなかったのだけど、意欲があるので書店で幼児用の教材(学研の幼児用ドリル)を選び、渡してやると、ここひと月ほどの間に急激に書ける文字が増えてきた。ひらがなでも難しいものはまだだが(教材では50音順に練習するのではなく、簡単な書き順のものから練習するようになっている。なるほどー。)、書き順を確認しながら一生懸命書いている。娘の名前は幸い書きやすい文字ばかりだったので、一番に書けるようになった。先日の父の日には、パパとおじいちゃんに、絵と、「ちちのひ いつもありがとう」と書いて、みんなの目尻を下げさせたのだった。文字を書きたい、という発端は、おそらく「手紙」だ。岡山の母が娘へのプレゼントと一緒に手紙を添えてくれるのに、毎回いつも興味を持っていた。お絵かきを始めてから岡山の両親だけでなく、近所に住む主人の両親にも時々よくできた作品をFAXするのだけど、そのうちに「おてがみかきたい」と言うようになった。それが文字を書きたい意欲につながっているようだ。娘の成長ぶりが伝わり、みんな喜んでいる。もっと書いてあげてね。
2009年06月23日
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娘を近所の私立幼稚園の園庭開放に連れて行った。3年保育をお願いするならこの春が入園だったわけだが、カワウソさんと話し合って娘とは親子でじっくり関わる時間が長い方がよいと考え、来春、年中クラスから入れることにした。来年の入園に向けて情報収集に余念のないお母さんたちに比べて、歩いて行けるくらい近い場所にあるし、通っているお友達が多いから娘がイメージしやすいし、という感覚で幼稚園選びをほぼ終えちゃっている私。秋の入園申し込みまで、おそらく、他の園を見学に行くことはないだろうと思う。ずいぶんのんびり、というか、熱心な人から見れば不熱心なママに見えるだろうなぁ。今年度の園庭開放は5月から月2回スタートしていたのだけど、風邪を家族で順番にひいたりして行くことが叶わず、今回ようやく連れて行くことができた。その園の園庭開放では、自由に遊ばせてくださるだけでなく、体操の先生がついて遊びながら運動する、ということができる。ところが、初めての場所では物怖じする気持ちが強くなる娘、最初のうち、私の手を離すことができず、体操の先生のもとへ子どもたちが集まっていてもその中へ入っていけない。大好きなすべり台ですら、不慣れなすべり台に恐れをなして、階段の途中で足がすくんで身動きできなくなってしまったのだった。他の子のお母さんにレスキューされる始末。あはは。その後、砂場遊びをもくもくとしながら、時々「みてー」と私を振り返っていたが、雰囲気に少し慣れてきたのを見て、ちょっとづつ離れてみたりした。開け放した窓から教室でお遊戯している園児たちの様子が見えるし、園庭にあるプールで水遊びしている様子もすぐそこに見えた。来年の娘はあの中にいるのだろう。よく観察していたらしく、帰宅してから園で見た様子をいろいろ話していた。安心感があれば、いつかは自分で私から離れていくだろう。その段階を順に経ていく体験なのだろう。娘にとっても初めての幼稚園体験で、私もたくさん初めての体験をした。
2009年06月23日
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ホームベーカリーを買い替えた。丸2年使ったところでパンのケースの表面加工が傷んできた感じはあった前の機種、それでも変わらず食パンを焼いていたのだけど、ある日突然電源が入らなくなってしまった。実は少し前に、台から落としてしまって衝撃を加えてしまっていた。表面のプラスチックがひび割れたものの、その後もパンを焼く機能は変わらなかったので問題ないと思ってたんだけどなぁ。さて、まるで電気炊飯器の感覚で朝食のパンを焼いてきたので、ホームベーカリーが使えないとたちまち毎日の朝食について段取りが狂うのだった。ごはんにしたり、お店の食パンを買ったりしてはみたが、毎日翌朝の朝食の心配を前もってしなくてはならない、というのは、2日に1度、1斤の食パンを焼く、ということが当たり前の生活になってしまっていた今の私には、とても違和感があった。ホームベーカリーを初めて購入した時は、その前にさんざん迷ったけれど、その甲斐あってか2年間よく使い込んだと思う。自分の基本のレシピも定まったし、癖も飲み込んだ。時々お菓子作りもしたし、ピザ生地をつくっては、娘と一緒に手作りして楽しんだ。とはいえ、2年で故障は早い?と言う私に、「じゅうぶん元をとったんちゃうかな」とカワウソさんがあっさり了解してくれ、2台目を購入した。下調べして、定評のあるエムケー精工製と迷いはしたが、使い慣れたパナソニック(前機種はナショナル)にした。余分な機能のない1斤焼きタイプ。私の台所では、この先おそらく何年かの周期で買い替える電化製品だと思うから、高機能過ぎて高価なものはいらない。餅つき機能はわが家にはいらない。うどんもパスタも、自分でつくることはこの先もまずない。以前の私なら欲張って背伸びしたり、衝動買いしたりした場面で、冷静に取捨選択ができるようになったことに気づいた。購入したのはこの機種。捏ねの時の音が評判のよかった前機種以上に静かだ。驚き。
