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昨日,フィンランドの研究者の講演会があった。大変印象的だった。大学までの授業料が無料だ。6割が高校に進学し,2割が大学に進学する。他のものは職業訓練校に行ったりする。やる気があれば親に関係なく勉強できるという。フィンランドの経済の競争力も世界1だそうだ。安心できるから競争できるということだそうだ。講演を聴きながら,日本はどちらかというと親が学校に行かせる感がある。フィンランド風に考えるならば,子どものためには,親は勉学の機会を与えるだけに留まるべきではないか。今年の夏,フィンランドに行く機会があるかも知れない。もし行けたら,本当に知りたい。子どもにとって,どちら国が住みやすいのか。
2007.05.31
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昨夜は,ほん太は母親が勉強しろと大声を上げないのでびっくりしたのかも知れない。昼間,母親のほん太に対する勉強のさせ方に文句をいったのである。親が勉強を無理矢理させていると子どもが自分で勉強する能力が身につかない。「もう,勉強しろと,言うな!!」と言った。もう少し,ほん太と距離を置くようにいった。今のままの距離では子どもの潜在的な能力を結果的に母親が奪っているのではないか。どうして,そんなことを気がつかないのか,思って前述のように言ったのである。夕食時に,いつもはうるさい母親が黙っている。そこで,母親の意志をも代弁してほん太に言った。「試験の成績が悪かったら,考えなければ,ならないよ。テニスクラブ,スイミング,そしてピアノと人の3倍もやっている。やめろとはいわない,全部に全力を出すことは不可能だ。スイミングは週2回にするとか,疲れていたら,朝勉強するとか。」ほん太は神妙な顔をして部屋に行った。
2007.05.30
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我が家の子どもたちも明後日から中間テストだ。あん子は,学校の試験には,結果はともかく,それなりの準備をしており,親の出番はない。ところがぽん太は,勉強でもチンタラしており,母と子の論争が耐えない。あるとき,ほん太がいう。「テストで○番になるよ。」「だったら, ぽん太には何もいう必要がないよ。」「楽勝」といつもぽん太の会話となる。毎日,母と子の論争を聞いていると憂鬱になる。フィンラントの家庭ではこんな親子の会話はあるのだろうか。(今年の夏,フィンランドに行く機会ができるかも知れない。尋ねてみたい。)朝6時30分ころから,ずっと母親に「起きろ」と怒鳴り声で起こされ続けている。ぽん太は気持ちよさそうな寝顔で寝ている。私は少し冷静になりたい。勉強は「自分の意志」と「力」でするものである。その意志と力がないならば,それを受け入れたい。子どもにあった人生があるはずだ。最低,こころ豊かで,努力する能力があるならば,最低限度というより標準的な幸せな生活を送ることができると思いたい。
2007.05.29
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あん子の発表会が終わった。チャイコスキーのバイオリン協奏曲だ。音楽の素人の私でも著名な曲であり,それぞれの演奏家に個性がある。さらに個性な演奏を目指して欲しい。演奏後,家族で慰労会をやった。「一番よく弾けた。」と満足顔だった。曲を仕上げるために大変な努力をしたろう。発表会のとき,ぽん太のバイオリンを使って演奏した中1の男子がいた。私はその子は力強く,本当にバイオリンを楽しく弾いている。ぽん太も自分のバイオリンがこのように生かされて複雑な思いだろう。しかし,その子とほん太との差は,バイオリンが好きかどうかである。演奏会の終了後この教室出身の演奏家のピアノ演奏があった。リストの30分くらい曲を体の一部のように演奏された。アンコールは4曲も演奏された。なるほどいやなことは,どんなに矯正されてもあるレベルまでしか達しない。好きなこと,やりたいことなり,自ら精進すると思う。あん子はこれからどうするのだろう。音楽を趣味とするならこれ以上楽しいことはない。音楽の途を選ぶとすれば,さらに大きな山がある。思えば10年位前に信州博があった。ある会場で信州のいろいろな場面がビデオが再生された。四季折々の場面の展開と,小さな子が成長が同時展開されたものであった。はじめに,単に単音を弾きだけだった子どもが,数カ月後にキラキラ星を弾かれた。こんな思い出,あん子が4歳になって始めたのである。
