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近所のクリニックから、大学病院の精神科に転院して、 通院し始めました。 まだ、はじめだから薬の量を様子を見ながら増量しているため、 昼夜逆転はなおりましたが、 起きている最中のだるさと落ち込みがひどくて、つらいです。 知らなううちに、花が枯れてしまいます。 猫のトイレがいっぱいになってしまいます。 部屋にほこりがいっぱい舞っています。 時間についていけません。 リビングのいすに座ったまま、ぼーっとしているうちに陽が傾いてしまい、 暗くなったままのリビングでぼーっとしたままテレビをみています。 寝るのがいやです。 起きなくちゃいけないから。 生きなくちゃいけないから。 できればずっと寝たまま目をさまさずにいたい。 でも、寝るためのお薬は飲んでいます。 これは、治るんでしょうか? うまくつきあっていく・・・って、どうすればいいのでしょうか? 楽しいことなんてありはしない。 苦しい辛いことだらけ。 何にもできない。 きょうもそろそろ寝る時間。 寝るのは嫌だな。
2012年06月23日
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今日は何日だろう?何曜日だろう?時計を見たら、朝の6時らしい。私はなぜこれを書いているのだろう?誰に何を訴えたいのだろう?たくさんの思い残しと、ざらつく心。葬儀の会場で挨拶やら取材やらうけていて、偲ぶ会の会場に着くのが遅れた。そうしたら、母のセーターやカーディガンは一つ残らずすでになくなっていた。毛糸の色さえわからぬどろんこのかたまりになりはて、重たくなったセーターを、ひとつひとつひろいあげて持って帰ってきて、断水の中苦労して洗い保管していた。サイズも違うし、一人ではすべてを着こなすことは無理なくらいたくさんあったから、と思って、生爪をはがす思いで、選んだ一枚、一枚。その説明をすることも、写真をとることもできず、みんななくなっていた。みんな知っている人たちだから、大切にしてくれるだろうけれど・・・・・前の晩に、10時過ぎまでかかってひとつひとつ用意した。それらのことも、弟夫婦は知らない。弟夫婦は私よりも遅く、偲ぶ会の会場に着いたから、そこに母の編んだセーターが並んでいたことも全く知らない。弟と会話が成り立たなくなったので、奥さんのほうに、何気ない用事でメールしても返事がこない。電話しても、弟が出る。式がおわった翌日に、遠いところおつかれさまでした、ありがとうね。とメールしても、返事がこない。
2012年06月14日
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私がこのお寺にはじめてお話をお伺いしに行った時に、そこにある小冊子をいただいてきました。そこに、題名の言葉が書いてあって、「え?そうなの????」とびっくりしました。神社ならわかるけど、教会でもわかるけど、お寺って、誰かのお葬式のときにいくところではないの?ってね。むかーしむかしは、お坊さんにいろんなこと相談しに行ったりしていた時代もあるんだろうけど・・・・・。でも、このお寺なら、いいのかもしれない・・・・って感じたのが、一番初めの印象でした。そうして、今回、親の葬式をして、正直言って、お経は何を言っているかわからないし、ばさっと落とす色をつけた昔の納豆のつつみたいなものや、ひらひらっと舞うようにふりまく、紙の意味もわからないのだけれど、私の席は一番前なのに、どんなに目を凝らしても父と母の写真の顔が光って見えないのです。弟夫婦、私と息子と焼香し、そのあと参列してくださったたくさんの方のご焼香を見ているうちに、「ああ、お葬式って、死んだ人のためではなくて、生きている人のためにあるのだなあ」と感じました。
2012年06月12日
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6月10日 に 父と母のお葬式が無事に終わりました。そのあとの、偲ぶ会も、和やかに進むことができたようです。かなり多めに用意しておいた会葬御礼も、足りなくなってしまうくらいたくさんの方々にお集まりいただきました。すべて主人に頼りっきりで、私はあたふたドタバタしていたので、いろいろ心残りもありますが、身体はひとつしかないので仕方ありませんよね。やっと、やっと、やっと、1年3ヶ月たって、私は「泣く」ことができました。息子のお別れの言葉がはじまったとき、どんなスピーチでも、難なくやりとげる彼が、冒頭から泣きじゃくってしまったのを聞いて、(震災後母の遺体を見つけた時以来、彼が泣いたのを見るのもはじめてだった)止まっていた時間が動き出したかのように、嗚咽と涙と鼻水があふれだしてきました。一時停止が解除されたように、止まったままの思考もぐるぐる動き始めました。今の自分の感情が「悲しみ」であるのだと、やっと認識できました。お寺の隣の、りっぱなおうちがたっていたという跡地に、真っ赤なポピーがゆれていました。
