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やんちゃ坊主って言葉を余り聞かなくなったのは、単に私が日本に住んでいないからだけなのかも知れない。この言葉を良く聞いた頃は私自身も未だ子供で、ひたすらその「やんちゃ」な奴を避けていたのを覚えている。大抵、やんちゃな奴程人気があった。声に張りがあって、悪戯のアイデアに富んでいて、皆に好かれているのを一種の責任感として受けて立っている、そんな所が当時の私には、自分の対極にあるものとして怖くもあり、羨ましくもあった。人間は変わるものだと思える要素の一つに、私のやんちゃ坊主観の変化がある。今の夫は昔、名立たるやんちゃ坊主だった。未だにその名残がちらつくので、横に居るとはらはらする。生徒も何故か、性別を問わずやんちゃが多い。やんちゃな奴程、こちらの言う事に食い付いて来る。こちらがミスをしようものなら、ここぞと指摘して来るから怖い。しかし、彼等と切った張ったと遣り合っていると、レッスンはあっと言う間に終わる。精神的スポーツで、爽快に汗を流すと言った風なのである。そんなやんちゃの中のやんちゃ、ベアニが昨日11歳になった。事もあろうに彼の誕生日に、鬼の教師は発表会で吹けと言う。「えー!他の日なら何時でも良いけど、僕の誕生日だけは絶対にやだー!」と叫んだ。「自分の誕生日に堂々と演奏するなんて機会は滅多にないんだから…」と言う、私の言葉に思いっきりの膨れ面。彼は来週試験があるのだ。試験の前に試験曲を人前で吹いて置くに越した事は無い。でも、やっぱり可哀想だ…何か、ご褒美を上げられないだろうか…。発表会のプログラムを作成しながら、彼の為に編曲したビートルズの「Honey Pie」と曲名を書いていてふと思い付いた…そうだ、蜂蜜パイを焼こう!しかし、蜂蜜パイなんて日本語にもドイツ語にもレシピは見付からず、やっと英語のサイトで見つけたのだが、これが又写真も何も無く、説明もかなり大雑把。華氏やインチも換算しても、全く出来上がりの想像が付かない。冷蔵パイ生地、胡桃、バター、蜂蜜、卵、ケーキ用蝋燭と全て買い揃えて前日に用意して置いたのだが、それでもそわそわして落ち着かない。たった4時間しか眠っていないのに朝の5時に目が覚めてしまった。早速蜂蜜パイ製作に取り掛かる。泡立てた卵3個に暖めた250mlの蜂蜜を少しずつ混ぜて行く。溶かしバター大匙3も混ぜ込み、ローストして砕いた胡桃やハーゼルナッツをカップ1、バニラ小匙1、ナツメグ少々を入れてフィリングは終了。バターを塗ったパイ皿にパイ生地を敷き詰めフィリングを流し込み、まずは10分程160度のオーブンで焼いてみる。フィリングが多少固まって来た所に、八分音符で型抜きしたパイ生地を散らし、牛乳を刷毛で塗って更に焼く事50分。表面に色が付いて来たので、途中から温度を140度に落としてみた。フィリングが固まる迄にかなり時間が掛かってしまった。出来上がりは取り合えず美味しそうに見えるのだが、何せ誕生日プレゼントのケーキに穴を開けて試す訳には行かない。美味しくなかったらどうしよう…と不安で不安でたまらない。午後。ベアニから電話。「ヘイ、メグミ!僕と一緒に弾いてくれるんだよね?」「ヘイ、ベアニ!君と一緒に練習した通りだよ!」緊張してるんかいな…?発表会の2時間前から会場入り。オーディオ機器用のキャスター付きラックから機器を取り外し、小皿や飲み物、11本の蝋燭を立てたケーキその他を配置。生徒達が音出しに来る前に、壁際の長いカーテンの後ろに隠す事が出来た。ベアニの伴奏も含め、その晩伴奏したのは10曲。その中にはヒンデミットもあり、これは矢張り数箇所ミスをしたが、拍からずれる事が無かったので当事者とその教師以外には悟られずに済んだらしい。私の心配の種、4人のピアノ女性徒は皆、本当に良く頑張ってくれた。とにかく、ミスをしても完全に立ち止まったりする事が無かったのは偉い!その4人共、今迄舞台上でパッタリ止まってしまった経験の持ち主なのだ。最後にベアニが登場。先週掛かった感冒で、100年来喫煙していた様な声になってしまっている。Honey Pieの途中「I like it like that, ooh ah!」と言う所で、声がガラガラ…皆の暖かな笑いを誘った。カーテンの後ろから蜂蜜パイを載せたサイドテーブルを引っ張り出し、皆でハッピーバースデーを歌った。今日は緊張して全然誕生日のお祝いをしていなかったのだと言う。皆で蜂蜜パイを分けて食べて、残りはベアニが持って帰った。帰り際に、私に何度も握手してくれた。この発表会に参加した他の二人の教師夫妻は後片付け迄手伝ってくれ、一緒に飲みに行こうよと誘ってくれた。今回は珍しく、本当に行きたかったのだが、マルクスがシュタイヤーマルク州から帰って来るので行けなかった。一人会場に残って余った一切れを食べてみた。ひぇー!甘い!!蜂蜜1/4リットルLも入って居るのだから無理ないか…。そう言えば、パイ生地八分音符を指してベアニに「これ何音符?」と訊いたら、「4分音符」と答えてたっけ。試験、大丈夫かなぁ…?
