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今日はクリスマス。 なぜ12月25日なのでしょう? かつて、東方教会では1月6日がキリストの誕生日として祝われてきたし、エルサレムの教会では594年この日をクリスマスとしていたそうですし、アルメニアではいまでも旧暦の1月6日にクリスマスを祝うそうです。それは四世紀に教皇ユリウス一世が、キリストの誕生日を公式に12月25日に定めると布告をだしたとか、325年のカトリック教会の最高会議で決ったとかだそうです。それで サンタクロースの正体は?。4世紀、トルコのミュラ町の司教で、奇跡を起こして貧しい人々を救ったことで知られる聖人で、聖ニコラウスがサンタクロースになまったと言われています。敬虔なクリスチャンのお金持ちのニコラウスは、匿名で貧しい人たちにお金を施していました。 ある日もう娼婦になるしかない貧乏な娘のところに夜、お金をこっそり投げ入れた。そのお陰で、幸せな結婚をしたと言うおめでたい話は有名です。(^o^)当時、若い女性は靴下を洗ったあと夜風で乾かすため窓際に干していたらしい。ニコラウスはその靴下の中にお金を入れたのでないかと!。クリスマスに靴下を下げておくとサンタさんがプレゼントを入れてくれるというのは、それに由来するらしいです。しかし、トルコ出身のはずの聖ニコラウスは何故、トナカイに乗り北欧からやってくる イメージなのか??。それはファーザー・クリスマスと混同されているかららしいのです。そのクリスマス親父とは、「冬」の扮装をした人間です。つまりクリスマス親父は宴会にまねかれ飲み食いをすすめられ手厚くもてなされる。冬がすこしでも穏やかであるように「冬」のご機嫌をとったのです。 それに中世のヨーロッパでは、毎年12月5日に「聖ニクラウスの日」を祝っていました。聖ニコラウスの功績を称え、ヨーロッパでは12月6日を「聖ニコラウスの日」としその前夜に子供に贈り物をする習慣があります。オランダでは聖ニコウラスをジンタ・クロースと呼び、13世紀頃から「ジンタ・クロース祭」を祝いました。中世ヨーロッパの子供たちは、この日に天国から聖ニクラウスが降りてきて、彼らにプレゼントをくれると信じていたようです。ヴァイキング達のその風習がイギリスに伝わり、「冬」は「オールドウィンター」「オールド・ファーザー・クリスマス」と呼ばれるようになったのです。17世紀にオランダ人が北アメリカにニューアムステルダムに入植した時、この"Sinter Klaas"の伝説も一緒にアメリカに伝承され、それが英語で訛って「サンタクローズ」になったと言われています。しかし入植したプロテスタント宗派のオランダ人たちは、従来のように12月5日に「聖ニクラウスの日」を祝う代わりに、キリストの誕生日である12月25日の前夜、つまりクリスマス・イヴの夜に聖ニクラウスが天国から降りてきて子供たちにプレゼントを配るというかたちに変更したのです。ここから、「聖ニクラウス伝説」と「キリスト生誕」とのミックスという、現在のクリスマスの形態ができあがったようです。そして、フィンランドではファーザー・クリスマスは煙突から入ってきます。何故玄関でないのでしょう?。古代ラップランドの家は地中にトナカイの皮でつくられたテントでした。入口は地表に出ているテントの上部に開けた穴、煙の抜け道、つまり煙突です。普通の西洋建築ではないテントの煙突兼玄関からサンタさんはやってくるのです。そして、1930年代まではサンタさんの衣装も色もいろいろあったようです。だけど、今、サンタさんの衣装といえば赤に白のフワフワのふちどりのあの衣装しか考えられません。 なぜか? 誰かがあの衣装を考えたのです。それはあのコカコーラさんだというのです(^^;)。販売促進キャンペーンにサンタを起用し、ハッドン・サンドブロムという画家がコカコーラの色の赤で、いまあるサンタクローズ像をつくりました。それが1931年のことで、そのキャンペーンが1960年代に終わっても、みんなのサンタ像はすっかりあの赤い服で定着してしまったのだそうです。それにサンタクローズならやっぱりトナカイと橇(そり)ですよね。ある時一人の女の子が尋ねました。「北極には草が生えないのに、トナカイは何を食べてるの?」。長い間、大人達はそれに答えることが出来ませんでした。そして1925年に、アメリカの新聞でこんな発表がされたのです。「草を食べるトナカイが、草のない北極に住んでいるはずはない。その通り! だって、サンタクロースは北極じゃなくて、フィンランドのラップランドに住んでいるんだから!」。さらに1927年に、フィンランドのラジオ放送でこんなメッセージが流れました。「ファーザー・クリスマスは、ラップランドの耳山に住んでるんだよ。どうしてそうかって言えば、その耳で世界中の子供たちの願いを聞くためさ!」こうして、サンタクロースのおうちはフィンランドのラップランドにある耳山(KORVATUNTURI)になったのです。日本にサンタがお目見えしたのは、キリスト新聞によると明治初期に東京のあるクリスマス会で裃姿(かみしもすがた)で身を正し、贈り物のお菓子を大きな風呂敷に包んで、そこから出して配ったのが始めだそうです。
