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最新の「アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 」シリーズのリンク先をラストに載せました。
日本のデパートに定休日はほぼ無い。休みと言えば正月元旦くらいかもしれない。
本当に良く働く国民である。
しかし欧州はそうではない。宗教の関係で日曜祝祭日は店舗が休みになるのである。
日曜は教会にお祈りに行かなければならないからだ。
デパートも当然祝祭日は休みになる。
近年連休などに祝日が重なる時は、店を開けるデパートも少なからず出て来たと言うがドイツでは労働組合がうるさく法律もあり、例外なく休業らしい。
消費者からすれば日本のように土日の休みの日にゆっくりデパートでの買い物ができるのは理想だと思う。しかも、閉まるのも早いから、仕事終わりにデパートに寄ろうなどほぼ無理なのである。
1000年以上? そう言う慣習の中にある彼らに不便には感じないのかもしれないが・・。
因みにアメリカではThanksgiving Day(感謝祭)をのぞいて土日にデパートは営業している。
ガウディ博物館 2 (ラ・トーレ・ローザ・la Torre Rosa)
グエル公園(
Parc Guell)
ガウディ博物館(
Casa Muse Gaudi)
ラ・トーレ・ローザ(
la Torre Rosa)
アントニオ・ガウディ(Antonio Gaudí y Cornet)(1852年~1926年)
ガウディの73歳と11ヶ月半の生涯のうち終盤の20年を過ごした家がこの家
です。
この家を購入して移り住んだのが1906年。ガウディ54歳の時。
ガウディが一人暮らしを止めて、この家を離れ、サグラダ・ファミリアに寝泊まりするようになるのは1925年の9月の事。
そして翌年1926年6月10日に路面電車に跳ねられて不慮の死を遂げています。
一度手放されたこの家は
Association of Gaudí friends(ガウディ友の会)によって1963年に購入。(
1992年にはサグラダ・ファミリア財団の建設役員会が管理
。
ガウディがデザインした家具とともに現在ガウディ博物館として公開されています
。
la Torre Rosa(ラ・トーレ・ローザ)

もともとモデルハウスとして建築されたこの家は フランセスク・ベレンゲール(Francesc Berenguer)の設計
です。
フランセスク・ベレンゲール・メステルス(Francesc Berenguer i Mestres)
(1866年~1914年)
カタロニアのモデルニスモの建築家として知られる彼はガウディのアシスタントであり、誠実なる友人でもあったそうです。
家はラ・トーレ・ローザ(
la Torre Rosa
)と呼ばれています。
直訳すると「バラの塔」
と言うところでしょうか?
バラ色の家・・と解釈している本もありますが・・。
la Torre Rosaの意味については、追求しきれていませんが、Rosaには聖母マリアの象徴であるバラの意が込められている? とも・・・。
あるいは、共にここで暮らした姪のローザ・エーゲ・ガウディ (Rosa Egea Gaudí) の名に由来しているのか?
ひよっとすると単純に塔に付いている換気口の枠のデザインが薔薇に見えたから? かもしれない。(
カサ・ミラのラストで紹介した薔薇のよう?)
la Torreはこの家にある教会のような尖塔をさしているのでしょう・・たぶん・・。
尖塔に建てられている十字架を見ると、この下は礼拝所か? と思えますが、考えたらこの建物はそもそもガウデイの為に建てられた家ではなかったわけで、この塔の意味は不明です。
しかし、この家が売れ残った理由はこの塔にもあたのでは? と、思うのです ![]()
ガウディ・ハウス博物館の入り口をメイン・ストリートから見る。
グエル公園内での家の建築について
各住居の建築に対して、ガウディはグエル伯爵と共に細かく規定
しています。
それは 庭園都市として景観を損なわないような配慮
です。
各住居の建坪率は16%。(6分の1)
高さは隣接する所有者の敷地の境界線から45度の傾斜面を越えてはならず、さらに境界の高さ80cmまでの壁。
もし、それを越える場合は鉄柵か生垣のみが認められると規定。
もちろん住宅だけでなく、 グエル公園は公園の総面積の50%以上が緑地として残され、もともとある木を伐採する時は地主にお金を払う事など、取り決め
がなされていたようです。(最も、もともと岩盤の山なので植物は少なかったようですが・・。)
入り口の門
これはガウディの作品のようです。
なぜならダリが「牛の肝臓」と称した旧グエル邸の門と傾向が一緒です。
壁面の装飾に目を止めて見ました。
フランセスク・ベレンゲールの施した装飾はプラテレスコ様式(Estilo Plateresco)をモダンにアレンジして平面上に施行したもの?
のように見えます。
何より、窓枠や家の角に見られるレースのような装飾模様は単にアール・ヌーボーと言うよりも15世紀末~16世紀前半にスペインで流行った漆喰による細かい装飾レリーフが起源ではないかと思うのです。
本家プラテレスコ様式は漆喰の立体装飾であり、こちらは平面なので別物と言えば別物かもしれませんが、その形態を変えた所にフランセスク・ベレンゲールの「モデルニスモ」があるのかも・・。
プラテレスコ(Plateresco)様式については2011年6月「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 6 (ブルゴス 4)」で紹介
していますが、
15世紀末~16世紀前半にスペインで流行ったルネサンス建築をベースとした上に施された細かい飾り模様から「銀細工的装飾様式」と言われています。
ガウディ博物館つづく
リンク ガウディ博物館 3 (ガウディ家の人々)
Back number
リンク アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 1 高級住宅
リンク アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 2 コロニア・グエル教会とカテナリー曲線
リンク ガウディ博物館 1 (グエル公園)
ガウディ博物館 2 (ラ・トーレ・ローザ・la Torre Rosa)
リンク ガウディ博物館 3 (ガウディ家の人々)
リンク ガウディ博物館 4 (ガウディの病気)
リンク グエル公園(Parc Guell) 1 (2つのパビリオン)
リンク グエル公園(Parc Guell) 2 (ファサードのサラマンダー)
リンク グエル公園(Parc Guell) 3 (大階段のタイル)
リンク グエル公園(Parc Guell) 4 (列柱ホール)
リンク グエル公園(Parc Guell) 5 (ギリシャ劇場)
リンク グエル公園(Parc Guell) 6 (擁壁と柱廊)
リンク グエル公園(Parc Guell) 7 (テクスチャーにこだわった柱廊と陸橋)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 1 (外観)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 2 (パティオ)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 3 (屋上1)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 4 (屋上2)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 5 (屋根裏の梁)
関連
リンク コミーリャス(Comillas)エル・カプリーチョ(El Capricho)
リンク ガウディの椅子
リンク モンセラート(Montserrat)
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