2007.05.27
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忙しい土曜日の始まりだ。9時30\分に事務員さんとお子さんを誘導していちご畑へ子どもがいちご狩りをする姿は楽しいものだ。我が家の子どもたちはあん子は本日のリパーサルの準備でほん太は中間があるといって同行しない。11時母親を迎えに東京駅へあん子の発表会がこれで最後になるというので,出かけている。12時半 あん子の発表会の音大の会場へ音大でホールができ,こけら落としでもあるそうだ。妻の両親もあん子の発表会に上京する。双方の家族が一同会するわけだ。ぽん太もあん子がでる時間に来ることになっている。ぽん太は,いやがっている。途中で音楽教室をやめたのでかっこうが悪いというのだ。「ほん太,知っている人にあっても,なにも悪いことをやっているのではないから,堂々としていればいい。」子どもたちが中間があるので,今日はゆっくりできない。発表会の後,食事をして私と子どもたちは自宅へ帰り妻たちは,都心のホテルに泊まる。長い一日が始まる。でもそれぞれに思い出になる一日だろう。さあ,土曜日のスタートだ。
2007.05.26
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この楽天のプロクにアクセスするとき,上部にダイエット・ビスケットの宣伝がある。消費者団体の勉強会に出ているが,ある人が上記ピスケットを食して体験された。痩せなかったので,返金して貰ったそうだ。しかし,返金するためには,体重をはかったり,袋をとっていたり,几帳面の人でないと返金は困難ということであった。そのとき,こんな議論があった。「ビスケットばかり食べていたら,ストレスか溜まらないか。」学生時代に超肥満のものが,毎日,豆腐だけを1ケ月食べ続けて,やせた。強靭な精神力と思う。食事は,単に栄養の補給だけではない。あん子がときどき,ダイエットと言い出すことがある。そんなとき,「今は食べること,中学生がやせてどうする。骨の弱い人になっちゃうぞ。」ぽん太が保健のパンフレントをもってきて体重と身長の計算をした。「ほん太君,やせすぎだ。」と自分で言いきかせた。ほん太は最近よく食べているのにやせすぎの結果だった。「ぽん太,お父さんの同じ量を食べてやせすぎか。食べたものが骨になっているだね。」「では,お父さんの計算してみて,理想から逆算すると何キロ体重減らせばいいのか。」しばらく計算して「○9・4」「なんだ,ただの4キロくらいか。」妻が「勘違いしているじゅないの。79・4キロよ。」という。「えー,後○・○キロ??」絶望的な結論だ。
2007.05.25
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ほん太は,テニスクラブに入った。テニスクラブは朝練がない。したがって,ぽん太も朝8時を過ぎてから登校すればいいわけだ。しかし,7時40分ころ,友達がピンポーンとぽん太を迎えにくる。「ぽん太,社長みたいだね。」と冷やかした。この前,私も仕事があり,ぽん太に遅れて家をでた。そうしたら,ほん太が団地の前の広場でピンポーンと呼びに来た子とテニスの練習をやっていた。そして,8時を少し過ぎると美術部に入った子がそこに来てベンチでぽん太たちの練習をみている。しばらくして練習をやめて,3人で学校に出かけて行く。美術部に入った子は,聡明な子なのだ。小さいときから,博物館とか,いろいろ親子で体験学習をしている子だ。どういうわけか,ぽん太と仲良くして貰っている。来週中間テストがある。学校のクラズは練習は中止だ。ほん太は,スイミングもピアノのレッスンに行くといっていたが,少し位集中して中間の勉強をするように諭した。そして,「中間まではピアノの練習はしなくていいと思うよ」といってもピアノの練習は自らの意志でやっている。なるほど,結局,テニス,水泳,ピアノがやりたいことで疲れて勉強するまでもなく,寝てしまうのである。ひっとして,ぽん太にとって今が一番楽しい時期かも知れない。私はぽん太に中間が終わるまで「朝練」は中止するよう助言したが・・・,
