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東日本大震災から、11日で8年を迎える。岩手、宮城、福島の3県などの被災地では、災害公営住宅の整備や自力での住宅再建も進むが、今も5万2千人が仮設住宅などで「仮住まい」を続ける。新たな住まいを見つけて仮設から出て行く人と、残された人。復興が進む中で生じる「住まいの格差」と「孤立」の問題は、昨年9月の胆振東部地震の被災地でも現れ始めている。宮城県で最大の被災地、石巻市の仮設住宅を訪ね、数カ月後、数年後の道内被災地の姿について考えた。(川崎学)
「病気どう?」「大丈夫よ」。2月上旬、石巻市の蛇田西部第2仮設団地の談話室で、60~70代の男女7人が世間話に花を咲かせていた。7人は全員がこの団地の元住民だ。
一般社団法人石巻じちれんが2年前、元住民のために始めた「つながりお茶っこ会」。週1回開催され、毎回10人ほどが集まる。昨年1月に市内の災害公営住宅に移ってから、毎週必ず参加する杉山とくよさん(78)は「仮設でのつながりに救われている」と話す。
海沿いの同市雄勝(おがつ)町で、夫と2人暮らしだった杉山さんは、津波で自宅を失った。避難所から仮設住宅に移ったのは震災から3カ月後。公営住宅に入居したのは、さらに6年半が過ぎた昨年1月だった。
■別れる「家族」
仮設での生活を支え合った住民は「家族のような存在」だ。しかし、自宅を再建したり、災害公営住宅の抽選に当たったり、仲良くなった住民は次々と出て行った。杉山さんは公営住宅の抽選に5回落選。「この年齢では、家を建て直すこともできない。友人を見送るたびに情けない気持ちになった」と打ち明ける。
復興庁によると、最大約47万人いた東日本大震災の避難者のうち、昨年6月末までに約14万3千世帯が自力で住宅を再建した。自主再建が困難な被災者向け災害公営住宅は、1月末現在、3県で計画の98%の約2万9千戸が完成。ただ、抽選に当たっても、所在地など条件が合わずに、移れない被災者も少なくない。石巻市社会福祉協議会の伊藤勝弘事務局次長(60)は「住居や転居時期の差が住民の孤立化を生んだ」と漏らす。
転居先で、新たな人間関係を築けないケースも多い。杉山さんは公営住宅でも会合を開くが、集まる住民は少ないという。石巻じちれんの増田敬会長(67)は「住まいを移るごとに住民が新たなコミュニティーをつくれるよう、行政は自治会活動に補助金を出すなどの支援を続ける必要がある」と指摘する。
■立たぬ見通し
北海道新聞が2月下旬、胆振管内厚真、安平、むかわ3町の仮設住宅の住民を対象に行ったアンケートでは、今後の住居について「年内には自宅に戻れる」「3月末、新居完成予定」との声がある一方、「まったく見通せない」「仮設住宅に長く住むしかない」と訴える人も多かった。
厚真町は年内にも、災害公営住宅を整備する予定だが、国の基準では自宅が全壊した被災者しか入れない。全壊戸数が100戸未満の安平、むかわ両町では、国の災害公営住宅の整備条件を満たせず、建設そのものの見通しは立っていない。
東日本大震災の発生直後から岩手県で被災者支援を行った、厚真町社協の山野下誠さん(37)は「仮設住宅に入る時は同じでも半年、1年と時間がたつうちに、住民間の生活再建のスピードに差が出てくる」と指摘し、「厚真でも孤立する住民が出てくるかもしれない。最後に残る住民まで、息の長いフォローは欠かせない」と強調した。
東日本大震災の被害に遭った岩手、宮城、福島3県の市町村が整備した災害公営住宅では高齢化が進み、自治会の担い手不足などが問題化している。若い世代の流出などで空室が多い住宅もあり、このままではコミュニティーが維持できないと不安の声が上がる。一部の自治体は被災者以外にも入居募集を広げるなど対応に苦慮している。
「ここも、あっちも空室です」。岩手県釜石市の災害公営住宅「日向復興住宅」の自治会長小野寺喜代子さん(72)はため息をつく。全30戸のうち、1日時点で10戸が空室となっている。
■若い世代流出
若い世代は自力で住宅を再建したほか、避難先の都市部に定住した人もおり、災害公営住宅に入居したのは住宅再建の余裕がない高齢者が目立つ。
所得に応じて家賃が上がる仕組みのため、入居した若い世代の中からも「引っ越したい」との声が上がっているという。
小野寺さんは「このままでは年金暮らしの高齢者ばかりになるのでは」と肩を落とした。
津波で家族を失い、気落ちして自宅から出ようとしない1人暮らしの高齢者もおり、孤独死が心配だ。自治会で見回りも実施するが「できれば体力のある若い人にも入ってほしい。自分の家のことだけでも精いっぱい」と漏らす。
自治会活動の担い手不足も深刻だ。小野寺さんの任期は3月末までだが、次の会長は決まっていない。入居者が少ない階は廊下などの共有スペースへの掃除が行き届かず、自治会で行う敷地周辺の草刈りや雪かきは「これ以上人が減ると厳しい」と不安そうに話す。
災害公営住宅の入居者の53%が65歳以上の福島県南相馬市では、自治会活動は70代が主力になっているという。家族の介護などで忙しい人も多く、担い手は減る一方だ。
南相馬市建築住宅課の相沢広到係長は「若い世代が増えれば高齢入居者の支援を頼むこともできるかもしれないが、今は高齢者同士で助け合っている状況だ」と危機感を募らせる。
