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月に一度の心療内科の診察日。また眠れなくなった・・・と言ったら、「朝の決まった時間に起きて、決まった時間に食事をとる。 少しでもいいから身体を動かして、夜にもきまった時間に寝る。 それが大事なのですよ。」と言われた。「お酒ものんでいるんじゃないですか?だめですよ。」と言われた。そんなことできてたら、あんたのところに来るわけないだろ。今回は主人に言われたのか息子が付き添いでついてきた。息子にそう言ったら、「仕方ないでしょ。クリニックは、症状を聞いて薬を処方するだけのところだもの。」ああ、そうか。
2012年03月31日
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朝日がどんどんのぼっていく。
2012年03月28日
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さびしくて、さびしくて、さびしくて仕方ない。夜にベッドに入ると、いろんなことが頭に浮かんできて、爆発しそうになる。お母さんがいないことお父さんがいないこと息子が離れていくこと隣で寝ている主人もかわいい猫たちもいつかは離れていくこと私が一番先に離れていくかもしれないこと離婚して息子にも元の主人にも今の主人にもいっぱい迷惑かけたこと苦しくて仕方なくてベッドを抜け出すパソコンでゲームなどしてみるけれどその場しのぎのことで時間はどんどん過ぎていくし外は新聞配達のバイクの音カラスの鳴き声ああ いっそのこと このまま 一瞬で爆弾でまるごと吹き飛ばされたいなんてバカなこと考えて昨日本屋で立ち読みした 心理テストの本興味深いことが書いてあった。私は超ネガティブ思考の持ち主で、「罪悪感の強いタイプ」なのだそうだ。「自分はそう簡単に幸せになってはいけない」という思いが常にあるとのこと。まったくそのとおり。どうしたらよいかというと、「自分を解放してあげること」だと。そういえば、昔、占い師に言われた。「生命力が弱い」と。自分は祝福されていると、生まれてきて存在してよかったのだと思うこと、それを続けることだと。それで、深層心理に巣くったマイナスの陰は少しずつ消えていくだろうと。なんとかせねばと思っているけれど、きょうもハローワークで、「春の暖かい日差しを、カーテンをあけて浴びるだけで違いますよ」とも言われた。このマイナスのループから抜け出さなければいけない・・・・と思っているのが半分。このままでも別にいいや・・・・というのが半分。来週の息子の入学式。息子の荷物もまとめていないし、行くための切符もまだ買っていない。息子の分も、私の分も。
2012年03月28日
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鈍感な私は、 やっと今頃になって、 息子が家を出ていくことが、 たまらなく寂しくなってきました。 なんだか、 手が、 震えちゃいます。
2012年03月23日
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時計は午前2時45分。ああ・・・針がまっすぐだ・・・・。怖い夢を見て起きだしてしまった。お父さんとお母さんを車に乗せて、暗い中家から逃げている。家を出て3件先が大通り。右は海、左はずーっといくと小学校だが、車が渋滞している。間に合わないのを知っているから、そこを渡ってい向こう側の市立病院に向かう。お父さんのおむつも一パックだけ持っている。お母さんは発見した時に来ていたかっぽうぎを着ている。病院の階段をお父さんを手助けしながら、とにかく上る。お母さんに早く上るようにうながしている。見えないけれど私のオレンジ色の車は流されていってしまったのがわかる。そんな風に、簡単に助けることができた命のはずなのに。今だから見れる夢だと、何がおこるかわかっているからスムーズに避難することができる夢なのだと、わかっているけれど。おそらく、残された多くの人が、考えたり夢見たりするのだろうけれど、やっぱり苦しいし辛いね。息子がもうすぐ大学に入るために東京へ行く。