2007.05.24
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今日が最後の面接だ。少年は隔離された部屋でどんなことを思ってきたのか。少年と面会するには,第1の扉を開け,そこで第2の扉が開けられるのを待って,第2の扉が開けられて,別棟の建物に係官と一緒に誘導される。また建物の入口で鍵が開けられ,私たちが建物内に入ったら,また締める。私は2階の面接室に上がっていった。歴史のあるこの建物は,多くの少年を見守ってきた。廊下に奥まで部屋があり,部屋の前に鞄とか草履があった。ときどき扉の窓越しに少年が在室しているのが見える。どんな少年だろうか。窓越しに見る少年は,もくもくと作業をしているようだ。心理学に関する検査を行っていると聞いている。かなり,人間の内面がわかるようだ。面会室で待っていると少年が入ってきた。「今日わ」今日が最後の面接だ。「私も明日はガンバル。お父さんもお母さんもガンバル。家に帰れるか,どうかは,君次第だ。」反省文を完成させた。この反省文は,高校にも提出するつもりだ。少年に再度確認をした。「一番大切はものはなんですか。」
2007.05.23
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本来土曜日運動会だったが,雨のため今日運動会だった。私は仕事の都合で今年で最後になるあん子が出るリレーを見学し他は妻にビデオを撮って貰った。夕食のとき,みんなでビデオをみた。あん子がいった。「あー,もう運動会がおわりか。ぽん太は後2回できていいね。」あん子は,自分のビデオをみて,もっと早くなりたいといっていた。あん子は習い事の関係で帰宅部である。最近自宅の回りを食事の前に走っている。ふたりの子は飛び抜けて運動能力があるのではないが,運動が好きなのは,いいことだ。来週から中間テストだ。ほん太は,楽勝といっている。「じゃ,次の日本語を英語で書いてごらん。」単語のつづりはでたらめ,文法を無視。最初は,簡単と思っているところ,簡単ではないことがわかった。はじめて英語の勉強の質を知った。部屋に戻って行った。
2007.05.22
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わが団体である元裁判官の講演があった。数年前に脳梗塞で倒れ,自殺を試みに北欧に旅行にいったそうだ。フェリーに上船しているとき,そこで17歳の成年が事故がどうかわからないが船の甲板からいなくなり警察船も動員して捜索され,家族の焦燥しきった様子を見て,生命は,家族のためのものであることに気がつき,急いで帰国したそうだ。そして,これまで秘密にしていたことを話すことにされたそうてだ。死刑判決の再審を求めている袴田事件で一審の担当裁判官で自分は無罪と確信したが,合議で破れて,袴田被告人が死刑になったことを裁判官の守秘義務を侵してまでして告白された。無実で40年以上刑務所にいる袴田被告人に話がさしかかると突然嗚咽された。「袴田君に申し訳ない。」
2007.05.21
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日曜日の午前ぽん太は,他の中学校での初心者テニス教室に出かけた。あん子は,中間があるといっていた。私は溜まっている仕事をするために仕事場にきた。・・・・昨日は,本当は今日の私の誕生日を祝ってくれた。子どもたちが,前もって「おとうさん誕生日に何が欲しい?」と聞いてきた。「毎日,元気に過ごしてくれたらいいよ。何もいらないよ。」土曜日は,団体の年一度の総会があり,夕方からは,懇親会等がある。私は,お酒は飲めなくはない。