2008/04/30
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昨日は半袖でへろへろ外に出たというのに、今日は又、一面の灰色、雨は降るし寒いし。こんな時に一寸、酸っぱいものを食べるのはどうかとも思ったが、鶏肉の油は対寒に効くし、生姜やニンニク、一味唐辛子ガンガン入れれば問題ないでしょう…と言う事で、鳥のバルサミコ煮。さっぱり煮なんて聞こえは良いが、実際こういう料理には砂糖がたーくさん入っているものなのだ。でもね、先日届いたステビアの粉末があるからもう大丈夫!独りご飯の分量で行くと、鶏肉モモ一枚、生姜、にんにくの微塵切り好きなだけ、片栗粉小匙1、バルサミコ酢(又は黒酢)50ml、醤油 50ml、水 25ml、砂糖大匙1.5の代わりにステビアを小匙8分の1程。これを、鶏肉と茄子、ピーマン等を炒め合せた上にじゃっと振掛けて沸騰後、保温調理20分。これがね。片栗粉でだまにもならず、意外に美味しかった。4月も終わりになって寒さ凌ぎって悲しいけどね。
2008/04/25
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2008年4月2日の午後5時辺り、どの椅子も擦り切れ垢黒いオーストリア国営鉄道列車の窓を雹か雨か雪の様なものがぴちゃぴちゃと音を立て続けている。「4月は気まま」と半ば、恨めしさと諦めを何処へとも無く投げ付けるのにお手頃な言い回しがある。つい一昨日、半袖でも汗を掻く程爛漫な春がこの山や河や湖で凹凸の多い国をすっぽり覆ったばかりでは無かったか? それにしても、今年の冬は凌ぎ易かった。無類の暖冬と言われた昨冬の仇討ちとして、今冬は相当厳しくなるとの予想が出され、実際雪も方々でかなり積もった。何故か私の住む町と、教えている二つの音楽学校への道程だけは、雪が氷として残る事が一度も無かった。昇る日を生む国で生まれた子が、心を絞る様にして「道が凍りません様に」と祈ったからだとの自嘲を、対冬鬱の抗生物質代りにしていた。 が、この冬を実に楽にしてくれた張本人は私の叔母である。彼女は時に10冊もの文庫本を、又は分厚く立派に綴じた本を、郵便代等一銭も掛らぬかの如く、矢次に送ってくれた。 確かに中学校で図書委員と言う陰気臭い役を進んで買って出たのには下心もあった。その委員長に想い寄せて居たのだが、実際、殆ど誰も好き好んで訪れない、微かな黴の匂いと人気の無さで安定した図書室の中で、「この本は未だ私を知らない」とその背に触れながら、その中身を想像する時間は私だけのものだった。 中学を卒業してからの道草道中、本屋が図書室に替わった。本屋の店員は大抵、私の様な客を何故か胡散臭がらずに放って置いてくれたものだ。時間を掛けて選んで買った文庫本で失敗したと思った事は一度も無かった。空気の様に、本一冊一冊と暮らして居たある日突然、海が無い辺境の国へ発ってしまった。 建前は「ホルンの勉強」だった。早稲田通りを枕に寝て居たので、外環状通りの喧噪は珍しくもなく、彷徨する麻薬常習者、酔っ払い、失業者の中を縫う様にして暮らす維納と言う灰色の街自体が私に郷愁を起こさせた事は一度も無かった。母の、何を作っても美味しい料理が食べられないだけでなく、自分では何も作れない事を思い知ったのは、恋しくなるばかりか独学の大いなる楽しみとなった。ましてやお金が底を突けば、「切り詰める」アイデアへの挑戦と袖をまくり上げた。 しかし、本屋が無いのである。否勿論、あるにはあるが、日本語の本屋が当然無いのである。折角オーストリア迄来たのだからと、ドイツ語の本でも買おうかと試みた事もある。だが、日本で私の好みに合った本屋の様な、間口が狭く、本が天井迄積まれて居る様な、そんな本屋に行く程、店員が放って置いてくれないのである。 寿司なんか食べなくても生きて行ける。小麦粉を水で練った物に、スーパーの売れ残りで誂えた物を毎日食べても平気だった。だが、日本語の本の欠如だけは私を根本から薄弱にした。「留学」自体が法外な贅沢であるにも拘わらず、私は両親に我が儘を言い、読みたい本の莫大なリストを書き送った。母は若い頃から夥しく入退院を繰り返していた上、元来本の虫であったので、「本の欠乏」が何を意味するかを知って居る。