私は息子が中学3年になるときに、息子をつれて家を出て、今の主人のところへ来た。高校の学費は、息子の父親が払ってくれて、約束では毎月息子の生活費として決まった額を私に渡してくれることになっていた。でも、お金にルーズな息子の父親は、学校の学費も遅れることが多々あったようだし、当然のように私へのお金の受け渡しも1~2か月無断でずれることもしばしば。まあ、これが離婚の一番の原因なのだが・・・・。私に対して恨みつらみがあるのは致し方ないが、息子に対しての父親としての愛情は信じている。というか、信じてきた。何度強く言っても、約束の期日を守らないが、とりあえずは昨年末までの分はなんとか支払ってくれている。大学の入学金も納めてくれたようだ。けれども、新生活をはじめるにあたって、寮に入ることになっているのだが、その諸費用や、月々の食費、その他諸々のお金の受け渡しや流れをどうしていくのか、この時期になってもまだ話し合っていないようだ。自分は6人兄弟の2番目で、共通一次を受けた直後に家計を支えていたトラック運転手の父親が倒れ、家計をささえるために大学進学をあきらめて父親のあとをついだ・・・・という苦労をしているので、「どんなに苦労してもお前を大学に行かせる」と言ってくれていたし、第一志望の大学に入学も許可してくれて、息子といろいろ相談していたので、すっかり信頼してお金のことは任せておいて、私はおこずかいをおくってあげればいいかな?なんて思っていたのだが、よくよく息子に聞いてみたら、息子名義で借りる奨学金と、あとは5万送るからその中でなんとかしろ、と言われたということらしい。身体も頭の中もきゅ~っと縮まるように苦しくなった。「どんな苦労しても行かせる」ってのがそれですか?子供の名前で借金(奨学金)作るのは、できるだけ少ないほうがいいのだけれど・・・・。もっと男気があると思っていたのになあ。どういうつもりなんだろ?我が家の家計よりも、一人暮らしの息子の父親のほうの年収が若干多い。ギャンブルなどはまったくしないが、金銭の管理は甘いし、いいっぷりこきで、あちこちで大盤振る舞いをする。いつもそのとばっちりや、しわよせが私のところにきていた。まず、連絡がとれない。用事があって電話しても、難しくなると切っちゃうし、メールで丁寧に、荒立てないように説明しても返事こないし、来たとしても1行程度・・・わかってるのかな?と思うような内容。それに、悲しいことに、息子は父親のことが好きだ。私も確かに、この父親でなければ、この息子は育たなかったと思うけれど。亭主としてはだめだったけれど、子供の父親としては満点だったと思うけれど。すっとぼけた自由人、極楽とんぼすぎる。息子に苦労はかけたくないのに・・・・・・。高校の最後の学費も、息子は特待生で授業料が免除だったので、他の生徒のみなさんよりは若干学校に納める額が少なかったのにもかかわらず、結局支払いを遅れて督促されていたようだ。息子は、私がそれをわかると悩むのを知っているから、知られないように学校に行って主人の代わりに支払ってきたりもしたようだ。私の母が生きていれば、こんな愚痴も聞いてくれて、あまりにひどいときには電話を入れて(叱られるのがわかっているからなかなか出ないけれど)叱ってくれたりしていたのだけれど、今は誰にも話せない。卒業式のりっぱな答辞を並んで聞いた夜、息子の友達とそのご両親、そうして、息子と息子の父親と、一緒に飲む約束をしたから「来ない?」とメールで誘われたけれど、何も用事など入っていなかったが、何を考えているのだと、丁重にお断りした。親として、息子を愛する父親の気持ちを、ひたすら信じて、またひやひや、いらいらしながら行くしかないんだな。
2012年03月22日