しかし,酒を頂くより,我が子らと談笑をする方が楽しい。総会だけを終えて,帰宅した。いつもの夕食の時間が,誕生会になった。いつもは飲まないワインがあった。家族からは花束あん子からは,手紙「誕生日おめでとう。お父さん,バイオリン,勉強がんばるよ。元気でいてね。」などと書いてあった。ぽん太は,ボールペンをプレゼントして暮れた。あん子が感想をもとめた。「おとうさんのおとうさんが死んだ年を○年超した。何か(世の中のために)しなければならないと思っているよ。」早々にお酒がまわり,酩酊状態になった。ぽん太がいつものように,母親からピアノをやれと叱られているのを子守歌にして寝入った。
2007.05.20
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少年は,高校2年生で友達5人で不祥事を起こした。今日,ある施設で少年と対話した。この施設は,少年の処遇をきめる前に心身等の調査をする施設である。だいたい4週間くらい,隔離された部屋でいろいろな検査等を受ける。こんな中にいる少年との交流は短い期間であるが,私も精一杯,少年の可塑性を信じて,働きかける。面会する少年は,友達を大切にする子で,そのために,友達がする悪いことを拒絶できない性格のようだ。「一番大切なものはなんですか。」「家族」「家族よりも大切なものはないですか。」「・・・・」「君のいのちではないですか。」「そうですね。」私は,少年にノートを開かせ,真ん中に円を書いて,その中に私と書かせた。「君の命が一番で,家族が2番と思う。家族の中には,お父さん,お母さん,弟,妹でいるね。」少年に真ん中の円から線を引きその端に円を書かせた。その中に家族を書き入れさせた。その家族の円から,お父さん,お母さん,弟,妹の円が伸びている。「その次に大切なものは?」「学校」真ん中の円から上に線を引き,その端に円を書かせて,その円の中に学校を書かせた。「学校には,大切なものはあるかな。」「友達,先生,勉強」学校の円から友達,先生,勉強の円を伸ばせた。「今書いた図面を見ると真ん中に『私』あり,それから家族と学校が伸びているね。さらにお父さん,お母さん,弟,妹と,友達,先生,勉強が伸びている。君がやったことにより,君は,その円から外れて一人でこの施設にいる。自分を大切にしないとみんな無くなってしまうよ。」こんな方法で,次の頁には,真ん中に被害者を書いてまたいろいろと連想させた。バイクが壊された。通勤か通学に使えない。また買うにはお金がいる。悔しい思いをしている。君の友達が壊す行為をした。君は見ていた。止めなかった。等々最後に質問した。「円の中心の『私』と円の中心にない『友達』とどちらが大切がわかるなあ。」「私」「友達は大切かも知れない。でも悪いことをする友達より,『私』を大切にすべきと思う。友達がいなくなっても,被害者は生じない。被害者は,悔しい思いをしない。家族は悲しまない。」「そう思います。」「じゃ,今度来るまでに君が書いた図面を参考に反省文を書いて置いてね。」
2007.05.18
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福島の少年事件で,少年は警察に出頭する前に,ネットカフェーに寄ってから出頭したとのことだった。少し前に読んだ「脳内汚染」の本が浮かんだ。ゲームやインターネットが子どもの脳に薬物と同様な影響を与えているという本だ。我が身を振り返ってみる。もし,私の高校生時代にゲームとか,インターネットがあったら,私もそれにのめり込んでいたのかも知れない。当時,学校も授業も面白くない。全く無気力な時があった。そんなときに,ゲームとか,インターネットがあったら,それに逃避したかも知れないのである。私の時代は,逃げ道はなく,ただ,ぼっとする以外に他の方法はない。深夜放送も地方にはなく,夜は,無言の暗闇があった。じっと,ひたすら無為な時間に身を置き,当然に成績もより下降していった。これ以上の下降はないという,そんな中で,やっと目覚めた。そんな我が身から考えると,現代の高校生は,気の毒に思う。我が子から命を奪われた母親は気の毒だ。いずれにしても福島の高校生に何が起きたのか?