彼女はこの時、一つの愚痴も零さず、リストの全てを買い揃えて送ってくれた。 維納での4年間、私のこよなく愛したあの「図書室籠り」が最大限に再現された。建前ホルンは、近日レッスンがあると分かった時点でしか吹かなかったに等しい。読み耽って飲み食いを忘れる事も屡あった。誰も読書の邪魔をしない。行間を好きなだけ泳ぎ潜る事が出来る贅沢。この時期読んだ書物の詳細はもう覚えていない。血肉となってしまったからだ。 が、その贅沢にも終止符が打たれた。建前を本音にする事が漸く可能になったのも、この贅沢があったからこそだった。何か「上手いホルン吹き」にならなければならない気負いからやっと吹っ切れた。私が誰だか知らないが、吹いている内に出て来るものが私だろう。正直に吹いて、生きる道が見付からなければ、後は野となれ山となれ。 そして実際、野にも山にもなった。 女である事と言う国でも野を越え山を越えた。 ひたすら座ったり横になったりして本を読んでいる暇はもう無かった。 そうして、もう諦めかけていた心の安らぎを見つけた今、又本が欠如し始めたのである。 苦手なドイツ語の本に何度も挑戦した。だが、読む訓練が足りないだけでなく、何か根本的な愉しみに欠けるのである。それが何か、叔母からの矢次本で納得した。 日本語の文面の美しさ。漢字が文中の大事な意味を凝縮してまずは心に飛び込む。その間を柔らかなひらがながつつましやかに結ぶ。苔に覆われた庭に敷かれた飛び石の、不均等な間隔の一つ一つを味わいながら歩くのに似ている。漢字のみの漢文の圧迫感とも、英字のみの記号の様な無味乾燥とも大きくその袂を分かつ。個人的に言えば、アラビア文面の美的感覚も好きだ。だがこの日本文面のリズム感、柔らかさが無ければ、読書の愉しみが9割減してしまうのだ。 叔母からの本は、彼女の好み、彼女の傾向を教えてくれる。時にはフェミニストでは無いかと思う程、「女性」に拘っている。だが、珍しく男性作家の本が混じっていた。二人共本業は作家では無いか、無かった。数学者藤原正彦氏のエッセイが幾つかと、元騎手ディック・フランシス氏の推理小説だ。 数学者のエッセイを読んだ初めての項は、非常にストレートに私を揺さぶり、号泣させた。人一倍涙脆いと言うのを計算に入れても、本を読んでこんなに泣いたのは久し振りだった。だが、一項、一項と読み進めて行く内に、文章の組み立て・構成の隙の無さが目に付く様になってしまった。順序立てて人の心を導くその技巧は確かに凄い。ただ、そこに遊びが無い。心象を代弁するに相応しい情景描写がここぞと言う所でどうぞと言って出て来る。 その手管に就いて言えば、元騎手の推理小説の中で見つけるのは難しい。わざと避けているのでは無いかと思う程だ。元来、私は推理小説を読むのが苦手で、事件の起こりを読んで直ぐ巻末を探してしまう。だが、この人の推理小説では一度もカンニングをしなかった。先ず、翻訳の文体と喧嘩しながら読まなければならない障害が、素直に読み飛ばすのを阻んだ。「菊地節」と言われる程有名な方の翻訳なのだが、英語の文体と行間を無理矢理日本語に押し付けているとしか私には思えなかった。ビーフジャーキーを奥歯でやっつける様にして読んでいる内に、登場人物一人一人の描写の公平さ、無駄を省いた状況描写が真に迫って来た。私に英文をすらすら読める才があったら、この人の原文にあるリズムを知る事が出来るのに・・・と残念でならなかった。 所謂「素人作家」の本が次々と送られて来た。今度は岸恵子女史のエッセイが何冊も、書かれた順に番号が打たれて入っている。日本に居た頃使って居た技、本の最初の数頁を上空写真を撮る様に拾ってみると、「これは読んでみたい」とは思えなかった。こんなに沢山送ってくれたのにとがっかりした。だが、実に勿体ないので列車の長旅の余興に持参してみた。 ある意味では、私の直感は正しかった。文章の構成と言うものがこの世に存在しないかの如く、腹を割った友人と長電話をしている様な一種の気楽さが、時には支離滅裂に近く続いて居る。数学者で辟易とした隙の無さの、見事な対極である。 それでも何故か、一冊又一冊と私は彼女のエッセイを読み進めて居る。