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きょうはポジティブな話題が綴れそうです。毎日毎日、パジャマで寝たきり生活だった私が、今日、主人が出かけた後、よっこらしょとおきあがり、着替えてお化粧して、なんと!外出しました。それも、電車に乗って仙台まで。駅まではちょっと走りました。お出かけ先は、こころるとーくの会場。被災者女性による、被災者女性のための場。30代、40代女性のためのほっとできる「女子会」の場。前々回に参加させていただき、とても心がほんわかしたので、今回もどうしてもあの雰囲気をもう一度味わいたくて、参加申し込みをさせていただきました。今日のテーマは「箱づくり」箱をデコレートして、そこに大切な想いや、苦しい思い、自己啓発の言葉をそっといれておこう・・・・ということでした。でも、堅苦しいことは全くなしで、スタッフさん達と、参加者さんとで、目の前にたくさんあるかわいらしい材料を、好きなように箱に貼ったり、スタンプを押したりしていきました。全ての材料は、みんな使いやすいように工夫されていていて、後ろに両面テープがついていたり、シールになっていたり、ちょっと切ったり、ボンドをちょっとつけただけで使えるようになっています。はじめはどうしていいのかとまどっていた大半のみんなも、だんだんイメージができてきて個性あふれるいろいろな箱が出来上がっていきます。わきあいあいと夢中になって過ごし、私はこんな箱ができました。中には、ハートのレースペーパーが敷いてあります。真ん中には天使がデザインされていました。この中に、震災で亡くなった父と母と、巣立っていく息子と、ずっと支えてくれた主人と、猫たちに向けて、メッセージカードにひとことメッセージを書いて、いれておきたいと思いました。作業中は、あちらでもこちらでも、「かわいい!」「かわいい!」の声でいっぱい。相手がどこの誰ともわからなくても、自分がどこの誰とも名乗らなくて、ニックネームや名字で呼び合い、年代も同じくらいなので、安心してひとりの「女子」になれる特別で贅沢な時間と空間。作業が終わったら、素敵なお菓子と、その時のテーマにそって作られた美しいテーブルセッティングを囲んで、たわいのないお話をする。でも、その「たわいのない話をする」までにたどりつくには、はじめの自己紹介の時の前のウォーミングアップから、みんなの心がほぐれていく工夫があちこちに優しくちりばめられている。スタッフの皆さんが、いろんなことを考えて話し合って準備してくださったこの空間。何よりも、そのスタッフさんたち自身ががとても楽しそうなのが伝わってくる。しぼんでひねくれて腐って枯れていた心に、女子力がアップするような温かい「ローズウォーター」を、ぽとりと与えていただけたような気持でした。
2012年03月18日
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3月1日の息子の高校卒業式、3年間の総合成績一位である証の表彰を受け、答辞もさせていただきました。彼のポリシーである、「スピーチは原稿なしで」を最後まで貫き、答辞も暗記でなしとげました。仙台のはじっこの、大きくて小さな学校の、歴史ある学校での、砂粒ほどのわずかな時間。それでも私には一生忘れることのできない大きな出来事。こんなうれしいことをいつも分かち合い、ともに喜びあえた母。その母も、もういない。車いすに乗ってでも、孫の卒業式に出るのだと言っていた父。そう言っていた時には、孫が答辞をさせていただくなんてわかっていなかったから、もしも目の前でそれを見たら、とても感動しただろうな。孫の行事には、なんでもすぐにかけつけてくれた母。中学の卒業式の時には一緒に同じ場所にいたのに。高校の卒業式にも当然一緒にいられると思っていた。あの晴れ姿を見たら、にこにこしていて、そのあと何度も手紙や電話やメールでその話を繰り返し、趣味で続けていた短歌にもすぐにとりあげただろうな。離婚し、再婚している私には、このことを思う存分に喜びあえる人が、もう、いない。もう、いないんだな。
2012年03月17日