2007.05.16
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いつも夜9時を過ぎると,ぽん太の目がうつろになる。それを我慢して、ピアノ,宿題をする。10時になると睡魔に負けて,着替えをせず,ベットでバタン,キューである。ときどき,ほん太にいう。「ほん太,お前は,幸せだなあ。3時からテニス,6時から水泳,一日のうち5時間は人にやれといわれなくてもやっている。」あん子が口添えする。「好きこそものの上手だね。」
2007.05.15
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ついに国民投票法が成立した。私は,極力,政治の話を家ではしない。日本の政治は硬直的であり,真摯に考えると息苦しくなるからである。子どもたちには,こんな気持ちをもたせたくないからである。上記法律が成立したことを,一人夕刊で読んだ。黙って,黙々と食事をした。家族のだれも私の内心を知らない。日本の将来がどうなるのか,不安を顔に出さずに黙々と食事をしたのである。いずれにしても,2007年5月14日は,歴史的な日になった。・・・・・最近本を読んでいると「憲法9条」を「世界遺産」にしようとか,「ノーベル平和賞」を与えようとか,ユニークなことをいう人がいる。
2007.05.14
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ぽん太にすすんで朝御飯の支度をさせたいと思っている。人は他人に命令されてすることは,気が進まないと思う。ほん太の意志でやるために,ほん太が朝ごはんを作るときは,前夜,スーバーに出かける。ぽん太の意志で食材の買い物をさせる。あれこれ選ぶのは,まんざらでもないみたいだ。(ときどき,女性の買い物依存症ときいうことをきく。買い物をするだけで,気晴らしになるそうだ。スーパーはともかく,高いものを買う際には,店員の応対によく,王様になった気分になる。そんな気持ちが依存症のもとだろうか。それとも,商品を手にするとき,自分の価値を認識するのだろうか。ほん太はどんなつもりで買い物をしているだろうか。)私は,ぽん太に,商品を買うとき,卵と牛乳とドレンシングだけは,贅沢をしようといっている。店で一番高いものを買うのである。ささやかな贅沢をしている気分である。しかし,他は一番安いものを選んで買う。近所のスーパーは24時間営業になっているので,買い物は楽である。しかし,気持ちよく接客してくれる店員の家庭の事情など思うと複雑な気持ちである。昔みたいに店屋が夜8時9時で閉店になるならば,そせれにあわせて買い物をすればいいだけであるところスーパーが消費者の都合にあわせて,深夜まで営業してくれるのは,ほんとうにいいことなのか,考えることがある。そんなことを思いながら,ときにはぽん太とも議論しながら,買い物をするわけである。ぽん太が家庭科で習った料理をおさらいするのである。ほん太の意志で,みずから買い物に行っているので,朝の弱いぽん太も責任を感じてかつ,自らの意志で7時に起きた。あん子との朝食の約束の7時30分を10分遅れてテーブルに朝食が並んだ。食後,私と妻とぽん太は,近所の契約農家に「いちご狩り」にあん子は午後のレッスンに備えて「朝練」とそれぞれの日曜日の午前であった。昼ごはんの支度になって,急に妻がお腹が痛いと言い出したので,子どもたち二人で冷し中華を作った。あん子が出かける際には,レッスンの先生と,場所が近いで先週理科を教わった事務員さん宅にそれぞれ取り立てのいちごをもたせた。ほん太は家庭科の教材の布を友達と買い,帰りは友達宅で遊んで来るといって出かけた。
2007.05.13