元女優だった知名度を、どう処理したらいいか分かって居ないと言う事にも気が付いて居ない様な、そんな明けっ広げな所に、いつの間にか安息を求めて居るのかも知れない。 それこれ読んでいる内に3週間が経ち、今再びオーストリア国営列車の中に座っている。流石にもう、霰や雹はぴしゃぴしゃ窓を打ったりしないが、車窓を次々と流れる茶碗を引っ繰り返した様な山の斜面でさへ未だ、しつこいとしか言い様のない雪がこびりついている。じっとり冷たい雨を含んだ雲と空の見分けも付かない程の灰色である。 こうも灰色と冷たい湿気に押し込められるともう、「心の中に太陽を」なんて言っていられなくなるのである。アマテラス女史に今更コネを頼みに出来る筈も無く、ただひたすら、降って沸く伴奏依頼と、それに基づく授業時間割の大幅な乱れ、生徒の親御さんに連絡を取りまくり「今週も又済みません・・・」とひたすら謝り、譜読みに明け暮れながら、何時の日か半袖でひょいと表に出られる日が来るのを待つばかりなのだ。 こう言う、時に押し流される様な日々の合間に4時間、列車に揺られるのは悪くない。唯問題なのは、そう言う時にゆっくり持参する本を選ぶ時間も無いと言う事である。 最近の寝不足をここで取り返せば良いのに貧乏性とは正にこの事で、何かしないと勿体なくて落ち着かない。一番上に置かれて居た本を持参したのだが、これは椎名誠氏の「風景進化論」と言うエッセイ集であった。 これは、叔母がつい最近送ってくれた文庫本シリーズの1冊で、全てが椎名氏のエッセイ集だった。「インドでわしは考えた」と言うのをまず最初にざっと読んだ、その2冊目になる。 椎名氏のお顔を知って居る割に、その文章を知らなかった事に気が付いた。子供心、子供の遊び心に満ち満ちて居る。言葉の繋げ方が、その大きな特徴とリズムを作り出して居るのは明らかだが、その子供らしい言葉遊びと同じく「あんな大人にはなりたくねーな」と、はっきり言い放つ所が大きな魅力なのだろう。 私はもうその、「あんな大人」になってしまったと思って居るので、ついつい椎名氏の攻撃の的を庇いたくなってしまうのである。勿論、私も「大人になる位なら死んだ方がまし」と本気で思い詰めた類であった。だから余計、自分の中で今迄妥協して来た膨大な履歴や、ごまかし・嘘・狡賢さ等が、椎名氏の書かれる描写にそのまま相当しないにしても、その延長線にある事を自ら、毎日、時折、瞬時、意識もせずやらかしている、その事をちりちりと針で刺されている様な、そんな感じがしてしまうのだ。 日本語の本があるだけでも幸せと言う環境にありながら、まるで上げ膳据え膳で料理の文句ばかり言っている居候の様な物言いである。物足りないなら自分で書き始めれば良いのだろうに…と、これまた自らの怖がりを自嘲するに留まるのである。 オーストリアの北側から夫の住む南側へ向かうには、必ずアルプス山脈の端を潜らなければならない。つい半時間前迄の一面の灰色が、「トンネルを越えるとそこは…」ふわりとした白を浮かべた柔らかな青に変わって居た。駅に降り立つと、新緑と花の息吹を存分に含んだそよ風と、私を見つけた夫が両手を広げながらこちらに向かって走って来た。ころころ変る天気、行ったり来たりの生活…本は心の錘になってくれているのかも知れない。
2008/04/24
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本当は又弓打ちに行く筈だった。しかし、習い始めたのはリカーブボウ、その前に買っちゃったのは古流長弓、射ち方が全く違うと言うので、その方の師を仰ぐ迄お預け。その代わりと言い訳にもならない買い物先で、夫が「刺身用鮪」と言うのを見つけて晩飯にしようと言う。このユーラシア大陸のど真ん中で魚がどれだけ新鮮で在りうるか・・・なんて考える前に、こんな物がスーパーに出回る様になるなんてとやや感無量。衝動買い、350gで13ユーロ。ついでに見つけた新鮮な香菜 も薬味に混ぜ、軽く炙った鮪に塩振り叩いてみた。香菜の所為で随分エスニックな叩きになってしまったが、夫は初めてなのに大喜び。次はレモングラス辺り混ぜてもっとエゲツナクしてみようか…。
2008/04/11
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