2004.12.25
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2005年(平成17年)の干支・乙酉(きのととり)です。「災」の一年もまもなく終わります、来年は良い年になって欲しいものです。 古代中国で、天球を約12年で1周する木星の運行を目安として、12の方角に分けて名前を付け、1年12ヶ月の暦をあらわしたのが十二支の成立であるといわれます。阪神甲子園球場の名称にも干支が付けられています!。竣工した1924(大正13)年は「甲子(きのえね)」の年でした。「壬申の乱」、戊辰戦争」など、歴史上の大事件の呼び方にも干支が使われています。十干(じっかん) 「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸」 十二支(じゅうにし)「 子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」 十干と十二支を組み合わせたものが本来の「干支」です。学校の成績を、十干の「甲乙丙丁」で評価するところもありますね。言葉は世につれ・・・今では、干支(えと)といえば十二支と思うほうが、話が通じやすいです。 「兄(え)」の年と「弟(と)」の年が交互に繰り返していき、そこから「えと」と呼ばれるようになったといわれます。 新年にはしめ縄や鏡餅などの縁起物を飾ってその年の幸運を祈ります。それに来年の干支は「酉」(とり)ですが特に縁起がよいようです。「酉」は夜泣きをしないため、子供の夜泣きッ封じのご利益があると言われ、卵を温める姿から子孫繁栄、家内安全を連想させる縁起物とされています。又「酉」は夜明け前に高く鳴くことから、闇を払って太陽を呼び出す力を持つものとされ,豊穣の象徴とされています。又財貨の場所を教える金鶏伝説もあり、幸せを呼んでくれる動物でもあるようです。来年 こそは (も)、皆様に幸いが来ますように・・・。
2004.12.18
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年賀状を出す季節になってきました。マナーデザイナの岩下宣子氏によると、年賀状は平安時代の公家社会にその原型が見られるそうで、時代が下がるにつれ、お正月の年始の挨拶に名刺を配るようになってきたが、明治政府が年賀葉書を発行すると、名刺の代わりに葉書による賀詞の交換が一般的になったと言われています。そうした由来を考えれば、年賀状は元旦に届くように出したいものです。作家の池波正太郎氏は次の年の年賀状を、年の初めから手書きで書くことで有名でした。こうした出し手の心は相手に響くものです。江戸時代の鍋島藩の修養書「葉隠」に「手紙は向様にて掛け物になると思え」と書いているが、忙しい現代ではとても無理な気がします。最近はパソコンで書いて出す年賀状が幅をきかしていますが、せめて受け取った相手が何らかの感動を覚え、虚礼でなく新たなお付き合いのきっかけになるような「文章」に、「絵」か手書きの「一筆」を添えたいものです。
2004.12.11
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今年は異常気象で、熊蜂が多い気がします。家の庭にも我が物顔で飛来してきて、その恐怖感は結構なものです。そこで、NHK が放送していた駆除方法を試してみました。ボトルに酒と,酢、砂糖、おまけに蜂蜜を少し入れて、庭の木に吊り下げてみたところ。二週間もすると、なんと二本のボトルに二〇匹ほどの収穫、その後は余り見かけなくなりました。アルコールは人間だけの趣向品ではないのですね。そのアルコールを飲む機会の多い年末がやってきました、年を忘れるかどうかは別にして、この絶好の口実の元に、楽しく呑み歌って親しみを新たにする重要な行事です。人間はいつ頃から酒に執着してきたのか?。本によると方船から降りた ノア がアララト山に葡萄を植えたとか、メソポトミアでは紀元前四千年にビールを造っていたとか。中国で始めて酒を造ったのは王帝時代の杜康という人で、それから酒造りの名人を杜氏(とうじ)と呼ぶようになったとか。たぶん昔の人間は土器の壷などに入れてあった果実などが自然発酵したものを舐めてこれはいけると思ったのが始めかも。特に ぶどう酒は酸味で雑菌を抑えるから、酒が出来やすかったのかも知れません。自然と人間の交わる文化に感動しながら、 乾杯 しよう。
2004.12.04
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