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我が家では土日,特別子どもたちに用事がない限り,それぞれ朝御飯を作らせることになっている。あん子は,今日は,発表会のリハーサルがあるので,本来はぽん太が作ることになっていた。朝,6時30分ころジョキングに出かける妻が「味噌汁を作っておいてね」といって出かけた。昨日,夜11時ころまで,ぽん太とビデオを見ていた。そのとき歴史が動いたの「憲法9条」とやらを見ていたのである。夜更かしさせたので,ぽん太を起こさず私が作ることにした。味噌汁を作ることはこれで3回目だ。段々スムーズに行く。具はジャガイモとたまねぎで,良く煮込んた 。(大変美味しかった。)今日は,ゆで卵を熱湯で3分ゆでた。食事のとき,小さなスプーンでゆで卵の頭を少し割って,上からスプーンですくって食べる方法を教えた。我が家の子どもたちは初めて食べる方法だ。子どもたちは,半熟の卵を上のような方法で食して,美味しいといっていた。私は,本当は午前中は,たっぷり寝ていたいが,子どもの情操教育にも悪いので9時過ぎに仕事場に出てきた。しばらくして,ぽん太も勉強道具をもってやってきた。私が仕事をしていると話しかけてきた。「『I』は,『わたしは』なの?」「『Iは,わたし』で,『は』は助詞で,英語にはないよ。学校に行く,ぼく『は』というように日本語の『は』便利だよ。英語は,語順が決まって,いてそこに入ると主語になったり,決まるよ。」ぽん太は「ぽかーん」と聴いている。「自宅に行って教科書をもっておいで。」
2007.05.12
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夜10時過ぎに帰った。ソファーで新聞を読んでいると例のごとく,「ぽん太は宿題しかやらないけどいいの。」と妻は,私に問いかける。「今日の朝日新聞に次のようなことが書いてあるよ。」と新聞をとる,該当する記事を読み上げる。「『学力を身につけさせることを生活の最優先にしてはいけません。生活の基盤は睡眠,食事,運動に置くべきで,学習は4番目と考えましょう。』ぽん太は,まさにこの先生のいうとおりではないか。」それでも妻は不満げである。・・・・・・この記事の宮本氏は算数教室を主宰している。この教室では,教えないで考えさせているそうだ。(なるほどな,考えることに意味があるんだ。)悩むこと,葛藤すること精神的なストレスにも意味がある行かれ知れない。わたしも人並みに考えたり,悩んだりしてきた。人生を回り道をしてきた。それはそれで意味があったのかも知れない。親はどうしても,子どもに安全な近道を歩ませてしまう傾向がある。今一度,「見守る教育」を試みてみよう。
2007.05.10
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今日,施設にいる高校2年生の少年と面会してきた。先日,少年に本を差し入れした。「青い光が見えたから」(16歳のフィンランド留学記) 半落ち 走れメロス「青い光が見えたから」を読んでいた。「すごいね。言葉ができないのに,フィランドにいったね。」「どうだ,君も留学するか。」「ぼくなんかできっこないよ。」「少女だって,全くフィンランド語ができなかったぞ。おそらく少女には結果をおそれず冒険するこころがあるじゃないかな。君は結果をおそれて,冒険することをちゅうちょするのではないかな。」「そうだね。冒険しなければ,何も得られないね。」「少女は君と同じくドラム叩いていたね。日本人が一人もいないところで,夢に向かっていたね。」「じゃがいもというバンド名だね。」「今度来るときは,『半落』と『走れメロス』の感想をききたいね。」
2007.05.09
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「子ども部屋に侵入したゲーム、ネットという麻薬」で始まる「脳内汚染」(岡田尊司著文芸春秋社1600+税)をやっと読む機会があり読んだ。昔,ある聡明な母親は「企業は,どうしてゲームを作るのか。子どもがゲームに夢中になり過ぎることの弊害を知らないのか。」と嘆いていたことがずっーと心に残っていた。そんなことを思いながら,上記の本を読んだ。以前「ゲーム脳」という本を読んだが、上記の本は臨床医学を踏まえた警告書である。今日の朝,妻とこんな会話をした。「やーよっかったね。子どもたちにゲームを与えなくて」「クラスで一番できる○○君は,夜9時半までにやることをやったらゲームをやっていいそうだよ。ゲームはそれぼど悪くないじゃないの。」「そうか,でも。