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今年の3月11日の夜、このあたりは春の雪が降っていた。道路に落ちたらすぐにとけて水になってしまう雪。その雪の中、道路の脇に車を止めて、ワイパーの向こうにその雪が降り続くのを見ながら、私は泣いた。悲しくて、苦しくて泣いた。震災じゃない、親の死じゃない。友達に「あなたのことはもう背負いきれない」と言われた。謝っても、その謝り方が上から目線だと言われた。さびしいさびしい、苦しい、もっとかまってくれと、もっと考えてくれと懇願したから。私はあなたのことを考えてこの苦しさの中行動してきたではないかと言ったから。そういうことを他人に強要してはいけないと言われた。自分でなんとかしろと、まわりにいる家族になんとかしてもらえと言われた。彼女の言うことに間違いはない。自分でなんとかしなければいけないこと。すべて、みんな、どれもこれも。誰かになんとかしてもらおうと知らず知らずのうちに期待しすぎていたのだろう。3月に入って、また、出かけることはおろか家事も満足にできず、毎日ほぼ寝たきりの生活になってしまった。今はこうして起きてきて、パソコンに文字を打ち込めるから、少しだけ調子がいいのかも。実はお酒の力を借りている。あまりのだるさと無気力に、かかりつけの心療内科に行こうかと思ったけれど、自分でなんとかしなければ。まだ何もできぬままに時間が過ぎ、私のお友達や、母の知人、友人、親戚から、お便りや、贈り物、香典が届いた。一周忌だから。その方たちも、お返事もお礼もできないでいる。また、電話やインターフォンにも出られなくなってしまった。せめてお手紙だけでも・・・とレターセットを出してみるが、今、ペンをとれば、「苦しくて仕方ないのです。」と書くしかない。うそでもいいから相手を思いやり「なんとか頑張っています」という一言が、どうしても書けない。もう、誰かに迷惑かけたりしないように、誰かに頼ったりしてはいけない。さびしいなどと言ったりしてはいけない。自分でなんとかしなければ。でも.........なんともできない。
2012年03月17日
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笑って人と話せるようになったけれど、 電話も少しずつできるようになったけれど、 みんなにとっても心配していただいて、 思っていただいて、 「大丈夫です」って言いたいけれど、 いや、 現実の世界では「頑張ります」って「大丈夫です」って言ってるけれど、 しっかりしなくちゃいけないんだけれど、 「少しずつでいいんだよ」ってみんなに言われているんだけれど、 「他人に背負えるわけないんだから、受け止めきれないんだから、甘えないでしっかりしろ」と叱られるんだけれど、 家族亡くして、 子供亡くして、 まだ見つからなくて、 私よりもっともっと辛くて苦しい思いしている人がたくさんいるのに、 いい年して、 おっきな身体して、 でも、やっぱり、 苦しくて苦しくて寂しくて寂しくて悲しくて悲しくて、 仕方ありません。 ごめんなさい。
2012年03月12日
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あれから1年過ぎた3月11日。まだ檀家になっていないが家の近くのお寺で過ごすことを決めた。でも、石巻に行ったことを正直に言って、後悔している。いつもと同じようにパジャマのまま布団にくるまってそのときを迎えればよかった。怖いなら、薬とお酒を飲んで眠っていればよかった。父と母の遺骨は私の家にあり、葬式もあげていないが、周りはもう一周忌の法要・・・・なのだ。落ち着いて考えてみれば当たり前のことなのに、「違和感」でぞくっとしてしまった。2時46分はお寺の中にいたので、木魚と鐘の音の中で、黙とうのサイレンは聞こえなかった。お坊さんは、「2時46分をみんなで乗り越えました」と終わった後言ったが、私は檀家ではないし、お経も唱えず聞いていただけで、鐘の大きさとみんなでいっせいにたたく木魚の音のずれが気になって仕方なかった。弟はその時間が近づいたときにそっと席をたち、日和山にのぼったらしい。私もそうすればよかったなあ。宗教なんてわからないし、今の私はキリスト教のほうが身近な場所にあるけれど、いろいろおりあいつければ、このお寺でお葬式するしかないと思う。そんなにお話したことはないけれど、住職と、副住職とその奥さん、その雰囲気にひかれたから。また、南浜町が見渡せるこのお寺なら、父も母も納得してくれるだろう。お骨の取り扱いやお墓を作るか否かはまだ決めていないけれど。津波が起きた頃の時間に、日和山に登ってみた。神社の鳥居は、この日に合わせたイベントのためテントでぎっしり封鎖されていた。そこから一枚写真を撮った。日差しがとても柔らかい。海は穏やかで、きらきらと悲しいほどきれいだった。
