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ハワイ王国歴代の君主 2 (カラカウア朝)
カメハメハ王家の滅亡
ハワイ王国の王は、 代々カメハメハ1世の直系子孫から選任すると決められていたようですが、カメハメハ5世(在位1830年~1872年)を最後にカメハメハ大王の直系男子はいなくなってしまった
ようです。
顧りみれば 大王以外の王は後継者を残す前に早世(そうせい)
していますし、男児は少なく女系だった? 事もあります。
しかし、 根本的な理由は、代々近親結婚を繰り返して来た事
でしょう。
最もこうした事はハワイ王家に限った事ではなく、ヨーロッパの王侯貴族もそうです。
家柄ランクを同じくする婚姻を好み、血統の純潔性を保とうとするあまり必然的に近親婚が繰り返されてきた
わけです。
国によって差はありますが、日本でも「三親等内の傍系血族内の禁止」など近年ではどこの国でも倫理的な意味においてその範囲が規制されています。
が、 問題なのは倫理問題以前に 血族間の婚姻では、血族特有の症状を持つ子孫が誕生する確率が非常に高くなる
・・と言う事実
です。
それが才能など良い遺伝なら良いのですが、問題は遺伝性の病気の多発です。
血が濃くなる事で病気も色濃く出る・・と言う事です。
ある場所では実際近親婚により気管支喘息や緑内障が多く発症したと言う結果も出ているそうです。
ハワイ王国の場合、極めて狭く限られた範囲での血族結婚だった事は系譜を見れば一目瞭然。それが早死にの理由だった事は大きな要因として十分考えられます
。
さて、ハワイ王家の系譜に戻ります。
ハワイ王国歴代の君主 2
直系子孫がいなくなったハワイ王国では議会が開かれ、 ハワイ王国始まって以来初めての選挙を行って王を選出
する事になったのです。
結果、1872年の選挙で 第6代王に選ばれたのがウィリアム・C・ルナリロ
です。
第6代王 (在位 1873年~1874年)
Lunalilo(ルナリロ)(1835年~1874年)
本名 William Charles Lunalilo
選挙と言っても実際ルナリロ王は直系でこそないですが、カメハメハ1世の異母兄弟であったKala`imamahuの孫です。
この選挙では次期国王となるカラカウアがルナリロに敗北しています。
しかし、 彼もまた在位1年1ヶ月。肺結核で逝去。
再び国王選挙が行なわれ、今度はカラカウアが選挙を制して第7代の王に
なります。
因みにこの1874年の選挙では第4代国王カメハメハ4世の妻クイーン・エマ(Queen Emma)が国王選挙に立候補してカラカウアと競ったといいます。
カラカウア王朝
第7代王 (在位 1874年~1891年)
David Kalakaua(カラカウア)(1836年~1891年)
ワイキキのカラカウア通りでお馴染みの名前の王様です。
日本を訪れ明治天皇と会見し、移民の要請と共に日本の皇族と姻戚関係を結ぼうとしていた
と言われるカラカウア王は、他にもポリネシア帝国を建設する壮大な構想を抱いていたと言います。
カラカウア王は即位すると次の王に自分の弟を選出し、選挙による王制を廃止してカラカウア朝を構想。長期的な王政をひく計画があったようです。
実際はその弟が彼より先に死去したので、結果、彼の留守中に摂政をしていた妹のリリウオカラニがカラカウア亡き後、ハワイ王国の最後の女王となるのです。
ハワイ経済の将来や国際外交に力を入れ、行動的な政治をしたようですが、その積極性故か? アメリカに牽制されたのかもしれません
。
カラカウア王の退位、あるいは王政廃止、あるいはアメリカへの併合を求めるハワイ財界に増えたアメリカ系移民の圧力は日増しに増大。
カラカウア王は王政維持の為に取引をします。
国王の権限を大幅に制限し、議会へ委譲する新憲法の署名です。
次代リリウオカラニ女王の時代に起きたハワイ王国滅亡の政変。その序章がこの頃には始まっていた
と言う事です。
そのストレスか? カラカウア王はアルコール依存症で体調を崩して亡くなっています。
彼の功績はイオラニ宮殿の建設とカメハメハ2世以来50年禁止されていたフラの復活です
。
第8代王 (在位 1891年~1893年)
Lili'uokalani(リリウオカラニ)(1838年~1917年)
ハワイを代表するアロハ・オエ(Aloha `oe)の作曲者
がこのリリウォカラニ(Lili'uokalani)女王です。
1894年に譜面が発売されミリオンセラーとなり世界中の多くの人に知られた詩です。
その内容は 愛し合う恋人の別離の悲哀を詠んだものですが、実は滅び行く王国と王国の民への感謝と惜別の暗喩であると言われています
。
確かに、イオラニ宮殿でながらく幽閉されていた彼女が手作りのキルトの中にメッセージを残したように唄にも込めていた・・のは想像できうる事です。
リリウォカラニひきいる王政派とハワイをアメリカに併合したい共和制派との戦いはここにピークとなり、アメリカの軍隊の参入によりハワイ王国は潰され滅亡
。
親米政策をより進めたいハワイの経済界(入植してプランテーションで成功した人達)のシナリオ通りにハワイはハワイの人達から盗りあげられたのです。
因みに日本はこの時、王国の独立を支持。ハワイ革命と後に命名されたこのクーデターに不快感をし示し軍艦を送ったと言います。
段階的にアメリカに吸収され、後にハワイがアメリカの50番目の州になったのはリリウオカラニの死(1917年)から42年後の1959年8月21日です。
飛び飛びになりましたが、とりあえずこれでハワイ王国は終わります
たぶん今年もハワイに長期ステイする事になると思うので、またその時新たなハワイを紹介したいと思います。
バックナンバー
リンク ハワイ王国歴代の君主 1 (カメハメハ朝)
リンク ハワイ統一王朝 1 (ハワイアンのカプ、マナ、フラ)
リンク ハワイ統一王朝 2 (ハワイ王国とイオラニ宮殿)
リンク バーニス・パウアヒ・ビショップ博物館 1 (ホノルル)
リンク バーニス・パウアヒ・ビショップ博物館 2 (鳥の羽のマント)
ノースショア(North Shore) 2016年08月14日
ハナウマ・ベイ(Hanauma Bay) 2 2013年12月23日
ハナウマ・ベイ(Hanauma Bay) 1 2013年12月20日