○○君がゲームやらなかったら,もっともっと優秀になっているかも知れないよ。」上記の本のとおり,最近のゲームは面白すぎて,やめられないことを警告している。仕事も勉強もやめられなくなるほど,やることはない。そう思うと,ほん太は,ピアノの練習は30分が限界であり,勉強も直ぐに飽きてしまうものである。もし,ゲームがあったら,のめりこむかも知れない。ぽん太のいうには,友達の家でゲームをやっているそうだしかし,家では,ぽん太にとって娯楽は「新聞」しかない。何かに飽きると,ソファーに来て,新聞を読んでいる。「よ-し,今年は,中学校のPTA読書会に出かけるぞ。 そこで,脳内汚染の本をみんなに読んで貰おう。」お母さんたちだけの会に一人出かけるのは,勇気がいるが・・・・
2007.05.08
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食事のときに,ほん太の理科の授業が顕微鏡てアメーバをみる授業だったので,動物の植物の区別はなにか,子どもたちに質問した。ふたりともわからないと応えた。「なんだ,動物の植物の意味をわからずに勉強しているのか。」食事が終わって,子どもたちから教科書を借りた。(なるぼど,光合成があるのが,植物で,それがないのが動物か。)早速,あん子の部屋にいって説明した。「光合成をしているのが植物だ。ミドリムシは植物だね。」「ミドリムシにも葉緑体があるんだ。」「植物は太陽の光で成長し,動物が植物を食べているのだね。太陽は生物の命の源だ。」私もしばらく子どもに帰って,子どもたちと理科を勉強しよう。
2007.05.07
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ぽん太が,もう英語がわからないと行ってきた。いろいろな科目にはそれぞれ特有の勉強方法がある。そこで私がみてやった。まったく英語の勉強の方法を知らない。だから英語がわからないというのは理由がある。ところで,私にとって英語の発音は鬼門であった。思い出せば,私の中学の最初の英語の授業は,社会の先生が担任だった。今から思うと英語を専門にしていない先生から英語を教わったことは,大変不幸なことであった。その後,発音について特段注意することなく,英語を勉強してきたのである。英語を日本語の延長線で理解してきた。英語の試験は私たちのころはペーパー試験だったのででたらめな発音でもなんとか英語の試験などをクリアーしてきた。しかし,我が家の中3の長女,中1の長男の英語を聞くたびに大変ひどい発音である。おそらく私の中学の英語は,我が家の子どもら以上にひどいものだったろう。私が英語の発音,イントネーション,フランス語でいうリエゾンを意識したしたのは子どもの習い事の体験を通じてのことである。例えば,同じ旋律のようでも,先生と我が子とは違うのである。私にはその違いなどたいしたことではないと思っていた。しかし,レッスンは,その違いを埋めることに時間の大半が費やされる。私の発音は,全く矯正される機会はなかった。しかし,音楽のレッスンのように,初期段階で矯正されていたら,発音に自信をともなった英語が身についたと思う。そんな思いを秘めて,人の発音等矯正できる能力はないのであるが,子どもたちの発音を気がつけば,私の発音の悪いのを棚に上げてしつこく矯正している。・・・・・・長女は以前から,2年生の3学期の期末試験の理科がわからないといっていた。私は理社には自信があったので,私が教えてやるといって,参考書を買ってきて勉強した。問題を解いてみた。全問正解を出すことができなかった。それから大分時間が経過した。たまたま,私の仕事場の事務さんは,高校の化学の教員免許もある人なので,私が能力的に教えられいないことを話したところ,教えて頂ける内諾を得た。そんな根回しをし,今日は,長女が自宅まで,質問に行った。学校の先生以上にわかりやすく,全部わかったといって帰ってきた。「もう,理科は心配ない!?」と得意気な顔だった。長女は,学校の先生は忙しくしているので,なかなか質問ができないようだ。長女は,学校の先生にも質問するが,どうしても先生の都合で,できないとき,また事務員さんの家に質問に行きたいといっている。
