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免罪符について書いたリンク先を追加しました。
Break Time (一休み)
ノートルダム寺院はちょっと休憩して・・。もうすぐハロウィーンなのでカワイイ写真を紹介。
でも、もとは、ハロウィーンは子供の祭りでも、収穫祭でもなかったようです。
ハロウィーン(Halloween)のルーツ?
子供がお菓子をもらい歩く子供の祭り? ハロウィーン
ケルト人の先祖供養



子供がお菓子をもらい歩く子供の祭り? ハロウィーン
10月31日がハロウィーン(Halloween)の日
イギリス、アイルランド系の人達が移民した国、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどで主に行われていた子供のお祭りです。
なぜなら、もともとが古ケルト民族の風習に由来するものだからです。
しかし、今のハロウィーンはどこもカボチャ一色で限定ですが、本来は根菜(こんさい)です。
イギリスではスイードと言う大きな根菜をくり抜いて、目鼻を書き、ロウソクを立て行燈(あんどん)を作ったとされたいます。アメリカでは大型のカボチャが代用されたのでしょう。
ジャック・オ・ランターン(Jack-o Lantern)
ランタンは、行燈(あんどん)の事。昔で言う明かりロウソクの事です。
かつてジャックと言う男がおり、死後、天国にも地獄にも行けず暗闇の煉獄(れんごく)をさまよう中で、カブをくりぬいて明かりをともして足下を照らし歩いたと言う。
それ故
、 ハロウィーンのランタンはジャック・オ・ランターン(Jack-o Lantern)と呼ばれる。
子供達はこれを手にして夕方から仮装して街を歩き、家々を訪ねて回ってお菓子
をもらうのです。
本来仮装はオバケ限定です。顔に墨を付けたり、お面を付けたり、頭巾をかぶったりするのですが、子供だからとてもカワイイ。
そして彼らは訪ねた家々でこう言うのです。
Trick or treat 「いたずらされたくなければご馳走を頂戴」
※ 訳の言葉はいろいろあり。要するにお菓子をくれればすぐに退散するよ。と言う意味です。
訪ねられた家では、おびえたフリをして
、「お菓子を渡して悪霊にお引き取り願う。」
と言う筋書
きになっていて、ハ ロウィーンには訪ねて来た
子供達の為にお菓子をたんさん用意しておかなければにならない。と言う慣習ができた
のです。
お菓子がいつからスタートしたのか解りませんが、当初はカボチャのパイとかクッキーとかから始まった? アメリカなど、今では配り用のキャンディーポッドやクッキーの詰め合わせなどハロウィーン用にお菓子セットが売られています。
もっとも最近はただの仮装大会になってしまったようで、もはや子供は関係無し。
近年の渋谷で見られるハロウィーンの乱痴気騒ぎは、もはやただのコスプレ大会。
だいたいハロウィーンは古ケルトからキリスト教下での行事です。
ジャックにいたっては、煉獄でさまよい苦しむ霊です。
霊を救済する思想がそこに込められている事を知っておかなければなりません。
煉獄思想とジャックについては、以下にも書いています。
リンク 2013年ハロウィーン(Halloween) 1 (煉獄思想とジャック)
煉獄思想にからめて中世の教会が発行した救済のお札「免罪符」のリンクも載せました。
カトリックの中世の死生観「人は行いにより地獄or煉獄に振り分けられて審判を待つ。」
ルターが怒って宗教改革を断行したお札、救済の「免罪符」について書いています。
リンク アウグスブルク 6 フッゲライ 2 免罪符とフッガー家
カナダ、オタワ、バイワード市場

いろんなカボチャがありますね。

カナダではひな壇に並べるのがお好き?
こちらはアメリカみたいにくりぬかないで、顔を描くのが主流?
カボチャ自体も違うのかも。こちらのはカボチャは食べられるのかもね。
アメリカのハロウィーン・カボチャはスカスカなので食べてもマズイから観賞用です。


ケルト人の先祖供養
元は、ケルト人の日本のお盆に非常によく似た風習です。
ケルト人は、1年を冬と夏の2期に分け、
冬は11月1日~4月末
夏は5月1日~10月末
10月31日から11月1日は年が変わる時であり、ケルトではあの世とこの世の境が開いてご先祖様の霊が里帰りすると信じられている。
その為に 家の周りにかがり火をたいてお迎えをしていた事が本来のランタンの由来かも。
先ほどジャック・オ・ランターン(Jack-o Lantern)の事を書きましたが、それはやはり中世からの話しかも・・。
(本当に日本のお盆とそっくりですね。日本の場合はロウソクとお線香、orわらを燃やすとか・・。)
あの世とこの世の境が開いた時に、招かれざる悪霊も出て来て、家に入られる恐れ
があります。
だからご 先祖様の霊だけ中に入れて、悪霊を追い払おうとする行為が、子供の祭りの中に風習として残ったもの
のようです。
オタワ郊外の農場の野菜販売所


ケルト人はBC2000年頃からヨーロッパにいたようですが、カエサルのガリア戦記のようにローマ軍やゲルマン人に追われて、だんだん北部に追いやられ、イギリスやアイルランドに追い詰められて、そこに後世も文化が残ったのだそうです。
ケルト人の王であったアーサー王も、キリスト教に改宗した事になっています。
以前、ヴァイキングの特集をしていますが、彼らもケルト人です。
11月1日の万聖節と11月2日の万霊節もハロウィーンに関係して存在しています。
ケルト人が征服され、キリスト教が入ってきてからも先祖を迎える風習は残り、2日の万霊節は家族でお墓参りする日なのだそうです。
ローマ法王グレゴリウス4世がカトリックにその風習を取り入れ、(835年)
11月1日の万聖節・・・「すべての聖人を追憶し、しのぶ日」と定め、
11月2日の万霊節・・・「亡くなった全ての人をしのぶ日」と定めたそうです。
因みに 墓参りの花は、故人の好きな花の場合もあるようですが、一般には菊の花なのだそうです。
菊の花=墓参りの花 ヨーロッパでは常識なのだそうです。
日本も仏壇、お墓=菊の花のイメージがありますね。
「古代ローマ水道 9 (イギリス バース編 2)」で「先住ケルト民族の移動」について書いてます。
リンク 古代ローマ水道 9 (イギリス バース編 2)

日本のカボチャより色がきれいだから映えますね。
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