DIARY OF A.K 歳歳年年 人 同じからず
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ニューブリテン島は、ニューギニア島の東北、ラバウルの島である。そして水木しげるさんの作品『総員 玉砕せよ!』の舞台。この物語は、バイエン高地に派遣された田所支隊の命運を辿る.************************** 空爆と艦砲射撃、圧倒的な物量を用いた敵に追い詰められ、包囲され、日頃、楠正成に心酔する田所支隊長の最後の命令は、中隊長の主張する持久戦作戦をさえぎって、「最後のバンザイ突撃の敢行!」すなわち『玉砕』 !3月18日夜の斬り込み突撃は苛烈なものだったが、艦砲射撃をもともなうオーストラリア軍の兵力、装備に圧倒され、夜が明ける頃には生き残った兵士たちの少人数のグループいくつかが、某警備隊が本拠とする聖ジョージ岬に向かっていた。一方、ラバウルにある兵団司令部は、斬り込み突撃敢行の電信をうけ、玉砕を急ぐなの旨を打電するが、時すでに遅く応答はなかった。報告を受けた兵団司令部は、支隊の玉砕をラバウル全軍に布告して「ラバウル決戦」への引締めを図るとともに、大本営に報告した。ところが数日後、聖ジョージ岬警備隊から、「バイエン支隊の将校以下数十名が当隊で給食を受けつつあり、二 三日たつも前進の模様なし」との入電があり、司令部は混乱する。「玉砕命令が守られねば、ラバウル決戦の精神的基盤が崩壊する」として秘密のうちに抹殺、処断するため、全権委任された参謀が聖ジョージ岬に派遣される。玉砕の命令を受けながら生きている者は、死刑に値する。責任の重い将校は、追及され自決を選ぶ。生きてはならぬ人間。背信、卑怯者、そして再突入・・・・・。そして6月、敵の有力部隊が聖ジョージ岬に上陸を開始。指揮をとる参謀から命令は「81名全員玉砕をもって敵の背後をつく」その後、参謀は離脱を図るが、流れ弾で死ぬ。代わって指揮をとる水本少尉。「これから全員玉砕する。最後にお前たちの好きな歌を歌って死のう。」「私は~ な~あんで このよう~な つら~い つとめ~を せ~にゃ なあらぬ」(女郎の唄)(ジャングルの中の死屍累々の世界が続く)***********************水木さんは、あとがきで次のように書く。『この物語は、90%は事実です』『物語では全員死にますが、実際は80人近く生き残ります』『軍隊で兵隊と靴下は消耗品といわれ、兵隊は“猫”位にしか考えられていないのです』『ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみあげてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるるのではないかと思う』 ***************************1973年発表のこの本が今も、書店にあると知ったのは毎日新聞デジタル版で見た水木さんのインタビュー(東京夕刊8月13日)の最後に『書店で「永遠の0」が平積みされている一方、「総員玉砕せよ!」(講談社文庫)が棚に静かに置かれていた』との1節があったからだ。その翌日、大手書店4店が並ぶ大阪・天王寺へ出かけたところ、最初の店で、見事に、この本が見つかった。ほかにいろいろと探していると、NHKのHPでも『戦争証言アーカイブス「兵士たちの証言」』のなかに“生き延びてはならなかった最前線部隊~ニューブリテン島ズンゲン支隊~”(2010-06-26放送)があって、水木さんが描くこの『玉砕』の実相が証言されている。**********************前掲の毎日新聞で、水木さんは、戦地での体験を次のように語る。『上官から毎日50発くらいビンタされました』『特に前線では人間扱いされることなんてあり得ないことでした』そして『日本に戻ってからは「かわいそう」という言葉は使わなかった。この言葉は、戦場で命を落とした兵士のためにあるのですから』
2014.09.24
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