2007.05.06
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ぽん太と母親とで,「ロッキーザファイナル」をみる約束をしていた。私も誘われた。「お父さんは,暴力的な映画はだめた。」ぽん太は,「K1みたいなものだよ。」という。こんな会話をしながら,私は他の映画があったら,私だけ別にみるといって,当初電車で行くことにしていた母と子を車で映画館に連れて行った。同じ時間に適当な映画がないので,私も同じ映画をみることにした。意に反して「ロッキー」をみることになった。2時間近い映画だった。「ネパーギブアップ」のテーマでの映画で,ぽん太には,悪くないものだった。「打たれても,倒れても人生は前に進む以外にない。人生は必ずしもバラ色ではない。自分の不遇を人のせいにしてはならない。」ロッキーのこんな言葉が印象的だった。私はボクシングはあまり好きではないが,この映画から,夢に挑戦すること挑戦し続けることをぽん太が学べば,望外な喜びである。そして,私もロッキーを真似て,挑戦する夢を見い出したいと思った。映画が終わり,そっと感激の涙を拭った。
2007.05.05
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昨日,みんなで公園に行った。ぽん太はテニスのラケットをもっていった。最初,あん子とぽん太が打ち合った。話にならない。あん子は全く,サーブの玉が当たらない。次に私とぽん太がやった。まあ少しは様になるものだ。次のやりたくなさそうな妻にラケットを渡した。そうしたら,妻はやる気を出し,ぽん太,あん子を指導し出した。昔,硬式テニスを習ったことがあるそうだ。ぽん太がテニスクラブに入ったおかげて,家族でテニスができる機会ができたようだ。肥満気味の私も,いい運動になるかも知れない。
2007.05.04
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新聞にシンクロの日本の指導者が,中国のコーチに就任している記事があった。その指導者は,指導者のいうことを「無批判的に従うな」,それぞれの考えにしたがった練習方法を見つけ出す必要があるというものだ。・・・・・昨晩,遅く帰宅したら,以下の会話になった。最近に,母親のいうには,ぽん太は,反抗的に勉強をやれといってもやらないそうだ。クラブの練習から,スイミングに直行し,8時過ぎに自宅ももどり,食事をして,ピアノの練習を終えるのが,9時半ころになる。これで明日の支度をして寝ることになる。母親は1時間でも毎日勉強する習慣をつけさせるべきであり,私からもやらせるようにといわれた。「勉強やれといっても,やらないものをどうやって,させるのか。殴ってさせるのか。」「将来が心配だ。」「勉強することが大事なら,まず親から勉強したらどうだ。」「今さらどうして私が勉強しなければならないの。」怒って,反論する。私は冷静に続けた。「親は勉強をせずに,子供に勉強しなさいといっても説得力はない。何歳になっても,人間が成長するために勉強は必要だ。そんな姿を子供がみれば,自然に勉強をするよ。勉強しなさいといってもしなければ,本人の自覚を待つ以外ない。」「自覚しなかったら,どうするの。」「しょうがない。その場合は,勉強以外の途を進ませる。もう,ぽん太に勉強せよというな。」・・・・・そんなとき,最初の指導者の記事を思い出した。親にいわれて,全てを受け入れる子は,一見問題がないように見える。しかし,人間である以上,意見がある筈だ。こどもは,「いい子ぶる」ことの先を考えて,意図的に演技しているかも知れない。しかしながら,子どもの人生だ。親のいいなりではなく,自らの意志で行ってもらいたい。・・・・・母親と子どもの関係は濃密だ。先日夕食のときに「日本の子どもの問題点はマザコンがある。」と子どもたちに話した。ぽん太は幼稚園児ではない。段々と距離を置き,自立させなけれはならない。こんなことを母親にはわかってもらいたいものだ。
2007.05.03
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