自治体も模索を続ける。共同通信が昨年末から今年1月にかけて行った調査では、岩手、宮城、福島で災害公営住宅を管理する被災38市町村のうち、岩手県陸前高田市など19市町村が、災害公営住宅を被災者以外の一般向けにも開放している。約680戸で被災者以外が入居しており、さらに増える見込みだ。
陸前高田市建設課の村上充課長補佐は、入居が進むことで「自治会の担い手も確保でき、コミュニティーの活性化も期待できる」と意義を説明した。
■居場所づくり
宮城県南三陸町の社会福祉協議会は昨年4月、災害公営住宅に、住民の居場所となる「結の里」を開設。デイサービス施設やカフェを備え、映画観賞会などのイベントも開く。
月に1度、住人らが一緒にご飯を作って食べる「みんな食堂」も開催し、子どもから高齢者までにぎわいを見せる。
それでも家からなかなか出てこない人はいるというが、高齢者の孤立を防ぐ上で、一つのモデルとなりそうだ。
被災地のコミュニティーづくりを支援する岩手大の船戸義和特任助教は「高齢化が進む災害公営住宅の中だけでなく、地元町内会などとの連携が効果的だ。住民が集まる機会をつくることが大切になる」と指摘している。
<ことば>災害公営住宅
■孤独死 黄色い旗で防げ 福島から広がり
仮設住宅では、1人暮らしや高齢者の孤独死の防止が大きな課題だ。東京電力福島第1原発事故の避難者が入る福島県大玉村の仮設住宅では、玄関先に掲げたA4サイズの黄色い旗で安否を知らせる取り組みを発案、他の被災地にも広がっている。
「ここから孤独死を絶対に出したくなかった」。入居者がゼロになり取り壊しが始まった大玉村の仮設住宅の前で、同県富岡町から避難していた建設業鎌田光利さん(63)が振り返る。2011年9月、仮設住宅の自治会長に選ばれた鎌田さんは、黄色い旗の取り組みを提案した。
映画「幸福の黄色いハンカチ」からヒントを得た旗は、起床後に玄関先に掲げ午後6時には取り込むと決められた。近所同士、旗の有無で異変を察知できる仕組みだ。
ある日の夕方。旗を出しっぱなしの住宅があった。鎌田さんが訪れると、1人暮らしの高齢男性が布団でうずくまっていた。すぐに救急車を呼び、病院で尿結石が見つかったという。
掲げられたままの旗の多くは、しまい忘れ。しかし鎌田さんは「(そのような人を)おおかみ少年にしないように、必ず訪問した」と語る。既に仮設を出て同県二本松市で暮らす鎌田さんは「旗を出すだけではなく、近所同士で徹底的に見守る体制をつくらないといけない」と強調した。
旗は他の被災地に広がり、さらに各地に受け継がれている。17年7月の九州北部の豪雨で被災した福岡県の朝倉市と東峰村では、昨年2月から全4カ所の仮設住宅団地で導入。16年4月の熊本地震の被災地を視察し採用を決めた。
朝倉市の林田団地では、入居住民らでつくる「見守り隊」が1日4回巡回して確認。1人暮らしの杉幸子さん(81)は「隣近所で旗が出ていないと声を掛け合っている。安心感が全然違う」と効果を実感している。
■福祉特化やトレーラー 仮設住宅多様化
災害救助法に基づく仮設住宅の多様化が進んでいる。昨年9月の胆振東部地震を受け、道は特別養護老人ホーム(特養)や障害者施設の入所者がまとまって入居できる大型の福祉仮設住宅を整備。同7月の西日本豪雨では、入居までの期間を短縮できるトレーラーハウス型も登場した。
道は、地震で大きな被害を受けた胆振管内厚真町と安平町に福祉仮設住宅を整備。厚真町では4人部屋や食堂が並ぶ「居住棟」5棟と、浴室や職員室がある「集会所棟」1棟を渡り廊下でつなぎ、車いすで通りやすいよう入り口などの幅を広くして手すりも設置した。6日時点で特養と障害者施設の入所者90人が身を寄せる。
道は2000年の有珠山噴火の際、伊達市で障害者施設の入所者向けの福祉仮設住宅を建設したが、入居者同士が交流するスペースはなかったという。道保健福祉部の佐賀井祐一担当課長は「入居者の負担とならないよう、今回は施設と同じ生活ができるようにした」と話す。
厚真町の福祉仮設住宅を運営する北海道厚真福祉会によると、入居者は顔なじみの仲間や職員との生活に笑顔を見せている。2月21日に厚真町で震度6弱を観測した地震の際には「渡り廊下を通って入居者の部屋に駆け付け、安全確認がスムーズだった」という。
西日本豪雨で被災した岡山県倉敷市では、トレーラーハウス型を初めて利用した。きっかけは、東日本大震災や熊本地震で被災地支援に携わった立教大の長坂俊成教授からの提案だ。完成している住宅を移動して設置するため入居までの期間が短く、プレハブや木造と比べて設置から撤去までの費用が200万円ほど安いことから、国と協議して導入を決めた。
着工から約1カ月の作業を経て、昨年9月に他の仮設住宅に先駆けてトレーラーハウス51戸への入居が始まった。市の担当者は「早く避難所を出たいという希望に対応することができた」と振り返る。入居期限の2年を過ぎた後は再利用される。
倉敷市真備町辻田の自宅が全壊した堀口康夫さん(80)は、2DKのトレーラーハウスに夫婦で暮らす。「豪雨後の避難所生活ではプライバシーもなく、身体的にもつらかった」と語る。従来の長屋造りの仮設住宅とは異なり、一戸建ての構造となっている。「生活音を気にせず、落ち着いて過ごせるので住みやすい」と笑顔を見せた。
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