2012年06月10日
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きょうは、とうとう、父と母のお葬式。昨年の4月1日に火葬にして、それからずっとリビングにおいてきた、このお骨ともさようなら。だから、2人のお骨の蓋をあけてみてみた。改めて思った。こんなちっちゃなつぼのなかに収まっちゃうんだね。毎朝お茶とお水をあげて、お線香をあげてくれるのは主人で、私はろくにお線香もつけなかった。ばちあたりな娘。だって、こんなのお父さんとお母さんじゃないもん。確かに私が見つけたけど、確かに目の前で火葬の機械の中に入っていってでてきたけど。きょうも眠れなかったよ。さあ、きょうはお葬式。このお骨ともお別れだ。お寺に預かってもらって、あとは何年後になるかわからないけれど、弟が大阪に持って行って自分が将来作るお墓にいれるんだって。こんなの親じゃないもんなんて言ってても、なんだかほんとはちょっぴりさびしい。
2012年06月09日
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また、朝が来ちゃったよ・・・・。外で小鳥が鳴いているよ。暗いうちに眠りたいのに、眠れない。お薬貰って、それでも眠れないからもっと強い薬も足してもらって、それでも効かないから、それをお酒で流し込んでいるのに。私はなんでいきているんだよ。みんなちゃんといきているのに。なんで私は何にもしないのにいきているんだよ。おりこうさんに、ふつうに、にこにこいい人でいれないんだよ。まわりの人がすべて立派な人に見える。とりあえず、お部屋を片付けなくちゃ。いつから片付けてないんだよ。せっかくいただいた主人のお友達のお葬式で使ったお花も、外のバケツにおきっぱなし。ちゃんとお父さんとお母さんの所におかなくちゃ。猫のソルトが起きてきた。きょうも、宮城は曇りなのかな。お葬式の準備、しなくちゃ。ここが、がんばりどきだもの。
2012年06月03日
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ちーちゃん、ずるいよ。いや、うらやましいよ。勝手に死んじゃってさ。死ぬまでは本当に苦しかったんだろうな。今の私よりもおかしかったもんね。でも、おそらくおんなじ類の病気?性格?寂しくて寂しくて寂しくて寂しくて仕方ないのが、とってもよくわかった。いい人ぶるけど、それは仮面だから、本当の自分が出てきてそのギャップに苦しむ。ちーちゃんが死んだあと、周りの人は、変な罪悪感に苦しんでいたけれど、他人ができることなんかたかが知れている。でも、できることはいっぱいある。ちょっと声掛けてくれただけで、ちょっとしかってくれただけで、すごくすごく救われるのにね。だけど、みんなもいろんなこと背負って、自分のことで精いっぱいで、「人のことには口をつっこまない」なんて言い訳して、それぞれの人生生きている。そこに期待しすぎるのがいけないのかな?期待しても仕方ないのをわかっているから寂しいのかな?もっと頭が良ければ、もっと勇気があれば、ずっと笑っていられたのかな?ちーちゃんが死んだあと、宮城はすごいことになったんだよ。地震が来てね、津波でたくさんの人が亡くなったんだよ。ちーちゃんは、先に自分で死んじゃって、やっと苦しさから解放されたんだね。やっと楽になれたんだね。私、そう思う。そうして、家族も、もちろん悲しんだろうけれど、実は、ほっとした気持ちも、どこかにあるのだと、そう思う。
2012年06月02日
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父母の葬式が近づいてきた。葬式の後に、立食形式で偲ぶ会をする。母が編んだ手編みのセーターをご希望の方にお分けしたいのと、生前の母のお話をお伺いしたい。簡単にしたつもりだけれど、いろんな準備があるんだな。納得いくように、母ならこうしてほしいだろうなあと思うように考えたから。位牌もできてきた。現代位牌というもので、葬儀屋さんともそうだんして決めたけれど、カタログで見たものだったから、思っていたよりきらきらしていたが、きらきらしていたものが大好きだった母にはふさわしいと思う。また、その位牌の商品名は「アンタレス」星が大好きだった息子の星座はさそり座。その中の赤い星がアンタレス。そこにも縁を感じたから。あーでもないこーでもないと主人が仕事の合間に走り回ってくれて、そういう手筈はなれているからいろいろと段取りしてくれた。私の思いがきちんと反映るするように。電話することが病気上できない私にかわって、母の交友関係も考えていろんな方に連絡をしてくれた。