2012年03月11日
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昨年の今日は、あと数日後にあのような惨事がおこるとはわからずに、 私は、 あなたは、 何をしていたのだろう・・・・・・。 あれから一年を迎えるにあたり、 あちこちでいろいろなセレモニーの準備が進んでいるようですね。 あちこちで、また、あの日の映像や、文章を目にすることが多くなりました。 先日、BSプレミアムの映像で自衛隊の活動が紹介されていましたが、 その時片づけている家は、私の実家でした。 母の遺体を家の中で見つけたあの日、 日和山から、 ろくに足場もない、 津波によって崩れた、爆発や引火によって三日間燃え続けた、 家や車「だったもの」の上を、 何度も灰と泥にくつを脱がされながら、 実家までたどりつくまでの長い長い道のり。 自衛隊の、 メディアの、 低空飛行を続けるヘリコプターの音、 津波の警報がとかれていなかったので、 捜索は空からしかなされていないから、 まわりには人影もない、 その行く道々、 おそらくたくさんのご遺体があったはずなのに、 私と、息子と、息子の父親と、 三人ともその記憶が全くない。 私はそれを、 ずっと、 あまりの変わり果てた惨状に気が動転していたからなのだと思っていた。 でも、 違うのだ。 人が、人の形をしていなかったから、わからなかったのだ。 手足がもげ、 真っ黒焦げになり、 頭も体も半分以上なくなり、 三日間焼かれ続けで、DNA鑑定も不可能なほど炭化しており、 だから・・・・気がつかなかったのだ。 先日、釜石でご両親を津波で亡くしたという方とお話する機会があった。 お父様はまだ行方不明だが、 お母さまは判明したとのこと。 しかし、 はじめにお母様のご遺体の写真を確認したときに、 日にちがたっていたのと痛みがひどいので、 お母様だと気づいてあげれなかったとのこと。 何枚か他のご遺体の写真も含めて見せていただいたが、 もちろんその痛み具合も覚悟の上で確認されたとのことだが、 経験者の私でも、 その心痛はいかばかりだったのだろうと思う。 彼女は笑顔で話してくださったのだけれど。 「経験者」とは、 母の遺体は、私がこの手で見つけたのだが、 父の遺体は、遺体安置所に通い、外にガムテープでブルーシートの上にはってあった、 身元不明の写真の一覧の中から見つけたから。 はじめの頃、とにかく、身元不明の遺体は、 遺体安置所に足を運び、その写真の一覧から探すことしか方法がなかった。 どこかに流れ着いてるかもしれないと、近隣の遺体安置所を回ってみたり、 一縷の望みをかけて赤十字病院を回ってみたり、 情報が錯綜し、現地にいかなければ何もわからない、 現地に行っても誰にきけばいいのかわからない、 統制がとれていない状態で、 そこにガソリン不足が追い打ちをかけ、 気持ちはあせり興奮状態が続き、不眠の中で、 ほほも手の甲も、がさがさに薄汚れていた。 ブルーシートに張られた写真は、 日を追うごとに遺体の損傷が激しくなっていく。 目を見開いたまま亡くなった人。 人って亡くなると、 目が白くなるんだな。 溺死だからかな? 水につかっていた時間が長かったからなのか、 顔がぱんぱんに腫れている人。 火事もすごかったからか、 顔が真っ黒焦げな人。 これで、誰なのかわかるのかな? せめてもと、 外でうっすらとほこりをかぶっているご遺体の写真を、 持っているハンカチで一枚一枚ふいてきた。 風であおられてはがれそうな写真を、 ちぎったガムテープの上をもう一度ぎゅーっと押さえて、 はがれないようにした。 あの時、手をとりあって泣いた見知らぬおじいちゃん。 おばあちゃんと、中学生の孫娘を亡くしたと言っていた。 お孫さんは、おばあちゃんを助けると家に戻ったそうだ。 おじいちゃん、元気だろうか? 私はどこもけがしていないし、大丈夫だよ。 誰が見ても、なんともないはずなんだ。 大丈夫なはずなんだけれど・・・・ なんだか、大丈夫じゃないんだよ。
2012年03月07日
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