2009年06月22日
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本日2つ目の日記。久しぶりの日記の手始めに、今の「暮らし」を形づくる「もの」について書いてみようかなぁと考えている。一時に比べ、台所の道具、特に鍋の数を増やすのには慎重になっているにも関わらず、つい最近、ひと目惚れのような状況で購入したのが「リバーライト 極 アジア鍋」。平松洋子さんのエッセイで、鉄製の片手鍋を見た時、なんとなく心惹かれる感じがあったものの、韓国製の鍋ゆえ簡単に同じものを入手することはできない、と思い込んでいた。ところが、鉄製のフライパンと使い分けしながら4年間使い続けたテフロン加工のフライパンがくたびれたのを買い替えようと、インターネットであれこれ検索しているうちに、思いがけず、似たシルエットの鍋を発見した。楕円をたわめたような、愛嬌のある形の鉄鍋を見つけた途端、心ときめく感じがあった。この鍋使える!小ぶりながら深さがあるので家族3人の炒めものもクリア、揚げものもこなす。しかも鉄鍋ながら片手で扱える重さ。きんぴらとか、ひじきの五目煮とか、ささっと炒め煮するような、日常のごはんのおかずをつくるのにとても重宝する。使い始めて気づいたことだが、フライパンと違い、口は広いけれど底面が10センチと小さいため、調味料などの水分がすぐに飛んでしまわず、味付けがしっかり食材に入る。実は、煮物が得意の鋳物ホーロー鍋「ル・クルーゼ」の小ぶりのサイズ(ココットロンド18センチ)を購入した時、こうしたおかずの調理を担ってもらうことを期待していたのだけど、使い始めてみると、両手鍋のせいなのか重さのせいなのか、「ささっと炒め煮」という感覚には遠かったのだった。その点、アジア鍋の、片手で扱える気軽さは代えがたい。一品つくって、ささっと洗って、もう一品、というふうに連続して使ったりする。そういうフットワークの軽さこそが、これから迎える夏の食卓のおかずの調理にはふさわしい、と考えている。4年間使い続けた鉄製のフライパンは、「アジア鍋」と同じリバーライト製のオムレツパン、油なじみして使いやすいフライパンに育てることができたから、鉄鍋の扱いに戸惑うことはなかった。ブラシかたわしでささっとこすり洗いして流し、火にかけて水分を飛ばす。また「極」シリーズは、特殊な表面処理を施しているので、最初の空焼きは必要なく、洗った後、自然乾燥でも錆びないという。リバーライトというメーカーについてずいぶん前に日記に書いた記憶があるが、家庭の台所を思い描いて製造されている姿勢にメーカーの誠意を感じられる。木製の柄が焼け落ちても交換できるというのは、長く愛用できるということ。それくらい愛用したいし、愛用し甲斐のある鍋に出会えて、うれしい。
2009年06月21日
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早いもので、この夏、結婚7周年を迎える。自分の家庭を持って7年、そして子どもとの暮らしが始まって4年。試行錯誤を繰り返し、選択肢の中からその時々の自分の生活に合ったもの、ふさわしいやり方などを選び、ささやかなルールや定番ができ、「暮らし」を形づくってきた。ただ、10年先も同じ「暮らし」かといえば決してそうではないだろう。この先も試行錯誤の連続の中から新しい発見があるだろうし、家族、また私自身の変化によってルールや定番がそうでなくなる時もあるだろう。毎日の繰り返しの中で生まれるそうした変化に対しては、ある程度、柔軟でいたい。こだわりを持ちすぎて執着を生みたくはない。というわけで、今の自分の記録として、久しぶりに日記を書き出してみることにしました。「暮らし」とは日々の営み。毎日の繰り返しの中でくたびれてしまいそうだけど、それなりに7年がんばってるじゃないか、と自分で自分を励ますためにも、あらためて綴ってみようかなぁと考えています。
2009年06月21日
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