会葬御礼の文章も考えて手配してくれて、新聞広告の内容も問い合わせから入れる文字のことから、いろいろと考えてくれた。主人には感謝している。主人がいなければここまでできなかった。それに比べて、弟のあまりのふがいなさに、泣けてくるようだ。今までは必至だったが、亡くなってから今まで、あいつは何をしてくれたというのだ。震災のあの日、上司が車を貸してくれて大宮まで来ていたのに、「ガソリンがなくなると困るから」とのこのこ大阪まで帰って行った。上司はこちらのことは何にも心配しないでいいからとにかく帰れと、言ってくれたのに。東京にも事務所はあるのに。そうして、なんだかんだと理由をつけて、石巻に来たのは19日。母の遺体が家の中から運び出されたあとだった。そのあとも、一応安置所周りはしたが、「うー」とか「あー」とか言って、遺体の写真の一覧をろくに見ようともしない。「お父さんは、流されたんだな?行方不明なったんだよな」などとばかり言って、さっさと3日ばかりで帰って行った。そのあと私はガソリン不足の中主人や元主人と協力して父を捜しに捜し、、友人の彼氏にお願いして石巻につれていってもらい、父を見つけた。そのあとだって、何度こちらにきただろう?「おれがそっちにいくのに、交通費がこれこれかかるわけね」なんて言い出す。しかも東京の事務所で働いていたのに、それを隠していた。そのことを指摘したら、「今は大阪に戻ってきているから」と昨日の電話で言われた。それも聞いていない。一人息子を東京に出してやるのに不安だからとお願いした時にさえ、「機会は何度でもあるから」と、めしのいっぱいをおごってくれるどころか、連絡さえくれなかった。地理はよくわからないが、事務所は茅場町にあり、自分は上野のホテルを宿にして仕事していたらしいが、事務所には自分ひとりしかいないからどうにでもなる身分だった。今回の葬儀についても、こちらにまかせっきりで、いうことだけはいい。「そちらにまかせているのに、いろいろ口出ししたら悪いと思ったからさ。」だと。すみませんがおまかせします。も、何かできることとかありませんか?も、なかったくせに。永代供養にお願いすることにして、17回忌には合同になってしまうので、その時になったらその時こそ自然葬にしようかなあと思っていたら、昨日になって「自分はこちらに寺を建てるつもりだから、そこにいれたいと思う」ときた。そこには正直安心した。見も知らぬ土地だが、受け継がれていくはずの息子が建てた墓に入れるのなら、父も母も満足するだろうと・・・・。ところが彼の真意は違っていた。永代供養の費用を出すのが惜しいだけなのだ。だから、ただで預かってもらって、そのうち引き取る・・・・としか考えていない。それならば、戒名代としてもっと上乗せしなければいけないということもわかっていない。そこをけちりたいから、今頃になって自分はお骨を預かるつもりだなどというのだ。じゃあ、なぜ、もっとはやくそうしない?とどのつまりには、「位牌は預からせてほしい(長男だから)」ときた。本当にはじめからその気なら、位牌の手配も寺も戒名も自分がやればよかったのではないか。そこにも姑息な弟の考えが見え隠れする。今はキャンプテーブルに布をかけて、その上にお骨をおいて、その前にうちにあったお盆に、余震で割れてしまったので、まっ茶碗を線香たてにしておいてある状態。これを、リビングにおけるような仏壇を買ってそこに置きたいと言ったのを、これまたけちろうとしているのだ。じゃあ、。1~2年はお姉さんに預かって、あとはこちらで引き取るのだから、そんなりっぱなものはいらないんじゃないの?ときたもんだ。位牌も、お骨も、お前が死んで(死ぬ前だとしても)お墓がたってから考えるよ。親のことだというのにこちらもご好意に甘えてなるべくいろいろな出費はおさえてとけれども、お母さんやお父さんがはずかしくないように、いらしてくださる方々が少しでも笑顔になって母のことを思い出してくれるようにと時間と心をさいているのに、弟はいかに自分がお金をかけないようにするかとしか考えていない姑息な男なのだ。ここまでお前、何をした。みなさんにお渡しするセーターも、主人と私がどろだらけのものをみんなひろってきて、つめたい水で何度も洗って、洗って、洗ったものなのだ。それでも、まだ砂が出る。親が生きてたら、泣くぞ。お母さんが生きていたら、ぴしゃりと叱ってくれただろうに。もっともっとっとあるが、今はこんなものにしておこう。私は、葬儀の時にみんなの面前で、あいつの顔をぐーで思い切りなぐると思う。周りがとめても、あきれても、喪服がやぶけても、ぐーでなぐって、たおれたところを蹴り飛ばし、ふんづけてやる。怒りで何も解決しなくても、今、私を生かしているのは、その憎しみの原動力だけだ。できれば死にたい・・・・とばかり思っている毎日だが、あいつを殴るまではとにかく生きよう。
2012年06月01日
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